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ケンゾー   イクエ


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東日本大震災から6年 改めて思うこと

2017.03.11 17:45|世界からのメッセージ☞EDIT
2017年3月11日。
東日本大震災から丸6年が経ちました。

きょうは旅の話を離れ、震災について書きたいと思います。
(以前震災について書いた時「旅ブログなのに」という批判のコメントをいくつかいただきました。
ごくたまに旅の話から外れて、自分たちのブログに伝えたいことを書くことがそんなにいけないことなのか、理解に苦しむところがありますが、旅の話しか期待していない人はきょうの記事をお読みにならないでください。)

わたしもケンゾーもこれまで被災地と関わってきました。
ケンゾーは東日本大震災後、国際NGOのボランティアリーダーとして福島と岩手に1年ほど滞在していました。
わたしは東日本大震災では現地でボランティアもしましたが、報道記者として宮城に滞在し取材をしたり、地震についてのドキュメンタリーを制作したりしていました。
そういうことがあったため、このブログを立ち上げたときから3月11日は特別な日とし、旅の話ではなく震災について記事を書いてきました。

そんなわたしたちが去年発生した熊本地震で被災しました。
その時は、励ましやご心配のメールやコメントをたくさんの方からいただきました。
ありがとうございました。
うまく返信をすることもできず、申し訳ありませんでした。

コメントのなかで、「東日本大震災に関わってきた二人が、今回被災したことに運命的なものを感じませんか?」というような内容のものがありました。
このことに関して正直に言うと、まったく運命的なものは感じません。
被災して改めて思ったことは「日本は地震大国。いつ自分たちが被災者になってもおかしくない。だから今回は熊本で起きたんだ」と言うことです。
「どうしてよりによって熊本で?」「どうしてわたしたちが被災者に?」という気持ちになってもおかしくないようですが、そうではなく、「あー、ついに自分たちも被災してしまったなあ」「地震はどこで起きてもおかしくないと言うのは、本当だったんだなあ」と言う気持ちでした。
これまで震災に触れてきたから、震災を身近に感じていて、そう思ったのかもしれません。
地震を他人事と思っている方がいれば、その考えを改め、地震についての心構えや備えをぜひしてほしいと思います。

東日本大震災から6年がたったきょう。
以前と比べると、この特別な日の震災関連の報道も随分減ったと思います。
記憶は風化させないと誓ったはずなのに、自分たちも含めてあの日の誓いや悲しみが薄れているようです。
被災した方々にとっては、それがどんなに辛いことかと思います。

先日NHKのドキュメンタリーで、伴侶や幼い子を津波で失った人たちが、心にその喪失感や悲しみを抱えながらも、新しいパートナーと結ばれ新しい家庭を築き始めていく話を観ました。
震災から6年という時間は、人々にさまざまな思いや葛藤を乗り越えてようやく再び歩いていこうとさせてくれる時間なのかもしれません。

その一方、震災から受けたダメージや歩くスピードは人ぞれぞれで、焦ることなくその人のスピードで進んでほしいと強く思います。
立ち止まっても、振り返ってもいい。
周りから置いていかれているという疎外感を感じることなく、そして周りもそれを感じさせることなく。

昨年の熊本地震は津波もありませんでした。
東日本大震災に比べると、亡くなった人の数や被害もまったく異なります。
そのことを熊本地震の被災者たちは、いつも感じているように思います。
「家はダメになったけど、命があるからね。」
それを合言葉に前へ進んでいます。

東日本大震災のような、あれほどの喪失感や悲しみはなかったので、同じ「被災者」というのはおこがましいですが、それでも地震を経験して感じたことがあります。

まずは、言葉掛けについてです。
自分が被災するまでは、被災者にどんな言葉掛けをしたほうがいいのか、そのことに悩みながらも、いい言葉が見つかりませんでした。
日本中でスローガンのように言われ続けているのが「がんばろう!東北」とか「がんばろう!熊本」ではないでしょうか。
でも、この「がんばろう」は残念ながら被災者の力になるものにはあまりならないと思いました。

この言葉が力を発揮するのは、被災者同士で声を掛け合うときです。

「お互い辛いけど、頑張っていこうね。」

被災者同士そうやって励まし合うことで、自然と力が湧いてくるのです。
でも、これを被災していない人から言われると「すでにがんばっているのにな」「どうがんばればいいと言うの?」と感じる人も多いのではないかと思います。
被災者たちは、ただ現実を見つめ、日々を過ごしているだけでじゅうぶんがんばっているのですから。
これがただの「がんばろう」ではなく、「被災地のために自分たちもできることをがんばります」という言葉だったら、意味のある言葉になります。

熊本地震では「がまだせ!」という言葉も使われました。
熊本弁で「がんばろう」なので良かれと思って使われるのですが、この言葉にはかなり違和感がありました。
正確に言えば、「がまだせ」は「がんばろう」ではないのです。
わたしの解釈では「がまだせ」は「汗水流して休まず働け」です。
熊本弁で、「あん人は、がまだしもん」と言えば「あの人は働き者」です。
「がんばろう」には、「自分を鼓舞して前向きに」というような精神的な意味が含まれていますが、「がまだせ」には精神的な「がんばろう」の意味はほとんどなく、肉体的、労働的な意味です。
だから「がまだせ」は、怠けているときに発破をかけられているような感じです。
わたしと同じように感じている熊本県人は少なくないようで、地元の新聞の投書欄にも同様のことが書かれてありました。

