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ケンゾー   イクエ


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2015.05.31 06:20|アルゼンチン☞EDIT
1週間、おなかの調子が悪く、お尻からゆるゆるちゃんしか出てくれないイクエです。
この前なんて、便器に出たのが毒々しい真っ赤っかだったんですよ。
ついに血便か・・・と思いました。
でも、正体はその日食べた「ビーツ(テーブルビート・赤かぶ)」だったんですよ。
回復に向かってるから明日あたりには、カチカチ君が出てきてくれるかな。

人生にはいいときも悪いときもある。
旅にもいいときも悪いときもある。
このとき、イクエとケンゾーは絶不調だった。
きょうはその絶不調のお話。
人の不幸は時としておもしろいかもしれないけれど、たぶんこの絶不調はみなさんにも別におもしろいものではないと思う。
だから淡々と語ろうっと。

イグアスの滝を見たイクエとケンゾー。
実はこのあとブラジルに行こうとしていたんだけど、ブラジル行きを見送ることにした。
というのも、サンパウロやリオデジャネイロなどブラジル南部を軽やかに観光しようとしていたら、ブラジルに行った旅人やアスンシオンの日本人宿のオーナーに「サンパウロ周辺だけ行ってもつまらない。アマゾン地区や黒人の住むサルヴァドールなどにこそブラジルの魅力がある。」と言われたから。
国土が大きくて、物価も高いブラジル。
旅するには時間とお金と覚悟が必要そう。
なので、ブラジルじゃなくてボリビアに行くことにした。

ここからボリビアに行くには、アルゼンチンを通っていく方法とパラグアイを抜けていく方法がある。

ボリビアへ

きっとバス代が安いのはパラグアイ側を通るルート。
でも、わたしたちはヒッチハイクをしたい。
パラグアイではヒッチハイクは一般的ではないけれど、アルゼンチンではこれまで成功してきた。
だから、ヒッチハイクでアルゼンチン側を移動することにした。

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といっても、最初に乗るのはバス。
車をつかまえるには、街を抜け出して幹線道路に出ないといけないから。
とりあえず、ここからおよそ50キロのリベルタードという集落まで移動することにした。
バス代は33ペソ(約330円)。
安い路線バスがあればいいんだけどない。
短距離でも、高級長距離バスに乗せてもらって途中下車する格好に。
ちゃんと無料のお菓子のサービスもあった。

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リクライニングはぐ〜んと倒せるし、エアコンは効いてるし、ああ快適快適。
このまま目的地までバスだったら夢のようだなあ。
後ろ髪引かれる思いでリベルタードで下車。

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10分ぐらい待つと車が止まってくれた。
乗せてくれたのは仕事に向かっている男性。
およそ7キロの次の集落まで。
一気に移動することを期待していたけど、乗せてくれるだけでありがたい。
少しずつでも前へ進んでいこう。

10分足らずのドライブ。

「グラシア〜ス(ありがとう〜)!」

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ここからが長かった。
車はほどよく通るのに・・・。
「ほどよく」っていうのは、多すぎもせず少なすぎもせずってこと。

これまでの経験上、ひっきりなしに車が通るところでは逆に車がとまってくれない。
車を止めにくいっていうのもあるだろうし、「別に自分が乗せてあげなくても、すぐに他の車が乗せてくれるだろう」とドライバーが思うからかもしれない。

交通量はちょうどいいのに、ぜんぜんなの。
アルゼンチンってこんなにヒッチハイク難しかったっけ?

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「場所が悪いのかなあ」と思いながら、大きな荷物を抱えてちょっと先まで移動してみる。

するとようやく女性の車が止まってくれた!
心がめげそうなときに乗せてくれると、ほんとうに救われた思いになる。

次の街で降りて、ふたたびヒッチハイク開始。

いっきに長距離移動したいところだけど、そううまくはいかない。

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結論から言うと、ぜんぜんダメだった。
何時間手を挙げ続けても、ダメだった。
きょう一日道路に立ち続けて移動できたのはたったの50キロ。
もう日が暮れてしまう。

あわせて5時間くらい立ち続けている。
腕を上げる気力もないし、足が重い。
なかばあきらめの気持ちで、わたしはへたりこんでいた。

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もう、やめよう。
というか、現実的にやめるしかない。

バスで次の大きな都市まで移動しようと思ったけど、わたしたちの所持金はバス代にわずかに足りなくて乗れなかった。
近くにATMもなければ、両替してくれるところもない。

悔しいけど、プエルト・イグアスの街まで引き返すしかない。
ヒッチハイクで。

道路を渡り、今度は反対車線に立って同じように手を挙げる。
今までの努力はなんだったんだろうか。

これがまた、止まってくれない。
国境に近いのでいろんな人たちがいて、不審者を乗せたくないのかもしれない。

親指をぎゅっと立てる元気すらない。
どのくらい日焼けしただろうか。

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結局わたしたちは車をつかまえることができずに、よくわからない行き先の路線バスに乗り込んだ。
きょう車に乗せてもらって車窓から見た同じ景色をふたたび見る。
わたしたちが車をつかまえるべく、何時間も立ち続けたあの場所も通り過ぎる。
きょうは二人の人に乗せてもらった。
せっかく乗せてくれたのに、その二人に申し訳ない気持ちになった。

路線バスの終点で降り、行きと同じような立派なバスに乗る。
あ〜、エアコンが効いてなんて楽なんだろう。

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朝9時前に宿を出て、いまは午後6時前。
「人生に無駄な日なんてない!」っていいたいところだけど、きょうの一日は時間と体力とお金を消費するだけで終わってしまった。
きょうかかったバス代はひとり73ペソ(約730円)。
こんなことなら、ヒッチハイクなんてやろうと思わずに最初から長距離バスに乗れば良かった。

わたしたちはまた朝と同じプエルト・イグアスの街に戻ってきた。

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この状態で朝チェックアウトした宿に戻りたくはない。
うまく説明できないけど、出ていったはずの宿に出戻るというのは、なんだかしゃくに障る。
それにけっして居心地がいい宿ではなかった。
わたしたちは重い足を引きずりながら他の宿を目指した。

でも、あいにく当てにしていたホテルのドミトリーが空いていなかった。
うなだれたまま、もと来た道を引き返していたら通りに面した家の庭からおばちゃんに声をかけられた。

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民宿だった。
ほかの客はいないし、Wi-Fiなんて気の利いたものはないけれど、バスルームつきの個室でふたりで200ペソ(約2000円)。
宿泊客の多いドミトリーに泊まるよりもずっといい。

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身も心も疲れ果てたわたしたちは、旅人が集い楽しそうに騒ぐゲストハウスに行く気分じゃなかった。
ふたりで静かにリラックスしたい。

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離れの個室は、こんなわたしたちに最適。
キッチンも使わせてもらえて、オリーブオイルの冷製パスタを作った。
昼ごはんも食べずに道路に立ち続けた。
日焼けしほてった体に、トマトのリコピンが染みわたる〜。

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アルゼンチンのお金がつきていたわたしたちは、街で両替することにした。
といっても、ここはドルのレートがあまり良くない。
路上で声をかけてきた両替のおっちゃんは1ドル11.5ペソ。
けっきょくインフォメーションセンターのスタッフが教えてくれた商店で同じレートで両替をした帰り道、さっきの路上のおっちゃんが1ドル12ペソと言ってきた。
早く言ってよー!
もう遅いよー!
最初からおっちゃんと両替しとけば1000円分得したのに〜!!
つくづく、わたしたちはついていない。
いまは、たぶんそういう時期なのだ。
イグアスの滝でメガネも落としたし・・・。

せっかくプエルト・イグアスに戻ってきたので、行ってない場所に足を伸ばすことにした。
それは、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの3か国が見渡せる場所。
それぞれの間に川が流れ、3つの国を隔てている。

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上の写真の右側の青と白の柱のようなモニュメント。
これはアルゼンチンの国旗のカラー。
向こう岸を見ると、赤・白・青のパラグアイカラーのモニュメントが。

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さらに違う方角を見ると、今度は緑と黄色のモニュメント。
こちら側はブラジルになる。

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全体像がどうなっているかというと、こんな感じ。

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手前がアルゼンチン、左奥がパラグアイ、右上がブラジル。
アルゼンチンとパラグアイの間を流れる川はパラナ川。
アルゼンチンとブラジルの間を流れるのは、イグアスの滝へと通じるイグアス川。

日本は島国で隣国が肉眼で見えないから、こうやって向こうの国にいる人たちの様子がわかる国境に来るといつも不思議な感じになる。

さて、アルゼンチンでのヒッチハイクに敗れたわたしたち。
どうしたかと言うと・・・。

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バスでまた国境の橋を渡ってパラグアイに戻ってきた。
これからバス代の安いパラグアイを横断してアルゼンチンに抜け、そこでまたボリビアまでヒッチハイクに挑戦することにしたのだった。

ボリビアへ2

パラグアイに入国し、シウダー・デル・エステから首都のアスンシオン行きのバスに乗り換える。
アスンシオンでは、またあの日本人宿「らぱちょ」にお世話になることにした。

でも、らぱちょの宿泊定員は7人まで。
この日はいっぱいであいにくベッドに空きがない。
ケンゾーは居間のソファで、わたしは涼しいベランダで就寝。
疲労困憊なのに、ぜんぜん寝られなかった・・・。

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でも、ここでは嬉しい再会が。
イグアス移住地の「ペンション園田」でいっしょだったユースケくん。
そして、アフリカとパタゴニアで出会っていたユリちゃん。

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あのときユリちゃんは料理なんてぜんぜん興味なかったのに、旅中に恋をしたそうで、料理に目覚めたらしい。
ドリアなど手の込んだものをたくさん作ってくれました!
恋の力ってすばらしい!!

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この年にして、恋バナで盛り上がった。
ユリちゃんがつきあうのは世間から見るとダメな男で、恋愛が思い通りにいかないのだそう。
で、いろいろ突き詰めてわたしたちが至った結論。

「ユリちゃんは好きな男の前では完璧な女でありたいがために、わがままを言ったり甘えたりできない」

わたしなんて好きな人にはわがままを言いたいし、甘えたいし、むしろ自分の求めることを「しょうがないなあ」と聞いてくれる人がいいんだけど(※ケンゾーのこと)、ユリちゃんはそれができないんだって。
好きな人の前では弱みを見せず、つくそうと努力し、相手に合わせて多少無理なことやおかしなことでもやっちゃうんだって。

でもそうなると、普通の男は「自分が頼りにされてないんじゃないか?この子は自分がいなくてもいいんじゃないか?本当に自分に心を許してくれてるのか?」と不安になって離れていく。(ケンゾー談)。

逆にダメな男は、それを良しとしてどんどん調子にのって甘えるし、わがままになって自分中心になっていく。
そしてそんな男ばかりがついてまわる。

よく男性陣が独身の女性に対して「あの人はきれいだし、何でもできるけど『隙』がないからなあ」なんて言っているのを耳にするたびに「なんだよ、その隙って」って思っていた。
でも「隙」ってのはそういうことなんだろうか。

なんてことを考えながら過ごしたパラグアイ最後の夜だった。

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そして「らぱちょ」と旅友たちに別れを告げて、わたしたちは路線バスに乗り、港に向かった。
港と言っても海じゃなくて、川の港。
ここから渡し船に乗って、川向こうのアルゼンチンに再入国する。
そして、わたしたちはリベンジとばかりにふたたびヒッチハイクに挑戦したのだけれど・・・。

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負のスパイラルは続いていくのであった。

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アルゼンチン「イグアスの滝」☆☆☆ 圧巻!これぞ世界一

2015.05.30 06:20|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
遅ればせながら妻に誕生日プレゼントを買ってあげたケンゾーです。
2週間前に35歳、とうとうアラフォーになったイクエ。
いつもはささやかながら美味しいものを食べて酒を飲むんだけど、今年は翌日に雪山登山を控えていたので何もしなかった。
来年は日本でちゃんとお祝いしようね。
そうそう、今年の誕生日プレゼントは3枚260円のワゴンセールのパンツ!
来年はプレゼントもちゃんとするから!

イグアスの滝をふくめ、アルゼンチン側ブラジル側ともに世界遺産に登録されているイグアス国立公園。
美しい滝を眺めながら、多才な動物や植物など豊かな自然も楽しめるのがいい。

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滝の上からの眺めを楽しんだあとは遊歩道の「滝の下コース」へ。
ちなみに、滝の上コースの全長は1.1kmで滝の下コースは2.5km。
イグアスの滝観光はけっこう体力勝負でもある。

下のコースへ移動すると、滝の迫力が桁違い。
とめどなく流れ落ちていく水の轟音で会話が聞き取れない。
ほとばしる水煙で周囲の湿度が一気に上昇。
水がただ落ちてるだけなのに、なんでこんなに引き込まれるんだろう。

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緑のジャングルにかかる白いレースのカーテン。
大自然が見せてくれるぜいたくな噴水ショー。

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虹を見つけることもイグアスの滝の楽しみ方のひとつ。
色鮮やかな掛け橋は、年齢性別を問わず気持ちを晴れやかにしてくれる。

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イグアスの滝ではいくつかアトラクションを楽しむことができる。
いちばん人気は滝壺の中にスピードボートで突っ込むという単純明快なアトラクション。
お値段は入園料よりも高い270ペソ(約2700円)。
はたして、わずか20分ほどの絶叫体験で2700円は高いのか安いのか。

ライフジャケットを着用して、いざボートへ。
貴重品、カメラ等は支給される防水バッグの中に入れることができる。

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ゆっくりと動きはじめたボート。
水面から見上げる滝は大きくて高い!!
手を伸ばせば届きそうなほど臨場感抜群。

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この水煙で真っ白に煙る先がイグアスの滝最大の見どころ「悪魔の喉笛」
川も激流だし、おどろおどろしいネーミングにぴったりの雰囲気。
もちろんボートが突っ込むのは悪魔の喉笛ではない。
突っ込んだら悪魔の餌食になって、生きて帰って来られない。

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ふと川岸に目をやると、黄色いものがひらひらと宙を舞っているのが見えた。
よく見ると大量の蝶。

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ゴオオオー!という爆音をたてて落ちる滝とひらひらと華麗に舞う蝶がなんだかアンバランスで一瞬現実感が失われてしまった。

けれど今から突っ込んでいく滝が目前に迫り、すぐさま現実に引き戻される。
残念ながら防水カメラを持っていないので滝壺突入の写真・映像はなし。

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滝に突入するのでカメラを防水バッグに収納するようスタッフに言われる。
一気にスピードを上げ、滝壺めがけて突進しはじめたボート。
水煙を噴き上げる滝壺がぐんぐん迫ってくる!
うおおー!思わず叫び声が漏れる。

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ゴゴゴゴゴーーーー!!!!

水が顔を打ちつけて痛い!
真っ白で視界ゼロ、ていうか水の勢いがスゴすぎて目を開けていられない。

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うおおおぉぉぉぉぉーーーー!!!!

声を限りに叫んでいるんだけど水の音にかき消されて自分の声がぜんぜん聞こえない。
全身ズブ濡れで笑けてくる。

2回滝壺に突入して終了。
単純かつあっという間のアトラクションだったけど、なかなか楽しかった。
なかなかいい笑顔、じゃない?

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ずぶ濡れになったあとは、いよいよハイライト。
「悪魔の喉笛」があるイグアスの滝の最奥部へ。
無料の列車で終点まで行き、さらに歩いて悪魔の喉笛をめざす。

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この駅でもたくさんの蝶が乱舞していた。
イクエも黄色い蝶に囲まれてメルヘンチック。

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駅から悪魔の喉笛まで1kmほど、イグアス川の上に架けられた遊歩道を歩いていく。
運が良ければワニを見かけることもあるんだそう。

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しばらくすると、大きな穴のようなものが出現。
まるで巨大なプールの栓を抜いたみたいに水が吸い込まれていっている。

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ここがイグアスの滝で最大の「悪魔の喉笛」。
まさに悪魔が水を飲み込んでいるかのような圧倒的な迫力。

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U字型をした悪魔の喉笛は高さ82m、長さは700m。
あまりの水量と勢いで水煙が立ちこめ、全体像がぜんぜん見えない。
カラカラに干上がったヴィクトリアフォールズもよかったけど、やっぱり滝はこうでなくちゃね。

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「イグアス」とは現地のグアラニー語で「大いなる水」という意味。
これを見たらそれも納得。
とんでもない量の水がとんでもない音を立てて流れ落ちていっている。
体が震えるほどの迫力にただただ圧倒される。

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さて、世界最大の規模を誇る「イグアスの滝」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

いやあ、期待以上の絶景で大満足。
悪魔の喉笛の迫力はとんでもなかった。
さすが世界一。

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もちろん悪魔の喉笛もスゴかったんだけど、ジャングルといくつもの滝が織り成す美しい景色が素晴らしかった。
緑のキャンバスに目の覚めるような真っ白な水がよく映える。

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見る場所によってまったく違う表情を見せてくれるイグアスの滝。
きっと期待を上回る絶景と出会えるはず。
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近くて遠いイグアスの滝

2015.05.29 05:37|アルゼンチン☞EDIT
最近鼻毛に白いものがチラホラ混じるようになったケンゾーです。
体のありとあらゆるところに加齢が襲いかかる。
白髪も増えるいっぽうだし、傷の治りが遅くなってきた。
乾燥で全身カラッカラのかさっかさ。
おっさんを通り越しておじいちゃんになっちゃうよ!

後ろ髪を頭皮ごと引っ張られる思いで別れを告げたイグアス移住地。
和食三昧でエネルギーを充電したケンゾーとイクエが向かうのは、世界三大瀑布・イグアスの滝
イグアスの滝はブラジルとアルゼンチンにまたがっている。
それぞれ別に入場料を払わないといけないし、ブラジル側に行くには厳密にはビザも必要。
貧乏旅のふたりはブラジル側はパス、アルゼンチン側だけ観光することに。
まずはアルゼンチン側の拠点となるプエルト・イグアスをめざす。

プエルトイグアス

イグアス移住地からバスに乗ってシウダー・デル・エステのバスターミナルへ。
バス代は1万グアラニー(約260円)。

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ここからアルゼンチンのプエルト・イグアス行きのバスに乗る。
ブラジル側に行きたい場合はブラジルのフォス・ド・イグアス行きのバスに乗ればいい。
プエルト・イグアスまで1万グアラニー。

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パラグアイのシウダー・デル・エステからアルゼンチンのプエルト・イグアスに行くには当然だけど出入国手続きをしないといけないんだけど、これがちょっと面倒くさい。
バスの利用者の大多数は地元の人たち。
パラグアイの出国手続きが不要なので国境をスルーしてしまう。
出国手続きが必要なツーリストはイミグレーションで降ろしてもらわないといけない。
もちろんバスは待っていてはくれないので次のバスを拾わないといけない。

バスターミナルから国境まではほんの4km弱。
10分もあれば着く距離なのに大渋滞にはまってぜんぜん進まない。
じつはシウダー・デル・エステは免税特区。
国境付近には電化製品や化粧品を扱っている店が軒を連ねている。

とくに週末は電化製品に対する関税が高いブラジルやアルゼンチンからの客で大混雑するそうなんだけど、今日は水曜日。
セマナ・サンタも2日前に終わってるし、どうしてこんなに渋滞しているのか謎。
ふん詰まり状態は解消されず、けっきょくイミグレーション前まで1時間以上もかかってしまった。

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出国手続きはスタンプを押してもらうだけ。
バスはノロノロ運転なのでまた同じバスに乗れそう!だったのに、イクエがスタンプを押してもらえない!
信じられないことに、イミグレ係員の女がパラグアイの入国スタンプを見つけきれず「もう無理!」って感じでパスポートを放っぽりだした!
はあ?意味が分からん!
なにその職務放棄。
パスポートを返してもらい、自分たちで入国スタンプを探して指し示し、出国スタンプを押してもらったけど、時すでに遅し。
無情にもバスははるか先に走り去ってしまっていた。

しかたなく次のバスを待つことに。
バスチケットの半券を見せれば新たにお金を払う必要はない。
だけど、待てども待てどもバスが来ない。
フォス・ド・イグアス行きのバスはしょっちゅう通るけれど、プエルト・イグアス行きのバスがぜんぜん来ない。
やっと来た!と思って乗り込んだものの、半券を見せると「違うバス会社だからダメ!」だって。

プエルト・イグアス行きのバス会社はいくつかある。
どこも値段は同じなんだけど、ケンゾーとイクエがたまたま乗ったのは「RISA」というバス会社。
これが失敗だった。
いくら待ってもRISAが来ない。
ほかのバス会社は何台も通り過ぎていくのに!

露店のおじちゃんや入管の男性スタッフも心配してくれる。
もう何台目だろう、別のバス会社のバスが目の前に止まった。
ダメ元でドライバーに「RISAが来ないんだ」と言うと耳を疑う返事が返ってきた。

「RISAはもう最終便が行っちゃったよ。」

うっそー!
なんそれ!?
そりゃいくら待っても来ないはずだよ。

来るはずもないバスを1時間以上も待ち続けた可哀想なアジア人を見かねたのか、露店のおじちゃんたちが何か説得してくれたからか、乗っていいよと言ってくれたドライバー。
はあ〜、とりあえず乗せてもらえてよかった。
こっちのバスは段違いにきれいで冷房も効いている。
とんだ貧乏くじを引いちゃったよ。

バスはイグアス川にかかる橋を渡っていく。
対岸はもうブラジル。
林立するビルがパラグアイとの違いを見せつけている。

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橋を渡り終え見えてきたのはブラジルのイミグレーション。
プエルト・イグアス行きのバスはここはスルー。
一度は行くつもりだったブラジル。
はたしてこの後ブラジルに行くのか行かないのか?
う〜ん、わかりません!

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ケンゾーとイクエのブラジルファーストコンタクトはおよそ20分。
走るバスの車窓から街並みをチラ見しただけで終了。
ふたたびイグアス川を渡りアルゼンチンへ。

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アルゼンチンの入国手続きは全員するので置いてけぼりを喰らうことはない。
これで5回目のアルゼンチン入国。
なんだかアルゼンチンに戻ってくるとホッとするのはなぜだろう。
ワインが安く飲めるからかな?

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プエルト・イグアスのバスターミナルに着いたのは夕方5時過ぎ。
イグアス移住地から50kmちょい移動するだけで6時間もかかってしまった。
3年近く旅をしてても、なかなか思い通りにはいかないもんだね。

疲れ果ててたどり着いた宿はバスターミナルの目の前にあるHOSTEL NATURA
16ベッドドミで1ベッド100ペソ(約1000円)。
Wi-Fi、キッチンあり。
キッチンは使いにくいし、ホッとシャワーが出ないことがあるのであまりお勧めはできないかな。

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疲れた体を肉と酒で癒やし、翌日イグアスの滝観光へ。
プエルト・イグアスから滝までは16kmほど離れている。
バスターミナルからシャトルバスが頻発。
往復100ペソ(約1000円)と微妙に高い。

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バスターミナルの前でイースター島で一緒だったカズくんと偶然の再会。
すでに水着着用でやる気満々のカズくんとバスに乗り込む。

アルゼンチン側の入園料は260ペソ(約2600円)。
アフリカのヴィクトリアフォールズも約2400円だった。
さて、どっちの滝のほうがコストパフォーマンスがいいかな?

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園内には遊歩道が張り巡らされている。
滝を上から眺める「滝のコース」と下から眺める「滝のコース」の2つ。
まずは上のコースで滝をめざすことに。

イグアスの滝周辺は国立公園に指定されている。
園内はうっそうとしたジャングルに覆われていて多彩な動物や昆虫の宝庫。
絶滅の危険にさらされているジャガーやピューマも棲息しているんだって!

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残念ながら、というか当然のようにジャガーには遭遇しなかったけれど、こいつらには度々遭遇。
鼻がびよ〜んと伸びたブサかわいいハナグマ

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日々大量に訪れる観光客に慣れてしまっているハナグマたちはかなりアグレッシブ。
逃げるどころか隙あらば食べ物を奪おうとまとわりついてくる。
写真を撮ろうと近づいたカズくんが格好のターゲットに。

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とぼけた顔とは裏腹にハナグマたちの爪はかなり鋭くて危険。
引っ掻かれると重傷を負わされることもあるので注意が必要。
園内のいたるところに痛々しい写真と共に注意書きが掲示されていた。

そして、ハナグマと同じくらい、いやそれ以上によく見かけたのが蝶。
イグアス国立公園は「蝶の楽園」と呼ばれるほどたくさんの蝶が生息している。
その数なんと250種類以上。

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こんなユニークな柄の蝶も。
数字の「88」に見えるよね?

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「ウラモジタテハ」っていう名前の蝶なんだけど、現地の人は「オチェエンタ・イ・オチョ」そのまま88って呼んでるんだって。

じっくり蝶を眺めるなんて何年ぶりだろう?
カラフルな羽根をひらひらさせて華麗に舞う蝶を眺めていると、なんだか心が癒やされる。

さらには、こんなユニークな顔をした鳥を発見。
ほら眉毛があるんだよ!

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正面からだとパンチパーマのヤンキーがガンをつけてるようにしか見えない。
眉毛のような目の上のコブは何のためにあるんだろうね。

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しばらく歩いているとかすかにザーッという水の流れる音が聞こえだしてきた。
徐々に大きくなる水の音。
そして、生い茂る木々の隙間からイグアスの滝初お目見え。

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おおー、すごい!
イメージしてたのとぜんぜん違う!
こんなに緑に囲まれてるとは思ってもいなかった。

森を抜け、視界がパッと開ける。
目に飛び込んできた光景に思わず声が漏れる。
美しい!

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ジャングルから溢れ落ちるいくつもの白い筋。
緑と白のコントラストが目に鮮やか!

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季節によって150から300の滝が出現するイグアスの滝。
横だけでなく立体的に滝が組み合わさっていてとてもダイナミック。

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イグアスの滝全体の幅は4km、すべてを見渡すことは不可能。
毎秒6万5000tという膨大な量の水が流れ落ちている。
世界三大瀑布の中でも規模は最大。

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直前まで歩いて渡れそうなほど穏やかに流れていた水が、豪快な音を立てて垂直落下。
水流によって滝口が100年で30cm削られ、滝が上流へ後退していってるんだそう。

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つづいて「滝の下」コースへ移動。
そこでまたまた衝撃的な光景を目撃。
ボートが滝壺に突っ込んでいっている!

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明日は「ずぶ濡れ覚悟で滝に突入!」とハイライト「悪魔の喉笛」を『世界遺産編』でお伝えしま〜す ♫
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旅したパラグアイ こんな国

2015.05.28 06:00|南米☞EDIT
パラグアイには3/29~4/8、4/11〜4/13まで14日滞在しました。
日本人宿に協力隊員、日本人移住地と地球の裏側で「日本」を満喫した2週間。
そんなパラグアイの旅を振り返ります。

旅の費用はいくら?

パラグアイでいくら使ったのか発表します。

交通費  349,600グアラニー
外食費  257,000グアラニー
食料費  416,050グアラニー
宿泊費  612,000グアラニー
その他  1,650グアラニー

合計  1,636,300グアラニー=約42,544円(1グアラニー=0.026円)
約3,039円/1日2人で

国が小さいということもあって交通費が安く済むのは助かる。
野菜はチリやアルゼンチンよりも若干安いかな。
でも思ったよりも物価に大差はないように感じた。
外食したのはイグアス移住地のみ。
食べたのは和食だし、ちょっと特殊な地域なのでパラグアイの外食事情は未確認。
チリやアルゼンチンと比べて出費が下がったのは、な〜んにも観光してないから。
ていうか、観光するところがない!
出費を抑えて沈没するにはうってつけの国。


◇移動手段はこうでした

さいしょヒッチハイクも考えたけれど、よく参考にしているネットのHITCHWIKIによるとパラグアイはヒッチハイク不向きの国らしい。
バス代も高くはないのでおとなしくバスを利用することに。

チリやアルゼンチンの豪華なバスと比べるとかなり年季が入って古いバスが多い。
アスンシオン 〜 シウダー・デル・エステ間の移動はなるべく2階建てのバスに乗ったほうがいい。
1階建てのバスは遅くて故障する可能性が高くなるんだそう(協力隊のゆかちゃん情報)。
アスンシオン ~ シウダー・デル・エステ間で6万グアラニーくらい。
ちなみに、アスンシオンのバスターミナルにはフリーWi-Fiあり(たまに使用不能のときも)。

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こんなお宿に泊まりました

パラグアイの旅の魅力は日本人宿にあり!

首都アスンシオンにある「らぱちょ」。
バイクで世界を旅していた上田ご夫妻がされている宿。
洗濯機も無料で使えるし、湯船があって無料でお湯もはってもらえる。
本・漫画の充実度はかなりのもの。
ドミトリーで1人4万グアラニー。
旅行の相談にものってもらえる。
アスンシオンには見るべきものがないけど、あまりの居心地の良さについつい長居する旅人続出。

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イグアス移住地の「ペンション園田」。
建物は古いけど田舎の家に下宿しているような気分に。
ドミトリーやダブルルームなどいくつか種類があって、1人7USドルくらい。
農協で食材を買って和食を作りNHKを見ながら食べると、そこはもう日本の我が家。
イグアス移住地の中心地にあるので、近所の日本食堂に行ったりお散歩したりすれば、たくさんの日系人の方たちに出会い、一時帰国した気分になる。

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これが一番うまかった!

ケンゾー 「日本米」
日本人移住地では日本の米も作っている。
農協で米を買い喜び勇んでペンション園田。
はやる心を落ちつかせてしっかりと米を洗い、炊飯器のスイッチをオン。
炊きあがったツヤツヤのご飯の神々しいこと!
やっぱりご飯はこうでなくちゃ。

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ほどよい弾力感ともっちり感がたまらない。
米に味と甘みがあることを再認識。
これに納豆をぶっかけて口にかき込んだらもう昇天。
日本米は世界最強!

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イクエ 「いなり寿司」
子どもころからいなり寿司が好きなわたし。
海外の寿司屋さんには何度か行ったけど、いなり寿司はあまりお目にかかれません。
イグアス日本人移住地のうどん屋さんで、念願のいなり寿司とご対面♡
揚げからジュワッと甘辛い汁が出てきて口に広がり・・・。
ああ~これ、これ!!
まぎれもない日本のいなり寿司でした。

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おすすめ!!一番良かった場所

ケンゾー 「ペンション園田」
ひたすら和食を作っては食べ、NHKを観て、限りなく日本に近づいていた1週間。
3食腹いっぱいになるまで食べて今までになく爆睡をかました1週間でもある。
リラックスを通り越し、脳みそが思考を拒否するくらいのんびりダラダラと過ごした毎日。
あふれる日本語に日本の食材、道を歩けば慣れ親しんだ日本人の顔だらけという環境に囲まれ、旅を小休止していた1週間だった。
身も心も充分に満たされて旅のエネルギーを充電することができた。

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イクエ 「イグアス日本人移住地」
南米には移住した日本人がいて、日本人のコミュニティを作っているというのは知っていたけど、まさかあそこまで日本の雰囲気そのままだとは。
向こうで生まれ育った2世、3世の人は日本語もあまりしゃべれないし半分外国人みたいなもんだろうと思ってたんだけど、日常会話も日本語で考え方やふるまいも日本人と変わらない。
遠く離れた海外でも日本の文化を大切にし、工夫しながら生活されていてなんだか感動しました。
移住してからの苦労や努力、前向きでほがらかな生き方はとてもたくましく思えて、すてきだなあと思いました。
人はどこででも生きていける、そんな勇気をもらいました。

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ふらり ゆるり パラグアイの感想は?

ケンゾー
南米で日系人・日系社会というとブラジルのイメージが強かったので、パラグアイでここまで日本を意識するとは思ってもいなかった。
ふるさとから遥か遠く離れた未開の地で、想像を絶する努力の末に、今の日本以上に日本らしい移住地を造り上げた話を直接聞くことができたのはとてもよかった。
外国の日系人社会も大切な日本の一部。
これから彼らのことをより身近に感じることができると思う。
あとは・・・パラグアイ人テレレ飲み過ぎ!笑

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イクエ
当初アルゼンチンの次はブラジルに行く予定だったので、ブラジルビザを取るためだけにパラグアイに立ち寄ろうという感じでした。
パラグアイにはこれといった観光地もなく、パスしてもいいくらいに思っていました。
でも、行ってよかったあ!!
パラグアイはわたしが想像していた以上に田舎でした。
人々は素朴でぬくもりがありました。
協力隊員のゆかちゃんが活動している田舎の町に行けたのもよかった。
貧しいかもしれないけれど、家族仲良く明るく暮らしている。
笑顔で迎えてくれます。
南米の中でも独自の「グアラニー語」を使っていて、テレレ文化もあって、とてもユニークな国でした。

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「ペンション園田」か「民宿小林」か

2015.05.27 05:36|パラグアイ☞EDIT
きのうの冒頭一言で「ケンゾーはかっこいいわけではない」というようなことを書いたら、ケンゾーから「そういうのは日本人的だ。自分の夫を卑下する。」と指摘されたイクエです。
でも、ふたりだけのときはかわいがってあげているからいいんですよ。

きのうは移住資料館でのお話をご紹介。
50年前に日本を離れてまったく知らない国で、一から始めた新生活は想像を絶する過酷なもの。
そんなご苦労を乗り越えられて、移住者の方たちが今のこの豊かなイグアスの移住地をつくりあげてこられた。

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そんなイグアス移住地に行くと知った坂田さんから、わたしたちは事前に指令のメールを受け取っていた。

坂田さんはアフリカのマラウィにシニア海外協力隊でテレビ局に派遣され活躍中の、元テレビ局勤務の大先輩。
アフリカ滞在中にホームステイさせてもらい、マラウィの国営テレビ局を案内していただいた。

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メールのタイトルは「島崎さんという坊さんを探せ」

メールの内容は短く、とにかく「イグアス移住地に島崎さんという知り合いがいて、そこへ行け」というものだった。

島崎さんはもともと札幌で喫茶店を経営していた人で、最近になってパラグアイに移住されたらしい。

泊まっているペンション園田のご主人に尋ねる。
「島崎さんというお坊さん知ってますか?」

「島崎さんならあの家に住んでるよ。
とにかく移住地の女性陣にモテモテだからね。
女性陣って言ってもばあちゃんだけどね。
きょうも車がないからおばあちゃんたちに囲まれて遊んでいるかもしれない。
車がとめてあるときは家にいる証拠だから行ってみるといいよ。」


ばあちゃんにモテモテで遊んでる坊さんってどういう坊さん?
しかもなんで前職が札幌の喫茶店経営だったのか。
どうしてそれをやめてわざわざパラグアイに移り住もうと決めたのか。

坂田さんの知り合いだから、ちょっと変わった坊さんだとは思うけど。

車があるときを見計らって、わたしたちは何のアポもなしに島崎さんの家を訪ねた。

「麻雀に行かなきゃなあと思ってたとこ。
 あんまり行く気がしなかったからちょうどよかった。」

こころよく招き入れてくれた。

麻雀好きの坊さんってどういう坊さんだよ。

こういう坊さんです。

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突然の訪問にもかかわらず、島崎さんはわたしたちにコーヒーをいれてくれてお話をしてくださった。
昼から酒じゃないところが、まじめな坊さん。
ちょっとお酒を期待していたわたしたちは、仏の道にはほど遠い下衆。

報道記者をしていたわたしは、島崎さんの脂ののった顔やしゃべり方から思った。
「この人、坊さんっていうよりも政治家っぽいな。」

顔も広くみんなから頼られ、札幌では地元議員にも負けないくらい、経済界や政界の人たちとの付き合いがあったと思う。(わたしの勝手な想像。でも当たってると思う。)

要領がよく、女性からもモテ、女性ともうまく遊んでいたと思う。(わたしの勝手な想像。でも当たってると思う。)

なぜそんな人が、突然仏の道を志したのか。

それは3・11の震災がきっかけだった。(ここからはわたしの勝手な想像ではなく実話。)

あの日、島崎さんは東北をドライブ旅行していた。
地震が発生したそのとき、まさに津波エリアにいて間一髪で難を逃れた。

それからこれまでの仕事を辞め、僧になることを決めたのだと言う。

島崎さんは若いころ、仏教を学ぶ大学に通っていた。
けれど仏教とはまったく関係のない俗世間で生きてきたので、お寺で修行をし直した。
修行は朝早起きして掃き掃除をしたり、座禅を組んだりと一休さんみたいなことをしていたらしい。
そして晴れて遅咲きの僧となった。

僧になる前、島崎さんは札幌で移住者交流のお手伝いをやっていたそう。
海外に住む移住者が日本に一時帰国するときに迎えたり、日系の子孫が日本に留学したり研修したりするときのあっ旋をしたり・・・。

そのことが縁でパラグアイの移住地で坊さんになることを決めたと言う。
それまでイグアス移住地にはお寺もなければお坊さんもいなかった。
不幸があったときや法事のときは、お経を読めるふつうの高齢者が交代で読経をしあっていたのだそう。

狭い移住地では、日本以上にさまざまな宗教・宗派に分かれている。
こちらでキリスト教に改宗した人も多い。
布教活動も活発で、天理教やエホバの証人などの信者もいる。
家族で信じる宗教がばらばらなのも珍しくない。

島崎さんはどんな人も受け入れたいとおっしゃっていた。
島崎さんのところには親族が亡くなり「宗教・宗派が違うと言ってどこからも弔ってもらえなくて」と最後に泣きついてやってくる人も多いと言う。

いま、イグアス移住地横の国道沿いにお寺を建設中。
まもなく完成する。

「じいちゃん、ばあちゃんたちの交流の場になればいいなと思ってる。
 みんなが集まって、お茶を飲んでおしゃべりする。
 自由にお寺を使ってもらいたい。」

結婚式の予定も2件入っているのだそう。
仏前式。
今どき日本でも珍しい。
つくづく、ここは日本よりも日本らしいんじゃないかと思う。

ここでは島崎さんのようなお坊さんが、長い間待ち望まれていた。

人生の終盤に差し掛かり、日本を捨て、パラグアイでの永住を決めた島崎さん。

「日本が恋しくならないですか?」
「そんなのはないね。
ここは気候もいいし、しょっちゅうばあさんたちが『差し入れ』っていっておいしいもの作って持ってきてくれるしね。」


島崎さん、これからもイグアス移住地でご活躍くださいね!

