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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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ほんとうにタンザニアの移動は地獄なのか

2015.01.29 00:30|タンザニア☞EDIT
子供のころは毎年ドラえもんの映画が楽しみだったケンゾーです。
いちばん好きなのは2作目の「のび太の宇宙開拓史」。
ふだんはあまり冴えないのび太だけど、映画版では大活躍するのが爽快だった。
長い間ドラえもんなんてテレビでも見てないけど、最近の映画はどんな感じなんだろう?

美味しいカレーをご馳走になってお腹いっぱいの状態でタンザニアに入国したケンゾーとイクエ。
国境で取得できる通常のタンザニアビザは90日有効で50ドル。
だけど、新婚旅行でザンジバルにも行ったしサファリをする予定もないので、タンザニアは協力隊員にお世話になりながらほぼ通過するだけのつもり。
そこで、お金を節約する裏技を使うことに。

じつはタンザニアには観光ビザのほかにトランジットビザがある。
その名のとおりタンザニアを通過するためのビザ。
通過するためとは言っても、期限はなんと2週間。
特に観光するつもりのないケンゾーとイクエにとっては2週間で十分。
トランジットビザは30ドルなので、ふたりで40ドルも節約できる。

注意しないといけないのは、国境の窓口で「観光なんかしません。ただ(隣接国に)通過するだけです」と言うこと。
観光地に立ち寄ったり、人に会うと思われると観光ビザしか発行してくれない。

カゲラ川に架かる真新しい橋を渡ってタンザニアへ。
そこにはルワンダと変わらない景色が広がっていた。
川一本隔てただけだから、まあ当然か。

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タンザニア最初の目的地はビクトリア湖の南端に位置するムワンザ
ルスモの国境からダイレクトでは行けないので、まず国境に近いベナコという街をめざす。

ムワンザ

ベナコまでの移動手段は乗合いタクシー。
イミグレーションを出るとすぐに声をかけてくる。

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ルスモからベナコまで1人3000シリング(約210円)。
値段交渉の余地はなし。
客があと1人集まるまで待たないといけなかったんだけど、ここまで付いて来てくれていた亀田さんが「もういいんじゃないの〜。出発したら〜。」とドライバーを急かす。
ありがとうございます、待つのは慣れてるから大丈夫です。

ほどなくしてタクシーは出発。
1時間ほどして到着したベナコは、メインストリートが1本あるだけの小さな町。
そのメインストリートの両脇をトラックがずらっと埋め尽くしている。
トラックドライバーの休憩スポットとして成り立っている町なのかな。

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きょうはもうこれ以上移動できないのでここで1泊することに。
宿の確保の前に、次の日のムワンザ行きのバスを予約。
こんな何もない町で足止めを食うわけにはいかないからね。

バス会社は2つあるみたい。
アフリカらしいチケット窓口で6時発のバスを予約。
ベナコからムワンザまで20000シリング(約1400円)。

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『タンザニアは移動が地獄』
ネットでタンザニアのことを調べると移動の過酷さがやけに目立つ。
「限界を超えて詰め込まれる」「座席に座れたらいいほう。長時間立ちっぱなしのことも」「悪路をバカみたいにスピードを出すので首がやられる」「ツーリストが正規料金で乗ることはほぼ不可能」「100%ボラれる」・・・。

ケンゾーとイクエもタンザニア入国前からすでにテンションが下がっていた。
移動がツラかったりボラれて不愉快な思いをすると旅の楽しさが半減してしまう。
はたしてこの20000シリングは適正価格なのか、それともボラれてるのか?
確かめたいけど術がないもどかしさ。

つぎは寝床探し。
町を見た瞬間に期待することは放棄したけど、案の定まともな宿は皆無。
いかにも連れ込み宿というような妖しい宿ばかり。
その中でまともそうな宿をチョイス。

一応「GUEST HOUSE」と書いてあるけど、部屋の照明はピンク。
まあ間違いなく連れ込み宿だね。

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トイレは狭くてボットンだし、シャワーもないし、宿自体はけっして居心地はよくない。
だけどスタッフの感じがいいのでよしとしよう。
ボリューム感たっぷりの女の子が「いっしょに写真撮って〜」と言ってくれる。
撮ってあげると満足そうに微笑む。
この子、いったい何歳だろう?

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翌朝、空が白みはじめた6時すぎ。
ほんとうに来るのか心配しだした頃にやって来た、ワゴン車が。
え?バスじゃないの?

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バス会社の看板にも大型バスの写真が貼られてたので当然バスだと思ってたよ。
夜明けの大地を疾走するハイエース。

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でもきれいな朝焼けを観賞する余裕はない。
ハイエースは未舗装路をアホみたいに飛ばしていく。

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集落に差しかかるとスピードを抑制するためのバンプ(こぶ)が路面につくられているんだけど、スピードを一切落とさずお構いなしに走り抜けるからたまったもんじゃない。
常に対ショック体勢をとっていないと首がどうにかなってしまう。
さっそくタンザニアの地獄の移動の洗礼を受けてしまった。

出発して4時間、てっきりムワンザまで直行かと思っていたら途中の街で乗り換えることに。
何はともあれ暴走ワゴンを無事に降りられてよかった。

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つぎに乗るように指示されたのは、超満員のミニバス。
一応ひとり一席ずつ座席には座れるけど、座席と座席の幅が狭過ぎ。
こういう時「ああ体が小さくてよかった」って思う。
まあ、そんなシチュエーションは人生でそうあるわけじゃないけど。

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日の出前に出発して5時間半、バスの前方に湖が見えてきた。
世界で3番目に大きなビクトリア湖だ。

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面積は6万8800㎢でざっと九州の2倍。
ちなみに、世界一大きな湖はケンゾーたちが貨物フェリーで渡ったカスピ海。
広さは日本とほぼ同じ。
第2位はアメリカ五大湖のひとつスペリオル湖。

ムワンザまであともうちょっと、というところでバスが停車。
ぞろぞろとバスを降りはじめる乗客たち。
何事?と思ったら、フェリーで湖を渡るんだって。

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半島のようになっているムワンザに行くにはバスごとフェリーで渡ったほうが近いんだね。
フェリー代の400シリング(約30円)は別途必要。
ほんの20分くらいの航海だけど、風を感じながら波に揺られるのは気持ちがいい。

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対岸に渡りふたたびバスで走ること1時間弱、ムワンザのバスターミナルに到着。
バスターミナルは街の中心からかなり離れた街外れにある。
乗合いワゴンに乗って今日からお世話になる協力隊員の住む家へと向かう。

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さいしょは3、4日くらいで駆け抜けるつもりだったタンザニア。
でも実際には13日間も滞在することに。
といっても観光らしい観光はほぼゼロ。
素晴らしい出会いに恵まれて、笑いっぱなしだったタンザニアの旅のスタートです!
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旅したウガンダ・ルワンダ こんな国

2015.01.28 06:11|アフリカ☞EDIT
ウガンダには10/17~10/29まで12泊13日、ルワンダには10/29〜11/7まで9泊10日滞在しました。
「ウガンダ」と「ルワンダ」、名前も似ているし隣り合っているけれどぜんぜん印象が違う国。
青年海外協力隊員の家を渡り歩きながら、協力隊の活動をのぞき見る旅のスタート。
そんなウガンダ・ルワンダの旅を振り返ります。

◇旅の費用はいくら?

ウガンダ・ルワンダでいくら使ったのか発表します。

ウガンダ 
交通費  284,900シリング
外食費  238,800シリング
フード・ドリンク  78,300シリング
宿泊費  115,000シリング
観光費  40,000シリング
雑費  51,500シリング

合計  808,500シリング=約33,149円(1シリング=0.04円)
約2,762円/1日2人で

全体的に物価は安い。
食事もローカルなウガ飯だったら200円くらいで食べられる。


ルワンダ 
交通費  35,600フラン
外食費  89,700フラン
フード・ドリンク  23,250フラン
宿泊費  27,000フラン
観光費  3,000フラン
雑費  14,100フラン

合計  192,650フラン=約30,824円(1フラン=0.16円)
約3,082円/1日2人で

ウガンダと比べると物価はちょっと高め。
でもバス代だけはなぜだか安い。
中華などちゃんとした店で外食をけっこうしたので食費が占める割合が多くなった。


◇移動手段はこうでした

ウガンダは乗合いワゴン。
いちおう定員制でエチオピアのように詰め込まれることはない。
路線によってはボンネットに運賃を書いた紙を表示している。
ひっきりなしに客の乗り降りがあるので予想以上に時間がかかる。

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ルワンダはバス。
定時出発、料金が張り出されていて明朗会計と奇跡的に快適。
チケットはターミナルのバス会社の窓口で買うシステム。
ガラガラでも時間になると出発するので、「こんなんでやっていけるのかなあ」となんだか心配になってしまうことも。

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◇こんなお宿に泊まりました

アフリカではできるだけ海外協力隊員の家を渡り歩くことにした。
アフリカの本当の姿や問題に触れ、現地で活躍する日本人に会い、直接話を聞きたかったから。
協力隊員を訪ねる旅を本格的に始めたのがウガンダ。
水が出ない家や炭で料理をする家などさまざまで、みんな工夫しながら生活していた。

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そんななか何度かはホテルに宿泊。
ウガンダで泊まったのは首都のカンパラとルワンダとの国境の近くカバレ。
カンパラの繁華街には『地球の歩き方』で紹介されている宿が数軒あるけど、老朽化していてほとんど地元の人しか利用していない。
ダブルで20000シリング(約800円)だった。
Wi-Fiつきのきれいな宿は繁華街から離れた閑静な場所にある。

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ルワンダでお勧めの宿はキブイエの湖畔にある「Home St Jean」。
窓からは湖が一望でき、ドミトリーもある。
Wi-Fiつき。
ダブルでバスルームが部屋についていて10000フラン(約1600円)だった。

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◇これが一番うまかった!

・ウガンダ
ケンゾー 「ザリガニのピザとパスタ」
正直ウガンダの食べ物、通称ウガ飯(byウガンダ隊員)は辛かった。
けっしてマズくはないんだけど毎回同じものだからすぐに飽きる。
隊員のようにイーティングハイに達するにはほど遠い。

ケンタに連れて行ってもらったブニョニ湖畔のリゾートホテルで食べたピザとパスタは美味しかった。
ウガンダ料理じゃないけれど、湖で獲れるザリガニを使ったご当地グルメ。
ザリガニと聞いてイメージする泥臭さはぜんぜんない。
プリプリとした食感や味は海で獲れるエビそのもの。
ウガンダで本格的なイタリアンが食べられて幸せだった。

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イクエ 「ポークジョイント」
ウガリ、イモ類、マトケ(食用バナナ)・・・穀物のオンパレードの「ウガ飯」しかないといっても過言ではないウガンダ。
そんななかたったひとつ輝いていたものが「ポークジョイント」!
ポークジョイントの専門店で食べられる豚のバーベキュー。
店では豚が飼育されていて、さばいたばかりの新鮮な豚を大きな串に刺し、大きな薪で豪快に焼く。

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イスラムの国に限らず、世界では豚肉を食べない国が多く、旅をしていて豚肉が食べたくなることはしょっちゅう。
そんな欲望を叶えてくれた。

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・ルワンダ
ケンゾー 「ビュフェ」
ルワンダのレストランではビュフェスタイルがポピュラー。
「ビュッフェ」と聞くとかなりワクワクするけれど、みんながイメージするビュッフェとはちょっと違う。
選べる料理の数が少ないので必然的に全部の種類を順番に盛っていくことになる。
しかもビュッフェの醍醐味であるお替わりは厳禁。
最初の一回しかチャンスはないので山盛りにするテクニックが必要。
一般的なビュッフェとはほど遠いけど、味はどこも悪くないし、なんたって安い。
1人150円〜200円くらいでお腹いっぱい食べられる。
やっぱり選択肢があるっていうのは幸せなことだ。

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イクエ 「アイスクリーム」
フーイエにあるおしゃれなつくりのカフェで出してくれるアイスクリーム。
「アイスクリーム」と言われるけど、実際はソフトクリームの味。
バニラはもちろん、コーヒー味やチョコ味など選ぶことができる。
濃厚だけど後口はさっぱりしていて、これだけのクオリティーのソフトクリームをルワンダで食べられるのは奇蹟に近い。
このお店をやっているのは、地元の女性グループ。
メンバーは虐殺のとき家族を殺されたツチの女性や、ツチの夫を殺されたフツの女性、家族が虐殺の加害者だったフツの女性たち。
それぞれの立場や抱えてきた悲しみを乗り越えていっしょに経営している。
お店の名前は「INZOZI NZIZA」。
「甘い夢」と言う意味。
ともに同じ夢に向かって働く女性たちがおいしいアイスを提供してくれます。

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◇おすすめ!!一番良かった場所

・ウガンダ
ケンゾー 「ケンタの学校周辺」
ルワンダとの国境に近いカバレ。
町の繁華街から4kmほど離れたところに体育教師のケンタが住み込みで教えている学校がある。
段々畑に覆われた山に囲まれていて町の喧噪とは無縁。

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道を歩けば農作業に汗を流す地元の人々が笑顔であいさつしてくれる。
ピースフルな雰囲気に包まれていて心が安らぐ。

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「ここスイスみたいじゃないですか?!行ったことないけど・・・。」と必死にアピールするケンタ。
うん、スイスっぽいよ。
・・・行ったことないけど。

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とくに何があるわけじゃないけど、心落ちつく場所だった。

イクエ 「つかさちゃんの病院」
ウガンダの幹線道路から脇道に入り、バイクに乗って山道を進むこと1時間あまり。
ゴンベという田舎の町にある病院で、海外協力隊員のつかさちゃんは活動していました。
比較的大きな総合病院ということだったけど、日本の病院とは雲泥の差。

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病院なのに水が出なくて衛生上問題があるし、設備が整っていない手術室はまるで魚屋さんのような感じ。
コウモリは住んでいるし、トイレは水がなくて流せないし。
入院患者さんの部屋は大部屋にベッドが所狭しと並んでいて結核の患者さんもいっしょに寝ている。
アフリカの医療現場の実態にカルチャーショックを感じました。
世界には医療の差、健康に生きる権利の差があって、これを縮めていかないといけないですね。

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・ルワンダ
ケンゾー 「キブ湖」
どこに行っても虐殺のことが付いてまわるルワンダの旅。
ちょっと疲れてしまったときに立ち寄ったキブ湖に癒やされた。
ゲストハウスの部屋からは湖が一望。
どこまでもつづら折りに連なる山々と穏やかな湖面。
ただぼーっと眺めているだけで贅沢な気分に。

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イクエ 「償いの家」プロジェクト訪問
ルワンダに来たいちばんの目的は虐殺のことを知るためでした。
だけど、虐殺記念館に行ったり、穏やかに暮らす今のルワンダの人たちに出会ったりするたびに、なぜ虐殺が起きたのか、どうして加害者と被害者がいっしょに生活できているのか、疑問は深まるばかり。
虐殺のことを話すのはタブーで、直接の被害者や加害者から根掘り葉掘りは聞けない状況でわだかまりやモヤモヤを抱えたままルワンダの旅をしていました。
このままこの国を出ることになるのかなあと諦めかけていたときに行った「償いの家」のプロジェクトの現場。
話を聞く中で、民族紛争だと思っていたルワンダの虐殺は、むしろカンボジアのポルポト派による虐殺に近いんだと考え直しました。
国家が経済的に苦しい状況のなか、政治家や急進派が国内で敵をつくり国民間の対立をあおっていく。
家畜をもっているツチの人たちがターゲットにされる。
そんな状況で起きた虐殺のあと、人々は「償い」「ゆるす」というとても大変なことをやりながら一生懸命平和なルワンダをつくりあげようとする姿勢に感動しました。
これからもルワンダの平和を願わずにはいられません。

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◇ふらり ゆるり ウガンダ・ルワンダの感想は?

ケンゾー
ウガンダの感想は・・・どうしてもウガ飯になってしまう。
何度も何度も書いてるけど、ウガ飯のメインディッシュは穀物セット。
ウガンダ人は愛してやまないんだけど、これがツラい。
マズくはないんだけど、とにかく飽きる。
ウガ飯が嫌で嫌で後半は早くウガンダを出たかった。
やっぱり食は大事だということを再認識。

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ルワンダといえば虐殺。
知れば知るほど「なぜいま加害者と被害者が共存できているのか?」不思議でならなかった。
モヤモヤとした晴れない気持ちを抱き続けていたんだけど、最後に「償いの家」を訪れることができてよかった。
加害者も被害者も過去を見つめ、新しい未来を創ろうと悩みながら日々努力している。
その事実を知ったことで救われた気がした。
もともとルワンダ人は穏やかで勤勉な人たち。
まだまだ時間はかかると思うけど、平和な新しいルワンダを作り上げてほしい。

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イクエ
ウガンダで本格的に始めた「海外協力隊員をめぐる旅」。
観光地ではない場所におじゃまし、彼らの暮らしや活動を見せてもらい、毎日驚きの連続でした。
若い隊員たちは慣れない環境で工夫しながら生活し、孤独と闘いながら現地の人たちとともに活動していました。
そんな隊員たちにこころからエールを送りたいです。
彼らは日本の親善大使。
明るく笑顔がすてきな彼らのおかげで、日本の株がぐっとあがってますよ!

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ルワンダでもほとんど隊員たちの家に寝泊まりしながら旅をしました。
ルワンダの首都キガリの中心地は「ここアフリカ?」と思うほど発展していて、街並みも美しく、「アフリカのシンガポール」と呼ばれることにも納得。
でも中心地を離れれば田舎で素朴な暮らしがあります。
ルワンダの人たちはアフリカ人らしからぬ(?)穏やかさと勤勉さ、ルールを守り輪を大切にする国民でした。
「こんな国がアフリカにもあるんだあ」と思いながらの滞在。
虐殺という悲しい過去があるけれど、アフリカの星となるような国になってほしいです。

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ルワンダとタンザニアの橋渡しをした男

2015.01.27 02:40|ルワンダ☞EDIT
「未来少年コナン」と「アルプスの少女ハイジ」と「ルパン三世カリオストロの城」が大好きなケンゾーです。
将来子供ができたらコナンのように仲間を大事にして女の子を助けてあげられる男の子と、ハイジのように天真爛漫で優しい女の子になってほしい。
そして自分自身は、いつまでも遊び心を忘れずここぞというときにはダンディーなルパンのようになりたいなあ。

海外協力隊員のやすこちゃんとお別れしてルワンダを離れることにしたケンゾーとイクエ。
虐殺被害者から直接話を伺えるという貴重な機会を作ってくれてありがとう。
これからもますます地元の人たちのアイドルとして愛されてね。

ケンゾーとイクエが次に向かうのはお隣のタンザニア。
ミニバスに乗ってルスモという国境をめざす。
キレへからルスモまで500フラン(約80円)。

ルスモ

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ルワンダ旅最後の最後に「償いの家」プロジェクトを見ることができてよかった。
殺し、そして殺された加害者と被害者が虐殺後も共存していることがどうしても理解できずに、モヤモヤとしたものを抱えたままルワンダを旅していたけれど、やっと雲が晴れた気分。

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加害者も被害者も悲しい過去から逃げずに日々己と闘っている。
過去を変えることはできないけれど、新しい未来を造り出すことはできる。
すべての人が心穏やかに暮らしていける日々が一日でもはやく訪れるといいな。

およそ30分で国境に到着。
ここを歩いて越えるとタンザニアに入国だ。

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さあタンザニアへ!の前に、じつはこの国境で人と会うことになっている。
しかも日本人。

ここルスモのルワンダ ー タンザニア国境ではある建設プロジェクトが進行中。
この国境は両国間の物流にとって重要地点なんだけど、国境を流れるカゲラ川に架かる橋は狭くて老朽化が進んでいた。
慢性的に混雑しているうえに国境の手続きが煩雑で入出国に2週間かかることもあったんだそう。
そこで古くなった橋の架け替えと、国境施設の整備をJICAの支援として日本が一手に引き受けることに。

今回実際の工事を請け負っている現地責任者の方をやすこちゃんに紹介してもらって建設現場を見学させてもらうことに。
ルワンダ隊員の間でちょっとした観光スポットになっているんだって。

待ち合わせまでまだ時間があるのでちょっと腹ごしらえ。
国境の手前にあった食堂で最後のルワンダ飯。
大盛りのライスに豆、そして食用バナナ。
ここにきてウガ飯(ウガンダ飯)を彷彿とさせるものを食べるとは思ってもいなかった。

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腹いっぱいになったところで、建設現場(=国境)のすぐそばにある事務所へ。
日本人スタッフは9人。
建設が始まった2011年からずっとここに寝泊まりしているんだそう。

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ちなみに現地の雇用者はルワンダ人、タンザニア人あわせて約800人。
日当3ドルで働いてもらっているんだそう。
ルワンダの平均年収が300〜500ドルなので悪くない収入だ。
何もない田舎で雇用もないなか、現地の人はとても喜んでいるのだそう。
プロジェクトが始まってから貧しかった家の人たちが豊かになり、その人たちが家を建て直して集落がきれいになっていってるんだって。

建設現場は山奥の国境。
見渡す限り山ばかりで周囲はな〜んにもない。

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こんなところで3年以上缶詰状態で日々働いている。
品揃えの悪すぎる小さな店とさっきのウガ飯みたいなのしかメニューにない食堂が2〜3軒あるだけ。
それ以外は何もない。
娯楽もないし、お金を使うところなんてない。
日本の経済を支えているバリバリのサラリーマンと、かたや住所不定無職で2年以上ふらふらしている旅人。
なんだか仕事中に押しかけてしまうのが申し訳ない。

恐縮しながら事務所を伺うと責任者の亀田さんは事務作業に追われていた。
「ああ〜、来たかあ。
 今ちょっと手が離せないんだあ。
 そうだ、カレー食うかぁ?
 昨日のカレーがまだ残ってっと思うから、食べてて。」


亀田さんは欽ちゃんみたいな抑揚が大きくてゆっくりでほんわかした喋りかたをする気取らないおじさんだった。
なにをどうしていいのか分からないまま寮の食堂へ。
そして出てきたカレー。
しかも日本のルーを使った正真正銘日本のカレー!

