ペルー「クスコ市街」☆☆ ヨーロッパが負けたもの
これから夫の靴を縫うイクエです。
旅に出て自分で靴を修繕するのは何回目だろう。
3年近く旅行しているけど、ふたりとも靴を買い替えたのは一度。
あとは自分で修繕したり、路上の靴屋さんで直してもらったり。
帰国まで今の靴がもつかな。
世界遺産の街、クスコ。
標高およそ3400メートル。
まるで山肌に咲く花々のように、オレンジ色の屋根が可憐にこの大地を彩っている。

人口およそ30万人。
新市街にはビルが建つものの、旧市街一帯には昔ながらの建物がびっしりとひしめいている。
密集しているけれど、屋根の色と白壁が統一されていて雑然としている感じはしない。

寄り添うように建つ家々。
石畳の路地。
歴史ある街並みでありながら、どこか素朴。

旧市街のまんなかにあるアルマス広場。
カテドラルや教会に取り囲まれたこの広場は、まさにクスコを象徴する場所。
クスコの歴史が刻まれた場所。

「クスコ」とはケチュア語で「へそ」という意味。
インカ帝国の時代、ここはインカの中心地、首都だった。
現在のアルマス広場は、インカ帝国時代は神聖な場所だったところ。
アルマス広場には300キロも離れた海岸の砂が敷き詰められていたのだそう。
けれど16世紀にやって来たスペイン人たちが街の様子を一変させてしまった。

アルマス広場のそばにあった神殿は破壊され、カテドラルに変えられた。
カテドラルは1550年に建設が始まり、完成したのは100年後。
さらに、広場に面したインカ皇帝の宮殿はラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会に建て替えられた。

キリスト教の普及を名目に、好き放題な振る舞いをするスペインからの侵略者たち。
インカ帝国の神殿や宮殿の内部は金や宝石で飾られていたけれど、これも略奪していったのだそう。

スペインからやって来た侵略者たちは、インカ皇帝を殺害し、インカは滅びていった。
スペイン侵略時代に建てられた教会が、クスコの旧市街にはいたるところにある。
キリスト教の力は絶大で、結局今はペルー人のほとんどがキリスト教徒。
なんだか皮肉だ。

侵略者たちによってスペイン式の街づくりがなされていったクスコ。
それでもこの街には、この街にしかない雰囲気が漂っている。
ヨーロッパとインカの融合。

たとえばサント・ドミンゴ教会。
一見するとスペイン式の石造りの建物のようにも見える。
でもこの建物にはある秘密が隠されている。

この教会ができる前、ここにはインカ帝国の太陽の神殿があった。
太陽の神を祭る神聖な場所。
壁は幅20センチ以上の金の帯で飾られ、広場には金の石が敷き詰められ、金の泉からは水がとめどなく流れ、金のリャマを連れた人間の像まであり、金で覆われた太陽の祭壇があったのだとか。

スペイン人がここにあった大量の金をスペインに持ち去ったことで、当時いっきに大量の金が流通しヨーロッパがインフレになったほど。
金で華やかに飾られていた太陽の神殿の跡に建てられたサント・ドミンゴ教会。
教会の土台の黒っぽい石の壁は太陽の神殿の名残。

インカ時代の石組みの技術はヨーロッパを上回るものだった。
スペイン人たちはしっかりと組まれた石組みを残し、その上に教会を建てたのだった。
強固そうでつるつると磨かれた黒い石の土台。
スペイン式の教会の石組みよりもはるかに技が高いのは、明らか。

クスコに地震があったとき、上部は崩れ落ちてもインカ時代の石組みだけはびくりともしなかったのだそう。

この太陽の神殿跡の教会だけではなく、当時の石組みが残されているところがクスコの街の中にある。
コロニアル建築の街並みを歩いていて、ふとインカの石組みに遭遇する。
1メートル以上の大きな石もある。

石はただ四角いだけでなく、なかにはわざわざ面白い形に切り取ったものも。
有名なのは12角の石。
これも幅1メートルはあるかな。

この石の形にどんな意味があるのかは謎。
もともと宮殿があったところなので、12人家族だった王の一族を象徴しているのではないかとか、1年の12か月を表しているのではないかという説も。
どんな意味があるにせよ、こんな形にできる技術やインカ流の美意識は奥が深い。
建物の入口のところにだけ残された石組み。
まわりの不揃いな石組みとは大違い。

