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訪れた国は78カ国
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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


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2012年09月 世界旅行に出発

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カイロおすすめスポットは少数派の・・・

2014.09.30 06:24|エジプト☞EDIT
空いたペットボトルに水と湧かしたお湯を入れて、シャワーを浴びている34歳イクエです。
自分が34歳にもなってこんなふうに体を洗う日々を送るなんて、若かったころは想像さえできなかったなあ。
お湯があるのはいいほうで、毛布で寝るくらい寒いのに水しかなくて気合いを入れて身震いしながら冷水シャワーを浴びることもあり、こんな34歳の主婦もそうそういないだろうなあと思います。

やってきました、エジプト・カイロ!

古代より文明が栄え、さらにヨーロッパや中東に近いこともあって、かってにカイロは洗練された街だろうと大きな誤解をしていたイクエとケンゾー。

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たしかにナイル川沿いには高層ビルもあるにはある。
カイロが紹介されている写真や映像でよく使われている光景は、このナイル川沿いの街並み。
でも、都会的なのはこの部分だけ。

よくみるとナイル川も汚いし、新しい高層ビルはほんの少しであとは高層ビルと言っても今にも崩壊しそうな左のようなビル。

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どのビルも傾いているように見える。
どれがちゃんと垂直に建っているんだろう。

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カイロの街は、インドを彷彿とさせる、ほこりっぽくてゴミが散乱していて人々があふれているというカオスっぷり。
しかも外は40度くらいあるので、ちょっと歩くだけで疲れる。
何をするにもエネルギーが必要な国。

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ゴミや家畜の糞、ときには人間のおしっこを避けながら歩くというのもインドといっしょ。
ぼーっと歩いてられない。

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出歩きたくなくて、エアコンの効いたホテルに閉じこもりたくもなるんだけど、ここなら行けそうかなあという場所に行くことにした。
宿のスタッフが教えてくれた大型ショッピングモール、シティースターズ

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エジプトでいちばんイケてる場所らしいけど、かなり期待はずれだった。
迷子になるほど大きいと聞いていたけど、そうでもないし有名店もない。
品揃えもイマイチ。
カメラの修理をしたかったけど、対応できるカメラ店もなかった。
でも商品の値段は、ヨーロッパ並みに高い。
「こんなの誰が買うの?ほかの場所で買ったら5分の1くらいの値段で買えるのに!」と思ったけど、お金持ちそうなエジプト人が買物に来ている。
エジプトの貧富の差をまざまざと見せつけられる場所。

その次に大きいと聞いたアルファ・マーケットというところにも行ってみたけど「これで大きいの?」と疑うくらいの規模。
田舎の街の「何でも屋」という雰囲気。
「物価の安いエジプトで今後の旅に必要な衣料品や雑貨を手に入れよう!」と意気込んでいただけに残念。
エジプトに期待しすぎちゃったな。

エジプトはイスラム教徒が大多数をしめる国。
街を歩けば大きなモスクが目に入る。

土色のモスクから、爽やかな色のモスクまで。
ふくらんでいるドームが自慢のモスクから、ぺちゃんこのドームのモスクまで。

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エジプトの女性は頭にスカーフを巻いている。
エジプトに来る前は、エジプトはイスラムの国だけど自由な格好をしている女性も多いんじゃないかと思っていた。
それはほかの国の衛星放送で見ていた、エジプトのテレビ番組に出てくる女性たちがスカーフなんてせず、ノースリーブやミニスカートを着ていたから。
でも、これってテレビだけの世界だった。

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エジプトでは、テレビでは女性は開放的な格好、現実社会ではスカーフに長袖、とはっきり分かれている。
「学歴のある女の子でアナウンサーになれる素質があっても、スカーフをはずさないといけないからそんな女の子は医者になる」とエジプト人に教えられた。

変なの・・・。
憧れの芸能人はみんな開放的な服装を着ているけど、現実には暑くてもスカーフに長袖で自分はそれを変えたくない。
エジプトの女性にとって、テレビの世界はフィクションでしかない。

エジプトのドラマや映画に出てくる女性は現実と違ってとても大胆。
それでもスカーフを巻いた女性たちが、大胆な格好をした主人公に感情移入してドラマを見ていることが不思議だなあ。

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ちょっと話がずれたけれど、騒々しくて暑いカイロでどこを観光すべきか。
楽に移動できるところがいいな。

エジプトの庶民の足はワゴンのミニバス。
使いこなせばどこにでもいけるし運賃も安いので助かるけれど、首都だけあって交通渋滞がひどい。
アジアもアフリカも、急激なスピードで発展しようとしている国の首都は、だいたいどこも交通渋滞がすさまじい。
まだ車が普及してまもないから交通ルールも守られていないし、十分な広さの道路や信号などもなくハード面も追いついていない。

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移動するだけでヘトヘトになる。
そんなイクエとケンゾーにうってつけの場所があった。
それがオールドカイロ
ここには地下鉄で行ける。
そう、こんなカオスな街カイロにも地下鉄はある!
ホテルから地下鉄の駅までは歩いて5分あまり。

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通りにはビーチサンダルや下着の露店が並んでいるけど、店主が誰だかわからない。
その辺の人に声をかけると、店主を探してきてくれる。
たいてい日陰に避難していたり、暇だから別の露店の店主とおしゃべりしていたりする。
こういう店舗をもってない店がいちばん安くて、ケンゾーは後日トランクスと短パンをお買い上げ。

そんな露店の横を通って地下鉄の入口へ。
エジプトの地下鉄はそれなりにちゃんとしていた。
運賃は一律で1ポンド(約14円)。

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地下鉄は女性専用車両があるので男性はご注意を。
男女区別するイスラムの国では、こういう面は進んでいる。

地下鉄は途中から地上に出て、カイロの街を走る。

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オールドカイロのあるマル・ギルギス駅に到着。
カイロ発祥の地、オールドカイロ。
けれどここの見どころは、イスラムの国エジプトにあって意外なもの。

駅を出るとすぐに出迎えてくれるのは教会!

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エジプトにはコプト教というキリスト教の一派が古くからあり、人口の1割くらいがコプト教徒だと言われている。
いまでこそイスラム教徒が圧倒的に多いエジプトだけど、それは7世紀のアラブ軍のエジプト征服の後のこと。
それまでエジプトの人々はキリスト教徒だった。

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ここオールドカイロは、難を逃れてエジプトに渡ったイエスの家族が身を寄せた場所。
教会や修道院が狭い範囲に点在している。

結論から言うと、オールドカイロはかなり良かった。
カイロの喧噪から開放されて、こころが安らぐ。
まるでエジプトじゃないみたい。
エジプトに疲れた人、エジプト人にダマされて嫌な思いをした人はここに逃げるといいと思う。
こころが穏やかになれるよ。

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イクエもケンゾーもイスラム教の国は好きだし、ムスリムの人たちのおもてなしの精神はとてもすばらしく、いろんなところで優しくされ、すてきな思い出をつくってきた。
でも、それがちょっとわずらわしく感じることや、女性への扱い方に居心地の悪さを感じることもある。
そんなときにここにくれば、違う雰囲気のコプト教の人たちが迎えてくれる。

しかもみんなとてもフレンドリー。

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外国人が珍しいのか声をかけてきてくれる。
自由な服装をしている以外、見かけはほかのエジプト人と変わらない。
でも、名前を聞くとマリアとかヨセフとか聖書にちなんだ名前。
エジプト人なのに欧米人のような名前なので新鮮。

それにイスラム教徒の人よりも英語に親しみがあるのかもしれない。
知っている英語を駆使して話しかけてくれる。

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イスラム教徒の場合、年頃の女の子たちは写真に撮られるのをためらうけどこの子たちは「撮って!撮って!」と楽しそう。
しかも写真に慣れているようでポーズを決めてくれる。
奥の真ん中のこの子なんて瞬時にこのポーズ!

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残念なことに、なぜかこのときに撮った100枚くらいの写真が消えてしまっていてご紹介できない。
ここオールドカイロには、フレスコ画やステンドグラスを展示した有料のコプト博物館もあるけど、おすすめはムアッラ教会(ハンギングチャーチ)。
木を多用した教会内部は幾何学模様で飾られ、モスクにも似ている。
ヨーロッパの教会とはまったく異なる雰囲気。
マリアやイエスを刺繍したタペストリーが祭壇に飾られ、信者たちがキスをして祈りを捧げていた。

教会や修道院が並ぶ一画は、独特のつくりをしている。

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かわいい女の子に気に入られて手をひかれて案内されているこの街並み。
なにも不思議なところがないように見える。
でもこの街、地上よりも3メートルほど低い位置にできている。
言ってみれば、天井のない地下街。

女の子に手を引かれながら通路を進んでいくと、宗教関係の本や昔のカイロの写真などを売るお土産屋さんが両脇に並んでいた。

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上には日よけがある。
日よけよりも上に、地上の世界が広がっている。
なんだか不思議。

どうしてこんな街ができたのか。
それはほかの勢力から迫害されるのを恐れたため。
外からは見えないように、コプト教徒たちは地上よりも下に街をつくっていったのだそう。

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しかも路地が入りくんでいて迷路のようになっている。
壁に挟まれて視界が遮られ、方向感覚を失う。
歩いているとさっき通ったはずの道につながって、振り出しに戻る。

さらに、どこに教会や修道院があるのかほかの人からは悟られないように設計された。
教会の外観はシンプル。

知らなければ、素通りしそう。

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入口は地下。
階段を下りて中に入るとこんな空間が広がっている。

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ここも別の教会の入口。

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路地が地上よりも低い位置にあるのに、教会の入口はさらに下。
自分が今どのくらいの高さの場所にいるのかわからなくなる。

そしていつのまにか路地の階段を上り、気づいたら地上にでている。

コプト教の街は、一段低い場所にあるので地上のクラクションや騒音も聞こえないし、カイロの喧噪を忘れられる場所。

カイロに疲れた人にはおすすめ!

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コプト教の地下の街を抜けて地上に出ると、コプト教徒たちの墓地がある。
その先を進んでいくと、急にもとのアラブ街に戻った。
そこには柵があり、警察や軍が人の行き来をチェックしていた。

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エジプトでは少数派のコプト教。
今でもイスラム教徒からの弾圧を受けることがある。
2011年にはアレキサンドリアのコプト教会が爆破されて21人が死亡し79人がケガをした。

またコプト教徒が抗議デモを行ない、警察官と衝突することも何度か起きている。

エジプトって言うとイスラムのイメージが強いけど、昔からコプト教徒の人たちが独自の文化をもって暮らしている。
コプト教の歴史ある美しい教会は大切に保存してほしいし、イスラムの世界もキリスト教の世界も味わえるのがエジプト観光の良さだと思う。

少数派のコプト教徒にとっても、生きやすいエジプトであってほしいな。
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こんなはずじゃなかったエジプト

2014.09.29 06:16|エジプト☞EDIT
天ぷらを作って腹いっぱい食べて大満足のケンゾーです。
泊めてもらっている友人の家のキッチンを使わせてもらって、なかなか作るチャンスのない天ぷらを作っちゃいました。
野菜オンリーだったけど、なかなか上手く揚げることができて美味かった!
これで日本酒か焼酎があったら最高なんだけどね。

ケンゾーとイクエにとって唯一にして最大の見どころのパルテノン神殿も見られたし(山の上からだけど)、ラッキーなことに新アクロポリス博物館にタダで入場することができたし、もうアテネに思い残すことはない。
落書きだらけでオシャレ感0のアテネの街に別れを告げる。

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シンタグマ広場からバスに乗って目指すのは・・・

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空港!
およそ1か月間にわたるバルカン半島の旅もこれでおしまい。
飛行機に乗ってひとっ飛び、また新たな旅のスタートだ。
ちなみに街から空港までのエアポートバスは1人5ユーロ。

ふたりが乗る飛行機はEGYPT AIR
そう、次の目的地はエジプトの首都カイロ
すでにチュニジアとモロッコは旅したけれど、いよいよ本格的にアフリカ大陸の旅がはじまる。

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カイロ

エジプトからスタートして陸路で南下、どの国に立ち寄るかはまだ未定だけどゴールは南アフリカ。
南京虫やぼったくりに気をつけないといけないし、マラリアやエボラの状況も気になる。
盗難や強盗の危険度もアップするだろうし、紛争や政変なんかもあるかもしれない。
アフリカ縦断にはある程度のリスクが伴うけれど、きっとそれ以上に身震いするほどの絶景や素晴らしい出会いにも巡り会えるはず。
すこしの不安とたくさんの期待を胸に飛行機へと乗り込む。

機内のモニターに映し出されているのはモスク。
「アッラ~」
離陸前には無事故を願うお祈りも流れた。

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久しぶりに旅するコッテコテのイスラムの国。
しばらく豚肉食べられないなあ、ビールもっと飲んどけばよかったなあ、なんてことを思いながら1時間50分のフライト。

窓から外を眺めていると、エーゲ海に浮かぶいくつもの島が過ぎ去っていく。
エーゲ海には2500以上の島があるんだそう。

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サントリーニ島、ミコノス島、パロス島・・・。
アイランドリゾートを優雅に楽しめる日はやってくるかなあ。

飛行機を使う時は当然のようにLCCばかりのケンゾーとイクエ。
今回は久しぶりの機内食が出るふつうのフライト。
ちなみに、アテネからカイロまで1人2万3千円。

まあ可もなく不可もなく、マズくはないけどパンチのない機内食を食べ終わって一息ついたら窓から見える景色が激変。
ついさっきまでのいくつもの島々が浮かぶ青い海とのギャップがスゴすぎる。
ナイル川だ!

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見渡す限りほぼ茶色一色。
ぽつぽつと緑が見えるけど、限りなく茶色一色。

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おもちゃのような、シミュレーションゲームのような街並み。
圧倒されて言葉が出ない。
この時点ですでにエジプトに気おされてるけど、大丈夫かな。

ふくらんだ不安としぼんだ期待を胸に着陸したカイロ空港。
滑走路もまさかの茶色一色。

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カイロってもうちょっと都会だと思ってたんだけど、やっぱりアフリカなんだね。
こんなに早く砂漠とご対面するとは思ってなかった。

エジプトはビザが必要な国。
空路で入国する場合は空港で30日間有効のアライバルビザを取得できる。
ビザの値段は15ドル、イミグレーション手前の銀行でシールになっているビザを買うだけなんだけど、そこは世界三大ウザい国にノミネートされているエジプト、空港の中の銀行といえども油断大敵。
15ドルのはずなのに「別に手数料が必要だから25ドルよこせ」と言われたり、お釣りを返してくれないこともあるんだそう。

しょっぱなから面倒くさいことになったら嫌だなあと思いながらビザを買うため銀行に行くと、窓口に『VISA $25』の張り紙が!
こいつら、なんて大胆なことを。
ちまちまダマすのが面倒くさくなって、全員からごっそりぼったくるつもりかよ。

でもここで怯むわけにはいかない。
最初が肝心、エジプトの旅、そしてアフリカの旅を楽しむためにもぼったくりには断固として戦いを挑まないといけない。
金の亡者にしか見えない窓口のおっさんに抗議する。
「ビザは15ドルだよね。
 手数料なんかも必要ないはずだし、30ドルで2枚ちょうだい。」


亡者はしれーっとした顔で言う。
「ノー、ビザは25ドルだ。
 2枚で50ドル。」


何度抗議しても「25ドルだ」と言ってらちがあかない。
くっそ~、敵も手強いな。
いったん下がって仕切り直し。

空港スタッフが通りがかったので助けを求める。
「ビザは15ドルですよね?
 銀行のおっさんが25ドルだってぼってくるんですよ。」


空港スタッフは表情を変えずに無情にも言い放った。
「ビザは25ドルだ。」

ええ~、うそでしょ?
最近の人のブログでも15ドルだったって書いてたよ。
値上がりしたとしてもいきなり10ドルUPはないやろう。

銀行は3つあるんだけど、どこも25ドル。
ビザを手に入れないことには入国できないので渋々50ドル払うことに。
でも渡されたビザには『$15』って印刷されている!
やっぱりぼられた!って一瞬思ったんだけど、まさかの『+$10』っていうシールが貼られてて思わずイクエとふたりで失笑。

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はい、エジプトビザ値上がりしてました。
値上げしたのはたぶんつい最近のことだろう。
たぶん最近まで起きてた民主化デモをめぐる騒乱や、イスラム過激派によるテロ事件で観光客が激減したから値上げしたんだろうね。

預けた荷物が出てくるのにかなり時間がかかったので「まさか!?」とロストバゲージの心配をしたけれど、無事にバックパックを受け取ってロビーへ。
ATMでエジプトポンドをゲット、さらにSIMカードを購入していざカイロ市街地へ。

まず目指すのは、安宿が近くにあるタフリール広場
空港バスターミナルまで行く無料シャトルバスに乗るためにターミナルの外へ・・・出たいんだけど、ガラス越しに見えるのは外に出るのをためらわせるに十分な光景。

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何事?!
もう見るからにウザそうなんだけど!
ガラス越しにロックオンされて見つめられるケンゾーとイクエ。
声をかけられるでもなくただじっと見つめられたバングラデシュを思い出す。
まあ、見られるだけだったらまだいいんだけどね。

意を決して群衆の中に飛び込むことに。
もうこの時点でテンションだだ下がりのイクエ。
ため息をつきながら外へと足を踏み出す。

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意外にも数人のタクシードライバーが声をかけてきただけで、しつこく付きまとわれることはなかった。
ちょっと肩透かしをくらった気分でバス停へ。
エジプトはモロッコと同じように、言われているほどウザくはないのかな?

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しばらく待っているとバスが見えてきた。
だけどなかなか前までやって来ない。
例の大量の人たちが道路にあふれてるからバスが通れないのだ。

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なんとなくエジプトの国民性というかお国柄が分かってしまうような光景。
いろいろと気持ちに余裕をもって旅しないとすぐに疲れてしまいそうだ。

空港バスターミナルで27番か356番のバスに乗る。
番号はアラビア数字で表記されているので覚えていたほうがいい。
アラビア数字は簡単だからすぐに覚えられるはず。

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タフリール広場まで3ポンド(約43円)請求された。
調べた情報では2ポンドだったんだけど、これがぼられてるのか値上げしたのかは分からない。
アフリカは物価の変動が激しい。
あとから考えると2ポンドくらいの距離じゃないかなあとも思うけど、まあ3ポンドでもおかしくはない。
1ポンドは約14円。
「それぐらいなら2ポンドでも3ポンドでも違いはないやろ?ケチくさいなあ」っていう声も聞こえてきそうだけど、ケンゾーとイクエにとってはお金の問題じゃない。
受けたサービスに対して適切なお金を払う。
外国人であっても立場はイコール。
特別扱いしてもらいたくないと自分たちは思っている。

空港からカイロの中心までおよそ15km。
たいした距離ではないんだけど、1200万人以上の人口を誇るカイロは慢性的に渋滞している。
とくに朝夕のラッシュアワーは歩いたほうが速いくらいに車が進まない。

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だいたいどの国も首都と渋滞はワンセット。
空気も悪いし移動するだけで疲れるからケンゾーは首都が嫌いだ。
はたしてカイロも嫌いな都市に名乗りを上げることになるのか?
およそ40分かかってタフリール広場がある新市街に到着。

新市街とは言っても、1000年以上の歴史を誇る旧市街と比べて新しいというだけで、200年前に開発された地域。
耳をつんざくようなクラクションが響き渡り、路上には人と物があふれている。

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道路にほとんど信号は無く、あってもまったく意味をなしていない。
我が物顔で車が行き交う道路。
突進してくる車をかいくぐって道を渡るのは命がけ。

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バスを降りてホテルまではほんの10分くらい。
だけどこの10分で悟ってしまった。
エジプトはもっと発展した国だと思ってたんだけど大間違いだ。
認識をすぐにガラッと改めないといけない。
エジプトはインド並みのぐちゃぐちゃでカオスな国だ。

カイロの安宿といえば、旅人の間で超有名なホテルが3つある。
3つとも同じビルに入っているので利用する側としてはとても便利。
ビルの入口はこれ、この時点でそうとう汚い。
あまりにボロすぎてホテルの存在に気づかずに通り過ぎ、近くにいたおじさんに聞いて引き返した。

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恐る恐る薄暗い内部へと入っていく。
「内部は改装されていてもうちょっときれいだったりして?」なんていう儚い願いは5秒で打ち砕かれる。
リアル版「タワー オブ テラー」がそこにあった。

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これ築何年なんだろ?
たぶん建てられて1度も掃除してないよね。
尋常じゃない埃。
ここまでくると美しくさえ見える。

壊れたエレベーターの上には数匹の猫。
誰かが餌付けしてるんだろう、大量の食べ物が置かれている。

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ビル自体の汚さよりも猫のウンコ臭がたまらない。
餌をやるだけであとは放ったらかし、ウンコがあちこちに散乱していて臭いし衛生的にも最悪。
猫はどうかしたほうがいいよ。

下の階から順番に宿を見ていくことに。
まずは2階にある「スルタン」

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キッチンやWi-Fiありでドミトリーが1ベッド30ポンド(約430円)。
ただ、雰囲気が陰湿で汚い。
ここはないなあ。

つづいて4階にある「ベニス細川家」
3軒のなかでいちばん新しくていちばん人気がある宿。

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入口脇の壁はツアーの案内で埋め尽くされている。
う~ん、なんだか面倒くさそうな臭いがぷんぷんしてくる。
ディナークルーズとか、一流ホテルに泊まる高いツアーの宣伝がされている。
こんなお化け屋敷みたいな安宿にやってくるバックパッカーに需要はあるんだろうか。

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部屋やバスルームは新しいだけあってきれい。
ただしドミトリーが男女別で1ベッド35ポンド(約500円)。
個室もあるけどちょっと高い。
とりあえず保留にしてさらに上へと登る。

最上階の6階にあるのが「サファリ」
ここはオーナーの初印象がとてもよかった。

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このサファリ、ほんの1か月前にオーナーが変わったばかり。
新しいオーナーは若いイスマイルさん。
ここを買い取るまでは下にあるベニス細川家で働いてたんだって。
「それって仲が悪くなったりしないの?」って思ったけど、そんなことなくて今でもよく顔を出してるんだそう。

まだまだいろんなところを改装中のサファリ。
エアコンが付いていない6ベッドルームを1人35ポンドで個室として使っていいよって言われたんだけど、ドミトリーにはちゃんとエアコンが付いていて1人30ポンド。
そりゃドミトリーにするでしょ。

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エアコン、Wi-Fi、キッチン、朝食付きで1ベッド30ポンド。
共有スペースには大量の本やマンガもある。
最大の欠点は6階までの上り下り!
重いバックパック背負ってるとかなりキツい。
サファリにたどり着く前に「ベニス細川家でもういいか」っていう人もけっこういるんじゃない?

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けっきょくここに3泊したんだけど、ほかの客は誰もいなくて個室状態だった。
ケンゾーたちのあとに泊まった人の情報によると、もう一部屋にもエアコンが付いて男女別部屋になったみたい。
ひょっとしたら値段もベニス細川家に合わせて値上がりしたかも。

いよいよはじまったアフリカ縦断の旅。
スタートは歴史遺産の宝庫エジプト。
ピラミッドはどんだけデカいんだろう?
そして世界三大ウザい国と言われているエジプト。
はたして本当にエジプト人はウザいのか?
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旅したアルバニア・ギリシャ こんな国

2014.09.28 06:02|ヨーロッパ☞EDIT
アルバニアには7/16~18の3日間、ギリシャには7/19~23まで5日間滞在しました。
「ベールに包まれた謎の国」と言われているアルバニアはやっぱりちょっと変な国、世界に誇る歴史と文化をもつギリシャは思っていたよりもあか抜けてない国でした。
そんなアルバニア・ギリシャの旅を振り返ります。

◇旅の費用はいくら?

アルバニア・ギリシャでいくら使ったのか発表します。

<アルバニア> 
交通費           3,660レク
外食費            450レク
その他のフード・ドリンク  2,100レク
宿泊費           7,392レク
観光費            100レク
雑費              0レク

合計  13,702レク(1レク=0.99円)
約4,522円/1日2人で

アルバニアは物価に比べて宿泊費が高い印象。
残された日数が少なかったので、全体に占める交通費の割合が高くなった。

<ギリシャ>
交通費           71.80ユーロ
外食費             0ユーロ
その他のフード・ドリンク  10.37ユーロ
宿泊費          130.00ユーロ
観光費           18.00ユーロ
雑費              0ユーロ

合計  230.17ユーロ(1ユーロ=138円)
約6,341円/1日2人で

交通費も宿泊費もすべてが「ヨーロッパ」価格。
5日間の滞在だったけれど、5日目は空港に行っただけなので実質は4日間。
1日当たりの費用は8千円近くに跳ね上がる。
エーゲ海の島巡りなんてとてもじゃないけどできないなあ。


◇移動手段はこうでした

アルバニアの道路は舗装されてない道や山道も多くて、移動には時間がかかる。
街と街は小さなバスやワゴンが結んでいる。
予約する必要はなさそうだけど、本数が多い訳でもなく人が集まり次第出発するので、席が埋まらないうちに早めにつかまえたほうがいい。

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アルバニアではヒッチハイクもしやすいと思うので挑戦してみるといいかも。
車の台数は少ないけど優しい人が多いので、車さえ通れば成功する確率は高い。

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ギリシャは大型バスが都市間を結んでいて、バスターミナルに行けばバスが頻発している。
バス代は高いけど、バスはきれいで快適。

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列車のほうが割安だけどそれほど本数はなくスピードは遅い。
時間がない人にはバスを、時間があってお金がない人には列車をすすめます。
列車は前もって切符を買っていたほうが安くなることも。

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◇こんなお宿に泊まりました

アルバニアの観光地では、バスを降りたところに客引きのおじさんたちがたむろしているのでついて行くのもアリ。
サランダでは客引きについていったら、けっこう条件のいいホテルで値段交渉にも応じてくれて満足でした。
事前に調べていたゲストハウスよりも値段も条件も良かった。
オーシャンビューの4ベッドルーム、2人で1泊2000レク(約2000円)、Wi-Fiあり。

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ギリシャの宿はインターネットの予約サイトで探した。
ヨーロッパ各国から訪れる人も多いので、いい宿は早めに予約したほうがよさそう。
アテネでは朝食つきのダブルルームでふたりで25ユーロだった。
シーズンオフかどうかで値段も変わってくると思う。
アテネの夏はすっごく暑いよ!
クーラーつきのホテルに泊まりましょう。

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◇これが一番うまかった!

ケンゾー 「ローカルワイン」
じつはアルバニアとギリシャに滞在した8日間で外食をしたのは1度だけ。
アルバニアのサランダでスープとパスタを食べたんだけどイマイチだった。
それ以外は自炊なので「うまい!」って挙げられるのは・・・ない。
強いて挙げるとしたら、サランダで飲んだ自家製ワインかなあ。
小ちゃな商店で売られてた、ラベルも何もなくて誰が作ったのかも分からないローカルワイン。
あまり期待してなかったんだけど、意外にもちゃんとしたワインで満足。
2ℓという豪快サイズで600円、なかなかお買い得だった。

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イクエ 「とくになし」
ほとんど自分たちで作って食べていた。
アルバニア料理もギリシャ料理も残念ながら惹かれなかったなあ。
アルバニアで食べたスープとスパゲティは450レク(約450円)。
外食が高い訳ではないけど、やっぱりイタリアやフランス、スペインに比べると味はイマイチ。
アルデンテの麺は期待できない。

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地元の人はおいしそうに食べてるんだけどねえ。

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◇おすすめ!!一番良かった場所

ケンゾー 「メテオラ」
ニョキニョキと空を突き刺すように生えている巨大な奇岩群。
切りたった断崖絶壁の頂上に建つ石造りの修道院。
今までのどの国でも見たことのない不思議で迫力のある景色に大興奮。
見る場所によってまったく違う表情を見せてくれるのでぜんぜん飽きない。
自然の力と人間の持つ可能性に脱帽させられた。

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イクエ 「メテオラ」
ケンゾーといっしょで芸がないけど、やっぱり世界遺産のメテオラはすばらしかった。
遺跡好きの人は別として、ギリシャに行くならアテネよりもメテオラのほうがおすすめ。

アルバニアも良かったけど、素朴な国で短期旅行者には物足りないかも。
でも物価も安く人も優しいので、長期旅行者がゆっくりするのにはぴったりの国。
わたしたちが泊まったリゾート地サランダは都会だったけど、アルバニアにはまだまだ未開発の海がきれいで静かなエリアがたくさんあるみたいですよ!

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◇ふらり ゆるり アルバニア・ギリシャの感想は?

