マンゴー27個を全部で約50円で買ったイクエです。
その辺の木に自然になっているマンゴーを子どもたちが採って路上で売ってるんだよね。
小ぶりで繊維質だけど、甘くておいしい♡
ともちゃんの、水が出ないけど居心地のいい家でくつろぎすぎているイクエとケンゾー。
もうちょっといたい気持ちもあるけど、これ以上お世話になるわけにもいかない。
エチオピアの南部には、伝統を守る個性豊かな少数民族がいるので南部を目指さなくちゃ。
少数民族の集落巡りの起点となる街はアルバ・ミンチ。
標高の高いエチオピアはくねくねの山道や峠の上り下りが多くて、ボロいバスでの移動には時間がかかる。
1日でそこまで移動するのは大変そうなので、その中間にあるシャシャマネで1泊することにした。
お世話になったともちゃんに別れを告げて、ワゴンと路線バスを乗り継いでまずはアディス アベバのバスターミナルへ。
首都ではあるけれど、路線バスはかなり汚い。
ちなみに後部ドアの脇にガラスで囲まれた窓口みたいなものがある。
そのなかに車掌がいて、車内に入ってすぐにここで切符を買うシステム。
何度も修繕してるのかもしれないけど、床は今にも抜けそう。
路線バスをマルカートで降りてバスターミナルまで歩く。
マルカートは日用品から食品、動物などここにないものはないと言われるほど大きな市場。
東アフリカでいちばんの規模を誇るけれど、治安が悪いと言われている。
なのでここは素通り。
早足でたどり着いたバスターミナルでシャシャマネ行きのバスに乗り込む。
ひとり86ブル(約470円)。
いつものように満席になるまでなかなか出発しないけど、それは想定内。
1時間以上待ってようやく出発。
1時間ならむしろ早いほう。
満員になったバスは南へと進みはじめる。
バスは料金所で止まった。
こんな立派な高速道路がエチオピアにあるなんて!!
最近できたばかりなのか、バスに乗っているエチオピア人も興味津々で窓の外を見る。
料金所に係員がいて、車が止まって、ドライバーが窓を開けて、お金を払うとバーが開いて。
日本では普通の光景だけど、アフリカで見るととても新鮮に感じる。
秩序ある標識。
ストレスのない滑らかな走り。
お尻も痛くならない。
おぇおぇ吐く人もいない。
中国政府の「支援」でつくられている。
中国はアフリカ各国を支援していて道路を整備している。
その国の政府は中国に感謝しているようだけど、一般の人たちは中国のことをあまりよく思っていない。
理由を聞くと大規模なプロジェクトが行なわれてもその利益が一般市民に還元されていないから。
単純にいえば、現地人をあまり雇ってくれないから。
中国から大量に人材を連れてきたり、中国の受刑者を連れてきて刑務作業としてこっちで働かせているらしい。
とはいっても、こんなに素晴らしい道路ができてるんだから地元の人も恩恵を受けているとは思うんだけどね。
自分たちの仕事を取られていると感じてしまうのかもしれない。
途中でトイレ・ランチ休憩。
ドライバーや地元の人は食堂でご飯を食べるけれど、イクエとケンゾーはこういうときはあまり食べないことにしている。
だっていつ出発するかわからないし、置いていかれる不安があるから。
だから、コーヒーだけ。
エチオピアではこんなふうにいろんなところに露店のコーヒーショップが出ている。
上の写真の左側の男の子が着ているのはエチオピアのサッカーユニフォーム。
黄色と赤と緑はエチオピアの国旗の色で「ラスタカラー」と呼ばれている。
エチオピアはサッカーはそんなに強くないけど、このユニフォームは大人気。
毎日このユニフォームを着ている人を30人くらいは見る。
若い男の子だけじゃなくて、おばさんが着ていることもある。
サッカーファンというよりも、エチオピアのことを誇りに思う人たちが愛国心から着ているような気がする。
目的地のシャシャマネには、まあまあスムーズに到着。
適当にホテル探し。
2軒目で決めた!
バスターミナルのすぐ近くにあり、エチオピアでいちばんコストパフォーマンスが良かった。
室内はきれいにリフォームされていて、バスルームも広く、そしてシャワーからお湯が出る!!
値引きしてくれてダブルで120ブル(約660円)。
スタッフのおじちゃんはとても感じがいい人で、自分は「オロモ族」だと言った。
エチオピアに入国した初日に、国境越えをしようとしていたオロモ族の難民の子たちを思い出した。
彼らは無事に国外避難できたかなあ。
このシャシャマネの街に来ようと思ったのは、もちろんアルバ・ミンチへの中間地点ということもあったんだけどちょっとおもしろそうなものがあったから。
ジャマイカンビレッジと呼ばれるもの。
なんでエチオピアでジャマイカって思うでしょ?
