リアルタイムではボリビアのワイナポトシ登山に挑戦してきました。
キリマンジャロよりも高い標高6088メートル。
あ~、ほんとうにきつかった!!
さて、話は戻ってチリ・イースター島。
チリと言っても、ここはチリ本土の海岸から3700キロも離れている絶海の孤島。
タヒチからは4100キロ離れている。
いまここに住む人たちはポリネシア系の人で、チリとは文化も言葉も違う。
この島にある独特なものと言えばモアイ。
モアイがあちこちにたたずむここは、1995年に世界遺産に登録された。

周囲およそ58キロ、総面積165キロ、1日もあれば車で観光できる小さな島。
この島にあるモアイの数、なんと1000体!
どんな人が、なんのために、どうやって造り、どうやって運んだのか。
それは謎に包まれている。
でも、この島には「モアイの製造工場」とでも言える場所が残っている。

ラノ・ラノクと呼ばれている小高い山。
山に近づくにつれて、山肌に黒っぽいものがポツポツと立っているのが見えた。
「あ!モアイがいっぱい!」

イースター島のほとんどのモアイは海岸近くに立っている。
だけど海岸近くには、モアイの材料となっている石がない。
この山の岩肌は、モアイの材質。

モアイは、玄武石や黒曜石の石器でこの岩山を削って造られ、斜面から切り離されて運び出された。
ここには完成しながら運び出されずに放置されているものや、土に埋まっているものなど、いろんなモアイがちらばっている。

なかにはモアイの製作過程がわかるものも。
岩肌をよく見てみて。

わかった?
斜面に目を凝らすと、モアイが浮き上がっている!
こうやって山肌の岩を削っていって、最後に背中の部分を切り離して造っていったんだね。

ここにはおよそ400体のモアイがあるのだそう。
そのなかでももっとも大きなものは高さ21.6メートル、重さはおよそ160トン!
奈良の大仏がおよそ15メートルだから、それよりも高い。
いったい、ここで造ったモアイをどうやって運んでいったのか。
それはまだ明らかになっていないし、これから先も明らかになることはないかもしれない。

木製のソリに横倒しに乗せて縄でひっぱって運んだとか、立った状態で縄をくくりつけて運んだとか、「モアイが自分で歩いた」という伝説もある。
さて、このモアイ。
なんのためにつくったのか。
現在有力な説は、モアイはお墓だったということ。
モアイの下から人骨がたくさん発見されているのだそう。

島には、モアイの製造工場だけでなく、モアイの頭にのせるプカオの工場跡もある。
プナ・パウ。
プカオとはあの、分銅みたいな形の赤い石。
帽子説や髪飾り説もあるけど、人々の結っていた「まげ」説が有力。

モアイとは材質の違う、赤色の石で造るプカオ。
ここはこの赤い石の切り出し場跡で、プカオはここから切り出されて運ばれたのだそう。

島には1000体ものモアイがあると言われているけれど、その多くが倒れている。
それはモアイ倒し戦争の結果。
モアイ倒し戦争は「フリ・モアイ」と言われる。
1700年ごろにそれぞれの部族間で武力闘争が起きるようになり、そのときに相手側のモアイを倒すようになった。

モアイの眼から出る不気味な力を信じていた当時の人々は、顔が地面側になるようにうつぶせに倒した。
モアイ倒し戦争は50年にも及んだんだって。

なぜ、戦争が始まったのか。
それは、造ったモアイを運ぶときや建てるときに大量の木材が必要で、そのために木がなくなり、土地がやせ細り、食料不足になったことが原因と言われている。
せっぱ詰った人々は、耕作地や漁場を巡って部族間で争うようになったんだって。
最終的には、豊かだった島は貧しくなって、家やカヌーなども作られなくなり、石器時代と同じようなレベルの社会に逆戻りしたのだそう。
このことから、モアイを現在のビルディングに例えて「開発し過ぎたら地球温暖化や森林伐採を招いて世界が滅びますよ」とか、モアイが富や権威の象徴であったことから「それぞれの民族が権力を誇示すれば戦争が起き、結局は地球が滅びますよ」と主張し、イースター島を小さな地球にたとえて現代社会に警鐘を鳴らす人もいるんだって。