ケンゾー
アルバニアは一言で言うとヘンな国だった。
「ヨーロッパで最も謎に満ちた国」らしいけど、そもそもヨーロッパじゃないみたい。
軒先に不気味な人形がぶら下がっていたり、夜な夜なおしゃべりしながらひたすら通りを行ったり来たり・・・。
さすがに鎖国をしていただけあって、ほかの国にはないツッコミどころ満載の国。

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ギリシャは・・・ちょっと期待はずれかな。
観光大国だし勝手にもっと洗練された国を想像してたんだけどイメージと違った。
アテネの街はごちゃごちゃとして汚いし、パルテノン神殿などの遺跡もあまり響かなかった。
まあ、滞在日数も短いし、メテオラとアテネしか見てないんだけどね。
いつかエーゲ海の美しい島々を巡ってみたいな。

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イクエ
急ぎ足の旅となったアルバニアとギリシャ。
アルバニアはとくに有名な観光地がある訳ではないけど、不思議の国で愛すべき国だった。
飾り気の無い人たちで、嫌な思いはいっさいしなかったな。
ヨーロッパにあってヨーロッパらしからぬ国だけど、そんなアルバニアも将来は発展してほかのヨーロッパのような国になるのかなあ。
それはそれでさびしいなあ。
アルバニアに興味のある方は、どうぞお早めに。

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ギリシャは想像以上に田舎だった。
今度行くならエーゲ海クルーズ。
マンマミーアの舞台になった島も見たいし。
お金はかかるだろうけどね・・・。

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どこで見る?あの有名な神殿

2014.09.27 05:44|ギリシャ☞EDIT
年上のお姉さんにかわいがられるタイプのイクエです。
人っていろいろタイプがあって「おじさんにかわいがられるタイプ」「年下に慕われる姉御肌タイプ」「男からかわいがられるけど女子に嫌われるタイプ」・・・とかありますよね。
みなさんはどうですか?
ちなみに仕事していたときは社会で活躍するのは男が多いので「おじさんにかわいがられるタイプ」だったらもっと取材でネタもとれるし出世もできるのになあと考えていたこともあります。
でも年上のお姉さんたちに、ときには娘のように、ときには妹のように、ときには同級生のように接してもらっていっしょにごはんを食べるのは大好きです。

さて、今回ギリシャに来た最大の理由は、つぎのエジプトまでの航空券が安かったから。
だから最初はアルバニアに近い、北のテッサロニキから飛行機に乗ろうかとも考えたけどどうせ行くならやっぱり首都のアテネは外せないかな、ということになった。
だって、ほら、アテネには世界史の教科書で散々見てきたパルテノン神殿があるから!
ということで、列車でアテネを目指す。

アテネ

カランバカからはバスでも列車でも行けるけど、列車のほうが半額くらいの値段で行ける。
しかも前日までに予約すれば割引が適用されるみたい。
6時間弱で運賃ひとり15.6ユーロ。

あまりにも車体を埋め尽くし、もはやもとからのデザインに見える落書きだらけの列車。

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ちなみにカランバカを夜に出発する列車もあるけど、途中で乗り換えなきゃいけないし待ち時間も長くて眠れそうにない。
体力があり宿代を浮かしたい人にだけ夜行列車は利用価値があると思う。

列車のスピードはものすごく遅い。
窓から見えるのは、何もない荒れ地や山ばかり。

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6時間の移動中、建物や街なんてほとんど見えない。
ギリシャは想像以上に田舎で、栄えていない。
これはほんとうに意外。
よくEUに入れたなあ。

さらにアテネの駅は「一国の首都の駅がこれ?」「ここがいちばんの都会?」と驚くような場所だった。

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雑然とした、地方の駅のたたずまい。
ホームから移動するのに階段なんて使わず、線路を渡る。
そして駅舎に入らず、そのまま線路から外の路上に出る。

宿はインターネットで予約済み。
地下鉄の駅にも近く、繁華街でパルテノン神殿にも歩いて行けるEliteHotel.

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建物は老朽化が進んでいるけど、エアコンも冷蔵庫も、もちろんバスルームも。
Wi-Fiもあるし、朝食もついてふたりで25ユーロ。

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観光都市アテネでこの値段で泊まれるのは魅力的。
ビジネスホテルだったけど、古くなったので値段を下げてバックパッカーに利用させているのかも。
でも、宿泊客には家族連れもいた。
日本だと「わざわざ旅行にきたのに家族でこんなボロくて安いホテルに泊まんないよ」って感じだけど、欧米人は大きな子どものいる家族連れや赤ちゃんを連れた夫婦などがバックパッカーと変わらないスタイルで旅行している人も珍しくない。
自分たちがいいと思うやり方で、自分たちでイチからプランをたてて自由に旅行している。
旅上手だなあって感心する。

ここ、アテネでやることはひとつ。
パルテノン神殿を見ること!
といっても「有名なのでとりあえず見ておこう」というぐらいで、イクエもケンゾーもそこまで思い入れはない。
外から見られれば、入場料を払ってまで中に入らなくていいかな。
でも、外から満足できるほど見られるかな?

翌日、さっそく歩いてパルテノン神殿へ。

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アテネにはギリシャの全人口の3分の1が住んでいるのだそう。

そんなアテネの繁華街は、ヨーロッパというよりも中東やアジアの雰囲気。
建物は古びていて、歩道にまで店の商品が並べられて、ごみごみしている。
実際に出稼ぎ労働者も多く、きのう立ち寄ったホテルの横の商店でもバングラデシュ人たちが働いていた。
路地に入れば、いろんな人種の人たちが歩いていて、いろんな言語の看板や各国の食堂がある。
経済危機に見舞われたギリシャだけれど、物価の安い国の人からしたら出稼ぎ先として人気の国みたい。

おしゃれな街とはほど遠いアテネの街。
新婚旅行でギリシャに来る人も多いと思うけど、どうかな・・・。
もしギリシャなら、エーゲ海の島をメインに観光したほうがロマンチックに浸れる。
アテネより断然イスタンブールのほうが洗練されていて、すてきなカフェやレストラン、お土産屋さんが多いので、新婚旅行ではトルコのほうがおすすめ。

地方都市の商店街のような道は、どうやら目抜き通りだったらしい。
気づいたら道の先に、丘の上に建つアクロポリスの遺跡が見えた。
お目当てのパルテノン神殿もあそこにあるはず!

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神殿が建ち並び、古代から聖域だったアクロポリス。
アクロポリスとは「高い丘の上の都市」と言う意味。
その名の通り、崖になった丘の上に遺跡がそびえ街を見下ろしている。
丘の上にあるのは、敵の侵入を防ぐ要塞の役目も果たせるから。

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高いクレーンが動いている。
あいにく長期間の修復作業中。

パルテノン神殿は1687年にヴェネツィア軍の砲撃を受けて崩れてしまった。
現在、紀元前5世紀の当時の姿に戻すという壮大な計画が実行されている。

アテネの歴史は古い。
なんと紀元前12世紀ごろからテセウス王によって都市国家が形成されたと言われている。
さらに紀元前7世紀ごろになると、政治、経済、文化の中心地として発展。
そんな古い時代になんと選挙制度がつくられ、民主主義の基礎がすでにできていたというから、日本の歴史と比べてだいぶ進んでいる。

今でこそ、ぱっとしないアテネだけどかつては世界の中心だった。
その栄華を物語る遺跡が、アテネにはごろごろ存在している。

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紀元前1世紀から紀元後2世紀のローマ時代初期に建てられたローマン・アゴラ
「アゴラ」とは市場や集会場のほか、政治、宗教、文化的な施設が集まる場所を意味する。
古代ここは人で賑わい、すべての中心地だった。

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大理石の柱がすっくと立ち、今でも壁が残っているのはアドリアノスの図書館
2世紀ごろにローマ皇帝のアドリアノスが建てたもの。
そんな昔に、こんな立派な図書館があって教養ある人たちが本を読みあさっていたかと思うと古代ギリシャ人の文化レベルの高さに脱帽。

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街の中に森のような一画がある。
ここは古代アゴラの遺跡。
市場や神殿、1000人を収容できた音楽堂、公文書の保管庫や、評議会の建物などいくつも建っていた場所。

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古代アゴラの発掘は1931年に始まった。
その当時はこの場所には民家が300軒あまりあったけどすべて移転させたんだって。
そのときから遺跡の価値を知っていて、保存しないとって思ってたんだね。
おかげで遺跡は美しい姿のまま、世界中の観光客を集めることに一役買っている。

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古代アゴラでいちばん目立つのは、パルテノン神殿と似ているヘファイストス(テセウス)神殿
屋根もついていて柱もしっかりと並んでいて、ギリシャでもっとも保存状態がいいと言われている。
パルテノン神殿と同じ時期の、紀元前450年から440年ごろにつくられたもの。

この古代アゴラは、男性たちが買物をしたり、政治についておしゃべりしたり情報交換をする社交場だった。
あの有名なソクラテスやプラトンもここで議論を闘わせていたんだって。

ちなみに古代アゴラでは定期的に評議会が開かれていて、それぞれの部族から選ばれた500人の評議員たちが日常業務を司っていたらしい。
そのほか、成年男子であれば誰でも参加できる民会も開かれていて、行政や経済、軍事について話し合われていた。
民主主義だったからこそ、古代ギリシャは発展し豊かな文化を形成できたのかも。

アテネの顔とも言えるパルテノン神殿がいちばんよく見える場所を探そう!
パルテノン神殿がある丘の上のアクロポリスには、紀元前13世紀には丘を囲むようにすでに城壁がつくられていたのだそう。

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丘の上にあるし城壁で囲まれているので、地上からその姿はよく見えない。
入場料を払わずにパルテノン神殿を見るには、できるだけ高い位置に移動しないと!

アクロポリスの手前に人影が見える岩山を見つけた。
あそこからなら、見えそう。
さて、いかに?

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惜しいね~。
高さはいいんだけど、残念ながらパルテノン神殿は奥にあるようでプーレの門やアテナ・ニケ神殿が手前にそびえてじゃまをしている。

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写真のいちばん右側に見える4本の柱が並ぶ立方体のような建物が紀元前424年に完成したアテナ・ニケ神殿
「ニケ」とは翼をもつ勝利の女神のこと。
ちなみにスポーツメーカーの「ナイキ」の名前は、この「ニケ」にちなんだもの。
ニケがアテネの外に飛んでいかずつねにアテネが戦いに勝てるようにと、当時はニケの翼を切り落としてこの神殿に祀ったとされている。

写真の真ん中に見える一段低い位置に立つ、太くて四角い柱のようなものは、アグリッパの台座
ベルガモン王の馬車像を設置する台座だったんだって。
ヨーロッパの街の中では中世や近世に造られた、馬に乗った英雄の像をよく目にするけど、紀元前2世紀から同じことがされていたんだね。

パルテノン神殿のある南側にまわってみる。
すると、パルテノン神殿がちらちらと見え始めた!

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丘のふもとの手前に見える、3層の建物は161年に造られたイロド・アティコス音楽堂
アーチの並んだ3層の壁の奥には、6000人がすわれる観客席が階段状にあって、現在でも演劇やコンサート、オベラなどがここで上演されている。

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それはいいとして、肝心のパルテノン神殿。
残念ながらここからだと上半分しか見えない。
しかも、修復作業の足場が目立ってかっこよくない。

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実はパルテノン神殿がよく見える穴場の場所があるという情報を入手していた。
それは、新アクロポリス博物館
博物館自体は有料だけど、博物館内のレストランには無料で入られて正面にパルテノン神殿を見られるらしい。

古代遺跡の発掘現場をのぞき込めるように建っている、近代的なつくりの博物館。

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レストランのあるテラスに上ってみるものの・・・。

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び、びみょう~。
確かに向きはいいんだけど、やっぱり上半分しか見えない。

レストランのある階から1階の出口に行こうとエレベーターに乗る。
下るはずのエレベーターはなぜか上に行き、ドアが開いて降りるとそこは博物館の中だった。

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どうやら博物館の中に紛れ込むという奇蹟が起きたみたい。
レストランの階からエレベーターに乗ると下の階のボタンしか押せないはずなのに、外から誰かが押したのかエレベーターが上昇したっぽい。

アクロポリスの建物は当時、芸術性の高い美しい像や彫刻で飾られていたのだそう。
けれどそんな装飾品は戦争で持って行かれたり海外に流出したりして、今では遺跡にはほとんど残っていない。

そんな装飾品を集めて展示されているのがこの博物館。

今では大理石の色だけの地味なアクロポリスだけれど、当時はとても鮮やかに染色されていたんだって。
たとえば大理石の像も、マネキンのように肌や髪、洋服などに色がつけられていた。

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数々の出土品よりも、イクエとケンゾーの目を引いたのがこれ!
天井を見ると・・・。

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上を歩いている人のパンツが丸見え!!
ニヤニヤしながらずっと動画で撮っているおじさんもいた。

この上の階にも行ってみたんだけど、上の階からは下が暗くてこんなふうに透け透けになってるって気づきにくいんだよね。
どうしてこんな設計にしたんだろうね。

行けるところまで上にいくと、もっとパルテノン神殿が見えるかも。
さらに上の階に行ってみた。

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いいんだけどねぇ。
でもやっぱり上しか見えないと物足りない。

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15年の歳月を費やして紀元前432年に造られたパルテノン神殿。
当時はアテネの守護神アテナの巨大な像が祀られていたんだって。
上のほうに行くにしたがって細くなるドリア式の柱は高さおよそ10メートル。
太いところで直径2メートル。

2500年も前にこんな巨大な石の建物をどうやって建設したのか。
こんな木で造った滑車のようなものを使っていたみたい。

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博物館をあとにして、最後に向かったのはフィロパポスの丘
ガイドブックには「アクロポリスが真正面に見えて、展望もいい」と書かれていた。
期待できるかな。

でも登っている人はたったの2組。
たいして眺めがよくないからみんな登らないのか、それとも暑すぎて登る気力が失せるからか。

登ってみると、アテネの街並みとその先にエーゲ海が見えた。

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見下ろすアテネの街は、ますます雑然とした印象を与える。

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そんな見晴らしのいいフィロパポスの丘から見えたアクロポリスがこちら。

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いい!
ちゃんと下まで見える。
教科書で見てきたやつだ。

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これでアテネに思い残すことはない。

思いのほか長く滞在したヨーロッパともお別れ。
次はいよいよエジプト。
生ぬるいヨーロッパの旅から、緊張のアフリカ縦断の旅へ。

待ってろよ!アフリカ~。
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ギリシャ「メテオラ」☆☆☆ 神々が宿る天空の砦

2014.09.26 06:12|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
40歳の誕生日プレゼントに約180円の焼き菓子を買ってもらったケンゾーです。
すごく好みの味だったから嬉しかった!
旅に出て物欲がほとんどなくなったんだよねえ。
あ、でもカメラがまた壊れたから、できれば新しく買い直したいなあ。

ニョキニョキとそびえ立つ高さ500m以上ある奇岩群。
その切り立った岩の頂に建てられた修道院群。
「神々が宿る天空の砦」とも称されるメテオラ。
この自然と人間が造り出した不思議な光景は世界遺産に登録されている。

きのう紹介したアギア・トリアダ修道院をあとにして次の修道院をめざす。
しばらくすると、岩に埋もれるようにして建っているアギオス・ステファノス修道院のオレンジ色の屋根が見えてきた。

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一見すると平らな場所に建っているように見えるこの修道院。
近づいて全貌が見えてくると、そのロケーションにやっぱり驚かされる。

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巨大な岩の上に建つアギオス・ステファノス修道院。
横の岩と陸続きなのかなと思ったけれど、よく見ると一本の細い橋が渡されているだけ。

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巡礼者用の宿泊施設も備わっていてとても広くきれいな修道院。
岩の上に建っていることを忘れてしまう。

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アギオス・ステファノスは尼僧院。
観光客で混雑している修道院内では、たくさんの尼僧がチケット販売やお土産売りに忙しそう。
まあ、それも大事な仕事の一環なんだろうけど、なんだか違和感がないと言えばうそになる。

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残念ながら、すべての修道院の教会内部は撮影禁止。
今回は奇岩群と岩の頂きに建つ石造りの修道院が織りなす不思議で驚くような景色をメインにお伝えします。

アギオス・ステファノス修道院からは小さなカランバカの町並みを眼下に見下ろすことができる。
周囲を山に囲まれて、身を寄せ合うように建つオレンジ屋根の家々。
きっと中世のころからここから見える景色にそう変わりはないんだろうね。

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歩いて次の修道院へ。
カランバカから山の上に登ってしまえば、修道院間の移動は徒歩でも大丈夫。
歩を進めるたびに刻一刻と表情を変える奇岩と修道院。
きのう紹介したアギア・トリアダ修道院もここから見るとまさに孤高の姿。

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残りの修道院が見えてきた。
最盛期の15~16世紀には24もあったというメテオラの修道院群。
現在残っているのは6つ。

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ここに人が住みはじめたのは9世紀頃。
14世紀になり、セルビア人に追われるようにやって来た修道士たちが岩の裂け目や洞窟に住みはじめたんだそう。
今もここに住む修道士たちは厳しい戒律を守りながら共同生活を営んでいる。

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次にめざす修道院は下の写真右手のルサヌー修道院
もはや岩と一体化しているように見える。

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その前に奇岩の上でちょっと休憩。
巨大な岩が造り出す、人類には力の及ばない造形美に言葉が出ない。

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長きに渡る水や風の浸食によってでき上がったとされている奇岩群。
「怒り狂ったゼウスが天界から投げつけた岩石が残ったもの」という言い伝えもある。

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角度によっては空中に浮いてるようにも見えるルサヌー修道院。
1930年まで橋は架かっていなかったんだそう。

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いったいどうやって人や物を運んでたんだろうね。
左側に見えてる細いはしごで?
そもそも、どうやってこんな絶壁の上に修道院を建てたんだろう。

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メテオラで最初に建てられたメガロ・メテオロン修道院
1356年に移り住んできた聖アタナシオスが、数人の修行者たちと建てたんだそう。
修行者たちの情熱に言葉を失う。

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最古の修道院だけに歴史を感じさせる建物。
ほかのきれいすぎる修道院よりも味わいがあって親しみがもてる。

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岩を削って造られた115段の石段を上って入口へ。
入口から見えるヴァルラーム修道院の眺めが素晴らしい。

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14世紀に建てられたヴァルラーム修道院
宮殿や一流ホテルと見間違うような立派な建物が目を引く。

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岩壁を削った通路を抜けると目の前に岩の上に建つ修道院が姿をあらわす。
さらに石段を上って内部へ。

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何度も補修されているんだろう、壁画も天井もとても真新しい。

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教会内部には16世紀から17世紀にかけてのオリジナルのフレスコ画が残っている。
みんな外から窓越しに写真を撮っていたので1枚だけ撮らせてもらった。

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修道院内ではいたるところで補修作業が進行中。
こんなクレーンで下から荷物を吊り上げていた。

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下をのぞいて見ると、荷物を積み込んでいるのは全身黒ずくめの修道士。

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今はもちろんモーターで吊り上げているけど、昔は人力で吊り上げていたんだそう。
昔は修道院へ続く道もなく、人間も網に入れられて上の修道院へと移動していたというから驚く。

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黒ずくめの修道士たちが黒ずくめの修道士を吊り上げる。
申し訳ないけどかなりコミカルな光景だ。

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いまは、修道院の立つ岩の真下まで道路があり、そこからは階段がある。
といっても、階段は急で狭いので、こんなゴンドラも使われている。

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最後の修道院は岩の上にポツンと建つアギオス・ニコラオス修道院
こじんまりとしてとても素朴。

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さて、奇岩群と修道院群が造り出す不思議な複合遺産「メテオラ」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

不思議なかたちをした巨岩がそそり立つ光景は迫力満点で圧巻。
人間の力をはるかに越えた自然の驚異に鳥肌が立つ思い。

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そして断崖絶壁の岩の上に建つ修道院。
400~500年も昔にどうやってこんな岩の上に建てたのか不思議でならない。
修道士たちの神に近づきたいという思い、人間の持つ力に驚かされる。

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トレッキングを楽しみながら、自然と人類の素晴らしいコラボレーションを満喫してはいかがでしょう。

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教会にはあまり興味なくても充分に楽しめる。
ケンゾーとイクエは6か所のうち3つの修道院しか入場なかった。
内部よりも景色のほうが醍醐味じゃないかなあと個人的には思う。
バスやタクシーを使えば1日で観光できるけど、トレッキングで2日間かけて観光。
歩くたびに奇岩のかたちや景色が変わり、メテオラの景観を満喫できますよ!

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【旅 info.】
  メテオラa_DSC_0211_20140925223718826.jpg
メテオラ観光の拠点となるのはカランバカ・トリカラ・カストラキのいずれか。
奇岩が見えるホテルに泊まりたいなら割高なカランバカ。
安くすませたいならトリカラだが、離れ過ぎていて奇岩は見えずバスや電車で移動が必要。
メテオラにも近く、奇岩が目前に迫るホテルに泊まれるのはカストラキ。
けれどカストラキにはスーパーやレストランがあまりなくて不便。
カランバカのタウンホール広場(インフォメーションセンター近く)から毎日4便メテオラ行きのバスが発着、1.6ユーロ。
各修道院の入場料は3ユーロ。
それぞれ休日や閉館時間が違うので要確認。
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さすがアルバニア ヘンなスタンプでギリシャ入国

2014.09.25 06:09|ギリシャ☞EDIT
ケンゾーの誕生日にきのうはすき焼きをつくったイクエです。
ネギも買えたし、いまお世話になっている家に醤油もみりんもあったのであの味を再現できました。
さすがに豆腐やしらたきは手に入らなかったけど。

謎に満ちた国アルバニアから次に向かうはギリシャ!
それほど時間もないので、今回はメテオラとアテネだけを観光することに。
エーゲ海に浮かぶギリシャのロマンチックな島々も魅力的だけど、貧乏バックパッカーは思いっきり楽しめないことが目に見えてたので今回はパス。
リゾートの島ではそれなりのホテルに泊まってそれなりのおいしいレストランに行かないとね。
老後の楽しみに取っておこう。

アルバニアのサランダからまず目指すのは世界遺産に認定されているメテオラ

メテオラ

メテオラは田舎の街なので、直通バスはない。
まずは国際バスでギリシャのイオアニナに行ってそこでメテオラ行きのバスに乗り換えないといけない。

サランダからイオアニナまではおよそ4時間で1400レク(約1400円)。
ギリシャの次はアフリカ大陸の旅が待っているから、こんなちゃんとした国際バスに乗るのもしばらくはないだろうなあ。

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バスは峠を越えていく。
きのう見た、神秘の源泉ブルーアイのそばを通っていく。
森に囲まれたグランドキャニオンのような場所。
あの辺りにブルーアイはひっそりと存在している。

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山を下るとだだっ広い平原に出た。
向こうまで続く畑に、まっすぐの一本道。
日本の田舎の風景みたい。
奥に山もそびえて、阿蘇みたいだなあ。

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駆け足の旅となったアルバニアだったけど、「ベールに包まれた国」というキャッチコピーにふさわしく謎の多い国、そして国民たちだった。

「アルバニアはとても優しい人が多い」。
その言葉にも間違いはなかったと思う。

変わってるけど愛すべき国。
もう、ねずみ講で大人のほとんどが全財産を失って内戦にまで発展するというバカなマネはしないでね。

バスはアルバニアとギリシャの国境へ。
パスポートを回収され、出国スタンプを押される。
アルバニアともこれでおさらば。

のはすが・・・。
ない。

「ねえ、出国スタンプが押されてない。」
「俺は押されとるけど。」

最初からもう一度ページをめくって確認してみる。
最後のページにきたけど、やっぱりない。

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スタンプが押されるページのあとには注意書きのページがあって、さらにそれをめくると裏表紙になる。

「あ!こんなところに!
 なんでわざわざここに押すと?」

「やっぱりアルバニア人は変わっとるね!」

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白紙のページはまだあるのに、なぜあえてここに押したのか。
このスタンプは有効なのか?

まあ、これも不思議の国アルバニアの思い出ということで。

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ギリシャの入国ゲートでは一度バスを降りて歩いて、荷物チェックも受ける。

ヨーロッパ最貧国のひとつアルバニアから、古代から発展してきたギリシャに入ると景色も変わるかなあと思ったけどギリシャもなかなかの田舎。

イオアニナでメテオラ行きのバスにうまく乗り換えられるか不安だったけど、すぐに乗り換えのバスはやってきた。
イオアニナからメテオラまではおよそ2時間で12.5ユーロ。
たか~い。

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イオアニナの街は、ギリシャでもそこそこ都会らしいけどのどかな田舎だった。
ギリシャってイメージしていたよりも発展してなくてちょっと廃れてる。

メテオラの街が近づいてくると、ダイナミックで不思議な光景が車窓から見えてきた!

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メテオラは奇岩群で有名。
カッパドキアに恋をしてしまったイクエとしては、メテオラは外せない場所だった。
まさかこんな街の近くに奇岩がそびえてるなんて!
これは期待できる。

しかもメテオラを有名にしているのは奇妙なかたちの岩山だけじゃない。
その岩の頂上に建つ修道院。

修道院は複数あって「こんなところにどうやって建てたの?」と思わせる。
バスの窓からもさっそくそんな修道院が見えた。

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バスはメテオラのふもとのカランパカ駅前に止まった。
ホテルはすでに予約済み。
カランパカは小さな町でホテルの数も限られている。
ホテル代は安くないので多くのバックパッカーはここから離れた隣町に宿泊する。
でも、宿代がかかってもわたしたちはメテオラのふもとに泊まりたかった。

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奇岩に囲まれたカランパカの街。
「おお~」と感動しながらホテルへと向かう。

ネットで予約していたのはHOTEL REX。

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ダブルルームで40ユーロ。
わたしたちにとってはとても高いけれど、たまにはこんなのもね。
部屋にバスルームもあって、Wi-Fi、朝食ビュッフェ付き。
部屋のベランダや屋上からは奇岩や修道院が見える。

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雲の高さまで達している、細長い岩山。
てっぺんに目を凝らすと何かが動いている。

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人だ!
あんなところに登れるんだ!
あしたは絶対あそこまで行こう。

街を歩いていても、背後に岩山がそびえていてその組み合わせが現実離れしていてふわふわした気分になってくる。

なんかCGみたい。

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今にも岩が崩れて街を飲み込んでしまいそう。
絶妙なバランスで立っている巨大な岩。

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垂直に切り立った崖のふもとに建っているビザンティン教会。
11世紀に造られたもの。

石造りの古い教会は背後の岩山と一体化しているようにも見える。

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でも、この程度で「一体化」なんて言ったら岩の頂上に建つほかの修道院に失礼かも。
だって、こんなふうになってるんだもん。

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どうなってるんだろうね!
どうやって登るんだろう。

近くまでいって調べなきゃ。
あすの修道院の散策に備えて、今晩はレツィーナというギリシャのお酒で英気を養おう。

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レツィーナは松ヤニで香りづけされているワイン。
昔、ワインをヤギの革の袋に入れて木と松ヤニで栓をして保存していたら、それが溶けてしまってワインに混ざり「あれ?意外とこれおいしい!」となったのがレツィーナのはじまりだとか。

癖が強いと聞いていたけど、ほのかに香りがする程度で飲みやすい。
白ワインよりもアルコール度数が低く感じられ、暑い時に冷やしてごくごく飲みたくなる味。
500mlで1.1ユーロ。
庶民的な飲み物。

レツィーナを飲んだ翌日。
朝から岩の上の修道院を目指す。
ビザンティン教会の脇からトレッキングコースへと入っていく。

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岩の上の修道院は、侵入してきたセルビア人から逃れるために、14世紀に建てられたと言われている。
人里離れていて、たどり着くのも困難な岩山で修行者たちは祈りに専念してきた。
かつてはいくつも建っていたけど、今では6つの修道院が残っていて、いまも聖職者たちがここで暮らしている。

でもアクセスが悪かったのは昔の話。
じつは、いまでは舗装された立派な道路がある。
岩のふもとからバスも出ていて、誰でも利用することができる。

だけど、ここはあえて自分たちの足で登ることにした。

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バスでぱーっと行って到着して見学って言うのは味気ない。
昔の人のように苦労して登ることで、修道院に到着したときの感動を味わえるはず。
「人里離れた」っていうのを体感しないとね!