地元の人に「ジャマイカンビレッジどこ?」って聞くと「ここからすぐだよ。歩いていけるよ。」って教えてくれた。
ジャマイカンビレッジというのは、ある新興宗教(思想グループ)の施設。
「ラスタ教」とか「ラスタファリ」と呼ばれている。
なぜジャマイカかというと、1930年代にジャマイカで生まれたものだから。
ジャマイカなどのカリブや南アメリカではアフリカから奴隷として連れてこられた子孫たちが暮らしていた。
社会的にも経済的にも苦しい生活を強いられていた彼らのなかには「アフリカに帰ろう!」と思っている人もいた。
なかでも、エチオピアは人類発祥の地。
さらにアフリカのなかでも植民地化されていない国だし、1930年にエチオピアの皇帝としてハイレ・セラシエが即位したので、彼らにとっては黒人が独立を貫いている憧れの国だった。
ラスタ教はこのハイレ・セラシエ皇帝をキリストの再来として奉っている。
ラスタ村にはジャマイカからの移民が暮らしている。
ここはラスタ教の聖地。
レゲエの神様、ボブ・マーリーもラスタの教えを音楽で広めている。
レゲエでは黒、緑、赤、黄色が好まれるけどこのラスタカラーもエチオピアの国旗と同じ色。
ドレッドヘアも「自分の体を傷つけてはいけない」というラスタの教えからくるものなんだって。
またマリファナは精神を穏やかにする神聖なものとされている。
ラスタ村に行く途中こんなレストランの看板を見つけた。
ジャマイカの国民的英雄、オリンピックランナーのボルト氏にちなんだもの。
歩いていたらいかがわしい男に遭遇した。
ドレッドヘアに緑と黄色と赤のラスタカラーの入ったダボダボの服。
「ジャマイカンビレッジに行きたいんでしょ。
ガイドするよ。」
ラスタ教の信者にはちょっと注意しないといけないと聞いていた。
ヒッピーで、マリファナ好きで世間から外れていて、金をたかられる。
きっとガイド料を請求されるはず。
「あとで行くので結構です。」と断ると「いまミサが行われている。いま行かないと間に合わない。」なんて言われたけどきっと嘘なので、男とは別のほうに歩いた。
教会に到着するとさっきの男が待ち構えていた。
やっぱりミサの話は嘘だったけど「いっしょに中に入ろう。いいマリファナがあるんだ。」と誘われた。
「マリファナ好きじゃないから。」
「楽しいよ、すごくいいやつなんだ。」
「お金も払わなきゃいけないでしょ。」
「安いよ、たったの100ドルでいい。
いや、無理なら50ドルでいい。」
こいつらと関わると、ろくなことないな・・・。
この日はミサはなかったけど、土曜日の午後にはここで「ナイアビンギ」と呼ばれるミサが行われるのだそう。
ミサと言ってもわたしたちが想像する厳粛なやつではなくて、マリファナをまわし吸いしながら、太鼓を叩き、歌い、踊り、ラリる。
マリファナ好きの旅人大歓迎。
きょうはミサは開かれないけど、お金を払えばミサっぽいことをしてあげるとしきりに勧めてくる。
ミサっぽいことというのは、マリファナのまわし吸いってこと。
わたしたちはそんなのには興味なかったので、敷地内だけお金を払わず見せてもらうことにした。
入口に注意書きがあって、写真撮影はダメとか、生理中の女性は入場禁止、とか書いてあった。
敷地はそれほど大きくない。
教会のようなところはなくて、休憩場のような殺風景な場所が礼拝所。
「ママ」と称されていたラスタ教のリーダー格の老女が最近亡くなったのだそう。
代わりに「パパ」と呼ばれる年老いた男性がいた。
その男性は、このヒッピーみたいな男たちよりもまともな感じだった。
もの静かで「ウェルカム」と言った。
彼はジャマイカ生まれで若いころにエチオピアに来たのだそう。
敷地内には小さな博物館もあって、彼らがキリストの再来と称えるハイレ・セラシエ皇帝の写真などが飾られているようだけど、有料なので入らなかった。
「これマリファナ。」
敷地内にはマリファナも栽培されていた。
男たちはマリファナをしようとか、金くれとか何度も言ってくる。
断ると機嫌が悪くなった。
門番の青年はまともで、彼はここの信者ではなくてエチオピア正教の十字架のネックレスを首にさげていた。
「あなたはまともなんだね。」と小声で言うと、彼はわたしの真意をわかったようで笑いながらうなずいた。
「僕はラスタじゃないよ。」
「大変だね、ここの仕事。」
「うん(笑)。」
たしかにこんな場所の門番がヒッピーでラリっていたら、ここは無法地帯となってしまう。
そうなることを、ラスタ教のリーダーたちは悟っていて、しっかり者の部外者を雇っていると思うとおかしくなった。
門の前でラリってたむろしている男たちに悪口をたたかれながら、わたしたちはジャマイカンビレッジをあとにした。
シャシャマネ全体がヒッピーみたいな人が多いのかと思っていたけど、そうではなかった。
むしろ、ジャマイカンビレッジとはあんまりかかわらないようにしようとしている人が多いような感じだった。