アフリカでお世話になった坂田さんからの指令を果たしたわたしたち。
夕方、ペンション園田に泊まっているほかの宿泊者の人たちと向かったのは農協の2階。

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ここは地元の人たちが集う飲み屋さん。
健全な飲み屋さんで、お客さんたちは働いた後一杯ひっかけて帰る、という感じなので、けっこう早めに閉まる。

もちろん日系人のお客さんが多いんだけど、パラグアイ人も。
移住地にいると日本人だらけに思えるけれど、イグアス市全体では日系人は全体の人口の1割にも満たないのだそう。

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ビールを頼むと、サービスのおつまみが。
やっぱりここは、日本だあ~♡

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飲みに来られていた日系人の男性お2人に同席していただいて、お話をうかがった。
お二人とも若いころに日本から渡って来られた1世の方。

「日本酒が飲みたくなりますか?」
「めったに飲まないし、あんまり飲みたいとは思わない。
 日本酒よりもウイスキーかなあ。」


たしかに多くの方は、移住してきたときはまだ未成年だった。
まだ日本酒や焼酎の味を覚えていないとき。
パラグアイでは日本酒や焼酎は手に入りにくく、あっても高いので大人になってもそのまま飲まずにきている。

そっかあ。
わたしとケンゾーは日本酒や焼酎に慣れてしまったから、恋しくなるんだなあ。

やはりお二人ともかなりご苦労されたようだけど、今では広い農地を所有し成功されている。
お一人のかたは、600ヘクタールもの土地をもっているのだそう。
600ヘクタールってどのくらいかと言えば、長さ1キロ奥行き6キロの土地。
日本で言えば大地主。

イグアスに住む移住者の平均は300ヘクタールで、これでもすごい。

その話を聞き「そんなにパラグアイで農業ってうまくいくのかあ」「自分たちもパラグアイで農業をやったらいいのかなあ」と単純に考えたわたしたち。
でも、もしわたしたちがここで農業をやるとしたら、まずそれだけの土地を買わないといけない。

で、土地代を聞いて驚き過ぎてあんぐり口を開けてしまった。
宝くじが何回当たっても買えない金額。
昔はジャングル同然だったここも、今では開拓されているし、土地代は急上昇してるんだって。
わたしとケンゾーなんて、パラグアイに移住しても一生小作人のままだ。

いっしょに飲んだ男性お二人がおっしゃるには、育てるのを大豆に切り替えてから収入が増えたのだそう。

あまり知られていないけど、パラグアイの大豆生産量は世界6位、輸出量にいたっては世界4位を誇る。
日本はお味噌や醤油、豆腐など大豆大好きな国なのに、95パーセントが輸入に頼っている。
パラグアイの年間生産量は1000万トンでこれは、日本の消費量の2年半分に相当するんだって。

日本の大豆の輸入先はアメリカが圧倒的で群を抜いて多い。
こんなに日系人ががんばってたくさん大豆を作ってるんだから、日本もパラグアイからたくさん大豆を輸入したらいいのに、そうは簡単にいかないのかなあ。

大豆がたくさん栽培されているイグアス移住地。
ここではこんなものも手に入る。

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納豆!!
3300グアラニーだから、日本円で86円くらい。
農協でも売ってるし、ペンション園田の近くの商店でも売っていた。
海外で日本食は見るけど、納豆って外国人に受け入れられないから見かけない。
久しぶりの納豆に大興奮。
ちゃんとネバネバしてますよ。

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ビールのおつまみ、枝豆はあたり前。

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そしてなんと,ペンション園田には豆腐屋が車で豆腐を売りにやってくる!
小学生のときには豆腐屋さんいたけど、最近はめったに見ない。
あ、いま思い出したけど学生のころ新宿の下町に住んでいてそこにはラッパを吹く豆腐屋がいた。
いま東京にどのくらいの豆腐屋がいるんだろう。

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東日本大震災のとき、パラグアイの移住者たちが生産した大豆で作った豆腐が被災地へと送られた。
その数、100万丁!
この話を園田さんから聞いたとき、ケンゾーは「あっ!」と叫んだ。
1年間被災地でボランティアをしていたケンゾーは、この豆腐を岩手の陸前高田市で食べたことを思い出したのだ。
1人で感動していたケンゾー。

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豊富な日本食材のおかげで、ペンション園田滞在中は毎日和食を作った。
焼きそばソースを買って焼きそばを作ったり。
日本のカレーのルーでカレーを作ったり。

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ペンション園田の炊飯器を使って、日本米を炊いて。
酢ゴボウを作って。

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ゴボウだけじゃない。
農協には里芋やこんにゃくも売っている。

何でもできる。

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農協でこんなのも売ってたの。
ミョウガのシソ漬け!!
こんな渋いのを売ってるなんて信じられん。
嬉しすぎる。

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おとといお伝えしたように、近所には手頃な日本食堂もたくさんある。
和食ばっかり食べ続け、NHKを見てまったりと過ごし、外を歩いて「こんにちは」と声をかけられる。
もうここは日本。
2泊ぐらいする予定が、けっきょくは1週間も滞在してしまった。
本音を言えば1か月くらいいてもいいと思った。
2年半旅を続けて一度も日本に帰ってないんだから、日本同然のここでゆっくりしてもいいじゃないと思った。

居心地がいいペンション園田

でもイグアスにはペンション園田のほかに民宿小林という宿がある。
ほかにも「福岡旅館」なんていうのもあるんだけど、旅人は園田小林に分かれている。
というか、いまはネットの評判や口コミから小林を利用する人が多いと思う。

わたしたちも最初はどっちにするか迷ったけど、園田のほうが移住地の中にあるし宿泊費も安いので園田に泊まることにした。
わたしたちがいたときは園田の客は少なくて、ドミトリーの各部屋にそれぞれ1人ずつしか泊まっていないことが多かった。
そのいっぽう、同じ時期に小林にはたくさん日本人の旅人がいたみたい。
そのうちお客さんは小林に流れていっちゃうのかなあ。

なぜそんなに民宿小林が人気なのか。

・古びた「ペンション園田」よりも、建物が新しくてきれいで清潔
・オーナーの小林ご夫婦がホスピタリティーあふれる人で旅人を癒やしてくれる
・小林さんが車で農場とか釣りとかに連れて行ってくれる
・宿の有料の夕食をみんなで楽しく食べる、小林さんが作る和食が絶品
・星を見ながら屋上のジャグジーに浸かれる
             ・・・など

小林に泊まった旅人は「もうあそこは最高だった~」って口をそろえて言う。

日本人旅人たちと小林さんが作ってくれたすき焼きを囲んでワイワイやるのは、合宿みたいでとっても楽しそう。
さらに、みんなで小林さんの農場に行ったり散歩をしたり釣りをしたり。
これはもう日本の田舎のおじいちゃんおばあちゃんちで過ごす夏休みみたい。

だけど小林は移住地の集落から10キロ以上も離れたところにある。
何もないところにポツンと建っている。
わたしはそれがひっかかった。
移住地の雰囲気に身を浸せない。

でも旅人にとっては逆にそれがいいのかもしれない。
優しい小林さんご夫妻と旅人だけの、誰にもじゃまされない特別な空間。

イグアス移住地を発った数日後、旅友と再会した。
その旅友は同じ時期に民宿小林に泊まっていた。

そのときの話をしながら、彼がわたしとケンゾーに聞いた。

「で、あそこに住む日本人の人たちってなんで移住してきたんですかね?」

それを聞いて、わたしはこころから思った。

「移住地の中心にある『園田』に泊まって良かったあ。」

移住の歴史や移住者の苦悩や、みんなが努力しながら作ったあの街の雰囲気を知ることが、イグアスを訪れた目的だったから。

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宿の外に出ると麦わら帽子をかぶったおばあちゃんやおじいちゃんが散歩をしている。
「おはようございます」と日本語で挨拶する。

散歩をして道が分からないと向こうから歩いている人に当たり前のように日本語で「ここに行きたいんですけど」と聞いて「だったらあっちだよ」と案内してもらう。

きょうはゴーヤーが手に入ったから何作ろうかなあと日本にいるときのように献立を悩む。

きょうはあの食堂で食べようと行ってみると「いらっしゃい、何にしますか?」と言われて日本語で書かれたお品書きを見て注文し、おいしい和食をいただき「ごちそうさまでした」と店を出る。

閉店間際にお店を訪れると「いまなら巻寿司半額にしますよ!」と勧められて、ついついパックのお寿司を買ってしまう。

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銀行に行くとスーツに身を包んだ若い日系人がもくもくと仕事をしていて、丁寧な日本語で窓口対応をしてくれる。

おじいちゃんおばあちゃんが朝からゲートボールを楽しんでいる。

こっちで生まれた3世の子どもたちが普通に日本語ではしゃいでいる。(子どもたちは現地の普通の学校と、日本語の学校ふたつに通っている。)

ここは、日本そのものだった。
いろんな文化が入って、流行り廃りがあって、隣の人の顔さえ分からない今の日本よりも、日本文化やコミュニティを大事にする日本らしい日本だった。

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こっちで生まれ育った20代の2世の人たちで、日本に旅行や研修に行った人たちがいる。

「日本に行くのってどんな感じなんですか?」
わたしは聞いてみた。

「たとえば鹿児島の人が東京に行くのと同じ感覚ですよ。
 言葉や文化は同じだけど街の雰囲気は地元よりも都会。
 日本の今の様子は毎日NHKで見て知ってるから別に行って驚くこともない。」


こんなにも「日本」に親しみをもつ人たちが「日本」を大事に暮らしている「日本」。
そんな「日本」がパラグアイにあることを知らなかった日本人のわたしは自分をちょっと恥じた。
この空間に身を浸すことができてよかった。

旅には人それぞれスタイルがあって旅に求めるものも違う。
だからこそ、その人独自の旅ができておもしろい。
わたしたちは今回移住地の中にあるペンション園田に泊まって移住地の様子や暮らしを知れて満足したけれど、移住地の中心から10キロ離れた静かで自然がいっぱいの民宿小林に泊まって日本人の旅人みんなで鍋をつつくのも楽しいと思う。
自分にあった宿をチョイスするといい。

民宿小林のご主人は10キロ離れた農協まで車で送ってくれるようなので、きっと頼めば移住資料館やほかの移住者のお宅へも案内してくれる。
尋ねると移住の苦労話もしてくれるはず。
車がなくてもバスでも行けるのでせっかくイグアスに来たのなら、移住地を歩いて雰囲気を肌で感じて移住の歴史に触れてみてもいいと思う。

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この日わたしたちは「ペンション園田」から歩いてすぐの、ある建物へと向かった。
ここはデイセンターのようなところで、移住地のお年寄りたちが週一回集まって、歌ったり体操をしたりゲームをしたりしている。

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突然おじゃましたのでちょっと緊張したけれど、みなさん笑顔で「いらっしゃ〜い」と迎え入れてくれた。

高齢者だけどみなさん元気!
背筋もピンとしていて肌ツヤも良くて年齢を聞いてびっくりするほど。
畑仕事で体を鍛えて、地元で採れる体にいいものを食べているのが若さの秘訣かな。

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この日はイグアス移住地のすばらしさを歌詞にした音頭をみんなで熱唱。
そしてタオルを使って肩をたたいたり伸びをしたり、音楽に合わせたストレッチ体操。
頭を使う手遊び運動。

みなさんの前に立ってリードしているのは、若い日本人の女性で、JICAから派遣されているボランティア。
きのうの記事でJICAの前身は「海外移住事業団」で、移住の振興や移住者の支援をしていたって書いたけど、この要素が完全に途絶えたわけではない。
いまもJICAは移住者や日系人の支援事業をやっている。
そのひとつに「日系社会ボランティア」がある。
青年海外協力隊のように、海外に派遣されてボランティアを行なう。
ただし活動場所は日系人のいる中南米で、日系人社会を支援するのが活動の目的。

ボランティアの女性は次から次に楽しいプログラムを用意していた。
お次は切り絵。

みなさんとても楽しそう。
四季の花々や鳥居などがモチーフ。

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室内には、みんなの作品が飾られている。
千代紙で作った小物入れ、日本らしい置物。

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そんななか、みなさんがこの日いちばん盛り上がったのは「脳トレ」系のクイズ集。
計算をしたり、縦横で同じマークが重複しないようにマスを埋めたり。

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難しかったのが市町村名でしりとりしながら進むもの。 
県庁所在地や観光地の地名、地元の市町村ならわかるけど、ふつうの市町村名なんて日本に住んでるわたしだって覚えていない。

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それなのにパラグアイに住むおばあちゃんたちが、わたしよりも早いスピードで進んでいく。
毎日NHKを見てるから日本の市町村名もバッチリなのかな。

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このあとはおいしそうな昼食がふるまわれた。
「いっしょにどうですか」と言われたけれど、突然おじゃまして悪いのでご遠慮。

事前にお願いしておけばいっしょにご飯も食べられるみたい。
何もできないわたしたちでさえ歓迎してくれたので、ぜひ機会があれば遊びにいってみるといい。
マッサージが上手な人や理学・作業療法士の旅人なんかは、おばあちゃんたちをマッサージしてあげるととても喜んでくれるんじゃないかな。
園田さんや移住地の人に「訪問したい」って事前にお願いしておくと、ボランティアの人に伝えてくれると思う。
週に一度しか活動してないようなので、曜日の確認が必要。

異性にモテる人、年下に慕われる人、人にはいろんなタイプがあるけれどわたしは確実に同性の年上からかわいがられるタイプ。
それをここでも遺憾なく発揮してしまったよう。

帰り際、おばあちゃんたちからプレゼント攻撃。

「これはね、古い着物の布で作った帽子の壁掛けよ。」
「わたしが作ったつまようじ入れ。」
「キーホルダーとしおりね!」

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ここで作った手作りのものはわかるとして、なぜ昼食用に持参してきたスプーンや箸まで!?
でも「なんでも持っていっちゃいなさい」みたいな大きな優しさが、おばあちゃんっぽくて好きです。

「イシイ」さん、名前入りのタオルありがとうございました!

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日本の裏側にある「日本」、イグアス移住地。
まだ行ってない日本食堂もあるし、子どもたちが学ぶ学校の様子も見てみたかった。
もっとながーく、ここにいたかった。
1週間滞在したペンション園田を、後ろ髪引かれる思いで出発する。

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わたし、やっぱり日本が好きなんだなあ。
日本っていいわあ。
日本の裏側で、それを再確認したのでした。
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知らなかった異国の「日本」を知れた日

2015.05.26 08:00|パラグアイ☞EDIT
夫の顔のパーツをひとつひとつ見ると変だけど、唯一褒めてもいいところはまつ毛が濃くて長いことかなと思う、妻のイクエです。
でもそれも「さかまつげ」だけどね。
たま~にケンゾーが「かっこいいですよ」と人から言われて調子にのってるので「いや、そうじゃないやろ」と横から指摘しています。

パラグアイにあった日本、イグアス移住地。
ここは、わたしが思っていたよりも「日本」だった。

なぜこんな日本の裏側に、50年前に日本人たちがやって来たのか。
そしてどんなふうにして、ここの「日本」ができあがっていったのか。

それを教えてくれる資料館がある。

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この資料館は週に一日しか開館していない。
だけど、ここの鍵を「ペンション園田」のご主人が管理しているので園田さんにお願いして案内してもらうことにした。
入場は無料。
それぞれが別々に案内してもらうのも時間を取らせて悪いので、いっぺんに済むようにそのとき宿泊していた4人全員で向かった。

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園田さんは、元JICA職員。

JICAと言えば、ODAなど途上国支援をしている外務省所轄の独立行政法人。
イクエとケンゾーもアフリカでは何人もの海外協力隊員にホームステイさせてもらったり活動を見せてもらったりとお世話になってきた。

だけど、なぜ50年も前にパラグアイに移住してきた園田さんがそんなJICAの職員だったのか。
ちょっと不思議な感じがするかもしれない。

今でこそ途上国支援をしているJICAだけど、実は前身は海外移住事業団
国策として日本国民を海外に移住させようとしていた当時、移住の振興や相談、あっ旋、移住後の指導や援助などを行なうために作られた団体。

国の移住政策が下火になって、海外移住事業団のニーズがなくなったのか今のJICAへと移行していった。

パラグアイに移り住んだ園田さんは1972年に海外移住事業団の職員となったものの、その2年後にJICAに切り替わったのだそう。

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そんな園田さんだから、移住の歴史についてわかりやすく丁寧に説明してくださった。
資料館はそれほど大きくないけれど2時間半近く、お話を聞かせていただいた。

去年1年間でおよそ1500人もの旅行者に説明をしたのだそう。

移住の歴史を見ると、パラグアイよりも先にブラジルへの移住が進められた。
それが1908年。
パラグアイへの移住が始ったのが1936年。

1959年にはパラグアイ政府との間で移住協定が結ばれ、8万5000人の日本人の受け入れが決まった。
(ちなみにこの協定はまだ有効で、現在も日本人がパラグアイに移住することは他の国に比べてとても簡単らしい。首都のアスンシオンで泊まった日本人宿のオーナー夫妻は、この協定があるからパラグアイに住むことを決めたと言っていた。)

南米への移住が盛んになったのは戦後だけど、なぜそもそも移住政策が進められていったのか。
そして、なぜわざわざ故郷を離れ、見たこともない日本の裏側に移住しようと当時の人々は思ったのか。

園田さんが教えてくれた主な理由。

・第二次大戦で負けた日本社会。
 当時、疲弊していて生活が苦しかった。

・戦後引揚者が日本に戻ってきた。
 余裕のない社会だったけど彼らを受け入れ、ますます社会は厳しくなった。

・終戦間際に国力を高める目的で「子どもを増やそう計画」が行なわれていて当時の日本は人口増。

・多くの移住者のふるさとは厳しい自然環境だった。
 山間の小さな畑で細々と農業をやっていて、生きていくのが精一杯。
 将来の生活も約束されていなかった。
 新天地に望みをかけた。


現在、イグアス移住地には日系の200家族が住んでいて、そのうち70家族を高知、岩手、北海道出身者が占めるのだそう。

厳しい自然環境のなか痩せた土地や狭い畑でなんとか農業をやっていた人たち。
炭を作って売って生活していた人たち。

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園田さんがおっしゃった。

「それとね、九州も多いね。
 福岡、長崎・・・。
 どうしてかわかる?」

「わたしたち福岡出身です。
 どうしてでしょう?」


「福岡、長崎、それに加えて北海道。
 共通するものは?」

「うーん。」

「じゃあ、もっと言うと夕張、そして・・・。」
「あっ、わかりました!!
 炭坑があった場所ですね。
 福岡にも炭坑がたくさんありました。」


「その通り。
 かつて炭坑で豊かだった地区も、炭坑が閉鎖されて衰えていった。
 だから、人々は安定を求めて海外への移住を決めた。」


園田さんの話を聞いて、なんで50年も前にわざわざこんな遠い異国の、それも田舎にやってきたんだろうというわたしたちの疑問が解消されていった。

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資料館に展示してあったパスポート。
12歳の園田さんが母親と写っている。
鹿児島で生まれ育った園田さん。
1962年、両親と7人の兄弟の家族9人で、日本からパラグアイに移住した。

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「3月8日に鹿児島を出発して、神戸に向かった。
 神戸に移民センターがあってね。
 そこで14日間待機。
 神戸を出発したのは4月2日だった。
 アルゼンチンのブエノスアイレスに着いて、そこからパラグアイまでは列車で移動。
 5月28日にやっと到着したから、鹿児島を出て80日間もかかったことになる。」

園田さんのときは船代も列車代も政府が立て替えてくれたものの、移住してからその借金を返済しないといけなかったらしい。

船内はとても狭く環境はとても悪かったようだ。
とくに環境の悪い船底になぜか沖縄県人が詰め込まれたらしい。

「これは沖縄の人が差別されてたからだと思うね。
 当時はまだアメリカ領だったでしょ。」

つらい船の長旅。

当時の人たちはどんな思いで船に乗っていたのか。
でも、不安よりも期待が大きかったと思う。
日本で将来を見いだせないから、外国の大地で未来を切り拓こうとした人たち。

ここイグアス移住地は、パラグアイの第2の都市シウダー・デル・エステからほど近い。

「『パラグアイの大きな都市からわずか数十キロのところに住めます』って言われて来たんだよ。
当時外国のテレビもほとんど放送されないし、もちろんネットもない。
外国の都市で唯一イメージできるのはニューヨーク。
だから外国の都市って言われてニューヨークみたいな大都市を想像した。
ビルが建ち並んで。
でも、着いてみたらぜんぜん違う。
30年間電気がない地区もあったんだよ。」


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夢を抱いて、故郷や友人を捨て、2か月半以上かけてたどり着いた永住地。
そこは、ただのジャングルだった。

着いてその場所を見るなり「あ〜、失敗したー!やられたー!」と思った人も多かったらしい。

『肥料を使わなくてもすくすく野菜が育ちます』
『果物がたくさん実っていて食べ物に困りません』

そう言われて、夢のような大地を想像していた人たち。
目の前の景色はまったく違うものだった。

土地は日本政府から買うシステムだったのだそう。
頭金を払って借金をしているので、なんとかして畑を作り収入を得ないといけない。
道路の整備費や診療所建設のための投資金も徴収された。

ジャングルの木を倒し、火をつけて畑を作っていった。
信じられないことにヒョウなどの猛獣もたくさんいたという。

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イグアスの滝の周辺は今もジャングルが残っていて、当時のイグアス移住地もそことそっくりな状況だったそう。
後日イグアスの滝に行ったときに撮影したジャングルがこれ。

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木々が生い茂りうっそうとしている。
ここを人力で切り開いて畑を作るなんて想像できない。

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それが今では地平線まで続く畑が広がっている。

一家族が所有する畑は、当初は多くても30ヘクタールだった。
パラグアイでの厳しい暮らしのため帰国した人や隣国に移動した人もいた。
そういう人たちから、とどまり続けた移住者たちは用地を譲り受けたりした。
いまイグアス移住地の一家族の栽培面積は300ヘクタールにも及ぶのだそう。

努力で手に入れた大地と生活。

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移住者たちはメロンやキャベツ、トマトなどの栽培に取り組んでいった。
パラグアイの土地にあっていて育てやすく、それが今ではパラグアイ人の小農家に広まっている。
パラグアイに貢献していると園田さんはおっしゃっていた。

資料館には古い農機具も展示されている。

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資料館にはほかにも懐かしの品物が。
日本には二度と帰らない覚悟で、見知らぬ国へと向かった人々。
日本を発つとき、人々は何を持っていったか。

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お釜やちゃぶ台、食器。

異国でも日本と同じ生活がしたい。
当時の人々の思いが伝わってくる。

あれもこれもといういわけにはいかない。
限られたものしかもっていけなかった。
そんな状況のなか、こんなものを持ってきた人も。

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五右衛門風呂!
こんな鉄の重いものを。

でも、日本人にとってお風呂は欠かせないからその気持ちわかる!

日本を離れて2年半以上が経つわたし。
和食が恋しくなってホームシックになることがある。

園田さんに尋ねた。
「日本を離れてこっちに来たとき、手に入る食材も違うじゃないですか。
和食が食べたい、あれが食べたいって苦しくなることはありませんでした?」

「そんなのはなかったね。
和食が恋しいとかいう以前に、なんでもいいからお腹いっぱいになりたいっていうのが先だったもの。」


言われてみたら納得する。
毎日食べていくのも苦しいなかで、異国への移住を決断したのだ。
そして移住してからもしばらくは空腹との闘いが続いていた。

わたしは今、日本を離れて長い間旅をしているけれど、いずれ日本に帰ることができる。
50年も前に何の情報もない異国へ移住するのとはわけが違う。

慣れ親しんだ故郷を捨てるということ。
親戚や仲のいい友人たちとも二度と会えない。
異国で何が待ち受けているのか、どんな文化なのか、どんな人たちが住んでいるのかもわからない。

移住者の人たちの覚悟はすごいものだったと思う。

でも、家族といっしょだからできたのかもしれない。

しかし、こういう人たちもいた。

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花嫁移住者

パラグアイに移住した若い男たちのために、年頃の女性たちが単独で海を渡った。
家族と別れ、故郷を捨て、二度と日本に戻らない覚悟で。

どんな男の人と結婚することになるのかもわからない。
孤独だ。

わたしには到底まねできない。

でもそんな若い女性たちが異国の地で、初めて会う移住者たちと結ばれ、共に苦労をわかち、子どもを育て、そしていま孫に囲まれて幸せに暮らしている。

資料館の奥にはこっちでつくられた太鼓や神輿も飾ってあった。
毎年、夏祭りを開いているのだそう。
夏と言ってもこっちでは12月だけど、それでも日本文化を大切にしながら暮らしている。

夜、ペンション園田で焼き肉パーティーが開かれた。
お肉や園田家手作りのおかずをいただく。

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焼き肉は日本と違って薄切り肉じゃなく、骨付き肉の塊。
それを豪快に焼いていく。
これがパラグアイ式。

骨つきのまま、いただきます!

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お肉はパラグアイ風だけど、サイドメニューはまさに日本!
のり巻きおにぎりはもちろん、キュウリの浅漬けも。

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大人たちが食べている脇で、園田家のお孫さんがはしゃいでいる。
元気に笑っていたと思えば、転んで泣いたり。

「ほら〜、そっちに行かないよ!ダメでしょ!!」
「ちゃんと食べなさい。」
「お肉食べる?
 こっちにおいで、おしいよ。」

大人たちがあたりまえのように日本語で𠮟ったり、なだめたりしている。

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この日は園田のご主人のお兄さんがお友だちと遊びにやってきていた。
お兄さんは最初は園田さんとパラグアイに来たけれど、その後日本に戻って勉強し直し、今度はブラジルに移住したのだそう。
健康食品などを輸出販売する会社を経営されている。
ブラジル日系人の経済界の重鎮なんだとか。
ブラジルや日本の大物政治家と会談することもあるらしい。

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園田さん兄弟の会話が印象的だった。

「なんでおやじは、こんなところに家族みんな連れて渡ってきたのかなあって最初は思ったよ。
憎むとまでは言わないけどね。
こんな何もないところで、なんでみんなで苦労しなきゃいけなかったのか。
俺は日本のほうが良かった。」

そうおっしゃるお兄さんに、園田さんはこう言われた。

「でも、ここに出てきたから今の兄貴があるんだよ。
ブラジルで成功してる。
日本の元首相とも飯を食う仲じゃないか。
俺たちあのまま鹿児島にいたら、せいぜい小さな農家のままだった。
いまごろ、どうなっていたかわからないよ。」

「それもそうだな。
あはははは。」


食事のあと、息子さんがわたしたちをドライブに連れて行ってくれた。

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頭上の満月が、移住者たちが開墾した土地を優しく照らす。

星々が、この土地を祝福しているように輝いている。

小さなフクロウと何度も遭遇する。

日中温められた池の水が、夜の冷気のなか幻想的に湯気を立てている。

「ここで魚も釣れるんです。
 それをすり身にして薩摩揚げを作ったり。」

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こんな場所がパラグアイにあるなんて知らなかった。
日本人の努力と生活の知恵がいっぱいの、なんて豊かな場所なんだろう。
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「日本」にたどり着いて和食三昧!

2015.05.25 06:12|パラグアイ☞EDIT
この歳になって後頭部が絶壁ぎみだということにちょこっとコンプレックスを持ちはじめたケンゾーです。
40年近く何も気にせずに生きてきたのに、妻から「え?!なにこの絶壁具合!直角やん!」と指摘&嘲笑され気になりだした。
たまに他人にも「ほらここ触ってみて、スゴいけん!」と言うこともある。
妻に言わせると、後頭部だけでなくケンゾーの顔周りはツッコミどころが満載らしい。
海苔のような眉毛、巨大な鼻の穴、上下逆さまになった目、腫れ上がったたらこ唇、シワだらけで付け間違えた耳・・・。
それだけ変なところがありながら、トータルではまともな顔になってるからまあいいか。

のんびりのどかなパストレオを離れることにしたケンゾーとイクエ。
リラ、美味しい食事をありがとう。
ゆかちゃんまた会おうね。

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ゆかちゃんとリラに見送られてバスに乗り込む。
行き先は「キロメトロ・クワレンタ・イ・ウノ」、訳すと「41km地点」
アスンシオンからシウダ・デル・エステまで繋いでいる国道7号線の41km地点で降りたいと車掌に伝えると、「ハポネス コロニアル!」と笑顔で言われた。
そう、これから向かうのはイグアス移住地
50年以上も前に日本から遥か遠く離れた地球の裏側へ、新天地を求めやって来た日本人たちが造り上げた街が次の目的地。

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イグアス

1時間20分バスに揺られ降ろされた41km地点、このガソリンスタンドが目印。
めざす宿は国道から目と鼻の先。

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ほんの200mほどの距離だけど、さっそく道行く人に「こんにちは!」と声をかけられた。
もちろん顔は自分たちと同じ日本人顔。
こんな南国感溢れる場所でふつうに日本語で話しかけられることが不思議な感じ。

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今回お世話になるのはペンション園田
じつは移住地で人気の宿がもう一つある。
その名も「民宿小林」。
かなり綺麗で居心地がよく、とくに女性に大人気らしい。
ただ移住地の中心からかなり離れているし、ちょっと割高。
今回は日本の雰囲気にズッポリ浸るためにペンション園田をチョイス。

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部屋はダブルベッドの個室(エアコンつき)が15ドル(72000グアラニー)。
2段ベッドドミトリーが7ドル、ちょっと広めの1段ベッドドミトリー(エアコンつき)が8ドル。
Wi-Fi、キッチン、NHKが見られるテレビ、長期滞在割引あり。

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日本語の本、漫画は大量にある。
ただしちょっと古めだけどね。

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部屋や建物が古くてちょっと汚いと聞いていたけど、ぜんぜん許容範囲内。
まあ、ときどきネズミくんは遊びに来るけどね。
民宿小林の周囲には店がなく、あまり自炊ができないそうだけど、園田では食材の確保には困らない。
お金をかけずにのんびりしたい人には園田がぴったり。

赤土の道を歩いて移住地散策へ。
日本人移住地と言っても、住民全員が日本人または日系人という訳ではない。
なんでも、少なくとも住民の3割はパラグアイ人を住まわせないといけないという決まりがあるんだそう。

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移住地の中心にある公園には立派な鳥居が鎮座。
日本の景色そのものだけど、実際にはこっちでキリスト教に改宗した人も多く、今ではほとんどの移住者がキリスト教なんだって。

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いたるところで目にする日本語。
自然がたっぷりでのんびりとした雰囲気の移住地を歩いていると、昭和の日本にタイムスリップしたような気がしてくる。

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ここが移住地の台所の農協。
そこは3年近く日本を離れているケンゾーとイクエにとって夢のような場所だった。

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味噌に梅干し、味噌煮や焼き鳥の缶詰、カレーなどお宝食材がザックザク。
「すげー!すげー!」「イクエこれ見て!」「こんなのもあるよ!」
人目もはばからず大興奮して叫び声を上げるケンゾーとイクエ。

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ほかにも日本米、自家製キムチ、餃子の皮、お茶漬け、お菓子など喉から手が出るような食材のオンパレード。
インスタントのとんこつラーメンを見つけたときに興奮はクライマックスへ。
本物のとんこつラーメンだよ、そりゃ発狂もするよ。

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イクエの地元、熊本の最強キャラくまもんが地球の裏側まで侵出していたのにはビックリ。
パラグアイでくまもんを見るとは、まったく予想外だった。

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ごっそり大人買いしたいところだけど、すべてなかなかいいお値段。
悩んで買ったラーメンは500円ちょい、カレーのルーは800円もした。
まあ輸送費がかかるから仕方ないね。

日本食材以外にもイグアス移住地には小躍りしたくなるようなものが盛りだくさん。
それは、和食!
和食を食べるために移住地にやって来たと言っても決して言い過ぎではない。
この店の看板商品は・・・うどん!

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うどん目当てでやって来たけれど、まさかの冷やし中華を発見!
イクエとよくやる「いま何食べたい遊び」でいつも上位にランクインする冷やし中華。
値段も22000グアラニー(約570円)と良心的。
鍋焼きうどんにいたっては390円と日本よりも安いよ!

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悩んだ末にケンゾーは鍋焼きうどん、イクエは冷やし中華をチョイス。
鍋焼きうどんはちゃんと土鍋に入って登場。
添えられた漬け物が心憎い!

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久しぶりの出汁の味に感激。
ああ、日本の出汁ってなんでこんなに優しいんだろう。
体に染みわたる。
コシのあるうどん麺にネギの香り、たまらん。
大好きなゴボウの天ぷらだ!と思ったらイモの天ぷらだったのはご愛嬌。

そしてイクエがオーダーした冷やし中華とおいなりさん。
もちろん冷やし中華は抜群だったんだけど、おいなりさんとサービスの麦茶にノックアウト。

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甘いタレがしみ込んだ揚げとツヤツヤの日本米のウマいこと!
これで160円は安い!
おいなりさん食べて冷えた麦茶を飲んだらもうここは間違いなく日本だよ。

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イグアス移住地での食い倒れの日々はまだまだつづく。
こちらは土日の、しかもランチタイムしかやっていないラーメン屋。
残念ながらとんこつラーメンはないけれど、餃子があるのが嬉しい。

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ふだんは味噌ラーメンなんか食べないんだけど、久しぶりのちゃんとしたラーメンはうまかったなあ。
とくに味がしっかりしみたチャーシューがたまんない。
チャーシュー麺にすればよかったとちょっと後悔。
スープも全部飲み干して大満足。

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そして、ラーメン以上に感動したのが餃子。
パリパリの羽根が付いていて、外はカリカリ中はジューシーでかなりのクオリティ。
ちゃんとラー油があるっていうのがいいよね。

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さあて、まだまだ食べるよ!
ていうか、日本でこれを読んでくれている読者の人はついてきてくれてるかな?
長期の旅人はかなり共感&興奮してくれてると思うけど、日本で毎日ふつうに和食を食べてる人にとっては「ふ〜ん」って感じなのは重々承知。
多少の温度差は気にせずにケンゾーとイクエ大興奮の和食シリーズをつづけるよ。

国道沿いにあるこの店ではケンゾーが大好きなトンカツを発見!

