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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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熊本地震から2か月 あの日を振り返る

2016.06.19 06:06|世界からのメッセージ☞EDIT
熊本の南阿蘇の実家でこれを書いているイクエです。
実家って言っても、今までの家は被災しちゃったから仮住まい。
でも、南阿蘇の風景と家族の団らんにはやっぱり心が落ちつきます。

熊本地震から2か月が経ちました。

もう2か月経つけれど南阿蘇の場合、仮設住宅もまだ完成していません。
観光業が盛んな場所だけれど、道路も寸断されていて、観光客は来てくれません。
ペンションやレストランの再開の見通しも立たず、生計が立てられない家族もたくさんいます。

イクエの家族は仮住まいの生活とはいえ、少しは落ちついてきました。
それでも水は出ません。
水の復旧のメドはまったく立っていません。
いつも水汲みに行くし、トイレは流せず大変です。
食器は外の給水所までカゴに入れて抱えて持っていき、洗っています。
お風呂は村の入浴施設に毎晩通っています。

2か月が経ったけど、いろんな支援はまだ必要で、被災していない人にも被災地のことをまだまだ忘れないでほしいなあというのが切実な願いです。

きょうは、地震当日のことを書こうと思います。
これから書くことで、教訓めいたものがひとつでもあり、それがもし今後の誰かのためになるなら光栄です。

4月14日午後9時半。
わたしとケンゾーは福岡市のマンションにいました。

突然、携帯から大音量が鳴りました。
「地震です。
 地震です。」

テーブルの下にすぐに潜れる体勢にしました。
数秒後、大きな揺れに襲われました。
けっこう長く揺れたように感じました。

けれど我が家のものは何も倒れませんでした。

テレビをつけると、震源地は熊本で、熊本のひどい様子が映し出されました。
熊本の家族が心配ですぐにでも電話をしたかったのですが、「もし電話をしているときに余震でもあったら」と思い、しばらく待つことにしました。
とにかく無茶をせず安全な場所で余震が収まるのを待っていてほしいと思いました。

少し時間をあけて実家に電話をすると、「こっちは揺れたけど大丈夫だった。棚の上に置いていた木の小さな置物が落ちたくらい。」と母が話しました。

とは言え、小学1年生になったばかりの甥っ子は、恐怖からか2度ほど吐いたということでした。

次の日、ケンゾーは仕事が入っていませんでした。
(ちなみにケンゾーは旅行前と同様、帰国後もテレビカメラマンの仕事をしています。)

けれど地震の取材で呼び出される可能性があるので「土日も予定を入れずに自宅待機していてください」と言われていました。

夕方になり、東京の局の朝の情報番組のスタッフから連絡が入りました。
あす、東京からリポーターやディレクターが熊本入りするので、熊本空港で落ち合って地震の取材をしてくださいとの依頼でした。

地震で高速道路は通行止め。
熊本は大渋滞しているので、朝イチで熊本空港で落ち合うには今日中に福岡を出たほうがいいと思い、わたしたちは南阿蘇の実家に泊まることにしました。

福岡を出たのが午後5時ごろ。
普段は高速道路を使えば2時間弱で行ける距離ですが、渋滞していて実家に着いたのは午後10時前でした。

実家は何の被害も受けていませんでした。
ただ、きのうの夜はみんなあまり眠れず睡眠不足だったので、わたしたちが到着したときは母以外は全員寝ていました。

母もわたしたちに夕食を準備すると「眠いから先に寝とくね」と言って2階に上がっていきました。
そのあとお風呂に入ったりして、わたしが布団に入ったのは12時くらいだったと思います。

それから1時間半後です。

突然、体験したことのない大きな揺れに襲われました。

「地震のときは机の下に隠れる」「建物から離れる」などと言われますが、はっきりいって人間、あんな大きな揺れに突然襲われたら、体が固まってただただじっとすることしかできません。
「お願いだから、早く揺れが収まって!」そう祈りながら、布団の上でじっと耐えます。

机の下に潜ることができるのは、それほど大きな揺れではないときだと思います。
わたしは震度6弱だった福岡県西方沖地震を体験しましたが、そのときは机の下に潜ることができました。
でも今回は無理です。
これほど揺れるなか、歩くことはおろか立つこともできません。
もし立ち上がっていたら自分の体を支えることができず、すぐに転倒して、骨折でもしてたんじゃないかと思います。

だから強い揺れのときは「机の下に潜る」ではなく、現実的には「その場にしゃがみこんで、すぐ手に取れるその辺の物で頭を覆うか、うつむいて頭を守る」ことぐらいしかできないでしょう。

「もし地震に襲われたらとっさにどうするか」というのは誰もが考えることかもしれませんが、踏み込んで具体的に考えておかないといけないと思いました。

今回は多くの人が寝ている時間帯で、おそらくほとんどの人たちは布団の上で布団をかぶってじっとするしかできなかったと思います。
けれど、姪の友人のお父さんは入浴中でした。

一軒家のお風呂場を想像してください。
浴槽のすぐ近くに窓があり、鏡もあり、出入り口のドアはガラスです。
我が家のお風呂場はガラス製のドアが外れて浴槽のほうに倒れていました。
そのお父さんは体にたくさん切り傷を負いました。
お風呂場は焦ってしまうと滑りやすいし、閉ざされた空間だし、服も着ていないので非常に危険なところだと初めて気づきました。

「もし入浴中に被災したら」。
最善の策が何かはわかりませんが、「とにかく浴槽に体をうずめて蓋をかぶり、栓を抜く」ことかなあという結論に家族と至りました。
でもこれだと子どもやお年寄りは水を飲んで溺れてしまうかもしれません。