イースター島にはモアイだけじゃなく、パワースポットと言われる場所がいくつかある。
その代表的なものが、テ・ピト・クラ。

みんなが輪になって何かに手をかざしている。
手をかざしているのは、直径75センチのツルツルの丸い石。
丸い石の名前、テ・ピト・クラとは「光のへそ」という意味。
パワーストーンで磁器をおびていて、手をかざすとピリピリするんだって。

イクエとケンゾーは・・・。
残念ながら何も感じなかった。
でも、カメラや携帯電話など電化製品を近づけると壊れたりするらしい。
なぜこんなふしぎな石がここにあるのかは定かではない。
伝説では、イースター島に最初にやって来たホツマツア王が故郷から運んできたことになっている。
でも、海岸にあるから海に洗われて丸くなった普通の石という説もある。
たとえ普通の石だったとしても、ミステリアスなイースター島だからそんな伝説やパワーストーン説もなぜか納得できる。

さて、モアイのいる謎に包まれた絶海の孤島、世界遺産の「イースター島」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
モアイは、今までテレビや写真で見てきたモアイそのままだった。
ただ、想像以上にモアイの数は多く、想像以上に倒れていたり壊れていたものが多かった。
立っているものは、かなり修復されたり再建されたりと、手を加えられているらしい。
そう思うと、ちょっと残念。

イースター島に行った旅人の多くが「モアイはまあ普通だったけど、島自体はのんびりしていて楽しく過ごせて、イースター島にもっと長くいたかった」と言う。
イースター島にはどくとくの空気が流れていて、絶海の孤島でありながら温かい空気とゆっくりした時間が流れていて、ゆたかな島。
それが、イースター島のいちばんの魅力かもしれない。
キリマンジャロよりも高い標高6088メートル。
あ~、ほんとうにきつかった!!
さて、話は戻ってチリ・イースター島。
チリと言っても、ここはチリ本土の海岸から3700キロも離れている絶海の孤島。
タヒチからは4100キロ離れている。
いまここに住む人たちはポリネシア系の人で、チリとは文化も言葉も違う。
この島にある独特なものと言えばモアイ。
モアイがあちこちにたたずむここは、1995年に世界遺産に登録された。

周囲およそ58キロ、総面積165キロ、1日もあれば車で観光できる小さな島。
この島にあるモアイの数、なんと1000体!
どんな人が、なんのために、どうやって造り、どうやって運んだのか。
それは謎に包まれている。
でも、この島には「モアイの製造工場」とでも言える場所が残っている。

ラノ・ラノクと呼ばれている小高い山。
山に近づくにつれて、山肌に黒っぽいものがポツポツと立っているのが見えた。
「あ!モアイがいっぱい!」

イースター島のほとんどのモアイは海岸近くに立っている。
だけど海岸近くには、モアイの材料となっている石がない。
この山の岩肌は、モアイの材質。

モアイは、玄武石や黒曜石の石器でこの岩山を削って造られ、斜面から切り離されて運び出された。
ここには完成しながら運び出されずに放置されているものや、土に埋まっているものなど、いろんなモアイがちらばっている。

なかにはモアイの製作過程がわかるものも。
岩肌をよく見てみて。

わかった?
斜面に目を凝らすと、モアイが浮き上がっている!
こうやって山肌の岩を削っていって、最後に背中の部分を切り離して造っていったんだね。

ここにはおよそ400体のモアイがあるのだそう。
そのなかでももっとも大きなものは高さ21.6メートル、重さはおよそ160トン!
奈良の大仏がおよそ15メートルだから、それよりも高い。
いったい、ここで造ったモアイをどうやって運んでいったのか。
それはまだ明らかになっていないし、これから先も明らかになることはないかもしれない。

