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ケンゾー   イクエ


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ボスニア・ヘルツェゴビナ「モスタルの旧市街」☆☆ 平和の象徴となることを願って

2014.09.04 06:00|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
ラーメンはかた麺、うどんはやわ麺、柿は熟れて柔くなったよりも堅い方が好きなケンゾーです。
熊本出身の妻も当然のようにラーメンはかた麺が好きだと思ってたのに、ちょっと前に実はかたいのはあまり好きじゃないと知って愕然としたことがありました。
ちなみに、妻の地元もバリバリ、コテコテの豚骨ラーメンです。
ああっ、元祖長浜ラーメンが食べたい!!

親切な人たちの車に乗せてもらってたどり着いた、世界遺産の街モスタル
小高い山のふもとに白い壁、茶色い屋根の家が集まっている。
自然に囲まれてのどかな雰囲気が漂うかわいらしい街。

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事前にネット予約したホテルは、街を流れるネレトヴァ川の東側にある「HOSTEL SANJA」

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Wi-Fi、キッチンあり、ダブルルームで41マルカ(約3000円)。
広い庭から見える景色がとても素晴らしい。
洗濯物も干し放題!

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15世紀中頃から始まったオスマン帝国の支配下で発展を遂げたモスタル。
イスラムの勢力下ではあったけれど他宗教に寛容な土地柄で、カトリック教徒も共存してきた。
けれど、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という悲劇がモスタルを襲うことに。

ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、モスタルはユーゴスラビア軍に包囲され、街は爆撃されてしまう。
この素朴で味わいのある旧市街の街並みも紛争後に再建されたもの。

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街のところどころに破壊された古い建物がそのまま取り残されている。

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モスタルの悲劇はそれだけでは終わらなかった。
ユーゴスラビアからの独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴビナから、こんどはクロアチア人たちが独立を宣言。
モスタルを首都と定めたクロアチア人勢力と、ボシュニャク人勢力によって街は東西に分断。
紛争終結後の現在も、ネレトヴァ川の西側はカトリック教徒のクロアチア人地区、東側はイスラム教徒のボシュニャク人地区と分けられている。

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ネレトヴァ川の両岸に広がるクロアチア人・ボシュニャク人それぞれの旧市街。
隔てられた旧市街を繋いでいる美しい石橋がモスタルのシンボル、スターリ・モスト

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オスマン帝国がこの地を治めていた1566年に造られたスターリ・モスト。
全長30m、高さ24m、美しいアーチを描いたこの橋は、当時の最先端技術の結晶だった。

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しかし紛争さなかの1993年11月、クロアチア勢力の砲撃によってスターリ・モストは破壊されてしまう。
美しいモスタルのシンボルは川底へと崩れ落ち、見るも無惨な姿になってしまった。

隣人同士が戦いあった紛争が終結したのが1995年。
周囲の歴史的な建物も含め、スターリ・モストの再建がはじまったのが1999年。
再建にはおよそ1200万ユーロが費やされ、2004年に完成。
造られた当時と同じ美しいアーチをふたたびネレトヴァ川に架けることができた。

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スターリ・モストは再建された翌年に世界遺産に登録。
その歴史的価値だけではなく、「再建」というプロセスを経たことで、多民族・多文化の共生や和解の象徴となったことが評価されたんだそう。


さて、いちどは人間の手によって破壊された「モスタルの旧市街」。
「星いくつ?」

「星、2つ!

緑豊かなネレトヴァ川湖畔に広がる旧市街の街並みや、美しいアーチを描くスターリ・モストなど、たしかにきれいで絵になる街ではある。
けれど、戦渦に見舞われた歴史を考えると「負の世界遺産」という気がしないでもない。

瓦礫と化した状態から再生されたプロセスが「多民族共生の象徴」と言われているけれど、実際には今現在もクロアチア人とボシュニャク人は川を挟んで住み分けがされている。
象徴ではなく、ほんとうにお互いが和解し、昔のように共生しつづけていければいいんだけど。

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最後に、仲間同士で殺しあうという悲しい過去を持つボスニア・ヘルツェゴビナのこれからの平和を願い、美しくライトアップされたスターリ・モストの夜景をお見せします。

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美しいアーチを描くスターリ・モストが、一時は憎しみあった民族がふたたび手と手を取り合う架け橋となることを願って。
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