久しぶりに歯ブラシを買いなおしたら、驚くほど歯のくすみがとれたイクエです。
今までホテルについてる無料の使い捨てのやつを長いこと使っていたから・・・。
きのうに続き、きょうもユダヤ教徒の人たちの風習についてお伝えします。
ユダヤ教徒のなかでも「超正統派」と呼ばれる筋金入りの信者の人たち。
黒い服に黒い帽子、長いもみあげ。


シルクハットのような帽子ではなく、見たこともない大きな毛皮のような帽子を頭に載せている人もいる。
最初遠くから見たときは、何かと思ってビックリした。


ちなみに女性も服は黒と白で、ロングスカートにタイツをはいている。
そして頭にはニット帽のようなものやスカーフを巻いている。
だからヘアスタイルがどうなっているのかわからない。
でも敬虔な女性たちは髪を剃っているのだそう。
髪を剃ってかつらをかぶっている人も多いらしい。
エルサレムにはユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も生活しているけど、地区ごとにコミュニティーができている。
超正統派の人たちが住むエリア。
道を歩いている人たちは大げさではなくみんな黒ずくめ。


神への敬意を示す帽子はどんなときも外せない。
この日はときどき雨が降っていた。
それでも帽子をかぶるし、でも大切な帽子を濡らすわけにはいかないから帽子にビニールを被せている人もいる。

たまたま道路に通行人が5人いるだけなのに、同じような格好をしているからユニフォームを着たグループが行進しているようにも見える。

ユダヤ教徒の人たちには、生活において人生においてとても大切な特別な時間がある。
それが「シャバット」と呼ばれる安息日。
金曜日の日暮れから土曜日の日暮れまでが安息日。
シャバットは祈ること以外何もしてはいけない日。
神が天地をつくり、神がユダヤ人の歴史をつくり、自分たちが神に選ばれた民であることに思いをはせる日。
働くことも家事をすることもダメ、車に乗ることも、電気のスイッチを入れることも、携帯電話をさわることも。
イスラエルではこの安息日が徹底している。
公共のバスだって金曜の夜から土曜まで一切運行しなくなるので、旅人からすると本当に不便。
ユダヤ教徒でない人たちも、金曜の夜から土曜まで何もできなくなる。
「あしたは安息日だ〜。」
「うわあ、何もできなくなるねえ。
ホテルで一日ゆっくりするしかないか。」って具合に。
この特別な日に、わたしたちはアメリカ人のユダヤ教徒で、いまはエルサレムで生活している男性に街を案内してもらうことにした。
わたしたちと同じ宿に滞在している無宗教のアメリカ人が彼と友だちで、紹介してくれたのだった。
金曜日の日没ごろ、彼に連れられて嘆きの壁に行く。
そこは今まで見てきた嘆きの壁の光景とは違っていた。
中に入れないほどユダヤ教徒たちで埋め尽くされている。

嘆きの壁の前で、みんなが神妙に祈るのかと言えばそうではない。
とても騒がしくなる。
肩を組んで、高らかに陽気な歌を歌いながらやってきた一団。
シャバットを迎えられることを祝福しているらしい。
嘆きの壁の前で輪になって、ぐるぐるまわりながら踊る。
手を叩いたり口笛を吹いたりして、盛り上げる。
案内してくれている彼が言うには、安息日を迎えるにあたり彼らはとても喜んでるのだそう。
「この青年たちはね。
朝から晩まで12時間ずっとユダヤ教のことばかり勉強してるんだ。
毎日12時間だよ。
やっとあしたは休める日。
そりゃ、うれしいよ。」
青年たちは毎日学校で、数学や科学や語学などではなく、ユダヤ教のことばかり勉強してるらしい。
案内してくれた彼自身も嘆きの壁のすぐ近くにある学校でユダヤ教を勉強していた経験がある。
寄付金で運営されているので学費は無料だったのだそう。
ユダヤ教もイスラム教のように男女に差別がある。
彼も安息日を迎えることが嬉しいようで、笑いながら言った。
「しかも学校には女の子がいない。
男子ばっかりのなか一日12時間、ユダヤ教のことばかり勉強しないといけない。
女の子と話す機会もなくね。」
とっさに口に出てしまった。
「かわいそうだね。」
すると彼はまた笑いながら答えた。
「まあ、たしかに女の子と話すこともできない。
そのかわり、ヴァージンの子と結婚できるから幸せだよ。」
冗談なのか本気なのかわからなかった。
「まあ、そうかもね。」とだけ答えた。
もう嘆きの壁の前はぐちゃぐちゃになっている。
若者たちが明るい歌を大声で歌いながら、飛び跳ね、輪になって踊っている。
その先で、全身黒尽くめの超正統派が壁に向かって祈っている。

