子どもの権利 大人の義務
最近ブログの更新が遅れているイクエです。
いつも読んでくださっているみなさん、申し訳ありません!
パレスチナ・イスラエルの記事はどうしても時間をかけてしっかりと書かないといけないと思っていて、なかなか筆が進まないんです。
そんなパレスチナ・イスラエルの旅の記事ももう少しで終わりです。
もうしばらくおつきあいください。
パレスチナ自治区にも関わらずイスラエルが実行支配するユダヤ人地区があるヘブロン。
ユダヤ人入植地とパレスチナ人の住む場所を隔てるために塀やフェンスが設けられているところもあれば、塀などはないかわりにイスラエル兵が常駐して監視しているところもある。
手前の建物がパレスチナ人の家、奥の建物がユダヤ人の家。

パレスチナ人の家にはパレスチナの国旗がはためき、ユダヤ人の家にはイスラエルの国旗がくくりつけられていた。
家と家の間にイスラエル兵がいる。
ユダヤ人に見下ろされ、イスラエル兵に監視されながらここに住むパレスチナ人はどんな気持ちなんだろう。
この家のパレスチナ人はとても気骨のある人のようで、家の壁には「ここはパレスチナだ」とか「パレスチナにようこそ」というメッセージが書かれている。


これを見ると、パレスチナ人がイスラエル側に屈せずに立ち向かっているように思えるけど、見方を変えれば、そんな気骨のある人しかここに残らなかったということなのかもしれない。
この居心地の悪い環境に耐えられず、ここを泣く泣く出て行ったパレスチナ人は多いと思う。
イスラエル側からすれば思惑通りの結果。
パレスチナ人が出て行ったところに、イスラエル側はどんどん入植地を広げていく。
入植地には、イスラエル軍の駐屯地がある。

兵士たちの宿舎の前には、横断幕。
横断幕の写真がゲストハウスによく飾られている写真みたいだった。

旅先のゲストハウスでよく目にするのは、宿泊者同士で肩を組んだりお酒を飲んだりツアーに行ったりして、笑いながら楽しそうにしている写真。
「誰でも大歓迎だよ。さあ、いっしょに楽しまない?」
この横断幕もそう言ってるみたいだった。
イスラエル兵から残虐な行為を受けているパレスチナ人のことを思うと、この横断幕にとても違和感を覚えた。
でもユダヤ人からしたら、若くて親しげで守ってくれている彼らはとても頼もしくありがたい存在なのかもしれない。

銃を持ったイスラエル軍が街をうろつく。
わずらわしいチェックポイントをたくさん設けて、生活に支障をきたす。
ものものしい雰囲気にする。
住みにくくし、居心地が悪い環境にする。
そしてパレスチナ人が出て行くようにしむける。
それこそが、イスラエルの戦略なのだ。

真ん中を歩いているのは、イギリス人の男性。
彼はイスラエル兵の監視を受けるパレスチナ人エリアに、家を借りて住んでいた。
パレスチナ人とともにこの住みにくい環境に住み、ここを守ることを助けているようだった。
この場所を歩いていると、外国のNGOのメンバーたちに出会う。
パレスチナ人とイスラエル兵、ユダヤ人の声を聞き、仲裁する活動をしている。
仲裁するといっても嫌がらせや圧力を受けているのはほとんどパレスチナ人なので、パレスチナ人の不満を聞き、イスラエル側の横暴を監視し、それをやめさせることが活動の中心のようだ。
彼らがいなくなれば、イスラエル側の横暴なふるまいはエスカレートし、ここに住むパレスチナ人を出て行かせ、ユダヤ人を住まわせていくのが想像できる。
本来ならNGOではなく国連や国際社会が介在して改善すべきことだけど、それができてない今、彼らの活動だけがここに住むパレスチナ人たちの命綱なのかもしれない。
旧市街のアブラハムモスクの周辺にはイスラエル兵が常駐している。
かつて住民のにぎやかな声がこだましていたであろう通りは、いまは閑散としていて、家々からはほとんど人が出て行ってしまっている。
それでもまだ数家族のパレスチナ人が住んでいる。
生活に苦しそうな人たちが多いように見える。
元々貧しい人たちがここの空き家にかってに住むようになったのか、それともこんなところでは仕事がないのか、もしくは引っ越すお金さえない人たちだけが残っているからなのかはわからない。
歩いているとパレスチナではめずらしく、「マネー、マネー」と子どもにまとわりつかれた。
子どもにこうやってまとわりつかれるとき、つい足元を見てしまう。
立派な靴を履いていてお小遣いがほしくて「マネー」と言ってくる子も多いけど、この子たちの中には裸足の子もいた。
マネーを渡すかわりにぎゅうっとだっこすると、さっきの悲壮な表情とはうってかわってものすごくはしゃいでくれる。