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まさかここで日本のカレーを食べることができるなんて!
ついさっき、ルワンダ飯を食べてしまったことを激しく後悔するケンゾーとイクエ。
あ〜、お宝のカレーを腹がへった状態で食べたかった。

食事担当の現地のおばちゃんにカレーの作り方を教えたんだそう。
ルワンダ人が作るカレーは、ちゃんと日本のカレーの味だった。
お腹いっぱいでもやっぱりカレーはうまい。
美味しくて幸せなんだけど、お腹いっぱいであまり食べられないという悲しい現実。

食堂にはほかにもお宝がいっぱい。
日本から送られてきた日本食が大量に!

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そりゃあ、こんな僻地で暮らしてると、食べることしか楽しみがないよね。
3年以上経過しているこのプロジェクトもまもなく完了。
みなさんおつかれさまです。

カレーだけじゃなくて、なんとビールもご馳走になってしまったケンゾーとイクエ。
手が空いた亀田さんが現場を案内してくれることに。
まずは国境を一望できる高台へ車で連れて行っていただいた。
休みの日はこういった高台までトレッキングすることもあるんだって。

「歩いてるとさぁ、いっぱい現地の子がついて来るわけよ。
みんな裸足でたくましくて。
自分も小さいのに妹や弟をおぶったり、家畜の世話をまかせられてたり。
子どもも家族の一員としてちゃんと自分の役割を果たしながら助け合って生活してる。
なぁ〜んか、家族の原点を見るみたいだよなあ。
そういうの、アフリカいいよなぁ。」


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とうとうと流れる茶色い川がカゲラ川。
ナイル川の源流の一つで、この先はヴィクトリア湖へと注いでいる。
川を挟んで左側がタンザニア、右側がルワンダ。

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国境の橋はルスモ滝という滝の上に架かっている。
建設のことはまったくのど素人なんだけど、難易度の高い現場なのかな?

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昔の橋は一車線しかなくて5トンまでしか渡れなかったけど、新しい橋は2車線で50トンまで通れるようになっている。
このプロジェクトは橋の架け替えだけじゃなくて新しい税関の建設も含まれている。
これが新しい建物。
さりげなく日の丸がイメージされているのが分かるかな?

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ルワンダからタンザニアへ輸入される物よりも、タンザニアからルワンダへ輸入される物のほうが量は多い。
税関では外から入ってくる品物をチェックしないといけない。
なので必然的にタンザニア側よりもルワンダ側のほうが施設も広く建物が大きく造られている。
先日タンザニア大統領が視察に訪れたそうなんだけど、「どうしてルワンダよりもタンザニアのほうが狭くて小さいんだ!!」って怒りだしたんだそう。
「それまで何度も説明してたのに、分かってくれないから頭にきちゃったよ。2つの国が絡むってのは難しいなぁ。」と苦笑いの亀田さん。

資材を盗まれることもあって、そのために工期が遅れてしまうことも。
本来は2014年内に完工する予定だったんだけど、「ここで年越しするはめになっちゃったよ」だって。
文化や習慣が日本とはまったく違うアフリカで仕事をするのは大変だろうなあ。
(このあと工事は完了し、1月10日に現地で完工式典が開かれました。)

これまでも海外の現場で働いてきた亀田さん。
南米や中央アジア、シンガポールにオーストラリア・・・。
それぞれ3年くらい住んで働いては、ちょっと日本に帰って次の国へ。
そんな生活を30年以上している。
奥さんもお子さんもいらっしゃっていっしょに海外に行かれることもあるんだけど、今回はアフリカのこんな超田舎。
単身赴任で来られている。
何もすることがないこんな田舎で、休みの日は読書をしてるんだって。
超有名なアメリカの大学に留学していたくらいなので英語はペラペラ。
なんだけど、英語は抑揚なしでイントネーションはフラット。
喋るスピードは日本語とおなじでゆっくりだから面白い。

このあと実際に橋を渡ってタンザニア側へ。
ルワンダは右側通行だけど、タンザニアは日本と同じ左側通行。
中間地点で道がクロス、通行が逆になるようになっている。

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これが亀田さんたちが架けた新しい橋。
日本の橋渡しでルワンダ・タンザニア両国が仲良く発展していくといいね。

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「せっかくだから、歩いて渡ったほうがいいだろ?」
亀田さんの粋な計らいで歩いて橋を渡ることに。

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並んで架かっている古い橋は壊さずにそのまま残すんだそう。
20年前、虐殺を免れるために大量のツチ族の人々がこの橋を渡ってタンザニアへと逃れていった。

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当時、橋の下のカゲラ川には6000体とも言われる遺体が流れていたんだそう。
タンザニアへと逃れるツチ族の人々はどんな思いで橋を渡っていただろう。
亀田さんによると、信じられないことに今現在でも年間に十数体の遺体が上流から流れてくるんだそう。
誤って転落したのか、それとも殺されたのか。

政府に反対する住民が殺されているといううわさもこれまで聞いてきた。
今のルワンダ政府には謎が多い。
罪を償い、そして赦そうという国民の努力が台無しになるようなことが起きないことを願うのみ。

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亀田さん忙しいなか案内していただいてありがとうございました。
海外で働く日本のお父さんの姿に尊敬の念を抱きました。

カレーおいしかったです!

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「ゆるす」ということ

2015.01.25 08:33|ルワンダ☞EDIT
面倒くさがりやでマメじゃないし、追われないと何もできないタイプのイクエです。
夏休みの宿題や試験勉強も一夜漬け、さらにFacebookはここ2か月以上チェックしてないなあ。
Facebookでこれまで自分が書き込みしたのはあわせて10回もいかないかも。
そんなわたしなのにブログが続いてるのが、ふしぎ。
できるだけ毎日更新したいので、疲れてるときも短くでいいから更新していく所存です。

ルワンダ大虐殺の加害者と被害者がどうやって和解し、ともに生きているのか。
加害者が被害者のために建てた家「償いの家」に住んでいるおじさんと話を続ける。

「頭や胸を力いっぱい叩かれ続け、殺されかけたときのことを今も思い出しませんか。」
「もちろん、思い出すよ。」

「今も悪夢を見ると思います。」
「襲われているときの夢を見るよ。」

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「虐殺が終わり、大統領がかわってルワンダが落ちついてから、加害者はどうなったんでしょう?」
「仕返しをされると思って周辺国に逃げた人たちもいる。
だけどほとんどの人はこの村に残った。」


「殺した人たちと顔を合わせながら生活するのはとても難しいことだと思うんですが。」
「彼らがいると怖くて、目も合わせないようにしていた。」

「また殺されるかもしれないと思いませんでしたか?」
「そうだね。
でも、彼らのほうもわたしたちからの仕返しを恐れてびくびくしていたと思う。」


「どうやってお互い共存できるようになったんでしょう?」
「わたしが彼らを受け入れようと思いはじめたのは、ガチャチャで彼らの話を聞くようになってからかなあ。」

ガチャチャとは、戦争の加害者を裁くルワンダ式の裁判のこと。
ガチャチャはルワンダで昔から慣習的にあったもので、家族や近所のもめ事を解決するために集落の住民たちが集まって話し合い、どうすればいいのか答えを出していた。

ルワンダ虐殺の加害者は数十万人とも言われ、この人たちすべてを通常の司法手続きで裁くのは時間がかかりすぎるし不可能に近い。
そこでルワンダでは、虐殺の首謀者や中心人物を国際法廷で裁き、残りの一般の加害者をその集落の人たちに託しガチャチャで裁かせることにした。

集落の人たちが集まり、加害者から話を聞き、集落の代表者が加害者を裁くというユニークなもの。
ガチャチャでは罪を認めれば罰が軽減される。
そして加害者は刑務所に入る代わりに労働奉仕刑を務める。
つまり加害者たちは国民のための道路や橋などを建設する。

ガチャチャに対しては批判もある。
弁護士がつかないことや専門家が裁かないことなど問題点もある。
しかしガチャチャの良さを認める意見も多い。

大切なのは、加害者にどんな重い罰が下されるかということではない。
被害者が容疑者から聞きたいのは、家族がどんなふうに殺されたのか、家族の遺体はどこに埋められたのか、加害者はどんなことを思ってあんなひどいことをしたのか、いまどんなふうに反省しているのか・・・。

おじさんも言うように加害者の生の声を聞くことで、加害者を批判するだけではなく受け入れようとする気持ちが芽生えてくるのかもしれない。

ガチャチャは、辛い過去をみんなで共有し、乗り越え、これまでの共同体を今後も維持しようという住民たちの意識で支えられているように思える。

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おじさんの参加するNGO、REACHの和解のプロジェクト。
プロジェクトでは、加害者と被害者がそれぞれの思いを告白するセミナーも行われていて、おじさんはそのセミナーに参加するたびに少しずつトラウマを乗り越えていったのだそう。

「いまも当時のことを思い出したり、悪夢を見ることもあるんですよね?」
「ああ。」

「それに足の痛みも続いていると思うんです。」
「治らないし、たまに心臓も痛くなるときがある。
胸を何度も何度も叩かれたから。」


「それなのに、相手を恨むことはないのですか?
フツ族のことが嫌いにならないのですか?」

「恨んでも何もいいことはない。
もうあんなことは繰り返したらだめだ。
ルワンダが平和になるためにみんなでともに生きていかないと。」


ルワンダでは毎年4月、虐殺の追悼月間となっている。
全国民が喪に服す特別な期間。
各地の虐殺の跡地で記念式典があるほか、テレビでは虐殺関係の特別番組ばかり放送される。

普段ルワンダ国内では虐殺の話をすることはタブーで、触れないようにみんな静かに穏やかに生活している。
そんなルワンダだから、追悼週間といっても踏み込んだ話はされないんじゃないか。
歴史を振り返ってどこに問題があったとか、どうしてあんなことが起きたのか振り返らず、ただ生存者の証言を毎年繰り返すだけで意味があるのだろうか。
わたしとケンゾーはそんなことを思っていた。

でも、よく考えてみると日本だってそう。
原爆投下の日や終戦の日に、生存者が自分の体験を伝える番組や、戦争によって翻弄された人たちを主人公にしたドラマが放送される。
たんたんと戦争の悲しみを後世に伝える。
戦争のどこに問題があったとか、誰が悪かったとかそんなことにはほとんど触れられない。
でもけっしてそれは意味のないことではない。

イランを旅したときにイラン人にこんなことを質問された。

「日本はアメリカに原爆を投下されたのに、なぜアメリカ人を恨まないのか。
悔しくないのか。」

そんなこと考えてもみなかった。

彼にとってはアメリカに敗れ、原爆まで落とされたのに、日本人がアメリカのことを批判しないことが理解できないのだった。

もちろんそれにはGHQの戦略が成功したことや日米安保のこと、日本がアジアの国では加害者という立場だったことによる後ろめたさなども深く影響しているとは思う。
それでも日本人が敵国を恨まずに戦争を恨むという姿勢を貫いていることは、とても誇りに思えた。

ルワンダでもなぜ虐殺が起きてしまったのか、どこに問題があったのか、なぜ防げなかったのか考察する必要はあるのかもしれない。
けれどそれ以前に、虐殺の悲しみを国民全員で共有してこれからはいっしょにみんなでともに生きていこうと決意することはとても大切なことなんだとおじさんの話を聞きながら思い直した。

「いまも自分が殺されかけたときのことを思い出し、怖くて泣くこともあると思います。
だから、相手を受け入れてともに生きていくという決意は普通ならできることじゃないと思うのですが・・・。」

「徐々にそうできるようになったんだ。
やっぱり、時間って言うのは悲しみを癒やすのには必要だった。」


「いちばんはね。
子どもたちがいてくれたおかげかな。
わたしはやっぱり、家族を殺した人たちと話もしたくなかったし、近所に住んでいてもあいさつもしないし目も合わせないようにしていた。
でもね、自分の子どもたちは被害者とか加害者とか民族とか関係なくいっしょに遊ぶんだ。
そのうち、フツ族の子が我が家にも遊びに来るようになって、フツ族の子と話すようになった。
そしたらその両親ともあいさつするようになった。
そしてほかの加害者のことも少しずつ受け入れることができるようになったんだ。
子どもたちの影響がいちばん大きいよ。」


おじさんには殺された奥さんとの間に子どもがいるし、虐殺のあとべつの女性と再婚し子どもをもうけた。

「この子たちが生きる未来は、平和な社会であってほしい。」

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「この子たちは、みんなおじさんのお子さんですか?」
「ははは、違うよ。
近所の子も混ざっている。」


おじさんの家には、いろんな子どもたちが寄ってくる。

わたしたちがおじさんと話しているとき、いっしょに養豚をやっている別の男性が姿をあらわした。
わたしたちがおじさんと話していることを気遣ってか、じゃましないように軽く挨拶して離れていった。

やすこちゃんからあとで聞いたところ、その男性は虐殺の加害者なのだった。
加害者の彼自身もこうやって外の人に話をすることもあるのだそう。
時間がゆるせばその男性にも話を聞きたかったけど、今回はそれができなかった。
やすこちゃんによると、加害者の人たちは当時自分がどんなことをしたかということよりも、虐殺後のことを話したがる人が多いらしい。
自分たちはいま和解のためにどんな活動をしているのか、どういうことを感じて学んでいったか、将来がどうあってほしいのか。

虐殺から20年。
その20年はルワンダの人たちにとっては試練の日々だったと思う。
わたしとケンゾーはルワンダの人たちが虐殺のことをどう思っているのか、まったくわからなかった。
過去に目を向けず、臭いものに蓋をするようにしていて、いつかまた同じようなことが起こるんじゃないかと疑っていた。

だけどルワンダの人たちは日々静かに闘っている。
加害者の人たちは罪と向き合い、相手に受け入れられるように努力しながら。
被害者の人たちは相手を拒絶するのではなく、ゆるす努力をしながら。

お互いともに願っていることは「二度と悲しい出来事を繰り返さず、ルワンダがこれから平和であるように」ということ。

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ルワンダで和解のプロジェクトを進めている佐々木和之先生がこんなことを執筆されている。

わたしは「加害者を赦しました」と言うのを度々聞いてきました。
しかし、被害者の人たちが「赦した」と言うとき、それでその人たちの心から憎しみが消えてなくなっているわけではないのです。
「赦した」という言葉は、多くの被害者たちにとって「赦しの完結」を意味する言葉ではなく、むしろ、「私は、これから赦しの道を歩んでいくのだ」という「決意」の言葉なのです。



消えない苦しみと多くの葛藤を抱えながら、前に進んでいこうとしているルワンダの人たち。

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ここで生きる人たちが幸せに暮らしていけますように。

ルワンダはいま世界でいちばん、優しさと人々の願いで満ちている国かもしれない。
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「償いの家」に住むおじさん

2015.01.23 09:08|ルワンダ☞EDIT
鼻の頭の皮がむけてきたイクエです。
アフリカの太陽の強さをなめていた。
腕が真っ黒で、この前出会った日本人の旅人に「カンボジア人より黒い」と言われました。
ケンゾーは「エクアドル人並み」だそうです。

20年前にルワンダで起きた虐殺。
虐殺に加担した加害者と、家族を殺された被害者。

加害者と被害者が協力しながら活動する養豚場を見せてもらった。
そこは、お互いに心を通わせ和解を目指す場所。
そこで活動している人たちは穏やかな微笑みを浮かべ、いきいきとしていた。

「虐殺のお話を聞くこともできますよ。」
案内してくれていた協力隊のやすこちゃんが言った。

わたしとケンゾーはそんな機会をずっと待っていた。
虐殺から20年経ったとは言え、傷は深く、気軽に話題にあげることはできない。
ルワンダに来てから虐殺記念館を訪ね、パネル展示や被害者の頭蓋骨、石灰を塗られたおびただしい数の遺体、山積みにされた被害者の衣服を見てきた。
けれど、そのときのことを知る人々と直接向き合い深い話を聞くことはできずにいた。
もどかしいけど、それができないのが事実だった。

養豚場で活動する人たちは過酷なできごとを経験しているけれど、何度もNGOのセミナーを受け、過去と向き合い、相手を受け入れ、お互い前向きに生きていこうとしている人たち。
虐殺の話をほかの人にする機会も多く、わたしたちが聞きたいことを話してもらえるようだった。

「すぐそばにご自宅があるのでそちらで話をうかがいましょう。」
おじさんとやすこちゃんのあとをついていく。

わたしも小柄だけど、やすこちゃんも背は小さい。
おじさんの背の高さが際立つ。

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「とっても背が高いですね。」

そう言うと、おじさんはとても嬉しそうな顔をした。

だけど、こんな大男で強そうな人が足を引きずって歩いている。
今でこそおじさんは初老の男性だけれど、虐殺が起きた20年前は今よりももっと恰幅がよくて力強かったはず。

そんなおじさんが襲われたことに違和感を感じる。
そのいっぽう、誰もが被害者になるのだという事実を改めて実感した。

おじさんの住む家は養豚場からすぐのところだった。
虐殺の加害者が被害者のために建てた「償いの家」。

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虐殺の加害者たちが毎日ここに通い、汗を流しながら日干しレンガを積み上げてこの家を造る姿をおじさんは見つめてきた。
加害者が罪をつぐなっている姿を見つめてきたのだった。

わたしたちは家の外の日陰に腰かけて、おじさんから話をうかがうことにした。
もちろんおじさんは英語を話せない。
現地語の話せるやすこちゃんに通訳をお願いする。

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わたしはいつも説明を聞くとき必ずメモをとる。
正確なことをブログに書きたいし、内容を忘れたくないから。
でも、わたしはこのときメモを出さなかった。
せっかく貴重な話を聞いたのにメモをとればよかったと今では後悔しているけど、このときはそうすることを選ばなかった。
これは記者時代も同じで、遺族や被害者から話を聞くときはわたしはあまりメモを取らないようにしてきた。
こころのなかで葛藤しながらつらいできごとを話している相手に対してちゃんと目を見て話を聞きたい。
それに「取材者」と「取材相手」という雰囲気を出したくない。
一対一の人間として会話をするのに、メモを取るという行為はふさわしくないような気もしていたから。

メモを取っていないから、おじさんから聞いたことをここで詳細に書くことができないけど、わたしたちは2時間近くお話をうかがい、とても貴重な時間を過ごすことができた。
わたしとケンゾーにとっておじさんの話はこころに深く響いて、ルワンダでわたしたちがずっと抱えていたモヤモヤを解きほどいてくれるものだった。

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「虐殺のときはどこに住んでいらっしゃったんですか。」
「ここの近くだよ。
 たくさんの人たちが殺された。」

「足もそのときにやられたものなんですよね。
 当時のことを聞いてもいいですか。」

「いきなりフツ族の男たちがうちに押し掛けてきたんだ。
 怒鳴っていたし武器も持っていた。
 こっちに抵抗する余裕なんてない。」

「押し掛けた人たちの中には顔見知りの人もいたのですか。」
「ああ。
 わたしも含め男たちは村の一か所に集められた。
 そこで殴られたり切られたり。
 殺された人もたくさんいた。
 わたしも頭を切られて、胸を何度も何度も叩かれた。」


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頭に傷を受け、何度も圧迫された心臓の部分は今もときおり傷むという。
足にも金具を入れていて、足が完治することは一生ない。

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「そんななか命をとりとめたんですね。」
「襲われて歩けなくなっていたし、わたしは倒れていた。
血も出ていたから、相手はわたしが死んだと思ったのだろう。
実際にまわりには殺された人もたくさんいたから。
しばらくしたらルワンダ愛国戦線の部隊がやってきてわたしたちを襲っていたやつらは逃げていった。」

「ご家族は?」
「わたしが連れ去られたとき、妻はほかの女性たちとともに別の場所に連れて行かれてしまった。
そこで殺された。」

「ご遺体は見つかりましたか?」
「いや、見つからない。」

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ルワンダの虐殺は、それまで共存していたフツ族とツチ族がお互いに不信感を抱き、殺害に発展していった。
とはいえ、実は「フツ族」と「ツチ族」という民族の分け方はあいまいで言葉や宗教が違うわけではない。
はっきりと区別されないなか、判断手段は農耕民族か牧畜民族か。
畑を耕して暮らしていた人がフツ、家畜を飼って暮らしていた人がツチとされた。

第一次大戦後、ルワンダはベルギーによって支配された。
ベルギーは統治しやすいように行政のトップをツチに独占させ、教育面でもツチを優遇するようになった。
さらにツチかフツかを表示した身分証を発行したことで、それまで違いがあいまいだったフツとツチがはっきり区別されるようになった。
その後、逆にフツが優遇されるようになったりと両者の立場は逆転しながら、お互いへの反感が生まれていくようになっていった。

首都のキガリの虐殺記念館には、これまで世界で行なわれてきた虐殺について紹介しているパネルも展示されていた。
ナチスによるユダヤ人迫害、ユーゴ紛争のときの民族同士の殺し合い、カンボジアのポルポト派による虐殺。
でも、ルワンダの虐殺はほかの虐殺とはまったく違う。
宗教や文化の違いがないフツとツチがなぜ対立し、殺し合い、そして虐殺事件を経て共存するようになったのかがわたしは理解できなかった。

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「虐殺が起きる前はこの村ではツチとかフツとか誰も意識することなく暮らしていたんだよ。」
「じゃあどうやってツチかどうかが判断されたんですか。」
「虐殺前、身分証を調べにくる者がいてそのときにどの家の者がツチなのかリストを作っていったんだ。
でも、とてもあいまいで飼っている牛の数で判断された人もいた。
身分証の表記はフツでもたくさんの牛を飼っていればツチとされた。
そしてフツであっても、ツチと結婚していればツチと同一視された。」

「それまではフツかツチかなんて意識せずに仲良く暮らしていたんですよね。
突然虐殺が起きたんですか?
それともその前から不穏な空気が流れていたんですか?」

「虐殺が起きる1年ぐらい前かな。
ツチが飼っている牛が奪われたり、勝手に家に入られて物を横取りしていくようなことが起きていった。
わたしたちも飼っていた牛をそのときに奪われたんだ。
反発しても聞き入れてもらえない。
人のものを勝手に奪っていくので法に触れているのに、奪った者たちは罪にとらわれない。」