あまりにもギャップがあるけど、誰もそれを気にしてはいない。
うるさくて人が多すぎて、収拾がつかない。
みんな熱心なユダヤ教徒に違いないけど、ほかの人のことは眼中にない。
「なんなんだろうなあ。」
「よくわからん。」
ケンゾーと何度もつぶやきあう。

案内してくれているユダヤ人の男性に、ユダヤ教徒のつどいにも誘ってもらった。
シャバットにはみんなでひとつの家庭に集まり、食事会を開き、安息日を祝福し感謝しながら時間を共有するらしい。
彼といっしょに嘆きの壁からユダヤ人街へと移動する。
嘆きの壁での祈りを終えたユダヤ人たちも一斉に自分たちへのコミュニティーへと帰っていく。
我が物顔でアラブ人街を闊歩しながら。


食事会の会場に着いた。
ここからは写真を撮ってはダメと言われた。
会場は一般の人の家だけど、80人くらいのユダヤ人が集まっていた。

みんなで笑いあったり、ハッピーバースデーの歌詞の「バースデー」の部分を「シャバット」にかえて歌ってとても楽しそう。
「シャバット シャローム」と言いながら客を迎える家人。
(「シャローム」は「平和」という意味があり、「こんにちは」などの意味でもつかわれる。)
家人の男性は「シャバット シャローム」とケンゾーにも握手を求めたので、わたしもと思ったら「女性とは握手できません」と断られた。
参加者のなかには、イスラエルに留学中のアメリカ人の若者グループもいた。
彼らはアメリカのユダヤ人学校で勉強しているのだそう。
見かけは明るい普通の大学生。
「土曜日は携帯電話にも出られないんでしょ。
アメリカでユダヤの教えに従った生活を貫くのは難しいんじゃない?」
「そうなんだ、ここよりはね。
でもアメリカでもユダヤ人のコミュニティーのなかで生活しているから、そんなに不便は感じないよ。
友だちもユダヤ人だし。」
それでも、彼らはここでとても生き生きとして楽しそうにしている。
この国では圧倒的にユダヤ教徒が多い。
同士と盛大にシャバットをお祝いし、この幸せなときを共感できる。
個人の家なので広くはなく、中に入れない人たちのために外にもテーブルと椅子が出された。
男女別に座らないといけないのでケンゾーとは別々の場所に座った。
参加している人たちはもちろんユダヤ教徒の人たちで、そのほとんどが海外で生まれ育った人らしかった。
海外でユダヤ教徒として暮らしていたけど、憧れの地イスラエルに移住してきた人たち。
みんな英語で会話している。
アメリカ人も多かったし、フィリピンの人たちもいた。
会はとても厳かに行なわれるのかなと思ったけど、とても明るかった。
だけど食事をしながら談笑というわけではない。
誰かが立ち上がっては、演説をする。
演説の内容は、ユダヤ教の教えに関するものや最近身の回りに起きた神を近くに感じたできたこと、シャバットをみんなで祝福できることへの感謝など。
ユダヤ教の歌も歌う。
とても明るくてノリがいい歌で机をバンバン叩きながらリズムをとる。
もちろんお酒は飲んでいないんだけど、みんな酔っぱらってるのかなと思うぐらい、顔を赤らめて声高らかに歌う。
会社や仕事関係の宴会に似たような感じも受けた。
ちなみに演説をするのも、歌うのも男性。
女性はただ静かに聞いておく。
ずっと誰かが演説をしたり男性陣が歌うので、勝手におしゃべりすることはできない。
食事のメニューは品数も多くてとても豪華だった。
サラダなどにはじまり、鶏肉がたっぷり入ったスープに鶏のオーブン焼き。
ユダヤ教徒では豚肉は食べていはいけないのでスープもメイン料理もチキンだった。
ブドウジュースや炭酸飲料など飲み物も何種類もあった。
とてもおいしかったのがゲフィルテ・フィッシュというもの。
