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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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「旅」を旅っぽくするには?

毎日鶏肉ばかり食べているイクエです。
外食すると、まったく野菜がでてこない。
ビタミン不足のはずだけど口内炎にもならないので不思議。
野菜のかわりにフルーツでビタミンを補おうかな。

お墓と銃弾の跡ばかりの首都サラエボ。
戦争の悲しみを背負っている首都がこれから迎えるのは平和な時代であることを願いながら、この街を発つ。

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次に行くのは世界遺産の橋がある街。
異なる民族をつなげる架け橋がある街は、モスタル

モスタル

直通バスもあるけれど、きょうもヒッチハイクに挑戦することにした。
目的地はモスタルだけど、130キロはありそうなのではじめからモスタル行きの車をつかまえるのは至難の業。
刻んで少しずつ近づこう。
地図を見ながら、サラエボからモスタルの間にある街の名前を紙に書いていく。

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ヒッチハイクをする場所は、モスタルへ通じるハイウェイの入口。
そこまで路面電車で行く。
サラエボの路面電車は1885年から運行されていて、朝から夜までの終日運行がヨーロッパではじめて取り入れられたのだそう。
最先端の街だったんだ。

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ヒッチハイクしやすい場所までわざわざ路面電車で移動することは面倒に思えるかもしれないけど、そんなことはない。
だって、サラエボからモスタル行きのバスや列車に乗るにしてもどうせバスターミナルや駅までは行かないといけないから。

ちなみにサラエボの街には長距離バスターミナルが2か所ある。

ひとつは駅の近くで、クロアチアや西ヨーロッパ、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦国内を結ぶ便が発着している。
つまりボシュニャク人が利用するバスターミナル。

そしてもうひとつは南側のセルビア人地区にあるバスターミナルで、セルビアやモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ内にあるスルプスカ共和国の街を結ぶ便が発着している。
こちらはおもにセルビア人が利用するバスターミナル。

イスラム教徒が多く住むボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が多く住むスルプスカ共和国。
見えない境界線が街を分断し、2つの異なる国がサラエボにも存在しているかのよう。

わたしが大学の卒業旅行でボスニアに滞在していたとき、空きアパートを借りていた。
ボスニアの次の目的地はベオグラードで、セルビア人側のバスターミナルに行く必要があった。
夜行バスだったので出発は深夜。
アパートのオーナー夫妻が、夜中にバスターミナルまで車で送ってくれることになった。

セルビア人ではなかったオーナー夫妻。
突然真っ暗な道ばたで車を止めた。
「ほら!はやく降りて!!この道をもう少し歩くとバスターミナルに着くから。むこうに明かりが見えるでしょ、あそこよ。」

わたしはびっくりした。
こんな深夜にこんな暗い場所に異国の20代の女の子を荷物とともに置き去りにするなんて、ちょっと冷たすぎない?
あと100メートルか200メートルくらいで着くなら、そこまで送ってくれればいいのに。
とまどうわたしを夫妻は急かせる。
「ここからはセルビア人たちが住んでいる場所だからものすごく危ないの。なにされるかわからない。でも、あなたは大丈夫だから!早く!」

わたしが車から降りるやいなや、猛スピードでUターンして帰っていた。
わたしはあっけにとられて、小さくなっていく車を見つめていた。
紛争が終わって何年も経つのにまだ見えない境界があることにショックを受けながら、その先に見える灯りを目指し真っ暗な道を歩いたのを覚えている。

あのときから、この街は変わったのだろうか。

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ヒッチハイクをはじめて30分もしないうちに1台の車が止まってくれた。
窓に取り付けるブラインドをつくる工場で働いている人で、仕事に行く途中だった。

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紛争が終わってずいぶん経つけれど、まだ民族や宗教の話はデリケートなものでこちらから聞くのはタブー。
男性がどの民族に属するのかはわからないけど、ボスニアの感想を聞かれて「緑がきれいで自然が多くて人々が優しいから、とてもすてき」と言うと、「そうだろう!」と笑顔で喜んでくれた。

男性にお礼を言って、ふたたびヒッチハイク開始。

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なかなか車が止まらない。
わたしたちは1時間半くらいは粘るけれど、それ以上がんばっても車が止まらないときはヒッチハイクをあきらめることが多い。
1時間半と考えれば30分くらい車が止まらないのは、なんてことはない。
今回も30分くらいで車が止まってくれた。

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いざ車に乗ると、後部座席の足元には車の屋根に取り付ける「TAXI」のプレートが転がっていた。
きっとタクシー運転手で、きょうは休みの日だったんだ。