途中、カメさんと遭遇。
カッパドキアでも何度かカメに遭遇したけど、カメは奇岩好きなのかも。

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オリーブ畑を抜けて、林を通って、岩をよじ上って。
昔の人たちは、よくこんなところまで建材を運んだなあ。

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岩の上に建物が見えてきた!
ひとつめの修道院、アギア・トリアダ修道院
でも、あそこまでどうやって登るんだろう。

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岩山の真ん中あたりに目を凝らす。
岩をくり抜いたような場所に階段があるのが見えた。

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この岩山の高さは565メートル。
130段の階段は1925年に造られたのだそう。
じゃあ、造られる前はどうやって登ってたんだろうね。

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昔はこんな大きな釣り針のようなものを使って滑車で人や荷物をひっぱりあげてたみたい。

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修道院には入場料を払って入る。
ひとり3ユーロ。

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中は薄暗くてひっそりとしている。
こんな場所なら修行にも専念できそう。
誰にもじゃまされず、神と向き合える場所なのかも。

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修道院までは舗装された道路がつながっている。
昔は俗世間から切り離されていた場所だけど、いまは俗世間とつながっている。

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もちろん、いまでもここで修道士たちが生活している。
岩の上には修道院だけじゃなくて畑も。

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修道士たちがここで野菜を育てている。
いまでは完全に自給自足の生活ってことにはいかないだろうけど、きっと昔はアクセスも悪かったし自給自足で暮らしていたんだろうね。

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ここから見下ろす、下界の街。

トレッキングで汗ばんだ体を冷やす。
あ~あ、気持ちがいい!
よくあんな下から登ってきたなあ。

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岩の上に座って風に吹かれていると、仙人になったような気分になる。
たしかに、ここだと瞑想できそうだし、神に近づけそうな気もする。

この修道院からは、岩山に建つほかの修道院も見える。
いまは数は少なくなってしまったけど、昔はこんな修道院がいくつもあったのだと思うと違う世界に入ったような不思議な気持ちになる。

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イクエとケンゾーのメテオラの修道院巡りははじまったばかり。
あしたはケンゾーがほかの修道院について「世界遺産編」でお伝えします。

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ほかの修道院はどうなってるの?
こんなところに建てるなんて、やっぱり信仰心のなせる技はスゴい!
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神秘的な川のはじまり

2014.09.24 05:39|アルバニア☞EDIT
おかげさまで一昨日に誕生日を迎えて40歳になってしまったケンゾーです。
もう人生の折り返しを過ぎてしまいました。
旅に出て3度目の誕生日。
来年はどこで歳をとることになるのかなあ。

連夜のおしゃべり歩きに情熱を注ぐ「千の窓の町」に別れを告げて次の街へ。
6日後に迫るアテネからカイロへのフライト。
期日が決まった旅はどうしても気持ちに焦りが出ちゃって嫌なもんだ。

町外れにあるバスターミナルまで路線バスで移動。
このバスがなかなかのオンボロぶり。

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写真ではあんまり伝わらないと思うけど、かなりボロい。
いままで散々ボロいバスには乗ってきたけど、見事にTOP3に入るんじゃないかな。
ヨーロッパ最貧国の現状が見てとれる。

次の目的地はイオニア海に面したサランダという街。
ギリシャとの国境に近いリゾート地だ。

サランダ

ベラットからサランダまでは1200レク(約1200円)。
サランダまではおよそ6時間。
アルバニアの交通費は高くはないけど、特別安いというわけでもない。

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車に揺られること6時間。
山の斜面に建つ、わりと近代的な建物が見えてきた。
たしかにリゾートマンションっぽい建物。
アルバニアにもあるんだねえ、こんな街が。

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やがて青く輝くイオニア海が見えてきた。
いやあ、海を見るとやっぱりテンション上がるなあ。

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通りを歩く海パン一丁のおじいちゃん。
リゾート感の演出に一役買っている。

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サランダの街にバスターミナルはないので、中心部の路上で降ろされる。
バスを降りると待ってましたとばかりに寄ってくるホテルの客引き。
普段はあまり相手にしないんだけど、けっこう条件が良さそうだったので乗っかってみることに。
客引きのおじさんに連れてこられたのは、住宅街の奥まったところに建っている名前もよくわからないホテル。

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部屋は4つベッドがある広い個室でトイレ・シャワー共同、Wi-Fiありで1人1000レク(約1000円)。
頼めば上の階のオーナー一家のキッチンを使わせてもらえる。

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いちばんの魅力はオーシャンビュー。
ベランダから太陽に照らされたイオニア海を一望することができる。

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さっそくイオニア海へ。
白いパラソルで埋め尽くされたビーチは大賑わい。

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ビーチと言っても砂浜ではなくて小石が敷き詰められた浜。
グラデーションを描く海は透きとおってとてもきれい。

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山のふもとに立ち並ぶホテルやアパートメント。
立派で豪華そうな建物に混じって、ケンゾーとイクエの1泊2000円の安宿の姿も。

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ほぼ全ての部屋のベランダに洗濯物がはためいている。
さすが安宿、泊まっているのは同じような貧乏旅人だ。

建設途中の建物もかなり多い。
山の上へ上へと増殖を続けるホテルたち。

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はたしてこんなに需要はあるのかな?
市場経済に移行してまだ20年ちょっとのアルバニア。
国全体でねずみ講にひっかかったアルバニア。
なんだかまだまだ危ういね。

ここサランダの見どころは海。
ていうか海しかない。
のんびりビーチで日光浴&海水浴がハイライトなんだけど、リサーチの鬼イクエがおもしろそうな情報をネットから見つけ出した。

サランダから車で30分くらいの山の中に『ブルーアイ』と呼ばれている、とんでもなく青くてきれいな湖があるんだそう。
ひそかに湖フェチのケンゾーとイクエ。
そりゃ行くっきゃないでしょ。

バスターミナル代わりになっている街の中心地の路上に行くと、ミニバスが客待ちをしている。
ブルーアイに行くには、エルバサン行きのミニバスに乗って途中で降ろしてもらう。
バス代は1人200レク(約200円)。

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イオニア海に別れを告げどんどん山のほうへと走るミニバス。
しばらくするとビックリするほど青く透きとおった小川が見えてきた。

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写真じゃ分かりにくいけど、ええ?なんで?!っていうほど青いんだよ。
この小川の上流にブルーアイはあるのかな。
これはかなり期待できそうだ。

30分くらいでブルーアイの看板が出てくるので下車。
たぶん「ブルーアイ」で通じると思うけど、現地語では「シリル カルテル」。

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幹線道路から1kmくらい歩くと入場料を徴収するおっちゃんがいる。
入場料は1人50レク(約50円)。

しばらくすると湖が見えてきた。
のぞいて見ると・・・うん青い!

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でもこれはまだブルーアイではない。
めざす青い目はさらに1kmほど歩いた山の中。

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このあたりの土壌は世界でも有数の石灰岩質でできている。
中国の九寨溝もクロアチアのプリトヴィッツェも同じ石灰岩の土壌が、青く透きとおった神秘的な水を造り出している。
プリトヴィッツェと同じような景色が見られたら、ここはかなり穴場なスポットだ。

歩くこと20分、爽やかな川のせせらぎが聞こえてきた。
太陽に照らされキラキラと輝く川面。
その水は驚くほど透きとおり、絵の具を溶かしたように青い。

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自然のままにうっそうと生い茂る木々。
きれいな歌声を森に響かせる鳥たち。
さらさらと流れる青く透きとおった小川。
これ以上はなにもいらない、完璧なロケーション。

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世界中にはもちろん、日本にもたくさん川が流れている。
でも川の始まりを見たことってある?
子どものころ一度くらいは「川をずっとずっと遡っていったらどこにたどり着くんだろう?」って考えたことなかった?
ここブルーアイでは川が生まれるスタート地点を見ることができる。
下の写真の水着姿のおばさんがいるところが川の始まり。

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ブルーアイって湖かと思ってたんだけど、じつは水が湧き出る源泉のことだったんだよ。
濃い青色をしたところがブルーアイ。
ここから渾渾と大量の水が湧き出している。

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上から眺めていると吸い込まれそうになるブルーアイ。
これ以上ないってくらい透明な水なんだけど、底はまったく見えない。
それもそのはず、このブルーアイ、深さは少なくとも50m以上、実際にどのくらいの深さがあるのかよく分かっていないんだそう。
まさに地球の奥底から湧き出てるって感じで神秘的。

川岸を飛び交うきれいなトンボ。
青い水に青い羽。

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偶然なのか必然か。
自然って不思議で素晴らしい。

底の見えないブルーアイに次々と飛び込む若者たち。
頭からきれいに飛び込むとかっこいいけれど、足からだとちょっとダサい。

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小学校6年間水泳を習っていたケンゾー。
高飛び込みはしたことないけど、スタートの飛び込みは得意だった。
インストラクターに褒められて「みんなケンゾー君みたいに飛び込むんだよ」なんて見本にもなってたくらいだ。
よし、ここはカッコ良くほとんど水しぶきが上がらないように頭からズバッと飛び込んでやろう。

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バッシャーーーン!!
ひときわ高く舞い上がる水しぶき。
まさかのガニ股ダイブ。
30年前の過去を持ち出すのは金輪際やめておこう。

夕方前になると突然団体客が増えてきた。
こうなると神秘的なブルーアイも雰囲気台無し。
ここを訪れるのは午前中のほうがいいのかな。

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帰りはヒッチハイクに挑戦。
渋い車に乗ったおしゃべり好きなおじさんと、若者たちが乗った車2台を乗り継いでサランダに戻ってきた。

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ホテル近くの商店で食材を物色。
ビールでも買おうかなあと思っていると、ローカルワインを発見。
ラベルもなにも無く、瓶に詰められただけの見るからに怪しいワイン。

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泊まっているホテルもそうだけど、この辺りはどの家もぶどう棚があってたわわに実っている。
ほとんどの家庭で自家製ワインを作ってるんだろうね。

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2ℓ600円のローカルワインの味は・・・なかなか良かった!

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安物ワインによくあるざらつき感がちょっとあることはあるんだけど、味自体はしっかりとして深みもある。
ハンガリーのエゲルで飲んだような重量感のある本格的なワインだ。

暮れゆくサランダの街並みとイオニア海を眺めながらワイングラスを傾ける。
なかなか贅沢な時間。

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あしたはバルカン半島最後の国、観光大国のギリシャに移動します。
世界中に計り知れない影響を与えてきた歴史と文化と遺跡の国ギリシャ。
どんな国なんだろうねえ、お楽しみに!
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アルバニア「ベラットの歴史地区」☆ 千の窓の街

2014.09.23 06:28|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
きょう久しぶりに料理をすることができて嬉しかったイクエです。
料理好きってわけではないけれど2か月以上台所に立ってないと、野菜を切ったり茹でたり焼いたり自分の好きな味付けにしたりする行為のありがたさと楽しさが身にしみます。

謎多き国アルバニア。
軒下に下がった気持ち悪い人形を見ながらやってきたベラットの街。
日暮れとともに街のほとんどの住人が外に出て、300メートルの道路を何往復もするという光景が夜な夜な繰り広げられる街。
そんなベラットの街は、近くのギロカスタルの街とともに世界遺産に認定されている。

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世界遺産の街ベラットは、こんな言葉で例えられている。

「千の窓の町」

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丘の斜面に張り付くように建っている家々。
ひとつの家に同じ大きさの窓が等間隔で並んでいる。
壁よりも窓の部分のほうが多いんじゃないの?と思うほど。
千もの窓がこちらを向いている光景は圧巻。

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遠くからだと窓ばかりが目立つけれど、近づいてみると窓の存在は見えない。
石畳の狭い路地、高い壁。
日があまり差さず、ひっそりしている。
家と家の間を歩きながら、「千の窓」の理由がわかった気がした。

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山の斜面にへばりつくように建っている家々。
山側は日陰になっていて窓は造れない。
せめて日光が入る場所には窓をたくさんつけて、日射しをふんだんに部屋に取り入れたい。
そんなふうに思ったのかもしれない。

さらに窓があるのは2階。
窓は1階部分には取り付けられていない。
これは、外敵の侵入を防ぐためとも言われている。

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この世界遺産の街の中には、100年も200年も前の民家を改装したゲストハウスがいくつかある。
きょう泊まる宿はAna's Rest House.
石造りの白い壁にアーチ型の入口。

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歴史ある建物だけどうまくリフォームしていて、内部は現代の家と変わらず生活しやすい。
部屋数は少なくて収容できる宿泊者数に限りはあるけれど、贅沢にも共用の広いバスルームや自由に使えるキッチンもあって朝食付きでふたりで24ユーロ。

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朝食はテラスでいただける。
わたしたちのようなバックパッカーだけでなく、無理なくちょっと優雅に旅を楽しみたい短期旅行の人たちも満足できるような宿。

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やわらかな朝の光に包まれた「千の窓の街」。
きょうもあの窓から、たくさんの光を室内に取り込むのだろう。

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太陽が昇って、散策へ。

坂道ばかりで、車が入らない狭い路地で活躍するのは家畜たち。
昔と変わらない風景。
昔ながらの暮らし。

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この路地がどこへ続いているのか。
高い壁の奥にはほんとうに住人がいるのか。
自分だけどこかの時代に迷い込んでしまったよう。

とりあえずあの教会に行ってみよう。

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アルバニアではイスラム教徒が7割をしめる。
けれどアルバニア正教やカトリックの人たちもいて、こんなふうに街には教会や修道院も共存している。

アルバニア正教は東方正教の流れを汲むもの。
内部は素朴で落ち着きがある。

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木の祭壇に飾られたイコン。
あたたかみのある、白い土壁と濃い色の木の組み合わせ。

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ベラットはオスム川を挟んで両方の丘に集落が向かい合うように形成されている。
わたしたちが泊まっているのはオスム川の南のゴリツァ地区。
川向こうのマンガレム地区にも行ってみることにした。

真っ白な壁。
そして、これまでに多くの人たちが歩いてきたことを物語る、光沢のある石畳。

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「こんなすてきなところに住めたら」なんて思うけど、地元の人たちは買物袋を抱えて息を切らしながらつらそうに坂道を上っている。
世界遺産の街に住むっていうのも大変だね。

変わった造りの民家もある。
頭でっかちの家。
石造りの1階が、突き出た漆喰の2階を支えるように建っている。

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そして細い木の柱が一生懸命屋根を支えている。

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今にも折れそうな細い柱。
波打った屋根。
頑丈そうな石造りの1階部分。

そのアンバランスさが、味わいをかもしだす。

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丘を登りきったところにそびえるのはベラット城。
紀元前4世紀にはここに砦が造られていたのだそう。
古代から街の人たちを守ってきた。

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周囲2キロほどの城壁。
城壁の中にも集落がある。
民家が並び、地元の人たちがふつうに生活している。
こんな頑丈そうな石造りの建物なら、これから何百年も壊れずに使われていくだろうね。

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城壁の中にはいくつかの教会がある。
そのほとんどは13世紀に造られたもの。
丸い屋根に赤茶けたレンガ。
ぼってりとしていて親しみがわく。

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城壁の中は子どもたちのかっこうの遊び場。

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にぎやかにボールあそびに興じるグループもいれば、ひとりで探検ごっこをしている男の子も。
壊れたイヤホンは無線機代わり?
「あっちから、敵が攻め入ってきてるぞ~!」

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オスマン帝国時代の街並みが保存されたベラットの街。
ここから見下ろす街並みはまるでおもちゃみたい。
わたしたちのホテルも、このどこかにあるはず。

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一枚一枚、色の違う瓦。
このいびつな美しさは、工場で大量生産される瓦には出せないもの。
伝統的な手法を受け継いで、先祖代々の家を上手に補修しながら大切に使いつづけていく。

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夕暮れを迎えた「千の窓の町」。
西陽を受けた白壁がオレンジ色を帯び、千の窓にはカーテンがおろされる。

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きょうも一日の役目を終えた千の窓。

太陽に代わって照明が灯り、白い家々はライトアップされる。
暗闇に浮かび上がって幻想的。

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きょうも一日おつかれさま。
またあしたも、この窓からたくさんの日の光を取り込んでね。

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さて、「千の窓の町」と称される世界遺産の「ベラットの歴史地区」。
「星いくつ?」

「星、1つ!

あじわいのある街並みはとてもすてきだけど、集落は素朴で、地元の人たちがあたり前のように生活しているのを見ると「世界遺産」という大げさな言葉が似合わないなって感じる。

けれど伝統的な家を守る集落は人類の宝として後世に残ってほしいから、やっぱり「世界遺産」として大切にしていかないとね。

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集落自体は大きくないし、とくに見どころがあるわけではない。
のんびり滞在して、ゆっくり散策するのがこの街の楽しみ方。

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「♪ 千のか~ぜ~に~ ♫」と口ずさみながら、風に吹かれて千の町を散策したイクエでした。


【旅 info.】
  ベラットの歴史地区a_DSC_0119_2014092300342804c.jpg
バスターミナルは歴史地区から離れた場所にあり、そこから路線バスに乗り換え。
歴史地区にゲストハウスは何軒かあるが数は多くないので予約したほうがいい。
地元の人も生活している城壁内だけど、時間帯や入口によっては観光客は入場料を徴収されることもある模様。
ベラットとともにギロカスタルという「白と黒の町」も世界遺産に登録されているので時間がある人はそちらに立ち寄ってもいいかも。

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気持ち悪い人形にただ歩く人々 変だよアルバニア

2014.09.21 06:12|アルバニア☞EDIT
コーヒー好きで日本にいるときも必ず毎日飲んでいたケンゾーです。
今までミルクならまだしも、コーヒーに砂糖を入れることなんて絶対になかった。
けれどコーヒーの本場エチオピアでは、みんなこれでもかってくらい砂糖を入れて飲んでるんだよねえ。
ほんとに尋常じゃないくらいの砂糖の量。
せっかくのコーヒー原産地なのに、コーヒー本来の味を誰も味わってないことにかなり幻滅してる今日この頃・・・。

駆け足だったけれど旧ユーゴの国々を楽しんだケンゾーとイクエ。
バルカン半島の旅の最終目的地はギリシャのアテネ。
アテネ発エジプト・カイロ行きのフライトチケットは購入済み。
残された日にちが少なくなってきたので、どんどん南下していかないと。

ケンゾーとイクエにとってがっかり遺産だったオフリドから向かうのは、お隣のアルバニア共和国
このアルバニアという国、『地球の歩き方』では「ヨーロッパで最も謎に満ちていると言われる国。長い間ベールに包まれてきたその姿は、まさにバルカンの秘境と呼ぶにふさわしい」と紹介されている。

じつはこの国、かつての日本とおなじように鎖国をしていた歴史がある。
ただおよそ400年も前のことだった日本と違って、アルバニアはなんとほんの20年前の話。
第二次大戦後に鎖国政策を開始し1978年に完全な鎖国状態へ。
1990年代に鎖国が解かれ、市場経済が導入されて初めてバナナピザを知った国民も多かったほどの筋金入りの閉鎖国家だったアルバニア。

共産主義国家だったにもかかわらず、ユーゴスラビアや中国とも対立。
しまいには旧ソ連を仮想敵国とし、国民ほぼ全員に銃器をばらまくという無茶苦茶な政策を実施。
一切の宗教活動が禁止されていたので、現在イスラム教徒が大半を占めるとは言えそこまで敬虔ではない。
けれどコソボ紛争の時には宗教を巡ってセルビア人と殺し合いにまで発展したという、もう何がどうなってるのか訳のわかんない国。

さらに極めつけは、1990年代後半に国内にねずみ講が蔓延。
ほんの数年前まで鎖国していたので国民が無知だった&政府が黙認していたことも手伝って、国民の半数がねずみ講に関与。
最終的にはアルバニア国民の3分の1が破産したんだそう。
国民の3分の1ってことは、たぶん大人ほぼ全員ってことだと思うよ。
どんな国なんだ、アルバニアは?

ケンゾーとイクエにとって全てが未知の国アルバニア。
そんな謎だらけの国にも世界遺産がある。
オスマン朝時代の古い街並みが見どころのベラットという町をめざして移動開始。

ベラット

ここマケドニアのオフリドからベラットまでの移動はなかなか面倒くさい。
まずはミニバスに乗って国境近くのストゥルガへ。
オフリド 〜 ストゥルガは1時間ちょい、40デナリ(約90円)。

世界遺産のオフリド湖沿いを走るバス。
晴れて天気がいいとなかなかいい景色ではある。
でもやっぱり絶景というほどではないなあ。

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町外れにあるストゥルガのバスターミナルでアルバニアのエルバサン行きの国際バスに乗る。
このバスターミナルが市街地からけっこう離れたところにあって見つけるのが大変だった。
何人も訊ねてやっとたどり着いた。
ストゥルガ 〜 エルバサンは660デナリ(約1500円)。
朝10時発の1日1便しかないので要注意。

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エルバサンまではおよそ3時間。
出発して15分でアルバニアとの国境だ。

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快晴の空の下、緑豊かな山道を走るバス。
まだこの段階では自然たっぷりでのどかな国という印象しかない。
はたして「謎に満ちた国」って言うのは大げさな宣伝文句に過ぎないのか?

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エルバサンでは幹線道路で降ろされた。
タクシーの客引きをかいくぐり、人に聞きながらバスターミナルへ歩いていく。
ベラット行きのバスは400レク(約400円)。

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まだアルバニアのお金「レク」をATMで下ろしてなかったんだけど、バスのドライバーに「いいから、いいから。早く乗った、乗った!」と急かされてバスへ。
まあ、ベラットに着いて下ろせばいいか。

ベラットまではおよそ2時間半。
マケドニアからアルバニアに入ってすぐに感じたんだけど、今まで旅してきた旧ユーゴの国と比べて道が悪い。
幹線道路といっても舗装なんてされてないボコボコの道を土煙を上げて走るバス。
とてもヨーロッパとは思えない。

ヨーロッパで最貧国と言われているアルバニア。
鎖国が解かれた矢先に国家レベルでねずみ講被害、まだまだインフラも充分に整っているとは言えず経済的には厳しそう。

ロバや馬が人や物を運び、道路脇に野菜や果物の露店が並んでいる。
心がほっこりとするのどかな景色。

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なんだけど、そんなのどかさを吹き飛ばす光景にケンゾーとイクエは釘付けに。
「なんかさあ、気のせいかもしれんけどさっきから。」
「うん、わかる。
 なんかあるよね・・・。」


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車窓から見える家々の屋根や壁に奇妙な物体がいる!!

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たまたま数軒だけかなと思っていたけど、次から次に。

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なに?この気持ちの悪い人形みたいなもの。
これほとんどの家に飾って(?)あるんだけど、みんな違う人形。
かわいらしさの欠片もなくて気持ち悪くてホラーでしかない。

時々クマのぬいぐるみとかかわいい系もあるんだけど、吊り下げ方が怖すぎる。
首を吊られてるようにしか見えないよ。

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こっちは、はりつけにされてる!

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昼間だからまだいいけど、夜にこれが目に入ったら叫んじゃうよ。
ホラー系からもはや何なのかさえ判別不能な人形までバリエーションは豊富。
ていうか、人形だったらなんでもいいのか?

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人形じゃなくて、壁にただ服を張り付けただけってのもある。

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いったい何なんだこれ?
おまじない?魔除け?それとも悪ふざけ?
まさかのただの天日干し?
アルバニア変すぎるよ〜。

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気持ちの悪い人形を見つけるのに夢中だったバス移動。
途中ATMで無事にアルバニア通貨のレクを下ろしてベラットに到着。
「千の窓の町」と呼ばれているほど窓だらけのベラット旧市街。
世界遺産の街並みは明日たっぷりお伝えするとして・・・。

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この世界遺産の町にも・・・やっぱりあった!

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でもこの町の人形はまだかわいさがあるから大丈夫。
やっぱり観光客がやって来る世界遺産の町だから自主規制してるのかな。

あとからホテルの人に聞いたら、やっぱり魔除けの意味があるんだって。
悪魔が家に入ってきませんように、家族に不幸なことが降りかかりませんようにっていう願いを込めて人形を吊り下げるんだって。
それならそれで、気持ち悪いやつじゃなくてキュートなやつにして欲しいよ。

住み込みで宿で働いているアルゼンチン人のスタッフに「夕方以降に町のメインストリートに行ったらおもしろいものが見られるよ。自分も最初見たときは何かと思ったよ。アルバニア人は変わってるから。」と言われた。
旧市街・新市街含め人口およそ6万人のベラットには旧市街以外見どころはない。
町のメインストリートと言ってもとくに何かある訳ではないんだそう。
ていうか、昼間は人っ子一人おらず閑散としている。
下の写真の真ん中を走る道がそれ。

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そんな寂れたメインストリートが夜になるとどうなるのか?

陽が沈むころを見計らって、さあやって来ました、町いちばんのメインストリート。
おお、すごい人ごみ。
みんなここに何しに来てるんだ?

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みんなが何をしに来ているのかしばらく観察。

・・・・。

え〜っと、まさかの歩いてるだけ!
お話ししながら通りを歩いてるだけ!!

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通りにはカフェが数軒あるだけ。
ショッピングを楽しむでもなく、ひたすら歩く。

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祭りじゃないよ、これが毎日の夜の風景。
着飾った人たちがただ通りをおしゃべりしながら歩いてるだけなんだよ!

子どもから年配の人まで老若男女問わず。
仕事仲間のおじさんグループもいれば、中学生くらいの男女別のグループ、母と娘、近所のおばさんグループ・・・。
「そろそろ行こうか」
そんなふうに誘いながらここに集まっていることを想像すると、おもしろく感じてしまう。

誰がはじめたのか、いつからブームになったのか。
宿のアルゼンチン人が言うには、ここは商店街でもレストラン街でも何でもないんだけどなぜか歩行者天国になってて、町で唯一の歩行者天国を満喫しようと今ではほとんどの住民がこの場所に夜な夜な繰り出しているんだそう。

このメインストリートの長さは300mくらい。
みんなおしゃべりに夢中とは言えあっという間に端までたどり着いてしまう。
端まで来たらどうするか?
そりゃ折り返すでしょう。
みんなおしゃべり歩きを楽しむために歩いてるんだから。

じっと観察しているとだいたいみんなが折り返すポイントが分かってくる。
だいたいこの辺りで折り返すグループが多いかなあ。
誰かが合図をするでもなく、自然に足を止めて向きを変えて再びもと来たほうに歩き出す。

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毎日日が暮れるころになるとこの通りに町中の人たちがここに集まるんだって。
しかも歩くためにシャワーを浴びて化粧をしておしゃれな格好に着替えて!

あまりにも健全と言うか健康的と言うか、いや、やっぱりヘンだよアルバニア。

話に花が咲き、深夜まで話し声が絶えないベラットの町。
「千の窓」に明かりが灯っていないのは、みんな外におしゃべりしに出かけてるから、かな?

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一日の最大の楽しみであるおしゃべり歩きに満足した人たちは家路へ。

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またあしたも日暮れが待ち遠しいね。
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旅した旧ユーゴスラビア こんな国

2014.09.20 06:10|ヨーロッパ☞EDIT
旧ユーゴスラビア圏は6/16~7/15に旅しました。
ケンゾーにとってははじめて、イクエは10年ぶりの旧ユーゴ圏。
共存していた民族同士が殺し合った紛争からおよそ14年、物理的にも心理的にもいまだに多くの爪痕が残っていた。
民族とはなにか、宗教とはなにか、人はどこまで残酷になれるのか。
美しい景色に癒やされながらも、いろいろと考えされられた旅になった。
そんな旧ユーゴスラビアの旅を振り返ります。

◇旅の費用はいくら?

旧ユーゴ各国でいくら使ったのか発表します。
  
スロベニア (5日間)       35,095円
クロアチア (8日間)       46,185円
セルビア  (5日間)       15,127円
ボスニア・ヘルツェゴビナ(6日間) 26,291円
モンテネグロ(3日間)       12,644円
コソボ   (4日間)       16,988円
マケドニア (4日間)       12,068円

合計  16万4398円
約5,669円/1日2人で

いちばん高くなったのはスロベニアで1日あたり約7千円。
およそ半分を占めている交通費が高かった。
安かったのはセルビアとマケドニアで1日約3千円。
スロベニアとクロアチア以外の国々は交通費もホテル代もぐっと安くなる。
居心地のいいゲストハウスも多いし、沈没スポットとして穴場なんじゃないかな。


◇移動手段はこうでした

長距離バスが網羅していて、国際バスも頻繁に出ている。
バックパックをトランクに入れる場合、荷物代を取られることも多い。
注意しないといけないのは旧ユーゴの国はいまだに隣国同士で問題を抱えているので、コソボからセルビアに入国するバスが運行されていないなど不便なこともあること。
ありそうでない路線も多いのでリサーチが必要。

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クロアチアなどはバスの往復割引が受けられることもあるので、往復する予定の人はあらかじめ帰りの切符も買っておくとお得。
セルビアでは長距離バスよりも電車のほうが半額くらいの安さで利用できることも多い。

クロアチア・ザグレブの市内交通はトラムやバス。
自分で車内の改札機に切符を通すシステムで、一見すると改札機に通さずにノーチェックで無賃乗車できそうだけど、たまに私服の見回りの人がチェックしにやって来て高額の罰金を取られることもあるので注意!
(下の写真のオレンジの機械が改札機)

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ヒッチハイクも比較的簡単にできるので、時間がある方はヒッチハイクで旅するのもいいかも。


◇こんなお宿に泊まりました

ほかのヨーロッパの国に比べて断然宿代は安い。
スロバキアやクロアチアの観光地は高いけれど、ほかは10ユーロ以下で泊まれる。
とくにマケドニアは安い。

インターネットの予約サイトを利用すると通常よりも安く宿泊できる宿も多い。
注意しないといけないのは、直接宿で延泊を申し込むとインターネットの割引料金ではなく正規料金が請求されることが多いこと。
ネットで1泊予約し、その宿に着いて2泊以上したくなってももう一度ネットから申し込んだほうが安くなる。

内戦が終わって10年以上が経ち、ようやく観光にも力を入れはじめる余裕が出てきた旧ユーゴの国。
泊まったゲストハウスにはできたばかりのところもあって、これからバックパッカー向けのホステルが増える予感がする。

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◇これが一番うまかった!

