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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


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2012年09月 世界旅行に出発

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会いたいのは男性! おじさんを探せ

2016.05.31 11:38|グアテマラ☞EDIT
きょうから早寝早起きを心がけようと決めたイクエです。
夜11時には寝て朝6時半に起きるようにしよう。
テレビをだらだら見たり、パソコンに向かい合っていると、気づいたら夜更かししてることがしょっちゅう。
朝の時間を有効活用しよう。

グアテマラ第2の都市、シェラ。
第2の都市といっても、ビルが乱立するわけでも、おしゃれなお店が建ち並ぶわけでも、大きなショッピングセンターがたくさんあるわけでもない。

周辺にはいくつもの集落が点在していて、村によって伝統衣装も違う。
その村巡りをすることが、シェラ滞在の楽しみのひとつ。

だいたいどこの国でも言えることだけど、男性の民族衣装は廃れていても女性の民族衣装は残っていることが多い。
日本でもわたしが小さいころは着物姿の男性はめったに見かけなかったけど着物姿のおばあちゃんは珍しくなかった。

グアテマラでもそうで、女性は民族衣装を着ているけれど男性はジーンズやシャツを着ている。
村によって衣装が違うグアテマラ。
女性だけでなく男性の民族衣装も残っていたら、もっとおもしろかっただろうなって思う。

とはいっても、少しだけど残っているところはある。
この前訪ねた、トドス・サントス・クチュマタンやサン・フアン・アティタンがそうだった。

シェラの近くでも、わずかではあるけれど男性の民族衣装が残っている村がある。

シェラからおよそ20キロのサン・マルティン・サカテペケスという村。

サカテペケス

サン・マルティンに行くには、シェラのバスターミナルからチキンバスに乗り込む。
まずはタカハウスから路線バスに乗ってメルカド(市場)へ。

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人で混雑するこの狭い通路を通れば、バスターミナルへと抜けられる。

シェラは古着がたくさん売られていることで、旅人には有名。
この市場にもたくさん売ってあるけど、古着の大型ショップもある。
品揃えが豊富で、アメリカから流れてきたブランドものなどが格安で買えると評判なのが「mega paca(メガパカ)」というお店。
けっきょくわたしとケンゾーは行かずじまいだったけれど、実はシェラではもっともっと安く(と言うかタダで)古着を手に入れられるところがある。

それが、タカハウス!
タカハウスには日本人の旅人がいらなくなって捨てていく「どうぞご自由にお取りください」の箱がある。
シェラの古着店で新しい服を買った旅人たちがこれまでの服をタカハウスで捨てていくのだ。
けっこういい服が捨ててあることも多い。

ということで、古着好きはシェラの古着店へ。
そこまで古着に興味はないけど、もらえる服があるんならもらいたい、という人はシェラのタカハウスへ。

市場に山積みにされた服や靴。
新品もあるのかもしれないけど、雑多に置かれているからどれがリサイクル品なのか新品なのかわからない。

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騒々しくて狭い市場の通路を出ると、だだっ広いスペースに。
ここがシェラのバスターミナル。

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とくに看板があるわけでもチケット売り場があるわけでもない。
行きたいところのバスに乗るには、その辺の人たちに聞いて探しまわるしかない。

無事にお目当てのバスに乗り込むことができた。

でも、車内はガラーン。
お客さんが少ないままでは、バスは出発しない。
これは、けっこう待つことになりそう。

村巡りのベストタイミングは、市場が開かれる日の午前中。
市場が開かれていると、たくさんの村人が集まってくるから賑やかで楽しいのだ。

これから行くサン・マルティンは、男性の民族衣装はまだ残っているとはいえ、着ている男性は少数派。
そのうち、ここの男性の衣装も消えていくと思う。

行くからには男性の衣装をぜひとも見たい。
でも、時間はもう正午。
午後になると市場が閉まってしまう。
そうなると、外歩きをしている村人がぐっと減る。

大丈夫かなあ。
見られるかなあ。

30分以上待って、ようやくバスが動きはじめた。

「できるだけ早く着いて」という願いむなしく、バスはノロノロ運転。
短い距離なのに1時間近くもかかって、ようやく村に到着。

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村のはじっこにカラフルな箱が並んでいる。
一見すると家のように見えるけれど、家にしてはずいぶん小さい。
グアテマラでおなじみの光景。

色とりどりの、どこか楽しげな墓地。

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村の中心部へ足早に向かう。

数人の人とすれ違うけれど、民族衣装を着ている男性はいない。

間に合うかな。
早く早く。
どこ?どこ?
市場はどこ?

「ここだ、きっと。」
「でも、これはもう店じまいやない?」

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お店はもう片付けをしている。
買い物客はすでにほとんどいなくて、活気がない。
路面に落ちたゴミが風に吹かれている。

女性はいるけれど、民族衣装を着ている男性はひとりもいない。

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「えー?
 ここまで来たのに?
 こっちは?」


角を曲がった。
衣装を着た男性に会えることを期待して。

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民族衣装の男性どころか、そもそも人がいない。

全然人がいない。

ここまでやってきたけど、もうあきらめるしかないか。

「どうする?」
「ここにおってもしょうがないよね。」
「戻ろうか。」
「うん。」

そのときー。

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「あ!」
「白い衣装。
 ワンピースみたいな下に派手なパンツも履いてる!」


真っ赤な帯を後ろに結んでいて、かっこいい!
袖も帯と同じ色で揃えている。

パッと見た感じでは白っぽくてシンプルだけど、帯と袖とパンツはとても華やか。
刺繍が素晴らしい。
鮮やかな青い羽の鳥が、幾羽もいる。

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華やかなおじさんは、幻だったかのようにあっという間にわたしたちの視界から消えていった。

「すごいきれいだったねー。
 男の人でも真っ赤で派手な鳥の刺繍とかあって、かっこよかったねー。」


もっとじっくり見たかったけど、将来消えゆくであろう男性の衣装を拝めたのだから、よかった。

イクエとケンゾーは、ここからシェラに戻る途中にあるオストゥンカルコという村に立ち寄ることにした。

ここはさっきの村よりも大きくて、街という感じ。
市場の規模は広くて、露店がびっしりと並んでいて、賑やか。

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ふわっとした服を着ている女性が多い。
ふくよかな女性たちにはよく似合う。

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女性たちはいくつもの民族衣装を家にもっているのかもしれない。
市場の布屋さんではいつも女性たちが品定めしている。

同じように見える模様でも微妙に違うし、色遣いもさまざま。

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美しくて鮮やかな刺繍の服は遠くからでも、かなり目立つ。
この色彩感覚は独特。

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標高が高いとはいえ、日中は日射しが強くて汗ばむ。
日向にいるとすぐに喉が渇く。
こんなときはココナッツをそのままゴクリ。

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ゴクゴクと飲み干すおばあちゃん。
その飲みっぷりは若者にも負けない。
3個一気飲みなんて、朝飯前。

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イクエとケンゾーも喉が渇いているけれど、それ以上にお腹が空いてきた。

おいしいお店なんて知らない。
こんなとき、いつも行くのは市場の食堂街。

ここの食堂街にもあったよ。
グアテマラ料理でイクエとケンゾーが大好きなものが!

大好きな料理は次回、ご紹介します。
お楽しみに♡
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グアテマラ「タカハウス」こんなオーナーって・・・

2016.05.30 13:20|グアテマラ☞EDIT
夫がうるさいから髪を切りにいったイクエです。
美容師に白髪染めを勧められるんじゃないかとヒヤヒヤしていたけれど、大丈夫だった。
でも、そろそろデビューしないとなあ。

いろんな魔力と魅力が潜んでいるタカハウス。

みんなに怒られ、愛されているタカハウスのオーナーのタカさん。

さあ、お待ちかね。
タカさんとはこんな人!

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ちがう。
これは、看板犬のボビー。

タカさんは、このかたです!

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ゲストハウスのベルを押して、ドアから出てきた人がこの人だった。

意味深なTシャツを着てるけど、タカさんいわく「どうやって手に入れたか忘れた。たぶん拾った。」

みんなは「タカさん、そんなTシャツ普通、誰も捨てないでしょう。誰かからプレゼントされたんじゃないですか?」って言うんだけど、本人はプレゼントされた覚えはないそう。

こんなTシャツを着こなしているタカさんは日本人。
熊本県出身。
アイドルじゃないのに、年齢は非公開。
若いころは沖縄のタバコ栽培とか北海道のじゃがいも収穫とか、いろんなところで季節労働をしてきたそう。
ふらふらと旅行をしていて、グアテマラでふらふらしていて、気づいたら宿のオーナーになっていたという奇跡。
頼りなくて、よく現地人にぼったくられたり、現地の子どもにお金をせびられたり、夜中にこっそり大好きなインスタントラーメンを隠れて食べたり、都合が悪いとかわいい嘘をついたりして、管理人はじめ宿泊客たちに毎日怒られている。

普通の宿ならオーナーがいちばん偉いんだけど、タカハウスは例外。
もっとも「オーナーっぽさ」から遠い男、それがタカさん。

タカさんがここまで生きてこられたのは、自分より年下のテキパキ仕事をこなす日本人の管理人(という名の旅人)に財布の紐を握られ、栄養管理をされ、自分より何十歳も若い宿泊者たちに愛のある小言を言われ続けているからだと思う。

タカハウスにはレギュラーメンバーがいる。
下の写真の左側、赤いトレーナーがタカさん。
タカさんの右隣の白い服の女性がこの宿の管理人のタカコさん。
そして一番右側のおじさんがトクさん。

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ほんわかしていて、マイペースなタカさん。
お金の管理や宿を切り盛りするのは1人ではできないので、管理人がいないといけない。
管理人はどうやって決めるかというと、旅人を勧誘する。
長期旅行者で仕事を任せられそうな人を説得し、数か月とか半年とか1年とかタカハウスに滞在してもらって管理人をやってもらう。

上の写真の、壁のいちばん高いところの張り紙。
この張り紙にはこう書いてある。

たかさんが守るべき約束事

1、禁酒・禁煙
2、ラーメンは週に3回まで
3、男女差別をしないこと
4、管理人の言うことを聞くこと
5、自分に非があったらちゃんと謝ること

タカさんと管理人、どちらが権力があるかというのは、この張り紙を見れば一目瞭然。
ちなみにこの約束事、その後改定されて、いまはラーメンは管理人の許可がでない限り決して食べてはいけないことになっている。

ラーメンって言っても、日本のラーメンじゃなくてこっちでも手に入る外国製のインスタントラーメン。
はっきり言って、そこまでおいしくない。
でも、ジャンクフード好きのタカさんはこれが大好物。

タカさんは好き嫌いもたくさんある。
嫌いな野菜がスープにでも入ってたら、小さく切ってあったとしてもタカさんはそれを見逃さず、丁寧に箸ですくって、横に座っている管理人のお皿に放り込んだりする。

酒の飲み過ぎとジャンクフードの食べ過ぎで、タカさんの健康はかなり損なわれている。
そこで管理人と宿泊者たちがタカさんの健康管理をしている。
タカさんは「この野菜だと煮たらなんとか食べられる」などわがままな嗜好をもっているので、それに合うように毎日料理する。

それなのに・・・・。
それなのにタカさんは、隠れてラーメンを食べたり酒を飲んだりしている。
わたしたちの滞在中に、タカさんは2回も無断でラーメンを食べていた。
深夜2時くらいに。
でも、誰でも寝てそうな時間なのに、管理人に見つかってしまうところがタカさんらしい。
キッチンの横にタカさんの寝室があるんだけど、深夜2時にタカさんがキッチンに出てこっそりラーメンを作っていたら、管理人がキッチンのほうにやってきた。
ラーメンは器に盛ったばかり。
ラーメンをもってそのまま自分の部屋に逃げればいいのに、慌ててしまったタカさんは急いで自分の部屋に隠れてしまった。
ラーメンをそこに置いたまま。

灯りのついたままのキッチン。
湯気を上げるおいしそうなラーメンがポツン。

タカさんは管理人にラーメンを取り上げられ、こっぴどく𠮟られていた。

自分が宿のオーナーなのに、財布の紐を握られているからお小遣いも管理人からもらわないといけないし、大好きなラーメンも食べられない。

でも、管理人がいなければ、タカさんはとっくに酔っぱらって路上でのたれ死んでいたのではないかと思う。

「タカハウスの管理人じゃなくて、タカさんの介護士」。
本気半分冗談半分で、いつも言い合っている。

そんなタカハウスの夜の日課がこれ。

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みんなで踏み台昇降。

タカさんの健康のために。
1人だと絶対にやらないので、宿泊者たちも道連れになってタカさんといっしょにやる。

タカさんを鼓舞するために、昭和のヒットソングをかけながら。
20代前半の旅人は、きっと知らないような懐メロ。

タカさんにみんなつきあってあげているのに、タカさんはすぐにさぼろうとする。
やっていても、しょっちゅう足踏みを止めて、小休止している。
そして「またズルしてますね!」と注意される。

左側がタカさん。
丸まった背中に哀愁が漂っている。
やる気がないときはポケットに手を突っ込んだまま渋々やっている。

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この宿でいちばん古株の宿泊者がトクさん。
タカさんは年齢非公開だけど、トクさんと同じ年らしい。
トクさんも謎多い人で、何をするでもなくタカハウスにかれこれ数年は泊まっている。
わたしたちがいるときは、トクさんはハリーポッターの英語の原書をテーブルに置いて、一日中パソコンと向かい合っていた。

「いつも、トクさん、何してるの?」とほかの宿泊者に聞いたら「ハリーポッターを翻訳してるみたいですよ」と返ってきた。
「トクさん、ただ者ではないと思ってたけど、翻訳者だったんだ!
ここに滞在して、翻訳の仕事をしてたんだね。
でも、ハリーポッターってすでに世界中で翻訳されて出版されてるよね。
なんで?」

「趣味でやってるみたいですよ。」

不思議なトクさんだけど、噂によると昔はかなりのやり手でアメリカでなんか開発して特許を取得したらしい。
そして、トクさんは料理の腕前がすばらしい。
たまに気が向いたときに、夕食を作ってくれる。

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この日の「トクさんスペシャル」は、カレー!
すごく本格的なヤツ。
なんと5種類も!

