Now,we are HERE!
訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
プロフィール

ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

ジャンル
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
月別記事
最新コメント
RSSリンク
リンク
ブロとも申請

この人とブロともになる

見てくれてありがとう!
メールはこちらから ♪

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ村ランキング
ふたりのお勧め旅グッズ










ふたりの旅も大詰め。あともうちょっとだけおつきあいお願いします!

 日本→韓国→モンゴル→中国→ラオス→ベトナム→台湾→シンガポール→バングラデシュ→インド→スリランカ→アラブ首長国連邦→オマーン→トルコ→ジョージア→アルメニア→アゼルバイジャン→カザフスタン→ウズベキスタン→タジキスタン→キルギス→イラン→イタリア→バチカン→チュニジア→フランス→チェコ→オーストリア→ポーランド→イスラエル→パレスチナ→ヨルダン→イギリス→アイルランド→ポルトガル→モロッコ→スペイン→ハンガリー→スロバキア→スロヴェニア→クロアチア→セルビア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→モンテネグロ→コソボ→マケドニア→アルバニア→ギリシャ→エジプト→スーダン→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→アルゼンチン→チリ→パラグアイ→ボリビア→ペルー→エクアドル→コロンビア→ベネズエラ→キューバ→ベネズエラ→パナマ→コスタ・リカ→ニカラグア→ホンジュラス→エル・サルバドル→グアテマラ→ベリーズ→メキシコ→アメリカ→
日本


「ふたりでふらり」はブログランキングに参加中!
1日1回のclickが順位に反映されます。
ぜひポチッと応援お願いします ♪
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

ケンゾー5年後の被災地に行ってきました

2016.03.11 08:33|世界からのメッセージ☞EDIT
きょうは2016年3月11日。
あの大震災から5年の月日が流れました。
わたしたちが日本を旅立ったのは2012年の9月。
2年目、3年目、4年目は、複雑な気持ちを胸に抱きながら海外でこの日を迎えてきました。

いったい被災地はどうなってるんだろう。
仮設住宅は減っていっているのかな。
復興は着実に進んでるんだろうか。
まだまだ被災地の人々は一日一日を生きていくことでさえ大変なのに、こんなのんきに世界を旅していていいんだろうか?

震災発生からおよそ1年間、ケンゾーは福島県と岩手県でボランティアをしていました。
もどかしい気持ちを胸に押し込め、精一杯旅を楽しんでいた3年5か月。
楽しい旅はいつまでもつづけていたいけれど、福島と岩手で出会った人たちのことは片時も忘れることはありませんでした。

今年の2月14日に帰国したわたしたち。
ケンゾーは先日、福島と岩手に行ってきました。
福島はおよそ5年ぶり、岩手は4年ぶりの里帰りです。

福島で活動していたのは内陸の会津若松市。
震災後、太平洋岸からおよそ100km離れたこの街には楢葉町や大熊町など原発事故で故郷を追われた「浜通り」の被災者が避難してきていました。

会津若松市

ケンゾーが会津若松を訪れたのは、震災からちょうど1か月後の2011年4月11日。
生まれも育ちも福岡のケンゾーにとって、はじめて足を踏み入れた東北。
さすがに雪はもう積もってはいなかったけれど、福岡と比べると段違いに寒かったことを今でも覚えています。

今回訪れたのは2月末。
暖冬で例年に比べると積雪が少ないと聞いていたけれど、目に飛び込んできたのは一面の銀世界。
東北にやってきたんだという実感がぐっと湧いてきました。

a_IMG_4758.jpg

a_IMG_4761.jpg

当時の活動先は一次避難所。
体育館など自治体の施設で避難所生活を送っている子どもたちのケアが活動内容。
ケアと言うと堅苦しいけど、ようは一緒に遊ぶということ。
毎朝メンバーと手分けして避難所へ行き、空いたスペースで子どもたちと夕方まで過ごす毎日でした。

a_DSC_0207_20160311034703857.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0325_201603110347208e0.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0150_2016031103470293c.jpg
(当時の写真)

ある日突然友だちとお別れをすることもできずにバラバラになってしまった子どもたち。
笑顔で遊んでいたのに、次の瞬間「お家に帰りたい」と泣き出してしまうことも。
どうやっても泣き止んでもらえなくて、途方に暮れたこともありました。

やがて体育館からホテルへと移った避難場所。
湯けむりけむる温泉街が活動場所になりました。
避難者が宿泊することになったホテルにお願いしキッズスペースを確保、ホテルの一画で子どもたちと遊んだことをきのうのように覚えています。

