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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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ヨルダン「ペトラ遺跡」☆☆ 世界一の入場料!

2014.04.30 06:01|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
口内炎ができてしまったケンゾーです。
何を食べても痛いんだけど、とくに塩漬けのオリーブが超しみる!

みなさん、ヨルダンと聞いて何を思い浮かべる?
いまいちヨルダン自体がピンとこなくても「ペトラ遺跡」と聞いたら「あー、知ってる!」っていう人も多いんじゃないかな。
世界遺産のペトラ遺跡は「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地としてもあまりにも有名。
そして、入場料がバカ高いことでも有名。
はたして、入場料に見合うだけの魅力ある世界遺産なのか、実際に見て確かめてみよう!

砂漠の町ワディ・ラムからペトラまで直通バスが走っている。
けれどこれもツーリスト価格が存在する。
現地の人たちは2~3ディナールなんだけど、外国人は有無を言わさず7ディナール(約1000円)!
納得がいかないので一応抗議はしたんだけどまったく相手にされない。
乗せてもらわないとどうしようもないので渋々払う。
人数が集まったらタクシーの方がお得だと思う。

しかも「荷物をルーフに載せるのはタダだけど、車内に持ち込むのは1ディナール。きょうは雨が降るから、車内に入れるでしょ」って言ってきた。
現地人は普通に車内に大きな荷物をタダで持ち込んでいる。
外国人から金を巻き上げる気まんまんで不愉快になる。

「今は雨も降ってないしカバーもつけてるからルーフの上でいい」って言ったら「今回だけ特別に無料で中に入れてもいいよ」だって。
恩着せがましい言い方!
いくらなんでも7ディナールはやり過ぎだ!って言うと、「そんなことない。ニューヨークのタクシーはもっと高いよ。」なんて意味の分からないことを言ってきた。
ここ、ニューヨークじゃないし。
しかも、タクシーじゃないし。
う~ん、ヨルダン人ってかなり癖があるなあ。

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ペトラ

1時間ちょっとでペトラに到着。
宿は、ペトラと言えばここ「バレンタイン イン」

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このホテルはテラスからの眺めが最高。
ほら、いつでもペトラを眺めることができる。
このホテルのことは今度詳しくお伝えしま~す ♪

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右奥に見える大きな岩山のようなものがペトラ遺跡の入口部分。
知らなかったんだけど、ペトラ遺跡ってめちゃくちゃ広いんだよ。
それじゃあ、インディ・ジョーンズになりきって冒険に出発!

さあて、ここがペトラ遺跡のエントランス。
ここで重要な決断を迫られる。
それは「何日券を買うか?」というもの。

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入場料が超絶に高いペトラ遺跡。
なんたって1日券が50ディナール、約7200円だからね。
もう笑っちゃうくらい高い。
2日券が55ディナールで、3日券が60ディナール。
元が高いんだけど、それぞれ1日で5ディナール(約720円)しか違わないので悩ましい。
ちなみに3日券を買うと4日目は無料で入れる。

これまたムカつくことに、ヨルダン人の入場料はなんと1ディナールなんだよ!
1/50ってどういうこと?!
政府がそんなことをするから「外国人からはぼったくっても問題ない」ってことになるんだよ。

ケンゾーとイクエは悩んだ末に2日券を買うことに。
1日だと7200円でバカ高いけど、2日券だと1日当たりおよそ4000円でお得!
っていっても高いことに変わりないけどね。
ちなみに、2日券と3日券を買うにはパスポートが必要。
チケットに名前が印字される。
他人に譲ったりできないようにだろうね。

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ふたりでおよそ1万6千円(泣)を払っていざ中へ。
白っぽくゴツゴツとした岩山が幾重にも折り重なっている。
晴天じゃないのがちょっと残念。
青空で太陽が降り注いでいたら、またぜんぜん違う景色だろうね。

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インディ・ジョーンズに出てきたいちばんの見どころ「エル・ハズネ」までの道のりは長い。
まずは岩に掘られた墓が点在するエリアを抜けていく。
しょっちゅう「馬に乗らないか?」と声を掛けられるけれど、たいした距離じゃないから歩きでじゅうぶん。

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てくてくと歩いていると、まるでここに来るのを待ち構えてくれていたかのように雲の切れ間から青空が見えてきた。
よかったよかった。
なんせ高い入場料を払ってるからね。
天気が悪いとかなりヘコむよ。

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巨大な岩に挟まれた細い隙間が目の前に現れた。
これはシークと呼ばれる狭い岩の裂け目。
およそ2kmにわたって切り立った断崖の間を縫うように細い道が続いている。
ここからがペトラ遺跡の本格的なスタートだ。

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ペトラはこの地に住んでいたナバタイ人が作り上げた都市の遺跡。
その都市への入口がここ。
岩でできた天然のゲートだ。

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「ペトラ」とはギリシア語で「岩」の意味。
横だけじゃなく頭上にも荒々しい岩が迫りくる。
その高さは60~100m。
上を見上げていると地球の割れ目に落ちてしまったような不思議な感じ。

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ペトラの古代都市は山に囲まれ盆地のようなところに作られている。
奥にある都市の中心に向かってなだらかに下っているシーク。
両脇に水路の跡が残っているところがある。
素焼きの土管を敷いて水を引いていたそうだ。

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滑らかな曲線を描く岩肌。
くねくねと曲がりくねっているので、巨大な迷路を探検しているよう。
頭の中ではインディ・ジョーンズのテーマ曲がエンドレスで流れる。
映画を観たときのワクワク感が、39歳の今そっくりそのまま蘇る。

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岩肌は刻一刻とその色を変えていく。
とくに紅く染まる早朝と夕方はとても幻想的。

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太陽の動きとともに違う表情を見せてくれるシーク。
二度と同じ景色を見ることはできない、オンリーワンな空間。

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シークを歩くこと3分、岩の隙間からまばゆく光るものが見えてきた。
あれがインディ・ジョーンズの舞台となったエル・ハズネか?
このチラリズムがたまんないね。

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頭の中だけじゃ収まりきれずに、♪タン~タ タッラ~ タ〜タタ〜ン♫ と口ずさみながら歩を進めると、突然視界がドーンと開けた。
最大の見どころ、エル・ハズネの登場だ。

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現在この地に住むベドウィンたちは「宝物殿」と呼んでいるけれど、もともとは前25年にナバタイの王アレス4世が造った霊廟。

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岩肌を削り、中を彫り抜いて作られていて、高さは43mもある。
上の方に壊れた壷が見える。

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その昔、ベドウィンがこの中に宝物が入っていると思って銃で撃ったそう。
もちろん中には何も入っていなかった。

インディ・ジョーンズではこの建物の奥に不老不死の水が隠されていたんだよね。
以前は中に入ることができたみたいなんだけど、残念ながら今は入れないようになっている。
外からも中は見えるけど霊廟なのでがらんとしていて、とくに何もない。
映画の中では、奥行きがあって、迷路のように入りくんでいて仕掛けがあって、たくさんの部屋があったんだけどね・・・。

迫力満点でとても素晴らしいんだけど、遺跡よりも気になるものが・・・。
正面に変な格好をしてちょこんと座ってる謎の人がいるんだよね。
なんだろう?
観光地によくいる、お金を払って記念撮影をするやつかなあ。

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しれ~っと横に座って様子見。
この彼、すごく姿勢がいい。
でも携帯電話をいじっている。

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この人、じつは警備員だった。
お願いしたらいっしょに写真も撮らせてもらえる。
もちろん無料で。

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ここから先、たくさんの遺跡が広大なエリアに点在している。
そのほとんどは岩をくり抜いて作られたお墓。

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内部には棺として使われていた穴がいくつも空いている。

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今ではベドウィンの家畜小屋として使われているものも多い。
いつでもどこでもロバは哀愁感を漂わせてるね。

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「王家の墓」と呼ばれる岩窟墓群。
マーブル模様の岩肌がとても特徴的。

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これらの遺跡は西暦1〜2世紀に建てられたもので、古代ローマの建築様式を真似て作られている。
内部はとてもシンプルな造り。
ガランとしている。

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シークを抜けると視界がぐんと広がってとても壮大な景色が広がる。
色鮮やかな衣装を着せられたラクダたちが雰囲気を盛り上げる。

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ちょっと意外だったのは、「ローマの円形劇場」があったこと。

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西暦2、3世紀に作られたもので、5000人以上収容できたそう。
それにしても、ローマの円形劇場はどの国にもあるね。

「柱廊通り」と呼ばれるかつてのメインストリート。
551年におきた大地震でほとんど崩れてしまったけれど、わずかに残る柱と凱旋門跡がかつての栄華を偲ばせる。

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古代ローマの兵士の衣装をまとった人たちがパフォーマンスを行なっていた。
これがかなりグダグダで観光客の失笑を誘っていた。
ほとんどの人がいい歳をしたおっちゃんで、動きがぎこちない。
「右向け〜右」のときに左を向いたり、後ろを向いたりする人もいる。
まわりをチラッと確認しながら、なんとかついていっている。
チャップリンの喜劇を見てるようだった。

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さらに奥へと進んでいく。
岩山の隙間を縫うように険しい階段を登っていく。

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登りはじめておよそ1時間、もうひとつの見どころ「エド・ディル」に到着。
1世紀中頃に造られたナバタイ人の神殿だ。

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幅50m、高さ45mでエル・ハズネよりも大きい。

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「ディル」とは「修道院」の意味で、ビザンチン時代には修道院として使われていたそう。

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さて、世界でいちばん入場料が高い世界遺産だと言われている「ペトラ遺跡」。
「星いくつ?」

「星、2つ!

いやあ、やっぱりワクワクするね。
いちばんの見所エル・ハズネに到達するまでのシークがとてもいい。
曲がりくねった細い道、切り立った岩の隙間から見える青空、冒険心をかき立てられるくねくね道。
自然が作り出している演出が見事。
限りなく3つ星に近い2つ星。
これでもうちょっと入場料が安かったら文句なしの3つ星なんだけどねえ。

でもペトラ遺跡の魅力はまだまだこんなもんじゃない。
一般的にいちばんの見どころはエル・ハズネなんだけど、ケンゾーとイクエが気に入ったのは違うポイント。
次回もペトラの素晴らしさをまだまだお伝えします!
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ヨルダン「ワディ・ラム」☆☆☆ 月の谷をさまよう

2014.04.28 08:43|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
ケンゾーと家畜が放牧されている場所で野宿したら、服もバッグもウンコ臭くなったイクエです。
バッグがウンコ臭くなったのは、スリや盗まれたりしないからいいかもしれませんね。
ウンコ臭くなった寝袋は川で洗いましたよ。

ヨルダンの旅では、世界遺産の「ペトラ遺跡」さえ見られればいいかなあと思っていたイクエとケンゾー。

でも、イスラエルのイブラヒムじいちゃんの家に泊まっていたとき、先にヨルダンを旅していた中国人のバックパッカーから別の場所をすすめられた。

「ワディ・ラムが良かった。
 絶対そこに1泊はしたほうがいい。」

「ワディ・ラム?
 どこ、それ?」


「ワディ・ラム、『月の谷』っていう意味なんだ。」

「何があるの?」
「砂漠で、大きな岩があって、すごくいい場所だよ。」

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ワディ・ラムなんて知らなかったし、なかなかその名前を覚えられないでいたけれど「月の谷」っていう意味だけはそのとき覚えた。

まったく興味ももっていなかったワディ・ラムだけど、世界遺産に認定されている。
砂漠が世界遺産になっているのは珍しい。

74000ヘクタールの広大な砂漠を観光するのに活躍するのが4WD。
荷台に乗って、巨大な奇岩や古代人の岩絵などを見て回る。

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イクエとケンゾーも4WDをチャーターするかサファリツアーに参加するつもり。
だから砂漠のキャンプの宿泊客たちに、感想を聞いてみた。

「きょう、砂漠をまわったんですよね?
 どうでした?」

「うーん、イエス。
 グッド・・・。」


え!?
その程度の感想?

普通こういう時って外国人の旅人ならテンション高めで「ベリーベリービューティフ〜!」とか「ファンタアアアスティック!!」とか「アメ〜ジング!」とか「エクセレント!!!」とか大げさにほめちぎるよね?

なのに、その程度の感想?

ほかの人にも聞いてみた。
「イエス、ナイス。
 あなたもやってみるといいよ。
 でも、すごく疲れた。」


たしかにサファリツアーから終わってきた人たちの表情はものすごく疲れていた。
彼らが言うには、砂漠のオフロードでは車が揺れまくって腰も痛くなるらしい。
しかも炎天下の中を一日中荷台に乗っておくのは、焼けるし、暑いし、埃っぽいし、体力を消耗する。

ワディ・ラムを日帰りで観光する人は4WDで絶景を堪能すべきだとは思うけど、そもそもわたしたちは砂漠のどまんなかで寝泊まりしている。
一歩外に出ても、窓からも、その景色に浸れるのだ。

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いま、まさに絶景の中にいるんだから、いちいち車をチャーターして砂漠を回る必要はないんじゃないか。
ちょっとこの辺を歩くだけで、じゅうぶん楽しめるんじゃないか。

実際、寝泊まりしているテントのすぐ裏は小高い岩山で、ここからの朝の景色もとても素敵だ。

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霞んでいて、遠い岩山ほど色が薄い。
そしてついには見えなくなる。
そのずっと向こうまで、迫力のある巨大な岩が折り重なって続いている。
果てしなく続いているような気にもなってくる。

「地球って広いなあ。
 いや、ここは地球じゃないのかもな。
 別の惑星のような・・・。
 まさしく『月の谷』。」


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あの霞んで見えなくなっているところは、どうなっているんだろう。
近いのか、遠いのかもわからない。

イクエとケンゾーはサファリツアーには参加せずに自分たちで一日かけて歩き回ることにした。
スマートフォンを使ってGPSのマップで位置確認ができるから、さまよってもここには戻ってこられる。

ということで、水と昼食と服をもって朝からキャンプ場を後にする。

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10分ほど歩くと、テントが見えてきた。
ツーリスト用のキャンプ場にしては、どこか雑然としている。

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檻に入れられたヤギがこちらをうかがっている。
ここは、ベドウィンの家。
彼らは、ここが世界遺産になるずっとずっと前からこの地で家畜とともに生きてきた。
「月の谷」での人生。

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べドウィンにとっては日常生活の場でも、わたしたちには異空間。
砂と巨大な岩しかないここはとても不思議な場所で、距離感や時間の感覚がなくなる。

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近そうに見えた向こうの岩。
10分くらいでたどり着くかと思っていたけど、30分歩いてもたどり着かない。
それどころか、岩の大きさも同じまま、まったく近くならない。

いや、でも30分も歩いてないのかも。
30分は過ぎたように思うけど、実は5分しか経ってないのかな。

ここが「月の谷」と言われるのは、この風景が惑星のようであるからだけではないのかもしれない。
距離感も時間の感覚もなくなるところが、もはや地球上の場所ではないように思わせる。

でも、そんな不毛の大地のような場所でもしっかりと植物たちは生きている。

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とっても小さいってことをのぞけば、この花なんてアヤメみたいで日本を思い出す。
ふるさとを思い出させるここは、やっぱりほかの星なんかじゃなくて地球なんだ。

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ふたりだけで、まったく知らない惑星に迷い込んだかのような錯覚。
だけど、ところどころにツーリスト用のテントが設置されている。

ああ、そうだ。
ここは地球なんだ。
わたしたちみたいなツーリストがほかにもたくさんここにいるんだ。

ここが地球だと思い出させてくれるキャンプ場は、この広大なワディ・ラムに数十か所はあると思う。

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突然風が吹きすさび、砂埃が舞い、視界が遮られた。
目も開けられないほど。
砂が体にぶつかってきて痛い。

とっさに顔を後ろに向けて、体をガードする。
こんな過酷な砂嵐のなかでも、ラクダはゆうゆうと草を食べている。

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この砂嵐はいつまで続くんだろう。
風に立ち向かうように、顔を覆って一歩ずつ進んでいく。

砂で景色はぼんやりとしか見えない。
「うわあ〜、何これ。どうしよう。」
「あ〜、風やんでくれんかなあ。」

ふたりで不安になりながらも歩み続けて行くと、突然風は止んだ。
いつの間にか、青空の下へとやってきた。
あの砂嵐はどうしたんだろう。

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目指すのはウンム・フルース石橋。
わたしたちの泊まっているキャンプ場からは5キロくらい。
GPSのマップを頼りに歩いているけど、この欠点は距離と方角しかわからないこと。
最短距離で歩いていると、目の前に巨大な岩が立ちはだかる。
ごろごろと横たわる岩山までは地図には表示されない。

この岩を越えられるのか、それとも岩を避けて迂回すべきか。

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岩の間をよじ上っては、下り、人がぎりぎり入れる隙間を進んでは行く手を阻まれ、引き返したり。
それでも少しずつ前進はしている。
突然、開けたところにでた。

もしかして、そろそろウンム・フルース石橋があるのかも?

おお!!
やっぱりそうだった。

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橋があったら渡ってみたい。
でも、高すぎる?
ケンゾー、岩山によじ上って挑戦。

案外たいしたことないかなあと思ったけど、橋のところまで登ったケンゾーが小さく見えた。
「けっこう、怖いよー。」とケンゾーが下に向かって言っている。

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「ちょっと、写真撮るからもうちょっとはじっこに寄って。
 はい、そこでストップ。」

と注文するイクエ。
「え、これけっこう怖いとよ。」
というケンゾー。

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「はい、じゃあそこでジャーンプ。」
と無茶を言うイクエ。
さて、ケンゾーは!?

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よくできました♡
疲れたのか、体を大地に投げ出して昼寝をするケンゾー。

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と、ひなたぼっこするトカゲ。

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ワディ・ラムは映画『アラビアのロレンス』の舞台にもなったところ。
4WDだと撮影ポイントや、1世紀に建てられた寺院の跡や古代のナバタイ人の碑文なんかも見て回れるけど、自分たちの足でこの不毛地帯を歩いて、この石橋までやってきたってことだけでイクエとケンゾーは満足。

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「じゃあ、そろそろ戻ろうか。」
「帰りは、もっと近道で。」
「方向はこっちだけど、この先も進めるかな。」

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「あ〜あ、
 やっぱり行き止まりやん。」

「じゃあ、あっち側行こうか。」

「おっ!!
 なんかいいんやない?」

「いや、でもここ断崖絶壁よ。
 こっからは下りられん。」


地図には載っていない岩山が、わたしたちのルートのじゃまをする。

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でもここは「月の谷」。
迷いもなく一本道でゴールにたどり着くなんて、ふさわしくない。
ここをさまようことこそ、醍醐味なのかも。

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「なんかあの岩山、プリンみたい。」

赤と白で岩の色が違うのは、岩ができた年代が違うからなのだそう。

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月の谷をさまよっていたら、予測していたところとは違う方向にでた。
「あ、あれ?
 ここ、うちらのキャンプ場じゃない?」


目の前に姿を現したのは、わたしたちのキャンプ場だった。

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4WDをチャーターしなくても、「月の谷」をさまよい、惑星で遊べた大満足の一日。
ちなみに一般的には旅行者は2食と4WDのツアーつきで申し込み、ひとり40ディナール(約5800円)くらい。
でもツアーに参加せず、なおかつ食料を持ち込んで素泊まりだけにすればひとり7.5ディナール(約1100円)。

イクエとケンゾーは初日は持ち込んだカップラーメンなんかを食べて、2泊目は食事付き(2食付きでひとり17.5ディナール)にして、2泊3日満喫した。

ちなみに、4WDツアーに参加しなくてもキャンプ場までの無料送迎でその気分を味わうことができる。
一日中この荷台に揺られるのはちょっときついかもしれないけど、でも村までの30分間はとても楽しいドライブだった。

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ゆっくり自分の足で歩いていくのと、荷台に揺られながらめまぐるしく変わる景色を眺めていくのは違う。
どっちにも、それぞれの良さがある。

豆粒みたいな車が岩山の真下を駆け抜けている。
車と比べると、この自然のスケールの大きさがわかる。

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さて、距離感や時間の感覚、現実感がなくなる「月の谷」と呼ばれる世界遺産の「ワディ・ラム」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

星3つはつけすぎかな。
いや、でもどこまでも続くこの異空間、なぜか居心地の良さを感じた。
1泊のつもりが2泊することにしたし、何もないんだけど3泊してもいいかなと思ったくらい。

しかもこのあとヨルダンの一大観光名所「ペトラ遺跡」に行ったんだけど、ペトラに滞在している間も「あー、またワディ・ラム行きたいなあ」ってしょっちゅう思ってたんだよね。

わたし、カッパドキアもものすごく気に入ってしまったので、巨岩フェチなのかもしれません。

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そうそう、もし自分でワディ・ラムをハイキングするときはくれぐれもお気をつけください。
本当に距離感や時間の感覚がなくなって、迷いやすいです。
食料も地図ももたず、一人で行くのは危険です。
月の谷を一生さまよい、二度と地球に帰ってくることができなくなるかもしれませんよ。
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砂漠のど真ん中でテント泊

2014.04.27 08:17|ヨルダン☞EDIT
ふたり以外誰もいない湖畔で野宿をしたケンゾーです。
砂地の上に寝袋だけで寝たので体はバッキバキ。
でも満点の星空の下で寝るのは最高に気持ちよかった。

残念なホストファミリーのおかげで、最悪のスタートとなったヨルダンの旅。
嫌なことは忘れて、次の場所へ移動して仕切り直しだ。
ケンゾーとイクエが向かうのはサウジアラビアとの国境が近い南部のワディ・ラムというところ。

ワディラム

ワディ・ラムは先住民族のベドウィンが住む砂漠地帯。
自然保護区となっていて大自然を駆け巡る砂漠ツアーやトレッキング、ロッククライミングなどを楽しむことができる。

アカバからはバスで約1時間。
ただこのバスがちょっとやっかい。
現地人は1.75ディナール(約250円)なんだけど、外国人は3倍くらいの運賃が請求される。
アカバとペトラ遺跡のあるペトラ発着のバスはツーリスト価格があるのだ。

バスターミナルへ向かう道すがら、「アリ1.75ディナール、ユー5ディナール」と笑いながら言っていたアリの顔がよみがえる。
ちょっとは申し訳なさそうにすればいいのに、笑ってたからむかつく。
いかん、また思い出してしまった。

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まったく同じサービスを受けてるのに、外国人というだけで高い料金を払うのは納得できないケンゾーとイクエ。
バスに乗ると12、3歳くらいの少年が金を回収しはじめた。
そしたらこともあろうに、5ディナール払えと言ってきた。
はあ、お前がめつすぎやろうもん!

