笑顔あふれる死者の町
最近よく妻に「髪の毛どこにいったと?!」と言われる40歳ケンゾーです。
たしかに反論できないほど薄くなっていっている。
だけどそんな髪でも、エチオピア人たちには「いいなあ、さらさらストレートヘアー」って羨ましがられるんだよねえ。
まだあるってポジティブシンキングでいかないとダメだね。
歩いて30秒のホテルに泊まり、いまだに謎多きピラミッドのいろいろな表情を満喫したケンゾーとイクエ。
1泊3600円の部屋におさらばし、ふたたび安宿生活へと戻ることに。
戻ると言っても、あのリアル「タワー オブ テラー」のおんぼろビルには戻らない。
じつはネットでカイロのホテルを調べていたら、ほかにも安宿があることが判明。
しかも、個室でエアコン・Wi-Fi・朝食付きと有名な3つの日本人宿よりも条件がいい。
ひとつ欠点があるとすれば、それはロケーション。
おんぼろ日本人宿はバスターミナルに近くて空港からのアクセスもいいし、カイロやピラミッド観光をするにも便利。
けれど今から向かうのはカイロの東に広がるイスラーム地区。
交通の便が悪いのが難点。
けれど、このイスラーム地区も世界遺産に登録されていてカイロ観光の見どころのひとつ。
オールドカイロやピラミッド観光が終了したふたりには好都合なロケーション。
ギザからバスを乗り継いでイスラーム地区へ。
バスを降りて足を踏み入れた千三百年以上の歴史をもつイスラーム地区は、新市街とは雰囲気ががらりと変わってまるで別の街。
細い路地が迷路のように入り組んで、慣れ親しんだアラブの旧市街そのもの。

ただちょっと不気味なのは、店がすべて閉まっていてゴーストタウンのようになっていること。
人通りもほとんどなくて、シーンと静まり返っている。
きょうはまだ3日間行なわれるラマダン明けの祭りイードル・フィトルの真っ最中。
みんな家で家族とお祝いしてるのかな。
カイロ3か所目のホテルはアズハル地区にある「Arabian Nights」。
場所の目安はついていたけど、数人の人に聞いてたどり着くことができた。

3ベッドルーム、シャワー・トイレ共同でネット予約すると1泊60ポンド(約860円)。
なぜか現地で延泊したら52ポンドだった。

たぶん8ポンド分は予約サイトの手数料なんだろう。
15%以上も取るなんてなかなかおいしい商売だ。
なんにしても、エアコンもWi-Fiも朝食も付いてしかも個室で52ポンド(約750円)はかなりお得。
部屋の窓を開けて外を眺めていたら、壁とエアコンの室外機の隙間で何かゴソゴソと動く物体が。
何がいるのかとのぞいてみたら鳩だった。

こんな狭くてファンの音がうるさいところにわざわざ巣を作らなくてもいいのに、って思っていたら、こんなかわいらしいものを発見。

卵が2つ!
針金や布切れを寄せ集めて作った巣の上に、うずらの卵より一回り大きなツルんとした卵がちょこんとのっている。
うるさいかもしれないけどここが安全なのかな。
見どころ豊富なイスラーム地区。
その中に一風変わった場所がある。
その名も「死者の町」。
いったいどんなところなのか?
ホテルから歩くこと15分、なんだかちょっとおどろおどろしい建物が見えてきた。
たしかに「死者の町」というネーミングにまったく違和感は感じない。


歩道橋の上から死者の町の全景を見渡すことができる。
交通量の多い幹線道路のすぐ脇に広がる死者の町。
かなりの年代物と思われるモスクのような大きな建物とごちゃごちゃとした低い建物。


じつは死者の町とは墓地のこと。
中世のころからカイロの人々が亡くなるとここに葬られてきた。


とくにマムルーク朝(1250年~1517年)時代の王や著名人たちがこの地に自分たちの墓を好んで建てたんだそう。
その際には墓だけでなく、マドラサ(神学校)なども併設。
そのおかげでこの死者の町にはその名前に似つかわしくないマムルーク朝時代のものを筆頭に美しい建物が数多く残っている。