ケンゾー 「ビール」
食事はほとんどホテルで自炊だった。
物価が安い旧ユーゴの国々。
ビールももちろん安い。
日本ではお目にかかれない1.5ℓや2ℓのペットボトルビールが1ユーロくらいで買える。
ちょうどワールドカップの時期だったから、冷蔵庫でキンキンに冷やしたビールを飲みながらよくサッカー観戦をしていた。
やっぱり酒が安く飲める国っていいね。

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イクエ 「ザグレブのアイスクリーム」
ザグレブっ子に人気の老舗アイス店。
今回ザグレブは3回目だったけど、このアイスクリームを食べることがザグレブに行くいちばんの楽しみだった。
お気に入りはピスタチオ。
ピスタチオ本体の甘さと爽やかさが楽しめておいしい。
ほかのフレーバーも濃厚でクリーミー。
ダブルで14クーナ。
クロアチアはイタリアに近いからジェラートがおいしいのも納得。

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◇おすすめ!!一番良かった場所

ケンゾー 「コトル」
単純に観光地として良かったのは、美しい自然とかわいらしい古い街並みが見事にコラボしているモンテネグロのコトルかなあ。
複雑に入り組んだ海岸線、ワイルドでダイナミックな山並み、湾の奥に隠された旧市街。
山の上の城壁から眺めるコトルの景色は絶景だった。
居心地のいいゲストハウスでは自炊ができるし、物価も高くないのでもうちょっとゆっくりのんびりしたかった。
超有名観光地ドブロブニクはもちろん素晴らしいけれど、つねに観光客でごった返しているし物価も高い。
せっかくならちょっと南下して、小さいけれど雰囲気抜群のコトルまで足を運ぶことをおすすめします!

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イクエ 「ヒッチハイク」
イクエにとっては初めてではなかった旧ユーゴスラビアの国々。
10年以上前に訪れたときは戦後間もなくだったのでヒッチハイクで旅するなんて考えられなかった。
まして、ヒッチハイクで国境を越えてコソボに入国するなんて。
民族同士が殺し合った国だけど、それぞれの人たちはみんな親切でよそ者であるわたしたちをあたたかく迎えてくれる。
今回駆け足での旅行となったけど、もう少し時間があればもっとたくさんヒッチハイクに挑戦したかったし、カウチサーフィンもやってみたかったなあ。
旧ユーゴの国々は、ほかのヨーロッパの国よりも華やかさはないし発展していない。
だけどその分素朴だし、人々は英語ができなくても積極的に話しかけてくれてフレンドリー。
旧ユーゴの旅の醍醐味はそんな人たちとの交流にあると思う。

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◇ふらり ゆるり 旧ユーゴスラビアの感想は?

ケンゾー
ユーゴスラビア紛争終結から14年。
どうしても血なまぐさい歴史や今も残る民族間のしがらみが付きまとう旧ユーゴ圏の旅。
どの街にも漂うちょっと重苦しい雰囲気に、切ない気持ちになってしまうこともあった。
けれど、そこに住む人たちはどの民族であってもとてもフレンドリーで親切。
宗教が入り乱れ、東洋と西洋の文化が融合し、素朴な生活・文化が残っているのでヨーロッパらしからぬ「旅してる感」を充分に味わうことができる。
物価も安いので人と触れ合いながらもっとゆっくり旅したかったなあ。

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イクエ
少し前まではひとつの国だった旧ユーゴスラビア。
分裂してから10年以上が経ち、それぞれが個性を出して今となってはひとつの国だったことが想像しにくくなっています。
スロベニアやクロアチアはいかにもヨーロッパ的だし、セルビアは旧社会主義国の雰囲気が残っているし、ボスニアやコソボはイスラム色の異国情緒が漂っています。
旧ユーゴ圏はほかのヨーロッパの国よりもゆったりとした時間が流れていて、物価も安く、ほかのヨーロッパの国を渡り歩き忙しく観光をした旅人が羽を休めるにはちょうどいい場所。
アジアとヨーロッパの文化が融合する場所はトルコと言われるけど、旧ユーゴの国々でもアジアの香りを感じることが多々あってひと味違うヨーロッパ旅行が楽しめると思います。
おおまかに民族ごとに国が分かれた旧ユーゴの国々だけど、それぞれの国には少数派の民族がいて、その人たちが差別を受けることなく幸せに生きていけることを願っています。

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やっぱり変だよマケドニア

2014.09.18 06:02|マケドニア☞EDIT
母直伝の熱冷まし法のおかげで風邪がほぼ回復したケンゾーです。
鼻声でたまに咳がでるけどすぐに治ってよかった。
リアルタイムではただいま「世界一過酷」と言われているツアーに参加中。
風邪がぶり返さずに乗り切れるといいんだけど。

銅像だらけのへんてこな街スコピエに見切りをつけ、次に向かうはアルバニアとの国境に近いオフリド

オフリド

オフリド湖周辺の美しい自然と、湖畔に広がるオフリドの街は世界遺産に登録されている。
マケドニア屈指の観光地で、オフリドを絶賛している旅人やブログも多い。
自然と文化の複合遺産ということは、セルビアのコトルみたいなところかな?
それだったらかなり期待できそうだ。

スコピエからオフリドまでバスで2時間半、450デナル(約1020円)。
オフリドのバスターミナルは湖や旧市街からおよそ2km離れたところにある。

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今回泊まる予定の宿はスコピエで泊まったゲストハウスの姉妹店。
旦那がスコピエ、奥さんがオフリドの宿を切り盛りしている。
ゲストハウスはバスターミナルから歩いて5分、住宅街の一画にある。

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ここが「HOSTEL VALENTIN」
スコピエの宿と同じ名前だ。
ここも看板がなければここがホテルだとは絶対に分からない。

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ドアを開けて中庭に入ると・・・なんだコイツ!?
なんかヘンなヤツがやって来た!

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めっちゃブサイクやん!!
目が、目がなんかおかしい!

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不細工すぎる看板犬がいるこの宿。
スコピエの旦那さんから「個室を使わせてあげるよ」って言われてたんだけど、ゲスト用の部屋が空いてなくて旦那さんのおばあちゃんの部屋があてがわれた。
ひとり6ユーロ。

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せっかくテーブルがあるのに、おばあちゃんに「部屋でご飯を食べたらダメ!」とかちょいちょい小言を言われるけど、まあいいか。
旦那さんに姑を押し付けられて奥さんもちょっと大変そう。

宿から歩いて湖へ。
しばらく歩くとだんだん人通りが多くなってきた。

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ここがオフリドの目抜き通りなんだけど、看板だらけで雑然としていて騒々しい。
まったく魅力的でないザ・観光地。
ちらほら歴史的な建物や雰囲気のいい店があるんだけど、全体としてはパッとしない。

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極めつけに、こんな趣味の悪いカジノまであるもんだからテンションだだ下がり。
これが世界遺産のある街並みか?
かなり幻滅。

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気を取り直して湖へ。
これまでいくつもの美しい湖を見てきたケンゾーとイクエ。
はたしてオフリド湖はどんな景色を見せてくれるのか。

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・・・。
ふつう、だよね。
天気が悪いのを差し引いても、スロベニアのブレッド湖の足元にも及ばない。
晴れ渡るとコトルみたいな絶景が姿をあらわすのかな?

湖畔に建ち並ぶレストランやカフェからは大音量の音楽が垂れ流しで雰囲気ぶち壊しだし、旧市街の街並みもいまいち。

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これがオフリドの伝統的な家屋。
白い壁と窓の多さが印象的。

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出窓が道路側にはみ出しているのが特徴なんだって。

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観光客で賑わう伝統家屋があるのでのぞいて見る。
紙すきの実演販売をしているお土産屋だった。
ピンクのネイルアートと革ジャケット姿で紙をすくというアンバランスさが受けてるのか、店内はえらく混み合っている。

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オフリドの景色や民族衣装を印刷したものが10ユーロ。
なかなかいい値段だけど、けっこう売れている。
どうせならお姉さんもこの衣装を着て実演すればいいのに。

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一見すると真新しい新興住宅地のような旧市街。
どの家も手入れが行き届いてきれいに保たれている。

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なかには鉢植えに強いこだわりをもったこんな家も。

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丘の上には西暦前2世紀に造られた古代ローマ劇場もある。
夏場には演劇や演奏会などさまざまなイベントが開催されるんだそう。

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現在もマケドニア正教会の大主教座が置かれ、中世よりスラブ地域におけるキリスト教文化の中心地として栄えてきたオフリド。
かつては365もの教会があり、「マケドニアのエルサレム」と呼ばれていた時代もあったんだそう。
今でも残る歴史的な教会巡りもオフリド観光の目玉。

こちらは聖パンテレモン教会
オリジナルは893年に建てられ、オフリドで最も古いと言われている教会。
現在の教会は2002年に再建されたもの。

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敷地内には現在も発掘作業中の遺跡が。
初期キリスト教時代のモザイク画がわずかに残っている。
あまり保存状態はよくないけれど、美しいデザインは見応えがある。

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描かれている動物がちょっとコミカルでかわいらしい。

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この辺りは発掘作業と並行して、いたるところで工事が進行中。
もっと整備して観光客を呼び込もうとしているんだろう。
ただ、その方向性がちょっと危うい。
完成予想図のようなものが掲示されてるんだけど、目を疑ってしまった。

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丘の上のぽつんとある教会を取り囲むように現代的なビルが建つ。
勝手に期待して来たものの、なんだか残念でしかない街だった。
元々は、古き良き時代の面影を残す素朴な街だったろうに。

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10年前にオフリドに来たことがあるイクエは、街を見てため息ばかりついていた。
「昔の面影がない。」

岬の先端に建つ聖ヨハネ・カネヨ教会
オフリド湖を見渡せるこの素朴な教会は、オフリドを代表する教会。

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イクエが言うには、繁華街から外れているこの教会は森の中をしばらく歩いてようやくたどり着き、突然目の前に現れる「孤高の教会」といった雰囲気が魅力的だったんだって。

だけど、いまでは教会への近道が湖畔につくられ、オープンカフェが並んでいる。
音楽が流れ、ひっそりとした「孤高の教会」のイメージはない。

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イクエが以前ここに来たときは、バックパッカーの利用する安宿がないかわりに一般の家庭の空いた部屋を貸し出す民宿が一般的で、イクエは湖の近くの家にお世話になっていたのだそう。
キッチンではお母さんが薪で料理をし、納屋には蛇口のついた大きなワイン樽が置いてあって自家製の赤ワインを注いでくれて、人々が素朴な生活を送る自然豊かな場所だったらしい。

イクエが言った。
「あのときのオフリドの思い出をずっと胸に秘めておけばよかった。
ここに来ないほうがよかったかも。
決めた。
もうチベットのラサには絶対行かない。
昔行ったときはチベット人の街だったけど、きっと今は中国人の街になってしまってショックを受けるから。
あのときのラサの思い出だけをずっと大切にしておこう。」

首都のスコピエといい、国内一の観光地オフリドといい、マケドニアはちょっとおかしな方向に行ってるように思える。
そのうち、観光客からそっぽを向かれる、なんてことにならないといいんだけど。
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世界一変な首都

2014.09.17 06:14|マケドニア☞EDIT
小さいとき風邪をひいたときは必ず母がリンゴをおろし金ですった「すりおろしリンゴ」を食べていたイクエです。
あとはグレープフルーツゼリーやミカンゼリーなんかを母が買ってきてくれたので、それがわたしと姉の風邪をひいたときの楽しみでもありました。
母としては、風邪をひいたら食欲がなくなるのでおいしいゼリーでも食べさせようという考えだったのかもしれません。

旧ユーゴ圏の国々を南下していきギリシャを目指しているイクエとケンゾー。
コソボの次に向かう国はマケドニア。
首都のスコピエを目指す。

スコピエ

バスターミナルでハンバーガーを買う。
旧ユーゴの国は、意外とご当地ハンバーガーがおいしい。
鉄板で焼いてくれた肉を大きなパンに挟んで。
ケチャップやマヨネーズもたっぷりかけてくれる。

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普通のハンバーガーの2倍くらいの大きさはある。
今回は牛肉のハンバーグじゃなくてチキンにした。
お値段2ユーロ。

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コソボの首都プリシュティナからマケドニアの首都スコピエまではバスでおよそ3時間と近い。
運賃はひとり5.5ユーロ。
ヨーロッパの国際バスとしては安い。
やっぱりバルカン半島の国々は物価がかなり安くて旅人としては助かる。

バスは国境を通り、スタンプを押してもらってマケドニアに入国。

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マケドニアは人口わずか200万人の小さな国。
国土は九州の3分の2ほど。
マケドニアの人口のおよそ3分の1は首都のスコピエに住んでいるんだって。

スコピエに来るのは大学の卒業旅行以来、10年ぶり。
高層ビルはほとんどなく、ゆるやかな流れのヴァルダル川の近くにこじんまりとしたイスラム風の旧市街があった。
首都とは思えないほど静かで、建物がぽつんぽつんと建ち、空いた土地が多かったのが印象に残っている。

バスはスコピエの街へと入った。

あれ・・・?
ほんとうにここスコピエ?
こんな建物あったっけ?
なんか・・・なんか・・・
すごいことになってる!?

西ヨーロッパの歴史的な建物をマネしたような安っぽい派手な建物が密集している。
建物と建物の間に強引に新たな建物をつくろうとしている。

スコピエはどうなっているの?

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嫌な予感がする。

スコピエの現在の街の様子が気になるけれど、とりあえず宿にチェックイン。
バス停の近くの古びた団地の一室にあるhostel valentin
存在感のない看板に、あやうく素通りしそうになった。

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ネットの予約サイトでドミトリーを予約。
ひとり7ユーロ。
共用スペースは狭いけど、ベッドがカーテンで仕切られるのがいい。

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オーナーの男性はアメリカに住んでいたこともあるマケドニア人。
妻はオフリドで別のゲストハウスをやっているので、男性単身でこの宿の切り盛りをしている。
妻と離れて暮らし自分の身の回りのことをやるのも精一杯なのに、客室のベッドメーキングやバスルームやキッチンの掃除などひとりでやらないといけないので手がまわらない様子。

なかなかいいゲストハウスなのに、このままだと破綻しそうだなあ。

オーナーの男性は、面倒見は良くて地図を広げて街のおススメポイントを教えてくれた。

近くのおいしいレストランも教えてもらった。

行ってみたはいいけれど、オープンテラスの席もあって制服を着たウェイターたちがいて見るからに高そう。
やめようかと思ったけれど、宿のオーナーが言っていた「安いから」という言葉を信じて中に入ってみた。

恐る恐るメニューを見ると、お手頃な値段!

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ビールに前菜の盛り合わせ、これに揚げたチーズのフライやベーコンの包み焼き、フライドポテトもつけて330デナル(750円)。

マケドニアはヨーロッパの中でも物価が安い国のベスト3に入るかも。
ちなみに、バス停のカフェで買ったピザは1カット70デナル(約160円)。
1カットと言ってもかなりのボリューム。

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腹ごしらえもしたので、気になっていたスコピエの街を確認しに行ってみよう。

のどかな川沿いを歩き、古い石橋を渡って、イスラムの旧市街へ。

だけど、川沿い、全然のどかじゃなくなってる!
なに?
この成金趣味のような建物はなに?
川に沿って威圧感のある建物が建ち並んでいる。
まるで安っぽいテーマパーク。

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しかもバルコニーや屋上には何体もの銅像。
いったいこれはなんなんだろう。

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しばらく進むと新しい橋が見えてきた。
そしてここにも!

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銅像の下にはモデルの名前も刻印されている。
マケドニアの有名人らしいけれど、全然知らない。
作家とか、ミュージシャンとか、学者とか。
最近の若い人も多い。

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人口200万人のマケドニア。
少しでも有名な人を一生懸命寄せ集めたような感じ。

立派な、でもどこか安っぽくて偽物のような真新しい建物は続く。

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裁判所とか〇〇省とか政府機関の建物らしい。
オペラ座まで造っていた。

よく分からない像は、街のあちこちに。
スコピエの街には何百人もの銅像がある。

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少しでもスペースがあれば、とりあえず銅像をたてておこう!という考えなのだろうか。
交差点の真ん中にまで。
この交差点にいったい何体の銅像があるんだろう。

高さ22メートルの像と噴水。

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どれも真新しくて中途半端で趣きもない。
これをつくるためにどのくらいの税金が投入されてるんだか。

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この銅像や成金趣味の安っぽい建物や意味不明のモニュメントからは、汚職の匂いがする。
日本でも田舎の街で、どう考えてもいらない施設やモニュメントをめぐり汚職が明るみになることがある。
政治家が知り合いの業者に建設を発注し、莫大な公金を業者に支払い、裏で業者から謝礼として見返りをもらう。
これも絶対そうなんじゃないの?

のどかなマケドニアの首都が、なんか変な方向に進んでいる。
はっきりいって悪趣味。
イタリアやフランスなど、ほかのヨーロッパの国に憧れて今の政治家がこんな町づくりを進めているのだろうか。

凱旋門・・・らしい。

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何の凱旋かわからないけど、門の上には「マケドニア」とだけ刻まれていた。

中途半端なモニュメント。

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たしかにイタリアやフランス、イギリスにはこれを10倍大きくして長い歴史が刻まれたようなものが威風堂々と存在してはいるけど、こんな小さくて安っぽいコピーはまるでパチンコ屋さんの飾り。

コソボで出会った欧米人のバックパッカーがすでにスコピエを訪れていたので「スコピエはどんな街だった?」って聞いたら「銅像、噴水、銅像、噴水、銅像、噴水ばっかりで、おかしな街!」と笑いながら言っていた。
そのときは「スコピエってそんなに銅像あったけ?」って思ったけど、ほんとうに彼女の言った通り。

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街を歩いていたら、バスが一緒だった外国人のカップルとはちあわせた。
「ハロー。この街、変ですね。」
「うん。銅像ばかりですごく変わってる街だね。」
苦笑いして言い合う。

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あとで泊まっているホテルのオーナーに聞いたら
「ほんとうにあれは馬鹿らしい。
政治家が狂ってる。
税金をたくさん使って、業者から賄賂をもらってるんだよ。
しかも業者は地元の業者じゃなくて海外の(ギリシャだったかな)業者だから、もうかるのは政治家と外の人間。
公共事業で地元が活性化するってわけにもならないんだ。
税金はここ数年でどんどん上がってるんだよ。」

って言ってた。

変な建物や銅像は今もつくられつづけている。
多くのモニュメントやランドマークをつくる計画は「スコピエ2014計画」と言われているものらしく、費用は5億ユーロらしい。
2014年のいまもどんどん新しく造られていっているし、実際の費用はもっとかかっていそう。

変な船のモニュメントも川沿いに何艘も点在している。
まるでハリボテ。
これを作って、なんになるんだろう。
子どもたちの遊び場とはならなそうだし。

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もっと街を盛り上げたいなら、ほかにやりようがあると思う。
安っぽいモニュメントをつくりつづけても、観光客が集まるとは思えない。
何もなかった昔のスコピエのほうが風情があってよかった。

せっかくの文化財を活かす努力をすれば、もっと魅力ある街になるのに・・・。

ギリシャまで流れ、最終的にはエーゲ海に注ぐヴァルダル川。
街を貫くヴァルダル川には15世紀に造られた石橋、カメン・モストがある。

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派手な建物や銅像で飾るよりも、もっと中世の雰囲気を出す演出ができればいいのに。

カメン・モストの先にはイスラム寺院やイスラム式公衆浴場ハマム、オリエンタルな雰囲気漂うバザールが広がる。

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マケドニアはオスマン帝国によって征服された。
1392年から520年間も支配下に置かれ、トルコのイスラム文化の影響を強く受けた。

イスラム風のバザールには、石畳の狭い路地に沿って小さな店が軒を並べている。

けれど閉じている店も多く、活気がない。
人もまばら。

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雰囲気はあるのにもったいない。
銅像や変な建物を造るお金を、このバザールのテコ入れにまわせばもっと活性化して、店を開ける人も多くなり、観光客も集まるのになあ。

街の高台にあるのはスコピエ城塞。
スコピエには紀元前4000年ぐらいから人が暮らしていたらしく、この城塞の近くからは新石器時代の集落の跡も見つかっているんだって。

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もともとの城塞はビザンティンによって6世紀に造られたのだそう。
ここからスコピエの街並みが一望できる。

だけど目に飛び込んでくるのは、隙間なく派手な建物や銅像で埋め尽くされたごちゃごちゃの街並み。

変な建物はいまもどんどん建設されている。
この建物の密集具合。
圧迫感さえ感じる。

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街のランドマークだった歴史ある白い時計塔は、もはや高い像や建物に囲まれてしまって存在感がなくなってしまっている。

どこに向かってるんだろうねえ、このスコピエの街は・・・。

そんなスコピエの街は、マザー・テレサの出身地でもある。

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アルバニア系カトリックの家庭に生まれたマザー・テレサ。
18年間ここで過ごしたのだそう。

マザー・テレサがここで過ごしていたときは、きっとこの街はいまと全然違ったんだろうなあ。

うじゃうじゃある銅像に呆れることくらいしかできないスコピエの街。
スコピエの街から路線バスで少し北に行ったシュト・オリザリという街に、ロマ(ジプシー)のヨーロッパ最大規模の集落があるらしい。
ロマとはもともとインド北部に住んでいた人たちで9世紀ごろから移動生活をし、今ではヨーロッパやアメリカなど世界中に散らばっている。
生活環境は質素で教育を受けることを好まない人も多く、小さい子どもも路上で物を売ったりしている。
その日暮らしで所得も低く、ヨーロッパではロマによるスリなどの犯罪も多いし、うとまれる存在。

という固定観念でロマを見てきたけれど、もしかして彼らの暮らすコミュニティに行ったら印象が変わるかもしれないなあ。

その場所への行き方を宿のオーナーに聞きたいけれどなかなか切り出せない。
「恐いもの見たさでそんなところに行くって思われるかな」「スコピエの人にとっては観光客には見てほしくない、負の場所なのかなも」「ただの好奇心で行くのはデリカシーがなさすぎるかな」なんてことを考えると、行き方を質問するのに尻込みしてしまう。

ケンゾーに「行きたいんなら早く聞きなよ」と背中を押され、恐る恐る聞いてみた。
すると、宿の人はあっさりとバスの乗り方を教えてくれて「何か買いたいの?」と言った。
どうやらそこではバザールが開かれていて、ロマの人たちが安い品物を売っているらしい。
「安いなりに質は悪いけど、自分もたまに買物に行くよ」と宿のオーナーは答えた。
「危なくないですか?」
「どうして?全然危なくないよ」

イタリア旅行のときは、駅の券売機の脇にロマが待機していてお釣りを奪っていかれそうになった。
列車では「席が違う」とウソをつかれ、「あなたの席を教えてあげる」と言われている間にバッグを開けられスリ未遂にあった。
信号待ちしている車のフロントガラスを強引に清掃し、お金をねだるロマも見てきた。
だから、差別をしてはいけないとわかっていても、やっぱりロマには関わらないほうがいいと思っていたし、彼らと接触したら犯罪の被害に遭うんじゃないかという不安もあった。

でも、そこのロマの集落は危なくないらしい。
どんなところなのか。
観光客がわざわざ来てるとバレたら嫌な顔されるかな。
カメラなんてぶら下げてたらダメだろうな。
不安になりながらバスに揺られること30分。

ついに集落が見えてきた!

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浅黒い肌の色、黒髪、瞳の色が茶色いロマの人たちがたくさん歩いている。

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通りにはずらりと衣料品店が軒を並べていて、奥まったところに入ると市場がある。
もちろん店の人はロマの人たちで「いらっしゃい」「お探しのものは?」とか「どこから来たの?」と気さくに声をかけ、普通に接客をしている。

ロマの人たちが「普通に」店をもち、「普通に」働いているというのは、いままでのロマの印象と違ってとても新鮮に映った。

でも、よく考えたらあたり前。

ほとんどのロマの人たちは、ほかの民族と変わらず一生懸命働いて稼いで家族と暮らしているのだ。

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お店の商品は、ワゴンセールの洋服、山のように無造作に置かれた大量の靴。
ほかよりも安いのでマケドニア人たちがたくさん買物に訪れていた。

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路地に入れば、住宅が建ち並び子どもたちが元気に遊んでいる。
馬車が通るあたりがロマの街、といった感じはするけれど、家の前には車も路駐されていて「普通に」車を所有しているロマの人も多いんだとあたり前のことにハッとする。

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もちろん長屋の質素な住宅もあって、最初はそれが目につき「やっぱりロマの人はこんなところで生活しているんだ」って思ったけど、よく考えればどの国でもどの民族でも低所得者もいれば高所得者もいて、質素な集合住宅はどこにだってある。

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よく手入れされた庭のある立派な家だってある。
一生懸命働いて成功したロマの人がいても不思議ではない。
「ロマ=貧しい」「ロマ=世間から外れた人」という偏見を、知らず知らずのうちに自分がもっていたんだと気づかされる。

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カメラを向けるとポーズをとる明るい子たちもたくさんいる。

いまではロマとほかの民族との混血も進んでいるのかもしれない。
彼らが「ロマ」としてヨーロッパに渡ってきて1000年以上経つのだから、もはや色眼鏡で彼らを分ける必要なんてないのかもしれない。

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「なんか、普通だね。」
「うん、思ってたのと違うね。」
「でも、そうだよね。これがあたり前。」

ちょっと緊張してこの地区に来たけれど肩透かしをくらったような、「な~んだ」と予想を裏切られたような気持ちになったわたしたち。

そして「差別はだめ」なんて思いながらも、自分たちがいつのまにかロマの人たちを偏見の目で見ていたということに気づかされ、ちょっとスッキリした気持ちになったのだった。
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ひとつの民族が消えた街

2014.09.16 06:27|コソボ☞EDIT
久しぶりに風邪をひいてしまったケンゾーです。
すこし熱があるので母直伝の秘策で療養中。
その秘策とは・・・とにかく厚着をして寝て汗をかく!
子どものころから熱が出た時は汗かき作戦だった。
40歳になる今でもこの技を使ってるんだけど、妻の反応は「ふ~ん・・・」。
冷ややかな妻を横目にありったけの服を着込んで必死に汗かき中!

