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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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紛争地からリゾートへ

2014.09.05 06:14|クロアチア☞EDIT
ケンゾーの髪を切ってあげたイクエです。
たまに失敗して切り過ぎて、思わず吹き出して笑いながらも申し訳なく思いました。
十円ハゲみたいになったところをケンゾーが「え!このへん、穴あいてない?」って言うので「いや、これはハゲよるけんしょうがない」と言い返しますが真偽はわかりません。

川を隔てて民族が分かれて暮らすボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル。
きょうはボスニアを出国して、ふたたびクロアチアに入国し「アドリア海の真珠」と言われるドブロブニクを目指す。

ドブロブニク

ヒッチハイクで行こうかとも思ったけど、国境越えもあるしドブロブニクには1泊しかしない。
短時間でスムーズに目的地にたどり着けるように、楽してバスに乗ることにした。
モスタルからドブロブニクまでは29マルカ(約2090円)。

激戦地となったモスタル。
車窓からは、爆撃されて壊されるでもなく放置されたままのビルが見える。

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学生のときにモスタルを訪れたときは、爆撃されたビルにはまだ窓ガラスがあって割れたり無数のヒビが入っていて怖さを感じた。

それでも2004年当時は、平和の象徴とされるモスタルの橋の修復は完成間近だったし、民族の垣根がなくなる兆しのようなものも感じることができた。

そのとき描かれたばかりの壁の絵がこれからの未来を暗示しているようで、うれしくなったのを覚えている。

その絵は、今でも残っていた。

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迷路のようになったモスタルの橋。
橋の両側には2つの赤い丸があって、複雑な迷路をなんとか抜け出し、橋の上で結ばれる。

あれから10年。
モスタルの街には変化が訪れていた。

橋の両脇にはお土産屋さんやレストランが軒を連ね、観光客でにぎやかになっていた。

そのいっぽう、当時はなかった巨大なカトリック教会が新しくできたり、民族のカラーが強まった気もする。

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民族の問題を水面下にはらんだまま、モスタルの街は発展してくのだろうか。

旧ユーゴスラビアの国々はサッカーが盛んで、有名な選手もいる。
ところがボスニアの代表チームは2011年、FIFAの加盟資格を取り消され、国際大会への出場停止を命じられてしまった。
その理由は、民族のしがらみによるチームの状況が原因だった。
多民族国家のボスニアなので、選手たちもイスラム教徒のボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がいる。
それは自然なことだけど、ボスニアサッカー協会の会長がそれぞれの民族から3人も存在していた。
3人の会長は輪番制であたっていたけれど、結局はチームのことよりも自分の民族の利益を優先させ、チームは腐敗していき、経理担当者が逮捕されるなどもはや一丸となってチームを強くしていくことができなくなっていた。

FIFAは会長を1人にするようにボスニア協会に勧告していたけれど、多民族への不信感などのためそれには応じなかったのだった。
民族主義に利用されてしまったボスニアのサッカー。

そんな敵対心や汚れにまみれたボスニアのサッカーを建て直した人がいる。
その人は、わたしたちがよく知る人。

サッカー日本代表の監督も務めた、オシム監督。

オシム監督はボスニア生まれ、ボスニア育ち。
「ボスニアがサッカーを失ってしまうと、民族融和のチャンスも失うことになる」

オシム監督は3つの民族のそれぞれの協会幹部や政治家を説得してまわった。
オシム監督の行動を批判する人も多かったけれど、信念を貫き通した。

オシム監督のがんばりのおかげでボスニアサッカー協会の会長は一元化されて国際大会への出場停止というペナルティーは取り消された。
こうしてボスニアはこの前のワールドカップへの出場を見事、手にしたのだった。
残念ながら予選リーグで敗退してしまったけれど、ワールドカップの試合中はきっと民族なんか関係なくみんな一緒にボスニア代表チームを応援することができたのだと思う。

オシム監督はユーゴ紛争の直前、最後のユーゴスラビア代表監督も務めていた。
そのときも誹謗中傷を受けながらも、民族にこだわらずに多民族のメンバーでチームを作り、ユーゴが民族主義に走ることにサッカーの力で抵抗しようと努力した人だった。

監督としてはもちろん、人としてほんとうにすばらしい人だと思う。

バスは一面に広がるぶどう畑のなかのまっすぐな道を進んでいく。

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豊かな自然、肥沃な大地が広がるこの国で、大切な人たちとの幸せな生活があり、あと何が足りないというのだろう。
争いで何を手に入れたいのか。

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バスはクロアチアとの国境に差しかかった。
かつてここには国境なんて存在しなかった。

クロアチアという違う国に入ったけれど、美しい山がそびえ畑の緑が美しい景色は、いままで見てきたボスニアの景色となんら変わりはない。

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畑の向こうに青い海が見えてきた。
アドリア海。

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このアドリア海を舞台にした映画がある。
宮崎駿の『紅の豚』。
映画に出てくる飛行艇乗りが自嘲気味に言っていた。
「国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ばなきゃならないんだ」

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アドリア海沿いのクロアチアはどこもリゾート地で、これまで感じてきた紛争の暗さはここでは感じない。

きらめく海。

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波のない真っ青な海。

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ここにいると、かつて血で血を洗う紛争があっていたことなど想像できない。

けれど、複雑な過去を背負っていることを実感させるものが、窓から見えてきた。
道の先に見える青いゲートの料金所のようなところ。

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ここは国境のゲート。
ボスニアを抜けてクロアチアに来たと思ったら、またボスニアに入ることに。
そしてしばらくするとまたボスニアを出国し、クロアチアに入国することになる。