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トクさんもすばらしいシェフだけど、管理人のタカコさんの手料理も絶品。
ものすごくおいしいし、量も多いけど、ひとりあたり11ケツ(約176円)とか13ケツ(約208円)とかで本当に安い!

和食が出てくることも多い。
天ぷらとか煮付けなど。
日によってキムチとか佃煮なども充実している。

どうしてこんな安い値段で、本格的な和食が食べられるのか。
もちろん、タカコさんの技術によるところが大きいけれど、実は支援物資が日本から届けられるから、というのがある。
かつての旅人などタカさんのファンたちが日本から、だしパックとかタレとかソースとか瓶詰めのおいしいものとかたくさん差し入れで輸送してくれる。

こんなにみんなから愛情を受けている宿のオーナーはいるだろうか。

タカハウスは週に数日、道に面した入口が開放されてこんなふうになる。

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たこ焼き屋さんが登場。
管理人のタカコさんが、切り盛りしている。

大きくて、おいしそう!

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ちなみに巻寿司も売っている。
巻寿司を揚げたものを試食させてもらったけど、おいしかった!
大きなもの一巻きで20ケツ(約320円)。

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この日はクリスマス。
タカハウスでクリスマスパーティーをすることになった。
みんな午前中に集合!
まずは大量の肉と格闘する。

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時間も労力も使う作業。
日本では切ったお肉がパックに入って売られていて、消費者は作りたいメニューに合う大きさのお肉を買えばいい。
でも、グアテマラではそうはいかない。
まるごと、どん!と売っている。
焼いたり炒めたりするよりも、骨から削ぐ作業に時間がかかる。

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こんなに大人数でやっている。
しかも力がいるので、男衆の仕事。

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さて、大きな骨のついた大量の肉、どうなったかというと・・・。
ジャン!

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海外では食べる機会のない焼き鳥!!
もちろん焼くのは、ガスコンロじゃないよ。

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タカハウスの中庭で昼間からおいしいものをたらふく食べる。
ニンニクもどっさり。
タカハウスに泊まる人は、口臭とかあまり気にしない人たちだから。

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いつもは人間に敵対心を見せているボビーも、こんなときだけみんなのまわりをグルグル。
この犬は、ほんとうにいつも食べ過ぎ。
タカさんよりも食べてるんじゃないかな。

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タカコさん手作りのイチゴのクリスマスケーキ♡
タカハウスに似合わない。

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タカハウスのメンバーはみんなバラバラ。
年齢も幅広い。

でも、タカさんがいるから、「タカファミリー」みたいになるんだけどね。
タカさんは人望が厚いのか、それとも頼りにされていないのか。
求心力があるのか、それともないのか。

でも、タカさんは愛されている。

最後に、楽しそうな写真を載せておきます。
輪の中心にいるタカさんは、いつものように真顔なんだけど・・・。

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なんでここがふたりのナンバーワン日本人宿なのか

2016.05.27 15:58|グアテマラ☞EDIT
部屋で焼き肉をして、煙を充満させて火災報知器を鳴らしてしまったイクエです。
火災報知器が鳴ったときは部屋中の窓を開けたり換気扇をまわしたりしたんだけど、音は止まず。
いちばん効果的だったのは、報知器のすぐ下を扇ぐこと。
万が一鳴らしてしまった人は、お試しあれ。
鳴らさないのがいちばんなんだけどね。
警備会社が来るかと思ったけど来なかったので、こと無きをえました。

きょうはグアテマラのシェラで泊まっていたタカハウスをご紹介。
タカハウスは日本人宿。
日本人宿に明確な定義はないけれど、タカハウスは間違いなく日本人宿。
オーナーも管理人も客も日本人だから。

グアテマラには日本人宿が多い。
日本人にとって、グアテマラはけっして一般的な旅先ではない。
それでも、この場所に宿を構える人が多いということは、グアテマラにはここで宿を構えて生きていこうと日本人に思わせる魅力があるからかもしれない。

グアテマラにいくつもある日本人宿のなかで、タカハウスは有名。
旅人の中には日本人宿が好きで世界の日本人宿を渡り歩く人もいるけれど、わたしとケンゾーはそうでもない。
シェラでタカハウスに泊まろうと思ったのは、ほかの宿の情報もないし宿泊費が安いから。

「とりあえず行ってみよう」ということで、予約もせずにタカハウスに行った。

「ここ?」
「扉閉まっとるけど、どうするんやろ。」

日の丸が描かれているから、ここだとは思うけれど。

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人の気配はない。
ほんとうにやっているのだろうか。
チャイムは壊れているのかもしれない。

「すみませーん。」
ドアをガチャガチャさせていると、内側から犬が吠えてきた。

犬はうるさく鳴き続ける。

しばらくするとドアが開いた。

目の前には男性。
この人がオーナーのタカさん?

海外で日本人宿を経営している人は、サバサバしている人が多い。
旅が好きで、旅人を歓待し、流されずに自分の信念をもって生きているような人たち。

でも、いま目の前にいる男性は、目が虚ろでちょっと弱々しい。
それに、けっこう年を取っている。

想像していた人物とは、かけ離れている。
というか、この人は日本人なんだろうか。
日本人と言われれば日本人だけど、外国人と言われれば外国人に見える。
人間、年を重ねたり、欲がなくなって仙人みたいな生活をしていたりすると、ファジーな感じになって、見た目では性別や年齢や人種がわからなくなってくることがある。
この人もそんな感じ。

恐る恐る日本語で話しかける。

「タカハウスですか?
 ベッドは空いていますか?」


「予約は?」

「していません。」

「予約してないんですか?
 まあ、とりあえず入ってください。」


この男性は、やっぱりタカさんのようだった。

「はーい!こんにちは、いらっしゃーい!」
「きょうはどこから来たの?」
「疲れたでしょ。」

日本人宿で通常かけられる挨拶は、一切ない。

歓待、という雰囲気はない。

男性は後ろのわたしたちを振り返ることもなく、背筋を丸めて、小さな歩幅でスタスタと中に入って行く。

ようやくわたしたちのほうを振り返ったかと思うと、強い口調で言った。

「この犬には、絶対に触らないでくださいね。
こっちを見てしっぽを振ったりしていますが、なつきませんから。
噛みつきますから。」


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もうこの時点で、失敗したかなあ・・・と思った。
この宿は日本人宿ではあるけれど、かなりクセのある宿のよう。
予約もしてこなかったし、長期滞在の宿泊客が多いし、わたしたちは「招かれざる客」かもしれない。

やっぱりこの男性が、この宿のオーナー「タカさん」らしい。

個室はなく、部屋はドミトリー形式になっている。
ドミトリーと言っても、薄い板の仕切りがあってカーテンが引かれ、いちおうプライベートは確保されている。

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カーテンの奥には、ふにゃふにゃのマットのベッド。
電気、コンセントがある。
すべてが古臭いし、チェックインのときに虫除けの消毒をしてくれるからキンチョール臭が漂っている。
でも、シーツはちゃんと新しいのをくれるので、実際はそこまで不潔な宿じゃなさそう。

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ひとり1泊40ケツ(約640円)。

見かけに似合わず、ちゃんとWi-Fiがある。
ほかの宿と比べれば、宿泊費は安い。

でもね・・・。
どうなんだろうね・・・。
ここ。

なんか独特の空気感が漂っている。

独特の空気感のある日本人宿といえば、キルギスの南旅館。
ちょっと似たようなところはある。
共通点はうまく言えないんだけど、昔の硬派な旅人が流れてきて落ちつく果て、というか・・・。

なじめそうにないなら、あしたは宿を変えようかな。
もしくは、ほかの街に移動しちゃうか。

そんなことを考えてたんだけど、結論から言うと・・・。

イクエもケンゾーもタカハウスの魅力にハマってしまった!
結局、1回出ていって、また戻ってきて・・・というのを3回もやったからね。

長く旅をしていると、「大好きな宿」「気に入った宿」というのが出てくる。
それは、すべての条件を満たす宿。

部屋が広い。
清潔。
ベッドがフカフカ。
Wi-Fiが速い。
バスルームやキッチンなど、使い勝手がいい。
宿泊費が安い。
建物や設備が新しい。
オーナーが気が利いて、おもてなし精神にあふれている。

「あの宿、完璧だった!
 大好き!」

目を輝かせて、いままでで一番よかった宿について話す旅人たちは多い。

このタカハウスは、わたしとケンゾーにとってはいちばんよかった日本人宿。
でも、宿としては全然完璧ではない。
そして目を輝かせながら「あの宿、大好き!」とは言えない。
たぶん、含み笑いをしながら「あの宿、うん、いいよ。」と言う。

わたしたちがこの宿の魅力に取り憑かれてしまったのは、この宿が不完全だから。
その不完全さを埋めているのが、タカさんであり、長期滞在者であり、旅の延長でいつのまにかその座につかされてしまった管理人なのだ。
みんながいて、ようやく宿として成り立っている。
人間あっての宿。

うまく伝えられなくてごめんなさい!

なんかスルメみたいな宿なの。
ちょっと匂いを嗅いだだけでは臭いし、ひとくち噛んだだけでは硬い。
でも、噛めば噛むほど味わいが出る。

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こんな、50年前の下宿の共同台所、みたいなところで料理をする。

この宿のいいところは、シェア飯があること。
普通は「シェア飯」と言えば、宿泊者たちがみんなで楽しくきょうのメニューを考えて、一緒に買物に行って材料を揃えて、ワイワイおしゃべりしながらみんなで作って食べるご飯のこと。

でも、タカハウスのシェア飯はちょっと違う。

管理人か長期滞在者がひとりで作ってくれる。
夜の7時ぐらいになると、おいしい料理ができあがっている。
材料費をみんなで割るんだけど、これが安い!
そしてお腹いっぱいになる!

イクエとケンゾーがタカハウスに取り憑かれてしまったのは、タカハウスに胃袋を掴まれたから、という理由も大きい。

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タカハウスの施設は老朽化している。
ひなびた山小屋風。
そんなタカハウスの壁一面に貼ってある紙。

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日に焼けて茶色くなっていて、年代をかんじさせる。
山小屋のようなタカハウスの風情にぴったり。

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『旅行人』という硬派な旅雑誌のライターだった富永氏直筆の地図や旅行情報。
細くて具体的で、聞いたこともない小さな村の行き方や見所まで網羅されていて、どうやってここまで調べたんだろうと感心する。

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この情報をもとにグアテマラを旅すれば、時間がいくらあっても足りない。
張り紙を見ていると、グアテマラで行きたいところ見てみたいところがたくさん出てきて、グアテマラ滞在がどんどん延びていくという誘惑がある。

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中庭は、みんなの洗濯コーナー。
手洗いできるシンクもあるしバケツもある。
ロープもたくさん張られているからたくさん干せる。
日本人旅人はきれい好きでこまめに洗濯をしたがるので、手洗いしやすい環境があるというのは日本人宿の必須条件。

日も当たるし乾きやすいのでタカハウスの洗濯場はいいのだけど一つ難点が。
干していた物が飛ばされて落ちてしまうと、犬のボビーのおしっこまみれになること。
中庭はボビーのお気に入りの場所。
わたしも何度か被害にあった。

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タカハウスにはいろいろとツッコむべきところがあるんだけど、このボビーについてもしかり。
ボビーという男前な名前をもつこの犬は、実はメス。
かわいい顔をしている女の子なのにボビーとつけられている。

もともとノラ犬だったボビー。

海外ではノラ犬が虐げられている国が多い。
ただ単に道端を歩いているだけなのに、石を投げつけられたり、棒で叩かれたり。
なのでノラ犬たちは極度の人間不信に陥っている。

ボビーは人間にいじめられていた子犬のとき、このタカハウスにやってきた。
人間に恐怖心を抱いているから抱えることも撫でることもできずに、オスなのかメスなのかずっと確認することができなかったのだそう。
「たぶんオスかな」ということでボビーと命名されてしまった。

子犬だったボビーは旅人たちの残飯をたらふく食べて大きくなっていまでは立派なおばさん。
でも幼い頃に受けた虐待の記憶は消えずに、いまでも人間不信。
触ると噛みつく。
足をボビーのそばに置くだけで、噛みつかれる。
これはボビーがノラ犬だったときによく蹴られていたから、人間の足が嫌いなのだそう。
ボビーは棒にも敵対心をもっている。
棒で叩かれていたからなんだって。

扱いが難かしくてつれない犬だけど、だからこそかわいくて、旅人たちはボビーのことを気にかけ、タカハウスの看板犬になっている。

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さあ、肝心のタカさんはどんな人?

