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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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世界一周後の社会復帰 旅人の再就職

2017.10.28 14:55|世界一周裏話☞EDIT
ケンゾーが16日ぶりに休みで、妻のわたしも休日気分で嬉しいイクエです。
わたしはペーパードライバーなので、ケンゾーがいないと車でお出かけできないからなあ。

さて、このブログは不定期で続けていくつもりだけど、ランキングはまもなく抜けます。
その前に、世界一周後のふたりのお話をさせてください。

たぶん世界一周中の人、世界一周に行きたいなあと思っている人が気になるのが「世界一周のその後」「世界一周後の社会復帰、仕事」じゃないかなあと思います。
わたしたちもそうだったから。

イクエとケンゾーの世界一周後にまつわる体験と感じたことをまとめます。

・世界一周に行く前
会社員だったイクエとケンゾー。
ふたりともやっていた仕事にやりがいを感じていたし、好きだった。
でも仕事に没頭していたイクエは、仕事だけの生活が息苦しくなって、いったんリセットしたくて世界一周を思い立った。

イクエはこのときテレビ局の記者、ケンゾーはテレビのカメラマン。
よく「専門職だから、また復職できるからいいね」なんて言われたけれど、わたしたちの仕事は別に資格が必要なわけでも、専門的な学校を卒業していないといけないわけでもない。
会社を辞めたら、それで終わり。
サラリーマンだ。
だから、退職したらまたイチから就職活動。
どんな分野の仕事に就けるかはわからない。

でも、帰国しても仕事を選ばなければ、生活できるくらいのお金はなんとかできるんじゃないかと思っていた。
贅沢はできなくても、食いっぱぐれなければいい。

これまで続けていた会社を辞めることの不安はあったけど、それ以上にリセットしたかったから後のことは考えずに決断した。

ケンゾーが会社を辞めたのは35歳、イクエが辞めたのは32歳のとき。
今にして思えばギリギリだったかなあと思う。
もっと歳をとってたら、守りに入っていたかも。

・世界一周中の前半
旅行を始めたばかりのときは、帰国後の生活について不安はなかった。
だって、始まったばかりの旅行のことばかり考えて帰国後のことなんて何も考えなかったから。
見たこともない景色を見て、珍しいものを食べて、文化の違う人たちと出会う毎日。
そんな日々はもちろん新鮮で楽しかったけど、それ以上にイクエが幸せを感じていたのは、好きな時間に起きて、その日のスケジュールを自分たちで決められて、疲れている日はゆっくり過ごすことができること。
働いているときには手に入れることができなかった自由の謳歌。
長年蓄積されていたストレスが、じわーっと日に日に発散されていく感じ。
だからこそ、帰国後の仕事のことなんて考えたくなかった。

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・世界一周中の中盤
日本人旅人の集まる宿に行くと決まってする会話が、日本で何をしていたか、帰国後の夢やプラン。
「ゲストハウスを作りたい」「カフェをやりたい」そんな夢を語ってくれる人たちもいた。

長期旅行者のなかには、看護師や理学療法士、美容師などもけっこういて、帰国後もまた復職できるから羨ましいなあと思っていた。

なんの資格も持っていない、イクエとケンゾー。
さらに、ネックは年。
旅先で出会うのは大学休学中の学生や、世界一周が昔からの夢で資金を貯めるために数年間だけ社会に出て働いた若者たち。
彼らはキラキラしていて、前途洋々。
帰国してから就職活動するときに、世界一周という経験もプラスになるかもしれない。
いっぽうのイクエとケンゾーは、前途多難。
アラフォーで夫婦で世界一周なんて、社会から外れていて変わり者と思われるだろうし、帰国後就職活動するときに履歴書の経歴には謎の空白ができるだけだ。

旅人たちに「ふたりはどうするんですか?」と聞かれて、わたしもケンゾーも「何も考えてない。ほんとにノープラン。どこに住むかもわからん」と答えていた。
アラフォーのふたりを心配し、わたしたちより若い旅人たちが、どんな仕事がいいか考えてくれた。
とくにジョージア(グルジア)の「ホステルジョージア」では、毎日その話題だった。
40過ぎの資格なしのケンゾーにどんな仕事ができるか。
みんなが最終的に出してくれた答えは「警備員」「駐車場や建設現場での交通整理係り」だった。