これは1ポンド札の絵柄にもなっているカーイトゥベーイの墓とマスギド。
カーイトゥベーイはマムルーク朝のスルタン。

派手さはないけれど、幾何学模様が彫られたドームはとても美しい。

2本のミナレットが特徴的なスルタン・バルクークのハーンカー。
1411年に完成したマムルーク朝建築の傑作と言われている建物。



広い中庭をもつこの建物は、今ではモスクとして使われている。


世界遺産に登録されているものも含め、貴重な建物が数多く残っている死者の町。
たしかにそれぞれの建物は規模もとても大きくて見応えがある。



ただ残念なのは手入れがほとんど行き届いておらず、ほったらかし状態になっていること。
全体的にかなり寂れていて、朽ちるのに任せるままになっている建物も多い。


もっとちゃんと補修して周囲をきれいに整備したら立派な観光名所になると思うのにもったいない。
テロや政情不安などで観光客が少なくなったと嘆くエジプト。
でも、もっと観光地としての魅力を上げる努力をすれば、観光客は戻ってくるのになあと思う。
エジプトにはピラミッドをはじめたくさんの観光資源がある。
観光資源があることに満足してしまって「なにもしなくても観光客が来る」と思っているフシがあり、ほったらかしでちゃんと管理してないところが多いのはとてももったいない。


死者の町を散策しているとけっこう人がいることに驚かされる。


じつはこの死者の町、カイロの人口が増えるにしたがってどんどん人が移り住んできているんだそう。
今では2万人以上の人々がここに暮らしている。
ぜんぜん死者の町じゃないんだね。
古い建物、狭い路地、なんだかパレスチナ自治区の難民キャンプにそっくりな町並み。
大好きなパレスチナを思い出してちょっと泣けてくる。



町並みだけじゃない、ここに住む人たちもパレスチナとそっくり。
とても友好的で人懐こくて、とてもいい笑顔を見せてくれた。
観光地としてはイマイチかもしれないけど、人と触れ合うには最高な場所。




死者の町は子どもたちのキラキラとした笑顔があふれる町。




そして、ひたすら自転車の手放し運転を練習する少年がいる素朴で心なごむ町だった。


カイロの喧噪にちょっと嫌気がさしたなら、死者の町を訪れてみては。
人々の笑顔に癒やされ、きっと生き返るような気分を味わえるはず。
たしかに反論できないほど薄くなっていっている。
だけどそんな髪でも、エチオピア人たちには「いいなあ、さらさらストレートヘアー」って羨ましがられるんだよねえ。
まだあるってポジティブシンキングでいかないとダメだね。
歩いて30秒のホテルに泊まり、いまだに謎多きピラミッドのいろいろな表情を満喫したケンゾーとイクエ。
1泊3600円の部屋におさらばし、ふたたび安宿生活へと戻ることに。
戻ると言っても、あのリアル「タワー オブ テラー」のおんぼろビルには戻らない。
じつはネットでカイロのホテルを調べていたら、ほかにも安宿があることが判明。
しかも、個室でエアコン・Wi-Fi・朝食付きと有名な3つの日本人宿よりも条件がいい。
ひとつ欠点があるとすれば、それはロケーション。
おんぼろ日本人宿はバスターミナルに近くて空港からのアクセスもいいし、カイロやピラミッド観光をするにも便利。
けれど今から向かうのはカイロの東に広がるイスラーム地区。
交通の便が悪いのが難点。
けれど、このイスラーム地区も世界遺産に登録されていてカイロ観光の見どころのひとつ。
オールドカイロやピラミッド観光が終了したふたりには好都合なロケーション。
ギザからバスを乗り継いでイスラーム地区へ。
バスを降りて足を踏み入れた千三百年以上の歴史をもつイスラーム地区は、新市街とは雰囲気ががらりと変わってまるで別の街。
細い路地が迷路のように入り組んで、慣れ親しんだアラブの旧市街そのもの。

ただちょっと不気味なのは、店がすべて閉まっていてゴーストタウンのようになっていること。
人通りもほとんどなくて、シーンと静まり返っている。
きょうはまだ3日間行なわれるラマダン明けの祭りイードル・フィトルの真っ最中。
みんな家で家族とお祝いしてるのかな。
カイロ3か所目のホテルはアズハル地区にある「Arabian Nights」。
場所の目安はついていたけど、数人の人に聞いてたどり着くことができた。

