その街を好きになる理由
またまた髪が伸びてきたのでそろそろイクエに切ってもらおうかなあと思っているケンゾーです。
もう短くさっぱりなればなんでもいいや。
予想外に楽しめたイスタラフシャン。
とくにこれといった観光スポットはないんだけど、人が素朴で優しくていい街だなあと感じた。
そして宿も快適だった。
きのうの夜は肉やウォッカやメロンの大盤振る舞いだったけれど、今朝も宿のオーナーらしき別の男性がお茶やコーヒーやフルーツを次から次に差し入れてくれる。

きょうは首都のドゥシャンベまで移動する。
オーナーに車の手配をお願いしようと、オーナ—の居場所を捜索。
同じフロアにあるオーナーの部屋に入ってみてビックリ!
めちゃくちゃ広くて豪華やん!
カウンターキッチンまであるし。


んん!?部屋の奥にあやしい物体があるぞ。
なんで馬!?

なんでもオーナーの家は元々鍛冶屋さんだったそう。
これはオーナーが子供の頃の家業の様子を再現したものなんだって。
ちなみに鉄を打っている後ろで手でふいごを操作しているのが子供のときのオーナーだそうだ。
ビジネスで成功しても初心を忘れないようにってことなのかな。

優しいオーナーにドゥシャンベまで行きたいと言うと、わざわざバザールそばの乗合いワゴンの溜まり場までいっしょに行ってくれることに。

事前に安ければひとり60ソモニ(約1200円)で行けると調べていたので、オーナーにそのくらいで乗れないかなあと相談していた。
オーナーはドゥシャンベまで行く車を見つけてドライバーと値段交渉までしてくれた。
「ひとり60ソモニでいいから。
それ以上は払わなくていいよ」
ロシア語だからよく分からないけど、きっとそんなことを言ってくれてるんだと思う。
そしてドライバーにさりげなくお金を渡していた。
ほんとうは料金はもっと高くて、予算オーバーな部分をオーナーが払ってくれたのかもしれない。
そして「眺めのいいところでは車をとめて写真を撮らせてあげて」ということまでドライバーに伝えている。
さらに暑いなか客がそろって出発するまで車の横で1時間以上も待っててくれた。
その優しさが身にしみる。
たった1日しか滞在しなかったけど大好きな街になったな、イスタラフシャン。

イタリア語のロンプラによると、ここイスタラフシャンからドゥシャンベまでのM34というハイウェイは、3000mオーバーの峠を越えるルートでとても景色がいいそう。
イタリア語なので詳しくは分からないけど。

イタリア語といえば、ケンゾーが通った高校では選択授業というものがあり、書道・美術・音楽の中から1つを選ばないといけなかった。
ちなみに男子校で生徒数2800人のマンモス校だったんだよね。
2800人全部男って、今思うとかなりキモいね。
ケンゾーは音楽を選択したんだけど(選ぶときは地獄の一年間が待ってるなんて知らなかった。その話はまたいつか。)、殴られながら憶えた原語の「帰れソレントへ」はいまだにそらで歌えるなあ。
そんなどうでもいい話はおいといて、いざドゥシャンベへ。
途中ドライバーや同乗している人たちが「フォト、フォト」と言って車を降りる。
きれいな景色の撮影ポイントでもあるのかなと思ったら、わけの分かんない像だった。
国旗をたくさん掲げているのでなにか有名な像なんだろうけど、う〜んどうでもいい。
でも、その気遣いがうれしいね。


ふたたび走り出した車はどんどん山を登っていく。
最近できたと思われるトンネルにさしかかった。
よく見ると中国語の名前表記が。
このトンネルは中国資本で建設されたものらしい。
そういえばタジキスタンに入ったとたん、中国製の車やトラック、看板などをよく目にするようになった。
タジキスタンの隣は中国なんだよなあ。
西回りの旅のはずが、完全に逆走中だな。


車は山々の間を縫うように崖っぷちの道を走っていく。
緑は少ないけれど、青い空と澄んだ空気が気持ちがいい。


ところがここにきて車の調子が悪くなってきた。
何度もボンネットを開けて何やらいじくっている。

走るぶんにはそんなに問題はないようだけど、セルが壊れてしまったみたいで一度止まるとエンジンが掛からなくなってしまったようだ。
なので止まったあとは走り掛け。
寄り道するたびに必死に車を押す男たち。






途中、建設中なのか老朽化して古いものなのかわからないトンネルを通る。
トンネル内には電気もないし、天井や壁は出来損ないなのか崩れかけなのかわからないくらいボロボロ。
上から水が雨のように滴り落ちている。
路面はボコボコで、いくつもの水たまり。
さらに埃が舞い上がっていて見通しも悪い。
こんなところで車が止まったら・・・。
車に乗っているみんなは同じことを思っているようで、車内は沈黙で包まれている。
何キロも続く悪魔のトンネル。
とても長く感じる。

ようやくトンネルを脱出でき、みんなでひと安心。
峠を越えて下っていくとヴァルゾフ渓谷が見えてくる。
川沿いにはいくつもの別荘やホテルが建ち並んでいる。
タジキスタン有数の避暑地として人気のようだ。
大統領の立派な別荘もあった。