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・世界一周中の後半
当初は2年くらいの予定だった世界一周。
でも思いのほか時間をかけてしまって3年が過ぎていた。
帰国後のことは何も考えずに旅に出た。
やりたいことは世界一周中に何か見つかるはずと思っていたけれど、結局見つからずじまい。
というか真剣に考えていなかった。
わたしは何度かケンゾーに、旅行後のことを夫婦で話し合おうと持ちかけたけど、ケンゾーはそれを嫌がった。
「せっかく今旅を楽しんどるのに、どうしてそんなこと考えんといかんと?」
というのがケンゾーの性格。
わたしに責められてケンゾーが言ったのは「そんなの、帰ってみらんとわからん。こんな日本とは全然違う場所でいくら考えてもいっしょ。帰ってから、いろんな人に会ったりお酒飲んだりしたら見つかるかもしれん。なんか、働き場所を教えてくれるかもしれん」
こんなケンゾーに、「何で現実的に真剣に考えないのだろう。楽観的すぎる」とイクエはイライラし、たまにケンカした。

そういうイクエにも何のアイデアもなかった。
真剣に突拍子のないことを考えたこともある。
「カフェなら開けるかなあ。でもカフェだけでは儲けられないから、食事も出さないと。何のメニューにしよう。間違いないのはカレーだな。みんなカレーは大好きだし。
こだわりのないカレー屋にしよう。カレーなら、肉、じゃがいも、人参、玉ねぎがあればいいし、この野菜なら家庭菜園できそう。
ルウだけ市販のものを買う。
何の変哲もないこだわりもない、オーソドックスなカレー。
コストを抑えた激安カレー店。大学の近くに作れば、学生が来てくれる」
今にして思えば、何でカレー屋?何だけどこのときは真剣に思っていて、ケンゾーも乗り気だった。

あるときは日本人宿で、限られた現地食材でソースや食べるラー油の作り方を教えてもらったときこう思った。
「おいしい調味料も意外とシンプルに作れるんだな。
だったらこれを家で作って、瓶詰めして販売するのはどうだろう。
実家の阿蘇に身を寄せて、家で作れるものを手作りして物産館に持っていけば、月に数万円の売り上げになるかな」

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できることなら、このままずっと旅を続けたい。
このときはもう、旅が終わることが嫌なのではなく、旅が終わったあとの自分たちの姿が思い描けないから旅を終わらせたくなかった。

でも日本にわたしたちを待っている家族がいるし、旅の資金も限りがある。
先が見えないまま3年5か月の旅を終え、わたしたちは帰国の途についたのだった。

・帰国直後
日本についてからは、とりあえずイクエの実家に身を寄せることにした。
実家まで移動する間に、道路沿いのコンビニや飲食店、ドラッグストア、スーパー・・・、いたるところにアルバイトやパート、社員の求人募集の張り紙があって、やけに目についた。
今まで意識しなかったけど、日本は恵まれてるなと思った。
職さえ選ばず、給料も高望みをしなければ、食べていくことはできそう。
無料の求人情報誌も何種類も発行されているし、バイト求人のインターネットサイトもいっぱいある。
実家の村に届く新聞にさえも、毎日のように求人募集のチラシが入っていた。
帰国するまでは将来のことが白紙で不安だったけど、日本に着いてからその不安が一気に消えた。
寮の管理人を夫婦で住み込みでやるのはどうだろう、なんて思っていた。

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そして、帰国して現実的に考えたのが次の案。

・イクエの実家に居候して、職や給料は選ばずとりあえず近場で働く

・沖縄で、ケンゾーがカメラの仕事をする
 (旅行中、キューバで知り合った一眼レフのカメラマン、レオくんが「沖縄は今、中国人観光客に人気で結婚式を挙げる人も多く、さらにプロ野球のキャンプもあるからカメラの仕事がある」と言っていたから。さらに、ケンゾーの知り合いで沖縄のテレビ局でカメラマンをしている人がいたから。沖縄は好きで、世界一周前には何度も行っていたから沖縄で暮らすイメージもついた。)