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パラグアイでもちゃんとブルドッグソースが出てくるところが素晴らしい。
トンカツ定食25000グアラニー(約650円)なり ♪

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そして最後に、泊まっているペンション園田に併設されているレストラン。
パラグアイで生まれ育った園田の息子さんが、日本に渡り居酒屋で修行をして開いたお店。
後ろでは日系人の方たちが宴会中。
食べ物屋さんで日本語のメニューを見て、日本人がオーダーをとりにきて、日本人が和食を食べ日本語で盛り上がるという、日本そのものの光景。

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ここではなんと、サンマの塩焼き定食が食べられるんだよ!
サンマだよサンマ、海のないパラグアイでサンマの塩焼きだよ、もう感動的ですらある。
ご飯と味噌汁、大根おろしが添えられたサンマの塩焼きに里芋の煮っころがし、そして漬け物。
言うことなし、完璧。
これで25000グアラニー(約650円)。

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園田の息子さんが言うには、サンマは北太平洋でしか獲れなくて、韓国人が年に数トンのサンマを船でパラグアイに輸入しているらしい。
そのほとんどがイグアス移住地で消費されてるんだって。

イクエはとりから定食、20000グアラニー(約520円)。
チキンは世界中どこでも食べられるんだけど、日本の鶏の唐揚げは特別。
片栗粉をまぶして揚げてあった。
しあわせな時間を満喫だよ。

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つい最近宿の近くに新たな日本食材屋さんがオープンしたそうなのでのぞいてみることに。
店の名前は「ダルマ」だけど、ドアに描かれているのは桜、それとも梅?

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こじんまりとした店内だけど、ここもお宝の山。
ここには冷凍のサンマも置いてある。
3匹で35000グアラニー(約910円)。

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そして恋しくてたまらない日本酒たちも。
くああ、たまらんよ、飲みてえー!

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飲みたくて仕方ないけど、1本135000グアラニー、日本円で約3500円。
とてもじゃないけど手が出ない。

日用品コーナーも充実。
ぽち袋や祝儀袋も置いてあって「ああ、ここはまぎれもない日本だあ」って感動。

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地球の裏側に息づく日本人村。
日本が溢れ、もしかしたら日本よりも日本らしいイグアス移住地。
次回はイグアス移住地の歴史と、想像を絶する苦労の末に現在の移住地を造り上げた日本人移住者についてお伝えします ♫
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プロポリスってなんじゃ?

2015.05.24 05:42|パラグアイ☞EDIT
帰国したあとの社会復帰に関して予想以上の反応にビックリしているケンゾーです。
みなさんご心配ありがとうございます。
たしかに、40歳を超えての職探しに多少の不安はありますが、けっして悲観はしていないのでご安心を。
3年近く世界を旅して、べつに自分自身は何も変わっていないし、成長なんてこれっぽっちもしてないけれど、「どんな環境でも人間はたくましく生きていける」っていうことはよく分かった。
残りの旅を悔いのないように楽しんで、帰国後の人生も精一杯楽しんでいきたい。

ゆかちゃんの配属先はパストレオの養蜂組合。
パラグアイでは長年にわたりJICAが養蜂技術を指導、いまではおよそ7000戸の農家が蜂蜜を生産しているんだそう。
けれどほとんどが農業との兼業で細々とやっているのが実状。
付加価値の高い商品の開発、販路拡大、組合のマネジメントなどをお手伝いするのがゆかちゃんの活動内容。

青空が晴れ渡り気持ちのいいこの日、ゆかちゃんに活動先を案内してもらうことに。
大きすぎず小さすぎず、とても住みやすそうに感じるパストレオの街。
アルゼンチンやチリと比べての〜んびりとした時間が流れている。

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蜂蜜のまえにちょっと寄り道して市役所へ。
こんど保健省が開催するフェアがあるそうなんだけど、そこで蜂蜜を健康食品としてプロモーションする予定のゆかちゃん。
保健省は予算を出せないけど市の病院がスポンサーになってくれるそうで、市役所や病院のスタッフと打ち合わせ。

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ゆかちゃんも含め女性ばかりで打ち合わせ。
ケンゾーとイクエがお世話になってるリラおばちゃんも教育界の大御所だし、パラグアイは女性の社会進出が進んでるのかな。

つづいて病院も見学させてもらうことに。
以前はここに看護師の隊員も派遣されていたんだそう。

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平屋建ててこじんまりとはしているけれど、ウガンダやタンザニアで見学した病院と比べると格段に設備が整っている。
そして、それぞれちゃんと使われて機能しているみたい。

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赤土の道をのんびり歩いてゆかちゃんが働いている養蜂組合の施設へ。
敷地も広くて思ったよりも立派な建物。

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みなさん、おじゃましま〜す!
と言いたいところだけど、残念ながらこの時期はイースター(復活祭)に先立つセマナ・サンタ(聖週間)でホリデー週間。
だれも働いておらずガラーンとした室内。

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これが蜂の巣から蜂蜜を取り出す遠心分離機。
これ回してみたかったんだけどなあ、残念。

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ここにもおなじみの「5S」が貼ってた。
Sから始まる5つの言葉、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾」の徹底。
日本の製造業などで職場環境の改善や安全性の向上、業務の効率化のために取られているスローガン。
いまや海外でも取り入れられている。
どの国でも同じような意味になるように「S」が頭文字になるように作ってるのがすごい。

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そしてこれがパッケージされた蜂蜜。
よく見ると琥珀色のものもあれば黒っぽいものもある。
ここで採れる蜂蜜は特定の花ではなく、たくさんの種類の花々から集められ自然にブレンドされた「百花密」なんだって。

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ゆかちゃんが珍しいものを見せてくれるということで、向かったのはひとりの組合員のお宅。
かなり質素な家で出迎えてくれたのは、上半身裸というワイルドな、でも笑顔がかわいらしいおじいちゃん。

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おじいちゃんが取り出したのは小さな木の箱。
これ、れっきとした蜜蜂の巣箱なんだよ。
この巣箱の主は体長が3mmくらいしかない小さな小さな蜜蜂。

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上の蓋を開けると、見えてきたのは換気扇に溜まった油汚れのような粘土のような不思議な物体。
これなんだと思う?

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これが健康食品などで有名なプロポリス
プロポリスは蜜蜂が木の芽や樹液など植物から集めてきた樹脂製の混合物。
蜜蜂は集めてきたプロポリスを巣の隙間を埋めて病原菌や寄生虫の侵入防止のために使っている。
抗菌、抗がん作用があると言われているプロポリス。
美容に大人気のローヤルゼリーと比べてもとても希少で高価。
すべての蜜蜂がプロポリスを集めるわけではない。
日本の蜜蜂はほとんど集めないんだそう。
世界的にはブラジル産のプロポリスが有名なんだそうで、パラグアイ産はまだまだこれからなんだって。

ケンゾーとイクエははじめて見るプロポリス。
通販番組などで耳にしたことはあったけど、こんな松ヤニみたいなものだったんだね。
こんな小さな小さな蜜蜂が健気に集めてるんだねえ。

スペイン語での日常会話は問題ないゆかちゃん。
でもグアラニー語は難しくてさっぱり分からないんだって。
ほとんどの地元の人たちはスペイン語とグアラニー語のバイリンガルだけど、日常的にごちゃまぜで使ってるから普通に会話をしていても突然何を言っているのか分からなくなるんだそう。
このプロポリスおじいちゃんのようにほとんどスペイン語が通じない人もたくさんいるんだって。
でも言葉があまり通じなくても、テレレを回し飲みすれば心が通う。
すっかりパストレオに溶け込んでるゆかちゃんだった。

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そうそう、ゆかちゃんたちはハチミツ酒も作ってるんだって。
ハチミツ酒といえば、エチオピアの民族巡りをしたときに酔いちくれのおっさんたちといっしょに飲んだ記憶が強烈。

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パラグアイのハチミツ酒はエチオピアに比べて上品。
喉にキューッとくる酸っぱさはないしまろやか。
プロポリスといっしょに看板商品になるといいね。

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ゆかちゃん、短い間だったけどありがとう。
日本に帰るときはテレレポットいくつに増えてるかな?
また日本で会おうね!
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観光客の行かない田舎町だからこそ

2015.05.23 06:25|パラグアイ☞EDIT
人よりも数倍、蚊に刺されやすいイクエです。
あしたからのアマゾンツアー、大丈夫かな。

青年海外協力隊のゆかちゃんが活動しているパストレオの街。
とくに何か観光地があるわけでもない。
でも、こんな場所にこそパラグアイの日常が詰まっている。

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赤褐色の土。
南国を思わせる木々。
明るい日射し。
これまで旅してきたチリやアルゼンチンの風景とはまったく異なる。

生暖かい空気が体を包み込む。

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街歩きをしていたら、ホームステイ先のリラに遭遇。
教育施設の開所式に参加中だったリラ。
手には、当たり前のようにマテ茶ポット。
こんな暑いところだから、冷たい「テレレ」をいつだって飲みたいのもうなずける。

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暑いのは子どももいっしょ。
登下校中だって、アイスクリームを食べたいよね。

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「ここ行ってみますか?」
ゆかちゃんが言った。
横長い平屋に入っていく。

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ここは町の学校。
中に入るとすぐに職員室が。
女性の先生が活躍中。

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突然の訪問にも関わらず「もちろん入って!」とうれしい返事。
校舎を見て納得。
日本の支援で建てられた学校だったんだ。

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校庭を取り囲むように平屋の校舎が建っている。
大きな木が木陰をつくっていて、勉強も運動もめいっぱい楽しめそうな環境。

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珍しい訪問者の存在に気づいて、教室から子どもたちが顔を出す。
みんな体操服みたいなのを着ている。

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柔らかい笑顔。
聡明な瞳。

パラグアイの子どもたちってかわいい!

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みんな楽しそうに勉強している。
生徒たちや先生の机、椅子もJICAが寄贈したものなんだって。
ひとつひとつにJICAのシールが貼ってあった。

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小さな子どもたちの教室はかわいい内装。
こういう心遣いが、アフリカの公立学校のレベルとは違う。

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教室内のトイレを使わせてもらったら、便器が小さくてとまどった。
こんな小さいトイレを使うのは保育園ぶり?
日本の小学校の便器よりも、子どもに配慮されたサイズだった。

びっくりしたのは、エアコンの効いたこんな部屋があったこと。

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パソコン室!
パラグアイの通信会社が、それぞれの学校に建物とパソコンを寄贈してるんだって。
薄型パソコンで小さな子どもたちが学習中。

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まだ一般家庭には普及していないパソコンはとても高価。
隣の学校では、パソコン室が開設された直後に泥棒が入ってパソコンを全部盗っていっちゃったんだって。
だからこのパソコン室には、窓に格子が取り付けられていた。

後ろの青いプレハブの建物がパソコン室。
壁には通信会社の宣伝がデザインされている。
その前で、なぜかバイクにまたがってポーズをとる女の子。
だれのバイクかな?

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子どもって恥ずかしがりながらもカメラが大好き。
「ねえ!撮って撮って!!」

年頃の女の子たちも。

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アルゼンチンやチリをまわってきたわたしは、パラグアイはもっと発展していると思っていた。
でも、アルゼンチンやチリとは雰囲気がぜんぜん違う。

昔ながらの素朴な生活をしている人たちが多い。
地方には大型スーパーなんてほとんどない。

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パラグアイでは国民のおよそ4割が貧困層と言われている。

地方の人口の3割に当たる人が土地を持っていない。
農業で成り立っている国なのに、土地なし農民がとても多いのだそう。

いっぽう国富の43パーセントを、たった1割の富裕層が牛耳っているんだって。
貧富の差が激しい国。

自然は豊かなんだけどなあ。

いましっかりと教育を受けている子どもたちが、未来を切り拓いてくれたら。
いきいきとした子どもたちを見ていると、そんな気持ちを抱く。

パラグアイにはたくさんの可能性がある。

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ゆかちゃんのホームステイ先のお宅におじゃまさせてもらうことにした。
お庭が広くて、気持ちがいい。

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放し飼いにされたインコが自由に木々に止まっている。
パラグアイではインコを飼うのが人気らしい。

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わたしが小さいころ、じいちゃんがオウムを飼っていた。
名前は「ポンキー」だったけど、わたしはいつもテレビ番組とごっちゃになって「ポンキッキー」と呼んでいた。
それにポンキーはガチャピン色だったし、出っ歯だったから。
いつもヒマワリの種を、するどいクチバシでカリカリと食べていたポンキーを、わたしはあまり好きではなかった。
怖かった。
ある日、じいちゃんがポンキーを檻から出して放し飼いにしていたとき、ポンキーはわたしのスネを噛みやがった。
まだ保育園児だったわたしは、ますますポンキーが嫌いになった。

だからインコやオウムを見ると、いつもポンキーを思い出す。
わたしは一生、インコやオウムは飼わないと思う。

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インコの似合うこの庭にはフルーツがたわわに実っている。
グレープフルーツまで。

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庭にフルーツがある家っていいなあ。

そういえば、ケンゾーの実家には大きなビワの木がある。
毎年春になるとたくさんのおいしい果実をつける。

ケンゾーが子どものとき、食べたビワの種を面白半分で庭に埋めたら育ったんだって。
ビワってそんな簡単に育つのかな。

話はそれてしまったけど、ゆかちゃんのホームステイ先の娘さんが庭のグレープフルーツでジュースを作ってくれた。

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砂糖を多めに入れて、甘酸っぱい新鮮ジュースのできあがり。
さわやかな柑橘の香りが、暑さを和らげてくれる。
ビタミン補給にもなるし、毎日でも飲みたい!

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でもパラグアイの生活が板についてきたゆかちゃんは、グレープフルーツよりもこっちがいいのかも。

テレレ!!
得意げに「マイポット」からテレレを注ぐ。

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パラグアイ人が愛して止まないテレレ。
でも、食事中は飲まないんだって。
テレレはひとつのカップにお茶を注ぎ、同じストローでみんなで回し飲みする。
食事中だとストローが汚れるから、衛生上好ましくないらしい。

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ゆったりと時間が流れるパラグアイの田舎、パストレオ。

たしかに何もないけれど、だからこそ飾らないパラグアイ人の日常に触れられる。

パラグアイはわたしがイメージしていたよりものどかで、素朴だった。
これからどうなっていくのか、楽しみな国でもある。

そんなパラグアイで、協力隊のゆかちゃんはどんな仕事をしているのか。
次回、お伝えします ♪
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パラグアイ人が愛してやまないテレレとは?

2015.05.22 06:00|パラグアイ☞EDIT
小学校の6年間水泳を習っていたケンゾーです。
得意な泳ぎはバタフライ。
ただ、何を根拠に言っているのか分からないけど、泳ぎが得意だということを妻はまったく信じていない。
「じゃあ今ここでやってみて」と理解不能な無茶ぶりをしてくる。
水泳に限った話じゃなくて、どっちかというと運動神経が良かったということをまったく信用していない。
たぶん自分が運動オンチなんで癪に障るんだろう。

世界遺産の街コルドバの観光をサクッと終わらせたケンゾーとイクエ。
観光は5時間の乗り換え時間で足りるかなあと心配だったけど、逆に時間が余ってしまった。
さあ、長距離移動の仕切り直しだ。

サンティアゴからコルドバまでは最上級の「カマバス」だった。
「カマ」とはスペイン語で「ベッド」の意味。
その名のとおり、カマバスは座席が広く180度近くまで倒して快適に寝ることができる。

対して今回のコルドバからパラグアイの首都アスンシオンまでは「セミカマ」。
セミってことは「準」ってこと。
はたしてカマと比べて快適性はどのくらい違うのか?
外見は大差なくて立派だけど・・・。

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う〜ん、飛行機のビジネスクラス並みだったカマと比べると、やっぱりショボいのは否めない。
座席のふかふか具合がぜんぜん違うし、フットレストもない。
長時間でも日中の移動だったら十分だけど、これで一晩を明かすとなったらちょっと辛そうだなあ。

サンティアゴからコルドバまでのバスは客がガッラガラだったんだけど、今回もスッカスカ。
チリやアルゼンチンのバスは高いんだけど、それってバス会社や便数が多すぎだからなんじゃないかなあ。
もうちょっと効率的にしたら料金も下がると思うんだけど。

ガラガラの車内からスペイン語ではない言語が聞こえてくる。
スペイン語とは似ても似つかない響きに一瞬戸惑う。
じつは今向かっているパラグアイではスペイン語のほかに「グアラニー語」が公用語になっている。

グアラニー語は先住民族のグアラニー族が使っていた言葉。
白人との混血が進み、混血のメスティーソが人口の96%を占めるようになっても先住民族の言葉を大切にしている一風変わった国パラグアイ。

言葉以外にも特徴的なものがある。
このド派手なもの、なんだか分かる?

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この男性が手にしているのはパタゴニアでもよく見かけたマテ茶。
ピンク色の大きな代物はポット。
でも注いでいるのはお湯じゃなくて冷たい水。
パラグアイでは「テレレ」と呼ばれている冷たいマテ茶を飲む習慣がある。
パラグアイ人はいつでもどこでも氷でキンキンに冷やした水を持ち歩いて常にテレレを飲むんだそう。
ストローでズズズッと飲む音が「テレレ〜」って聞こえることから「テレレ」と呼ばれるようになったんだとか。

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バスは昼の12時半に出発。
ランチが付いてくると聞いていたので期待して待つこと2時間。
配られたのはハムとチーズが挟まったシンプルなハンバーガーとビスケットとジュース。
まあ、セミカマだし、ランチはこんなもんだろう。

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夜7時、太陽が空を真っ赤に染めながら沈んでいく。
パタゴニアを旅しているとき、太陽が沈むのは10時くらいだった。
ずいぶん北上してきたなあ。

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そしてお待ちかねのディナータイム。
手渡されたのはランチとたいして変わらない軽食レベルの夕食。
ハムが1枚挟まっただけのハンバーガーなんてペチャンコすぎて厚さが1cmくらいしかない!

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え?もしかしてこれだけ?!
あまりのショボさに困惑していると、ちゃんとメインディッシュが配られた。
チキンとマッシュポテトのグラタン風の料理。
味はまあ悪くない。
もちろんスパークリングワインなんてシャレたサービスはなし!

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早朝5時にパラグアイに入国。
空がうっすらと白みはじめた5時半にアスンシオンのバスターミナルに到着。
合計35時間に渡ったバス移動もこれで終了。
いやあ長かった、そして疲れた!

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予約してあるホテルのチェックインは7時から。
アルゼンチンやチリと比べると汚くて雑多なターミナルだけど、フリーのWi-Fiがあることにビックリ。
Wi-Fiさえあればいくらでも時間を潰せる。

パラグアイではATMの利用に必ず600円くらいの手数料がかかる。
素直に現地通貨のグアラニーを引き出したほうがいいのか、それともドルも降ろせるので今後も必要になるドルを降ろして両替をしたほうがいいのか、悩ましいところ。
けっきょく結論を先延ばしにして、とりあえずホテルへ。

ターミナルからホテルまでミニバスに乗ったほうが楽だけど、現地通貨をまだ持っていないふたりは歩くしかない。
距離は3km弱、地味にきつかった。

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汗まみれで到着したのは日本人宿の「らぱちょ」
出迎えてくれたのは上田さん夫婦の愛娘まなちゃん。
朝から元気100%!

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上田さん夫婦は元旅人。
奥さんはバイクで世界一周をしていて、旅人と話が盛り上がる。
独りでバイクでアフリカも縦断しているツワモノ。

「南米で日本食レストランを開きたい」という旦那さんの夢を叶えるため、数年前にパラグアイにやってきたのだそう。
パラグアイでは日本人ならほとんど無条件で移住が認められるから、ここに住むことに決めたんだって。

1階が旦那さんが切り盛りする日本食レストラン、2階が旅人が寝泊まりする宿スペース。
宿と言っても、キッチンと居間、上田家の寝室と旅人用の寝室が2つあるだけ。
上田家に居候する民宿のような感じ。
バス・トイレやキッチンも上田家と共同使用。
NHKも見られるし、日本の漫画や本も充実してるし、湯船もあるし、洗濯機も自由に使える。
この空間は日本そのもの。
ドミトリーで1泊40000グアラニー(約1000円)。

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らぱちょに泊まるともれなく旅人のアイドルまなちゃんと遊べるという特典もついてくる。
社会をドロップアウトした旅人にとって天真爛漫で純粋なまなちゃんは眩しすぎる。

日本の教育テレビを観賞中のまなちゃん。

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居心地が良すぎて危険ならぱちょ。
沈没という甘い誘惑を振り切って次の目的地へ。
めざすのはパストレオという小さな街。

パストレオ

とくに観光スポットがあるわけではない田舎街。
行く目的は人と会うため。
ここで活動している青年海外協力隊員のゆかちゃんにお世話になることになっている。
紹介してくれたのは、アフリカでお世話になったウガンダ隊のケイティ。
ケイティとゆかちゃんは同期。
アフリカと南米、同じ隊員でどんな違いがあるのか楽しみだ。

アスンシオンからパストレオまでの直行バスはない。
シウダ・デル・エステ行きのバスに乗り、手前のカアグアスで降りてミニバスに乗り換える。
カアグアスまで40000グアラニー(約1000円)。

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ここで誤算が発生。
出発する前にゆかちゃんにメールで連絡をすることにしていたんだけど、ターミナルのWi-Fiが使えない!
何時に着くのか伝えられないままバスは出発。

さらに、「カアグアス発パストレオ行きのミニバスは夕方5時が最終」というゆかちゃんからのメールを見落としていた。
カアグアスまで4〜5時間はかかるのに、のんびりと12時過ぎのバスに乗るという大失態。
バスの中でメールを読み直して焦りまくるケンゾーとイクエ。
ふたりの焦りをよそに30分以上遅れて出発するバス。
出発したはいいけれど、市街地を抜けるまでノロノロ運転で客を拾って走るバスに発狂寸前。
やばい、今日中にパストレオにたどり着けるかな?
たどり着けたとしてゆかちゃんと落ち合えるかな?
携帯の番号を聞いていなかった3つ目の失敗も致命的。

カアグアスに着いたのは無情にも5時15分。
ふたりの望みむなしく、パストレオ行きのミニバスは最終便が出発していた。
どうしよう?どうしたらいい?
ここからタクシーに乗るといくらかかるだろう?

右往左往するケンゾーとイクエを見かねたのか、乗ってきたバスの車掌が「どうしたんだ?」と聞いてきた。
藁にもすがる思いで「パストレオに行きたいけどバスがない!」と訴えると「パストレオ?これに乗りな」とまさかの助け舟。
ふたたび同じバスに揺られること20分、パストレオへとつづく分岐点で降ろしてもらえた。

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幹線道路状の分岐点からパストレオに行くにはタクシーしかない。
20000グアラニー(約500円)で乗ることに。
多少ボラれてるとは思うけど、この際仕方ない。

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とりあえずパストレオにはたどり着くことができた。
ただ、ゆかちゃんとどうやって落ち合えばいいのか。
携帯の番号を聞いてなかったことが今さらながらに悔やまれる。

タクシードライバーのおっちゃんにスペイン語の単語を並べ立てて聞いてみる。
「ハポネス アミーガ セニョリータ・ユカ カーサ」

すると「シー シー(Yes)」という嬉しい返事が。
アフリカでも協力隊員は街や村の人気者だった。
がんばって活動してるゆかちゃんも有名人なんだろう。

ホッとひと安心したケンゾーとイクエの胸中を知ってか知らずか、途中で道ばたの屋台に車を横付けして焼き鳥を買ったおっちゃん。
おいしそうな焼き鳥をむしゃむしゃ頬張りながら運転。
う、うん、お腹空いて我慢できなかったんだね。

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ゆかちゃんの家に向かっていると、偶然自転車に乗ったゆかちゃんと遭遇!
よかった、一時はどうなることかと思ったけど、無事に会うことができたよ。

焦っていたケンゾーとイクエに対して、ゆかちゃんはのんびり。
「なんとかたどり着けると思ってましたよ。
 だって旅慣れているから。
 絶対大丈夫でしょ。」


ゆかちゃんも旅が大好きで、かつて世界一周をしたことがある。
旅人特有のルーズさやドタバタ、ピンチを切り抜けてなんとかやっていくことを知っていた。

アフリカと違って、パラグアイの隊員はほとんど現地人の家にホームステイをしているんだそう。
家賃や警備員の人件費が高いからだろうね。
ホームステイ先にはケンゾーとイクエが泊まるスペースが確保できないということで、友人の家に泊まれるよう手配をしてくれていたゆかちゃん。
案内してくれたのは立派な一軒家。

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お世話になるのは陽気でおしゃべり好きなリラ。
一目見て「あ、このおばちゃん好きだ」と思えるほど人の良さが全身からにじみ出ている。

料理上手なリラ。
たくさんの食器が並べられたキッチンには、テレレ用のポットもちろんあった。
しかもその数がハンパじゃない。

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なんでこんなにあるの?!
1個で十分やろう?
次から次に登場するポットにビックリするケンゾーとイクエ。
なんと名前入りのポットまであって驚くやら呆れるやら。

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リラはこう見えて地元の教育界の重鎮で街の有力者。
贈り物としてテレレ用のポットをよくもらうんだそう。
パラグアイ人にとってなくてはならないものがテレレ。
ハンドバッグのようにおしゃれなテレレポットをおでかけのときは持ち歩く。

この日はリラが伝統的なパラグアイ料理をごちそうしてくれた。
豆と野菜たっぷりのサラダ。
色も鮮やかで見た目もきれい。

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そしてハムとチーズが入ったパイのようなもの。
外はカリカリ、中はとろとろホクホクでウマい!

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パストレオにある大学に通うために居候している親戚の女の子といっしょにサルー!

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いやあ、ほんとにたどり着けてよかったよ。
次回はパストレオの街をお伝えしま〜す ♫
パラグアイの田舎ってどんなとこ?
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アルゼンチン「コルドバ」☆ ゲバラ青春の街

2015.05.21 05:35|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
この前、日本食材店で手に入れたインスタントの熊本ラーメンを食べたイクエです。
熊本ラーメンは香ばしいニンニクの味が決め手。
インスタントでも満足したけど、ラーメン屋でちゃんと食べたいなあ。

チリの旅を終えたイクエとケンゾー。
次に向かうのは、パラグアイ!
パラグアイってサッカーが強そうだってのはわかるけど、ほかにイメージできるものはない。
いったいどんな国なんだろう。

サンティアゴからヒッチハイクで目指すことも考えたけど、スムーズにいっても3日はかかりそう。
悩んだ末に、長距離バスで行くことに。

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1〜2時間くらいの距離なら乗ったことはあるけれど、南米で初めて乗る「長距離」バス。
途中、アルゼンチンのコルドバで乗り換えて、パラグアイの首都アスンシオンを目指す。
サンティアゴからコルドバまで18時間。
コルドバからアスンシオンまで17時間。
合計35時間の大移動で、運賃はひとり70000ペソ(約1万4000円)。
バスの中で二晩越すことになる。

アスンシオン

シートは広々でふかふか。
膝まで支える大きなフットレストもあって、ブランケットもついている。
飛行機でいうと、ビジネスクラス並み。

ヒッチハイクだと「車つかまるかなあ」とか「スペイン語での会話は大丈夫かなあ」とか「車内で寝ないようにしないと」なんて不安があるけど、バス旅にそんな不安は無用。

ただ座っていればいいだけ。
なんて楽なんだあ。

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バスを乗り換えるアルゼンチンのコルドバでは、およそ5時間の待ち時間がある。
コルドバの街には世界遺産があるんだそう。
スペイン人によって造られたコロニアルな建物がそうなんだって。
せっかくだから観光しないと ♪

サンティアゴからコルドバまでは、メンドーサへ行ったときに通ったおなじみのルートを走る。
鉱物がたくさん眠っていそうな、カラフルなアンデスの山々を見ながら。

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車窓からアメリカ大陸最高峰のアコンカグアを見るのもこれで3回目。
標高6960メートルだけど、まわりの山々が高いのでそれほど高いようには感じない。
でも雪化粧されて、ほかの山よりも神々しく光っているように見える。

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スムーズに国境までは来たけれど、チリとアルゼンチンのイミグレーションは大混雑。
自家用車も多いし、長距離バスも何台も待っている。
なんと2時間もかかってしまった!!

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普通なら2時間も待つとイライラするけれど、ヒッチハイクの苦労に比べればバスのなかで2時間待つことなんて、なんてことはない。

でも待っている間に日も暮れちゃって、お腹がすいたなあ。

大丈夫。
豪華長距離バスには食事もついている!

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エンパナーダにスイーツ、牛肉のステーキにピラフ。

飛行機並みのサービス。
もちろん飲み物も。

コーラだけじゃなくてスパークリングワインも!!

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車内で食事が出るっていうのは知ってたけど、まさかアルコールも飲めるなんて。
誰も教えてくれなかったから、うれしい驚き。
もちろんおかわりしましたよ♡

ほどよく飲んで、眠って。
起きると、アルゼンチンのコルドバのバスターミナルに到着。

コルドバはアルゼンチン第2の都市とあって、バスターミナルは広くて数十ものバス会社が自前のバスをとめている。

長距離バスは、南米ではもっとも一般的な交通手段。
日本だと長距離バスって3時間4時間くらいだけど、こっちでは1日2日、ときには3日。
バスで外国にも行けちゃうもんね。

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乗り換え時間を利用して、コルドバの街を観光。
でも荷物をどうするか。

ターミナルにはちゃんと荷物預かり場所があって、そこに荷物を預けるとそのまま次に乗るバスのトランクまで運んでくれるという便利なサービスが。
ほんとうに飛行機みたい。

バックパック2つ預けて50ペソ(約500円)。

さあ、身軽になってコルドバ観光へ繰り出そう ♪

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まずは街の中心、サン・マルティン広場前にそびえるカテドラルへ。
1697年から建設が始まり、完成したのは90年後の1784年。

ヨーロッパで見た教会にひけをとらない豪華さに、おもわずため息。

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随所にアールヌーボー的な要素が見てとれる。
流れるような曲線や官能美溢れる柔らかな天使。

芸術に詳しくないけれど、アールヌーボーやクリムトが好きなわたしはこの教会の雰囲気も好き。
妖艶な感じがぐっとくる。

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続いて向かったのはラ・コンパーニャ・ヘスス教会
さきほどのカテドラルに比べれば、赤みがかった石を積んで造られた教会はやや簡素。
それもそのはず、この教会はアルゼンチン最古の教会なんだって。
造られはじめたのは1640年。

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ここコルドバは、ボリビアから植民地を広げてきたスペイン人が1573年に街づくりを始めたところ。
雨も少なくて快適な気候で定住する人が多く、ブエノス・アイレスよりも早くから栄えたんだって。
だから最古の教会もブエノス・アイレスじゃなくてここにあるんだね。

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さっきのカテドラルは、黄金に輝くドームがいくつもくっついていて豪華さを演出していたけれど、この天井は体育館のようなかまぼこ型。

天使や聖者が飛び交う壁画で埋め尽くされたカテドラルと違って、落ちついていてシンプル。
その分、重厚感と歴史を感じる。

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侵略してきたスペイン人が持ち込んだキリスト教。
今ではここに生きる人たちのこころの支えになっている。

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世界遺産になっているのは、この教会周辺。
石畳の道は歩行者天国になっていて、コロニアルな建築が建ち並ぶ。
ヨーロッパの古い時代にタイムスリップした感じ。

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世界遺産になっているのは、教会の隣に建つ国立コルドバ大学国立モンセラート中等学校も。
今でも現役で、アルゼンチンの未来ある若者たちがここで勉学に励み青春を過ごしている。

あの有名な革命家もこの地で学んでいた。

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その人の名はチェ・ゲバラ
キューバ革命を起こしたゲバラは、アルゼンチン生まれ。
小さいころ、ブエノス・アイレスで育っていた彼は喘息もちだったため、空気のいいコルドバの避暑地アルタ・グラシアに物心ついたころに引っ越した。

ゲバラはコルドバ高等学校で学び、この地で15年以上過ごしている。
コルドバはゲバラという人間をつくった場所ともいえる。

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国立コルドバ大学はアルゼンチン最古の大学。
ゲバラのほかに、有名な文人や政治家を輩出している。

昔から学生運動や反政府運動の中心になっていたんだって。

そのなかでも1969年に学生を中心に起きた反政府運動「コルドバッソ」は大きなものだったらしい。
当時は軍政時代で、ベロニズモ(労働者階級を中心とした人権重視の主義)を排除しようとした政府に対し、学生たちが暴動を起こした。
100人を超える犠牲者をだしながらも、オンガニア大統領を退陣させたのだそう。

数百年の歴史をもつ大学も、一歩中へ入ればいたって普通のキャンパス。
学生たちが楽しそうに青春を謳歌していた。

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イクエとケンゾーも学生に混じり、学内のカフェでコーヒーを飲んで休憩。
学生たちは楽しそうでいきいきとしていて、男女いっしょのグループで話が盛り上がっていて、やる気と知性が漂っていた。

いいなあ♡

それを横目で見ながら、学生時代に戻りたいなあとうらやましくなる。

コルドバの人口はおよそ130万人。
アルゼンチン第2の都市だけど、街はコンパクトで暮らしやすそう。
歴史的な建物と緑が美しい街。

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ピンク色の外壁のサント・ドミンゴ教会
1857年から1861年に建てられたもの。
クーポラ(教会のドーム)は青い細かいタイルで飾られていて、なんだかかわいい。
こんなメルヘンなクーポラを寄進したのは、19世紀の有名な軍人さんなんだって。

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さて、チェ・ゲバラを生んだコロニアルな街並みの「コルドバの歴史地区」。
「星いくつ?」

「星、1つ!

ヨーロッパの雰囲気が漂い教会も壮大だけど、見どころは少ない。
世界遺産になっている場所は街の一部分で、2時間もあれば観光できてしまう。

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サンティアゴからもブエノス・アイレスからも遠いので、時間とお金をかけてわざわざ来たら、ちょっと物足りないかも。
わたしたちみたいに、どこかへの移動中に立ち寄るくらいがちょうどいい。

それでも、適度に都会で適度に小さく、街の散策もしやすいので、この街のファンになる人は多いかもしれない。

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チェ・ゲバラが革命前に友人と南米のバイク旅をスタートさせたのは、ここコルドバから。
ゲバラが住んでいたアルタ・グラシアに足を伸ばし、生家を訪れるのもいい。

世界遺産としては星ひとつだけど、魅力が隠れた街ですよ。
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旅したチリ こんな国

2015.05.20 05:50|南米☞EDIT
チリには1/25〜3/27の期間中、出たり入ったりで47日滞在しました。
見どころたっぷり、居心地もよくてインド、イランに次いでこの旅で3番目に長く滞在した国になりました。
そんなチリの旅を振り返ります。

旅の費用はいくら?

チリでいくら使ったのか発表します。

交通費  847,836ペソ
外食費  189,115ペソ
食料費  248,984ペソ
宿泊費  496,200ペソ
観光費  81,700ペソ
その他  85,477ペソ

合計  1,949,312ペソ=約373,136円(1チリペソ=0.19円)
約7,939円/1日2人で

イースター島までの航空券が2人で10万円するので1日ほぼ8千円と激高になってしまった。
イースター島に行かなければ1日5700円くらい。

チリはアルゼンチンと比べると交通費は安いけど宿代は高い。
ヒッチハイクでイースター島以外の交通費は抑えられたけど、滞在日数が多かったので出費がかさんだ。
チロエ島など可能な限りテント泊したけれど、テントが無かったらもっと宿泊費は高くなったと思う。

パタゴニアは交通費も宿泊費もヨーロッパ並みに高い。
ヒッチハイクもテント泊もしなかったらと考えるとゾッとする。
パタゴニアを旅する人はかなりの出費を念頭に置いておいたほうがいい。


◇移動手段はこうでした

パタゴニアからサンティアゴまではほぼヒッチハイク。
とくにパタゴニアはヒッチハイクがとてもポピュラーなのでお勧め。
治安も悪くないし、チリ人はとてもフレンドリーで優しいのでヒッチハイクしやすい。
ケンゾーとイクエはヒッチハイクで拾ってもらったチリ人家族と1週間パタゴニアを旅することになったけど、そんなすてきな出会いに恵まれる可能性も。

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長距離バスはあまり利用しなかったので詳しいことは分からない。
ただ、同じ行き先、同じバス会社でも曜日や時間帯によって値段にかなり差があるみたい。
窓口で「安い便はいつ?」と聞いたり、パソコンの画面を見せてもらって安い便を探したほうがいい。


こんなお宿に泊まりました

チリは南米の中でも宿代が高い国。
サンティアゴで泊まっていたのはアメリカ人のおじさんが管理人の「タレス」。
宿泊客のほとんどが日本人でドミトリーは6000ペソ。

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ここには日本のお笑いが大好きな日本語堪能の現地人が遊びに来た。
ナイナイの岡村が休業し、復帰を果たしたときの『めちゃイケ』の番組(チリ鉱山の落盤事故で地下から鉱夫たちがカプセルで救出されたシーンをまねたもの)をチリ人に見せるというケンゾーの夢が叶った。

映像を見ながら彼は大笑いし、ラストは感動からか泣いていた。
日本人と同じリアクションにケンゾーも満足。

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チリのオアシス的日本人宿はビーニャ・デル・マルにある汐見荘。
ドミトリーもツインも同料金で6500ペソ。(長期滞在割引あり)
魚市場に買い出しに行き、新鮮な魚介類で和食を作るという至福の日々を過ごせる。

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観光地以外の地方にはバックパッカー用のホステルが少ない。
高いホテルに泊まりたくなければ、テントを持参して安全な場所にはらせてもらおう。

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これが一番うまかった!

