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ケンゾー   イクエ


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虐殺のことがわからない

2015.01.15 17:15|ルワンダ☞EDIT
ホットシャワーがいつでも使えてWi-Fiもあって清潔で何のストレスもなく寝泊まりできるゲストハウスに連泊していて、あまりに快適すぎて「こんなことしていていいのだろうか 何のために旅しているのだろうか」と思ってしまったイクエです。
といっても、寝てるのはゲストハウスの庭に張らせてもらっているテントなんだけどね。
最近、「この広さでもふたりで十分生活していけるなあ」としみじみ思うことがあります。

ルワンダの南、フーイエという街に来ているイクエとケンゾー。
フーイエは昔ブタレと呼ばれていたところでルワンダ第2の都市。
これで「第2の都市?」と思うほど、街は小さくてのどか。

フーイエに来たのは、ここに派遣されている海外協力隊員ののりちゃんに会うためでもあったんだけど、もうひとつ大切な理由があった。

それはこの街を拠点にして、ムランビ虐殺記念館に行くため。

1994年に大量虐殺が起きたルワンダでは、各地に虐殺記念館がある。
というのも、虐殺はルワンダ国内のいたるところで行なわれ、あちこちに現場があるから。
そのなかでもムランビ虐殺記念館はもっとも生々しく、虐殺の残酷さがリアルに伝わってくると言われている。

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フーイエからニャマガベという街にバスで向かう。
アフリカのほかの国ならバスの時刻表なんてあってないようなもので満員になるまで発車を待つしかないけど、ルワンダでは定時発車。
バスの中にはしっかり料金表も貼られていてぼったくられることも価格交渉をすることもない。
フーイエからは40分ぐらい。

「千の丘の国」と言われるルワンダ。
バスは丘を上り下りしながら猛スピードで進んでいく。
車酔いする人はきついだろうね。

到着したニャマガベは山間の静かな街だった。
こんな場所の近くに、残酷な虐殺の現場があることが信じられない。

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ここでもわたしたちを案内してくれる人がいる。
教師として派遣されている海外協力隊員のぐっさん。
あの人かな。

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わたしたちのように日本からやってくる人をもう何度も記念館に案内しているのだそう。
自分の任務とは関係がないけれど嫌な顔をせず案内役を引き受けてくれた。

貴重な休日なのに、ありがとうございます。

虐殺の記念館は、街から数キロ離れた場所にある。
バイクタクシーで目指す。
ルワンダのバイクタクシーは、ちゃんと客の分までヘルメットを用意している。
アフリカでこんなことはじめて。

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ノーヘルでバイクに乗るのが普通のアフリカで、ルワンダではちゃんとヘルメットの着用を義務づけていて取り締まりもしっかりとしている。
ルワンダはアフリカの中でも「優等生の国」だなあと思うことがよくある。
みんなルールをしっかり守り、一丸となって何かに取り組み、行儀よくしている印象。
だからこそ、なんでこんな国でこんな国民たちがあんな野蛮で残虐な虐殺をしたのかが不思議でならない。

ウガンダでホームステイさせてもらった協力隊員のつかさちゃんが「ルワンダの人はとても穏やかで礼儀正しくて、国自体もゴミなんてなくて統制がとれていた。どうしてあんな国で虐殺が起きたのか滞在中最後まで理解できなかった。」と言っていたのを思い出す。

あんなことが起きたからこそ、もう間違ったことをしないように、政府もそしてそれぞれが自分自身でも締め付けをしているのかもしれない。
残酷な過去があるから、自分たちで戒めているのかもしれない。

でもそんな国民性は虐殺後に培われたものなのだろうか。
もしかしたら、虐殺前もルワンダの人たちは「優等生」だったかもしれない。

出会った協力隊員のひとりが言っていた。

「ルワンダ人って日本人に似ていると思うんです。
 まじめで周りに合わせて、上の言うことを聞く。
 日本も戦争のときは全体主義に陥った。
 みんながやるから、上からの命令だから。
 ルワンダの虐殺も、そういうことから起こったのかもしれません。」

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ニャマガベの街の規模は小さくてあっという間に街は終わった。
段々畑が広がり、ぽつぽつと家がある。
こういうところで残虐は起きたんだ。