・岩手県陸前高田市で牡蠣養殖で雇ってもらう
(帰国後すぐにケンゾーは陸前高田市の友人たちに会いに行った。そこで一緒に牡蠣養殖の仕事をしようと誘っていただいた。)

イクエは他にやりたいことがあったのでしばらく仕事をしないことに決めていたから、ケンゾーがどこで何をしたいかが問題だった。
とはいえ、イクエがやりたいことをするためにはある程度都会の方がよく(このことは次回に詳しく書きます)、那覇だったらいいなあと思っていた。

ケンゾーは陸前高田で親しくなった地元の人たちと働くことに惹かれていたけれど、旅に行く前と同じような仕事ができそうなのは沖縄で将来への不安は少なく、揺れ動いていた。

二人の間で、沖縄で働くことが有力になっていた。

・世界一周のその後〜現在
帰国してすぐ、ケンゾーは福島や岩手の知り合いに会いに行く旅に出かけ、イクエは実家でゆっくりしていた。
2週間くらいは何も進展はなかった。
急展開があったのは、ケンゾー、イクエがともに以前の職場の人たちと再会してから。

正直に言うと、イクエは昔の同僚や先輩に会うことは気が進まなかった。
会いたくないわけじゃないし、「無事に帰ってきました」という挨拶もしなければと思っていた。
だけど、あわせる顔がない。
何も知らず何もできなかった私をいちから育ててくれた会社の先輩たち。
いっしょにがむしゃらにがんばってきた同期や後輩。
それなのに、わたしは突然「疲れた」ことを理由に逃げるように会社を辞め、みんなにはっきりと言わないまま日本を発ち、世界一周なんて呑気なことをやってきた。
3年半、連絡もしなかった。
会うのが恥ずかしいというか、わたしのために時間を割いてもらうのが心苦しいというか。
この気持ちは、まじめに会社の一員として働いている人にはわかっていただけるんじゃないかと思う。

それでもわたしたちのことを気にかけてくれていた人たちがいて、数人と飲もうという話になった。
突然の飲み会にも関わらず、忙しいなか予想していたよりも多くの人が来てくれた。
そしてこれもまた予想してなかったありがたい言葉をもらった。
「またいっしょに仕事をすればいい」

イクエもケンゾーもそんなことができるなんて考えてもなかった。
これもまた仕事をしている人にはわかってもらえると思うけど、自己都合で会社を辞めたのに、昔の仕事に戻れるなんてそんなことあるわけないと思っていた。

そんな甘いことは許されないと思っていたけど、それは自分たちが一番望んでいたことだった。

それからはトントン拍子に進んだ。
翌日にはそれぞれ働いていた会社やお世話になっていた会社に帰国の挨拶に行き、再び福岡で新しい生活を送ることが決まった。

とは言え、イクエは他にやりたいことがあったので専業主婦。
ケンゾーは会社に所属することも考えたけれど、フリーランスに挑戦することにした。
フリーランスだけれど、昔の会社から仕事をもらうので、働く現場はいっしょだし、いっしょに働くのは旧知の人たち。
3年5か月の世界一周が一夜の夢だったように、出発前の生活に舞い戻った。
そして今に至る。

ケンゾーはテレビのカメラマンとして、生放送番組のスタジオやロケ、サッカーやゴルフの中継などで忙しく仕事をしている。
出発前よりも休みは少なくなったけれど、フリーランスだから自分で調整もでき、生き生きと仕事をしている。

・他の世界一周経験者たち
世界一周する人たちにはいろんな人たちがいる。
大学在学中の学生、卒業したばかりの人、旅の資金を貯めるために期限つきで働き旅に出た人、わたしたちのように普通に就職してそれなりの年月働いていたけれど退職してきた人・・・。
バックパッカーとしては高齢のイクエとケンゾーが旅先で仲良くなったのは、社会人経験のある人が多い。
自分たちの友人に限って言うと、帰国して社会復帰できている。
旅行会社、大手英会話学校、飲食業のコンサルティング会社の営業職などに就職している。
アウトサイダーな世界一周旅行者たちは、いちサラリーマンとして違和感なく社会に溶け込んで仕事をしている。