その当時ルワンダは経済的に厳しい状況に置かれていた。
失業率も高かった。
ルワンダで家畜をもっているというのは財産をもっているということ。
一般の人たちが虐殺に手を染めていったのはツチに対する妬みにも似た感情があったからかもしれない。

なぜ民族の違いなんて意識することなく共存してきた人たちが、突然あんな虐殺をすることになったのか。 
おじさんの話からわたしたちはその経緯がわかってきた。
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殺した人、家族を殺された人がともに

2015.01.22 10:16|ルワンダ☞EDIT
ブログは遅れているけど現在、南アフリカを発って南米に向けて移動中でカタールの空港でこれを書いているイクエです。
カタール空港では乗り継ぎに8時間あるんだけど、ひとり2000円以上の食事券ももらえたし「クワイエットルーム」という静かに過ごす仮眠専用の部屋もあって時間を潰すのが苦じゃありません。

1994年に起きたルワンダの大量虐殺。
その年の4月6日にルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜され、大統領が死亡したことが引き金となった。
ハビャリマナ大統領はフツ族だった。

「ツチ族が殺したんだ」「ツチ族はフツ族をルワンダから排除しようとしているのかもしれない」「やられる前にツチ族を殺してしまえ」
フツ族の過激派たちはそんなプロパガンダを流し、フツの人たちの恐怖をあおることに成功した。

そしてフツ族が、ツチ族やツチ族との共存を求めるフツ族穏健派たちを殺害していった。
殺されたのはおよそ50万人から100万人とも言われている。
ルワンダ人口の10パーセントから20パーセントにあたる数。
しかもたったの100日間で。
一般のフツ族たちも農耕に使うナタやオノを使って近所のツチ族たちを残虐に殺していった。
名前も顔も知っている人たち。
女性を多数で強姦したり、親の前で小さな子どもの頭を壁に打ちつけて殺したり。

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ルワンダの大虐殺を描いた『ルワンダの涙』という事実に基づいた映画がある。
映画に登場する白人の女性ジャーナリストがこんなことを語っていた。

「ボスニアの紛争を取材したときは、殺された中年女性を見るたびに自分の母親と重なって涙が止まらなかった。
でもルワンダでは涙が出ない。
そこにあるのはわたしにとっては、ただのアフリカ人の死体。」


「遠く離れたアフリカ」で起きた「フツ族」による「ツチ族」の虐殺。
正直に言うと日本にいたわたしも、ルワンダの虐殺は悲しい事件とは思いながらも「未開の地で」「野蛮な人たち」が起こしている気がして、どこか現実味が湧かずそんなところでならそんなこともありえるのかなと思っていたような気がする。
でも、アフリカを旅して黒人の人たちに囲まれて生活し、生身の彼らとつきあっていく日常のなかで、彼らを「民族」とか「黒人」として見るのではなく、「自分と変わらない人」としてふつうに接するようになっていた。
まわりにいるのは全員黒人の人。
逆に今は、自分のまわりに日本人や白人の人たちが多いほうが違和感を感じると思う。
だからこそ、ルワンダの大虐殺についてますますわからなくなっていった。
どうして自分と変わらない人たちが、残虐に知り合いを殺し、その後彼らは共存していっているのか。
「ルワンダ人はスーパーポジティブだから」って言われても納得できない。

きっと何かがあって共存できている。
いや、もしかしたら何もできずに共存しているふりをしているのかもしれない。
そしてまたいつか虐殺が繰り返されるかもしれない。

虐殺のことはオブラートに包まれていてわたしたちには踏み込めない。
なにもわからないわたしたちが向かったのはフツとツチとの和解の現場。

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小屋の中からはブヒブヒという元気な鳴き声。
ちょっと緊張していたわたしたちを迎えてくれたのはかわいい豚の親子たち。

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ここは、フツとツチの人たちが共同でやっている養豚場。
ただたんにフツとツチの人たちが生計を立てるためにやっているわけではない。

フツの人は虐殺の加害者。
当時、誰かを殺した人もいる。

そして危害を加えられたり家族を殺されたりしたツチの被害者。

両者が「和解のプロセス」として、ボランティアで豚を飼っている。

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これは現地のNGO「REACH」と日本人の佐々木和之さんが企画しているもの。
佐々木さんはルワンダのフーイエにある大学で平和学を教えておられる方。
実はわたしたちがフーイエでホームステイしたのりちゃんは佐々木先生とお友だちで、食事でもさせていただこうとしていたんだけどちょうどわたしたちと入れ違いに佐々木先生が日本に一時帰国されたのでお会いできなかった。
優しくてとても魅力的な人のようでお会いしたかったし、なによりルワンダの虐殺についてお話をうかがいたかったので残念。

それにしても虐殺のあったルワンダで平和構築についてルワンダ人に教えている日本人の方がいるというのは、とてもすてきだなあと思う。
佐々木先生はもともと農業について学んでいらっしゃった人で、エチオピアの農村の生活向上のためにボランティアとして活動されていたのだそう。
けれどエチオピアで紛争が起こり、せっかく積み上げたものが台無しになり、活動していた地域の若者たちも戦場に送り込まれた。
佐々木先生は平和の大切さを痛感し、イギリスの大学に留学し平和構築について研究。
そしていまのルワンダでの活動にいたっている。

大学のときのわたしの卒業論文のテーマが「旧ユーゴ紛争」だったので、佐々木先生にはいつかかならずお会いしたいなあ。

そんな佐々木先生が行なわれている加害者と被害者によるこの養豚の取り組み。
豚を大きくなるまで飼育して出荷するのかと思ったら、たくさんの子豚を育てることを第一の目的にしてるんだって。
親豚に子豚をつくらせて、その子豚を近所の人たちに配っているんだそう。
そして近所の人たちが自分で子豚を育てていく。
豚は財産になるので、子豚をあげることは苦しい生活をしている人たちの生活のたしになる。

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協力隊のやすこちゃんは、自分の活動とは関係ないけれど定期的に訪れてお手伝いしている。
「みんなと話すのは現地語の勉強にもなる。それに楽しいから。」とやすこちゃんは言う。

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やすこちゃんの言うように、ここには重苦しい空気は流れていない。
みんなニコニコした顔でわたしたちを迎えてくれる。
楽しそうにせっせと子豚に餌をあげたり、掃除をしたり。

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あまりにも穏やかな雰囲気だからここにいる人たちはNGOのスタッフや手伝いにきている人たちなのかもしれないなとも思った。
だからやすこちゃんが「みなさん被害者と加害者なんですよ」っていったときは予想していた事とは言え、びっくりしてしまった。

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たしかに松葉杖の人もいる。
虐殺のときに襲われたことは、聞かなくてもわかる。

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足をめった打ちにされたのか、ナタで傷つけられたのか。
そのときの様子はいまでも脳裏に焼きついているはずだ。
20年経っても足の傷は消えないし、こころの傷だって消えない。

しかもこの男性は妻も殺されている。

それなのに加害者の人たちといっしょに働いている。

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もちろん最初から加害者と被害者がいっしょに活動するなんて簡単にできることじゃない。
ここまでくるには長い道のりがあった。

養豚場の取り組みの前身として「償いの家造り」というプロジェクトが行なわれていた。
それは虐殺の加害者が被害者のために家を建てるプロジェクト。

虐殺のとき、被害者の人たちは家も破壊された。
家族を殺され、家を再建する余裕もなく、その後も劣悪な環境での生活を余儀なくされていた人たち。
加害者が罪と向き合い、被害者のために直接家を建てることで謝罪の思いが伝わり、双方の関係が修復されるのではないか。
そんな考えのもと「償いの家造り」のプロジェクトが進められた。
建設費用の多くは、日本で集めた寄付金でまかなわれたのだそう。
200人以上の加害者が参加し、完成させた家は25軒以上。

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このプロジェクトは「修復的正義」という考えにもとづいて行なわれている。
「修復的正義」というのは、加害者が真摯に罪と向き合い被害者にこころからの償いをすることで両者の関係を修復させていこうというもの。

これに対し「応報的正義」という言葉がある。
これはいまの刑事裁判で取られているもので「悪いことをした分嫌なことを与える」「加害者への恨みをはらすために罰する」という考えがもとになっている。
簡単に言えば応報的正義は、悪を悪で返す。

修復的正義は「反省」「ゆるし」が不可欠で、加害者を罰することが目的ではなく被害者を回復させることが目的。
もちろん修復的正義のほうが人間らしくて理想的だけど、現実はそう甘くない。

わたしが報道記者をしていたとき、我が子を殺された人たちを取材することがあり何度か特集やドキュメンタリーをつくっていた。
遺族の人たちは想像を絶する悲しみを抱え、憎しみや辛さで日常生活がめちゃくちゃにされていた。
「生きていることが辛い」「死んだほうが楽」と考える毎日。

小学生の娘を裸にされて殺され、林に遺棄された父親は、悲しみから仕事もできなくなり生活保護に頼るしかなく、心療内科に通っていた。
娘を殺された悲しみから夫婦仲も前のようにはうまくいかなくなり、離婚して独りで暮らしていた。
その父親が自殺をせずになんとか生きているのは「娘の敵討ちのためにいつかこの手で犯人を殺す」ことを人生の目標にしているから。
犯人が釈放されて戻って来るのを待ち、犯人の故郷に引っ越すことを計画していた。

ほとんどの遺族の人たちは、裁判で犯人に対して「より重い罰」が下ることを望んでいる。
だからといって遺族の傷が癒されるわけではない。
「応報的正義」に基づく日本の裁判の限界もわたしは感じていた。

できることなら「修復的正義」に基づくやりかたのほうが、遺族たちのこころも安らかになる。
でもそれが果たせないでいる。

ルワンダの虐殺のときは、目の前で自分の妻が強姦され殺された被害者の人たちも多いし、子どもの頭を叩き割られた人もいる。
殴られ叩かれ、殺される寸前でなんとか生き延びた人もいる。
そんな人たちが加害者とともに生きていると言うことがわたしには信じられなかった。

佐々木先生たちは「修復的正義」のプロセスを丁寧に進めていったようだ。
加害者が被害者の家を建てることをいきなり始めてもうまくはいかない。
加害者は被害者と接する前に、被害者がどんな思いで生きているのか知る必要もあるし、しっかりと罪と向き合いこころから謝罪するとはどういうことなのか考えないといけない。

そのために佐々木先生たちは加害者を対象としたセミナーを開いた。
被害者の人に自分がどんなに辛い思いをしてきたかを加害者の前で語ってもらった。
加害者たちは被害者のこころのなかを想像し、そして自分の罪とも向き合った。
自分たちが殺した相手は、自分たちと同じように生身の人間であったこと。
生きていくのが辛いほどの悲しみを与えてしまったこと。
自分たちがやったことは、とんでもないことだったこと。

被害者に謝罪するときにどんなことに気をつけるべきかということもセミナーでは教えられている。
佐々木先生の活動を紹介するFacebookのページにゆるしを求めるときの注意点があげられていた。

1、自分の謝った行動の内容について明確に述べ、その責任を負うと宣言する。
2、「もしあなたを傷つけたのなら」のように、「もし」をつけて謝罪しない。
3、傷つけられた側を決して責めたり、その人たちの落ち度を指摘しない。
4、軽々しく謝罪しない。
5、謝罪しながらお説教をしない。
6、赦しを要求しない。
7、加害行為の内容や背景について説明はしても言い訳はしない。
8、謝罪の後、なし得る限りの賠償や返還の方法を誠実に探し実行すること。

わたしが日本で遺族を取材していたときも、加害者の言い訳がましい謝罪が被害者遺族を逆なですることを感じてきた。
「そんなつもりでやったんじゃない。」「もう謝ってるでしょ。終わったことをこれ以上どうすればいいの。」「こっちだけが悪いわけではない。」「あのときは仕方なかった。」「こっちの気持ちもわかってくれ。」
自分に甘くなったり、自分を正当化したり。

罪と向き合うことは加害者にとってもつらいこと。
できれば考えないようにしたい。
いま、わたしの目の前で子豚に餌をやっている加害者の男性もさまざまな困難を乗り越えながらこのプロジェクトに参加しているのだと思う。

ルワンダでフツ族とツチ族がなぜ共存できているのか。
虐殺から目を背けているんじゃないか。
臭いものに蓋をするように、考えないようにしているのではないか。
共存はうわべだけのものじゃないか。

ここに来る前はそんなことも思っていた。
だけど、被害者も加害者も想像を絶する辛さや葛藤と向き合いここまで生きてきたのだと悟った。

わたしたちは松葉杖の男性から話を聞くことにした。
松葉杖なしでは歩けないようにされ、妻を殺されたにも関わらず、どうして彼が加害者たちをゆるせるようになったのか。
その理由が聞きたかった。

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これがルワンダの娯楽!?

2015.01.20 14:38|ルワンダ☞EDIT
トレッキングをしてへとへとになって帰ったあとはホームステイ先で和食を作ってふるまい、かわりにワインをごちそうになって、ブログを書く気力がなくなって歯も磨かずベッドに倒れて電気をつけっぱなしで寝るという日々を送っているイクエです。
3日も更新が途絶えてしまってすみません。
それなのにランキングの応援クリックをしていただき、順位がキープできていることに感謝申し上げます。
ブログのために旅をしている訳じゃないしブログに振り回されずに旅を楽しむことを充実させようと思っているけどやっぱり毎日更新したい!

ルワンダ唯一のリゾート、キブ湖のホテルでのんびり過したイクエとケンゾー。
アフリカで久しぶりにくつろげて、延泊したい衝動にかられながら宿をあとにする。

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アフリカ縦断をする旅人にはこの宿はほんとうにおすすめ。
アフリカの一部の国をのぞいてWi-Fiが無料で使える宿はとても少ないし、あっても高い。
ドミトリーなんてのもない。
だけどこの宿にはドミトリーもWi-Fiもあるし、宿泊費も安い。
ルワンダに来たら、このホテルに泊まるためにここまで足をのばす価値はあると思う。
アフリカ旅の疲れをここでいったん解消させたらいいよ。
ホテル名は「Home St Jean。
ドミトリーで2500フラン(約400円)。

わたしたちのルワンダ旅もまもなく終わろうとしていた。
けれど、最後に行ってみたい場所があった。
この場所に行けば、わたしたちがルワンダに入国してからずっと抱え込んでいるモヤモヤが少しはなくなるかもしれない。

その場所を紹介してくれる人が海外協力隊員のやすこちゃん。
まずはやすこちゃんのいるキブンゴを目指す。

キブンゴ

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ミニバスに乗って首都のキガリのバスターミナルへ。
キガリのバスターミナルにはミニバスがたくさん待機していてバス会社もたくさんある。
バス会社の窓口で切符を買うシステム。
目的地のキブンゴまでの切符を購入して再びバスに。
キガリからキブンゴまでは運賃2000フラン(約320円)。

夜はやすこちゃん以外の協力隊員も集まってくれて食事をすることになっていたので、早めに着きたかったけど日が暮れてしまった。

車窓から見える月がやけに大きくてケンゾーと感動していたら「ミラクルムーン」と言われているもので、「後の十三夜」だった。
例年は一年に2回だけのお月見だけど、旧暦の閏月の影響で年に3度目のお月見が171年ぶりにくる現象なんだって。

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日は暮れたけど、月夜で明るいなかやすこちゃんと落ち合った。
隊員の人たちが待つレストランへ。
やすこちゃんは右側の真ん中の女性。

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うわさによると現地人から大人気なんだとか。
「内面も美しい人」を意味する現地語のあだ名で呼ばれている。

ここで活躍している隊員たちの任務は井戸の整備や清潔な水の普及だったり、学校の先生だったり。
いつもひとりで大変だけど、たまにこうやって隊員同士で集まって話すことでストレスが癒やされるみたい。
ひとりじゃないってこと、日本語で話せるってこと、同じ悩みを共有できるってことは、遠いアフリカの国で生活していくなかで大事だよね。

このレストランはみんなで集まる特別な日に利用するらしい。
何もない田舎のキブンゴ。
そんなキブンゴでいちばんの見せ物をきょうは手配してくれてるんだとか。

「キブンゴを訪ねてくる人には必ずといっていいほど、見せているんです。」
「朝から予約しているので、もうそろそろやってくると思うんですが。」
みんな時間を気にしてキョロキョロしている。

「どんなものがくるの?
大道芸とか、パレード?
もしかしてミッキーマウス!?」

「そんなものじゃ・・・。
大したことないかもしれないけど、ここではそれがいちばんの娯楽なんですよ。」

期待が膨らむ。
いや、正直に言えばルワンダの田舎の娯楽なんてきっと大したものじゃないんだろうなっていう気持ちのほうが強い。

厨房のほうが慌ただしくなってきた。
ゴホッゴホッと咳き込む音や軽い悲鳴のようなもの。
そしてもくもくと・・・。
これはもしかして?

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従業員がダッシュで近づいてくる。
手元からは煙があがっている。
涙目で咳き込んでいて、一刻も早く手に持っているものを投げ出したがっているように見える。

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さっとテーブルから離れる隊員たち。
これ、ルワンダの娯楽なんでしょ!
みんなしっかり見届けようよ!

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「キブンゴの名物」とか「最大の娯楽」とか「唯一の見せ物」とかみんなが絶賛していたけど・・・。
これ、この前フーイエの中華料理屋さんに行ったときも見たような。

みんながいかに何もない田舎で暮らしているかがわかるよ。

この煙、写真以上に実際は強力。
目に触れると涙が出てくるし、吸い込むと喉が痛くなる。

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煙の正体は鉄板焼きの湯気。
どうしたらこんなにもくもくと湯気が立ち上がるのかは謎。
大量のチリをふりかけているらしく、それが煙とまざって体のさまざまなところを刺激してくる。
目が痛いよ〜。

ジュウジュウという音と白い煙が収まると、鉄板焼きの食べどき。
いただきま〜す。

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ピリ辛でアツアツで、中華風の味付けで、おいしい。
これが最大の娯楽なのかは微妙だけれど、味はまちがいない!

この街唯一の見せ物で歓迎してくれてうれしいよ。
みんなありがとう♡

きょうはやすこちゃんの家にお世話になる。
見かけは大きい家だけど、中はそんなに大きくない。

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やすこちゃんのところにも専属のガードマンがいた。
正しくは、「マン」じゃなくて「ウーマン」だった。
ルワンダは治安がいいように思えるけどやっぱり危ないこともあるようで、隊員の家にはガードマンが常駐している。

やすこちゃんの家に不審者は侵入してこないけど、夜な夜なやっかいなものがやってくるらしい。

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それは、大きなネズミ!
食べ物はもちろん、ソファなんかも喰いちぎられる。
壁に穴があいていてそこから入ってくるらしい。
防いでもいっしょで「いたちごっこ」ならぬ「ねずみごっこ」。
やすこちゃんはあきらめて共存している。

「貴重な和食の食材も被害にあってるんですよ!」
大事なふりかけの袋が破られている。

被害を免れた貴重な食材で、やすこちゃんが朝食を作ってくれた。
アフリカの地に日本の朝のシーンがあった。

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やすこちゃんの家で1泊したあとは、やすこちゃんといっしょにキレへという隣町へ。
ここにわたしたちが訪ねたい場所がある。

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「やすこちゃんは現地人から大人気」と聞いていた通り、バスターミナルに着くなり多くの男たちが寄って来た。
アイドルを見つけたようにどんどん人が集まってくる。

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やすこちゃんに会えておしゃべりできるのがとても嬉しそうで、みんなニヤニヤしている。

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やすこちゃんは男たちだけじゃなく老若男女から大人気で、ほかの隊員によると首都のキガリでもやすこちゃんは覚えられていて市場に行けば声をかけられるそう。

不思議な力をもつやすこちゃん。
ルワンダの現地語が堪能なこともその理由のひとつかもしれない。

ミニバスに乗って目的地のキレへに到着。
緑が豊かで平和そうなこの村も、20年前は血に染まった。

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フツ族がナタや鎌を振り回し、ツチ族たちを襲った。

フツ族とツチ族は分かれて住んでいるわけではなく、同じ場所で隣人として暮らしていた。
顔見知りの人たちに襲われ、レイプされ、殺された。

わずか3か月間で人口の10パーセントから20パーセントの人たちが殺害されたと言われている。
虐殺の現場はルワンダのいたるところにある。
虐殺が収まったあとも虐殺の現場から離れた場所で暮らすなんて不可能に近く、つねに虐殺の歴史を感じながら生きざるを得ない。
フツ族とツチ族が分かれて暮らすなんてこともできず、その後も隣人として顔を合わせながら暮らしている。
つねに虐殺の事実に触れながら生きているけれど、やっぱり虐殺の話をするのはタブーで「ツチ」「フツ」なんて言葉も口にできない。

どうして共存することができているのか。
実はお互いいまも心の中では相手への恨みをもっているばかりか、その恨みは解消されないままどんどん大きくなっているのではないか。
いつか繰り返されるのではないか。

わたしたちはそんな疑問をもっていた。

どうして酷いことをされたのに、いっしょに暮らしていけるのか。
いっぽう、加害者側はどうして何人もの命をその手で奪ったのに逃げることなくいっしょに暮らしているのか。
とてつもなく大きな葛藤があるはずなのに。

「ルワンダ人はスーパーポジティブだから」と答えるルワンダ人もいる。
だけど「ポジティブ」なんて言葉で片付けられないほどの悲しみや憎しみがあると思う。

「傷を癒やす」
「相手をゆるす」
「過去を受け止めて未来へ向かって生きる」
共存していくにはそれを達成させないといけないけど、どうやって達成できているのか。
実は達成なんてできてなくて、どちらも大きな不満を抱えてしかたなく今だけ共存しているだけじゃないのか。

和解へのプロセスがわからなくて、わたしとケンゾーは腑に落ちないままルワンダの旅を続けている。

このキレへでその和解への取り組みを見ることができると聞いて、ここまでやってきた。

「償いの家」。

虐殺に加担し、隣人を襲い、殺した人たちが、虐殺の被害者のために家を建てるという取り組み。

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平屋のこじんまりとした家が並んでいる。
これが家族を殺された人たちが、加害者に建ててもらった家。

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「償いの家」が完成し、いまではさらに進んだ和解のためのプロセスが行なわれている。
それは加害者と被害者の人がいっしょになって養豚をするという取り組み。