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ムランビ虐殺記念館。
もともと技術学校だったところ。

虐殺の現場であることを考慮しなくても、広い敷地に校舎が散らばって建ち、殺風景で冷たさやさびしさを感じずにはいられない。

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フツ族によるツチ族の虐殺が各地ではじまった当時、ここムランビでも虐殺の気配が漂っていた。
この学校にはフランス軍が駐屯していて、ここに避難すれば虐殺から免れると信じたツチの人たちが押し寄せた。

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学校に避難してきた、4万人とも6万5千人とも言われるツチの人たち。
けれど実際はフランス軍は助けてくれなかった。
水も食料もなくなった。

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すぐそばには、斧や鎌を振り回して虐殺のチャンスをうかがうフツの民兵たちが来ていただろう。
震えるツチの人たちをニタニタした顔で威嚇していたことだろう。

自分たちの身を守る術がないツチの人たちは、抵抗するために投げる石を拾い集めていたという。

1994年、4月21日。
とうとう民兵たちが学校を襲撃し、ほとんどの人たちが殺されてしまった。

遺体は穴の中に埋められた。
1万5千体の遺体が見つかったと言われている。

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現場となった学校はそのまま保存され記念館となっている。
入口から入って正面にある2階建ての比較的立派な校舎には、ルワンダの歴史や大量虐殺が起きる直前の社会情勢、虐殺のときの写真などが説明とともにパネル展示されている。
ここだけを見れば、首都のキガリにある虐殺記念館と大差ない。
ほとんど同じパネル。
その当時の歴史はわかるけれど、虐殺がどんなふうに終わり、今現在共存することができているのか、現在の国民はどう思っているのかなど肝心なことはパネルだけではわからない。
だからこの展示はわたしの疑問を解決してくれるものではない。

この記念館の特徴は、展示室の裏にある。
常駐のガイドが案内してくれた。

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虐殺が起きる前、この学校は建設中だったらしい。
窓やドアのない、れんが造りの平屋の校舎が何棟も整然と建っている。

近づくとひどい匂いがした。
なんと言えばいいのかわからないけど、「うっ」とくる匂い。
不快になる匂い。

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入口から白いものが見える。
いくつも折り重なっている。

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それは無数の死体だった。

体に石灰が塗られミイラのようになっている。
赤ちゃんぐらいの小さなものもある。
髪の毛が残っているものもあれば、服を着ているものもある。

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足や腕が不自然に曲がっているものは、殺されたときに攻撃されたあとなのか。
叫ぶように口を開けているものもあれば、苦しそうな形相をしているものも。

一部屋に何十もの遺体が無造作に置かれている。
次の部屋にも、そしてまた次の部屋にも。

はっきりいって一部屋だけでじゅうぶんなのに、全部の部屋に同じように無造作に置かれている。
窓もドアもない部屋で風や砂が入ってくるのに、簀の子のような台の上にボンボンボンと雑に置かれている。
そこに人間への尊厳なんて感じられない。

こんなにたくさん展示する必要なんてあるんだろうか。

ガイドが言った。
「ほら、もっと奥に入ってじっくり見たらどうですか?」

もうすでにじっくり見ている。
わたしたちはこれ以上そこにいられなかった。

ケンゾーはもう部屋の中に入ろうとしない。
「この匂いは、間違いなく死臭だ。」とケンゾーは言うけど、死臭がどんなものなのかわたしはよくわからない。
でも堪え難い匂い。

「もうじゅうぶんです。
 それににおいがわたしには強すぎて・・・。」

わたしのその言葉にガイドはなぜかニヤッと笑った。
「そんなに強くないでしょ。」

ガイドに聞いた。
「あなたは、こういう仕事をしていて辛くないですか?
 あなたもお知り合いを亡くされているでしょう。」

ルワンダ大虐殺の犠牲者はルワンダ国民の10パーセントから20パーセントと言われていて、みんな知り合いが犠牲になっている。

ガイドが答えた。
「もちろん、最初にここに来たときはとてもショックで泣きましたよ。
 見てられなかった。
 でもこの仕事は自分の傷を癒すことにもつながるんです。
 専門家もそう言います。」

たしかにトラウマを抱えた人があえて悲しかったできごとを誰かに話し、トラウマの原因に目を向けることで克服できるというのはよく聞く。

この記念館には3人ぐらいガイドがいるらしい。
今回わたしたちを案内してくれているガイドは新しく着任した人。
何度もこの記念館に来たことのあるぐっさんは、このガイドに会うのははじめてなのだそう。

彼は公務員で前職は役所で普通に働いていた人。
異動でこの仕事に配属されたそう。
どうやって選ばれるのかわからないけど、ぐっさんが昔ガイドに聞いた話だとこの仕事はかなり高給取りらしい。