セルビアからの独立をほぼ成し遂げ、一見すると平和な生活を取り戻したかに見えるコソボ。
けれど、いったん殺し合いにまで発展してしまった民族・宗教対立は、まだまだここに住む人々に深い影を落としている。

きょうは朽ち果てようとしている世界遺産のセルビア正教会があったプリズレンから、首都プリシュティナへ移動。
バスの車窓から広い敷地をもつKFOR(NATO主体の国際部隊)の駐屯地が見える。

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ここはドイツの部隊だろうか。
コソボ紛争終結から15年。
他国の部隊が撤退する日はいつやってくるのか。

プリズレンからプリシュティナまでは4ユーロ。
およそ1時間半でプリシュティナのバスターミナルに到着。

プリシュティナ

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新しい街に到着したとき、最初に乗り越えないといけないハードルがある。
それは、ホテルまでどうやって行きつくかということ。

駅もバスターミナルも繁華街も一か所に集まっていて、どこに行くのも徒歩圏内っていう小さな町だと心配無用。
大きな街でもメトロやトラム、外国人にも路線が分かりやすいバスがあれば大丈夫。
問題なのはその中間。
ターミナルや駅から公共の交通手段があるのか分かりにくい、そして歩くには街が大きすぎる場合。

プリシュティナはまさにそういう中途半端な街。
バスターミナルからホテルまでおよそ4km。
バックパックを背負って歩くにはちょっと遠い。
けれどバスターミナルの周囲にはタクシーの姿しか見えない。
幹線道路まで出ると客待ちしてる乗合いワゴンが見つかったんだけど、言葉が通じなくてどれが街のセンターに行くのかさっぱり分からない。

しばらく奮闘したんだけど諦めて、普段は使わないタクシーに乗ることに。
どうでもいいことなんだけど、タクシーを使っちゃうとなんだか「負けた」感じがするんだよね。
「あ~あ、まだまだダメだなあ」なんて思ってしまう。

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バスターミナルからホテルがあるセンターまで値切って3ユーロ。
あとでホテルのオーナーに聞くと「3ユーロで乗れたんならいいほうだよ」って言われたけど、やっぱりタクシーは贅沢な乗り物だ。

ネットで予約した宿は「HOSTEL PRISHTINA」
団地のような建物の一室で、看板も小さくてパッと見はここにゲストハウスがあるなんて分からない。

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部屋は6ベッドドミトリーで1ベッド8ユーロ。
Wi-Fi、キッチンありで、共有スペースも居心地がいい。

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コソボ紛争の際には激戦地となったプリシュティナ。
深刻なダメージを受けた街は、いまだに復興の道半ばにある。
そんなプリシュティナの街の一画にあるのが・・・

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ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領の銅像。
セルビアを空爆し、独立を後押ししてくれたクリントンとアメリカはコソボでは英雄扱い。

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ちなみに、この銅像が置かれている前の通りは「ビル・クリントン ストリート」。
ここまでアメリカ大好きな国もほんとに珍しい。
ほかにも、自由の女神が屋根の上にのっかってる、その名も「VICTORY」というホテルもある。

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宿の近くにあるマーケット。
いまはラマダン(イスラムの断食月)中なんだけどなかなか活気がある。

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人で賑わうマーケットを見ると景気がいいように見えるけれど、コソボはヨーロッパ最貧国のひとつ。
自分たちでは生活が成り立たず、25%の世帯が国外に住む親類縁者からのお金に頼っているんだそう。

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プリシュティナの目抜き通り。
両サイドにブティックやレストランが並んだまだ真新しい通り。

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路上にはアクセサリーやおもちゃを売る露店が並んでいる。
どの国でも見かけるよくある光景。

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風車に風船、ほのぼのした微笑ましい光景。
でも国旗柄の風船は珍しい。
青いコソボと赤いアルバニア。
こんなところにまで見え隠れする民族意識。

キャーキャー叫びながら噴水で遊ぶ、紛争後に生まれた子どもたち。

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その子どもたちの背後には、紛争でなくなったアルバニア人の写真が掲げられている。

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電光掲示板で次々に映し出される犠牲者のプロフィール。

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忘れてはいけない悲劇だけど、紛争を知らない子どもたちに過度な民族意識を芽生えさせ、争いを煽ることがないように願うのみ。

紛争前はプリシュティナの人口の15%ほどいたセルビア人。
NATO軍がセルビアを空爆しはじめると、セルビア人がアルバニア人を虐殺。
紛争後セルビア軍が撤退すると、逆にこんどはアルバニア人がセルビア人を虐殺。
ほとんどのセルビア人は逃げ出し、現在プリシュティナにセルビア人はほぼいないんだそう。

セルビア人がいなくなったプリシュティナから離れることおよそ10km、数少ないセルビア人たちが暮らすグラツァニッツァという村に世界遺産になっているセルビア正教の修道院がある。
ホテルのオーナーに乗合いワゴンでの行き方を教えてもらったけれど、乗ったワゴンがぜんぜん違うところに行ってしまった。
他の客は降りてしまって、そのままワゴンのおじさんがグラツァニッツァまで送ってくれることになった。
ワゴンを5.5ユーロでチャーター。
20分くらい車を走らせると突然街中にセルビアの国旗が翻るようになった。
セルビア人の村、グラツァニッツァに入ったみたい。

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ゲートや境界線などはないけれど、コソボにあってコソボではないセルビア人が住む小さな村。
村にはキリル文字があふれ、通貨もセルビアディナールが使われているんだそう。

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そんな小さなセルビア人コミュニティの中にあるのが世界遺産のグラツァニッツァ修道院
趣きのある石造りの塀には鉄条網が張り巡らされている。

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1310年に建てられたグラツァニッツァ修道院。
ビザンチン建築の傑作と言われているんだそう。

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内部は上から下まで鮮やかなフレスコ画で埋め尽くされ、厳かな雰囲気に包まれている。

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観光客に混じってKFORの軍人たちの姿も。
教会と軍服、宗教と争い・・・歴史的には切っても切れない繋がりがあるけれど、どうしても違和感をぬぐいきれない。

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芝生が青々と茂る庭園で結婚写真を撮影しているセルビア人カップル。
きっといま、幸せの絶頂にいる笑顔のふたり。

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小さな村で肩身の狭い思いをして生きているコソボに住むセルビア人たち。
どうかこの笑顔が永遠に続きますように。
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「なくなればいいのに」と思われている世界遺産

2014.09.15 05:59|コソボ☞EDIT
いまでも1日1回はコーヒーを飲みたくなるイクエです。
日本にいるときは1日5杯くらい飲んでたかも。
朝に自宅で、そして職場で。
イライラしているとき、リフレッシュしたいとき、「おつかれ」と自分をいたわりたいとき。
子どものころはコーヒーは苦くて嫌いだったけど、浪人中の受験勉強のときに眠気覚ましでがんばって飲みはじめて好きになりました。

コソボ第2の都市で観光地とも言えるプリズレン。
太っ腹なゲストハウスもあるし、川沿いに発展した昔ながらの街並みも美しい。

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古い石橋にモスク。
丘の上の左側に見えるのは城塞。
「プリズレン」という地名は「要塞」という意味なんだって。

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この要塞に上ってみることにした。

コソボ紛争では大きな被害は免れたと言われているプリズレン。
それでも紛争によって破壊されたと見られる家々がところどころに放置されている。

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紛争前はプリズレンの住人の8割近くはアルバニア系住人だったけれど、紛争中は恐怖心を感じたり出て行かされたりして多くのアルバニア人がここから離れたのだそう。
逆に紛争が終わると、今度はセルビア系住民とロマなどの少数民族が危険を感じてほとんどがこの地から去っていった。

路地では紛争を体験していない子どもたちが無邪気に遊んでいる。

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まだ水面下で問題を抱えているコソボだけど、この子たちがこれからも戦争なんて体験せずに成長しますように。

丘からは、通りを走る軍の車が見える。
NATO主体の、コソボを安定させるための国際部隊KFORの車。

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紛争が終わって10年以上経つのに、こんなふうに軍の姿がまだいたるところで見られる。
丘の上からはKFORの広い敷地も見えた。
白い建物が並ぶところがKFORの駐屯地。
いつまでここに存在しつづけるのかな。

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要塞からの眺めは想像以上に圧巻だった。
赤い屋根ばかり、びっしり。

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最近イクエとケンゾーの間でブームの、ミニチュア加工にした写真をどうぞ。

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目立つのは、モスクの高いミナレット(塔)。
赤い屋根の家々の間から、にょきっと立っている。
いったいこの街にいくつのモスクがあるのだろう。

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でも、この街にあるのはモスクだけではない。
教会だってある。

左手のミナレットのあるモスクのすぐ後ろに見える、モスクとよく似た色合いの建物はセルビア正教会のセントジョージ(聖ゲオルギイ)教会。

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紛争中は、セルビア軍はイスラム教徒のアルバニア人への嫌がらせとしてモスクを破壊した。
そのいっぽう、アルバニア系勢力が巻き返した2004年には反セルビア人暴動が起こり、今度はセルビア正教会の施設や教会関係者の住居がアルバニア系群衆の復讐によって破壊されてしまったのだそう。

要塞からの帰り道、セルビア正教会の聖サヴァ教会があった。
屋根がなく、室内の柱が上から見えている。

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とても歴史ある建物だったはずなのに、無惨な姿になってしまっていた。
いまならまだ手を加えれば、美しく修復できるはずなのに。

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残された壁には、イコン(宗教画)が描かれていたのがわかる。
イエス・キリストの絵。
きっとセルビア人からしたら、信仰の対象がこんな状態で放置されているのは、とても屈辱的なこと。

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紛争によって、お互いの宗教施設を壊しあった。
紛争後、壊された宗教施設を修復するのは勝者だけの特権なのか。

歴史や文化が刻まれた建物は、宗教うんぬんではなく人類の大切な遺産として守っていかなければならないと思うのに。

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たくさんの壁画が描かれていたであろう教会のドームの天井は、黒く汚れ、もはや美しいものではなくなっていた。

ふたたび街へと下りてきて、さっき城塞から見えていた大きなモスクの中に入る。
華やかに装飾されたドームの天井。

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さっきの教会と、歴然とした差がある。

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これまでいろんな国でモスクを見てきたけれど、アラブや中央アジアのモスクとはまったく違う雰囲気。
「ヨーロッパ」の雰囲気が漂っている。
ピンクを使い、あでやかなバラをあしらった装飾はまるで宮殿のよう。

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このモスクは城塞から見たとき、セルビア正教の建物と並んで見えていたもの。
モスクの奥にあった、そのセルビア正教のセントジョージ教会にも行ってみることにした。

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モスクには自由に入れたけど、この教会はUNMIK(国連の暫定統治機構)とKFORが管理していてパスポートをチェックされた。
入口には「教会への破壊行為や略奪は犯罪であり、必要であればその犯罪をやめさせるためKFORが武力行為にでます」と注意書きがされていた。

どんな教会なのか楽しみにして入ったのに、装飾はなくガランとしていて殺風景で驚いた。

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箱をつくったのはいいけれど、まだ装飾までは追いついていないといった感じ。
1856年に建てられたもとの教会は、2004年に完全に破壊されてしまったのだそう。

切なくて、寂しい気持ちになった。

ここプリズレンの街は戦争の被害もほとんどなくコソボいちの観光地と思っていたけど、やっぱりここにも戦争の陰はあって、この街にある歴史的な建造物は対立によってないがしろにされている。

この街には世界遺産がある。
セルビア正教のリェヴィシャの生神女教会。
1306年から1307年に造られたものでビザンチン建築の美しい教会。
芸術的にも価値のあるフレスコ画があって、東側のビザンチンと西側のロマネスクを融合させたものらしい。

気を取り直してそこに行くことにした。

プリズレンの街には、真新しい銅像をいたるところでみかける。
武器を持った兵士のような男たち。

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UCK(コソボ解放軍)のメンバーたち。
セルビアからの独立を求めて戦った戦士たちは、感謝や尊敬の対象に。

けれど、このUCKは紛争中に警察官やセルビア人の一般市民を虐殺したり、セルビア人女性を強姦するなど残忍なことをおこなっている。
セルビア人、クロアチア人、ロマなどを対象としたUCKによる殺害や強制移送は「民族浄化」とも言える。
UCKの挑発に乗るかたちで、セルビア軍はコソボの攻撃を強化したとも言われている。

コソボ紛争は、独立を求めるコソボに対しセルビア側が武力でそれを食い止め、セルビアがアルバニア人をはじめ他の民族たちを民族浄化したことがクローズアップされる。
そしてそんなセルビアの暴挙を食い止めるために、アメリカがセルビアに爆弾を落とした。

けれど、実際には紛争はそんな単純な正と悪の構図ではない。

UCKは資金集めのためにアフガニスタン産のヘロインを販売していたことも明るみになっている。

セルビアが撤退し、UNMIK(国連の暫定統治機構)の管理下に入ったあとも彼らによる他民族への殺害や人身売買、セルビア正教会の破壊などがあとをたたず、セルビア人や少数民族の人権は無視され迫害を恐れて彼らがコソボから逃れていることが問題となっている。

けれど、アルバニア人が大多数になった今、コソボはもはやアルバニア人の国のようになってしまって、ほかの民族のことは無視され、UCKは尊敬の対象。

ほかの民族にとってはとても生きづらい国なのだと思う。

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赤い地に黒い双頭の鷲のマークは、お隣の国アルバニアの国旗。
コソボの国旗ではないのに、このアルバニアの国旗をまるでコソボの国旗のようにいたるところに掲げてある。

ほんとうのコソボの国旗は、青地にコソボの国が描かれその上に6つの星がついている。

コソボ


6つの白い星は何を意味するのか。
ここに生きるアルバニア人、セルビア人、トルコ人、ロマなど6民族との調和や団結を表している。

アルバニア民族主義を掲げる人たちにとっては、そんな国旗は使いたくないのかもしれない。

たどり着いた世界遺産の教会。
フェンスに囲まれ鉄条網が張り巡らされ、閉鎖されて中に入ることなんてできなかった。

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管理されておらず、庭には雑草が伸び放題。
敷地内は物置のようになっていた。

ここに住む大多数の人たちにとって、セルビア人の教会なんて邪魔なものでしかないのかもしれない。
このままだときっとこの世界遺産は朽ち果ててしまう。

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平和になったコソボに、世界からたくさんの人たちが訪れてほしい。
わたしたちのすばらしい国を知ってほしい。

そんなふうに思っているコソボの人たちは多い。

だったら、この世界遺産を殺すことなく手入れし観光地のひとつとすることで、もっと多くの人たちがここを訪れるのに・・・。

世界遺産があるかないかで、観光客の数はずいぶん変わると思う。

いまどうにかしない限り、人類の宝である遺産がひとつ、地球上から姿を消してしまう。

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閉ざされた柵の向こうには、歴史的にも芸術的にも価値があるとされるフレスコ画が見えた。
檻に閉じ込められたようなマリア像。

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こちらを見つめるそのマリア像は、泣いているように見えた。
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太っ腹なゲストハウス

2014.09.14 06:26|コソボ☞EDIT
人生においてケンゾーの100倍は蚊に刺されていると確信しているイクエです。
小さいころから人よりも蚊に刺されやすいわたし。
血液型はO型のRHマイナスで、珍しい血だからなのかな。

コソボを旅しているイクエとケンゾー。

コソボの観光情報はほとんどないので、どこに行けばよいのかいまいちわからない。
そんななか、プリズレンを目指すことにした。
プリズレンはコソボの中でも比較的大きな都市で、歴史もあり街並みもきれいで世界遺産のセルビア正教会もあるらしい。

プリズレン

プリズレン行きのバスはすぐに見つかった。
およそ2時間の移動で運賃はひとり4ユーロ。

車窓からはとっても小さな移動遊園地が見えた。
中国なみにいかがわしいキャラクターがあるのは、コソボっぽい。

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NATOが宿敵セルビアを打ちのめしてくれたことでアメリカ大好きのコソボ。
大好きなのに、まだ本物は侵出してくれてないのかも。
マックっぽい「カリフォルニア」という名のハンバーガー店。

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コソボはほとんどが田舎。
広い畑に小規模の集落がぽつぽつ。

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破壊された廃墟もあれば、新しい建物が集まっている集落もある。
きっと戦争でなくなった集落もあれば、戦後に新しくできた集落もあるのだろう。

花で飾られた墓地も見える。

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アルバニアの国旗がはためいている。
ということは、きっとセルビア軍によって殺されたアルバニア人のお墓。
お墓に刻まれている文字を拡大して見てみたら、すべて亡くなった日は1999年3月26日だった。
コソボ紛争の末期に、いっぺんに虐殺されてしまったのか、集落が襲撃されてしまったのかもしれない。

バスはプリズレンの街に着いた。
同じバスにはオーストラリアのバックパッカーの男性二人組。

「ホテル決めてる?」
「city hostel」
「俺たちもそこ」

みんなでcity hostelを目指す。

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コソボにバックパッカー好みのゲストハウスがあるなんて想像しにくいけど、このcity hostelはバックパッカーに絶賛されている。

でも、みかけはシンプルな建物。

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もちろん、宿代も高すぎず、居心地のいいドミトリーや清潔なバスルーム、広い共用スペースにWi-Fi・・・という必要条件は兼ね備えている。

バックパッカーに絶賛されるには、プラスアルファがないといけない。

そのプラスアルファがこちら。
レセプションのカウンターの上に注目。

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ウェルカムドリンクとしてビール!
しかも、飲み放題。

「ここにボトル置いとくから、好きなだけおかわりしてね!」

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お酒飲み放題のゲストハウスはグルジアでも経験している。
ワイン飲み放題のホステルジョージア。
でもここのワインは、味にムラがあり酸っぱいし、飲むと舌が紫色になるし、人によっては下痢になるという、得体の知れない手作りワインだった。

でも、このゲストハウスで振る舞われるのはちゃんとした市販のビール。

ビールだけじゃなくて、コーヒーやお菓子も好きなときにもらえる。

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さらに朝食もついてドミトリーでひとり11ユーロ。
知らなかったんだけど、ここプリズレンはヨーロッパの中でトップクラスのナイトライフを楽しめる場所らしい。
ナイトライフって言ってもいやらしいヤツじゃなくて、おいしくて安くお酒が飲めるバーやいい音楽が楽しめるクラブが充実しているのだそう。
だからヨーロッパの旅人はこのゲストハウスでゆっくりして夜は街に繰り出す人も多いみたい。

長居したくなるゲストハウスの条件には、これも。

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眺めのいいテラスや屋上がある。

宿を選ぶときはテラスがあるかないかなんて重視しないけれど、これまで結果的に好きになった宿には眺めのいいテラスがあるところが多かったなあ。

で、夜はこの屋上でこんなことが行なわれる。

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バーベキューパーティー。
お肉を次から次に焼いてくれる。
大食いの欧米人だらけなのに焼いた肉があまるほどだった。

最後まで信じられなかったんだけど、これ、タダ!!

しかも、ここでもビール飲み放題。

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バーベキューは毎日ってわけではなさそうだけど、頻繁にやってるみたい。

コソボとはいえ、ここはヨーロッパ。
朝食も夕食も飲み物もついて、11ユーロなんて破格の値段。
赤字じゃないかと心配するほど。

きっとオーナーやスタッフは、たくさんの外国人に来てもらうことを喜んでいるのだと思う。
これまではずっと戦争ばかりで、観光に来る外国人なんていなかったし、世界からは「コソボ=戦場」と思われていた。
オーナーやスタッフたちの、旅人にコソボに来てほしいという想い、独立を果たしたこの国への愛が伝わってくる。

街を歩けば、笑顔で迎えてくれるプリズレンの人たちがいる。

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現在ネット環境が悪いので、短いけれどきょうはこの変で。
あしたは、このプリズレンの街を紹介します。
コソボいちの観光地とも言える街はどんな街?
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軍に守られる世界遺産

2014.09.13 05:37|コソボ☞EDIT
妻は毎夜ノミやダニの被害に遭っているのに、一刺しもされないケンゾーです。
ベッドが違うならまだしも、ひとつのベッドに並んで寝てるのになんでだろう。
体からノミやダニが嫌いな匂いを発しているのか、はたまた血がマズいのか?

セルビアからの独立を求めた紛争後、2008年に独立宣言を採択したコソボ。
アメリカやイギリス、そして日本など106か国から独立の承認を受けているけれど、国連の安保理で拒否権を持つロシアや中国は非承認。
「他の国の支配下にはないけれど、独立国ではない」という宙ぶらりんな状態にあるのが現状。

そんなコソボには世界遺産が1件ある。
それはペヤ(ペーチ)、デチャニ、プリシュティナ、プリズレンにある教会・修道院群。

人口の90%以上をイスラム教徒のアルバニア人が占め、イスラム教国と言っていいコソボ唯一の世界遺産がセルビア正教の建造物。
しかも申請したのはコソボではなくセルビア。
コソボ成立の複雑さを象徴するような世界遺産。
今回は4か所のうち2か所を紹介します。

まずはペヤにあるペーチ総主教修道院
ちなみにペヤペーチはアルバニア語とセルビア語の違いで同じ地名のこと。
アルバニア人はペヤと呼び、セルビア人はペーチと呼ぶ。
セルビア正教の修道院なのでペヤにあるペーチ総主教修道院・・・ややこしい。

修道院があるのはペヤの街からおよそ4km離れた郊外。
地図を頼りにぼちぼち歩いていくことに。

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コソボはアルバニア人が独立を求めてでき上がった国。
街のいたるところに隣接するアルバニアの、赤地に黒い双頭の鷲が描かれた国旗がはためいている。
コソボは独自の国旗を持ってはいるけれど、圧倒的にアルバニアの国旗を目にすることのほうが多い。

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そして、アルバニアの国旗と同じくらいよく目にする国旗がある。
どこの国かというと・・・

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アメリカ合衆国。
コソボ紛争の際にはアメリカ主導のNATOがセルビアを空爆。
これをきっかけにセルビアはコソボから撤退。
さらには真っ先にコソボの独立を承認したのもアメリカ。
コソボはそんな自分たちを救ってくれたアメリカが大好き。

歩くことおよそ30分、修道院がある敷地の入口に到着。
緑豊かな自然に囲まれた修道院。
けれど入口にはちょっと不釣り合いな監視小屋のような建物。

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じつはこれ、ほんとに監視小屋。
アルバニア人とセルビア人の争いの末にでき上がったコソボ。
紛争後もそれぞれが信仰するイスラム教とセルビア正教の争いは無くならず、今現在も火種を抱えたまま。
アルバニア人によるセルビア人に対する暴力や殺害が行なわれたり、セルビア正教の教会が破壊されたりしているんだそう。
世界遺産になっているペーチ総主教修道院は、NATO主体の国際部隊に参加しているイタリア軍によって守られている。

修道院の敷地内に入るには監視小屋にパスポートを預ける必要がある。

自然たっぷりの敷地内。
川のせせらぎと鳥のさえずりを聞きながら修道院をめざす。
のどかな景色に癒やされるけれど、修道院の周囲に巡らされているのは高い塀とフェンス。

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なんだろうねえ、ため息が出てくる。
そんなにも他の宗教が憎くなるもんかなあ。
宗教って自分自身の内面が大切で、自分と神との関係が大事なんじゃないのかなあ。

修道院の入口に尼僧の姿が。
コソボ内にあるセルビア正教の関係者は、アルバニア人による攻撃のターゲットにされることもある。
修道院士が外出する時には、防弾仕様の車を使うんだそう。

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色鮮やかな花が咲き、手入れの行き届いた庭。
いつの時代かは分からないけれど、古い修道院の跡がわずかに残っている。

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そしてこれがペーチ総主教修道院。
意外とこじんまりとしている。
虹色の装飾がかわいらしい。

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1233年から30年かけて建てられた聖十二使徒教会がベースとになっている修道院。
13世紀から14世紀にかけて描かれた内部の壁画が見どころ。
なんだけど、残念ながら内部の撮影は禁止。

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600年から700年前に描かれたとは思えないほど色鮮やかで素晴らしい。
セルビア正教の総主教座が置かれているこの修道院は、コソボにありながらセルビア人にとって大事な場所となっている。

最後に入場料1人2ユーロを払うと、尼僧からプラムでつくった地酒をふるまわれた。

つづきましては、ペヤから12km南のデチャニという街にあるデチャニ修道院
ペヤのバスターミナルからデカン行きのバスに乗ってデチャニで途中下車。

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デチャニの街でもそこかしこではためくアルバニアの国旗。
これはコソボ紛争で亡くなった人たちの墓だろうか。

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ここまでくるともうアルバニアの一部みたいなもんだ。

そしてここにも星条旗。
世界にはアメリカが嫌いな国はたくさんあるけど、ここまでアメリカが好きって国も珍しい。

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修道院はデチャニ市街地からおよそ2km離れている。
日本でもそうだけど、修道院ってちょっと人里離れたところにあるよね。
やっぱり俗世間から少しでも距離を置かないといけないってことなのかな。

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しばらく歩いて前方に見えてきたのは・・・

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バリケードと迷彩が施された見張り小屋。
ここもイタリア軍が守っている。
すぐ裏に基地があり、装甲車も行き来していた。
修道院を守るためにここまでしないといけないって、違和感を隠せない。

途中にあった建物は、よく見るとガラスが粉々に割れている。
アルバニア人の襲撃にあったんだろうか。
警察ではなく、他国の軍隊に頼らないといけないほどアルバニア人とセルビア人の確執は深刻なんだろう。
ここでも入口でパスポートの提示が必要。

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こちらが14世紀に建てられたデチャニ修道院。
ペーチ総主教修道院よりもモダンな造り。
入口上部のレリーフがちょっとコミカルな表情で微笑ましい。

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地元の男性が案内してくれた。
ここも内部の壁画が見どころなんだけど・・・今回は撮影OK!
お待たせしました、およそ600年前に描かれた美しい壁画をどうぞ。

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鮮やかなブルーを基調とした絵柄で埋め尽くされた壁面と天井。
迫力に圧倒されて言葉が出ない。
1000人の聖人が描かれているんだそう。

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昔は大量の金で装飾されていたそうだけど、ほとんど奪い去られてしまったんだそう。

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修道院に脅迫状が送られてきたり、実際にロケット砲が撃ち込まれることもあった。
襲撃に備え軍が守りを固める世界遺産。
その美しさとは裏腹に、コソボが抱える問題を浮き彫りにしている遺産でもある。

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はたして、軍がここを去り、守りを固めなくてもいい時はやってくるのか。
美しい壁画に銃は似合わない。
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ヒッチハイクでコソボに潜入せよ

2014.09.12 05:59|コソボ☞EDIT
夫のズボンのお尻の部分に穴が空いていたので継ぎはぎしてあげたイクエです。
同じ場所を3回も補正しています。
オナラのしすぎが原因だと思います。

世界遺産の街コトルを堪能したイクエとケンゾー。
モンテネグロでの滞在はコトルだけで、次に目指すのはコソボ。
コソボと言うと、どうしてもコソボ紛争のイメージが強くて「危ないんじゃないか。旅行なんてできるの?」と思うけれど、紛争が終わっていまは平穏を取り戻している。

イクエが10年前に旧ユーゴ圏を旅したときはコソボはまだ危なくて旅行できなかった。
だから今回コソボに行けるのは楽しみ。
といってもコソボの旅の情報は少なくて、コトルから果たして1日で行けるのか。

とりあえず、きょうの目的地はモンテネグロからすぐのペヤ(アルバニア語でペヤ。セルビア語でペーチ)。

ペヤ

あいにくコトルからペヤ行きの国際バスはない。
仕方がないのでモンテネグロの東に位置するベラネという街までバスで行くことに。
そこからコソボにどうやっていけばいいかわからないけど、まあなんとかなるかな。

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コトルからペヤまではけっこう距離があるので、朝イチのバスに乗ることにした。
夜が明けたばかりのコトルの街を歩き、バスターミナルへ。

ひっそりとしている旧市街。
石畳の路地に、ふたりの足音が響く。
誰もいなくて時間が止まったよう。
ますます中世にタイムスリップした気分になる。

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わたしたちが乗るバスは、セルビアの首都ベオグラード行き。
地図で見ると、ここからベオグラードに行くにはコソボを経由したほうが近そうだから、このバスに乗ればコソボで途中下車できそうな気がする。

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でも、そうはいかない。
コソボ紛争は、アルバニア人が多く住むコソボがセルビアからの独立を求めて起きたもの。
2008年にコソボは独立を宣言したとは言え、コソボの独立を承認しているのは国連加盟国の6割ほどにしか満たない。
セルビアは、いまもコソボをセルビア領土の一部と主張している。

コソボとセルビアは今も対立している。
このバスはコソボを迂回するかたちでセルビアのベオグラードに行くらしい。

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車窓から見えるのは、朝を迎えたアドリア海。
ドブロブニクといい、コトルといい、アドリア海の港町は華やかすぎず味わい深くてすてきだったなあ。

アドリア海ともこれでさようなら。
窓からは、これまた城壁で囲まれたブドヴァの旧市街が見える。
海に突き出た半島はこじんまりしていて、長崎県の「出島」みたい。

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バスはモンテネグロの首都ポトゴリツァを通り過ぎる。
モンテネグロは人口60万人ちょっとで、国土は福島県と同じくらい。

ポトゴリツァは一国の首都とは思えないほど小さかった。
廃れた旧ソ連の街並みといった風情で、古い団地ばかりが目立つ。
最初はコトルに1泊、ポトゴリツァに1泊の予定だったけど、それをやめてコトルに2泊して正解だった。

アドリア海に別れを告げたバスはどんどん内陸に進んでいき、渓谷の道を進む。
迫ってくる岩山。

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モンテネグロという国名は「黒い(=ネグロ)山(=モンテ)」という意味。
その名の通り、木々に覆われた深い山々が広がっている。

モンテネグロには国立公園もいくつかあり、そのなかのドゥルミトル国立公園にはグランドキャニオンの次に長い、世界2位のタラ渓谷があるんだって。
クマなど野生動物も生息している。

モンテネグロは旅行先としてはまだ人気はない。
けれどトレッキングも楽しめそうだし、アドリア海のビーチリゾートもあるし、観光資源はけっこうたくさんあるから、今後もっと観光業が盛んになるかも。

旧ユーゴ圏は、観光の穴場スポットかもしれない。

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バスは雲の間を通り抜けていく。
空にのぼっていくような感覚。

最初の目的地、ベラネに到着。
ここからコソボ行きのバスに乗り換えなきゃ。

「コソボのペヤに行きたいのですが。」
「ここからのバスはないよ!」
「え!!」

「もう少し国境に近い、ロージェという街に行けばコソボ行きのバスがあるかも。」
「ロージェに行くバスは何時に来ますか?」
「たったいま到着したやつだよ。」
「もしかして、いまわたしたちが乗ってきたバスのことですか?」
「あんたたち、それに乗ってきたの?
 そうだよ、そのバスだよ。
 早く行かないと、出発しちゃうよ!」


あわてていま降りたばかりのバスに乗り直す。
車掌さんには、ここからロージェまでの運賃を追加で払い、なおかつ一律の荷物代までもう一度請求された。
さっきも払ったのに。
ケチだなあ・・・。

しばらくしてバスはロージェに到着。
さて、今度こそコソボ行きのバスをつかまえなきゃ。
でも、かなり田舎のバス停。
コソボ行きのバスがあるのか、ちょっと不安を抱えたままバスターミナルのスタッフを探す。

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「すみません、次のコソボ行きのバスは何時ですか?」
「え? きょうはもうないよ!」
「ないんですか!?
 どこかで乗り継ぐとか、何か方法はないですか?」

「うーん。
 あ、タクシーで行くといいよ。」


バス1日に1本くらいしかないらしい。
バスターミナルの前ではタクシーがわたしたちを待ち構えている。

予想外のことを言われて、とっさに思いつく選択肢。

1、きょうはここの街に泊まる

2、タクシーに乗る

3、ヒッチハイクをする

最初に消えた選択肢は2。
コソボのペヤまではまだ数十キロはあり、そこまでのタクシー料金なんてとてもじゃないけど払えない。

残るは、泊まるかヒッチハイクするか。
こんな観光客が来ないような田舎に、わたしたちが泊まれるような宿があるかあやしい。
かといって、ヒッチハイクでコソボに入国したという話も聞いたことがない。

でも、もうその2つの選択肢しか残されていない。

とりあえずヒッチハイクに挑戦。
だめだったら、ホテルを探すか、それがダメなら野宿かホームステイ先を見つけるか。

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重い足取りでバスターミナルを出発し、コソボの国境へと通じる幹線道路まで移動。
車はあまり通らない。
できるかなあ・・・。

不思議そうにわたしたちの様子を見ながら歩く住人たち。
そりゃあ、こんなところにバックパックを持った東洋人がいるのは不思議だよ。

モンテネグロではセルビア正教の人が大多数だけど、コソボではイスラム教徒が多い。
この場所はコソボの国境に近いので、モンテネグロとは言えイスラム教徒も多いみたい。
白人の女の子がスカーフを巻いているのは新鮮に感じる。

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それにしても、コソボの国境がどうなっているのかわからない。
紛争が終わって安全な国になったとは言え、身元の分からないわたしたちを乗せて国境を越えてくれる車なんて見つかるのだろうか。

無情にも通り過ぎる車。
長期戦だろうなあと覚悟する。

すると1台の車が止まってくれた!

