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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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流血の歴史に翻弄されてきた街

アフリカに入って毎日強い紫外線にさらされて頭髪に危機が訪れているケンゾーです。
きょうエチオピアビザ申請のために証明写真を撮ったんだけど、ビックリするくらい前髪が薄くなってた。
あと3週間で40歳。
坂道を転がるように老けていくんだろうなあ。
若いって、それだけで素晴らしいことだよ!!

ヒッチハイクを乗り継いで到着したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ
旧市街で宿を探すも、けっこう値段が高い。

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旧市街からすこし離れたエリアで探すもなかなかいいホテルが見つからない。
高くて断ったホテルで「親戚の安いホテルを紹介するよ」と言われ、連れて来られたのがここ。

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完全なただの民家。
ソファーやテーブルが置いてある2階のリビングルームをあてがわれた。

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2階にはもう1部屋あるけれど他の客はいないのでふたりで貸切り状態。

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ちゃんとWi-Fiもあって、1泊36マルカ(約2600円)。
サラエボのホテルはけっこう高いので、安く抑えたいならこういう民宿タイプの方がいい。
ただ看板も何もないので探し出すのがちょっと大変。
旧市街北側の丘になってるエリアを彷徨っていると声を掛けられる可能性大。

宿から歩いて15分くらいのところに、サラエボの街を見渡すことができる展望スポットがあるので行ってみることに。
周囲をぐるりと山に囲まれているサラエボ。
緑が多い山の斜面に茶色い屋根の民家がびっしりと立ち並んでいる。

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緑と茶色のコントラストが作り出す爽やかでかわいい街並み。
けれどもうひとつ、常に視界に入り込んでくる真っ白なもの・・・。

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膨大な数の真っ白な墓。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際、サラエボはセルビア人勢力によって約4年間にわたり包囲され周囲から孤立。
「サラエボ包囲」によって1万2千人以上が殺害、そのほとんどは一般市民だった。

サラエボ市内には紛争時に亡くなった人々の墓地があちこちに点在。
どこを見ても必ず墓地が視界に入る。

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展望スポットから眺めるサラエボの街。
青々とした緑に囲まれたとても美しい街並み。

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けれど、やっぱり目がいくのは無数の墓。
押し込められるように、ぎゅうぎゅう詰めで立ち並ぶ白い墓標。
ちょっと異常な光景。

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それはそうだ、実際にここで異常なことが行なわれたんだから。
異なる宗教が何世紀にもわたって共存してきたのに、隣人同士で殺し合うという異常なことがほんの20年前に起きてしまった。

ミリャツカ川周辺に広がるミニチュアのようにかわいらしい旧市街。

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高層ビルが林立する新市街。

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悲しい紛争から19年、緑に包まれた美しい街は平和を取り戻したようにも見える。

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けれどサラエボの一部はスルプスカ共和国(セルビア人共和国)の一部になっていて、市内には見えない境界線が引かれている。
破壊された街の復興はほぼ完了したけれど、深い痛手を被ったサラエボ市民の心の傷はまだまだ癒えてはいないのかもしれない。

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丘を下り、旧市街を散策することに。
旧市街の中心は、いつも人で賑わうバシチャルシャ広場

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紛争前までは人口のおよそ半数がボシュニャク人(イスラム教)、35%がセルビア人(セルビア正教)だったサラエボ。
紛争中、多くのセルビア人がサラエボの外へと避難し、ボシュニャク人の割合がより高くなった。

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16世紀にアラブ地域のスーク(市場)をモデルに作られたバシチャルシャ広場。
赤い瓦屋根の土産物屋が軒を連ねる広場はオリエンタルな雰囲気に包まれている。
ここだけを見るとヨーロッパの国とは思えない。

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いかにもイスラムっぽい丸いドーム屋根が特徴的な建物はブルサ・ベジスタン

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これはかつて絹の取引所だった建物。
当時ここで取り引きしていた絹は、絹の産地として有名だったトルコのブルサから運ばれてきていたのでこの名前が付けられたんだそう。

金銀銅細工の土産物で有名なサラエボ。
美しい装飾品と並んで店頭に飾られているのは・・・

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第二次大戦とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で使用された砲弾・銃弾で作られたペンやキーホルダー。
商品の小物を載せた、細長い花瓶のような筒も戦争の残骸。

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この銃弾が多数の命を奪ったかと思うと、とてもお土産として買う気にはなれない。
けれどそんなものでも工夫して再利用し、平和な物に生まれ変わらせ、生活の糧にするここの人たちの気概も感じる。

人口およそ31万人と、けっして大きな都市ではないサラエボ。
そんな小さな都市が、記憶に新しいボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以前にも度々歴史的な出来事の舞台となってきた。
1914年、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がボスニア出身のセルビア人によってサラエボで暗殺された。
この「サラエボ事件」によって第一次世界大戦が勃発してしまうことに。

その世界を揺るがした一大事件の現場がこのラテン橋
この橋のたもとで皇太子夫妻が凶弾に倒れ、世界中で血が流れる大戦へと発展してしまった。

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暗殺現場となった場所には事件当時の写真などが展示されている。

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自然が豊かで美しい街並みとは裏腹に、流血を伴うネガティブな歴史が付きまとうサラエボ。
あすはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、多くのボシュニャク人の命を救ったあるトンネルをお伝えします。
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