途中、レストランで遅めの食事。
エチオピアでは雨の時や雨上がりの食堂には、こんなふうに草が敷き詰められる。
足吹きマットの代わり。
水や泥で床がびしょびしょにならないし、汚れてもこのままかき集めて捨てれば掃除も簡単。
外に放り出しておけばヤギやヒツジが食べてくれる。
ホットシャワーの使えるきれいなホテルでぐっすり眠った翌日。
アルバ・ミンチを目指す。
直通のバスがあることを期待したけれど、そんなうまくはいかない。
まずはワライタという街に行かないといけない。
乗客が集まるのを待ってようやく満員になって、出発。
と思ったら「このバスは行かないことになった、あっちに移れ」みたいなことを現地語で言われ、ぞくぞくと乗客がバスを降りる。
言葉がわからず出遅れたわたしたち。
移れと言われたバスはすぐに満員になって、またイチから別のバスを待たないといけないはめに。
2時間以上経って今度こそ出発。
エチオピアってほんとうに移動が大変。
そのうえ、パンクや故障ですぐ止まる。
移動で一日がつぶれる。
移動が苦になるとエチオピアの旅は楽しくなくなる。
故障で足止めをくらってバスから降りる。
目の前にあるのは、田舎の素朴な暮らし。
街じゃわからないけど、多くのエチオピア人はこんなふうに暮らしているんだなあ。
乗り換えのワライタの街に到着。
実は車内である家族たちと仲良くなっていた。
「とりあえずお腹も空いたし、ご飯でも食べに行こう」
大学の入学式を控えた女の子2人と男の子1人。
彼女たちはエチオピアの東側、ジブチやソマリアの国境に近いところに住んでいて、アルバ・ミンチの大学に進学することになったのだそう。
3人とも同じ高校の友だちで、女の子2人のお母さんが引率していた。
彼女たちのふるさとからアルバ・ミンチまでは移動に丸2日かかる。
生活に必要な荷物をたくさん抱えてみんなで大移動。
お母さんたちは、娘たちの大学や寮を見学して1、2日してまた丸2日かけて実家に戻るんだって。
エチオピアだけじゃなくてほかの多くの国でもそうなんだけど、日本のセンター試験みたいなものがあって取った点数で行く大学が決まってしまう。
点数ごとに大学が順位づけされているので、有無を言わさず点数次第で行く大学が自動的に決まる。
「実家に近い大学に行きたい」とか「この大学の雰囲気がいいからこの大学に行きたい」とか「自分が興味のある研究をしている学部があるからここに行きたい」とかそんなことは言ってられない。
スカーフをしているお母さん2人は小学校の先生をしている。
お母さん同士も仲がいいんだって。
家族ぐるみで親しいんだけど、驚いたことに一組の親子はエチオピア正教徒、もう一組の親子はイスラム教徒。
エチオピアには80の民族がいて言葉や文化も違うから、宗教の違いなんてたいしたことないのかもしれない。
ひき肉にゆで卵がのったもの、もつ煮込みのような内臓系のもの。
追加でほかの種類のものも頼んでくれたけど、イクエとケンゾーにとってはほとんど同じ味付けに感じる。
みんなでインジェラの上でぐちゃぐちゃにして「いただきま~す」。
たくさんの手が伸びて同じものをつつくというのはなんかちょっと異様な感じもする。
だけど、わたしたちが箸で焼き肉をつついたり鍋を囲んでみんなで食べるのも欧米人からすると異様に思えるのかもね。
食後は濃厚なエチオピアンコーヒー。
ハーブが浮かんでいるのははじめて。
ちょっとツンとする感じ。
お会計は割り勘。
割り勘って日本以外の国であまり見ないんだけど、お母さん2人はちゃんと計算してきっちり割ってコインまでやり取りしていた。
日本人みたいでなんか親しみがもてた。
腹越しらえをしたあとはアルバ・ミンチ行きのバスに乗り込む。
入学式を控えてバスで移動する人が多いようで、通常よりも運賃は少し値上げされていた。
この前の新年もそうだったけど、エチオピアではその時期の需要に応じて運賃が値上げされることがある。
これは外国人だから、とか関係ない。
それと外国人には「荷物代」が上乗せされるときがあると言われるけど、現地人でも荷物代を払っているときがある。
もちろん荷物代を払わない現地人もいる。
この家族は荷物代を払っていた。
イクエとケンゾーはそれを知って必要ならば荷物代を払うようにすることにした。
わたしたちはいちばん後ろの5人掛けに並んで座ったんだけど、ここに無理矢理6人乗せられる。
通路にも立っている人がいて、バスは定員オーバー。
だけど警察のチェックポイントを通るときは、席のない人はむりやり座席に座らされる。
わたしたちはすでに5人掛けに6人押込められているのに、チェックポイントになるとそこにさらに1人、2人と加わり、お尻が浮いて空気椅子のようになってしまう。
チェックポイントを通過すれば、また元の位置に。
定員オーバー自体が交通違反なはずなのに、これってアリ?