写真で紹介しようと思ったけど、それはまた次回。
タカさんは、アイドルでもないただのおじさん(おじいちゃん?)なのに、年齢非公開。
そこに全然ミステリアスも感じないし、年齢を隠してる意味がわからないんだけどね。
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「友人からの贈り物」「冒険家として生きる」

2016.05.26 13:30|世界からのメッセージ☞EDIT
熊本と福岡を行ったり来たりして生活しているイクエです。
福岡に帰ると、いつも蛇口から水が出ることに感心します。
「うわー。水が出るー!」って。
普通に食器を洗える、普通にトイレを流せる、普通に洗濯機をまわせる、普通に家でお風呂に入れる。
そんな普通を、実家の家族たちが味わえる日まで、あとどのくらいかかるのでしょう。

このブログはイクエとケンゾーの世界一周の旅を記録するものだけど、やっぱり熊本地震のことも書きたくて、書くことにします。
このブログにかつて熊本地震のことを書き、批判のコメントが寄せられました。
「読者は旅の話を期待している」とか「世界一周ブログランキングに参加しているのに、世界一周のことではないのでふさわしくない」など。
いっぽう、「熊本地震のことを知りたいです」というコメントもたくさんいただきました。

被災してからいろいろとやるべきことや考えることがあって、「地震以外のことで煩わしいことをしたくない」「気持ちを乱したくない」「平静を保っていたい」という思いがずっとあります。
そんなときに、寄せられる批判のコメントというのは、こころに重たくのしかかります。
「だったら、批判されるようなことはやめとこう、面倒くさい思いはしたくない」と思い、熊本地震のことを書きたいけど書かない自分がいました。

でも、書くことにします。
被災したから伝えられることもあると思うし、みんなに知ってほしいこともあります。

「地震のことを書くのなら、世界一周のカテゴリーから外れろ」という意見もいただきましたが、わがままを言うのが許されるなら、大目に見ていただきたいです。
まだ旅の話は終わっていないし、これからずっと地震のことばかりを書くつもりもありません。

しばらくの間は、数回に一回、熊本地震のことを書かせてもらえませんか?
その分、ブログをあまり中断することなく更新しますので。
そして旅の記事をたくさんあげようと思います。

「世界一周ブログランキング」にわたしたちが参加しているいちばんの、というか、ほとんど唯一の理由は「ランキングに参加するほうが、たくさんの人に見てもらえるから」です。
わたしたちのことを知らない人にも、わたしたちのブログが目にとまり、読んでいただけることになります。
旅のことも、地震のことも含めてたくさんの人たちに読んでほしいので、わたしたちの旅の話が終わるまではランキングに参加していたいなあと思っています。

わがままであることは承知しておりますが、わたしたちの思いを少しでもご理解いただければ幸いです。

きょうお話したいのは、2つのトピックです。


・被災した私が、友人からもらったもの

先ほども書いたように、被災してからわたしは「煩わしいことをしたくない」「面倒くさい思いはしたくない」「できるだけ平静でいたい」という思いがあったようです。
一言で言ってしまえば「無気力」です。

時間があってもブログを更新しない日もたくさんありました。
荷物の運び出しや片付けなど被災にまつわる作業はがんばれるんだけど、被災に関係ないことをやる気にはなりませんでした。
南阿蘇から福岡に戻ると、料理をする以外は何もせずぼーっとテレビを見て、一日が終わるという日々の繰り返しです。
あれもしよう、これもしようと思っているけれど、こころと体が追いつきません。
地震前に始めたばかりのバイトもやめてしまいました。
そんな自分がもどかしくもありました。

「窮地に立たされたときこそ、その人の人間性が表れる。」
これは常々わたしが思っていることです。

東日本大震災のときに現地でいろんなかたにお話をうかがいました。
東日本大震災は、今回の熊本地震よりももっともっと悲惨で、過酷な状況でした。
たくさんの人たちが家をまるごと失い、大切な人を失いました。
生きながら流されていく人たちの姿や、波打ち際に寄せられた何体もの遺体を目撃されています。
こころへのダメージや衝撃、トラウマは想像を絶します。
現実を直視することはおろか、ただ息をし一日一日を生き抜いていくことさえ、困難なことだったのではないでしょうか。
しかし、そんな状況のなか、自分にできることを精一杯成し遂げ、まわりの人たちを支え、力強く歩んでいた人たちもいます。
岩手県陸前高田で出会った男性は、地震直後、そのままになっていた遺体を不憫だからと人力で一体一体陸に引き上げました。
そして、近くの住民たちのために木を削り大きな浴槽を作り、温かいお湯を張り、浴場を作りました。
震災直後に、です。
その場所でその男性に写真を見せてもらいながらお話をうかがったとき、涙が出てきました。

すごいなあ。
自分ならそんなことできるだろうか。
そんな人間でありたい、と。

また宮城県でも津波の被害にあった海辺の地区の人たちが、地元が元気になるように朝市を開いたり、農家の人たちが農地やビニールハウスが被害になりながらも前を向いて一から農業を再開されたりと、震災にへこたれず、むしろそれをバネにして精力的に活動されていました。

逆に、被災した人たちから、非被災者のわたしがパワーをもらったような気分でした。

窮地に立たされたとき、苦しいとき、問題が山積しているとき、人としてどう立ち振る舞い、どう生きるか。

それは旅をしているときも、ときどき感じることがありました。
生まれた環境の悪さや貧困、弾圧、紛争・・・。
日本にいるわたしたちが想像もできない過酷な状況のなか生きている人たちがいます。
じゃあ、その人たちがかわいそうなのか、無力なのか、というとけっしてそうではありませんでした。
もちろん、自分が置かれた環境を哀れみ、嘆いている人もいます。
でも、そんななかにも、環境のせいにせずに力強く生きて、まわりの人たちに光を与えている人たちがいました。

そういう人たちを見るたびに、自分もそうであろうと心に決めました。

それなのに、です。
被災してから、わたしはただ実家の手伝いをすることしかできません。
割れたガラスを集めたり、被災した家具を運び出したり、生き残ってまだ使える物を家から救出したり、断水のために水汲みに行ったり・・・そんな単純作業をしてなんとなく何かをやってる気になっているけれどそれ以上のことはやれないでいます。

友人からは「きっとイクエのことだから避難所でもほかの人のお世話をしたり、夫婦で活動して無理してるんじゃない?」という労いの言葉をもらったけれど、実際は全然です。
後ろめたい気分です。

先日、高校のとき同級生だった友人から、贈り物が届きました。
その友人はいまは長野で暮らしています。
中身は現金でした。

書留のなかには2つの封筒がありました。
ひとつは友人から、もうひとつはわたしがお会いしたこともない人からでした。

封筒の中には現金と、短いメッセージが入っていました。

「みんなで力を合わせて のりきってくださいね♡
                        長野の住民より」


友人からの封筒にも、現金と手紙が入っていました。

「私は地震のニュースや緊急地震速報が出るたびに怖くて涙が出て・・・。
 福岡ー阿蘇の交通費の足しにでもしてね。」


わたしの素直な気持ちは「ほんとうにありがたい うれしい」。
そして「がんばらなきゃ」。

これまでも「必要なものがあったら送るから言ってね」という言葉をたくさんの人たちからもらっていました。
旅行中に出会った旅友は、地震直後ケンゾーに「口座番号を教えてください」とメッセージをくれました。
そう思っていただけるのはほんとうにありがたくて嬉しかったけれど、当座の生活費は困っていなかったし、必要最低限のものは支援物資でいただけたので、すべて断ってきました。

今回、友人からはじめてお見舞いをもらい、自分でも予想していなかった気持ちになりました。
「よし、がんばろう。」

お金を稼ぐことの大変さは知っています。
友人はわたしにそのお金をあげなければ、家族でレストランにも行けたかもしれない。
愛する子どもたちに本やおもちゃを買えたかもしれない。
それを犠牲にして、わたしに現金を送ってくれたのです。
さらに、お会いしたことのない方も、わたしたちのために贈ってくださった。

わたしたちのために、こんなことをしてくれるなんて。
わたし、なにやってるんだろう。
自分もがんばんなきゃ。

背中を押されました。

自分は今までこういうときに人に現金を贈るのには抵抗がありました。
うまく説明はできないけれど、なんとなく気持ちがこもっていないような、即物的というか・・・。
相手にほどこしをあげるみたいで、嫌だなあ。
お金を贈るくらいなら、物がいいんじゃないか。

それなのに、いざ自分がお金をもらう立場になって、「ありがたい」という気持ちとともに、パワーが生まれたのは予想外でした。
わたしたちに向ける応援が、ストレートに伝わってきました。

フェイスブックで友人にお礼を言うと、こんな返事がきました。

「現金を送るのって、何だかイヤラシイかなぁとかなんだとかずっと考えてたの・・・。
 本当に役に立つなら、こんなうれしいことはないよ。」


友人がくれたのはお金以上のものでした。
がんばって働いたお金を、自分の幸せを犠牲にして、わざわざ贈ってくれた。
そんなことを思うと、わたしもこのままじゃいけない、と。

自分もまっとうに生きていこう。

友人はこんな言葉もくれました。

「いち早い復興も願うけど、それで頑張り続ける皆さんの心が疲れ果ててしまうのは悲しい。
 前を向いてさえいれば、流れに乗って、復興も進むと信じています。
 疲れたときは、休みたい日は休んでね!」


とても思いやりのある言葉です。

疲れて歩みを止めるときがあってもいい。
でも、止まっていても前さえ向いていたら、流れに乗って進むことができる。

そして自分に余裕があるときは、どんどん大股で前へと歩いていこう。

友人からの思いがけない大きなプレゼントでした。


・旅人の強み 冒険家として生きる

わたしには父がいます。
まあ、あたり前のことですけど。

でも、15年くらい会っていませんでした。
どうしてかというと、両親が離婚しているからです。

夫婦としては離婚したけれど、わたしと姉にとってはいいお父さんでした。
共働きで、父は今で言う「イクメン」でした。
保育園の送り迎えとか、わたしたちを遊びにいろいろ連れていってくれたし、母が単身赴任のときは働きながらもわたしたち2人の面倒を見て、お弁当も作ってくれていました。

そんな父は、若い頃、旅人でした。
いまから50年くらい前の話です。
東京の大学を卒業したあと、船で日本を離れ、シベリア鉄道に乗り、ヨーロッパでアルバイトをし、アメリカ大陸に行って、日本に戻るという世界一周をしています。
もちろんそのときはロシアは旧ソ連で旅行しづらかったし、日本からの海外旅行客なんて珍しいし、今とは比べものにならないほど、世界一周は難しく、そして大興奮で、楽しかったと思います。

離婚してから父とは会わないどころか、ほとんど連絡もとっていませんでした。
でも、今回連絡を取りました。

たしか父がいま生活しているところも、地震の被害がひどかった場所だったんじゃないか、と思って。
昔聞いていた携帯電話の番号にはじめてメッセージを送りました。

「こっちは家も車もダメになったけど、家族全員無事です。
 そちらは?」


父は、西原村という、被害のひどかった自治体に、一軒家を建てて暮らしていました。

「電話番号がわからずに連絡が遅くなりました。
12年のローンが昨年終わり、やっとほっとしましたが、傾き、住めなくなりました。
今、車で生活です。
神様の試練と思って頑張ります。
前向きに頑張っていこうと思いますが、いろいろと考えると眠れません。
ひとつひとつ解決します。」


両親の故郷とわたしたちが生まれ育った場所は熊本県内ではあるけれど、今回ほとんど被害を受けていない、ここから離れている市です。
なのに、被害のひどい南阿蘇村と西原村に引越し、お互い被災したという事実がなんとも皮肉です。

父はいま70歳くらいです。
離婚してわたしたち家族から離れていったとはいえ、その年で被災したのはとてもかわいそうです。

家族みんなが被災したということ。
今までの生活を失ってしまったということ。
その事実に、心が落ち込みそうになりましたが、父のメールのひとつに勇気づけられるものがありました。

「お互いに健康に気をつけて。
 
 私たちは冒険家です。
 
 きっと、未来があります。」


冒険家。

そうです。

初めての経験にも果敢に挑み、先が不透明でも新しい道を切り開いていく。
ちょっとぐらいの困難や立ちはだかる障害なら、むしろ楽しむ余裕がある。
未知のものに興味をもち、悩んだり発見したりしながら、進んでいく。

冒険家は、実際に旅をしている人のことだけを差すのではないと思うのです。

その人のこころが冒険家であれば、その人は冒険家です。

平坦な道よりも、でこぼこで坂道でいろんなものが待ち受けているほうが、おもしろいハイキングになります。

旅人のこころを忘れないでいよう。
どんなときも冒険家でいよう。

そう誓ったのです。

地震から1か月以上が経ちました。
時間が経つほどに、いろんな問題が見えてきています。
それでも、冒険家であることを胸に、前を向いていようと思います。
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こんなじいちゃんになりたい

2016.05.24 13:06|グアテマラ☞EDIT
梅雨に備えてゴアテックスのかっぱを買ったケンゾーです。
すこし前、満開の桜を見て日本に帰ってきた実感が湧いたんだけど、ジメジメジトジトの梅雨も日本ならでは。
連日の雨は気が滅入るけど、ここでしっかり雨が降らないと福岡はすぐに水不足になってしまうので「から梅雨」も困る。
雨に負けず気持ちだけはアゲアゲで乗り切ろう!