「どこに行くの?」
「コソボのペヤに行きたいんです。」
「乗りな!」

ヒッチハイクをはじめて20分くらいしか経っていない。
ラッキー!!

車に乗せてくれたのは若い夫婦。
だんなさんはコソボ人で奥さんはモンテネグロ人。
国際結婚の2人。
けれど、生まれたときはコソボとモンテネグロはひとつの国で「コソボ人」とか「モンテネグロ人」とかなくてどちらも「ユーゴスラビア人」だった。

車は森の中のくねくね道を通っていく。
行き交う車は少なく、ほとんどが材木を積んだ大型トラック。
そんななか、コソボまで行く乗用車をつかまえられたことはほんとうにラッキーだった。

森に囲まれた道路の先に、モンテネグロの出国ゲートが見えてきた。

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こんな国境を、しかもヒッチハイクで越える日本人は珍しいのか、出国管理官にジロジロ見られる。
運転している男性がわたしたちのことを笑いながら説明している。
それほど不審がられることもなく無事に出国スタンプを押してもらえた。

さて、次はコソボの入国スタンプさえ押してもらえれば・・・。
出国ゲートを過ぎて車は進むけれど、いっこうにコソボの入国ゲートが見えてこない。

「まさか入国スタンプを押してもらえんとかな。」
「そもそもコソボの入国管理局なんてないとかも。」
「どうなっとるんだろ?」

10キロ近く走ったような気がする。
ようやくコソボ側のゲートが見えてきた。

兵士に「ダメ」とか言われないかなあ。
ここで追い返されたらどうしよう。

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無事、ヒッチハイクでコソボ入国達成!!

紛争で危険なイメージがつきまとうコソボを旅できるのかも疑わしかったけど、まさかヒッチハイクで入国するなんて思ってもいなかった。
でも、意外にもあっさり成功!

今まで上り坂だったけど、今度は一気に峠を下っていく。
眼下にコソボののどかな風景が見えたとき、ちょっと感動してしまった。

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車に乗せてくれた夫婦の行き先はペヤとは違う街。
ペヤの手前の、道が分かれるところで降ろしてくれた。

ここからペヤの中心地まではあと数キロ。
その程度の距離ならタクシーでも行けそう。
でも、もう一度ヒッチハイクに挑戦してみようかな。

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そしてまたすぐに車が止まってくれた。
ナンバープレートがオランダだった。
運転していたのは初老のおじさんで英語が堪能。
コソボ出身だけど、長いことオランダで働いていたんだって。
詳しくは聞けなかったけど、紛争を避けるかたちでオランダに住んでいたのかもしれない。
ペヤの街には新しい建物も増えて、紛争前とずいぶん変わったんだって。

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「どこに行きたいの?」
「中心地ならどこでもいいです。
 駅とかバス停の近くならありがたいですが。」

「ホテルは予約してる?」
「これから駅の近くで探そうかなあと思っています。」
「安いところがいいんでしょ。
 JUSAJっていうホテルが安くていいと思うよ。」


おじさんが勧めてくれたホテルは、わたしたちが事前に調べて泊まりたいなあと思っていたところだった。

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おじさんはわたしたちをホテルの前で降ろすと、Uターンして戻っていった。
わざわざ寄り道して送ってくれたんだ。

ホテルの部屋はそれなりにちゃんとしていて、部屋にバスルームもついて1泊20ユーロ。
お手頃なホテルに泊まることができるか心配だったけど、こんな感じならコソボでホテルの心配はしなくてよさそう。

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窓から見えるペヤの街。
高層ビルやマンションはほとんどなくて、山に囲まれた土地に住宅が建ち並ぶ。
これがコソボの地方の街。

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民家の庭でままごとをする子どもたちが見えた。
ついついかわいくて観察。
すると、向こうに気づかれてしまった。
恥ずかしそうに笑い転げるコソボの子どもたち。

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人懐っこい子どもたちが多い。
やわらかい顔立ちをしている。

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14世紀にはオスマン帝国に征服されたペヤ。
モスクとミナレット(塔)が建ち、店先に品物を並べたお店が肩を寄せ合うように建つ風景はヨーロッパというよりもトルコの雰囲気。

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コソボに住んでいるのは、ほとんどがイスラム教徒のアルバニア人。
イスラム教徒だけれど、そこまで厳格ではないのか女性たちはノースリーブやミニスカートでスカーフもしていない。

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女の子も男の子もいっしょに遊んでいる。
開放的。

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それにアルコールも御法度ではないらしい。
たくさんのバーが軒を並べているし、ご当地のビールだってある。
その名も「ペヤ」。

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肉料理といただきます ♪

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食堂で働く人たち。
「写真撮って」と言いながらも、いざカメラを向けると照れくさそう。
そのあたりが、ヨーロッパっぽくなくイスラムの国っぽい。

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「コソボの人たちは優しい」
「ホスピタリティーにあふれている」

コソボを旅した人はそう言う人が多い。

お客さんをもてなすことを大切にするイスラムの教えがあるからかもしれないし、コソボを訪れる外国人はまだまだ珍しいからかもしれない。

素朴で、ちょっと雑然としていて、どことなくエキゾチックな雰囲気が漂う場所。
ヨーロッパにあって、ヨーロッパっぽくない国。

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ホテルの前を歩いていたら、こんな服を着たおじさんとおばさんがコーヒーを飲んでいた。
アルバニアの民族衣装なんだって。

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いまでこそ、イスラム教徒のアルバニア人が多く住むペヤの街。
けれど、昔は中世セルビア王国の宗教的中心地でセルビア正教会の総主教座が置かれていた。
その修道院は世界遺産になっている。

でも、その世界遺産の存在をよく思わないアルバニア人もいる。

セルビア人は出て行け。
修道院なんて壊してしまえ。

そんな危険をはらんだ修道院は、NATO主体の国際部隊が駐屯し守っている。

あしたは物々しく警備されたそんな修道院についてお伝えします。

紛争が終わったコソボとはいえ、コソボはまだ難しい問題を抱えている。
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モンテネグロ「コトル」☆☆☆ 自然と文化のコラボレーション

2014.09.11 06:04|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
ハッピーニューイヤー!
新年あけましておめでとうございます!
子どものころはよく手作りの凧を飛ばして遊んでいたケンゾーです。
現在いるエチオピアは今日が新しい一年のはじまり。
「なんでこの時期なの?」ってエチオピア人に聞いたら「う~ん、カレンダーがそうなってるから!」だって。
おもろいぞ、エチオピア人!


先日の2周年目の記事で「いちばん高かった国」はオースリアと書きましたが、計算間違いでした。
いちばん高かった国はイタリアで、16日間の滞在で17万5949円、1日あたり1万997円でした。



「アドリア海の真珠」ドブロブニクをあとにして次に向かうはモンテネグロのコトルという街。
コトルの旧市街は世界遺産に登録されている。

ドブロブニクからバスに乗り、海岸沿いを南へ。
コトルまでは1人97.5クーナ(約1800円)、別に荷物代として10クーナ請求された。

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バスに乗ったまま国境を越えてモンテネグロへ入国。
出発しておよそ2時間、なぜかバスの前方には船が見える。

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そしてそのままバスごとフェリーに乗り込む。
フェリーはバスや車を載せ、あれよあれよという間に出港。
バスから降りて心地よい海風に吹かれるケンゾーとイクエ。

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このクロアチアとの国境に近いアドリア海沿岸は「ボカ・コトルスカ」と呼ばれ、入り江が複雑に入り組んでひとつの大きな湾を形成している。
その湾のいちばん奥にあるのが世界遺産の街コトル。

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コトル

フェリーで入り江の対岸に渡り、15分ほどでコトルのバスターミナルに到着。
バスターミナルから旧市街までは徒歩5分。

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旧市街へ向かって歩いていると、ワイルドな岩山が目に飛び込んできた。
岩山のふもとにはオレンジ色の屋根をした建物が並んでいる。

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港のすぐそばに岩山が迫っていて、ドブロブニクの優雅な雰囲気とはひと味違う。
なるほどー、これがコトルの旧市街かあ。
ダイナミックなロケーションで一目で気に入った。

旧市街の目の前にあるコトル港には、豪華なヨットやボートが停泊。
岩山に囲まれてひっそりと存在する小さな街だけど豪華客船も立ち寄るほど人気のある観光地だ。

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正門をくぐって旧市街の中へ。
どの国でも旧市街の門をくぐる時にはわくわくする。
さあ、どんな街並みがふたりを迎えてくれるかな?

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そこには12世紀からの美しい街並みが広がっていた。
白い石造りの建物が肩を寄せ合うようにびっしりと立ち並んでいる。

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今回ネットで予約したホテルは、そんな旧市街のど真ん中にあった。
もちろんホテルも歴史的な建物。
旅人たちが、小さなバルコニーでくつろいでいる。

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「Montenegro Hostel Kotor」
6ベッドドミトリー 1ベッド10ユーロ(別途1人0.8ユーロのTAX必要)
Wi-Fi、キッチンあり。

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内部は山小屋風のインテリア。
レストランのようなダイニングルームで昼からビールを飲むのは贅沢な気分だ。

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窓からは旧市街の広場が見える。
オープンカフェからのジャズも聴こえてくる。

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そして夕陽に輝く岩山。
バックパッカーにこんな優雅な時間を提供してくれるなんて、なかなかいいゲストハウス。

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建物の中はきれいにリフォームされていてスタッフもフレンドリー。
1泊のつもりだったんだけど、街も気に入ったので延泊することに。
ただ、ここで思わぬ落とし穴が。
10ユーロはネット予約特価で、その場で延泊したらふたりで4ユーロも値上げされてしまった。

それでは、世界遺産の街を散策しよう!
狭い石畳の路地が迷路のように走っているコトルの旧市街。
その狭い路地に面してホテルやブティック、雑貨屋が軒を連ねている。

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う~ん、街の雰囲気がどこかと似てるんだよなあ。
この細い路地が入り組んでて、建物がギュッと詰まってる感じ・・・。

しばらく歩いていてピンときた。
イタリアのベネチアと街並みがそっくりだ。
運河こそないけれど街の雰囲気はそっくり。

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それもそのはず。
コトルは4世紀に渡りベネチア共和国の一部だったんだそう。
街のいたるところにベネチアらしさが見てとれるのも納得。

目を引く干された洗濯物。
大男が着るような巨大な服は、アート。

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軒下ではかわいい少年たちが店を出していた。
自分たちでとってきたんだろうね。
きょうはいくつ売れるかな。

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複雑な海岸線と周囲の険しい山という天然の要塞に守られてきたコトル。
それに加え、街の背後の山に4.5kmにわたって城壁を築き鉄壁の守りを誇ってきた。

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この城壁は登ることができ、頂上からコトルの街を見渡すことができるんだそう。

コトルの街並みを上から眺めることができる方法は2つ。
3ユーロ払って街に入口があるきちんと整備された城壁沿いの道を登り展望台に行くか、タダで街外れから険しい山道を登って山頂に行くか。
けれど険しい山道を上って、きちんと街並みを見下ろせる場所に行きつくのかはわからない。
ホテルの人も「長い道のりだしおすすめしない」と言っていた。

ケンゾーとイクエは・・・考えるまでもなく険しい山道をチョイス。
ホテルの延泊でふたりで4ユーロ余分に払うハメになったので、その分節約することにした。

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かろうじて道になっている山道を登っていく。
しばらく歩いて、ふと後ろを振り返ると・・・

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巨大な客船が!!
でかっ!!
家やビルがおもちゃみたい。
コトル湾は水深が40mもあって大型客船も寄港することができるんだそう。

ショートカットを試みて道を見失ってしまったふたり。
道無き道を草をかき分け登っていく。
無料の代償は汗まみれと無数の擦り傷。

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登りはじめて40分、自分たちの下した決断に後悔しそうになったとき城壁が見えてきた!
しかも、城壁の内部へと合流する入口がある。

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城壁の中の展望台に入れるとは思ってなかったので、テンションが上がる。
この城壁を越えた先にどんな景色が待ち受けているんだろう?

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はたしてふたりの苦労は報われるのか?

山道を登ってきて、突然目の前に広がったコトルの景色をどうぞ!

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おおー!
素晴らしい!

連なる山々に守られるように取り囲まれたコトル湾。
そしてオレンジ屋根がびっしりと詰まった旧市街。
自然と人工物の見事なコラボレーションだ。

山のふもとに広がる新市街の景色もなかなかいい感じ。
それにしても豪華客船の大きさに驚かされる。
ちょっとした小山くらいの存在感。

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三角の形をした旧市街。
なんの規則性も無くごちゃごちゃと建物が密集して、なんだかおもちゃの街のよう。
人も建物もジオラマみたいでかわいらしい。

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バルコニーのある泊まっているホテルも見える。

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旧市街の南側には向こうまで山が広がっている。
山の高さは1000mもある。
山に囲まれたこんな場所に港があるなんて、想像しにくい。

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昔は海賊の隠れ家となっていた時代もあるんだそう。
外海からかなり奥まったところにあるし、山が船を隠してくれるので海賊のアジトとしてはうってつけだったんだろうね。

コトルの美しい景色を堪能して下山開始。
帰りは城壁に沿ってきちんと整備された道を下っていく。

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くねくねと蛇行している登山道。
整備はされているけれど、こっちもけっこうハードな道だ。
登ってくる人たちは美しいコトルの景色を振り返って楽しむ余裕もないほどバテバテ。
同じように辛いなら、タダで裏山を登って正解だった。
突然目の前に絶景が現れたので、その分驚きや感動も強かった。

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城壁の中腹にある救世聖女教会
15世紀に建てられた小さな教会。

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内部もこじんまりとしている。
聖女教会というだけあり、キリスト像ではなくマリアらしき像が祀ってある。

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山を下っていくにしたがい、だんだんと現実味を帯びてきた旧市街の街並み。
おもちゃ感はずいぶん薄らいできたけれど、やっぱり模型のように見える建物。
なんでだろう?

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近づくにつれて、建物の細部が見えてきた。
古びた瓦、何度も補修を繰り返したような壁。
生活感が漂い、味わいが出ている。

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山を下りてきても豪華客船の巨大さは変わらず。
船からはどんな旧市街の景色が広がってるんだろうね。

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さて、自然と文化のコラボレーション「コトルの自然と歴史地区」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

コトルはそこまで期待してなかったんだけど、予想以上に素晴らしかった。
世界遺産として登録されているのは旧市街だけではなく、周囲の美しい自然も含めたコトル一帯。
複雑に入り組んだ海岸線、ダイナミックな山に囲まれ静かに水をたたえるコトル湾、おもちゃのようにかわいらしい建物が建ち並ぶ旧市街。
美しい自然と歴史ある文化のコラボレーションが素晴らしいハーモニーを創り出している。

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かわいらしくおもちゃの街のようだった旧市街。
最後に、さらにかわいらしくミニチュア加工をした旧市街の街並みをどうぞ。

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ドブロブニクを訪れたら、ぜひちょっと足を伸ばしてコトルにも行ってみてはいかがですか?
ダイナミックでかわいらしい絶景があなたを待っていますよ。
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豚と魔女になった気分で眺めよう

2014.09.10 06:19|世界の絶景☞EDIT
いつも持ち歩いているけど全然使わなくて宝の持ち腐れになっていた美顔器を久々に使ったイクエです。
けっこう高かったからちゃんと使って元を取らないと!
でも、美顔器とともに使う化粧水がこのまえスーダンで買ったものなんだけど効果はあるのかな。

前回にひきつづき、きょうもドブロブニクの紹介です。
だって写真が多いんだもん。

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なんといってもドブロブニクは「アドリア海の真珠」と賞賛される場所。
でも、ハンガリーのブダペストは「ドナウの真珠」だったし、世界には「〇〇の真珠」と言われる場所が多いんだけどね。
真珠対決をしたらどこが勝つかなあ。
(ケンゾーと「日本の真珠」はどこかなあって話していて、わたしは「天草やろ!」と答えたら「それは真珠の名産地ってだけたい」って言われた。でも天草も海がきれいでイルカもいるし隠れキリシタンの教会もたくさんあるし「真珠」に例えてもいいと思うんだけどなあ。「宮古島」とか「奄美大島」とか「小笠原諸島」とか「礼文島」とかに負けてしまうかなあ。)

アドリア海に突き出た港町、ドブロブニク。
ここは宮崎駿監督の『魔女の宅急便』『紅の豚』の舞台にもなったところと言われている。

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青い海や、オレンジの屋根、石畳の路地。
華やかだけどどこか素朴さを秘め、物語の舞台にしたい気持ちもわかる。

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旧市街の中には修道院や教会が建ち並ぶ。
大理石を使った祭壇や、色鮮やかなステンドグラス。

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こんなふうに旧市街の中の景色もすばらしいけれど、城壁に囲まれた旧市街の全景も見てみたい。
もちろん真っ青なアドリア海とセットで。

きのうの午後、旧市街の東側から街を眺めた。
光を受けてキラキラ輝く海の上に浮かぶ街並みは幻想的で素敵だったけど、逆光だったので街並みの色味がはっきりしなかった。

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それに、もうちょっと上から見下ろしてみたい。
上から見ると城壁で囲まれた旧市街の形がはっきりわかるだろうし、オレンジの屋根のかわいらしい家々が肩を寄せ合うようにひしめく様子もわかるはず。

『紅の豚』のマルコは飛行艇から眺めていたし『魔女の宅急便』のキキだってほうきにまたいで空から見ていた。

ドブロブニクのいちばんの絶景を見られる場所はどこなのか?
きょうは、ドブロブニクの絶景を探す旅にでよう。

ドブロブニクにはスルジ山と言われる標高412メートルの小高い丘がある。
ここからなら旧市街を一望できるらしい。

前回わたしがドブロブニクに来たときは、このスルジ山を目指したけれど荷物もあったし時間も遅かったので途中であきらめて引き返してしまった。

今回こそは、登らなくては!

山頂に行くにはロープウェイがある。
ユーゴスラビア紛争のときにセルビア軍に破壊されてしまって、前回来たときは運休されたままだったけど2010年に新たに設置された。

でもロープウェイ代はかなり高くてふたりで数千円する。
やっぱりここは、歩いていかないとね!

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道路沿いに登山口はあるけれど、利用する人が少ないのか草が生えて道が崩れている。
ほんとうにここでいいのかな。

不安になりながら木々が生い茂る道を登っていく。
木々の間からチラチラと青い海が見える。

「あれじゃない?ドブロブニク」
「ほんとだ。城壁っぽいのが見える」

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なかなか全景が見えないのがもどかしい。
早く登りたいけど、足が追いつかない。
歩いては止まり、歩いては止まり。

新市街の街並みは見えてるんだけどなあ。

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ロープウェイは次々に乗客を運んでいく。
みんなが「アドリア海の真珠」の絶景を求めている。

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ドブロブニクに来るような人たちは、リゾートのバカンスを楽しむために来ている人たち。
物価の高いこの場所に、バックパッカーは似合わない。
ロープウェイがあるのに、わざわざこんな道を登る人いないよなあ・・・。
って思っていたら、やっとカップル一組とすれ違った。
見るからにわたしたちと同じような雰囲気。
「ハロー」と小さな声で挨拶を交わす。

彼らが下りてきたから、この道で間違ってはないはず。

けっこう登ってきた。
そろそろ見えてもいいんだけどなあ。

と、いままで視界を遮っていた木々が途切れ、開けたところに出た。

見えてきたー!!

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真っ青な海、そしてこんもりと茂る松林に挟まれて、「アドリア海の真珠」は中世と変わらない姿で美しく存在していた。

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オレンジ色の屋根が並ぶ景色は、まるでポピーが咲いているみたい。

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ふたりでいっしょに写真を撮ることはあまりしないけど、物語に出てきそうなこんなかわいい城壁の街を見下ろすと、そりゃ、肩を組んで写真を撮りたくなるよ。

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貿易都市として栄えたドブロブニク。
ラグーサ共和国として栄えた15世紀から16世紀には、異国の品物をたくさん積んだ帆船がやってきていた。
いまではプレジャーボートや遊覧船が、この魅力ある半島に吸い寄せられる。

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旧市街をぐるりと取り囲む頑丈な城壁。
それはまるで今の世界と中世の街を隔てる境界線。
城壁があるから、この街は中世の姿のまま残ることができたのかもしれない。

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けっしてカラフルではないけれど、オレンジ一色の街並みは真っ青なアドリア海によく映える。
太陽の位置によって、屋根のオレンジもアドリア海の青も少しずつ色味を変えていく。

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たくさんの屋根。
たくさんの窓。
そして、そこに生きるたくさんの人々。

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この街には中世から今までの住人たちの歴史が刻まれている。
代々受け継ぐ家は、大切に守られてきた。
老朽化した家を修復するときも、昔と同じ建材を使う。
この街の魅力を知っているから、この街が好きだからこそなせる技。

「なんかおもちゃみたいだね」

さらにミニチュアっぽく見えるようにカメラの機能を変えて撮影してみると・・・。

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いつまで見ていても飽きない景色。
目に焼き付けながら、山道を下っていく。

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上から見るとおもちゃにしか見えない街並み。
近づくにつれて、現実に存在する街だと感じる。
それでも、あまりにもかわいくて「絵本の中に自分が紛れ込んだのかなあ」なんてまだ現実味がない。

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旧市街を隔てて向こう側に崖がそびえているのが見える。
崖の上にあるのはロヴリイェナツ要塞。
西陽が差し込む夕方、あの要塞から旧市街を眺めてみよう。

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ここから見る旧市街は、まるでアドリア海に浮かぶ船のかたち。

海に突き出た部分の城壁は、岩と一体化している。
立体的でダイナミックな地形。

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太陽と引き換えに、今度は灯りが街を照らしていく。

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世界中からの観光客で賑わっていた街に、静けさが訪れる。
聞こえるのは波の音。

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あしたも晴れるかな。

おやすみなさい。

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クロアチア「ドブロブニク旧市街」☆☆☆ アドリア海に輝く真珠

2014.09.09 05:47|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
きょう岩山を登ったときに足を滑らせて太ももの裏を強打したケンゾーです。
エジプトで靴を買い直したんだけど、クッション性はいいけどグリップ力がいまいちなんだよねえ。
ていうか、靴うんぬんよりも体力低下のせいかな。
40歳までのカウントダウンがそろそろはじまるからなあ。

クロアチア屈指の観光地、「アドリア海の真珠」「世界の宝」と世界中から絶賛されているドブロブニク
イクエは一度訪れているし宿代も高いので、「ドブロブニクは行かんでもいっか」なんてことも言っていた。
「自分は見とるくせに!」と思いつつも、「じゃあいいよ行かんでも」と拗ねたこともある。
そんなこんなでやって来たドブロブニク。
果たして、そんなに素晴らしい所なのか?