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世界一周をする旅人というと、世間からすれば少し常識はずれで、孤独を愛する世捨て人のように感じるかもしれない。
けれど、世界中の人と積極的に関わっていくのだから、案外、社交的で要領のいい人が多い。
営業職が向いている人も多い。

でも、これはイクエとケンゾーが知っている人の話で、なかには就職が難しかった人もいるかもしれない。

・感じたこと
まず実感したのは、日本の職場の濃厚な付き合いっていいもんだなあ、ということ。
旅に出る前、そして旅行中は、日本人の会社への身の置き方は外国に比べて変だと思っていた。
オンとオフの切り替えが曖昧。
プライベートな時間も仕事がらみで拘束される。
仕事が終わっても飲みに行く相手は会社の人。
疲れているのに上司に付き合わされるなんてことは、しょっちゅう。
結婚式では友人よりも会社の上司や同僚の参列者の方が多く、挨拶は職場の偉い人がおこなう。
仕事はプライベートを充実させるためにお金を稼ぐ手段、ではなく、仕事が人生、人生が仕事になっている。
だけど日本に帰ってきて、昔の同僚たちと再会し、「いっしょに働いた仲間っていいなあ」と思った。
みんなわたしたちのことを気にかけてくれ、心配してくれていた。
長いこと会わず、連絡もしていなかったのに、会えばすぐに同じ波長で盛り上がれる。
辞めて3年半経ち、今さら会社に出向いて挨拶するなんて・・・、どんな顔すればいいんだろう・・・、あっちも気を使うだろうし、なんて思っていたけれど、いざ重い腰を上げて会社に行ってみれば、意外にも故郷に戻ったような居心地の良さを感じた。
閉鎖的で拘束力があり、人間関係が煩わしいと思っていた日本の会社の形態が、これはこれでいいものがあると実感した。

旅をしているときは、20代前半の若者の方が将来性があり、逆にわたしたちのようなある程度年齢を重ねている旅人は再就職も難しいだろうと思っていた。
でも、いざ帰国してみると20代後半、30代の旅人たちはけっこうすんなり働き口を獲得し、社会に溶け込めている。
一度社会人を経験し、仕事の大変さも苦労も知っている。
もう一度社会に戻ることにも、それほど抵抗がない。
世界一周という横道に逸れた生き方をしながらもそれまでに社会人の経験を地道に積んでいるので、雇う側も働いたことのある経験を評価してくれる。
かえって若い旅人のほうが、帰国してフリーター生活と旅の繰り返しをしているケースがある。

「いい年してこんなことをやって日本に帰ってどうするの?」「社会に復帰できないよ」とブログのコメントを通して言われることもあったし、自分たちもそれを心配していた。
だけど、実際はいい年した元旅人たちは、真面目に働けている。

さらに、わたしたちのように夫婦で仕事を辞めて旅をしている旅友たちは、「夫婦で無職というリスクを抱えて、帰国して夫婦二人が食べていけるくらい稼げるのか」という不安を抱えていた。
わたしたちには夫婦で旅をしていた友人は多いけれど、みんなちゃんと社会復帰をしている。
世界一周を終えてそのままフィリピンに移住し英会話スクールの仕事をしている夫婦、帰国してすぐに夫婦で旅館の住み込みバイトをし新生活の資金を貯めて、就職活動をしてやりがいのある仕事に就けた人・・・。

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どの夫婦もそれぞれだけど、旅から帰っても夫婦円満で楽しくやっている。

旅行中に出会った旅人夫婦の夫と、帰国してこんな会話をした。
「あのときは不安だったけど、結局みんなすんなりまともに働いてるよね」

すると彼が言った。
「やっぱり、どうにかなるし、どうにかしようという思いが旅人の素質としてある。
それにサバイバルの力みたいなものも持ってるし、我慢強くもあるからあまり辛いと思わず仕事ができるからじゃないですかね」

確かにそうかもしれない。
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絶景は?思い出は?旅でやってよかったことは?

