熊本地震 善意が生かされるために
また南阿蘇の実家に戻ってきたイクエです。
きょうは以前から書きたいなあ、書かなきゃなあと思っていたことを書きます。
その前にお断りしておくと、わたしはこの震災の「半当事者」だと思っています。
実家が被災地の南阿蘇でわたしと夫ケンゾーの住民票もここで、地震当時ここにいて、しかも寝ていた二階の部屋が崩落し、わたしたちの車が潰れて廃車になったことを考えれば、わたしとケンゾーは「被災者」です。
しかし、わたしたち夫婦はその二週間前福岡のアパートを借りて新生活をスタートした矢先でした。
地震で実家は失いましたが、わたしたち夫婦の家を失ったわけではありません。
さらに、わたしは南阿蘇の実家で長く暮らしたことはありません。
わたしが生まれ育ったのはべつの街で、大学進学のために親元を離れると同時に、実家が阿蘇に引っ越したからです。
なのでわたしたちは「被災者」であると同時に「よそ者」のところもあります。
さらにわたしたち夫婦は報道の仕事をしていて、福岡西方沖地震や東日本大震災を取材していました。
なので、当事者でありながらどこか第三者的にこの震災に向き合っているところがあります。
だからここに書くことは、被災者の声を代弁するものではなく、「半当事者」のわたし個人の意見です。
また、被災地によっても状況はかなり違っています。
わたしは南阿蘇の被災地しか知りません。
被災してから「何が足りない?」「何か手伝えることはある?」そんなありがたい言葉をいただくことが多くあります。
わたしも東日本大震災のときは、何かしないと気が済まないような、いてもたってもいられない気持ちでした。
でも、何をすればいいのか、どんなことが求められているのかわからず、気持ちが落ち着きませんでした。
今回被災者になって、支援のあり方について感じたことをまとめます。
きょうは、支援のタイミングについてです。
・被災地で必要な物、足りない物は時間とともに変わる
被災地と非被災地で生まれる時間差
被災地で必要な物で真っ先に思い浮かぶもの。
水、パンやおにぎりなどの基本的な食料。
たしかに最初の三日間は、水やパンなどがまったく届かず、被災者たちは空腹で不安な日々を過ごしました。
しかし四日目、五日目になると一斉に水や菓子パンが届き始めました。
日本全国から大量に。
まったくなくて困っていたのに、今度は一気に水やパンであふれました。
消費しきれない量です。
支援物資のミネラルウォーターは山積み。
あまりの重さで、ある公共施設は床が抜け落ちそうになっていて危険な状況です。
おにぎりもです。
ニュースでもやっていましたが、震災ゴミの集積場には段ボールに入った大量のおにぎりが捨てられていました。
こちらでも、避難所に届いた余ったおにぎりが黒いビニール袋に大量に入れられて仕方なく捨てられているようです。
パンも賞味期限が一ヶ月くらいあるものならいいですが、二日、三日で切れてしまいます。
今回、自分が被災者になってわかったのは支援物資を必要とされるときに届けるために「時間との勝負」を意識する必要性です。
たとえば新聞やニュースで「水がほしい。パンが足りない。」と報道される。
でもそれを取材したのは、その当日ではなくおそらく前日、前々日です。
その時点ですでに、被災地のリアルタイムの声とは一日、二日のズレが生じていることになります。
さらにその情報をもとに、支援者が寄付を募って物資を集めたり購入したりする。
準備するのに二日くらいかかるかもしれません。
そしてそれを発送する。
震災で道路が寸断されたり高速道路が通行止めになっていたり、渋滞していたり。
通常の二倍、三倍の時間はかかるでしょう。
そしてようやく被災地に物資が届く。
被災地の人が「水がほしい。パンが足りない。」と言っていたときから一週間くらい経過しています。
震災から一週間。
避難所にはすでにたくさんのパンや水がほかから届いていて、今度は別のニーズが生まれています。
わたしたちの避難所に水やパンが届き始めたのが地震から四日目あたり。
最速で四日です。
きっとその支援物資は、もともと備蓄されていたもので、地震発生後すぐに手配をして届けてくださったものです。
それでも四日です。
