Now,we are HERE!
訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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「友人からの贈り物」「冒険家として生きる」

2016.05.26 13:30|世界からのメッセージ☞EDIT
熊本と福岡を行ったり来たりして生活しているイクエです。
福岡に帰ると、いつも蛇口から水が出ることに感心します。
「うわー。水が出るー!」って。
普通に食器を洗える、普通にトイレを流せる、普通に洗濯機をまわせる、普通に家でお風呂に入れる。
そんな普通を、実家の家族たちが味わえる日まで、あとどのくらいかかるのでしょう。

このブログはイクエとケンゾーの世界一周の旅を記録するものだけど、やっぱり熊本地震のことも書きたくて、書くことにします。
このブログにかつて熊本地震のことを書き、批判のコメントが寄せられました。
「読者は旅の話を期待している」とか「世界一周ブログランキングに参加しているのに、世界一周のことではないのでふさわしくない」など。
いっぽう、「熊本地震のことを知りたいです」というコメントもたくさんいただきました。

被災してからいろいろとやるべきことや考えることがあって、「地震以外のことで煩わしいことをしたくない」「気持ちを乱したくない」「平静を保っていたい」という思いがずっとあります。
そんなときに、寄せられる批判のコメントというのは、こころに重たくのしかかります。
「だったら、批判されるようなことはやめとこう、面倒くさい思いはしたくない」と思い、熊本地震のことを書きたいけど書かない自分がいました。

でも、書くことにします。
被災したから伝えられることもあると思うし、みんなに知ってほしいこともあります。

「地震のことを書くのなら、世界一周のカテゴリーから外れろ」という意見もいただきましたが、わがままを言うのが許されるなら、大目に見ていただきたいです。
まだ旅の話は終わっていないし、これからずっと地震のことばかりを書くつもりもありません。

しばらくの間は、数回に一回、熊本地震のことを書かせてもらえませんか?
その分、ブログをあまり中断することなく更新しますので。
そして旅の記事をたくさんあげようと思います。

「世界一周ブログランキング」にわたしたちが参加しているいちばんの、というか、ほとんど唯一の理由は「ランキングに参加するほうが、たくさんの人に見てもらえるから」です。
わたしたちのことを知らない人にも、わたしたちのブログが目にとまり、読んでいただけることになります。
旅のことも、地震のことも含めてたくさんの人たちに読んでほしいので、わたしたちの旅の話が終わるまではランキングに参加していたいなあと思っています。

わがままであることは承知しておりますが、わたしたちの思いを少しでもご理解いただければ幸いです。

きょうお話したいのは、2つのトピックです。


・被災した私が、友人からもらったもの

先ほども書いたように、被災してからわたしは「煩わしいことをしたくない」「面倒くさい思いはしたくない」「できるだけ平静でいたい」という思いがあったようです。
一言で言ってしまえば「無気力」です。

時間があってもブログを更新しない日もたくさんありました。
荷物の運び出しや片付けなど被災にまつわる作業はがんばれるんだけど、被災に関係ないことをやる気にはなりませんでした。
南阿蘇から福岡に戻ると、料理をする以外は何もせずぼーっとテレビを見て、一日が終わるという日々の繰り返しです。
あれもしよう、これもしようと思っているけれど、こころと体が追いつきません。
地震前に始めたばかりのバイトもやめてしまいました。
そんな自分がもどかしくもありました。

「窮地に立たされたときこそ、その人の人間性が表れる。」
これは常々わたしが思っていることです。

東日本大震災のときに現地でいろんなかたにお話をうかがいました。
東日本大震災は、今回の熊本地震よりももっともっと悲惨で、過酷な状況でした。
たくさんの人たちが家をまるごと失い、大切な人を失いました。
生きながら流されていく人たちの姿や、波打ち際に寄せられた何体もの遺体を目撃されています。
こころへのダメージや衝撃、トラウマは想像を絶します。
現実を直視することはおろか、ただ息をし一日一日を生き抜いていくことさえ、困難なことだったのではないでしょうか。
しかし、そんな状況のなか、自分にできることを精一杯成し遂げ、まわりの人たちを支え、力強く歩んでいた人たちもいます。
岩手県陸前高田で出会った男性は、地震直後、そのままになっていた遺体を不憫だからと人力で一体一体陸に引き上げました。
そして、近くの住民たちのために木を削り大きな浴槽を作り、温かいお湯を張り、浴場を作りました。
震災直後に、です。
その場所でその男性に写真を見せてもらいながらお話をうかがったとき、涙が出てきました。