「自分たちは正規価格を知っている。みんなと同じ」と反論していると他の地元の客が話に割り込んでくる。
これがタチが悪い。
「みんな3ディナール、自分も3ディナール払った。」とバス側の肩を持つ。
このおっさんが金を払うときにちゃんと見ていたので、3ディナールも払っていないことは分っている。
けれどいくら指摘しても「みんな3ディナールなんだ。」と譲らない。
後ろに座っているおばちゃんがケンゾーたちの味方をしてくれて、「わたしは1.75だし、この人たちからも同じ額を徴収しなさいよ」みたいなことを言ってくれてるんだけど、「余計な事は言うな!」って感じでおばちゃんを脅す。
けっきょく3ディナールずつ払ったんだけど、なんだかなあヨルダン。
こんなことが続くと、悪い印象をもってしまうなあ。

気持ちはモヤモヤと晴れないけれど、車窓から見える景色はダイナミックで素晴らしい。
赤い砂の大地にゴツゴツとワイルドな岩山がそそり立つ。
なんとなくオマーンの景色に似てるかな。

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砂漠の主役、ラクダの姿もちらほら見える。
遠くに小さく見えるラクダはかわいく見える。
近くで見ると全然かわいくはないけどね。

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ラム村に到着。
もともとは季節によって移動する遊牧民だったベドウィン。
ラム村はベドウィンの定住政策を進めるヨルダン政府がつくった村。
今では、このあたりの砂漠で暮らしていたほとんどのベドウィンがこの村に家を持ち定住している。

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ラム村にも宿泊施設はあるけれど、ケンゾーとイクエはこの村の先、砂漠の中にある「ベドウィン・メディテーション・キャンプ」に泊まる予定。
「メディテーション」ていう名前だけど、別に瞑想する施設ではない。
オーナーの趣味が瞑想らしいけど。

ラム村にオフィスがあって、ここまで来ると無料でキャンプまで送迎してくれる。

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迎えにきてくれた4WDでラム村を出発。
村は突然終わる。
その先には広大な砂漠が広がっている。

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ただの送迎サービスだけど、まるでデザートサファリ。
壮大な景色を楽しみながら今夜の宿へ。
360°広がる大自然。
のそのそと前を横切るラクダ。
砂漠の奥へ奥へと車は走る。
いったいどんなところで今夜は寝るんだろう。
楽しみだ。

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黒いテントが見えてきた。
ここが今夜の宿「ベドウィン・メディテーション・キャンプ」。
砂漠のど真ん中でロケーションは最高。

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ゼブラカラーのテントが部屋。
テントだけどちゃんとベッドで寝ることができる。
窓を開けると、そこにも砂漠のダイナミックな景色が広がっている。

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キャンプのすぐ裏にある岩山がサンセットポイント。
登って砂漠に沈む夕陽を待つ。

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巨大な岩山が造り出す豪快な地形。
その豪快さとは対照的に周囲はしんと静まり返っている。

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自然の中で人間は小さな小さな存在だ。
地球の大きさを改めて実感させられる。

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あしたはどんな1日になるかな。

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この大きなテントが食堂。
中は絨毯が敷き詰められ寝っ転がりほうだい ♪

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夕食は地面の下に作られた伝統的な窯を使ったチキン料理。
穴の中に炭を入れ、チキンと野菜を入れる。
蓋をして砂をかけ、さらに炭を上に置く。
地面の下で蒸す仕組み。

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サラダやパンもついてボリュームたっぷり。
玉ねぎやじゃがいもがホクホクで美味しい。

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そして翌日。
砂漠が静かに目を覚ます。
新しい一日のはじまり。

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朝食はシンプル。
お母さんが大きなクレープのようなものを焼いてくれる。

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バターやジャムをつけて食べる。
薄っぺらいんだけど1枚でけっこうお腹いっぱいになるんだよね。
というより、ちょっと飽きる。
毎日これだと辛いなあ。

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ここに寝泊まりするというだけで心が満たされる。
でも、ここに来る人のほとんどは4WDで砂漠をまわるサファリツアーに参加する。

だけどそれに参加しなくても、自分たちだけでもまわれるんじゃないか。
気力と体力さえあれば・・・。

次回は、無料で楽しむデザートサファリ!をお伝えします ♫

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【旅 info.】
  ベドウィン・メディテーション・キャンプa_DSC_0361_201404270541532a6.jpg
ラム村から無料送迎あり。
ツイン1泊2人15ディナール、2食付き2人35ディナール。
シャワー別料金。
別途自然保護区入場料として1人5ディナール必要。

HP : http://www.wadirumbedouinmeditationcamp.com


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最低のカウチサーフィン体験記 後編

2014.04.25 08:51|ヨルダン☞EDIT
今は旅しやすい格好を一番に考えてファッションには気を遣ってないけれど、日本に帰ったらちゃんとオシャレしていけるかなと気がかりな、あと20日後に34歳になるイクエです。

ヨルダンの最初の宿泊はカウチサーフィンでホームステイすることになったイクエとケンゾー。

寝泊まりは団地の屋上のほったて小屋。
シャワー、トイレ、布団なし。

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ホームステイと言うよりはキャンプ生活と言ったほうがしっくりくる。
それでも現地の人と交流できるし、寝泊まりできるところを提供してくれるだけでもありがたい。

お金が発生せず、人の好意で成り立っているカウチサーフィン。
だから「泊まる場所はこうでなければならない」「ホスト(受け入れる側)はこれをしなくてはならない」なんて決まりはない。
だからカウチサーフィンの捉え方も人それぞれで、ホストもそれぞれ。

バスターミナルや駅まで車で迎えにきてくれて、豪華な食事をふるまってくれて、仕事を休んでまで観光地を案内してくれるホストもいる。
家の住所だけ教えて、家に着くと「台所や洗濯機も自由に使っていいから。はい、これ合鍵ね。自分の部屋と思って好きにやっていいから。」とあまり干渉することなく、ドライな関係を保ち続けるホストもいる。

どんなホストに対しても、ありがたいなあと思う。
知らない相手をよく泊めてくれるなあって思う。

今回のホスト、アリに関して言えば・・・。

1、お世話はあまりしてくれない
2、おもてなしされるという感じではない
3、でも陽気で外国人が大好きで交流するのは好き


3が大事だと思うし、第一こうやって旅人を受け入れてくれるだけでとてもありがたいことなので、イクエとケンゾーに不平はなかった。

初日にみんなで小屋の中で話していると、アリの息子が言った。
「これからビーチに行こう!」
「え、もう夕方だよ。
 それに泳ぐには寒いよ。」

「全然寒くない!
 行こうよ。」


ここはイスラム教の国。
地元の人たちで賑わう公共のビーチで女性が水着で泳ぐのはよろしくない。
ガイドブックにも注意書きがしてある。

でも、せっかくこうやって出会えたのだから、彼らのお誘いを断るのも悪い。
泳げるかはわからないけど、とりあえず服の下に水着を着ていっしょに行ってみることにした。
彼らが嬉しそうにシュノーケルを貸してくれた。

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アリの2人の息子と、アリの同僚、そしてアメリカ人のバックパッカーとともにみんなで歩いてビーチへ ♪
泳げるかはわからないけど、いい大人がみんなでビーチを目指すってなんかいいよね。

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日は沈みかけ、風が強くて服を着ていても寒い。
そして10分ほどで着いたビーチは・・・。

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ほらぁ、こんなときに泳ぐ人なんていないよ。
海水に足を浸してみる。

「うっわあ、冷たっ!」
「これ、泳ぐの無理だよ。」
「いや、全然冷たくない。
 泳げるよ!!」


息子たちが水着姿になりはじめた。
アメリカ人の旅人も、しぶっていたもののTシャツを脱いだ。

いや、でもわたしは無理だよ・・・。
やっぱりここはイスラム教の国だもの。

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息子たちは次々に海へと飛び込む。

そして、こっちを見ながらお願いする。

「飛び込むときにちゃんと写真撮って!」

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「撮った?
 ちゃんと撮って!」

「さっきも撮ったよ。」

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「寒いでしょ。」
「全然寒くない!」

服を着てビーチにいるだけで寒いのに。
本当?

全然寒くないらしいけど、スイミングタイムは5分で終わった。
そりゃそうだよ。

みんなで家路へ・・・
のはずが、なぜか長男がレストランの前で足をとめ「カモン!」と中に入っていった。

入口で店の人が2階へと案内してくれた。
まるでお得意様のような感じだった。

うーん、どういう意味だろ。
お茶でもするのかなあ。
それともここで夕食を食べるってことかな。

前日から泊まっているアメリカ人の旅人に聞いてみると、「たぶんここでご飯を食べるんだと思う。きのうもそうだったから・・・」って返事が返ってきた。

次から次に食事を注文する長男。

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チキンやポテト、サラダ、コロッケみたいなファラフェル、コーラ・・・。

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これは頼み過ぎだよ。

でも、もうじき18歳になる長男は食べ盛りで肥満気味、食欲旺盛だからついたくさん注文したくなるのだろう。
かたやアメリカ人の彼はベジタリアン。
コーラも飲まず、サラダとパンとお茶だけ。

長男はまだタバコを吸っちゃいけない年齢なんだけど、椅子にのけぞってタバコを取り出した。
「絶対にオヤジには言うなよ。」
とわたしたちに言いながら。

そして自分の父よりも年上の、50代くらいの店の従業員を手招きした。
タバコをくわえてアゴを突き出し、「火をつけろ」という。
50代くらいの男性が、ライターの火を手で覆って火をつける。

お前はマフィアのドンか!?
何そのふてぶてしい態度。

注文し過ぎた食事は案の定あまり、お会計のところへとみんなで行った。

「えっと・・・いくら払えばいいの?」
「全部で10.85ディナール(約1550円)。」

そう言うと、長男は先に店を出た。

あ、はい。
そういうことね。
わたしたちがおごるということね。

ベジタリアンでアメリカ人の彼は、ほとんど食べていない。
それに彼はきのうも一人で子どもたちに夕食をおごっている。
彼とわたしたちできっちり割り勘するのは彼がかわいそうだったので、わたしたちが8.85ディナール払うことにした。

別にこのくらいおごることは、不本意ではなかった。
宿泊場所を提供してくれてるのだから、そのお礼に食事をおごることくらいいいかなと思う。

でも、わたしたちはとても不愉快だった。
なぜなら長男が「あんたたちが金を払うのが当然」という態度だったから。
なんで「サンキュー」の一言も言えないのだろう。

カウチサーフィンでやってくる外国人に、いつもこんなふうにいろんなものをおごらせているんだろうな。
そして、それがあたり前になってるんだろうな。
長男の態度から、それが想像できる。

わたしたちは「家」というか「小屋」に戻った。

小屋に戻ると、アリがやって来てこう言った。

「シャワーを使いたければ下の階の我が家で使っていいからね。
 でも、ほら・・・お金を払ってほしいんだ。
 わかる?」

「お金・・・。」
「バスルームを掃除するための費用ね。
 消毒液とか買わないといけないし。」

「いくらくらいですか?」
「それはあなたたちがいいと思う額を。
 まあ、5ディナールくらいかな。」


5ディナール(約720円)?
シャワー代5ディナールって高すぎだよ。
しかもバスルームは家族がいつも使っているから、わたしたちのためだけに掃除しないといけないってわけではない。

アカバではシャワーも使えるダブルルームで12ディナールで泊まれるのに、こんなほったて小屋で息子たちに毎晩夕食をご馳走して、シャワー代に1人5ディナールを払うなんて。

そもそもカウチサーフィンでお金のやり取りをするのはマナー違反。
カウチサーフィンはお金儲けではなくて国際交流をはかるのが目的。

「とりあえず、わたしたちまだシャワーを浴びないので。」

アリが小屋を出て行ったあと、アメリカ人の彼にその話をすると驚いていた。
きっとアリは「シャワー代の徴収」システムを、わたしたちから始めることにしたようだった。

枯れ葉でできているこの小屋。
夜になると蚊が入ってくる。
痒い!
眠れない!!

虫除けスプレーをしても、隙間だらけのこの小屋ではスプレーの効果はすぐになくなるし、新たな蚊が入ってくる。
蚊に何度も睡眠を妨害される。

さらに明け方には雨まで降ってきた。
天井の枯れ葉の隙間から、ポタポタと雨が顔に落ちてくるけど逃げ場がない。

テントのほうがまだマシだなあ・・・。
でも、好意で泊めさせてもらっているだけでもありがたいと思わないと。

次の日。
学校から長男が帰ってきた。
そして、わたしたちに行った。
「外出しよう!」

わたしたちは、寝不足もあってまだゆっくりしたかったし、なにより彼がご飯をおごってもらいたいから誘っているのがわかりきっていたので、「まだ外には行きたくない」と答えた。

すると彼の機嫌が悪くなってきた。

「なんで外にでないの?」
「まだわたしたちお腹空いてないから。」
「でも、俺はお腹が空いている。
 外にいかなきゃダメだ!」

「でも、わたしたちはまだここでゆっくりしていたいから。」

なぜか彼は怒りはじめた。
そして、こう言った。
「じゃあ、金を払え。」

は!?

「いますぐ、金を払え!」

いやいやいや、なんであんたに払わなきゃいけないの!?

「オヤジも言ってただろう。
 シャワー代を払え。」

「でも、わたしたちまだバスルームを使ってないんだよ。
 それに、アメリカ人の彼だってお金を払ってないって言ってたもん。」

「あいつは、頭がおかしいんだ。
 頭がおかしいから払ってない。」


「とりあえず、いまは払わないよ。
 あなたのお父さんが帰ってきてから、話し合うから。
 シャワーを使わなくてもお金を払わないといけないのか。
 いくら払わなければいけないのか、お父さんにもう一度確認したいから。」

「俺に払えばいいんだよ。」

長男はどんどん態度が悪くなっていく。
その態度の悪さに、こちらとしても納得がいかず、これまでの不満をぶちまけたくなってくる。

「わたしたちを今、外に誘い出そうとしているのもなんか買ってもらったりレストランでおごらせたいからでしょ。
そうやって、いつも外国人にたかってるんでしょ。」

「なに言ってんだ!
俺がついていってやってるから、安い値段でご飯が食べられるんだぞ。
俺がいなくてお前たちだけで行ったら、あんなに安く食べられないんだ。
5倍以上するんだぞ!」


そんなことはなかった。
食堂やファストフード店のメニューを見ると、きのうよりも安い値段でいくらでも食べられることをわたしたちは知っていた。

たとえば、わたしたちだけで食べたこのケバブは1ディナールもしない。

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魚定食とチキン定食はスープやサラダもついて、2人で3.75ディナールだった。

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きのうみたいに8ディナールも払えば、立派な食事にありつけることを知っている。

「いいから、金を払え。
 お前たちはここに寝泊まりしてるんだから払わないといけない!」

「あなたには払わない。
 お父さんと相談するから。」


長男は顔を真っ赤にして大声でわめく。

これ以上長男とやりとりしたくなかったので、わたしたちだけで外に出た。

わたしたちは、ここヨルダンのあとエジプトに向かい、ビーチリゾートのダハブでスキューバダイビングをするつもりでいた。
ダハブは物価も安く海もきれいだと旅人の間では評判で、世界一周している人でダハブでスキューバダイビングのライセンスを取得する人は多い。

わたしたちはすでに日本にいたときからライセンスをもっていて、ウェットスーツやレギュレーターなど器材も自前で持っている(もちろん日本に置いてきてるけど)。
夫婦共通の趣味と言えばダイビングだった。

だから、エジプトのダハブで潜ることをとても楽しみにしていたのだった。
だけど、いまエジプトでは外国人ツーリストを標的にしたテロが起きていて、エジプト行きを断念。
そのかわり、ここアカバでダイビングを楽しむことに決めた。

だから、ダイビングショップを探しにいかなければいけない。

わけのわからん長男の相手をしている場合じゃない。

いくつかのダイビングショップをまわり、老舗っぽくて安くファンダイブを楽しめそうなショップを見つけた。
「レッドシー ダイブセンター」

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送迎、器材レンタル料、ファンダイブ2本で40ディナール(約5700円)。
日本に比べたら断然安い。

「日本人のお客さん、すごく多いんだよ」とインストラクターのおじさんが言った。
「え〜? こんなところでですか。」
「そう、そのほとんどがJICAの人たち。
青年海外協力隊でヨルダンに派遣されて、休みの日にここでダイビングのライセンスを取得するんだよ。
中にはインストラクターのライセンスまで取って、日本に帰ってダイビングショップ開いた人もいるんだよ。
ほかにも帰国してインストラクターの仕事やってる人も多いし。」


いいなあ。
青年海外協力隊って、活動後の就職先を探すのが難しいって言われてるけどその手があったか・・・。
ヨルダンに派遣される人って、いいよねえ。
バングラデシュで協力隊員として活動中の、友人のあっくんの家に居候してたけどバングラデシュではそういうのないからなあ・・・。

長男とは嫌なことがあったけど、あしたの久しぶりのダイビングを控えてちょっとワクワクしながら小屋へと戻った。

そして、あることに気づいた!!

ケンゾーが叫んだ。
「あっ!
 ない!!
 荒らされとる!!!
 盗まれとる!!!!」


このほったて小屋に、泥棒が入ってる。
バッグパックには鍵をかけていた。
鍵は壊されてない。
だけど、鍵をかけてない外側のポケットに入れていたものが盗まれている。

・ダイビングでも使える完全防水の水中ライト
・LEDのヘッドランプ
・布製のショルダーバッグ
・ユニクロのダウンジャケット

なかでも一番大事なのはダウンジャケット。
日本から持ってきていたんだけど、あまりにも活用しすぎて傷んできたので新しいものを今年のお正月にわざわざ母親に買ってきて持ってきてもらっていたのだ。
その新しいほうが盗まれている。

バックパック以外にも洋服を入れていた袋もぐちゃぐちゃにされている。
そして、パレスチナのヘブロンでもらっていたパンフレットが何者かに破られている。
何者かに・・・。

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その何者かは、アイツしかいない!

だってこのほったて小屋には、アリのラップトップのパソコンだって置いてある。
その高価なものには手をつけずに、わたしたちの持ち物だけを盗んでいるのだから。

でも最初から犯人扱いしてはいけない。
冷静に聞かないと。

その日は夜も遅かったし、朝早くからダイビングに行く予定だったので、ダイビング後にこの問題を解決することにした。

気分が重たいままダイビングへ。
アカバのダイビングのスポットは、街から車で30分ほど離れた場所にある。
そこには珊瑚礁が広がっていて、ビーチはほとんどプライベートビーチ。
リゾートホテルの滞在者やダイビングする人たちが利用するようになっている。
街の中のビーチと比べ、とても静か。
海の色も驚くほど違う。

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海のそばのホテルで潜る準備。
こんなふうにライセンスを取るときの講習に使う深いプールがホテルの中にはある。

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久しぶりのダイビングは楽しかった。
大きな沈没船を見たり、「ジャパニーズガーデン」というポイント名の珊瑚礁がきれいで魚がたくさんのところを潜ったり。
でも、どこかに「盗まれたもの返ってくるかなあ」とか「カウチサーフィンしなきゃよかった」とか思ってしまい、開放的な海の中でも心が重くなる。

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この世界一周旅行では初めてのダイビング。
この旅行の前にも、イクエとケンゾーは海外でダイビングを何度かしてきた。

でもね・・・正直に言うと
「沖縄を越える海に出会ったことがない!」。

本当に沖縄のダイビングは素晴らしいと思う。
伊江島や宮古島は洞窟などの地形も楽しめるし、久米島なんて鮮やかな色の魚が滝のように上から降っているし。

学生のころ、こんな話を聞いたことがある。

「世界各国を渡り歩いた外国人のサーファーに、『世界で一番きれいな海はどこ?』って聞いたら『沖縄!』って答えた」。

これはウソじゃないと思う。
日本ってみんなに誇れる世界一の海がある。
この資源を大事にしないといけないなあって思う。

話は逸れたけどダイビングで少しはさっぱりした気持ちになりながらも、あの小屋に戻った。

ケンゾーと作戦会議をする。

「どうやって問いつめる?」
「いや、問いつめたら『そんなの知らん』って言われそう。
『残念ながらここに泥棒が入ったようです。海外旅行保険で盗まれたものは補償されるので、警察を呼んで被害届を出さないといけない』って言おう。」


わたしたちは深刻な顔をしてアリを呼んだ。
「大事な話があるので、小屋に来てもらえませんか。」

そして、泥棒が入ったことを伝えた。
アリがどんな表情をするかと思ったら・・・。

にかっと笑って「はは〜ん!」と、まるで子どもがナゾナゾの答えを見つけたかのような顔をした。

えっ!?
なにその反応!?

「わたしはわかったよ!
 きっと俺の息子だ、ふふふ。」


息子が盗みをはたらいたのに、なんでそんな態度?
わけわからん親子だ。

ニヤニヤしながら、アリが言った。
「ちょっと、待ってて。」

そして10分後に、彼は宝探しゲームで宝を掘り当てたかのような顔をして戻ってきた。

「ほら!!
 見つけたよ〜。
 やっぱり、アイツだった、ふふふ。
 きっときのうアイツ怒ってたから、腹いせにやったんだよ。」


この人はまるで子どもだ。
なんなんだろう、この態度は。

彼の態度にわたしたちは、一気に腹が立った。
でも、アリはなぜわたしたちが怒っているのか理解できない様子。

「物は無事に見つかったんだよ!
 よかったね!!
 だからノープロブレム!」


ノープロブレムじゃないよ!
プロブレムだよ!

わたしたちがダイビングの水中ライトが必要で、たまたま探して盗られたことを発見したからいいものの、きっと長男はこれまで旅行者からいろんなものを盗んでいる。
アリは親としてちゃんと長男を教育しないといけない。

「どうしてまだ怒ってるの?
 ほら、無事に出てきたからノープロブレム。」


でも、まだショルダーバッグが見つかっていない。
それを伝えると、アリは娘に探しに行かせた。
そして娘が満面の笑みで、ショルダーバッグを空中に振ってブラブラさせながら「あったよお♡」とやってきた。

なんなの、この家族は!?