魚のつみれのような、かまぼこを柔らかくしたような食べ物。
ゲフィルテ・フィッシュはシャバットに食べる特別料理らしい。
安息日であるシャバットでは、魚を食べるときに骨を取るという作業も労働にあたるので魚をそのまま食べることは好まれない。
なので、魚肉をすり身にしてニンジンやタマネギといっしょにゆでて冷蔵庫に冷やしておく。
ゲフィルテ・フィッシュは、作り置きできるので安息日に調理する必要はないし、食べるときに骨をどけなくていいので労働せずにすむことになる。
食後のデザート、チョコレートケーキまで出てきた。
でも、デザートを食べずにわたしたちは会場をあとにすることにした。
おなかがいっぱいだし、もう3時間以上いて時間も遅いし、それに・・・。
正直に言うと、あまりもうここにいたくはなかった。
みんなのノリについていけなかった。
心から楽しそうで、とても陽気で。
自分たちが神から選ばれた民で、一番だという揺るぎない自負に満たされていて。
自分たちの土地イスラエルで、こうやってみんなでシャバットを迎えられることに大きな幸福を感じていて。
ケンゾーが言った。
「全然楽しくなかった。
やっぱり、ユダヤ人は苦手だ。
好きになれない。」
ユダヤ人を好きになれない、なんて思うのはユダヤ人差別につながってしまう。
それにユダヤ人だっていろんな考え方の人たちがいるのに、ひとくくりにして「苦手」なんていうのはよくない。
ユダヤ人たちは、ずっと前から各国で不当な差別を受け、ナチスには虐殺もされてきた。
この前行ったポーランドのアウシュビッツでさんざんそのひどさを見てきたし、こんなことは二度とあってはならないと思ったのに。
「そんなこと言うべきじゃないよ、そう思ったらダメだよ。」と思ったけど口にはしなかった。
わたしもどこかでケンゾーと同じことを思っているから。
いままでわたしたちはたくさんの優しいパレスチナ人たちに会ってきた。
彼らはとても明るくて、自分たち以外の人たちのこと日本人のことや日本の文化にも興味津々で、自分たちの置かれている立場を冷静に考えている人たちだった。
「どうして自分たちがこんな目にあうのかな。」「どうしたら自分たちの故郷パレスチナを守れるのかな。」「今後イスラエルとの関係はどうなっていくのかな。」とみんないつも考えていた。
だけどこの会場のユダヤ教徒の人たちに「パレスチナとのことをどう思いますか」なんて聞くのはとても的外れな感じに思えた。
「ハハハ、なに言ってるの」と一蹴されることが目に見えていた。
この温度差はなんなんだろう。
パレスチナに行く前、イスラエルを旅行していたときは、自由な雰囲気で解放的なテルアビブに滞在し「ここに住みたいな」とも思ったし、愛想が良くてにこやかで優しいイスラエル人たちに好感がもてた。
だけどパレスチナを見てからというもの、どうしてもイスラエルやユダヤ人を批判的に見てしまう。
そんなふうに見てはいけない、と心ではわかってるんだけど・・・。
あの光景を思い出す。
とても平和でみんなが人生を満喫しているように見えたテルアビブ。
その雰囲気がとても肌に馴染み、ここなら住めるなって思った。


そしてパレスチナ側から見たテルアビブの方角。
まるで違って見えた。いまいましかった。
パレスチナの土地を侵食するかたちでどんどんイスラエルの街が拡大していた。
イスラエルが勝手につくった分離壁の撤去を求めてパレスチナの人たちが訴えては、イスラエル軍に催涙ガスで追い払われていた。


パレスチナのオリーブ畑をつぶすようにできていくイスラエルの街。
デモに参加してイスラエル軍の襲撃にあって訴えをやめた少年。
少年の焦燥感や、どうしようもない無力感、この気持ちをわかってくれるユダヤ人はいったいどのくらいいるだろう。

