ウズベキスタン「ブハラ」☆☆ 見事に復活した街
トイレの中に入ろうとしたら突然ドアの幅がギュン!って狭くなって体が挟まれた夢を見て、夜中に「イテー!!」と大声を上げて飛び起きたケンゾーです。
イクエに「どうしたと!?」とほっぺたをたたかれました。
古代より中央アジアの文化的中心地として、さらにシルクロードにおける重要なオアシス都市として栄えてきたブハラ。
しかし1220年、繁栄は突然終わりを迎える。
モンゴル帝国のチンギス・ハーンによって中央アジア、とくにサマルカンドとブハラは徹底的に破壊しつくされたのだ。
今見ることができるブハラの街並みは、再び活気を取り戻した16世紀に作り上げられたもの。
その時代からほとんど変わっていないそうだ。

まずは歴代のブハラのハン(王)の居城だったアルク城へ。
最初の築城がいつなのかは定かではないけれど、チンギス・ハーンはもちろん、外敵によって幾度となく破壊されては建て直すことを繰り返してきたそうだ。
今残っている城は18世紀に建てられたもの。
なんだかかなりシンプルだ。

城の中にモスクもある。
一見して今まで見てきたモスクとは違っている。
木造なのだ。

色鮮やかな幾何学模様の装飾、アラビア文字のカリグラフィー。
これらが木材と見事にコラボレーションしている。
こんなの見たことない。
モスクじゃないみたい、不思議だ。


この窓なんかまんま日本のお寺だよ。
東洋と西洋が行き交ってきたシルクロードらしいモスクだ。

さらにこれはハン専用のバラハウズ・モスク。
こちらも木がふんだんに使われている。

いままでのモスク=タイル張りという常識が吹き飛んでしまった。
でもちゃんと木材に緻密な彫刻が施され、鮮やかに塗り上げられている。


このドーム状の建物は「タキ」といって、通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール。
中では日用品からお土産屋までたくさんの店が軒を連ねている。


イクエとおかんもお土産を物色。
ブハラは刃物が有名。
とくにコウノトリのデザインのハサミはお土産に大人気。
デザインだけじゃなくて切れ味も抜群。
薄い鉄板も切れるんだって。

商品はすべて手作り。
この店の窯はポットの形をしててかわいかった。
ハクション大魔王がでてきそう。

そしてこれがブハラのシンボル、カラーン・モスクとミナレット。
カラーンとはタジク語で「大きい」という意味。
このミナレットは高さが46mあり、文字通りブハラで一番大きい。


茶色一色で簡素に見えるけれど、近づいてよく見るとレンガを組み上げて装飾していることが分かる。
壁面を覆い尽くしている幾通りもの幾何学模様。
作った人の執念を感じる。


このミナレットは1127年に建てられ、チンギス・ハーンにも破壊されず今もなおブハラの街を見守り続けている。
まさにブハラのシンボルだ。

カラーン・モスクの中に入ると、名前のとおり広大な中庭が広がっている。
約1ヘクタールあり、1万人の信者がここで礼拝を行うことができるそうだ。



カラーン・モスクの前にあるミル・アラブ・メドレセ。
旧ソ連時代にも活動を許されていた数少ない神学校のうちのひとつ。
現在も試験で選ばれた学生が住み込みで勉強している。

こちらはミル・アラブ・メドレセの100年以上後に建てられたアヴドゥールアジス・ハン・メドレセ。
装飾がガラッと変化している。
よりカラフルに、より立体的に。
イスラム建築も時代によって変化していったんだね。



最後はイスラムのタブーを犯したナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。

なにがタブーかというと、正面のこの絵。
偶像崇拝禁止のイスラムなのに、白い鹿(ブタにしか見えんけど)をつかんだ鳳凰と、極めつけは太陽に顔がある!
作った人は度胸があるね。
予想に反してハン(王)はこれを気に入ったらしい。

さて、チンギス・ハーンの破壊から見事な復活を遂げた「ブハラ」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
ヒヴァよりもザ・観光地っていう雰囲気だけど見どころは多い。
ほかにも中央アジア最古のイスラム建築、イスマイール・サーマーニ廟や・・・

