ルワンダ唯一(?)のリゾート地
最近よく「インドネシア人?」と聞かれるケンゾーです。
たしかに間違えられるのもしかたないくらいに日焼けしてどんどん黒くなっていっている。
でもまだまだ松崎しげるやみのもんたレベルにはほど遠い。
いやあ、この2人の黒さは尋常じゃないよね。
なぜ虐殺に加担した加害者側と無惨に殺された被害者側が今現在共存できているのか、まだほんの20年足らずしか経過していないのに。
人々が言うように、本当に「ルワンダ人はスーパーポジティブだから」なのか。
ルワンダにやって来て1週間経ったけれど、頭の中のモヤモヤした思いは一向に晴れる気配がない。
ちょっと気分転換でもするか。
首都のキガリで活動している協力隊員のナイケルから、ルワンダ唯一(?)のリゾートスポットの情報を教えてもらっていたんだよね。
キガリからおよそ130km西へ行くとキブ湖という湖がある。
コンゴ民主共和国との国境にまたがっている湖で、周囲を山に囲まれた景観がとても素晴らしいんだそう。
ナイケルはゆっくり羽を伸ばしたいときに湖畔沿いのキブイエという街を訪れるんだって。
居心地のいいゲストハウスもあるらしい。

今いるフーイエからキブイエまで直通のバスはない。
途中のムハンガでバスを乗り換える。
フーイエからムハンガまで1400フラン(約220円)、ムハンガからキブイエまで2000フラン(約320円)。

ルワンダのバスは明朗会計。
運賃がきちんと張り出されているのでぼったくりの心配は皆無。
しかも、信じられないことに定時出発。
座席がガラガラでもバスが走りはじめるなんてアフリカでは前代未聞。


「アフリカの奇蹟」と称されることもあるルワンダ。
たしかにガラガラのままバスが出発するなんてほかの国ではありえない。
「千の丘の国」という別名をもつルワンダ。
バスはいくつもの丘を上り下りしながら西へ走っていく。

庶民の生活の足は自転車。
坂だらけだからどこへ行くのも大変だ。


およそ4時間でキブイエに到着。
キブイエの街自体にはとくに見どころはない。
バス乗り場から2kmほど離れた湖畔に建つゲストハウスへ。


歩いていると湖が見えてきた。
緑に覆われた千の丘と湖、心が落ちつく景色だ。

けれど、こんなのどかでピースフルな場所にも悲しい負の遺産が残されている。
ルワンダ全域が殺戮の現場となってしまった1994年の大虐殺。
ここキブイエも例外ではなかった。


虐殺の現場となってしまった建物が見えてきた。
それは教会。

無差別の虐殺がはじまると、キブイエに住む多くのツチ族は教会に逃げ込んだ。
ほとんどのフツ族も自分たちと同じキリスト教徒、「まさか神に祈りを捧げる教会の中までは襲ってこないのではないか」そんな一縷の望みを抱いていたのかもしれない。
けれど、それはあまりにも儚い望みだった。



この教会では1万人以上のツチ族が犠牲になったんだそう。
神聖な教会が殺戮の現場となるほど狂気に支配された人々。
被害者も加害者も同じ神に祈りを捧げることに違和感を感じずにはいられない。

泊まっているゲストハウスの敷地内にも被害者たちを弔う墓石のようなものがあった。
どこでも虐殺の現場だった。

ここでもやっぱりモヤモヤとした思いが募ってくる。
ため息しかでてこない。
教会の脇を抜け奥へと進んでいくとゲストハウスが見えてきた。
「Home St Jean」

ドミトリーが1ベッド2500フラン(約400円)、ダブルベッドの個室が10000フラン(約1600円)。
ちょっと奮発して個室に泊まることに。
バス・トイレ付き、Wi-Fiもあるのでとても快適。

このゲストハウスの売りはなんと言っても眺めがいいこと。
部屋の窓からは穏やかに水をたたえるキブ湖が見える。



かすかに見える湖の対岸はコンゴ民主共和国。
コンゴもまたケンゾーとイクエにとっては未知の国。
旅のロマンをかき立てられる景色だ。

キッチンはなく、ホテルのレストランは高いので食事は街まで食べに行く。
ルワンダではビュッフェスタイルのランチが定番。
ビュッフェと言っても選べるほどの種類はないので必然的に全部盛ることになる。
しかもおかわりはできない。
けれど店によってバリエーションは違うし、味も悪くない。
値段も200円くらいとリーズナブル。
ウガンダと比べたら天国だ。