ケンゾー 「タダのサーモン」
プエルトモンの市場でサーモンを物色していると日本人夫婦に声をかけられた。
なんでも行き場のなくなったサーモンの貰い手を探しているとのこと。
そんなことならと喜んで譲ってもらったサーモンの半身。

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手の温度でみるみるうちに溶け出すほど脂がたっぷりのったサーモン。
ぜいたくに分厚く切った刺身のウマいこと!
ワサビを持ってなかったことが悔やまれるけど、あまりあるほどの美味しさに大満足。

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半身のサーモンはふたりで食べるには大量。
クリームパスタや炊き込みご飯にしてサーモン三昧の2日間。
「気持ち悪い、もうサーモンは当分いいや!」って思うほどサーモンを満喫することができた。

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イクエ 「チロエ島の貝類を使った料理」
チロエ島・カストロの市場にあるレストランで食べたスープにはいろんな種類の貝がどっさり。
出汁がたっぷりでていました。
食べるときは知らなかったけど、このスープを飲むと眠くなると言われているらしい。
貝には安眠作用があるのかな。
サーモンの切り身も入って1杯4000ペソ。

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そしていろんな貝やウニがぎっしり詰まったエンパナーダ。
注文したら10個以上きて、量が多いと思ったけど揚げたてはおいしくてふたりでぺろり。
3000ペソだった。

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おすすめ!!一番良かった場所

ケンゾー 「パイネ国立公園」
4泊5日をかけてトレッキングしたパイネ。
重いバックパックを背負ってのトレッキングはハードだったけれど、絶景のオンパレードで疲れが吹き飛ぶほどの満足感を毎日味わうことができた。
ダイナミックな岩山、ハッと息をのむほど美しい湖、壮大なスケールの氷河・・・。
5日間どの瞬間も美しい自然に心を鷲掴みにされた。

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最終日、パイネを後にするときには後ろ髪を引かれて寂しかった。
体力がもっとあれば10日間かけて国立公園を一回りするサーキットコースを歩きたかったなあ。
文句なしにお勧めするパタゴニアのハイライト、あなたも「大冒険」してみませんか?

イクエ 「ヒッチハイク」
南米に行く前、旅友にこう言われました。

「南米の旅はお膳立てされていて誰でも旅行しやすいけれど、そのぶん『旅してる感覚』を味わえずに物足りない。自分で何か仕掛けていったほうがいい。」

南米には多くの旅行者が集まるぶん、観光地化され過ぎていて、交通機関も整っていて移動も苦労しません。
バックパッカー用のゲストハウスもたくさんあります。
だからここでは旅の醍醐味である苦労や、ハラハラやドキドキ、ワクワクは普通に旅行しているとなかなか味わえません。
わたしたちは旅を楽しむ仕掛けとしてヒッチハイクに挑戦しました。
ヒッチハイクのおかげでたくさんの人と出会い、友だちになりました。
パタゴニアの強風に吹かれ、寒いなか何時間も路上に立ち続けたり、野宿して襲撃されたのも今となってはいい思い出。

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そしていちばんの収穫がフェルナンドたちとの出会い。
ヒッチハイクし、そのまま一週間もいっしょに旅するなんて思いませんでした。
一生つきあいつづけたい大事な友人です。
ヒッチハイクのおかげでチリが大好きになりました。

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ふらり ゆるり チリの感想は?

ケンゾー
予想以上にパタゴニアが素晴らしかった。
やっぱり人知の及ばない自然の美しさは感動もひとしお。
がんばって歩いて、キャンプして、絶景を眺めて・・・毎日がとても充実していた。

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ちょっと心残りはイースター島。
天気もイマイチだったし、4泊5日だとちょっと短いかも。
1週間くらいゆっくり滞在して、もっと地元の人とも触れ合いたかった。

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イクエ
チリの大自然もすばらしく、人も気さくで明るく、とてもすてきな国でした。
いい出会いもあって、特別な国、大好きな国になりました。
チリになら住んでもいいかな、と思うほどです。
大切な友だちもできたし。
海に面していて、おいしい魚介類も手に入るし、温泉もあるし、パタゴニアの自然はすばらしく、何日でも滞在できる国です。
チリにはきっとまた来るような気がする!

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「アディオス(さよなら)!
 アスタ・ルエゴ(またね)!」
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神秘と伝説に満ちた島 

2015.05.19 06:35|チリ☞EDIT
寝癖でただペチャンコになってるだけなのに妻からハゲてると言われるケンゾーです。
朝起きると「ええっ?髪どこにいったと?!」と言われます。
いやただペチャンコになっとるだけやけん!
たしかに髪はそうとう痩せてきたけどね・・・。

イースター島は海底火山の噴火によってできた島。
溶岩が冷えて固まった際にできた天然の洞窟が島中に無数に存在しているんだそう。
そのうちのひとつがキャンプサイトから7kmほど北に歩いたところにあるので行ってみることに。

ゴツゴツとした黒い岩場を歩いていると、この島が火山島であることがよく分かる。
周囲58kmの小さな島に3つも火山があるんだからね、人が住んでることのほうが不思議なのかも。

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島内では馬をよく見かける。
もちろん飼われている馬もいるんだけど、野生の馬もかなりの数いるんだそう。
1888年にチリ領になってから、チリ海軍が荷役用として本土から持ち込んだ馬が繁殖し野生化したんだそう。

この親子馬は野生なのかな?
けっこうな大きさの子馬がおっぱいを飲んでた。
馬ってどのくらいで乳離れするんだろうね。

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じっと眺めて写真を撮ってたら子馬ににらまれてしまった。
「なんか文句あんの?」とでも言ってそう。

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地図を頼りにそれらしき場所にたどり着くも、洞窟の入口が分からない。
観光客が数人いるからこの辺りで間違いないと思うんだけどなあ。
この人たちに尋ねてようやく発見。
すぐそばを通ってたんだけど見事に見過ごしてた。
だって洞窟の入口がこんなに小さいんだよ。

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148cmのイクエでも屈まないと入れないくらいの狭さ。
洞窟っていうからもっと大きいのを想像してたよ。

中は立って歩けるくらいの広さはある。
真っ暗でちょっと湿っぽい。

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恐る恐る進んでいくと2つの明かりが見えてきた。
お、出口かな?
左側の光の方へ行ってみる。

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ぽっかりと開いたその先に待ち構えていたのは、太平洋の大海原。
爆音を轟かせながら大きな波が崖を打ちつけている。
うっかり足を滑らせたら海へと真っ逆さま。
ぜんぜん出口なんかじゃなかった。

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つづいて右側へ。
こっちの先も断崖絶壁。

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もともと資源がそんなに豊かではないイースター島。
モアイの作り過ぎによって木が無くなり、急増した人口を支えるだけの食料を確保することが困難に。
やがて限られた食料を奪い合う部族間抗争が勃発。
こうした洞窟に隠れ住んだ人々も多かったんだそう。
この断崖に開いた穴から釣りをして魚を捕ったりしてたのかな。

そんな昔の島の人たちに想いを馳せながら、いちばんの決めポーズ。

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さらにキャンプサイトから南に2kmほどのところにも洞窟がある。
ここも海に面した豪快なロケーション。
さっきの洞窟とは違い、海岸に面して大きな口をぽっかり開けている。

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20畳ほどの広さがあるこの洞窟、天井にはたくさんの鳥の絵が描かれている。
ほのぼのとした絵が微笑ましい。

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鳥のイラストはほのぼのしているけれど、この洞窟の名前はぜんぜんほのぼのとしていない。
アナ・カイ・タンガタと呼ばれているこの洞窟。
アナは「洞窟」、カイは「食べる」、そしてタンガタは「人」を意味している。
つまり食人洞窟っていう意味。
部族間抗争で勝利を収めた部族が負かした部族をここで食べていたんだそう。
そこまで食料不足は深刻だったんだろうね。

島の南の端にあるラノ・カウ火山をめざしハイキング。
風に吹かれながら草原を歩いていく。
眺めがよくてとても気持ちがいい。

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坂を登りきると突然巨大な穴が目の前に。
これがラノ・カウ火山の火口。
直径1600m、縁の高さ200mの巨大な穴。

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およそ50万年前に噴火したと言われているラノ・カウ火山。
いまでは水の深さ4〜5mの火口湖となっている。
この水は島民たちの貴重な水源として使われている。

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3つの火山ででき上がったイースター島。
じつは3つとも休火山なんだって。
いつかまた活動しはじめる時が来るのだろうか。

火口周辺はオロンゴ儀式村と呼ばれているかつての聖域。
石組みの住居で行なわれていたのは「鳥人儀礼」

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オロンゴ儀式村から紺碧の海を見下ろすと3つの島が見える。
奥のいちばん大きな島がモトゥ・ヌイ

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毎年8〜9月の春、この島にマヌ・タラという海鳥がやってくる。
その時期になると、イースター島の統治者を決めるための壮絶な儀式が繰り広げられた。

各部族の酋長たちはそれぞれ自分の部下を1人指名。
選ばれた部下たちはモトゥ・ヌイ島まで泳いでいき、マヌ・タラの卵をいちばん早く持ち帰った部族の酋長が次の1年間神聖な王、鳥人となって島を支配することができたのだ。
鳥人になることができた酋長は、さっきのアナ・カイ・タンガタの洞窟で神のように踊りながら食人をしたらしい。
いっぽう、卵を取ることができなかった者は、そのまま無人島のモトゥ・ヌイにとどまり餓死しなければならなかったと言われている。

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モアイにしても鳥人伝説にしても、いろいろと謎めいた伝説がまことしやかに語り継がれているイースター島。
絶海の孤島にはミステリアスな伝説がよく似合う。
島に漂う神秘的な雰囲気にロマンをかき立てられる。

イースター島の繁栄と凋落を見つめてきたモアイ。
これからもずっと静かにたたずみながら、島の歴史を見つめていくんだろう。

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チリ「イースター島」☆☆ モアイよりも島がいい!?

2015.05.18 05:50|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
リアルタイムではボリビアのワイナポトシ登山に挑戦してきました。
キリマンジャロよりも高い標高6088メートル。
あ~、ほんとうにきつかった!!

さて、話は戻ってチリ・イースター島。
チリと言っても、ここはチリ本土の海岸から3700キロも離れている絶海の孤島。
タヒチからは4100キロ離れている。
いまここに住む人たちはポリネシア系の人で、チリとは文化も言葉も違う。

この島にある独特なものと言えばモアイ。
モアイがあちこちにたたずむここは、1995年に世界遺産に登録された。

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周囲およそ58キロ、総面積165キロ、1日もあれば車で観光できる小さな島。
この島にあるモアイの数、なんと1000体!

どんな人が、なんのために、どうやって造り、どうやって運んだのか。
それは謎に包まれている。

でも、この島には「モアイの製造工場」とでも言える場所が残っている。

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ラノ・ラノクと呼ばれている小高い山。
山に近づくにつれて、山肌に黒っぽいものがポツポツと立っているのが見えた。

「あ!モアイがいっぱい!」

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イースター島のほとんどのモアイは海岸近くに立っている。
だけど海岸近くには、モアイの材料となっている石がない。

この山の岩肌は、モアイの材質。

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モアイは、玄武石や黒曜石の石器でこの岩山を削って造られ、斜面から切り離されて運び出された。

ここには完成しながら運び出されずに放置されているものや、土に埋まっているものなど、いろんなモアイがちらばっている。

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なかにはモアイの製作過程がわかるものも。

岩肌をよく見てみて。

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わかった?
斜面に目を凝らすと、モアイが浮き上がっている!

こうやって山肌の岩を削っていって、最後に背中の部分を切り離して造っていったんだね。

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ここにはおよそ400体のモアイがあるのだそう。
そのなかでももっとも大きなものは高さ21.6メートル、重さはおよそ160トン!
奈良の大仏がおよそ15メートルだから、それよりも高い。

いったい、ここで造ったモアイをどうやって運んでいったのか。
それはまだ明らかになっていないし、これから先も明らかになることはないかもしれない。

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木製のソリに横倒しに乗せて縄でひっぱって運んだとか、立った状態で縄をくくりつけて運んだとか、「モアイが自分で歩いた」という伝説もある。

さて、このモアイ。
なんのためにつくったのか。

現在有力な説は、モアイはお墓だったということ。
モアイの下から人骨がたくさん発見されているのだそう。

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島には、モアイの製造工場だけでなく、モアイの頭にのせるプカオの工場跡もある。
プナ・パウ

プカオとはあの、分銅みたいな形の赤い石。
帽子説や髪飾り説もあるけど、人々の結っていた「まげ」説が有力。

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モアイとは材質の違う、赤色の石で造るプカオ。
ここはこの赤い石の切り出し場跡で、プカオはここから切り出されて運ばれたのだそう。

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島には1000体ものモアイがあると言われているけれど、その多くが倒れている。
それはモアイ倒し戦争の結果。
モアイ倒し戦争は「フリ・モアイ」と言われる。
1700年ごろにそれぞれの部族間で武力闘争が起きるようになり、そのときに相手側のモアイを倒すようになった。

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モアイの眼から出る不気味な力を信じていた当時の人々は、顔が地面側になるようにうつぶせに倒した。

モアイ倒し戦争は50年にも及んだんだって。

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なぜ、戦争が始まったのか。
それは、造ったモアイを運ぶときや建てるときに大量の木材が必要で、そのために木がなくなり、土地がやせ細り、食料不足になったことが原因と言われている。

せっぱ詰った人々は、耕作地や漁場を巡って部族間で争うようになったんだって。

最終的には、豊かだった島は貧しくなって、家やカヌーなども作られなくなり、石器時代と同じようなレベルの社会に逆戻りしたのだそう。

このことから、モアイを現在のビルディングに例えて「開発し過ぎたら地球温暖化や森林伐採を招いて世界が滅びますよ」とか、モアイが富や権威の象徴であったことから「それぞれの民族が権力を誇示すれば戦争が起き、結局は地球が滅びますよ」と主張し、イースター島を小さな地球にたとえて現代社会に警鐘を鳴らす人もいるんだって。

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イースター島にはモアイだけじゃなく、パワースポットと言われる場所がいくつかある。
その代表的なものが、テ・ピト・クラ

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みんなが輪になって何かに手をかざしている。
手をかざしているのは、直径75センチのツルツルの丸い石。
丸い石の名前、テ・ピト・クラとは「光のへそ」という意味。

パワーストーンで磁器をおびていて、手をかざすとピリピリするんだって。

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イクエとケンゾーは・・・。
残念ながら何も感じなかった。

でも、カメラや携帯電話など電化製品を近づけると壊れたりするらしい。

なぜこんなふしぎな石がここにあるのかは定かではない。
伝説では、イースター島に最初にやって来たホツマツア王が故郷から運んできたことになっている。

でも、海岸にあるから海に洗われて丸くなった普通の石という説もある。

たとえ普通の石だったとしても、ミステリアスなイースター島だからそんな伝説やパワーストーン説もなぜか納得できる。

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さて、モアイのいる謎に包まれた絶海の孤島、世界遺産の「イースター島」。
「星いくつ?」

「星、2つ!

モアイは、今までテレビや写真で見てきたモアイそのままだった。
ただ、想像以上にモアイの数は多く、想像以上に倒れていたり壊れていたものが多かった。

立っているものは、かなり修復されたり再建されたりと、手を加えられているらしい。

そう思うと、ちょっと残念。

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イースター島に行った旅人の多くが「モアイはまあ普通だったけど、島自体はのんびりしていて楽しく過ごせて、イースター島にもっと長くいたかった」と言う。

イースター島にはどくとくの空気が流れていて、絶海の孤島でありながら温かい空気とゆっくりした時間が流れていて、ゆたかな島。
それが、イースター島のいちばんの魅力かもしれない。

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モアイのいる風景

2015.05.15 06:14|チリ☞EDIT
今月13日に35歳になり、アラフォーの仲間入りをしたイクエです。
フェイスブックなどでのお祝いコメントありがとうございます!
あすから山登りに行くので、下山したら返信いたします。
アラフォーになりましたが、体も心も元気にかわいくやっていこうと思います。

イースター島と言えば、モアイ!!
空港の滑走路の脇にもいたし、今泊まっているキャンプ場の敷地にもモアイはいる。
モアイを見に行こうとしなくても、モアイに遭遇するのがイースター島。
イースター島にはおよそ1000のモアイがいるんだって。

そんななかでも比較的保存状態が良いものや、複数のモアイが集まっているところは観光スポットになっている。
点在しているので、レンタカーでまわるのが一般的。

ちょうどわたしたちと同じ日にイースター島にやってきた韓国人の女の子と、日本人の夫婦とわたしたちの5人でレンタカーを借りることにした。

レンタカーショップはいくつかあるんだけど、泊まっているキャンプ場で借りることに。

「はい、これ使ってね。」

免許証の確認も書類のサインも車体の傷のチェックも何もなし!
ただ鍵を渡されただけ。

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あまりにあっさりしすぎて拍子抜け。

ちなみに車は汚いし磨かれてもないしボロいけど、値段は安かった。
24時間、つまり次の日の今の時間まで使えて、1台30000ペソ(約6000円)。
(返す前に給油したガソリン代は8000ペソだったので、結局一人当たり1500円くらいで済んだことになる。)

青空のなか、出発〜 ♪

最初にやってきたのは空港の近くにあるアフ・ビナプ

真っ青な海をバッグに、緑の芝生の上にゴロゴロっと何か転がっているのが遠くからでも見えた。

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アフ・ビナプの「アフ」とは石を組んで造られた祭壇のこと。
昔はモアイじゃなくて、このアフだけが造られていたと言われている。
アフは海岸の近くに内陸のほうを向いて造られ、そのアフに向き合うように権力者の家があったんだって。

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しばらくして、アフの上にモアイを立てるようになり、より神聖化したのだそう。
アフが造られはじめたのが西暦400年ごろ、モアイが造られたのが700年ごろと言われている。

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隙間がないほどぴったりと石が組まれているアフ。
これはペルーのインカの遺跡と同じ石の組み方なんだって。
本土から3700キロも離れているイースター島。
だけど、このアフの造り方が同じだから、インカ文明やティワナク文明と関連があるんじゃないかと言われているのだそう。

近くに他の島もないし、大陸からも数千キロ離れていて、世界で一番「絶海の孤島」という表現が似合うイースター島。
そんなイースター島で古来から外の世界とどうやってつながっていたんだろう。
謎が多い島だ。

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ここにあるモアイはほかのモアイと違って「女性」ではないかと言われているんだって。
赤い石で造られているし、どことなく華奢な感じがするらしいけど、言われてみれば・・・。
う〜ん、でもわかんない。
胸でもあればいいんだけどね。

そしてここにも理科の授業で秤といっしょに使った「分銅」みたいなのを発見。

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本来なら、モアイの頭にのっていたもの。
「帽子」とか「髪飾り」って説もあるけど、結っていた「まげ」という説が有力らしい。
でも何が正しいかは判明していない。
謎がいっぱいあることが、モアイの魅力かもしれない。

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イースター島はそれほど大きくない。
島の周囲は58キロ。
車があれば一日で観光できる規模。

車窓から見えるのは、白波を立てる海。
青々と茂る草原。
そしてときどき、モアイ。

とってもここちよい気分になる。

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イースター島には、海水浴を楽しめるビーチがいくつかある。
やってきたのはアナケナビーチ
ヤシの木の間を抜けていった先には、ビーチ。
そして、そこにも彼らはいた。

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この7体のモアイたちはアフ・ナウナウ
砂に埋もれていたから、保存状態がほかのものよりもいいんだって。

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モアイって意外と目鼻立ちクッキリ?
鼻なんてものすごく高くて、鼻の穴も立派。

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モアイってふんどしをしてるって知ってた?
ここのは保存状態がいいから、ふんどしの彫刻がわかりやすいらしい。

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近くには、なんだか頼りない顔をしたモアイがひとりたたずんでいた。
このモアイ、イースター島の伝説の王ホツマツアの像と言われている。

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イースター島の歴史は、400年ごろからポリネシアの人が住み着いて始まったとされている。
ホツマツアが2隻のカヌーでイースター島にやってきて、島を統治するようになったという伝説がある。
でもホツマツアがいつやってきたのかは、諸説あってよくわからない。
伝説だからね。
よくわからない部分があるほうがいい。

さて、みんながイメージするモアイがきっとこの場所。

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モアイがずらーっと横一列。
アフ・トンガリキ
モアイが乗っているアフの長さはなんと100メートル。
その上に15体のモアイが並んでいる。

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島のモアイはほとんどが倒れ、崩れかけていた。
そのむかし、人為的に村人から倒されたり、チリ地震で倒れたり。
それを現在は建て直したり並べてみたり、復元したりしている。
だから「イースター島に今あるモアイは偽物だ。ほとんどコピーだ。」なんて言う人もいる。

元々のモアイを想像しながら、残っているモアイの岩をちょっといじっているのは確かだけど「偽物」は言い過ぎかな。

「できるだけ元のように」ということを意識して、いろいろ努力して復元したり、倒れていたモアイを起き上がらせたりしてるんだろうし。

さて、このアフ・トンガリキのモアイたちも1993年から1995年に倒れていたものを立て直したもの。
しかも、日本企業の大手クレーン会社「タダノ」の援助によって。
クレーンの提供はもちろん、1億円の資金援助、さらには調査や再建まで。
きっかけはテレビ番組『世界・ふしぎ発見!』で黒柳徹子が「クレーンをもってる日本企業が助けてあげればいいのに」と言ったことだとか。
日本企業と徹子さん、やりますね!

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同じように見えるモアイだけど、それぞれ身長も違えば、顔の形や表情も違う。
石造りだけど、生身の人間のように味がある。
どこかかわいくて、憎めない。
それもモアイの良さかな。

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夕方を迎えてやってきたのはアフ・アキビ
イースター島の伝説に出てくる、7つの部落の7人の酋長をモデルにしたものらしい。
モアイの高さはおよそ4.5メートル。
重さは20トンもあるらしい。
よくこんなの造ったね。

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実は、このモアイ。
ほかのモアイとちょっと違う。
通常、モアイは海に背を向けて内陸のほうを向いて立っている。
だけど、ここのモアイは逆。
海に向かっている。

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もう少しで太陽が沈むころ。
このモアイたちは、春分と秋分の日に太陽が沈む位置を見つめていて、天文学的な性格ももっているんだとか。

不思議なモアイたち。
そんなモアイたちがいろんなところに存在するイースター島。
謎めいているから、イースター島にロマンを抱く人も多いんだろうね。

さて、次回はモアイの製造工場を紹介します。
そう、昔の製造工場が残ってるんです。

そして、モアイを襲った悲劇「モアイ倒し戦争」とは?

明日から山登りに行くので更新が1日途絶えますが、続きは世界遺産編でお伝えするのでお楽しみに。
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行くべきかやめとくか 悩ましいイースター島

2015.05.14 08:12|チリ☞EDIT
旅の資金を入れている3つの銀行口座を確認して妻とともにため息をついているケンゾーです。
日本を離れて2年と8か月、夢のような日々に終止符を打つ日もそう遠くはない。
旅を楽しむ時間が少ないってことを惜しむ感情よりも、帰国してからの生活を不安に思う気持ちのほうが大きいってことは、はたして正常なことなのか、それともちょっと残念なことなのか。
とにもかくにも、旅ができるしあわせを噛み締めながら残された日々を精一杯楽しんでいこう。

毎日入れ代り立ち代わり日本人の旅人が訪れるサンティアゴのゲストハウス「タレス」。
ケンゾーとイクエのようにパタゴニアからやって来た人もいれば、これからパタゴニアをめざし南下する人たちもいる。
そして夜寝ずにパソコンの画面とにらめっこをしている旅人も。

「どう?取れた?」
「いやあダメですねえ。」
「また今夜も寝れないよ。」
そんな会話がそこかしこから聞こえてくる。

彼らが夜な夜な何をしているのかと言うと、航空券のリサーチ。
ここサンティアゴはモアイでおなじみのイースター島への拠点でもある。
長期旅行者の間では定番になっているイースター島。
タレスを利用している旅人もほとんどがこれからイースター島に行くか帰ってきた人たち。

タレスに滞在=もちろんイースター島でしょ!みたいな雰囲気なのでちょっと場違いな感じがしないでもないケンゾーとイクエ。
だってイースター島には行かないことにしてたから。
とくにふたりで話し合ったわけではないけど、なんとなく暗黙の了解でルートからは外していた。
航空券が往復10万円くらいするって聞いてたから高嶺の花だよ。

イースター島はチリの首都サンティアゴから3700km離れた太平洋に浮かぶ絶海の孤島。
島への移動手段は飛行機、しかもラン航空のみ。
この時期はバケーションシーズンの終盤ということで航空券をゲットすること自体が大変なんだって。
ラン航空の窓口で探すよりも、インターネットのHPで検索したほうが効率がいいらしい。
随時空席状況が更新されるので、何度も何度もリロードボタンをクリックし空席を狙う旅人たち。
なんでも夜の9時10時頃、もしくは深夜2時頃に最新の空席状況が更新されるそうで、たまに格安の便が出現することもあるんだって。

格安の便を見つけて「よっしゃー!」と狂喜乱舞、名前などを入力しあとはクレジットカードの番号を入力するのみ、なんだけどカードが見当たらない!
あれ?どこいった?って探し出したときにはもうタイムオーバー。
すでに満席になっていたっていう悲しすぎる旅人も。

うわあ、モアイを見るのって大変なんだなって他人事としか見てなかったケンゾーとイクエ。
けれどあと2週間もするとハイシーズンは終了、チケット代も安くなると聞いてちょっと心が動きはじめた。
1人往復10万円くらいすると思ってたんだけど、5万円くらいで買えるらしい。
しかも、超有名で定番の観光スポットってどこも賛否両論あるものだけど、イースター島に関しては否定的な感想がない。
イースター島帰りの人に何人も話を聞いたけれど、みんな大絶賛。

みんなの話を総合すると、「モアイはまあまあだったけど、イースター島の島自体が最高に居心地がいい」んだそう。
え?イースター島ってモアイを見るために行くんじゃないの?!主役のモアイがまあまあじゃダメじゃん!って突っ込みたくなるけどね。
それこそ子どもの頃から本やテレビで何度も目にしてきたモアイ。
実際にモアイを見たら「あ、うん、あのモアイだ」って意外と冷静な感じなんだって。

モアイ以上にいけてるのが島での生活。
のんびり穏やかな日々、キャンプしたり魚釣りしたりとスローライフを楽しめるのがいいらしい。
夏休みみたいで最高ですよ!」なんて感想も。
旅人なんて毎日が夏休みやん!って突っ込んだけど、イースター島は特別なんだって。
う〜ん「夏休みの島」かあ、たしかに気になる。

イースター島に行くか行くまいか、結論を出せないままビーニャ・デル・マルへ。
毎日海鮮に舌鼓を打ちながらも気になるイースター島。
ラン航空のHPを何度もリロードし画面とにらめっこ。

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そしてふたりが出した結論は・・・。
チケット買っちゃった、イースター島決定!
往復で1人262ペソ、2人で合計10万円!
うっひょ〜、思いきっちゃったよ〜。
ラン航空のHPで国籍をチリに変更するとチケットが割安で購入可能。
 ただし、スペイン語表記なので翻訳サイトなどを利用しましょう。)


そして12日後、4泊5日のイースター島の旅のスタート。
朝7時前、偶然おなじ日程でイースター島を訪れるあすかちゃんと一緒にタレスを出発。
イースター島は物価が高いらしいので、みんなのバックパックには食料がぎっしり詰まっている。
もちろんワインも ♫

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タレスから歩いて5分の地下鉄Los Heroes駅前が空港バスの発着所。
空港までおよそ30分で1500ペソ(約290円)。
都会なのに空港までのアクセスが安いのは好印象。

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イースター島まではおよそ6時間のフライト。
LCCじゃないちゃんとした航空会社なので預け荷物は23kgまでOK。
重量がオーバーしないかハラハラすることもないし、機内持込みもかなりゆるい。
その気になればいくらでも酒や食料を持っていける。

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そして何よりもケンゾーが期待していたのは機内サービス。
LCCじゃないってことは機内食が出る。
しかも、イースター島の路線は国内線だけどアルコールのサービスがあるんだって!
缶ビールを何本も持って帰るっていうツワモノもいるらしい。
イースター島は酒も高いらしいからね、それはいいアイデアだ。
期待に胸を膨らませて離陸を待つ。
そして出てきたのは・・・

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離陸してすぐ出てきた朝食のオムレツとジュース、以上!
ええーっ、どういうこと!?
ランチは?!
お決まりのビーフですか?チキンですか?のやり取りは?!
ビールは?!ワインは?!
話が違うよ、どうなってるんだよー!

いくら待っても2回目のサービスがはじまる気配はなし。
けっきょく酒どころか、腹ぺこ状態でイースター島に着陸してしまった。
がっかりでテンションだだ下がり。

あとから聞いた話だと、じつは機内サービスは行なわれていた。
一人一人に配られた朝食以外にもサンドイッチなどが機内の最後尾でセルフサービスで提供されていたんだって!
何もアナウンスが無かったから後ろの席の人たちだけが気づいて食べてたんだそう。
ちゃんとアルコールもあったんだって。
そんなのあり?!
一言アナウンスしてくれればいいのに、ヒドい話だよ。

まさかの腹ぺこ状態でイースター島、スペイン語ではイスラ・デ・パスクア、現地の言葉ではラパ・ヌイに到着。
ちなみに、1722年にオランダ人が西洋人として初めてこの島に上陸。
その日がイースター(復活祭)だったので「イースター島」と呼ばれるようになったんだそう。

イースター島

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写真を撮ったりおしゃべりしたりと駐機場の上で思い思いに過ごすツーリストたち。
なんなんだ、この自由奔放な空間は。
夏休みのようなスローライフがすでにはじまっている。

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イースター島は島全体が国立公園になっている。
宿泊施設は島唯一の村ハンガ・ロアにしかない。
リゾートアイランドなのでホテルはそれなりの値段するけれど、1か所だけキャンプ場がある。
貧乏バックパッカーの心強い味方は「キャンピング・ミヒノア」。

テント持参だと1人1泊5000ペソ(約950円)。
それに携帯などの充電代として滞在中1グループ2000ペソ(約380円)が必要。
激遅だけど、一応Wi-Fiもある。

ほかのホテルと同じように空港のロビーにカウンターがあり、飛行機の到着に合わせてスタッフが迎えに来ている。
テント泊なら予約なしでも大丈夫。
スタッフが運転する車に乗ってキャンプ場へ。

海岸沿いにあるミヒノア、ロケーションは申し分ない。
白波を立て轟音とともにうち寄せる波涛。
どこまでも広がる絶海の太平洋をいつでも眺めることができる。

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そして、この島の主役がキャンプ場にも。
まさかこんなに早くお目にかかれるとは。
ひょとしてレプリカなのかな?

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かつて全体で1000体ほど造られ、今でも900体ほど島に残っているモアイ。
本物かどうかは分からないけど、意外と島中にゴロゴロしているのかな。

イースター島で楽しみにしているのは、日の出と夕焼けと星空。
朝日&夕陽に照らされるモアイと、星明かりに浮かび上がるモアイが見られたら最高。
こればっかりは天気次第だから運任せだね。

ここではサンティアゴのタレスで出会ったダイスケくん&マユミちゃん夫婦と再会。
早速みんなで夕日を見に行くことに。

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海岸沿いの道を2kmほど歩いて行く。
絶海の孤島のイースター島。
1年を通して波が高く、サーフィンに適しているんだって。
この日もたくさんのサーファーが波乗りを楽しんでいた。

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だいぶん太陽が沈んできた。
キラキラと光を反射し黄金色に輝く太平洋。
きょうは綺麗な夕焼けが見られるんじゃないの?

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しばらく歩いているとモアイが見えてきた。
ひょうひょうと立ち尽くしていて、なんだか思っていたよりもコミカル。
頭に載っかっている理科の実験で使う分銅みたいなものはなんだろう?

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へんてこりんな帽子のようなものは「プカオ」って言うんだって。
なんだか美味しそうな名前だね。
これは帽子じゃなくて、男性の結った髪の毛を表現してるんだそう。

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そして印象的なのがモアイの目。
これはイミテーションで再現されたものらしいんだけど、こんな風に目があるモアイはほとんど残っていない。
モアイはいったい何なのか?いまだに諸説あるみたいだけど、目をはめ込まれることで霊力を宿すと考えられていたんだって。

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やがて黄昏のとき。
シルエットになった並んで立つ5体のモアイ。
静かにたたずむ姿は、なんだか神々しくも見える。

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初日からきれいな夕日を見られてラッキー!と思っていたら、雰囲気をぶち壊すものが沖合に。
勘弁してくれよ、せっかくの美しい夕焼けが台無しだよ。

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この船舶はチリの軍艦。
なんでわざわざ夕日ポイントに停泊するかなあ。
観光でもってる島なんだから、ちょっと考えてくれてもいいのに。

軍艦は残念だったけど、夕焼け自体は素晴らしかった。
このあとも何度か夕日を見にきたんだけど、けっきょくこの日がいちばんきれいだった。

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モアイの島で再会を果たしたダイスケ&マユミ夫婦。
(ふたりのブログはこちら!→ひらたびより
じつはビーニャである約束をしていたんだよね。
それは・・・

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「イースター島 ピスコ御予約承りました。」

何よりも飲むことが大好きなダイスケくん。
満面の笑顔でピスコパーティーに招待してくれていた。

ていうか、ピスコ云々よりもめちゃくちゃ達筆な字のほうにビックリ。
これダイスケくん直筆。

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じつはダイスケくんとマユミちゃんは旅の先々で書道のパフォーマンスをしている。
マユミちゃんは小さいころから書道を習っていた経験者なんだけど、驚くことにダイスケくんはまったくの素人。
さいしょはマユミちゃんに教わって見よう見まねで書いていたダイスケくん。
マユミちゃん曰く、「下手くそだったんだけど、外国人のオーバーリアクションに調子にのって自己流の字体を編み出した」んだって。
「留め」や「撥ね」を大げさにするだけで外国人は大盛り上がりするらしい。
褒められて伸びるタイプのダイスケくんが、客も自分も気持ちのいいスタイルを求めた結果、こんな味のある字を書けるようになったんだって。
やっぱり褒めるって大事だね。
ケンゾーも褒められて伸びるタイプなんで、これからも褒めてね、イクエ。

ということで、夜は4人で酒盛り。
酒を飲むことにかけては妥協を許さないダイスケくん。
なんとイースター島にピスコを3本も持ち込んでいた。
ちゃんとレモンも準備していて抜かりはない。
本人は満面の笑顔なんだけど、爽やかさの欠片もないのが残念!

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この風貌のくせに、実はハリウッド映画デビューを果たしている。
アンジェリーナ・ジョリー監督の映画で、オーストラリアで撮影されたものに日本兵役で出演。
エキストラだったけど、数週間も撮影に参加し数十万円稼いだらしい!
ツワモノだ。
しかもスタンバイ中にホーミー(モンゴルの伝統喉歌)をやったらアンジェリーナ・ジョリーの目の前でやるようにお付きの者に命ぜられて実演。
アンジーに大絶賛されたらしい。

ケンゾーとイクエもメンドーサで買ったシャンパンを持ってきてたんだけど、もっと買っとけばよかったと後悔。
やっぱり楽しいひと時に酒は必需品。
多少呆れ気味の妻たちをよそ目にグラスを傾ける夫ふたり。
ダイスケくん、マユミちゃん、また一緒に酔っぱらう日を楽しみにしてるよ!

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サンティアゴから行ける秘湯(でもキツい!)