報道を待って準備して、ではタイムラグが生まれすぎて、せっかくの善意が生かされません。
そのときの声をもとに準備して発送すると、タイムラグが生まれるだけではなく、ほかの人と横並びになってしまい、同じ品物が大量に被災地に届くことになり、重宝がられません。
とてももったいないことです。
被災地のニーズは時間とともに変わってきます。
最初は水やパン、ご飯。
懐中電灯や電池も必要です。
そして毛布などの暖をとるもの。
それが供給されると、次は靴下や下着などがほしくなります。
震災から二、三日経って「そういえば全然着替えてないなあ。お風呂に入ってないなあ。」と気になるようになります。
体を拭くウェットティッシュや歯ブラシがあればなあと思い始めます。
水がなく手を洗えないので、消毒液も助かります。
生きるために最低限のものが揃い始めると、今度はパンや米だけではなく「温かいものが食べたい」とか「野菜や果物も摂りたい」となります。
女性は化粧水などもほしくなるし、狭い避難所でストレスをためている子どもたちのストレスを和らげる対策も必要となってきます。
避難所で○○が足りない、と聞いて苦労して集めて送っても、それが届くころにはすでに不足は解消されていて、別の物が必要になっています。
せっかくの善意がしっかりと受け止められ、生かされるために。
タイムラグを生まないために、支援は先を見通して。
最低でも一週間先のニーズを予測してみてください。
そのときに何が必要とされているか。
全国からたくさんの支援物資が寄せられていることはとてもありがたいことです。
感謝でいっぱいです。
だからこそ、その善意が少しでも無駄にならないようにと願います。
今は体育館で生活している避難民たちは、今後、仮設住宅やアパートでの新生活が始まります。
そのときにはまた新しいニーズが生まれると思います。
また今は休校になっている学校も、ゴールデンウィーク明けから再開されます。
これからもいろんな支援が必要になってきます。
これからも温かい応援をよろしくお願いいたします。
次回は、被災者と非被災者の支援への思いの差について書きたいと思います。
きょうは以前から書きたいなあ、書かなきゃなあと思っていたことを書きます。
その前にお断りしておくと、わたしはこの震災の「半当事者」だと思っています。
実家が被災地の南阿蘇でわたしと夫ケンゾーの住民票もここで、地震当時ここにいて、しかも寝ていた二階の部屋が崩落し、わたしたちの車が潰れて廃車になったことを考えれば、わたしとケンゾーは「被災者」です。
しかし、わたしたち夫婦はその二週間前福岡のアパートを借りて新生活をスタートした矢先でした。
地震で実家は失いましたが、わたしたち夫婦の家を失ったわけではありません。
さらに、わたしは南阿蘇の実家で長く暮らしたことはありません。
わたしが生まれ育ったのはべつの街で、大学進学のために親元を離れると同時に、実家が阿蘇に引っ越したからです。
なのでわたしたちは「被災者」であると同時に「よそ者」のところもあります。
さらにわたしたち夫婦は報道の仕事をしていて、福岡西方沖地震や東日本大震災を取材していました。
なので、当事者でありながらどこか第三者的にこの震災に向き合っているところがあります。
だからここに書くことは、被災者の声を代弁するものではなく、「半当事者」のわたし個人の意見です。
また、被災地によっても状況はかなり違っています。
わたしは南阿蘇の被災地しか知りません。
被災してから「何が足りない?」「何か手伝えることはある?」そんなありがたい言葉をいただくことが多くあります。
わたしも東日本大震災のときは、何かしないと気が済まないような、いてもたってもいられない気持ちでした。
でも、何をすればいいのか、どんなことが求められているのかわからず、気持ちが落ち着きませんでした。
今回被災者になって、支援のあり方について感じたことをまとめます。
きょうは、支援のタイミングについてです。
・被災地で必要な物、足りない物は時間とともに変わる
被災地と非被災地で生まれる時間差
被災地で必要な物で真っ先に思い浮かぶもの。
水、パンやおにぎりなどの基本的な食料。