行き先を告げたものの、英語は通じなかった。
わたしたちがヒッチハイクをしていることをわかってくれてるかな。
降りるときに料金を徴収されないかな。

どうなるかなあと思っていたけど数十キロ進み、「自分はこの道を曲がるから」とそのまま降ろしてくれた。

ヒッチハイクは路上に立って車をつかまえるときもドキドキだけど、乗っているときもドキドキする。
英語が通じないことのほうが多いし、外国では白タクも多いから、わたしたちがヒッチハイクをしていることを理解してもらえているか不安。
しかもどこで降ろされるかわからないので、内心は「1キロでも遠くまで乗せてくれますように」と願いながら乗っている。

すごろくで自分の番がくるのを今か今かと待ち受けるように、路上で止まってくれる車を待つ。
自分の番がくると「少しでもゴールに近づけますように」とドキドキしながらサイコロを転がすように、いざ車に乗せてもらうと「少しでも先に行ってくれますように」と願う。

今回降ろしてもらったのは、山の中の峠道。
ふたたびヒッチハイク。
先にはトンネルがあるし、手前はカーブが続いているし、車を止めにくそうな場所。

炎天下で喉が渇く。

持っているペットボトルの水がなくなりそうだけど、水を買えるようなお店はない。
幸いにも湧き水がでているところを見つけて、しのぐ。

場所が悪いのかなあ。
100メートル、前や後ろに移動してみたけど効果なし。

さっきから野良犬がつきまとってくる。
ケンゾーが大の犬好きだということをこの犬は悟っているのかもしれない。

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「車が止まらんのは、コイツのせいやない?」
「わたしたちのペットと思われて、この犬もいっしょに車に乗せないかんって勘違いされとるとかな?」

1時間半が経過。

犬を追い払っても犬はいっこうに離れてくれない。
犬から距離を置こうと移動してもついてくる。

そして、ようやく1台の車が止まってくれた。
若い男性二人組。

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最初に聞かれた。

「この犬もいっしょに乗せるの?」

やっぱり!!

「ノー!ノー!ノー!!!

コイツのせいでヒッチハイクがうまくいかなかったのね。

男性2人は友だち同士で、これから湖に泳ぎに行くのだそう。
運転しているお兄さんはなんとスペイン人。
サラエボの大学に留学してるんだって。
サラエボに留学するなんて、なかなか渋い。
大きなピアスにタトゥー。
パンク系のお兄さん。

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この車、かなりの年代物。
スペインからやってきて、ボスニアで中古車を買ったんだって。

「いくらで買ったの?」
「400ユーロくらい」
「やっすーい!」

海外では、日本じゃ道路を走ってないようなポンコツ車をよく見る。
日本だととっくに廃車になってるような車を、20年も30年も使い続ける。
どうして海外ではまだ通用するような中古車が日本だと廃車になっちゃうんだろうね。
たぶん車検が厳しくて、ポンコツ車だと余計に整備にお金がかかっちゃうからかな。

車はスピードを上げて走っているのに、助手席のお兄さんがいきなりドアを開けた。
何ごと?

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「エアー コンディション!」

もちろん、この車はエアコンなんて効かない。
車内が暑くなると、こうやって走るんだって。

「ボスニアンスタイル!」と笑って説明する。

この2人、ちょっとぶっ飛んでいるので冗談半分でやってるのかなってこのときは思っていた。
でも、この後ほかの車でもドアを開けているのを何台か見たので、ほんとうに「ボスニアンスタイル」だったみたい。

まもなくすると、緑色の川が見え始め、湖が近いことを教えてくれた。

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湖というか、ダムのようになっている。
たくさんの人が泳ぎに来ていた。
海水浴もいいけれど、こんな森に囲まれた大自然のなかの波のない静かな水の中でのんびり泳ぐのも気持ちが良さそう。

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ノリのいいお兄さんとはここで別れを告げて、次の車をつかまえる。
すぐそこの街までしか行かないようだけど、1キロでも2キロでも先に進めるのならありがたい。

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今回運転していた男性にもほとんど英語は伝わらない。
わたしたちがどうしてこんな田舎で車をつかまえているのか、バスや電車に乗っていないのか理解できずに不思議そうにしていた。

