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訪れた国は78カ国
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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


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ビルケナウ収容所 「こころを鍛える」

2014.02.27 06:06|ポーランド☞EDIT
ユダヤ教徒のイスラエル人から迫害を受けているパレスチナ人の家でホームステイ中のイクエです。
そして3人のドイツ人旅行者と同じテーブルでこのブログを書いています。
パレスチナで一番見かける外国人はドイツ人だし、パレスチナを支援している団体もドイツが一番多い気がします。

そして、きょうのブログも前回に引き続きナチスドイツのユダヤ人迫害のことを紹介します。

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ナチスドイツ時代、130万人ものユダヤ人やロマ(ジプシー)、同性愛者や障がい者などを収容したアウシュビッツ強制収容所。
そのうち110万もの人たちがガス室で殺され、焼かれた。

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110万人もの人たちが殺された場所に足を踏み入れると、陰湿な雰囲気、負のオーラのようなものを体全体で感じ、ゾクゾクと寒気を感じるはずだろう。
肩が重く感じるかもしれない。

ここに来る前、そんなことを思っていた。

だけど実際こうやって歩いていると、不思議とそんな重苦しい空気を感じない。
残酷な場所のはずなのに、どうしてだろう。
たしかに展示物を見たり中谷さんの話を聞いてこころは落ち込んでいる。
だけど、この場所に身を置いたからといって本能的に感じる拒絶反応のようなものがまったくないのだ。

いま歩いているこの場所と、残虐な舞台となった場所が一致しない。

そんな自分がもどかしくもあったし、想像力が足りないのかもしれない。

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ガイドの中谷さんが言った。
「もともとここはポーランドの兵舎として使われていました。
ここを歩いていると、まるで大学のキャンパスでも歩いているような気分になりませんか。
両脇にれんが造りの立派な建物が整然と並んでいて、こんなふうに歩くスペースがあって、並木があって。」


「大学のキャンパス」。
ああ、そっか。

その言葉がすっとこころに入った。
友だちとおしゃべりしながら歩いたり、その辺に腰かけて缶コーヒーを片手に読書したり。

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中谷さんは続けた。
「とてもあんな恐ろしいことが行なわれた場所なんて思えないくらいですよね。
でも、これも計算されたものなのでしょう。
この木を見てください。
70年でこの大きさに成長しました。
当時、囚人たちに植えさせたものなんです。」


このきれいに整った雰囲気が残虐性を薄めているのかもしれない。

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ここに来るまでは、ナチスをひっぱっていった人たちはなんてサディストなんだろうと思っていた。
人間が人間を残虐に殺すことに良心の呵責も感じず、大量殺人を楽しんでいるかのようにも思えていた。

だけど彼らはサディストなんかではない。
彼らなりの道理に沿ってそれがよかれと思って行動していたのではないか。

「優秀な自分たちが劣等な人たちを矯正する。矯正も難しいなら処理してあげよう。」

そんな思いがあったのかもしれない。

中谷さんが言う。
「当時のドイツ人たちは、なにも悪いことをしようなんて思ってたわけじゃないと思うんです。
ただ、間違った価値観を選んでしまった結果がこれだったのです。」


当時、このポーランドはドイツに比べると田舎で発展していなかった。
そんな遅れた地域に、先進国のドイツが入り、洗練された場所をつくる。
インフラを整え、先進国であることをアピールする。

「未開の地に開拓民を送ってインフラ整備をする。
いまでも途上国で行なわれていることは、もしかしたら似ているところがあるかもしれませんね。」


この収容所で人道に反したことが行なわれてはいないか、当時収容所に国際団体の調査員が来ることもあったが立派な施設と囚人名簿を照合して「問題なし」と判断したという。

「当時のトイレです。
きれいでしょう。
水洗なんてめずらしかったんですよ。
ドイツの先進ぶりをアピールしたかったのでしょう。」


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「ああいうふうに壁に絵も描いてるんですよ。
まるで保育園なんかで衛生の指導をしているみたいに。
『ドイツ人はきれいにさせる』
そんなふうに見せていますね。
これで調査団も欺かされました。」


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着々と進められた組織的な殺人。
捕らえられる人の数はどんどん増えていき、ついにはアウシュビッツだけでは収容できなくなった。