4本のミナレットが特徴的なチョル・ミナル、なんかもある。

スケールの大きさやクオリティの高さはヒヴァよりも上なんじゃないかな。


でも街の雰囲気はヒヴァのほうが好き。
ブハラは夜になると騒がしい。
街の中心にあるラビハウズという池の周りは趣味の悪いネオンでライトアップされ、深夜まで大音量で音楽が流れている。
のんびりするならヒヴァのほうがいい。
そうそう、ヒヴァもブハラも6、7月はできるなら避けたほうがいいよ。
めちゃくちゃ暑いから!
ケンゾーたちが行ったのは一年で一番暑い7月後半。
もう意識が飛んでいきそうになるくらい暑い。
観光客で混むかもしれないけど涼しい季節をおすすめします。
イクエに「どうしたと!?」とほっぺたをたたかれました。
古代より中央アジアの文化的中心地として、さらにシルクロードにおける重要なオアシス都市として栄えてきたブハラ。
しかし1220年、繁栄は突然終わりを迎える。
モンゴル帝国のチンギス・ハーンによって中央アジア、とくにサマルカンドとブハラは徹底的に破壊しつくされたのだ。
今見ることができるブハラの街並みは、再び活気を取り戻した16世紀に作り上げられたもの。
その時代からほとんど変わっていないそうだ。

まずは歴代のブハラのハン(王)の居城だったアルク城へ。
最初の築城がいつなのかは定かではないけれど、チンギス・ハーンはもちろん、外敵によって幾度となく破壊されては建て直すことを繰り返してきたそうだ。
今残っている城は18世紀に建てられたもの。
なんだかかなりシンプルだ。

城の中にモスクもある。
一見して今まで見てきたモスクとは違っている。
木造なのだ。

色鮮やかな幾何学模様の装飾、アラビア文字のカリグラフィー。
これらが木材と見事にコラボレーションしている。
こんなの見たことない。
モスクじゃないみたい、不思議だ。


この窓なんかまんま日本のお寺だよ。
東洋と西洋が行き交ってきたシルクロードらしいモスクだ。

さらにこれはハン専用のバラハウズ・モスク。
こちらも木がふんだんに使われている。

いままでのモスク=タイル張りという常識が吹き飛んでしまった。
でもちゃんと木材に緻密な彫刻が施され、鮮やかに塗り上げられている。


このドーム状の建物は「タキ」といって、通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール。
中では日用品からお土産屋までたくさんの店が軒を連ねている。


イクエとおかんもお土産を物色。
ブハラは刃物が有名。
とくにコウノトリのデザインのハサミはお土産に大人気。
デザインだけじゃなくて切れ味も抜群。
薄い鉄板も切れるんだって。

商品はすべて手作り。
この店の窯はポットの形をしててかわいかった。
ハクション大魔王がでてきそう。

そしてこれがブハラのシンボル、カラーン・モスクとミナレット。
カラーンとはタジク語で「大きい」という意味。
このミナレットは高さが46mあり、文字通りブハラで一番大きい。


茶色一色で簡素に見えるけれど、近づいてよく見るとレンガを組み上げて装飾していることが分かる。
壁面を覆い尽くしている幾通りもの幾何学模様。
作った人の執念を感じる。


このミナレットは1127年に建てられ、チンギス・ハーンにも破壊されず今もなおブハラの街を見守り続けている。
まさにブハラのシンボルだ。

カラーン・モスクの中に入ると、名前のとおり広大な中庭が広がっている。
約1ヘクタールあり、1万人の信者がここで礼拝を行うことができるそうだ。



カラーン・モスクの前にあるミル・アラブ・メドレセ。
旧ソ連時代にも活動を許されていた数少ない神学校のうちのひとつ。
現在も試験で選ばれた学生が住み込みで勉強している。

こちらはミル・アラブ・メドレセの100年以上後に建てられたアヴドゥールアジス・ハン・メドレセ。
装飾がガラッと変化している。
よりカラフルに、より立体的に。
イスラム建築も時代によって変化していったんだね。



最後はイスラムのタブーを犯したナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。

なにがタブーかというと、正面のこの絵。
偶像崇拝禁止のイスラムなのに、白い鹿(ブタにしか見えんけど)をつかんだ鳳凰と、極めつけは太陽に顔がある!
作った人は度胸があるね。
予想に反してハン(王)はこれを気に入ったらしい。

さて、チンギス・ハーンの破壊から見事な復活を遂げた「ブハラ」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
ヒヴァよりもザ・観光地っていう雰囲気だけど見どころは多い。
ほかにも中央アジア最古のイスラム建築、イスマイール・サーマーニ廟や・・・

4本のミナレットが特徴的なチョル・ミナル、なんかもある。

スケールの大きさやクオリティの高さはヒヴァよりも上なんじゃないかな。


でも街の雰囲気はヒヴァのほうが好き。
ブハラは夜になると騒がしい。
街の中心にあるラビハウズという池の周りは趣味の悪いネオンでライトアップされ、深夜まで大音量で音楽が流れている。
のんびりするならヒヴァのほうがいい。
そうそう、ヒヴァもブハラも6、7月はできるなら避けたほうがいいよ。
めちゃくちゃ暑いから!
ケンゾーたちが行ったのは一年で一番暑い7月後半。
もう意識が飛んでいきそうになるくらい暑い。
観光客で混むかもしれないけど涼しい季節をおすすめします。