そしてさりげなく、かわったデザインの石がはめ込まれている。
何かの動物の頭をモチーフにしたものかな。

「カミソリの刃1枚すら通さない」
隙間なくぴったりと組まれた石組みは、まさにその通り。
現代技術をもってしても、まねできないんじゃないかな。

さて、インカ時代の名残のある世界遺産の「クスコ市街」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
南米ではスペイン人たちが造ったコロニアルな街がいくつも世界遺産になっている。
侵略してきたスペインが南米の伝統的なものを破壊してきたから南米らしいものが残っていないのはしょうがないけれど、南米の街の世界遺産はほとんどがスペイン風の街でがっかりする気持ちもある。
正直言ってどこも似たり寄ったりだけど、クスコは違う。
ヨーロッパとインカの文化が融合していてユニークな街。
最初はアウェイ感をもっていたイクエとケンゾーも、クスコで日々を過ごすにつれしっくりくるように。
そしてこの街のすばらしいところは、旧市街のいろんなところでメンテナンスが行なわれていること。
インカ時代の石組みを磨き直したり、白壁を塗り直したり。
政府の建物だけじゃなく、民間の会社や一般の家の建物でもメンテナンスが行なわれていて徹底している。

世界遺産の街でも保存状態が悪かったり、メンテナンスをせずに歴史的な建物が台無しなところも多いなかで、これは賞賛に値する。
さらにライトアップされたクスコの夜もおすすめ。

白い壁に挟まれた石畳の細い道を歩くと、どこか別の時代に迷い込んだかのよう。
クスコは新婚旅行先にもぴったりかも。

インカ時代の石組みに支えれて建つサント・ドミンゴ教会も、夜はこんな表情に。
ライトアップされて暗闇に浮かぶその姿からは、昼にも増して重厚感が漂っている。

インカ文明を否定し、人々をキリスト教に改宗させ、インカの素晴らしい建物を壊し、ヨーロッパ風の街並みに変えてしまったスペイン人たち。
でもインカ時代の石組みが残るこの街を歩けば、「文明的」なヨーロッパが太刀打ちできなかったインカの技や誇りを感じる。
もしヨーロッパから侵略されなかったら・・・。
インカ文化がもっともっと栄え、それを引き継ぐような文化が南米に花開いていたら・・・。
世界は今よりもっとおもしろいものになっていたかもしれない。

このクスコの街を歩いていれば、ふとそんなことを感じる。
これから世界はどんどん変わっていき、古いものは新しいものに変わっていく。
でも街に残るインカの石組みだけは、何百年何千年経ってもこのままで、クスコを見守っていくのかもしれない。
旅に出て自分で靴を修繕するのは何回目だろう。
3年近く旅行しているけど、ふたりとも靴を買い替えたのは一度。
あとは自分で修繕したり、路上の靴屋さんで直してもらったり。
帰国まで今の靴がもつかな。
世界遺産の街、クスコ。
標高およそ3400メートル。
まるで山肌に咲く花々のように、オレンジ色の屋根が可憐にこの大地を彩っている。

人口およそ30万人。
新市街にはビルが建つものの、旧市街一帯には昔ながらの建物がびっしりとひしめいている。
密集しているけれど、屋根の色と白壁が統一されていて雑然としている感じはしない。

寄り添うように建つ家々。
石畳の路地。
歴史ある街並みでありながら、どこか素朴。

旧市街のまんなかにあるアルマス広場。
カテドラルや教会に取り囲まれたこの広場は、まさにクスコを象徴する場所。
クスコの歴史が刻まれた場所。

「クスコ」とはケチュア語で「へそ」という意味。
インカ帝国の時代、ここはインカの中心地、首都だった。
現在のアルマス広場は、インカ帝国時代は神聖な場所だったところ。
アルマス広場には300キロも離れた海岸の砂が敷き詰められていたのだそう。
けれど16世紀にやって来たスペイン人たちが街の様子を一変させてしまった。

アルマス広場のそばにあった神殿は破壊され、カテドラルに変えられた。
カテドラルは1550年に建設が始まり、完成したのは100年後。
さらに、広場に面したインカ皇帝の宮殿はラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会に建て替えられた。

キリスト教の普及を名目に、好き放題な振る舞いをするスペインからの侵略者たち。
インカ帝国の神殿や宮殿の内部は金や宝石で飾られていたけれど、これも略奪していったのだそう。

スペインからやって来た侵略者たちは、インカ皇帝を殺害し、インカは滅びていった。
スペイン侵略時代に建てられた教会が、クスコの旧市街にはいたるところにある。
キリスト教の力は絶大で、結局今はペルー人のほとんどがキリスト教徒。
なんだか皮肉だ。