そんなことをしてるうちにバスは故障。
修理されるのをゆっくりと待つ。
目の前に広がるのは、ふたたびのどかな田舎の光景。
バスが壊れない限り、こんなところに外国人は立ち寄らないよね。
彼女たちにとっては、わたしたちは初めて出会うアジア人かもしれない。
「ようやく出発だね。」
「もうこのままスムーズに行ってほしいよ。」
わたしたちはのんびりの旅だからそれほど急ぐ必要はないけれど、仲良くなった彼女たちにとっては母親と過ごせる時間は限られている。
教師をしていて忙しい彼女たちの母親は、きょう1泊して明日また2日かけて家に帰るつもりだったけど、そうなるとアルバ・ミンチでの時間がほとんどない。
だからお母さんたちは2泊することに決めた。
ここから挽回して少しでも早く目的地に着いてほしい。
でもね、
また・・・。
パンクで足止め!
「つぎは何が起きる?」
「今度は爆発するんじゃない?」
あきれながらそんな冗談を言い合う。
三度目の正直でバスは爆発することなく、アルバ・ミンチの街へ入った。
わたしたちをアバヤ湖が迎えてくれた。
アルバ・ミンチの「アルバ」は『40』を、「ミンチ」は『泉』を意味する。
その名の通りたくさんの泉がある。
大地溝帯の底にあって、水分が多く緑が生い茂っている。
バナナ畑が続いている。
「アルバ・ミンチはフルーツがすっごい安いの。」
彼女たちのふるさとはエチオピアの東部でバナナは育たないのだそう。
「砂漠もあるの?」
「見渡す限り砂漠だよ。
40℃を超えるから!」
緑豊かなこの場所は、彼女たちにとっては楽園のようなところなのかもしれない。
「ここがわたしたちの大学。
寮もこの敷地内にあるの。」
バスターミナルの手前の大学で彼女たちはバスを降りた。
大きなバッグを抱えた彼女たちは、待ち受けていたポーターたちのかっこうのカモで、降りた瞬間取り囲まれた。
「バイバイ」と言う暇も、Facebookを交換する余裕もなかった。
アルバ・ミンチはふたつの集落に分かれている。
バスターミナルのあるセカラ地区と高台のセチャ地区。
セカラ地区のホテルを渡り歩いたけど、大学の入学式を控えているからか地元の人でいっぱいで空いてても宿代が高い。
提示された宿代が高いので、ホテルを出ていこうとすると宿泊客のおじさんが話しかけてきた。
「ここに泊まればいいのに。」
「宿代が高いのでほかを探します。」
「80ブルで泊まれるんだよ。」
「いや・・・わたしたちは150って言われて。」
エチオピアではよくあること。
外国人は倍近くの宿泊費を請求される。
バスターミナル横のWi-Fiつきのホテルにも、堂々と現地人料金と外国人料金の料金表が貼られていてその差は2倍だった。
もうひとつのセチャ地区に移動することにした。
まもなく日が暮れようとしている。
暗くなる前に早く移動しなきゃ。
通りがかった人に聞いた。
「セチャ地区にはどうやっていけばいいんですか。」
「自分もちょうど行くところだからいっしょに行こう。
あそこから乗合いワゴンをつかまえればいいから。」
エチオピアでは自称ガイドにはだまされないように気をつけないといけないけど、面倒見がいい人もたくさんいてわたしたちは甘えることにしている。
荷物を抱えてぎゅうぎゅうのバスに乗るのは無理そうだったので、3人でトゥクトゥクに乗った。
「どんなホテルがいいの?