木製のソリに横倒しに乗せて縄でひっぱって運んだとか、立った状態で縄をくくりつけて運んだとか、「モアイが自分で歩いた」という伝説もある。
さて、このモアイ。
なんのためにつくったのか。
現在有力な説は、モアイはお墓だったということ。
モアイの下から人骨がたくさん発見されているのだそう。

島には、モアイの製造工場だけでなく、モアイの頭にのせるプカオの工場跡もある。
プナ・パウ。
プカオとはあの、分銅みたいな形の赤い石。
帽子説や髪飾り説もあるけど、人々の結っていた「まげ」説が有力。

モアイとは材質の違う、赤色の石で造るプカオ。
ここはこの赤い石の切り出し場跡で、プカオはここから切り出されて運ばれたのだそう。

島には1000体ものモアイがあると言われているけれど、その多くが倒れている。
それはモアイ倒し戦争の結果。
モアイ倒し戦争は「フリ・モアイ」と言われる。
1700年ごろにそれぞれの部族間で武力闘争が起きるようになり、そのときに相手側のモアイを倒すようになった。

モアイの眼から出る不気味な力を信じていた当時の人々は、顔が地面側になるようにうつぶせに倒した。
モアイ倒し戦争は50年にも及んだんだって。

なぜ、戦争が始まったのか。
それは、造ったモアイを運ぶときや建てるときに大量の木材が必要で、そのために木がなくなり、土地がやせ細り、食料不足になったことが原因と言われている。
せっぱ詰った人々は、耕作地や漁場を巡って部族間で争うようになったんだって。
最終的には、豊かだった島は貧しくなって、家やカヌーなども作られなくなり、石器時代と同じようなレベルの社会に逆戻りしたのだそう。
このことから、モアイを現在のビルディングに例えて「開発し過ぎたら地球温暖化や森林伐採を招いて世界が滅びますよ」とか、モアイが富や権威の象徴であったことから「それぞれの民族が権力を誇示すれば戦争が起き、結局は地球が滅びますよ」と主張し、イースター島を小さな地球にたとえて現代社会に警鐘を鳴らす人もいるんだって。

イースター島にはモアイだけじゃなく、パワースポットと言われる場所がいくつかある。
その代表的なものが、テ・ピト・クラ。

みんなが輪になって何かに手をかざしている。
手をかざしているのは、直径75センチのツルツルの丸い石。
丸い石の名前、テ・ピト・クラとは「光のへそ」という意味。
パワーストーンで磁器をおびていて、手をかざすとピリピリするんだって。

イクエとケンゾーは・・・。
残念ながら何も感じなかった。
でも、カメラや携帯電話など電化製品を近づけると壊れたりするらしい。
なぜこんなふしぎな石がここにあるのかは定かではない。
伝説では、イースター島に最初にやって来たホツマツア王が故郷から運んできたことになっている。
でも、海岸にあるから海に洗われて丸くなった普通の石という説もある。
たとえ普通の石だったとしても、ミステリアスなイースター島だからそんな伝説やパワーストーン説もなぜか納得できる。

さて、モアイのいる謎に包まれた絶海の孤島、世界遺産の「イースター島」。
「星いくつ?」
「星、2つ!」
モアイは、今までテレビや写真で見てきたモアイそのままだった。
ただ、想像以上にモアイの数は多く、想像以上に倒れていたり壊れていたものが多かった。
立っているものは、かなり修復されたり再建されたりと、手を加えられているらしい。
そう思うと、ちょっと残念。

イースター島に行った旅人の多くが「モアイはまあ普通だったけど、島自体はのんびりしていて楽しく過ごせて、イースター島にもっと長くいたかった」と言う。
イースター島にはどくとくの空気が流れていて、絶海の孤島でありながら温かい空気とゆっくりした時間が流れていて、ゆたかな島。
それが、イースター島のいちばんの魅力かもしれない。

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