素敵なユダヤ人もいる。
パレスチナのことを真剣に考えてくれるユダヤ人もいる。
それは、わかっている。
だけどどうしてもパレスチナ人のことを思うと、色眼鏡でユダヤ人を見てしまう。
どうすればいいのだろう。
今までホテルについてる無料の使い捨てのやつを長いこと使っていたから・・・。
きのうに続き、きょうもユダヤ教徒の人たちの風習についてお伝えします。
ユダヤ教徒のなかでも「超正統派」と呼ばれる筋金入りの信者の人たち。
黒い服に黒い帽子、長いもみあげ。


シルクハットのような帽子ではなく、見たこともない大きな毛皮のような帽子を頭に載せている人もいる。
最初遠くから見たときは、何かと思ってビックリした。


ちなみに女性も服は黒と白で、ロングスカートにタイツをはいている。
そして頭にはニット帽のようなものやスカーフを巻いている。
だからヘアスタイルがどうなっているのかわからない。
でも敬虔な女性たちは髪を剃っているのだそう。
髪を剃ってかつらをかぶっている人も多いらしい。
エルサレムにはユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も生活しているけど、地区ごとにコミュニティーができている。
超正統派の人たちが住むエリア。
道を歩いている人たちは大げさではなくみんな黒ずくめ。


神への敬意を示す帽子はどんなときも外せない。
この日はときどき雨が降っていた。
それでも帽子をかぶるし、でも大切な帽子を濡らすわけにはいかないから帽子にビニールを被せている人もいる。

たまたま道路に通行人が5人いるだけなのに、同じような格好をしているからユニフォームを着たグループが行進しているようにも見える。

ユダヤ教徒の人たちには、生活において人生においてとても大切な特別な時間がある。
それが「シャバット」と呼ばれる安息日。
金曜日の日暮れから土曜日の日暮れまでが安息日。
シャバットは祈ること以外何もしてはいけない日。
神が天地をつくり、神がユダヤ人の歴史をつくり、自分たちが神に選ばれた民であることに思いをはせる日。
働くことも家事をすることもダメ、車に乗ることも、電気のスイッチを入れることも、携帯電話をさわることも。
イスラエルではこの安息日が徹底している。
公共のバスだって金曜の夜から土曜まで一切運行しなくなるので、旅人からすると本当に不便。
ユダヤ教徒でない人たちも、金曜の夜から土曜まで何もできなくなる。
「あしたは安息日だ〜。」
「うわあ、何もできなくなるねえ。
ホテルで一日ゆっくりするしかないか。」って具合に。
この特別な日に、わたしたちはアメリカ人のユダヤ教徒で、いまはエルサレムで生活している男性に街を案内してもらうことにした。
わたしたちと同じ宿に滞在している無宗教のアメリカ人が彼と友だちで、紹介してくれたのだった。
金曜日の日没ごろ、彼に連れられて嘆きの壁に行く。
そこは今まで見てきた嘆きの壁の光景とは違っていた。
中に入れないほどユダヤ教徒たちで埋め尽くされている。

嘆きの壁の前で、みんなが神妙に祈るのかと言えばそうではない。
とても騒がしくなる。
肩を組んで、高らかに陽気な歌を歌いながらやってきた一団。
シャバットを迎えられることを祝福しているらしい。
嘆きの壁の前で輪になって、ぐるぐるまわりながら踊る。
手を叩いたり口笛を吹いたりして、盛り上げる。
案内してくれている彼が言うには、安息日を迎えるにあたり彼らはとても喜んでるのだそう。
「この青年たちはね。
朝から晩まで12時間ずっとユダヤ教のことばかり勉強してるんだ。
毎日12時間だよ。
やっとあしたは休める日。
そりゃ、うれしいよ。」
青年たちは毎日学校で、数学や科学や語学などではなく、ユダヤ教のことばかり勉強してるらしい。
案内してくれた彼自身も嘆きの壁のすぐ近くにある学校でユダヤ教を勉強していた経験がある。
寄付金で運営されているので学費は無料だったのだそう。
ユダヤ教もイスラム教のように男女に差別がある。
彼も安息日を迎えることが嬉しいようで、笑いながら言った。
「しかも学校には女の子がいない。
男子ばっかりのなか一日12時間、ユダヤ教のことばかり勉強しないといけない。
女の子と話す機会もなくね。」
とっさに口に出てしまった。
「かわいそうだね。」
すると彼はまた笑いながら答えた。
「まあ、たしかに女の子と話すこともできない。
そのかわり、ヴァージンの子と結婚できるから幸せだよ。」
冗談なのか本気なのかわからなかった。
「まあ、そうかもね。」とだけ答えた。
もう嘆きの壁の前はぐちゃぐちゃになっている。
若者たちが明るい歌を大声で歌いながら、飛び跳ね、輪になって踊っている。
その先で、全身黒尽くめの超正統派が壁に向かって祈っている。