長男が破いたヘブロンの資料はどうしてくれるの。
するとアリはまた「ノープロブレム」、そう言って破れた紙をテープでとめはじめた。

わたしたちの怒りが収まらないのを見て、アリが言った。
「アリは悪くない!
ほら、見て。
いままでカウチサーフィンで泊まってきた人たちも『アリは優しい』って書いてるでしょ。」


カウチサーフィンのプロフィール画面では、これまで泊まってきた人たちがホストを評価する欄がある。
そこの欄には、「泊めてくれてありがとう。アリは明るくてとてもいい人です。」という賞賛のコメントが寄せられている。
パソコンを開いて、それを見せながら「アリはグッドマン。アリは悪くない!」と言う子どもみたいなアリ。

アリは続ける。

「悪いのは息子。
 息子はバカなんだ。
 息子はドンキーだ!」


そんなことを言うと、ロバに失礼だ。
それに、ロバの親はロバだ。
息子がドンキーなら、お前もドンキーだ。

わたしたちは何よりも長男と話したかった。
なぜ彼が物を盗んだのか聞きたいし、長男に謝ってほしかった。

「長男を呼んで。」
そう頼むとアリが言った。

「あの子はまだスモールボーイなんだ。
 だからあの子はまだ善悪の判断がつかないんだよ。
 だから仕方ないよ。
 もう、物が戻ったんだからノープロブレム!」


まもなく18歳になる子が、タバコの火を大人につけさせてスパスパ吸う子が「スモールボーイ」だと?

イクエとケンゾーの怒りは沸点に達し、長男を呼んでこさせた。
長男は、ちらっとこっちを見ると陰に隠れた。

「どうして盗んだの?
 わたしたちに何か言うことがあるでしょ。」


すると、家族みんなでこう言った。
「あの子は、英語が話せないから。
 だから、無理だよ。」


はあああ!????

金をたかる時は英語で話してたじゃん。
「ソーリー」くらい言えるでしょ。

それから長男は、本当に英語が話せない役を演じた。

そしてアリは続ける。
「アリは悪くない。
 アリはグッドマン。
 だからカウチサーフィンの評価でもアリのことを悪くかかないで!」


なんなの、この人たち!!

そしてアリが言った。
「ねえ、きょう出て行くんだよね。
 予定があるから、もうわたしも家を出ないといけないからさ。
 もう家を出るよね?」


怒りが収まらないわたしたち。
アリの言動は、火に油を注ぐようなものだ。

たまたまアリのおじさんが訪れていた。
この人がこの家族よりも良識のある人だったから、わたしたちの言いたいことを理解してくれて、アリを批判してくれたことが救いだった。
もう外は真っ暗になっていて、アリのおじさんは「危ないからもう1泊していきなさい」と言ったけど、もうこの家族に付き合うのは嫌だったので荷物をまとめて別のホテルに移ることにした。

a_DSC_0284_201404222359052d5.jpg

どっと疲れてしまった。
物が戻ってきたからまだ良かったものの、これで本当に見つからなかったらもっと後味が悪いものになった。

そして、ここからは後日談。

それからわたしたちはヨルダンを縦断した。
この後ペトラのゲストハウスで中国人の女の子バックパッカーと出会い、これまでの旅の話をした。

「アカバではどこに泊まったの?」
「いや、実はカウチサーフィンをしたんだけど、嫌な思いをしてさあ・・・。」
「もしかしてそのホスト、アリって名前?」
「え!?なんで知ってるの?」
「わたしの友だちもね、そのアリの家に泊まって息子からたかられてすごく嫌だったって言ってたんだ。」

やっぱり、そうなんだ!
彼の家で嫌な思いをしている旅人はこれまでもたくさんいたんだ。

カウチサーフィンのホストを選ぶときに大切な指標になるものがある。
それはカウチサーフィンのリファレンス欄。

ホストした人、泊まった人がそれぞれ相手を評価する。
評価は三段階しかない。
「Positive(良い)」「Neutral(普通)」「Negative(悪い)」
そして感想を書く。

カウチ

泊めてもらった人は、相手の雰囲気がちょっと悪かったり部屋が不衛生だったとしても、泊めてもらったという負い目があるのでだいたいはPositiveを選択し、感想には感謝の思いをつづる。

わたしたちもこれまで10回以上カウチサーフィンをしているけど、Positive以外つけたことがない。
一度、イランで家ではなくオフィスの物置に泊まり、なおかつツアーの勧誘をされたことがあってそのときは評価の書き込みをしないことにした。

アリの評価はほとんどPositiveだった。
Neutralと評価している人もいて、その人の感想では「アリが近郊のツアーをアレンジしたけど、安くしてあげると言ってたくせに185ディナールも取られた!」と書いてあった。
185ディナール(約2万7000円)と言えばかなりの高額。
わたしたちも同じ場所に言ったけど、その2、3倍の値段。

わたしたちが滞在しているときも、「ツアーをアレンジしてあげる」としきりに言ってきたけど、わたしたちは自分たちで行くことにしたのだった。
そういう人でもNegative(悪い)ではなくNeutral(普通)をつけている。

アリの存在を知っていた中国人の女の子が続けた。

「きっと、アリの被害者は多いと思うんだよ。
わたしね、アリの家に泊まったって言うその子に、今後の人のためにもリファレンスで悪い評価をつけたほうがいいよって言ったんだよ。
そしたら彼女ね、『でも悪い評価をつけたら自分も仕返しに悪い評価をつけられるから良いことしか書けない』って言ったんだ。」


彼女の気持ちはわかる。
カウチサーフィンのリファレンスでは、泊まった人がホストを評価すると、ホストも泊めた人を評価する。
もしその子が「アリはダメなホストだった」と評価すると、アリからも「この子はダメな子だった。家に泊めない方がいい。」なんて書かれるかもしれない。
そうなると、今後この子がカウチサーフィンをするときに、ほかの人がそれを見てその子を家に泊めたがらない可能性が出てくる。

これは今のカウチサーフィンのシステムの問題点だと思う。
おそらく、彼の家で嫌な思いをした人の大半が「何の評価も残さない」というささやかな抵抗をしているんじゃないかと思う。
彼は今まで150人くらい泊めてきているけど、リファレンスを書いている人はその4分の1くらいしかいない。

アリからはそのあと、謝罪のメールが来た。
「うちの息子はまだまだ子どもで、でもグッドボーイで・・・。」なんて言葉も書いてあった。
そして「これまで泊めてきた人はほとんどが我が家で素晴らしい経験をしている」なんてことも書いてあって、これはきっとわたしたちにリファレンスに悪いことを書かれるのを防ぐためなんだろうなと思った。

わたしたちはまだ彼のリファレンスに何の評価も残していない。
だけど、今後の人のためにNegativeを初めてつけようかなと思っている。

初日に彼の小屋を訪れたとき、彼はお茶を出してくれて記念写真を撮った。
次の日彼はそれをさっそく現像し、大きく引き延ばして部屋に飾るようにしていた。

DSC_0225.jpg

とても楽しそうなわたしたち。
とてもやさしそうなホストたち。

そして、いまこの写真はカウチサーフィンのアリのプロフィールのページに掲載してある。
「friends from Japan」というタイトルとともに。
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最低のカウチサーフィン体験記 序章

2014.04.24 07:26|ヨルダン☞EDIT
夜行バスに乗ると、体がだるくて次の日は宿で一日中寝るはめになるもうすぐ34歳のイクエです。
けさも夜行で着いて、一日中宿で昼寝ばっかりしてたんだけど疲れが取れない!
きょうは「最低のカウチサーフィン体験記」をまとめるつもりだったのだけど、気力がないので前編と後編に分けて短くお伝えします。
申し訳ありません!!

イスラエルからやってきたヨルダンのアカバ。
ここではカウチサーフィンでホームステイをすることにしていた。

カウチサーフィンというのは、「ホームステイさせてもらいたい人」と「ホームステイさせてあげる人」をつなぐインターネットのサイト(の運営団体)で世界各国の人が利用している。
利用は無料だし、宿泊者がホームステイ先に謝礼金を払うなんてこともない。
なぜならこのカウチサーフィンの目的は「異文化交流」だから。

メンバー登録して自分のプロフィールをサイトで公開する。
そして、ホームステイ先を探している人は、これから行く地域のメンバーを検索してホームステイのお願いをする。
受け入れ側のホストは申込者のプロフィールを見て泊めても良さそうだったら宿泊のお誘いをするしくみ。

イクエとケンゾーはこれまでイランやイタリア、パレスチナで体験し、とてもいい思い出をつくってきた。
泊めてもらうだけでなく、いっしょに観光したり、おいしい手料理をごちそうになったり、逆にわたしたちが和食をつくったり、折り紙をやってみせたり。

アカバでは、これまで多くの旅行者を受け入れてきた「アリ」という男性の家に泊めてもらうことになった。
アリの17歳の長男が待ち合わせ場所に登場。

笑顔であいさつしたけど、ちょっとそっけない。
お年頃だからシャイなのかな。
家は待ち合わせ場所からすぐのところらしい。
この子のあとをついて行く。
彼らの家が見えてきた!

a_DSC_0223_20140424070821cc7.jpg

a_DSC_0224_20140422235625420.jpg

アカバの街の中心部にある団地。
彼らの家はこの団地の3階の右半分全部。
でも、わたしたちが泊まるのはここではない。
いや、この写真には写ってるんだけど、わかる?

さっきの写真を拡大。
ここ。

a_DSC_0224_2.jpg

葉っぱでできた屋上の小屋!
かなりワイルドなところ。
アリはこの小屋をカウチサーフィンの宿泊者に提供している。

a_DSC_0227_201404222356358b4.jpg

先客のアメリカ人の旅人がいた。
ソファはあるけれど、横になるにはちょっと狭い。
イクエとケンゾーが床で寝ることにした。
ブランケットは貸してくれない。
もちろんWi-Fiはない。

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もちろん、トイレやシャワーもない。
トイレをしたいときは、下の階のアリの家のトイレを借りるんだけど、家に誰もおらず鍵がかかっているときは我慢するほかない。
ケンゾーは外で立ちションしてたけど・・・。

a_DSC_0269_20140424070826680.jpg

水道もないけれど、屋上だから貯水タンクはある。
「ここでこうやって水使っていいから」とアリが笑顔で教えてくれた。

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正直に言うと、ここはいままでのカウチサーフィンの体験のなかで一番居心地がよくない。
「家」というよりも「テント」、「キャンプ場」って言った方がしっくりくる。

でも、とりあえず寝泊まりできるところを提供してもらえるだけでもありがたい。
イクエとケンゾーには寝袋だってあるし、多少汚いところや設備が整っていないところで寝るのは慣れている。

アリは40代の陽気なおじさん。
外国人の旅人と知り合うのが大好き。
この小屋だって、カウチサーフィンのためにつくっているようなものだ。

これまでにたくさんの外国人を招いてきたことを誇りに思っているようで、外国人といっしょの写真を部屋に飾っている。
そしてうれしそうに写真の説明をする。
これまで150人くらいの外国人をここに泊めてきたんだって。

そんな嬉しそうに話すアリがいなくなると、アリの長男が父の悪口を言った。
「おやじはクレイジーだ。
カウチサーフィンにハマり過ぎて、この小屋にこもってばかりいる。
外国人とここで話してばっかりだし、宿泊客がいないときもパソコンでカウチサーフィンのやり取りに熱中している。
おふくろはそんなオヤジにムカついてる。
クレイジーだ。」


カウチサーフィンにハマり過ぎて家族のことをないがしろにしていることに、妻は不満をもっているらしい。

ちなみにアリの奥さんはとても信仰心の強いイスラム教徒。
全身真っ黒の布、チャドルで頭から足元まですっぽりと覆っていて、目元の部分だけを開けている。
家族と女性以外の前ではつねに体を隠している。
イクエは大丈夫だけど、ケンゾーが下の家にトイレを借りに行くと奥さんは奥の部屋へと隠れてしまう。
家でチャドルを脱いで普通の服装でくつろいでいても、ケンゾーが玄関をノックすると「ソーリー!」と大慌てでチャドルをつける。

そんなイスラム教徒を代表するような奥さんと、外国人の女の子も家に泊めるようなアリは、親戚同士で親が結婚を決めたらしい。

奥さん、なんだかかわいそうだなあ。
確かにだんながカウチサーフィンにハマってしまって、夜な夜な得体の知れない外国人を泊まらせて、ときには若い女の子も泊まらせていっしょに遊びに行ったりしていたら、妻としてはおもしろくない。

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この小屋にはアリの友だちもやってくる。
みんなでお茶を飲んだり話したりする。

この部屋に着いて早々、さっそくアリの友だちがやってきた。
奥さんにはちょっと悪いけど、みんなでワイワイ異文化交流するのは楽しい。
・・・はずだった。

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このときは思ってもなかった。
この人たちにこれからひどい仕打ちを受けて、腹を立ててこの家を出て行くハメになるなんて・・・。

ーつづく。
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ヨルダン大丈夫? 印象が・・・

2014.04.23 06:24|ヨルダン☞EDIT
子どもが鼻をほじって舐めてたのを見て、ふと自分の夫も小さいときそうだったんではないかと思い「小さいとき、鼻くそ舐めよった?」と聞いたら、あっさり「うん、舐めよった」と返事をされた妻のイクエです。
子どもの7人に1人くらいが鼻くそを舐めてると思うんですけど、ケンゾーは「子どもは全員舐めよる」と言い張ります。

さて、これまでのどっしりと重いイスラエル・パレスチナ編も終わり、きょうからヨルダン編のはじまりです。
その前に、ヨルダンに向かうまでのイスラエルのことを少し。

イクエとケンゾーが死海を体験したエン・ゲディ。
同室のドミトリーには欧米人のおばさんが泊まっていた。
年齢は40代後半くらいで、世界各地に行ったことがあり日本にも働きながら住んでいたこともあって活動的な人。
そのおばさんは、今回イスラエルでボランティアをしていたそうなんだけど、そのボランティア先を聞いてあきれてしまった。

なんとイスラエル軍!
イスラエル軍は海外からのボランティアを受け付けているらしい。
おそろいの制服を来て、兵士と同じように狭いベッドで寝て、救急キットをつくったり武器を磨いたりしていたんだって。

「もちろん前線には派遣されないんだけど、爆弾を持ち上げてみたりもした。」と生き生きと話すおばさん。
「それって変じゃないですか?」と聞いたら「きつかったけどとてもいい体験ができた。おもしろかった。」だって。
「それにね、日本人の女の子もボランティアで来てたよ。
彼女は東北の出身で地震のときの支援物資にイスラエル軍の救急キットがあって、それで『自分も恩返ししたい』と思って参加したんだって」


この話に困惑してしまった。

最後までわだかまりのある旅となったイスラエル。
これから向かうのはイスラエルの南、エイラット。
そこからヨルダンのアカバへと行く。

アカバ

エイラット行きのバスの乗客の4分の1くらいが徴兵中の若者だった。
途中のトイレ休憩では、いつものように大きな銃をショルダーバッグのようにぶらさげたまま若い女の子がアイスクリームを楽しそうに食べている。
異常なはずのこんな光景もすっかり見慣れてしまった。

a_DSC_0201_20140422235209e18.jpg

a_DSC_0205_20140422235214326.jpg

エイラットのバスターミナルから国境まではタクシーで10分ほど。
32シェケル。
ドライバーのおばさんはとても明るくて気さく。

「夫は昔日本を旅したことがあって、日本が大好きなんだよね。わたしも日本に行ってみたいな。」と笑顔で言ってくれる。

今回の旅行で出会ったイスラエル人はみんな気さくで誠実に対応してくれた。
イスラエル人は優しくて、嫌な感じはしなくて、イスラエル人の気質は好きだ。
でもそれはイスラエルが行なっているパレスチナへの仕打ちを抜きにしてのこと。
あっさりとしていて優しくて気持ちがいい人たちだけど、逆にそれが罪深く感じたりもする。

タクシーから国境が見えてきた。

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ドライバーのおばさんは「じゃあ、旅行楽しんでね〜」と言って、次のお客さんをつかまえて去って行った。

イスラエルの出国をわたしたちは少し心配していた。
入国よりも出国の方が厳しいと聞いていたから。

イクエとケンゾーのパスポートにはイスラムの国のスタンプがいっぱい押されていたから、入国のときは2時間も別室送りとなった。
クレジットカードの番号も控えられ、預金残高やメールアドレスまで教えないといけなかった。
これが空港から出国するときはもっと面倒で、荷物からパレスチナのお土産や写真が発見されれば徹底的に調べ上げられる。
パソコンを没収され、別便で日本に送り届けられ、あげくには壊されていたという話も聞いた。
でもなぜか陸路で出国する場合は、ゆるいらしい。

本当はどうなんだろう。
緊張しながら窓口に並んだ。

a_DSC_0211_20140422235221708.jpg

何を聞かれるでもなく、荷物検査をされるでもなく、あっというまに出国手続き完了!!

「え!?」とにやけながらケンゾーと顔を見合わせる。
拍子抜けした。

ちなみにエイラットからの陸路出国は、窓口の隣で出国税102シェケルと手数料5シェケルを支払う。
出国スタンプはパスポートではなく、スタンプを押した紙切れを当然のように渡される。
(イスラエルへの渡航履歴があると、入国を拒否するイスラムの国が多いため)

ヨルダン側の入国審査のところまで300メートルくらい。
何もない無国籍地帯を歩く。

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緊迫感はいっさいない。
見張りの兵士の姿すらない。
パレスチナを含めてまわりの国との問題をいろいろ抱えているイスラエルだけど、この国境に関してはまったくの平穏。

なんなんだろうなー、イスラエルは。
最後までつかめない国だったなあ。

ヨルダンに入ると、もうそこはイスラエルではなかった。
つまり、値段交渉なんて不要の楽に旅できる国ではなかった。

ここからアカバの街まではタクシーで移動するほかない。
ヨルダンのお金がないので、まずは両替。
国境のすぐそばで唯一開いていた両替屋に行ったけどものすごくレートが悪い。
こんな田舎の国境でほかに両替できるところもないから、レートが悪くても両替せざるを得ない。

だけどイクエとケンゾーはしないことにした。
タクシーに乗って途中のATMに立ち寄ってもらおう。

タクシー乗り場ではカモが来たとばかりにドライバーのおっちゃんたちがニヤニヤして待ち受けている。

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ここからすぐのアカバの街に行きたいだけなのに、数時間の長距離の街に連れて行きたがる。
アカバまで行きたいというと高い値段を言われる。
「高すぎる」と顔をしかめて抗議すると「あんたはとってもかわいいねえ。まるでうちの子猫みたい。プププププ。」とまったくおもしろくないことを言う。
そして、わたしがかぶっていた帽子を勝手に取り上げて自分でかぶるというまるで悪ガキみたいなことを50過ぎのオヤジがふざけながらやる。

ああ〜、ウザい。
もう〜、ウザい。

イスラエルで出会った旅人が「ヨルダン人は明るくて優しい!」って褒めてたけど、全然違うやん!

旅人のなかで有名な話があって「世界三大ウザい国」というのがある。

それはー
・モロッコ
・エジプト
・インド

イスラム圏が2か国入ってるから「ムスリムは苦手。ウザい。」という旅人も多い。
だけどわたしたちはこれまでバングラデシュやイラン、パレスチナでとても良くしてもらっていて、ホスピタリティーに溢れているムスリムが好きだ。

でも、どうなんだろう〜!? ヨルダン人は。
先が思いやられる・・・。

一応ツーリストの正規料金と言われる11ディナール(約1600円)で話がまとまり、タクシーに乗った。

イクエとケンゾーのイライラ度は高い。
高いまま、それを何も気にしていないドライバーと会話が始まる。

「どうして、最初にみんなであんな高い値段言ったの?
ヨルダン入国そうそう、印象悪いよ。」

「でも、俺はいい人間。
この世の中には、悪い人間もいい人間もいる。
日本にもいい人間も悪い人間もいる。」


「さっきまでいたイスラエルでもパレスチナでもウソついたり、悪い人にはあわなかったよ。」
「そんなことは信じられない。
悪い人に会わなかったの?」

「うん、1か月旅してたけど全然会わなかったよ。
でも、ヨルダンでは入国して1分で会ったよ。」


「あ、そう?
俺も大変なんだよ、仕事が。
だってもう3時なのに、朝7時から待っててあんたたちが初めての客なんだよ。
子どもも育てていかないといけないのに、これじゃ生活していけないよ。」


「一日に何回お客さん乗せれば暮らしていける?」
「3回。
最低でも2回。
でもきょうはまだ1回だからね。」


国境から街の中心地までは10分ちょっと。
一日30分運転すれば家族暮らしていけることを考えると、この運賃の値段設定はやっぱり高すぎると思う。

「でも、1回につき11ディナールだけどボスの取り分を除くと1回9ディナールしか手に入らない。」
「そんなに客がこないんなら、国境で客待ちせずに街の中を走った方がいいんじゃない?」
「うん、そう思う。
もうきょうは3時だし国境には戻らない。
あしたは街の中を走る。」


イライラしてタクシーに乗ったけど、どうでもいい話をやっているとイライラ度がおさまってくる。
最後におじちゃんは「ご飯食べるなら、ここがおいしいし人気だよ。」と教えてくれた。

ここまでのヨルダン人の印象。
・ウザい
・子どもっぽい
・フレンドリー


この印象が今後、どうなるのかな。

そうやってやってきたアカバの街をちょっとだけご紹介〜。

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ヨルダンの南に位置しているアカバ。
サウジアラビアとも近い。

紅海沿いの街で、ヨルダンではここだけが海に面している。
(他の街で死海に面してるところもあるけど、死海は本当の「海」とは言えないからね。)
5500年前の遺跡が残り、ソロモン王の時代から貿易港として栄えてきた。

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気温は冬でも20度くらいでリゾート地として開発されている。
大手の外国資本のホテルもいくつかあり、街にはオープンカフェが並ぶ。

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海の向こうに見えるのはイスラエルの街。

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海もあるけれど、茶色い荒々しい山がそびえワイルドな様相も見せている。

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イクエとケンゾーはイスラエルとパレスチナで心が重くなるハードな旅をしていたので、このリゾート地でダイビングをしながらゆっくり過ごす予定でいた。

カウチサーフィンでホームステイ先も見つかっていた。

でも・・・。
イクエとケンゾーには予想もしていなかったことが待ち構えていた。

次回は「最低のカウチサーフィン体験記」

どうなのヨルダン人?
大丈夫なのヨルダン!?
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旅したイスラエル・パレスチナ自治区 こんな国

2014.04.22 06:10|中東☞EDIT
イスラエル・パレスチナは1/29~3/2まで32泊33日旅しました。
イスラエルに13日間、パレスチナに20日間滞在。
イスラエル問題に怒りと悲しみをおぼえ、それでもあたたかいパレスチナ人の心に触れることができた1か月でした。
イスラエル・パレスチナの旅をふりかえります。

◇旅の費用はいくら?

