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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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3年5か月ぶりの日本 どう映る?

2017.07.23 10:49|世界一周裏話☞EDIT
日本の夏の暑さにため息が出るけど、ウズベキスタンや南インド、エジプト、スーダンに比べたら全然大したことないと自分を励ましているイクエです。
本当に暑かった。
よりによっていちばん暑い時だったし、エアコンがなく、スピードの出ないオンボロ車で砂漠の中をノロノロ移動するのは意識が朦朧として、ペットボトルの水もお湯になっていて喉を通らないし、過酷だったなあ。
少しぐらい高くてもと、エアコン付きのホテルに泊まるもしょっちゅう停電して、部屋の中でも暑さと戦っていた。
それに比べたら日本の暑さなんてかわいいもんだと思いたい。

エジプトのホテルでケンゾーは、すっぽんぽんで濡れタオルを頭にかけて、自らファラオになるという暑さ対策をしていたもんね。

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3年5か月ぶりに日本に帰ってきたイクエとケンゾー。
旅行中一度くらいは帰国するかもと思っていたけれど、家族も健康でいてくれてわたしたちに大きなトラブルもなく、帰国する必要性かがなくて、こんなにも長く日本を離れてしまっていた。
そんなわたしたちに、久しぶりの日本はどう映ったのか。
きょうはそれをご紹介します。


1、日本の道には文字が溢れている!!

国土が狭く人口の多い日本。
高低差もあって山道も多い。
だからきっと日本に帰って久しぶりに日本の道路を車で走れば、その道の狭さを感じるんじゃないか。
帰国する前はそう思っていた。
でも、船が博多港に着いてそこから車で道路を走ってみると、道の狭さはそれほど感じない。
アメリカなど道路が何車線もあって道幅の広い国に長く滞在していたらそう思ったかもしれない。

でも振り返ってみると、道の狭い国はたくさんあった。
特に途上国では、道路の整備が車の普及のスピードに追いつかなくて、ちゃんと舗装もされていないような狭い道に車がひしめいているところも多い。
信号もなく、あっても交通ルールが守られず、街の中の交差点は直進したい車、右折、左折したい車が我先にと突っ込んでカオス状態。
あっちからもこっちからもクラクションが鳴り響き、もはやどの車がクラクションを鳴らしているのかわからずに、意味のないクラクションでみんなのストレスマックス。
そしてイライラがさらに募ってクラクションを鳴らすという悪循環。

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そんな国に比べたら、日本の道路はなんて快適なことか。

でも、道路を走っていて違和感を感じた。
道の狭さにではなく、看板の多さに!

日本ほど看板が多い国はないんじゃないかと思う。
しかも一つ一つの看板がでかい。
そして看板いっぱいに文字を書いている。
さらに一つのお店で何枚も看板を掲げている。
だから、視線を右に左に移しても何かしらの文字が飛び込んでくる。
例えばレストランなら、駐車場には背の高い看板、建物の正面にも側面にも看板、入り口にも看板、といった具合に。
お店だけでなく、「〇〇歯科」も「〇〇塾」も。
そしてガソリンスタンドやコンビニ、車販売店、携帯電話会社などは、のぼりを立てて安さや新製品、キャンペーンをアピールしている。
のぼりも1、2本でじゅうぶんなはずだけど、いくつも同じものを立てている。

さらに、そのお店や施設に看板を掲げているだけではなく、道路の目立つところに広告の看板がいくつも立っている。
日本で生活していればこの目障りさに慣れてしまうけれど、久しぶりにこんな環境に身を晒すと目がチカチカしてくる。

そんなにアピールしなくてもと思うんだけど、周りがアピールしてるからか目立つ色で文字を看板に書いている。
たしかに自分のところだけ地味にしていたら、その存在が周りの看板で埋もれてしまう。
そんな風にして、どんどんエスカレートしていくのかな。
みんなが控えめにしたら、街並みももっと整然として穏やかになると思うんだけどなあ。


2、ATMが無防備すぎる!!

