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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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今度は子宮頸管無力症に

2018.03.30 15:52|世界一周裏話☞EDIT
この時期になると花粉症に悩まされているイクエです。
鼻詰まりと目のかゆみで夜中にも目が覚めてしまいます。
昔はスギ花粉にしか反応してなかったのに、ヒノキにも反応するようになって、辛い時期が長い!!
フランスの友だちに「フランスは花粉症にならないからいいなー」と言ったら、「フランスでも花粉症の人多いよ!」と言われました。
どこに海外逃亡しようかな。

不妊治療で妊娠できたものの、卵巣の腫瘍が悪性の疑いがあり、お腹に赤ちゃんがいるまま腫瘍と卵巣の摘出手術を受けました。
とても不安だったものの、精密検査で腫瘍は良性と診断されました。
これでこのまま妊娠を継続できます。

退院した翌週、術後の経過を診察するため病院に行きました。
いつもお世話になっている女医さんが診察をしながら、少し驚いたように「あー、ちょっとこれは・・・」ともらしました。

胸がざわざわするとともに、「やっぱり、一筋縄ではいかないんだ」という思いになりました。

先生が言いました。
「きょうから入院できる?
 無理なら明日」


子宮頸管無力症と診断されました。
もともと子宮が人よりも柔らかい体質のようです。
産道につながる子宮頚管が極端に短くなっていて、赤ちゃんが出てしまいそうな状況になっていました。
子宮口を縛って、子宮口が開かないようにするための子宮頚管縫縮手術(シロッカー手術)を受けることになりました。
シロッカー手術を受けたら、もう産んでもそれほど問題がない妊娠36週ほどで抜糸することになります。

このときは、まだ妊娠16週。
予定日までまだ6か月もあります。
普通ならこの時期、4センチほどないといけない頸管の長さがもう1.5センチほどしかなく、臨月の妊婦さんより短くなっています。
いま赤ちゃんが生まれても、助かりません。
延命治療を受けられるのは22週以降に出産した赤ちゃんが対象です。
それまでに生まれた子はNICUに入れる資格も、救命処置をされることさえありません。 

また、22週以前でだめだった場合は「流産」、それ以降は「死産」というように、呼び方も変わります。
22週というのは、妊娠生活の大きな節目です。

22週まであと一ヶ月半あるのに、赤ちゃんはもう出そうになっています。

縫縮手術もリスクがあります。
かえって子宮や赤ちゃんを傷つけてしまう恐れがありますが、このままでは赤ちゃんを無事に産めないので手術をするほかありません。

翌日から入院することになり、先週までいた同じ病棟に舞い戻り、顔なじみの看護師さんや患者さんたちに挨拶しました。

手術前日に子宮頚管の長さを測ると、わずか7ミリになっていました。
インターネットの情報で2.5センチで、『切迫流産』、『点滴を打ちっぱなしで絶対安静』、『トイレも車椅子』ということを目にしていました。
7ミリでも縛る手術ができるのか不安になりましたが、医師は難しくはあるけれど可能だと答えました。

手術の日は急に決まったので、ケンゾーは仕事を休むことができませんでした。
ケンゾーはテレビの仕事をしていて、生放送中は電話にも出られません。
術中に何かあったとき、また手術の結果報告は、病院から熊本の母に電話連絡してもらうことにしました。

手術当日は一人でしたが、前回同様お腹の赤ちゃんと二人で挑むのだと思うと、心強くもありました。

この前と同じように手術台に横たわり、麻酔をされ、天井を見つめました。

「がんばろうね」
心の中で何度も赤ちゃんに語りかけました。

手術が始まります。
この前と同じく、赤ちゃんがいるので全身麻酔はかけられないので、意識ははっきりしています。

手術が始まりしばらくすると、それまでの患者を落ち着かせるようなオルゴールミュージックから先生が好きな曲に変わるのですが、心でニヤッと笑いました。
前回、アメリカ留学帰りの先生のときは英語のポップスでした。
ケンゾーと「今回の女医さんは、どんな曲なんだろうねー。年代的にユーミンあたりかな」と話してたのですが、流れた曲はケンゾーの予想的中、ユーミンメドレーだったからです。

