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訪れた国は78カ国
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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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3.11 被災地を想う

2014.03.11 06:24|世界からのメッセージ☞EDIT
今年も忘れられない日がきました。
全国で1万5千人以上が亡くなった悪夢の日から3年。

あのとき、まだわたしたちは日本にいました。
ケンゾーは震災1か月後に福島へ、その後岩手で約1年間ボランティアをしました。
いっぽう報道記者だったイクエは、宮城の被災地でニュース取材をしたり、被災した方たちのドキュメンタリーをつくったりしていました。
1年間わたしたちふたりは離れて生活することになりましたが、ふたりのこころはいつも被災地に向いていました。

日本を離れ世界各地を旅している今も、被災地のことを想わない日はありません。

けれど、日本を旅立って1年と6ヶ月・・・。
いくら被災地のことを想っていてもなんの役にも立てていないのが現実。
旅を楽しみながらも、もどかしい思いがつのっていっています。

今被災地はどうなっているんだろう?
あの人は元気にしているだろうか?
笑顔になれる時間は増えただろうか?

日本にいない自分たちにできることは、現地で活動していたときに知り合うことができた地元の方、いまでも活動をつづけている仲間の人に現状を聞くこと。
そして教えてもらったことを、このブログを通してひとりでも多くの人に伝えること。

ケンゾーがボランティア活動をしていたのは岩手県陸前高田市。
街の中心地のほぼ全体が波に飲まれ壊滅的な被害を受けました。
1556人が死亡、いまだに215人が行方不明のまま。

陸前高田

宮城県との県境に近い陸前高田市。
押し寄せた津波によって全世帯の7割が被害を受け、市の中心街は一瞬にして消滅しました。

ケンゾーが陸前高田市に入ったのが震災からおよそ3か月後の6月後半。
車窓の先に広がる光景に言葉を失ったことを今でも鮮明に思い出すことができます。

そこだけすっぽりと巨大な空間が空いて異様だった。
大きなものはずいぶん無くなっているけれど、まだそこかしこに散乱している瓦礫。

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たくさんの家族の思い出が詰まった家はただの木片へと姿を変えてしまった。
ほんの数か月前まで人々が確かにここで生活していたはずなのに、それを想像することさえかなわないほど何もかもが根こそぎ破壊されていました。

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壁が無くなった建物の中でひっくり返った車。
飴細工のように鉄骨がぐにゃりと折れ曲がった高校の体育館。

車のドライバーは、体育館にいた生徒は無事だったんだろうか。
心臓がドクドクと高鳴ったことを憶えています。

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あれから3年。
今、陸前高田はどうなっているんだろう。
地元の社会福祉協議会の職員としてボランティアセンターの運営に携わり、現在は復興支援活動のために設立された特定非営利活動法人P@CTで理事をされている萩原史さんに現状を聞いてみました。

荻原
「陸前高田市では、景色がずいぶん変わりました。
山の木が切られ、土が削られ、高台移転に向けた土地の造成が進んでいます。
ガレキの山は消え、かさ上げの為の盛土が目立ってきました。
ものすごい数の工事車両が行き来し、津波の被害があった地域だけでなくいたるところで重機が動いています。
震災前は考えられなかった朝の渋滞もいまだに続いています。
目に見える形では、復旧から復興へ…スピードアップが感じられますが、住民の生活はあまり変わっていないのではないかと思います。
震災から3年になりますが、市内に52か所ある仮設住宅はまだ一つもなくなっていません。
自力での住宅再建等が難しい方々にとっては、通常の生活を送るという意味で、先の見えない状況というのはまだ続いていると思います。」


(去年11月の陸前高田市)
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ケンゾーが参加したのは特定非営利活動法人NICEの被災地支援プログラム。
10数人のボランティアのメンバーと合宿生活をしながら、瓦礫撤去や家屋の掃除、ボランティアセンターのサポートなどをしていました。

