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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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ほんの19年前におきたジェノサイド

安物のT字ひげ剃りを使っているので、ひげを剃るたびに顔面から血が出るケンゾーです。
ひげ剃りって世界中どこでもけっこう高いんだよねえ。
かといって、シェーバーを買って持ち歩くのも煩わしいし、ひげを伸ばし放題でいかにも旅人っぽくするのもちょっとねえ。

ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人が長い間共存してきたボスニア・ヘルツェゴビナ。
けれど母体のユーゴスラビアが解体していくにつれ、それぞれの民族主義活動が活発化。
ボシュニャク人主導の中央政府に対抗し、1992年にはクロアチア人、セルビア人それぞれが共和国の設立を宣言、3者によるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に発展してしまった。

ヒッチハイクを乗り継いでやってきたセルビアとの国境に近いスレブレニッツァ
当時、ボスニア・ヘルツェゴビナの東部はセルビア人勢力が優勢。
各地でボシュニャク人を殺害し、町から強制的に追放していた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(ボシュニャク人主導の中央政府)の支配下にあったスレブレニッツァに多くのボシュニャク人たちが逃げてきたけれど、スレブレニッツァ自体もセルビア人勢力に包囲され、完全に孤立してしまう。
もともと3万5千人くらいだった町の人口は、8万人まで膨れ上がったんだそう。

スレブレニッツァには国連軍も駐留していたけれど、孤立していたので水や食料、武器などあらゆるものが不足、住民の中には餓死者がでる事態になってしまう。
そして1995年7月、ついにセルビア人勢力がスレブレニッツァに侵攻、ボシュニャク人を絶滅させることを目的とした大量虐殺=ジェノサイドがはじまってしまうことに。

町の郊外にあるポトチャリの国連施設に逃げてきた2万5千人のボシュニャク人たち。
国連施設内は数千人の人々ですし詰め状態に。

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国連施設に入りきれないボシュニャク人たちが周辺の工場や畑にあふれ出している。
そこへなだれ込んで来たセルビア人兵士たち。

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国連施設の目の前ではじまった大量殺戮。
殺害は老若男女問わず行なわれ、強姦される少女も多数。
生きたまま埋められた人たちもいたそう。
国連施設には国連軍としてオランダの部隊が駐留していたけれど、物資や兵士の数がセルビア軍に劣っていたためただ傍観することしかできなかった。

当時のまま保存されている工場の壁には、人の胸の高さあたりに銃弾の跡が帯状に残っている。

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イスラム教徒という理由だけで無惨に殺されていったボシュニャク人たち。
展示されている遺品が人々の無念を今に伝えている。
銃弾の跡が生々しく残る懐中時計。

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ジェノサイドの舞台となってしまった場所に建てられた「スレブレニッツァ虐殺記念館」
この大虐殺の存在そのものを否定するセルビア人もいるけれど、目を背けたくなるような数々の写真はここで何が起きたのか、如実に物語っている。

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バラバラになって土中から見つかった遺体も。

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セルビア勢力が去ったあと、見つかった何体もの遺体。
あまりにも多すぎて、まるで図書館に並ぶ本のように、布にくるまれて安置された。

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石碑に刻まれた犠牲者の名前。
8千人以上が殺されたと言われているけれど、身元が特定されているのは6千人ほど。

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犠牲者の名前には生まれた年しか記されていない。
それは、もちろん亡くなった年がみんな同じだから。

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広い敷地に立ち並ぶ真っ白な墓標。
ほぼ7日間でこれだけの人数のボシュニャク人が殺された。

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20年近く経っているのに、新たな遺体も見つかり埋葬は続いている。
毎日のように増え続ける墓標。
保管されている遺体のDNA鑑定は今現在も進行中。

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埋葬予定地にまだまだ余裕があることが恐ろしい。

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長い間ともに共存してきたボシュニャク人とセルビア人。
なぜこんな悲惨なことが起きてしまったんだろう。

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国際社会の無関心もこの虐殺に拍車をかける結果となった。
知ろうとしないこと、声を上げないことは加害者に手を貸すことと同じことなのかもしれない。

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第二次大戦以降、ヨーロッパ最大のジェノサイドとなってしまったスレブレニッツァの虐殺。
紛争後、加害者のセルビア人勢力は戦争犯罪人として裁かれることに。
紛争中はボシュニャク人も民族浄化の名の下に、多くのセルビア人を殺し、女性を強姦している。

どっちがいいとか、どっちが悪いとか、そういう問題じゃない。
人間はいつまでこんな愚かなことを繰り返していくんだろう。
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Comment

No title

素晴らしい記事ですね、特に無関心や声を上げないことは加害者に手を貸すのと同じという言葉に感動しました
ネットでしょーもないサイトがあり、そこで叩かれているブログ村のブロガーさんがいますが他のブロガーさんは見て見ぬ振りを決め込んでいる様に見えます、それも本質的に同じ様な気がしますがイクエさんはどう思いますか?

チャラオさま

読んでいただいてありがとうございます。

今現在ネット環境が悪いところにいるので、ほかのブログ等は見ていません。申し訳ありませんが何のことを言われているのか分かりませんのでコメントは控えさせていただきます。
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