何百か何千かわからないけどこの遺体は穴に埋められていたものを掘り起こし、わざわざ石灰を塗っている。
「地元の人を雇ってやらせたのでしょう。高い給料と引き換えに。」とぐっさんが言った。

遺体の服をはぎ取り、石灰を塗る仕事をした人のなかには、虐殺に加担した人、家族を殺された人もいるはずだ。
どんな思いで遺体と向き合い、こんな過酷な仕事をこなせたのか想像できない。

それになんでこんなたくさんの遺体をわざわざ展示するのかわたしには理解できない。
しかも温度調節なんてできない、窓のない空き部屋に無造作に置いている。

遺体を置いた校舎は何棟もある。
ガイドが言う。
「あっちの棟もすべて同じように遺体があります。
 もう見なくていいでしょう。
 同じですから。」

だったらこんなに展示する必要はない。
ちゃんと墓地に埋めて、残虐に殺されたのだからせめて亡くなったあとの尊厳を守ってほしい。

実はこの記念館の敷地に共同墓地があって、そこに埋葬された遺体もある。
けれどその墓地もまた、とても殺風景で哀悼の意を示すような碑文もない。
墓地というより、工場のような、焼却施設のような感じがする。

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キガリにあった虐殺記念館にも共同墓地があってそのときも強い違和感をもった。
25万人もの遺体が眠っていると言われているキガリの記念館の墓地。
コンクリートの段があるだけで、お墓と言われないと気づかない。

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ガイドは別の建物にもわたしたちを案内した。

がらんとした空間。
壁際には簡素な棚だけがあり説明の案内板なんてない。
そこに洋服がぐちゃぐちゃにされて押し込まれている。

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犠牲者が着ていた服で、遺体からはぎ取ったもの。
奥まで押し込まれていて見えないものもある。

いくつかを選んでハンガーに吊るすとか、ガラスケースの下に広げて展示するとかもっと方法がありそうなのに。
どんどん汚れていくし、無くなってもわからない。

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ぞんざいな展示。
わたしにとっては納得がいかない記念館。

死生観が違うのか、何か意図があるのか。
ルワンダの人たちは虐殺のことをどう思っているのか。
まだ20年しか経ってないのに、ツチとフツの人たちがどうして共存できているのか。
記念館を訪れるほどわからなくなる。

たくさんの遺体が無造作に置かれている記念館の近所には家がある。
どんな思いで人々はここで暮らしているのだろう。
どういう思いでこの虐殺の現場をいつも目にしているのだろう。

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虐殺のことをルワンダの人たちはどう思っているのか。
聞きたいけれど虐殺のことに触れるのはタブー。
虐殺のことを日本人と日本語で話すときも、周りのルワンダ人を配慮して「フツ」「ツチ」という単語を使わずに「F」「T」と言わないといけないほど。

ルワンダで生活している協力隊員だったら、虐殺のことをいろいろ聞いているのではないか。
そう思っていたけど、彼らから地元の人に聞くことはできないし彼らも実態をつかめていないようだった。
彼らはふとした瞬間に虐殺の爪痕を垣間見ることもあると言っていた。
たとえばこれまでいっしょに活動してきたルワンダ人に「お父さんはいま何歳?」と聞いて「もう死んだんだ、虐殺のときに。」と言われて気づいたり、「わたし鶏肉って食べられないんだよね。」と言われて「どうして嫌いなの?」と聞くと「匂いがダメ。死体の焼ける匂いを思い出すから。」と言われたり。

でも、それ以上根掘り葉掘り聞くことはできない。

この国に来て虐殺のことがわからなくて、ケンゾーとわたしは消化されないモヤモヤを抱えたまま。

フツ族が多数派でツチ族が少数派で、虐殺は加害者がフツ、被害者がツチとされている。
けれどルワンダ虐殺が収拾し、政権を取ったのは少数派であり被害者だったツチ。
どうしてそういうふうになったのか不思議だ。

キガリの記念館を案内してくれたナイケルが言っていた。
「以前はパネルの表記がジェノサイド(大量虐殺)だけだったのに、最近になって『ツチへのジェノサイド』ってわざわざ書き換えられたんです。」

権力者がツチなので、歴史も権力者にとって有利なように変えられることもありえる。
実際、犠牲になった人の数をめぐって意見が分かれていて、なにが本当なのかわからないこともある。