ルワンダの大学で平和学を教えている佐々木和之さんと現地のNPOが行なっているもので、やすこちゃんも時々お手伝いに来ている。
やすこちゃんのJICAでの任務は井戸の整備や清潔な水の普及活動で、この和解の取り組みとは関係ないんだけど、時間を作って自発的に訪れているのだそう。

わたしたちが歩いていると、養豚に取り組んでいる女性が笑顔で迎えてくれてわたしの荷物までもって案内してくれた。
きっとこの女性も虐殺のときの被害者なのだと思う。

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殺した人と襲われた人。
彼らがどうやっていっしょに活動しているのか。

わたしたちは緊張しながら、その場所へと向かった。
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ルワンダ唯一(?)のリゾート地 

2015.01.17 09:10|ルワンダ☞EDIT
最近よく「インドネシア人?」と聞かれるケンゾーです。
たしかに間違えられるのもしかたないくらいに日焼けしてどんどん黒くなっていっている。
でもまだまだ松崎しげるやみのもんたレベルにはほど遠い。
いやあ、この2人の黒さは尋常じゃないよね。

なぜ虐殺に加担した加害者側と無惨に殺された被害者側が今現在共存できているのか、まだほんの20年足らずしか経過していないのに。
人々が言うように、本当に「ルワンダ人はスーパーポジティブだから」なのか。
ルワンダにやって来て1週間経ったけれど、頭の中のモヤモヤした思いは一向に晴れる気配がない。
ちょっと気分転換でもするか。

首都のキガリで活動している協力隊員のナイケルから、ルワンダ唯一(?)のリゾートスポットの情報を教えてもらっていたんだよね。
キガリからおよそ130km西へ行くとキブ湖という湖がある。
コンゴ民主共和国との国境にまたがっている湖で、周囲を山に囲まれた景観がとても素晴らしいんだそう。
ナイケルはゆっくり羽を伸ばしたいときに湖畔沿いのキブイエという街を訪れるんだって。
居心地のいいゲストハウスもあるらしい。

キブイエ

今いるフーイエからキブイエまで直通のバスはない。
途中のムハンガでバスを乗り換える。
フーイエからムハンガまで1400フラン(約220円)、ムハンガからキブイエまで2000フラン(約320円)。

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ルワンダのバスは明朗会計。
運賃がきちんと張り出されているのでぼったくりの心配は皆無。
しかも、信じられないことに定時出発。
座席がガラガラでもバスが走りはじめるなんてアフリカでは前代未聞。

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「アフリカの奇蹟」と称されることもあるルワンダ。
たしかにガラガラのままバスが出発するなんてほかの国ではありえない。

「千の丘の国」という別名をもつルワンダ。
バスはいくつもの丘を上り下りしながら西へ走っていく。

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庶民の生活の足は自転車。
坂だらけだからどこへ行くのも大変だ。

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およそ4時間でキブイエに到着。
キブイエの街自体にはとくに見どころはない。
バス乗り場から2kmほど離れた湖畔に建つゲストハウスへ。

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歩いていると湖が見えてきた。
緑に覆われた千の丘と湖、心が落ちつく景色だ。

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けれど、こんなのどかでピースフルな場所にも悲しい負の遺産が残されている。
ルワンダ全域が殺戮の現場となってしまった1994年の大虐殺。
ここキブイエも例外ではなかった。

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虐殺の現場となってしまった建物が見えてきた。
それは教会。

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無差別の虐殺がはじまると、キブイエに住む多くのツチ族は教会に逃げ込んだ。
ほとんどのフツ族も自分たちと同じキリスト教徒、「まさか神に祈りを捧げる教会の中までは襲ってこないのではないか」そんな一縷の望みを抱いていたのかもしれない。
けれど、それはあまりにも儚い望みだった。

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この教会では1万人以上のツチ族が犠牲になったんだそう。
神聖な教会が殺戮の現場となるほど狂気に支配された人々。
被害者も加害者も同じ神に祈りを捧げることに違和感を感じずにはいられない。

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泊まっているゲストハウスの敷地内にも被害者たちを弔う墓石のようなものがあった。
どこでも虐殺の現場だった。

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ここでもやっぱりモヤモヤとした思いが募ってくる。
ため息しかでてこない。

教会の脇を抜け奥へと進んでいくとゲストハウスが見えてきた。
「Home St Jean」

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ドミトリーが1ベッド2500フラン(約400円)、ダブルベッドの個室が10000フラン(約1600円)。
ちょっと奮発して個室に泊まることに。
バス・トイレ付き、Wi-Fiもあるのでとても快適。

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このゲストハウスの売りはなんと言っても眺めがいいこと。
部屋の窓からは穏やかに水をたたえるキブ湖が見える。

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かすかに見える湖の対岸はコンゴ民主共和国。
コンゴもまたケンゾーとイクエにとっては未知の国。
旅のロマンをかき立てられる景色だ。

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キッチンはなく、ホテルのレストランは高いので食事は街まで食べに行く。
ルワンダではビュッフェスタイルのランチが定番。
ビュッフェと言っても選べるほどの種類はないので必然的に全部盛ることになる。
しかもおかわりはできない。
けれど店によってバリエーションは違うし、味も悪くない。
値段も200円くらいとリーズナブル。
ウガンダと比べたら天国だ。

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窓から湖を眺めながらブログを書く。
モヤモヤとした気持ちが晴れることはないけれど、気分転換にはもってこいの宿。

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なぜルワンダでは加害者と被害者がともに生きることができているのか。
臭いものには蓋をするように、虐殺のことに触れないようにしているのではないか。
いつかその蓋が外れて、再び争いがおこるのではないか。

わからないことは増えるいっぽう。
モヤモヤを抱えたまま、この国を去らないといけないかもしれない。

ルワンダ滞在はあと数日。
ふたりで焦りのようなものを感じていた。
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虐殺のことがわからない

2015.01.15 17:15|ルワンダ☞EDIT
ホットシャワーがいつでも使えてWi-Fiもあって清潔で何のストレスもなく寝泊まりできるゲストハウスに連泊していて、あまりに快適すぎて「こんなことしていていいのだろうか 何のために旅しているのだろうか」と思ってしまったイクエです。
といっても、寝てるのはゲストハウスの庭に張らせてもらっているテントなんだけどね。
最近、「この広さでもふたりで十分生活していけるなあ」としみじみ思うことがあります。

ルワンダの南、フーイエという街に来ているイクエとケンゾー。
フーイエは昔ブタレと呼ばれていたところでルワンダ第2の都市。
これで「第2の都市?」と思うほど、街は小さくてのどか。

フーイエに来たのは、ここに派遣されている海外協力隊員ののりちゃんに会うためでもあったんだけど、もうひとつ大切な理由があった。

それはこの街を拠点にして、ムランビ虐殺記念館に行くため。

1994年に大量虐殺が起きたルワンダでは、各地に虐殺記念館がある。
というのも、虐殺はルワンダ国内のいたるところで行なわれ、あちこちに現場があるから。
そのなかでもムランビ虐殺記念館はもっとも生々しく、虐殺の残酷さがリアルに伝わってくると言われている。

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フーイエからニャマガベという街にバスで向かう。
アフリカのほかの国ならバスの時刻表なんてあってないようなもので満員になるまで発車を待つしかないけど、ルワンダでは定時発車。
バスの中にはしっかり料金表も貼られていてぼったくられることも価格交渉をすることもない。
フーイエからは40分ぐらい。

「千の丘の国」と言われるルワンダ。
バスは丘を上り下りしながら猛スピードで進んでいく。
車酔いする人はきついだろうね。

到着したニャマガベは山間の静かな街だった。
こんな場所の近くに、残酷な虐殺の現場があることが信じられない。

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ここでもわたしたちを案内してくれる人がいる。
教師として派遣されている海外協力隊員のぐっさん。
あの人かな。

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わたしたちのように日本からやってくる人をもう何度も記念館に案内しているのだそう。
自分の任務とは関係がないけれど嫌な顔をせず案内役を引き受けてくれた。

貴重な休日なのに、ありがとうございます。

虐殺の記念館は、街から数キロ離れた場所にある。
バイクタクシーで目指す。
ルワンダのバイクタクシーは、ちゃんと客の分までヘルメットを用意している。
アフリカでこんなことはじめて。

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ノーヘルでバイクに乗るのが普通のアフリカで、ルワンダではちゃんとヘルメットの着用を義務づけていて取り締まりもしっかりとしている。
ルワンダはアフリカの中でも「優等生の国」だなあと思うことがよくある。
みんなルールをしっかり守り、一丸となって何かに取り組み、行儀よくしている印象。
だからこそ、なんでこんな国でこんな国民たちがあんな野蛮で残虐な虐殺をしたのかが不思議でならない。

ウガンダでホームステイさせてもらった協力隊員のつかさちゃんが「ルワンダの人はとても穏やかで礼儀正しくて、国自体もゴミなんてなくて統制がとれていた。どうしてあんな国で虐殺が起きたのか滞在中最後まで理解できなかった。」と言っていたのを思い出す。

あんなことが起きたからこそ、もう間違ったことをしないように、政府もそしてそれぞれが自分自身でも締め付けをしているのかもしれない。
残酷な過去があるから、自分たちで戒めているのかもしれない。

でもそんな国民性は虐殺後に培われたものなのだろうか。
もしかしたら、虐殺前もルワンダの人たちは「優等生」だったかもしれない。

出会った協力隊員のひとりが言っていた。

「ルワンダ人って日本人に似ていると思うんです。
 まじめで周りに合わせて、上の言うことを聞く。
 日本も戦争のときは全体主義に陥った。
 みんながやるから、上からの命令だから。
 ルワンダの虐殺も、そういうことから起こったのかもしれません。」

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ニャマガベの街の規模は小さくてあっという間に街は終わった。
段々畑が広がり、ぽつぽつと家がある。
こういうところで残虐は起きたんだ。

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ムランビ虐殺記念館。
もともと技術学校だったところ。

虐殺の現場であることを考慮しなくても、広い敷地に校舎が散らばって建ち、殺風景で冷たさやさびしさを感じずにはいられない。

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フツ族によるツチ族の虐殺が各地ではじまった当時、ここムランビでも虐殺の気配が漂っていた。
この学校にはフランス軍が駐屯していて、ここに避難すれば虐殺から免れると信じたツチの人たちが押し寄せた。

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学校に避難してきた、4万人とも6万5千人とも言われるツチの人たち。
けれど実際はフランス軍は助けてくれなかった。
水も食料もなくなった。

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すぐそばには、斧や鎌を振り回して虐殺のチャンスをうかがうフツの民兵たちが来ていただろう。
震えるツチの人たちをニタニタした顔で威嚇していたことだろう。

自分たちの身を守る術がないツチの人たちは、抵抗するために投げる石を拾い集めていたという。

1994年、4月21日。
とうとう民兵たちが学校を襲撃し、ほとんどの人たちが殺されてしまった。

遺体は穴の中に埋められた。
1万5千体の遺体が見つかったと言われている。

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現場となった学校はそのまま保存され記念館となっている。
入口から入って正面にある2階建ての比較的立派な校舎には、ルワンダの歴史や大量虐殺が起きる直前の社会情勢、虐殺のときの写真などが説明とともにパネル展示されている。
ここだけを見れば、首都のキガリにある虐殺記念館と大差ない。
ほとんど同じパネル。
その当時の歴史はわかるけれど、虐殺がどんなふうに終わり、今現在共存することができているのか、現在の国民はどう思っているのかなど肝心なことはパネルだけではわからない。
だからこの展示はわたしの疑問を解決してくれるものではない。

この記念館の特徴は、展示室の裏にある。
常駐のガイドが案内してくれた。

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虐殺が起きる前、この学校は建設中だったらしい。
窓やドアのない、れんが造りの平屋の校舎が何棟も整然と建っている。

近づくとひどい匂いがした。
なんと言えばいいのかわからないけど、「うっ」とくる匂い。
不快になる匂い。

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入口から白いものが見える。
いくつも折り重なっている。

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それは無数の死体だった。

体に石灰が塗られミイラのようになっている。
赤ちゃんぐらいの小さなものもある。
髪の毛が残っているものもあれば、服を着ているものもある。

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足や腕が不自然に曲がっているものは、殺されたときに攻撃されたあとなのか。
叫ぶように口を開けているものもあれば、苦しそうな形相をしているものも。

一部屋に何十もの遺体が無造作に置かれている。
次の部屋にも、そしてまた次の部屋にも。

はっきりいって一部屋だけでじゅうぶんなのに、全部の部屋に同じように無造作に置かれている。
窓もドアもない部屋で風や砂が入ってくるのに、簀の子のような台の上にボンボンボンと雑に置かれている。
そこに人間への尊厳なんて感じられない。

こんなにたくさん展示する必要なんてあるんだろうか。

ガイドが言った。
「ほら、もっと奥に入ってじっくり見たらどうですか?」

もうすでにじっくり見ている。
わたしたちはこれ以上そこにいられなかった。

ケンゾーはもう部屋の中に入ろうとしない。
「この匂いは、間違いなく死臭だ。」とケンゾーは言うけど、死臭がどんなものなのかわたしはよくわからない。
でも堪え難い匂い。

「もうじゅうぶんです。
 それににおいがわたしには強すぎて・・・。」

わたしのその言葉にガイドはなぜかニヤッと笑った。
「そんなに強くないでしょ。」

ガイドに聞いた。
「あなたは、こういう仕事をしていて辛くないですか?
 あなたもお知り合いを亡くされているでしょう。」

ルワンダ大虐殺の犠牲者はルワンダ国民の10パーセントから20パーセントと言われていて、みんな知り合いが犠牲になっている。

ガイドが答えた。
「もちろん、最初にここに来たときはとてもショックで泣きましたよ。
 見てられなかった。
 でもこの仕事は自分の傷を癒すことにもつながるんです。
 専門家もそう言います。」

たしかにトラウマを抱えた人があえて悲しかったできごとを誰かに話し、トラウマの原因に目を向けることで克服できるというのはよく聞く。

この記念館には3人ぐらいガイドがいるらしい。
今回わたしたちを案内してくれているガイドは新しく着任した人。
何度もこの記念館に来たことのあるぐっさんは、このガイドに会うのははじめてなのだそう。

彼は公務員で前職は役所で普通に働いていた人。
異動でこの仕事に配属されたそう。
どうやって選ばれるのかわからないけど、ぐっさんが昔ガイドに聞いた話だとこの仕事はかなり高給取りらしい。

何百か何千かわからないけどこの遺体は穴に埋められていたものを掘り起こし、わざわざ石灰を塗っている。
「地元の人を雇ってやらせたのでしょう。高い給料と引き換えに。」とぐっさんが言った。

遺体の服をはぎ取り、石灰を塗る仕事をした人のなかには、虐殺に加担した人、家族を殺された人もいるはずだ。
どんな思いで遺体と向き合い、こんな過酷な仕事をこなせたのか想像できない。

それになんでこんなたくさんの遺体をわざわざ展示するのかわたしには理解できない。
しかも温度調節なんてできない、窓のない空き部屋に無造作に置いている。

遺体を置いた校舎は何棟もある。
ガイドが言う。
「あっちの棟もすべて同じように遺体があります。
 もう見なくていいでしょう。
 同じですから。」

だったらこんなに展示する必要はない。
ちゃんと墓地に埋めて、残虐に殺されたのだからせめて亡くなったあとの尊厳を守ってほしい。

実はこの記念館の敷地に共同墓地があって、そこに埋葬された遺体もある。
けれどその墓地もまた、とても殺風景で哀悼の意を示すような碑文もない。
墓地というより、工場のような、焼却施設のような感じがする。

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キガリにあった虐殺記念館にも共同墓地があってそのときも強い違和感をもった。
25万人もの遺体が眠っていると言われているキガリの記念館の墓地。
コンクリートの段があるだけで、お墓と言われないと気づかない。

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ガイドは別の建物にもわたしたちを案内した。

がらんとした空間。
壁際には簡素な棚だけがあり説明の案内板なんてない。
そこに洋服がぐちゃぐちゃにされて押し込まれている。

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犠牲者が着ていた服で、遺体からはぎ取ったもの。
奥まで押し込まれていて見えないものもある。

いくつかを選んでハンガーに吊るすとか、ガラスケースの下に広げて展示するとかもっと方法がありそうなのに。
どんどん汚れていくし、無くなってもわからない。

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ぞんざいな展示。
わたしにとっては納得がいかない記念館。

死生観が違うのか、何か意図があるのか。
ルワンダの人たちは虐殺のことをどう思っているのか。
まだ20年しか経ってないのに、ツチとフツの人たちがどうして共存できているのか。
記念館を訪れるほどわからなくなる。

たくさんの遺体が無造作に置かれている記念館の近所には家がある。
どんな思いで人々はここで暮らしているのだろう。
どういう思いでこの虐殺の現場をいつも目にしているのだろう。

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虐殺のことをルワンダの人たちはどう思っているのか。
聞きたいけれど虐殺のことに触れるのはタブー。
虐殺のことを日本人と日本語で話すときも、周りのルワンダ人を配慮して「フツ」「ツチ」という単語を使わずに「F」「T」と言わないといけないほど。

ルワンダで生活している協力隊員だったら、虐殺のことをいろいろ聞いているのではないか。
そう思っていたけど、彼らから地元の人に聞くことはできないし彼らも実態をつかめていないようだった。
彼らはふとした瞬間に虐殺の爪痕を垣間見ることもあると言っていた。
たとえばこれまでいっしょに活動してきたルワンダ人に「お父さんはいま何歳?」と聞いて「もう死んだんだ、虐殺のときに。」と言われて気づいたり、「わたし鶏肉って食べられないんだよね。」と言われて「どうして嫌いなの?」と聞くと「匂いがダメ。死体の焼ける匂いを思い出すから。」と言われたり。

でも、それ以上根掘り葉掘り聞くことはできない。

この国に来て虐殺のことがわからなくて、ケンゾーとわたしは消化されないモヤモヤを抱えたまま。

フツ族が多数派でツチ族が少数派で、虐殺は加害者がフツ、被害者がツチとされている。
けれどルワンダ虐殺が収拾し、政権を取ったのは少数派であり被害者だったツチ。
どうしてそういうふうになったのか不思議だ。

キガリの記念館を案内してくれたナイケルが言っていた。
「以前はパネルの表記がジェノサイド(大量虐殺)だけだったのに、最近になって『ツチへのジェノサイド』ってわざわざ書き換えられたんです。」

権力者がツチなので、歴史も権力者にとって有利なように変えられることもありえる。
実際、犠牲になった人の数をめぐって意見が分かれていて、なにが本当なのかわからないこともある。

フツ族がツチ族を大量虐殺したと言うけれど、その逆はなかったのだろうか。

加害者としてフツの人たちは後ろめたい思いをもっているはずだと思う。
でも、その後ろめたさに耐えられなくなる人もいるのではないか。
「もういいじゃないか」「我々ばかり悪者にされる」「ほんとうにそんなにこちらばかりが悪かったのか」「きっかけをつくったのはどっちなのか」・・・。

戦時中に日本がアジアに侵略したことついても日本のなかでは「あれは侵略じゃなくて解放だった」とか「日本はそんなに悪いことをしていない」「自虐的に歴史をとらえすぎる」という意見もあるぐらいで、「歴史修正主義」と言われる人たちもいる。

加害者フツ、被害者ツチという構成で語られることに、うんざりしているフツの人もいるのではないか。
多数派のフツの人たちは、少数派のツチが政権を握っていることに不満をもっている人もいるのではないか。

「ルワンダの政府は北朝鮮みたいなところがある」と聞いた。
みんな政府の文句は言えないんだそう。
『政府に反抗すれば暗殺される』とか、『政府に反抗心をもっている人を密告する秘密警察がいる』とか、『誰だかわからないように顔を削られて川に流された遺体が最近大量に見つかった』とかそんなうわさもある。
そして、だれもがいまの政権をべた褒めするのだそう。
「いまの景気が悪いのは、政府がちゃんとしてくれないから」なんていう、そんな程度の悪口さえ口にできないらしい。

この国では語られないことがある。
語ってはいけないことがある。

残酷な虐殺からたったの20年しか経ってなくて、しかもツチもフツも隣人同士だったし、虐殺後も隣人として共存している。
そんななか虐殺のことをストレートに話せないことはあたり前のことだとも思う。
けれど、どうしてもわたしとケンゾーからしたら「臭いものには蓋をしよう」というように思えてならない。
いつかその蓋が外れてしまったとき、また同じことが繰り返される可能性もあるのではないか。
ツチの人たちはかつての虐殺に対する恨みを、フツの人たちは自分たちが悪者にされている鬱憤をはらすことにならないか。

わたしはどうしても知りたかった。
ガイドがツチなのかフツなのか。

「ここのガイドには何でも聞いても大丈夫ですよ」とぐっさんが言ったので聞いてみた。

「言いたくなかったら言わなくていいです。
聞くのはためらわれるけど、質問させてください。
あなたはフツですか、ツチですか。」


「それは、答えられません。
フツとかツチとか今はもう関係ないんです。
もし答えたらあなたは『この人はフツ、ツチ』とかそんな目でわたしを判断するようになるでしょう。」


被害者とされるツチの人が語る歴史と、加害者であるフツの人が語る歴史は違うと思ったからそれを聞きたかったけど、聞くことはできなかった。

このガイドに会うのはぐっさんも初めてだけど、ぐっさんが以前ほかの2人のガイドに聞いたところひとりがフツでひとりがツチだったのだそう。

じっくりと話を聞きたいけれど、そうすることはできない。
いったいあの虐殺はなんだったのか。

あんなに残酷なことが起きたのに、どうして平和が訪れたのか。
ツチとフツの人がなぜ共存できているのか。

わたしたちがルワンダにいる間に、そのことが少しでもわかるようになるのだろうか。
この国に滞在すればするほど、ますますわからなくなっていく。

わたしたちはモヤモヤしたままルワンダを出ていくことになるだろう。

ケンゾーとあきらめていたけれど、わたしたちは最後の最後でそのモヤモヤを解く機会に恵まれることになる。
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中国パワーに驚き中国パワーに癒やされる

2015.01.14 08:32|ルワンダ☞EDIT
今年が本厄の年だということに気づいたケンゾーです。
ふだんからあまり信心深いほうではないんだけど、いちおう厄払いはしておいたほうが安心して一年過せる。
日本にいたら神社に行って厄払いしてもらえばいいんだけど、海外にいる人はどうしてるんだろう?