わたしたちは3年5か月の旅行中、日本の銀行のキャッシュカード(以前から愛用していた福岡銀行のアレコレカード。海外でも手数料激安ですごく便利!)を使って現地のATMで現地通貨を下ろしていた。
日本でやるのと同じように。



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ATMなんて外国も日本のものもそんなに変わらない。
そう思っていたけど、久しぶりに使ってみてびっくり。

暗証番号を押すキーが丸見え。
他の人に見られないようにキーについているべきカバーがないATMも多い。
また、タッチパネル式のところは画面いっぱいに数字のキーボードが出てきて、手で覆って隠そうにも隠せない。

外国でATMを使うとき、わたしたちはいつも二人がかりで慎重にお金をおろしていた。
カードのスキミングや泥棒や強盗などの犯罪に遭わないように。
後ろに不審者がいないか確認し、キョロキョロしながらキーの部分を手で覆って暗証番号を打って、おろしたお金は素早くしまう。

そんなことが習慣になっていたから、日本のATMの無防備さにびっくりしてしまった。
みんな隠そうともせずに暗証番号を打ち込んでいる。

外国の犯罪者にとって、日本は天国みたいなところだなあ。


3、ついついティッシュを使っちゃう!!

旅行中はティッシュなんてトイレと鼻水を拭く以外で使うことはほとんどなかった。
何かをちょっと拭き取るなら、タオルで事足りる。
タオルが汚れたら、パパッと手洗いすればいい。
何の不自由を感じることなくそんな生活を3年5か月送っていた。

でも、帰国して気付けば無意識にティッシュをたくさん使っていた。
口元を拭くとき、ちょっとテーブルに何かをこぼしたとき・・・。
旅行中、ティッシュがなくても全然困らなかったのに、今ではすっかり依存している。

日本ではだいたいどの家庭でも、一部屋に一箱のティッシュが置いてあるんじゃないかな。
やっぱり手の届くところにティッシュがあれば、便利だからついつい使ってしまう。
一部屋に一箱、バッグやポケットに一つ。

日本に来たことのある外国人は、街頭で無料でポケットティッシュが配られることに驚く。
日本が世界で一番、ポケットティッシュを持ち歩く人が多いんじゃないかな。


4、ワインがこんなに安かったっけ!?

スペインやフランス、ハンガリーに南アフリカ。
チリとアルゼンチン・・・。
ワインの名産地を旅し、安くておいしいワインをたくさん飲んできた。
日本円にして600円くらい払えば、まあまあのワインが1本買えた。

旅をしている最中にも「ああ、あの場所に戻りたいなあ」「またあそこでゆっくりしたいなあ」とケンゾーと言い合うことがあったけど、ふたりが恋しくなる場所はたいていワインの名産地だった。

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ワインの名産地を離れるときは、いつも寂しい思いをした。
そして、世界一周旅行を終えるときその思いは強くなった。
「日本に帰ったら、もうおいしいワインを気軽に飲めなくなるなあ。
日本はワインが高いし、安いワインはおいしくないだろうし」


ワインは好きだけど、難しくてわからないイクエとケンゾー。
それでも、世界でおいしいワインを飲んできて、行く前よりも少しは舌が肥えた。
おいしいワインの見分け方はわからないままだけれど、品種がしっかり明記されているもの、名産地のものを買えば、それなりにおいしいものにありつける。
海外ではそんなワインが安く手に入る。

世界一周を終えることに心残りはそれほどないし、帰国することが嫌ではなかったけど、ワインが飲めないと思うと、とても残念な思いがして、ため息が出た。

でも、帰国した次の日、熊本の実家に帰る途中で立ち寄った大型スーパーの酒コーナーに、ワインがずらり!
しかも安い!!
1本1000円以下のがたくさんある。
そのほとんどは、ワインの名産地のものだし、カベルネソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、ソーヴィニヨンブラン・・・と品種もしっかりしている。

「うわー!
 なんだー、安いやん!!」

思わず声をあげて、顔がにやける。

海外で売っていたワインの値段とほとんど変わらない。
チリでよく飲んでいたワインなんて、まるっきり同じなのに現地よりもむしろ日本の方が安い。
600円ぐらい。

世界一周に行く前は、日本のスーパーで売っているワインはこんなに種類はなかったと思う。
1000円以下のものは、品種のはっきりしないものだったような気がする。
この3年5か月のうちに、日本でワインがすっかりポピュラーになったのかもしれない。