フツ族がツチ族を大量虐殺したと言うけれど、その逆はなかったのだろうか。

加害者としてフツの人たちは後ろめたい思いをもっているはずだと思う。
でも、その後ろめたさに耐えられなくなる人もいるのではないか。
「もういいじゃないか」「我々ばかり悪者にされる」「ほんとうにそんなにこちらばかりが悪かったのか」「きっかけをつくったのはどっちなのか」・・・。

戦時中に日本がアジアに侵略したことついても日本のなかでは「あれは侵略じゃなくて解放だった」とか「日本はそんなに悪いことをしていない」「自虐的に歴史をとらえすぎる」という意見もあるぐらいで、「歴史修正主義」と言われる人たちもいる。

加害者フツ、被害者ツチという構成で語られることに、うんざりしているフツの人もいるのではないか。
多数派のフツの人たちは、少数派のツチが政権を握っていることに不満をもっている人もいるのではないか。

「ルワンダの政府は北朝鮮みたいなところがある」と聞いた。
みんな政府の文句は言えないんだそう。
『政府に反抗すれば暗殺される』とか、『政府に反抗心をもっている人を密告する秘密警察がいる』とか、『誰だかわからないように顔を削られて川に流された遺体が最近大量に見つかった』とかそんなうわさもある。
そして、だれもがいまの政権をべた褒めするのだそう。
「いまの景気が悪いのは、政府がちゃんとしてくれないから」なんていう、そんな程度の悪口さえ口にできないらしい。

この国では語られないことがある。
語ってはいけないことがある。

残酷な虐殺からたったの20年しか経ってなくて、しかもツチもフツも隣人同士だったし、虐殺後も隣人として共存している。
そんななか虐殺のことをストレートに話せないことはあたり前のことだとも思う。
けれど、どうしてもわたしとケンゾーからしたら「臭いものには蓋をしよう」というように思えてならない。
いつかその蓋が外れてしまったとき、また同じことが繰り返される可能性もあるのではないか。
ツチの人たちはかつての虐殺に対する恨みを、フツの人たちは自分たちが悪者にされている鬱憤をはらすことにならないか。

わたしはどうしても知りたかった。
ガイドがツチなのかフツなのか。

「ここのガイドには何でも聞いても大丈夫ですよ」とぐっさんが言ったので聞いてみた。

「言いたくなかったら言わなくていいです。
聞くのはためらわれるけど、質問させてください。
あなたはフツですか、ツチですか。」


「それは、答えられません。
フツとかツチとか今はもう関係ないんです。
もし答えたらあなたは『この人はフツ、ツチ』とかそんな目でわたしを判断するようになるでしょう。」


被害者とされるツチの人が語る歴史と、加害者であるフツの人が語る歴史は違うと思ったからそれを聞きたかったけど、聞くことはできなかった。

このガイドに会うのはぐっさんも初めてだけど、ぐっさんが以前ほかの2人のガイドに聞いたところひとりがフツでひとりがツチだったのだそう。

じっくりと話を聞きたいけれど、そうすることはできない。
いったいあの虐殺はなんだったのか。

あんなに残酷なことが起きたのに、どうして平和が訪れたのか。
ツチとフツの人がなぜ共存できているのか。

わたしたちがルワンダにいる間に、そのことが少しでもわかるようになるのだろうか。
この国に滞在すればするほど、ますますわからなくなっていく。

わたしたちはモヤモヤしたままルワンダを出ていくことになるだろう。

ケンゾーとあきらめていたけれど、わたしたちは最後の最後でそのモヤモヤを解く機会に恵まれることになる。
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Comment

No title

初コメ失礼します。
9月にお二人のブログを知り、最近全部読み終えました。
楽しみで、毎日、ヤフーニュースより先にチェックしています。

ルワンダについて、去年5月中野区で「シネマ・アフリカ」があり、
『ホテルルワンダ』以外の映画、ドキュメンタリーも観ることができました。
http://www.cinemaafrica.com/?page_id=1690
大使のご挨拶、
「ルワンダンは次の世代のために皆が心を一つにして国を復興しようと努力している」
映画の中の言葉
「ツチでもなくフツでもなくルワンダンと呼ばれたい」
が心に残っています。
疑問や もやもやも 同じくらい残っていますが…。

まとまらなくてごめんなさい。
ぜひ、お身体にお気をつけて旅を続けてください。

しまさま

はじめまして!
初コメントありがとうございました。

過去の記事も全部読んで下さったんですか?!貴重な時間を割いていただいてありがとうございます!
記事の中でも何度も書いてますが、ずっと気持ちが晴れないルワンダ滞在でした。でも最後になんとなくルワンダの人々の思いを知ることができたのでよかったです。そのことは次回の記事で書く予定ですので読んでいただけると嬉しいです。(更新が遅れてしまってごめんなさい!)