あまりにもギャップがあるけど、誰もそれを気にしてはいない。
うるさくて人が多すぎて、収拾がつかない。
みんな熱心なユダヤ教徒に違いないけど、ほかの人のことは眼中にない。
「なんなんだろうなあ。」
「よくわからん。」
ケンゾーと何度もつぶやきあう。

案内してくれているユダヤ人の男性に、ユダヤ教徒のつどいにも誘ってもらった。
シャバットにはみんなでひとつの家庭に集まり、食事会を開き、安息日を祝福し感謝しながら時間を共有するらしい。
彼といっしょに嘆きの壁からユダヤ人街へと移動する。
嘆きの壁での祈りを終えたユダヤ人たちも一斉に自分たちへのコミュニティーへと帰っていく。
我が物顔でアラブ人街を闊歩しながら。


食事会の会場に着いた。
ここからは写真を撮ってはダメと言われた。
会場は一般の人の家だけど、80人くらいのユダヤ人が集まっていた。

みんなで笑いあったり、ハッピーバースデーの歌詞の「バースデー」の部分を「シャバット」にかえて歌ってとても楽しそう。
「シャバット シャローム」と言いながら客を迎える家人。
(「シャローム」は「平和」という意味があり、「こんにちは」などの意味でもつかわれる。)
家人の男性は「シャバット シャローム」とケンゾーにも握手を求めたので、わたしもと思ったら「女性とは握手できません」と断られた。
参加者のなかには、イスラエルに留学中のアメリカ人の若者グループもいた。
彼らはアメリカのユダヤ人学校で勉強しているのだそう。
見かけは明るい普通の大学生。
「土曜日は携帯電話にも出られないんでしょ。
アメリカでユダヤの教えに従った生活を貫くのは難しいんじゃない?」
「そうなんだ、ここよりはね。
でもアメリカでもユダヤ人のコミュニティーのなかで生活しているから、そんなに不便は感じないよ。
友だちもユダヤ人だし。」
それでも、彼らはここでとても生き生きとして楽しそうにしている。
この国では圧倒的にユダヤ教徒が多い。
同士と盛大にシャバットをお祝いし、この幸せなときを共感できる。
個人の家なので広くはなく、中に入れない人たちのために外にもテーブルと椅子が出された。
男女別に座らないといけないのでケンゾーとは別々の場所に座った。
参加している人たちはもちろんユダヤ教徒の人たちで、そのほとんどが海外で生まれ育った人らしかった。
海外でユダヤ教徒として暮らしていたけど、憧れの地イスラエルに移住してきた人たち。
みんな英語で会話している。
アメリカ人も多かったし、フィリピンの人たちもいた。
会はとても厳かに行なわれるのかなと思ったけど、とても明るかった。
だけど食事をしながら談笑というわけではない。
誰かが立ち上がっては、演説をする。
演説の内容は、ユダヤ教の教えに関するものや最近身の回りに起きた神を近くに感じたできたこと、シャバットをみんなで祝福できることへの感謝など。
ユダヤ教の歌も歌う。
とても明るくてノリがいい歌で机をバンバン叩きながらリズムをとる。
もちろんお酒は飲んでいないんだけど、みんな酔っぱらってるのかなと思うぐらい、顔を赤らめて声高らかに歌う。
会社や仕事関係の宴会に似たような感じも受けた。
ちなみに演説をするのも、歌うのも男性。
女性はただ静かに聞いておく。
ずっと誰かが演説をしたり男性陣が歌うので、勝手におしゃべりすることはできない。
食事のメニューは品数も多くてとても豪華だった。
サラダなどにはじまり、鶏肉がたっぷり入ったスープに鶏のオーブン焼き。
ユダヤ教徒では豚肉は食べていはいけないのでスープもメイン料理もチキンだった。
ブドウジュースや炭酸飲料など飲み物も何種類もあった。
とてもおいしかったのがゲフィルテ・フィッシュというもの。
魚のつみれのような、かまぼこを柔らかくしたような食べ物。
ゲフィルテ・フィッシュはシャバットに食べる特別料理らしい。
安息日であるシャバットでは、魚を食べるときに骨を取るという作業も労働にあたるので魚をそのまま食べることは好まれない。