日本に帰っていちばん嬉しかったことは、このワインが安くなっていたことかも。

そのほか、世界一周前と比べて変わっていたことはいくつかあった。
その一つが、ネコブーム。
旅行に行く前もネコカフェはあったけれど、こんなにもネコブームではなかった。
CMでもネコが登場するし、ネコグッズもたくさんあるし、何よりネコを飼っている人がすごく増えたと思う。

もちろん変わらないものもある。
ずいぶん変わってるだろうなと思って、全然変わってなかったのはテレビだった。
3年5か月も日本を離れていたから、芸能界の入れ替わりも激しくて、きっと知らない芸能人がいっぱい出てきてるだろうなと思っていた。

でも実際日本に帰ってテレビを見てみると、人気番組は以前と同じ番組だし、出演している芸能人も同じ顔ぶれ。
特に芸人は知らない若手がたくさんいるだろうなって思っていたけど、人気番組の司会は相変わらず同じ人たち。
番組を盛り上げる芸人たちは、30代後半からの中年の人たち。
そのことを姉に言ったら「そりゃそうだよ。わたしたち世代がテレビで活躍してるのは当然だよ。だって今の若い子はスマホもあるしテレビ見ないんじゃない? 見るのはわたしたち世代だもん」と言われた。
そうかもなあ。

世界一周に行く前はスマホを持ってる人もそんなに多くはなかったし、LINEなんてあったのかもしれないけど私の周りではほとんど誰も使っていなかった。
フリーのWi-Fiがあるところも限られていた。

でもインターネット関連の普及は、日本に限ったことではない。
世界旅行をしているときも前半はWi-Fiがある宿を探すのも苦労したし、Wi-Fiがないからインターネットカフェを探したりしていた。
つながるスピードも遅くて、ブログに写真をあげるのも時間がかかったり、途中で回線が切れたりして苦労した。
それが旅が進むごとに、つまり月日が経つにつれ、インターネット事情はよくなる一方だった。

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先日、バングラデシュでホームステイをさせてもらった女の子からfacebookにメッセージが届いて驚いた。
その家族とは移動中の列車の中で知り合い、急に家に泊めてもらうことになったんだけど、ど田舎で水道も電気もないところだった。

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インターネットは猛スピードで世界中に普及していて、映画や音楽、ファッションの画一化を進めている。
そしてそのグローバルなファッションや嗜好の流行は、その土地ならではの文化を飲み込んでいき、どこも似たり寄ったりな雰囲気になっていくんじゃないかと思う。

だから「旅したい」と思ったあの時に、後回しにせずに世界一周に行けたことはよかったなあと改めて思う。

まあ、老後は過酷なものではなく安心して穏やかな旅行を求めるかもしれないけど。
刺激の少ない、日本水準の外国のきれいな観光地を。

だっていま、日本で世界の秘境や過酷な旅がテーマのテレビ番組で、レポーターや芸人がダニがいっぱいいそうな安宿に泊まっていたり、茶色の水で顔を洗っていたり、ゲテモノを食べたりする場面や、汚いトイレが映ったりしているのを見ると、「うわー。きったな〜い!ムリ、ムリ!」と自然に顔をしかめて言ってしまう。
その度にケンゾーに「俺らもこんなことしよったし。むしろこれより汚くてひどかったし」と突っ込まれる。
ふと我に返り、そういえばそうだったなあ、よくあんなことできたなあと思う。

スーダンの野戦病院みたいな宿に、本当に自分が泊まっていたなんて。

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コーヒー牛乳色のシャワーは、体を流すと体が茶色く汚れた。
それでも汗を流したかったからシャワーを浴びていた。

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あんなことができたのは、旅マジックにかかっていたのかなあ。
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ふたりの世界一周がきれいに終わった

2017.07.07 10:30|世界一周裏話☞EDIT
世界旅行をしていたときの1年より、日本で過ごす1年の方が過ぎるのが早いと感じるイクエです。
どうしてかなあ。
毎日同じような日々を送っているからか、みんな忙しいからか、四季があるからか。
いつのまにか月日が流れているから、「いつまでにこれをしよう!」という目標をこまめに立てて生活した方がいいのかな。

3年5か月の世界一周の旅を終えて、日本に帰ってきたイクエとケンゾー。
その日は福岡のケンゾーの実家に泊まった。
そして次の日、高速バスでイクエの実家の熊本に向かう。