イスラエル・パレスチナでいくら使ったのか発表します。
 
交通費            764.80シェケル
外食費            207.00シェケル
その他のフード・ドリンク   691.00シェケル
宿泊費           3,653.20シェケル
観光費              0.0シェケル
雑費              99.5シェケル

合計  5,415.50シェケル(1シェケル=29.22円)
約4,654円/1日2人で

イスラエルの物価は高い!
ほとんどのものが日本よりも高いんじゃないかな。
パレスチナはイスラエルよりは安いけれど外食すると2人で千円近くする。
エルサレムのイブラヒムじいちゃんの家に泊まっていたとき以外は毎日自炊だった。


◇移動手段はこうでした

イスラエル・パレスチナ自治区それぞれのエリア内を移動するのはとても簡単。
バスや乗合いタクシー(イスラエルは黄色のシェルート、パレスチナは白のセルビス)がくまなく走っている。
ちゃんと現地人と同じ料金で乗せてくれるので値段交渉も必要ない。

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でもイスラエル・パレスチナ自治区をまたいで移動するときはちょっと面倒。
バスも乗合いタクシーもそれぞれのエリア内には入れないのでボーダーで乗り換えないといけない。

あと、イスラエル内で利用することが多いエゲットバス。
ケンゾーたちは最終日に知ったんだけど、ネットで予約するとかなり安くなる。
ただしHPはヘブライ語のみ。
泊まってる宿に頼んでネット予約したほうが断然お得。

気をつけないといけないのはシャバット(安息日)。
ユダヤ教の習慣で毎週金曜日の日没から土曜の日没までイスラエル内は休日になる。
ほとんどの交通機関がストップするので移動することができない。
パレスチナ自治区内の移動は問題なし。


◇こんなお宿に泊まりました

☆イスラエル
イスラエルは宿代も高い!
インターネットのホテル予約サイトhostel worldやhotel combinedなどを活用。
エルサレム以外の街ではバックパッカー向けのゲストハウスが少ないので、事前に予約するほうがいい。
ドミトリーの相場は50~90シェケル。

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エルサレムでは「イブラヒム ピース ハウス」に5泊しました。
イブラヒムじいちゃんが食事を用意してくれるので、ご飯の心配はいらず1泊75シェケルです。

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☆パレスチナ
意外にもキッチン、Wi-Fiつきの外国人バックパッカー用のゲストハウスがある。
日本のガイドブックにも日本語のサイトにもパレスチナ自治区の旅の情報はほとんどないけど、ロンリープラネットや英語のサイト、wikitravelなどで調べることができる。

・ジェニン「Cinema Jenin Guest House」ドミ1泊75シェケル
http://www.cinemajenin.org

・ナブルス「NGOの経営しているホステル」ドミ1泊50シェケル
http://www.humansupporters.org

・ラマラ「Area D」1泊50シェケル(特別割引)
http://ramallahhostel.com

・エリコ「Sami Hostel」1泊

ジェニンやナブルスのゲストハウスはNGOが経営しているのでスタッフと仲良くなれるうえ、無料で難民キャンプなどを案内してくれる。
パレスチナ自治区の旅について質問がある場合は、現地のゲストハウスにメールで問いあわせるのも手。
わたしたちも最初はパレスチナに行くのに情報も少なく不安がありましたが、イスラエルからジェニンの行き方などをゲストハウスにメールで尋ねたところ丁寧に教えてくれたので、安心してパレスチナ自治区に入ることができた。

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カウチサーフィンを利用すれば、パレスチナ人の生活を垣間見ることもできるのでおすすめ。


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◇これが一番うまかった!

☆イスラエル
ケンゾー 「ワイン」
じつはイスラエルは古くからワインの産地として有名。
(パレスチナ自治区でもキリスト教徒が多い街ではアルコール類を売っている。
 教会の近くを探すと酒屋が見つかる。)
ただし街によって値段がぜんぜん違う。
エルサレムでは高くて買えなかった。
ハイファが一番安かったように思う。
いちばん安いワインで19シェケル(約570円)。

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イクエ 「ゲフィルテ・フィッシュ」
ユダヤ人のシャバット(安息日)の食事会で出された料理。
魚をすり身にしてみじん切りにしたタマネギやニンジンを混ぜて調理したもの。
魚のつみれやかまぼこみたいな味で、すごくおいしかった。
食事会が写真撮影NGだったので写真が取れなかったのが残念。
また食べたいなあ。
でもどこで食べられるのかなあ。

☆パレスチナ
ケンゾー 「クナファ」
甘いものが大好きなパレスチナ人。
そんなに種類は多くはないんだけど、わりと甘さ控えめで日本人の口にも合う。
なかでもナブルスで食べたクナファがかなり美味しかった。
細い麺のようなものでチーズを包み込んでシロップをかけ、焼き目をつけたもの。
そとはカリッと香ばしくて中のチーズはとろり♫

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シロップは甘いんだけどチーズはちょっと塩辛くて、そのバランスが絶妙。
ヨルダンのアンマンで行列ができる「ヨルダンでNo.1」を売りにしているクナファを食べたけどまったく別物。
ぜひパレスチナのクナファを食べてほしい!

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イクエ 「ゴマクッキー(ゴマパン)」
パレスチナの街にはゴマクッキー専門店(パン屋が兼ねているところもあり)が必ずあって量り売りされていて、大人気。
興味本位で買ってみたところ、予想に反してサクッとした焼き具合と香ばしさ、甘さ控えめのおいしさでイクエの大のお気に入りに。
小腹がすいたとき、朝ごはんにゴマクッキーを食べていました。
つねにゴマクッキーを常備するようになり、ゴマクッキーのストックが無くなると不安になるゴマクッキー禁断症状まででてきました。
一日一食はゴマクッキーでもいいと思ったくらいです。

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◇おすすめ!!一番良かった場所

☆イスラエル
ケンゾー 「テルアビブ」
宗教色がなくて心がなごむ街。
イスラエルはどこへ行っても宗教と争いがついてまわる。
もちろんその現実を見るために旅してるんだけど、毎日がそうだとちょっと疲れてしまうのもたしか。
そんなときにテルアビブに行くと身も心もリフレッシュできると思う。
心地よい潮風に吹かれながら、アラブ人もユダヤ人もそれぞれの時間を楽しんでいる様子を見るとなんだかホッとする。
まあそれでも、「なんでこんな風にイスラエル全土で仲良くできないかなあ」ってどうしてもイスラエル・パレスチナ問題を考えてしまうんだけどね。

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イクエ 「テルアビブ」
イスラエルの国際空港はテルアビブとエルサレムの間にあるので、テルアビブには立ち寄らずにそのままエルサレムへと向かう旅人が多いです。
わたしたちも最初はその予定でしたがテルアビブに立ち寄ってよかったと思います。
エルサレムはパレスチナ人も多いし宗教色も強いしイスラエル・パレスチナの縮図のような場所ですが、テルアビブはほとんどがイスラエル人で宗教色も強くなく、移民してきたユダヤ人によるユダヤ人のための整備された美しい街、といった感じです。
これまでの旅行のなかで「ここなら住んでいいかも」と一番思った場所で、開放的で居心地のよさを感じました。
逆に言えば、海岸沿いにこんな素敵な街を作れるんだからパレスチナ自治区にわざわざ入植地なんてつくらずに、海岸沿いのイスラエル領土を開拓していけばいいのに・・・とも思いました。
テルアビブは、芸術家や同性愛者が集う街でもあり自由な風が吹いていました。

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☆パレスチナ
ケンゾー 「ジェニン」
ケンゾーとイクエが最初に訪れたパレスチナ自治区の街。
ちょっとドキドキしながら乗合いタクシーから降りるとすぐに道ゆく人たちから「ハロー!」「ウェルカム トゥ パレスタイン!」と歓迎された。
宿まで歩いたほんの10分ほどの間にいったい何人から声をかけられたかなあ。
みんな人懐こくて満面の笑顔。
緊張感はあっという間に消し飛んで「ああ、この街大好き!」って思った。わずか10分で。
けっきょくジェニンだけじゃなくてどの街の人たちもとてもフレンドリーで優しい人たちばかりだったんだけど、ジェニンでのファーストインプレッションが強烈に印象に残っている。

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市街地から1km離れたところにある難民キャンプに住むパレスチナ人もとても友好的。
毎晩やって来るイスラエル兵に安眠を妨げられ、銃撃によって命を失う人たちも多い。
けれどみな故郷へと帰るという希望を捨てず懸命に生きている。
彼らの「ウエルカム」にはパレスチナ人としての誇りやパレスチナを訪れたことへの感謝、そして世界にパレスチナの現実を知ってほしいという切望がこめられている。
そんな強くて優しいジェニンの人々が大好きだ。

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イクエ 「ヘブロン」
一番人々が素朴で、難民キャンプが街の大部分を占めているジェニンに思い入れがあるけれど、もしほかの人に「パレスチナ自治区でおすすめの場所は?」と聞かれたら「ヘブロン」と答えます。
旅人にはできるだけパレスチナ自治区をまわってほしいけど、もし時間がない人はヘブロンだけでも行ってほしい。
入植地がありイスラエル軍の監視塔やチェックポイントがあり、イスラエル兵がたくさん歩き回っていて、ゴーストタウンと化した閉ざされた大通りがあり・・・。
パレスチナ人の置かれている立場がどんなものなのか、もっともわかりやすい街です。

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観光地としておすすめなのはエリコです。
砂漠のオアシス都市に岩肌の渓谷や修道院。
ほかの街とは違った独特の自然環境に新鮮さを感じます。
ただ観光地化されているので、イスラエル・パレスチナ問題を実感するのは難しいかもしれません。

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◇ふらり ゆるり イスラエル・パレスチナの感想は?

ケンゾー
ふたりで相談したことはないけれど、ふたりのなかで訪れることが当然のことになっていたイスラエル。
けれど日本から遠く離れ、日本人には馴染みのない宗教が複雑に絡んだイスラエル・パレスチナについては知らないことばかり。
知らないからこそ、ひとつの街に腰を据えてじっくり見て回りたい、もっと人と会って話を聞きたいと思いパレスチナ自治区を長く旅することにした。
これがとてもよかった。
まだまだほんの一端だとは思うけど、パレスチナの悲惨な現実やイスラエルが行なっている不条理な仕打ちを見て聞いて感じることができた。
1か月旅して出した自分なりの結論は、これは「イスラエル問題」なんだということ。
アメリカや世界中で力を持つユダヤ人という後ろ盾を持っているイスラエルが力づくでパレスチナの土地、財産、命を奪っていっている。
ケンゾーとイクエは誰になんと言われようとパレスチナの味方。
自分の中で答えを見つけることができたのでこの旅はとても意味のある旅になった。
これからイスラエルに行く人にはぜひパレスチナ自治区にも足を運んでほしい。
できれば日帰りじゃなく、1泊でも2泊でもいいので滞在してパレスチナを体感してほしい。

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イクエ
イスラエル・パレスチナの滞在期間は、最初は1週間から10日くらいかなあと思っていました。
エルサレムを拠点にして観光地とパレスチナ自治区への日帰り旅を想定していました。
でも、それだけではいけない気がしてとりあえずエルサレム入りをあと延ばしにしてテルアビブから北上することに決め、最終的にはイスラエルとパレスチナを1か月以上周遊することになりました。
時間をかけて旅して、本当によかったと思っています。
いろんな人に出会い話を聞き、いろんな感情を抱き、今までの旅のなかで一番意義深い旅でした。
イスラエル・パレスチナを出て行くときケンゾーがつぶやきました。
「俺たちがここから出て行ったら、イスラエルとパレスチナ大丈夫かなあ。
かといって俺たちが何かできるわけでもないんだけど。」
説明するのは難しいですが、わたしも同じことを思っていました。
パレスチナを出て行きたくないような、このまま出て行ってもいいのかなというような、後ろ髪引かれる思いでした。
「居心地がよかったから」とか「すごく楽しかったから」というのではありません。
ここににとどまってパレスチナとイスラエルのこれからを見守っていきたい、イスラル・パレスチナ問題を身近に感じていたい、ここに住む人たちの将来のことが気になる、そんな感情です。
今回のような思いを抱く旅は後にも先にもないんじゃないかと思います。
とても特別な旅となりました。

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「もっとも意味のある」旅

2014.04.20 07:38|イスラエル☞EDIT
久しぶりにスカートを履いたイクエです。
ずっと寒いところでパンツだったから。
もうスカートいらん!とも思ってたけど持っててよかった。

さて、長くて濃かったイスラエル・パレスチナの旅も終わり。

「ふらりゆるり」な旅のスタイルのイクエとケンゾーですが、今回の旅ほど心が忙しかった旅はありませんでした。
「心が忙しい」というのは、怒りとか驚きとか悲しみとか優しさとかいっぺんにいろんな気持ちがわき起こったり、いろんなことを深く考えさせられたりしたと言う意味。

心は全然「ゆるり」なんてできませんでしたが、それでもゆっくりと時間をかけてイスラエルとパレスチナをまわりました。

きょうはそんな旅を終えての思いをつづります。
わたしの意見を長々と読むのは飽きちゃうかもしれませんが、おつきあいくだされば幸いです。


☆なぜ解決されない?3つの大問題!!

「パレスチナ問題」とよく言われるけれど、イスラエルとパレスチナを旅して確信したのは「パレスチナ問題」ではなく「イスラエル問題」と言うほうが適切だということ。
問題をつくっているのも、解決の鍵を握っているのもイスラエル。
イスラエルが生み出している問題にはさまざまありますが、大きなものは以下の3つだと思います。

1、イスラエルの侵攻 パレスチナ人の不当拘束
2、分離壁の建設
3、入植地の増設 水源地の占領



1、イスラエルの侵攻 パレスチナ人の不当拘束
イクエとケンゾーがパレスチナ自治区で最初に足を踏み入れた地域ジェニン。
この街で、イスラエル問題をまざまざと見せつけられました。

夜な夜なイスラエル軍が難民キャンプにやってきては、家々を襲撃していきます。
毎晩毎晩、「ダダダダダダ」「バーン!」という銃声や砲撃の音に包まれました。
これに対し、パレスチナ人はただじっと堪えることしかできません。
安眠の自由もないのです。

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さらに、パレスチナの若い男性を「テロリストの疑いあり」ということで連れ去って行きます。
ナブルスで知り合ったNGOスタッフの青年も「兄弟全員が逮捕された」と話していました。
侵攻とパレスチナ人の不当拘束を続けるイスラエルを見ていると、和平の実現よりもパレスチナ人を追い出しパレスチナ自治区を乗っ取ることを考えているのでは?と思わざるをえません。

2、分離壁の建設
イスラエル側が一方的に建設している壁。
高さ8メートルの壁でパレスチナを囲い込む作戦で、「テロから守るためのセキュリティフェンス」という名目で建設しているものです。

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だけど、現実にはイスラエルとパレスチナの境界を越えてパレスチナ側に入り込んで建設しています。
また、パレスチナ人の生活空間なんて考慮されずに壁ができているため、家が壁に囲まれていたり賑やかだった街の大通りに建てられています。

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特別な許可証がない限り、パレスチナ人は壁の外には行けず身動きが取れません。
壁のチェックポイントにはイスラエル軍が常駐していて、パレスチナ人は閉そく感を抱えたまま日常生活を送っています。

3、入植地の増設 水源地の占領
イスラエルは「セキュリティのため」と壁を作っておきながら、勝手に壁の内側のパレスチナ自治区にユダヤ人入植地をつくっています。
ユダヤ人の新興住宅地をつくり、ここに住む人には生活費などの面で優遇措置をおこなっています。
入植地への引越しをイスラエル国民に勧めていて、パレスチナ自治区には新しいユダヤ人の住宅がどんどん建設されています。

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入植地ができると、パレスチナ人はそこに入ることができなくなります。
ヘブロンでは500人のユダヤ人入植者を守るために2000人のイスラエル兵が常駐しています。

ずっと使っていた生活道路をパレスチナ人は通ってはいけないようになったため、登下校の子どもたちも迂回路を通らなければなりません。
写真の下の広い道路がユダヤ人専用道路、斜面の狭い道がパレスチナ人の道。
もちろん、パレスチナ人は車を運転することも禁止されています。

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ヘブロンの商店街の上には金網がはってありました。
これは上に住んでいるユダヤ人入植者が嫌がらせでゴミを投げるからです。
卵や水をかけてくることもあるそうです。

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また、水源地もイスラエルがぎゅうじっています。
パレスチナ自治区内であっても水があるところはイスラエルが支配しているため、パレスチナはイスラエルから水を買わなければいけません。

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イスラエルがパレスチナに水を売らなくなれば、パレスチナの人は生きていくことも難しくなります。
実際にヘブロンでホームステイしていたとき、断水になったことがありました。
イスラエルが突然水の供給を止めることは珍しくなく、1週間以上水が使えないことも多いそうです。

確かにパレスチナ人がテロを起こすことも、パレスチナのガザ地区がイスラエルに向けてミサイル攻撃をすることもあり、和平が実現されないのはパレスチナにも問題があるかもしれません。
しかし、上の3つの問題が解決されないかぎり、パレスチナ人の不満は募る一方でイスラエルへの憎悪が強くなるのは当然のことです。

国連もイスラエルの政策を不当だと指摘していますが、イスラエルはいっこうにやめません。
イスラエル・パレスチナの和平の鍵は、イスラエルが握っています。

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☆「パレスチナ寄り」ではいけないの?

わたしたちはイスラエルとパレスチナを旅しました。
最初に旅したイスラエルでは「イスラエル人は穏やかでまじめで優しいな。テルアビブの街になら住みたいな。」と好印象をもちました。
しかしそのあと旅したパレスチナでの出来事や人々の話が衝撃的過ぎて、「これはやっぱりイスラエル政府のやり方がおかしい!」と思うようになりました。

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このブログの読者の方から「あまりにもパレスチナ寄りなのではないか。」というご批判のコメントをいただきましたが、わたしたちとしては「パレスチナ寄りではいけないの?」というのが正直な感想です。
コメントをしていただいた方は「我々は日本人であり、まして政治にも首を突っ込まない者として・・・」とご指摘されていましたが、わたしたちが日本人であり政治にも関わっていないからといって、このイスラエル・パレスチナ問題に自分なりの考えや感情をもつことがいけないとは思いません。
日本では「中立」というのが一番で、少しでも自分の考えを述べると「あの人は右や左」とか「偏っている」と揶揄されます。
「輪を重んじる日本人」「多数に合わせる日本人」特有の気質なのかもしれませんが、わたしは日本にいるときからこのことに疑問をもっていました。
わたしたちはもちろん「イスラエル人が嫌い」とか「イスラエルの国家なんてなくなればいい」なんて思っているわけではありません。
ただ、パレスチナ人の思いを代弁する者でありたいなと思っています。

なにより、イスラエルとパレスチナの力関係を見ると圧倒的にパレスチナが弱者です。
まず、パレスチナを独立国家として認めている国のほうが世界的に見ると多いのですが、力をもった国(ヨーロッパ諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、日本など)が認めていません。
つまり国際社会はイスラエルに有利に動いています。
軍事力でもイスラエルが圧倒的に上ですし、アメリカではユダヤロビーがたくさん活動しています。
世界の金融、経済、マスコミのトップにはユダヤ人が多く、イスラエル支援のために働きかけています。
そんななか、ただの貧乏旅行者であるイクエとケンゾーがパレスチナ人の代弁者となったところで屁の突っ張りにもなりません。
それでも、弱者であるパレスチナに思いを寄せていく人間でありたいなと思います。

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☆不条理な世界が現実にはある

このブログのパレスチナ編ではあまりにも悲しい話が多かったと思います。
イスラエルのパレスチナ攻撃ばかり取り上げていたので、もしかしたら読者の方からすると「パレスチナのことばかり書いて。パレスチナも同じようにイスラエルを攻撃していて、イスラエル人の悲劇もあるでしょう。」と思われていた方も多かったかもしれません。
AとBの間で戦争が起きた場合、Aの残虐な行為もあればBの残虐な行為もある。
Aの悲劇もあればBの悲劇もある。
しかし、イスラエルとパレスチナの関係はそうではありませんでした。

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たとえば、パレスチナ人10人に「あなたの知り合いでイスラエル軍に不当に拘束されたり、撃たれたり、殺された人がいるか?」と質問すると1人は「いる」と答えるでしょう。
でもイスラエル人100人に「パレスチナ人に連れ去られたり撃たれたり殺された人がいるか」と質問しても誰もいないでしょう。
1000人に聞いてもいないかもしれません。
今ではほとんど起きていませんが、パレスチナ人による自爆テロだって武装したイスラエルに武力攻撃することやイスラエル政府に直接訴えることができないから、自分の命を捨ててまでテロを行なっているのです。
イスラエル・パレスチナの争いは「戦争」ではなく「イスラエルのパレスチナへの侵攻・占拠」なのです。

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「こんな不条理なことはないだろう」「パレスチナ側もイスラエルにひどいことをやっているだろう」と思われるかもしれませんが、そんな不条理なことが現実にはあるのです。


☆ぜひわたしたちができなかったことを

1か月間、イスラエル・パレスチナを旅してきました。
パレスチナではたくさんの出会いに恵まれいろんな話を聞くことができましたが、イスラエルではそれがなかなか果たせませんでした。
ブログの読者の方からすると「もっとイスラエルの人たちのことも知りたかった」と物足りなかったかもしれません。
わたしたちにも何度かイスラエルの人たちの意見を聞けるチャンスがありましたが、うまく果たせませんでした。

たとえば・・・。

・ユダヤ人のシャバット(安息日)の食事会のとき
このときはユダヤ人が80人くらいいました。
でもきっと聞いても「へ?」と言われることがわかりきっていたので聞けませんでした。
信仰心の強い彼らからするとユダヤ人は選ばれた民で、パレスチナ人の土地にユダヤ人が住むのは当然のことです。

・ベツレヘムのホームステイ先にイスラエル人グループが遊びに来たとき
夜にイスラエル人グループがお酒をもって遊びに来ました。
パレスチナ人がイスラエル側に入れないように、本来ならイスラエル人もパレスチナ側に入れないのですが現実には可能です。
パレスチナ自治区内にユダヤ人入植地があるので、「入植地の住民」のふりをしてパレスチナ自治区に入り、いったん入ってしまえば外国人ツーリストのふりをしてパレスチナ人街に潜入するという方法です。
パレスチナ人街では、彼らはヘブライ語(ユダヤ人の言葉)ではなくバレないように英語で会話します。
彼らにいっしょにビリヤードに行こうとも誘われましたが、疲れていたしパレスチナ自治区でそういう気分にもなれなかったので断りました。
今にして思えば、彼らからならいろんな話が聞けたかもしれないと後悔しています。

・元イスラエル兵士によるヘブロンツアーへの参加
イスラエルは徴兵制度の国です。

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兵士だったころにパレスチナで残虐なことをおこない、それを後悔している人もいます。
そしてイスラエルの間違った行いを指摘し、外部に伝えたいという人たちもいます。

そんな元イスラエル兵たちがつくったNGO「ブレイキング ザ サイレンス(沈黙を破る)」があります。
このグループでは、ヘブロンツアーを月に1度ほど開催していて参加すれば元兵士にヘブロンの街を案内してもらい、イスラエルやパレスチナ人双方の住民を訪ねて話を聞くことができます。
わたしたちもこれに参加を申し込みました。
月に一度の開催なので、それにあわせてイスラエル・パレスチナの滞在期限を延ばすことにし、旅程も決めていました。

しかし直前で中止になったのです。
そのため、わたしたちはツアーに参加できなくなりました。
中止の理由は、イスラエル政府が入植地への立ち入りを認めなかったからです。
また、このNGOの活動をよく思っていないユダヤ人は多く、ツアー中に住民から攻撃されることもあります。
それでも彼らは今のところどうにか活動を続けています。
今後、イスラエルに行かれる方はぜひこのツアーに参加されてみるといいと思います。

BREAKING THE SILENCE
http://www.breakingthesilence.org.il

また、彼らの活動を扱った土井敏邦監督の『沈黙を破る』というドキュメンタリー映画があります。
http://www.cine.co.jp/chinmoku/story.html

「なんか中国みたいだな。いや中国よりもひどいかも。」
イスラエル・パレスチナを旅していてケンゾーが言いました。
中国ではインターネットが規制されていて自国に不利な情報を国民は検索することができません。
中国はチベットを弾圧・占領していますが、国民はその実態を知らず「チベットを悪い独裁者ダライ・ラマから解放してあげている」と信じている人が多数です。
いまのイスラエルもそれに似たところがあります。

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なのでなかなかイスラエルの人から現在のパレスチナ問題への思いを聞き出すことは難しいかもしれません。
わたしたちが、イスラエル人と話すチャンスがありながらそれができなかったのは「どうせ彼らは知らないから。」というあきらめがあったからかもしれません。
そして彼らの意見を聞くことで、もっとわたしたちのストレスがたまるのではないかという怖れもあったからです。

中国人に「チベット問題をどう思う?」と聞くことに抵抗があるのと似ています。
それでももっとイスラエルの人に話を聞く努力をすればよかったなあと後悔しています。
ぜひ、今度パレスチナとイスラエルを旅する方には、わたしたちよりももっといろんなものを見聞きしてほしいなと思っています。

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世界一周をスタートして1年半。
「楽しい!」とか「感動した!」とかそんな旅の醍醐味とは違う感情をイスラエル・パレスチナでは味わいました。
言えることは、今までの旅のなかで「もっとも意味のある旅だった」ということです。
本当にこの地を訪れてよかったと思っています。

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死海で浮いてみよう!