おすすめのいいホテルがあるけど高いんだよね。」
「安いところがいいです。」
彼はアルバ・ミンチホテルという1泊110ブル(約600円)のホテルまで案内してくれた。
部屋にはバスルームもついていて南京虫もいない、近くにはWi-Fiが使えるレストラン兼ホテルもある。
いよいよ明日からエチオピア南部の旅のはじまりはじまり〜。
野生動物もいて少数民族も多く、北部とは違った顔をもつ地域。
魅力いっぱいのエチオピアをお伝えします ♪
その辺の木に自然になっているマンゴーを子どもたちが採って路上で売ってるんだよね。
小ぶりで繊維質だけど、甘くておいしい♡
ともちゃんの、水が出ないけど居心地のいい家でくつろぎすぎているイクエとケンゾー。
もうちょっといたい気持ちもあるけど、これ以上お世話になるわけにもいかない。
エチオピアの南部には、伝統を守る個性豊かな少数民族がいるので南部を目指さなくちゃ。
少数民族の集落巡りの起点となる街はアルバ・ミンチ。
標高の高いエチオピアはくねくねの山道や峠の上り下りが多くて、ボロいバスでの移動には時間がかかる。
1日でそこまで移動するのは大変そうなので、その中間にあるシャシャマネで1泊することにした。
お世話になったともちゃんに別れを告げて、ワゴンと路線バスを乗り継いでまずはアディス アベバのバスターミナルへ。
首都ではあるけれど、路線バスはかなり汚い。
ちなみに後部ドアの脇にガラスで囲まれた窓口みたいなものがある。
そのなかに車掌がいて、車内に入ってすぐにここで切符を買うシステム。
何度も修繕してるのかもしれないけど、床は今にも抜けそう。
路線バスをマルカートで降りてバスターミナルまで歩く。
マルカートは日用品から食品、動物などここにないものはないと言われるほど大きな市場。
東アフリカでいちばんの規模を誇るけれど、治安が悪いと言われている。
なのでここは素通り。
早足でたどり着いたバスターミナルでシャシャマネ行きのバスに乗り込む。
ひとり86ブル(約470円)。
いつものように満席になるまでなかなか出発しないけど、それは想定内。
1時間以上待ってようやく出発。
1時間ならむしろ早いほう。
満員になったバスは南へと進みはじめる。
バスは料金所で止まった。
こんな立派な高速道路がエチオピアにあるなんて!!
最近できたばかりなのか、バスに乗っているエチオピア人も興味津々で窓の外を見る。
料金所に係員がいて、車が止まって、ドライバーが窓を開けて、お金を払うとバーが開いて。
日本では普通の光景だけど、アフリカで見るととても新鮮に感じる。
秩序ある標識。
ストレスのない滑らかな走り。
お尻も痛くならない。
おぇおぇ吐く人もいない。
中国政府の「支援」でつくられている。
中国はアフリカ各国を支援していて道路を整備している。
その国の政府は中国に感謝しているようだけど、一般の人たちは中国のことをあまりよく思っていない。
理由を聞くと大規模なプロジェクトが行なわれてもその利益が一般市民に還元されていないから。
単純にいえば、現地人をあまり雇ってくれないから。
中国から大量に人材を連れてきたり、中国の受刑者を連れてきて刑務作業としてこっちで働かせているらしい。
とはいっても、こんなに素晴らしい道路ができてるんだから地元の人も恩恵を受けているとは思うんだけどね。
自分たちの仕事を取られていると感じてしまうのかもしれない。
途中でトイレ・ランチ休憩。
ドライバーや地元の人は食堂でご飯を食べるけれど、イクエとケンゾーはこういうときはあまり食べないことにしている。
だっていつ出発するかわからないし、置いていかれる不安があるから。
だから、コーヒーだけ。
エチオピアではこんなふうにいろんなところに露店のコーヒーショップが出ている。
上の写真の左側の男の子が着ているのはエチオピアのサッカーユニフォーム。
黄色と赤と緑はエチオピアの国旗の色で「ラスタカラー」と呼ばれている。
エチオピアはサッカーはそんなに強くないけど、このユニフォームは大人気。
毎日このユニフォームを着ている人を30人くらいは見る。
若い男の子だけじゃなくて、おばさんが着ていることもある。
サッカーファンというよりも、エチオピアのことを誇りに思う人たちが愛国心から着ているような気がする。
目的地のシャシャマネには、まあまあスムーズに到着。
適当にホテル探し。
2軒目で決めた!
バスターミナルのすぐ近くにあり、エチオピアでいちばんコストパフォーマンスが良かった。
室内はきれいにリフォームされていて、バスルームも広く、そしてシャワーからお湯が出る!!
値引きしてくれてダブルで120ブル(約660円)。
スタッフのおじちゃんはとても感じがいい人で、自分は「オロモ族」だと言った。
エチオピアに入国した初日に、国境越えをしようとしていたオロモ族の難民の子たちを思い出した。
彼らは無事に国外避難できたかなあ。
このシャシャマネの街に来ようと思ったのは、もちろんアルバ・ミンチへの中間地点ということもあったんだけどちょっとおもしろそうなものがあったから。
ジャマイカンビレッジと呼ばれるもの。
なんでエチオピアでジャマイカって思うでしょ?