バックパックを背負って歩くのがあんなに自然だったのに、福岡の繁華街、天神のど真ん中で夫婦二人でバックパックを背負って歩くのはとても違和感を感じる。
それになんだか恥ずかしさも感じる。

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福岡の街並みは以前と変わらなかったけれど、路線バスの車内では電光掲示板で英語、ハングル、中国語の案内が流れ、バスターミナルには外国語対応の案内窓口ができていた。
2020年の東京オリンピック開催が決まったのは、わたしたちが旅に出た1年後の2013年9月のことだった。
地方都市の福岡も、この数年で外国人観光客を意識した街づくりが行われていることに驚いた。

熊本インターの手前で高速バスを降りると、母が迎えに来てくれていた。

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(のちにこの車は、母から譲ってもらうことになるんだけど、それからすぐの熊本地震のときにイクエとケンゾーの寝室の下敷きになって廃車になってしまった・・・。
これからご紹介する写真は、今となってはわたしたちにとって懐かしいもの。)

母と会うのは、家族がわたしたちに会いにフランスに来てくれて以来。
2年ぶり。

「ただいまー」
「おかえりー」

世界一周という冒険を終えた娘と、それを待つ母の感動の再会。
という雰囲気ではまったくない。
涙や感動はなく、日常の一コマのような感じだった。
強いて言えば、お盆休みに帰省した娘が母に迎えに来てもらったって感じだろうか。

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実家へ向かう道も、特に懐かしいという感じはしない。
3年5か月ぶりなのに、そんな感じが一切しないのが不思議。

だけど今、この写真は懐かしいものとなった。
この写真は阿蘇大橋の手前で対岸を写したもの。
地震で橋が崩壊し、今はもうこの道を通って実家には行けないから。

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3年5か月の旅行中、わたしとケンゾーは一度も帰国しなかった。
代わりに1年目と2年目の年末年始に家族がわたしたちに会いに来てくれた。
台湾とフランス。
さらに母はバックパックを担いでウズベキスタンまで単独で会いに来てくれた。
3年5か月の世界一周の旅で後悔していることはほとんどないけど、もっとも後悔しているのは母との旅行。
当時ウズベキスタンは、三人全員がダウンしてしまうほどの酷暑だった。
それなのに旅に出てまだ1年のイクエとケンゾーは、バックパッカーの意地みたいなものに囚われ、心に余裕もなく、ストイックな旅をしていて、その旅のスタイルに高齢の母を付き合わせてしまった。
今思えば、あんなどうでもいいこだわりなんて捨てればよかったと思う。
せっかく母が来てくれたんだから、その時ぐらい豪華なホテルを予約すればよかったし、おいしいレストランをリサーチして連れて行けばよかった。
行き当たりばったりの過酷な安上がりの旅に、母を付き合わせてしまった。
それ以前に、1年でもっとも暑い時期の砂漠の国ウズベキスタンに来てもらったことが、配慮がなかった。
それなのに母は「辛い」とか「きつい」とか「来ないとよかった」なんて一言も言わなかった。
代わりにこう言っていた。

「二人の旅行スタイルを体験できたことがよかった。
イクエとケンちゃんはこんな風にがんばって旅行してるんだなーってわかった。
だから、二人が必死になってやり遂げようとしてる旅行を応援せんといけんなって思えた」


ウズベキスタンでの旅行は、この3年5か月の世界一周中の後悔というよりも、わたしの人生における数少ない後悔の一つだ。
やり直せることならやり直したい。

実家では甥っ子がケンゾーの帰りを待っていた。
「ケンちゃーん!
 キャッチボールしよー!」

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フランスに来たときは、ほとんど母におんぶされていた甥っ子も、まもなく小学1年生を迎えようとしている。
大人の3年5か月と、幼い子の3年5か月は時間の流れ方がまったく違う。
この子の人生の半分以上、わたしたちは外国をふらついていたのに、甥っ子はわたしたちのことを忘れず、身内として自然に受け入れている。
これも、母や姉がわたしたちのことを話し、身近に感じさせてくれていたからだと思う。