2014.04.19 07:30|イスラエル☞EDIT
持ってる全部のパンツに穴が空いてしまったケンゾーです。
4枚ともお尻の部分。
妻からは「オナラのし過ぎ!」と言われてしまった。
いやいや、さすがにオナラでパンツは破れんやろ。

イスラエル観光と言えばエルサレム、そしてもうひとつは死海
そう、あの塩分濃度が高くてプカプカ体が浮いちゃう湖。
ケンゾーとイクエにとってイスラエル・パレスチナ旅最後の場所だ。

死海はイスラエル・ヨルダンどちらの国でも泳ぐことができる。
イスラエル側で一般的なのはエン・ゲディというところ。

エンゲディ

ちなみに上の地図の点々で囲まれている部分がパレスチナ自治区。
死海の北側はパレスチナ自治区のはずなんだけど、水源とリゾート地の確保のために死海のまわりは北側でもイスラエル側が実行支配している。

今いるパレスチナのベツレヘムからは、いちどエルサレムに戻り死海方面へ行くイスラエルの会社のバスに乗らないといけない。
イスラエル・パレスチナをまたぐ移動は、バスを乗り換えないといけないので面倒。
まずはベツレヘムからエルサレムのダマスカス門までバス、8シェケル(約240円)。

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トラムに乗り換えてセントラルバスターミナルへ、6.9シェケル(約210円)。
このとき面倒だったのは、ダマスカス門前の駅のチケット販売機が専用カードのみで現金が使えなかったこと。
次の駅で一度降りてチケットを買い、また乗り直さないといけなかった。

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セントラルバスターミナルでエン・ゲディ行きのバス、39.5シェケル(約1185円)。

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死海は海抜マイナス420mと地球上でいちばん低い場所にある。
バスはどんどん坂道を下っていく。
死海が近づくにつれ緑が少なくなり、周りの景色は無機質なものに変わっていく。

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死海が見えてきた。
ふつうの海の表面ははるか400m以上も上。
不思議だねえ。

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ふちがエメラルドグリーンに輝いている。
まるで南国の海。
死海がこんなきれいな色だなんて意外だなあ。
でもなんか化学変化を起こしてるみたいで、ほんとに泳いでもいいのかちょっと不安にもなる。

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死海はエルサレムから日帰りで行くことが多い。
けれどバス代もけっこう高いし、このあとは南下してヨルダンに行くのでケンゾーとイクエは泊まることにした。

ホテルはエン・ゲディ ユースホステル
「エン・ゲディのユースホステルに行く」とドライバーに言っておくと目の前で降ろしてくれる。

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死海沿岸はイスラエル政府が力を入れているリゾートエリア。
最安のユースホステルではあるけれど一泊1人133シェケル(約3990円)もする。
朝食ビュッフェつき。
なかなかのお値段だけど、あくまでもユースホステルなので部屋はドミトリー。

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ホテルの食事はとんでもなく高い。
周辺にレストランや店がないので節約したい人は食料を持参したほうがいい。
ロケーションはバッチリ。
目の前に死海がどーんと広がっている。

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ちなみに、死海の向こうに見える岩山はヨルダン!

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さっそく着替えて死海に浮きに行こう!
ホテルから500mくらい歩いたところに入場無料のパブリックビーチがある。

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パラソルが咲いてまさにビーチそのもの。
テントで寝泊まりしてるツワモノもいる。

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無料だけどちゃんとシャワーも浴びることができる。
日帰りの人も大丈夫だね。

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この日は曇り空で少し肌寒かったんだけど、いたいた泳いでる、じゃなくて浮いてる人たちが。

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ほんとに浮いてるねえ。
人がバシャバシャと泳いでるんじゃなくて、ぷか~んと浮いてる光景ってなんだかおもしろい。
とくにお腹がぽこんと出てるおっさんが浮いてる姿はちょっと笑っちゃう。

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たまにバシャバシャと泳いでる人もいるけどね。

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ケンゾーとイクエも負けてられない。
浮きますか。

注意しないといけないのが足元。
見たことない大きさの塩の結晶がごろごろ転がってる。

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気をつけていても足の裏を切ってしまう。
そして切れたら猛烈に塩水がしみる。
塩分濃度がふつうの海水の10倍だからね、強烈だよ。

ゆっくりゆっくり歩いて沖合へ。
さあ無事に浮けるか?

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ちゃんと浮けたよ~!
なんか不思議な感じ。

でも思ったよりぷかぷかって感じじゃないかなあ。
気をつけてバランスを取ってないと顔が海水に浸かってしまう。
そして猛烈に目が痛くなる。
うわっイテー!って取り乱すとちょっと溺れた感じになっちゃう。

そして10倍の塩分濃度の海水の味は・・・。
塩辛いを通り越して苦い!
にがりそのもの。
しかも舌がピリピリじゃなくてビリビリ痺れる。

死海で浮きながらやる事といえば・・・。

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今後のルート、どうしよっかなあ。
ヨルダンのあとエジプトどうしよう?

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つづいてイクエも死海初体験。
それ、なんのポーズ?

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浮いてるとこんなこともできる。
ほんとは日本酒をクイッといきたいとこだけど水で我慢。

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死海のミネラルをたくさん含んだ泥でパックをするとお肌がスベスベになるそうだ。
有料のエン・ゲディ スパには泥がたくさん置いてある。
でも周りを見渡すと、ここでも泥で真っ黒になってる人たちがいる。
どこかに泥があるのかな。

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奥の方へ行くと泥場を発見、近づくと硫黄の匂いが。
穴に手を突っ込んで泥を探す。

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全身に泥をぬりぬり。
乾燥と老化でカサカサの肌がすこしでもスベスベになるといいなあ。

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はい、できあがり〜♫
もはや誰だか判別できない。

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30分くらい放置して洗い流す。
肌はスベスベというよりもヌルヌル。
ミネラルは確かにありそうだけど・・・。
これが肌にいいのか悪いのかはわからない。

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翌日の朝、イクエに叩き起こされる。
「動物に会えるかもしれんけん!」

いや、会えんと思うけど。
眠くてテンションが低いまま、仕方なく外に出る。
すると、さっそくホテルの敷地内になにかいる!

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ヤギみたいな、鹿みたいな。
アイベックスっていうらしい。

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ここにはエンゲディ国立公園がある。
死海だけじゃなくてこの国立公園はじつは欧米人には有名でトレッキングコースも設けられている。
国立公園に入るには入場料がいるけど、入らなくてもこんなふうに野生の動物に会えるんだね。
眠かったけど一気にテンションが上がる。

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付かず離れずなんだけど、人間を怖がってる感じはない。
木の実を差し出してみると、近づいて来て手から食べた!
かわいい!

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ホテルの周辺を散歩。
今日の天気もイマイチだなあ。
霧のようなものがかかってる。

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またまた変なヤツを発見。
プレーリードッグみたいな、ねずみみたいな。
これはイワダヌキでハイラックスって言うんだって。
なんとも憎めない顔をしてる。

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木の上になにかいる!と思ったら同じヤツだった。
数十匹はいて、木の枝がわさわさとなる。
まるで鳥みたいだ。
変なヤツ!

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またアイベックスがいたと思ったら、ヒゲがはえて貫禄がある。
角の大きさもさっきとは比べ物にならないくらい立派。
視線が鋭くて恐いよ。

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イスラエル・パレスチナ編はこれで終了。
このあと南のアカバというところから隣のヨルダンに移動します。
次回イスラエル・パレスチナの旅を振り返って、ヨルダン編のスタートです!
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壊されるべきアート

2014.04.18 07:48|パレスチナ自治区☞EDIT
炭酸が苦手でビールよりも断然ワインが好きなイクエです。
コーラも飲めなかったんだけど、旅行していると100パーセントジュースなどなくて炭酸飲料しか売ってない国が多い。
だから今ではすっかりコーラも飲めるようになりました。

パレスチナ自治区のベツレヘム。
イエス・キリストが生まれた場所として世界的に有名な場所だけど、最近ここを有名にしているもうひとつの理由がある。

それは、これ。

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イスラエル政府がパレスチナ自治区との境界に一方的に建設した

イスラエルとパレスチナを分けるように建っているので「分離壁」とも呼ばれるし、パレスチナを閉じ込めるようにつくられているので「隔離壁」とも呼ばれる。

イスラエルはこの壁の建設を「テロリストからの攻撃を防ぐため」だと言い「セキュリティ・フェンス」と呼んでいる。

壁の上からはイスラエル兵がパレスチナ人たちを監視している。

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この壁はパレスチナ自治区の領土に食い込むようにつくられていたり、パレスチナの街を分断するように一方的に建てられていて、パレスチナ人の生活に大きな支障をきたしている。
もちろんこの壁を管理しているのはイスラエル政府で、パレスチナ人が壁の外に出るには特別な許可証が必要、チェックポイントでイスラエル兵のチェックを受けなければならない。
分断する壁をつくりながらも、イスラエル政府は壁で区切ったパレスチナ側にも勝手にユダヤ人入植地をつくっているので、この壁はイスラエル政府にとって都合良くできている。

国連総会では壁の建設への非難決議がなされ、国際司法裁判所も建設は違法と判断しているけど、イスラエル政府は壁を撤去しない。

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イスラエル政府からは「セキュリティ・フェンス」と呼ばれている壁だけど、南アフリカで行なわれていた非白人の人種差別を彷彿とさせるものとして「アパルトヘイトウォール」と呼ばれることもある。

ベツレヘムではこの壁が、街中にはり巡らされている。

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パレスチナ人の生活や動線なんておかまいなく(というかわざと不便にするため)建設されている。
人通りが多かった道路の真ん中にドーンと建てられたために、突然そこに人も車も通らなくなり、商店はつぶれ住人たちも出て行かざるをえなくなった場所もある。

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そして、こんなところもあった。
三方が壁に囲まれている建物。
以前からこの建物はお土産屋さんとゲストハウス、そして住居として使われていた。

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ある日突然、工事が始まりみるみるうちに高さ8メートルの壁に囲まれてしまった。
窓から見えるのは、壁。
一日中日陰。
同じパレスチナ自治区に行こうにも壁を迂回していかないといけない。
居心地のいい場所が、突然刑務所になったようなもの。

キリスト教徒もイスラム教徒も関係なく、パレスチナ人たちが共存しているベツレヘム。
教会とモスクのミナレットのシルエットの前に、異質な監視塔が不気味にそびえる。

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イクエとケンゾーがお世話になっているオンディネの家からもこの壁が見える。
ある日、家に帰っていたときのこと。
壁の前がなにやら騒々しかった。

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パレスチナ人たちが壁に向かって歩き、壁の撤去を求めていたのだった。
パレスチナでは、イスラエルの休日にあたる金曜日には各地でデモが行なわれる。
この日も金曜日だった。

長期化するイスラエル・パレスチナ問題に、世界の多くのメディアは手を引いている。
それでも何かあったとき(イスラエルの攻撃や侵攻、虐殺)にそなえて、これを記録し世界に発信するために今では、パレスチナ人たちがみずからカメラを構えている。

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催涙弾を発射させるイスラエル兵。
あたりは煙に包まれ、目からは涙が噴き出し、喉はしびれる。
高齢の女性や子どもたちにも煙は襲ってくる。

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イスラエルの攻撃は催涙弾でおさまらないときもある。
通りに面したお店の窓ガラスには放射状にヒビが入っている。

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攻撃されるのに、黙ってはいられないパレスチナの青年たち。
完全武装のイスラエル兵に対し、彼らは何ももっていない。

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ただ、あるのは石だ。

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「石なんて投げて何になるの?
 銃を持つイスラエル兵に石が当たったら反撃される。」

彼らをみてそんなふうに思う。
彼らの行動は馬鹿げていると思う。

でも、彼らには石を投げることしかできない。
そんな彼らの状況や悔しさもわかる。

壁のそばにはたくさんの石が落ちていた。
たくさんの石が落ちていたけど、こんな石で壁は倒れるはずはない。
投げた彼らもそんなことはわかっている。

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武装したイスラエル兵が、非武装のパレスチナ人を前に「あいつらはあぶない」と言うことこそ、ナンセンスだ。
そんな現実を揶揄した風刺画が、泊まっているところからすぐの場所にあった。

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ここではボディーチェックをするのはイスラエル兵だけど、ボディーチェックされるべきなのはイスラエル兵なのかもしれない。
この絵はただの落書きではない。
世界的に有名なイギリスのアーティスト、バンクシーの作品。
世界中でゲリラ的に風刺画を描いている、覆面アーティスト。

これもバンクシーの作品。
防弾チョッキを着た狙われる鳩。

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バンクシーは、これ以外にも分離壁にいくつかの作品を描いている。

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バンクシーに限らず、壁にはたくさんの人たちがメッセージ性の強い絵を描いている。
まるでベルリンの壁みたい。

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イスラエル兵の侵攻や虐殺を描いた作品。

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ベツレヘムはイエスが生まれた場所。
そんな場所が今では壁で囲まれている。
そしてクリスマスツリーも。

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こここそが、本当の「ウォール街」?

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入れるのは涙じゃなくて、バスケットボールだけにしたい。

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「壁を壊したい!」「壁を越えたい!」という思いにあふれている作品も多い。

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それぞれの思いが込められたアート。
このアートは、壊される日がくることを待ちわびている。

高い、高い塀にカラフルで力強く、楽しく、希望に満ちた絵がいくつも描かれている。
こんなにたくさんの人たちがこの壁が壊されることを望んでいるのなら、壊される日も近いかもしれない。

そんなアートで覆われた壁の向こう側に行ってみることにした。
つまり、イスラエル側に。

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パレスチナ人にとっては、壁の向こうに行くのは外国に行くのよりも難しい。
チェックポイントは2重、3重になっていた。
わたしたちはパスポートを見せるだけで簡単に入れたけれど、前に並んでいる人は指紋を機械に当てさせられ、当てると同時にパソコンの画面に彼の写真が出てきた。
塀の中に入ることを許可された人は、事前にしっかりと登録されているようだった。

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壁の向こう側。
それは、街などがない、あるのはオリーブ畑と整備された道路ののどかな田舎の風景だった。

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パレスチナ側には壁のすぐ横まで商店や家々があったのに、まるで違う。
あんなに入り組んだり、建物を取り囲んだりしながら、ぐにゃぐにゃに曲がっていた分離壁。

つまり、イスラエル側はパレスチナの街の、侵攻できるぎりぎりのところまで入り、壁を建てたのだ。
壁のわきにはオリーブ畑が広がっていて、家畜が放し飼いにされていた。
飼い主はたぶんパレスチナ人なんだろうな。
きっと壁のできる前からここでオリーブを育て、家畜を放牧し、暮らしていた。

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壁がつくられてからは、彼らの住居はイスラエル側に組み込まれ、本来の故郷のパレスチナ側へ自由に行き来することがとても難しくなっているようだった。

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そして、壁を見てわたしたちのあの願いは絶望的なのではないかと気づいた。
いつの日か壁が崩されるという願いが。

イスラエル側の壁には、まったく絵が描かれていない。

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願いは一方的なものなのかもしれない。
イスラエルの人たちにとっては、この壁はじゃまなものではなく、必要な「セキュリティ・フェンス」に過ぎない。

壁の絵が片方にしか描かれないうちは、この壁が壊される日はこないのではないか。
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イエスが生まれた?街

2014.04.17 06:20|パレスチナ自治区☞EDIT
きのうもまた「いま日本食でいちばん食べたいのはなにか?」という話題で妻と1時間以上盛り上がったケンゾーです。
お互いの妄想はヒートアップしていき、「最強の日本の食材はなにか?」論戦を繰り広げたふたり。
イクエは揚げ、ケンゾーは最後まで豆腐と悩んだ末に納豆に。
日本オリジナルじゃなければ断トツでイカ。
「あー、それも捨てがたい!」「ああっ、それがあったか!」と盛り上がったふたりだったけれど、最後は深い溜め息ととてつもないむなしさしか残らなかった。
あー、納豆におくらと山芋入れてうずらの卵を落としてたっぷりのからしと醤油とごま油をたらして冷酒といっしょにかき込みたい!!

死にゆく街ヘブロンからパレスチナ最後の街へと移動。
最後に訪れるのはエルサレムと目と鼻の先、わずか10キロのベツレヘム。

ベツレヘム

ヘブロンからベツレヘムまではセルビス(乗合いタクシー)で1人9シェケル(約270円)。
泊まるのは今回もカウチサーフィンを利用。
ただホスト本人は忙しいということで、友人を紹介してくれた。
待ち合わせまで時間があるので、紹介してくれたホストの経営するお土産屋さんに荷物を置かせてもらってベツレヘム観光へ。

ベツレヘムはイエス・キリストが誕生した(と言われている)街でキリスト教の聖地。
パレスチナ自治区ではあるけれど、世界中からたくさんの巡礼者や観光客が訪れる観光地だ。

白い石造りの旧市街を歩いていく。
ベツレヘムはパレスチナ人の街。
パレスチナ人と言えば、ほとんどがイスラム教徒のアラブ人だけどキリスト教徒もいる。
特にここベツレヘムの街には教会が多く、キリスト教徒のパレスチナ人もたくさん住んでいる。

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スーク(市場街)を抜けた先に聖地「生誕教会」がある。
その名の通り、イエスが生まれたとされた場所に建つ教会。

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だけどキリスト教徒には申し訳ないけれど、イエスがここベツレヘムで生まれたかどうかは眉唾ものらしい。
ケンゾーとイクエが先に旅したイスラエルのナザレで、聖母マリアはイエスを授かっているし、幼少からイエスはナザレで育っている。
ナザレを旅しているときからイクエは「イエスはここで生まれたっちゃない?わざわざ妊婦が100キロ以上離れたベツレヘムまで行って、生んだあとここに戻ってくる?」と疑っていた。
さらに言うと12月25日という誕生日も聖書には記述がないし、根拠があいまいなんだって。
まあキリスト教ではない日本人にとってクリスマスは恋人のためのものだから、イエスがその日に生まれたかどうかはあんまり関係ないけどね。

聖地にしては地味な「謙虚のドア」と呼ばれている入口。
天井が低いのでかがんで通らないといけない。

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内部は残念ながら長期間の改修工事中。
ほとんどの壁や柱は養生されていて見ることができない。

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本来なら左側の列のように、飴色に輝く柱がずらっと並びとても美しいのだそう。

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会堂にはところどころ穴が開いていて、教会が建てられた西暦325年当時のモザイクを見ることができる。
およそ1800年前のものとは思えないほど色鮮やか。
昔から争いの絶えないパレスチナ。
きっとこの教会自体たくさんの犠牲を払いながら長い間死守してきたんだろうね。

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教会はギリシア正教やアルメニア正教、フランシスコ派など複数の宗派が共同管理している。
内部にはそれぞれの祭壇が。
おなじキリスト教と言っても教義や聖書の解釈はさまざま。
ほんとに宗教は奥が深いね。

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イエスが生まれたとされる場所は教会の地下。
ありがたい場所を一目見ようとたくさんの人々が順番待ちをしている。

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ケンゾーとイクエも数十分並んでやっと中に入ったんだけど、実は右側の入口は団体用だった。
左側の個人客用はがらがら、みなさんお間違えなく。

この銀色の星形部分がイエスが生まれたとされる場所。
「ぜったいにこんなところで生まれたはずがない」と言い切るイクエも一応触っておく。

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こちらは「ミルク・グロット教会」
その名のとおり、ミルクにちなんだ伝説が残っている。

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当時ユダヤの地を治めていたヘロデ王が「将来のユダヤ人の王となるかもしれない男子が生まれた」ことを恐れ、ベツレヘム地方の2歳以下の男子を殺すことを画策。
そのため、マリアはイエスとともに天使から逃げるようにとここでお告げを受けた。
夫のヨセフからせかされたマリアの母乳が数滴地面にこぼれると、赤かった地面が一面ミルク色に染まった、という。