男性陣が民族衣装を着てフットサル観戦に興じているサン・フアン・アティタン。
外国人で普通の格好をしているケンゾーとイクエは完全アウェーではあるけれど、意を決して市場の人ごみの中へ。

それにしてもすごい人!
こんな山の中の小さな町にこんなにたくさんの人たちが集まっているなんて。
押されながら、かき分けながら、なんとか前へ進んでいく。

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野菜や日用品を買い求める人たち。
売るほうも買うほうも、同じ衣装に身を包んでいる。

靴屋さんのおじさん2人組がダンディー。

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店番をしながらウトウトしているおじいちゃん。
早起きして山奥からやって来たのかな。
商売っ気がぜんぜんないところがかわいい。

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レンズを向けるとまっすぐと迷いのない視線をくれたおじいちゃん。
深く刻まれた顔の皺。
よく見ると優しそうな瞳。
いい歳の取り方をしてきたんだなあとしみじみ思う。

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トドス・サントス・クチュマタンは股に付けた乗馬用の当て布とテンガロンハットが特徴的だった。
ここサン・フアン・アティタンの特徴はフェルト生地のポンチョと平べったい麦わら帽子。
ほんの8kmほどしか離れていないのに、山を隔てただけで全然違う民族衣装。
いままでがそうであったように、これからも伝統を受け継ぎ、文化を繋いでいってほしい。

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トドス・サントス・クチュマタンからジャガイモを売りに来ているおじさんがいた。
おなじみのストライプの赤いパンツは、この村では異色の存在。

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女性は帽子を被らないんだけど、年配の女性は赤い鉢巻きのようなものを巻いている。
幾重にもなってるんだけど、たぶん伸ばしたらけっこうな長さになるんじゃないかな。
どういう経緯を経て鉢巻きスタイルになったんだろうね。

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色鮮やかな幾何学模様が織り込まれた女性の服。
若い女性や子どもたちは照れながらも気さくに撮影に応じてくれる。

メイクした顔で、微笑みかけてくれたこの女の子はまだ10代半ば。

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小さな女の子も。
緊張しながらも、ハイポーズ。

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市場を彩る色とりどりの刺繍糸。
トドス・サントス・クチュマタンもそうだったけれど、ここの人々も自分たちの服は自分たちで作っている。
見かけることはできなかったけれど、男性も編み物をするんだそう。

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そんな伝統をこれから先も守り続けてほしいとは思うけど、とっくの昔に伝統的な暮らしぶりを捨ててしまった日本人にはそんなことを口出す権利はないよねえ。
市場でカップヌードルをおいしそうに食べるおばちゃんを見かけてちょっと胸がざわついたんだけど、10年先、20年先はどうなっているだろう。

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いつの時代も子どもの笑顔は普遍の宝もの。
願わくばずっとこのままで・・・とは思うけど、この小さな山奥の村にいつまでも子どもの笑顔が弾けていればそれでいい。

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一家総出で買物に来ていた家族。
笑顔で撮影に応じてくれた。

なにかと世知辛い世の中。
やっぱり大事なのは家族の結びつきだと思う。

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アイスクリーム売りのじいちゃんと、客のじいちゃん。
アイスクリームをもったまま、ポーズをきめてくれた。

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平均寿命からするとこの旅のあいだに人生を折り返したケンゾー。
まだまだ先は長いけれど、こんなお茶目なじいちゃんになりたいなあ。

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違和感あるファッションでスポーツを

2016.05.23 11:02|グアテマラ☞EDIT
腰が痛いので夫にマッサージを頼んだら、わたしの腰回りをまじまじと見て「え?え?」と驚かれたイクエです。
私の太りように驚いたらしい。
運動量が減ったし、間食も多くなったから太るのはあたり前。
運動したいけど、今のままだと腰を痛めそうなので、安静にしています。
お酒の量は前よりも控えてるんだけどなあ。

ウエウエテナンゴからきょう目指すのはサン・フアン・アティタン
アクセスも悪く、山の中にひっそりと隠れるように存在しているこの村のことについてはまったく知らなかった。
シェラの宿でその村の写真と紹介文を読んで「行ってみたい!行ってみよう!」ということになったのだけれど・・・。

さて、ここからどうやっていけばいいのか。

サンフアン

直通のバスなんてきっとない。
とにかく公共交通機関で行けるとこまで行ってそこからはなんとかするしかない。

どのバスに乗ればいいのかわからないけれど、まずはウエウエテナンゴのバスターミナルに行ってみることにした。
宿を出て、路上からバスターミナル行きのバスに飛び乗った。
バスと言っても町を巡回するワゴン。
運賃はひとり1.5ケツ(約24円)。

バスターミナルに着いたはいいけれど、どのバスに乗ればいいのか。
さまよいながら、いろんな人に聞き、結局歩いてバスターミナルの敷地を出ることに。
地元の人に「ここにやってくるバスに乗ればいいから」と言われて幹線道路に立っていると、それっぽいバスが登場。

このバスで目的地に到着することは期待してない。
とにかく、ここから北上して少しでも目的地の近くに行ってくれたら。

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実はグアテマラ、人々も素朴だしふっかけられるようなことはほとんどないのだけれど、チキンバスは別。
切符なんてないし、地元の人以外相場がわからないので、車掌がふっかけてくることはよくあること。
正規の2倍くらいの値段を要求されることもある。
外国人だけがターゲットにされるわけではなく、別の街からやって来て相場を知らない現地人もふっかけられている。
クリスマスや年末年始など、需要が多いときに料金が値上がりすることもある。
だまされているのかそうじゃないのか見分けにくい。

乗る前に車掌に「いくら?」と聞くと、ふっかけられる確率が高くなる。
ふっかけられるのを防ぐには「わたし、運賃知ってますよ」という顔をして、無理に値段を聞き出そうとしないこと。

いちばんいいのは、隣に座っている人など、地元の人に値段を聞くこと。
または、バスが出発したあとに車掌が運賃を回収しにくるので、前の人がいくら払ったかを確認して、自分も何食わぬ顔で同じ額を支払う。
でもみんな行き先が違うので運賃がばらばらなので、この技もけっこう難しい。
それにバス会社によって値段が違うので、地元の人が正規の値段を知らないことも多い。

わたしたちも「これ、きっとふっかけられてるだろうな。でも払うしかないか。」とか、あとになって「やっぱりあれは値段が高かったなあ。」なんて思うことが何度もあった。
でも、地元の人たちもそんな感じでバスに乗っている。
グアテマラでは、少し騙されるぶんには「しょうがない」と割り切る気持ちも必要かもしれない。

わたしたちはサン・セバスティアンという地域でこのバスを降りないといけないらしい。
そこに幹線道路から分岐する細い山道があって、その山道を登っていくとお目当てのサン・フアン・アティタンに到着するはず。

ウエウエテナンゴからサン・セバスティアンまでのバス代はひとり10ケツ(約160円)だった。
(ちなみに帰りは半額の5ケツだった。行きはふっかけられていたことがあとになって判明。)

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バスを降ろされたイクエとケンゾー。
ここからどうやっていくのか。

「ここで待ってると来るから」って言われたんだけど、何が来るのかはわからない。
不安になりながら、10分ほど待っているとピックアップトラックが止まった。

これをチャーターするのか、それともバスみたいにほかの人たちといっしょに乗るのか。

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よくわからないまま荷台に乗り込む。
すると、ほかの人も乗り込んだ。
でも、まだ出発しない。
道路の向こうから小走りに3人くらいの人たちが寄ってくる。
そしてその人たちも飛び乗った。

そしてトラックは出発〜♪

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空の色は、とても深い青。
すがすがしい天気の中をトラックは走っていく。

空にどんどん向かっていくような気分。
荷台に乗って、風を切って飛んでいくような気分。

きもちいい!

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どんどんと高度を上げていく。
わたしの胸も高鳴っていく。

ドキドキ。
ワクワク。

トラックの荷台に地元の人と乗り込んでこうやって移動するのは、「秘境に行く」という演出にはうってつけ。

わたしたちはあとどのくらい山を越えていくのか。
トラックはどんなところに連れていってくれるのか。

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30分ほどすると、山肌に小さな建物がへばりついているのが見え始めた。
きっとあの集落が、サン・フアン・アティタン。

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乗客が1人、2人と降りていき、トラックは村の中心地らしきところに着いた。
運賃はひとり10ケツ(約160円)だった。

きょうは市場が開かれる日。
メインストリートは全長、数百メートルと短いけれど、そこにたくさんの人たちが集まっている。
トラックやトゥクトゥクで大混雑。

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この村の男性たちも、ほとんどが民族衣装に身を包んでいる。
この前のトドス・サントス・クチュマタンの村とは、全然違う格好。
赤いシャツに真っ白いパンツ。
そして、平たい麦わら帽子。

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「すごいねえ!!」
「おおお〜!!」

突然、異世界に足を踏み入れたような錯覚。
わたしたちの見たこともない世界が、この地球上にはひっそりと、でもたくさん存在しているのだ。

女性たちも赤紫を基調とした服。

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メインストリートの脇から、歓声が聞こえる。
男性陣たちが集まり、何やら真剣に見つめている。

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同じ格好をした男たちが、ベンチや椅子に腰かけ、腕組みをして。
若者からおじいちゃんまで。

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トドス・サントス・クチュマタンの村では、男たちの娯楽は「公園のテラスから通りを眺めること」だった。
この村でも同じように眺めているけれど、見ているのは別のもの。

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ときには談笑しながら。
ときには渋い顔をしながら。

男たちが熱い眼差しを送るのは・・・。

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フットサル!!

違和感のある光景。
お揃いの民族衣装に身を包んだ男たちが、肩を並べてスポーツを観戦しているという、どこか微笑ましい光景。

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なんでこんなに違和感を感じるのかな。

観客たちが民族衣装なのに、プレーヤーたちがちゃんとしたユニフォームを着ているからかな。
むしろ、プレーヤーたちも同じ民族衣装を着ているほうがしっくりくるかもしれない。

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このプレーヤーたちは、村の外からわざわざやってきた人たちなのか。
それとも村の人たちなのか。

普段は民族衣装を着ている人たちが、このときだけユニフォームを着て試合をするのだとしたらそれはそれでおもしろい。

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この村で外国人の姿はわたしたち以外ない。
こんなとき、わたしとケンゾーはワクワクもするけれどそれ以上に緊張する。
完全、アウェー。
場違いなところに来てしまったんじゃないかと不安になる。

なるべく自分たちの存在感を薄め、紛れ込む。
でも、紛れ込めない。

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人でごった返す市場を散策してみることにした。

恐る恐る、「おじゃまします」。

そんなわたしたちは、この村の人と言葉を交わすことができるのだろうか。

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ウエウエテナンゴ経由で秘境へ

2016.05.20 13:01|グアテマラ☞EDIT
美容室に行って髪を切ってくれない妻がちょっと嫌なケンゾーです。
ふつう女の人って長期旅行から帰ってきたら速攻美容室に行くんじゃないの?
それなのに帰国して3ヶ月、いまだ旅中とおなじコンディション。
いくら面倒くさがりとはいっても、そろそろ髪切ってくれないかなあ。

素朴な村なんだけど、人々がみな見応えのある刺激的なファッションに身を包んでいるトドス・サントス・クチュマタン。
つぎにケンゾーとイクエが目指すのは、直線距離でおよそ8km離れたところにあるサン・フアン・アティタンという村。

8kmというとほとんど隣村レベルの距離なんだけど、一筋縄ではいかないところがグアテマラという国なんだよね。
山だらけで道路も整っていないので、目と鼻の先の距離にある村なのに直通のルートがない。
いちどウエウエテナンゴまで戻ってぐるっと迂回しないといけない。

サンフアン

歩いていけなくもないらしいけど、急な山道。
たどり着くのに1日がかりらしい。
ちゃんとした登山道もないし、いつも使っている携帯のGPSの地図でさえ表示されない。
荷物をもって人気のない道を勘に頼って歩くのは危険だし、現実的でない。

急がば回れ。
まずはバスでウエウエテナンゴを目指し、迂回しよう。

足元から頭のてっぺんまでビシッと決めた男たちのファッションが気に入って去りがたかったトドス・サントス・クチュマタン。
ウエウエテナンゴに着いたのは夕方4時。
サン・フアン・アティタンに移動するには遅すぎるので今夜はここに泊まることに。
中央広場の近くで見つけた「Mary」というホテルにチェックイン。
とても綺麗なツインベッドルームで1部屋130ケツ(約2080円)。
やっぱり山奥にある田舎のトドス・サントス・クチュマタンと比べると物価は桁違い。
ちなみにWi-Fiあり。
部屋はバスルームつきで、とても清潔。

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ウエウエテナンゴは人口8万人ほどの小さな地方都市。
けれどマヤの時代から時間が止まったままのようなトドス・サントス・クチュマタンと比べると大都会。
でもただの「街」って感じでおもしろみはない。
やっぱりグアテマラのハイライトは昔ながらの暮らしが残っている小さな村巡りだと思う。

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あしたは、そんな村に行ってみるぞ。

サン・フアン・アティタン。
この村の存在は、知らなかった。
ガイドブックにも載っていない。
シェラのタカハウスの壁に貼ってある写真と説明を見て、イクエが「行ってみよう」と言った。
そして付け加えた。
「でも、行けるかわからんけどね」。

こんな小さな村に行く直通のバスはなさそう。
どこかで乗り換えないといけないと思うけど、乗り換えようにもバスはないかもしれない。
ヒッチハイクというのもありえる話だし、車なんて通らなければ途中であきらめて引き返さないといけないかも。
心配や不安はある。
でも、その分ワクワクもある。
アクセスしにくい場所ほど、昔ながらの生活や少数民族の人たちの生き生きとした姿を見ることができるんじゃないか。

はたしてケンゾーとイクエは、目的の村にたどり着けるのか?