毎日通った温泉街。
こうして改めて訪れると、雰囲気抜群のザ・温泉街だったんだなあと不思議な感覚に襲われます。
震災のときに見た印象とはずいぶん違います。

a_IMG_4777.jpg

a_IMG_4779.jpg

おもちゃがいっぱいで、子どもたちの笑い声が絶えなかったキッズルーム。
いまは静まり返って旅館本来の姿に。
毎日顔を合わせていたあの子たちは、元気にしているだろうか。
子どもたちの顔が頭をよぎります。

a_IMG_4783.jpg

一次避難所よりは住環境がよく、プライバシーが確保されているとはいえ、閉ざされた空間で生活していくのはストレスが溜まったことでしょう。
見知らぬ土地、先が見通せない日々、募る不安。
大人の気持ちはすぐに子どもに伝わっていきます。
子どもたちも小さな体で毎日耐えていました。

a_DSC_0035_20160311034659b5b.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0377_201603110347217ed.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0209_20160311034704852.jpg
(当時の写真)

みんなどこで何してるんだろう。
どこで暮らしていても、笑顔でいてくれたら。
一緒に遊んだことなんか忘れちゃっていいから、元気に生きてほしいな。
今回そんな思いを抱きながら、現在の会津若松を巡り、あとにしました。


ケンゾーは2011年6月に、ボランティアの拠点を会津若松から岩手県陸前高田市へと移しました。
陸前高田は津波によって市街地がほぼ全壊。
死者・行方不明者あわせて1800人以上という甚大な被害を被ってしまった街でした。

陸前高田市

はじめて訪れた津波の被災地。
いままで見たことのない光景に言葉を失ったことを覚えています。
3か月前まではここに確かにあったはずの街が消え去ったという事実がうまくのみこめませんでした。

a_DSC_0577_2016031103472326d.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0579_20160311034724f2f.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0580_20160311034726f1e.jpg
(当時の写真)

すでに大部分の瓦礫は撤去され、だだっ広いさら地が広がる街の中心部。
かろうじて残っている建物もめちゃめちゃに破壊され無残な姿になっていました。

a_DSC_0582_20160311034753560.jpg
(当時の写真)

a_DSC_0078_20160311034700529.jpg
(当時の写真)

津波が街を流し去って5年。
ケンゾーが4年ぶりに訪れた陸前高田。
その姿、2011年に見たものとは激変していました。
かつての市街地は高さ14m近くまで土が盛られ、下の道路からはその全体を見渡すことができなくなっています。

a_IMG_5047.jpg

a_IMG_5048.jpg

a_IMG_5049.jpg

ひっきりなしにダンプカーがやって来て土を降ろしていきます。
このかさ上げした土地の上に新しい陸前高田をゼロから造り上げていく計画です。
かさ上げの進捗状況はよく分からないけど、この光景で4年という月日の流れを実感しました。

a_IMG_5088.jpg

a_IMG_5094.jpg

7万本の松が茂っていた高田松原で唯一残った「奇跡の一本松」。
残念ながら枯死してしまったので、その後どうなったのか気がかりでした。

a_DSC_0587_20160311034755fa3.jpg
(当時の写真)

でも、今でもすっくと立ち続けていました。
保存作業が施され、ひと安心です。

a_IMG_5099.jpg

a_IMG_5102.jpg

背丈以上の草が行く手を遮り、瓦礫を拾うことさえ多難を極めた田園地帯。
畑や田んぼとして使えるように、当時は草刈りをし、瓦礫の撤去などを行ないました。

a_IMG_0272.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0433.jpg
(当時の写真)

終わりの見えない作業に気持ちが萎えそうになることもありました。
でも、気の遠くなる作業は無駄ではなかったと実感しました。
今ではすっかりきれいになり、作付けも行なわれるようになっていました。

a_IMG_5018.jpg

a_IMG_5020.jpg

三陸と言えば海産物が有名だけれど、陸前高田は「りんご」の名産地。
津波で流されたりんご畑の再生も印象に残った活動でした。
まずは瓦礫や大きな石を取り除き、リンゴの木を支える支柱を地面に打ち込んでいきました。
重労働だったけど、美味しいリンゴを夢見て力を合わせる作業は楽しくもありました。

a_IMG_0727_20160311034827eeb.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0719.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0739.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0788.jpg
(当時の写真)