地元の人に「ジャマイカンビレッジどこ?」って聞くと「ここからすぐだよ。歩いていけるよ。」って教えてくれた。
ジャマイカンビレッジというのは、ある新興宗教(思想グループ)の施設。
「ラスタ教」とか「ラスタファリ」と呼ばれている。
なぜジャマイカかというと、1930年代にジャマイカで生まれたものだから。
ジャマイカなどのカリブや南アメリカではアフリカから奴隷として連れてこられた子孫たちが暮らしていた。
社会的にも経済的にも苦しい生活を強いられていた彼らのなかには「アフリカに帰ろう!」と思っている人もいた。
なかでも、エチオピアは人類発祥の地。
さらにアフリカのなかでも植民地化されていない国だし、1930年にエチオピアの皇帝としてハイレ・セラシエが即位したので、彼らにとっては黒人が独立を貫いている憧れの国だった。
ラスタ教はこのハイレ・セラシエ皇帝をキリストの再来として奉っている。
ラスタ村にはジャマイカからの移民が暮らしている。
ここはラスタ教の聖地。
レゲエの神様、ボブ・マーリーもラスタの教えを音楽で広めている。
レゲエでは黒、緑、赤、黄色が好まれるけどこのラスタカラーもエチオピアの国旗と同じ色。
ドレッドヘアも「自分の体を傷つけてはいけない」というラスタの教えからくるものなんだって。
またマリファナは精神を穏やかにする神聖なものとされている。
ラスタ村に行く途中こんなレストランの看板を見つけた。
ジャマイカの国民的英雄、オリンピックランナーのボルト氏にちなんだもの。
歩いていたらいかがわしい男に遭遇した。
ドレッドヘアに緑と黄色と赤のラスタカラーの入ったダボダボの服。
「ジャマイカンビレッジに行きたいんでしょ。
ガイドするよ。」
ラスタ教の信者にはちょっと注意しないといけないと聞いていた。
ヒッピーで、マリファナ好きで世間から外れていて、金をたかられる。
きっとガイド料を請求されるはず。
「あとで行くので結構です。」と断ると「いまミサが行われている。いま行かないと間に合わない。」なんて言われたけどきっと嘘なので、男とは別のほうに歩いた。
教会に到着するとさっきの男が待ち構えていた。
やっぱりミサの話は嘘だったけど「いっしょに中に入ろう。いいマリファナがあるんだ。」と誘われた。
「マリファナ好きじゃないから。」
「楽しいよ、すごくいいやつなんだ。」
「お金も払わなきゃいけないでしょ。」
「安いよ、たったの100ドルでいい。
いや、無理なら50ドルでいい。」
こいつらと関わると、ろくなことないな・・・。
この日はミサはなかったけど、土曜日の午後にはここで「ナイアビンギ」と呼ばれるミサが行われるのだそう。
ミサと言ってもわたしたちが想像する厳粛なやつではなくて、マリファナをまわし吸いしながら、太鼓を叩き、歌い、踊り、ラリる。
マリファナ好きの旅人大歓迎。
きょうはミサは開かれないけど、お金を払えばミサっぽいことをしてあげるとしきりに勧めてくる。
ミサっぽいことというのは、マリファナのまわし吸いってこと。
わたしたちはそんなのには興味なかったので、敷地内だけお金を払わず見せてもらうことにした。
入口に注意書きがあって、写真撮影はダメとか、生理中の女性は入場禁止、とか書いてあった。
敷地はそれほど大きくない。
教会のようなところはなくて、休憩場のような殺風景な場所が礼拝所。
「ママ」と称されていたラスタ教のリーダー格の老女が最近亡くなったのだそう。
代わりに「パパ」と呼ばれる年老いた男性がいた。
その男性は、このヒッピーみたいな男たちよりもまともな感じだった。
もの静かで「ウェルカム」と言った。
彼はジャマイカ生まれで若いころにエチオピアに来たのだそう。
敷地内には小さな博物館もあって、彼らがキリストの再来と称えるハイレ・セラシエ皇帝の写真などが飾られているようだけど、有料なので入らなかった。
「これマリファナ。」
敷地内にはマリファナも栽培されていた。
男たちはマリファナをしようとか、金くれとか何度も言ってくる。
断ると機嫌が悪くなった。
門番の青年はまともで、彼はここの信者ではなくてエチオピア正教の十字架のネックレスを首にさげていた。
「あなたはまともなんだね。」と小声で言うと、彼はわたしの真意をわかったようで笑いながらうなずいた。
「僕はラスタじゃないよ。」
「大変だね、ここの仕事。」
「うん(笑)。」
たしかにこんな場所の門番がヒッピーでラリっていたら、ここは無法地帯となってしまう。
そうなることを、ラスタ教のリーダーたちは悟っていて、しっかり者の部外者を雇っていると思うとおかしくなった。
門の前でラリってたむろしている男たちに悪口をたたかれながら、わたしたちはジャマイカンビレッジをあとにした。
シャシャマネ全体がヒッピーみたいな人が多いのかと思っていたけど、そうではなかった。
むしろ、ジャマイカンビレッジとはあんまりかかわらないようにしようとしている人が多いような感じだった。