ちょうどこの日は姪っ子の10歳の誕生日。
誕生日とわたしたちの無事の帰国をみんなでささやかにお祝い。
姉は、ケーキ屋さんにケーキを注文してくれていた。

姪っ子の好きなキャラクター、スヌーピーが地球儀の上に乗っている。

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実家ではのんびりと過ごした。
それはまるで帰省して家族水入らずのお正月を過ごすような感じだった。

「旅行どうだった?」「どの国が楽しかった?」そんな会話はない。
旅行の話はせず、家族の会話に上るのは、姪っ子の学校生活、甥っ子の好きな遊び・・・。
わたしたちも特別旅行の話をしたいとも思わない。
普通の団欒。
それが家族なのかもしれない。

旅行中もお寿司を食べる機会はあったけど、さすがにプラレールの回転寿司はなかった。
食べるのが、少々面倒臭い。

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地震で実家がなくなったので、この写真ももはや懐かしい。

わたしたちが会いたかったのは、この家族だけではない。
チワワのホタテ。
わたしたちふたりが飼っていたんだけど、旅行中実家で面倒をみてもらっていた。

旅行中、死んでしまうかもしれない。
そう覚悟もしていたけれど、母が一生懸命お世話をしてくれた。
イクエとケンちゃんに会わせるまでは、何としても生きてもらわないと。
母はその一心で、病院に何度も連れて行ったり、ヨボヨボのホタテの散歩に根気強く付き合ったりしていた。
母がわたしたちの帰りを心待ちにしていたのは、せっかくかろうじて命をつないでいるホタテがいつ亡くなってしまうかわからない状況だったから。

「一刻も早く帰ってきなさい」
そう言う母の言葉は、気ままに旅をしているわたしたちにはうっとうしく、また帰国後の生活設計が立たないわたしたちには、耳の痛い言葉だった。

だからわたしたちは「もうちょっと長く旅をさせてよ」と母にわがままを言っていた。

ホタテはわたしとケンゾーが想像していたよりもはるかに老化が進んでいた。
そんなホタテと対面し、母の切実な訴えがようやく理解できた。

ホタテは白内障が進んでいて、わたしたちを認識できないようだった。
テラスにぽつん。
ずーっと日向ぼっこしている。
ネコみたい。

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室内ではストーブの前が特等席。
ホタテと再会できたことは母のおかげだ。

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あんなに好きで、ぐいぐいとリードを引っ張って歩いていた散歩。
今ではヨタヨタと足元がおぼつかず、ときどき足が曲がって転んでしまう。
「がんばれ!ほら、ここまでおいで!」
声をかけながら、少しの距離を長い時間をかけて散歩させた。

その時間はわたしとケンゾーにとって忘れられない時間となった。
ホタテは愛おしかった。

帰国して1か月。
朝起きると、ホタテは息を引き取っていた。
穏やかな顔をしていた。
わたしたちの帰りを待ってくれていたみたいだった。

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最後にロストバゲージした荷物は、帰国10日後、無事に実家に届けられた。
海南航空なんて全然知らなかった航空会社を利用したから、どうなることかと思っていたけど、最終的にはANAだったかJALだったかの東京のスタッフから連絡があって、丁寧な対応をしてくれた。

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このバッグに入れていたのは、服や洗面用具のほか、料理道具と食材。

わたしたちはどんなところでも、できるだけ自炊していたからいつも大量のものを持ち歩いていた。
ホーロー鍋に電気コンロ、ナイフやフォーク。
砂糖や塩、オリーブオイル、にんにくパウダー。
ほんだしや醤油といった和食の調味料。
洗剤やお茶っ葉。

中のものは何一つ盗られていなかった。

けれどバッグの中には、一枚の紙が入っていた。
アメリカの空港で入れられたものだった。
英語で書かれていた文章には「この荷物を不審物と見なし、中のものをチェックいたしました」。

たしかにね。
アメリカ人にとって、本だしとか、なんか変なクスリかと思うよね。
粉末や液体をたくさん入れてたし、アメリカ人にとっては馴染みがないものも入っていたから、調べるのに時間がかかって、フライト時間に間に合わなかったんだろう。

さらにベネズエラで買ったこのバッグは、外のポケットのファスナーが壊れたから糸で雑に縫って使っていた。
その部分が切られていた。
中にいかがわしい何かを隠して、縫っていると疑われたのだろう。

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冷静になって考えると、こんなに怪しい荷物はない。
なんだか、申し訳ない。