人口の84%を占めていた多数派のフツ族が15%と少数派のツチ族を殺害したルワンダの大虐殺。
約100日間のあいだに少なくとも50万人、現在のルワンダ政府によると107万人が犠牲となった。

大虐殺から間もなく21年。
街はきれいだし人々もフレンドリー。
一見すると平和そのものの首都キガリ。
でも、きっとここで暮らしている人々の中にも被害者と加害者がいるはず。
お互いにもう過去の忌まわしい記憶を乗り越えることができたのだろうか。
お互いに疑心暗鬼になることはもうないのだろうか。
実際にルワンダを訪れるとすこしは分かることがあるはずと思っていたけれど、余計にこんがらがってしまった。
現在の政府が少数派で被害者側だったツチ族の勢力だということも謎を深めている。

もどかしい気持ちを抱えたまま地方に移動することに。
目的地はキガリから120kmほど南下したところにあるフーイエという街。
ここでも協力隊員にお世話になることになっている。

フーイエ

キガリからフーイエまでミニバスで2500フラン(約400円)。
いくつかバス会社があるので何時発か確認してチケットを買ったほうがいい。
ルワンダは信じられないことにバスが定時発車。
席がガラガラでも出発するから驚きだ。
日本にいれば普通のことだけど、アフリカや途上国でこんなことは珍しい。

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およそ2時間半でフーイエに到着。
今回お世話になるのは職業訓練学校で服飾を教えているのりちゃん。
さっそく家におじゃましま〜す。

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のりちゃんの家はとにかく広い!
ソファーやテーブルなどの家具も備え付き。
広すぎて逆になんだか落ちつかないくらい。
治安面を考えるとそれなりの家に住まないといけないみたい。

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首都の隊員に「フーイエに行ったらおいしいアイスとコーヒーははずせないよ」と聞いていた。
さっそくのりちゃんに連れていってもらうことに。

まずはアイスクリーム。
外観はちょっと殺風景だけど、おいしいアイスあるのかな?

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あったよ!
バニラの風味が濃厚で本格的なアイス。
これで1000フラン(約160円)は安い。

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つづいてやって来たのはコーヒーショップ。

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アフリカでコーヒーと言えば、コーヒー発祥のエチオピアやキリマンジャロコーヒーのタンザニア。
ルワンダと聞いてコーヒーをイメージすることはあまりないけれど、じつはコーヒーはルワンダの主要な輸出品。
だけどまだまだ生産や加工の方法などが未熟で改善すべき点も多いんだそう。
JICAもルワンダコーヒーに力を入れていく方針で、先日も協力隊の「コーヒー隊員」が2人新たに着任していた。

香ばしいコーヒーの香りに包まれた店内。
はあ、落ちつくなあ。

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このコーヒーショップも以前JICAの支援が入っている。
店の一画には「草の根無償資金」で購入された焙煎機がどーんと置かれている。

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以前フーイエに赴任していたコミュニティ開発の隊員がこの店のオープンや宣伝に活躍したんだそう。

コーヒー1杯200フラン(約32円)、エスプレッソ400フラン(約64円)と激安。
値段は激安だけど味は本物。
家の近所にあったら間違いなく毎日通うのになあ。

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夜はのりちゃんの家で鍋をすることに。
家の中にキッチンはあるけれど、コンロはない。
外にあるキャンプ場のようなキッチンで炭をおこす。

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じつはのりちゃんの家のすぐ目の前にある大学で日本人の教授が教鞭をとっている。
平和学を教えているそうなんだけど、家庭菜園でいろんな野菜を育てているんだそう。
のりちゃんがおすそ分けでもらった白菜を使って鍋を作ることに。
久しぶりの白菜にちょっと興奮。
やっぱり鍋には白菜だよねえ。

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翌日、のりちゃんの活動先の学校を見学させてもらうことに。
「千の丘の国」と形容されるルワンダ。
学校へ行くまでの道のりも坂ばかり。

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出勤するのに畑や林を抜けていく。
これぞアフリカンライフ。

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のりちゃんが活動しているのは職業訓練校。
ここでは木工や土木から服飾、料理と幅広い職種を教えている。

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ここがのりちゃんの職場の服飾コーナー。
きょうは残念ながらのりちゃんの授業はなし。

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こちらは美容師コーナー。
女性だけじゃなくて男性の生徒も多い。

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この日はストレートパーマの実習をしていた。
まずはチリチリの髪を数人掛かりでクシでとかしていく。
いくら絡んでいてもお構いなしに力任せにとかしていくから大変。
されるほうは涙目になりながら必死に耐えるしかない。

つぎにパーマ液を髪に塗る。
これまたクシでとかしながらまんべんなく塗りこんでいくから痛そう。

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きっと、ていうか絶対にハサミでカットする実習なんてないだろうね。
習う事といえばストレートパーマと編み込み、エクステンションの仕方だけなんじゃないかな。
イクエの髪で編み込みをしたりもしてたけど、つるつるすべってすぐにほどけるのが不思議そうだった。

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のりちゃんの生徒の中には、街のお店で実習をしている人もいる。
授業が終わったあとに様子を見にいく事もあるんだって。
しっかり働いてるのか、やっぱり気になるよね。

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職業柄しょっちゅうマーケットに足を運んで布地などを見て回っているのりちゃん。
カラフルな柄が特徴的なアフリカの布地。
最近、アフリカの伝統的な布に似せた中国産の布地がかなり出回るようになってきたんだって。

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こんなところにまで進出するか、と恐れ入る。
地元の人も「この布地に限っては地元のものよりも品質がいい」と言っている。
近い将来アフリカ産のものはなくなってしまうかもしれない。
中国おそるべし。

中国パワーを実感したあとに中国パワーを取り入れるべく中華料理屋さんへ。
中国が力を持ちすぎるのはちょっと考えものだけど、世界中に中華料理屋が増殖するのは大歓迎。

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この豊富なメニューを見るだけでテンションが上がる。
いつも思う事だけど、「選べる」っていうのは素晴らしい事だ。

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真剣に、そして慎重に悩んだ末に選んだのは、麻婆豆腐、炒め物、焼きそば。
とろみがついた麻婆豆腐の美味いこと!

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メインディッシュは豚肉の鉄板焼き。
店員が持ってきた鉄板焼きは、もはや料理の域を超えていた。
なんですか、これ?

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バルサンのように鉄板からモクモクと煙が吐き出されていく。
テーブル、というか店内が煙に包まれてお互いの顔がぜんぜん見えない。
煙くて涙が出そうなんだけど、食べても大丈夫かな?

煙がおさまるとぷりっぷりの豚肉が顔を出した。
こりゃまたたまりませんなあ。

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いやあ豚肉万歳。
中国おそるべし!
のりちゃん、美味しい店に連れてきてくれてありがとう!

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実際にあった「ホテルルワンダ」

2015.01.13 08:13|ルワンダ☞EDIT
最近ルイボスティーのおいしさに目覚めているイクエです。
ルイボスは南アフリカで栽培されているらしく、紅茶よりもこっちではポピュラー。
紅茶よりも苦みがないし、ウーロン茶のように料理にも合う。
体にもいいからこっちにいる間にたくさん飲んでおこう。

ルワンダの首都、キガリに滞在しているイクエとケンゾー。
ルワンダはとても小さい国だけど、バスが定時に出発したりゴミが落ちてなかったり、車は歩行者に道を譲ってくれたり、値段交渉もそんなにしなくてよかったりで、アフリカっぽくない。

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小さいけれど街はきれいに整備されていて、街路樹や芝生のロータリーなど人工的な緑が多い。
「なんかシンガポールみたい」。
そう思っていたら、実際ルワンダは「アフリカのシンガポール」って言われてるんだって。

街のつくりだけでなく、政策も似てる気がする。
シンガポールはゴミのポイ捨てやガムの持込みが禁止されていて、ルワンダではビニール袋が禁止されている。
ちょっと厳しすぎるなあと思う。

ルワンダにはおかしなルールがほかにもある。
毎月最終土曜日は「清掃の日」
家族のうち必ずひとりが代表で街の清掃活動に参加しないといけない。

さらに金曜日は「スポーツデイ」
健康のためにみんなで運動をしましょうという日。
金曜日の午後には公務員も仕事を切り上げ、上司のおっちゃんたちと部下の女の子たちがいっしょにエアロビをやったりしている。
上司のエアロビ姿も見たくないし、エアロビ姿を見られたくもないなあ。

急速に発展しているルワンダは「アフリカの奇蹟」とも言われている。

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街の中心地には高層ビルが建ち、キラキラと窓が反射している。

でもそんな華やかな場所は一部で、そこから街を見下ろすと小さな住宅が密集していて、こことはまったく違う世界に見える。

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たいていアフリカの役人は腐敗していて市民に賄賂をせがんだり、仕事に遅刻するのも日常茶飯事、さぼってばかりだけど、ルワンダの公務員はまじめに出勤して働いているらしい。

アフリカに派遣されている海外協力隊員たちは、自分以外の職場の人が仕事をまじめにしないことにストレスをためるケースが多いんだけど、ルワンダ隊は違う。
とくにキガリで活動する隊員たちは、職場の上司たちからのプレッシャーを受けながら朝から晩まで拘束されている。
休むヒマもない隊員たちもいる。

だからルワンダの隊員たちを見ると、日本の社会人を見ているような気分になる。
首都のキガリに配属されている隊員は社会人経験者がほとんどで、デキル人が多い。
泊めてくれているみっつも、日本にいるときは「一億円動かす」ような責任のある仕事を任されていたらしい。

そんなみっつだから、「わたしは忙しくて案内できませんが、代わりにほかの隊員におふたりのアテンドをお願いしていますので」とわたしたちのためにいろいろとセッティングしてくれていた。

朝早く出勤するみっつとともに家を出てバス停へ。
みっつの代わりにわたしたちに街案内をしてくれる隊員と会うことになっている。

繁華街でバスを降りると、目の前には建設中のビル。
足場がほかのアフリカの国のように木じゃなくて、ちゃんと鉄製ってところにルワンダの発展具合を感じる。

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さて、忙しいなかわたしたちにつきあってくれるのがこの人。
通称「ナイケル」。

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ニックネーム「ナイケル」は、彼の本名が内藤くんであることとマイケルジャクソンからきている。

子どものころからなぜかマイケルジャクソンが大好きだったというナイケル。
同じ年の友だちはドラえもんや戦隊もの、お母さんといっしょなんかをテレビで見て楽しんでいたのに、ナイケルはマイケルジャクソンのPVが大好きでテレビで流れると釘付けになっていたんだそう。

マイケルジャクソンが大好きだったナイケル少年。
ある日、遊園地で迷子になってしまう。
迷子としてスタッフに保護されたマイケル。

「お名前はなあに?」
優しくスタッフに聞かれた少年はこう答えた。

「ぼく、まいけるじゃくそん。」

「!?」
「まいけるじゃくそん!」

「じゃなくて・・・ぼくのお名前はなんていうのかな?
 なに君かな?」

「まいけるじゃくそん!!」

少年はかたくなに自分はマイケルジャクソンであると訴えた。

そして館内放送が流れた。
「♪ピンポンパンポーン
 ◯◯からお越しの、自分のことをマイケルジャクソンと言っている男の子が迷子になっています。」


両親はすぐに我が子だってわかったんだって。

そんな過去をもつナイケル。
10代のころはプロのミュージシャンを目指していたけれど声帯を痛めて夢をあきらめた。
そのあとナイケルが目標にしたことは、たくさん働き、たくさん稼ぐこと。
それからはベンチャー企業でバリバリ働いていて、年収一千万くらい稼いだらしい。
だけどお金を手にしてもナイケルのこころは満足しなかった。
そんなとき取引先だった旅館のお手伝いを休日返上でやることがあった。
最初は営業活動のいっかんとしてやっていたけど、手伝うことが単純に楽しかった。
相手からも感謝された。
そのときにナイケルは「自分にとって大切なのはお金じゃないんだな」って悟ったのだそう。
そして協力隊として海外でボランティアをすることに興味をもったんだって。

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28歳のナイケルは新たな夢をもっている。
国連関係の職員になり、難民支援に関わりたい。
その第一ステップとして、協力隊の活動が終われば海外の大学で国際協力について学ぶことにしている。
社会人になったときはそんなこと思ってもなかったのに、人生ってなにがおこるかわからない。
だから、楽しい。

いまナイケルは地域を活性化するためのプロジェクトに関わっている。
観光資源に乏しいルワンダで、ツーリストが街歩きを楽しみ、少しでもお金を落とすように観光地図を制作した。

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お土産屋さんやレストランを紹介した地図。
作った地図はホテルなんかにも置いてもらってるんだそう。

ナイケルの活動場所のひとつがここ。

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ルワンダの民芸品を集めたショップ。
職人さんたちが組合をつくって制作、販売している。
その運営のアドバイスをやっている。

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そんなナイケルだから、キガリにやって来る日本人の旅行者たちを今まで何度も案内している。
ルワンダについて紹介するブログもやっていて、ブログを読んだ人から連絡をもらってキガリで会ってガイドしてあげることも多いんだって。
ルワンダから観た世界〜内藤俊輔BOOK)。
もう何十組かすでにガイドしていて、なかには個人的にルワンダにやって来た芸能人もいたのだそう。

ルワンダでの観光と言えば、おもに2つしかない。

ひとつはゴリラの生息する森をトレッキングすること。
そしてもうひとつは、ルワンダ虐殺の現場を巡る旅。

ルワンダ虐殺とは、1994年に起きた民族の大量虐殺。
ルワンダでツチ族とフツ族が対立し、およそ100日間で50万人とも100万人とも言われる人が殺された。

悲惨なできごとが観光資源になっているのは違和感があるかもしれないけど、日本に来た外国人が広島を訪れたり、ポーランドでわたしたちがナチスのアウシュビッツ強制収容所に行ったりするのと同じようなこと。

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わたしたちが最初に訪れたのは「キガリ虐殺メモリアルセンター」。
外国からの支援を受けてつくられたもので、当時の社会情勢やツチ族とフツ族の対立が深まり虐殺に至った様子などがパネルで展示されている。
しっかりした資料館だけど入場料は無料。
ナイケルはもう5回くらいは来ているそう。
初心を忘れないためにここで虐殺のことを見つめ、考えるきっかけを自分でつくるようにしているんだって。

その後、わたしたちはこの場所にも行った。

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ホテル、ミルコリン。
キガリにある老舗の高級ホテル。
ここに来たのは泊まるからじゃない。

ルワンダ虐殺のときの出来事を描いた映画『ホテルルワンダ』の舞台になったところ。

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『ホテルルワンダ』はわたしとケンゾーも日本で見たことがあった。
虐殺から逃れようとこのホテルにやってくるツチ族やフツ族穏健派を、支配人だったポール・ルセサバギナが迎え入れかくまり、1268人の命を救ったことが描かれている。
彼は「アフリカのシンドラー」と称えられている。

映画でホテルの名前は「ホテルルワンダ」となっているし、撮影で使われたホテルはここではない。
けれど実際の現場だったのはこのミルコリンだった。

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映画ではホテルの水が止まり、生き延びるために人々がプールの水を利用したことが描かれている。
とても生々しい映画だったし、実際この場所はつねに恐怖に包まれて壮絶な場所だったのだろうけど、目の前の風景があまりに優雅で、かけ離れていてなかなかその事実を受け止められない。

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当時ここに隠れていた人たちは、荒んでいく街をここから見下ろしながら、自分たちの将来を案じたのだろう。

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ホテルは街の真ん中にある。
けっして安全な場所ではない。
ナタや鎌をもった暴徒が垣根を越えて通りから侵入すればすぐにやられてしまう。
実際、ナタを持って垣根の向こうでこっちをにらみながら脅している男たちもいたと思う。

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こんな場所にいながらも、まだわたしはルワンダの虐殺について現実味がわかない。
ルワンダは一見するととても平和で穏やかな国に見える。
たった20年しか経ってないのに、なぜいまツチ族とフツ族が共存できているのか。
ルワンダに来てなぜ虐殺が起きたのか、人々はどう向き合っているのか、いまどうなっているのかを知ろうと思ったのに、ルワンダに来たことでかえってわけがわからなくなっている。

虐殺のことはあまりにもナイーブなことで、地元の人の前で口に出すことはできない。
「フツ」とか「ツチ」とか単語を言うのもダメで、たとえ日本人同士で日本語で虐殺のことを話していても「フツ族」とか「ツチ族」と言うとそばで聞いている現地の人に悟られてしまうので使わないほうがいいらしい。
協力隊員たちは虐殺のことを日本語で会話するときも「フツ族」のことを「F」、「ツチ族」のことを「T」と話す。

虐殺のことを知ろうと思ってきたのに、わたしはこの国で何か知ることができるのだろうか。
もどかしさとわけのわからなさとあせりを抱えたまま、ルワンダでの日々が続いていく。
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ルワンダはまさかの◯◯がご法度!

2015.01.12 09:11|ルワンダ☞EDIT
最近ラーメンについて人と話す機会が多いケンゾーです。
福岡出身なので好きなのはもちろん豚骨ラーメン。
というか、福岡で豚骨ラーメン以外の選択肢はほとんどないんだよね。
メニューに「塩ラーメン」とか「味噌ラーメン」とかないからね。
「ええっー?!」とびっくりするかもしれないけど、豚骨以外食べたいとは思わないから問題なし。
ああ、いつまでラーメンおあずけかなあ。

ケンタと別れたケンゾーとイクエはとなりのルワンダをめざす。
カバレから国境のカツナまではおよそ20km。
乗合いタクシーで1人4000シリング(約160円)。

途中マフラーが外れて2回ストップすることに。
まあ、アフリカではこんなの日常茶飯事。
移動ではなにかトラブルがあると思ってたほうがいい。
ドライバーもそれを見越してちゃっかりつなぎの作業着をもっていて、パッと着替えて車の下に潜り込む。

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国境手前でタクシーを降りて歩いて国境を越える。
徒歩での国境越えは何度目だろう。
いくつになっても新しい国に入国するときはワクワクする。
ルワンダの食事はおいしいといいな。

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ウガンダを出国してルワンダのイミグレーションへ。
ケンゾーとイクエふたりともスタンプを押してもらったのに、なぜだかパスポートを返してくれない。
「ビザに問題があるのでボスと面談しないといけない。」
まったく予想外の一言にびっくり。

あらかじめ取得していたビザはケニア入国時に購入したケニア・ウガンダ・ルワンダ共通ビザ。
どこに問題があるのかさっぱり分からない。
ふたりでため息をつきながらオフィスへ。

オフィスには若い係員がいた。
「なにが問題なの?
 自分たちはただのツーリストだけど。」

と訊ねると
「なにも問題はないよ。
 まあ、そこに座ってちょっと待ってて。」

と言われた。

問題ないならパスポート返してくれよ。
イライラしながらも仕方がないのでしばらく待つケンゾーとイクエ。

5分経ってもボスはやって来ない。
「キガリまで移動しないといけないんだけど。
 ボスはいつになったら来るの?」


男はまさかの一言を発した。
「ボス?
 ボスはわたしだけど。」


ええっー!
ボスはあんた?
じゃあ何を待たされてるの?

ボスだと言う若い男はさっきからケンゾーたちのパスポートをパラパラめくっているだけ。
まったく意味が分かんない。

「何が問題なの?
 何を待てばいいの?」

どんどんイライラがつのっていく。

「ルワンダには何日間いるの?」
「どこに行くの?」
「ルワンダの次はどこに行くの?」

それ全部さっき窓口で聞かれたことと一緒だから!
そんな事務的なこと聞くために待たされたの?!

のんびりとした口調で喋るボスだと言う男。
暗に賄賂を要求しているのか?
ただの嫌がらせ?
まったく真意が理解できない。

「問題ないんだよね?
 スタンプも押されてるし、はやくパスポート返してよ。」


「もうひとつスタンプ押さないといけないから窓口で受け取って。」
いったい何がしたかったのかさっぱり分からない。
ただの時間のムダ。
「もう、なんなん?!」と文句を言いながら窓口へ。
受け取ったパスポートには最初に押されていたスタンプしか押されてなかった。
スタンプが2つ必要なんてことは真っ赤な嘘。
なんなんルワンダ?
先が思いやられるよ。

きょうの目的地はカツナから80km離れた首都キガリ
待機していたミニバスに乗って移動することに。
カツナからキガリまで1500フラン(約240円)。

キガリ

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発車したと思ったらすぐに止まったミニバス。
外にぞろぞろと降りる乗客。
入国に際しての荷物チェックがあるみたいだ。
荷物をすべて持って外へと出る。

道路脇に置かれたテーブルの上に荷物をすべて置くように言われる。
数人の係員がケンゾーとイクエの荷物を取り囲む。
危険なものなどやましいものは持っていないので「ちゃちゃっと終わらせてよ」と思っていたら、まさかの展開に。

調べだしてすぐに「なにこれ!」という感じで色めき立つ係員。
係員は全員英語があまり喋れないので何を言ってるのかあまりよく分からないけど、どうも靴を入れているビニール袋に対して何か言っているみたい。

とにかくビニール袋はダメだ!みたいなことを言っている。
本格的にケンゾーとイクエの荷物を調べはじめる係員たち。
スーパーのビニール袋が出てくる度に大騒ぎ。
どういうことだ?