途中、レストランで遅めの食事。
エチオピアでは雨の時や雨上がりの食堂には、こんなふうに草が敷き詰められる。
足吹きマットの代わり。
水や泥で床がびしょびしょにならないし、汚れてもこのままかき集めて捨てれば掃除も簡単。
外に放り出しておけばヤギやヒツジが食べてくれる。
ホットシャワーの使えるきれいなホテルでぐっすり眠った翌日。
アルバ・ミンチを目指す。
直通のバスがあることを期待したけれど、そんなうまくはいかない。
まずはワライタという街に行かないといけない。
乗客が集まるのを待ってようやく満員になって、出発。
と思ったら「このバスは行かないことになった、あっちに移れ」みたいなことを現地語で言われ、ぞくぞくと乗客がバスを降りる。
言葉がわからず出遅れたわたしたち。
移れと言われたバスはすぐに満員になって、またイチから別のバスを待たないといけないはめに。
2時間以上経って今度こそ出発。
エチオピアってほんとうに移動が大変。
そのうえ、パンクや故障ですぐ止まる。
移動で一日がつぶれる。
移動が苦になるとエチオピアの旅は楽しくなくなる。
故障で足止めをくらってバスから降りる。
目の前にあるのは、田舎の素朴な暮らし。
街じゃわからないけど、多くのエチオピア人はこんなふうに暮らしているんだなあ。
乗り換えのワライタの街に到着。
実は車内である家族たちと仲良くなっていた。
「とりあえずお腹も空いたし、ご飯でも食べに行こう」
大学の入学式を控えた女の子2人と男の子1人。
彼女たちはエチオピアの東側、ジブチやソマリアの国境に近いところに住んでいて、アルバ・ミンチの大学に進学することになったのだそう。
3人とも同じ高校の友だちで、女の子2人のお母さんが引率していた。
彼女たちのふるさとからアルバ・ミンチまでは移動に丸2日かかる。
生活に必要な荷物をたくさん抱えてみんなで大移動。
お母さんたちは、娘たちの大学や寮を見学して1、2日してまた丸2日かけて実家に戻るんだって。
エチオピアだけじゃなくてほかの多くの国でもそうなんだけど、日本のセンター試験みたいなものがあって取った点数で行く大学が決まってしまう。
点数ごとに大学が順位づけされているので、有無を言わさず点数次第で行く大学が自動的に決まる。
「実家に近い大学に行きたい」とか「この大学の雰囲気がいいからこの大学に行きたい」とか「自分が興味のある研究をしている学部があるからここに行きたい」とかそんなことは言ってられない。
スカーフをしているお母さん2人は小学校の先生をしている。
お母さん同士も仲がいいんだって。
家族ぐるみで親しいんだけど、驚いたことに一組の親子はエチオピア正教徒、もう一組の親子はイスラム教徒。
エチオピアには80の民族がいて言葉や文化も違うから、宗教の違いなんてたいしたことないのかもしれない。
ひき肉にゆで卵がのったもの、もつ煮込みのような内臓系のもの。
追加でほかの種類のものも頼んでくれたけど、イクエとケンゾーにとってはほとんど同じ味付けに感じる。
みんなでインジェラの上でぐちゃぐちゃにして「いただきま~す」。
たくさんの手が伸びて同じものをつつくというのはなんかちょっと異様な感じもする。
だけど、わたしたちが箸で焼き肉をつついたり鍋を囲んでみんなで食べるのも欧米人からすると異様に思えるのかもね。
食後は濃厚なエチオピアンコーヒー。
ハーブが浮かんでいるのははじめて。
ちょっとツンとする感じ。
お会計は割り勘。
割り勘って日本以外の国であまり見ないんだけど、お母さん2人はちゃんと計算してきっちり割ってコインまでやり取りしていた。
日本人みたいでなんか親しみがもてた。
腹越しらえをしたあとはアルバ・ミンチ行きのバスに乗り込む。
入学式を控えてバスで移動する人が多いようで、通常よりも運賃は少し値上げされていた。
この前の新年もそうだったけど、エチオピアではその時期の需要に応じて運賃が値上げされることがある。
これは外国人だから、とか関係ない。
それと外国人には「荷物代」が上乗せされるときがあると言われるけど、現地人でも荷物代を払っているときがある。
もちろん荷物代を払わない現地人もいる。
この家族は荷物代を払っていた。
イクエとケンゾーはそれを知って必要ならば荷物代を払うようにすることにした。
わたしたちはいちばん後ろの5人掛けに並んで座ったんだけど、ここに無理矢理6人乗せられる。
通路にも立っている人がいて、バスは定員オーバー。
だけど警察のチェックポイントを通るときは、席のない人はむりやり座席に座らされる。
わたしたちはすでに5人掛けに6人押込められているのに、チェックポイントになるとそこにさらに1人、2人と加わり、お尻が浮いて空気椅子のようになってしまう。
チェックポイントを通過すれば、また元の位置に。
定員オーバー自体が交通違反なはずなのに、これってアリ?