3ベッドルーム、シャワー・トイレ共同でネット予約すると1泊60ポンド(約860円)。
なぜか現地で延泊したら52ポンドだった。

たぶん8ポンド分は予約サイトの手数料なんだろう。
15%以上も取るなんてなかなかおいしい商売だ。
なんにしても、エアコンもWi-Fiも朝食も付いてしかも個室で52ポンド(約750円)はかなりお得。
部屋の窓を開けて外を眺めていたら、壁とエアコンの室外機の隙間で何かゴソゴソと動く物体が。
何がいるのかとのぞいてみたら鳩だった。

こんな狭くてファンの音がうるさいところにわざわざ巣を作らなくてもいいのに、って思っていたら、こんなかわいらしいものを発見。

卵が2つ!
針金や布切れを寄せ集めて作った巣の上に、うずらの卵より一回り大きなツルんとした卵がちょこんとのっている。
うるさいかもしれないけどここが安全なのかな。
見どころ豊富なイスラーム地区。
その中に一風変わった場所がある。
その名も「死者の町」。
いったいどんなところなのか?
ホテルから歩くこと15分、なんだかちょっとおどろおどろしい建物が見えてきた。
たしかに「死者の町」というネーミングにまったく違和感は感じない。


歩道橋の上から死者の町の全景を見渡すことができる。
交通量の多い幹線道路のすぐ脇に広がる死者の町。
かなりの年代物と思われるモスクのような大きな建物とごちゃごちゃとした低い建物。


じつは死者の町とは墓地のこと。
中世のころからカイロの人々が亡くなるとここに葬られてきた。


とくにマムルーク朝(1250年~1517年)時代の王や著名人たちがこの地に自分たちの墓を好んで建てたんだそう。
その際には墓だけでなく、マドラサ(神学校)なども併設。
そのおかげでこの死者の町にはその名前に似つかわしくないマムルーク朝時代のものを筆頭に美しい建物が数多く残っている。


これは1ポンド札の絵柄にもなっているカーイトゥベーイの墓とマスギド。
カーイトゥベーイはマムルーク朝のスルタン。

派手さはないけれど、幾何学模様が彫られたドームはとても美しい。

2本のミナレットが特徴的なスルタン・バルクークのハーンカー。
1411年に完成したマムルーク朝建築の傑作と言われている建物。



広い中庭をもつこの建物は、今ではモスクとして使われている。


世界遺産に登録されているものも含め、貴重な建物が数多く残っている死者の町。
たしかにそれぞれの建物は規模もとても大きくて見応えがある。



ただ残念なのは手入れがほとんど行き届いておらず、ほったらかし状態になっていること。
全体的にかなり寂れていて、朽ちるのに任せるままになっている建物も多い。


もっとちゃんと補修して周囲をきれいに整備したら立派な観光名所になると思うのにもったいない。
テロや政情不安などで観光客が少なくなったと嘆くエジプト。
でも、もっと観光地としての魅力を上げる努力をすれば、観光客は戻ってくるのになあと思う。
エジプトにはピラミッドをはじめたくさんの観光資源がある。
観光資源があることに満足してしまって「なにもしなくても観光客が来る」と思っているフシがあり、ほったらかしでちゃんと管理してないところが多いのはとてももったいない。


死者の町を散策しているとけっこう人がいることに驚かされる。


じつはこの死者の町、カイロの人口が増えるにしたがってどんどん人が移り住んできているんだそう。
今では2万人以上の人々がここに暮らしている。
ぜんぜん死者の町じゃないんだね。
古い建物、狭い路地、なんだかパレスチナ自治区の難民キャンプにそっくりな町並み。
大好きなパレスチナを思い出してちょっと泣けてくる。



町並みだけじゃない、ここに住む人たちもパレスチナとそっくり。
とても友好的で人懐こくて、とてもいい笑顔を見せてくれた。
観光地としてはイマイチかもしれないけど、人と触れ合うには最高な場所。




死者の町は子どもたちのキラキラとした笑顔があふれる町。




そして、ひたすら自転車の手放し運転を練習する少年がいる素朴で心なごむ町だった。


カイロの喧噪にちょっと嫌気がさしたなら、死者の町を訪れてみては。
人々の笑顔に癒やされ、きっと生き返るような気分を味わえるはず。