2017.10.02 17:24|世界一周裏話☞EDIT
これまではバックパックで旅をしていたけれど、今度はリュックにヘッドライトやレインコート、ラジオなどを詰め込んで、災害のときの非常用持ち出し袋として玄関の近くに置いておこうと思っているイクエです。

3年5か月の旅のまとめは今回の記事で終わり。
7つのトピックについてまとめてみました。


Q、充実した日々を過ごせたのは?
A、JICAの隊員たちといっしょに過ごしたこと

単なる観光ではなく、その地域の人々の暮らしや文化に触れたいと出発前から思っていたイクエとケンゾー。
青年海外協力隊として活動している友人を頼って、バングラデシュの活動を見せてもらったのをきっかけに、アフリカ、南米、中米と隊員のところにホームステイさせてもらったり、活動を視察させてもらったり、現地の人と話す機会をもらったりした。
たくさんの隊員と知り合い、とても充実した滞在になった。

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とくにアフリカでは、観光よりも隊員を訪ねる旅になり、観光では絶対に立ち寄らないような小さな村を訪れることもあった。
水やガスもないところで工夫しながら生活している隊員たちはとてもたくましかった。
現地の人たちともたくさん出会えたし、困っていること、抱えている問題を知ることもできた。

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驚くことや感心すること、学ぶことが多く、個人旅行ではなかなか味わうことのできない体験をさせてもらったなあと隊員たちにはとても感謝している。

一日一日がとても有意義だった。

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Q、夢みたいな日々を過ごせたのは?
A、ステレンボッシュでワインざんまい

南アフリカのワインの産地、ステレンボッシュ。
ブドウ畑が広がり、いくつものワイナリーがひしめいている。
ワイナリー巡りをして、おいしいワインのテイスティングをするのがここでの楽しみ方。
わたしたちはテントに寝泊まりしながら、数日間ワイナリー巡りをした。

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ワインの産地は世界中にありテイスティングができるところも多いけど、ステレンボッシュでのテイスティングは格安で、しかもワインがおいしい!!
ワインに合うつまみも出される。
ワイナリーの雰囲気も優雅でいい!
ブランデーやスパークリングワイン専門のワイナリーなどもあって、全然飽きない。

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美しいステレンボッシュとワインに酔う日々を思い出し、「あー、もう一度行きたいなあ」「幸せだったなあ」とつぶやき合うイクエとケンゾー。

他にもハンガリーのエゲル、美女の谷で、洞窟ワインセラー巡りをして、ワインを何杯も試飲してさらにペットボトルで格安ワインを買って部屋に戻ってからも飲み、さらに次の日も通い、そして温泉に、という日々も至福だったなあ。

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それとオーストリアのサトコさんの、地下に酒の貯蔵庫のある素敵な別荘に泊まらせてもらい、冷えた白ワインを日中からいただきながら絵のような窓の景色を眺めながらおしゃべり、というのも最高に幸せな時間だった。

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素晴らしいロケーションで、ストレスフリーで気兼ねすることなく、好きなだけ本場のワインを飲む。
日本に帰ると、余計にそれが贅沢なひとときだったとしみじみ思う。


Q、印象深い思い出は?
A、ヒッチハイク、そのまま道連れ旅

旅しやすい国、しにくい国がある。
インフラも比較的整備されていて、交通網も発達していて、旅行者も日本人バックパッカーも多くて、旅行情報も手に入りやすいのが、旅しやすい国。

南米に入る前に、旅人からアドバイスをもらった。
「南米の旅はお膳立てされている感じ。だから旅をおもしろくするために自分から仕掛けていったほうがいい」

そこでわたしたちが挑戦したのはヒッチハイク。
一日中待っても車がつかまらなくて、テントを張って夜を明かすこともあったけど、最高の出会いをした。
チリのフェルナンド一家に拾われたこと。
ちょっとそこまで乗せてもらうつもりが、気づいたらそのまま一週間、いっしょにドライブ旅行をしていた。

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コテージを借りて一緒に料理を作ったり、買い出しに行ったり、バーベキューをしたり、みんなでパタゴニアの絶景を車窓から見たり。

