フレディー・マーキュリーを生んだ島 ザンジバル
ロンドンオリンピック、きょうは閉会式。
テレビをつけるとイギリスの生んだ偉大なロックグループ「クイーン」の
ボーカル、フレディー・マーキュリーが歌っていた。(会場の大型画面の中だけど)
亡くなってもこうやってオリンピックの閉会式を飾るなんてやっぱり偉大
実は、フレディー・マーキュリーはイギリス生まれではない。
アフリカ大陸のタンザニア、「ザンジバル」の出身。
ザンジバル
異国情緒あふれるこの響き。
ザンジバルは2000年に世界遺産に登録された島。
「フレディー・マーキュリー」「世界遺産」
この単語だけで心ひかれる。
2007年に結婚したケンゾーとイクエは
ハネムーンでザンジバルへ。
沖合40キロのインド洋に浮かぶ島。
タンザニアの首都ダルエスサラームから船で1時間半くらい。

「ストーンタウン」と呼ばれる石造りの古い町並みがお出迎え。
街ごと世界遺産。

高い壁に囲まれ、迷路のように入り組んだ路地。
同じような建物が続くし、壁しか見えないので
どこにいるのかわからなくなる。
「あれ、さっきもここ通ったよね。」
「こっちじゃなかったけ?」
何度か迷子になる。


この島の歴史は複雑。
10世紀ごろ、アラブの商人が船でやってきて住み始めた。
その後、ポルトガルやオマーン、イギリスが次々に支配。
アフリカ、アラブ、ヨーロッパ。
たくさんの文化が混ざり合い、島は独特の雰囲気。
ザンジバルはタンザニアの一部だけれど独自の自治権があって
小さな国家のよう。


アラブ人、アフリカ系黒人、混血・・・
たくさんの人種が混在する島。
タンザニアの本土ではキリスト教や土着の宗教が多いけれど
ザンジバルではほとんどがイスラム教徒。

そんなザンジバルで、ひときわ目立つ建物がある。
イギリスが建てた教会。

この教会が建つ前、ここはある「場所」だった。

アフリカとアラブを結ぶ、貿易の中継地だったザンジバル。
ザンジバルに富をもたらし、繁栄させたものとして、3つのものがある。
ひとつはスパイス。
ザンジバルで栽培される胡椒などの香辛料がここから輸出された。
もうひとつは象牙。
アフリカ大陸から運ばれてくる象牙をアラブに向けて出荷していた。
そして、最後のひとつ。
それが奴隷。
19世紀には、この教会の建つ場所が東アフリカ最大の奴隷市場だった。
アフリカの内陸から年間5万人もの人たちがザンジバルに連れてこられたという。
鎖に繋がれて、品定めされて、競売にかけられ
知らない場所に売り飛ばされた人たち。
教会には、そんな過酷な人たちの様子を伝えるモニュメントが設置してある。


奴隷をぎゅうぎゅうに閉じ込めていた地下室も残されている。

奴隷貿易は1873年に廃止された。
その後、ザンジバルに連れてこられた人たちがいる。
からゆきさん(日本の貧しい農村や漁村から売春のため外国に売られた娘さん)だ。
見知らぬこの島のジャパニーズバーで働かされ、娼婦として過ごした。
日本の地を二度と踏むことなく、亡くなった人も多かったそう。
そんな暗い過去とは対照的に
目の前に広がるのは現実感がわかないほどの美しい光景。
太陽に輝くサンゴ礁の、きめ細かな白浜。
青、緑、白、すべてが溶け合って極上の色を放つ、穏やかな海。


フレディー・マーキュリーの父親はイギリスの政府職員で
当時、イギリス領だったザンジバルで任務に就いていた。
この島で生まれ育ったフレディー少年。
異なる人種の子どもたちと一緒に遊んでいたのかな。


競うように海に飛び込んでは盛り上がる少年たち。

すぐに踊り出す子。


笑顔がかわいい。デベソもご愛嬌。

鮮やかな色彩があふれる島、ザンジバル。
アフリカというより、ここは南国。



豊かな色彩と同じく
この島の文化も色とりどり。
アフリカ、ヨーロッパ、アラブ、ごちゃまぜの様式。
絡み合う宗教や人種。
美しい島、暗い過去。
光と陰。
すべてが混在し、この島を織りなしている。
この特殊な島で生まれ育ったフレディー少年。
だからこそ、スタイルの異なるメロディーが見事に調和した
「ボヘミアンラプソディ」のような
深くて豊かで、バラエティーに富み、陰と陽が共存している名曲を
作りあげることができたのかもしれない。
テレビをつけるとイギリスの生んだ偉大なロックグループ「クイーン」の
ボーカル、フレディー・マーキュリーが歌っていた。(会場の大型画面の中だけど)
亡くなってもこうやってオリンピックの閉会式を飾るなんてやっぱり偉大