ほかにも「車を運転しているときに地震がきたらどうするか」とか「夫は仕事、自分は自宅、子どもが学校にいるときに地震がきたらどうするか、連絡の取り方、落ち合う場所を決めておこう」とかシミュレーションしておかなければなりません。

地震では、「孤立する恐れがある」ということも考えておく必要があります。
南阿蘇の場合、高台に家がある人は斜面が崩れて下の道路へと逃げられなくなりました。
また、いたるところで道路が陥没したり橋が崩れたりして、道路が寸断されて孤立した地域もあります。
当座をしのぐ、水や食べ物などの備蓄はやはり必要です。
カセットコンロがあれば重宝します。
温かいものを口にすることができます。

わたしたちが大地震に襲われたとき、携帯電話の緊急地震速報は役に立ちませんでした。
揺れたあとに地震速報が鳴りました。

緊急地震速報は、震源地の近くの地震計が地震波をキャッチしてから出されます。
揺れというのは、波紋のようにタイムラグがあります。
震源地から遠くになればなるほど遅く伝わってきます。
地震を感知してから鳴る緊急地震速報は、震源地に近いところだとかえって速報のほうが遅く、離れている場所であれば揺れが伝わってくる前に地震が押し寄せてくることを前もって伝えてくれるようになっています。
だから前震のとき、わたしとケンゾーは福岡にいたので、地震速報が鳴ってから地震発生までに10秒くらい猶予があり、机に潜ることができました。
今回は全然間に合いませんでした。

被災すると電気もつきません。
日中に起きた場合はまだ明るいけれど、夜だと真っ暗です。
さらに、まわりの家具が倒れていたり、物が落ちていたりして室内はぐちゃぐちゃ。
慣れ親しんだ光景とはまったく別の光景になっています。
どうなっているのか、何がどこにあるのかわかりません。
逃げ道を見つけだして家から出ないといけませんが、床は足の踏み場がないほど物で溢れています。
家具のほか、食器や本。
窓ガラスや天井のランプシェードが破損し、ガラスも散らばっています。
うちの家族は逃げるとき誰も懐中電灯をもっていませんでした。
いつも棚の中に入れているけれど、寝ていた場所からは離れていました。
懐中電灯を入れた棚が倒れていたり、引き出しが飛び出して中のものが床に散らばって見つけだせないこともあります。
だから、枕元に懐中電灯を常に置いておかなければならないと思いました。

そしてもうひとつ、置いていたほうがいいもの。
それはスリッパか厚手の靴下です。
大きな地震が起きれば、先ほど述べたように床はいろんなもので埋め尽くされます。
家具やガラスの破片。
ときには家具に行く手を阻まれて、倒れて折れた家具の上をまたいで行かないといけません。
ふすまやドアも外れて倒れているので、歩くときにそれを踏むことになります。
玄関までたどり着けても、靴が履けるかはわかりません。
我が家は玄関も、靴箱に置いていたものなどが倒れてぐちゃぐちゃになっていました。

あと必要なのは、連絡や助けを求めるための携帯電話でしょうか。

けれど、問題があります。
地震でいろんなものが倒れたり落ちたりして、部屋はぐちゃぐちゃになります。
枕元に置いていたとしてもそれが移動したり上に何かが倒れたりして見つからないのです。
じゃあどこに置けばいいかと言われると困りますが、厚手の靴下なら枕カバーの中に入れていてもいいかもしれません。

必要なものを重いタンスや引き出しの中に入れておくのはお勧めできません。
家具は背面を壁に付けて置いているので、通常、地震で転倒したときは表の出し口部分が床側に倒れます。
タンスや引き出しの出し口部分が下になって倒れてしまったら、それを起こさないと中のものがとれません。

ここまで地震発生直後のことを書きました。
揺れを感じてわたしたちはどうしたのか。
そして、そこで感じた教訓。

今回は長くなったので、次回書きたいと思います。

きょうも最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(世界旅行出発日 2012年9月撮影 被災前の実家)
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Comment

東日本大震災を経験した身として、スリッパや厚手の靴下わかります。
物が散乱するし、ガラスが割れたりするから、危ないんですよね。。
いつもはスリッパなど使わないんですが、被災中は手放せなかった事を思い出しました。

お二人のブログは、もう長い間毎日読み続けてきて、コメントもしたことあります。
でも、帰国する時や、震災直後など、コメントしそびれていて、やっとできました。
これからも、熊本のことや、もちろん残りの世界一周のことも、発信して頂けるのを楽しみにしています。

No title

生死に関わる 貴重な体験 を書いていただき参考に
なります。 関東大震災を体験したひとに聞いた話があります(茨城県)
東京から 50k圏内。 農家のあ婆さんでしたが 揺れがすごく 庭鶏 が
立っていられなかったそうです。一週間前ぐらい「竹山」でねたそうです。
今日本全体が危険地帯です。イクエさんの体験を活かします。

仙台っ子さま

東北もほんとうに大変でしたよね。
地震直後にも仕事で仙台に何度か行って、滞在していました。
最初は被災した仙台駅の建物にカバーがかけられていたけど、それが少しずつ取れていってうれしかったのを覚えています。
被災してもなお、がんばって営業を続けている笹かま屋さんも取材しました(ゆりあげの「ささなお」さんです)。

震災の年の七夕祭りのときのアーケードも歩きました。
またいつか、仙台に行きたいなあと思います。

みーふぃ さま

関東大震災のお話なんて、とても貴重ですね。
50キロも離れていたのにそんなだったら、東京はどうだったでしょうね。
しかもその当時と比べ物にならないほど、いまは高層ビルが建ち、埋め立て地が広がり。
その規模の地震が今後東京で起きたらと思うと、ぞっとしますね。
ほんとうに日本全体が危険地帯だと思い、備えなければならないと思います。
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