教会内はミルク色で統一され、とてもモダンな造り。
幼いイエスに母乳をあげているマリア像がたくさんある。

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こちらが伝説の洞窟。
もともとは地面は赤かったんだって。

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ほかにもたくさんの教会が点在しているベツレヘム。
イスラム教とキリスト教はうまく共存している。
ユダヤ教とも共存していくにはどうしたらいいんだろう。

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今回ベツレヘムでお世話になったのはドイツ人の留学生オンディネ。
エルサレムの大学でアートを専攻している。
この時ちょうどドイツから彼氏が会いに来ていたんだけど、それがまさかの日本人でビックリ。
ドイツの学校で出会ったというシュウスケくんもアーティストの卵だ。

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オンディネが住んでいるのは広いアパートメント。
前に住んでた人が残していった家具や電化製品が使えるのでとても便利。

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映像で表現するアートを学んでいるオンディネ。
ケンゾーが元TVカメラマンだと知ると、作品の撮影をお願いされた。
オンディネと同じ大学で勉強している日本人の友だちも駆けつけ撮影スタート。

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イクエといっしょに一応カット割りなどのアドバイスをしてみたけど、テレビとアートは別物。
ちゃんと作品として使えるのか心配だ。

夜はオンディネとシュウスケくんがディナーを作ってくれた。
日本では馴染みのないアーティチョーク。
塩茹でして花弁の柔らかい部分を特製ソースにつけて食べる。

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調理の面倒さや食べられる部分の少なさなんかは日本の竹の子そっくり。
繊維質だし味も何となく竹の子っぽい。

ほかにまさかの焼き栗も。
でも意外と栗ってどこでも見るんだよね。
たしかトルコでも見かけたな。

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パレスチナ人やスペイン人の友だちもやって来てインターナショナルなディナー。
オンディネ、シュウスケくんありがとう、勉強がんばってね。

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パレスチナの休日の金曜日。
寝泊まりしているオンディネの家の外がなんだか騒々しい。
通りに出てみると、若者が集まっている。
数人の手には石が握られている。
若者たちの視線の先には、兵士と高くそびえる壁。

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ベツレヘムでいったい何が起きているのか。
次回、囲まれていく街ベツレヘムの現実をお伝えします。
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子どもの権利 大人の義務

2014.04.16 06:02|パレスチナ自治区☞EDIT
最近ブログの更新が遅れているイクエです。
いつも読んでくださっているみなさん、申し訳ありません!
パレスチナ・イスラエルの記事はどうしても時間をかけてしっかりと書かないといけないと思っていて、なかなか筆が進まないんです。
そんなパレスチナ・イスラエルの旅の記事ももう少しで終わりです。
もうしばらくおつきあいください。

パレスチナ自治区にも関わらずイスラエルが実行支配するユダヤ人地区があるヘブロン。

ユダヤ人入植地とパレスチナ人の住む場所を隔てるために塀やフェンスが設けられているところもあれば、塀などはないかわりにイスラエル兵が常駐して監視しているところもある。

手前の建物がパレスチナ人の家、奥の建物がユダヤ人の家。

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パレスチナ人の家にはパレスチナの国旗がはためき、ユダヤ人の家にはイスラエルの国旗がくくりつけられていた。
家と家の間にイスラエル兵がいる。

ユダヤ人に見下ろされ、イスラエル兵に監視されながらここに住むパレスチナ人はどんな気持ちなんだろう。

この家のパレスチナ人はとても気骨のある人のようで、家の壁には「ここはパレスチナだ」とか「パレスチナにようこそ」というメッセージが書かれている。

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これを見ると、パレスチナ人がイスラエル側に屈せずに立ち向かっているように思えるけど、見方を変えれば、そんな気骨のある人しかここに残らなかったということなのかもしれない。
この居心地の悪い環境に耐えられず、ここを泣く泣く出て行ったパレスチナ人は多いと思う。
イスラエル側からすれば思惑通りの結果。
パレスチナ人が出て行ったところに、イスラエル側はどんどん入植地を広げていく。

入植地には、イスラエル軍の駐屯地がある。

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兵士たちの宿舎の前には、横断幕。
横断幕の写真がゲストハウスによく飾られている写真みたいだった。

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旅先のゲストハウスでよく目にするのは、宿泊者同士で肩を組んだりお酒を飲んだりツアーに行ったりして、笑いながら楽しそうにしている写真。

「誰でも大歓迎だよ。さあ、いっしょに楽しまない?」
この横断幕もそう言ってるみたいだった。

イスラエル兵から残虐な行為を受けているパレスチナ人のことを思うと、この横断幕にとても違和感を覚えた。
でもユダヤ人からしたら、若くて親しげで守ってくれている彼らはとても頼もしくありがたい存在なのかもしれない。

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銃を持ったイスラエル軍が街をうろつく。
わずらわしいチェックポイントをたくさん設けて、生活に支障をきたす。
ものものしい雰囲気にする。

住みにくくし、居心地が悪い環境にする。
そしてパレスチナ人が出て行くようにしむける。
それこそが、イスラエルの戦略なのだ。

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真ん中を歩いているのは、イギリス人の男性。
彼はイスラエル兵の監視を受けるパレスチナ人エリアに、家を借りて住んでいた。
パレスチナ人とともにこの住みにくい環境に住み、ここを守ることを助けているようだった。

この場所を歩いていると、外国のNGOのメンバーたちに出会う。
パレスチナ人とイスラエル兵、ユダヤ人の声を聞き、仲裁する活動をしている。
仲裁するといっても嫌がらせや圧力を受けているのはほとんどパレスチナ人なので、パレスチナ人の不満を聞き、イスラエル側の横暴を監視し、それをやめさせることが活動の中心のようだ。

彼らがいなくなれば、イスラエル側の横暴なふるまいはエスカレートし、ここに住むパレスチナ人を出て行かせ、ユダヤ人を住まわせていくのが想像できる。

本来ならNGOではなく国連や国際社会が介在して改善すべきことだけど、それができてない今、彼らの活動だけがここに住むパレスチナ人たちの命綱なのかもしれない。

旧市街のアブラハムモスクの周辺にはイスラエル兵が常駐している。
かつて住民のにぎやかな声がこだましていたであろう通りは、いまは閑散としていて、家々からはほとんど人が出て行ってしまっている。

それでもまだ数家族のパレスチナ人が住んでいる。
生活に苦しそうな人たちが多いように見える。
元々貧しい人たちがここの空き家にかってに住むようになったのか、それともこんなところでは仕事がないのか、もしくは引っ越すお金さえない人たちだけが残っているからなのかはわからない。

歩いているとパレスチナではめずらしく、「マネー、マネー」と子どもにまとわりつかれた。
子どもにこうやってまとわりつかれるとき、つい足元を見てしまう。
立派な靴を履いていてお小遣いがほしくて「マネー」と言ってくる子も多いけど、この子たちの中には裸足の子もいた。

マネーを渡すかわりにぎゅうっとだっこすると、さっきの悲壮な表情とはうってかわってものすごくはしゃいでくれる。

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ここは道路の真ん中。
でも車なんて通らない。
わたしたちの脇にある緑のフェンス。

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わたしたちがいるほうが、パレスチナ人が歩ける道。
フェンスの向こう側の広いほうがユダヤ人の道、そちらは車が通れる。
かつてふつうの道路だった場所が、2つに分断されている。

そんな場所で苦しい生活をしている子どもたちだけど、とっても無邪気。

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抱きかかえて振り回していると、「もっとやって!」「ぼくもやって!」と飛びついてくる。

写真を撮っていたケンゾーにも、「やって〜!!」。

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とても悲しい場所のパレスチナだけど、それでもパレスチナで息苦しさを感じないのは、パレスチナ人がわたしたちを歓迎してくれていつも明るくふるまってくれるから。

子どもたちの笑顔にいつも救われる。

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こんな場所でも子どもたちは生き生きとしていて、子どもらしい笑顔を向けてくれる。

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旧市街から3キロほどのところに、広い入植地キルヤット・アルバがある。
もちろんパレスチナ自治区だけどイスラエルが実行支配しているので、パレスチナ人は入れない。
イスラエルの長距離バスがこの場所とイスラエルの各地を結んでいて、イスラエル人は行き来することができる。

パレスチナのオリーブ畑の向こうに広がるその入植地は、高い塀で囲まれていた。

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階段が、フェンスの入口に続いていた。

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入植地の中に行ってみたくて階段をあがってみたけれど、出入り口には鍵がかけられている。

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どこからか入れないかなあと塀の周りをうろうろしていると、ここにも明るくてかわいいパレスチナの子どもたちがいた。

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水タバコを吹かしている兄弟。
「ほら、ここに座って。」「水タバコどうぞ。」

パレスチナ人はこうやっていつも気さくに話しかけてくれる。

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入植地のすぐそばに家があった。
「こんなところに住んでるんだね」ってケンゾーと眺めていたら、不審な外国人のわたしたちを発見した住民たちがはしゃぎながら出てきた。
「中においで!」「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

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彼らはここに住んで入植地のすぐそばの畑を耕して生活している。
彼らの後ろに見える白いマンションのような建物は入植地でユダヤ人が住んでいる。

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彼らにコーヒーをごちそうになったあと、彼らが行くことのできない入植地に入ることをもう一度試みることにした。

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車が出入りしている大きなゲートを見つけた。
ヘブロンの市街地には銃を持ったイスラエル兵がうじゃうじゃいたけど、意外にもここにはひとりもいない。
もうここはすっかり別天地、完全にユダヤ人の街となっているからイスラエル兵が守る必要もないのかもしれない。

ゲートのところにいたのは初老の男性。
「中に入りたい」と言うといぶかしそうにわたしたちを見た。

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「パスポートを見せて」と言われて出す。
「イラクに行ったことは?」「イランに行ったことは?」
イスラムの国の訪問歴を尋ねられた。
わたしたちのパスポートにはイスラム圏の国のスタンプがたくさん押されている。
でも、パスポートを見ることに慣れてないのか、目が遠くてよく見えないのか、中に入ることを許された。

整備された道路、ヘブライ語の看板、黒い服のユダヤ人たち。
パレスチナ自治区だけど、でももうここはイスラエルの街そのものだった。

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数十世帯が住めるような大型のマンションが建ち並んでいる。
新しい建物も多い。

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入植地のまわりには丘陵やオリーブ畑が広がっている。
きっとこれからもまわりの土地を侵食しながらイスラエル政府は入植地を広げていくだろう。
そしてどんどんここに引っ越してくるユダヤ人入植者が増えていくことが想像できる。

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入植地には学校や図書館、商店もあって生活には困らなさそう。
イスラム圏のパレスチナでは買うことが難しいアルコール類も、ここのスーパーでは安く普通に売られていた。

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新興住宅地のように、マンション群のそばには小さな公園がいくつもあった。
何棟かにひとつは公園があるみたいで、イスラエル政府が「子育てしやすい街」というのを掲げて若い夫婦に移住をあっ旋しているのだと思う。

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「透明人間になったみたい。」
「ほんとうに、俺たちの姿が見えとうとかな。」

わたしたちは、ここでは「透明人間」になっていた。
生まれてからこんな心境をもったのは初めてだった。

人とすれ違っても、スーパーに入っても、人の横に立っても、彼らはいっさいわたしたちを見ない。
チラッと見ることもしない。
だから目をそらすということもない。
ほんとうにわたしたちがまるでこの場所に存在しないかのように、振る舞う。

「外国人には関わらない。」「相手にしない。」
無意識のうちにそれが徹底されているようだった。

外国人は自分たちの世界を乱す、じゃまな存在でしかないのかもしれない。

「無視する」とか「避ける」という感じではなく、ほんとうにまったくわたしたちが見えていないように全員ふるまう。

わたしたちはここでは「透明人間」にしかなれない。

「なんか恐いね」

そしてそれは子どもたちにも徹底していた。
幼稚園児くらいの子どもでさえ、そばにわたしたちがいてもいないように振る舞う。

パレスチナ自治区で知り合った外国人旅行者からも聞いていた。
「イスラエルの子どもはね、まったく笑顔を見せてくれないんだよ。
まるで凍ってるみたいに。
とても冷たい顔をしている。
パレスチナの子どもたちとまったく違うんだよね。」

この入植地だけではなく、エルサレムの旧市街でもヘブロンの街でもそれは感じていた。

わたしたちは子どもと遊ぶのが好きで、これまでも旅先で子どもと遊んだり学校を訪問したりしてきた。
子どもにもいろんなタイプがいる。
外国人であるわたしたちに積極的に話しかけてくる子、ちょっと恥ずかしそうに遠巻きに観察し目が合うとほほえむ子、初めてみる外国人に目を丸くして驚いた表情のまま立ちすくむ子、気にはなってチラチラ見るけど大人の後ろに隠れてしまう子・・・。

イスラエルの子たちはそのどれにも当てはまらなかった。

子どもらしく振る舞えないというのは、とてもかわいそうに思えた。
人工的な街で、塀に囲まれていて、「外国人は危ない」と教えられる子どもたち。

ヘブロンの旧市街周辺の入植地に住むユダヤ人が500人で、彼らを守るために2000人のイスラエル兵が常駐している。
異常な環境のなかで育つ彼らは、将来どんな大人になるのだろう。

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イスラエルの侵攻に怯え、どんどん土地を奪われていくパレスチナ。
だけどそこよりも本当に異常な場所は、塀で囲まれた入植地なのかもしれない。

入植地からの帰り、心が救われるような微笑ましい光景に出会った。

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ユダヤ人のためにパレスチナ人を監視しているイスラエル兵。
そんなイスラエル兵の横でむじゃきにサッカーをしていたパレスチナの子どもたち。
任務中のイスラエル兵が転がってきたボールを蹴って、いっしょに楽しそうにサッカーをしはじめた。

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徴兵中のイスラエル兵のなかには、イスラエルもパレスチナも関係なく子どもたちの幸せな未来を望む人も多いと思う。

どんな子どもたちにもむじゃきに遊び、楽しい幼少時代を過ごす権利がある。
そして子どもたちがのびのびと成長していける環境をつくるのが、大人の義務なのだと思う。
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イスラエルの悪質な嫌がらせ

2014.04.14 06:24|パレスチナ自治区☞EDIT
駅にコンセントの変換プラグを置き忘れるという痛恨のミスを犯してしまったケンゾーです。
列車を待ってる間にパソコンを充電してたんだけど、変換プラグを差したまま列車に乗ってしまうという大失態!
翌日探しに戻ったけど見つからなかった。
今は現地で手に入る物でやりくりして充電しています。

街のメインストリートがイスラエル軍によって封鎖され、かつての街の中心部がゴーストタウンと化しているヘブロン。

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イスラエル軍やユダヤ人入植者からの嫌がらせや暴力行為、家屋の破壊によって1万人以上のパレスチナ人が旧市街から追い出されてしまった。

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ゴーストタウンとなっている旧市街付近に住み着いているユダヤ人入植者は500人。
その500人の入植者を守るために2000人のイスラエル軍が駐屯している。
さらに旧市街から少し離れた入植地には7000人以上が住んでいる大規模な入植地もある。

なぜパレスチナ人を追い出してまでここに住もうとするユダヤ人が多いのか。
なぜ徹底的にパレスチナ人を排除しようとしているのか。
その理由のひとつに、ヘブロン旧市街にある聖地の存在がある。
ユダヤ人には「マクペラの洞窟」と言われ、パレスチナ人(=アラブ人)には「アブラハム・モスク」と言われている場所。
イスラム教、ユダヤ教両者にとっての聖地である「アブラハムの墓」があるところだ。

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アブラハムはユダヤ教、イスラム教の祖であり、ユダヤ人、アラブ人両民族の祖先。
ユダヤ人のアイデンティティの象徴であるアブラハムの墓があるから、ユダヤ人たちは力づくでパレスチナ人を排除している。

この聖地で1994年に大事件が起きた。
入植地に住む極右ユダヤ人がアブラハムの墓内で銃を乱射、礼拝中だったパレスチナ人29人が死亡し、100人以上が負傷した。
(さらに外へ逃げ出したパレスチナ人に対し、駆けつけたイスラエル軍が発砲したとも言われていて、パレスチナ人60人が死亡している。)
この事件をきっかけに、アブラハムの墓は分断された。
パレスチナ人用・ユダヤ人用と入口が分けられ、内部もそれぞれ専用の礼拝所が設けられている。

まずはユダヤ人側の礼拝所、シナゴーグへ。
アラブ人は入れないけど、外国人は入ることができる。

「聖地」と言っても、なにも特別な雰囲気は感じない。
ユダヤ教徒でもイスラム教徒でもない自分にしたら、ここを巡ってたくさんの血が流れていることが理解しにくい。

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ここにはアブラハムだけではなく、アブラハムの妻や家族の墓も祀られている。
ユダヤ教の聖地、暴力に訴えてまで奪いたいユダヤ人のアイデンティティの根っこの場所。

けれど、長いことパレスチナ人がここを祀ってきたので墓の内部や棺はアラビア語で装飾されている。

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起源がどうであれ、イスラム教のモスクとしての歴史が長いアブラハムの墓。
アラビア文字で覆われた墓の前でユダヤ人が祈りを捧げている姿に、現在のイスラエル・パレスチナが抱えるいびつさが見てとれる。

つづいてパレスチナ人用のモスクへ。
パレスチナ人がアブラハム・モスクへ行くには厳重なチェックポイントを通過しないといけない。

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ユダヤ人が自分たちの礼拝所に入るときはほぼノーチェックなのに、パレスチナ人がパレスチナ側の礼拝所に入るにはチェックを受けなければならない。
「悪いのはパレスチナ人」「ユダヤ人国家の平和を乱す危険なパレスチナ人」というのがイスラエルの一貫した考え方だ。

墓のいくつかはユダヤ側、パレスチナ側双方から見ることができるようになっている。
棺の横には似つかわしくない防弾ガラス。
防弾ガラスの向こう側は相手側のテリトリー。
神聖な場所であると同時に、一触即発の危険な場所でもある。

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ヘブロンの旧市街を歩いているとよく「街を案内するよ」と声をかけられる。
ケンゾーとイクエは時間がたっぷりあったので自分たちで歩き回ったけれど、時間がないならガイドしてもらうのもいいと思う。
ガイド料もそんなに高い値段は要求してこない。

ある日一人の男性が声を掛けてきた。
いつものようにガイドかなと思ったらちょっと違った。
「自分はアブラハム・モスクのすぐ近くに住んでいる。家に来ないか?」

男性はヘブロンで生まれ育ったジャメールさん、34歳。
歩くことさえできないシュハダー・ストリートのすぐ近くに住んでいる。
ジャメールさんの家の隣近所のドアは封鎖されている。

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3階建ての建物に住んでいるのはジャメールさんと彼の家族だけ。
他の人たちは出ていったそう。
空いている部屋にツーリストを無料で泊めることもあるそうだ。

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生まれた時からつねにイスラエル兵に威圧され、ユダヤ人入植者から嫌がらせを受けてきたジャメールさん。
彼はゴーストタウンのど真ん中に住んでいるので、どこへ行くにもいくつものチェックポイントを通過しないといけない。
1か所のチェックポイントで10分、20分待たされることはしょっちゅうなんだそう。

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2週間に1度の割合で家の中をチェックするため突然イスラエル兵がやって来るらしい。
冷蔵庫の中までひっかき回して去って行くんだそうだ。
「別の場所に移りたいけど、新たに家を建てるお金がない」と訴えるジャメールさんはとても疲れて見えた。

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寝泊まりしているカウチサーフィンのホスト、モーの家に戻った時のこと。
水道の蛇口をひねっても水が出ない。
ビルのメンテナンスでもしてるのかなと思ってモーに聞いてみたら信じられない答えが返ってきた。
「ああ、イスラエルが止めてるんだよ。」
「いつ出るようになる?」
「わからないなあ。」

ふつうの事のようにさらりと言うモー。
でも起きていることはとても衝撃的だ。

パレスチナの領土でありながら、ガリラヤ湖やヨルダン川などすべての水資源を掌握しているイスラエル。
水資源を奪われたパレスチナはイスラエルから水を買っている。
水は高値で売られていて、イスラエル側がパレスチナに水を売り渡さないこともある。
イスラエルがパレスチナの水をコントロールできる仕組みだ。
ここヘブロンでは、命を支える水に関しても嫌がらせを受けている。

パレスチナ人はヘブロンに入植しているユダヤ人の5分の1しか水を使うことができない。
イスラエルによって断水されるため自由に使えないのだ。

パレスチナ人の家の屋上には必ず水のタンクが設置されている。
けれどユダヤ人入植者の家にタンクは見当たらない。

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パレスチナ人とユダヤ人入植者の水道、電気などのライフラインは完全に分けられている。
ユダヤ人が入植するときは専用の水道やガス、電話線が敷かれ、水も制限なく使用することができる。
パレスチナ人が住んでいた家にそのまま移り住む場合も新たに専用のライフラインが敷かれる徹底ぶり。

一方、パレスチナ人たちは2週間断水することもざら、しかも予告もなく止められるのでタチが悪い。
2週間、シャワーを浴びられない。
トイレも流せない。

さらに信じられないけど、夏のほうが断水する頻度が多くて、1週間に1日か2日は水が出ない日があるそう。
あまりにも陰湿だ。

ヘブロンの街中で「FREE ISRAEL(イスラエルに自由を)」というサインをよく目にする。

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どの口がそんなことを言ってるのかと呆れてしまう。
イスラエルがやってることは中国がチベットに対してやってることと似ている。
軍事力にものを言わせパレスチナからパレスチナ人を追い出し、ユダヤ人入植地をどんどん増やし既成事実をつくり続けている。

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平和の鍵はイスラエルが握っている。
イスラエルが強硬姿勢をやめない限り、パレスチナに平和は訪れない。

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いったいいつまでパレスチナ人はこの劣悪な環境に甘んじていなければいけないのか。
このままだとヘブロンの旧市街は完全に死んでしまう。
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死んだ街 ヘブロン

2014.04.11 05:43|パレスチナ自治区☞EDIT
寝袋がかさばって仕方がないので買い替えたケンゾーです。
イランで買った寝袋を持ち運び続けてきたけど、重いしかさばるしもう限界。
大奮発して軽くて暖かい6000円の寝袋を2つ買った。
これまでの寝袋は充分元は取ったからいいかな。