(きょうは短いけど、ここまで。
 仕事行ってきまーす。)
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桃源郷の村 残忍な過去

2016.05.19 13:28|グアテマラ☞EDIT
タンポポコーヒーを飲んでいるイクエです。
タンポポコーヒーってタンポポの根っこから作るカフェインゼロの体にいい飲み物。
コーヒーの味に近いけど、おいしいのはやっぱりコーヒー。
朝の1杯は本物のコーヒーにして、午後の1杯はタンポポコーヒーにしようかなって思っています。

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男性陣が日がな一日、公園のテラスから通りを観察している村、トドス・サントス・クチュマタン。

お昼ご飯は、地元の人に大人気のレストランに行ってみた。
鉄板で鶏肉やソーセージをジュウジュウと焼いている。
煙と匂いが外にまで漂い、食欲がそそられる。

出てきた料理はボリュームたっぷり。

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いろんなお肉のミックスプレート。
一皿20ケツァール(約320円)。
量は多いけど、地元の女性もペロリと平らげる。

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この村にこれといった見どころはないけれど、中心地から歩いて10分、丘を登ったところにテクマントゥン遺跡というのがあるらしい。
マヤ文明の遺跡で、小さなピラミッドのようなものがあるそうだけど、大抵こういうところの遺跡と言うのはほとんど無名。
そして、朽ち果てている。
遺跡には期待しないけれど、眺めは良さそうなので散策をかねて行ってみることに。

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街から外れ、坂を上っていくほどに素朴な造りの建物が目立ちはじめる。

泥を固めた壁に、素焼きの瓦屋根。
素朴ではあるけれど、きれいに色が塗られている。
白壁に赤い軒桁、そして青い柱。
極めつけは、緑色のドア。
ドアにはまるで民族衣装の刺繍のように、デザインが描かれている。

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庭先で織物に励んでいる女性がいた。
軒下の柱にくくりつけて糸の束を吊るし、そこに何本もの棒を横に差している。

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世界のあちこちに、民族衣装に身を包んでいる女性たちはたくさんいる。
けれど、今ではその多くは既製品。
ほかの人が作ったものを市場で買ったり、工場で大量生産されていたり。
民族衣装を着ていても、その人がその衣装を作る技術をもっているかといえば、そうではない。

けれど、この村の女性たちはその技術をもっている。
すばらしいなあ。

どうやって織っているのか見せてもらった。
方眼紙に、◯やXの記号をつけている。
これを見ながら、織っているのだそう。

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方眼紙の記号はとてもシンプルなもの。
どうやって、これでさまざまな色の糸を使いわけているのか不思議。

女性に別れを告げて、再び丘を登りはじめる。

真っ黄色のトウモロコシが日干しされているお宅の前にさしかかった。
洗濯物は、お決まりのストライプのボタンシャツに赤いパンツ。

あいさつし、中におじゃまさせてもらうことに。

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奥では女の子が、樽に入れた水を使って髪を洗っている最中だった。
黒くて艶やかで、長いストレートヘアー。
髪質はアジア人に似ている。

中南米の先住民の人たちの先祖もモンゴロイドだと言われている。

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この家庭でも、子どもたちに囲まれてお母さんが織物に勤しんでいた。
さっきの女性は椅子に座ってやっていたけど、このお母さんは正座している。
織物につけた帯をお尻にまわし、ブランコに乗っているような格好で座っている。

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織り込んでいるのは、カーネーションのような花たち。
とても鮮やかだけれど、嫌みがない色使いはさすが。

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織り上げるのに2週間くらいはかかるのだそう。

子どもたちやおばあちゃんが笑顔でわたしたちに寄ってくる。
ここの村の人たちは、みんな笑顔で穏やかで気さく。
グアテマラのほかの村の人たちよりも、人当たりはとてもソフト。
わたしたちにとっては、居心地のいい村。

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それなのにー。
この村で、観光客の日本人が集団リンチで殺害されたという事実。
信じられない。
でも、その悲惨な事件はたしかに起こっている。

2000年4月29日。
日本の旅行会社主催のツアーで20人あまりの日本人がこの村を訪れていた。
当時、このあたりでは「子どもをさらうカルト集団が活動中」という噂が流れていた。
ツアー客たちが市場を歩いていたら、このカルト集団と勘違いされて、数十人で取り囲まれ殴られ切りつけられ、39歳の男性が殺されたという。
ほかのツアー客たちはバスに逃げたものの投石され、さらにはバスの運転手が引きずり出されて火をつけられて殺害された。

なぜカルト集団と勘違いされたのか、詳しいことはわからない。
ただ、市場にいた地元の女性が突然叫び、それを聞いた男たちがそばにいた日本人男性とガイドを取り囲みリンチが始まったという。

穏やかな村の人たちを見ていると、そんなヒステリックで残忍な事件が起こったことが想像できない。

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丘の上の遺跡に到着した。
テクマントゥン遺跡は、想像していたように草生して朽ち果てていた。
かろうじて盛り土のようになっているところに、ボロボロになった石が見えて、ここが遺跡だとわかる程度。

その脇には、十字架の慰霊碑が建っていた。

1982年、内戦が激しかったとき、反政府組織との関与を疑われた村人たち200人あまりが、軍隊によって惨殺された。
その犠牲者たちを悼んで建てられたもの。

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こんな桃源郷のよう村で、そんなむごたらしい事件があったとは。

ある日突然軍隊がやってきて、村人たちを引きずり出し、いきなり殺し始めたら。

時が流れても、その恐怖の記憶は消えることはない。

もしかしたらー。

日本人が悪魔のような存在に間違えられ、ヒステリックに殺されたのは、1982年の虐殺の記憶が思い起こされたからではないか。
よそ者が村に入ってきて、村人たちを突然恐怖の底に突き落とす。
そんな記憶が、20年近く経っても、村人たちから消えることがなかったからではないか。
何も悪くない自分たちが、突然いつやられるかもしれない、と。

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十字架の丘からは、山間の小さな村を見渡せた。
美しい村。
むごたらしい出来事が似合わない村。

悲惨な出来事の記憶は消えず、次へと続いていくのなら。
それはほんとうに罪深い。
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村人の意外な娯楽とは?

2016.05.18 12:48|グアテマラ☞EDIT
ペーパードライバーなので日本に帰ったら車の運転の練習をしようと思っていたのに、機会を逸したイクエです。
交通量が少なく信号もない、実家の南阿蘇で練習するのがよかったんだけど、地震で路面に亀裂が入ったり陥没したり崩れたり。
わたしの運転技術じゃ無理。
さあ、どこで練習しようかな。

トドス・サントス・クチュマタンで一晩過ごしたイクエとケンゾー。
標高が高いので寒い夜となったけど、ダウンジャケットを着て毛布を被って寝たら、大丈夫だった。
きょうもいい天気。

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このホテルはなかなかステキで、中庭を囲むように部屋が並んでいる。

軒下には干されたトウモロコシ。
黒や黄色、紫。
グアテマラではトウモロコシが料理に欠かせない。
乾燥させて粉末にして小麦粉のように使うことも。

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中庭の奥に、普段は洗濯に使うスペースがある。
ホテルの子たちが、おしゃべりしながら楽しそうに作業をしている。
シーツを洗っているわけではなさそう。

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この日はクリスマスイブの前日。
あしたに備えて、鶏を絞め、お湯に浸けて羽をむしり、下準備をしていた。
とても大きくて肉付きがよく、羽の色は黒っぽく、普通のニワトリではない。
七面鳥にも似ている。
スペシャルな料理になりそう。

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わたしたちはクリスマスイブとクリスマスは、シェラのタカハウスで過ごすことに決めている。
でもこんな山間の小さな村で静かに過ごすのも悪くはない。

村の中心地にあるのは、白亜の教会。
あしたはみんなここにお祈りに来るのだろう。

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教会内部はクリスマスの飾り付けがされていた。
でも、今はまだ誰もいなくて、静寂につつまれている。

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グアテマラの人たちって衣装はとてもカラフルで、色の組み合わせも上手で、刺繍は細かい。
でも、教会の彫刻や宗教画となると話は違ってくる。

教会に鎮座している聖人の像。
ヨーロッパのそれと比べると見劣りする。
でも、こちらのほうが温かみがあって親しみがもてる。

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天井を仰ぐ。
天使が大きな翼で空に浮かんでいる。
肌は少し浅黒く、着ている衣装もグアテマラっぽい。

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トドス・サントス・クチュマタン。
マム族のファッションはユニークで、山々に囲まれたこの村は、俗世間を離れた桃源郷のようでもある。

生い茂る緑。
青い空。
この辺では、おいしいコーヒーも作られるんだって。
春にはリンゴの花々が咲き誇るんだとか。

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爽やかな場所ではあるのだけれど、これといった見どころはない。
娯楽もない。

村の人たちのいちばんの娯楽がこれ。

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毎日、朝から暗くなるまで、この場所に人が絶えることはない。
必ず集まっている。
そして、ずっと見続けている。

みんな何を観ているのか。
そして、この場所は何か。

遠くから見ると、こんなふうになっている。

左側の少し高いところが、この場所。

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ただの「ちょっと眺めのいい場所」。
眺めがいいと言っても、美しい自然や街並みを見下ろせるわけではない。

人の行き交いや買物の様子を見られるだけ。

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よくわからないけど、それを観るのが楽しいらしい。
飽きもせずにずーっと観察している。

友だちと世間話をしながら下の人たちを観察したり、ひとりでぼーっと見続けたり。

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ここで見ているのはほとんどが男性。
こうやって、お嫁さん候補を探していたりして。

テレビを見るよりも、ここで人を観察するほうがおもしろいのかもしれない。

もっとも、ここではテレビなんてほとんど普及していない。
インターネットもまだ。

でも、この桃源郷のような村にも普及したらー。

この場所で人を観察するという娯楽は廃れていくかも。

みんなテレビを見たり、インターネットをするようになって、都会の生活を知ったり、流行のファッションに興味を持ち、村の外に憧れて、若者は都会に出るようになって。

近い将来、通りを見下ろすこの娯楽の場所に、人の姿がなくなるかもしれない。
それはなんか、寂しいなあ。
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子どもにも受け継がれていく服の文化

2016.05.17 12:41|グアテマラ☞EDIT
週末、南阿蘇に帰省してまた福岡に戻ってきたイクエです。
家具や水、粗大ごみを運んでいたらぎっくり腰の一歩手前に。
今週中に痛みが取れなかったら整体に行こうかなと思っているけど、1日経つごとに快方に向かっているような・・・。
もう少し様子を見てみよう。

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先住民、マム族が生活するトドス・サントス・クチュマタンにやってきたイクエとケンゾー。
クチュマタンとは、マム語で「山脈」。
山間の村ではあるけれど、土曜日は市場が開かれる日。
まわりの集落からも買物に多くの人がやって来てにぎやかになる。

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人気商品はパイナップル。
トラックの荷台に山積みされたパイナップルが飛ぶように売れている。

そして、トマトやピーマン、ニンジン。
色鮮やかな野菜たち。

手作りのソーセージは、スパイス入りのピリ辛のものや、ハーブ入り。
チキンは、1羽丸ごとで。
スライスした牛肉は樽に載せて豪快に売る。

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わたしとケンゾーにとって、興味をそそられるのは市場の品物よりも、マム族の人たちのファッション。
おじいちゃんがカッコ良く着こなしている。

「ブエノス・ディアス!
 (おはようございます)」

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もともとのマム語もあるけれど、基本的なあいさつは今はスペイン語が定着しているのだそう。

男性の衣装の特徴は、ハットに赤いパンツ、それにストライプのシャツ。
シャツについた大きな襟が特徴的。

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襟には細やかな刺繍。
美しい青紫色がここの人たちのカラー。

男性陣はこの襟の刺繍がみんなそれぞれ違っていて、この刺繍にこだわり、オシャレを勝負している。

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そして派手な色のパンツ。
股の部分には黒いフェルトの当て布がしてある。

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トドス・サントス・クチュマタンでは毎年11月に大きなお祭りが開かれるのだそう。
このときのメインイベントが競馬。

馬に乗るのが得意な民族たち。
この股の当て布は乗馬しやすいためかもしれない。

粋なカウボーイみたいでかっこいい。

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普段はスニーカーや革靴を履いていることが多い男性陣。
けれど市場にはたくさんのブーツも売られている。
特別な日やオシャレをしたい日に履くんだろうね。

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お揃いの赤いパンツは、ポケットの形や切り返しがそれぞれ違う。
パンツの縫い糸も白や青など人によってチョイスが違う。
同じだけれど同じじゃない。

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庭先に干してある洗濯物も、赤いパンツにストライプのシャツ。
毎日同じ伝統衣装だけど、みんなそれぞれ何着かずつ持っていて、少しずつデザインを変えているんだと思う。
市場には、おなじみの布が販売されている。

赤いパンツ用と、白いシャツ用。

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お年寄りから子どもまで、お揃いの服。
暑い日も寒い日も、民族衣装のシャツとパンツを着ない日はない。
寒いときは、シャツの上から厚手のジャケットを羽織って。

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この村のスゴいところは、小さな子どもたちも民族衣装を着ているということ。

グアテマラにはたくさんの民族がいて、たくさんの文化が存在している。
そして民族衣装もたくさんある。
でも、着ていない人たちもいる。
とくに若い男性や子どもたち。
Tシャツやジーパン。
都会の若者と変わらない格好をしている。
「きっとあと10年経ったらこの民族衣装も廃れていくんだろうな」と寂しいようなもったいないような気持ちになる。

でも、この村の人たちは青年も子どもたちもしっかりと自分たちの服を着こなしている。
かっこいい!

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ママの背中に背負われている赤ちゃんだって。
かっこいい!

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女の子だって負けてないよ。
ゆびしゃぶりしていても、ハットの被り方は大人顔負け。
青いリボンが特徴的なこの民族のハット。
ちゃんと子どもサイズもある。

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女性たちは、落ちついた色のタイトスカート。
その分、トップスは刺繍で華やかに。
華やかだけど、色のコーディネートが合っていてけっして派手ではない。

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この子たちは10代前半。
きれいに髪をまとめて、お化粧もして、ちょっと大人びている。

とびきりのおしゃれをして、これから市場を散策。

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最後はこの子。
バラとアヒルのベルトがかわいい。
カメラを向けるとちょっと緊張ぎみにポーズ。

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でも、こんなかわいい笑顔もくれました。

これからどんどんきれいなおねえさんになっていくね。
将来が楽しみ♡

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トドス・サントス・クチュマタン 男性の衣装に注目!