およそ4年経ってどうなったかというと・・・

a_IMG_5076.jpg

a_IMG_5075.jpg

「おおー、ちゃんと育ってるよ!」
自分たちが立てた支柱がきちんと役目を果たしていて感激。
まだ実はつけてないのかな。
いつかこのリンゴを食べてみたいな。

a_IMG_5080.jpg

そして、忘れちゃいけないのが牡蠣。
三陸産の牡蠣は全国的に有名だけれど、なかでも陸前高田・広田湾産の牡蠣は築地でもトップクラスの高値で取引きされていた極上品です。
津波ですべて流されてしまった養殖用の筏を作るのも活動のひとつでした。

a_IMG_0105.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0119_20160311034758554.jpg
(当時の写真)

a_IMG_0130_201603110347593a9.jpg
(当時の写真)

「ボランティアは筏を作って終わりじゃないぞ。
 育った牡蠣を食べて終了だぞ。」

海の男たちにそう言われて、心待ちにしていた4年間。
やっと、やっと念願の牡蠣とご対面。

a_IMG_5063.jpg

a_IMG_5064.jpg

a_IMG_5067.jpg

「これが、みんなが作ってくれた牡蠣だよ。
 好きなだけ食べていいから。」

お世話になった牡蠣漁師の藤田さんが始めた牡蠣小屋で、待ちわびた実食のとき。
まずは生牡蠣から。

a_IMG_5054.jpg

a_IMG_5058.jpg

うまい。
泣けてくる。
すこしだけでも生産に携わった牡蠣の味は格別です。
このあと蒸し牡蠣と牡蠣フライを腹がはち切れるほど堪能。
どれも最高にうまい。

a_IMG_5059.jpg

a_IMG_5061.jpg

4年ぶりに訪れた陸前高田は、確かに目覚ましい変化を遂げていたけれど、復興の道はまだまだ途上。
仮設住宅もほとんど減っていないし、問題は山積み。
ボランティアもまだまだ必要とされています。

陸前高田市の社会福祉協議会が運営していたボランティアセンターは、NPO法人P@CT(パクト)が引き継ぎ、復興サポートステーションとして現在もボランティアを受入れています。
活動内容は、遺留品探しや見つかった「思い出の品」の整理、そして農業・漁業支援など。
リンゴ園や牡蠣養殖のお手伝いもあるそうです。

a_IMG_5033.jpg

a_IMG_5035.jpg

被災地はまだまだ全国のみなさんのサポートを必要としています。
機会があればぜひ陸前高田に足を運んでいただけると嬉しいです。
詳しくはこちら→NPO法人P@CT


4年ぶりにやっと里帰りすることができた陸前高田市。
大切な人たちに心配をかけて申し訳ない。
被災して旅なんかしたくてもできない人たちだってたくさんいるのに・・・。
そんな後ろめたい気持ちがなかったかと言えば嘘になる。
でも、みんな4年前と変わらぬ満面の笑顔で出迎えてくれました。
ここで「ただいま」と言って、やっと日本に帰ってきた実感が湧いてきました。

以前はボランティアセンター、現在も復興サポートステーションでボランティアを受入れているフミさんからこんなことを言われました。

「ふたりに再会してありがとうを言いたかった。
わたしね、ブログでいちばん好きなのはガラパゴスの記事なの。
津波で海が怖くなって・・・。
あの日から一切海を見れなくなっていた。
でも、ガラパゴスのあの綺麗な海と楽しそうに泳ぐアシカの写真を見て『あ、海ってこんなに綺麗なんだあ』って思ったの。
かわいいアシカの姿を見て『楽しそう』って思った。
3人子どもがいて、上の2人は震災前によく海に遊びに連れて行ってたんだけど、下の子は1回も連れていったことがなくて・・・。
子どものためによくないって分かってるんだけど、怖くて行けなかった。
でもね、あの記事を読んで、海がちょっと好きになれそう。
きっとわたしだけじゃなく、そんな人ほかにもたくさんいると思う。
何度かコメントに書き込もうとも思ったんだけど、やっぱり直接言いたかった。
どうもありがとうございました。」


意外だった。
まさかそんなふうに感じてくれる人がいるなんて、これっぽっちも思っていなかったから。
心のつかえがスーッと消えた気がした。
このブログが、自分たちの気ままな旅が、少しでも意味のあるものになって嬉しかった。

あれから5年。
これからもずっと、思いはそばに。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

ランキングが上がるとモチベーションも上がります ♪
あなたのclickで応援お願いします!
ほかの世界一周旅行者のブログもここで見られます ♪

コメントはこちらから! 