ここは道路の真ん中。
でも車なんて通らない。
わたしたちの脇にある緑のフェンス。

わたしたちがいるほうが、パレスチナ人が歩ける道。
フェンスの向こう側の広いほうがユダヤ人の道、そちらは車が通れる。
かつてふつうの道路だった場所が、2つに分断されている。
そんな場所で苦しい生活をしている子どもたちだけど、とっても無邪気。


抱きかかえて振り回していると、「もっとやって!」「ぼくもやって!」と飛びついてくる。
写真を撮っていたケンゾーにも、「やって〜!!」。

とても悲しい場所のパレスチナだけど、それでもパレスチナで息苦しさを感じないのは、パレスチナ人がわたしたちを歓迎してくれていつも明るくふるまってくれるから。
子どもたちの笑顔にいつも救われる。

こんな場所でも子どもたちは生き生きとしていて、子どもらしい笑顔を向けてくれる。

旧市街から3キロほどのところに、広い入植地キルヤット・アルバがある。
もちろんパレスチナ自治区だけどイスラエルが実行支配しているので、パレスチナ人は入れない。
イスラエルの長距離バスがこの場所とイスラエルの各地を結んでいて、イスラエル人は行き来することができる。
パレスチナのオリーブ畑の向こうに広がるその入植地は、高い塀で囲まれていた。

階段が、フェンスの入口に続いていた。

入植地の中に行ってみたくて階段をあがってみたけれど、出入り口には鍵がかけられている。

どこからか入れないかなあと塀の周りをうろうろしていると、ここにも明るくてかわいいパレスチナの子どもたちがいた。


水タバコを吹かしている兄弟。
「ほら、ここに座って。」「水タバコどうぞ。」
パレスチナ人はこうやっていつも気さくに話しかけてくれる。

入植地のすぐそばに家があった。
「こんなところに住んでるんだね」ってケンゾーと眺めていたら、不審な外国人のわたしたちを発見した住民たちがはしゃぎながら出てきた。
「中においで!」「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

彼らはここに住んで入植地のすぐそばの畑を耕して生活している。
彼らの後ろに見える白いマンションのような建物は入植地でユダヤ人が住んでいる。

彼らにコーヒーをごちそうになったあと、彼らが行くことのできない入植地に入ることをもう一度試みることにした。

車が出入りしている大きなゲートを見つけた。
ヘブロンの市街地には銃を持ったイスラエル兵がうじゃうじゃいたけど、意外にもここにはひとりもいない。
もうここはすっかり別天地、完全にユダヤ人の街となっているからイスラエル兵が守る必要もないのかもしれない。
ゲートのところにいたのは初老の男性。
「中に入りたい」と言うといぶかしそうにわたしたちを見た。

「パスポートを見せて」と言われて出す。
「イラクに行ったことは?」「イランに行ったことは?」
イスラムの国の訪問歴を尋ねられた。
わたしたちのパスポートにはイスラム圏の国のスタンプがたくさん押されている。
でも、パスポートを見ることに慣れてないのか、目が遠くてよく見えないのか、中に入ることを許された。
整備された道路、ヘブライ語の看板、黒い服のユダヤ人たち。
パレスチナ自治区だけど、でももうここはイスラエルの街そのものだった。