使ったあとにポイ捨てすると思って注意してるのかな?
「バッグとして使ってるものだから捨てないよ。」
そう言ったら
「バッグ?アハハハハハ!
 みんな聞いた?バッグだって!!」
と、この人たち何言ってんの?って感じで笑い者にされてしまった。

どうもルワンダはビニール袋の持込み自体がNGみたい。
この係員たちは危険物や薬物を探すんじゃなくて、ターゲットはビニール袋。
ペットボトルはOKだけどとにかくビニール袋がダメみたい。

捨てないからいいでしょ?と言ってもNOと一蹴。
バスのドライバーまでやって来て「ビニール袋を今ここで捨てないならバスには乗せない!」と言ってきた。
そんなにルワンダではビニール袋は御法度なの?
ビニール袋がダメだったら靴とか何に入れたらいいの?って聞いたら、「紙袋を買え」と言われた。
ごていねいに紙袋を売っているおばちゃんや子どももいて、寄って来た。

すべてのビニール袋を没収されてやっと解放された。
バスに戻るとみんなに笑われてしまった。
さっきのイミグレといい、ビニール袋といい、なんかルワンダは変な国っぽいなあ。

ルワンダでは入国のときだけでなく、国内でビニール袋が原則禁止されている。
スーパーでもビニール袋に入れてくれない。
そのかわり、茶色い封筒みたいな袋をみんな愛用している。

首都のキガリに向けて走るミニバス。
いくら走っても車窓から見える景色に変化はない。
緑に覆われた山ばかり。
時々ちょこちょこと小さな集落が過ぎ去っていく。
思ったよりもかなり田舎だ。

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すこし家の数が増えてきたなあと思ったら、びっしり家が建ち並び頂上一帯に高層ビルがニョキニョキと生えた丘が見えてきた。
ルワンダの首都、キガリに到着だ。

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この丘の上がキガリの中心部。
なんだかやっぱり不思議な首都だ。

ルワンダでも青年海外協力隊員にお世話になることになっている。
バスターミナルは丘のふもと、乗合いワゴンに乗って丘の上へ。
乗合いワゴンは200フラン(約30円)、安い!

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キガリで泊まる部屋を提供してくれたのはみっつ。
コンピュータのシステムエンジニアでキガリの赤十字病院に派遣されている。
おいしいレストランに連れて行ってくれた。

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肉の串焼きや卵焼きのようなものなどウガンダでは食べられなかったものばかり。
シンプルなサラダでさえもおしゃれに見える。
ウガンダにはこんなサラダもなかったもんなあ。

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みっつの家はアパートメントの一室。
部屋に入る前の廊下からしてウガンダ隊の家とは大違い。
前言撤回だ。
ルワンダは田舎な国かもしれないけど、首都のキガリはちゃんとした都会だ。

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中に入ると思わず「すごい」と叫んでしまった。
日本のマンションと比べてもぜんぜん見劣りしない部屋にびっくり。
ウガンダ隊にはぜったい見せられないよ。
差がありすぎるよ。

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ちゃんとゲストルームまであるんだから驚き。
キングサイズくらいのふかふかベッドにバスルームも付いている。
へたなゲストハウスよりも快適だよ。

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みっつの活動内容は病院のコンピュータシステムの構築。
『現職参加』といって、日本で勤めていた会社を辞めることなく休職してルワンダに来ているみっつ。
週5日、朝早くから出社し、日によっては家に帰るのが夜9時を過ぎることも。
ボランティアというよりも、日本にいるときのように普通に仕事をしているみたい。

そんな忙しいみっつだけど、泊まっているあいだ毎日朝ごはんを準備してくれた。
しかもその朝食がかなりのクオリティ。
あるときはベーグルでおしゃれに。

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あるときはおにぎりと味噌汁で文句のつけようのない和の朝。
これだけ見ると日本だよね。

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しかもインゲン豆のおひたしまで付いてるんだから言うことない。
鰹節の香りと味がたまんない。
いやあ、みっつの女子力はかなりのもんだよ。

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だいたいどの国でも首都には隊員が泊まれる専用の施設をJICAが作っている。
地方の隊員がミーティングなどで首都に来た際に寮のように使うことができるようになっているんだけど、ルワンダにはそれがない。
ルワンダは四国くらいの大きさでとても小さな国。
いちばん遠くの任地からでも3時間あれば首都まで来れるので専用の宿泊施設がないんだそう。

部屋がきれいで料理好きのみっつの家が隊員の溜まり場となるのは必然だったのだろう。
週末になると地方からやって来た隊員たちがみっつの家に押し寄せる。
しかもほとんど男ばっかり。
みっつもそれを嫌がることもなく、毎週手料理をみんなに振る舞うって言うんだから女子の鏡だ。

そして今週も飢えた男たちがみっつの元へとやって来る。
手際よく料理を作っていくみっつ。
イクエもちょっとお手伝い。

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この日のメニューは豚の角煮と茄子の味噌炒め。
両方ともほんとうに美味しい。
ウガンダのつかさちゃんも女子力が高かったけど、みっつも素晴らしい。

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男どもは満足いくまで食べて飲んでそのままバタンキュー。
毎週のようにみっつの家に泊まっていくんだって。

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みっつ、忙しいのに美味しい料理をありがとう。
子どもみたいな男性隊員たちの世話が大変だと思うけど、みんなのお母さん代りがんばってね。

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ルワンダを語るうえで避けてはとおれないもの、それは「大虐殺」。
次回からルワンダの悲しい歴史についてお伝えします。
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ウガンダグルメの食材はまさかのアレ

2015.01.11 08:51|ウガンダ☞EDIT
成人式のときは、いままでの人生でも指折りの太ってた時期だったイクエです。
写真館で遭遇した小中学校の同級生に手を振ったら、「え!?太ってる。誰かわからんかった!」と言われました。
成人式の写真は顔がパンパンで、後悔しました。
だから結婚式のときはダイエットしたんだけど、それでももっと痩せたかったなあ。
今だったらあのときよりも痩せてるんだけどな・・・。
でも、顔にはシミやシワがあるからダメだけど。

ウガンダの南、カバレに来ているイクエとケンゾー。
とくにこの街に何があるってわけではないんだけど、海外協力隊員として活動中のケンタくんに会うためにやってきた。

長い間旅行をしていて、楽しいと感じるのは観光地よりもそこで生きる人たちとの出会いや生活を垣間見ること。
だからカバレでも観光地に行くことはとくに期待していなかった。

だけど、ケンタくんが言うにはこのカバレにも自慢の観光地があるらしい。
なんでもそこでは珍しい食材を使ったご当地グルメを楽しめるらしいんだけど・・・。

ほんとうかな。

半信半疑のまま、バイクタクシーに乗って山道を登ること30分。
「ウガンダっぽくないおしゃれなホテル」に到着。

たしかに予想以上にウガンダっぽくないたたずまい。
ヨーロッパにありそうな、雰囲気のある建物。

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ここはホテル、Bird Nest Resort
このレストランでおいしい食事をいただけるんだって。

レセプションを通ってレストランのテラスへ。
「うっわぁ、ここウガンダじゃないみたい!」

この雰囲気、この景色、これはもう立派なリゾートだね。

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ここはブニョニ湖
静かで美しい湖にいくつかの島が浮かんでいる。
その湖畔には丘がそびえ、緑の棚田が空高くまで続いている。
リゾートっぽいけど、そこに地元の人たちの生活もある。
だからこそ居心地がいい。
くつろげるリゾートと現地の人の暮らしが共存している場所。

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「こんな隠れ家があるなんて。
行き詰まったときにここでぼーっと湖を見て1日過してリフレッシュできるんじゃない?」

ヨーロッパのリゾートホテルに引けをとらない環境。
オーナーがヨーロッパの人なんだって。

犬がペットとして飼われているっていうのはアフリカに来てこれまでなかなか見なかった。
犬は野良犬がほとんどだし、いつも子どもから石を投げつけられている。
目がうつろで、病気なのか毛が抜けていて貧相にしている。

だけどここの犬は、わたしたちが知っている犬。
きれいな毛並みの犬が人間に懐いている風景は、先進国で見るシーンのひとつ。

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ここで食べられるグルメは何かっていうと、これ!
ピザ。
アフリカのピザってクオリティーが低そうだけどここのピザは見かけも本格的。

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カリカリに焼き上げられているけどチーズはとろり。
このピザのトッピングの食材がここならではのもの。
「シーフード」ならぬ「レイクフード」。
湖でとれるあるものがのっているんだけど、わかる?
赤く焼き上げたプリップリの・・・。

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ザリガニ!!

ここはザリガニが名物。
ザリガニって言うと、子どものころ男子たちが近所の汚いため池でザリガニ釣りをしていた。
男子のわきにあるバケツをのぞくとザリガニがウヨウヨいて、ばちゃばちゃ暴れていた。
たくさん釣っても、もちろん男子たちは食べないし、釣ったことに満足してそのまま池に返していた。

だからザリガニにおいしいイメージなんてないし、泥臭そうなイメージ。

でもプリプリしていておいしい!
エビのような甘みはあまりないけれど、食感はかわらない。

海のないウガンダ。
でも湖があって魚もザリガニも釣れて、湖の幸には事欠かないね!

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実はアルメニアを旅したときも、宿の近くの居酒屋でザリガニがつまみとして出されていた。
アルメニアも海に面していない国。
海がないと食材としてザリガニが重宝するのかもしれない。

ザリガニピザのおいしさに感動していたら、ケンタくんがパスタも注文してくれた。

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ザリガニのクリームパスタ。
臭みはまったくない。
クリームパスタとの相性もいい。

どうして日本ではザリガニを食材にしないのかなあ。

でも、インターネットで調べてみたら食べるところもあるらしい。
ちらし寿司や海鮮丼に使われることもあるらしいけど、聞いたことないなあ。
高級食材のタラバガニの味に似てるって言われているらしい。
それは、言い過ぎ?

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レストランはテラスだけでなく、室内でも食べられるようになっている。
内装はとてもおしゃれ。

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湖以外何もない場所だけれど、こんなところでゆっくり過すのはとても気持ちがいい。
作家だったらきっとこんなホテルに泊まって執筆活動したいなあ。

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湖に面したところにはプールもあって、うたた寝するにはちょうどいいチェアもある。
木をくり抜いて作ったカヌーだって楽しめる。

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「ケンタくん、ここなら日本にいる家族も連れてこられるね。
ウガンダで暮らしているって言ったら心配するけど、こんなところもウガンダにあるって知ったら安心するかもよ。」

「そうですよね。
ここなら誰でも喜ぶかも。」


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客室数はそんなに多くなさそう。
贅沢なつくり。

「今度宿泊も考えてるので見学させてください。」
そう言って部屋を見せてもらうことにした。

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ダブルで1泊1万円オーバーだけど、このクオリティーならけっして高くない。
だって部屋からこの眺めだもん。

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「カバレにこんないいところがあるんだね。」
「もっと上からこの湖を見渡せるスポットがあるんですよ。」

湖を眺めながらグルメを楽しみ、リラックスしたわたしたち。
絶景スポットの丘を目指してゆっくり歩いていく。

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丘に登って湖を見下ろせる場所に到着。
湖にはいくつもの島が浮かんでいる。

静かな湖を取り囲むように棚田が広がり、その奥に連なる美しい山。

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手前には、さっきまでくつろいでいたホテルが見える。
木々に囲まれた白い洋館。

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ケンタくん。
最後にすてきな隠れ家のようなところに案内してくれてありがとうね。

ウガンダで、協力隊員の家を渡り歩きながら楽しい日々を過ごすことができたイクエとケンゾー。
ウガンダを去る日がやってきた。
最後も自転車タクシーに乗って、ケンタくんの家から街へと降りていく。

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アップダウンが激しいところだけど、運転手は汗を流しながら必死にペダルを漕いでいく。
でも、あまりに急な斜面ではわたしたち乗客はいったん自転車を降りて歩いていかないといけない。
自転車タクシーはバイクタクシーに比べれば乗り心地は悪いし、時間もかかる。
でもその分運賃は半額。

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最後にケンタくんと最後の昼食。
最後までメニューはウガ飯。
ウガ飯もこれで食べ納めだよね。

このあとルワンダに行くけど、ほぼ同じで「ルワ飯」っていうのはさすがにないよね。

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ウガ飯の味はいつも通りだったんだけど、最後にトラブルが・・・。
お会計のときにもらったレシートの額が、メニューに書かれていた料金と違う!
2倍も高くなっている。

「このメニューと金額が違うんだけど。」
お店の人に抗議すると、何食わぬ顔で答える。

「そのメニューは古いもの。
1年前のものだから。
改訂してなくて・・・。」

そうなの?
だったら最初に教えてよ。

しょうがなく言われるがままの値段を払ったけど、やっぱりヘン。
食事は料金改定されたとしても、いっしょに飲んだ瓶のコーラが通常の2倍も取られている。
ウガンダの食堂ではたいてい飲み物の相場が決まっている。

「食事代はいいとして、ジュースがこんなに高いのはおかしくない?」
店員に抗議すると、またもあっさりこう言った。

「飲み物代はきのう値上げした。」

いきなり2倍に値上げなんてすることは考えられない。
ほかのお客さんがジュースを飲んでいたので値段を聞くと、やっぱりわたしたちがぼられているのがわかった。

そばにほかのお客さんのレシートが何枚か捨ててあった。
拾ってレシートを見てみると、きょうの日付とわたしたちの半額のジュース代が記されている。
きのう値上げしたっていうのはウソだ。

「ウソついてるでしょ」といっても認めないし、もちろんお金も返さない定員。
食事をしていたお客さんがわたしたちが定員ともめていることを知って、定員のかわりに余計にとられているジュース代をわたしたちに返そうとしてきた。

「そんなあなたのお金なんて受け取れないし、受け取りたくないんです。
だまされているお金を手に入れればいいってことではなくて、こころの問題なんです。
ウソをつかれたことが嫌だし、誠実に対応してほしいんです。
だからあなたのお金は受け取りません。」

こんなことはウガンダに限ったことではない。
わたしたちがぼったくられたりだまされたりしたときに、現地の人がわたしたちに同情してその分のお金をくれようとすることがある。
だましている人の目の前で。
そしてだましている人はそんなことを悪びれる様子もなく「ラッキー」という感じで他人事のように見ている。
この感覚はとても理解できない。

店員のかわりにお金をわたしたちにあげようとしたおじさんは、わたしたちが説明したあとようやくこちらの思いをわかってくれた。
「たしかにそうだよ。
なんで俺が払うんだ。
おかしな話だ。
お前がウソついてぼったくってるんだから、俺じゃなくてお前がお金を戻すべきだろ。」
おじさんは店員を非難した。

それでも店員はわたしたちと目をあわせようとせず、対応しない。

おじさんも手伝ってくれて、店員から最後にジュース代だけ返してもらった。

最後にちょっと嫌な思い出ができちゃったよ、ウガンダ。
それでもわたしたちの気持ちを客のおじさんがわかってくれたことに救われた。
おじさんに伝えた。
「ありがとうございました。
あなたと出会えてよかったです。
ウガンダ最後の日なんですが、ウガンダを嫌いにならずにすみました。」

食堂を出たわたしたちは、乗合いタクシーでルワンダとの国境を目指す。

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でもここでも面倒くさいことが・・・。
ドライバーたちによる、客争奪戦。
車に乗りたいのに、乗ろうとするとほかのドライバーがやってきて行く手をはばむ。
「こっちに乗っちゃダメ。
 俺のに乗れ!」

さらにはドライバー同士の言い争い。
「俺が先だ。」
「ちがう、この客は俺の車に乗るんだ!」

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どうだって、いいよ。
乗せてくれ〜。

いったんわたしたちはその場を離れ、彼らの目のつかない100メートル先に逃げて、別のタクシーに乗ることにした。
それに気づいたさっきのドライバーが猛スピードでやってきて、またもやドアの前に立ちはだかる。
なんなんだよ、ウガンダは。

ケンタくんとゆっくりお別れするヒマもないよ。
「ありがとう、ケンタくん。
 思い詰め過ぎずにあと1年がんばってね!」

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「これ、道中で食べてください!」
ケンタくんはいつのまに買ったのか、わたしたちのためにお菓子やジュースを用意してくれていた。

ほんとうにありがとう。
すごく気が利いて、明るくて、優しくて、さわやかな体育会系のかわいい子だなあ〜。
わたしもケンゾーもケンタくんのことが大好きになっていた。

日本でまた会おうね!!

こうしてわたしたちは最後にちょっとドタバタしながらも、ウガンダを無事に発つことになった。

そしてお隣の国、ルワンダへ。
でも、そこでわたしたちは入国のときに思いがけないものを没収されてしまった。
国境で入念に荷物検査をされて、怒られながら没収されたものとは!?

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次回、お楽しみに。
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先生が登校拒否ってどういうこと?!

2015.01.10 06:01|ウガンダ☞EDIT
子どものころ初めてもらったお年玉で買ったものは・・・覚えていないケンゾーです。
なんだったかなあ、それこそコマとか凧じゃなかったかなあ。
今の子どもたちはDSのソフト?それももう古いのかなあ。
いま日本では何が流行ってるんだろう?

カバレで体育教師として活動しているケンタの家にお世話になっているケンゾーとイクエ。
ケンタが受け持つ授業があるということなので見学させてもらってもいいか聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「もちろんOKですよ!
 でも授業できるかなあ。
 生徒が来るといいんだけど。」


え?どういうこと?
見学うんぬんの前に生徒が来ないとかあり?

じつはウガンダは学歴社会。
意外かもしれないけど、ウガンダだけでなく途上国と呼ばれている国では学歴で就ける仕事が左右されることが多い。
みんな少しでもいい大学に入学するために勉強している。
毎年進級試験があり、点数が足りないと有無を言わさず留年させられるスパルタなシステム。
しかも各学校を卒業するためには国家試験に合格する必要がある。
小学校を卒業するにも試験に合格しないといけないっていうんだから大変。

すべては国家試験に受かるため。
必然的に国家試験にない科目は扱いが低くなってしまうことに。
体育の授業はその最たるもの。
「試験に出ない体育なんて無駄だ」
「体育の時間をほかの授業にまわしてほしい」
そう考えている生徒は多いし、先生の中にも体育を煙たがっている人がいるのが実状。

日本では考えられないけど、体育の授業をボイコットして出てこない生徒はふつうにいるんだそう。
普段からまず授業として成立するかどうか、そこからはじめないといけないのが途上国での体育の授業の実態。

さらに今は試験期間中。
「2、3人来ればいいほうかなあ。
 誰も来ないってこともぜんぜんあります。」

そう笑顔で言うケンタ。

正直『体育隊員』と聞いたときは「毎日生徒と楽しく体を動かしていればいいからラクな活動だなあ」なんて思っていた。
みんなサッカーが大好きだし、勉強よりも体を動かすことのほうが当然好きだと考えていた。
でも実際は想像以上に大変。
まず授業ができるかどうか、そこからはじめないといけないとは。
そんな環境でモチベーションを保つのは大変なことだと思う。

きょう予定している授業はバレーボール。
何人きてるかなあと校庭に行って見ると・・・

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けっこう来てる!
15人くらいいるんじゃない。
これでクラスの1/3くらいの生徒なんだそう。
でもちゃんとバレーボール成立するよ。
よかったねケンタ。

体育の授業が導入されてまだ歴史が浅いウガンダ。
体操服なんてものはない。
みんな制服で体育の授業を受ける。
授業と言ってもとくに指導をする訳でもなく、ケンタ自身も加わってバレーボールを楽しむ。

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赴任したさいしょの頃は、毎回ほとんど生徒が来てくれなかったんだそう。
たとえ来たとしてもサッカーしかしたがらない生徒たち。
なんとかサッカー以外のスポーツの楽しさを伝えようと試行錯誤してきたケンタ。
けれど赴任して半年、とうとう心が折れてしまった。
すべてが思うようにいかずボロボロになったケンタがとった行動、それは登校拒否。

生徒に教えるはずの先生がまさかの登校拒否。
日本から遠く離れたウガンダの地で、たった独り悩みに悩んだ末にケンタが出した答えは現実逃避だった。
学校には行かず、ひたすら家に籠る毎日。

「活動もせずに逃げる自分が許せない」。
そんな後ろめたさも常に感じていたので、誰からも見られないように隠れるように生活した。
学校の敷地内に家があり、窓からはほかの先生や生徒たちが見える。
食べ物がなくて外に出るときは誰にも見つからないようにそーっと出て、夜になって暗くなってから家に戻った。

いちど、いっしょにケンタと夜になって家まで帰っていたときのこと。
真っ暗で道が見えずイクエがライトをバッグから取り出していたら「僕はもうあのときに慣れました。暗闇でも家に帰れるんです。」と言ったのが印象的だった。

現実逃避とは言ってもテレビもネットもないがらんとした部屋。
自分に何が足りないのか、自分に何ができるのか、ひたすらに自分と向き合う日々。

何もする気が起きず、3日間何も食べなかったこともあったんだそう。
現実から目を背け悩みに悩んだけれどケンタは逃げ出さなかった。
登校を拒否することじつに1か月半、自分なりの答えを見つけたケンタは校長先生に手紙を書いたんだそう。
どうして学校に行けなくなったのか。
1か月半何を悩んでいたのか。
自分の心の内を包み隠さず言葉にして校長先生に託すことにした。
1か月半登校拒否していたケンタを校長先生はしっかり受け止めてくれたんだって。

こんな人に言いづらい過去を告白してくれたケンタ。
聞いててちょっと泣きそうになった。
たった独りでよくがんばったと思う。

ケンタは新卒採用の隊員。
体育大学を卒業してそのまま隊員になった。
教員免許は持っているけれど、教えた経験はない。
教員どころか社会人経験もない。
そんな23歳の青年が、なにもかもが日本と違うウガンダで孤軍奮闘するのは並大抵のことじゃないと思う。
しかも生徒もほかの先生も必要としていない体育の授業。
逃げ出さず答えを自分で見つけたことはスゴいことだ。

青年海外協力隊員はなにも特別な人たちなんかじゃない。
みんなふつうの生身の人間。
日本の常識が通用しない異国の地で大なり小なり日々悩みながら、すこしでも地元の人たちの力になれたらとがんばっている。

協力隊が使う用語のなかで「任短」という言葉がある。
「任期短縮」の略で、活動を2年間続けられずに早めに帰国すること。
実際そういう隊員は珍しくない。
任短の理由で多いのが心の病い。
慣れない環境での暮らし、理想と現実とのギャップ、悩みを誰にも打ち明けられないし誰もわかってくれない、逃げ場もなくリフレッシュする方法がなくストレスは溜まるいっぽう・・・。

日本で暮らしている人のなかには「税金を使って日本の代表として海外に派遣されているのにそんなに弱音を言ってどうする!」と批判する人もいるかもしれない。
でも、協力隊の置かれた環境を知らずに軽はずみにそう批判することはできない。