窓から湖を眺めながらブログを書く。
モヤモヤとした気持ちが晴れることはないけれど、気分転換にはもってこいの宿。



なぜルワンダでは加害者と被害者がともに生きることができているのか。
臭いものには蓋をするように、虐殺のことに触れないようにしているのではないか。
いつかその蓋が外れて、再び争いがおこるのではないか。
わからないことは増えるいっぽう。
モヤモヤを抱えたまま、この国を去らないといけないかもしれない。
ルワンダ滞在はあと数日。
ふたりで焦りのようなものを感じていた。
たしかに間違えられるのもしかたないくらいに日焼けしてどんどん黒くなっていっている。
でもまだまだ松崎しげるやみのもんたレベルにはほど遠い。
いやあ、この2人の黒さは尋常じゃないよね。
なぜ虐殺に加担した加害者側と無惨に殺された被害者側が今現在共存できているのか、まだほんの20年足らずしか経過していないのに。
人々が言うように、本当に「ルワンダ人はスーパーポジティブだから」なのか。
ルワンダにやって来て1週間経ったけれど、頭の中のモヤモヤした思いは一向に晴れる気配がない。
ちょっと気分転換でもするか。
首都のキガリで活動している協力隊員のナイケルから、ルワンダ唯一(?)のリゾートスポットの情報を教えてもらっていたんだよね。
キガリからおよそ130km西へ行くとキブ湖という湖がある。
コンゴ民主共和国との国境にまたがっている湖で、周囲を山に囲まれた景観がとても素晴らしいんだそう。
ナイケルはゆっくり羽を伸ばしたいときに湖畔沿いのキブイエという街を訪れるんだって。
居心地のいいゲストハウスもあるらしい。

今いるフーイエからキブイエまで直通のバスはない。
途中のムハンガでバスを乗り換える。
フーイエからムハンガまで1400フラン(約220円)、ムハンガからキブイエまで2000フラン(約320円)。

ルワンダのバスは明朗会計。
運賃がきちんと張り出されているのでぼったくりの心配は皆無。
しかも、信じられないことに定時出発。
座席がガラガラでもバスが走りはじめるなんてアフリカでは前代未聞。


「アフリカの奇蹟」と称されることもあるルワンダ。
たしかにガラガラのままバスが出発するなんてほかの国ではありえない。
「千の丘の国」という別名をもつルワンダ。
バスはいくつもの丘を上り下りしながら西へ走っていく。

庶民の生活の足は自転車。
坂だらけだからどこへ行くのも大変だ。


およそ4時間でキブイエに到着。
キブイエの街自体にはとくに見どころはない。
バス乗り場から2kmほど離れた湖畔に建つゲストハウスへ。


歩いていると湖が見えてきた。
緑に覆われた千の丘と湖、心が落ちつく景色だ。

けれど、こんなのどかでピースフルな場所にも悲しい負の遺産が残されている。
ルワンダ全域が殺戮の現場となってしまった1994年の大虐殺。
ここキブイエも例外ではなかった。


虐殺の現場となってしまった建物が見えてきた。
それは教会。

無差別の虐殺がはじまると、キブイエに住む多くのツチ族は教会に逃げ込んだ。
ほとんどのフツ族も自分たちと同じキリスト教徒、「まさか神に祈りを捧げる教会の中までは襲ってこないのではないか」そんな一縷の望みを抱いていたのかもしれない。
けれど、それはあまりにも儚い望みだった。



この教会では1万人以上のツチ族が犠牲になったんだそう。
神聖な教会が殺戮の現場となるほど狂気に支配された人々。
被害者も加害者も同じ神に祈りを捧げることに違和感を感じずにはいられない。

泊まっているゲストハウスの敷地内にも被害者たちを弔う墓石のようなものがあった。
どこでも虐殺の現場だった。

ここでもやっぱりモヤモヤとした思いが募ってくる。
ため息しかでてこない。
教会の脇を抜け奥へと進んでいくとゲストハウスが見えてきた。
「Home St Jean」

ドミトリーが1ベッド2500フラン(約400円)、ダブルベッドの個室が10000フラン(約1600円)。
ちょっと奮発して個室に泊まることに。
バス・トイレ付き、Wi-Fiもあるのでとても快適。

このゲストハウスの売りはなんと言っても眺めがいいこと。
部屋の窓からは穏やかに水をたたえるキブ湖が見える。



かすかに見える湖の対岸はコンゴ民主共和国。
コンゴもまたケンゾーとイクエにとっては未知の国。
旅のロマンをかき立てられる景色だ。

キッチンはなく、ホテルのレストランは高いので食事は街まで食べに行く。
ルワンダではビュッフェスタイルのランチが定番。
ビュッフェと言っても選べるほどの種類はないので必然的に全部盛ることになる。
しかもおかわりはできない。
けれど店によってバリエーションは違うし、味も悪くない。
値段も200円くらいとリーズナブル。
ウガンダと比べたら天国だ。



窓から湖を眺めながらブログを書く。
モヤモヤとした気持ちが晴れることはないけれど、気分転換にはもってこいの宿。



なぜルワンダでは加害者と被害者がともに生きることができているのか。
臭いものには蓋をするように、虐殺のことに触れないようにしているのではないか。
いつかその蓋が外れて、再び争いがおこるのではないか。
わからないことは増えるいっぽう。
モヤモヤを抱えたまま、この国を去らないといけないかもしれない。
ルワンダ滞在はあと数日。
ふたりで焦りのようなものを感じていた。