古くから海洋貿易で栄えてきたドブロブニク。
旧市街はぐるりと高い城壁に囲まれている。
さあ、城壁の門をくぐってアドリア海の真珠の中へ潜入だ。

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旧市街を取り囲む城壁は高さ20mで厚さ5m。
現在残っている城壁の大部分は12世紀から17世紀にかけて造られたもの。

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城壁と建物に挟まれた通路を抜けると視界がパッと開ける。
ここが旧市街でいちばんの目抜き通りプラッツァ通り

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両サイドにはカフェやレストラン、ブティックが軒を連ね、人通りが絶えない。
大理石で敷き詰められた通りは鏡のような光沢を放ち、長い時を経た現在も美しく輝いている。

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プラッツァ通りの左右には細長い路地がいくつも延びている。
幅が2mくらいしかないような狭い路地の先には・・・

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たくさんの店がひしめいている。
レストランだけでもかなりの数。
じっくり時間をかけてお気に入りの店を探すのも楽しそう。

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盆地のようになっていてけっこうな高低差がある旧市街。
端っこにいくにしたがって傾斜が急になっていく。
生活感あふれる路地はそれぞれまったく違う表情を見せてくれる。

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路地の隙間からチラ見えする旧市街のあちら側。
探検気分をかき立てる立体感のある街並み。

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1979年に世界遺産に登録されたドブロブニクの旧市街。
クロアチアが旧ユーゴスラビアからの独立を求めて起きたクロアチア紛争では、この美しい街も大きな被害を受けてしまった。
一時は世界遺産の「危機リスト」に挙げられた時期もある。
紛争後に修復され、ほぼ元通りの姿を取り戻した旧市街だけど、よく見るとそこかしこに紛争の爪痕を目にする。

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旧市街の周囲を2kmにわたって取り囲んでいる城壁は、その上を歩くことができる。
でも、入場料がなんと100クーナ(約1850円)する!
ガイドブックの情報よりもかなり値上げされていた。
やめようかなあと思ったけど「それでも行ってきたほうがいいよ」と体験済みのイクエがいう。
ケンゾーだけ登ることに。

この城壁巡り、時間帯によっては大混雑するみたいだけど、夕方だったのでゆっくり歩くことができた。
城壁の上から見えるのは・・・・オレンジ色の瓦屋根で埋め尽くされた旧市街。

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オレンジ色とは言ってもそれぞれ色合いが違っていて、屋根を眺めているだけでもおもしろい。

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こうして城壁の上から眺めると、スルジ山側とアドリア海側が高くなっていることがよく分かる。

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旧市街の南に広がるアドリア海。
このアドリア海を舞台とした貿易がドブロブニクに繁栄をもたらした。
「水の都」ベネチアが唯一のライバル都市だったんだそう。

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毎年多くの観光客が押し寄せるドブロブニク。
ちなみに旧市街から700m沖合に浮かぶロクルム島にはヌーディストビーチがあるんだって。

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そんな観光客で賑わう旧市街にも、そこで暮らす人々の日常がある。
こんな世界的に有名な観光地、そして歴史的な遺産の街に住むってどんな感じなんだろうね。

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もちろん、ここで暮らす猫にもふつうの日常がある。

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城壁の上からでしか見ることのできない眺め。
一歩一歩移りゆく景色。
アドリア海の真珠はどこを切り取っても絵になる。

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さて、アドリア海の真珠と謳われる「ドブロブニクの旧市街」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

超有名、超定番、超ベタな観光地ドブロブニク。
世界的に人気の観光地は、やっぱり素晴らしかった。
城壁、古い建物、美しい教会など、街を構成しているひとつひとつのものは特筆するようなものではなく、ヨーロッパのほかの古い街と大差はない。
高低差があるダイナミックな地形と、碧く輝くアドリア海が唯一無二の美しい街を創り出している。

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なかなかいい値段するけれど、城壁巡りはかなりおすすめ。
この街は上から眺めないとその美しさを満喫することはできない。
イクエに「1時間くらいゆっくり見てきていいけん」と言われて「1時間もかからんばい」と言ったケンゾーだったけれど、イクエを放ったらかして2時間城壁の上にいた。
オレンジ色の屋根が夕陽を浴びて紅くなる夕暮れ時だったのも良かった。

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カッパドキアといいベネチアといい、人気の観光地はさすがにクオリティが高い。
なんだかんだでベタな観光地も大好きなケンゾーです。

上から見るほうが断然いいドブロブニクの旧市街。
城壁よりもさらに上から見るともっと素晴らしい絶景が見られるのかな。

次回は「世界の絶景編」で「アドリア海の真珠」の全景をお伝えします!
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旅して2年 良かった国・お金・感想・・・まとめ

2014.09.08 01:56|世界一周裏話☞EDIT
夫婦で地球一周旅行をしているケンゾーとイクエです。
わたしたちふたりの、ふらりと旅先を訪れ、ゆるりと楽しみながら、地球をぐるりとすることを目指しているこの旅も2年が経ちました。
2012年9月6日にイクエの故郷の熊本の駅を列車で出発、下関からフェリーに乗り翌日の7日に韓国・釜山に上陸、ふたりの長い長い旅が始まりました。

旅に出て2周年。
きょうは、2年目の旅を振り返ります。
(スタートから1年間の旅については去年の9月6日の記事をご参考ください。)


★こんな国を旅しました ♪
この1年間で旅したのは以下の国です。
・中央アジア
 キルギス 

・中東
 トルコ(2度目) イラン イスラエル パレスチナ ヨルダン

・ヨーロッパ
 イタリア バチカン フランス チェコ オーストリア ポーランド イギリス アイルランド ポルトガル スペイン ハンガリー スロバキア スロべニア クロアチア セルビア ボスニア・ヘルツェゴビナ モンテネグロ コソボ マケドニア アルバニア ギリシャ

・アフリカ
 チュニジア モロッコ エジプト スーダン エチオピア

以上32か国(地域)です。
1年目に旅した国を合わせると2年間で50か国(地域)を旅しました。

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★使った金額発表!
各国のビザ代や航空券も含めて、2年目の旅で使ったお金は全部でズバリ214万4741円!!
単純に365日で割ると、1日当たり5876円。
1年目は209万508円、1日当たり5727円だったのでほぼ同じ金額を使ったことに。
(これとは別に旅行保険代を年間24万2346円支払っているので、実際には1日当たり664円余計にかかっている)

2年目は物価の高いヨーロッパも旅しているので、1年目と同じくらいの金額で抑えられたのは上出来かな。
カウチサーフィンを始めたり、自炊をするようにしたのがよかった。

3年目は何かとお金がかかるアフリカと南米がメインになる。
がんばって1、2年目の金額になるべく近づけられたらいいんだけど。


★安かった国 高かった国はここ!
いちばん安かったのは、1年目と2年目をまたいで滞在したキルギス。
30日間の滞在で7万6000円、1日当たりにすると約2534円と断トツで安い。
キルギスは交通費が安いので助かった。

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逆にいちばん高かったのは、イタリア。
16日間の滞在で17万5949円、1日あたり1万997円もかかってしまった。
観光地の入場料がどこも高かったし、交通費もけっこう高い。
シチリア島まで足を延ばしたので仕方ないね。
サッカーのチャンピオンズリーグの試合も観たし。

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★旅のトラブル 何があった?
旅のトラブルとしてふたりがまっさきに思い浮かべるのは「ロンドン国際空港間違い事件」。
ロンドンを出国するとき、間違った空港に行ってしまい正しい空港に移動する時間も残されておらず航空券を買い直すはめに・・・。
しかも早朝発の便だったので前日から空港入りして空港に泊まっていて時間はたっぷりあったのに、チェックインのときにスタッフに指摘されるまで気づかなかった。
ロンドンには4つの空港があり、同じ航空会社の同じ目的地の同じ時間帯があったことも一因だけど、いちばん大きな原因は旅慣れしてきたことによる気のゆるみ、確認ミス。
その場で買い直したチケット代134ポンド(約2万3千円)は高い勉強代となりました。

盗難被害は、ナポリの満員バス車内でケンゾーがスリに遭ったこと。
お財布をチェーンにつけてバッグの中に入れていたけどチェーンごと盗られていた。
お財布には10ユーロしか入れてなかったのが不幸中の幸い。

イクエは盗られたことはないけど、気づいたらショルダーバッグのチャックが全開、というスリ未遂には何度か遭っているので気をつけないと!

ケガ、病気で病院のお世話になったのはイクエだけ。
イランで自転車を買って自転車旅を始めた3日後にまさかの転倒。
そしてスロべニアで膀胱炎になったこと。

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健康で日本に無事に帰るといういちばんの目的を達成するために、これからも健康管理をしっかりしないとね!


★それでもやっぱりおすすめしたい!カウチサーフィン
去年の1周年の記事を書いたとき「2年目はカウチサーフィンに挑戦したい」と書き、この1年でそれを実行することができました。
イラン、イタリア、パレスチナ、ヨルダン、イギリス、アイルランド、モロッコ、スペイン、ハンガリー、スロベニアでおよそ25家庭にお世話になりました。

会ったこともない、知らない人の家にホームステイする不安はあるし、実際にトラブルがあることも事実です。
わたしたちは3回だけ嫌な経験をしました。
ヨルダンでホストファミリーの長男に物を盗まれたこと、イランでホストからツアーに勧誘されたうえ倉庫に寝泊まりさせられたこと、モロッコでヒッピーの家に泊まり騒々しくて眠れない夜を過ごしたこと。

でもその経験をはるかに上回るいい出会いや経験がカウチサーフィンを通してできました。
ホームステイすることで現地の人と友だちになれるし、その国のリアルな食文化や生活スタイルに触れることができ、その国のことをより深く知ることができます。

インターネットが普及し世界は狭くなり、旅人はネットの情報に頼りながら旅する現代。
昔よりも旅がおもしろくなくなったと言われることもありますが、カウチサーフィンを利用して旅をおもしろくするのは現代の旅人の特権だと思います。
これからもカウチサーフィンを使って旅を彩っていきたいです。

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★おススメの国 ベスト3
どの国も魅力がいっぱいだったけど、そのなかでも観光や滞在を楽しめる国ベスト3を発表します。
仕事が忙しい社会人でも、1週間ちょっとの連休があれば旅行できるおススメの国はここです!
(2年目に旅した国の中でのベスト3です。
現在わたしたちはエチオピアまで来ていますが、ブログの内容は少し遅れているので、ブログ記載のクロアチアまでの国の中で選びました。)

ケンゾー
3位 モロッコ
「モロッコ=砂漠」っていうイメージしかなかったんだけど、いざ訪れてみると山あり渓谷あり神秘的な湖ありと景色のバリエーションの豊かさに驚いた。

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2位 アイルランド
レンタカーを借りてドライブ旅をしたアイルランド。
自然豊かな国でどこを走っても爽快な気分に。
アイルランド民謡の生セッションを聴きながら美味しいビールを飲むという至福の時間を楽しむことができた。
もういちどため息が出るほど美味しかったギネスビールを飲みたい!

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1位 キルギス
オシュからビシュケクまでの移動中に見ることができた山越えの景色と、アルティン・アラシャンの神々しいまでの絶景は今でもくっきりまぶたの裏に焼きついている。
ビールも安いし、居心地いい宿もあるし、美しい自然はあるし(というか自然しかない)、長期間滞在してゆっくりのんびりするには最適な国。

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イクエ
3位 アイルランド
大自然やケルト文化、アイルランド民謡など、国土が小さいながらもたくさんの魅力が詰まった国。
機会があればもう一度長期で旅したい。 

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2位 チュニジア
まるで違う星みたいな地形。
数々の映画が撮影されたのも納得。
ベルベル人の住居や集落はとってもユニーク。

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1位 モロッコ
海も砂漠も緑も湖もあって自然豊かで観光資源にバリエーションがある。
モロッコ人もほとんどの人は気さくで穏やか。
誰にでも自信を持っておススメできる国。

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★世界の絶景 ベスト3
「絶景」と心から思えるのは、人が作り出した遺跡や建物よりもやっぱり自然の景色。
自然の景色の美しさは季節や天候に左右されるので、つねにその絶景が見られるとは限らないけどケンゾーとイクエが選んだ絶景はこちら。

3位 サハラ砂漠(モロッコ)
砂と空しかないのに、何度見ても飽きない砂漠。
なめらかな曲線、定規で引いたような直線、刻々と変わる風紋、光と陰。
自然がつくる究極の造形美がここにある。

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2位 イニシュモア島の波(アイルランド)
アラン島のひとつのイニシュモア島で、断崖絶壁から見た波。
体の中にまで響く爆音、何十メートルも下から飛んでくる水しぶきは足がすくんで恐怖を感じる。
ドキドキしながらも見とれてしまった。
葛飾北斎の有名な波の絵『神奈川沖浪裏』を思い出させる光景だった。

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1位 アルティン・アラシャン(キルギス)
絶景の宝庫、キルギス。
その中でももっとも美しいアルティン・アラシャン。
鮮やかな緑や雄大な草原、そこでテントで暮らす遊牧民、美しい山々に満天の星空とどこを見てもうっとり。
過酷なトレッキングのあと、突然目の前に現れたカラコル湖にはあまりの美しさに叫び、走り、鳥肌が立ち、涙がでた。
これまでの人生においてもいちばんの絶景。

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★思い出深い国 ベスト3
やっぱり旅での思い出は、観光地よりもそこでの出会い。
ふたりにとって大切な国となり、大好きになった場所のベスト3です。

3位 スペイン
セビージャの春祭り真っ最中に入国。
闘牛にフラメンコにスペイン料理にと大満喫。
友人やカウチサーフィンのホストの家を渡り歩きながらの旅だった。
明るくて気配り上手でさっぱりしていてお酒が大好きな(九州人気質と似ている!)スペイン人とは相性が良かった。
そんなスペイン人に甘えさせてもらって自分たちのペースを崩さずに旅ができた国。
とても居心地がよくて、もっと長居したい、なんなら住んでもいいかも!と思えた国。

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2位 イラン
はじめてカウチサーフィンに挑戦した国。
カウチサーフィンの楽しさとイラン人のホスピタリティーを実感し、ビザを延長して2か月も滞在してしまった。
たくさんの人の家におじゃまし、いっしょに食事をし、毎日うれしくて楽しい気持ちに。
自転車旅をはじめたもののイクエがケガをするというエピソードも今となっては忘れられない思い出。
イランは「悪の枢軸国」なんかではなくて、とても発展していて知的な人が多く、イスラム国だけど自我を通して生き生きと輝く女性もいて、イメージをいい意味で覆された国。

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1位 パレスチナ
「パレスチナなんて旅行できるのかな」と不安を抱えて入ったけど、街を歩けば「ウェルカム トゥ パレスタイン!」と人懐っこい笑顔で歓迎された。
NGOの人たちや難民キャンプで暮らす人たち、イスラエルの入植地の目の前で生活する家族とも出会い、ヘブロンでホームステイもできてパレスチナの現状や生活に触れられた充実した毎日だった。
そのいっぽう、パレスチナの人たちの悲しくて悔しい現実に胸が締めつけられる毎日だった。
もっとも意味のある旅となったし、ここを訪れてよかった。
みんなが幸せに暮らせるようにと願ってやまない。

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★730日 旅をしながら暮らしてきた日々
ケンゾー
「え?まだ2年目だったっけ?」ていう感じ。
各地を転々とするその日暮らしがいつしか日常に、あっという間の1年間だった。
いくらいままで経験したことのない刺激的な旅する日々も、「それが毎日続くと飽きる日が来るのかなあ」なんて思ったりもしていた。
けれど実際にはそんなことはまったくない。
同じように見えて少しずつ違っているそれぞれの国、場所の特徴を肌で感じる旅は飽きがこない。
カウチサーフィンやヒッチハイクなどに挑戦して旅にスパイスを加えることができたのも良かった。
ホームステイをすると地元の人たちとの距離がぐっと近くなりリアルな生活を垣間見ることができる。
レストランでは味わえない美味しい家庭料理を食べるチャンスも増えるしね。
ドキドキ感や人の優しさを感じることができるヒッチハイクは旅のマンネリ防止におすすめ。
目の前を車が走り去っていく切なさはなかなか辛いけど、その分止まってくれたときの喜びはひとしお。
人の素の温もりに触れられて心がほっこりする。

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イクエ
「730日、毎日旅をして飽きないの?」と問われたら即答します。
「全然飽きないよ」。
発見、感動、すてきな出会いに飽きはきません。
さらに「生活するように旅する特別な日常」が1年目よりも板についてきたので、2年目のほうが旅の気苦労や移動のストレスが軽くなり、自然体で楽しめています。
旅を始める前は、期間は2~3年だったのにまだ半周で2年も経ってしまいました。
だから予想以上にふたりともこの旅を楽しんでいるのかも。
ふたりのプライベートな旅をつづったこのブログをこんなにも多くの人に読んでいただけるなんて予想してなかったことです。
みなさんがこのブログを楽しんでくださり、応援や共感のコメントのおかげで自分たちのやっている旅に自信ももてるし、「よし!とことん旅を楽しもう!!」という気概もでて、みなさんの存在がわたしたちの旅を充実させる糧になっています。
ありがとうございます!

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★ケンゾーからイクエへ「ポジティブシンキングとユーモアで!」
自転車で転倒、さらには膀胱炎と2回病院に罹ることになったけど、とりあえず今もこうしてふたりで旅を楽しむことができていることに満足。
イクエが自転車で転倒して顔面から血を流しているシーンは、今でもふとした時に脳裏に蘇って泣きそうになることがある。
3年目はアフリカ、高地が多い南米とハードな旅が待っている。
これまで以上に健康に気を配って、お互いにケアし合っていかないとね。

ケンゾーもとうとう40代に突入する3年目。
日々増してくる老化現象とも戦いながら旅をしていかないといけない。
出会った20代の頃とは特に外見が激しく変化してきているけど、そこは目をつぶってこれからもよろしくね。

3年目もつねにポジティブシンキングとユーモアを忘れずに、ふたり仲良く旅を楽しんでいこう。

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★イクエからケンゾーへ「あれ?わたしより旅にハマってる?」
わたしは20歳のころからバックパックで旅してきた旅行好き。
いっぽうケンゾーのバックパッカーデビューは結婚後30歳過ぎてから。
だけど旅して2年目。
ケンゾーは帰ろうとも言わないばかりかわたしよりも旅にハマってるフシがある。

ケンゾーが言ってたことで印象深い言葉がある。
「はじめてバックパックで旅したとき、うぉー!!世の中にはこんな楽しいことがあったんだ!!今まで30年以上生きてきてなんで知らなかったんだろうって思った。」

そんなケンゾーといっしょなのでふたりですごく楽しめているし旅の不安もない。
1年目のときは英語で会話するのが苦手だったケンゾーだけどカウチサーフィンで自然に語学力がつき、英語での交渉もやってくれる。
楽しい毎日が過ごせているのも、そのままの自分で旅ができているのもケンゾーがいるから。
こんなふうにトイレとおふろ以外の時間ずっといっしょにいて、慣れない異国でけんかもせずにいっしょに笑って楽しめて、旅の行き先や旅行の仕方でもめることもなく旅ができているのは、相性がとってもいい証拠なのかなって思っています。
これからもそのままのふたりでふたりの人生を楽しもう!
これからもよろしくね!

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★まだまだ旅は終わらない!これからの旅にむけて
ケンゾー
7年前の新婚旅行以来のアフリカと、ふたりにとって未知の南米。
刺激的な日々が待ち受けていそうな3年目の旅。
この1年はこれまで以上に現地に飛び込んで溶け込んでいきたいなあ。
とくにアフリカは人との出会いを求める旅にしていきたい。

このブログを読んでいっしょに旅をしてきた読者のみなさん、2年間お付き合いいただきありがとうございます!
きっと3年目もふたりの旅のスタイル、ブログのスタイルは変わらないと思います。
刺激的な内容のブログを書くことはできませんが、その国の人柄、景色、雰囲気がみなさんに伝わるブログになるといいなあと思っています。
これからもケンゾーとイクエのふらり旅を応援していただけると、旅とブログのモチベーションがぐっと上がります。
3年目もよろしくお願いします!

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イクエ
日本から西へと進んでいるふたりの旅も後半戦。
といってもアフリカ、中南米とおもしろそうな地域を今後旅するのでこれまで以上にワクワクしながら旅を楽しめそう。
2年目はカウチサーフィンに挑戦しホームステイができたので、3年目は住み込みで家のお手伝いやボランティアなどにも挑戦し活動を通してその国を知り、楽しむことができればと思っています。
実現できるかな。
旅行後のプランは白紙のわたしたち。
旅をしながら帰国後の生き方についてもそろそろ考えないと!
さあ、これからのふたりの旅はいかに!?
これまで以上に楽しい旅をしその感動をみなさんとわかちあっていきたいので、これからもご愛読、応援、よろしくお願いします。

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紛争地からリゾートへ

2014.09.05 06:14|クロアチア☞EDIT
ケンゾーの髪を切ってあげたイクエです。
たまに失敗して切り過ぎて、思わず吹き出して笑いながらも申し訳なく思いました。
十円ハゲみたいになったところをケンゾーが「え!このへん、穴あいてない?」って言うので「いや、これはハゲよるけんしょうがない」と言い返しますが真偽はわかりません。

川を隔てて民族が分かれて暮らすボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル。
きょうはボスニアを出国して、ふたたびクロアチアに入国し「アドリア海の真珠」と言われるドブロブニクを目指す。

ドブロブニク

ヒッチハイクで行こうかとも思ったけど、国境越えもあるしドブロブニクには1泊しかしない。
短時間でスムーズに目的地にたどり着けるように、楽してバスに乗ることにした。
モスタルからドブロブニクまでは29マルカ(約2090円)。

激戦地となったモスタル。
車窓からは、爆撃されて壊されるでもなく放置されたままのビルが見える。

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学生のときにモスタルを訪れたときは、爆撃されたビルにはまだ窓ガラスがあって割れたり無数のヒビが入っていて怖さを感じた。

それでも2004年当時は、平和の象徴とされるモスタルの橋の修復は完成間近だったし、民族の垣根がなくなる兆しのようなものも感じることができた。

そのとき描かれたばかりの壁の絵がこれからの未来を暗示しているようで、うれしくなったのを覚えている。

その絵は、今でも残っていた。

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迷路のようになったモスタルの橋。
橋の両側には2つの赤い丸があって、複雑な迷路をなんとか抜け出し、橋の上で結ばれる。

あれから10年。
モスタルの街には変化が訪れていた。

橋の両脇にはお土産屋さんやレストランが軒を連ね、観光客でにぎやかになっていた。

そのいっぽう、当時はなかった巨大なカトリック教会が新しくできたり、民族のカラーが強まった気もする。

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民族の問題を水面下にはらんだまま、モスタルの街は発展してくのだろうか。

旧ユーゴスラビアの国々はサッカーが盛んで、有名な選手もいる。
ところがボスニアの代表チームは2011年、FIFAの加盟資格を取り消され、国際大会への出場停止を命じられてしまった。
その理由は、民族のしがらみによるチームの状況が原因だった。
多民族国家のボスニアなので、選手たちもイスラム教徒のボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がいる。
それは自然なことだけど、ボスニアサッカー協会の会長がそれぞれの民族から3人も存在していた。
3人の会長は輪番制であたっていたけれど、結局はチームのことよりも自分の民族の利益を優先させ、チームは腐敗していき、経理担当者が逮捕されるなどもはや一丸となってチームを強くしていくことができなくなっていた。

FIFAは会長を1人にするようにボスニア協会に勧告していたけれど、多民族への不信感などのためそれには応じなかったのだった。
民族主義に利用されてしまったボスニアのサッカー。

そんな敵対心や汚れにまみれたボスニアのサッカーを建て直した人がいる。
その人は、わたしたちがよく知る人。

サッカー日本代表の監督も務めた、オシム監督。

オシム監督はボスニア生まれ、ボスニア育ち。
「ボスニアがサッカーを失ってしまうと、民族融和のチャンスも失うことになる」

オシム監督は3つの民族のそれぞれの協会幹部や政治家を説得してまわった。
オシム監督の行動を批判する人も多かったけれど、信念を貫き通した。

オシム監督のがんばりのおかげでボスニアサッカー協会の会長は一元化されて国際大会への出場停止というペナルティーは取り消された。
こうしてボスニアはこの前のワールドカップへの出場を見事、手にしたのだった。
残念ながら予選リーグで敗退してしまったけれど、ワールドカップの試合中はきっと民族なんか関係なくみんな一緒にボスニア代表チームを応援することができたのだと思う。

オシム監督はユーゴ紛争の直前、最後のユーゴスラビア代表監督も務めていた。
そのときも誹謗中傷を受けながらも、民族にこだわらずに多民族のメンバーでチームを作り、ユーゴが民族主義に走ることにサッカーの力で抵抗しようと努力した人だった。

監督としてはもちろん、人としてほんとうにすばらしい人だと思う。

バスは一面に広がるぶどう畑のなかのまっすぐな道を進んでいく。

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豊かな自然、肥沃な大地が広がるこの国で、大切な人たちとの幸せな生活があり、あと何が足りないというのだろう。
争いで何を手に入れたいのか。

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バスはクロアチアとの国境に差しかかった。
かつてここには国境なんて存在しなかった。

クロアチアという違う国に入ったけれど、美しい山がそびえ畑の緑が美しい景色は、いままで見てきたボスニアの景色となんら変わりはない。

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畑の向こうに青い海が見えてきた。
アドリア海。

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このアドリア海を舞台にした映画がある。
宮崎駿の『紅の豚』。
映画に出てくる飛行艇乗りが自嘲気味に言っていた。
「国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ばなきゃならないんだ」

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アドリア海沿いのクロアチアはどこもリゾート地で、これまで感じてきた紛争の暗さはここでは感じない。

きらめく海。

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波のない真っ青な海。

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ここにいると、かつて血で血を洗う紛争があっていたことなど想像できない。

けれど、複雑な過去を背負っていることを実感させるものが、窓から見えてきた。
道の先に見える青いゲートの料金所のようなところ。

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ここは国境のゲート。
ボスニアを抜けてクロアチアに来たと思ったら、またボスニアに入ることに。
そしてしばらくするとまたボスニアを出国し、クロアチアに入国することになる。

地図を見るとどうなっているのかがわかる。

クロアチア

昔は国境なんてなかった。
民族の勢力争いの結果、こんな違和感のある区分がされたのだろう。

窓から見える青い空と青い海は、国境なんて関係なくずっとつながっているのに。

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巨大な橋が現れ、コンクリートで海岸が整備された立派な港町が見えてきた。
「ケンゾー、ドブロブニクに着いたよ」
「ここ?
 もっと小さな街かと思っとった。」

そう、ドブロブニクはけっこう都会。
城壁に囲まれ、海に突き出た世界遺産の旧市街はドブロブニクのほんの一部分。

旧市街は意外と小さいのに、そこに世界中からやってきた観光客が集まる。
旧市街にあるホテルの数は限られていて、なおかつ人気なので宿泊費はとても高い。

ということで、わたしたちは迷ったすえ旧市街の外のホテルをネットで予約していた。

ちなみに旧ユーゴスラビアの国では、自宅の空き部屋を旅行者に貸し出す民宿のようなものが一般的。
バスターミナルには客引きのおじさんおばさんがいるので、宿を予約していなくてもなんとかなる。
わたしたちがバスを降りたときも5人くらいの人が待ち受けていた。

わたしも学生のときに来たときは民宿を利用したんだけど、注意するのは立地。
個人の家なので、値段も手頃だしそれなりに清潔にはしてあるけれど、観光地からは遠い住宅街にある場合が多いのでちょっと不便。
民宿を利用する人は、立地がいいかどうか、利用できる公共交通機関があるかどうかの確認をお忘れなく。

ヨーロッパのなかで大人気の観光地だし、オンシーズンなので安くていいホテルはすぐに満室になる。
わたしたちも予約のタイミングが遅かったのであまり選択肢はなかったけれど、それでもけっこういい宿だった。

バスターミナルの目の前で歩いて3分くらい。

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guest house DADA
ダブルルームで1泊255クーナ(約4700円)。
高いけど、この時期のドブロブニクのホテルでは安いほう。

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ここのいいところは、二部屋ごとにキッチンとバスルームがあること。
使う人はわたしたちともう一組だけなので、気兼ねなく好きなタイミングで使える。

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ホテルを出ると、港に巨大なクルーズ船が数隻停泊していた。
ドブロブニクはヨーロッパのクルーズの旅で、もっとも人気の場所。

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クロアチアの港町に寄港しながら、ギリシアまで南下していくらしい。

動く巨大なホテル。

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路線バスに乗っても目につくのは、この怪物のようなクルーズ船。

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バスを降りたのは、旧市街の入口。
この城壁の向こう側に、「アドリア海の真珠」と言われる世界遺産の街並みが広がっている。

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でも城壁の中に行くのはまだおあずけ。
ひとまず、「アドリア海の真珠」を外から眺めることにしましょう。

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城壁の外側を歩いていこう。
中がチラッと見えないかなあ。

旧市街は中央部分が低く、まわりがなだらかに高くなっていて盆地のようになっている。

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高台の住宅街をのぼっていくと、見たかったものが見えてきた。

「おお~」
「きれいだねえ~」
海に浮かぶような旧市街。

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紛争の傷跡が目についてきたボスニアの旅。
もちろん、ここドブロブニクも当時は戦渦に包まれたけど、いまではその痕跡はほとんど見られない。
世界中から観光客が集まり、活気があり、セルビアやボスニアよりも戦後の復興はかなり進んでいる。
ここにいれば戦争のことなんて忘れそう。

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ボスニアと比べて街が明るいのは、破壊されたままの家がないことや、きらめく海があるからだけではなさそう。
カトリック教徒が多くイスラム教徒の少ないクロアチアは、とても開放的。

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イスラム教徒を否定する気はないけれど、やっぱり女性としては同じ女の人が自由に街を歩いているのを見るとうれしくなる。
わたしだけではなく、それはケンゾーもか。
露出度が高すぎるのもどうかとは思うけど。

旧市街のすぐそばのビーチは人、人、人!

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トップレスの女性もいて、興奮気味のケンゾー。
「すげ~」と、かなりうれしそう。
それはわたしたちの目に焼き付けて、残念ながら写真は載せませんよ。

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わたしたちも泳ぎたいけど、あいにく水着はホテルに置いたまま。
翌日、ふたたびここへ。
この日はこの前よりもだいぶすいていた。

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オレンジの屋根の古い街並みを見ながら、エメラルドグリーンの海でほてった体を冷やす。

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あの城壁の中には、いったいどんな街並みが広がっているのだろう。

実はイクエは前回の旅で旧市街は経験済み。
なので、中の様子はドブロブニク初潜入のケンゾーが次回「世界遺産編」でたっぷりお伝えします。

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城壁の上を歩いて一周したケンゾー。
どうだったかな。
乞うご期待ください。
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ボスニア・ヘルツェゴビナ「モスタルの旧市街」☆☆ 平和の象徴となることを願って

2014.09.04 06:00|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
ラーメンはかた麺、うどんはやわ麺、柿は熟れて柔くなったよりも堅い方が好きなケンゾーです。
熊本出身の妻も当然のようにラーメンはかた麺が好きだと思ってたのに、ちょっと前に実はかたいのはあまり好きじゃないと知って愕然としたことがありました。
ちなみに、妻の地元もバリバリ、コテコテの豚骨ラーメンです。
ああっ、元祖長浜ラーメンが食べたい!!

親切な人たちの車に乗せてもらってたどり着いた、世界遺産の街モスタル
小高い山のふもとに白い壁、茶色い屋根の家が集まっている。
自然に囲まれてのどかな雰囲気が漂うかわいらしい街。

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事前にネット予約したホテルは、街を流れるネレトヴァ川の東側にある「HOSTEL SANJA」

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Wi-Fi、キッチンあり、ダブルルームで41マルカ(約3000円)。
広い庭から見える景色がとても素晴らしい。
洗濯物も干し放題!