パレスチナ自治区の中でも特殊な街ヘブロン。
いったいなにが特殊なのか。

他の街と変わらず賑やかなマーケットを歩いていると、だんだん人の姿がまばらになり活気が無くなってきた。

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営業している店もまばら、通りはがらんとしている。
ふと上を見上げると、不自然な小さな小屋。
屋根の上にはイスラエルの国旗がはためいている。
イスラエル兵の監視小屋だ。

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よく見ると、スーク(商店街)の屋上部分に監視小屋がいくつも設置されている。
そして銃を持ったイスラエル兵が上からスークを監視している。

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ヘブロンは街の一部がイスラエルに占領され、分断されてしまった街。
強制的に追い出され、排除させられた区画はゴーストタウンと化している。

ガザ地区以外のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区)はエリアA、エリアB、エリアCと3つのエリアに分けられている。

エリアA:行政権・警察権共にパレスチナ自治政府が実権を持っている
エリアB:行政権はパレスチナ自治政府が、警察権はイスラエル軍が持っている
エリアC:行政権・警察権共にイスラエル軍が持っている


自治区とは言ってもパレスチナが実権を握っているエリアAは7都市のみで、大部分はイスラエルが実行支配しているのが現実。

ここヘブロンは完全な自治権があるエリアAのはずなのに、さらに街がH1とH2という2つの地区に分割されている特殊な街。
ヘブロン市の80%がパレスチナに自治権があるH1、20%がイスラエルが支配しているH2。
H2エリアにはイスラエル軍が常駐している。

ヘブロン市街地

ヘブロンに住むパレスチナ人にとって深刻なのは、旧市街を含む街の中心部分がH2エリアになっていること。
街を歩いていると、いたるところがバリケードで封鎖されている。
街のメインストリートがイスラエルに占拠されていて自由に行き来することができなくなっている。

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バリケードの隙間から見える街一番のメインストリートは廃墟にしか見えない。
いったいどうなっているのか。

ぐるっと迂回するとチェックポイントがあった。
ヘブロンの街の中心を貫くシュハダー・ストリートを通るにはイスラエル軍のチェックポイントを通過しないといけない。

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パレスチナ人は毎回身分証を提示しチェックを受けなければいけない。
この煩わしさ以上に厄介なのは、このチェックポイントが嫌がらせを受ける場所でもあること。
ただ通過するだけなのに数時間も待たされることがあるそう。
待たされる理由は、イスラエル兵のただの気まぐれ。
H2エリアには20か所以上のチェックポイントがある。

チェックポイントを抜けて街の目抜き通りへ。
ケンゾーとイクエが目にしたのは、異様な光景だった。

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不気味なほど静まり返ったメインストリート。
それもそのはず、通りに面した建物はすべて扉が閉じられている。

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イスラエルがシュハダー・ストリートに面している家や店舗のドアを閉鎖し開けられないように溶接しているのだ。

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パレスチナ人はこのシュハダー・ストリートに車を乗り入れることはできない。
力づくで占拠した通りを我が物顔で車を走らせるユダヤ人。
のんきに「ハロー」と手を振りながらケンゾーたちの前を走り去っていった。
なぜ笑顔なのか、まったく理解できない。

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シュハダー・ストリートを200mほど歩くと、そこから先パレスチナ人は歩くことさえできなくなる。
迂回路を使って遠回りしないといけない。
写真の下に見えるシュハダー・ストリートに足を踏み入れると、無条件で撃たれるそうだ。

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H2エリアには2万人のパレスチナ人が住んでいる。
シュハダー・ストリート周辺にすむユダヤ人入植者はおよそ500人。
彼らを守るために2000人のイスラエル兵が常駐している。

パレスチナ人は歩くことさえ許されないシュハダー・ストリート。
歩いているのはイスラエル兵とユダヤ人入植者のみ。
ゴーストタウンとはこの場所のことだ。

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ゴーストタウンと化したこの通りにも、まだ住み続けている人はいる。
けれど通りに面した入口は使えないので、壁に穴を開けたり、屋根伝いに出入りしたりしているそう。

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ゴーストストリートをランニングする人たちがいた。
一瞬目を疑った。
マシンガンを手にしていたから。

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「イァッホー!」と叫び、空に向けて撃つ振りをしながら走り去っていった。
彼らがイスラエル兵なのかユダヤ人入植者なのかはわからない。
パレスチナ人は認められていないけれど、ユダヤ人入植者には銃の所持が認められている。

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100か所以上あるバリケード。
街はバラバラに分断されている。
バリケードにはユダヤ人入植者が描いたユダヤ教にちなんだ絵。

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武装した兵士と軍用車が行き交うヘブロンの街。
ところどころ家が崩壊している。
戦場に足を踏み入れてしまったんじゃないかと錯覚してしまう。

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放置された子ども用の自転車やベビーカー。
この10年で閉鎖させられた店舗は500軒以上、1万人以上のパレスチナ人が追い出されたそう。

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新しく使用感のある自転車を発見。
住んでる人がいるのかな、と思って奥へと行ってみると・・・。

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新しくきれいな住宅、ユダヤ人入植者の家だった。

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旧市街周辺には4つの小さな入植地がある。
パレスチナ人を追い出し、あえてゴーストタウンに住むことを選んだユダヤ人。
なにがそうさせるのか、使命感?

奥に進むと小さな公園が。
近くに幼稚園があるんだろう、ユダヤ人の子どもたちが楽しそうに遊んでいる。

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こうして見ているとごく普通の子どもたち。
だけど近づいて行っても全員無反応。
「ハロー」と声を掛けても目を合わせてもくれない。
パレスチナだったら向こうから笑顔で寄ってくるのに。

なんなんだろう、この違いは。
武装した兵士に守られているという異常な環境のせいなのか。
どうしても違和感を感じずにはいられない。

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旧市街(スーク)も完全に死んでしまっている。
がんばって営業を続けている店もあるけれど、ほとんど閉鎖。

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ところどころ天井にネットが張られている。
ネットには大量のゴミが散乱。

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スークの2階や3階部分にユダヤ人入植者が住み着いているのだ。
パレスチナ人がいなくなった家や、ときには強引に追い出して住み着く彼ら。
嫌がらせで下を通るパレスチナ人めがけて上から石やゴミ、生卵や糞尿を投げつけるそう。

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2000人のイスラエル軍に守られた彼らはやりたい放題。
パレスチナ人だと子どもでもイスラエル兵に石を投げるだけで逮捕されるけれど、ユダヤ人入植者は嫌がらせや脅迫、暴力行為もとがめられない。

「パレスチナ問題」とよく言われるけれど、そうじゃない。
個人的には「イスラエル問題」だと言い替えないといけないと思う。
あまりにも理不尽なことがヘブロンの街では日常になっている。

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パレスチナ人とユダヤ人入植者が顔を突き合わせて生活している街ヘブロン。
次回もヘブロンに住むパレスチナ人の現状をお伝えします。
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ホストの中のホスト

2014.04.07 06:02|パレスチナ自治区☞EDIT
鼻毛に白いものが混じるようになったケンゾーです。
髪、ヒゲにつづいてとうとう鼻毛にまで老化が・・・。
気持ちはまだ24歳くらいなのになあ。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教と3つの宗教の聖地であるエルサレム。
世界中から巡礼者が訪れ、日々祈りが捧げられているこの場所は、ケンゾーとイクエにとっては心揺さぶられる場所ではなかった。
日ごとに募るのはパレスチナへの思い。

ケンゾーとイクエがまだ行っていないエルサレムより南側のパレスチナに、ヘブロンとベツレヘムという街がある。
エルサレムに近いこの2つの街は日本人の観光客もよく訪れている。
けれどほとんどがエルサレムからの日帰り。
だけどケンゾーとイクエはこの街に泊まりたかった。
時間をかけてじっくりと街を歩きたかった。
それはこの街がパレスチナの中でも特殊な街だから。

問題はヘブロンではホテルがほぼないこと。
だけど運良くカウチサーフィンのホスト先が見つかった。
エルサレムから40kmほど南にあるヘブロンへ。

ヘブロン

おちゃめで優しく、愛にあふれたイブラヒムじいちゃんともお別れ。
なんだかんだで5泊もお世話になった。
じいちゃんいつまでも元気でね。

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じいちゃんに教えてもらったミニバンでヘブロンへ。
ダマスカス門の前にあるアラブバスターミナルの周囲で人に聞くと教えてくれる。
ヘブロンまで20シェケル(約600円)、人数が揃うまで待たないといけない。

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パレスチナ自治区を走るミニバン。
エルサレムからヘブロンに向かう途中に、いったいいくつのイスラエル入植地を見かけただろう。

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地図を見るとアラビア語に混じってヘブライ語の地名が思った以上に点在していることにビックリする。
じわじわとパレスチナ自治区を侵食していっている入植地。
壁で隔てられた入植地を見ると、何とも言えず溜め息しか出てこない。

今回お世話になるホストの家は、ヘブロンの市街地からは少し離れている。
ミニバスを降りてヘブロン大学を目指してしばらく歩いていく。

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ちょうど授業が終わった時間なのか、ぞろぞろと出てくる学生たち。
外にはたくさんのタクシーが待ち受けている。

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ホストの家のそばにスイーツショップがあったので手土産を買うことに。
中東だけでなく、トルコや中央アジアでよく見かけるバクラバというスイーツ。

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国や地域によってたくさん種類があるけれど、共通しているのはピスタチオやアーモンドなどのナッツ類がたくさん使われていることと、あま〜いシロップがたっぷりしみ込んでいること。

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たくさん種類があってどうやって頼んだものかと悩んでいたら「1ケージー?2ケージー?」と店のおじさんが聞いてきた。
中東では野菜も肉も、そしてスイーツも量り売りだ。
1kg分詰めてもらって35シェケル(約1050円)。
スイーツは贅沢品だからか意外と高いね。

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ここがお世話になるモーのアパート。
一階にはパン屋さんが入っている。

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この左側の見るからに優しそうな人が今回のホストのモー。

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近くの病院で事務職をしているモー。
このモーのカウチサーフィンに注いでいる情熱と言うか入れ込みかたがケタはずれ。
カウチサーフィンをはじめて2年くらいだそうだけど、今までホストした人数がなんと500人以上!
基本的にいつでも誰でもウェルカムで、ほぼ毎日誰かが泊まりにきている。
多いときは一日6人、2週間泊まり続けるツーリストもいたんだって。
ケンゾーとイクエがいたときも、つねにほかのツーリストも泊まっていたし、1週間泊まりつづけている人もいた。

モーの家は特別広いってわけではない。
モーは自分の寝室のダブルベッドで寝てるんだけど、毎日誰かが同じ部屋に寝るし、ダブルベッドでいっしょに寝ることもしょっちゅうある。

そんなホストの鑑のようなモーはカウチサーフィンから表彰もされている。
だけど、自分の家なのにプライベートな空間も時間もほぼゼロな毎日。
寝るときだってすぐ隣に見知らぬ他人がいるんだよ、安らぐ時がないよね。

モーに「旅人としてはありがたいけど、毎日だと疲れない?辛くならない?」って聞いてみた。
そしたら「ぜんぜん!」とひょうひょうと答えるモー。
「毎日世界中の人たちと話をするのは楽しいよ。
それにいろんな人がヘブロンに来てくれるのがうれしいからね。」


たしかにヘブロンにはツーリストが利用するようなホテルがない。
献身的なモーのおかげでケンゾーとイクエもじっくりとヘブロンを見て回ることができる。

ヘブロンは人口およそ12万人。
ちゃんと本物のケンタッキーもある。

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店内も日本とほとんど変わらないつくり。
違うのは女性店員がスカーフを被ってるくらいかな。

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街の中心にはマーケットがあり、ほかのパレスチナの街と変わらず活気にあふれている。

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マーケットを歩いているとひっきりなしに声をかけられるし、写真を撮ってくれ!っていうリクエストもしょっちゅう。

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ここまではこれまでのパレスチナの街とまったくいっしょ。
でもね、マーケットを奥のほうに歩いていくと異様な光景にでくわした。

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数人の客が品定めをしている衣料品の露店。
服が掛けられたフェンスの奥には廃墟が広がっている。

いったいヘブロンの街で何が起きているのか・・・。
あしたゴーストタウンと化したヘブロンの街をお伝えします。
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旅人のわがまま イブラヒムじいちゃんの本音

2014.04.06 06:28|イスラエル☞EDIT
ハリウッド映画『アルマゲドン』は絶対におもしろくないと思って観たことなくてストーリーもなんとなくしか知らなかったけど、きょうストーリーを夫に聞いて「うわあ、おもしろそう」と思ったイクエです。
今まで宇宙飛行士か何でもできるマッチョでクールな男たちが主人公の物語と思ってたから。

イスラエルのアラブ人街で自分の家を旅人に開放しているイブラヒムじいちゃん。
旅人のあいだで有名なじいちゃん。
口癖は「ウェルカム!」「イート!」
旅人を自宅に泊めては、食事をふるまってくれる。

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じいちゃんは人徳のある人で海外の講演会にもなんども招かれている。
国や宗教や人種に関係なく共存できる社会をつくらなければならないという理念をもっている。

そんなじいちゃんの家は、繁華街から遠くてWi-Fiも一部しかつながらずシャワーのお湯がでないときもあるという不便さもあるけれど、それでも居心地がいい。

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それでも、イクエとケンゾーは1泊だけしてほかの宿に移ることを決めた。

それは・・・
お金が高いから。

ここの滞在費は寄付金制で、相場は一泊50シェケルくらいと聞いていた。
だけど、この宿に到着して寄付金箱の張り紙を見てふたりでドキッとした。

一泊につき100シェケル払うようにと書いてあったのだ。

ここには宿の管理の手伝いや掃除をボランティアでやっているアメリカ人のおじさんがいる。
名前はアーネスト。
普通のゲストハウスならバスルームの掃除をしたり会計をしたりベッドメイキングをするスタッフがいるけど、ここにはイブラヒムじいちゃんしかいない。
それを見かねたアーネストが、もう2年くらいここに住み込んでお世話をしている。
最初にアーネストに部屋の鍵をもらって宿の説明を聞いたとき、彼も「宿の維持費や光熱料、食費がこれまでの寄付金ではカバーできなくなっている。資金難に陥っているから、一泊100シェケルは払ってね。」と言った。

100シェケル。
思っていた額の2倍の金額。
毎日ふたりで200シェケル(約6000円)。
それはちょっと払えなかった。

泊まっていた日本人の子が言うには、3日前くらいに突然50シェケルから100シェケルに値上がりしたのだそう。

ほかの安いゲストハウスのドミトリーだと、1人一泊60シェケルくらいで泊まれる。
彼は「ここにもっといたいけどこれ以上毎日払えないのでほかの宿に移動します。」とわたしたちに言い残して他へと移っていった。

わたしたちも出て行くことにした。

チェックアウトするとき、じいちゃんは宿にいなかった。
アーネストに正直に伝えた。
「ここにもっといたいけど、100シェケルは高いから他の宿に移ります。」

そしたらアーネストが予想外のことを言った。
「たしかに、そうだよね。
この100っていう金額もついこの間イブラヒムさんが決めたんだ。
よし、イブラヒムさんに電話してみよう。」


わたしたちは別にクレームを言うつもりもなく、ただ理由を正直に言って宿を変えるつもりだっただけなのでこの展開にびっくりした。

アーネストが電話でじいちゃんを呼び出した。
「あと5分くらいでイブラヒムさんがここにやってくる。
ちょっと待ってて。
この際、宿代のことについて話し合おう。」


間もなくするとじいちゃんがやってきて椅子に腰かけた。

アーネストが言った。
「100シェケルっていうのはバックパッカーにとっては高い。
この金額設定を見直したらどうですか?
この前もここに日本人の男の子が来て、着いたときはニコニコ嬉しそうにしてたけど、100シェケルって知ったとたん顔を曇らせて泊まらずにすぐに出て行ったことがあった。」


わたしたちはこのときまだ一泊しかしていなかった。
それなのに、イブラヒムハウスの今後の成り行きを決める大切な緊急会議に立ち会うことになるなんて思ってもいなかった。

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いつも明るくて優しいじいちゃんだけどちょっと不機嫌そうになった。
「100シェケルだって高い値段じゃないでしょ。
ほかの宿はいくらすると思ってるんだ。」


わたしたちは正直に言った。
「旧市街のドミトリーで60くらい、安い宿を探せば50でも泊まれます。
しかも旧市街のなかにあるから観光にも便利。
でもここだと街の中心地に行くには長い距離を歩くかバスに乗らないといけない。」

「彼女たちの言う通りですよ、イブラヒムさん。
最終のバスを逃したらタクシーを使わないといけない。
そしたらその分出費もかさむ。」


じいちゃんは不満そうに言った。
「でもわたしはみんなに食事をつくってるし、紅茶だっていつも飲み放題。
レストランで食事をして、カフェで紅茶を3、4杯飲んだらあっという間に何十シェケルか飛んでいくよ。」


意外かもしれないけど、イスラエルの物価はものすごく高い。
スーパーで売っているものや、外食はフランスなんかよりも高い。
感覚的には日本の物価の1.5倍くらいする。

たしかにじいちゃんの言いたいこともわかるけど、でもそうじゃないのだ。
わたしたちの思いを代弁するようにアーネストがじいちゃんに切り返した。

「でもお金をもってないパックパッカーたちはカフェに行ったりしない。
みんなティーバックを持ち歩いて、自分でいれている。
それにレストランなんかに行かない。」

「そうです。
たいていのゲストハウスにはキッチンがあるから自分で市場で食材を買って調理したり、外食するにしてもファストフード店で一番安いサンドイッチを頼んでいます。
レストランのテーブル席でまともに食事なんてめったにしないです。」


旅人でもあったアーネストはバックパッカーの気持ちもわかってくれる。
「バックパッカーは努力して安く済ませることができる。
市場で野菜を買って、食パンとチーズを買って挟んで食べたりね。」


じいちゃんは納得いかない様子だった。
そしていつも笑って「ウェルカム!」と言うじいちゃんが、だんだん本音を言いはじめた。

「だって本当にお金が足りないんだ。
この箱に一日50シェケルはみんな入れてくれるはずなのにまったく入ってないときもあるんだよ。」


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それは、アーネストからも聞いていた。
寄付金は集金制ではなく、このポストに入れるシステム。
じいちゃんがこのポストの鍵を持っている。
アーネストが言うには、じいちゃんは1時間おきに中をチェックしては何も入ってないことにいつも肩を落としているらしい。
でもお客さんに「払え」なんて言わない。
じいちゃんはそれでも「ウェルカム!」「イート!」を笑顔で言いつづけてきたのだ。

「ここでたまにみんながいる前でこのポストを開けるんだ。
でも何も入ってない。
『あれ?なにも入ってないな・・・』ってつぶやくとここにいるみんなが『俺は払ったよ』『俺も』って笑ってごまかすんだよ。」


一日50シェケルとは言え、一応「寄付金」という名目なのでごくたまに払わない人もいるだろうとは思っていたけど、じいちゃんとアーネストの話からすると、予想を越えるかなりの人たちが実際は払っていないようなのだ。
しかも、そのほとんどが日本人。

じいちゃんは外国人をおもてなししたいという精神であふれている。
でも現実的には金銭的なゆとりがない。

じいちゃんは宿泊客からのお金を日銭として生活している。
つまりこのポストにお金がないと、じいちゃんのその日の生活費もないということになる。
ついに最近は薬も買えなくなったらしい。

それでもじいちゃんは宿泊客に向かって「お金を払え」とは言わない。
それはじいちゃんのポリシーに反する。

でも部屋の壁にはじいちゃんが大手術をしたときの写真が貼ってある。
どうしてこんな写真をわざわざ飾っているのかわからないけど、もしかしたらみんなに何かを伝えたいのかもしれない。

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じいちゃんが言う。
「ここに泊まって、私のご飯を『おいしい、おいしい』って食べてくれて1週間も滞在してくれる子たちも多い。
別れるときはね『ありがとうー。また来ます。』って言ってくれて、抱き合って握手をして出て行くんだ。
でもね、出て行ったあとにポストを確認すると一銭も入ってないんだ。
こんなことしょっちゅう。」


じいちゃんは今まで自分の中に押し込めていた思いを吐き出すように続ける。
「5日くらい前もね、みんなを喜ばせようとケーキを買ってきたんだ。
でもね、そのときもお金は入らなかった。」


この家は宿泊客に開放していて、今じいちゃんは別の場所に住んでここに通っている。
ここに通う交通費にもじいちゃんは困っている。

「ここに来るまでのお金しかなくて、帰りのお金をもたずに来るんだ。
泊まっているみんながいるからこのポストに帰りの分のバス代は入ってるはずだから。
でも、入ってない。
だからこの前もチェックインした韓国の女の子に直接『帰れないからお金ちょうだい』って言って前払いしてもらったんだ。」


70すぎのじいちゃんが孫くらいの子に「帰れないからお金ちょうだい」って言うのを想像すると切なくなる。

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「寄付金制度をやめてチェックインのときに取り立てるようにしたら?」とか「食費がかさむから泊まるだけにさせたら?」とか提案をしてみたけれど、じいちゃんはそれを受け入れない。
そのじいちゃんの気持ちはわかる。
じいちゃんは別にゲストハウスの経営をしたいわけじゃないのだ。
ここにやってくる旅人を笑顔で迎え入れて、たくさん食べ物を食べさせて、おもてなしをしたいのだ。
でも、現実的にはそれが立ち行かなくなっている。

維持費にいくら必要なのか、どのくらい宿泊費を集めないといけないのか、つっこんだ話をした。
宿泊者全員が50シェケル払えば、じいちゃんが食事をふるまっても赤字にはならない。
だけど寄付金をまったく払わない人もかなりいる。

じいちゃんが決めた100シェケルというのは、いま寄付金を払ってくれる人の数だけを考慮して計算したぎりぎりの金額のようだった。

でも100シェケルというのは、エルサレムの安宿の相場からするとかなり高い。
わたしたちも、そして他の旅人も現に高いので別の宿に移動している。

「でも100シェケルは払えません。
寄付金をまったく払わない人の分をほかの旅人が補うというのは、わたしたちからすると受け入れがたいです。
さっきも日本人の男の子が『ここに2泊して、もっと滞在したいけどこれ以上はお金をかけられない。だから別の宿に移動します。』って出て行きました。
そんなふうに100シェケルをちゃんと払わないとって思う誠意ある人こそ、これからこの宿に泊まらなくなると思うんです。
だけど『どうせ寄付金制度だから払わなくていいだろう』って人は、ここに泊まり続けることになるんじゃないでしょうか。
そしたらますますこの宿の維持が難しくなると思います。」