Comment

ありがとう

ケンゾーさん、イクエさん、改めて「お帰りなさい」。
そして、ありがとう。
いままでも、これからも、どこにいても、気持ちは一緒に‼︎

お帰りなさーい!

今年で5年なんですね。

私の地元、福島県二本松市は
津波の被害こそなかったものの
原発から風に乗って流れてくる放射能に
今でも悩まされています。
実家は兼業農家で、父が仕事の合間に
お米や野菜を作っているのですが
隣りの集落の田んぼは放射能の値が高い為
震災後数年は作付してはいけないと言われていました。

父が作っている田んぼは
放射能の値が低い為、毎年お米を作って
親戚に配っていますが
その袋には「放射能測定済み」とシールが貼ってあり
毎回震災のことを思い出させます。

ケンゾーさんのようにボランティアに行ったことは
ありませんが、
これからも被災地の復興に終わりはないと思うので
是非私も貢献していけたらなと
改めて思いました。

お二人の世界一周記ホントに楽しく読ませて頂きました☆^^

No title

ケンゾーさんイクエさん 震災のボランテアにいってらしたんですね。
すばらしいですね!!。それも一年の長期にわたって。頭がさがります、尊敬いたします。
 わたしは茨城ですがそうあの日は会社の大きい倉庫にいたのですが段段ゆれが大きくなって外にでたのですが電柱はゆれ民家の瓦が落ち始め土煙がではじめ目の前の車のよこゆれもすごくわたしはぼうぜんんと立ち尽くすだけでした。
 東北の方はまだ10万以上のかたが避難中だとか。
よくうちの細君がこんな状況でオリンピックはないでしょうといっています。

 おふたりの旅行記未読たくさんあります。(たのしみです)
おふたりの実生活が幸いあるよういのっています。

 

同じように、

縁もゆかりもなかった東北が、今では故郷になっています。
明日から宮城へ行ってきます!

No title

素敵な記事をありがとうございます。あの日は旅行先のテレビでニュースを見て、余りの衝撃にしばらく動けませんでした。外地にいるとなかなかもどかしく、何もお手伝いできない自分が情けなかったです。今日、この記事を読ませていただき、忘れないでいること、関心を寄せることも一つの応援かと思えるようになりました。着々と復興が進んでいるようで、嬉しいです。

No title

ケンゾーさん、お帰りなさい。会津若松の懐かしい写真が目に飛び込んできました。これからもずっと、思いはそばに…ケンゾーさんならではの実感のこもった言葉です。

読んでいて涙が溢れました。
あの日から5年…
私は未だにまだ東北の方達に何も出来ずにいます。

だけど、今だからこそ出来ることもあるのかもしれません。
ボランティア、まだ募集しているのですね。
情報ありがとうございます。
ケンゾーさん、ボランティアお疲れ様でした。そして本当にありがとうございます。

フミさんへ

こちらこそ、待っていてくださってありがとうございます。
短い時間だったけど、やっぱり高田が大好きだと再認識できました。
これからも末永いお付き合いをよろしくお願いします!

みっきー さま

福島にお住まいなのですね。
わたしたちが想像できないような大変なことや心痛があることと思います。

福島のことを考えると本当に胸が痛みます。
建物を新しくしたり、復旧工事をしても本当の復興までの道のりははかりしれず。
あのときから福島の美しい風景、日本の宝を奪われたように感じます。

わたしたちがこれからどう生きていくのか真剣に考えないといけません。

福島の人たちが笑顔で暮らせることを切に願っています。

はまっこ さま

そうなんですね!
いってらっしゃい!

いろんな嬉しい再会があるといいですね。

みーふぃさま

コメントありがとうございます。
茨城にお住まいなんですね。
私たちは福岡だったので揺れることはなく、テレビを見てただただ茫然としていました。
5年経ったとはいえ、被災された方々にとっては区切りなんかにはならないですよね。オリンピックに向けてどんどん「復興」が声高にアピールされていくとは思うのですが、報道を鵜呑みにするのではなく、自分で見て聞いて感じていきたいなあと思っています。

No title

ケンゾーさん会津若松に行ってたんですね!
私もほんの少しですが会津若松にお手伝いに行く機会がありました。既に仮設住宅がいくつもできていたんですが、周りに何もないひどく寂しい場所に作られていることが多かったです。避難されている方々は避難による収入の減少分に加え、慰謝料として家族ひとりにつき月10万円(非課税)が支給されているそうで、「お金はもらえるんだけど、やることがなくて人生ダメになっていくよ」なんてセリフを聞かされて私も心が沈んでしまいました。

仮設住宅ができる前、震災からしばらくの間は東山温泉街が避難所として利用されていたとは聞いていました。その頃はカオス状態だったでしょうからケンゾーさんはとても大変だったと思います。つかの間の休息で温泉につかる機会もあったのかな? 私は宿が東山温泉からは遠かったので、駅前の富士の湯に行くぐらいでしたね。

鶴ヶ城の桜は4月下旬が開花の時期だそうですが、ケンゾーさんは見ることができましたでしょうか? 