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ロードムービーみたいだった。
道連れ旅が終わっても、わたしたちは再会し、一緒にサンティアゴの日本食レストランに行ったり、グロリアの実家にお呼ばれして和食を作ったりした。

今でも連絡を取りあっているし、いつの日かまた再会すると思う。

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Q、笑いに満ちた日々は?
A、スーダンでのオマールとの日々

エジプトからスーダンには、ナイル川を進む船に乗って入国した。
そこで出会ったのが、愉快なオマール。
チャド人とスーダン人の両親の元に生まれたオマールは、サウジアラビア育ち。
しかしサウジアラビアで罪を犯したため、永久国外追放になってしまい、家族や婚約者と別れて、住んだこともないスーダンへ。
友達もいないし仕事もない。
そんな壮絶で寂しく前途多難な人生を歩んでいるけれど、悲劇が喜劇になってしまうのがオマール。
一緒にいると楽しくて、いつも大爆笑。

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オマールの家でホームステイした日々は短かったけど、思い出深く、今でもときどきオマールを思い出しては顔がニヤケてしまう。
「オマール、どうしてるかな。元気かな。会いたいね」とケンゾーともよく話す。

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Q、惹かれた観光地は?
A、イタリア・ベネチア トルコ・カッパドキア

有名な観光地よりも、自然の絶景やその土地の風土や文化に興味のあったイクエとケンゾー。
過度な期待はしていなかったけど、実際に見たベネチアに心を奪われた。

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どこを見ても絵になる光景。
中世にタイムスリップしたみたいだった。
シーズンオフで観光客が少なく、ベネチアの中に泊まったことも、ベネチアの人たちの暮らしが垣間見られてよかったのかも。
ベネチアを発つ予定の日が来ても、「やっぱり今日も泊まりたい」と毎朝思い、ずるずると延泊。
死ぬまでにあと一回は行きたいなあ。

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カッパドキアも2日ぐらい滞在すればじゅうぶんかなあと行く前は思っていた。
でも、離れがたくて何日でもいたいと思った場所。

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ニョキニョキと地面から生えてきたような奇岩。
その中に街ができているという不思議な光景。
泊まったのは奇岩の中の隠れ家のような部屋。

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不思議で壮大な風景を見ながらのテラスからの朝食は至福の時間だった。
ここでも毎朝、「今日も泊まろう」と思い直し、延泊を繰り返した。

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奇岩のエリアは広大で、ハイキングも冒険みたいで楽しかった。

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Q、絶景は?
A、ゴビ砂漠、キルギス、パタゴニア、ワラス

絶景は目の前の景色だけで作られるものではないと、旅をしてつくづく思った。
目の前の景色以外に必要な条件は
1、天気
2、そこにたどり着くまでの苦労
3、写真でも見たことない景色、予想してなかった景色
4、感動を共有できる人の存在

1、は当然のことで、快晴と曇りでは見え方が全然違う。
とくに湖なんて、空の色で七変化。

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絶景に会えそうな予感がするところは、天気予報を見ながら、訪れるタイミングを見計らった。
ときには天気が良くなるまで待機することも。
これは時間のあるバックパッカー旅だからできたこと。

晴れの日を狙って行ったクロアチアのプリトビッチェ国立公園やチリのパイネ国立公園は息を飲むほど美しい絶景のオンパレードだった。

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2、歩いて何時間もかけてたどり着いたところに、それまでの苦労を吹き飛ばすような素晴らしい景色が待ち受けていたら、感動もひとしお。
これに対し、車で行ける場所の絶景は、想像していたよりも感動しなかった。
だから、ツアーの車で行けるボリビアのウユニ塩湖はたしかに絶景ではあったけど、イクエとケンゾーには何かが足りなかった。
それに対して、テントや寝袋、大量の食材を担いで何日間もトレッキングしたペルーのワラスは、達成感や清々しさに包まれ、感動を味わいながら絶景を堪能できた。

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3、どうしても写真で見たことがある景色は感動が薄れてしまう。
いきなり想像もしなかった絶景が目の前に現れたときの興奮と言ったら。