2016.05.13 13:21|グアテマラ☞EDIT
仕事三昧のゴールデンウィークを過ごしたケンゾーです。
3か月前までだらだらと好き勝手に生活していたのが自分でも信じられない。
長い夏休みを取ったぶんしっかりと働かないとね。

マヤ民族の血が色濃く残るグアテマラ。
この国では多様な先住民族たちが独自の文化や生活様式を現在でも守り続けている。
なかでも、カラフルな民族衣装はグアテマラ観光のハイライトのひとつ。
一見すると同じように見えるんだけど、それぞれの民族ごとに特徴があって見ていて飽きない。
あらたな民族、あらたなファッションを求めて小旅行をすることに。

ふたりが目指すのは、シェラから140kmほど北上したところにあるトドス・サントス・クチュマタンという町。
シェラから直行のバスはないので途中のウエウエテナンゴで乗り換え。
グアテマラは長くてへんてこりんな名前の町が多い。

トドスサントス

2泊分の着替えだけ持って、泊まっているタカハウスを出発。
トドス・サントスではどんな民族と出会えるのか。
楽しみな反面、ちょっと気になる情報も。

ガイドブックを見ると「2000年にこの村で日本人旅行者が現地の群衆に暴行され死亡するという事件が起きた。」んだそう。
なんでも当時、『幼児をさらう信仰グループが活動中』という噂が広がっていて、たまたまこの町を観光で訪れた日本の団体旅行者が人さらいと勘違いされたのが事件の原因のよう。

その後はとくに観光客とのトラブルは発生していないそうなんだけど、おなじ日本人ということで気にはなる。
あまり社交的ではない民族なのか。
写真もあまり撮れないかもしれないな。

一抹の不安をかかえながらバスターミナルへ。

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まずはウエウエテナンゴまで移動。
乗るのはもちろんチキンバス。
シェラからウエウエテナンゴまでは1人25ケツ(約400円)。

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ウエウエテナンゴまではおよそ3時間の道のり。
バスターミナルでランチを食べてふたたびチキンバスに乗り込む。
チキンバスにはちゃんと行き先が表示されているので乗り換えもそんなに難しくはない。
ウエウエテナンゴからトドス・サントスまでは1人20ケツ(約320円)。

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ウエウエテナンゴを出発したチキンバスは砂ぼこりを巻き上げながら未舗装の道をひた走る。
わずか40km足らずの距離だけど、悪路でぐねぐねの山道を走るので3時間くらいの長丁場。
車酔いする人にとっては、けっこう辛い移動かも。

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シェラを出発して6時間、夕方4時過ぎにトドス・サントスに到着。
町にバスターミナルはなく、チキンバスは路上に停車。
トドス・サントスは5000人ほどのマム族が暮らす小さな町。

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バスを降りるとさっそくテンションがMAXに。
男たちの格好がド派手!
なにこれ!?
めっちゃイカす!

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オッサンたちが履いているのは真っピンクなズボン、しかも白のストライプ入り。
テンガロンハットも被ってピエロ並みのインパクト。
さらにスゴいのが、この格好をしているのは大人だけじゃない。
子どもたちもド派手コーディネート。

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ド派手ではあるけれど、みんなお揃いなので制服のようにも見えてくる。

閉鎖的な人たちなのかと思っていたけれど、そんなことはなかった。
歩いていると、向こうから笑ってくれたり、声をかけてくれたりもする。

「どこから来たの?」
「日本です。」
「そうか!
 よろしくね。」


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みんな同じような格好ではあるけれど、微妙に襟元の刺繍が違ったりして細部にこだわっている。
この衣装に誇りをもっているのが伝わってくる。

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こんな小さな村に適当な宿があるかと心配していたけれど、良い宿が見つかった。
CASA FAMILIAR(カサ・ファミリアル)。
部屋数は多いけれど、ほとんど宿泊客はいない。

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眺めも良いし、内装もオシャレ。
ツインの部屋で90ケツ(約1440円)。

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グアテマラに入ってから、いくつもの村を訪ねていろんな種類の民族衣装を見てきた。
昔ながらの衣装を着てるのはほとんど女性だった。
でも、この村では男性みんなが伝統の衣装に身を包んでいる。
だから、これまでとは違うワクワクがある。

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こじんまりした村。
日本人が殺されているから心配していたけれど、殺伐とした雰囲気はまったくない。

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見どころはあまりない村だけど、楽しめそう。
市場歩きや食堂でのローカルグルメ、高台への散歩を楽しもう!
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笑ってはいけない神様

2016.05.12 10:55|グアテマラ☞EDIT
まもなく誕生日を迎えるイクエです。
もうこの年になると、自分の誕生日に気づかずにその日を迎えてしまいそう。
甥っ子や姪っ子の誕生日は忘れないんだけどねえ。
自分のとなると「あ、そっか。そういえば誕生日だった。」ってなるんだよね。

さて、スニル村の市場を楽しんだイクエとケンゾー。
このまま帰ってもよかったんだけど、泊まっている宿のオーナーのタカさんに出かける前にこんなことを言われていた。

「スニルに行ったら、忘れないようにサン・シモンのところに行ってくださいよ。
 せっかく行くんだから。」

「サン・シモン?」
「グアテマラの人たちの信仰の対象。
 ちょっと変わってるんだけども、でも、絶対に笑ってはいけません。
 笑ったら袋だたきに遭います。」


タカさんの説明を聞いても、なんのことやらわからない。

サン・シモンの「サン」はたぶん「聖」という意味なので、シモンさんという名の、今は亡き聖者なのだろう。
その人を祀る御堂みたいなのがあって、グアテマラ人がそこを訪れては祈りを捧げたり願い事をしたりしているらしい。

神様、仏様、シモンさま。

タカさんの「笑ってはいけません」という忠告も意味深。
これは、実際に行ってみないと!

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行き方はタカさんにある程度聞いていたけれど「途中で地元の人に尋ねながら行ってください」と言われていた。
たしかに住宅街の細い路地に入り、生活感漂う中を歩いていく。
こんなところに、聖地があるんだろうか。
途中で、何度か地元の人に道を訪ねる。

「サン・シモンの場所はどこですか?」
そう尋ねると、ちょっと間があく。
聞き返されるときもある。
そして、なぜか怪訝な顔をされて、そのあと「あ〜」と思い出したように答えてくれる。

地元の人たちにとって、サン・シモンはあまり大切な場所じゃないのでは?
その存在を忘れられているというか、ぞんざいに扱われているというか。
ほんとうに、地元の人の信仰の場になっているのだろうか。

しばらくすると、民家に挟まれるように建つ水色の小屋の前に到着した。

「これ?」
「ここ?」

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ただの小屋のようだし、神聖な建物とは思えない雰囲気。
でも、壁にはたしかに「サン・シモン」という文字。

恐る恐る入ってみる。

中は薄暗い。
そしていくつもの蝋燭。
炎が怪しくゆらめいている。
お香のような匂いが充満している。
そして、数人の人たちが祈りを捧げている。

その奥にサン・シモンの像が鎮座していた。

「え!?」
「なん、あれ?」

わたしとケンゾーはタカさんの忠告を思い出していた。

「絶対に笑ってはいけません」

グアテマラ人がイエス・キリストやマリアさまや、仏様や、神様のように崇めているサン・シモン。
その正体は!?

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タカさんは言っていた。

「絶対に笑ってはいけません。
 前に旅人たちを連れていったんです。
 そのうちの1人が見るなり吹き出してね。
 そしたらまわりにいるグアテマラ人たちが激怒して。
 取り囲まれて大変だったんですよ。
 わたしが一生懸命謝って、なんとか許してもらえたんですけどね。
 笑ったら、大変なことになってしまいますよ。」


笑ってはいけない。
わたしとケンゾーはわざと神妙な面持ちを作り、サン・シモン様と祈りを捧げる人たちを部屋の隅から眺めた。

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サン・シモンとはどんな人だったのか、実際にはよくわかっていない。
いろいろな説がある。
キリスト教の聖書に出てくる天使や聖者、あるいはグアテマラの征服者・・・。
いっぽうで、サン・シモンは酒好きで女好きで金使いの荒い遊び人だったけれど改心していい人になった、という言い伝えもある。
また別の言い伝えでは、もともと石像の前で祈りを捧げる土着の信仰があって、スペインの侵略以降、土着の信仰が弾圧されるようになったため、スペイン人の目をあざむくために西洋風の格好をさせるようになった、というものも。

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サン・シモンは、何でも叶えてくれるらしい。

お金持ちになりますように。
出世しますように。
結婚できますように。
家族健康でありますように。
成績が伸びますように。

サン・シモンに捧げられている色とりどりの蝋燭。
何を願うかによって、色を使い分けるのだという。

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黄色はお金。
青は仕事。
赤は恋愛成就。
ピンクは健康。
水色は学業。

そして、黒は・・・。

復讐。
嫌いな人に災いがふりかかりますように。

オカルト的な感じがする。

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わたしたちからすると怪しさ100パーセント。
それでもこのサン・シモン信仰(場所によってはマシモン信仰と言われる)は、マヤ文化の根付くグアテマラのあちこちで広まっているのだそう。

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でも、やっぱりいかがわしくも見える。
部屋には取り仕切る人が数人いて、その人たちが信仰の儀式をする。
儀式を受ける人は、お金をお布施する仕組みになっている。

取り仕切っている男性たちは、頭にバンダナを巻いたり普通のTシャツを着ていたりして、その辺の人たち、といった感じ。

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わたしたちは儀式を受けない代わりに入場料を徴収された。
ひとり5ケツ(約80円)。
さらに10ケツ(約160円)払えば、好きなだけ写真を撮っていいという。

部屋の片隅では、カード占いが行なわれていた。
占い師は普通のおじちゃん風。
こちらも有料。

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遠方から祈りにやってくる人たちが多いらしいけど、地元の人たちはこれをどう思っているのかはわからない。
信じている人もいるだろうし、ただの金儲けに使われていると思っている人も多いかもしれない。

サン・シモンのいる部屋の隣では、サン・シモンお供えグッズが販売されている。
蝋燭や花、お酒、タバコ。

タバコは火をつけて、サン・シモンに吸わせる。

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ここのサン・シモン像は椅子に座っていて、倒せる仕組みになっている。
口が空洞になっていて、サン・シモンを倒して口からお酒を飲ませる。
(飲ませたお酒はお尻から出てくるらしい。)

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信仰者たちは、お金のほかにサン・シモンに着せる洋服やウイスキーなどをサン・シモンの膝の上に載せて奉納。
サン・シモンの足元にはバラの花びらが散らされている。

そして祈りの途中では、スプレータイプの芳香剤が吹きかけられる。
お香でもなく、スプレーと言うのがなんか俗っぽい。

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キリスト教と、昔から伝わる土着のマヤ信仰がミックスしたグアテマラの宗教。
わたしの理解を超えたものがある。
やっぱりグアテマラは独特でおもしろい。

一切笑うことをせず、神妙な面持ちを崩すことなく、わたしたちは怪しい空間から外に飛び出した。

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開放された気分。

あれはなんだったんだろう。
理解不能のまま、わたしたちは最後の目的地を目指した。

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温泉!
火山の多いグアテマラは温泉天国。

ここも家族風呂が並んでいて、貸し切るシステム。
一部屋20ケツ(約320円)。

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建物はきれいだし、脱衣所も湯船も広いし、清潔。
ここの温泉施設はクオリティーが高いのでおすすめ!

清潔な空っぽの湯船に栓をして、お湯をジャンジャン入れていく。

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お客さんにはけっこう若いカップルも多い。
新婚さんかな。
家には家族が多いので、夫婦2人だけの時間を温泉で満喫するのかもしれない。

不気味なサン・シモンを見たあとは、温泉で汗を流して爽やかな気分に。

グアテマラ、怪しくて、奥が深い!

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グアテマラ人の特技は〇〇 そして美男美女を発見!

2016.05.10 19:14|グアテマラ☞EDIT
また福岡に戻ってきたイクエです。
南阿蘇の避難先ではWi-Fiがなく、パソコンはもっていってなくて携帯からだったので、ブログに写真もたくさんはアップできませんでした。
きょうはたっぷりの写真とともにまたグアテマラの旅の話に戻ろうと思います。
旅ブログで地震のことを書くことに違和感をもつ読者の方もいらっしゃるようです。
何よりこのブログのいちばんの読者である母から「早く旅のブログを書き上げてしまいなさい」と言われています。
わたしたちも旅の話を終わらせないとなかなか前へ進めないような気もしています。

とはいえ、被災して感じたことはたくさんあってこれからも南阿蘇の情報を発信していきたいので、頻繁に地震のことも書いていきたいなあと思っています。
旅に興味があってわたしたちのブログをのぞきに来た方たちには、それをきっかけに震災のことについて考えていただけたら嬉しいです。

どうぞこれからもおつきあいください。

さて、地震前の記事の続きです。

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シェラから日帰りできるスニルの村を訪ねたイクエとケンゾー。
人もそれほど多くなく、ゆっくりとした時間が流れている。

村を歩く人たちを観察すると、かなりの割合の女性たちが・・・。

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頭に・・・。

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荷物を載っけて歩いている!
自分の頭よりも何倍もの大きな荷物。
器用に載っけて、バランスを崩すことなく、上手に歩いている。
お見事!!