2015.05.13 05:42|チリ☞EDIT
社会人のときの「ゴールデンウィークの思い出」がないイクエです。
連休なんて関係なく働いていたからどこにも行けなかった。
お盆もしかり。
帰国したらゴールデンウィークを満喫できる仕事に就けるのかなあ。

ワインの産地、アルゼンチンのメンドーサからふたたびサンティアゴに戻ってきたイクエとケンゾー。
わたしには気になる場所があった。
そこはサンティアゴから北東へ100キロあまり。
「バーニョス コリナ(コリナ温泉)」と呼ばれる秘湯。

コリナ

これまでの旅でも「秘湯」には何度か行っている。
タジキスタンのワハーン回廊にある温泉もそうだった。
でも、今回が間違いなくもっとも「秘湯」じゃないかと思う。
だって、ヒッチハイクでめざすから。
でも田舎過ぎて、そこを通る車がないかもしれない。
たどり着ける自信は50パーセント。
日帰りできるかもしれないし、野宿しないといけないかもしれない。
不確定要素が多すぎる。
とりあえずテントと食料を持って行ってはみるけど。

だからサンティアゴの宿タレスを出るときも、ほかの日本人の宿泊客に「どこに行くんですか?」と聞かれて「温泉行ってくる!」と自信を持って答えられなかった。
だってたどり着けなくてその日に宿に戻ってくるかもしれないから。

「うーん、なんか温泉があるらしくて・・・。
 行ってみるけど、行けないかも。
 無事に行けたら、詳しく話すね。」
小声でモゴモゴっと濁しながら、宿を出た。

この温泉の情報は日本語でインターネット検索しても探せなくて、英語でも役立つようなサイトにはたどりつけなかった。
出てきたのはスペイン語のページだけ。
それをGoogle翻訳を使ってなんとなく理解した。

とりあえず地下鉄でサンティアゴの南のほうに行って、そこから出ている路線バスに乗れば温泉の手前80キロのサンホセ・デ・マイポという街まではたどり着けるっぽい。

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いらない荷物は宿に置いてきたのに、結局かなりの荷物をもってきてしまった。
野宿覚悟だから寝袋や食料もあるし、その場所の気候もわからないので一通りの防寒着も入れてきた。

期待と不安を胸に地下鉄に乗る。

チリの地下鉄車内はけっこうおもしろい。
テレビショッピング並みの饒舌な売り子(中年男性)がやってくる。
売り子1人が売る商品はひとつ。
歯磨き粉や生活雑貨などありふれたもの。
そして商品を客に見せながら堂々とした演説をはじめる。
「誰が買うの?」と思うけど、その熱い宣伝に客は引き込まれ、けっこう売れる。

それとパフォーマーたちも乗り込んでくる。
大音量で音楽を流し、耳障りなラップを歌う迷惑な若い兄ちゃんも、客からお金を集める。

この日の車内には、4人ほどのグループが乗り込んで来た。
アンプまでもっている。
そしてマイクスタンドまで。
ドラム、キーボード、ギター。
車内がライブ会場へ早変わり。
演奏してくれたアンデスらしい曲は、プロでも通用するうまさ。
拍手が起こった。

地下鉄での移動を楽しみながら「ラス メルセデス」という駅に到着。
ここから「サンホセ・デ・マイポ」行きのバスに乗り込む。

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運賃は800ペソ(約160円)。
バスに揺られることおよそ50分。
終点「サンホセ・デ・マイポ」で下車。

わたしたちのヒッチハイクはここから始まる。
まだ先にも集落がありそうなので、バスを乗り換えればもうちょっと先までは進めるかもしれない。
標識には21キロ先の集落名。
でも温泉まではここからまだ80キロもあるので、結局どこかでヒッチハイクをしないといけない。

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交通量は想像していたよりも多い。
これなら大丈夫かな。

10分もしないうちに、車が止まってくれた。

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温泉にたどり着ける確率50パーセント。
これが70パーセントくらいにアップした。

と思ったら、前進したのはわずか5キロ。
ふたたびヒッチハイク。

やっぱりまだ50パーセント。

そして2台目確保。

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刻んででもいい。
少しずつでも前進していけばいつかたどり着けるはず。
でも・・・。
「いつか」っていつだろう。

2台目は10キロほど進んでくれた。
でもここが最後の集落かもしれない。
交通量がぐんと減ってしまった。
通るのはトラックばかり。
なんで何もないはずのところに、こんなにも大型トラックが走っているんだろう。
ただの山道。
どこか大きな街へ通じているわけでもない。
抜け道になっているわけでもない。
工事でもやってるのかな。

結局つぎに乗せてくれたのは、トラックだった。

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トラックはどんどん坂道をあがっていく。
カーブも続く。
ついに舗装路から砂利道へと変わった。

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ドン!ドン!ドン!
体が上下に大きく揺れる。

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これは想像よりも「秘湯」かもしれない。

立ちはだかるアンデスの山。
山肌は赤や青、緑。
微妙な色合いをしている。

これこそが、この道にトラックが多い理由。

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不思議な色味の山は、鉱物が眠っている証拠。
このあたりには鉱物の採掘現場が点在している。
大型トラックが荷台にいっぱい鉱物を積んで、砂埃をあげながら下界に運んでいく。

ドライバーが言った。
「きょうも早朝からずっとこんな悪路を運転してるんだ。
 日が暮れるまで運転し続けるよ。
 きのうもそう。
 あしたもそう。
 積んでは運び、積んでは運び。
 2週間家を離れて働きづめ。
 1か月に一度、帰宅して家族に会えるんだ。」


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くねくねとまがったデコボコ道。
上り坂。
スピードは20キロくらいしか出せない。
大きな石を踏んでしまったり、ヘコんだ地面にハンドルを取られたりしたら横転の危険もある。
それに、見える景色は雄大だけど、荒々しく寂しげで、この世の果てのような雰囲気も漂っている。
それをひとりで10時間近くも運転し続けるというのは、過酷な仕事。

1時間あまり車に乗せてくれた。
車が着いたところは採石場。
たくさんの大型トラックが出たり入ったりしている。
お礼を言って、すかさず後ろに止まっていたトラックのドライバーに声をかけてみる。

「いいよ、乗りな!」

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ここからはずーっと悪路。
上り坂なのでスピードはものすごく遅い。
砂利道の急斜面は頭を天井に打ちつけそうになるし、踏ん張らないと体を後ろにもっていかれそうになる。

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そんななかでもドライバーのおじちゃんは、笑いながら話をしてくれる。

「ほら、あの山、写真に撮った方がいいよ。」「あの小屋は遊牧民の家で、手作りのチーズも買えるんだよ。うまいよ!」

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彼にもまた妻や子どもがいて、連日この過酷な道を運転しつづけて、1か月に数日間だけの休暇中に家族と過ごすのだそう。

一般車なんて通らない道。
だけど砂埃にまみれた大型トラックがひっきりなしに何台も通る。
この辺りに眠っている鉱石はチリ経済を支えるもの。
一部道路工事が行なわれているところもあり、もう少ししたらトラック用に道路が舗装される予感がする。

今にも崩れそうな斜面に、へばりつくようにして行き交うトラック。

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おじさんとは分岐点でお別れをした。
おじさんは左に、わたしたちはまっすぐ。

ここでもヒッチハイクに挑戦していたんだけど、まったくトラックが止まらない。
気づいたら、ここから温泉までの道中には採石場はないのでトラックは通らないのだった。

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頼みにしていたトラックがないとしたらー。
選択肢は2つ。

1、温泉に向かっている一般車両をつかまえる
2、歩いて行く

ここから温泉までは7キロ。
歩けないこともない。
でも悪路の移動でけっこうヘトヘト。
さらにもう午後5時近く。

できることなら車に乗せてもらいたい!

でもすれ違うのは車じゃなく・・・。

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ガウチョ(南米のカウボーイ)。
こんなところで馬だけでどうやって暮らしてるんだろうって思うんだけど、たまに板で作った簡素な小屋があって、ヤギが飼われている。
ヤギが食べる草もそんなに生えてそうにないんだけど、ちょぼちょぼっと岩間に生えているところもある。
どうして彼らがここを生活基盤にしているのかわからないけど、先祖がここにたどり着き、ここで暮らすようになったのだろう。

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緑が少なく水も豊かでなく不毛で、街からも離れている不便な場所。
世界を旅していて、こんな場所で暮らす人を見かけるといつも疑問をもつ。

「なんでわざわざこんなところに?」
「もっと暮らしやすい場所があるだろうに」

でもそれは愚問なんだということを、エチオピアのダナキルで悟った。

わたしがガイドに尋ねた。
「どうして彼らはこんなところでわざわざ暮らしているの?
 彼らの先祖もなぜ暮らしやすいところに移動しようって思わなかったんだろう。」

「だって、ずーっとこんな風景が続いているんだよ。
 何十キロ、何百キロ歩いたところで変わらない。
 移動しても環境が変わらないなら、ここに住むしかない。」

この時代に日本で生まれ育ったわたしの距離感の尺度。
それは車や電車、ときには飛行機。
車で2時間くらいの距離だったらなんてことはない。
だけど車がなければ、その移動は一生に一度あるかないかの大移動になる。

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彼らとわたしの世界の範囲はまったく違う。
彼らの生きる世界は、わたしからするととても狭い。
そして、気が遠くなるほど広い。

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けっきょくわたしたちは、ときおりガウチョとすれ違うだけで、車には乗らずに歩いて温泉にたどり着いた。

だいぶ太陽も傾いてはいたけれど、ロケーションも雰囲気も「秘湯」にふさわしいものだった。

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たどり着けるかどうか不確定のまま目指した、このコリナ温泉。
なんとか今日中にたどり着けてよかった!

こんな秘湯の風情漂うところなのに、ちゃんと管理人がいて入湯料が徴収される。
しかもけっこう高い。
ひとり8000ペソ(約1600円)。
管理人のおっちゃんはアンデスの先住民族のようで、髪は長くてボウボウでほころんで汚れた服を着ていた。
この辺に住んでいる人が小遣い稼ぎで勝手に入湯料を徴収してるんじゃないか、外国人だからぼったくっているんじゃないか、と最初怪しんでしまったけど、正規の料金だった。
疑ってしまって反省。
「お金に困っている先住民の人」「ほかの多数派のチリ人や外国人と敵対している人たち」という色眼鏡が、自分の中にあったのかもしれない。

8000ペソはチリの物価からしてもかなり高いけれど、24時間利用することができる。
つまりテントを張って宿泊し、何度もお湯に浸かっていいということ。
ほかのキャンプ場みたいにキッチンスペースや電気があるわけではないけれど、それでも好きなときに好きなだけ温泉に入れる。

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この日は、わたしたち以外外国人はいないようだった。
みんなマイカーで来ていて、テントや車内に泊まってゆっくりと温泉に浸かる。
日本みたいに裸で入るわけではない。
水着なんだけど、それでも湯の中ではしゃいだり泳いだり騒いだりはしない。

ぼーっと浸かる。

日本人の温泉の楽しみ方と似ている。

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チリは火山の国。
富士山そっくりの形の山がたくさんある。
いろんな火山がいろんな場所にあって、よく噴火もしている。
そして温泉がいっぱいある。
だから、チリ人は日本人みたいに温泉ツウ。

青みがかった乳白色のコリナ温泉。
湯船は段々畑のようになっていて、上から下へと流れている。
源泉から直接お湯が流れ込んでくる上の湯船が熱く、外気にさらされる時間が長くなる下の湯船ほどぬるくなっている。

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わたしたちはいちばん上、もしくは上から2番目がちょうどいい湯加減。
日本人は外国人に比べて熱いのが好きっていわれるけど、1番か2番目の湯船を気に入っているチリ人も多かった。

湯船に浸かりながら、日没を迎えた。
目の前に迫っていた山々が、陰しか見えなくなった。

いったんテントに戻って夕食とワイン。
それからまた温泉へ。

電気がないので懐中電灯で足元を照らす。
頭上には満天の星。

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ワインで酔っぱらったわたしたちは、テントでひと眠りして午前2時くらいにいったん目が覚めた。
そしてまた温泉へ。
びっくりしたのは、その時間にも湯船に浸かっている人が減っていなかったということ。
みんな星を眺めながら温泉でぼーっとしている。
どんだけ温泉好きなんだ。

この日、ここに来ている人は多くなく、さっきと同じメンバー。
徹夜で温泉に浸かるつもりなんだろうか。

30分ほどしてわたしたちはテントに引き返し、湯冷めしないようにすぐに眠った。

そして迎えた朝。

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きょうも快晴。
少しずつまわりの山々が日の光を浴びて姿を現してくる。

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この場所は朝夕は冷え込む。
水着になって「さむい!さむい!さむい!」と言いながら、足早に湯船に駆けて行って、ちゃぽ〜ん。
ああ〜、あったかーい!
しあわせ〜!!

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天然の打たせ湯もある。
雄大なアンデスの山を見ながらのぜいたくな時間。

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アンデスの山に囲まれているので、温泉は日陰になっている。
きっと太陽が真上に来るお昼ごろには温泉も日向になって、その時間にはぬるい下の湯船が人気になるのかも。

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きのうここにたどり着くのに1日かかったから、帰るのにも時間がかかりそう。
もうちょっとゆっくりしたいけど、そうはいかない。

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せっかく温泉で疲れが取れたのに、荷物を背負ってトレッキング。
汗を流したばかりなのに、また汗が吹き出す。

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トラックが通る道路まで出てヒッチハイク。
止まってくれたのはタンク車。
採石場に水を運ぶトラックだった。
鉱物を洗ったりするのに水を使うのかな。

山間に小川があり、そこでトラックはストップ。
ここから水を汲み上げるみたい。

そしてわたしたちもここでトラックを降りた。

トラックが通るたびに親指を立てるんだけど、ぜんぜんダメ。
時間だけが過ぎていく。
あまりにも車が止まってくれないから、洗っていた洗濯物を干して乾かす余裕まであった。

場所が悪いのかなあと思って、300メートルほど先まで歩いてやってみたけどダメ。

そしてついに、わたしたちは拾われた!

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拾ってくれたのは大型トラックではなくて、近くの火力発電のエンジニアスタッフの車。
なんと彼、来日経験があってわたしたちが日本人と知ると大興奮。
お昼休みに近くの集落までご飯を食べに行く途中だったんだけど、わたしたちの目的地であるサンホセ・デ・マイポまでわざわざ送ってくれた!
彼の目的地よりも3倍くらい先まで。

エンジニアの彼は、以前「三菱」に招かれて日本に2週間くらい行ったんだって。
視察目的だったけど、たくさん接待されて日本のいろんな観光地に行っておいしいものをご馳走になってめちゃくちゃ楽しかったらしい。

いちばん好きだった和食は「しゃぶしゃぶ」。

日本でいちばん感心したことは、ゴミがなくきれいなこと。
一般家庭の庭の木だけでなく、街路樹まで剪定されていたことにびっくりしたらしい。
チリだと車を運転していても、道にせり出した街路樹に車体が当たることがしょっちゅうだけど、日本ではそれがない。

「高速道路の中央分離帯に等間隔で木が植えてある。
 どうして?
 あんな車がビュンビュン走るところに行って、わざわざ庭師が剪定するんでしょ。
 同じ高さで、きれいな形に剪定してある。
 あれ、おもしろいよねえ。
 クレイジーだねえ。
 それが何十キロも続いてるんだから。」

そして日本であまり好きになれなかったのはトイレ。

「最初、間違えてウォシュレットのボタンを押したらさあ、
 ビューッとお尻の穴にお湯が飛んで来て飛び上がったよ。
 もう、びっくりした!
 でもウォシュレットはいいと思うんだよ。
 好きになれないのは、便座が温かくしてあること。
 気持ち悪いね。
 俺は冷たいままが好き。
 それをなんでわざわざ温かくするのか。
 温かいのってさあ、人が座った直後みたいじゃない?
 前の人が長い間そこに座ってうんこしたあとで、ぬくもりが残ってるような。
 そんなことを想像してしまうよ。」

やっぱり日本っておもしろい国だ。

彼のおもしろ話であっというまにサンホセ・デ・マイポの街に到着。
ここからバスと地下鉄を乗り継いで夕方前にはサンティアゴに無事到着。

サンティアゴに滞在するなら、アンデスの山々に囲まれた秘湯「コリナ温泉」に足を伸ばして癒やされるのはいかが?
雄大な景色と満天の星空を見ながらの打たせ湯は最高。
ただし、行って帰るのにすっごく疲れるけどね。


【旅 info.】
  コリナ温泉a_DSC_6979.jpg
地下鉄「ラス メルセデス(Las Mercedes)」の駅へ。
駅前から「サンホセ・デ・マイポ(San Jose de Maipo)」行きのバスに(800ペソ)。
トラックはたくさん行き来しているので車はつかまるが、土日は少ないかも。
その分温泉に行く一般客の車がつかまりやすい可能性も。
コリナ温泉の手前に「バーニョス モラレス」という別の温泉もあるので2泊3日で1泊ずつするのもいい。
サンティアゴの北にColinaという別の街がありそこにも温泉(Termas de Colina)があるので間違わないように。
コリナ温泉は24時間営業で入湯料8000ペソ。
情報がないのでこれ以上わからないけど、ほかにいい行き方があるかも。
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ワイナリー巡りよりもスーパー通い

2015.05.10 12:56|アルゼンチン☞EDIT
連日NHKの朝ドラと日本のニュースを観ているケンゾーです。
いまボリビアに移住した日本人のお宅にお邪魔しています。
NHKを観ながら和食を食べる毎日。
日本を離れ地球の裏側で暮らしている方から日本の最新情報を教えてもらっています。

絶景を眺めながらヒッチハイクでたどり着いたアルゼンチン・メンドーサ。
ここに来た目的はただひとつ、ワインを飲むこと。
アルゼンチンのワイン造りのメッカであるメンドーサには、ボデガと呼ばれているワイナリーが3000以上もある。
ボデガ巡りをしながらワインテイスティングを楽しむのがメンドーサ観光のハイライト。

さっそくワインを飲みに繰り出そう!
の前に、まずは腹ごしらえ。
手頃なレストランがあったのでランチタイム ♪

チリよりも肉が安いので、アルゼンチンではここぞとばかりに肉を食べる。
ミラネサという南米版のカツレツが70ペソ(約700円)。
けっこうボリュームがあるのでふたりでシェア。

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そして、もちろんワインもオーダー。
格段に安いワインを注文してみた。
出てきたのはデキャンタに入ったハウスワイン。
デキャンタといっても、水差しのようなポット。
ちゃんとボトル1本分くらい入って20ペソ(約200円)。

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味もそんなに悪くないのでかなりリーズナブル。
ほかにも「ツーリスタ」という銘柄の30ペソぐらいのボトルワインもあった。
ツーリスタはメンドーサのほとんどのレストランに置いてある。
さすがワインの本場、レストランでも手軽にワインを楽しめるのがいいね。

安いワインでウォーミングアップは終了。
おいしいワインを求めて、ボデガ巡りのスタート ♫
宿からそんなに離れていないところにボデガ「TONELES」を見つけたので、手始めにそこから。
こんな住宅街のど真ん中でほんとにワインを造っているのか?
半信半疑で歩いてボデガをめざす。

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あ、ほんとにあった!
広い敷地にはちゃんとブドウも栽培されている。
たわわに実ったブドウの実、ワクワクするねえ。

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外観と比べるとちょっと殺風景な店内。
まあ、ワインさえおいしければ関係ないけどね。

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「TONELE」とは「トンネル」のこと。
このボデガではその名の通り、いくつもあるトンネルの中でワインを熟成・保存。
それぞれのトンネンルの番号が銘柄になっている。

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テイスティングコースは60ペソ、80ペソ、120ペソの3種類。
もちろん値段が高いほどいいワインを試飲することができる。
でも、いちばん安くて600円はちょっと高い。
南アフリカのステレンボッシュでは300円くらいから試飲できたからね。

ケンゾーとイクエがチョイスしたのは、もちろんいちばん安い60ペソコース。
試飲できるのは白2杯と赤1杯の3杯。
なんか量が少なくてちょっと残念。
ステレンボッシュのワイナリーはもっとドボドボ注いでくれたけどなあ。

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チーズやナッツなどのおつまみが付いてるのは嬉しいけど、ワインとつまみの量がアンバランス。
これじゃあつまみが余っちゃうよ。
こんな愚痴をこぼすなんて、ケチかなあ?

でもワインもつまみもおいしかったよ。

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つづいて本格的にボデガ巡りを楽しむために、路線バスに乗ってマイプーという地域へ。
メンドーサの路線バスはプリペイドカード制。
新規に作るのは面倒くさいけど、宿で出会った日本人夫婦から使い終わったカードを譲ってもらっていた。
その夫婦も別の旅人から譲ってもらったんだそう。
こういうふうに旅人の輪が繋がっていくのっていいよね。

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マイプー行きのバスはいくつかある。
運悪くマイプーの外れにしか行かないバスに乗ってしまった。
ボデガまで4kmほど歩くはめに。

歩くケンゾーとイクエの横を何台もの自転車が颯爽と通り過ぎていく。
彼らももれなくツーリスト。
マイプーではレンタサイクルでボデガを巡ることがポピュラー。
ボデガの割引券を付けてくれるレンタルショップもある。

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ケンゾーとイクエもレンタルすることを考えたけれど、自転車の運転に一抹の、というかかなりの不安があるイクエ。
酔っぱらって自転車に乗ることが怖かったので足を使うことに。

1時間近く歩いてようやく到着。
と思ったら、なんと閉まってる!
なんてこった、がっかりだよ。

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気を取り直して近くのボデガへ。
やって来たのは「Vina el Cerno」。
たどり着いたはいいけれどなんだかボロいし、看板の文字は取れてるし、かなり頼り無さげ。

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敷地内もワイナリーというよりは田舎の農家っていう感じ。
いままで見てきたワイナリーと比べるとかなりショボい。
大丈夫かな?
そもそも営業してるのかな?

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不安を抱えながら奥へと進むと、駐輪してある自転車がたくさん見えてきた。
あ〜よかった、先客がいる。
ちゃんと営業してるみたいでひと安心。

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店内はワイナリーというよりはカントリーテイストのカフェのよう。
客もみなカジュアルな服装で、堅苦しさはまったくない。
気楽な雰囲気で、これはこれで悪くない。
値段も気楽な価格だったら言うことなしなんだけど。

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赤白2種類ずつ合計4杯の試飲で50ペソ(約500円)。
1軒目と違ってけっこう注いでくれた。
ちょっとしたことだけど、心意気を感じて気持ちがいい。

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ここのワインは当たりだった。
値段の割に重厚感があるしっかりした味。
飲み応えがあってケンゾーとイクエ好み。
お土産用に2008年もののマルベックを115ペソ(約1150円)で購入。

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ワインの味には満足だけど、やっぱりテイスティングの料金が高いって思っちゃうなあ。
2人ぶんでほぼボトル1本分だからね。
なかなかいい商売だよ。

さらに次のボデガへ。
モダンでなかなかオシャレな外観の「MEVI」。

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敷地内に入って目に飛び込んできたのはブドウ畑、ではなくオリーブ畑。
ブドウが育つところではオリーブも育つのかな。
ワインとオリーブの相性は抜群だもんね。

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ここのテイスティングも50ペソ。
味は・・・記憶が残ってない。
たぶん可もなく不可もなくって感じだったんだと思う。
だってワインよりも印象的なものを発見しちゃったんだよね。

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飲み終わって外に出ると、ピーピーと何かの鳴き声らしきものが聞こえてきた。
なんだろうと周囲に目を凝らすと・・・あっ、なんかいる!

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フクロウだ!
まだ小さくて子どもだと思うけど、目が鋭くてかっこいい!!
こんなに間近に野生のフクロウを見られるなんてラッキーだ。

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近づくと子どもながらに目をひんむいて威嚇。
かわいいなあ。
よく見るともう1羽いた。
兄弟かな?

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ワインよりもフクロウに興奮して終了したボデガ巡り。
やっぱり値段がちょっとネックかなあ。
500円以上するので、どうしてもお得感は乏しくなる。

そんなワインは楽しみたいけど、ケチくさいケンゾーとイクエが出した結論。
メンドーサではボデガ巡りではなく、スーパーでワインを買ってエアコンの効いた宿でゆっくり飲む!
ワインの街だけあってスーパーで安く買えるメンドーサ。
ただでさえ安いのに、もっと安く買える店を発見。
倉庫のような店で卸売りスタイルのこの店、ワインに限らず何でも安い。
業者などが大量に買っていくのでカートもこんなにビッグ!

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ボデガではなくこの店に連日通ってワイン三昧。

さらにガイドブックに載っていた、食べ放題のレストランが気になったので行ってみることに。
中国系の人が経営している「Las Tinajas」。
中華料理も食べられるらしい。
食べ放題1人127ペソ(約1270円)。

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アルゼンチンらしく、ステーキコーナーも。
いろんな部位の分厚い肉がジュウジュウと焼かれている。

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もちろんここでもワインといっしょに。
こんなレストランでも500円くらいでボトルワインを注文できる。

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デザートも充実。
「デザートは別腹」って言ったって限界がある。
たくさん食べたいけど、お腹いっぱいで苦しい!

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メンドーサからサンティアゴへ戻る日。
やっぱり今回もヒッチハイクで。

まずはメンドーサの郊外の幹線道路まで路線バスで移動することに。
でも、乗ったバスは住宅街の細い道をノロノロ運転で走っていく。
寄り道しながらたくさんの乗客を乗せるので、街を出るのに2時間弱もかかってしまった。
ようやくバスを降りて、1kmほどさきの幹線道路まで歩いていく。
メンドーサらしく、ここにもブドウ畑。

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幹線道路に出て、ヒッチハイクのスタート。
すでに午後2時を過ぎている。
今日中にサンティアゴにたどり着けない可能性が高くなってきた。
途中で野宿しないといけないかも・・・。

するとそんなに長く待たないで、1台の車が止まってくれた。

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ワインのブドウ畑で働いている男性で、ちょうどきょうは仕事を終えて帰るところ。
真っ青な湖の近くに男性の住む集落がある。
ここで降ろしてもらった。

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交通量は少ない。
するとすぐ近くに車を停めてしばらく休憩していた車が発進。
休憩しながら、ケンゾーとイクエがヒッチハイクをしているのをずっと見ていたはず。
淡い期待と不安を抱えて「乗せてください」アピール。
するとー。

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ありがたい!
乗せてくれた〜。

男性二人組。
運転しているのは30過ぎくらいに見える男性。
そして助手席には60歳くらいに見える男性。

「親子ですか?」と聞いたら、違った。

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なんと「夫婦」だって!
歳の差30歳くらいに見えたけど、実年齢はそんなに離れていなかったみたい。
若く見える男性はチリ人で、助手席の男性はアメリカ人。
ロンドンのバーで出会い、ロンドンで恋に落ち、ロンドンで籍を入れたんだって。

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2人でチリで新生活を送ることにして、2か月前にサンティアゴに引っ越したのだそう。
チリ人の男性のほうは、お医者さん。
HIVなど感染症が専門なんだって。
アメリカ人の男性のほうは、まだスペイン語も話せなくてこれから仕事を探すそう。
好きな人との新生活のために、言葉もわからず仕事のあてもないチリに来た、その思い切りがすごい。

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南米最高峰アコンカグアのすぐ近くを通るこのルート。
アルゼンチン ー チリの国境はアンデスの山を越えていく。
といっても、いまはトンネルが通っている。
トンネルができる前は、オフロードのくねくねの道を登り、そして下らなければいけなかった。
いまはトンネルをくぐり10分で行ける道も、旧道なら1時間もかかった。

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もちろんきょうもトンネルー。
ではなく、わざわざ旧道を行くことに。
ラブラブカップルが、景色のいい、でもオフロードで大変な道をどうしても走ってみたかったらしい。

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どんどん坂道を上っていき、山頂に到着。
ここが昔の国境。
今でもアルゼンチンとチリの国旗がはためいている。

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標高はどのくらいあるんだろうか。
外に出ると痺れるぐらい寒い!!
ダウンジャケットを急いで着込む。

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山頂からまた峠道を下っていく。

うお〜。
あの道をこれから下っていくのかあ。

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向こうには山、また山。
同じような山だけど、遠くの山ほど色が淡くなっている。

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アンデスの山々を見ながら、チリに入国するころには日暮れを迎えた。
結局ナイスカップルは、ケンゾーとイクエが泊まるホステル「タレス」のすぐ近くまで送ってくれた。

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午後11時。
慣れ親しんだタレスに到着。
カップルと出会えて長距離乗せてもらえたから、なんとか今日中にサンティアゴにたどり着くことができた。

おやすみなさ〜い。
あしたは秘湯に行くぞ!
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アコンカグアの絶景国境越え

2015.05.09 08:24|アルゼンチン☞EDIT
最近、帰国したら何しよう〜ということばかり考えているイクエです。
どうやって生計を立てていくか。
夫婦住み込みで寮の管理人でもやるか、住み込みで旅館の仲居をするか、それともテレビ系の仕事に戻るか、家庭教師でもするか、野菜でも育てるか・・・。
昔旅人だった人、いま何してるんですかね。
アドバイスお願いします。

サンティアゴでのんびりしているイクエとケンゾー。
じつは、ふたりにとって気になる街があった。
でもそれはアルゼンチンにある。
アルゼンチンの西側、サンティアゴからもそう遠くないメンドーサという街。

メンドーサ

なぜこの街が気になるかというとー。

ワインの生産地だから!

日本だとどちらかというとチリワインのほうが有名。
でもアルゼンチンは負けてないどころか、生産量はチリを凌いで世界第4位。
こっちではチリ産よりもアルゼンチン産のほうが安く、半額くらいで買える。

そんなアルゼンチン産のワインのラベルを見ると、ほとんどがメンドーサのワイナリーのもの。

いくつもワイナリーがあるメンドーサでは、ワイナリー巡りをしてテイスティングが楽しめるんだって ♪

サンティアゴをヒッチハイクの目的地にして、ヒッチハイクをやめていたイクエとケンゾーだけど、ふたたびヒッチハイクに挑戦することにした。

といってもサンティアゴは車が行き交う大都会。
乗っている人たちがどこをめざしているのかわからない。
確実にメンドーサ方面へ向かう車を拾うために、地下鉄と路線バスに乗ってサンティアゴから30キロほど北にあるコリナという街へ移動。
ここから国境に通じている道に立てば、車を拾えそう。

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路線バスで到着したコリナ。
洗練されたサンティアゴと打って変わって、雑多でやぼったい町。
ちょっと離れただけなのにこうも違うのかあ。

アジアやアフリカで見かけるようなほったて小屋の屋台を発見。

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この雰囲気、なんかおもしろい。
気になるのでここで朝ごはん食べようかな。
飲み物を注文したら、おじさんが顔を出して「ここから好きなの取って、そこのお湯をいれてね」だって。
おじさんが指しているところを見たら、10種類くらいのティーバッグが置いてあった。

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紅茶、ミント、カモミール、シナモン、レモン・・・。
そして足元には小さな炭のストーブがあり、その上でヤカンが湯気を立てている。

ほのぼのとしたセルフサービスのカフェ。
1杯200ペソ(約40円)。

注文したのはチーズサンドウィッチ(1300ペソ 約260円)と鶏のささみサンドウィッチ(1200ペソ 約240円)。

シンプルだけどおいしい。

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「良い旅を!」

屋台を出て、すこし歩く。
見上げるとハイウェイが走っている。

斜面をよじ登って、ハイウェイに出た。
車がビュンビュン通って少し怖いけど、ここでヒッチハイク。

20分後に1台の車が止まってくれた。

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車の目的地はここから60キロほどのロス・アンデス。
アルゼンチンとの国境の手前の街。
男性の車には、洗剤や石鹸、掃除用の消毒液などが積まれている。
これをロス・アンデスまで配達するのが男性の仕事。
ロス・アンデスではさらに大きなトラックが待機していて、そこに届けられた商品を積み込んで国境を越えてアルゼンチンに運ばれるんだって。
つまり輸出されるってこと。

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わたしたちが日本人だと知ると、ビックリして大喜びしてくれた彼。

「ええっ!日本!?
 日本好きなんだよ〜。
 日本製は車も機械も、抜群にいいね。
 メンドーサからまたサンティアゴに戻ってくるの?
 じゃあ、今度どこか行こうよ。
 どこにでも連れて行くから。」


おおはしゃぎ。
奥さんに電話をかけてわたしたちのことを紹介してくれた。

「いまね、日本人乗せてるんだよ!
 ほら、しゃべってみて。」


突然の電話にびっくりしている奥さん。
つたないながらもスペイン語で挨拶。

なんかよくわかんないけど、日本人ってだけでこんなに喜んでくれてありがとう。
バングラデシュやイランの旅を思い出す。

「この道をまっすぐ行くとアルゼンチンだから、ここで次の車をつかまえるといい。
 また、連絡してね。
 チャオ!」

「グラシアス!
 チャオ!!」

車を降りたのは旧道。
携帯電話で地図を見ると、少し離れたところにハイウェイが走っていた。

「アルゼンチンに行く車は、この狭い旧道よりもハイウェイを通るんやない?
 がんばってハイウェイまで歩いて移動しよう。」

ハイウェイまでやってきたわたしたち。
ぽつーん。

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新しくできたばかりの道らしく、車はほとんど通らない。
たまに通っても、止まってくれない。
どうやらここを通るほとんどの車は2キロ先の出口からハイウェイを降りることにしているようで、この道をずっと走って長距離移動する車は少ないみたい。

「やっぱり旧道に戻ったほうがいいんやない?」

わたしたちはまたトボトボ歩いて旧道に戻った。
移動するのにあわせて4キロ以上は歩いた。
1時間あまりのロス。

ヒッチハイクは、車をつかまえるだけでなく、ヒッチハイクするのにふさわしい場所を見つけるのに苦労する。

旧道に戻った結果ー。

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無事、次の車に乗せてもらえた!
最初からここで待っていればよかった。

乗せてくれたのは道路整備の技術者の男性の赤い車。
ここを通る10台に1台は同じ赤い車。
たくさんの人がこのあたりで働いているんだって。

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近くに社員寮があるらしく、みんなそこで寝泊まりしているみたい。
1週間単身赴任で働いて、数日間の休日に実家に戻って奥さんや家族と過ごすらしい。
なかなか大変な仕事。

「ここだと車が見つけやすいよ」とガソリンスタンドで降ろしてもらった。

10分ほど待っていると、次の車が止まってくれた。
また、赤い車だった。

赤い車の人、やさしい!!