じゃあ、どんな言葉がありがたかったのか、嬉しかったのか。
わたしの場合は次の言葉です。

「熊本のことを思うと、涙が出てきます」。

「あなたのことをとても心配しています」。

励まされることよりも、悲しみや苦しみを自分のことのように思ってくれたり、心配してくれたり、寄り添ってくることの方が何倍も嬉しいのです。

ただ、「大丈夫?」はちょっと違います。
「大丈夫?」と聞かれたら「まあ、大丈夫」とか「大丈夫ではないけど、どうにか・・・」などと答えざるを得ないからです。

「そちらのことを思うと心が痛む、涙が出てくる」「心配している」。

これは地震に限らず、何か不幸に見舞われた人や気持ちが落ち込んでいる人、とてつもなく大きな悩みを抱えている人、大切な人をなくした人などにも同じことが言えるかもしれません。

次に被災者支援についてです。
被災地を思い、活動してくださった方、募金してくださった方、本当にありがとうございました。
全国からじゅうぶん過ぎるほどの善意が寄せられました。

それでも被災者にとっては現実は厳しいということが今回わかりました。
被災するまでは、被災者は国からどれほどの給付金を受けるのか深く考えたこともありませんでした。
実際は自分が想像していた額よりも低かったです。
家が全壊でどんなに酷い被害を受けても、1世帯で300万円ほど。
義援金などを合わせたとしても400万円ほどではないでしょうか。
実際に、我が家もそうでしたが住めないほどの被害を受けて家を建て直さなきゃいけない場合でも「全壊」の判定をもらえるとは限りません。
以前のような住環境を整えようと思えば、かなりの額を手出ししなければならず、被災者は生活の質を落とす結果になってしまいます。

自然が美しく夏は涼しい南阿蘇は、観光業も盛んなのですが、ペンションやレストランが被災したり観光客が来なくなったりして、家と職をいっぺんに失った人もいます。
農業従事者の中には、耕作地の水が枯れてこの一年は食物を育てることができない人もいます。
職のない期間が長くなればなるほど、やる気もなくなってきます。

阪神淡路大震災を経験した友人がこんなことを言いました。

「せめて被災者が、ふたたびスタートラインに立てるほどの生活支援が必要だ」。

まったくその通りだと思います。
うちの家族は、地震で職を失ってもいないしマシなほうでした。
でも、スタートラインに立つことが難しい人もなかにはいるのではないかと思います。

じゃあ、どうすればいいのか。
その答えは見つかりません。
ただでさ、国家の借金が多く、少ない税収で政府がやりくりしているなか、被災者にもっとお金を、とは言えません。
義援金ももらえるだけで、本当にありがたいのです。
地震の多い日本で、被災者の経済的支援をどうすればいいのか。
これは大きな課題と言えます。

つぎに、被災者に対しての周りの期待についてです。
テレビや新聞の報道を見ててもそうですが、わたしたちは美談が好きです。
東日本大震災では「絆」という言葉が、たくさん使われました。

苦しくて、辛くて、でも前を向いて歩いている被災者たち。
みんなで一致団結して、困難を乗り越えて力強く活動している被災者たち。
新しい街の再建、活気あるふるさとづくりに積極的に取り組んでいる被災者たち。

非被災者の人たちは、そんな美談をどこかで求め、そういう姿を見て元気付けられ、安心しているのかもしれません。
そしてそうあってほしいという希望が、先ほどの「がんばろう」という言葉掛けにも結びついているのかもしれません。

でも実際は、そんな美談ばかりではありません。
被災者も十人十色。
受けたダメージも違うし、立たされている状況も違うし、求めているものも違う。
「被災者とはこういうものだ」というイメージが、被災者を追い詰めていることにもなるかもしれません。

以前NHKの東日本大震災のドキュメンタリーでこんな女の子の声を紹介していました。
その女の子は、当時、被災地の学校で生徒会役員をやっていたそうです。
地震が起きてから、いろんな人が学校に慰問にやってきました。
生徒会だったその子は、その度にその人たちの対応をしました。
そこで必ず言われたのが「この街の将来を担うのは、あなたたち若い世代。どうかふるさとのためにがんばってください」。
その言葉は、その子にとってとても負担となる言葉だったそうです。

地震前からその子には夢がありました。
高校を卒業したら、東京に行きたい。
そこで学校に通って、自分の夢に向かって都会で活躍したい。

そんな夢がみんなから否定されているようで、地元に残り地域再建のために人生を捧げることを強いられているようで、苦しかったそうです。
「わたしは自分の夢をもっちゃいけないの?」「被災したふるさとを出ていくことに罪悪感を感じなきゃいけないの?」

わたしたちは知らず知らずのうちに、被災者を追い詰めているのかもしれません。

東日本大震災から6年。

この6年の時間の流れ方は人それぞれです。
もう6年という人もいるし、まだ6年という人もいる。

被災地にはまだまだ大きな課題が残されています。
癒されることのない大きな苦しみや悲しみを抱えながら、なんとか生きている人たちがいます。

年月が経とうとも「被災地を思うと涙が出てきます」「心配しています」。
その心を持ち続けたいと思います。
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