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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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「必要なものは?」と聞かれて本音を言うのはダメ?

2016.05.05 12:00|世界からのメッセージ☞EDIT
水をほとんど使わない茶碗洗いの方法を試行錯誤しながら身につけているイクエです。
油汚れがひどいものはまず紙で汚れを拭き取って、桶に溜めている水でパシャッ、そして除菌のウェットティッシュで拭いたあと、アルコールを染みこませたクッキングペーパーで水分を拭き取ります。
けっこう時間がかかります。
洗わなくてすむように紙皿や割り箸を使うこともあるし、普通の食器をラップで覆ってラップだけ取り替えることもあります。
水道から普通に水が使えるようになるまであと何ヶ月かかるかな。


前回に引き続き、「半当事者」のわたしが被災地、熊本・南阿蘇で感じた支援物資に関することをお伝えします。

・支援物資 贈る側と必要な側の想いのズレ
「何が必要?」という質問に被災者が本音で答えるのはダメなのか

いま被災地にはいろんなところから支援物資が届いています。
わたしたちも多くの友人や知人から「必要な物があれば言って」「足りない物は送ってあげる」とありがたい言葉をもらいます。
おかげさまでとりあえずの生活に必要な物は足りているので「ありがとう!でも大丈夫」と答えています。

この前、被災した熊本のある中学校をめぐってこんなエピソードがありました。
これから紹介することは「被災地や被害者のために何かしたい」そんな温かい気持ちを逆撫でするものでしょうか?それとも・・・。

熊本市のある中学校が支援物資で「ほしいものリスト」をネット上に公開しました。
ほしいものとしてあげたのは、文房具や音楽で使う備品のほか、ビデオカメラや一眼レフ、薄型テレビなど。
これに批判が集中しました。

「こんな高価な物をねだるなんて」
「震災乞食」
「もっと必要なものがあるだろ」
「震災に便乗した詐欺行為」

ネットで叩かれ、学校は苦情の電話対応に追われるようになりました。
テレビのワイドショーでもこのことが取り上げられていて、司会者やコメンテーターたちも批判的な意見が多かったです。

逆にわたしは聞きたいです。
じゃあ「必要な物」として何を挙げることを非被災者たちは期待しているの?と。

水?パン?タオル?
でも地震発生から日にちが経ち、その不足は解消されています。
むしろ余っていて、そうなると善意が無駄になります。

そもそも子どもたちはバラバラに避難していて学校も休校の状態。
そんなときに水やパンが来ても子どもたちには届きません。
教育施設である学校が、必要な物としてテレビやカメラをあげても不思議ではないのではないでしょうか。
教材を観たり、学校行事を記録するためにどの学校にもテレビやカメラぐらいあるでしょう。
うちもそうですが、家具や雑貨は地震で倒れてある程度傷ついても使えますが、テレビは倒れるともう使えなくなります。

たしかに高額ですが、校長やPTA会長たちが私腹を肥やそうとしているわけではないでしょう。
もし支援していただけるのなら、ということで必要な物としてあげただけ。
それに納得のいかない人は寄付しないといいだけであって、それを叩く必要はないと思います。

もしかしたら、被災して使えなくなったテレビやカメラを写真に撮って紹介して「この代わりになる物を」と伝えていたら、ここまで非難も集まらなかったかもしれませんね。
でも被災して忙しいし、そんな余裕はほとんどなかったかもしれないと思います。

この話は熊本市のことですが、わたしの姉は南阿蘇村の役場で働いています。
役場にどこかの団体からこんな問い合わせがあったそうです。

「学校に、被災した子どもたちのために何か支援物資を送りたい。何が必要ですか?」

学校は被災して休校で子どもたちは避難所で何もすることがなく時間を持て余しています。
自学できるように「ドリルを」と答えたそうです。
きっとそれは相手にとって予想していなかった答えだったのでしょう。
しばらく時間があき、こう言われたそうです。

「中古ドリルでもいいですか?それを贈ります。」

中古ドリルとは、想像がつきません。
書き込みしてあるのでしょうか。
消しゴムでそれを消して使えばいいのでしょうか。
受け取った子どもたちはどう思うでしょうか。

断わったそうです。

善意が空回りしています。
「何かをしてあげたい」それはとてもありがたいことです。
でも被災者の求めるものと非被災者の思い描いていることにズレが生じています。

食うことにも着るものにも困っているかわいそうな被災者。
生活に必要最低限のものを贈りたい。
そんな気持ちになるのもわかります。
そして想定していたものと違う物が必要と言われたときのとまどい。失望。

生活を豊かにするものよりも、生き延びるために必要な最低限の物を支援するほうが、支援のしがいがあり、満足感や達成感が得やすいかもしれません。

でも被災者はいつまでも「着の身着のまま命からがら逃げてきたかわいそうな被災者」のままというわけにはいきません。

人間らしい生活がしたい。

ただでさえ、体育館などプライベートな空間のない避難所に身を寄せたり、親戚や知人の家にお世話になり狭いところで「非日常」の暮らしをしています。
わたしたちも知人の1LDKのマンションを貸してもらっていますが、小学生の子ども二人を含む七人が寝るには少し狭く、水もまだないのでトイレも大変です。

お金のことや今後の住居のことまではまだ考える余裕がありません。
そんななか少しでも以前と同じような生活をしたいと思います。
命をつなぐための最低限の支援もありますが、日常を取り戻すための支援、疲弊しきったこころを豊かにするための支援も必要とされています。

被災地を思い、こころを痛め、「何かを贈りたい」と思ってくださることはほんとうにありがたいことですが、必要だと思っているものが実際にはそこまで必要じゃないこともあります。

支援物資の中にはたくさんの古着があります。
でも、古着をもらう人はなかなかなく、山積みのまま。

報道で「紙オムツが足りない」と伝えられると今度はたくさんの紙オムツが届きました。
わたしたちの避難所の体育館のステージには「ご自由にどうぞ」の紙オムツがたくさんありますが一向に減りません。

被災した子どもたちに何かしてあげたい。
そんな温かい思いから、たくさんのスナック菓子や駄菓子が避難所に集まります。
食べきれない量のお菓子を子どもたちはもらっています。
避難所で「たくさんあるので我が家はいりません。」と言うと「お願いします。もらっていってください。そうじゃないと減りません。」と言われました。

折り紙もたくさん届いてるようで、姪っ子と甥っ子は毎日のように折り紙をもらってきます。
折り紙がいっぱいです。

せっかくの支援物資。
必要なものが必要なタイミングで届くように。
送る前にぜひ現地の人にどの時期に何が必要かを聞いてみてください。

被災者はわがままです。
「被災者のくせに」「贈られるものを文句を言わずにありがたく受け取れ」そう腹立たしくなるかもしれません。
そう思われる方は、支援はされなくてもいいと思います。
支援しないからといって誰も文句は言いません。

被災者たちは、たくさんのものを失いこれからの人生設計が描けないでいるなか、それでもなんとか笑顔をつくってがんばっています。
少しのわがままは許してあげてください。
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