チリからアルゼンチンへ抜けるこのルート。
雄大なアンデスの絶景を感じられる道として、旅人のあいだではちょっと有名。
迫力のある岩山が目前に迫ってくる。

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山に挟まれた道から、今度はつづら折りの道へ。
じわじわと標高を上げていく。

「ほら、ここ撮影スポット。
 道が曲がっててすごいだろ。」

わざわざわたしたちのために車を止めてくれた。

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「うわ!ほんとだ。
 パチンコ玉を転がしてみたくなる。
 ミニカー用のおもちゃの道みたい。」


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そのあとも、真っ青な湖をわたしたちに見せるためにちょっと寄り道してふたたび車をとめてくれた。
彼はわたしたち旅人にやさしい。
そんな彼はサイクリスト。
自転車でチリ北部のアタカマ砂漠を旅したりボリビアのウユニ塩湖に行ったりしていて、旅人でもある。
カウチサーフィンのホストもやっていて、外国からのサイクリストを家に泊めてあげることも多いんだって。

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きっとここで何度も仕事中にヒッチハイカーを拾ってあげてるんだと思う。
わたしも旅人を卒業して帰国したら、旅人に優しい人でありたいなあ。

「ここは、冬はスキーができるんだよ。
 ホテルもあるし、ほらリフトもある。」


わたしたちが走っている道路の頭上には、たしかにリフトがある。
冬は道路は雪で覆われて雪の斜面になり、リフトが稼動するんだって。
そのときは車は別の道を走るらしい。

チリのサンティアゴから少し離れたところでスキーができるなんてちょっと意外。
でもたしかにこんなアンデスの山々なら、雪が積もるのも納得。

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チリ側のイミグレーションが見えたところで彼とはお別れ。

「グラシアス!」

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ここの国境のイミグレーションはちょっと変わっていた。

普通なら国境を挟んで、手前にチリのイミグレーションがあり、そこにはチリ人の入管スタッフがいてチリの出入国スタンプを押す。

そして国境を超えたところにアルゼンチンのイミグレーションがあり、そこにはアルゼンチンの入管スタッフがいてアルゼンチンの出入国スタンプを押す。

だけどここでは、チリ領のイミグレーションオフィスにチリとアルゼンチンのスタッフ両者がいる。
アルゼンチンからチリに入る場合、チリ領にあるイミグレーションセンターでアルゼンチンスタッフに出国スタンプを押してもらい、チリのスタッフに入国スタンプを押してもらう。

逆にチリからアルゼンチンに入国する場合、このイミグレーションオフィスはそのまま素通りして、アルゼンチン領にあるイミグレーションに立ち寄る。
アルゼンチン領にあるイミグレーションで、チリ人スタッフに出国スタンプをもらい、隣に座っているアルゼンチンスタッフに入国スタンプをもらう仕組み。

つまりふたつのイミグレーションオフィスは、国で住み分けをしているんではなくて、通行人がチリ→アルゼンチンに抜けるのか、アルゼンチン→チリに抜けるのかで住み分けをしている。
イミグレーションオフィスをそれぞれの国がもっているのに、共同運営していることになる。

そのことを知らなかったわたしたち。
建物に入っても「ここでチリの出国スタンプは押せない」とか「ここから10キロくらい先に進んだところにあるオフィスで手続きしなさい」なんて言われる。

チリの出国スタンプをもらわないままに出国して、アルゼンチンに入国して大丈夫なの?と不安になったけれど、みんながそう言うからそうするしかない。

ゲート前にいたガードマンのおっちゃんに言われた。
「おまえたちアルゼンチン領のイミグレーションオフィスに行きたいんだろう?
だったらここで車をつかまえるしかないな。
ここを通るトラックに交渉してやるから、任せときな!」


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きっと毎日のようにヒッチハイカーがここをさまよい、ここで新たな車を拾うのだろう。
おじちゃんは慣れていた。
すぐにやってきたトラックのドライバーに声をかけている。

同じ種類のトラックが2台いっしょにやってきたので、わたしとケンゾーはそれぞれの車に乗せてもらうことになった。

並走する同じ型のトラック。
ケンゾーがパシャリ。

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アコンカグアという名山がある。
山好きの人しかピンとこないかもしれないけど、アンデスの主峰で有名な山。
標高6960メートル。
南米最高峰であるばかりか、アジア以外の大陸でいちばん高い山でもある。
キリマンジャロよりも1000メートルも高い。

そのアコンカグアのすぐ近くにこの道路が走っている。

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こんなに晴れているのに、空気が冷たいのは標高が高いから。

わたしとケンゾーを乗せたトラックが、路肩に止まった。
ここはどこだろう。

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「アコンカグアの登山口だよ。」

もちろんわたしたちは登らない。
もちろんドライバー2人もそのことを知っている。

彼らはわたしたちにアコンカグアの姿を見せてあげようと、わざわざ止まってくれたのだった。

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左側の奥にちょっとだけ見えているのがアコンカグア。
うっすら雪化粧している。
ここからだと先端が尖ってなくて丸みを帯びているので、そんなに高そうな山には思えない。
でも、登頂するには2週間近くかかるんだって。
高山病と闘いながら2週間歩き続けるなんて無理!

真ん中の奥のなだらかに見える山がアコンカグア。

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アコンカグアを過ぎて、すぐのところにアルゼンチン側のイミグレーションがあった。
わたしたちは出入国手続きに時間がかかるので、ドライバーたちとはここでお別れ。

わざわざ撮影スポットに立ち寄ってくれてありがとうございました!

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すでにチリから出国して数キロ進んでいるけど、ここでようやくチリの出国スタンプをゲット。
そしてアルゼンチン入国スタンプも。

無事に出入国手続きができ、ふたたびヒッチハイク再開。
それが、なかなか車が止まってくれない!

「場所が悪いのかなあ」「車を止めにくいのかなあ」「もうちょっと離れたほうがいいかなあ」
とりあえず1キロ2キロ先まで歩いてみることにした。

すると、たくさん車が止まっていて、みんなが記念撮影をしている場所にたどり着いた。
なんだここ?
観光スポットのようだけど。

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茶色い川が流れ、周りは鍾乳洞のようになっている。
プエンテ・デル・インカ

この正体は温泉。
硫黄が造り出した奇妙な地形は「ナチュラル・モニュメント」と言われている。
あのチャールズ・ダーウィンもこの地形に魅せられて、この場所のことを本に著しているんだって。

100年前には、ここに温泉施設やホテルが作られたのだそう。
今は使われていないけどその名残がある。

岩と岩に挟まれたように建物が残っている。

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ワイルドな温泉。
今も入れたら、最高なのにねえ。

観光スポットなので車はたくさん通るのに、なかなか止まってくれない。
ヒッチハイクをしているわたしたちを、何がおもしろいのか隠し撮りしている外国人観光客のオヤジは現れたけど。

近づいていくと、背中を向けて早歩きで逃げようとする。
「なんで撮ったんですか?」と後ろから尋ねると「いや、別に・・・」という返事。
70歳くらいの英語を話すおっちゃん。
ヒッチハイクをしているアジア人が被写体になると感じたのだろうか。

暗くなる前にメンドーサに着きたい。
時間だけが過ぎていく。
焦りはじめて、両手を合わせてお願いポーズをして車にアピール。
やっと止まってくれた〜!!

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車に乗せてくれたのは、新婚ホヤホヤのカップル。
すてきな披露宴の写真も見せてくれた。
アルゼンチンのバリローチェに住んでいて、ハネムーンでメンドーサに向かっているんだって。
バリローチェは南米のスイスと呼ばれる美しいところ。
国立公園もあって、緑の山々に囲まれている。
そんなバリローチェで生活している2人だけど、ここのアンデスの山々はバリローチェとは「ぜんぜん違う」んだって。

そうだよね。
木なんて一本も生えてないもん。

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わたしとケンゾーは迷ったすえ、バリローチェには行かなかった。
でも「南米のスイス」と呼ばれるだけあって、すがすがしく、さわやかな気持ちになれる美しい場所にちがいない。
バリローチェが女性的な美しい山に囲まれた場所なら、ここは荒々しく男性的なかっこいい山々なんだと思う。

緑はほとんどないけれど、岩山はどれも色が違っていて鮮やか。
黒っぽいもの、赤っぽいもの、黄色っぽいもの、ピンクっぽいもの。
地層がはっきりと見える場所もある。

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そんなワイルドな岩山の裾にぽっかりと穴が空いている。
よくこんなところにトンネルを掘ったね。

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岩山に吸い込まれるように、トンネルの中に入っていく。
トンネルの中の暗い道。
ようやく向こう側の光が見えてくる。
岩山をくぐり抜けて太陽の下に出たと思ったら、またトンネル。

いくつもトンネルが続く。

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圧倒される景色。
見ていて飽きない。
この絶景が見たくて、わざわざこのルートをバスで往復する旅人もいるほど。

「どうやってこの山はできたんだろう」「ダイナミックに隆起してこんなふうになったんだろうな」「昔はここには川が流れてたのかな」「太古の時代はどんな地形だったんだろう」「よくこんなふうに地層の色が出るな」
はるか昔の自然の神秘に思いを馳せる。

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絶景にうなりながら、国境からおよそ200キロ。
メンドーサの街に到着。

ハネムーンの2人はわたしたちとちがって、ロマンチックなホテルを予約している様子。
奥さんのお腹には赤ちゃんもいるんだって♡
おめでとう!

日本の風呂敷をお祝いにプレゼントしてお別れ。

わたしたちがチェックインしたのはバスターミナルの近くの「SAVIGLIANO HOSTEL」。
ドミトリーでエアコンなしの部屋は90ペソ、エアコンありだと110ペソ。
(最初エアコンなしに泊まったら暑くて蚊も多くて寝られず、翌日エアコンありに移動。)

菓子パンと飲み物の朝食つき。

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ホテルには小さいけれどプールもあるし、使いやすいキッチンもある。
宿泊者たちはキッチンで手の込んだ料理を作っている。
オーブンでピザを焼いたり、おいしそうな肉料理を作ったり。
そして、ワイン!!

メンドーサ産の良質ワインが格安(500円以下)で買えるので、どのグループもおいしい手料理のディナーとワインを楽しんでいる。

あしたからはさっそくワイナリー巡りをしよう!
どんなおいしいワインが飲めるか、楽しみ〜 ♪
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寿司、枝豆、日本酒・・・サンティアゴで感じる日本

2015.05.08 08:38|チリ☞EDIT
久しぶりにあったかい湯船に浸かったら朝までぐっすり眠れたケンゾーです。
わたしの体調を心配してコメントを下さったみなさん、ありがとうございます。
今後も健康管理に気をつけたいと思います。
でもきっと眠れない云々は、ベッドが毎日変わる、周囲の物音などが気になる、など些細なことが原因なんだと思う。
お騒がせしてごめんなさい!

ビーニャ・デル・マルなど近隣の街へ行っては戻り、出たり入ったりを繰り返したサンティアゴ。
戻ってくるたびに友人たちと再会し、飲んで食べて楽しい時間を過ごしていた。
ていうか、友人たちと飲むためにわざわざサンティアゴに戻ってきていたと言ったほうが正しいかな。

サンティアゴの友人と言えば、なんといってもパタゴニアで出会ったフェルナンドとグロリア。
前回グロリアの実家にお邪魔して、ウニとワインを満喫。
満喫しすぎてイクエがリバースしてしまうというもったいないオチも。

2人とはこれでお別れのはずだったんだけど、このときフェルナンドから悪魔の囁きが。
「今度『ハポン』に行こう。Mr. ナイトウを紹介するから。」

「ハポン」と「Mr. ナイトウ」のことはパタゴニアを周遊中に何度も話に聞いていた。
ハポン(JAPON)とはサンティアゴにある老舗日本料理店のこと。
そしてMr. ナイトウとはそこの板前さん。

「Mr. ナイトウはとってもジェントルマンなんだよ。」

チリ人のフェルナンドが「Mr. ナイトウは・・・」と語るのがなんだかおもしろいような不思議なような。

「次はハポンで寿司を食べよう!」
ハポンがどの程度の店かは分からないけど、寿司ってだけで魅力的。
しかもフェルナンドたちといっしょだったら楽しいこと間違いなし。
ふたたびサンティアゴで待ち合わせた4人。
いざMr. ナイトウの握る寿司を食べにハポンへ。

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1978年にオープンしたハポン。
40年近くの歴史をもつ老舗の店内は、まんま日本だった。
予想していたよりもはるかに立派な店構えに今さらながらに恐縮するケンゾーとイクエ。

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「いらっしゃいませ!」
流暢な日本語を喋るチリ人従業員が出迎えてくれた。
ちゃんと小上がり席もあり、駐在員らしき日本人のグループがテーブルを囲んでいる。
チリ人の客もみな身なりが上品。
日本人なのに場違いな感じがするのは気のせいか?

老舗のクオリティに驚きながらMr. ナイトウが陣取るカウンター席へ。
どう?この写真だけ見たら、日本だよね。

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白木のカウンター、新鮮な魚が入れられたネタケース、そして法被姿の板前さん。
フェルナンドに「どう?日本といっしょ?」って聞かれたけど、日本では回ってる寿司屋しか行けないからなあ。
寿司をカウンターで食べたのって、いつが最後だろ?

まずは熱いお茶を一杯。
本来は食べ終わって最後に飲むものだけど、このさい順番なんか関係ない。
本物の緑茶はびっくりするほどおいしくて、体に染みわたった。

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「きょうはご馳走するから」って言ってくれたフェルナンド。
ありがたいけどそれは申し訳ないので飲み物代を払わせてもらうことに。
メニューを渡されて「食べ物何にする?」って聞かれたけど、とてもじゃないけど決められないよ。
食べ物も飲み物もすべてフェルナンドたちにお任せ。

お待ちかね、フェルナンドが頼んでくれたのは舟盛り!
しかも60cmくらいと特大サイズ。
ずらりと並んだ刺身、巻き物、そして握り寿司。
ネタがキラキラと輝いてまぶしいよ。
(もちろん舟盛りも寿司もちゃんと写真を撮ったんだけど、なぜだかデータが消えてしまった。)

寿司ネタはマグロ、サーモン、エビ、ウニ、イクラくらいで決して豊富ではない。
でもちゃんとしたシャリで握った寿司は格別。
ただのカッパ巻でも感動できる。

板前はMr. ナイトウともう一人日本人。
ナイトウさんではないほうの板前はチリ人の従業員に厳しく指示を出している。
日本ではよく見かけるシーン。
ラテンな人たちがテキパキと働いていることがおもしろい。
やればできるやん。

噂に聞いていた板前のナイトウさんは、対照的に黙々と仕事をこなすこれぞ日本の職人というタイプ。
料理だけでなく雰囲気もふくめて日本を満喫。

気になるお会計は・・・白ワイン2本と舟盛りがほとんど同じ値段だったので単純に半分ずつ払うことに。
しめて、ふたり分で45000ペソ(約9000円)。
ケンゾーとイクエにしては高額だったけど、サンティアゴ一の老舗の味を満喫できて満足。
いやあ、おいしかった。

フェルナンドとグロリアとはこれでお別れ。

今思えば、パタゴニアのトレス・ラゴスの街外れで出会ったのは運命だったとしか思えない。
実ははじめて車に乗せてもらう30分前、フェルナンドとグロリアとはトレス・ラゴスの街ですれ違っていた。
目はあったけど直接話はしていない。
そのときフェルナンドはグロリアに「あのふたりとはまたどこかで会うような気がする」って言ってたんだって。
そしてそのあとヒッチハイクをしていると、フェルナンドたちの車が前を通り過ぎた。
そのときフェルナンドは「あのふたりを乗せてあげたいけど、いい?」とグロリアたちに聞いて、わざわざバックしてくれて、拾ってくれたというわけ。

日本とチリ、遠く離れてしまうけどまた再会して酒を飲みたいな。

サンティアゴの街自体にはそんなに観光スポットはない。
1日もあれば十分。
夜は飲むことに忙しいケンゾーとイクエだけれど、昼間は時間を持て余していた。
そこへハポンで飲んでいるときにグロリアからある情報をゲット。
「クサマ ヤヨイの展覧会がここサンティアゴで開催されている。
 妹がきょう行って来たの。
 ほら写真まで送ってくれた。
 チリでもすごく人気なの。」


「ええー、そうなの!?
 行きたーい!」

喜ぶイクエ。
でもケンゾーの頭の中は?マーク。

現代アートにはあまり興味のないケンゾー。
「あまり」というより「まったく」と言ったほうが正しいかな。
彫刻にしても絵画にしても、抽象的なものは見てもさっぱりピンとこない。

「クサマ ヤヨイ」も聞いたこともなかったんだけど、調べたらすごい芸術家なんだね。
草間彌生、長野県松本市出身の御年86歳。
昭和32年、28歳のときに渡米。
1960年代には「前衛芸術の女王」と呼ばれるほど活躍。
1990年代以降さらに精力的に活動の場を広げている世界的に有名な芸術家、なんだって。

そんな有名な芸術家の作品を無料で見られるなんて太っ腹。
展覧会が開催されているのは近代的なビルが建ち並ぶビジネス街。
ビジネスマンが行き交うコンクリートジャングルにド派手な看板が。

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見た瞬間、楳図かずお?、いやコシノ ヒロコ?って思ってしまった。
かなりパンチが効いている。
なんでも、この水玉模様が草間彌生のトレードマークなんだって。
さらにこんなド派手な車も。

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かなりサイケデリックな柄。
さすがにこの車を運転する勇気はないなあ。

展示内容は作品とともに草間彌生の歴史を振り返るようなもの。
子供のころの写真や素描から、代表的なインスタレーションが展示してあった。

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真っ白な部屋に水玉シールを貼るという参加型の展示物も。
どこに貼るのか、芸術センスが問われる。
といっても、もう貼るスペースがないほど水玉で埋め尽くされている。

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展示会の感想は・・・。
やっぱりよう分からん!
はたして草間彌生が水玉模様で何を表現したいのか?
凡人には理解できん!
でもチリ人のお客さんが多くて、草間さんのすごさを日本の裏側で実感。

やっぱり難しい芸術よりもおいしいものを食べて飲むほうが性に合ってる。
ということで、フェルナンドたちにひきつづきこの家族にも再会。
3週間ぶりに会ったみかちゃんは、ちょっとお姉ちゃんになってた!

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今回も和食を用意してくれていたマリエちゃん。
この日はケンゾー大好きなカツ丼!
しっかりタレがしみ込んでうまかった。

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この日マリエちゃんからおめでたい報告が。
なんと2人目の赤ちゃんができたんだって!
しかも判明したのはついさっき。
マリエちゃん、マウリシオおめでとう。
元気な赤ちゃんを産んでね。

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サンティアゴの食い倒れ、飲み倒れの日々はまだまだつづく。
ハポンでフェルナンドたちと寿司を楽しんだ夜、新たな出会いに恵まれていた。
カウンターで寿司に舌鼓を打っていると、「あのう、ブログされてますよね?」と声をかけられた。
旅人から声をかけられることはたまにあるけど、今回話しかけてきたのはパリッとカッターシャツを着た見るからにビジネスマン。

声をかけてくれたのは、駐在員のケンイチくん。
国立大学の農学部を卒業したケンイチくんが選んだ仕事は鉱山。
サンティアゴ近郊にある銅の鉱山で働いている。
なんで農学部卒業で銅?って不思議だったんだけど、大学でその分野について研究していたんだって。

住所不定無職のケンゾーとイクエにとって、海外でバリバリ働く駐在員なんて世界が違うし接点がない。
まさかビジネスマンから声をかけられるとは思ってもいなかったけど、ケンイチくんも旅が好きなんだそう。

歳もまあ近いし、なによりも同じ福岡出身ということで意気投合。
ケンゾーは高校が男子校だったんだけど、ケンイチくんも近所の男子校出身。
まさかサンティアゴの和食レストランで、どローカルな話題で盛り上がるとは思ってもみなかった。
ケンイチくんとは後日改めて会うことに。

ケンイチくんがセッティングしてくれたのは海鮮レストラン。
テラス席もあるおしゃれな店。
ハポンにひきつづき、またも分不相応な店だよ。

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結婚しているケンイチくん。
長男出産のため奥さんが日本に里帰り中。
どうしても肉メインの食生活になってしまうので、海鮮が恋しくなるんだそう。
福岡は魚がおいしいからね、魚食べたくなるよね。
(まもなく奥さん&長男との3人の生活がはじまるんだそう。これで食生活も一安心だね。)

しょっぱなから登場した牡蠣に大興奮。
小振りだけど味はしっかり牡蠣。
ミルキーな味がたまらん。

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さらにウニ。
ケンイチくんが変わった食べ方をしたのでびっくり。
だってトーストにウニだよ、こんなの見たことない。

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「いや、これおいしいんですよ!」と言うケンイチくん。
騙されたと思って食べてみたら、けっこういける!
グロリアが作ってくれたレモンたっぷりの酸っぱいウニといい、オン ザ トーストといい、サンティアゴスタイルでウニの可能性がかなり広がった。
今回はリバースすることなくイクエもウニを堪能。

ほかにもイカリングやエビフライなど海の幸を満喫。
いやあ、贅沢なひとときをありがとう。

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福岡出身らしく酒が大好きなケンイチくん。
さらに別のお勧めの店へ。
店をはしごするっていう日本的な飲み方も久しぶり。

2軒目は「NAOKI」。
日本人の元で修行したチリ人が開いた和食レストラン。

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カウンター内で料理するのはチリ人だけど、箸におしぼりに突き出し、ここもまた日本の居酒屋そのもの。

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枝豆と魚のカマ焼きに絶叫。
日本にプチ里帰りだよ。

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極めつけは日本酒!
会いたかったよ〜。
もう最高だよ〜。

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ワインもいいけど、やっぱり日本酒はいいね。
もう言うことなし。
サンティアゴに未練なし。
ありがとうケンイチくん、ますますサンティアゴが好きになったよ。
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チリ「バルパライソ」☆ 世界遺産の街よりアワビ

2015.05.07 06:26|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
夫が「ぜんぜん寝られん」と言いながら、わたしよりも爆睡しているのをいつも隣で見ている妻のイクエです。
宿の部屋でヒマな時間、英語やスペイン語の勉強をしたり次の旅先の情報収集をしたりすればいいものをずーっと寝てばっかり。
そして夜になると「寝られん」と言うので「バスの中でも爆睡で、宿でも昼寝ばっかりして寝過ぎだから夜寝られんやろ」と怒ったら「そんなことない、ぜんぜん寝られん」と逆切れ。
わたしは一日計6時間くらい寝られればいいと思うんだけどね。
ケンゾーは5分でも早起きしたら「損した」と言う人なので、睡眠に関する思いが夫婦でぜんぜん違うんですよ。
ケンゾーがすぐ眠くなるのは今に限ってのことじゃなくて、ずっと前からなんです。
糖尿病の前兆とのご指摘をコメントで多数いただいています。
みなさん、ご心配をおかけしてすみません!

ビーニャ・デル・マルの日本人宿「汐見荘」で海鮮に舌鼓を打つイクエとケンゾー。
きょうも海の幸を求めて早起きし、仲間とともに市場へ買い出しへ!

市場の裏の桟橋の下には、あいかわらずペリカンとアザラシ。

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岸に体を投げ出しているアザラシ。
気持ちよさそう?
それともけだるそう?

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ビーニャ・デル・マルの魚市場がいちばん盛り上がるのは土曜日。
逆に日曜日は品揃えが少なくなるのだそう。
そして月曜日は市場はお休み。

なのでビーニャ・デル・マルに行く人は、日、月は避けたほうがいいですよ。

さて、この日はいちばん活気がある土曜日。
たしかに、出店がいつもよりいっぱい。

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魚を売っているお店も多いし、屋台(ただしシーフードじゃなくてホットドックなど)もあるし、魚をフライにして出している食堂も外に出ている。
きょうは、どんな食材をゲットしようかな。

でもわたしたちがまっさきに行くのはいつも決まってここ。

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白い服を着て、青いビニールぶくろを持っているのはマユミちゃん。

そして別の日もここで。
茶色いダウンを着たマユミちゃん。
ドラム缶に手を突っ込んでいる。

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ここは魚屋さんじゃなくて、魚を捌くところ。

わたしたちはいつもここで通称「ゴミ」を手に入れる。
まだまだたっぷり身のついた骨や、脂がのった魚の頭、ときにはそのまま焼いて食べられるほどの厚さの切り身が惜しげもなく捨てられていく。

日本人のわたしたちからしたら「もったいな~い!そこがいちばんおいしいところなのに!!」と感じてしまう。

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「ポルファボール!(お願い!)」と頼むと、ただでどっさり「ゴミ」をもらえる。
このゴミを集めるのがいちばん上手なのが、この男。

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緑色のシャツがトレードマークのヒトシくん!
いつも同じ服を着ているのは、この服が好きだからじゃなくて単に洗ってないから。

ヒトシくんは旅に出る前、日本でちゃんと働いていたけれど、旅の資金をためるためにホームレスをしていた骨太の男。
正確にはホームレスというよりも車に寝泊まりしていた。
風呂に入る代わりに公園で水浴びしたりして、周囲からはかなり怪しまれていた様子。

物価の高いヨーロッパを旅していたときは、野宿してたんだって。
しかもテントを張るとか寝袋に寝るとかじゃなくて「側溝の中で寝ていた」らしい。

そんなヒトシくんは大阪のおばちゃん以上に値切るのがうまい。
宿代はもちろん、バス運賃や観光地の入場料まで値切っているのでびっくりする。

型破りな男に思えるけど、常識があって話もおもしろくて気配り上手で、わたしとケンゾーが大好きな旅仲間である。

ヒトシくんが両手いっぱいに「ゴミ」を抱えて嬉しそうに近づいてきた。

「ケンゾーさん、イクエさん。
 大量にもらえましたよ!
 見てください!
 うまそうでしょ。
 これなんか、こんなに脂がのってる。
 網焼きにすればおいしいですよ~!!」


一袋3キロくらいは入ってるんじゃないかな。
それを両手に1つずつ。

「ここに来れば、お金がなくても生活できる。
 米を買って炊きさえすれば、腹いっぱい食べられますよね!!」

たしかに。

宿に帰って、ゴミを品定め。
切り身はそのまま焼いたり煮たりすればいい。
頭は汁物にすればいい。

骨についている身をほぐして、つみれにする人もいた。

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大きなサーモンの頭は、切れ目を入れて割いて網焼き。
脂が火に落ちて、ジュッと音を立てる。

おいしいよ~。

手っ取り早いのが、あら汁。

味噌を加えれば、しっかり出汁がでたおいしい味噌汁のできあがり。

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「もう、これゴミだから食べていいよ~。」
「このゴミ、おいしいねえ。」
「ゴミ、冷蔵庫に入ってるから勝手に食べて。」
「ゴミのおかわりあるよ~。」

奇妙な会話が繰り広げられる。

毎日贅沢なゴミを贅沢に食べていたわたしたち。
そんなわたしたちが、毎日ちゃんとお金を出して手に入れていたものがあった。

この黒くてなまめかしいもの。

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アワビ!
日本では高級でめったに食べられないアワビ。
旅館や料亭のコース料理で、数年に一度ひとかけらを口にする程度。

そもそも日本にいるときにアワビを売っているところをほとんど見たことがない。

それがここではおしげもなく置いてある。
しかも人気がないのか売れ残っている。
いつも買うのはわたしたち。

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高級なはずのアワビを大量買いする。
だって、安いから!!

ふたつで500ペソ。
つまり、おひとつたったの50円!!

ビーニャ・デル・マルの海鮮は日本に比べて安いけど、その中でも劇的に安いのがアワビ!!

手のひらサイズの大きさで、味も言うことなし。

そのまま焼いてもおいしい。

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わたしたちのグループは、アワビのとりこになってしまった。
毎食アワビ。

正直言って、ビーニャで買えるものはサンティアゴの市場でも買える。
でも、アワビはサンティアゴでは売ってなかった。
需要がなくて、わざわざ輸送するほどじゃないからかもしれない。

もしかしたら時期によってはビーニャ・デル・マルでも手に入らないかもしれないけど、少なくともわたしたちの滞在中はいつも市場でアワビを売っていた。
隅に追いやられているかもしれないけど、ちゃんと目を凝らしたら黒いなまめかしいアワビがあるから探してみて!

ビーニャ・デル・マルまで来てアワビを食べないって言うのはかなりもったいない。
むしろ、アワビを食べるためにビーニャ・デル・マルに来てもいいほど。

アワビの刺身。
こりこりとした食感。

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刺身も悪くはない。
でも、アワビは火を通したほうが柔らかくなって旨味が出ておいしかった。
日本でアワビなんて調理する機会がないけど、ここでアワビの料理法を学んだわたしたち。

「でもこの知識、日本に帰ってからは役に立たないだろうね。」

「アワビを料理する機会がないから、実用的じゃないよね。」

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アワビの緑色の肝を醤油と混ぜて、絡めて食べるのもおいしい。

これに日本酒があれば最高なんだけど、ここは安いチリワインとビールで代用。

アワビばんざーい!!

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高級食材のアワビなのに、アサリやムール貝よりも安い。
だからもはやわたしたちにとっては高級食材ではなくなってしまっている。

キッチンでマリちゃんとナギサちゃんが話していた。
「もうさあ、アワビ細かく切って、チャーハンに混ぜちゃおう。」

アワビを小さく刻んでほかの野菜とチャーハン。
なんて贅沢な、もったいない使い方。

いちばんアワビを食べていたのが、酒飲みのダイスケくん。

「アワビのことばかり考えすぎて。
 全部アワビで計算してしまうようになったんですよ。
 たとえば市場まで電車で行くと運賃はアワビ2個分。
 往復4個分。
 だったら電車に乗らずにがんばって歩いて、アワビを4個食べたほうがいい。
 八百屋でトマト2個買おうとすると、1アワビ。
 じゃあトマトよりアワビのほうがいい。
 ボトルワインと安いパックワインの差額は3アワビ。
 だったらパックワインにしようかな、と。」


もはや通貨の単位が1ペソ、2ペソ、3ペソ・・・ではなく、1アワビ、2アワビ、3アワビ・・・になっている。

ビーニャ・デル・マルには市営カジノがある。
汐見荘に泊まっているほかの宿泊客たちはカジノに行っていたけど、カジノよりもアワビにはまってしまったわたしたちはカジノなんて興味がなかった。

カジノ組が意気消沈して宿に戻ってきた。
もちろん、アワビ組のわたしたちはそのときアワビを食べていた。

「カジノ、どうでした?」
「いやあ~、全員負けました。
といっても、俺は7000円分くらいですけど。」

「7000円!?
アワビ140個分じゃないですか!
そのお金があれば、いまここにいるみんなでひとり10個以上はアワビが食べられたのに!」

「ほんと、もったいなーい。
カジノよりもアワビのほうが幸せになれるでしょう!」


「彼は15000円以上の損失ですよ。」
「えぇっ~!?
300アワビかあ。
それはかなり大損ですね。」


「俺は・・・2万2000円くらい負けました。」
「はああ~!!!!
アワビ1年分、いや、もっと!」

「たったの1時間で、あなたは毎日アワビを食べて幸せになれる権利を失ったことになるんですよ!」
「たしかにそう言われると、なんかとても損した気分になりますね・・・。
カジノ、やらなきゃよかった・・・。」


アワビから逃れられなくなった、イクエとケンゾー。
ビーニャ・デル・マルでアワビだけを食べて過ごしていたかと言えば、けっしてそうではない。 
ちゃんと観光もしてきた。

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隣町にバルパライソという世界遺産の街がある。
宿の最寄り駅から電車に乗って10分あまり。
運賃は2アワビ。

電車は海岸線を走っていく。

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サンティアゴからおよそ120キロ離れたバルパライソは、チリ最大の港町。
貿易と漁業で栄えた街で、チリの海の玄関口。
サンティアゴに次ぐ都会で、チリの国会議事堂もある。

駅を出ると、目の前にはヨーロッパ的な光景。

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華やかな建物が存在感を放っているいっぽう、レトロな路面電車が走っていて下町の風情も漂っている。

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バルパライソとは「天国のような谷」という意味。
その名前が表すように、港から離れるとすぐに丘陵がはじまる。
いくつも連なる丘の斜面に街が発展している。

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丘の数は45もあるのだそう。
急な坂道や階段、アセンソールと呼ばれる古いケーブルカーが、下界と丘とをつないでいる。

バルパライソを特徴づけるのは、斜面にへばりつくように建っている家々。
そして、その家々がカラフルであること。

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赤や青、黄色、緑。
鮮やかな色で彩られている街並み。

何の変哲もない路地裏の階段も、カラフルなだけで楽しくなる。

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さらに、この街では壁画も有名。
壁をカラフルに塗装するだけでは飽きたらない人たちが、絵を書きはじめた。

有名なチリの画家の絵もあるんだって。

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定期的に色を塗り替えたり、絵を描き直したりしている。
壁をキャンバスに、新たな作品に取り組んでいるところも。

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世界遺産の街、バルパライソ。
カラフルな家と家の間をさまよったり、石畳の坂道を上って海を見下ろしてみたり。
1883年から使われている、古ぼけた木箱のようなケーブルカーに乗ってみたり。

とくに目的をもたずにブラブラするのが、バルパライソの楽しみ方。

そしてもうひとつ。

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夜に紳士淑女で盛り上がる、音楽酒場がここバルパライソにある。

サンティアゴに住むマリエちゃんから勧めてもらった「チンザノ」というバー。
海鮮料理とワインとともに、哀愁漂う、ときには軽快な、チリの音楽を楽しめる場所。

客の年齢層も高いなら、歌い手や弾き手も60歳を超えている。
スーツに身を包んだ白髪のダンディーなおじさんがギターを弾いたり、渋い声で歌ったり。

音楽に誘われ、つい立ち上がる客たち。
気分は20代。

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どこかレトロな雰囲気が漂うバルパライソの観光を、味のある音楽酒場「チンザノ」で締めた。

夜になり、カラフルなバルパライソの街は色を落とした。
街灯に照らされた街は、すこし寂し気でノスタルジックな雰囲気に包まれていた。


さて、斜面にカラフルな家々が建ち並ぶ世界遺産の「バルパライソ」。
「星いくつ?」

「星、1つ!

放置されたままの空き家や壊れかけの建物も多くて、「美しい街」とは言えない。
アーティストが集まる街で、センスのいい雑貨屋さんやおしゃれなカフェがたくさんあることを期待していたけどそうでもなかった。
チリのレトロな下町って感じ。
アートなのかただの落書きなのかわからない壁画も多かった。

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狭い路地や奥まったところは治安が悪くて強盗の被害も相次いでいる。
薄暗いところや、人通りの少ないところは女の子1人だと安心して歩けない。
実際、カメラをもって歩いていたら、通りに面した食堂の従業員に声をかけられて「この辺はあぶないから気をつけたほうがいいよ。カメラは隠していたほうがいいよ。」とアドバイスされた。

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世界遺産の街にふさわしく、廃墟のような建物は修繕してほしいし、落書きは消して見応えのある壁画アートに変えてほしい。
観光には1日か2日じっくりかけようと思ってたけど、実際には数時間で終わった。

サンティアゴからも日帰りできるし、海もあるし、立地としては最高なのでもっとがんばってほしいな。
もったいない!

わたしたちには世界遺産の街並みよりも、アワビのほうが魅力的だった。


【旅 info.】
  バルパライソa_DSC_6530.jpg
サンティアゴから120キロ、直通バスでおよそ2時間。
バスは頻発。
バックパッカー向けのゲストハウス多数あり。
隣町のビーニャ・デル・マルからも簡単に通える距離。
アセンソール(ケーブルカー)の運賃は100ペソほど。
音楽酒場の「チンザノ」は海岸沿いからAlmirante Monto通りに入ってすぐ。
21時半くらいから盛り上がる。
チャージは不要、料理は6000ペソくらいから。
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汐見荘 海鮮にありつくには努力が必要

2015.05.06 05:40|チリ☞EDIT
食あたりで、ほぼ水状態の便に悩まされていたのに病院に行ったら今度は便秘になったイクエです。
薬の効果が強すぎ!
薬を飲むのをやめて1日経ったら、ようやくカッチカッチのが出てきてくれました。

サンティアゴで友人と語り、食べ、飲んだイクエとケンゾー。
ここサンティアゴから120キロほど西へ行った海岸沿いの街に、有名な日本人宿があるという。
その街の名前はビーニャ・デル・マル

ビーニャ

別に日本人宿に興味があるわけではないんだけど、この宿に行けば美味しい海鮮料理が安く食べられるのだそう。
シェア飯(宿泊客で食材費を出し合って作る料理)がすごいらしい!

1キロのウニで気持ち悪くなったばかりだけど、やっぱりまた気持ち悪くなるくらい海鮮料理が食べたい!
さあ、出発〜 ♪

これまでヒッチハイクの旅をしていたわたしたち。
迷ったけれどそんな遠い距離じゃないし、前日バスターミナルに行って料金を尋ねたらかなりお安い運賃だったので楽してバスに乗ることに。

サンティアゴからビーニャ・デル・マルまでは2時間弱。
運賃は2400ペソ(約480円)。
チリのバス代の相場を考えるとかなり安い!

実はこれには裏技があって、通常運賃は7500ペソ(約1500円)。
だけど、曜日や時間帯によってバス代が変動するらしい。
バス会社の窓口には正規運賃しか書かれていないんだけど、窓口のスタッフに曜日や時間帯が違う便をいくつか調べてもらってパソコンの画面を見せてもらえば、どの便が安いか知ることができる。

ちなみにわたしたちは2400ペソだったけど、1900ペソもあった。

運賃によってバスのグレードが違うのかと思っていたら、とんでもない。
わたしたちにとって南米で初めての2階建てバス!