数十世帯が住めるような大型のマンションが建ち並んでいる。
新しい建物も多い。

入植地のまわりには丘陵やオリーブ畑が広がっている。
きっとこれからもまわりの土地を侵食しながらイスラエル政府は入植地を広げていくだろう。
そしてどんどんここに引っ越してくるユダヤ人入植者が増えていくことが想像できる。

入植地には学校や図書館、商店もあって生活には困らなさそう。
イスラム圏のパレスチナでは買うことが難しいアルコール類も、ここのスーパーでは安く普通に売られていた。

新興住宅地のように、マンション群のそばには小さな公園がいくつもあった。
何棟かにひとつは公園があるみたいで、イスラエル政府が「子育てしやすい街」というのを掲げて若い夫婦に移住をあっ旋しているのだと思う。

「透明人間になったみたい。」
「ほんとうに、俺たちの姿が見えとうとかな。」
わたしたちは、ここでは「透明人間」になっていた。
生まれてからこんな心境をもったのは初めてだった。
人とすれ違っても、スーパーに入っても、人の横に立っても、彼らはいっさいわたしたちを見ない。
チラッと見ることもしない。
だから目をそらすということもない。
ほんとうにわたしたちがまるでこの場所に存在しないかのように、振る舞う。
「外国人には関わらない。」「相手にしない。」
無意識のうちにそれが徹底されているようだった。
外国人は自分たちの世界を乱す、じゃまな存在でしかないのかもしれない。
「無視する」とか「避ける」という感じではなく、ほんとうにまったくわたしたちが見えていないように全員ふるまう。
わたしたちはここでは「透明人間」にしかなれない。
「なんか恐いね」
そしてそれは子どもたちにも徹底していた。
幼稚園児くらいの子どもでさえ、そばにわたしたちがいてもいないように振る舞う。
パレスチナ自治区で知り合った外国人旅行者からも聞いていた。
「イスラエルの子どもはね、まったく笑顔を見せてくれないんだよ。
まるで凍ってるみたいに。
とても冷たい顔をしている。
パレスチナの子どもたちとまったく違うんだよね。」
この入植地だけではなく、エルサレムの旧市街でもヘブロンの街でもそれは感じていた。
わたしたちは子どもと遊ぶのが好きで、これまでも旅先で子どもと遊んだり学校を訪問したりしてきた。
子どもにもいろんなタイプがいる。
外国人であるわたしたちに積極的に話しかけてくる子、ちょっと恥ずかしそうに遠巻きに観察し目が合うとほほえむ子、初めてみる外国人に目を丸くして驚いた表情のまま立ちすくむ子、気にはなってチラチラ見るけど大人の後ろに隠れてしまう子・・・。
イスラエルの子たちはそのどれにも当てはまらなかった。
子どもらしく振る舞えないというのは、とてもかわいそうに思えた。
人工的な街で、塀に囲まれていて、「外国人は危ない」と教えられる子どもたち。
ヘブロンの旧市街周辺の入植地に住むユダヤ人が500人で、彼らを守るために2000人のイスラエル兵が常駐している。
異常な環境のなかで育つ彼らは、将来どんな大人になるのだろう。

イスラエルの侵攻に怯え、どんどん土地を奪われていくパレスチナ。
だけどそこよりも本当に異常な場所は、塀で囲まれた入植地なのかもしれない。
入植地からの帰り、心が救われるような微笑ましい光景に出会った。

ユダヤ人のためにパレスチナ人を監視しているイスラエル兵。
そんなイスラエル兵の横でむじゃきにサッカーをしていたパレスチナの子どもたち。
任務中のイスラエル兵が転がってきたボールを蹴って、いっしょに楽しそうにサッカーをしはじめた。