たしかに最初の三日間は、水やパンなどがまったく届かず、被災者たちは空腹で不安な日々を過ごしました。
しかし四日目、五日目になると一斉に水や菓子パンが届き始めました。
日本全国から大量に。
まったくなくて困っていたのに、今度は一気に水やパンであふれました。
消費しきれない量です。
支援物資のミネラルウォーターは山積み。
あまりの重さで、ある公共施設は床が抜け落ちそうになっていて危険な状況です。
おにぎりもです。
ニュースでもやっていましたが、震災ゴミの集積場には段ボールに入った大量のおにぎりが捨てられていました。
こちらでも、避難所に届いた余ったおにぎりが黒いビニール袋に大量に入れられて仕方なく捨てられているようです。
パンも賞味期限が一ヶ月くらいあるものならいいですが、二日、三日で切れてしまいます。
今回、自分が被災者になってわかったのは支援物資を必要とされるときに届けるために「時間との勝負」を意識する必要性です。
たとえば新聞やニュースで「水がほしい。パンが足りない。」と報道される。
でもそれを取材したのは、その当日ではなくおそらく前日、前々日です。
その時点ですでに、被災地のリアルタイムの声とは一日、二日のズレが生じていることになります。
さらにその情報をもとに、支援者が寄付を募って物資を集めたり購入したりする。
準備するのに二日くらいかかるかもしれません。
そしてそれを発送する。
震災で道路が寸断されたり高速道路が通行止めになっていたり、渋滞していたり。
通常の二倍、三倍の時間はかかるでしょう。
そしてようやく被災地に物資が届く。
被災地の人が「水がほしい。パンが足りない。」と言っていたときから一週間くらい経過しています。
震災から一週間。
避難所にはすでにたくさんのパンや水がほかから届いていて、今度は別のニーズが生まれています。
わたしたちの避難所に水やパンが届き始めたのが地震から四日目あたり。
最速で四日です。
きっとその支援物資は、もともと備蓄されていたもので、地震発生後すぐに手配をして届けてくださったものです。
それでも四日です。
報道を待って準備して、ではタイムラグが生まれすぎて、せっかくの善意が生かされません。
そのときの声をもとに準備して発送すると、タイムラグが生まれるだけではなく、ほかの人と横並びになってしまい、同じ品物が大量に被災地に届くことになり、重宝がられません。
とてももったいないことです。
被災地のニーズは時間とともに変わってきます。
最初は水やパン、ご飯。
懐中電灯や電池も必要です。
そして毛布などの暖をとるもの。
それが供給されると、次は靴下や下着などがほしくなります。
震災から二、三日経って「そういえば全然着替えてないなあ。お風呂に入ってないなあ。」と気になるようになります。
体を拭くウェットティッシュや歯ブラシがあればなあと思い始めます。
水がなく手を洗えないので、消毒液も助かります。
生きるために最低限のものが揃い始めると、今度はパンや米だけではなく「温かいものが食べたい」とか「野菜や果物も摂りたい」となります。
女性は化粧水などもほしくなるし、狭い避難所でストレスをためている子どもたちのストレスを和らげる対策も必要となってきます。
避難所で○○が足りない、と聞いて苦労して集めて送っても、それが届くころにはすでに不足は解消されていて、別の物が必要になっています。
せっかくの善意がしっかりと受け止められ、生かされるために。
タイムラグを生まないために、支援は先を見通して。
最低でも一週間先のニーズを予測してみてください。
そのときに何が必要とされているか。
全国からたくさんの支援物資が寄せられていることはとてもありがたいことです。
感謝でいっぱいです。
だからこそ、その善意が少しでも無駄にならないようにと願います。
今は体育館で生活している避難民たちは、今後、仮設住宅やアパートでの新生活が始まります。
そのときにはまた新しいニーズが生まれると思います。
また今は休校になっている学校も、ゴールデンウィーク明けから再開されます。
これからもいろんな支援が必要になってきます。
これからも温かい応援をよろしくお願いいたします。
次回は、被災者と非被災者の支援への思いの差について書きたいと思います。