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自分も含めほとんどのボランティアはごく普通の一般人。
技術も特別な機材もありません。
ひとつひとつ自分たちの手で瓦礫を撤去していく日々。
「これを取り除くのに一体どれだけ時間がかかるんだろう」と膨大な瓦礫の山に打ちのめされることも何度もありました。

それでも毎日手を動かしつづけ、次の日、次の週、次の月へと全国からやって来るボランティアが次のボランティアへとバトンを繋いでいく。

「自然の前ではちっぽけな人間も、力を合わせると捨てたもんじゃない」
そんなことを実感した日々でもありました。

季節が夏から秋、そして寒い冬へと移っていくとボランティアの人数が減っていき、寂しい思いをしたのも事実です。
震災から2度の冬が過ぎました。
今でもボランティア活動は続けられているんでしょうか?

荻原
「今でもボランティア活動は継続しています。
活動内容は、漁業支援や古川沼での細かい瓦礫の分別、遺留品捜索等がメインとなっています。」


(今年1月の活動の様子)
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陸前高田市の広田湾で獲れる牡蠣は全国的にも有名。
しかし津波によって牡蠣の養殖用のいかだは全滅。
養殖用のいかだ作りもボランティア活動のひとつでした。

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いかだ作りをお手伝いした牡蠣養殖業の藤田敦さんにも聞いてみました。

藤田
「今年から本格的に出荷が始まり思い出しながら少しずつですが毎日奮闘してます。
ボランティアさんはまだ必要と考えてます。
『3年も経ってるのに?』と言われるかもしれませんが、今年の4月から国からの給料制で水揚げ金は全て国に返さなければなりません。
月25万貰ってもアルバイトに15万払えば生活費もままなりません。」


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自分は全国、そしてときには海外から集まったボランティア仲間とともに汗を流し、地元の方と触れ合いながらとても楽しく、充実した日々を過ごしました。

いま陸前高田市でボランティアをするにはどうしたらいいんですか?

萩原
「(災害ボランティアセンターから業務を引き継いだ)陸前高田市復興サポートステーションで一般のボランティアの受け入れを行っています。
P@CTのHPから活動の予約が出来ますし、お問い合わせについてはお電話でもかまいません。
そして、ボランティア活動をお考えの皆さんは、現地の状況をしっかり把握したうえで参加してください。
これまでもそうでしたが、せっかくの活動が地元の方の負担になっては、元も子もありません。
また、復旧から復興へフェーズが変わっていく中で、求められるものも変わってきています。必ずしも、ボランティアの皆さんがイメージする内容の活動ではないかもしれませんが、現地の状況やニーズを正しくご理解いただき、無理のない範囲でご協力いただければ幸いです。」


(ボランティアを見送るサポートステーションのスタッフ)
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市の中心地が壊滅的な打撃を受けた陸前高田市。
市内にボランティアが宿泊できる施設がほとんどありませんでした。
けれど今ではボランティアの方が利用することのできる宿泊施設もあります。

萩原
「『二又復興交流センター』は、統廃合により使用されなくなった小学校の校舎をリフォームし、昨年7月にオープンした簡易宿泊所です。
ボランティアだけでなく、観光や帰省等で陸前高田市を訪れる方々の宿泊・拠点としてご利用いただいています。
また、地域の方々と近くの仮設住宅にお住いの方々との交流会や、子ども会等のイベントの会場としてもご利用いただいています。」


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日本を離れていると震災関連のニュースを目にすることはほとんどありません。
Yahoo!ニュースのトピックスで扱われることはまれになってしまいました。
それでも海外を旅していると「地震と津波は大丈夫だった?」と外国人が気に掛けてくれることがあります。
たったそれだけのことなのに、なんだかちょっと泣けてきます。

一日一日と着実に時は過ぎ去っていく。
あれから3年。
被災地と世の中との「温度差」を感じることはありますか?