徴兵中のイスラエル兵のなかには、イスラエルもパレスチナも関係なく子どもたちの幸せな未来を望む人も多いと思う。
どんな子どもたちにもむじゃきに遊び、楽しい幼少時代を過ごす権利がある。
そして子どもたちがのびのびと成長していける環境をつくるのが、大人の義務なのだと思う。
いつも読んでくださっているみなさん、申し訳ありません!
パレスチナ・イスラエルの記事はどうしても時間をかけてしっかりと書かないといけないと思っていて、なかなか筆が進まないんです。
そんなパレスチナ・イスラエルの旅の記事ももう少しで終わりです。
もうしばらくおつきあいください。
パレスチナ自治区にも関わらずイスラエルが実行支配するユダヤ人地区があるヘブロン。
ユダヤ人入植地とパレスチナ人の住む場所を隔てるために塀やフェンスが設けられているところもあれば、塀などはないかわりにイスラエル兵が常駐して監視しているところもある。
手前の建物がパレスチナ人の家、奥の建物がユダヤ人の家。

パレスチナ人の家にはパレスチナの国旗がはためき、ユダヤ人の家にはイスラエルの国旗がくくりつけられていた。
家と家の間にイスラエル兵がいる。
ユダヤ人に見下ろされ、イスラエル兵に監視されながらここに住むパレスチナ人はどんな気持ちなんだろう。
この家のパレスチナ人はとても気骨のある人のようで、家の壁には「ここはパレスチナだ」とか「パレスチナにようこそ」というメッセージが書かれている。


これを見ると、パレスチナ人がイスラエル側に屈せずに立ち向かっているように思えるけど、見方を変えれば、そんな気骨のある人しかここに残らなかったということなのかもしれない。
この居心地の悪い環境に耐えられず、ここを泣く泣く出て行ったパレスチナ人は多いと思う。
イスラエル側からすれば思惑通りの結果。
パレスチナ人が出て行ったところに、イスラエル側はどんどん入植地を広げていく。
入植地には、イスラエル軍の駐屯地がある。

兵士たちの宿舎の前には、横断幕。
横断幕の写真がゲストハウスによく飾られている写真みたいだった。

旅先のゲストハウスでよく目にするのは、宿泊者同士で肩を組んだりお酒を飲んだりツアーに行ったりして、笑いながら楽しそうにしている写真。
「誰でも大歓迎だよ。さあ、いっしょに楽しまない?」
この横断幕もそう言ってるみたいだった。
イスラエル兵から残虐な行為を受けているパレスチナ人のことを思うと、この横断幕にとても違和感を覚えた。
でもユダヤ人からしたら、若くて親しげで守ってくれている彼らはとても頼もしくありがたい存在なのかもしれない。

銃を持ったイスラエル軍が街をうろつく。
わずらわしいチェックポイントをたくさん設けて、生活に支障をきたす。
ものものしい雰囲気にする。
住みにくくし、居心地が悪い環境にする。
そしてパレスチナ人が出て行くようにしむける。
それこそが、イスラエルの戦略なのだ。

真ん中を歩いているのは、イギリス人の男性。
彼はイスラエル兵の監視を受けるパレスチナ人エリアに、家を借りて住んでいた。
パレスチナ人とともにこの住みにくい環境に住み、ここを守ることを助けているようだった。
この場所を歩いていると、外国のNGOのメンバーたちに出会う。
パレスチナ人とイスラエル兵、ユダヤ人の声を聞き、仲裁する活動をしている。
仲裁するといっても嫌がらせや圧力を受けているのはほとんどパレスチナ人なので、パレスチナ人の不満を聞き、イスラエル側の横暴を監視し、それをやめさせることが活動の中心のようだ。
彼らがいなくなれば、イスラエル側の横暴なふるまいはエスカレートし、ここに住むパレスチナ人を出て行かせ、ユダヤ人を住まわせていくのが想像できる。
本来ならNGOではなく国連や国際社会が介在して改善すべきことだけど、それができてない今、彼らの活動だけがここに住むパレスチナ人たちの命綱なのかもしれない。
旧市街のアブラハムモスクの周辺にはイスラエル兵が常駐している。
かつて住民のにぎやかな声がこだましていたであろう通りは、いまは閑散としていて、家々からはほとんど人が出て行ってしまっている。
それでもまだ数家族のパレスチナ人が住んでいる。
生活に苦しそうな人たちが多いように見える。
元々貧しい人たちがここの空き家にかってに住むようになったのか、それともこんなところでは仕事がないのか、もしくは引っ越すお金さえない人たちだけが残っているからなのかはわからない。
歩いているとパレスチナではめずらしく、「マネー、マネー」と子どもにまとわりつかれた。
子どもにこうやってまとわりつかれるとき、つい足元を見てしまう。
立派な靴を履いていてお小遣いがほしくて「マネー」と言ってくる子も多いけど、この子たちの中には裸足の子もいた。
マネーを渡すかわりにぎゅうっとだっこすると、さっきの悲壮な表情とはうってかわってものすごくはしゃいでくれる。

