アイスのガリガリ君が食べたくてしょうがないケンゾーです。
なんだかんだ言って定番のソーダ味がいちばん好きです。
毎年のように新しい味が登場するけど、今年は何味?
旧ユーゴスラビア圏を旅しているケンゾーとイクエ。
首都が置かれ、ユーゴスラビアの中心となっていたセルビアから次に向かうのはボスニア・ヘルツェゴビナ。
北部のボスニア地方と南部のヘルツェゴビナ地方の名称が合わさって国名になっている。
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現されていた旧ユーゴスラビア。
ボスニア・ヘルツェゴビナもおもに、ボシュニャク人(ムスリム人)、クロアチア人、セルビア人という3民族による多民族国家。
ただ、多民族といってもそれぞれの言葉や文化などはほとんど同じ。
決定的な違いは宗教。
イスラム教(ボシュニャク人)、カトリック(クロアチア人)、セルビア正教(セルビア人)という3つの宗教が混在してきた。
と言っても、長い間3民族間に大きな争いはなく、違う民族同士の結婚も日常的に行なわれ3民族は穏やかに共存してきた。
けれど1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが相次いでユーゴスラビアからの独立を宣言し、周囲の国で民族間の紛争が勃発すると状況が一転。
それまでうまく共存してきた民族間に亀裂が入り、とうとうボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展。
「民族浄化」のために虐殺や強姦が繰り広げられ、1995年に紛争が終結するまでに20万人以上が死亡、200万人以上の難民が発生するという悲惨な結果になってしまった。
多くの血が流れた民族紛争からまもなく20年。
はたしてボスニア・ヘルツェゴビナはどんなところなんだろう。
セルビアのウジツェからボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボまでバスで行くこともできるけれど、ケンゾーとイクエにはちょっと寄り道したいところがある。
それはセルビアとの国境に近いスレブレニッツァというところ。

まずはウジツェのバスターミナルからバスに乗って国境に近いリュボビジャという町へ。
リュボビジャまでおよそ3時間、500ディナール(約610円)。

茶色い屋根が木々の隙間から見え隠れする森に囲まれた小さな村。
車窓から見える景色は、穏やかで平和そのもの。
ほんの20年前に血で血を洗う紛争が起きたとはいまだに信じられない。


やがて窓の外に川が見えてきた。
セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの間に流れるドリナ川。
川向こうはもうボスニア・ヘルツェゴビナだ。

昼の2時過ぎにリュボビジャに到着。
ここから国境までおよそ5km。

歩いていくにはちょっと遠すぎる。
ということは・・・ヒッチハイクしかないよね。
ベオグラードからウジツェに行くときに雨で断念したからここでリベンジ。
さあ、セルビアは本当にヒッチハイクがイージーな国なのか?
木陰でヒッチハイク開始。

ベリーイージーだった!
開始してわずか2台目の車が、とまってくれた。
やり始めて5分も経っていない。

運転していたおじいちゃんは英語は話せないけど、国境まで行きたいことは伝わった。
到着すると「ここだよ」と言って、降ろしてくれたおじいちゃん。
ケンゾーとイクエがお礼を言って降りると、Uターンして今来た道を戻っていった。
本当は手前までしか行かない予定だったのにわざわざ国境まで行ってくれたんだ!
セルビア人はかなり優しいぞ。

これがセルビア側のイミグレーション。
パスポートのチェックはするんだけど出国のスタンプはなし。
セルビアはここを正式な国境として認めてないのかな。

久しぶりに歩いての国境越え。
まわりを見渡すとのどかな田園風景が広がっている。
こんなにのどかな国境越えははじめてだ。


かなり古そうな橋を渡る。
穏やかに流れるドリナ川、青い空に白い雲、ほんとにピースフルな景色。


ボスニア・ヘルツェゴビナ側にはこの国境の川で、魚釣りや水遊びをする人たちがけっこういる。
ほのぼのとしていいね。


リゾートのビーチみたいにトップレスになってる女性も!
旧社会主義国とは言え、さすがはヨーロッパだね。

ボスニア・ヘルツェゴビナ側のイミグレーションが見えてきた。
駐車場の料金所みたいでかわいらしい。

こちら側ではちゃんと入国スタンプを押してもらってボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
ここからスレブレニッツァまではおよそ8km。
ここももちろんヒッチハイク。


セルビアはベリーイージーだったけど、ボスニア・ヘルツェゴビナはどうだろう。
宗教の違いはヒッチハイクにどう影響するのか?