モンゴルのゴビ砂漠。
立ちはだかる砂丘を、踏み出す足が砂に埋もれながらも必死に登ると、待ち受けていたのは西日を受けた折り重なる砂丘の群。
てっきり草原が広がってるのだと思っていたから、驚きに満ちた感動だった。

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キルギスのアルティンアラシャン。
美しい景色が広がっているらしいと聞いていただけで、どんなところかもわからなかったので、急斜面の山を登った先に見えたエメラルドのアラカル湖に、鳥肌が立ち、叫び、涙が出た。

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ヒッチハイクと歩きでたどり着いたモロッコのドゥルスリ湖。
どんなところかわからないけれど、とりあえず行ってみようとたどり着いたところは、忘れられたようにひっそりと、でも存在感たっぷりに佇む湖だった。

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わたしたち以外おらず、湖畔の地面の上でそのまま寝袋に包まって朝を迎えた。
絶景を二人じめして贅沢だった。

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4、はいつもふたりで同じ景色を見て、感動を分かち合えた。
帰ってから思い出話もできて、今でもあの時の絶景を反芻できる。


Q、旅でやってよかったことは?
A、ホームステイ(カウチサーフィン)、ヒッチハイク、トレッキング、ブログ

JICAの隊員の家だけでなく、オマールのように知り合った現地の人に泊めてもらうこともあったし、イランやスペインのようにカウチサーフィンで毎回違うお宅に泊めてもらうこともあった。
ホームステイすると現地の暮らしぶりがわかるし、外食とは違うその土地の家庭料理を味わうこともできる。
そして何より、友達ができる。
カウチサーフィンももっと早くからやっておけばよかったと思う。

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ヒッチハイクは、トルコやバルカン諸国、ザンビア、チリ、アルゼンチンでやってみた。
車を捕まえるのは大変だし、労力も使うし、時間もかかり、緊張もするけど、たくさんの人と話すいい機会になった。
車内で盛り上がることもあったし、フェルナンド一家のように友達になることもあった。
ヒッチハイクをすると移動がただの移動でなくなり、印象深い体験となる。

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もともとトレッキングには興味がなかったイクエとケンゾー。
でも旅行中にトレッキングの魅力を知った。
トレッキングは冒険そのものだった。

この先どんな景色が待っているかと思うとワクワクするし、途中ちょっとしたアクシデントが起きたり思うように進まなかったり。
まさに旅に似ている。
自分の足でゴールにたどり着くと達成感を味わえる。

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トレッキングが楽しいと思うのは、ツアーではなく、自分で苦労しながら旅をしたいというバックパッカーの心理に通じる。
バックパッカーは、トレッキングが好きになる可能性大。

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日記代わりと身内への旅の報告、安否確認が目的で始めたブログ。
旅行から帰った今、世界一周が遠い昔のことのような、夢だったような気さえする。
もしブログをやってなかったら、旅の記憶もどんどん薄れていくだろうし、忘れることも多かったと思う。
ブログをやったことでいつでも旅を振り返られるし、このブログはわたしたちの旅の産物。

わたしたちの個人的な気ままな旅を、多くの人たちに共有してもらえることもできた。
読者の方たちのちょっとした日々の楽しみになっていたら、とても嬉しい。

それにブログがきっかけで海外で会えた人たちもいた。
例えば、ブログから連絡をくれたウィーンに住むサトコさんとは、ウィーンで会って出国したあともまた会いたくなり、再入国して夏の別荘にもお邪魔した。
他にもチリに住むマリエちゃんもブログから連絡をくれて、会うことができた人。

ブログで日々のことを綴るのは時間もかかったけど、やってよかったなあと思う。


Q、良い旅のエッセンスは?
A、いい出会い

「どの国がよかった?」「どの国が思い出深い?」「どの国にまた行きたい?」
そう聞かれてわたしたちが思い浮かべるのは、いい出会いがあった国。
どんないい観光地よりも絶景よりも、いい出会いに勝ることはない。
「あの国の人たち、優しかったなあ」「あそこであの人と出会って、あんなことがあったなあ」「あの人たちにまた会いたいなあ」。

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良い旅になるかどうかは、人とのいい出会いが左右するとつくづく思う。
わたしたちは本当にいい出会いに恵まれていたと思う。

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