これはなんだろう。
もはや頭と一体化している。

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バナナの葉っぱかな。
これから市場に売りに行くのかも。

これで坂道を登ったり下ったり。
何キロも歩いていける。
バランス感覚がすばらしい。

こちらの女性も。
家に帰る途中なんだって。
大声で笑って陽気な女性だったけど、カメラを向けると澄まし顔でポーズを決めてくれた。

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撮り終わったあとに写真を見せると、満足そうに大笑い。
通りがかりの友だちを呼んで「見て見て!わたしの写真」。
もちろんその友だちも頭に荷物を載っけていたよ。

スニル村の中心地にあるのは屋内市場。
中に入ると・・・。

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カラフルな野菜がたくさん。
どれも新鮮。

外は静かでのどかだったけど、ここは活気に溢れている。

獲れたての野菜や果物のほかに、台所用品やティッシュペーパーなどの消耗品。
そして民族衣装を作るための布。

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市場の2階から見下ろすと圧巻。

色とりどりで、賑やか。
その土地の人の生活感が伝わる市場を訪れるのはやっぱり楽しい。

地元の人にとっては日常の場所なんだけど、わたしにとっては壮大なドラマを特等席で見ているような気分になってくる。

外国人が築地に来て「ワーオ!」って言うのと同じ感じかな。

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狭い市場。
立ち止まれば、後ろが混雑してしまう。
歩きながら、右に左にとせわしなく視線を移し、品定め。

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売る人も買う人も、ほとんどが女性。
でも、男性客が多い一画が。

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軽食屋さん。
大きな洗面器のなかには、トルティーヤや揚げ物などが入っていて、注文して椅子に座ると、お皿に盛ってくれるシステム。

そしてこの屋内市場でも、もちろん女性たちは・・・。

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頭に載っける!

洗面器が買物カゴ代わり。
プラスチックの洗面器ではなく、カゴやふろしき包みを使っている人もいる。

みんな何歳からこの特技を身につけるのだろうか。
男性で頭に物を載っける人はあまり見かけない。

良い女の条件に、料理や裁縫以外に、頭に物を載っけるというのがあったりして。

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狭い空間にお店が所狭しと並んでいる市場。
通路は狭い。
お客さんでごった返している。

すれ違うのにもひと苦労。
そんななか、もし両手に大荷物を持っていたら、余計に人とすれ違うのが大変になる。
だから頭に載せるというのは一番いいのかもしれない。
これだと、荷物がぶつかったりひっかかったりすることもなさそう。

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前から人が来ても、ひょひょいとかわせる。

グアテマラの女性たちが年を重ねても姿勢がいいのは、この技を身につけているからかもしれない。

わたしも見習わないと!

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市場を見下ろせる、この2階が食堂街になっていた。
適当に注文した一品が、とてもおいしかった。

さつま揚げのような、がんもどきのような。
ふわっとした揚げみたいなものの中に、ひき肉や野菜が詰められていてちょっとピリ辛。

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「グアテマラにいる間に、これをたくさん食べよう」
そう思っていたんだけど、このおいしい料理にこのあと二度と出会うことはなかった。
ご当地メニューだったのかな。
グアテマラ料理に詳しい人、情報求む!

最後に市場の外で、スニル美人を見つけたよ♡
あまりにもかわいいので、写真を撮りたい。
でも断られたら、なんか振られたみたいでショックだなあ。

「どうする?」
「イクエ、声かけてよ。」
「えー!?
 ケンゾーがかけてよ。」


「イクエ、女の子やろ。
 だったらイクエが。」

「女の子じゃないよ。
 おばさんだよ。」


「女の子やん。」
「こんなときだけ、女の子って。
 うーん。
 大丈夫かなあ。
 断られたら嫌だなあ。」


一度はあきらめようとその場を離れたイクエとケンゾー。
でも、かわいいからやっぱり撮りたい。
また振り返る。

「お願いだけしてみようか。
 ダメ元で。」


女の子は彼氏とデート中。
女の子は恥ずかしそうにうつむく。
「え〜、ちょっとそれは・・・。」

でも、横にいる彼氏が女の子に言ってくれた。
「撮らせてあげたら?」

彼氏にとっては自慢の彼女。

わたしたちは目を輝かせて言う。
「あなたすっごく美人だから、撮りたいの!」
「ほんとにかわいいから!お願い!」

女の子は照れながら彼氏と目を合わせ、彼氏に促されて、頷いてくれた。

そんなスニル美女はこの子!

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かわいい!!

このときは女の子にくぎ付けだったけど、いま写真を見返してみると彼氏もイケメンではないか!

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しまった。
彼氏の写真もちゃんと撮っておけばよかった・・・。
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ボランティアについて思うこと

2016.05.09 18:53|世界からのメッセージ☞EDIT
二日前から近くの温泉に行き始めたイクエです。
その前は避難所前に自衛隊が設営しているテントのお風呂を使わせてもらっていたんだけど、最近、近くの温泉が無料開放してくれるようになりました。
ありがたいことです。

ゴールデンウィーク期間中は全国からたくさんのボランティアの人たちが、ここ熊本・南阿蘇にも駆けつけてくれました。
ありがとうございます。

地震で橋が落下したり、トンネルが崩れたり、道路に亀裂が入ったりしてこれまでのルートがほとんど通行止めになっています。
南阿蘇に来るには峠を越えてかなりの大回りをしなければなりません。
ここに来るだけでも大変です。
たくさんの方々が貴重な休みを使って、時間をかけて足を運んでくださり、ボランティアをされたようです。

きょうはボランティアについて感じたことを書きたいと思います。


・震災直後はまず行政
 ボランティア受け入れ前の段階では被災地応援のプロ集団を


震災直後はほんとうに混乱していました。
地元の公務員だけでは人手が足りず、避難所の運営や被災状況の確認、とりあえずの復旧作業など手がつけられない状態。
でもこのときにボランティアの人たちがたくさん来てくれたらよかったのかというと、そうではありません。
ボランティアの人たちに応対し、現状を説明し、仕事を振る。
そんな余裕すら、現場の職員にはありませんでした。
職員たちも被災して、家が崩れた状態で身内の安否確認もままならないまま、靴下も履かずに寝ていたときの格好で避難所に来て、それから家に帰ることなくずっと働きづめ。
自分たちは何も食事をとらずに、体育館に逃げてきた避難者用に食べ物をかき集め、配っていました。
極度の精神状態だったと思います。

あきらかに人手が足りない。
きっと全国の人たちから「何か手伝えることは?」という申し出が南阿蘇にもきていたと思います。
でも、このときは仕事をまわす余裕がなかったと思います。
何にどう手を付けたらいいのか、どの範囲までボランティアに仕事を任せられるのか。
ボランティア希望者はたくさんいて、仕事もたくさんあるけれど、でもうまくまわせない。
そんなジレンマが生まれました。

これは東日本大震災のときもそうだったと思います。
東日本大震災のとき、ケンゾーは一刻も早く被災地でボランティアをしたいと思っていました。
「ボランティアをしたい」という要望が行政に多く寄せられたことから、福岡県でも「ボランティア希望者説明会」が開かれましたが、そこでケンゾーが言われたことは「いまはボランティアは受け付けていません 一応、登録だけしてください ニーズが出たら招集します」ということだけでした。
このときは、どうして行政はそういう対応なんだろう。
あきらかに現場は人手不足なのに・・・と思っていました。

でもあとからわかったことですが、ボランティアの窓口となるのは自治体の社会福祉協議会。
普段、社会福祉協議会はお年寄りへの対応や福祉などの仕事をやっています。
被災してそちらの仕事も普段よりも大変なのに、それに追加してボランティアのとりまとめなどをする余裕はありません。
なにより職員たちも被災者です。

東日本大震災のときに思ったのは、行政から被災地応援のプロ集団をすぐに派遣し、その集団にスムーズに仕事を丸投げできるようなシステムができればいいのに、ということでした。
たとえば、その集団に避難所運営を丸投げしたり、ボランティアのとりまとめを行なってもらったり。

被災地応援のプロ集団を普段から結成しておき、有事に備えて、定期的に勉強会や会議を開いたり、やるべきことのマニュアルを作ったり、想定して訓練をしておく。

国で被災地支援部隊を作ってもいい。
各自治体で「近隣の自治体が被災したときに応援に行く職員」を任命し、普段から横の繋がりを強めていてもいい。
もしくは、被災地支援の経験をもつ民間団体と契約していて、その団体を派遣する。

東日本大震災のときの教訓がほとんど生かされていないのは残念です。

もちろん、各自治体は応援の職員を派遣してくれてはいます。
でも地震直後は来てくれなかったし、避難所運営のブロではないので仕事の丸投げはできません。
わたしのところでは震災から4日目くらいに大分県の職員が来てくれて、避難所のトイレの清掃にあたってくれました。

自然災害が多い日本なので、有事のときにすぐに応援に駆けつけてスムーズに仕事を請け負い、避難所運営なり、ボランティア窓口なりを一手に担うプロ集団が必要だと思います。


・「ボランティアするなら一刻も早く!
  震災直後ほどありがたがられる!」というわけではない


これまで東日本大震災の被災地でボランティアをしたり、報道の仕事で震災の現場を取材してきました。
でも、そのとき感じていたことと自分が被災者になって感じたことは違います。

被災を外から眺めていたときは「被災地のために何かをしたい。」という、いても立ってもいられない思いを抱いていました。
きっと震災から時間が経てば立つほどボランティアのニーズは少なくなっていく。
やるなら早いほうが良い。
そう思っていたのです。

でも自分が被災地に身を置いて感じることは「状況が変わるにしたがって新たなニーズが生まれる」ということと「ボランティアは震災直後ほどありがたがられる、というわけでもない」ということです。
むしろ、震災から1か月2か月経ってからがボランティアの仕事が増えると思うのです。

震災直後は被災者たちもずっと避難所にいました。
被災した家に戻って片付けをする余裕もありませんでしたが、徐々にみんな片付けを始めています。

そしてあと1、2か月ほどすると体育館から仮設住宅やアパートへの引越しが始まるでしょう。

この地震で農地がえぐれたり段々畑が崩れたり、ビニールハウスが壊れたりしています。
南阿蘇では農家が多く、以前のように農業ができるようにするためのお手伝いも出てくると思います。

観光業も痛手を受けています。
大きな被害を受けた観光地の修復にも人手がいります。

地震により、村外への人口流出も起きていて、たくさんの子どもたちが転校していっています。
村に残る子どもたちは一度にたくさんのお友だちを失い、寂しい思いをしています。
子どもたちを楽しませることにも力を貸してほしいです。

片付け、引越し、農地や観光地の修復、子どものケア・・・。
ニーズは今後たくさん生まれてきます。

個人でボランティアをする方法として主に二つのやり方があると思います。
ひとつは直接被災自治体に行って手続きをしてボランティアにあたる。
もうひとつはNGOなどの民間団体の被災地ボランティア派遣プログラムに参加する。

個人で直接訪ねるよりもグループに参加するほうが、宿の確保などもスムーズで、一歩踏み込んだ支援がしやすいのではないかと思います。
自治体は目の前の仕事に追われ、けっこう手いっぱいのところがあります。
民間団体のほうが、独自にニーズの掘り起こしをし、チームで継続的な支援ができます。
受け入れる方も、ばらばらに参加する十人の個人よりも、十人でなる一つのチームを受け入れるほうが説明や仕事の引き継ぎがしやすいというのもあります。

でもお仕事をされてる方たちはプログラムの日程に合わせるのが難しいと思います。
その場合はタイミングがいいときに個人でお越しください。

半年先、一年先でもかまいません。
どうぞ息の長いご支援をよろしくお願いいたします。


・現地に行って直接ボランティアができなくても

東日本大震災のとき、わたしもケンゾーも被災地でボランティアをしました。
そのときは、一刻も早く被災地に赴き、被災の現場を肌で感じて、被災した人たちと向き合い、そしてその人たちや被災地のために体を動かしてボランティアをしたいと思っていました。

でも、被災してから思うのはボランティアもとてもありがたいけど、寄付も同じようにありがたいということです。

被災するまでは震災で被害を受けた場合、国からの給付金やお見舞い金、保険会社からの補償などがある程度もらえるものと思っていました。
でも実際はごくわずか。
むしろほとんどもらえないケースのほうが多いです。
たとえば家が一番ひどい被災状況「全壊」と診断されて、新しい家を建築しなおしても国からもらえるのは最大で三百万円。
家を建て買えずにアパート住まいになればこれよりも低い額です。
大きな被害を受けてとても住めない状態でも「大規模半壊」や「半壊」と診断されたら、もらえる額はかなり少ないです。

うちは家のほかに車が二台つぶれましたが、これも通常の自動車保険だと適用外です。
納車からわずか十日の新車でしたが、修理すると二百万円以上かかると言われてしまいました。
購入するのとほとんど変わらない額です。

我が家はまだいいほうです。
被災と同時に収入が絶たれた家庭もたくさんあります。
いろんな施設や会社や商店が被災して営業ができなくなりました。
解雇された人たちもいます。

南阿蘇は観光業が盛んですが、家族経営のペンションもたくさん被災しています。
建て直すのに何千万円もかかるし、もし建て直したところでこれまでのようにお客さんが来てくれるでしょうか。

農業で生計を立てていた人たちはどうでしょう。
地震により地形が変わったり水脈が変ったりしてこれまでのように田んぼに水を引けなくなっています。

地震直後は目の前のことでいっぱいで、経済的なダメージや将来のことについては考えないようにしていました。
でも時間が経つほどにお金の悩みが出始めます。
被災者の生活再建にはお金が必要です。
日本では贈り物の文化はありますが、直接お金を贈ることには抵抗があります。
お金を贈ることが逆に失礼なような、心がこもってないような。
でもそんなことはありません。

ボランティアをしたいと思っても、休みがとれなかったり被災地に赴くことが時間的にも金銭的にも難しいことがあると思います。
そのときは「ボランティアに行けない分、この一日を、この一時間を被災地に捧げよう」と思って、普段のお仕事やアルバイトに精を出してください。
そして被災者や被災地のことを思って働かれたその時間分のお給料を、募金箱に入れていただけたらほんとうにほんとうにありがたいです。

もしくは「きょうは被災地のためにビール一本我慢しよう」とか「おやつを我慢しよう」とか「一駅分歩こう」とか小さな我慢や努力をしていただき、百円でも数十円でも募金していただけたらとても嬉しいです。

そしていつか、熊本に来てください。
熊本には外国に負けない美しい自然があります。
おいしいものがたくさんあります。
そこでもし熊本の人と出会うことがあれば「あのときは心が痛みました。わたしも募金しましたよ。」とおっしゃってください。
きっと被災した人たちはあなたのご好意に感謝のことばを発すると思います。

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ボランティアだけではなく、いろんな形の支援があります。
どうぞよろしくお願いいたします。


最近、更新が滞りましたが明日からはできるだけ更新していこうと思います。
たくさんいただいているコメントにも返信できていませんが、時間をかけてでも返信していきたいです。
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「必要なものは?」と聞かれて本音を言うのはダメ?