そして男性が降ろしてくれたのは街のバスターミナル前。
「ここからモスタル行きのバスがでてるから。」
「ありがとうございます。」

とは言ったものの、わたしたちはバスターミナルを横目で見ながら再び路上に立つ。

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車は止まらない。

そりゃ、そうだよね。
こんなバスターミナルの前でヒッチハイクしていても「バスに乗ればいいのに」って思われるに決まってる。

「これ、無理だよね。」
「バスターミナルから離れよう。」

わたしたちはトボトボと先へと歩きはじめた。

ゴールのモスタルまでまだ半分ある。

するとさっきの湖よりももっと深い緑色の川が見えた。
もしかしてここは・・・。

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崩れ落ちた鉄橋。
橋のたもとに止まったままの機関車。

実はこれ、映画のセット。

ユーゴスラビアの実話をもとに1969年につくられた『ネレトバの戦い』という映画。
アカデミー賞候補にもなった映画はこの場所で撮影された。
そのときに作られた崩れた鉄橋が、記念にそのままにしてあるというのをインターネットで見たことがある。
来るつもりはなかったけど、それがこの街だったんだ。

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ネレトバの戦いとは、1943年、チトー率いるユーゴスラビアのパルチザンとドイツ軍やイタリア軍などからなる枢軸軍との戦い。

枢軸軍からネレトバ川の谷間に追いつめられ、逃げ場を無くした劣勢のパルチザン。
パルチザンが唯一逃げることができる橋も、対岸では敵が待ち構えている。
そんななかパルチザンは、自分たちでわざと橋を爆破する。
そうやって敵の目をあざむき、相手がそこから退去し手薄になっている間にこっそりと仮の橋を一夜がかりでつくり、対岸に渡って窮地を脱したという話。

映画にもなっているその作戦がパルチザンを勝利へ導いたとされる。

パルチザンが勝ったことで、ユーゴスラビアは民族の垣根を越えてひとつの国となり、複数の民族が共存する社会になった。

それなのにそれから50年後、民族同士の争いが起き、結局はバラバラになってしまった。

異なる民族が共存することは不可能なことなのだろうか。
それでも50年間共存できていたという事実に希望を見いだしたいなと思う。

ヒッチハイクをしていたら、1台の車がUターンして戻ってきてくれた。

おじさん2人組。
クロアチア人でクロアチアに住んでいるけど、ボスニアでホテルを経営しているのだそう。

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おじさんのホテルはモスタルの近くにあるメジュゴーリエという村にある。
1981年に6人の子どもたちが聖母マリアを目撃したとされ、それ以来奇蹟の場所として教会が建ちカトリック教徒たちの巡礼の地となった村。
おじさんのくれた名刺にはそのカトリック教会の写真が載っていた。

ボスニア・ヘルツェゴビナというと、ボシュニャク人のイスラム教徒とセルビア人がそれぞれ住んでいて内戦では両者が争ったことがクローズアップされるけど、それだけじゃなくてカトリック教徒のクロアチア人もたくさん暮らしている。
内戦では、この3者が殺しあった。

これから行くモスタルは、イスラム教徒のボシュニャク人とカトリック教徒のクロアチア人が戦いあった場所。

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車は緑の川が流れる渓谷を走っていく。
すぐ近くに迫る岩山がかっこよくもあり、美しくもあり。

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サラエボからモスタルまでは列車でも行けて、バスに比べると運賃もずいぶん安い。
しかも緑の川や湖、渓谷や岩山といった迫力あるボスニアの大自然を車窓から楽しめる景勝ルート。
骨の折れるヒッチハイクよりも列車のほうが何も気にすることなく純粋に景色を楽しめる。
だから列車の旅はすてきだろうなって思う。

それでも、ヒッチハイクをしてよかった。

ヒッチハイクをすると時間も労力もかかるけど、「旅」が旅っぽくなるから。

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きょうという日はただの移動の1日になるはずだったけど、思い出深い旅の1ページになった。

車は目的地、モスタルへと入った。
クロアチア人のおじさんがわたしたちに尋ねた。
「ホテルはどこ?
 どこで降ろさせばいい?
 ムスリム側?クロアチア側?」

世界遺産の橋は、ネレトヴァ川に架かっている。
橋を挟んで、東側がイスラム教徒の居住区、西側がクロアチア人居住区。
わたしたちの泊まるホテルはイスラム教徒地区にあったけど、「どちらでもかまいません」と答えた。

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クロアチア人のおじさんは、橋を渡りわたしたちを降ろしてくれた。
カトリック教会の大きな塔が見えた。
ここがクロアチア人居住区だとわかった。

そして、戦渦で廃墟となった建物。

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ここモスタルも内戦のときは戦場となったのだった。
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