そこでアウシュビッツから3キロほど離れた場所に第2収容所が建設された。
それがビルケナウ収容所。
アウシュビッツを見た後、シャトルバスでそちらに移動した。
アウシュビッツとは雰囲気が違う。

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電圧を流した有刺鉄線で囲まれた敷地は広大で、東京ドーム37個分の広さ。
300もの建物があり、多いときで9万人が収容されていた。

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収容所には鉄道も引き込まれた。
「効率的に」囚人を運び入れるために。

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窓もない貨物列車に70人も詰め込んだ。
まるで動物を運ぶかのように。
座ることもできなければ、もちろんトイレなんてない。

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ビルケナウ収容所は、壊された建物が多く保存状態は悪い。
だけど、アウシュビッツよりもこちらのほうが生々しく映る。
寒々しさや陰湿さをより感じる。

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収容棟は粗末な木造のほったて小屋。
戦局が悪くなり、収容所の建設に多くの予算をあてられなくなった。

それでもどんどんと増える囚人。
躍起になって簡易な施設をつくり続けなければならなかった。

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こうやって収容所を目にすればするほど、疑問がわいてくる。

「いったいなんのために。」

なんのためにユダヤ人を捕まえ、収容させ、殺さなければならなかったのか。
第二次大戦中、外国と戦うことで手一杯のさなか、なんでナチスドイツはこんな無意味なことを真剣にやっていたのか。

言葉を選ばずあえて書くと、戦争で忙しいさなか、なぜわざわざ収容所をつくり、一生懸命ユダヤ人狩りをし、遠くから貨物で移送し、収容所に職員を配置して運営し、毎日数千人を殺すという作業をおこなっていたのか。

たしかに健康な囚人を労働力としてつかってはいたけれど、ほとんどの人たちは連れてきてすぐに殺したり、狭い場所に閉じ込めていたのだ。

こんな収容や虐殺をしてもドイツのためにはならない。
第二次大戦中、戦争に勝って国を存続させることに財力も人もあてることが先決だったはずなのに、なぜ関係のないこんなことにこれほど固執し力を注いだのか。

その疑問をガイドの中谷さんに正直にぶつけた。

「こんなことをして、ドイツになんのメリットがあったんでしょうか。」

多くの人が命を奪われているのに、「メリット」なんて軽々しく聞こえる言葉を使うべきではないと思ったけれどそれしか思いつかなかった。

こんな基本的なことを聞くのは馬鹿げていて恥ずかしいなとも思ったけど、聞かずにはいられなかった。

中谷さんは少し間をおいて答えた。
「どうしてこんなことをやったのか。
その疑問にきちんと答えている文献はひとつもないと思いますよ。
わからないんです。
たとえば、囚人たちの体を見て労働力になるから生かしておくのか、そのままガス室に送って殺してしまうのかを判断していたのはエリートの医師でした。
その当時のドイツの医師というのは世界でもトップクラスの頭脳の持ち主だったんです。
どうしてそんなに頭がいい人たちがこんなことに加担したんでしょうか。」


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「1929年にアメリカを発端とした世界恐慌が起こり、ヨーロッパにも不況の嵐が押し寄せました。
ドイツも例外ではなかった。
そんな行き詰まった状態から脱出しようとした結果がこうなったんじゃないでしょうか。
ここポーランドに来たのも彼らからしたら「占領」ではなく「経済拡大」だった。
さらに不況のストレスの矛先がユダヤ人に向けられた。
ドイツ人にしてみたら『ユダヤ人を苦しめてやろう』と虐殺をしたのではなくて『ユダヤ人から自分たちが苦しめられているから』だったんでしょうね。」


もともと馬小屋として設計されたものが、収容施設として使われた。
本来、馬50頭を収容する建物に400人の人間が入れられた。

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どうしてナチスは、そんな意味のない残虐なことをやるようになったのだろうか。

「たとえば学校のいじめ。
家庭がちょっと裕福で成績もそれなりによくて不自由してなくて自分に自信があるような子が、ふと何かで負けて劣等感を感じたりした場合にいじめっ子になったりするでしょ。
当時のドイツもそうだったんです。
勢いがあって強かったドイツにかげりが見え始めた、そんな時代に起きたのです。」