実は、フレディー・マーキュリーはイギリス生まれではない。
アフリカ大陸のタンザニア、「ザンジバル」の出身。
ザンジバル
異国情緒あふれるこの響き。
ザンジバルは2000年に世界遺産に登録された島。
「フレディー・マーキュリー」「世界遺産」
この単語だけで心ひかれる。
2007年に結婚したケンゾーとイクエは
ハネムーンでザンジバルへ。
沖合40キロのインド洋に浮かぶ島。
タンザニアの首都ダルエスサラームから船で1時間半くらい。

「ストーンタウン」と呼ばれる石造りの古い町並みがお出迎え。
街ごと世界遺産。

高い壁に囲まれ、迷路のように入り組んだ路地。
同じような建物が続くし、壁しか見えないので
どこにいるのかわからなくなる。
「あれ、さっきもここ通ったよね。」
「こっちじゃなかったけ?」
何度か迷子になる。


この島の歴史は複雑。
10世紀ごろ、アラブの商人が船でやってきて住み始めた。
その後、ポルトガルやオマーン、イギリスが次々に支配。
アフリカ、アラブ、ヨーロッパ。
たくさんの文化が混ざり合い、島は独特の雰囲気。
ザンジバルはタンザニアの一部だけれど独自の自治権があって
小さな国家のよう。


アラブ人、アフリカ系黒人、混血・・・
たくさんの人種が混在する島。
タンザニアの本土ではキリスト教や土着の宗教が多いけれど
ザンジバルではほとんどがイスラム教徒。

そんなザンジバルで、ひときわ目立つ建物がある。
イギリスが建てた教会。

この教会が建つ前、ここはある「場所」だった。

アフリカとアラブを結ぶ、貿易の中継地だったザンジバル。
ザンジバルに富をもたらし、繁栄させたものとして、3つのものがある。
ひとつはスパイス。
ザンジバルで栽培される胡椒などの香辛料がここから輸出された。
もうひとつは象牙。
アフリカ大陸から運ばれてくる象牙をアラブに向けて出荷していた。
そして、最後のひとつ。
それが奴隷。
19世紀には、この教会の建つ場所が東アフリカ最大の奴隷市場だった。
アフリカの内陸から年間5万人もの人たちがザンジバルに連れてこられたという。
鎖に繋がれて、品定めされて、競売にかけられ
知らない場所に売り飛ばされた人たち。
教会には、そんな過酷な人たちの様子を伝えるモニュメントが設置してある。


奴隷をぎゅうぎゅうに閉じ込めていた地下室も残されている。

奴隷貿易は1873年に廃止された。
その後、ザンジバルに連れてこられた人たちがいる。
からゆきさん(日本の貧しい農村や漁村から売春のため外国に売られた娘さん)だ。
見知らぬこの島のジャパニーズバーで働かされ、娼婦として過ごした。
日本の地を二度と踏むことなく、亡くなった人も多かったそう。
そんな暗い過去とは対照的に
目の前に広がるのは現実感がわかないほどの美しい光景。
太陽に輝くサンゴ礁の、きめ細かな白浜。
青、緑、白、すべてが溶け合って極上の色を放つ、穏やかな海。


フレディー・マーキュリーの父親はイギリスの政府職員で
当時、イギリス領だったザンジバルで任務に就いていた。
この島で生まれ育ったフレディー少年。
異なる人種の子どもたちと一緒に遊んでいたのかな。


競うように海に飛び込んでは盛り上がる少年たち。

すぐに踊り出す子。


笑顔がかわいい。デベソもご愛嬌。

鮮やかな色彩があふれる島、ザンジバル。
アフリカというより、ここは南国。



豊かな色彩と同じく
この島の文化も色とりどり。
アフリカ、ヨーロッパ、アラブ、ごちゃまぜの様式。
絡み合う宗教や人種。
美しい島、暗い過去。
光と陰。
すべてが混在し、この島を織りなしている。
この特殊な島で生まれ育ったフレディー少年。
だからこそ、スタイルの異なるメロディーが見事に調和した
「ボヘミアンラプソディ」のような
深くて豊かで、バラエティーに富み、陰と陽が共存している名曲を
作りあげることができたのかもしれない。