すごいなあ。
自分ならそんなことできるだろうか。
そんな人間でありたい、と。

また宮城県でも津波の被害にあった海辺の地区の人たちが、地元が元気になるように朝市を開いたり、農家の人たちが農地やビニールハウスが被害になりながらも前を向いて一から農業を再開されたりと、震災にへこたれず、むしろそれをバネにして精力的に活動されていました。

逆に、被災した人たちから、非被災者のわたしがパワーをもらったような気分でした。

窮地に立たされたとき、苦しいとき、問題が山積しているとき、人としてどう立ち振る舞い、どう生きるか。

それは旅をしているときも、ときどき感じることがありました。
生まれた環境の悪さや貧困、弾圧、紛争・・・。
日本にいるわたしたちが想像もできない過酷な状況のなか生きている人たちがいます。
じゃあ、その人たちがかわいそうなのか、無力なのか、というとけっしてそうではありませんでした。
もちろん、自分が置かれた環境を哀れみ、嘆いている人もいます。
でも、そんななかにも、環境のせいにせずに力強く生きて、まわりの人たちに光を与えている人たちがいました。

そういう人たちを見るたびに、自分もそうであろうと心に決めました。

それなのに、です。
被災してから、わたしはただ実家の手伝いをすることしかできません。
割れたガラスを集めたり、被災した家具を運び出したり、生き残ってまだ使える物を家から救出したり、断水のために水汲みに行ったり・・・そんな単純作業をしてなんとなく何かをやってる気になっているけれどそれ以上のことはやれないでいます。

友人からは「きっとイクエのことだから避難所でもほかの人のお世話をしたり、夫婦で活動して無理してるんじゃない?」という労いの言葉をもらったけれど、実際は全然です。
後ろめたい気分です。

先日、高校のとき同級生だった友人から、贈り物が届きました。
その友人はいまは長野で暮らしています。
中身は現金でした。

書留のなかには2つの封筒がありました。
ひとつは友人から、もうひとつはわたしがお会いしたこともない人からでした。

封筒の中には現金と、短いメッセージが入っていました。

「みんなで力を合わせて のりきってくださいね♡
                        長野の住民より」


友人からの封筒にも、現金と手紙が入っていました。

「私は地震のニュースや緊急地震速報が出るたびに怖くて涙が出て・・・。
 福岡ー阿蘇の交通費の足しにでもしてね。」


わたしの素直な気持ちは「ほんとうにありがたい うれしい」。
そして「がんばらなきゃ」。

これまでも「必要なものがあったら送るから言ってね」という言葉をたくさんの人たちからもらっていました。
旅行中に出会った旅友は、地震直後ケンゾーに「口座番号を教えてください」とメッセージをくれました。
そう思っていただけるのはほんとうにありがたくて嬉しかったけれど、当座の生活費は困っていなかったし、必要最低限のものは支援物資でいただけたので、すべて断ってきました。

今回、友人からはじめてお見舞いをもらい、自分でも予想していなかった気持ちになりました。
「よし、がんばろう。」

お金を稼ぐことの大変さは知っています。
友人はわたしにそのお金をあげなければ、家族でレストランにも行けたかもしれない。
愛する子どもたちに本やおもちゃを買えたかもしれない。
それを犠牲にして、わたしに現金を送ってくれたのです。
さらに、お会いしたことのない方も、わたしたちのために贈ってくださった。

わたしたちのために、こんなことをしてくれるなんて。
わたし、なにやってるんだろう。
自分もがんばんなきゃ。

背中を押されました。

自分は今までこういうときに人に現金を贈るのには抵抗がありました。
うまく説明はできないけれど、なんとなく気持ちがこもっていないような、即物的というか・・・。
相手にほどこしをあげるみたいで、嫌だなあ。
お金を贈るくらいなら、物がいいんじゃないか。

それなのに、いざ自分がお金をもらう立場になって、「ありがたい」という気持ちとともに、パワーが生まれたのは予想外でした。
わたしたちに向ける応援が、ストレートに伝わってきました。