中谷さんに案内してもらって3時間近くが経つ。
氷のような雪が時折吹きつける。
マイナス10度くらいだ。
夜にはマイナス20度以下になるだろう。

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手袋を2枚重ねにしているのに、冷たくて麻痺してくる。
大げさに思うかもしれないけど本気で凍傷になるんじゃないかと不安になり、指をこすったり息を吹きかけたりしてみる。

「みなさん、寒さは大丈夫ですか。
我慢し過ぎて体の中から冷えてしまうと、戻すのに苦労しますから。」

中谷さんは寒そうにしているわたしたちを心配してくれる。

この時期のアウシュビッツは寒いだろうね。
ポーランド行きを決める前からケンゾーと心配していた。
吹きっさらしの中、長時間さまようのはつらい。
でも、この時期に行くほうがかえって寒さを実感でき、囚人たちの苦しみが少しでもわかるんじゃないか。
そうも思っていた。

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でも、当時の人たちの寒さはこれとは比べものにならないほどひどかっただろう。

「この写真を見てください。
まわりは今のように雪が積もっています。
こんな薄い囚人服だけで、収容所の建設作業をさせられているんです。」


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つらいのは冬だけではなく、夏は30度を超える暑さで不衛生な環境のなか伝染病も起きていた。

建ち並ぶ木造の小屋。
その一つに中谷さんが入っていった。
さっきのように粗末なベッドが並んでいるのかと思ったら、そこにあったのはくり抜かれたたくさんの穴だった。

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1つのレーンに穴が2列ずつあいていて、それが3レーンある。

それはトイレだった。

みんなで一斉にここに連れてこられて一斉におこなう。
一日2回だけ。
しかも用を足す時間も1回20秒と決められていた。

「こんな恐ろしいことが行なわれていた収容所。
でも忘れてはならないのは民主主義の社会で選ばれた政治家たちが収容所をつくったということです。
だからヒトラーだけを土俵にのせて、悪いことをしたと考えるだけでは不十分です。
その時代に生きていた人たちは『悪いことをしよう』なんて思ってなかった。
人間の求めるものを間違った方法で求めた結果、こうなってしまったんです。」


生きづらい時代だった当時、ヒトラーの出現に国民は歓喜し熱狂的になった。
隣国を攻撃し、占領していった。

「遠い国の過去の話ではありません。
たとえばいまの日本も経済状況が悪くなったそんなとき、もし日本の首相が外国人に暗殺されたら、国民が感情的になって戦争が始まることだってあり得るかもしれませんよ。」


まわりの国に勢力を拡大していったナチスに国民は信頼をおいていった。
そしてナチスはユダヤ人を排除していく政策をますます押し進めていった。

何の罪もない普通の人たちが捕らえられ、収容所へと送られ、虐待され、そして殺されていった。
このとんでもない異常なことが疑問視されることもなく、当然のようにきのうもきょうもあしたも行なわれていった。

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「当時、ナチスの政策に賛成も反対もしなかった傍観者が大勢いました。
そしてその傍観者こそ、最大の後ろ盾になったのです。」


わたしたち人間というのはこんな恐ろしいことに加担してしまう生き物なのだ。

でも正しくないことを正しくないという、本当の意味での「人間らしさ」をどんなときも持っていたい。
それを実現するための方法は簡単には見つからない。
それでもー。

中谷さんは繰り返した。
「だからわたしたちは、メンタルを鍛えていかなければなりません。」

どんなときもぶれないように
どんなときも正しい道を選べるように
大勢に流されないように
傍観者にならないように
声をあげて「違う」と言えるように

こころを鍛えるということ。

過去から学び、見聞を広め、正しい道を選ぶ力を身につけていく。
こころを鍛えることは意識的におこない続けないといけない。

過去を見つめ、人間のおかした過ちに向き合うことはときに苦痛を伴う。
それは簡単なことではない。
そしてがんばったところでそれが本当に意味があるのか不安になる。

そんなこと「自分に関係ない」と割り切り、考えないほうが楽に生きられる。

それでも自分が「人間らしく」生きていきたいから
ほかのどんな人からも「人間」である権利を奪いたくないから

だから、努力してこころを鍛えていく。

このアウシュビッツとビルケナウはこころを鍛える場所なのだ。

中谷さんが言った。
「ここではいろんな国の言葉が飛び交っているんですよ。
世界中からここを訪れる人たちが年々増えているんです。
そのなかにはもちろんユダヤ人たちもいます。
彼らにとってはここに来ることはとてもつらく、みじめな思いをするでしょう。
長い間ここを訪れることができなかった。
それでもようやくここを訪れはじめている。」