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15世紀中頃から始まったオスマン帝国の支配下で発展を遂げたモスタル。
イスラムの勢力下ではあったけれど他宗教に寛容な土地柄で、カトリック教徒も共存してきた。
けれど、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という悲劇がモスタルを襲うことに。

ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、モスタルはユーゴスラビア軍に包囲され、街は爆撃されてしまう。
この素朴で味わいのある旧市街の街並みも紛争後に再建されたもの。

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街のところどころに破壊された古い建物がそのまま取り残されている。

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モスタルの悲劇はそれだけでは終わらなかった。
ユーゴスラビアからの独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴビナから、こんどはクロアチア人たちが独立を宣言。
モスタルを首都と定めたクロアチア人勢力と、ボシュニャク人勢力によって街は東西に分断。
紛争終結後の現在も、ネレトヴァ川の西側はカトリック教徒のクロアチア人地区、東側はイスラム教徒のボシュニャク人地区と分けられている。

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ネレトヴァ川の両岸に広がるクロアチア人・ボシュニャク人それぞれの旧市街。
隔てられた旧市街を繋いでいる美しい石橋がモスタルのシンボル、スターリ・モスト

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オスマン帝国がこの地を治めていた1566年に造られたスターリ・モスト。
全長30m、高さ24m、美しいアーチを描いたこの橋は、当時の最先端技術の結晶だった。

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しかし紛争さなかの1993年11月、クロアチア勢力の砲撃によってスターリ・モストは破壊されてしまう。
美しいモスタルのシンボルは川底へと崩れ落ち、見るも無惨な姿になってしまった。

隣人同士が戦いあった紛争が終結したのが1995年。
周囲の歴史的な建物も含め、スターリ・モストの再建がはじまったのが1999年。
再建にはおよそ1200万ユーロが費やされ、2004年に完成。
造られた当時と同じ美しいアーチをふたたびネレトヴァ川に架けることができた。

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スターリ・モストは再建された翌年に世界遺産に登録。
その歴史的価値だけではなく、「再建」というプロセスを経たことで、多民族・多文化の共生や和解の象徴となったことが評価されたんだそう。


さて、いちどは人間の手によって破壊された「モスタルの旧市街」。
「星いくつ?」

「星、2つ!

緑豊かなネレトヴァ川湖畔に広がる旧市街の街並みや、美しいアーチを描くスターリ・モストなど、たしかにきれいで絵になる街ではある。
けれど、戦渦に見舞われた歴史を考えると「負の世界遺産」という気がしないでもない。

瓦礫と化した状態から再生されたプロセスが「多民族共生の象徴」と言われているけれど、実際には今現在もクロアチア人とボシュニャク人は川を挟んで住み分けがされている。
象徴ではなく、ほんとうにお互いが和解し、昔のように共生しつづけていければいいんだけど。

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最後に、仲間同士で殺しあうという悲しい過去を持つボスニア・ヘルツェゴビナのこれからの平和を願い、美しくライトアップされたスターリ・モストの夜景をお見せします。

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美しいアーチを描くスターリ・モストが、一時は憎しみあった民族がふたたび手と手を取り合う架け橋となることを願って。
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「旅」を旅っぽくするには?

毎日鶏肉ばかり食べているイクエです。
外食すると、まったく野菜がでてこない。
ビタミン不足のはずだけど口内炎にもならないので不思議。
野菜のかわりにフルーツでビタミンを補おうかな。

お墓と銃弾の跡ばかりの首都サラエボ。
戦争の悲しみを背負っている首都がこれから迎えるのは平和な時代であることを願いながら、この街を発つ。

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次に行くのは世界遺産の橋がある街。
異なる民族をつなげる架け橋がある街は、モスタル

モスタル

直通バスもあるけれど、きょうもヒッチハイクに挑戦することにした。
目的地はモスタルだけど、130キロはありそうなのではじめからモスタル行きの車をつかまえるのは至難の業。
刻んで少しずつ近づこう。
地図を見ながら、サラエボからモスタルの間にある街の名前を紙に書いていく。

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ヒッチハイクをする場所は、モスタルへ通じるハイウェイの入口。
そこまで路面電車で行く。
サラエボの路面電車は1885年から運行されていて、朝から夜までの終日運行がヨーロッパではじめて取り入れられたのだそう。
最先端の街だったんだ。

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ヒッチハイクしやすい場所までわざわざ路面電車で移動することは面倒に思えるかもしれないけど、そんなことはない。
だって、サラエボからモスタル行きのバスや列車に乗るにしてもどうせバスターミナルや駅までは行かないといけないから。

ちなみにサラエボの街には長距離バスターミナルが2か所ある。

ひとつは駅の近くで、クロアチアや西ヨーロッパ、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦国内を結ぶ便が発着している。
つまりボシュニャク人が利用するバスターミナル。

そしてもうひとつは南側のセルビア人地区にあるバスターミナルで、セルビアやモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ内にあるスルプスカ共和国の街を結ぶ便が発着している。
こちらはおもにセルビア人が利用するバスターミナル。

イスラム教徒が多く住むボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が多く住むスルプスカ共和国。
見えない境界線が街を分断し、2つの異なる国がサラエボにも存在しているかのよう。

わたしが大学の卒業旅行でボスニアに滞在していたとき、空きアパートを借りていた。
ボスニアの次の目的地はベオグラードで、セルビア人側のバスターミナルに行く必要があった。
夜行バスだったので出発は深夜。
アパートのオーナー夫妻が、夜中にバスターミナルまで車で送ってくれることになった。

セルビア人ではなかったオーナー夫妻。
突然真っ暗な道ばたで車を止めた。
「ほら!はやく降りて!!この道をもう少し歩くとバスターミナルに着くから。むこうに明かりが見えるでしょ、あそこよ。」

わたしはびっくりした。
こんな深夜にこんな暗い場所に異国の20代の女の子を荷物とともに置き去りにするなんて、ちょっと冷たすぎない?
あと100メートルか200メートルくらいで着くなら、そこまで送ってくれればいいのに。
とまどうわたしを夫妻は急かせる。
「ここからはセルビア人たちが住んでいる場所だからものすごく危ないの。なにされるかわからない。でも、あなたは大丈夫だから!早く!」

わたしが車から降りるやいなや、猛スピードでUターンして帰っていた。
わたしはあっけにとられて、小さくなっていく車を見つめていた。
紛争が終わって何年も経つのにまだ見えない境界があることにショックを受けながら、その先に見える灯りを目指し真っ暗な道を歩いたのを覚えている。

あのときから、この街は変わったのだろうか。

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ヒッチハイクをはじめて30分もしないうちに1台の車が止まってくれた。
窓に取り付けるブラインドをつくる工場で働いている人で、仕事に行く途中だった。

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紛争が終わってずいぶん経つけれど、まだ民族や宗教の話はデリケートなものでこちらから聞くのはタブー。
男性がどの民族に属するのかはわからないけど、ボスニアの感想を聞かれて「緑がきれいで自然が多くて人々が優しいから、とてもすてき」と言うと、「そうだろう!」と笑顔で喜んでくれた。

男性にお礼を言って、ふたたびヒッチハイク開始。

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なかなか車が止まらない。
わたしたちは1時間半くらいは粘るけれど、それ以上がんばっても車が止まらないときはヒッチハイクをあきらめることが多い。
1時間半と考えれば30分くらい車が止まらないのは、なんてことはない。
今回も30分くらいで車が止まってくれた。

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いざ車に乗ると、後部座席の足元には車の屋根に取り付ける「TAXI」のプレートが転がっていた。
きっとタクシー運転手で、きょうは休みの日だったんだ。

行き先を告げたものの、英語は通じなかった。
わたしたちがヒッチハイクをしていることをわかってくれてるかな。
降りるときに料金を徴収されないかな。

どうなるかなあと思っていたけど数十キロ進み、「自分はこの道を曲がるから」とそのまま降ろしてくれた。

ヒッチハイクは路上に立って車をつかまえるときもドキドキだけど、乗っているときもドキドキする。
英語が通じないことのほうが多いし、外国では白タクも多いから、わたしたちがヒッチハイクをしていることを理解してもらえているか不安。
しかもどこで降ろされるかわからないので、内心は「1キロでも遠くまで乗せてくれますように」と願いながら乗っている。

すごろくで自分の番がくるのを今か今かと待ち受けるように、路上で止まってくれる車を待つ。
自分の番がくると「少しでもゴールに近づけますように」とドキドキしながらサイコロを転がすように、いざ車に乗せてもらうと「少しでも先に行ってくれますように」と願う。

今回降ろしてもらったのは、山の中の峠道。
ふたたびヒッチハイク。
先にはトンネルがあるし、手前はカーブが続いているし、車を止めにくそうな場所。

炎天下で喉が渇く。

持っているペットボトルの水がなくなりそうだけど、水を買えるようなお店はない。
幸いにも湧き水がでているところを見つけて、しのぐ。

場所が悪いのかなあ。
100メートル、前や後ろに移動してみたけど効果なし。

さっきから野良犬がつきまとってくる。
ケンゾーが大の犬好きだということをこの犬は悟っているのかもしれない。

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「車が止まらんのは、コイツのせいやない?」
「わたしたちのペットと思われて、この犬もいっしょに車に乗せないかんって勘違いされとるとかな?」

1時間半が経過。

犬を追い払っても犬はいっこうに離れてくれない。
犬から距離を置こうと移動してもついてくる。

そして、ようやく1台の車が止まってくれた。
若い男性二人組。

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最初に聞かれた。

「この犬もいっしょに乗せるの?」

やっぱり!!

「ノー!ノー!ノー!!!

コイツのせいでヒッチハイクがうまくいかなかったのね。

男性2人は友だち同士で、これから湖に泳ぎに行くのだそう。
運転しているお兄さんはなんとスペイン人。
サラエボの大学に留学してるんだって。
サラエボに留学するなんて、なかなか渋い。
大きなピアスにタトゥー。
パンク系のお兄さん。

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この車、かなりの年代物。
スペインからやってきて、ボスニアで中古車を買ったんだって。

「いくらで買ったの?」
「400ユーロくらい」
「やっすーい!」

海外では、日本じゃ道路を走ってないようなポンコツ車をよく見る。
日本だととっくに廃車になってるような車を、20年も30年も使い続ける。
どうして海外ではまだ通用するような中古車が日本だと廃車になっちゃうんだろうね。
たぶん車検が厳しくて、ポンコツ車だと余計に整備にお金がかかっちゃうからかな。

車はスピードを上げて走っているのに、助手席のお兄さんがいきなりドアを開けた。
何ごと?

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「エアー コンディション!」

もちろん、この車はエアコンなんて効かない。
車内が暑くなると、こうやって走るんだって。

「ボスニアンスタイル!」と笑って説明する。

この2人、ちょっとぶっ飛んでいるので冗談半分でやってるのかなってこのときは思っていた。
でも、この後ほかの車でもドアを開けているのを何台か見たので、ほんとうに「ボスニアンスタイル」だったみたい。

まもなくすると、緑色の川が見え始め、湖が近いことを教えてくれた。

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湖というか、ダムのようになっている。
たくさんの人が泳ぎに来ていた。
海水浴もいいけれど、こんな森に囲まれた大自然のなかの波のない静かな水の中でのんびり泳ぐのも気持ちが良さそう。

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ノリのいいお兄さんとはここで別れを告げて、次の車をつかまえる。
すぐそこの街までしか行かないようだけど、1キロでも2キロでも先に進めるのならありがたい。

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今回運転していた男性にもほとんど英語は伝わらない。
わたしたちがどうしてこんな田舎で車をつかまえているのか、バスや電車に乗っていないのか理解できずに不思議そうにしていた。

そして男性が降ろしてくれたのは街のバスターミナル前。
「ここからモスタル行きのバスがでてるから。」
「ありがとうございます。」

とは言ったものの、わたしたちはバスターミナルを横目で見ながら再び路上に立つ。

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車は止まらない。

そりゃ、そうだよね。
こんなバスターミナルの前でヒッチハイクしていても「バスに乗ればいいのに」って思われるに決まってる。

「これ、無理だよね。」
「バスターミナルから離れよう。」

わたしたちはトボトボと先へと歩きはじめた。

ゴールのモスタルまでまだ半分ある。

するとさっきの湖よりももっと深い緑色の川が見えた。
もしかしてここは・・・。

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崩れ落ちた鉄橋。
橋のたもとに止まったままの機関車。

実はこれ、映画のセット。

ユーゴスラビアの実話をもとに1969年につくられた『ネレトバの戦い』という映画。
アカデミー賞候補にもなった映画はこの場所で撮影された。
そのときに作られた崩れた鉄橋が、記念にそのままにしてあるというのをインターネットで見たことがある。
来るつもりはなかったけど、それがこの街だったんだ。

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ネレトバの戦いとは、1943年、チトー率いるユーゴスラビアのパルチザンとドイツ軍やイタリア軍などからなる枢軸軍との戦い。

枢軸軍からネレトバ川の谷間に追いつめられ、逃げ場を無くした劣勢のパルチザン。
パルチザンが唯一逃げることができる橋も、対岸では敵が待ち構えている。
そんななかパルチザンは、自分たちでわざと橋を爆破する。
そうやって敵の目をあざむき、相手がそこから退去し手薄になっている間にこっそりと仮の橋を一夜がかりでつくり、対岸に渡って窮地を脱したという話。

映画にもなっているその作戦がパルチザンを勝利へ導いたとされる。

パルチザンが勝ったことで、ユーゴスラビアは民族の垣根を越えてひとつの国となり、複数の民族が共存する社会になった。

それなのにそれから50年後、民族同士の争いが起き、結局はバラバラになってしまった。

異なる民族が共存することは不可能なことなのだろうか。
それでも50年間共存できていたという事実に希望を見いだしたいなと思う。

ヒッチハイクをしていたら、1台の車がUターンして戻ってきてくれた。

おじさん2人組。
クロアチア人でクロアチアに住んでいるけど、ボスニアでホテルを経営しているのだそう。

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おじさんのホテルはモスタルの近くにあるメジュゴーリエという村にある。
1981年に6人の子どもたちが聖母マリアを目撃したとされ、それ以来奇蹟の場所として教会が建ちカトリック教徒たちの巡礼の地となった村。
おじさんのくれた名刺にはそのカトリック教会の写真が載っていた。

ボスニア・ヘルツェゴビナというと、ボシュニャク人のイスラム教徒とセルビア人がそれぞれ住んでいて内戦では両者が争ったことがクローズアップされるけど、それだけじゃなくてカトリック教徒のクロアチア人もたくさん暮らしている。
内戦では、この3者が殺しあった。

これから行くモスタルは、イスラム教徒のボシュニャク人とカトリック教徒のクロアチア人が戦いあった場所。

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車は緑の川が流れる渓谷を走っていく。
すぐ近くに迫る岩山がかっこよくもあり、美しくもあり。

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サラエボからモスタルまでは列車でも行けて、バスに比べると運賃もずいぶん安い。
しかも緑の川や湖、渓谷や岩山といった迫力あるボスニアの大自然を車窓から楽しめる景勝ルート。
骨の折れるヒッチハイクよりも列車のほうが何も気にすることなく純粋に景色を楽しめる。
だから列車の旅はすてきだろうなって思う。

それでも、ヒッチハイクをしてよかった。

ヒッチハイクをすると時間も労力もかかるけど、「旅」が旅っぽくなるから。

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きょうという日はただの移動の1日になるはずだったけど、思い出深い旅の1ページになった。

車は目的地、モスタルへと入った。
クロアチア人のおじさんがわたしたちに尋ねた。
「ホテルはどこ?
 どこで降ろさせばいい?
 ムスリム側?クロアチア側?」

世界遺産の橋は、ネレトヴァ川に架かっている。
橋を挟んで、東側がイスラム教徒の居住区、西側がクロアチア人居住区。
わたしたちの泊まるホテルはイスラム教徒地区にあったけど、「どちらでもかまいません」と答えた。

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クロアチア人のおじさんは、橋を渡りわたしたちを降ろしてくれた。
カトリック教会の大きな塔が見えた。
ここがクロアチア人居住区だとわかった。

そして、戦渦で廃墟となった建物。

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ここモスタルも内戦のときは戦場となったのだった。
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不幸なオリンピック会場と美しくないバラ

もうすぐ40歳になる夫を前にして「出会ったときはこの人はまだ20代だったのに、もう人生の折り返しかあ」と思い、せつなくなるイクエです。

ユーゴスラビア紛争の舞台になったサラエボ。
紛争の前までは、イスラム、セルビア正教会、カトリック、ユダヤ教・・・とさまざまな宗教の人が仲良く暮らしていた、多様性のある街として最先端をいっていた国際都市だった。

それなのに、ちょっとしたきっかけで自分とは違う宗教の人が敵となり、疑心暗鬼になり、内戦となった。

内戦が終わり、旧ユーゴスラビアが解体してクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・・・と分かれた今、クロアチアはカトリック教徒、ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒、セルビアはセルビア正教会の人がそれぞれ多数派となった。
とはいえ、今でも異なる宗教の人たちが混在していることに変わりはない。

サラエボには、半径500メートル以内に異なる宗教施設が存在する。

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カトリック教会のサラエボ大聖堂。
サラエボの旧市街は、スカーフを巻いた女性が歩き、街並みもまるでイスラム教徒の国のようだけどそんな街に、このカトリック教会の鐘の音が鳴り響く。

その近くにはユダヤ教徒の大きなシナゴーグがある。

さらにはひっそりとたたずむセルビア正教会。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、街がセルビア軍に包囲され攻撃されたサラエボ。
サラエボ市民の敵となったセルビアだけど、いまでもこの地に住むセルビア人は多い。

そして、毎日何度もモスクのスピーカーから流れるアザーン(礼拝の時間を知らせる呼びかけ)。
鐘の音とアザーン。
宿の部屋にいても、ここが多宗教の街だと教えられる。

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モスクには若い人たちも礼拝のために集まる。
いままでイスラム教の国は何か国も旅してきたけれど、いかにもヨーロッパの顔つきの人たちが礼拝しているのは見慣れなくて違和感を感じる。

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10年前に訪れたときよりも、民族主義は強まっているように思える。

スカーフを巻く女性が多くなっている気がする。
セルビアでも以前はアルファベットの看板が多かったのに、今ではほとんどがキリル文字になっていて驚いた。

多様な宗教、文化が共存していた街は消えようとしている。

第二次世界大戦後、サラエボは急速に発展していった。
多様な文化に彩られ、さまざまな民族が共存するサラエボは、世界のモデルともいえる街だった。
そんなサラエボで1984年、冬季オリンピックが開かれた。

オリンピックが開催され、さらに勢いがつき、国全体が発展していくかに見えたユーゴスラビア。
オリンピック開催からわずか8年後に、この国ですさまじい内戦が起き、楽しいオリンピックの地だったサラエボが戦場となるなんて誰が想像できただろう。

平和な時代を象徴するような冬期オリンピックの施設。
スタジアムやグラウンドはいまもサラエボの街に存在し続けている。

ただし、あのときとは形を変えて。

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グラウンドはいまでは墓地となっている。
紛争中、犠牲者を埋めるスペースもない状況のなかの苦肉の策だったのだろう。

五輪マークのついた塔は、白い墓標を前に存在感がない。

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遺体を埋葬するときもセルビア軍の攻撃は続いたという。
砲撃を避けて、埋葬は早朝か日暮れに行なわれた。

整然と隙間なく並ぶ墓標。
それは、人が日常的に特別なことでもないかのように殺されていき、淡々と機械的に埋められていったことを物語っているかのよう。

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そのとなりには、セルビア人やクロアチア人の墓地もある。
墓地だらけの首都。

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サラエボの東西を貫く大動脈で、路面電車の走る幹線道路は「スナイパー通り」と呼ばれる。
まっすぐに伸びる見通しのいい道路。

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内戦当時は、ここを通る車や歩行者は、高層ビルに潜むセルビア人狙撃兵の標的となった。
子どもも老人も被害にあった。

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以前訪れたときにはなかった近代的なビルが建っていた。
内戦当時は人が寄り付かなかった道路は、再び街の目抜き通りとなっている。

けれど、ここに無数の銃弾や砲弾が飛び交っていた事実は今でも想像できる。

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スナイパー通りにあるホテル「ホリデイ・イン」。
かつて、世界から集まったジャーナリストたちがここに宿泊し、紛争取材の拠点としていた。
世界的なホテルチェーンとあって、設備もしっかりしているし警備もそれなりで、ジャーナリストたちが前線で泊まれる唯一のホテルだったのかもしれない。

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でも、安心して泊まれたかと言えばそうではない。
紛争当時は水も電気も使えなかった。
さらに、このホテルもスナイパーの標的になっていた。

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紛争中、セルビア軍に包囲されていたサラエボ。
そのときの状況を表す地図がこれ。

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赤い部分がセルビア軍の勢力範囲。
サラエボの繁華街は、その赤に囲まれた白い部分。
上の方の白い部分は、セルビア軍ではなくボスニア軍が管轄していたいわば「自由な」ボスニアだった。

地図を見てもわかるようにサラエボの街は完全にセルビア軍に包囲されていたかというと、そうではない。
上に抜ける部分が少しだけあいている。

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でもその部分にあるのは空港。
国連の管理下にされてはいたものの、つねにセルビア軍が監視していた。
なので事実上、サラエボ市民が自由に出入りできるところはなく、街は孤立化していた。

人口の多いサラエボの街では、外から物資も運べず食料も衣料品も不足していく。

地図の上の部分、つまり空港の向こう側のセルビア軍の勢力範囲外だった地区に行ってみた。

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爆撃された家。
ここにも戦争の跡は残る。

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それでもスナイパー通りなんていうものがあり、毎日平均して300以上の砲弾が撃ち込まれたサラエボ市街地に比べれば被害は少なく、空き地や畑が広がるとてものどかな場所。

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向こう側に見えるのは、建物が建ち並ぶサラエボの繁華街。
当時はあそこが包囲されていたことになる。

そして空港。
陸の孤島だったサラエボ市街とこちら側を閉ざすゲートのように横たわっている。

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セルビア軍に包囲されていたサラエボの街。
けれど実はこちら側とあちら側をつなぐ、秘密の地下トンネルがあった。
全長800メートルのトンネルは、いまでもその一部が残されて公開されている。

トンネルの入口はどうなっているのか。
セルビア軍にトンネルの存在を悟られてはいけなかった。

そのトンネルの入口はこんなところだった。

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民家。

無数の銃弾を受けて壁は蜂の巣のようになっているこの民家の地下に、秘密のトンネルは隠されていた。

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事実上孤立していたサラエボと外界とを繋げる生命線。
こっそりと掘られたトンネル。

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このトンネルを使って、包囲されたサラエボの街に食料や衣料品、セルビア軍と戦うための武器などが運ばれていた。

レールが敷かれ、滑車で荷物や人を運んでいたのだそう。

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戦場へ通じるトンネルの外は、静かな住宅地帯。
芝生の庭が広がり、花が咲き誇り、子猫たちが無邪気に遊んでいた。

ネコ好きでなくても、思わず「かわいい~」とつぶやきたくなる。

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生き物を愛おしく思う気持ち。

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抱きしめてその体温にほっとして、なでたくなる衝動。

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小さくて弱いものを守りたくなる気持ち。

そんな本能を人間誰しもがもっている。

なのに、どうして簡単に人と人が殺しあうのだろうか。

「大切な人を守るため」というのは、戦争をしたい政治家たちが好んで使う言葉。
相手を殺すことで、自分の家族が殺されないかといえばそうではない。
相手を殺さなかったなら、自分の家族が殺されるかといえばそうではない。

戦争をやめることこそが、それ以上の犠牲者を生まないこと。

小さな生き物を愛おしく思える人間。
美しいものを美しいと思える人間。

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太陽の光を受けて、赤く輝く美しいバラ。
「きれいだなあ」と思う。

サラエボの街の路上には「サラエボのバラ」と呼ばれるいくつものバラが激しく咲いている。
道に落とされた爆弾の跡に赤い樹脂が埋められたもの。

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砲弾を受けて、人が血を流して死んでしまった場所。

「サラエボのバラ」は、まったく美しくない。
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流血の歴史に翻弄されてきた街

アフリカに入って毎日強い紫外線にさらされて頭髪に危機が訪れているケンゾーです。
きょうエチオピアビザ申請のために証明写真を撮ったんだけど、ビックリするくらい前髪が薄くなってた。
あと3週間で40歳。
坂道を転がるように老けていくんだろうなあ。
若いって、それだけで素晴らしいことだよ!!

ヒッチハイクを乗り継いで到着したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ
旧市街で宿を探すも、けっこう値段が高い。

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旧市街からすこし離れたエリアで探すもなかなかいいホテルが見つからない。
高くて断ったホテルで「親戚の安いホテルを紹介するよ」と言われ、連れて来られたのがここ。

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完全なただの民家。
ソファーやテーブルが置いてある2階のリビングルームをあてがわれた。

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2階にはもう1部屋あるけれど他の客はいないのでふたりで貸切り状態。

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ちゃんとWi-Fiもあって、1泊36マルカ(約2600円)。
サラエボのホテルはけっこう高いので、安く抑えたいならこういう民宿タイプの方がいい。
ただ看板も何もないので探し出すのがちょっと大変。
旧市街北側の丘になってるエリアを彷徨っていると声を掛けられる可能性大。

宿から歩いて15分くらいのところに、サラエボの街を見渡すことができる展望スポットがあるので行ってみることに。
周囲をぐるりと山に囲まれているサラエボ。
緑が多い山の斜面に茶色い屋根の民家がびっしりと立ち並んでいる。

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緑と茶色のコントラストが作り出す爽やかでかわいい街並み。
けれどもうひとつ、常に視界に入り込んでくる真っ白なもの・・・。

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膨大な数の真っ白な墓。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際、サラエボはセルビア人勢力によって約4年間にわたり包囲され周囲から孤立。
「サラエボ包囲」によって1万2千人以上が殺害、そのほとんどは一般市民だった。

サラエボ市内には紛争時に亡くなった人々の墓地があちこちに点在。
どこを見ても必ず墓地が視界に入る。

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展望スポットから眺めるサラエボの街。
青々とした緑に囲まれたとても美しい街並み。

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けれど、やっぱり目がいくのは無数の墓。
押し込められるように、ぎゅうぎゅう詰めで立ち並ぶ白い墓標。
ちょっと異常な光景。

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それはそうだ、実際にここで異常なことが行なわれたんだから。
異なる宗教が何世紀にもわたって共存してきたのに、隣人同士で殺し合うという異常なことがほんの20年前に起きてしまった。

ミリャツカ川周辺に広がるミニチュアのようにかわいらしい旧市街。

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高層ビルが林立する新市街。

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悲しい紛争から19年、緑に包まれた美しい街は平和を取り戻したようにも見える。

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けれどサラエボの一部はスルプスカ共和国(セルビア人共和国)の一部になっていて、市内には見えない境界線が引かれている。
破壊された街の復興はほぼ完了したけれど、深い痛手を被ったサラエボ市民の心の傷はまだまだ癒えてはいないのかもしれない。

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丘を下り、旧市街を散策することに。
旧市街の中心は、いつも人で賑わうバシチャルシャ広場

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紛争前までは人口のおよそ半数がボシュニャク人(イスラム教)、35%がセルビア人(セルビア正教)だったサラエボ。
紛争中、多くのセルビア人がサラエボの外へと避難し、ボシュニャク人の割合がより高くなった。

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16世紀にアラブ地域のスーク(市場)をモデルに作られたバシチャルシャ広場。
赤い瓦屋根の土産物屋が軒を連ねる広場はオリエンタルな雰囲気に包まれている。
ここだけを見るとヨーロッパの国とは思えない。

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いかにもイスラムっぽい丸いドーム屋根が特徴的な建物はブルサ・ベジスタン

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これはかつて絹の取引所だった建物。
当時ここで取り引きしていた絹は、絹の産地として有名だったトルコのブルサから運ばれてきていたのでこの名前が付けられたんだそう。

金銀銅細工の土産物で有名なサラエボ。
美しい装飾品と並んで店頭に飾られているのは・・・

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第二次大戦とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で使用された砲弾・銃弾で作られたペンやキーホルダー。
商品の小物を載せた、細長い花瓶のような筒も戦争の残骸。

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この銃弾が多数の命を奪ったかと思うと、とてもお土産として買う気にはなれない。
けれどそんなものでも工夫して再利用し、平和な物に生まれ変わらせ、生活の糧にするここの人たちの気概も感じる。

人口およそ31万人と、けっして大きな都市ではないサラエボ。
そんな小さな都市が、記憶に新しいボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以前にも度々歴史的な出来事の舞台となってきた。
1914年、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がボスニア出身のセルビア人によってサラエボで暗殺された。
この「サラエボ事件」によって第一次世界大戦が勃発してしまうことに。

その世界を揺るがした一大事件の現場がこのラテン橋
この橋のたもとで皇太子夫妻が凶弾に倒れ、世界中で血が流れる大戦へと発展してしまった。

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暗殺現場となった場所には事件当時の写真などが展示されている。

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自然が豊かで美しい街並みとは裏腹に、流血を伴うネガティブな歴史が付きまとうサラエボ。
あすはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、多くのボシュニャク人の命を救ったあるトンネルをお伝えします。
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