協力隊になるときに希望の派遣先を聞かれはするけれど、望み通りの国に派遣される人はわずか。
ケンタもウガンダを希望していなかった。
「ウガンダってどこにあるの?どんな国?」そんな状態で行ったこともない国でいきなり2年間生活することになる。
しかも派遣地は田舎。
日本人はおろか外国人もほとんど住んでいない。
行ったこともない日本の田舎の村に突然よそ者としてたったひとりで入って暮らしていくことさえ大変なのに、その大変さをはるかにうわまわっている。

登校を拒否した末にふっ切れたケンタ。
10か月経ったいま、毎回8割くらいの生徒が授業に参加するようになったんだって。

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バレーボール一筋だった、同じく体育教師で別の街で活動中のサイカちゃんも加わって、生徒たちもゲームを楽しむ。
少しずつかもしれないけど、ケンタの思いは伝わっていってるんじゃないかな。
だってみんな楽しそうだもん。

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とは言っても文化や考え方が日本とはまったく違うからほんとに大変そう。
別の女子校で教えているサイカちゃんが言う。
「普通、日本ではバレーボールをしてメンバーがアタックを決めたら『いいね!』って褒めるし、ミスしたら『ドンマイ、大丈夫よ〜!』『次がんばろう!』って励ますでしょ。
それがこっちでは全然ないんですよ。
メンバーがミスしたらその子が落ち込むまで怒ったり文句言ったりするの。
個人競技じゃないのにね。」


ケンタたちがバレーボールをしている間、数人の生徒が横で勝手にサッカーをしていた。
このボールはケンタの私物で貸しているもの。

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授業が終わって帰ろうとしたら破れてぺちゃんこになったボールが放置されていた。
使っていた生徒は放ったらかしで知らんぷり。
どうしたのか問いただしても人ごとのような反応。
「だってボールがボロくて破れたから」と言うだけ。

ウガンダの人々は子どもから大人まで謝ることをしないんだそう。
100%非があってもぜったいに謝らない。
日本だと考えられないけどそれがここの常識。

ケンゾーとイクエは、ボールを破ってもただ放置して逃げるだけの生徒に対して腹が立った。
となりにいたサイカちゃんは「でも謝らせることをしてもムダ。こっちが疲れるだけですから。」と言っている。

そういうもんなんだと頭では分かっていてもやっぱりムカつくし、ケンタも最初は謝らせようと努力していたんだって。
でもケンタはそれをヤメたんだそう。
「自分は謝ることを教えるために来てる訳じゃないし、文化を変えるために来てる訳でもない。」
でも、口で言うのは簡単だけどそれって大変だと思うよ。
こっちも人間だもん、なかなか割り切れないよね。


酒が大好きなケンタ。
週末になるとひとりで街に繰り出し、地元の人たちと酒を酌み交わしているんだって。
そんなケンタ行きつけのバーに連れて行ってもらうことに。

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うん、ローカル感満載でいい感じ。
さすが入り浸ってるだけあって、ケンタは店員やほかの客ともすっかり溶け込んでる。

登校拒否の期間もよく飲みに来ていたんだって。
ケンタにとって酒を飲むことが唯一の逃げ場だった。
酒を飲みながら学校とは関係のない地元の人とたわいのない事を喋って笑うことで、なんとか持ちこたえることができたんだろう。

ケンタが通りを歩けば、たくさんの人が話しかける。
「いまの誰?」って聞くと「飲み友だちです」とケンタは言う。
たくさんできた友だちは、いまのケンタの財産。
彼らの存在があることで、登校拒否中もウガンダ人を嫌いにならずにすんだ。

ふだんは毎日3食学校の食堂で食事をしているケンタ。
毎日毎日ほぼ同じメニューだけどぜんぜん飽きないんだって。
学校のウガリがNo.1だと力説するケンタ。

じつはほかの隊員と同じく、ケンタも最初はウガ飯があまり好きじゃなかったんだそう。
でもウガ飯しか選択肢がないから食べるしかない。
しかたなく食べ続けること3か月、変化は突然おとずれた。

ある日を境にウガ飯の美味さに目覚めたんだって。
「昨日まで食べていたのとまったく同じものなのに違う味がする!」
「え?!これってこんなに美味しいものだったの?」
ウガンダ隊員はそれを『イーティングハイ』と呼んでいるんだそう。

自分の限界を超えて走り続けているとおとずれるランニングハイ。
それまで苦しくてしかたなかったのに、脳内モルヒネが分泌されて気持ちよくなってしまう。
ランナーを別の次元へと導くランニングハイ。

ウガンダ隊員はもれなくイーティングハイを経験するんだそう。
変化が数か月でおとずれる人もいれば半年かかる人もいる。
いずれにしてもイーティングハイになるとウガ飯なしでは生きていられないウガ飯LOVEになるんだそう。
一線を越えた者だけが知ることのできる世界。
まあ、知りたくないけど・・・。

ビールを飲みながらウガ飯について熱く語るケンタ。
ウガリもマトケ(食用バナナ)も好きだけど、ウガリのほうがちょっと上をいってるんだって。
ゼスチャーを交えて嬉しそうに語るケンタ。

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イーティングハイって、脳内モルヒネで味覚が麻痺しちゃってるだけなんじゃないの?って思うけど、ウガンダで生きていくうえでは必要不可欠なことなのかもしれない。
人間ってスゴいね。

食べ物がウガ飯しかないので、お腹が減ったときに思い浮かべるのはウガ飯。
「お腹がすいた〜。ウガ飯食べた〜い!」って必然的になるんだって。

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料理が苦手なケンタ。
いくらイーティングハイを会得したとは言え、さすがに日本食も恋しいだろうということで天ぷらを作ることに。
コンロはないので暖炉で火をおこす。

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ネタはヘルシーに野菜のみ。
炭火は火加減が難しいけど、なんとかうまく揚げることができた。

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ケンタ、お味は?
「なにこれ?モチモチだー!」

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え、なに?天ぷらでモチモチってどういうこと?
そんなアホな、と一口食べてみる。
「うわ、ほんとや、めっちゃモチモチ!」

衣がサクサクじゃなくてモッチモチ。
今までにない食感だけど悪くはない。
どうも小麦粉だと思ってたものが「メイズ」というウガリの原料の粉だったみたい。
ウガ飯LOVEなケンタにはちょうど良かったかも。

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夜、家の外に出ると満天の星空が広がっている。
一眼レフを持っているケンタに星の撮影の仕方を教えてあげると「うわっ、すげーすげーすげー!」と大興奮。
いつまでも星空にレンズを向けていた。

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ああ、純粋で熱くていいヤツだなあ。
日本帰国まであと1年。
楽しみながら走り切ってほしいな。
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子豚泥棒で生徒が暴動寸前!

2015.01.09 05:52|ウガンダ☞EDIT
髪が伸びてボサボサだったので年明け早々妻に切ってもらったケンゾーです。
新年早々ガタガタ&まだら模様になってしまった(泣)。
前回は念願だった美容師の旅人に切ってもらってイケテル髪型になったんだけど、まあしかたない。
でも素人ながらに少しずつ上手くなっていってる妻が頼もしい。

たしかに小さかった世界最小民族のピグミー族との交流を楽しんだケンゾーとイクエとOGGY。
OGGYにいたっては「いやあ、よかった。アフリカのハイライトだったかも。」とかなり気に入ったご様子。
そんなにテンション上がってるようには見えなかったんだけど、よかったよかった。

そんなOGGYとはここでお別れ。
残りわずかだけど、最後まで旅を楽しんでね。
また日本で会おう!

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ケンゾーとイクエが次に目指すのは、ウガンダの南端でルワンダとの国境に近いカバレという街。

カバレ

フォートポータルからムバララを経由してカバレへ。
ムバララまで20000シリング(約820円)、ムバララからカバレまで15000シリング(約620円)。

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ウガンダのあと隣のルワンダに移動するケンゾーとイクエにとってカバレはウガンダ最後の街。
国境の街というのは雰囲気があまりよくないことが多いんだけど、ここカバレの人々はとてもフレンドリーで感じがいい。

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道を歩いていると大人も子どもも笑顔で声を掛けてくれる。
「チャイナ!」と叫ばれることもほとんどない。

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首都のカンパラから400km離れたこの街にも青年海外協力隊員が赴任している。
イクエの横でお茶目な顔をしているのが体育隊員のケンタ。

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活動内容が多岐にわたる協力隊員だけど、体育隊員がいるって知ってた?
文字通り体育の授業を教えるために派遣されている体育隊員のケンタ。
体育を教えるってなんだか楽しそうな感じだけど、じっさいはどうなんだろうね。

ケンタが活動しているのは街外れにある学校。
舗装されていない赤土の道を歩いていく。
やっぱりウガンダはアフリカというより東南アジアに近い気がするなあ。

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学校に向かって歩いていると地元の人からひっきりなしに声がかかる。
カバレにやって来て10か月のケンタ、早くも地元の人気者だ。
なかでも子どもたちからの人気は絶大。
ハグしに走ってくる子もいるんだからスゴい。

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ここがケンタが活動している男子校。
となりの県で活動している先輩体育隊員のサイカちゃんもちょうどケンタの活動を見学しにやって来ていた。
いっしょにおジャマしま〜す。

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手入れが行き届いてとてもきれいな敷地内。
自然に囲まれていて、勉強に専念できそうで雰囲気がいい公立の学校。

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訪れたときは試験期間中。
邪魔にならないようにそーっと見学。

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試験に備えて自習をしている生徒も。
ケンタによると、ウガンダの授業はひたすら詰め込み型なんだって。

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驚くことに、生徒は自分たちの教科書を持っていない。
先生が教科書の内容を黒板に板書してそれを生徒がノートに書き写すことが授業の中心だっていうんだからびっくり。

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先生が生徒に質問したり、指名して問題を解かせたりすることもなくただひたすらノートに書き写させるだけ。
そんな授業ぜったいに楽しくないと思うんだけど・・・。

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この学校は寮制。
外から見るときれいで新しく見えた建物だけど、じっさいはかなりオンボロ。
天井はところどころ抜けてるし、ガラスも割れたまま。

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個室なんてものはなく、病室のようにベッドが並んでいるだけ。
プライベートな空間はゼロだけど、ちょっと独りになりたいなあなんて思うことはないのかな?

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寮母さんのような担当の職員はいなくて、寮を掃除したり管理したりしているのは生徒自身。

ここはキッチン。
食事は3食提供される。
料理が苦手なケンタは生徒と一緒に毎日学食を食べてるんだって。

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ケンタもウガ飯LOVE隊員。
朝昼晩ほぼ毎食ウガリと豆だけらしいんだけど、このウガリが抜群にウマいんだそう。

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いやあ、3食ウガリとか3日間で発狂しそうだよ。
ケンゾーにウガンダ隊員は務まらないなあ。

学校の敷地内ではブタが飼われている。
普段の食事用じゃなくて生徒参加のパーティーなどの特別なときに食べるために飼ってるんだって。

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ちょうどケンタが赴任してきた頃に子豚が産まれたんだって。
子豚の成長を見守りながら過してきた8か月。
ところがある日突然子豚がいなくなってしまったんだそう。
盗まれたんだって、18頭も!

子豚泥棒に学校は大パニック。
「パーティーの肉はどうなるんだ!」って生徒が暴動寸前にまでなったんだって。
子豚泥棒で暴動って、ちょっと笑っちゃうけど、学校にとっては大問題だったんだろうね。
生徒のためにもまたいっぱい子豚が産まれるといいね。

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学校の先生たちは敷地内にある職員住宅に住んでいる。
もちろんケンタもそう。
案内された家は、びっくりするくらいデカかった。

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校長先生が使っている家と同じくらい大きな家をあてがわれているケンタ。
といっても、しょっちゅう断水になったり、お風呂の水はいつも出なくて外で水浴びしたり、洗濯は桶でやったり、料理はコンロじゃなくて炭を燃やしてやる生活はアフリカの協力隊員っぽい。

でも家の大きさに関してはほかの隊員よりも恵まれている。
部屋も5つくらいあるんだけど、使っているのはほぼ1つのみ。

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殺風景でしかもかなり散らかっている寝室兼居間兼書斎兼物置の一部屋。
「せっかく部屋はいっぱいあるんだから、もっと使い分ければいいのに!」と指摘するイクエ。
でもケンタにとっては部屋はひとつで十分みたい。
「これ完璧な部屋だと思うんですけど。」
まあ男の子はこんなもんだよ。

料理も掃除も苦手なケンタ。
ほとんど料理はしないはずなのにキッチンの散らかりかたが酷い。
いてもたってもいられなくなったイクエが掃除を開始。

物が散らかってるのも気になるんだけど、それ以上にホコリが凄まじい。
いたるところにクモの巣状のホコリがびっしり。

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ときどきチェックに来るJICAの職員にもいつも怒られるんだって。
そりゃこんだけ汚いと怒られるよ。
もうちょっと掃除がんばろう、ケンタ。

体育会系のノリそのものでとても明るく、しかも気が利くのでいっしょにいて楽しいケンタ。
学校の先生たちにも周囲の人たちにも好かれているのがよく分かる。
順風満帆に見えるケンタのウガンダライフだけど、じつは登校拒否になっていた時期があったんだって。
先生が登校拒否ってどういうこと?
その話はまた今度。
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切ないピグミー

2015.01.07 09:02|ウガンダ☞EDIT
「お正月を写そう ♪ フジカラーで写そう ♪」のCMが今年も流れているのか、ふと気になったイクエです。
もうやってないんですかね、樹木希林のヤツは。
わたしがもっとも好きだったのは、スケートリンクの上で樹木希林が顔写真のお面を後頭部につけて前屈みになってなんちゃって「イナバウアー」をやってたバージョンです。
「イナバウアー」って単語自体、かなり懐かしいですね。

さすらいの世界一周旅人、OGGYとともに訪れたピグミーの人たちの村。

身長が低いことで有名なピグミーの人たち。
彼らに笑顔で迎えられて握手をしたときに「あー、やっぱり小さい」って思った。

さて、どのくらい小さいかというとこのくらい。
右が首長さんで、左の胸毛がご立派な男性が副首長さん。

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この写真じゃわかりにくい。
比較対象でわたしと並んだ写真がこれ。
ちなみにわたしの身長は148センチ。

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やっぱり小さい!
副首長さんは145センチくらいかなあ。

もちろんもっと小さい人もいれば、大きい人もいる。
大きいと言っても160センチくらい。
平均して150センチくらい。

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身長148センチのわたしにとって、いつもは自分より背の低い大人というのがほとんどいない。
なので同じ目線で会話ができるここはわたしにとって居心地がいい。

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ピグミーの男性は「うわ、小さい」と思ったけど、ピグミーの女性に対しては男性ほど小さい印象をもたなかった。
なんでかな。
ピグミーに限らず一般的に男性よりも女性は小さいから、小さい女性に見慣れていて違和感を感じないのかもしれない。
といってもやっぱり改めて写真で見ると、小さい。

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子どもはあんまり小さいとは思わない。
年相応の身長。
ピグミーの人たちは、途中まではほかの民族と同じように成長し、早い段階で成長が止まるのかもしれない。

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でも驚いたのは身長じゃなくて彼らの年齢。
赤い服の首長さんと、となりの副首長さん。
いくつに見える?

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わたしたちは首長さんが30歳くらいで、副首長さんが50歳くらいと思ってた。
でも、実年齢は首長さんは50歳、副首長さんは70歳なんだって!
若く見え過ぎてそのことが信じられない。
「お父さんはいくつ?お父さんがいくつのときに生まれたの?」「結婚は何歳?」「結婚して何年経った?」「子どもはいくつ?」なんて質問攻めをしながらわたしたちは何度もその年齢が合っているか確認してしまった。

姿勢もいいし、肌ツヤも良くて若々しい。
早いうちに成長が止まるから、老化現象も止まるのかも・・・。

ちなみに首長は世襲制。
だから現在の首長さんのお父さんも元首長。
こんな山奥の集落で暮らしているのに首長さんだけは英語が上手。
首都のカンパラの大学を卒業しているんだって。
首長さんは話も上手で理解力もあって知的な感じがする。
さすが首長さん。

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ピグミーの人たちがわたしたちのために歌とダンスを見せてくれた。

円になって真ん中に太鼓を置き、リズムを取る。
歌い、踊りながらまわっていく。
リズミカルだけど単調で呪文のようにも聞こえる歌。

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長い木製のヤリをもった副首長さん。
うさぎ跳びのようなことをしたり、屈伸して腰を落としたかと思えば立ったり。
足を伸ばしてコサックダンスのような動きも。
かなり機敏な動きで踊る。
とても70歳とは思えない。

ちょっとコミカルでナインティナインの岡村みたいだったので「OKAMURA」と呼ぶことにした。

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ピンピン玉を大きくしたような2つのボールが紐でつながっている楽器。
紐の部分をもって振り回し、2つのボールをカチカチとぶつけながら音を出していく。

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小さな円になってまわっていく。
伝統的な生活をすることは今ではほとんどできなくなっているけれど、やっぱりこうやってみんなで民族の音楽を歌って踊るのは楽しそうで、みんないい顔をしている。



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集落の裏にはマリファナが栽培されていた。
ピグミーでは昔からマリファナが好まれている。
彼らの文化ではマリファナは悪いものではない。

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「マリファナがバレたら逮捕されないの?」
「自分たちで使う分を育てるのなら許されてるんだ。
 でも大量に栽培したり、ほかの人に売るのは禁止されてるよ。」

でも闇では売ってるのかもしれない。

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ピグミー族は「世界最小の民族」ということで、海外でも知られている。
わたしもどこの国の人のことか知らなかったけど日本にいるときから「ピグミー族」と呼ばれている人たちがいるのを知っていた。
だからからか、海外からの支援も寄せられている。

集落には小屋のような家が並んでいる。
EUの援助で建てられたのだそう。

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「古くなってきたので新しい家を建てたいけど、お金がない。
 どこかに援助してほしい。」

首長さんはそう訴える。

だけど、ピグミー族の存在が外国にも知られていてピグミー族に支援が寄せられることを、周辺のほかの民族はこころよく思っていない。
「自分たちも貧しいのになぜピグミーだけ特別扱いされるのか。」
「ピグミーは自分たちの文化を優先して、いまの時代の文化にあわせようとしない。」

確かに彼らの不満もわからないでもない。

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でも、ピグミーにはピグミーの悲しい現実がある。

首長さんが教えてくれた。

もともと狩猟民族だったピグミーは、森の中で狩りをしながら暮らしていた。
けれど政府は彼らを統治しやすいように、または土地を管理しやすいように、野生動物を保護するために,ピグミーを森から追い出して村に定住させた。

もともと森で生活していたピグミーたちは村に土地をもたない。
生計をたてるために農業をしようにも畑をつくることができない。
だから周辺の民族に比べればとても貧しい。

現在の現金収入は、森から木を集めて薪として売ること。
それでも、勝手に森に入って木を切ることが禁止されればその仕事さえ成り立たなくなってしまう。

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日中から男の人たちが特に何をするでもなく暇そうにしている。
生き甲斐というのがあまりなさそうで、見ていて切ない。

狩猟民族のピグミーたちは野菜を食べる習慣がなく、以前は森で狩った動物や池で釣った魚を食べていた。
住んでいた森は、今では国立公園として政府が管理し、レンジャーが目を光らせている。
もし狩りが見つかったらレンジャーに痛い目にあわされる。

「小さいころはね、動物を狩って食べてたんだ。
 今じゃ禁止されてるけど、ゾウも食料だった。」


こんな小さな体で大きなゾウに立ち向かってヤリで仕留めるところを想像してみる。
そんなことできるのかな?なんて思うけれど、体が小さいほうが隠れやすいし小回りがきいて狩りに適しているのかもしれない。

「サルも殺して食べてたんだよ。」

「おいしいんですか!?」
「うん。
 ものすごくおいしい。」

首長さんは目をキラキラさせて言った。

その表情から今も密かに食べてるんじゃないかなと思った。
今は禁止されているって言っているけど、野生のサルはそのへんにたくさんいるし、仕留めて食べたところでバレない。

「サルはどんな味ですか?」
「とっても、甘いんだ!」

サルって甘いのかあ。
たしかに草を食べるヤギや牛よりも、マンゴーやバナナを食べるサルの肉のほうが何倍も甘いのかもしれない。

いまはキャッサバを食べているそうだけど、自分たちで動物を仕留めることができない今、昔のように肉を食べることができない。

首長さんは海外からの支援が必要だと何度も繰り返す。
「とりあえず、最低限の食べ物と教育がわたしたちには必要。」

「学校の授業料は無料じゃないんですか?」
「教材や制服を買うお金がないから。」

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でも支援金をもらえたところでそれはずっとは続かない。
もっと根本的な解決方法があればいいんだけど。
まったく違う環境の中に集められて定住させられて、現金収入もなく、自分たちができることもなく、彼らもどうやって生きていけばいいのかわからないのだと思う。

わたしたちが訪れた集落はとても小さくてそこに160人が暮らしている。
すぐ近くにはほかの民族の昔からの集落があって、空いているスペースがピグミーたちに割り当てられたのだろう。
なんだかすみに追いやられているようで肩身の狭い思いをしているような雰囲気。

やることがなくて狭い空間でつまらなそうにしている大人たちに比べて、子どもたちはとても明るくておどけている。

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もともとピグミーの人たちは、朗らかで陽気な性格なんだと思う。
だからこそ、彼らがもっと楽しく生きていけたらいいのになあ。

ピグミーの村を見学するには、入村料を彼らに払うようになっている。
入村料を払えば歌と踊りを見せてもらえ、首長さんによる村の説明を聞くことができ、写真撮影もさせてもらえる。
着いて最初に首長さんに提示された入村料はわたしたちにとってはとても高かった。
わたしとしてはその時点でピグミーの人に会えたし、その生活ぶりからほとんど伝統的な生活をしていないことがわかったので、そんなに高いお金を払ってまで見なくていいなあと思ってしまった。
安くならないなら断ろうと思って正直に話すと結局1人2万シリング(約800円)に落ち着き、わたしとケンゾーとOGGYは彼らと交流したのだった。