フェイスブックで友人にお礼を言うと、こんな返事がきました。

「現金を送るのって、何だかイヤラシイかなぁとかなんだとかずっと考えてたの・・・。
 本当に役に立つなら、こんなうれしいことはないよ。」


友人がくれたのはお金以上のものでした。
がんばって働いたお金を、自分の幸せを犠牲にして、わざわざ贈ってくれた。
そんなことを思うと、わたしもこのままじゃいけない、と。

自分もまっとうに生きていこう。

友人はこんな言葉もくれました。

「いち早い復興も願うけど、それで頑張り続ける皆さんの心が疲れ果ててしまうのは悲しい。
 前を向いてさえいれば、流れに乗って、復興も進むと信じています。
 疲れたときは、休みたい日は休んでね!」


とても思いやりのある言葉です。

疲れて歩みを止めるときがあってもいい。
でも、止まっていても前さえ向いていたら、流れに乗って進むことができる。

そして自分に余裕があるときは、どんどん大股で前へと歩いていこう。

友人からの思いがけない大きなプレゼントでした。


・旅人の強み 冒険家として生きる

わたしには父がいます。
まあ、あたり前のことですけど。

でも、15年くらい会っていませんでした。
どうしてかというと、両親が離婚しているからです。

夫婦としては離婚したけれど、わたしと姉にとってはいいお父さんでした。
共働きで、父は今で言う「イクメン」でした。
保育園の送り迎えとか、わたしたちを遊びにいろいろ連れていってくれたし、母が単身赴任のときは働きながらもわたしたち2人の面倒を見て、お弁当も作ってくれていました。

そんな父は、若い頃、旅人でした。
いまから50年くらい前の話です。
東京の大学を卒業したあと、船で日本を離れ、シベリア鉄道に乗り、ヨーロッパでアルバイトをし、アメリカ大陸に行って、日本に戻るという世界一周をしています。
もちろんそのときはロシアは旧ソ連で旅行しづらかったし、日本からの海外旅行客なんて珍しいし、今とは比べものにならないほど、世界一周は難しく、そして大興奮で、楽しかったと思います。

離婚してから父とは会わないどころか、ほとんど連絡もとっていませんでした。
でも、今回連絡を取りました。

たしか父がいま生活しているところも、地震の被害がひどかった場所だったんじゃないか、と思って。
昔聞いていた携帯電話の番号にはじめてメッセージを送りました。

「こっちは家も車もダメになったけど、家族全員無事です。
 そちらは?」


父は、西原村という、被害のひどかった自治体に、一軒家を建てて暮らしていました。

「電話番号がわからずに連絡が遅くなりました。
12年のローンが昨年終わり、やっとほっとしましたが、傾き、住めなくなりました。
今、車で生活です。
神様の試練と思って頑張ります。
前向きに頑張っていこうと思いますが、いろいろと考えると眠れません。
ひとつひとつ解決します。」


両親の故郷とわたしたちが生まれ育った場所は熊本県内ではあるけれど、今回ほとんど被害を受けていない、ここから離れている市です。
なのに、被害のひどい南阿蘇村と西原村に引越し、お互い被災したという事実がなんとも皮肉です。

父はいま70歳くらいです。
離婚してわたしたち家族から離れていったとはいえ、その年で被災したのはとてもかわいそうです。

家族みんなが被災したということ。
今までの生活を失ってしまったということ。
その事実に、心が落ち込みそうになりましたが、父のメールのひとつに勇気づけられるものがありました。

「お互いに健康に気をつけて。
 
 私たちは冒険家です。
 
 きっと、未来があります。」


冒険家。

そうです。

初めての経験にも果敢に挑み、先が不透明でも新しい道を切り開いていく。
ちょっとぐらいの困難や立ちはだかる障害なら、むしろ楽しむ余裕がある。
未知のものに興味をもち、悩んだり発見したりしながら、進んでいく。

冒険家は、実際に旅をしている人のことだけを差すのではないと思うのです。

その人のこころが冒険家であれば、その人は冒険家です。

平坦な道よりも、でこぼこで坂道でいろんなものが待ち受けているほうが、おもしろいハイキングになります。

旅人のこころを忘れないでいよう。
どんなときも冒険家でいよう。

そう誓ったのです。

地震から1か月以上が経ちました。
時間が経つほどに、いろんな問題が見えてきています。
それでも、冒険家であることを胸に、前を向いていようと思います。
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