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テンションが上がる!
みんなこういうので南米を旅行してるんだね。
座席も広いし、がっちり膝から支えてくれるフットレストもあって快適!
しかもわたしたちの席は2階のいちばん前。
景色がパノラマで楽しめる。

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このパノラマ席は人気があるらしい。
わたしたちはパノラマ席があるバスに乗れるなんて思ってもいなかった。
バスの窓口のお兄さんの計らいでこの席にしてくれたのかな。
今さらながら、ありがとう。

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バスはサンティアゴの街を取り抜け、郊外へ。
ワイン用のブドウ畑が広がっていたり、青空に映える山が続いていたり。

そんななかバスは太平洋をめざしていく。

せっかくのパノラマ席だけど、快適すぎてウトウト。

目が覚めたら、ビーニャ・デル・マルの街が見えてきた。

思ったよりも活気がある街。

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ビーニャ・デル・マルは、サンティアゴの金持ちが週末やバカンスを過ごす街らしい。
避暑地として、海で遊べるリゾート地としてチリ人に人気。
でも日本人旅人には、海鮮が楽しめる街として人気。

日本人旅人が集まる宿は「汐見荘」
もう名前からして日本人宿。
日本人しか来ない。

(住所や行き方は宿の公式ホームページを見てね。http://shiomiso.webnode.jp

バスターミナルから「コレクティーポ」と呼ばれる乗合いタクシーに乗る。
坂の多いビーニャ・デル・マルでは、コレクティーポが庶民の足、バス代わり。
だからタクシーといっても安くて、ひとり600ペソ(約120円)。

ドライバーが「日本人の家に行きたいんだろ?」って言ってくれた。
バックパックをもったわたしたちのような日本人旅人が毎日訪れるから、ドライバーのあいだでは有名なんだろうね。

ドライバーはさっきから「日本人の家」って言っている。
さらに「日本語でカサ(家)って何て言うの?書いて」と紙を渡された。
アルファベットで「イエ」って書いてあげた。
きっと次から日本人の旅人に「『イエ』に行くの?」って聞くんだろうけど、「家」って言われてもピンとこないよね。
「宿」ならまだしも。

ドライバーは汐見荘の真ん前でわたしたちを降ろしてくれた。

「ほら、ここが日本人の『イエ』だぜ。」

そこは本当に「家」だった。
看板も何もない。

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迎えてくれたのは初老のご主人。
もちろん日本人。

入口からは想像できなかったけど、奥へ進むと中庭があって開放的。
中庭を取り囲むように部屋がある。

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わたしたちが到着したときは、ほぼ満室。
20人くらい宿泊客はいたかな。
もちろん全員日本人。

宿泊費はひとり6500ペソ(約1300円)だけど4泊目以降から割引が適用される。
それにキッチン使用料が一日200ペソ(約40円)。
(以前は100だったけど、わたしたちが着いた数日前から値上げされたみたい)
基本的な調味料はそろっている。

部屋はドミトリータイプもあれば、ツインタイプもある。
値段は一律。
夫婦やカップルだと優先してツインに入れてくれるみたい。

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チェックインすると、宿のご主人が宿の中を案内してくれる。

宿からは海が見える。
「汐見荘という名前の意味がわかりました」とつぶやくとご主人は嬉しそな顔をして「そうでしょう」と言った。

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初老のご主人は、まじめそうで多くを語らない人。

ご家族でこの宿の2階で生活されていて、奥様はチリ人のようだった。
そしてお孫さんまでいるようだった。

ご主人がこれまでにどんな人生を歩んでこられたのか。
なぜチリのこの場所で日本人宿を経営されているのか。
ゆっくりとお話する機会がなかったわたしにはわからない。

日本人宿には必ずと言っていいほど、存在する本棚。
日本の本がずらりと並んでいる。
宿の人の古い本や旅人が日本から持ってきて読み終わって寄贈した本。

もちろんここ汐見荘も例外ではない。
その本棚に、汐見荘のご主人の人生を垣間見られるような一冊の本があった。
その本は古ぼけていて、ほかの本と並んで置いてあって存在感はない。

けれど本の縁にご主人の名前と「わたしが使っていました」とマジックで書かれていたので思わず手に取ったのだった。

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今から40年前の南アメリカの旅行ガイドブック。
絵や写真が満載の現在のガイドブックと比べると、まったく違う。
ガイドブックと言うよりも辞書に見える。

現在の旅人は、たくさんの情報を抱えて旅をしている。
日本でも外国の様子を伝える番組があるし、ガイドブックだって充実しているし、インターネットで検索すればリアルタイムの情報を知ることができる。

でも、40年前は・・・。

南米の情報なんて日本ではほとんど手に入らなくて、ご主人はこの英語の分厚いガイドブックを片手に南米を旅していたのだろう。

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旅は今よりも、数倍も数十倍も冒険的要素があったに違いない。
汐見荘のご主人は40年前に、わたしたちが考えられないような旅をし、ここにたどり着かれたのだと思う。

チリが気に入って、チリの女性と恋に落ちて・・・。

勝手にいろいろと想像してみる。

でも、わたしはそんなロマンに浸っている場合じゃなかった。
ここに来た目的を果たさなくては!

ちょうどご主人にキッチンの使い方の説明を受けているとき、キッチンに宿泊客ほぼ全員が集結していた。
楽しそうに昼食の準備をしている。
メニューは一目瞭然、寿司!!
ネタはサーモン。

ご主人が言った。
「きっとあとで仲間に入れてもらえるでしょう。」

わ〜い!!
着いて早々、寿司が食べられる♡

部屋に荷物を置いて、さっそくケンゾーがキッチンへと上がっていった。

「こんにちは!
 お昼、お寿司なんですね!
 おいしそうですね。
 仲間に入れてもらってもいいですか?」


わたしは部屋にいた。
ケンゾーの声だけが聞こえてくる。

十数人で仲良くお寿司を作っている。
一瞬の沈黙。
そして、その中のリーダー格のような男性が答える声が聞こえた。

「あー。
 えーと、余りそうだったら。
 ちょっと、わからないです。」


これは・・・つまり・・・。
遠回しに断られたってことでは?
慎み深い、日本人の典型的な断り方だよ!

ケンゾー、せつな〜い!
十数人の日本人(おそらくは全員年下)相手に、できるだけフレンドリーに腰を低く、にこやかにお願いしたら、見事に断られている!

よかったー。
わたし、部屋にいて。
みじめな思いをせずにすんだ。

ケンゾーが部屋に戻ってきた。
「まだわからないんだって。」
「いや、聞こえてたけど。
 あれ、断られとるんやない?
 こっちから、もういいですって遠慮してあげたほうがいいんやない?」

「そう・・・やね。」

ケンゾーがふたたびキッチンへ行った。
「やっぱり、お昼はいいです。」

すると、リーダー格の男性が声を明るくして言った。
「あ、そうですか。
 はい、わかりました ♪」


「また、次の機会にご一緒させてください。」
ケンゾーはそう締めて、十数人の日本人が楽しそうにしているキッチンをあとにした。

ケンゾー、せつなーい!

もうお昼過ぎ。
これから魚市場に行って魚を買って料理するわけにもいかない。
わたしとケンゾーは、近くのパン屋でパンを買って、コーヒーとパンのわびしい昼食となった。
海鮮が食べられるはずの汐見荘で、ほかの宿泊客がはしゃぎながら寿司パーティーをしているなか、パン。
ケンゾーとイクエ、せつなーい!

でもパンを買いに行く途中で、かわいい子がわざわざわたしたちを呼び止めて挨拶して手を振ってくれたから、心が少しだけ癒やされた。

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旅人のあいだでは「汐見荘に行けば、おいしいシェア飯にありつける」「かならず1人や2人、料理上手な人がいてみんなにおいしい料理をふるまってくれる」という噂がある。
でもこれは運がよくないとダメ!

「自分で海鮮を買って自分で作る」くらいの心持ちでいかないと、悲しい結果になる。
わたしとケンゾーは料理が好きだから、このあとおいしい海鮮づくしの日々を送ることができたけど、なかには悲しい食生活を送っている人もいた。
料理下手なおじさんバックパッカーは、一生懸命若い子たちに合わせて率先してお手伝いをして(ときにはパシリになって)若い子たちのグループになんとか入れてもらう努力をしないといけない場合も。

それに魚市場は午前中に閉まるので、その日の食材の買い出しは朝で終わってしまう。
つまり、朝のうちに何人分の料理を作るかを決めて買っているので、わたしたちみたいにひょっこり訪れて「仲間に入れて」なんて言っても、食材が足りないから断られてしまうケースが多い。

そんな汐見荘で孤独だったわたしたちに救世主が訪れた。

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旅友、ヒトシくんとマリちゃん!
2人とはエル・カラファテの宿でいっしょで、その後サンティアゴでも再会していた。
ヒトシくんとはアフリカからのつきあい。
ナミビアとケープタウンでいっしょにレンタカーで旅をした。

「お昼どうしたの?」
「俺たち、もうその辺のサンドウィッチ屋さんで食べてきました。」
「それ、正解だったね。
 ここさあ、チェックインの日にシェア飯に参加させてもらうのは無理そうなんよ。
 今日の晩は自分たちでなんとかしないと。
 でも、魚市場は午前中で閉まっとるし、どうする?」

「えー!?
 スーパーとか魚屋とかで売ってないですかねえ。」


輪に入れてもらえなかったわたしたちを見かねたのか、ご主人が言った。
「魚市場のすぐ近くに、常設の魚屋が何軒か並んでるんですよ。
そこも3時くらいには閉まってしまうかもしれないけど、今すぐ行けば間に合うかもしれない。
歩いても行けるけど、時間を考えれば電車で行ったほうがいいですよ!」


わたしとヒトシくんで急いで魚屋をめざした。
開いてるかな〜。

魚屋コーナーは市場に併設された屋内にあった。
5軒くらいの店がまだ開いていた。

良かった〜。
これできょうの晩はみじめな思いをしなくてすむ。

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この日のメニューは、豪快にお米の上に魚をのっけて炊くというシンプルな炊き込みご飯。

それにアサリとズッキーニと玉ねぎの白ワイン蒸し。
アサリは1キロ1000ペソ(約200円)。

そして魚のあら汁。

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チェックインした当日にこれだけ海鮮が食べられたことに満足。
わたしたちのあとにチェックインした人たちは、魚屋も閉まっていて野菜パスタやお肉を食べていたから。

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これから汐見荘に行く人。
チェックイン当日から魚を食べるためには次の方法があります。

①友だちが先に汐見荘に宿泊している場合は「わたしもシェア飯に参加させて」と前日にお願いしておくと、朝の買い出しのときにあたま数に入れてもらえる。

②お昼までにはチェックインして、到着してすぐ魚屋に買い出しに行く。

③がんばって、なかば強引にお願いしてシェア飯仲間に入れてもらう。


③はあなたが人見知りしないタイプだったり、「余りそうなら」と遠回しに断られていることに気づかず「お願いします!」と言えるタイプだったり、作り手が太っ腹だったり、運が良かったら可能。

で、次の日の朝。

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わたしたちは早起きをして朝8時に宿を出発。
ヒトシくんたちとともに、ダイスケ、マユミ夫妻もいっしょ。
ダイスケ、マユミ夫妻とはサンティアゴでもいっしょだった。
酒好きのおもしろい夫婦。
彼らはきのうの夕方に汐見荘に着いて、夜は海鮮にありつけなかった。

こうして、わたしたちのグループができた。

満員御礼の汐見荘ではだいたい、4つぐらいのグループができるのだそう。
それがきのうは珍しく全グループが集結して寿司パーティーをやっていたんだって。

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宿から市場まではけっこう距離があり、歩くと40分くらいかかる。
でも海岸沿いを歩くので、朝の散歩にはちょうどいい。
途中、なぜかモアイが立っている。
こんなところでモアイに会うなんて。
イースター島から流れ着いたのかな。
それともレプリカ?

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漁船が集まっている場所が、遠目からでも見えた。
きっとあの先が魚市場。

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桟橋は海面よりもずっと高い。
車で漁船を桟橋まで運び、そこからクレーンを使って一艘ずつ海に下ろしている。
漁師ごといっしょに!

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斬新。
その桟橋の下で、何やら黒いものがうごめいている。

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正体はアザラシ。
おこぼれにあずかろうと、魚市場前の海岸に押し寄せてくる。

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おこぼれにあずかろうとしているのはアザラシだけじゃない。
黒っぽいペリカンたちも。

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魚をどっさり積んだトラックの上。
魚を捌くブースの上にも。

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朝の魚市場では新鮮な魚がどんどん並べられていく。
網から外したものを直接。

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ここでもウニを売っている。
日本のものよりも殻は黒くなくて、うすい緑色。
そして、やや平べったい。

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カニだっていろんな種類がある。
鮮やかな紫色をしているカニも。

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念願の海鮮を買い込んで宿に戻る。
人が多すぎて、キッチンはこんな状態!

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グループごとに時間をずらすとはいえ、大混雑。

だってみんなここに海鮮を食べる目的で来ているのだから、無理もないよね。

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日本人が料理で大忙しのなか、マイペースなのはこちら。
お昼寝中。

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この宿で飼われているネコなんだけど、チェックインのときにご主人から忠告された。

「うちのネコは自分から人に近づいて行くくせに、人に撫でられたら激怒して噛むのでぜったいに撫でないでください。ほっといてください。」

思わせぶりなのにわがままなネコ。

料理をしていたわたしたちに、ショックなできごとが!!
買っていた2キロのアサリが冷蔵庫から消えている!!!
これはほんとうにショック。
蒸し焼きにしようかな、スープにしようかな、そのまま網で焼いちゃおうかなって、すごく楽しみにしていたのに。

代わりに冷蔵庫の中にあるのは、1キロのアサリ。
おそらく1キロだけ買った人が、わたしたちの2キロのを間違えて使ったんだと思う。
このときのわたしたちグループの失望感は大きなものだった。

かなしーい。
お寿司パーティーに参加させてもらえなかったうえに、アサリまでとられてしまうなんて・・・。
しょうがなく、冷蔵庫に残ったままの1キロのあさりを使うことにした。
でも1キロだとひとり一個もないから、じゃんけんだね。

(この後、冷やしていたビールも誰かにとられていた。
 汐見荘の冷蔵庫にはご注意。)

でも、わたしたちにはほかの食材がある。
サーモンとアジの刺身を作るべく、毛抜きを持って魚と格闘するケンゾー。
小さな骨を一本ずつ抜いていく。

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新鮮なサーモンは1キロ4000(約800円)ペソ。

板前さんのようにきれいではないけれど、おいしそうなサーモンの刺身のできあがり。

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ちなみに、醤油はこの宿で売っている。
ご主人がキッコーマンの醤油をアメリカから取り寄せていて、それをペットボトルにわけてもらえる。
スーパーで買うよりもお得。
でもワサビは売ってないので、サンティアゴで買って持ってきたほうがいい。

アジは3匹で2000ペソ(約400円)。
アジの刺身はおろし生姜とともに。

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特大タコはどうやって料理しようかなあ。
タコは1匹3000ペソ(約600円)。

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ちょっとだけ湯引きして酢醤油で。

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朝から買い出しおつかれさま。
さあ、みんなでいただきま〜す!!

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さあ、そんなビーニャ・デル・マルでわたしたちは最強の食材を見つけた。
わたしたちのグループは毎日その海鮮を食べつづけた。

その海鮮とは!?

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イカ?
イカは500グラムで2000ペソ(約400円)。
たしかにネギと醤油で煮るのもいいし、イカパスタもおいしい。

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昼からビールとイカなんて最高。

堕落した日々に見えるけど、毎朝早起きして往復1時間半かけて市場に行っているからけっして不健康ではない。

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でも、最強の食材はイカではない。

日本では高級な〇〇。
それがここでは激安で手に入る。

さらには市場の「ゴミ」もわたしたちの立派な食材。

最強の食材については次回に持ち越し。
次回は、ビーニャ・デル・マルから日帰りで行ける世界遺産の街「バルパライソ」についてもお伝えしまーす!
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せっかくのワインとウニが・・・もったいない!

2015.05.05 05:39|チリ☞EDIT
このところ、腹いっぱい食べてもすぐに腹がへり、どれだけ寝ても眠くてしょうがないケンゾーです。
とくに体を動かしてる訳でもないのに食欲が止まらない。
パスタなんか300gペロリと食べる勢い。
そして数時間後にまたお腹が空いてくる。
そして、いくら寝ても日中睡魔が襲ってくる。
寝ても寝てもぜんぜんスッキリしない。
どうなってるんだろう、成長期なのかな?

およそ1か月かけてたどり着いたチリの首都サンティアゴ。
行き当たりばったりが身上のケンゾーとイクエ。
南米の旅もほぼ白紙状態。
ただひとつ、ここサンティアゴにだけは必ず立ち寄ろうと決めていた。
なぜなら会いたい人がいたから。

今から遡ること1年数か月前、ある女性からブログのメールフォーム経由で1通のメールが届いた。
中国の子供服のことをネットで検索していたらこのブログに行き着いたんだそう。
ありがたいことにこのブログを気に入っていただいて、『思わずメールしちゃった』とのこと。
(赤ちゃんのお尻が丸見えな中国の記事はこちら!

そしてメールにはこんな一文も。

「私は今南米のチリのサンティアゴに住んでいます。
 チリへ来る予定とかはありますか?
 サンティアゴへ来るときにはぜひご案内しま~す☆」


このメールを受け取ったとき、ケンゾーとイクエがいたのはイスラエル。
まだイギリスもスペインも東欧も、そしてアフリカも旅する前のときのこと。
このときはまだアフリカを一周するつもりだったから、南米なんて先の先のその先の話。
正直南米のことなんてまだこれっぽっちも頭になかった頃だった。

けれど、現地に住んでいる日本人の方からお誘いを受けるなんてとてもありがたいこと。
こちらから願ったってそんな機会には恵まれない。
すぐにメールを返信、南米の旅が近づくにつれてやり取りをすること1年。
とうとうメールをくれたマリエちゃんと旦那さん、そして愛娘とご対面する日がやって来た。

マリエちゃんの家は気分屋スコットの「タレス」から歩いて15分のおしゃれなマンション。
チリ人の旦那さんマウリシオと1歳10ヶ月の愛娘みかちゃん、そして猫のチャラの3人と1匹暮らし。

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まずはワインで乾杯!
みかちゃんもミルクでかんぱ〜い ♫

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マリエちゃんも大の旅行好き。
大学生のとき1年間休学して世界を旅していたんだって。

そして、モアイで有名なイースター島に滞在しているとき、チリ人男性と出会い恋に落ちた。
帰りの飛行機を何度も何度も延期してイースター島に沈没。
イースター島のあと姉と別の国で落ち合う予定にしていたけれど、姉よりもその男性と過ごすことを選んだ。
お姉ちゃんは航空券も取っていたのに!

マリエちゃんが言うには、ふだんは自分よりもまわりのことを気にし、理性的に物事を考え行動するんだけど、その時は「もういい!本能のおもむくままに行動しよう!」っていう思考回路になってたんだって。
「何かに導かれるように」だったそう。

マリエちゃんを本能のままに突っ走らせた男性とは、もちろん旦那さんのマウリシオ。
出会ったときの情熱そのままに2年後に結婚。
しばらく日本で暮らしていた。

マウリシオはジャーナリストで、マリエちゃんと出会ったときもイースター島の取材をしていた。
そんなマウリシオが日本に来て、六本木のバーで働いたり沖縄のサトウキビの収穫などいろんな仕事をやったんだそう。
マウリシオの日本の印象は「働き過ぎ きつい つかれる」

その後、夫婦ともどもマウリシオの地元チリに移住。
めでたく長女みかちゃんが誕生という、けっこうドラマティックな人生を送っている。

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事前に「日本料理を作ってご馳走しますね」と言ってくれていたマリエちゃん。
用意してくれていたのは鶏の唐揚げ!
そして肉じゃが!
艶々の日本米もたまらない!

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マリエちゃんは美術大学出身。
専攻はカメラ!
大学卒業後は都内の撮影スタジオに就職。
ファッション誌の撮影がメインだったので、エ◯ちゃんやモ◯ちゃんなど超人気モデルと仕事をしてたんだって。

テレビと写真の違いはあれど、同じ撮影を生業にしてきたケンゾーとマリエちゃん。
アシスタントという下積み期間を経てカメラマンになるという点も共通している。
けれど話を聞くと、写真のほうがかなり厳しい世界みたい。

美大を卒業してスタジオに就職したマリエちゃん。
アシスタントといってもひたすらスタジオの掃除やホリゾント(背景用の壁)のペンキ塗りをする毎日。
モデルが撮影直前に脱ぎ捨てた靴を、だれがいちばん早く揃えるかをアシスタント同士で競っていた。
すぐに気づいてフットワーク軽く、靴をパッと揃えるアシスタントが良いアシスタントとされたんだって。
けっきょく2年間カメラに触れることはほとんどなかったんだそう。
どこの世界もプロフェッショナルへの道は厳しいね。

そんなマリエちゃんだけど、いまでは映される側、つまりモデルの仕事をやっている。
雑誌やチリの銀行のテレビCMなどに出演している。
一児の母だけどスタイルのいいマリエちゃん。
カメラマンの気持ちもわかってるから、きっといいモデルさんなんだろうね。

おいしいマリエちゃんの手料理を食べて、おいしいワインを飲んで、マリエちゃんの波瀾万丈な人生の話であっという間に時間が過ぎた。

ブログがきっかけで、海外で暮らす読者の人と出会うのはこれで2回目。
一度目はウィーンに住むサトコさん。
サトコさんも素敵な人で、けっきょくサトコさんに会いに2回もウィーンを訪れ、別荘で楽しいひとときをすごさせてもらった。

ブログをやってて、よかったなあ。

マリエちゃん、マウリシオ、みかちゃん、楽しい時間をありがとう。
イースター島には行かないつもりだったけど、ふたりが恋に落ちたマジックアイランドにちょっと興味が湧いてきたよ。
またチャンスがあったら会おうね。

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サンティアゴで楽しみにしていたのはマリエちゃんと会うこと以外にもうひとつ。
あの人たちとの再会も楽しみだったんだよね。

パタゴニアを1週間いっしょに旅したフェルナンドとグロリア。
フタレフーで別れてから2週間ぶりの再会。
2人とはパタゴニアの大自然を共に周遊した仲だけに、サンティアゴの都会で会うことがなんだか不思議な感じ。

きょうはグロリアの実家にお呼ばれ。
ケンゾーとイクエは和食を、グロリアが海鮮料理を作ることに。
ケンゾーたちはすでに食材を用意しているので、グロリアの海鮮をゲットすべく魚屋へ。

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大きな冷蔵庫の中に見えるのは、大量のウニ!
それぞれがなんと1kg!
うっひょー、ウニがキロ単位って、日本じゃ考えられん。

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ケンゾーとイクエの興奮をよそに淡々と購入していくフェルナンドとグロリア。
ちなみに、ウニ1kgで18000ペソ(約3600円)。
3600円かあ、高!って思ったけど、板にちょこっとのったウニが1000円はする日本と比べると格安だよね。

ほかにも「サーモン食べたい?」と聞かれ「うん、食べたい」と答えサーモンに決定。
ただ店には無かったみたいでどこかから取り寄せることになった。
食べたい?と聞かれたので軽い気持ちで返事したんだけど、まさか取り寄せになるとは。
「え、取り寄せ?そこまでせんでも・・・」と思ったけれど、まあフェルナンドとグロリアに任せよう。
市場に電話して、魚屋まで届くのに数時間かかるんだって。

ウニもだけど、そんなサーモンもケンゾーとイクエからしたら高いお値段。
でも、そんなこと気にせずに会計をするフェルナンドとグロリア。
ほんとうにこの人たちはグルメな人だ。

さあ、グロリアの実家でクッキングスタート。
さっそくフェルナンドが白ワインを開けたので、ワインを片手にクッキング。
さすが飲んべえのフェルナンド、わかってるね ♪
ちなみにグロリアの両親はほとんど酒を飲まないんだって。
だからといって肩身の狭い思いをしているふしはまったくないみたい。

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悩んだ末に決めたケンゾーとイクエのメニューは、鶏の照り焼きとそぼろご飯。
そのほか、定番の酢の物に茶碗蒸し。
フェルナンドとグロリアはまだしも、グロリアの両親が食べられるように無難なメニューをチョイス。

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そんななんちゃって和食よりも、今夜の主役は1kgのウニ。
ボールにあけたこのウニのボリューム!
こんなウニ見たことない。

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ウニを玉ねぎのみじん切りと混ぜ、コリアンダー(パクチー)を散らしレモン汁を搾るのがチリスタイル。
醤油でしか食べたことないからなあ、どんな味なんだろう。

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そしてわざわざ取り寄せたサーモンも登場。
脂がのって刺身でもいけるサーモンを贅沢にローストする。

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でき上がった料理を囲んでみんなでサルー(乾杯)!
グロリア家は、みんな実年齢よりもかなり若く見える。
いちばん左端に座ってるのがグロリアのお父さん。
フェルナンドのほうが存在感があるように見えるのは、気のせいかな。

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こちらがグロリアのお母さんと妹のバーバラ。
お母さんと妹は小柄なんだね。

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小ちゃくて美人な妹のバーバラ。
何歳に見える?

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女性の年齢を公表するのはあまりよくないと思うんだけど、イクエより年上なんだよ!
しかも4つも!
びっくりだよね。
イクエ、肌のツヤが完全に負けてるよ。
旦那としても残念だよ。

立派なアラフォーなのに女子大生みたい。

普通、外国人よりも日本人のほうが若く見えるのに・・・。
イクエ、完全に負けている。

しかもバーバラは大の折り紙好き。
彼女の作品を見せてもらったけど、どれも緻密で複雑なもの。
折り紙部門でも完敗だよ。

さあ、どんな味なのか気になっていた1kgのウニ。
レモン風味のウニはさっぱり爽やか。
チリのウニは日本のものよりも味が劣ると聞いていたけど、引けをとらない。
パサパサしてないし、クリーミーで濃厚。
日本でもうまい魚は東京の築地に集まるように、チリでもいちばんいいものはサンティアゴに集まるのかもしれない。
かなり、おいしい!

ただ、ケンゾーとイクエ、フェルナンドとグロリア以外の家族がぜんぜん手をつけないのが気にかかる。
じつはグロリアの家族は海鮮があまり好きじゃないんだって!
いやいやいや、なんできょう海鮮をチョイスしたかなあ。
しかも、よりによってウニだなんて。
サーモンはかろうじてお父さんたちも食べてたけど、案の定ウニにはまったく手をつけず。
大量に余ったウニをフェルナンドが食べろ食べろ言うから、ケンゾーとイクエがほとんど全部食べることに。
ウニは大好きだけど、「もういいや」って思うほどウニを食べ過ぎるのは人生で初めてだ。

食べて飲んで笑って、グロリア家で楽しいひと時を過ごすことができた。
フェルナンドとグロリアとは2週間ぶりだったけど、やっぱりウマが合う。
4人でワイン何本空けたかな?
いやあ、飲んだ飲んだ。

でもー。

「あ〜気持ち悪い、気持ち悪いよー!」

真っ青な顔で苦しむイクエ。

そしてグロリアの家のトイレへダッシュ。
いくぶんスッキリした顔で戻ってきたイクエ。

「ウニが全部出てきた・・・。」

うっわ、もったいない!
イクエからは「もったいないとかヒドい。まずは心配してよ!」って非難されたけど、ワインとウニだよー。
そりゃもったいないよ!!
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どこの国も首都は嫌いだけど、ここは違った

2015.05.04 05:37|チリ☞EDIT
食あたりで久々に病院に行ったイクエです。
特大注射をしてもらい、薬をもらいました。
いまは回復。
ボリビアでは鶏肉に注意です!!

ヒッチハイクではるばるチリのサンティアゴにたどり着いたイクエとケンゾー。
人口およそ600万人の都市。
田舎のパタゴニアから来たわたしたちにとっては、かなりの大都会に映る。

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パリやロンドンは別だけど、だいたいどこの国も首都って人が多くて渋滞して騒々しくて、かといってこれといった見どころがないところが多い。
さて、チリの首都サンティアゴはどうなんだろう。

ヒッチハイクをきっかけにいっしょに旅していたフェルナンドとグロリアに「サンティアゴの観光には何日くらい必要?」って聞いたら「えー? 観光するところないよねえ。1日でじゅうぶんじゃない?」なんて言ってた。

見どころは狭い旧市街に集中してそう。

ということで、歩いて旧市街の中心アルマス広場をめざすことに。

まず見えてきたのがこちら。
モネダ宮殿

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モネダとは「お金」という意味。
1846年から大統領府となっているんだけど、それ以前はその名が示すように造幣局だったんだって。

このモネダ宮殿は歴史の舞台となった場所。
1970年、軍人だったピノチェトがクーデターを起こし、当時の大統領だったアジェンデはこのモネダ宮殿を最後の砦とした。
けれど、宮殿は空爆され炎上。
それでも最後まで銃を持って戦いつづけたアジェンデは、結局軍部に追いつめられてここで命を落とした。

そこからピノチェトの独裁政治が開始。
多くの左派系の人々は、誘拐、投獄、拷問された。
ピノチェトの独裁政治が理由で亡命した人は、当時のチリの人口の10パーセントにものぼったのだそう。

そんな、チリの暗い歴史のはじまりの舞台となったモネダ宮殿はいまは修復されて、地下では企画展などが開かれている。

さて、続きましてはこの時計塔みたいなもの。

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サン・フランシスコ教会
1572年に建設が始まったと言われている。

チリにこんなふうに中世のヨーロッパ建築がけっこう残っているなんて意外だったなあ。

中世と現代が共存している風景が、サンティアゴかもしれない。

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アルマス広場に到着したわたしたちを出迎えてくれたのが国立歴史博物館
もともと宮殿だったところ。

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ふだんは有料なんだけど、わたしたちが訪れたこの日は日曜日なので入場料は無料。
サンティアゴの博物館のいくつかは、日曜日無料なのでありがたい。

そして広場を囲んで西側にあるのがサンティアゴ大聖堂
1558年に建てられたもの。

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もともとこのあたりは先住民が暮らしていたんだけど、1541年に黄金を求めてスペイン人が侵略してきた。
その際まずは街の中心に大聖堂を建てることが計画されて、1558年にこの大聖堂が建てられたんだって。
スペイン人が侵略してきたとき、先住民族は抵抗しつづけたらしいんだけど、こんな見たこともない大きくてきらびやかな建物を見たときはどう思っただろうね。
力の差を見せつけられた感じかな。

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ヨーロッパの有名な教会にもひけをとらない華麗さ。
この大聖堂もまた、ピノチェトの独裁政治の歴史を見つめてきた。

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ピノチェトが起こしたクーデター直後。
左翼系グループの市民はサンティアゴのスタジアムに集められて虐殺されたという。
その日、一日で確認された遺体は2700体。

そんなピノチェトの時代、もちろん政権に対する抗議や集会は禁じられていた。

それでも弾圧に負けず、ピノチェトに抗おうとする市民はたくさんいた。
反政府の市民グループは、宗教的な集まりを装ってこの大聖堂に集まり、抗議集会を開いていたのだそう。

そう言えばフェルナンドたちも「あのときは暗黒時代だった。とてもつらい時代だった。」って言っていた。

ピノチェト政権が終わったのは1990年。
そんなに昔でないときに、チリが暗黒時代だったなんて、想像できない。

いまのサンティアゴはとても開放的で、道ゆく人たちの表情も明るい。
アルマス広場の噴水では、犬が気持ちよさそうに水浴びをしている。

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歩行者天国となっている通りには、踊ったり演奏したり、路上パフォーマーたちの姿も。

チリは路上パフォーマーが多い。
信号で車が止まるたびに交差点のまんなかに立って大道芸をやり、ドライバーからお金を徴収するパフォーマーをよく見かける。
レベルが低いのも多いのに、目の前でいきなりやられてお金を徴収しに来られたらお金を渡さないといけない雰囲気になる。
「押しかけ強盗みたいだね」とよくケンゾーと言っていたけど、この路上パフォーマーたちのレベルは違った!

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音大生たちなのかな。
オーケストラで名曲を演奏している。

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ラフな格好をしてやってるんだけど、息もぴったり。
なにより楽しそうで「音楽が好き!」ってのが伝わってくる。
思わずわたしたちもコインを投げた。

さて、アルマス広場を後にしたわたしたち。
次に向かったのがサンタ・ルシアの丘

丘の入口は、こんなヨーロッパテイスト。

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ここはサンティアゴにやってきたスペイン人の征服者が、先住民の抵抗に備えて造った要塞。

ヨーロッパの街並みのようなサンティアゴだけど、昔からここで暮らしてきた先住民を殺し、そして築いた街であることに、ふとした瞬間に気づかされる。

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この丘は高さ70メートルくらい。
たいした高さではないけれど、サンティアゴの街並みを一望できる。

街の後ろに迫るアンデスの山々。
実は大都会サンティアゴだけど、高山に囲まれている。

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わずか80キロのところに標高6000メートル級の山々が連なっている。
でも、残念なことに盆地で車の排気ガスがたまり、そのせいで山がはっきり見えないときが多いんだって。
いちばん山がくっきり見えるのは、交通量の少ない日曜日の朝らしい。

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サンティアゴにも四季はある。
夏は35度くらいになるときもあるし、冬は0度くらいになる日も。
けれど、地中海性気候なので日本よりも温暖で冬はそれほど厳しくないのだそう。
1年で300日以上が晴れなんだって。

フェルナンドとグロリアが「わたしたち雨が好きなのよねえ。パイネ国立公園に行ったときも雨だったけど、雨が好きだからそれはそれでよかった。」って言っていた。
そのときは「なんで?」って思ったけど、サンティアゴに住んでると雨が珍しいので「雨がいい」って言うのも頷ける。

丘から見下ろすと、晴天のもとプールを楽しんでいる人たちが。

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都会の真ん中のビルの屋上で、プール。
贅沢だね!

でも、よく思えばわたしたちの泊まっている安宿「タレス」もなかなか趣がある場所にある。

噴水の後ろにあるのが「タレス」。
建物もいい感じで古い。

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周りの建物も中世ヨーロッパ風。
タレスがある場所はおしゃれなエリアでも何でもないんだけど、こんなふうにさりげなく素敵な路地がサンティアゴにはけっこうある。

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そのいっぽう「近代的!」っていうエリアも。
その代表がここ。
スーツに身を包んだビジネスマンがたくさん歩いていて、丸の内みたい。
このガラス張りのタワーのようなビルはショッピングセンター。
南米イチの規模を誇る。

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首都は好きじゃないイクエとケンゾーだけど、サンティアゴは気に入った。
古いものもあれば、新しいものもある。
文化的な面もあれば、下町風情漂う面もある。
大都会ではあるけれど、地下鉄を使えばどこにでも行けちゃう。

そして、食も楽しめる。

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これは中央市場
魚に貝に、イカにタコ。
新鮮な魚介類が手に入る。

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この市場、売場よりも食べるスペースのほうが広い。
いくつものレストランが入っていて、シーフードに舌鼓。

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流しのギター弾きなんかも来て、お昼時は大盛況。

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市場のまんなかの目立つスペースを陣取っているのはちょっと高そうなレストラン。
でも隅のほうにはリーズナブルな食堂もある。

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リーズナブルって言っても激安ってほどではないんだけどね。
でも、やっぱり食材を買っても自分では出せない味っていうのがある。
せっかくだから、ここならではのものを食べないと。
このムール貝のスープは3800ペソ(約760円)。

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そして、この雑炊みたいに見える食べ物はパステル・デ・ジャイバ。
雑炊みたいに見えるけど米は入っていない。
中身はほとんどがカニをほぐした身。
ふっわふっわしている。
4500ペソ(約900円)。

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そんなこんなで、首都だし観光地は少なそうだし期待していなかったサンティアゴ。
でも、住んでもいいかな、なんてことまで思う。

それはこの街が素敵だから?
それともこの街に素敵な人たちが住んでいるから?