ケンゾーはこの河原で写真を撮るときにこけてしまった。
手に持っていたカメラを岩で強打。
なんとか壊れずにすんだけど液晶にざっくり傷がついてしまった。
1時間くらいテンションだだ下がり。
およそ5時間のドライブでドゥシャンベに到着。
オーナーが「ホテルまで送り届けてあげて」って頼んでくれてたのでお目当ての宿の近くで降ろしてもらうことができて助かった。
歩き出して後ろを振り返ると・・・
やっぱりね(笑)
もう短くさっぱりなればなんでもいいや。
予想外に楽しめたイスタラフシャン。
とくにこれといった観光スポットはないんだけど、人が素朴で優しくていい街だなあと感じた。
そして宿も快適だった。
きのうの夜は肉やウォッカやメロンの大盤振る舞いだったけれど、今朝も宿のオーナーらしき別の男性がお茶やコーヒーやフルーツを次から次に差し入れてくれる。

きょうは首都のドゥシャンベまで移動する。
オーナーに車の手配をお願いしようと、オーナ—の居場所を捜索。
同じフロアにあるオーナーの部屋に入ってみてビックリ!
めちゃくちゃ広くて豪華やん!
カウンターキッチンまであるし。


んん!?部屋の奥にあやしい物体があるぞ。
なんで馬!?

なんでもオーナーの家は元々鍛冶屋さんだったそう。
これはオーナーが子供の頃の家業の様子を再現したものなんだって。
ちなみに鉄を打っている後ろで手でふいごを操作しているのが子供のときのオーナーだそうだ。
ビジネスで成功しても初心を忘れないようにってことなのかな。

優しいオーナーにドゥシャンベまで行きたいと言うと、わざわざバザールそばの乗合いワゴンの溜まり場までいっしょに行ってくれることに。

事前に安ければひとり60ソモニ(約1200円)で行けると調べていたので、オーナーにそのくらいで乗れないかなあと相談していた。
オーナーはドゥシャンベまで行く車を見つけてドライバーと値段交渉までしてくれた。
「ひとり60ソモニでいいから。
それ以上は払わなくていいよ」
ロシア語だからよく分からないけど、きっとそんなことを言ってくれてるんだと思う。
そしてドライバーにさりげなくお金を渡していた。
ほんとうは料金はもっと高くて、予算オーバーな部分をオーナーが払ってくれたのかもしれない。
そして「眺めのいいところでは車をとめて写真を撮らせてあげて」ということまでドライバーに伝えている。
さらに暑いなか客がそろって出発するまで車の横で1時間以上も待っててくれた。
その優しさが身にしみる。
たった1日しか滞在しなかったけど大好きな街になったな、イスタラフシャン。

イタリア語のロンプラによると、ここイスタラフシャンからドゥシャンベまでのM34というハイウェイは、3000mオーバーの峠を越えるルートでとても景色がいいそう。
イタリア語なので詳しくは分からないけど。

イタリア語といえば、ケンゾーが通った高校では選択授業というものがあり、書道・美術・音楽の中から1つを選ばないといけなかった。
ちなみに男子校で生徒数2800人のマンモス校だったんだよね。
2800人全部男って、今思うとかなりキモいね。
ケンゾーは音楽を選択したんだけど(選ぶときは地獄の一年間が待ってるなんて知らなかった。その話はまたいつか。)、殴られながら憶えた原語の「帰れソレントへ」はいまだにそらで歌えるなあ。
そんなどうでもいい話はおいといて、いざドゥシャンベへ。
途中ドライバーや同乗している人たちが「フォト、フォト」と言って車を降りる。
きれいな景色の撮影ポイントでもあるのかなと思ったら、わけの分かんない像だった。
国旗をたくさん掲げているのでなにか有名な像なんだろうけど、う〜んどうでもいい。
でも、その気遣いがうれしいね。


ふたたび走り出した車はどんどん山を登っていく。
最近できたと思われるトンネルにさしかかった。
よく見ると中国語の名前表記が。
このトンネルは中国資本で建設されたものらしい。
そういえばタジキスタンに入ったとたん、中国製の車やトラック、看板などをよく目にするようになった。
タジキスタンの隣は中国なんだよなあ。
西回りの旅のはずが、完全に逆走中だな。


車は山々の間を縫うように崖っぷちの道を走っていく。
緑は少ないけれど、青い空と澄んだ空気が気持ちがいい。


ところがここにきて車の調子が悪くなってきた。
何度もボンネットを開けて何やらいじくっている。

走るぶんにはそんなに問題はないようだけど、セルが壊れてしまったみたいで一度止まるとエンジンが掛からなくなってしまったようだ。
なので止まったあとは走り掛け。
寄り道するたびに必死に車を押す男たち。






途中、建設中なのか老朽化して古いものなのかわからないトンネルを通る。
トンネル内には電気もないし、天井や壁は出来損ないなのか崩れかけなのかわからないくらいボロボロ。
上から水が雨のように滴り落ちている。
路面はボコボコで、いくつもの水たまり。
さらに埃が舞い上がっていて見通しも悪い。
こんなところで車が止まったら・・・。
車に乗っているみんなは同じことを思っているようで、車内は沈黙で包まれている。
何キロも続く悪魔のトンネル。
とても長く感じる。

ようやくトンネルを脱出でき、みんなでひと安心。
峠を越えて下っていくとヴァルゾフ渓谷が見えてくる。
川沿いにはいくつもの別荘やホテルが建ち並んでいる。
タジキスタン有数の避暑地として人気のようだ。
大統領の立派な別荘もあった。


ケンゾーはこの河原で写真を撮るときにこけてしまった。
手に持っていたカメラを岩で強打。
なんとか壊れずにすんだけど液晶にざっくり傷がついてしまった。
1時間くらいテンションだだ下がり。
およそ5時間のドライブでドゥシャンベに到着。
オーナーが「ホテルまで送り届けてあげて」って頼んでくれてたのでお目当ての宿の近くで降ろしてもらうことができて助かった。
歩き出して後ろを振り返ると・・・
やっぱりね(笑)