荷物に入れていたみんなへのお土産ももちろん無事。
ベネズエラのコーヒー、メキシコのヤギ乳のキャラメルソース、ロサンゼルスで最後に買ったお菓子。

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そして、わたしたちの元に戻ってきた荷物はそれだけではなかった。
帰国してとりあえず身を寄せていた実家から、イクエとケンゾーが福岡で家を探し、そこに引っ越す日の前日のこと。
いよいよ新生活をスタートしようしていた矢先のこと。

夜8時にチャイムが鳴った。

わたしはその時二階にいた。
一階から「うわー!」「あははは」という歓声と拍手が聞こえた。
「イクちゃーん」姪っ子の呼ぶ声が聞こえる。

なんだろうと下に行ってみると、白いダンボールをみんなが囲んでいた。

その箱に見覚えがあった。

それは、半年前、ベネズエラから送った荷物だった。

経済破綻しているベネズエラから送った10キロの荷物は、郵送費およそ135円。
「安いからお土産をたくさん買って、ついでにもういらないものも入れて送っちゃえ」と送ったのはいいけれど、日本の母からは「荷物まだ届かないよー」と言われていた。
そしてわたしたちが日本に帰ったのに、荷物だけが来ない。
政情不安だし、どこかで職員が仕事を放棄したか、途中で誰かに盗まれたんだろうな。
もう、諦めていた。
それが届いたのだった。

しかもそのタイミングが、わたしたちが熊本を離れ福岡での生活をスタートする前日の夜だなんて。

「すごいねぇ」
「しかもこのタイミング」

家族で興奮して話していると、母が言った。

「はー。
 これで、ふたりの旅もようやく終わったって感じね」


確かにそうだった。
わたしたちは無事に帰国したのに、荷物はまだ旅を続けていた。
その荷物が届き、なにも思い残すことなく、わたしたちの旅はきれいに終わりを迎えた。
そして、新生活が始まる。

長い長いふたりのバケーションが幕を閉じた。
たくさんの思い出を胸に、歩き出そう。

(これまでふたりの長旅におつきあいくださってありがとうございました。
旅のまとめや現在の二人のことをあと数回お伝えしたあと、世界一周のブログランキングを抜けます。その後も細々とブログは続けていく予定です。気が向いたときや暇でしょうがないとき、このブログをまた覗いていただけたら幸いです。

ズボラなふたりがブログをなんとか続けられたのは、本当にみなさんのおかげでした。)
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ただいま!日本

2017.07.01 11:15|世界一周裏話☞EDIT
好きなお店はKALDIのイクエです。
全国展開しているチェーン店のKALDIはもともとコーヒー豆屋さんなんだけど、輸入食材を扱っている店。
アジアのインスタントラーメンや、ヨーロッパのチーズや生ハム、パスタやソース、行ったこともない国の食べたことのないもの、各国のスパイスや、お茶、ワインのほか、日本各地のご当地お菓子やドレッシングなど、珍しくおもしろい食材を販売している。
見ているだけでも飽きないし、ここで食材を買えば食のレパートリーが広がる。
週に2回は行ってるかも。
月に1万円くらいはここで買い物してるかな。
昨日は夕食で、ここで仕入れたタイのココナッツカレーのルーでチキンカレーを作り、ナンの粉を買ってナンを焼きました。

ついにこの時が来てしまった。
もう、この船に乗ったら3時間後には日本だ。

さすがに船に乗り込むときウルっときてしまって、慌てて平常心を取り戻そうとした。

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この気持ちをどう表せばいいのかわからない。
「感無量」とは、こういう気持ちを言うんだろうか。
でも、心はそこまで高ぶってはいない。
思いのほか穏やかだ。

達成感、ではない。
寂しさと安堵感がないまぜになったような気持ち。

「ついにこの時が来たのかあ」と現状を受け入れることに少しの戸惑いを感じつつも、「帰るところに帰るんだなあ」と、ごく自然な流れを受け入れる気持ち。

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船の中には韓国の短期旅行を楽しんだ人や、仕事から日本に帰る人たちが乗っていて、日本語が普通に聞こえてくる。

これまで3年5か月も日本に帰らず世界を一周してきたイクエとケンゾーにとっては、特別な船旅ではあるけれど、乗客の一員として横一列の座席に座っていると、この移動もごく普通のものに思えてくる。