侵略者たちによってスペイン式の街づくりがなされていったクスコ。
それでもこの街には、この街にしかない雰囲気が漂っている。
ヨーロッパとインカの融合。

たとえばサント・ドミンゴ教会。
一見するとスペイン式の石造りの建物のようにも見える。
でもこの建物にはある秘密が隠されている。

この教会ができる前、ここにはインカ帝国の太陽の神殿があった。
太陽の神を祭る神聖な場所。
壁は幅20センチ以上の金の帯で飾られ、広場には金の石が敷き詰められ、金の泉からは水がとめどなく流れ、金のリャマを連れた人間の像まであり、金で覆われた太陽の祭壇があったのだとか。

スペイン人がここにあった大量の金をスペインに持ち去ったことで、当時いっきに大量の金が流通しヨーロッパがインフレになったほど。
金で華やかに飾られていた太陽の神殿の跡に建てられたサント・ドミンゴ教会。
教会の土台の黒っぽい石の壁は太陽の神殿の名残。

インカ時代の石組みの技術はヨーロッパを上回るものだった。
スペイン人たちはしっかりと組まれた石組みを残し、その上に教会を建てたのだった。
強固そうでつるつると磨かれた黒い石の土台。
スペイン式の教会の石組みよりもはるかに技が高いのは、明らか。

クスコに地震があったとき、上部は崩れ落ちてもインカ時代の石組みだけはびくりともしなかったのだそう。

この太陽の神殿跡の教会だけではなく、当時の石組みが残されているところがクスコの街の中にある。
コロニアル建築の街並みを歩いていて、ふとインカの石組みに遭遇する。
1メートル以上の大きな石もある。

石はただ四角いだけでなく、なかにはわざわざ面白い形に切り取ったものも。
有名なのは12角の石。
これも幅1メートルはあるかな。

この石の形にどんな意味があるのかは謎。
もともと宮殿があったところなので、12人家族だった王の一族を象徴しているのではないかとか、1年の12か月を表しているのではないかという説も。
どんな意味があるにせよ、こんな形にできる技術やインカ流の美意識は奥が深い。
建物の入口のところにだけ残された石組み。
まわりの不揃いな石組みとは大違い。

そしてさりげなく、かわったデザインの石がはめ込まれている。
何かの動物の頭をモチーフにしたものかな。

「カミソリの刃1枚すら通さない」
隙間なくぴったりと組まれた石組みは、まさにその通り。
現代技術をもってしても、まねできないんじゃないかな。

さて、インカ時代の名残のある世界遺産の「クスコ市街」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
南米ではスペイン人たちが造ったコロニアルな街がいくつも世界遺産になっている。
侵略してきたスペインが南米の伝統的なものを破壊してきたから南米らしいものが残っていないのはしょうがないけれど、南米の街の世界遺産はほとんどがスペイン風の街でがっかりする気持ちもある。
正直言ってどこも似たり寄ったりだけど、クスコは違う。
ヨーロッパとインカの文化が融合していてユニークな街。
最初はアウェイ感をもっていたイクエとケンゾーも、クスコで日々を過ごすにつれしっくりくるように。
そしてこの街のすばらしいところは、旧市街のいろんなところでメンテナンスが行なわれていること。
インカ時代の石組みを磨き直したり、白壁を塗り直したり。
政府の建物だけじゃなく、民間の会社や一般の家の建物でもメンテナンスが行なわれていて徹底している。

世界遺産の街でも保存状態が悪かったり、メンテナンスをせずに歴史的な建物が台無しなところも多いなかで、これは賞賛に値する。
さらにライトアップされたクスコの夜もおすすめ。

白い壁に挟まれた石畳の細い道を歩くと、どこか別の時代に迷い込んだかのよう。
クスコは新婚旅行先にもぴったりかも。

インカ時代の石組みに支えれて建つサント・ドミンゴ教会も、夜はこんな表情に。
ライトアップされて暗闇に浮かぶその姿からは、昼にも増して重厚感が漂っている。

インカ文明を否定し、人々をキリスト教に改宗させ、インカの素晴らしい建物を壊し、ヨーロッパ風の街並みに変えてしまったスペイン人たち。
でもインカ時代の石組みが残るこの街を歩けば、「文明的」なヨーロッパが太刀打ちできなかったインカの技や誇りを感じる。
もしヨーロッパから侵略されなかったら・・・。
インカ文化がもっともっと栄え、それを引き継ぐような文化が南米に花開いていたら・・・。
世界は今よりもっとおもしろいものになっていたかもしれない。

このクスコの街を歩いていれば、ふとそんなことを感じる。
これから世界はどんどん変わっていき、古いものは新しいものに変わっていく。
でも街に残るインカの石組みだけは、何百年何千年経ってもこのままで、クスコを見守っていくのかもしれない。