萩原
「温度差は、それぞれの置かれている状況によって様々だと思います。
今被災地にいなくても、何らかのかかわりがある方(あった方)は当事者意識をお持ちの方がたくさんいらっしゃるでしょうし、そうでない方にとっては報道も少なくなり、過去のものになっているのではないかと思います。
私はたくさんの方々とお会いできる場所にいますし、つながりを感じられる方々がたくさんいてくださるので、あまり寂しさは感じません。
しかし、お電話での問い合わせが減ったり、報道が少なくなっていることは、それだけ世間では忘れられているんだろうな…と感じます。」


震災当時は在阪の大学生、東北各地でボランティアをしたのち卒業後NGOで被災地の子ども支援に携わり、現在は岩手県釜石市社会福祉協議会で働いている上柳美生さんにも聞きました。

上柳
「帰省すると、私に気を遣って『東北はどう?』って聞いてくれる人はたくさんいる。しかし、テレビなどで報道される機会はほぼ無い。風化が進んでいるんだなぁと実感します。」


ケンゾーは3年間報道カメラマンをしていました。
イクエはニュース原稿を書くことが仕事でした。
ニュースがすべてを伝えていないことも、伝えることに限界があることも感じていました。

報道されていることと被災地の実状とのギャップを感じることはありますか?

荻原
「報道される内容は『震災の検証をして次の災害にどう備えるか』とか『仮設住宅でこんなイベントがありました』みたいなものが多いです。それはもちろん大切なことだと思いますが、今被災地での日常はどんな感じなのか?ということがあまり伝わっていない気がします。
3年たってもまだ校庭が使えない学校、親を失った子どもや子どもを失った高齢者の状況等、知らない事がたくさんあると思います。
知らなくてもいい事かもしれないですが、知ったことで自分のこれからを考えるきっかけになるかもしれないですよね。被災地のためにとか誰かのためにではなくても、自分が悲しい思いをしないための心構えができるかもしれない。報道は良い事・悪い事を伝えるのではなく、日常を伝えてほしいと個人的には思います。」



自分が生き残ったことを悔いている人たちがすくなからずいる。
津波が襲ってきた時のことを誰かに聞いてほしいんだけど、同じ被災者には話せない。外部の人間だからこそ受け皿になれることもある。
被災地に行って、地元の人たちと触れ合ってはじめて分ったことがたくさんあります。

3年経った今、全国の人に知ってほしいことはありますか?

国際NGOのスタッフとしてボランティアセンターの運営や地元団体の運営支援に携わりながら、3年間被災地を見つめてきた舩橋和花さんに聞きました。

舩橋
「『普通の暮らし』を送っていた人が被災をした、という自明の事実を考えてほしい。
『被災地だから、被災者だから』という考え方や、『どこまでが被災者か』という外部者が決める線引きによって、中にひずみが生まれている部分もなきにしもあらず。
ここだけが被災地ではなく、あなたの立っているその場所も、何かしらの形で被災地になりうる。」


上柳
「まだまだ復興には時間がかかるということ。
現在、被災地は更地の状態。まだ取り壊されていない建物もある。そんな状態の中、これから始まる大規模な嵩上げや、土地の分配、防潮堤建設など時間のかかる問題は山積みで『いつ仮設から出られるのか。』不安を抱えている住民は多くいる。
又、3年目を迎えるにあたって、心的障害を訴える人が増えている。」


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萩原
「先日、高田高校を卒業した女の子のお話です。

3年前、一生懸命勉強をして、受験をして、合格発表の前に震災がありました。
資料もデータも流失してしまった高校は、受験者全員を合格にするといった措置をとりました。受験生だったその子は『いったい何のために、あんなに勉強したのか?』と思ったそうです。

そして、隣の大船渡市で使用されなくなった高校の校舎での3年間の生活でした。
高田高校なのに大船渡まで通わなくてはいけない日々でした。
卒業の日の彼女は『今日までの3年間は震災の影響もあって、中学の時に思い描いていた高校生活とは全然違ったけど、だからこそ普通ではできない貴重な経験がたくさんありました。常に周りの支えを感じて過ごしてきて、どこの高校よりも感謝の気持ちを大切にする学校に通えたんじゃないかなと、誇りに思っています』と言っていました。