ここは道路の真ん中。
でも車なんて通らない。
わたしたちの脇にある緑のフェンス。

わたしたちがいるほうが、パレスチナ人が歩ける道。
フェンスの向こう側の広いほうがユダヤ人の道、そちらは車が通れる。
かつてふつうの道路だった場所が、2つに分断されている。
そんな場所で苦しい生活をしている子どもたちだけど、とっても無邪気。


抱きかかえて振り回していると、「もっとやって!」「ぼくもやって!」と飛びついてくる。
写真を撮っていたケンゾーにも、「やって〜!!」。

とても悲しい場所のパレスチナだけど、それでもパレスチナで息苦しさを感じないのは、パレスチナ人がわたしたちを歓迎してくれていつも明るくふるまってくれるから。
子どもたちの笑顔にいつも救われる。

こんな場所でも子どもたちは生き生きとしていて、子どもらしい笑顔を向けてくれる。

旧市街から3キロほどのところに、広い入植地キルヤット・アルバがある。
もちろんパレスチナ自治区だけどイスラエルが実行支配しているので、パレスチナ人は入れない。
イスラエルの長距離バスがこの場所とイスラエルの各地を結んでいて、イスラエル人は行き来することができる。
パレスチナのオリーブ畑の向こうに広がるその入植地は、高い塀で囲まれていた。

階段が、フェンスの入口に続いていた。

入植地の中に行ってみたくて階段をあがってみたけれど、出入り口には鍵がかけられている。

どこからか入れないかなあと塀の周りをうろうろしていると、ここにも明るくてかわいいパレスチナの子どもたちがいた。


水タバコを吹かしている兄弟。
「ほら、ここに座って。」「水タバコどうぞ。」
パレスチナ人はこうやっていつも気さくに話しかけてくれる。

入植地のすぐそばに家があった。
「こんなところに住んでるんだね」ってケンゾーと眺めていたら、不審な外国人のわたしたちを発見した住民たちがはしゃぎながら出てきた。
「中においで!」「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

彼らはここに住んで入植地のすぐそばの畑を耕して生活している。
彼らの後ろに見える白いマンションのような建物は入植地でユダヤ人が住んでいる。

彼らにコーヒーをごちそうになったあと、彼らが行くことのできない入植地に入ることをもう一度試みることにした。

車が出入りしている大きなゲートを見つけた。
ヘブロンの市街地には銃を持ったイスラエル兵がうじゃうじゃいたけど、意外にもここにはひとりもいない。
もうここはすっかり別天地、完全にユダヤ人の街となっているからイスラエル兵が守る必要もないのかもしれない。
ゲートのところにいたのは初老の男性。
「中に入りたい」と言うといぶかしそうにわたしたちを見た。

「パスポートを見せて」と言われて出す。
「イラクに行ったことは?」「イランに行ったことは?」
イスラムの国の訪問歴を尋ねられた。
わたしたちのパスポートにはイスラム圏の国のスタンプがたくさん押されている。
でも、パスポートを見ることに慣れてないのか、目が遠くてよく見えないのか、中に入ることを許された。
整備された道路、ヘブライ語の看板、黒い服のユダヤ人たち。
パレスチナ自治区だけど、でももうここはイスラエルの街そのものだった。