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たまに訪れる観光客が落とすお金をあてにしているけれど、これもいつまで続くかわからない。
家や服装に特徴があるわけでもないし、彼らが伝統的な生活を奪われた今、観光客は魅力的な何かをここで見られるわけでもない。

これから彼らはどうやって生きていくんだろう。

無邪気な子どもたちはどうなっていくのかなあ。

何もないピグミーたちの集落だったけど、わたしたちはここを訪れてよかったなあと思った。
ピグミーたちの置かれている環境を知ることができたから。
そのいっぽうで、切なくなってしまった。

陽気な彼らは集落の外までついてきてくれて笑顔でわたしたちを見送ってくれた。

この時代に少数民族が伝統的な暮らしを貫いて生きていくことはとても大変なこと。
そして、今の時代に順応できないまま生きるのもとても大変なこと。

ピグミーの人たちが誇りをもちながら、のびのびと生きていける日はくるのだろうか。
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ピグミーに会いたい

2015.01.05 06:06|ウガンダ☞EDIT
お年玉を親からもらったことがないイクエです。
子どものころ、同級生たちも親から「もらう派」と「もらわない派」に分かれていました。
たしかに子どもなんだから親戚からもらえればじゅうぶんかも。
わたしはいとこのなかでも末っ子なので、社会人になったいとこたちからもお年玉をもらえたのでけっこうたくさんもらってるほうだったなあ。
お年玉の使い道は、福袋を買って、あとは貯金。
いまはお年玉をあげないといけない年齢になったけど、ことしも誰にもあげてない。

ウガンダに来て、青年海外協力隊員の派遣先巡りをしていて観光らしい観光をしていないイクエとケンゾー。
観光地よりもアフリカの生の暮らしぶりに触れたかったのでそれで満足なんだけど、ウガンダで唯一見ておきたい場所があった。

それがピグミー村。
身長が世界最小だと言われるピグミー族の人たちが暮らしている村。

「ピグミー村」というのは通称で、フォートポータルの街からミニバスでブンティブギョ方面を目指す。

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運賃はひとり1万シリング(約410円)。
でも帰りは7000シリングだったので、行きはぼったくられたのかも・・・。

バスは峠を越えていく。
車窓から見えるのは緑が生い茂る奥深い山。
ウガンダってバナナの木が茂っていたり、青々としたジャングルがあったりでアフリカというよりもなんか東南アジアみたい。
わたしと同じようにウガンダに来て「東南アジアみたい」って印象をもつ人は多いと思う。
イギリスのチャーチルが「アフリカの真珠」「緑の国ウガンダ」って表現したのもうなづける。

東南アジアと違うのは、こんな角の長い牛がたくさん放し飼いにされていること。

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エチオピアの牛も長い角をもっていたけれど、ウガンダの牛の角はそれよりもさらに立派。
飼い主はこの角でケガしないのかなあ。

目的地まで2時間半くらいかかると思っていたけど、1時間半くらいで車掌に「着いたよ。ここから歩けば村にたどり着けるから。」って降ろされた。
何にもないような場所。
この奥にほんとうに集落があるのかなあ。

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道は続いているし、バイクに乗った人が何度か通り過ぎる。
この先に集落があるのはまちがいなさそうだけど、ほんとうにピグミーの人たちに会えるのだろうか。
この道を通る人たちは、いたって普通の身長。
ピグミーの人たちってほんとうに小さいのかな。

ケンゾーは1メートルくらいじゃないかって言うんだけど、それはないと思う。
わたしよりも大きいんじゃないかな。
さっきミニバスに乗っていた現地の人は、本気なのか冗談なのか笑いながら「あんたたちより大きいよ」って言ってた。
平均身長が160センチくらいだったらちょっとガッカリかも。

幹線道路から外れた奥地にもぽつぽつと家があって、はにかんだ子どもたちが手を振ってくれる。

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黒人の手のひらはわたしたちと変わらないような肌の色。
そして足の裏も。

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肌の色がわたしたちといっしょだから、やっぱりおんなじなんだって思う反面、体の場所によって、肌の色が違うのはわたしからすると不思議。

道ばたに植えられている木々を見ると、いろんな果実がなっていることに気づく。
ウガンダって食物が豊富。
そう言う意味ではほんとうに「アフリカの真珠」かも。

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真っ赤に熟れた(?)カカオ。

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地面で乾燥中の大量の豆。
カカオ豆かなって思ってたら、こっちはコーヒーなんだって。
手前は緑や赤だけど、奥の豆は黒っぽい。
乾燥期間によって、色が変わるのかな。

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かえでの葉を大きくしたような草が畑で栽培されている。

「これってマリファナじゃない?」
「絶対そうっすよ。」

わたしとOGGYとで興奮し、写真を撮る。

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現地の人に言われた。
「これ、キャッサバだよ。」

キャッサバはサツマイモのようなもので、ウガンダの主食として好まれている。
ちなみにキャッサバからは、ひと昔前に日本で流行したスイーツ、タピオカがとれる。

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世界最小のピグミーの人たちにそろそろ遭遇してもいいと思うんだけど、それっぽい人はいない。
出会う人たちは、そんなに背が低いわけではない。
でも、もしかしたら彼らはピグミーなのか。

「Are you ピグミー?」って聞くのもなんだかねえ。

「ピグミーの村はどこですか?」って聞くと「あっちだよ」と言われる。

木陰に座って仲良くラジオを聞いている男性2人。
のどかでいいね。

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バスを降りた幹線道路から30分くらいで着くはずなのになかなか着かない。
「これ、ほんとにあってる?」
「どっかで曲がらなきゃダメだったんですかねえ?」

学校のようなところがあったので、地元の人に場所を聞いてみる。
英語がうまく伝わらないけど、指で今やって来た方角を指されてしまった。

けっこうアップダウンが激しいくて息切れしながら来たのに、またこの道を戻るのかあ。
いままでの努力はなんだったんだ。

でも、すがすがしいトレッキングとなったから、まあいいか。

ね、OGGY。

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「下の集落の食堂にごはん食べに行くから、ピグミーのところまでいっしょに行ってあげるよ。」

2人の男性がいっしょに歩いてくれる。
背はそんなに小さくないけど、この人たちはピグミーなのかな。

「自分たちはピグミーじゃないよ。
 この道をまっすぐ行けばコンゴなんだけど、おばあちゃんがコンゴの人なんだ。」


「コンゴに行ったことある?」
「うん、もちろん。
 簡単に行けるよ。」


「どんな国?」
「首都はビルがたくさんあって、すっごく都会なんだ。
 コンゴは金が採れるからね。
 お金持ちなんだよ。」


そして、彼らが言った。
「このあたりにはいろんな民族がたくさん住んでる。
 そのなかでピグミーはみんなから嫌われているんだ。」


「どうして?」
「だって、法を守らないから。
 自分たちだけの尺度で生きている。
 ウガンダ政府の言うことも聞かないし。」


「昔からの文化を守ってるからかな。」
「この時代に、原始的な生活をしている。
 子どもを学校にだって行かせない。」


「学校に行かせるのにはお金がかかるの?」
「かからないよ。
 だけど学校に行かせたがらないんだ。」


ここにはいろんな民族がいる。
でもこの時代に少しずつ自分たちの文化を変えて世間と順応しながらそれぞれの民族たちは生きている。
そのなかでピグミーたちは特別なのかもしれない。

「それにね、ピグミーには外国からたくさんの支援がきてる。
 働かずにお金ばかりもらってるんだ。」


それは、ここに来る途中でうすうす感じていた。
村人たちに「ピグミーに行く」って言うとちょっとけげんな顔をされた。
ツーリストたちはピグミー村に行ってお金を落とすけど、自分たちにはちっともお金が入らない。
ツーリストはピグミーの村に行くときに自分たちの村を通るけど、別に何かしてくれるわけでもない。
なぜピグミーだけが特別なのか。
ちょっと背が小さいだけじゃないか。

支援のあり方や外国人がピグミーを特別扱いすることに、不平等を感じているほかの民族は多いんだと思う。

「ほら、ここがピグミーたちの住んでいる集落だよ。」
「ありがとう。」

そしてわたしたちは笑顔のすてきなピグミーの男たちに迎えられた。

ぽつぽつ雨が降ってきたので、まずは家の中に招き入れられた。

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そこで聞いたのは、嫌われ者ピグミーたちの悲しい事実。

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そして、ピグミーたちはほんとうに小さいのか。

真相は、次回に。
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さすらいの旅人がウガ飯に初挑戦

2015.01.04 06:24|ウガンダ☞EDIT
みなさん、明けましておめでとうございます!
お年玉つき年賀状では「切手シート」以外当たった記憶がないケンゾーです。
宝くじをあまり買わない家庭だったから、子どものころは年賀状の当たりを確認するのが毎年楽しみだったなあ。
まだ「あ~、間に合わん!」って焦りながら必死に年賀状書きをしている人も多いだろうねえ。
最近はメールやFacebookなどで済ませる人も多いみたいだけど、やっぱり手作り感のある年賀状はもらうと嬉しいよね。

日本の病院と比べると何もかもが衝撃的なウガンダの病院で2年間奮闘してきたつかさちゃんに別れを告げて、次の目的地へ移動することに。
つかさちゃん、忙しいなか美味しい料理をありがとう。
アフリカでの活動後も、さらなる夢に向かってがんばっていくつかさチャンをこれからも応援していくよ。

ここから目指すのはコンゴ民主共和国との国境に近いフォートポータル

フォートポータル

一度ふたむーのいるミティアナまでバイクタクシーで戻って乗合いワゴンに乗り換え。
ミティアナからフォートポータルまでは1人20000シリング(約820円)。

これまで首都のカンパラ以外、インフラが十分整っていない町ばかり見てきたケンゾーとイクエ。
このフォートポータルという町は国立公園や野生のゴリラに会えるトレッキングの拠点となる町。
ツーリストの姿もちらほら見かけるし、それなりに賑わっている町。
あくまでも今までの町と比べてだけど・・・。

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ここフォートポータルはかつてこの地域を支配していたトロ王国の首都が置かれていた町。
町を見下ろす高台には特徴的な形の宮殿が建っている。

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1830年頃に建国されたトロ王国。
ウガンダ全域を支配する勢いを持っていたけれど、現在は儀礼的な王制を残すのみ。
現在の王は1995年に即位、当時わずか3歳で世界最年少の王だったんだって。
今この王様は首都のカンパラで大学に通っているそう。

泊まった宿は「VISITOURS GUEST HOUSE」
ロンリープラネットに載っているほかの宿も見たけれど、ただの廃れた安宿って感じで雰囲気がよくなかった。
ウガンダではバックパッカー御用達のWi-Fiつきで居心地のいいゲストハウスはあまりない。

セミダブルサイズのベッドのシングルルームで15000シリング(約620円)。
部屋もベッドもちょっと狭いけれど2人で寝る分には十分。

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カンパラの宿でもそうだったんだけど、深夜・朝方まで音楽を騒々しく流したり(しかも部屋のドアを明けっ放しにして)、廊下で大声でしゃべり散らす現地人の宿泊客が必ずいる。
静かにするようにお願いすると「ここはホテルだ。好きなことして何が悪いんだ!」と逆ギレするからタチが悪い。
こんな国はあんまりない。
ウガンダ人は自分勝手な人が多くてイラっとすることがけっこうある。

とくに安宿は売春宿になっていて、長距離トラックの運転手やミニバスのドライバーが利用している。
この宿でも夜中になると、若い娼婦たちがやってきて各ドアをノックして誘っている。
ノックや足音、おしゃべりの声がうるさくて眠れない。
シャワー室には使用済みのコンドームが何個も散乱している。
どうしてゴミ箱に捨てないのか不明。
部屋で事を終わらせたあとそのまま共同のシャワー室にいって、そのまま床にポイッとしてるんだろう。

朝、目が覚めると外から賑やかな音楽が聞こえてくる。
なんだろうとベランダからのぞいて見ると、白衣や黒い服を来た集団が練り歩いていた。

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どうも医療系の学校の卒業をお祝いしているみたい。
なるほど、だから白衣を着てる人がいるんだね。

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イギリスやアメリカの大学の卒業シーンでよく見るガウンに角帽姿の人たちもいる。
この服、アカデミックドレスって呼ぶんだって。
そのままだね。

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イギリスはガウンの正面が開いてるんだけど、アメリカはポンチョのように正面が閉じてるんだそう。
ウガンダはイギリスの植民地だったからイギリス式みたいだね。

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じつはここフォートポータルである人物と待ち合わせをしていたケンゾーとイクエ。
ホテルのスタッフに教えてもらった部屋に行ってみると・・・いたいた。

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ひょろりと細長いこの男は、OGGY。
世界一周旅行者でブロガー仲間でもある。
(正月番組に飽きてきたら彼のブログをどうぞ→さすらい さまよい さがしもの

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OGGYと会うのはこれで3回目。
なんだか会うたびにチャラくなっていってる気がするのは、ただの気のせい?

およそ2年にわたる旅の終盤にさしかかっているOGGY。
アフリカの旅を終えると日本帰国が待っている。(現在すでに帰国済み)
ちなみに帰国後のプランはまだ白紙状態。
なんか、旅の間に動画編集に目覚めて「帰国後も編集の仕事とかしたいなあ」なんて希望もあるみたい。
いちおう映像の世界に身を置いていたケンゾーとイクエ。
そんなに簡単な仕事じゃないけど、可能性は誰にでもあるからね。

ケンゾーとイクエのどのポイントが気に入ったのか分からないけど、どうしても帰国前に会いたいということでしょうがなくここウガンダで会ってあげることにした。

前回会ったのは11か月前のキルギス。
ホテルのレストランでコーヒーを飲みながら積もる話に花が咲く。

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「ここはコーヒーが無料なんですよ」って言うOGGY。
そんなことってある?
疑っていたけど「タダなんですよ!」って何度も言うからOGGYを信用してあげた。

飲み終わって「サンキュー」と笑顔で言ってレストランを出たら、スタッフが追いかけてきた。
「お会計は?」。
やっぱりか・・・。

お腹がすいたので3人で夕食へ。
ツーリスティックな町と言っても、そこはウガンダ。
地元の人が食べるウガンダ料理、通称ウガ飯以外の選択肢はほぼ皆無。
ウガンダ滞在1週間ですでに飽き飽きしているケンゾーとイクエ。
せっかくOGGYとも再会したのでちょっと奮発してピザを食べに行くことに。

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昼に下見をしていた、ヨーロッパ人経営のおしゃれなゲストハウス。
利用客は外国人ばかり、とてもじゃないけどケンゾーとイクエが泊まれるような値段じゃない。
レストランもそれなりの値段だけどWi-Fiがあるのでネットカフェ代りに利用すれば悪くない。

とりあえずピザを注文。
値段は800円くらい、さすがにちゃんとしてて美味しい。

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ここで本格的に夕食を食べようと思ってたんだけど問題発生。
Wi-Fiがあるからごはんを食べながら長居しようと思ってたんだけど、じつはネットはフリーじゃなくて有料制だということが発覚。
しかもけっこう高い。
まさか有料だとは思ってもいなかったので、「ええー、ケチくさいなあ」と愚痴をこぼすとOGGYからこれまた予想もしていなかった反論が。
「なんでケチくさいんですか?
 有料にするのはそれなりの理由があるのかもしれないし
 それをケチだと言うのは違うと思うんですけど。」


ローカルなレストランと比べると5倍くらいの値段を取るようなレストランだし、Wi-Fiくらいフリーにしてくれたっていいと思ったので「ケチ」だと言ったケンゾー。
昼に下見に来たとき「Wi-Fiはありますか?」と確認したら「はい、ありますよ」と言われただけなのでてっきり無料だと決めつけていたというのもある。
有料だったらその時に一言「有料ですけど」って言ってくれてもいいと思う。
単純に「ケチだなあ」と思っただけなんだけど、OGGYにしてみたら「そんなことを言うほうがケチだなあ」と思ったんだろう。

たしかにケチな考え方かもしれないけど、もし自分がこのレストランのオーナーだったらWi-Fiはフリーにするな。
それなりの維持管理費がかかるのかもしれないけど、そこは損して得とれだと思うな。
ネット環境が悪いウガンダではWi-Fiがあるカフェやレストランは貴重な存在。
もしWi-Fiをフリーにしてそれを売りにしたら、ぜったいにネット目当てで客は増えると思うよ。

げんにWi-Fiがフリーじゃなかったので3人でピザ1枚食べただけで退席することに。
もしもフリーだったら本格的に食事をしてたけど、有料だったら用はない。
これってやっぱりケチなのかな?

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ちゃんとこういうところでは、ケチくさいケンゾーとイクエもチップを払う。
でもOGGYは「え?チップ払うんすか?」と言った。
まあ、価値観の違いかなあ。

ピザ1枚だけじゃぜんぜんお腹いっぱいにならない。
かといってウガ飯はねえ。
悩んだあげく、スーパーでインスタントラーメンを買って部屋で食べることに。

ケンゾーとイクエの部屋でディナーのつづき。
電熱コイルを駆使してラーメンを作る。
「おおー、すごい。
 ちゃんと作れるんだ」

電熱コイルで食べ物が作れることに驚くOGGY。

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辛いのが苦手なくせに辛口のラーメンをチョイスしたOGGY。
予想以上に辛かったけど許容範囲だったみたい。
よかったねOGGY。

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ウガンダではとにかく食に苦労する。
ウガ飯以外の選択肢がほとんどないからツラい。
腹がすいたら憂鬱になる。

まだウガンダに入って数日しか経っていないOGGYが次の日の昼食にウガ飯に初挑戦。
定番の穀物セットを前にして「おお、美味しそうじゃないですか!」と笑顔のOGGY。
ふふふ、甘いなOGGY。
ウガ飯をなめたら痛いめにあうぞ。

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一口食べて笑顔が消えたOGGY。
みるみるうちに険しい表情に。

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・・・。
言葉が出ないOGGY。
気持ちは痛いほど分かるよ。

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「きょう、夕飯早めにしません?」
昼食を食べながら、もう次の夕食のことを考えている。

ウガンダ人が愛してやまない穀物セットにほとんど手をつけずギブアップしたOGGY。
ライスしか食べてないよ。

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大好きなスイカジュースもビックリするくらいマズくて一口飲んだだけ。
「これ腐ってません?」
それはないやろうって味見したけど、たしかに腐ってる味がした。
OGGYにとって散々なウガンダ料理デビューだったみたい。

ケンゾーはメニューにカレーを発見したので注文。
カレーといったって作るのはウガンダ人。
あまり期待してなかったんだけど、これが当たりだった。

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スパイシーでちゃんと味に深みもあって美味しい。
期待してなかった分美味さ倍増。
OGGYも「あ〜あ、それ頼んでいればよかった」って相当悔しがってた。

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あしたはOGGYと会ってきた世界最小のピグミー族を紹介します。
世界最小のピグミーはイクエよりも小さいのか?
それともじつはそんなに小さくはないのか?
お楽しみに ♪
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2015年 この美しい世界で生きるあなたへ

2015.01.03 04:47|世界からのメッセージ☞EDIT
新しい年、2015年。

あけましておめでとうございます。

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生まれてから今まで、何十回と体験してきた新年。
それなのに毎年、新鮮な気持ちで迎えます。

こころが踊るようなワクワクした気持ち。

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この一年、どんなことが待ち受けているのか。
どんな人と出会うのか。
どんな風景が見られるのか。

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イヤなことがあっても
たとえ去年がつらい一年だったとしても

新しく迎えるこの年に
自然と希望がもてるのは

やっぱり地球が美しくて
この世界に生きる人たちが優しくて
きっとすてきな時間や出会いが待ち受けていると
思えるから。

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この世界はとても美しくて
想像を超える絶景があり
飽きることなんてなくて。

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こうやって新しい年が来ることを
ことしもまた祝福できます。

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去年がすてきな一年だった人は
ことしはさらにいい年に。

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去年あまりうまくいかなかった人は
気持ちを入れ替えて
ことしこそいい年に。

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新しい年のはじまりには
人に希望をもたせる
魔力があるのかもしれません。

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前向きに生きていく力を
誰しもがもっていて

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幸せになろうとする力が
みんなにそなわっていて

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ことしも
楽しく幸せに生きていけたらなって
思わずにはいられない新年。

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生きていくうえでは
困難なこともたくさんあって

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めげそうなことも
待ち受けていて

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立ちはだかる壁を前に
足がすくんでしまうこともあります。

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どうしてこんなにきついのかな
やっぱり世界って優しくないなって
思ってしまったり。

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自分を取り巻く環境が
無情で冷たくて
どうすればいいかわからなくて
投げ出したくなってしまったり。

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どうしてこんな思いを自分だけしないといけないのかなって
涙が出そうになったり。

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それでも後ろには歩けないから
なんとかして
進もうってする。

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先が見えなくても
風が強く吹いても

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なんとかここから抜け出せることを信じて
手探りで
ゆっくりだけど
一歩一歩。

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そして
たどり着いたときの喜び。

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そこから見える絶景。

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ことしは
あなたに
どんな絶景が待ち受けているでしょうか。

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地球はとても大きくて
それにくらべて人間はとても小さくて

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それでも人は
人生を切り開いて
歩いていくことができるから

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やっぱり人って
すっごく大きな可能性をもっていて

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つよいんだなって
思います。

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新年を迎えて
気持ちを新たにして
「よし!やっていくぞ!」って目標を達成しようとする人。

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そこまで積極的じゃなくても
「ことしも地道にがんばっていこうかな」って着実に進んでいこうとする人。

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ことし一年の家族の幸せを願う、優しい人。

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どんな人も
やっぱりかっこよくて
すてきです。

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みんな大きくて強くて
この地球の壮大さに負けてない。

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あなたにとって
ことしは
どんな一年になるでしょう。

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まだ白紙の一年で
どんなカラーにするのかは
あなたしだい。

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まだまっさらな2015年。
どんな年にしていくのか
それが楽しみでもあります。

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あなたが生きる
かけがえのない
この一年。

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あなたにとって
すばらしい年になりますように。

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2015年。
ことしもよろしくおねがいします。

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ケンゾー イクエ

(2013年と2014年の新年のご挨拶はこちら
 あなたへ 新年のご挨拶
 2014 輝かしい朝をあなたへ
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