これからもお付き合いよろしくお願いします!

No title

しまです。
ルワンダ編、全部(かな?)読み終わりました。
ルワンダンの気持ちがよくわかりました。
そうだよね、子どもの子ども・・・そこからなんとなくほどけていく
(未来を見るようになる)気持ち・・・。償いの家に住むおじさんの
お話、胸にずんときました。
書いてくださって、ありがとうございました。

いっこだけ、聞いてもいいですか?
お二人は、会うルワンダンに「ツチですか、フツですか」
って聞くでしょう?私は読んでてそこだけわからなかったんです、
お二人が何を知ろうとしていたのか。国内で20年たってもまだ
頭文字でしか話題にしないナーバスな内容を、なぜ知りたいと思
われたのですか?当初は別な取材の切り口のおつもりがあったの
ですか?(それも興味あるな~!)

この事件が報道されたとき、私は政治学科のゼミを決めるところ
でした。当時世間を賑わせていたのは主に北朝鮮の話で、ルワンダ
は虐殺の規模に対して報道も少なかったように思います。
でもなぜかとても惹きつけられて・・・
因みに、カンボジアの件とは全く性質を異にしてる印象を持っています。
主義主張、宗教的ではない。
ではないからこそ、 「ねたみ」というものがもつ圧倒的なパワーに
息をのむ思いで、(ほしい、ずるい、もっとっていう思いだけで隣人
を殺せるのか)やっぱりわからない、とぐるぐるして20年です。
あと、ヘイトスピーチの本当の怖さ。洗脳ですね。

わすれない こと
未来をみる こと

イクエさんの記事で、自分のぐるぐるにも、少し出口が見えてきたかな。
ありがとうございました。

(今、ホテルルワンダ鑑賞中。(しつこく (笑))
ミルコリンは、ホテルルワンダの中でも「ミルコリン」として登場しますよ。
あのタイトルは、混乱の中、外資の一流ホテル「ミルコリン」が、
ルワンダンのフラッグホテル「ホテルルワンダ」として存在していた、
というお話?なのかなと。改めて)

めんどくさいほどの長文すみません。
どうぞお身体にお気をつけて南米を見てきてください!

しま さま

コメントありがとうございます。

ルワンダに行く前は、フツもツチもお互いが殺し合いをし、どっちも加害者でありどっちも被害者だと思っていました。
しかしルワンダに来てからの印象はまったく違います。
ルワンダでは「フツ=加害者」「ツチ=被害者」という捉え方をされています。

ご質問にお答えします。
なぜわたしたちがフツかツチか知りたかったのか?
それは当時のことや現在の心境を聞くことができても、その人が加害者側なのか被害者側なのかでまったく受け止めかたが違うものになるからです。「あれはもう思い出したくもない」という同じ言葉でも被害者が言うのと加害者が言うのとではまったく意味が異なってきます。その人がどちら側だったのか、わたしたちにとってとても知りたいことでした。

なお本人に「フツですか、ツチですか」と聞いたのは虐殺記念館のガイドさんだけです。
ほかの人には直接聞いていないし、それを聞くのはルワンダではタブーで簡単に部外者が質問することはできません。

カンボジアのポルポト派の虐殺とは確かに違いますが、共通点もあると思います。
ルワンダに入国してからまもないころ、首都の虐殺記念館に行きました。
そこにはユーゴ紛争やポルポト派の虐殺も紹介されていて、そのときはものすごく違和感を感じたのです。
まったく種類が違うじゃないか。
並べて語られないじゃないかと。
いっしょに語るなんて雑すぎるんじゃないかと。

しかし、ルワンダに滞在してから日が経ち当時の人の話を聞くと、これまで自分たちがもっていたルワンダ虐殺への解釈ががらりと変わり、ポルポト派の虐殺と似ているなと思いました。
そのとき、妙に腑に落ちたのを覚えています。


ミルコリンのこと、忘れていました。当時からミルコリンだったのですね。ありがとうございます。
アフリカ編はまだまだつづきますので、ほかの国も楽しんでもらえると嬉しいです。
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