10分くらいで止まってくれた、やったね。
ちなみに乗せてくれたのはセルビア人。

たまたまなのかもしれないけど、やっぱりセルビア人は優しいのかな。
このあともう1台車を乗り継いで目的地に到着。
運転していたのは30歳くらいの男性。
この車の人も自分から「僕はセルビア人だよ」と言った。
およそ5時間、バスと車3台乗り継いでやって来たのはここ。

「スレブレニッツァ虐殺記念館」。
明日は、ほんの19年前にスレブレニッツァでおきた、8000人以上が殺されたと言われている「スレブレニッツァの大虐殺」についてお伝えします。
なんだかんだ言って定番のソーダ味がいちばん好きです。
毎年のように新しい味が登場するけど、今年は何味?
旧ユーゴスラビア圏を旅しているケンゾーとイクエ。
首都が置かれ、ユーゴスラビアの中心となっていたセルビアから次に向かうのはボスニア・ヘルツェゴビナ。
北部のボスニア地方と南部のヘルツェゴビナ地方の名称が合わさって国名になっている。
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と表現されていた旧ユーゴスラビア。
ボスニア・ヘルツェゴビナもおもに、ボシュニャク人(ムスリム人)、クロアチア人、セルビア人という3民族による多民族国家。
ただ、多民族といってもそれぞれの言葉や文化などはほとんど同じ。
決定的な違いは宗教。
イスラム教(ボシュニャク人)、カトリック(クロアチア人)、セルビア正教(セルビア人)という3つの宗教が混在してきた。
と言っても、長い間3民族間に大きな争いはなく、違う民族同士の結婚も日常的に行なわれ3民族は穏やかに共存してきた。
けれど1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが相次いでユーゴスラビアからの独立を宣言し、周囲の国で民族間の紛争が勃発すると状況が一転。
それまでうまく共存してきた民族間に亀裂が入り、とうとうボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展。
「民族浄化」のために虐殺や強姦が繰り広げられ、1995年に紛争が終結するまでに20万人以上が死亡、200万人以上の難民が発生するという悲惨な結果になってしまった。
多くの血が流れた民族紛争からまもなく20年。
はたしてボスニア・ヘルツェゴビナはどんなところなんだろう。
セルビアのウジツェからボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボまでバスで行くこともできるけれど、ケンゾーとイクエにはちょっと寄り道したいところがある。
それはセルビアとの国境に近いスレブレニッツァというところ。

まずはウジツェのバスターミナルからバスに乗って国境に近いリュボビジャという町へ。
リュボビジャまでおよそ3時間、500ディナール(約610円)。

茶色い屋根が木々の隙間から見え隠れする森に囲まれた小さな村。
車窓から見える景色は、穏やかで平和そのもの。
ほんの20年前に血で血を洗う紛争が起きたとはいまだに信じられない。


やがて窓の外に川が見えてきた。
セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの間に流れるドリナ川。
川向こうはもうボスニア・ヘルツェゴビナだ。

昼の2時過ぎにリュボビジャに到着。
ここから国境までおよそ5km。

歩いていくにはちょっと遠すぎる。
ということは・・・ヒッチハイクしかないよね。
ベオグラードからウジツェに行くときに雨で断念したからここでリベンジ。
さあ、セルビアは本当にヒッチハイクがイージーな国なのか?
木陰でヒッチハイク開始。

ベリーイージーだった!
開始してわずか2台目の車が、とまってくれた。
やり始めて5分も経っていない。

運転していたおじいちゃんは英語は話せないけど、国境まで行きたいことは伝わった。
到着すると「ここだよ」と言って、降ろしてくれたおじいちゃん。
ケンゾーとイクエがお礼を言って降りると、Uターンして今来た道を戻っていった。
本当は手前までしか行かない予定だったのにわざわざ国境まで行ってくれたんだ!
セルビア人はかなり優しいぞ。

これがセルビア側のイミグレーション。
パスポートのチェックはするんだけど出国のスタンプはなし。
セルビアはここを正式な国境として認めてないのかな。

久しぶりに歩いての国境越え。
まわりを見渡すとのどかな田園風景が広がっている。
こんなにのどかな国境越えははじめてだ。


かなり古そうな橋を渡る。
穏やかに流れるドリナ川、青い空に白い雲、ほんとにピースフルな景色。


ボスニア・ヘルツェゴビナ側にはこの国境の川で、魚釣りや水遊びをする人たちがけっこういる。
ほのぼのとしていいね。


リゾートのビーチみたいにトップレスになってる女性も!
旧社会主義国とは言え、さすがはヨーロッパだね。

ボスニア・ヘルツェゴビナ側のイミグレーションが見えてきた。
駐車場の料金所みたいでかわいらしい。

こちら側ではちゃんと入国スタンプを押してもらってボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
ここからスレブレニッツァまではおよそ8km。
ここももちろんヒッチハイク。


セルビアはベリーイージーだったけど、ボスニア・ヘルツェゴビナはどうだろう。
宗教の違いはヒッチハイクにどう影響するのか?

10分くらいで止まってくれた、やったね。
ちなみに乗せてくれたのはセルビア人。

たまたまなのかもしれないけど、やっぱりセルビア人は優しいのかな。
このあともう1台車を乗り継いで目的地に到着。
運転していたのは30歳くらいの男性。
この車の人も自分から「僕はセルビア人だよ」と言った。
およそ5時間、バスと車3台乗り継いでやって来たのはここ。

「スレブレニッツァ虐殺記念館」。
明日は、ほんの19年前にスレブレニッツァでおきた、8000人以上が殺されたと言われている「スレブレニッツァの大虐殺」についてお伝えします。
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