ユーミンの曲を聞きながら、手術は終わりました。
お腹の赤ちゃんも無事でホッとしました。

しかし、手術の成果はあまりよくありませんでした。
子宮口を縛ったのに、子宮頚管の長さは一日ごとに短くなっていきました。
手術に立ちあった若い男の先生に「短くなってショックです」と言うと、「手術したのに僕たちもこの結果にショックです」と言われ、わたしはその言葉にまたも大きなショックを受けました。

今までなんとか踏ん張ってきたのに、崩れ落ちそうになりました。
「どうすれば、いいんでしょう?」

わたしの言葉に先生はこう返しました。
「あとは、、、祈るしかありません」

病室に戻り、ベッドの周りのカーテンを閉めると涙がポロポロと出ました。
二回も手術してこんなにがんばったのに。
お腹の赤ちゃんだってがんばっているのに。
布団に丸まって、声を殺して泣きました。
涙はいっこうに止まりません。
見回りの看護師さんが来て、わたしの異変に気づいて声をかけてくれましたが、「大丈夫です」と小さく答えて、また布団に丸まりました。

夜になって、担当の看護師さんが来ました。
その看護師さんは、その日は病棟の勤務ではなかったのに、わたしの検査結果を聞いてわざわざ仕事が終わって駆けつけてくれたようでした。
わたしよりたぶん若い看護師さんですが、話を聞いてくれて慰めてくれました。

ポロポロと涙を流しながら、不安な思いを話しました。

「とりあえず、20週を目標にがんばりましょう」
看護師さんはそう励ましてくれました。
「でも、せめて22週まで持ちこたえないと・・・。
 赤ちゃんは救えないから・・・」

「でも、とりあえず20週。
 先を目指しすぎるときついから。
 20週を過ぎたら、22週。
 少しずつ目標を遠くにしていきましょう」
 

看護師さんが優しく励ましてくれて、少しだけ、気分が落ち着きました。

入院中にちょうど、胎動を感じるようになりました。
ポコポコとお腹の下のほうで赤ちゃんが動きます。
赤ちゃんはこんなにも元気で、順調に育っています。
問題はわたしの子宮が持ちこたえてくれるかどうかだけ。
なんとしても、妊娠を継続させて、命をつなぎ、できるだけお腹の中でこの子を育てたい。
その思いは強くなるいっぽうです。

お見舞いに来たケンゾーも、わたしのお腹に手を当てると手のひらで胎動を感じられました。
「おお!
 動いた!」


定期検診からお世話になっている女医さんが、外来の勤務が終わって夜に病室を訪ねてくれました。
わたしより少し年上のその先生は、いつもどっしり構えた雰囲気で包容力があります。
その先生にも、「そんなに心配しないで」と言われました。

「これからどんどんお腹は大きく重くなっていく。
 子宮口が開いてしまうリスクは日が経つごとに大きくなっていくんだから、
 今が一番リスクが小さいとき。
 だから、いまのうちにマタニティーライフを楽しんでほしい。
 週一回くらい、旦那さんと車で近所に買い物に行ったりして、気分転換もしてほしい」


術後の経過があまり思わしくなかったため、わたしの入院は延びました。
精神状態が不安定だったため、「このまま家に帰らせるわけにはいかない」という病院側の配慮もありました。

数日して看護師長が病室に来て「もう少し入院してもいいし、おうちに帰りたいなら退院してもいいけど、どうする?」と優しく聞いてくれました。
このまま病院にいても、薬を飲んで安静にするしか方法がなく、それは入院しなくてもできることでした。
ただ、病院にいたほうが何かあったときにすぐに対処してもらえて、異常があったらすぐに発見してもらえるという安心感はありました。
わたしは迷ったけれど、退院することを選びました。
いつまた状況が悪くなり再入院するかわかりません。
家で過ごせるうちに過ごしておこうと思いました。
5人部屋で周りの音が気になって夜もほとんど眠れず、病院での日々はとても長く感じていたので、帰宅すれば少しは眠れるかなとも期待しました。

自宅でも極力安静にしないといけません。
わたしの入院中にケンゾーと母がIKEAで買ってきてくれたリビングのソファーベッドがわたしの定位置になりました。

家に帰ってからも考えるのはずっと、お腹の赤ちゃんのことばかり。
気分転換しようにも何も手につかず、ただただ、何事もなく時間がすぎるのを待つだけの毎日でした。
時間が過ぎるのがとても長く感じました。