彼らは祖先の髪の毛や靴の山を目にし、わたしたちが感じる以上の戦慄を感じるだろう。
ここに来ることはとても恐ろしいことなのだ。

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中谷さんが続ける。
「そしてユダヤ人たちのグループのその隣にはドイツ人の姿が見られることもあります。
ドイツ人にとっては過去の過ちを突きつけられる場所です。
肩身の狭い思いもあるでしょう。
それでも勇気をもってここに来ている。 
ユダヤ人とドイツ人が肩を並べて過去を見つめようとしている。
そういう意味で、ここは和解の場にもなっているんです。」


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こころを鍛える。
それは面倒くさいし、ときに意味のないように思える。
鍛えなくても生きていけるし、そのほうが楽でもある。

それでも、わたしたちはこころを鍛えていかなくてはいけない。
誰もが人間らしく生きていくべきだから。

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【旅 info.】
  アウシュビッツ・ビルケナウ収容所a_DSC_0451_201402262023529dc.jpg
クラクフ駅裏のバスターミナルからバスやミニバスで。
1時間20分から1時間50分。
往復で28ズウォティ。(ミニバスだともっと安いかも)
入場料は無料。
中谷さんにガイドをお願いしたい場合は事前にメールで連絡。
アドレスは「nakataniアットマークwp.pl」
ガイド料金は参加者の人数によって異なる。
中谷さんのガイドツアーは3時間ほど。
敷地は広いので、足早に見て回り時間が足りなかった。
ゆっくり見たり写真を撮ったりしたい人はツアーの前後に個人で見ると良い。
アウシュビッツからビルケナウまで無料のシャトルバスがあるが本数は少ない。
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Comment

ありがとうございます。

イクエさん
ご無沙汰しております。陸前高田でお会いしたくれぱです。
私は今岩手被災地の地元団体で働いています。その中でおかしいなって思うことが多々あります。でもその負の部分に目を向けて真剣に向き合おうとする職員はほぼゼロです。
何を言っても、喧嘩せずに淡々と過ごせればいいんじゃない?という雰囲気です。
でも、それではこれからの復興はいい方向に進んで行かないと思います。おかしいことをおかしいと言えない、自分の意見を主張できない世の中に疑問を感じずにはいられません。

私は彼らのこと、被災地のことを思って、せめて「考えること」を主張し続けますが、正直生き辛い部分もいっぱいあります。
でもイクエさんのブログ読んで、メンタルを鍛えてるんや、人間らしく生きてるんやって思えました。ほんまにありがとうございます。

これからも応援しています!!

No title

この場所を訪れ、肌で感じ、考え、記事にまとめるまで、大変な勇気と
精神エネルギーを使ったのではないでしょうか。
大切な情報を発信してくださってありがとうございます。

壮絶な内容で読むのが辛く、読後のこの気持ちをうまくコメント出来そう
にないですが、平和ボケした私は知ることが出来て良かったと思いました。
遠い国で起こった遠い出来事ではなく、今なお世界のどこかで、
虐殺、人種差別、優遇される命・見捨てられる命があることを
忘れてはいけませんね。

私が子供の頃の平和教育では、非人道的すぎる内容の事にはあまりふれて
いなかった気がしますが、今はもっと教えられていないかもしれませんね。

くれぱ さま

いつもおつかれさまです。

いろんなことに対して考えるのってときにつらいですよね。
無視して考えなくてもその場はしのげる。
でもどうしてもそんなふうに無視できないっていう自分がいる。
そう思う自分を大切にしたいですね。

たいへんでしょうが少しずつ味方をしてくれる人が増えると勇気がでますよね。

こちらこそ応援してますよ。

ゆう さま

こちらこそ長文を読んでいただいてありがとうございます。

子どもたちに残虐な歴史を教えないほうが簡単だけど、人間として生きていく以上、そしていつかは大人になり社会を引っ張っていく立場になる以上、知らなければならない現実がありますよね。
ヨーロッパの歴史教育にくらべると、日本も含めアジアの教育は視野が狭い気がします。

人間はもっともっと成長して人間らしくならなければならないし、世界はもっと平和になってほしいなと思います。

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