子どもにとっての3年は大人が考える3年よりもはるかに変化が大きいです。
『年頃』と呼ばれる彼女たちが、その年代特有の悩みだけでなく震災によって引き起こされた環境の変化に戸惑いながらも、自分たちがおかれた状況の中で一生懸命3年間を過ごしてきたことでしょう。
成長過程で様々な経験をした彼女たちだからこそ、人に優しく、目的を持って一歩ずつ前へ進んでいくことでしょう。

そして今、大人たちが復旧から復興に向けて必死に取り組んでいることを、たくましく育った次の世代が引き継いでいってくれる。そう考えると未来への希望を持てそうな気がしますし、私たちもまだまだ頑張らなくてはいけないと思います。
ぜひそんな子どもたちを全国の皆様も私たちと一緒に見守っていてほしいと思います。」



旅をはじめて1年半、心のどこかに申し訳なさや、うしろめたい気持ちを持ちつづけている自分たちがいます。
ボランティア仲間が被災地に「里帰り」した報告を聞くと、嬉しい反面ちょっと取り残されていく感覚を抱いてしまうことも。

あの日から3年、今の率直な気持ちを教えてください。

上柳
「復興にはこんなにも時間と忍耐がいるものか、としみじみ思います。」

藤田
「3年経っても海岸に限らずまたまだ形が見えてこないのが現状です。」

萩原
「一言で言うとシンドかった。でも幸せな日々でした。
私は、自家用車を流失しただけで、家も家族も無事だったので書類上は被災者ではありません。それでも、やっぱり今までたくさん泣きました。
人それぞれ個人差はあると思いますが、私は震災当時の事を話すことはとても苦手です。

でも災害ボランティアセンターに関わることが出来て、3年前は顔も名前も知らなかった人たちと出会い、仲間と呼べる人たちに支えられ、本当に幸せな日々でした。
どんな場所でも良い事も悪い事も、人と人との関係からうまれるものです。
誰かに私たちの気持ちを分かってほしくて、でも分かってもらえなくて、泣いて。
でもそれを支えてくれたのもまた、周りにいてくれた人たちでした。
だから、シンドかったけど、幸せです。
そして『行ってらっしゃい』と『お帰りなさい』がこれからも続くことを願っています。」

(*陸前高田市ボランティアセンターでは活動を終えてそれぞれの地元に帰っていくボランティアさんに「さようなら」ではなく「行ってらっしゃい」と送り出し、また来てくれた人には「お帰りなさい」と言って再会を喜んでいました。現在の復興サポートステーションでも思いは引き継がれています。)


「ボランティアなんかしなくてもいいんだ。ほんとはここに来てくれるだけで充分。」
そう話してくれたおじいちゃんの言葉が今でも脳裏に焼きついています。

ボランティアだけが被災地に対してできることのすべてではないと思います。
まずは実際に被災地に行ってみましょう。
被災地はあなたが来ることを待っています。

上柳
「できれば、実際に被災地を訪問して現状や思ったことを発信してほしいです。繋がっているという感覚はほんまに支えになります。
被災地の人達は二度とあの悪夢を繰り返したくないと思っています。ぜひ体験者の話を聞いてほしいです。
東北の海鮮類はほんまに絶品です。ぜひ一度口にしてみてください。」


舩橋
「1年間、24節気72候を意識して暮らしてみたら、本当に暦どおりに
自然が移ろっていました。
胸のすくようなさわやかな風とか、手ですくったら零れ落ちそうな星々とか、
うっとりするくらい艶やかな夕暮れとか、いままで知らなかった。
自分たちの食べるものを自分たちで作る・獲る。
自然を感じながら、呼吸を合わせて、生きる。
そんな中、とてつもなく美しいものに出会うことも。はっ!とします。」