2016.05.05 12:00|世界からのメッセージ☞EDIT
水をほとんど使わない茶碗洗いの方法を試行錯誤しながら身につけているイクエです。
油汚れがひどいものはまず紙で汚れを拭き取って、桶に溜めている水でパシャッ、そして除菌のウェットティッシュで拭いたあと、アルコールを染みこませたクッキングペーパーで水分を拭き取ります。
けっこう時間がかかります。
洗わなくてすむように紙皿や割り箸を使うこともあるし、普通の食器をラップで覆ってラップだけ取り替えることもあります。
水道から普通に水が使えるようになるまであと何ヶ月かかるかな。


前回に引き続き、「半当事者」のわたしが被災地、熊本・南阿蘇で感じた支援物資に関することをお伝えします。

・支援物資 贈る側と必要な側の想いのズレ
「何が必要?」という質問に被災者が本音で答えるのはダメなのか

いま被災地にはいろんなところから支援物資が届いています。
わたしたちも多くの友人や知人から「必要な物があれば言って」「足りない物は送ってあげる」とありがたい言葉をもらいます。
おかげさまでとりあえずの生活に必要な物は足りているので「ありがとう!でも大丈夫」と答えています。

この前、被災した熊本のある中学校をめぐってこんなエピソードがありました。
これから紹介することは「被災地や被害者のために何かしたい」そんな温かい気持ちを逆撫でするものでしょうか?それとも・・・。

熊本市のある中学校が支援物資で「ほしいものリスト」をネット上に公開しました。
ほしいものとしてあげたのは、文房具や音楽で使う備品のほか、ビデオカメラや一眼レフ、薄型テレビなど。
これに批判が集中しました。

「こんな高価な物をねだるなんて」
「震災乞食」
「もっと必要なものがあるだろ」
「震災に便乗した詐欺行為」

ネットで叩かれ、学校は苦情の電話対応に追われるようになりました。
テレビのワイドショーでもこのことが取り上げられていて、司会者やコメンテーターたちも批判的な意見が多かったです。

逆にわたしは聞きたいです。
じゃあ「必要な物」として何を挙げることを非被災者たちは期待しているの?と。

水?パン?タオル?
でも地震発生から日にちが経ち、その不足は解消されています。
むしろ余っていて、そうなると善意が無駄になります。

そもそも子どもたちはバラバラに避難していて学校も休校の状態。
そんなときに水やパンが来ても子どもたちには届きません。
教育施設である学校が、必要な物としてテレビやカメラをあげても不思議ではないのではないでしょうか。
教材を観たり、学校行事を記録するためにどの学校にもテレビやカメラぐらいあるでしょう。
うちもそうですが、家具や雑貨は地震で倒れてある程度傷ついても使えますが、テレビは倒れるともう使えなくなります。

たしかに高額ですが、校長やPTA会長たちが私腹を肥やそうとしているわけではないでしょう。
もし支援していただけるのなら、ということで必要な物としてあげただけ。
それに納得のいかない人は寄付しないといいだけであって、それを叩く必要はないと思います。

もしかしたら、被災して使えなくなったテレビやカメラを写真に撮って紹介して「この代わりになる物を」と伝えていたら、ここまで非難も集まらなかったかもしれませんね。
でも被災して忙しいし、そんな余裕はほとんどなかったかもしれないと思います。

この話は熊本市のことですが、わたしの姉は南阿蘇村の役場で働いています。
役場にどこかの団体からこんな問い合わせがあったそうです。

「学校に、被災した子どもたちのために何か支援物資を送りたい。何が必要ですか?」

学校は被災して休校で子どもたちは避難所で何もすることがなく時間を持て余しています。
自学できるように「ドリルを」と答えたそうです。
きっとそれは相手にとって予想していなかった答えだったのでしょう。
しばらく時間があき、こう言われたそうです。

「中古ドリルでもいいですか?それを贈ります。」

中古ドリルとは、想像がつきません。
書き込みしてあるのでしょうか。
消しゴムでそれを消して使えばいいのでしょうか。
受け取った子どもたちはどう思うでしょうか。

断わったそうです。

善意が空回りしています。
「何かをしてあげたい」それはとてもありがたいことです。
でも被災者の求めるものと非被災者の思い描いていることにズレが生じています。

食うことにも着るものにも困っているかわいそうな被災者。
生活に必要最低限のものを贈りたい。
そんな気持ちになるのもわかります。
そして想定していたものと違う物が必要と言われたときのとまどい。失望。

生活を豊かにするものよりも、生き延びるために必要な最低限の物を支援するほうが、支援のしがいがあり、満足感や達成感が得やすいかもしれません。

でも被災者はいつまでも「着の身着のまま命からがら逃げてきたかわいそうな被災者」のままというわけにはいきません。

人間らしい生活がしたい。

ただでさえ、体育館などプライベートな空間のない避難所に身を寄せたり、親戚や知人の家にお世話になり狭いところで「非日常」の暮らしをしています。
わたしたちも知人の1LDKのマンションを貸してもらっていますが、小学生の子ども二人を含む七人が寝るには少し狭く、水もまだないのでトイレも大変です。

お金のことや今後の住居のことまではまだ考える余裕がありません。
そんななか少しでも以前と同じような生活をしたいと思います。
命をつなぐための最低限の支援もありますが、日常を取り戻すための支援、疲弊しきったこころを豊かにするための支援も必要とされています。

被災地を思い、こころを痛め、「何かを贈りたい」と思ってくださることはほんとうにありがたいことですが、必要だと思っているものが実際にはそこまで必要じゃないこともあります。

支援物資の中にはたくさんの古着があります。
でも、古着をもらう人はなかなかなく、山積みのまま。

報道で「紙オムツが足りない」と伝えられると今度はたくさんの紙オムツが届きました。
わたしたちの避難所の体育館のステージには「ご自由にどうぞ」の紙オムツがたくさんありますが一向に減りません。

被災した子どもたちに何かしてあげたい。
そんな温かい思いから、たくさんのスナック菓子や駄菓子が避難所に集まります。
食べきれない量のお菓子を子どもたちはもらっています。
避難所で「たくさんあるので我が家はいりません。」と言うと「お願いします。もらっていってください。そうじゃないと減りません。」と言われました。

折り紙もたくさん届いてるようで、姪っ子と甥っ子は毎日のように折り紙をもらってきます。
折り紙がいっぱいです。

せっかくの支援物資。
必要なものが必要なタイミングで届くように。
送る前にぜひ現地の人にどの時期に何が必要かを聞いてみてください。

被災者はわがままです。
「被災者のくせに」「贈られるものを文句を言わずにありがたく受け取れ」そう腹立たしくなるかもしれません。
そう思われる方は、支援はされなくてもいいと思います。
支援しないからといって誰も文句は言いません。

被災者たちは、たくさんのものを失いこれからの人生設計が描けないでいるなか、それでもなんとか笑顔をつくってがんばっています。
少しのわがままは許してあげてください。
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熊本地震 善意が生かされるために

2016.05.02 13:24|世界からのメッセージ☞EDIT
また南阿蘇の実家に戻ってきたイクエです。

きょうは以前から書きたいなあ、書かなきゃなあと思っていたことを書きます。

その前にお断りしておくと、わたしはこの震災の「半当事者」だと思っています。

実家が被災地の南阿蘇でわたしと夫ケンゾーの住民票もここで、地震当時ここにいて、しかも寝ていた二階の部屋が崩落し、わたしたちの車が潰れて廃車になったことを考えれば、わたしとケンゾーは「被災者」です。

しかし、わたしたち夫婦はその二週間前福岡のアパートを借りて新生活をスタートした矢先でした。
地震で実家は失いましたが、わたしたち夫婦の家を失ったわけではありません。

さらに、わたしは南阿蘇の実家で長く暮らしたことはありません。

わたしが生まれ育ったのはべつの街で、大学進学のために親元を離れると同時に、実家が阿蘇に引っ越したからです。
なのでわたしたちは「被災者」であると同時に「よそ者」のところもあります。

さらにわたしたち夫婦は報道の仕事をしていて、福岡西方沖地震や東日本大震災を取材していました。
なので、当事者でありながらどこか第三者的にこの震災に向き合っているところがあります。

だからここに書くことは、被災者の声を代弁するものではなく、「半当事者」のわたし個人の意見です。
また、被災地によっても状況はかなり違っています。
わたしは南阿蘇の被災地しか知りません。

被災してから「何が足りない?」「何か手伝えることはある?」そんなありがたい言葉をいただくことが多くあります。

わたしも東日本大震災のときは、何かしないと気が済まないような、いてもたってもいられない気持ちでした。
でも、何をすればいいのか、どんなことが求められているのかわからず、気持ちが落ち着きませんでした。

今回被災者になって、支援のあり方について感じたことをまとめます。
きょうは、支援のタイミングについてです。

・被災地で必要な物、足りない物は時間とともに変わる
被災地と非被災地で生まれる時間差


被災地で必要な物で真っ先に思い浮かぶもの。
水、パンやおにぎりなどの基本的な食料。

たしかに最初の三日間は、水やパンなどがまったく届かず、被災者たちは空腹で不安な日々を過ごしました。

しかし四日目、五日目になると一斉に水や菓子パンが届き始めました。
日本全国から大量に。
まったくなくて困っていたのに、今度は一気に水やパンであふれました。
消費しきれない量です。

支援物資のミネラルウォーターは山積み。
あまりの重さで、ある公共施設は床が抜け落ちそうになっていて危険な状況です。

おにぎりもです。
ニュースでもやっていましたが、震災ゴミの集積場には段ボールに入った大量のおにぎりが捨てられていました。
こちらでも、避難所に届いた余ったおにぎりが黒いビニール袋に大量に入れられて仕方なく捨てられているようです。

パンも賞味期限が一ヶ月くらいあるものならいいですが、二日、三日で切れてしまいます。

今回、自分が被災者になってわかったのは支援物資を必要とされるときに届けるために「時間との勝負」を意識する必要性です。

たとえば新聞やニュースで「水がほしい。パンが足りない。」と報道される。
でもそれを取材したのは、その当日ではなくおそらく前日、前々日です。
その時点ですでに、被災地のリアルタイムの声とは一日、二日のズレが生じていることになります。

さらにその情報をもとに、支援者が寄付を募って物資を集めたり購入したりする。
準備するのに二日くらいかかるかもしれません。

そしてそれを発送する。
震災で道路が寸断されたり高速道路が通行止めになっていたり、渋滞していたり。
通常の二倍、三倍の時間はかかるでしょう。

そしてようやく被災地に物資が届く。
被災地の人が「水がほしい。パンが足りない。」と言っていたときから一週間くらい経過しています。

震災から一週間。
避難所にはすでにたくさんのパンや水がほかから届いていて、今度は別のニーズが生まれています。

わたしたちの避難所に水やパンが届き始めたのが地震から四日目あたり。
最速で四日です。
きっとその支援物資は、もともと備蓄されていたもので、地震発生後すぐに手配をして届けてくださったものです。
それでも四日です。

報道を待って準備して、ではタイムラグが生まれすぎて、せっかくの善意が生かされません。

そのときの声をもとに準備して発送すると、タイムラグが生まれるだけではなく、ほかの人と横並びになってしまい、同じ品物が大量に被災地に届くことになり、重宝がられません。
とてももったいないことです。

被災地のニーズは時間とともに変わってきます。
最初は水やパン、ご飯。
懐中電灯や電池も必要です。
そして毛布などの暖をとるもの。

それが供給されると、次は靴下や下着などがほしくなります。
震災から二、三日経って「そういえば全然着替えてないなあ。お風呂に入ってないなあ。」と気になるようになります。
体を拭くウェットティッシュや歯ブラシがあればなあと思い始めます。
水がなく手を洗えないので、消毒液も助かります。

生きるために最低限のものが揃い始めると、今度はパンや米だけではなく「温かいものが食べたい」とか「野菜や果物も摂りたい」となります。

女性は化粧水などもほしくなるし、狭い避難所でストレスをためている子どもたちのストレスを和らげる対策も必要となってきます。

避難所で○○が足りない、と聞いて苦労して集めて送っても、それが届くころにはすでに不足は解消されていて、別の物が必要になっています。

せっかくの善意がしっかりと受け止められ、生かされるために。

タイムラグを生まないために、支援は先を見通して。
最低でも一週間先のニーズを予測してみてください。
そのときに何が必要とされているか。

全国からたくさんの支援物資が寄せられていることはとてもありがたいことです。
感謝でいっぱいです。

だからこそ、その善意が少しでも無駄にならないようにと願います。

今は体育館で生活している避難民たちは、今後、仮設住宅やアパートでの新生活が始まります。
そのときにはまた新しいニーズが生まれると思います。

また今は休校になっている学校も、ゴールデンウィーク明けから再開されます。

これからもいろんな支援が必要になってきます。

これからも温かい応援をよろしくお願いいたします。

次回は、被災者と非被災者の支援への思いの差について書きたいと思います。
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