数十世帯が住めるような大型のマンションが建ち並んでいる。
新しい建物も多い。

入植地のまわりには丘陵やオリーブ畑が広がっている。
きっとこれからもまわりの土地を侵食しながらイスラエル政府は入植地を広げていくだろう。
そしてどんどんここに引っ越してくるユダヤ人入植者が増えていくことが想像できる。

入植地には学校や図書館、商店もあって生活には困らなさそう。
イスラム圏のパレスチナでは買うことが難しいアルコール類も、ここのスーパーでは安く普通に売られていた。

新興住宅地のように、マンション群のそばには小さな公園がいくつもあった。
何棟かにひとつは公園があるみたいで、イスラエル政府が「子育てしやすい街」というのを掲げて若い夫婦に移住をあっ旋しているのだと思う。

「透明人間になったみたい。」
「ほんとうに、俺たちの姿が見えとうとかな。」
わたしたちは、ここでは「透明人間」になっていた。
生まれてからこんな心境をもったのは初めてだった。
人とすれ違っても、スーパーに入っても、人の横に立っても、彼らはいっさいわたしたちを見ない。
チラッと見ることもしない。
だから目をそらすということもない。
ほんとうにわたしたちがまるでこの場所に存在しないかのように、振る舞う。
「外国人には関わらない。」「相手にしない。」
無意識のうちにそれが徹底されているようだった。
外国人は自分たちの世界を乱す、じゃまな存在でしかないのかもしれない。
「無視する」とか「避ける」という感じではなく、ほんとうにまったくわたしたちが見えていないように全員ふるまう。
わたしたちはここでは「透明人間」にしかなれない。
「なんか恐いね」
そしてそれは子どもたちにも徹底していた。
幼稚園児くらいの子どもでさえ、そばにわたしたちがいてもいないように振る舞う。
パレスチナ自治区で知り合った外国人旅行者からも聞いていた。
「イスラエルの子どもはね、まったく笑顔を見せてくれないんだよ。
まるで凍ってるみたいに。
とても冷たい顔をしている。
パレスチナの子どもたちとまったく違うんだよね。」
この入植地だけではなく、エルサレムの旧市街でもヘブロンの街でもそれは感じていた。
わたしたちは子どもと遊ぶのが好きで、これまでも旅先で子どもと遊んだり学校を訪問したりしてきた。
子どもにもいろんなタイプがいる。
外国人であるわたしたちに積極的に話しかけてくる子、ちょっと恥ずかしそうに遠巻きに観察し目が合うとほほえむ子、初めてみる外国人に目を丸くして驚いた表情のまま立ちすくむ子、気にはなってチラチラ見るけど大人の後ろに隠れてしまう子・・・。
イスラエルの子たちはそのどれにも当てはまらなかった。
子どもらしく振る舞えないというのは、とてもかわいそうに思えた。
人工的な街で、塀に囲まれていて、「外国人は危ない」と教えられる子どもたち。
ヘブロンの旧市街周辺の入植地に住むユダヤ人が500人で、彼らを守るために2000人のイスラエル兵が常駐している。
異常な環境のなかで育つ彼らは、将来どんな大人になるのだろう。

イスラエルの侵攻に怯え、どんどん土地を奪われていくパレスチナ。
だけどそこよりも本当に異常な場所は、塀で囲まれた入植地なのかもしれない。
入植地からの帰り、心が救われるような微笑ましい光景に出会った。

ユダヤ人のためにパレスチナ人を監視しているイスラエル兵。
そんなイスラエル兵の横でむじゃきにサッカーをしていたパレスチナの子どもたち。
任務中のイスラエル兵が転がってきたボールを蹴って、いっしょに楽しそうにサッカーをしはじめた。

徴兵中のイスラエル兵のなかには、イスラエルもパレスチナも関係なく子どもたちの幸せな未来を望む人も多いと思う。
どんな子どもたちにもむじゃきに遊び、楽しい幼少時代を過ごす権利がある。
そして子どもたちがのびのびと成長していける環境をつくるのが、大人の義務なのだと思う。