なので、魚肉をすり身にしてニンジンやタマネギといっしょにゆでて冷蔵庫に冷やしておく。
ゲフィルテ・フィッシュは、作り置きできるので安息日に調理する必要はないし、食べるときに骨をどけなくていいので労働せずにすむことになる。
食後のデザート、チョコレートケーキまで出てきた。
でも、デザートを食べずにわたしたちは会場をあとにすることにした。
おなかがいっぱいだし、もう3時間以上いて時間も遅いし、それに・・・。
正直に言うと、あまりもうここにいたくはなかった。
みんなのノリについていけなかった。
心から楽しそうで、とても陽気で。
自分たちが神から選ばれた民で、一番だという揺るぎない自負に満たされていて。
自分たちの土地イスラエルで、こうやってみんなでシャバットを迎えられることに大きな幸福を感じていて。
ケンゾーが言った。
「全然楽しくなかった。
やっぱり、ユダヤ人は苦手だ。
好きになれない。」
ユダヤ人を好きになれない、なんて思うのはユダヤ人差別につながってしまう。
それにユダヤ人だっていろんな考え方の人たちがいるのに、ひとくくりにして「苦手」なんていうのはよくない。
ユダヤ人たちは、ずっと前から各国で不当な差別を受け、ナチスには虐殺もされてきた。
この前行ったポーランドのアウシュビッツでさんざんそのひどさを見てきたし、こんなことは二度とあってはならないと思ったのに。
「そんなこと言うべきじゃないよ、そう思ったらダメだよ。」と思ったけど口にはしなかった。
わたしもどこかでケンゾーと同じことを思っているから。
いままでわたしたちはたくさんの優しいパレスチナ人たちに会ってきた。
彼らはとても明るくて、自分たち以外の人たちのこと日本人のことや日本の文化にも興味津々で、自分たちの置かれている立場を冷静に考えている人たちだった。
「どうして自分たちがこんな目にあうのかな。」「どうしたら自分たちの故郷パレスチナを守れるのかな。」「今後イスラエルとの関係はどうなっていくのかな。」とみんないつも考えていた。
だけどこの会場のユダヤ教徒の人たちに「パレスチナとのことをどう思いますか」なんて聞くのはとても的外れな感じに思えた。
「ハハハ、なに言ってるの」と一蹴されることが目に見えていた。
この温度差はなんなんだろう。
パレスチナに行く前、イスラエルを旅行していたときは、自由な雰囲気で解放的なテルアビブに滞在し「ここに住みたいな」とも思ったし、愛想が良くてにこやかで優しいイスラエル人たちに好感がもてた。
だけどパレスチナを見てからというもの、どうしてもイスラエルやユダヤ人を批判的に見てしまう。
そんなふうに見てはいけない、と心ではわかってるんだけど・・・。
あの光景を思い出す。
とても平和でみんなが人生を満喫しているように見えたテルアビブ。
その雰囲気がとても肌に馴染み、ここなら住めるなって思った。


そしてパレスチナ側から見たテルアビブの方角。
まるで違って見えた。いまいましかった。
パレスチナの土地を侵食するかたちでどんどんイスラエルの街が拡大していた。
イスラエルが勝手につくった分離壁の撤去を求めてパレスチナの人たちが訴えては、イスラエル軍に催涙ガスで追い払われていた。


パレスチナのオリーブ畑をつぶすようにできていくイスラエルの街。
デモに参加してイスラエル軍の襲撃にあって訴えをやめた少年。
少年の焦燥感や、どうしようもない無力感、この気持ちをわかってくれるユダヤ人はいったいどのくらいいるだろう。

素敵なユダヤ人もいる。
パレスチナのことを真剣に考えてくれるユダヤ人もいる。
それは、わかっている。
だけどどうしてもパレスチナ人のことを思うと、色眼鏡でユダヤ人を見てしまう。
どうすればいいのだろう。
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