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大切な友だちがいる街には、住みたくなるもの。
次回は、サンティアゴの友だちに会う話です ♪
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サンティアゴの面倒くさいけど悪くない宿

2015.05.03 06:16|チリ☞EDIT
中学生のころからアレルギー性鼻炎に悩まされてきたケンゾーです。
花粉やホコリは問題ないけど、温度変化に体がついていかない。
夏に暑い外からエアコンの効いた室内に入ったり、冬に暖房の効いた室内から寒い外に出たり・・・。
あとは春や秋の季節の変わり目が苦手。
寒いなら寒い、暑いなら暑いと一定だと大丈夫なんだけどね。
今もくしゃみ&鼻水と戦いながらこのブログを書いている。
鼻にトイレットペーパーを大量に詰め込んでたら、妻に紙を食べてるヤギみたいと言われてしまった。
いや、こっちは真剣なんやけどね。

チロエ島につづきプエルトモンでも海鮮三昧、新鮮な魚や貝に舌鼓を打ったケンゾーとイクエ。
もうパタゴニアに思い残すことはない。
自然、グルメ、出会い、充分パタゴニアを満喫することができた。
とりあえずは、はじめに設定していたゴール地点のサンティアゴをめざそう。

サンティアゴ

プエルトモンからチリの首都サンティアゴまではおよそ1000km。
福岡ー東京間とほぼ同じ、バスで10時間以上かかる距離。
プエルトモンを出発する日、ふたりが乗り込んだのは長距離バス・・・ではなくおんぼろミニバス、向かう先はバスターミナル・・・ではなくハイウェイ。
そう、ここまで来たからにはサンティアゴまでヒッチハイクで行こう。

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サンティアゴはとにかくこのハイウェイをひたすら北上するだけ。
距離はあるけれど、首都に向かう車は多いはず。
サンティアゴ行きのトラックを一発で引き当てる!なんてことを密かに期待していたけれど、現実はそんなに甘くはなかった。

期待に反してぜんぜん止まってくれない車。
スタートするのも遅かったけれど、もう正午を過ぎてしまった。
すこし歩いて場所を変えることに。

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場所を変えたことが功を奏したのか、15分ほどで車が止まった!
よっしゃー、その日1台目の車が止まったときのホッと胸をなでおろす感覚はほかでは味わうことのできないもの。
なんとかサンティアゴに向けて移動を開始することができた。

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車をゲットしてほっとひと安心。
しかもラッキーなことに、600km先のチヤンというところまで乗せてもらえることが判明。
よし、サンティアゴとはいかないけど、一気に半分以上も進めるなんて運がいい。

息子の家に行っているというこの男性。
役所で働く公務員で、先住民族の生活支援などの活動をしているという。
ケンゾーとイクエを拾ったあとすぐに別のヒッチハイカーを拾った。
そして、この男性が降りると立て続けに別のカップルを拾っていく。

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もちろん優しいっていうのは大前提だけど、きっとロングドライブのお供として話し相手が欲しいんだろうね。
ケンゾーとイクエとしても、スペイン語がしゃべれず会話を弾ませることができないのでほかのヒッチハイカーを拾ってもらったほうが気が楽だ。

午後6時半、ケンゾーたちと同じようにサンティアゴをめざしているチリ人カップルとともにチヤンの街の手前で車を降りる。
さっそくヒッチハイクを再開したカップル。

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ここからサンティアゴまでは400km弱。
うまくいけば日付が変わる前にサンティアゴに到着できる。
すぐにゲットできたらいいね。

ケンゾーとイクエはというと、今日はもうギブアップ。
夜中にサンティアゴの街を移動するような無謀なことはできない。
サンティアゴ入りは明日に持ち越し、今夜はここで一晩明かそう。

近くにガソリンスタンドがあったので、敷地の隅にテントを張らせてもらえないか聞いてみる。
が、答えはノー。
何て言ってるのかよく分からないけど、危ないからダメだよって言ってるみたい。
しかたなく水だけもらって場所移動。

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場所移動といっても、明日またここからヒッチハイクを再開するのでハイウェイから離れたくない。
ガソリンスタンドの横に使われなくなったドライブインが。
公園のようなスペースがあり、草がぼうぼうでテントの目隠しにもなる。
今夜の寝床はここに決定。

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もちろん電気も水道もない。
昼ご飯ように持ってきていたサーモンチャーハンで空腹を満たす。
あしたすぐに車が止まってくれたらいいな。

そして翌日、朝9時からヒッチハイク再開。
サンティアゴまであと400km。
夕方までには着きたいな。

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さっそく1台の車が止まってくれた。
なんとキャンピングカー。
じつはケンゾーとイクエにはジンクスがある。

「キャンピングカーは止まってくれない」

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パタゴニアではキャンピングカーで旅をしている人たちをよく見かけた。
だけど今まで1度も止まってくれたことがない。
小さなレンタカーで旅をしているツーリストにはよく乗せてもらったのに、スペースがいっぱいあるキャンピングカーは止まってくれない。
なんでなんだろう?ってふたりで首を傾げていた。
キャンピングカーは家みたいなもの、車はまだしも家の中に見ず知らずの人をあげたくないってことなのかな?

何はともあれ、ジンクスを見事に破りキャンピングカーに拾ってもらったケンゾーとイクエ。
この男性はツーリストではなく所用で移動しているのだった。

キャンピングカーに乗ると以前オーストラリアのタスマニアをキャンピングカーで周遊したことを思い出す。
楽しかったなあ。
どこでも料理ができてどこでも寝られる、そして自由にどこにでも行ける。
バックパッカーの旅とはまたひと味違う旅を楽しむことができるキャンピングカーの旅。
またいつかどこかでチャレンジしたいなあ。

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このキャンピングカーにはおよそ100km、リナレスという街まで乗せてもらった。
さあ、あと300km。
突き出す親指に力がこもる。
止まってくれ〜。
もう指だけじゃダメだ、体全体で猛アピール。

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止まってはくれないけど、通り過ぎる車内に笑顔が見える。
よし、アピール度は文句なし、あとは時間の問題だ。
とはりきっていたら、イクエからまさかのダメ出しが。

「その変なポーズやめてくれる?
 ウケとるんじゃなくて、失笑しよるとよ。
 変な人と思われよるけん。」


・・・チーン。
ふつうに親指を立てることに。

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止まった!
やっぱり普通にしてたほうがよかったのか?
まあ、止まってくれればどっちでもいいや。

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このあと3台の車に乗せてもらった。
ひとつは500mくらいだけの移動だったけど。
「ここだよ」って言われてたときは正直「えっ?ここ?」って思ってしまうんだけど、少しでも乗せてあげようとしてくれる心がうれしい。

どんどん近づいていくサンティアゴ。
景色が都会になっていく反面、ブドウ畑も増えてきた。

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値段が手頃で日本でも有名なチリ産ワイン。
地中海性気候でブドウの生育に適している首都のサンティアゴ周辺に産地が集中している。
サンティアゴでおいしいワインを飲むことも楽しみだ。

道路標識にサンティアゴの文字が!
ウシュアイアから始めたヒッチハイクの旅もいよいよゴールが見えてきた。

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南米最南端ウシュアイアから直線距離で2400km。
北海道の網走から沖縄まで移動したことになる。
それでもまだ南米の1/3だけ。
あらためて南米の大きさを思い知らされる。

拾ってくれたおじさんの出身地を聞くと「パイネだよ」という返事。
ええー、パイネ!?
パイネ行ってきたし、いちばん好きな場所だよって言ったら「違う違う、トーレス・デル・パイネじゃなくてサンティアゴの近くのパイネだよ」と笑われてしまった。

サンティアゴまであと40kmというところにパイネという街があって、おじさんはそこに帰る途中。
ということで、サンティアゴまで40km地点で降ろしてもらう。
「こっからバスで安く行けるから、バスに乗っちゃいなさい」と言われながらおじさんとお別れ。

バスに乗ろうか迷ったけど、すぐに1台の車が止まってくれて10km前進。
サンティアゴまであと30kmのブインという街までたどり着いた。

あと30km、どんなにボロい車でも1時間以内にゴールだ。
最後の気力を振り絞って親指を立てる。

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・・・。
ダメだ、ぜんぜん止まらない。
交通量が多すぎる。
サンティアゴまで目と鼻の先、近すぎてもうどの車も止まってくれそうにない。

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時刻はもう夕方の5時、もうここをふたりの南米ヒッチハイク旅のゴール地点にしよう。
サンティアゴ行きのミニバスが通りがかったので、すかさず飛び乗る。
ブインからサンティアゴまで1人1100ペソ(約220円)。

バスはサンティアゴの南に位置しているメトロの駅が終点。
そのままメトロに乗ってサンティアゴの市街地へ。

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メトロに乗るのはいつ振りだろう?
エジプトのカイロ以来だから7か月ぶりかな。
都会にやって来たなあ。
どの国でもあまり首都が好きではないケンゾー。
サンティアゴはどうだろう。
好きな街になるといいんだけど。

メトロを降りて宿をめざす。
たどり着いたのは「ホスタル・タレス」
サンティアゴで唯一とも言える安宿で、ほとんどの日本人の旅人がここを利用している。

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中に入ると、たしかに日本人だらけ。
管理人はアメリカ人のおじさんだけど、かぎりなく日本人宿化している。

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チェックインの手続きもそこそこに、ウェルカムドリンクを出してくれた管理人のスコット。
おお、おしゃれなサービスやん ♪

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冷えてはないけど美味しいフルーツジュースを飲んで一息ついたケンゾーとイクエ。
飲み終わったグラスを洗おうとキッチンへ行くイクエ。
5秒後、キッチンからスコットの大きな声が聞こえてきた。

「ダメダメダメ!
 それはソープを使って洗っちゃダメだから!」


ん?
ひょっとして怒られてるのはイクエ?
グラスを2つ洗うだけで、34歳の女性が怒られてる?

タレスのオーナーは別にいるみたいだけど、実質的に管理をまかされているアメリカ人のスコット。
歳は60くらいかなあ。
悪い人じゃないんだけどかなり神経質。
水回り、とくにキッチンの使い方にかなり厳しい。

サンティアゴは水道料金が高いらしく、とにかく水の使い過ぎに敏感。
宿泊客はまずキッチンの使い方のオリエンテーションを受けなければいけない。
早口の英語で流れるように説明していくスコット。
何百回と説明してきたんだろう、言葉に詰まることもなく淡々とした口調はロボットみたい。

だけど、皿の洗い方のときには力がこもる。
自ら実演し、分かったか?と何度も確認してくる。
すすぎに使う水の量が増えるので油もの以外洗剤の使用はNG。
ご飯を炊いたあとの鍋にタプタプまで水を溜めてつけ置きするのもNG。
スコット曰く、米はベリーソフトだから大丈夫なんだそう。
いやあ、焦げ付いた米はベリーハードなんだけどなあ。

皿を洗うシンクの中には常に大きな寸胴鍋が置かれている。
スコット曰く、育てている植物の水やりように水を再利用しているんだそう。
でもこれが邪魔で仕方ない。
水が溜まったらどこかに避けておけばいいのに、常に水が溢れてる状態で放置されている。
皿が洗いにくくて仕方がない。
しかも寸胴の中に洗剤の泡が入ったら怒られるから余計面倒。

キッチンの使い方だけでなく、ほかにもいろいろとスコットルールが存在しているタレス。
ドミトリー、個室に関わりなくすべての部屋の壁にはたくさんの張り紙が。
ほぼ日本人宿となっているのでちゃんと日本語で書かれている。
日本人の旅人に書いてもらったんだろうね。

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ここで注目しておかないといけないのは「ベッドメイキングについての質問は21時以降にして下さい。(日中は忙しくて対応出来ません)」という注意書き。
どういうことかって?
それはこういうこと。

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ケンゾーとイクエがチェックインしたのは夕方6時半。
だけど使うように言われたベッドはマットレスむき出しでベッドメイキングされていない。
スコットにシーツが欲しいんだけどって言っても「張り紙見てないの?夜9時以降じゃないと対応できないから」と言われておしまい。
結局この日、ベッドメイキングされて寝られるようになったのは9時どころか11時過ぎ。
寝台バスであまり寝られず朝に到着、宿でひと眠りしたくてもすくなくても夜9時までベッドに横になることが許されないのがタレス。
「日中は忙しくて・・・」って書いてあるけど、そんなに忙しそうには見えないんだけどね。

スコットルールは細かいし、スコットもテンションが高いときと低いときでぜんぜん対応が違うし、セクハラとまでは言わないけど、女の子によってはエロオヤジになるスコットだけど、まあ悪い人ではない。
ロケーションもいいし居心地もいい。
ドミトリーで1泊6000ペソ(約1200円)は最安なんじゃないかな。

出たり入ったりでサンティアゴにはトータルで10泊したケンゾーとイクエ。
イベント盛りだくさんのサンティアゴ編のスタートです ♫
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南米のハイライト!パタゴニアの絶景 動画とともに

2015.05.02 06:13|世界の絶景☞EDIT
なぜ女性はハーブティーとかいろんなお茶が好きなのか不思議に思うイクエです。
わたしも好きなんですよ。
たぶんいま10種類くらいは持ち歩いてる。
紅茶に緑茶、ミント、カモミール、ルイボス、マテ・・・。
選ぶのが楽しいですね。
ケンゾーは興味がなくて、わたしが淹れたのをいっしょに飲んでます。
でも、わたしもケンゾーもコーヒー党だけどね!

プエルトモンを出ると、これでイクエとケンゾーのパタゴニアの旅は終わったことになる。
1か月あまりにわたってパタゴニアを周遊した。
ほんとうにこの1か月は絶景の嵐で、地球の雄大さ、自然の神秘、この世界の美しさを実感する日々だった。

きょうは絶景写真、そして映像とともにそんなパタゴニアの旅を振り返ります!

パタゴニア。
それは南アメリカ大陸の南側。
厳密に言えば、南緯40度付近を流れるコロラド川よりも南の地域を指す。
アルゼンチンとチリの両国にまたがっている。

大航海時代の探検家マゼランが、この地に降り立ったとき先住民を「パタゴン(足の大きな人)」と名付けたことから「パタゴニア」と呼ばれるようになったとも言われている。

パタゴニアまとめ

パタゴニアにはおよそ30の国立公園がある。
パタゴニアの魅力はなんといっても、その美しい自然。

とはいっても、緯度が高いので冬はとても寒く過酷な環境になる。
パタゴニアを楽しむには、夏(1月から3月)に行くべし。
ということで、1月末にアフリカ縦断の旅を終わらせたわたしたちは、南米の旅をパタゴニアから始めることにしたのだった。

最初の街として選んだのは、南米の最果ての街・ウシュアイア

「世界最南端の都市」と言われている。

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空の上から見る景色にワクワクした。

雪を被った山が連なり、深い緑の森がどこまでも続く。
突然現れる、驚くほど青い湖にハッと息をのむ。

南極までわずか1250キロ。
そんなところでも確かに人は暮らしていた。

街を見守るように、昔から変わらぬままの雄大な山が凛としてそびえている。
過酷な自然環境だからこそ、青空が見え、太陽が地上に温かい光を注ぐと、こころが晴れやかになる。
太陽のありがたさを感じる街。

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街からヒッチハイクとトレッキングでめざしたのはエスメラルダ湖

森を分け入り、草原に出て、岩場をのぼる。
トレッキング中に感じた「森林限界」

森林限界とは、木が育たなくなる限界の地点のこと。
足元には花が咲き誇るのに、視線を上げるにしたがって森、草原、岩肌、そして氷河となる。

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標高はわずか380メートル。
それなのに緯度が高いので、まるで数千メートル級の高山にいる錯覚を覚える。

初めてのパタゴニアの大自然を感じながらたどり着いた「エスメラルダ湖」。

「エスメラルダ」とは、スペイン語で「エメラルド」。
まさに、その名にふさわしいものだった。

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氷河を抱く山に囲まれるようにして、ひっそりと存在しているエスメラルダ湖。
氷河から滝をつたって流れ落ちる冷たい水が、この美しい湖の色を造り出す。
太陽の位置や、雲の量、見る角度によって、その色はミステリアスに変わっていく。

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だけどこの大自然よりもわたしたちを驚かせたもの。
それは、ここに生息するビーバーたちのお仕事。

大木もビーバーたちの手にかかれば、ご覧のとおり。

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どこを見ても、ビーバーの巣や、ビーバーたちが造ったダムだらけ。
こんな環境でもたくましく生きているビーバーたちに圧倒された。

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美しいパタゴニアではあるけれど、別名「嵐の大地」と言われている。
年中風が強くて、風速60メートルを超えることも珍しくない。

風に吹き飛ばされそうになりながらも、しっかりと大地に根を張る木々。
パタゴニアの名物でもある「フラッグツリー」(はためく木)

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そんな強風のなか、わたしたちはヒッチハイクでパタゴニアを周遊することにした。
フラッグツリーのように、風に負けずにふんばって、路上で親指を立てる。

ウシュアイアで拾ってくれたのは、若いお医者さんのチリ人カップル。

ドライブ中に何度も、愛らしい瞳の野生動物、グアナコと目が合った。

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乗せてくれた彼らの目的地は、ポルヴェニール
行くはずのなかった街にわたしたちは2泊した。

そして、ここからフェリーに乗ってマゼラン海峡を渡る。

今から500年前にマゼランが渡った、太平洋と大西洋を結ぶ海峡。
陸続きに思えた南アメリカ大陸は、この海峡により南北が分けられていた。

フェリーが出発して、わたしたちを出迎えてくれたのは楽しそうに遊ぶイルカたち。

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フェリーを降りてヒッチハイクを繰り返し、プエルト・ナタレスへ。
ここに来た目的は、パイネ国立公園のトレッキング。

世界一周中、トレッキングの魅力を知ってしまったわたしたちだけど、それでも不安はあった。
食料や防寒具、寝袋にテント。
重い荷物を担いで、5日間もトレッキングができるのか。

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たしかに5日分の食料はずしりと肩に食い込んだ。
それでも、その先の絶景が見たくて前へ進みたくてしょうがない。

「うわあ~、きれーい!」
「すっげぇ・・・。」

その繰り返しだった。

トレッキング初日に見たのは、トーレス・デル・パイネ
「パイネの塔」

疲れが吹き飛ぶ景色が目の前にあった。

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「ここに来てよかった。」

初日からそう思ったけど、日を重ねるごとにその思いは強くなっていく。

クエルノス・デル・パイネ
「パイネの角」

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2つの角の間から、雪解け水が流れ落ちていく。

そしてそれが湖へ。

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そして雲となり、ふたたび山頂に雪を抱かせ・・・。

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自然の循環はなんて美しいんだろう。

青みがかった氷河をたっぷりと抱く、パイネ・グランデ
ときおり、ジェット機のような音が大地を揺るがす。

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滝のように氷河が崩れ落ちる。
その音を聞きながら、テントで夜を明かした。

圧倒される大自然。
しかしパタゴニアの気候は厳しく、天気が悪い日が多い。

それなのにわたしたちは幸運にも天候に恵まれた。

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フランセス谷を登った先には、360度の絶景。

ただ、そこには空があり、岩山があり、湖がある。
だけどそれは、人間が造るどんなものよりも美しい。

ワクワクするような、こころが洗われるような、驚くような、うっとりするような、鳥肌が立つような、現実感がわかないような、泣きたくなるような、地球の偉大さを見せつけられるような、自分の小ささを感じるような、生きててよかったって思えるような。

瞬間瞬間、いろんな感情に満たされていく。
そのどれもが、幸福な感情。

そんないろんな感情をもったなか、トレッキング4日目。
ケンゾーは新たな感情を抱くことになった。

「おれたち、
 だいぼうけんしとるみたいや~!」

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地平線まで続くグレイ氷河

その先がどうなっているのかわからない。

そしてわたしたちは向かい風と闘いながら、その先へと向かっていった。

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天を刺すような尖った氷河がどこまでも連なる。
そして、ときに手前から崩れていき、ぷかぷかと湖を漂い、鋭利だった氷河はどんどん丸くなっていく。

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雪山や氷河のあるパイネ。
凍えそうなこの場所にもしっかりと花は咲いていた。

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間近で氷河を見たわたしたち。
大自然を前に、人間の欲望は飽くことを知らない。

人間の身長の何倍の高さもある氷河を歩くことができたら・・・。

その欲望を満たすためにエル・カラファテへ。

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氷河トレッキングを楽しめるのは、エル・カラファテからバスで行けるペリト・モレノ氷河

アイゼンをつけて、偉大なる氷河に挑む。

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幾年もかけてでき上がった氷河。
その氷河の上を歩く人間は、まるで豆粒。

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底が見えないクレバスの脇を恐る恐る歩いていく。

ガイドが言った。

「このクレバス、どこまで続いているだろうね。
 もしかしたら地球の裏側、日本まで続いているかもしれないよ。」


そんな冗談も、あながち嘘じゃないかもしれないと思えるほど。

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初めて歩く氷河は、とても神秘的な青をしていた。
吸い込まれそうで、少し怖い青。

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そして、氷河のアイスでウイスキーのロックを。

「乾杯!」

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「パタゴニア」と聞いて、まっさきに思い浮かべるもの。
それは、南アメリカ大陸の南の地域「パタゴニア」ではないかもしれない。

きっとそれはー。

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アウトドアブランドの「パタゴニア」。
この「パタゴニア」のマークのモチーフになったものが、ここ「パタゴニア」にある。

「かっこいい!」と何度も言いたくなる山、フィッツロイ

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旅人は憧れる。
燃えるフィッツロイが見たいと。

それは、条件がそろわないと見られない。

天気が良く、雲がなく、朝日が差し込むとき。

寒さに震えながら、その時が来るのを待つ。

顔を出した太陽。
スポットライトのように頂上から徐々に照らし出していく。

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ピンクに染まった山々。

それだけでは終わらない。
次に訪れたのは、黄金色の時間。

フィッツロイがより神々しく見える。

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だけどわたしのこころを動かしたのは、そんな朝焼けのフィッツロイだけじゃなかった。

フィッツロイのふもとの村エル・チャルテン
先住民の言葉で「煙を吐く山」
雲があるフィッツロイこそ、フィッツロイらしい。

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晴れているのに、いつもフィッツロイの上にだけ雲がある。

山から吹き出た煙は、千切れ雲となり、ふわふわと上空を漂っていく。

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ときには、刷毛で絵の具を引いたように。

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朝焼けのフィッツロイが見たくて、わたしたちはテントで二晩過ごし、そのチャンスを待った。
でも、その間に見たフィッツロイと雲が織り成す世界のほうが幻想的で印象的だった。

フィッツロイから出る水蒸気に光が反射。
七色の雲が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
シャボン玉みたい。

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刻々と変化していくフィッツロイ。
そんな姿を毎日眺める森の住人。

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「大自然」「トレッキング」「ヒッチハイク」。

わたしたちのパタゴニアの旅のキーワードはこの3つ。

ヒッチハイクがうまくいかず、11時間車を待った日もあった。
その晩は、ガソリンスタンドの横にテントを張らせてもらって夜を過ごした。

その次の日。
わたしたちに、素晴らしい出会いが待っていた。
わたしたちを拾ってくれたフェルナンド一家。
そして彼らとの一週間のドライブ旅。

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パタゴニアで美しいと言われるドライブコースを、毎日駆け抜けた。
いちばん美しかったのは、チレ・チコからマーブル・カテドラルまでの道。

輝く湖を右手に見ながら。

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サイクリストたちが憧れる道。
それは、断崖絶壁の過酷な道でもある。

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峠を越えると、突然眼下に湖が広がる。

感動のため息を、何度もらしたことだろう。

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思い描く、どんな湖の色よりも美しい。
人間の想像を超えた美を、どう受け止めたらいいだろう。

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フェルナンドたちと船に乗って、湖上へ。

湖に浮かぶ大理石の島々は、中が空洞になっていて大聖堂を思わせることからマーブル・カテドラルと呼ばれている。

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湖の青が反射し、大理石も青みがかって見える。

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なめらかな曲線。
予測不能な形。

建築の巨匠、ガウディの作品のひとつのような。

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パタゴニアの山間を縫うように走っている国道7号。
別名、アウストラル街道
ときにはつづら折り、ときにはオフロードで時速30キロほどしか出せない。

落下した岩が道を閉ざし、通れるようになるまで深夜までみんなで車内で待ちつづけたのも今となってはいい思い出。

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フェルナンドとわたしたちのゴールが、清流の村フタレフー
身も心も洗われるような、のんびりした2日間を過ごした。

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ここは世界的にも有名なラフティングのメッカ。
フェルナンドとパブロはラフティングに挑戦。
パタゴニアの澄んだ川で、遠くに緑の山々を見ながらの迫力あるラフティング。

それは、父と息子に「これまででいちばんスペシャルな日だった」と言わしめた。

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これまで2年半旅をしてきて、いろんな国でいろんな絶景を見てきたわたしたち。
自分たちの目も肥えてきて、それなりの景色でもこころが動かされないかもという心配もあった。

でもー。
パタゴニアの大自然にそんな心配は無用だった。

パタゴニアで見る景色に、毎日息をのみ、鳥肌が立ち、感動のため息をついた。
五感で感じる大自然に、いつもこころが満たされ、幸せになれた。

わたしたちの旅のハイライトのひとつになったに違いない。

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世界でいちばん美しい場所。
それは、パタゴニアかもしれない。
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イクエ渾身の寿司を握るも・・・

2015.05.01 06:13|チリ☞EDIT
この旅ではカメラに関してあまりツイていないケンゾーです。
日本を出発して2年7ヶ月の間に落下、水没、故障とトラブルだらけ。
インド、イラン、ハンガリー、エジプトと世界中で修理をしてきた。
そしてとうとう買い替えるも、わずか4か月でセンサーに大量のゴミが付着。
レタッチソフトで1枚ずつ修正するという無駄な作業に追われている。
いい加減しんどくなってきたので、薬局でエタノールを買ってクリーニングをしてみよう。

ほとんど観光らしいことはせず、ひたすらチロエ島の海鮮を食べまくっているケンゾーとイクエ。
テント泊で宿代も抑えられるので海の幸を満喫するにはもってこいのカストロ。
深夜の歌声さえ我慢すれば(けっこう音痴なのでかなり迷惑)居心地がよくて足に根っこが生えそう。
けれどいつまでもここで食って寝る生活を送るわけにはいかない。
廃人になる前に移動することに。

移動とは言っても同じチロエ島内、北端にあるアンクーをめざすことに。
チロエ島でもヒッチハイクに挑戦。
キャンプ場から1kmちょい歩いて幹線道路へ。

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幹線道路にたどり着いたはいいけれど、ショッキングな光景が。
片側1車線、しかも路肩が狭くてヒッチハイクには不向き。
これじゃあ車を止めたくても危なくて無理だ。

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300mほど先にガソリンスタンドがあったのでその手前で親指を立てることに。
同じようにここでヒッチハイクを試みた人がいたんだろう。
段ボールで作った特大親指が落ちていたので使わせてもらうことに。
乳首がシャラポワ状態で気合い十分!

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・・・5分後、バスの座席に座っているケンゾーとイクエ。
いやあ、アンクー行きの小ちゃなミニバスがやって来たので一応値段を聞いてみたら1250ペソ(約250円)だったからさ、そっこう乗っちゃったよ。

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80kmで250円だからね。
高いのか安いのか、チリのバスはよー分からん。

アンクーのバスターミナルはセントロ(街の中心)から2kmほど離れている。
重いバックパックを背負ってセントロへ。
ホテルを見つけるたびに立ち寄って値段を聞いていく。

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宿は思ったよりも高い。
値段のわりには質がいまいち。
セントロから離れてるのにこれだと、ちょっと嫌な予感がする。

やっとこさセントロに到着。
歩き疲れてホテルを探しまわる気力がない。
手っ取り早くインフォメーションセンターに尋ねてみることに。
カストロでもテントサイトを教えてくれたし、頼りにしてますよ!

・・・5分後、撃沈したケンゾーとイクエ。
インフォメーションセンターはホテルのプライスリストを持っていたけれど、いちばん安いホテルでもふたりには高すぎた。
頼みのキャンプサイトもあるにはあるけれど、セントロからけっこう離れている。

・・・もう、いいや!
なんだかアンクーがどうでもよくなってしまった。
パッと見、街自体もたいしたことなさそうだし、もうスルーしよっか?
イクエもまったくおなじ気分だった。

海鮮もたっぷり満喫したし、チロエ島に未練なし。
本土のプエルトモンまで行っちゃおう。
歩いてきた道を引き返し、バスターミナルへとんぼ返り。
もう昼過ぎだし、海を渡るのでヒッチハイクはお預け。

プエルトモン

アンクーからプエルトモンまでは1人4000ペソ(約800円)。
カストロからアンクーまでと距離はほとんど変わらないのに値段はぜんぜん違う。
フェリーに乗るからかもしれないけど、やっぱりチリのバスはよー分からん。

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途中、バスごとフェリーに乗ってチリ本土へ。
およそ2時間でチリ側パタゴニアの玄関口プエルトモンに到着。
バスターミナルが広くてきれい。
パタゴニアの玄関口は、ケンゾーとイクエにとってはパタゴニアの終着駅。
この立派なターミナルを見て「あ、パタゴニアの旅が終わったな」って感じがした。

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チリは日本とおなじく火山の国。
約500もの活火山があるんだそう。
今年の3月にはビジャリカ火山が、そしてつい先日4月22日にはプエルトモンからわずか30kmしか離れていないカルプコ火山が噴火した。
避難を余儀なくされた住民もいたようだけど、今はどうなってるんだろう。

このプエルトモンからも別の山が見える。
チリは火山国だと実感。

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ここプエルトモンでは宿の当てがある。
一足先にここを訪れていたヒトシくんからいい宿の情報を教えてもらっていたんだよね。
バスターミナルを出て、小高い丘を上った住宅街にその宿はあった。

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・・・ん?
看板も何も無い、ただの家?
どこが入口?

ピンポンを鳴らすと笑顔が素敵な娘さんが出てきて、家の中へと招き入れてくれた。
中はいたって普通の部屋。
ここが本当にホテル?

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実は経緯はよくわからないけど、ヒトシくんたちがテントを張れる場所を探しているときにこの家のおばちゃんと出会ったんだそう。
「テントが張りたいの?それならうちでいいわよ」ってことでこの家にたどり着いたらしい。
ケンゾーとイクエもヒトシくんたちがテントを張っていたという庭に通された。
うん、ただの庭だね。
しかも地面が斜めだし、犬のウンコがあちこちに散らばってる。

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これじゃあただの個人の家に居候って感じだけど、キッチンとシャワーを使わせてもらえるしWi-Fiもある。
おばちゃんも優しいし、なにより1人1泊3000ペソ(約600円)っていうのが嬉しい。

この家には犬が1匹、猫が数匹飼われている。
それプラスどこの犬か分からないけど近所で飼われている犬がよく遊びにやって来る。
するとじゃれあって収拾がつかなくなる。
人懐こくてかわいいんだけど、やんちゃすぎるんだよね。

この家の犬、臭いが気に入ったのかイクエの靴がお気に入りになっちゃってテントの外に脱いでいるとくわえて持っていってしまう。
「こら~、ダメやろうもん!」って笑いながら怒ってたら、とうとうおばちゃんに鎖で繋がれてしまった。
切ない顔だねえ。

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さあ、寝床も確保できたし、ここプエルトモンでやることと言えば・・・海鮮を喰らう!でしょう。
プエルトモンも港町、市場では新鮮な魚介類が手に入る。
海鮮は食べられるときに食べとかないとね ♫

ということで、チロエ島でさんざん海鮮を食べたにもかかわらず、街から2kmほど離れたアンヘルモという漁港をめざすケンゾーとイクエ。
おいしいものを食べられるなら、2km歩くくらいなんでもない。

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漁港と言っても、漁船が直に陸揚げされてとてものどかな雰囲気。
漁師のおっちゃん達が岩をまな板代わりに魚を捌いている。
豪快というか、大雑把というか、まあ微笑ましい光景だ。

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ワクワクしながら漁港に併設されている市場内へ。
カストロの市場より大きいけれど、魚や貝の種類はそんなに変わらないかな。
なんとなくよりツーリスティックな雰囲気が漂っている。

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とりあえずその場で食べられるつまみ的なものを食べることに。
まずは南米でよく見かけるセビッチェというマリネから。
白身魚や貝などどんな魚介類でもレモンを絞るとセビッチェになる。
今回はイクエの大好きなサーモンのセビッチェ。
1皿1000ペソ(約200円)。

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生のサーモンに刻んだトマトとオニオン、そしてコリアンダー(パクチー)。
レモンがこれでもかと搾られていてかなり酸っぱい。
コリアンダーと酸っぱいものが苦手な人には拷問でしかないだろうね。

南米の人たちがそうなのか、それともチリ人が特別そうなのか、市場内の出店はセビッチェだらけ。
何貝なのか分からないけど、貝のみのシンプルなセビッチェも挑戦。

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この店はオニオンやコリアンダーをお好みでトッピングすることができる。
コリアンダー大好きなケンゾーはここぞとばかりに大量投入。
けっこうセビッチェで当たってしまう旅人も多いみたいだけど、ケンゾーとイクエは大丈夫だった。

そして、イクエがいちばん気に入ったのがこのピコロコ
これも海鮮なんだけど、なにか分かる?

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イモのようにも見えるけど、これフジツボなんだよね。
そう、岩や船の底なんかに付着しているあのフジツボ。
ただ日本でよく見かけるフジツボと違ってかなり大きい。
なんでも世界最大級のフジツボなんだって。
どこからどこまでが1匹のフジツボかよく分からないけど拳大くらいある。
カニのようなハサミを持っていて、かなり攻撃的。

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見た目はグロテスクなんだけど、意外にも味はマイルド。
カニに似ている。
クリーミーで濃厚、とても甘い。
イクエは「カニよりもウマい!」と絶賛。

フジツボのことを調べたら、最近では日本でも大型のフジツボが高級食材として流通しているんだそう。
1kg数千円で取引きされているっていうんだからびっくり。
ピコロコは1つ500ペソ(約100円)、日本に輸入したら儲かるかな?

セビッチェやピコロコを食べながら漁港でまったりするという贅沢な時間を過ごす。
おこぼれを求めて集まっている犬たちもまったり。
コイツなんか警戒心0。
これ、伸びをしてるんじゃなくて寝てるんだよ。
どんな寝相だよ。

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とりあえず昼はお腹いっぱいになったので夜用の食材を調達しないといけない。
今夜はサーモンにしよう!
とはいったものの、サーモンは半身からでしか売ってくれない店がほとんど。
サーモンの半身っていったら小さなものでも40cmはある。
ふたりで食べるには多すぎるんだよね。

切り身を売ってくれる店はないかなあと物色していると、「あのー、サーモンいりませんか?」と日本語で声をかけられた。
日本語+言葉の内容にびっくりして振り返ると、そこにいたのは日本人の若いカップル。
サーモン入りませんか?ってどういうこと?!

このカップルも長期の旅人。
話を聞くと、泊まってる宿に日本から短期旅行で訪れていた男性がいて、お土産用に生サーモンを大量に買ったんだけど日本に持ち込めないことが帰国寸前に発覚。
どうしようもないからこのカップルにサーモンを託し、食べるなり、誰かにあげるなり、もう捨てちゃうなり好きにしてと言い残して去っていったんだそう。

連日サーモン三昧で2人でがんばって食べてたそうだけど、とてもじゃないけど食べきれなくて誰かあげられる人を探してたんだって。
そういうことなら喜んで頂きますよ。
「よかったら2枚でも3枚でも」って言われたんだけど、いちおう遠慮して1枚だけ頂くことに。

さあ、サーモン祭りのはじまりだ。
半身と言ってもこの大きさ、ずしりと重くてボリュームたっぷり。

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まずは刺身。
贅沢に分厚く切っていく。
脂がのっていて手のぬくもりで溶けるほど。

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そしてケンゾーとイクエ、それぞれ自分が食べたいものを自分で作ることに。
ケンゾーはサーモンのクリームパスタ。
ふだんは牛乳で代用するけれど、ちゃんと生クリームを使って濃厚に。

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イクエはというと、なんとサーモンの握り寿司!
日本と違って米が残念だから危険なんやないの?って言ったけど、どうしても大好きなサーモンの寿司を食べたいんだって。
こだわるイクエは炙りサーモンにも挑戦。
はたして、イクエ渾身の握り寿司の出来映えは?

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大失敗!

失敗ポイント① シャリがでか過ぎてサーモンの味が負けてしまった。
失敗ポイント② そもそも米が日本米と違っておいしくない。
失敗ポイント③ 米酢ではなく、ブドウから作られた酢を使ったので酢飯が変。
失敗ポイント④ ワサビがない。

結果 「へたなことをせず刺身で食べるほうが断然ウマい」。

残念な結果になってしまったみたい。
どうしてもサーモンの握りを食べたかったイクエ、ちょっとかわいそう。

じつははりきってアボカドの軍艦巻きも作ってたんだけど、完全に作り過ぎ。
米だけで腹いっぱいになっちゃうよ。

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翌日、サーモン祭りはまだまだつづく。
これぞ日本の朝、焼鮭!

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匂いがたまらん!鮭の炊き込みご飯。

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そして最後に、きのうイクエがはりきって作り過ぎたサーモンとアボカドの寿司をミックスさせた鮭チャーハンアボカド風味。
寿司としては残念だったけど、見事においしいチャーハンに生まれ変わった。

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いやあ、食った食った。
これでもかっていうくらいサーモンづくしだったよ。
最後のほうはちょっと憎たらしくなってたもんなあ。
でも抜群にウマかった。
遠慮せずにあと1枚もらっとけばよかった!
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