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ドラマチックなフィナーレではない。

こんなに冷静な気持ちで旅の終わりを迎えるとは思っていなかった。
そしてそのことにホッとしている。

もっと旅に未練があったり、この先どうやって生きていくのかわからないことに不安をもったりするかもしれないと思っていたから。

もとから、わたしたちの世界一周は二人の人生の中でごく自然な流れで行い、特別なことではなかったのかもしれない。

3年5か月前も、わたしたちはひっそりと日本を出てきた。

「仕事辞めたらちょっとゆっくりする。
 長期で旅行にでも行ってくる」

周りの人にはそんなふうにさりげなく伝えた。

世界一周をする旅人の中には、日本で壮行会を開いてもらい、空港で大人数の仲間たちに見送られて出発する人も多いけれど、わたしたちふたりにとってそれは考えられないものだった。

仕事を辞めて気ままな旅行をするなんて、後ろめたかった。
同僚たちが一生懸命仕事をしているのに、そこから「いちぬけた〜」なんて無責任。
身内には心配をかけることになる。

旅はただの道楽でしかない。
胸を張ってできるようなものではない。
単なる自分たちのわがままな行動に、他の人を付き合わせるなんて申し訳ない。

だから出発するときは、母に地元の駅まで送ってもらってそこからふたりだけで列車に乗って下関まで行き、フェリーターミナルまで歩き、静かに日本を発った。

自分たちの日記代わりと家族への旅の報告を兼ねて始めたこのブログは、予想もしない多くの人たちに読んでもらい、わたしたちのことを知っていただくことになったけれど、それでもわたしたちの旅への考えが変わることはなかった。

空港でたくさんの家族や仲間たちが出迎えてくれて、旅のフィナーレを迎える人は多い。
でも、わたしたちは出発したときと同様、ひっそりと日本に帰るつもりだった。

空港から路線バスかタクシーでバスターミナルまで移動してそこから熊本行きのバスに乗って実家に帰ろう。
そう思っていた。
でも、ケンゾーのお兄さんが高齢のお義父さんを連れて車で迎えに来てくれると言ってくれた。
ありがたい。

ずっと海ばかり見えていた窓から、見慣れた島が見えてきた。
何十回、あの島を訪れただろうか。
玄界島。

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玄界島は2005年の福岡県西方沖地震でもっとも被害を受けた場所で、一時は全島民が島外で避難生活を送り、ほとんどの住宅が被害を受けて解体され、再整備されたところ。

わたしが記者として働いていたとき、玄界島担当のような形になって何度も取材し、友人もできた。
思い入れのある島が、最初に窓から見えたので感慨深く感じ、旅に出る前に働いていたときのことや生活を思い出した。

3年5か月も前にそんな生活に終止符を打ち、異国でまったく違う時間を過ごしていたのに、日本でのかつての生活に懐かしさを感じるのではなく、ついこの間のことのように思える。

窓から福岡の街並みが見えた。
その景色も懐かしい、ではなく、自分にとって当たり前の慣れ親しんだ景色だった。

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自分たちがすーっと違和感なく、日本社会に溶け込み始めているのがわかる。
それは、予想していたことだった。

旅をしているときは「きっとそうなるだろうけど、なんかそれは寂しいなあ、嫌だなあ」と思っていた。
しかし、実際はそれはそんなに寂しいものでも嫌な感覚でもなかった。

「スタンプがたくさんあるし、日本の出国スタンプが3年5か月も前のものだから、入管で怪しまれそうよね」
そんなことを言いながら、船から降りて入国手続きの列に並んだ。

問いただされたらなんて答えよう。
夫婦で世界一周してましたって答えたら、怪しまれるかな。

だけど、職員の男性はわたしのパスポートをパラパラとめくりながら、温和な顔で言った。
「ずいぶん長い間、旅行されてたんですか?」
「はい」
「いいですねー」
そう言ってスタンプをあっさり押してくれて、パスポートを閉じてわたしに穏やかな笑顔で返してくれた。
この言葉とともに。

「おつかれさまでした」

入管の職員からそんな言葉をもらうなんて予想もしていなかった。
だけど、日本ならではのその言葉は、とても優しく、すんなり入ってきて、これまで旅行中ずっとどこかにあった緊張の糸を緩めてくれ、肩の荷が下りたような気分にさせてくれた。