藤田
「高田は海産物が売りです!!
カキ、ホタテ、ワカメ、コンブ、ホヤなど通年通して味わえます。
あと米崎リンゴでしょ!!
オマケにかき小屋広田湾に是非!」


萩原
「陸前高田市にぜひ来てください!
来て見て、感じて、それを持ち帰って、皆さんの周りにいる方々へ伝えてください。
今まで『気にはなるけど、どうしたらいいか分からない』と、何となく時間だけが過ぎてしまった方もいらっしゃるでしょう。
誰かの一言がきっかけで、陸前高田市に興味を持ってくれる方がいるかもしれません。
誰かの一言がきっかけで、また新しいつながりが出来るかもしれません。
仲間が増えることが、一番の心の支えになります。
陸前高田は山と海と川があり、自然豊かなところが良いところ…と、在り来たりな表現ですが、本当にそうだと思います。
そして今は、災前にあったお店が仮設店舗で復活したり、震災前はなかったオシャレなお店ができたり、変化があって面白いです。
被災地だけど自然があり、一生懸命頑張っている人の姿を見ることができる、良い所ですので、ぜひぜひ皆さんいらしてください。」



全国のみなさん、海外にいるわたしたちが言っても説得力がないことは重々承知で言います。
東北へ被災地へ行きましょう!

ボランティアもまだまだ必要とされています。
遺骨が手元に帰ってくることを待ちわびている家族がまだたくさんおられます。
陸前高田市でも毎日人海戦術で遺骨の捜索活動が続けられています。

中日新聞 「遺族に届けたい」陸前高田の遺骨捜索
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140307/CK2014030702000091.html

東北は素晴らしい景色、美味しいグルメ、そしておもてなしの精神にあふれた温かい人たちの宝庫です。

あの日からまだ3年。
被災は現在進行形です。
すべての人たちが笑顔を取り戻すまで、まだまだ気の遠くなるような道のりが残っています。

いままで以上に被災地を応援していきましょう!

写真提供
陸前高田市 まちづくりプラットフォーム
http://rikuzentakata-mpf.org
毎月月命日に陸前高田市の様子をアップしています。
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Comment

私も地震の後、石巻市で数日間だけでしたがボランティアをしました。
どうしても、自分の目で現状を知りたかったからです。
またいつか被災地に行ってみたいなぁと思います。

特別な今日

ケンゾーさん、いくえさんこんにちは。
ケンゾーさん、誰かが陸前高田の写真アップしたり陸前高田の仲間が集う写真には
必ず反応くれるものね。
私もたった2週間だったけど陸前高田で出会った人達との繋がりはいつも特別に感じています。

GWにるい子とまた久しぶりに行こうと思っていて、この記事の情報とっても参考になりました!
まゆゆとじんちゃんも一緒に行けるといいなあ。

ケンゾーさんとも必ず陸高で再会しましょうね!!
それまで、世界でたくさんのものを吸収してきてくださいなっ。

No title

>東北へ被災地へ行きましょう
放射能汚染のことは一言も書かれていませんが
みなさんを現地に誘導して被爆させたいですか?
マスメディアが”風評被害”という言葉で放射能を懸念する人たちに圧力をかけてきた

>東北は素晴らしい景色、美味しいグルメ
食べて応援? 

ありがとうございます

お二人ならではの記事、勉強になりました。読めてよかったです。うまく言えないのですが、本当にどうもありがとうございました。

そよ風さま

コメントありがとうございます。

他人任せで申し訳ないです。
私たちも帰国したら真っ先に「里帰り」したいと思います。

きょこへ

読んでくれてありがとう。
みんなと遠く離れてるけど、ちゃんと気持ちで繋がってるから距離は関係ないよね。

高田で大好きなみんなとまた再会できる日を楽しみにしてるよ!

あさま

たしかにそういう心配もありますよね。
でも、そんな場所で失われた日常を取り戻そうと必死に努力している人たちがいるのも事実です。

京子さま

こちらこそ、記事を読んでいただいてありがとうございます。
ひとりひとりができることは小さな事かもしれないけれど、想いはきっと被災地に届くと信じています。
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