地図を見るとどうなっているのかがわかる。

クロアチア

昔は国境なんてなかった。
民族の勢力争いの結果、こんな違和感のある区分がされたのだろう。

窓から見える青い空と青い海は、国境なんて関係なくずっとつながっているのに。

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巨大な橋が現れ、コンクリートで海岸が整備された立派な港町が見えてきた。
「ケンゾー、ドブロブニクに着いたよ」
「ここ?
 もっと小さな街かと思っとった。」

そう、ドブロブニクはけっこう都会。
城壁に囲まれ、海に突き出た世界遺産の旧市街はドブロブニクのほんの一部分。

旧市街は意外と小さいのに、そこに世界中からやってきた観光客が集まる。
旧市街にあるホテルの数は限られていて、なおかつ人気なので宿泊費はとても高い。

ということで、わたしたちは迷ったすえ旧市街の外のホテルをネットで予約していた。

ちなみに旧ユーゴスラビアの国では、自宅の空き部屋を旅行者に貸し出す民宿のようなものが一般的。
バスターミナルには客引きのおじさんおばさんがいるので、宿を予約していなくてもなんとかなる。
わたしたちがバスを降りたときも5人くらいの人が待ち受けていた。

わたしも学生のときに来たときは民宿を利用したんだけど、注意するのは立地。
個人の家なので、値段も手頃だしそれなりに清潔にはしてあるけれど、観光地からは遠い住宅街にある場合が多いのでちょっと不便。
民宿を利用する人は、立地がいいかどうか、利用できる公共交通機関があるかどうかの確認をお忘れなく。

ヨーロッパのなかで大人気の観光地だし、オンシーズンなので安くていいホテルはすぐに満室になる。
わたしたちも予約のタイミングが遅かったのであまり選択肢はなかったけれど、それでもけっこういい宿だった。

バスターミナルの目の前で歩いて3分くらい。

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guest house DADA
ダブルルームで1泊255クーナ(約4700円)。
高いけど、この時期のドブロブニクのホテルでは安いほう。

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ここのいいところは、二部屋ごとにキッチンとバスルームがあること。
使う人はわたしたちともう一組だけなので、気兼ねなく好きなタイミングで使える。

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ホテルを出ると、港に巨大なクルーズ船が数隻停泊していた。
ドブロブニクはヨーロッパのクルーズの旅で、もっとも人気の場所。

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クロアチアの港町に寄港しながら、ギリシアまで南下していくらしい。

動く巨大なホテル。

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路線バスに乗っても目につくのは、この怪物のようなクルーズ船。

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バスを降りたのは、旧市街の入口。
この城壁の向こう側に、「アドリア海の真珠」と言われる世界遺産の街並みが広がっている。

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でも城壁の中に行くのはまだおあずけ。
ひとまず、「アドリア海の真珠」を外から眺めることにしましょう。

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城壁の外側を歩いていこう。
中がチラッと見えないかなあ。

旧市街は中央部分が低く、まわりがなだらかに高くなっていて盆地のようになっている。

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高台の住宅街をのぼっていくと、見たかったものが見えてきた。

「おお~」
「きれいだねえ~」
海に浮かぶような旧市街。

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紛争の傷跡が目についてきたボスニアの旅。
もちろん、ここドブロブニクも当時は戦渦に包まれたけど、いまではその痕跡はほとんど見られない。
世界中から観光客が集まり、活気があり、セルビアやボスニアよりも戦後の復興はかなり進んでいる。
ここにいれば戦争のことなんて忘れそう。

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ボスニアと比べて街が明るいのは、破壊されたままの家がないことや、きらめく海があるからだけではなさそう。
カトリック教徒が多くイスラム教徒の少ないクロアチアは、とても開放的。

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イスラム教徒を否定する気はないけれど、やっぱり女性としては同じ女の人が自由に街を歩いているのを見るとうれしくなる。
わたしだけではなく、それはケンゾーもか。
露出度が高すぎるのもどうかとは思うけど。

旧市街のすぐそばのビーチは人、人、人!

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トップレスの女性もいて、興奮気味のケンゾー。
「すげ~」と、かなりうれしそう。
それはわたしたちの目に焼き付けて、残念ながら写真は載せませんよ。

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わたしたちも泳ぎたいけど、あいにく水着はホテルに置いたまま。
翌日、ふたたびここへ。
この日はこの前よりもだいぶすいていた。

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オレンジの屋根の古い街並みを見ながら、エメラルドグリーンの海でほてった体を冷やす。

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あの城壁の中には、いったいどんな街並みが広がっているのだろう。

実はイクエは前回の旅で旧市街は経験済み。
なので、中の様子はドブロブニク初潜入のケンゾーが次回「世界遺産編」でたっぷりお伝えします。

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城壁の上を歩いて一周したケンゾー。
どうだったかな。
乞うご期待ください。
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Comment

エメラルド色

いつ頃滞在されました??、ビーチの観光客数の多さを見る限り、7月ですか??
Dubrovnikの海は宝石の様な綺麗なエメラルドですが、Plitviceの湖は深みのあるマットなエメラルドみたいですね。
旧ユーゴでも沿岸沿いのクロアチアと内陸沿いのボスニア、セルビア雰囲気が違いますね。

長浜ラーメン さま

そのとおりです!
七月上旬に行きました。とても賑やかでした。
旧ユーゴには、意外と素敵な場所があるんですよね。
紛争が終わって少しずつ、観光地としてのスポットもあつまり、世界中の人の憧れの場所へとかわっていくのはいいことですよね。
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