そんなことをしてるうちにバスは故障。
修理されるのをゆっくりと待つ。
目の前に広がるのは、ふたたびのどかな田舎の光景。
バスが壊れない限り、こんなところに外国人は立ち寄らないよね。
彼女たちにとっては、わたしたちは初めて出会うアジア人かもしれない。
「ようやく出発だね。」
「もうこのままスムーズに行ってほしいよ。」
わたしたちはのんびりの旅だからそれほど急ぐ必要はないけれど、仲良くなった彼女たちにとっては母親と過ごせる時間は限られている。
教師をしていて忙しい彼女たちの母親は、きょう1泊して明日また2日かけて家に帰るつもりだったけど、そうなるとアルバ・ミンチでの時間がほとんどない。
だからお母さんたちは2泊することに決めた。
ここから挽回して少しでも早く目的地に着いてほしい。
でもね、
また・・・。
パンクで足止め!
「つぎは何が起きる?」
「今度は爆発するんじゃない?」
あきれながらそんな冗談を言い合う。
三度目の正直でバスは爆発することなく、アルバ・ミンチの街へ入った。
わたしたちをアバヤ湖が迎えてくれた。
アルバ・ミンチの「アルバ」は『40』を、「ミンチ」は『泉』を意味する。
その名の通りたくさんの泉がある。
大地溝帯の底にあって、水分が多く緑が生い茂っている。
バナナ畑が続いている。
「アルバ・ミンチはフルーツがすっごい安いの。」
彼女たちのふるさとはエチオピアの東部でバナナは育たないのだそう。
「砂漠もあるの?」
「見渡す限り砂漠だよ。
40℃を超えるから!」
緑豊かなこの場所は、彼女たちにとっては楽園のようなところなのかもしれない。
「ここがわたしたちの大学。
寮もこの敷地内にあるの。」
バスターミナルの手前の大学で彼女たちはバスを降りた。
大きなバッグを抱えた彼女たちは、待ち受けていたポーターたちのかっこうのカモで、降りた瞬間取り囲まれた。
「バイバイ」と言う暇も、Facebookを交換する余裕もなかった。
アルバ・ミンチはふたつの集落に分かれている。
バスターミナルのあるセカラ地区と高台のセチャ地区。
セカラ地区のホテルを渡り歩いたけど、大学の入学式を控えているからか地元の人でいっぱいで空いてても宿代が高い。
提示された宿代が高いので、ホテルを出ていこうとすると宿泊客のおじさんが話しかけてきた。
「ここに泊まればいいのに。」
「宿代が高いのでほかを探します。」
「80ブルで泊まれるんだよ。」
「いや・・・わたしたちは150って言われて。」
エチオピアではよくあること。
外国人は倍近くの宿泊費を請求される。
バスターミナル横のWi-Fiつきのホテルにも、堂々と現地人料金と外国人料金の料金表が貼られていてその差は2倍だった。
もうひとつのセチャ地区に移動することにした。
まもなく日が暮れようとしている。
暗くなる前に早く移動しなきゃ。
通りがかった人に聞いた。
「セチャ地区にはどうやっていけばいいんですか。」
「自分もちょうど行くところだからいっしょに行こう。
あそこから乗合いワゴンをつかまえればいいから。」
エチオピアでは自称ガイドにはだまされないように気をつけないといけないけど、面倒見がいい人もたくさんいてわたしたちは甘えることにしている。
荷物を抱えてぎゅうぎゅうのバスに乗るのは無理そうだったので、3人でトゥクトゥクに乗った。
「どんなホテルがいいの?
おすすめのいいホテルがあるけど高いんだよね。」
「安いところがいいです。」
彼はアルバ・ミンチホテルという1泊110ブル(約600円)のホテルまで案内してくれた。
部屋にはバスルームもついていて南京虫もいない、近くにはWi-Fiが使えるレストラン兼ホテルもある。
いよいよ明日からエチオピア南部の旅のはじまりはじまり〜。
野生動物もいて少数民族も多く、北部とは違った顔をもつ地域。
魅力いっぱいのエチオピアをお伝えします ♪