「おつかれさまでした」

別に誰かのためにがんばっていたわけではない。
自分たちが好きなように旅行していただけ。
日本の生活が息苦しくなって、海外逃亡のように世界一周に出ただけ。

そんな労いの言葉をかけてもらう立場にないけれど、日本の地を踏み、ホッとした自分に妙にしっくりくる言葉だった。

外に出ると驚いたことに、昔の会社の後輩が出迎えてくれた。
特に連絡もしてなかったのに、ブログからきょう船で帰るらしいと察知した彼女は船の時間を調べて待っててくれたのだった。
旅行前は生まれていなかった息子と手をつなぎながら。

会社の人たちには、自分が無責任に仕事を辞めて好きな旅行に行くということが後ろめたくて、辞めるときはしっかりとした説明も、気の利いた挨拶もお礼もしていなかった。
わたしにとって仕事や同僚はとても大きな存在だったけど、だからこそどうすればいいのかわからなかった。

夫が単身赴任中のなか幼い子どもを育て、記者としてがんばっている彼女。
あいかわらずきれいで、髪の毛やメイク、ネイルにも気を使って、上品な身なりをしている。
今のわたしにはとてもたくましく、生き生きと見える。

そんな彼女が、小汚いバックパッカーのわたしに言った。
「おかえりなさーい。
 わー、二人とも焼けましたね。
 無事でよかった!
 
 ところで帰ってすぐにこんなことを言うのもなんですけど、また一緒に仕事しませんか?
 ケンゾーさんも。
 他の人たちもそう言ってますよ」


まさかそんなことを言ってくれるなんて思ってなかったから驚き、戸惑った。
そして、ものすごく、ありがたかった。

日本を逃げるように出て、世界を好き勝手に放浪したわたしたち。
でも、日本に帰って、世捨て人のようにはなりたくないと思っていた。
できれば、社会に遮断されることなく、しっかりと生きていきたい。

夫婦で3年5か月もバックパッカースタイルで世界一周するなんて、個性的で変わってると思うかもしれないけど、案外わたしたちは「普通」だし、そしてまた普通の生活を求めている。

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なんだか照れくさくて、後輩には「ありがとう」とだけ伝え、また一緒に飲むことを約束し、迎えにきていたケンゾーの二番目のお兄ちゃんとお義父さんと再会した。
高齢のお義父さんが元気そうで、何よりだった。

この3年5か月、家族が元気だったことが本当にありがたい。

車の中では、ユーミンの歌ばかりが流れていた。

お兄ちゃんが言った。
「ユーミンかな、と思って選曲したんよ。
 松任谷由実じゃなくて、荒井由実のときのね」

若い頃の、軽やかなユーミンの声。

明るいけど少し物悲しく、どこか郷愁あるユーミンのメロディーが、久しぶりに見る日本の景色とわたしたちの今の気持ちにぴったりだった。

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お兄ちゃんは、ケンゾーの兄弟やいとことの食事会をセッティングしてくれていた。
3年5か月ぶりに帰った日本での初めての食事は、お兄ちゃん馴染みのお店。

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久々の和食は、お寿司?天ぷら?

テーブルには、手書きのお品書きが置かれていた。
お兄ちゃんのチョイスはすばらしかった。

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こういうのは、海外の高級な日本食レストランでも食べられない。

筑前煮や、鮎。
日本ならではのものを食べると、日本に帰ったと実感するし、あぁやっぱり日本はいいなあとしみじみ思う。
ケンゾーは芋焼酎をたっぷり味わった。

その日の夜はケンゾーの実家で、布団を敷いて疲れた体を横たえた。

次の日の朝は、コンビニでパンでも買おうと思っていたら、一番上のお兄ちゃんが用意してくれた。

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帰国したら、旅のことはまるで夢だったかのように思えて、日本の生活にすぐに慣れる。
世界一周旅行者が口々に言っていた言葉。

イクエとケンゾーは、たった一日でそれを実感することになった。

でもそれは、もったいないことでも寂しいことでもない。
わたしたちには帰るところがあり、やっぱり日本が一番好きで、そして居心地がいいことの証だから。
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