アバターの空中写真

いつも楽しく拝見しています。
アバターの空中写真が気になります、記事のどこかにあるのでしょうか?
よろしくお願いいたします。

ボランテア

 ボランテアについてですが 私は 常総市 ですが水害にあいました。
そしてボランテアの方々には大変たすかりました。だからわたしは無条件で手伝ってくださるボランテアのかたがたには素直に御礼の言葉をいいました。
 被害を受けたほうは助かるしボランテアのかたは 自己愛 がみたされるし、それでいいと思います。とてもわたしにはボランテアの方を 自慢 だとかいって非難できません。それでは信頼も絆もうまれません。 (もちろんなになにしてやったのにと のに があんまりついてくると困り者ですが)

 

思いやる心

ボランティアを批判する人を私は理解できません。
批判する人は何もしない人だと確信します。
まだ多くの方が大変な生活を送っているのに、現状を黙っている事で、人の心から忘れられていく方が辛いです。
ブログを通して、例えば世界旅行にしか興味がない方に、被災地の方の思いがたった一人でも伝わればいいではないですか。
私は感謝しています。
たまたま1位になって注目されているかもしれませんが、元々何を書いても自由です。
それを上から目線で内容を指示するのは止めていただきたいです。
毎年、思いを馳せて心を世界へ伝えていただきありがとうございます。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

いちファンさま

コメントありがとうございます!

被災地にいたとき、地元の方たちに「何もしてもらわなくてもいいんだ。ただ忘れないでいてほしい。」とよく言われました。直接被災地に行くことは難しくても、人それぞれが忘れずに被災地に想いを寄せることが復興に繋がるんじゃないかなと思います。これからもよろしくお願いします!

けいこ さま

戻りましたー!
また会津の地に立てて嬉しかったです。

震災から五年。
被災地に関する報道も少なくなりましたが、忘れることなく思いを持ち続けたいです。

あさがお さま

いつも読んでくださってありがとうございます。

ボランティアはまだ募集しています。
震災のことが風化しそうな今こそ、被災地に行き地元の人の声に耳を傾けることが大切かもしれません。
忘れていない、今も心配している。
その思いを伝えるだけでも意味があると思います。

炭さま

炭さまも行かれてたんですね!
どこかでお会いしていたかもしれませんよ。

津波の被害だけでなく、見えない放射能の恐怖と戦わなければならない福島はとても大きな問題を抱えて大変です。
たとえお金をもらっても、復旧しても取り戻せないものがたくさんあります。
震災から五年経ちますがまだまだ問題は山積で、わたしたちも福島に思いを寄せ続けないといけませんね。

福島の桜は今回は見ていませんが、震災の直後にみました。
たしか五月でした。
そのとき少し心が和みました。

α波 さま

コメントありがとうございました。

こちらでは削除した覚えはないのですが、ご自身でいったん投稿したコメントを削除されたのでしょうか。
もしそうでないなら、原因を調べますのでおっしゃってください。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

迷えるオッサンさま

返信が遅くなって申し訳ありません!
このプロフィール写真はキルギスで撮影しました。
http://futarifurari.blog.fc2.com/blog-entry-508.html

この頃はまだまだ若く元気でかなりビックリしました。笑

みーふぃさま

コメントありがとうございます!

そうなんですね。日本で水害が多発した時期は海外から心配していました。
仰る通り、ボランティアは少なからず自己満足の上に成り立っていると思います。わずかばかりかもしれないけれど、やり甲斐を感じながら被災された方の役に立てるなら素晴らしいことだとわたしも考えています。

優さま

コメントありがとうございます!

わたしは生まれも育ちも福岡で東北とは縁もゆかりもなかったのですが、ボランティアではじめて訪れて大好きになりました。今では第二の故郷だと思っています。そんな被災地のことをわたしの経験を通して一人でも多くの人たちに伝えることができたらいいなと願いながら毎年3月11日の記事を書いてきました。優さんのように、想いが届くと嬉しいです。
非公開コメント