アーネストもわたしたちの意見に共感した。

「『イブラヒムハウスは、タダらしいぜ!メシもタダでくえる!ここはフリーゲストハウスだ!』って人こそ何も気にせずに泊まるでしょうね。
でも寄付金をちゃんと払わなければと思う良心のある人こそ、現実的には払えないから出て行かないといけないって思って出て行くことになるでしょう。」


「それと・・・・。
日本人にとっては寄付金制度って言うのは欧米人に比べてなじみがないと思うんです。日本にはチップの文化もない。
寄付金って言うのは『払いたい人が払えばいいもの』という捉え方です。
何かのサービスを受けたり、何かを受け取ったときにみずから進んでお礼としてお金を渡すというのは、他の国ではあたり前かもしれないけど日本ではそうじゃない。」


ちょうどギターをもってお金を稼ぎながら旅をしている日本人の男の子が泊まっていた。
その子は路上で数時間演奏すれば100ドルくらい稼げると言っていた。
この場に座っていた彼を見て、わたしは続けた。

「彼は路上で演奏をしてオーストラリアやヨーロッパやここで稼いでいます。
彼の音楽に少しでも感動した人がお金をポンポン入れていく。
でも日本で同じことをしても、日本人はお金を入れないんですよ。」


彼も笑いながら言った。

そうそう。
日本ではまったくダメ。」


じいちゃんはとってもびっくりして、甲高い声で言った。

「日本人はお金入れないの?
誰かが路上で演奏してても!?」


わたしは続けた。
「それに、他の国を旅して、道に座るホームレスに小銭を渡す人たちを良く見かけます。
でも、日本じゃホームレスにお金を渡す人なんていませんよ。」


「お金をあげないの?
どうやって生活してるの、その人たちは?」


「生活保護とか・・・。
でもゴミをあさったりしています。
とにかく、そのポストに『ドネーション』とか日本語で『寄付はこちらへ』って書いてあるのがかえってダメなのかもしれません。」


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いきなりじいちゃんが立ち上がった。
何を思ったか、突然ポストの紙をビリビリと破りはじめた。

あっけにとられたと同時に、じいちゃんの思いきった行動にアーネストもわたしたちも声をあげて笑った。

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そして紙を小さく裂いて丸めて、ニヤッとした。

わたしたちは今日ただここを出て行くはずだった。
まさかこんな緊急会議が開かれることになるとは思わなかったし、この宿の制度を変えようなんてつもりもなかった。
この展開にケンゾーとびっくりしている。

アーネストが言った。
「ちゃんと全員に払ってもらうことにしよう。
だから100シェケルよりも下げよう。」


じいちゃんが言った。
「いくらならみんな出せると思う?」

「一番安いゲストハウスはドミトリーで50や60シェケル。
ここは食事の心配はしなくていいけど、でもそれを考慮しても・・・。
わたしたちに関して言えば65とか70とか、出せても75。」


アーネストがじいちゃんに聞いた。
「イブラヒムさんはどのくらいが必要と思いますか?
70?」


「75シェケル。
そうじゃないとやっていけないから!」


結局、表向きは寄付金制度というスタンスにはなるけど全員に75払ってもらうことが決まった。

アーネストがポストの張り紙を書き直した。
「寄付」という言葉を強調せず「75から100シェケル払ってください」と書いた。

そしてわたしたちは今さら出て行くなんて言えず、ずっとここにお世話になることにした。

この日は全員がお金を払ったようで、じいちゃんは嬉しそうだった。
いつもは豆と野菜を使った手作り料理なのに、ひき肉がたっぷり入ったコロッケみたいなお惣菜をみんなに買ってきてくれた。

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「そんなことしなくていいのに」「そんなことするから赤字になるんだよ」「料理も作りすぎだよ」とケンゾーと言いあったけど、じいちゃんはそんなことをしたいのだ。

泊まっていたドイツ人が、イブラヒムハウスの存続のために寄付金を募るためインターネットで呼びかけることにした。
イブラヒムハウスを紹介するために、一眼レフをもっているケンゾーにイブラヒムハウスの写真を撮影させた。

壁に飾ってある、じいちゃんへのありがとうのお手紙も撮影させた。

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でも、日本のはほとんどない。
一番日本人がお世話になっているのにな。

そんなことを思っていると、ドイツ人の彼が言った。
「韓国人からのが多いね。
この宿の客はほとんど日本人なのに・・・・。
あ、ごめん。
別に非難してるわけじゃないんだよ。」


旅をしていると、いろんな出会いがあって外国人から無償の優しさを受けることがしょっちゅうある。
そして「本当にいい人たちに出会えたな。」とか「やっぱり旅っていいな。」と思う。

いっぽうで、そんな優しさを受けることに慣れてくる。
まるでそれが旅人の特権でもあるかのように。

たしかに重い荷物を背負って安い方法で旅しているバックパッカーには、地元の人たちが優しくしてくれることが多い。
でもそれは「特権」でもないし「あたり前のこと」でもない。

きっとこのイブラヒムハウスも「じいちゃんは太っ腹でものすごく優しい人だ。お世話になろう。」って甘えて、寄付金を払わないことにそれほど悪気はないんだと思う。
わたしも旅人だからその気持ちもわかる。
きっとお金を払わない旅人たちは「やっぱり世界には素晴らしい人たちがいるな。今回もいい出会いがあったな。旅っていいな。」っていう思い出を胸にここを出て行ってるのかもしれない。

そして、もうひとつの旅人の思い込み。
わたしたちもそうだけどバックパッカーって生活費を切り詰めてぎりぎりで旅しているので、自分が貧乏だと思い込む。
地元の人たちが高そうなレストランで食事をしているのを横目で見ながら宿に戻り、安い食パンをかじってお腹を満たす。
地元の人がタクシーやバスに乗っているのを横目で見ながら思いバックパックを担いで歩く。

でも実際は貧乏ではない。
どんなかたちであれ、旅はお金を消費する道楽で、働きもせずに旅を楽しんでいるのだから。

「旅人だから」「貧乏だから」とじいちゃんに甘えてきたのかもしれない。

でも、じいちゃんはそんな旅人も大好きで分け隔てなく迎え入れてきた。
でも、「きっと寄付を払ってくれるだろう」って期待して何度も裏切られることを経験している。
じいちゃんはその度に悲しい思いをしてきた。
それでも、やっぱり、おもてなししたいから迎え入れつづけている。

お金がなくて薬が買えないのに、つぎにくる旅人のために屋上に新たな部屋をつくっている。

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でも確実にイブラヒムハウスに来る旅人は少なくなっていると思う。
わたしたちが滞在していたときも、数人の日本人にしか会わなかった。
今は旧市街のきれいなゲストハウスに泊まる日本人が多い。
イスラエルで出会った日本人のバックパッカーたちも多くはほかのゲストハウスに泊まっていた。
「Wi-Fiも使えてきれいでいいですよ。」「中心地にあるから場所も便利です。」
そんなふうに言っていた。

いまどきわざわざ中心地から離れたこの宿に泊まり、インターネットをするよりもじいちゃんと話したいとか、不便だけどこれまで旅人たちが泊まってきた有名な宿に自分も泊まりたい、とか思う人は少ないのかもしれない。

それに宿代も75シェケルになったから、ますます泊まる人が少なくなるんじゃないか。
今後、ここはどうなるんだろう。

じいちゃんはいつも明るい。
陽気だ。
でも、もう75歳のおじいちゃんだ。

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みんなが共用スペースにいないとき、トレードマークのスカーフをはずし、椅子に体を横たえていた。
とっても小さく見えた。

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じいちゃんは、若い旅人と触れ合うのが大好き。
それがじいちゃんの生き甲斐。

たくさんの旅人が来て、寄付金を払って、このじいちゃんの楽しみをつぶしてほしくないなって思う。

エルサレムからヘブロンに移動する日、朝からじいちゃんはいなくて「ありがとう」と「さよなら」を言えなかった。

「ちゃんとお別れできなかったね」とケンゾーと言いながらバスターミナルに向かった。

するとコミカルな動きをして、わたしたちにぶつかってくる人がいた。
なにこの人! わざとぶつかってくるの!?
って思ったら、この人だった。

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じいちゃんは、バスターミナルの近くのカフェの外の椅子に座り、一日中ここで新しい旅人を待ち構えている。
「アイ アム イブラヒム。
ウェルカム!!」


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調べた情報ではエルサレムからヘブロンに行くには、バスをベツレヘムで乗り換えないといけないと思ってたけど、じいちゃんに聞いたらあっさり「直通のミニバスがあるよ」って教えてくれた。

そして大声で誰かを呼ぶと、男の人が駆けつけてくれた。

「こいつについていけ。
ヘブロン行きのバスに乗っけてくれるから。」


さすが、イブラヒムじいちゃん!

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じいちゃんは、また定位置へと戻っていった。
これからも、新たな旅人を待ち構えている。

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じいちゃん、元気でね!
これからも、たくさんの旅人に会えるといいね!

イブラヒムピースハウスが、これからも存在しつづけていきますように。
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旅人の中の有名人 イブラヒムじいちゃん

2014.04.05 09:21|イスラエル☞EDIT
この前、旅の資金が思いのほか減っていたことが判明し夫とともにショックを受けたイクエです。
いや、正確に言えば毎日使っている額は予定通りなんだけど、予定よりも旅のスピードが遅く旅の期間が長くなっているのでその分資金が必要になっているということ。
旅のスピードアップを目指します!

エルサレムにバックパッカー御用達の有名な宿があることは、イスラエルに来る前から知っていた。

それは「イブラヒム ピース ハウス」
宿と言うよりもイブラヒムじいちゃんという人の家。
じいちゃんはおもてなしの精神にあふれた人で、たくさんの旅人を迎え入れては食事をふるまっている。
正式な宿ではないので決まった宿泊費というのはない。
寄付金制度で相場は1泊50シェケル(約1500円)。
宿泊代、食事代が入っていると思うとイスラエルにしてはお得。

じいちゃんの口癖は「ウェルカム!!(ようこそ)」
そして、たくさんの食事を作っては「イート!!(食え)」と連発するらしい。

旅人の間では名物じいちゃん。
エルサレムに来たなら、そんな名物じいちゃんに一度は会わないといけない。

ということで、イブラヒム・ピース・ハウスへ。

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車がすれ違うのが大変な狭い道路。
そしてその道路脇に洗濯物が干してあり、子どもが歩いている。
この雑多な感じ。

そう、ここはユダヤ人が住む整備された地区ではなくパレスチナ人が住む地区。
イクエとケンゾーにとっては居心地がいいエリア。

イブラヒムじいちゃんちは普通の住宅街にあって看板もないので見つけにくい。
でも、大丈夫。
近くまで行けばパレスチナ人に「イブラヒムじいさんのとこ、探してるの?」と声をかけられる。
そして、そのへんの子どもがじいちゃんちまで案内してくれる。

こちらがイブラヒム・ピース・ハウス。

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土地は狭いけど、3、4階建てで部屋数はけっこうある。
玄関を入ってすぐのキッチン。
あの赤と白のスカーフがトレードマークのじいちゃんらしき人の姿が見えた!

たまたまだけど、テーブルクロスの柄と一体化してる・・・。

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目が合うといきなり
「ウェルカム!!
 アイ アム イブラヒム!」


うわあ~、これがあのうわさのじいちゃんかあ。
なんか有名人に会った気分になってワクワクする。

「ずっと、あなたに会いたかったんですよ!」と言うとじいちゃんは満足そうな嬉しそうな顔をした。

そして、キッチンの鍋を見せて
「イート!!」。

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到着してまだ1分しか経ってないのに、早くも「ウェルカム!」「イート!」の言葉をいただくことができた。

じいちゃんは冗談を言うのが好きで「これごと食べろ!」と言う。

じいちゃんが言う冗談はよくわからないことが多い。
じいちゃんは笑いながらおもしろそうに得意げに冗談を言うんだけど、理解できずにどう返せばいいか困ることもある。

たとえば、毎回顔を会わせるたびにわざと初めて会ったかのように「アイ アム イブラヒム。ナイス トゥー ミート ユー」と真顔で言って握手を求める。
料理をしながら「わたしの体の肉をこの鍋に入れた」と言ったり、「わたしの片腕は弱っていて思うように動かないから、お前の腕と付け替えてくれ」とナイフで腕を切る振りをしたり。
泊まっていた女の子が「きょうは星がきれいですね」と言ったら「じゃあ、あの星を買えばいい」とじいちゃんが答えて女の子は意味が分からずなんども聞き返していた。

はっきり言って、相手をするのが面倒くさいことが多い。
だけど、楽しく相手をしてあげよう!
こんなにかわいいじいちゃんだもの。

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じいちゃんはスキンシップが好きだ。
男女関係なく、しゃべりながら肩を抱いたり手をつないだりする。

男女関係なく、なんだけど、どっちかと言うと女の子に触るのが好きなようだ。
そりゃそうよね。

わたしは全然意識もしなかったんだけど、泊まった女の人で「セクハラとまでは言えないけど、なんかあのタッチされるのがイヤだった。」と言う人もいた。

たしかにじいちゃんは相手が女の子だと弱ったふりをする。
介護が必要な年寄りを演じるふしがある。
普段は一人で階段を上がり下りできるのに、そこに女の子がいると突然ひとりで階段を下りられなくなる。
そして女の子に助けを求めて手を引いてもらい、ゆっくり一歩一歩階段を下りる。

都合のいいじいちゃんだけど、大目に見てあげよう。
だってもう75歳なんだもん。

そんな人間臭いところがあるじいちゃんだけど、人間味あふれた素晴らしい活動家であり知識人でもある。

じいちゃんちには、じいちゃんのことについて書かれた新聞や雑誌がたくさん飾られている。

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じいちゃんは、宗教が違ってもみんなで共存できる社会をつくることを訴えている。
じいちゃんはもちろんイスラム教徒だけど、キリスト教徒の友だちもユダヤ教徒の友だちもいる。

わたしたちの滞在中も、エルサレムの大学に出かけ学生たちを前に授業で講義を行なっていた。

そんなじいちゃんは、海外での講演にもよく招かれる。

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これまでに何百回と海外に行っている。
じいちゃんはこれまで飛行機に乗った回数も覚えている。
(忘れたけど260回くらいだったかな。)
しかもパスポートなしで。
パスポートなしでVIP待遇で世界を飛び回っているらしい。
首相や大臣が空港までじいちゃんを迎えにくることもあるらしい。

じいちゃんはこの話をとっても自慢げに話す。
「ああ、それ昨日も聞いたな」とこっちは思うんだけど、じいちゃんは何度も楽しそうに繰り返す。

でも飽きずに耳を傾けてあげよう。
だって、本当にすごいじいちゃんなんだから。

じいちゃんは人をもてなすのが大好き。

エルサレムを旅する日本人バックパッカーのほとんどがじいちゃんちにお世話になる。
だから泊まっているのもほとんど日本人かと思ったら、ヨーロッパや中国、韓国の旅人もいた。
まあ、それでもうわさを聞きつけてやってくる日本人の割合が多い。

みんなのためにじいちゃんは毎食大量の食事をつくる。

食事の準備が終わると、大きな声で叫ぶ。
「ゴハーン!!」

みんなバタバタと下りてきてテーブルにつく。

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じいちゃんの料理は、お米やパスタ麺を根菜類といっしょに炒めたり煮込んだりしたメニューがほとんど。
一品料理でお腹がいっぱいになる。

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とっても健康的。
だけどこれを食べると困ったことが起きる。

オナラが止まらなくなる!
ケンゾーといっしょに部屋でも外でも、プップ、プップ。
決してお腹が痛いとか便が緩いということではない。
ちょっと気を緩めたすきに軽快な短い音のオナラがお尻から飛び出す。

たぶん原因はアレにある。

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豆!!

じいちゃんが作る食事のほとんどには、いろんな種類の大量の豆が放り込まれているのだ。
これまでの人生でこんなにも豆を食べたことがあったっけ?というくらい、毎回大量の豆を摂取することになる。

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じいちゃんのつくる料理はけっしてまずくはないけど、おいしいというわけでもない。
パスタの麺が茹ですぎだったり、いつも同じような味付けだったり。
でも健康に良いのはまちがいない。

味はどうあれ、おいしくいただこう。
だって、若者のことを思っておじいちゃんが一生懸命作ってくれたものだもん。

そんなイブラヒムじいちゃんの家でイクエとケンゾーが寝泊まりしていた部屋がこれ。

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日当りのいいダブルルーム。
でも、どの部屋が割り当てられるかは運次第。
日当りの悪いドミトリーを割り当てられることもあるし、みんなのおしゃべりでうるさい共用スペースに面した部屋になることもあれば、静かでゆっくりくつろげる上の階の部屋を独り占めできることもある。

イクエとケンゾーの部屋はコンピュータールームに面したところだったので部屋でもWi-Fiを使えたけど、Wi-Fiが使えない部屋もある。

誰でも無料で使えるパソコンが一台置いてあるけど、昼間はこの人が独占していることが多い。

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こんなじいちゃんでも、上手にパソコンを駆使している。
やるなあ。

いっしょにいてじいちゃんを知的だとかすごい人だと思うことはない。
だけどこうやってパソコンに向かい外国のサイトを見たり海外の人に英文でメールを送ったりしているのをのぞき見すると、やっぱりこの老人はただ者じゃないかもしれないとも思う。

じいちゃんちにいれば、食事の心配はいらないし洗濯機も自由に使えるし、屋上からはエルサレムの街を見下ろせる。
それに近所の人たちはじいちゃんのことを敬っていて、わたしたちにも優しく明るく振る舞ってくれる。

向かいのお店の店主やお客さんもフレンドリー。

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そんな居心地のいいところだけど、イクエとケンゾーは別のゲストハウスに移動することにした。
もっとここに泊まりたいんだけど、泊まれない。
泣く泣く宿を変えなければならない理由があった。
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安息日 ユダヤ人のつどい

2014.04.03 06:07|イスラエル☞EDIT
久しぶりに歯ブラシを買いなおしたら、驚くほど歯のくすみがとれたイクエです。
今までホテルについてる無料の使い捨てのやつを長いこと使っていたから・・・。

きのうに続き、きょうもユダヤ教徒の人たちの風習についてお伝えします。

ユダヤ教徒のなかでも「超正統派」と呼ばれる筋金入りの信者の人たち。
黒い服に黒い帽子、長いもみあげ。

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シルクハットのような帽子ではなく、見たこともない大きな毛皮のような帽子を頭に載せている人もいる。
最初遠くから見たときは、何かと思ってビックリした。

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ちなみに女性も服は黒と白で、ロングスカートにタイツをはいている。
そして頭にはニット帽のようなものやスカーフを巻いている。
だからヘアスタイルがどうなっているのかわからない。
でも敬虔な女性たちは髪を剃っているのだそう。
髪を剃ってかつらをかぶっている人も多いらしい。

エルサレムにはユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も生活しているけど、地区ごとにコミュニティーができている。
超正統派の人たちが住むエリア。
道を歩いている人たちは大げさではなくみんな黒ずくめ。

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神への敬意を示す帽子はどんなときも外せない。
この日はときどき雨が降っていた。
それでも帽子をかぶるし、でも大切な帽子を濡らすわけにはいかないから帽子にビニールを被せている人もいる。

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たまたま道路に通行人が5人いるだけなのに、同じような格好をしているからユニフォームを着たグループが行進しているようにも見える。

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ユダヤ教徒の人たちには、生活において人生においてとても大切な特別な時間がある。
それが「シャバット」と呼ばれる安息日。
金曜日の日暮れから土曜日の日暮れまでが安息日。

シャバットは祈ること以外何もしてはいけない日。
神が天地をつくり、神がユダヤ人の歴史をつくり、自分たちが神に選ばれた民であることに思いをはせる日。
働くことも家事をすることもダメ、車に乗ることも、電気のスイッチを入れることも、携帯電話をさわることも。

イスラエルではこの安息日が徹底している。
公共のバスだって金曜の夜から土曜まで一切運行しなくなるので、旅人からすると本当に不便。
ユダヤ教徒でない人たちも、金曜の夜から土曜まで何もできなくなる。

「あしたは安息日だ〜。」
「うわあ、何もできなくなるねえ。
 ホテルで一日ゆっくりするしかないか。」って具合に。

この特別な日に、わたしたちはアメリカ人のユダヤ教徒で、いまはエルサレムで生活している男性に街を案内してもらうことにした。
わたしたちと同じ宿に滞在している無宗教のアメリカ人が彼と友だちで、紹介してくれたのだった。

金曜日の日没ごろ、彼に連れられて嘆きの壁に行く。
そこは今まで見てきた嘆きの壁の光景とは違っていた。

中に入れないほどユダヤ教徒たちで埋め尽くされている。

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嘆きの壁の前で、みんなが神妙に祈るのかと言えばそうではない。
とても騒がしくなる。

肩を組んで、高らかに陽気な歌を歌いながらやってきた一団。
シャバットを迎えられることを祝福しているらしい。
嘆きの壁の前で輪になって、ぐるぐるまわりながら踊る。
手を叩いたり口笛を吹いたりして、盛り上げる。

案内してくれている彼が言うには、安息日を迎えるにあたり彼らはとても喜んでるのだそう。

「この青年たちはね。
朝から晩まで12時間ずっとユダヤ教のことばかり勉強してるんだ。
毎日12時間だよ。
やっとあしたは休める日。
そりゃ、うれしいよ。」


青年たちは毎日学校で、数学や科学や語学などではなく、ユダヤ教のことばかり勉強してるらしい。

案内してくれた彼自身も嘆きの壁のすぐ近くにある学校でユダヤ教を勉強していた経験がある。
寄付金で運営されているので学費は無料だったのだそう。

ユダヤ教もイスラム教のように男女に差別がある。
彼も安息日を迎えることが嬉しいようで、笑いながら言った。

「しかも学校には女の子がいない。
男子ばっかりのなか一日12時間、ユダヤ教のことばかり勉強しないといけない。
女の子と話す機会もなくね。」


とっさに口に出てしまった。
「かわいそうだね。」

すると彼はまた笑いながら答えた。
「まあ、たしかに女の子と話すこともできない。
そのかわり、ヴァージンの子と結婚できるから幸せだよ。」


冗談なのか本気なのかわからなかった。

「まあ、そうかもね。」とだけ答えた。

もう嘆きの壁の前はぐちゃぐちゃになっている。
若者たちが明るい歌を大声で歌いながら、飛び跳ね、輪になって踊っている。
その先で、全身黒尽くめの超正統派が壁に向かって祈っている。

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あまりにもギャップがあるけど、誰もそれを気にしてはいない。
うるさくて人が多すぎて、収拾がつかない。
みんな熱心なユダヤ教徒に違いないけど、ほかの人のことは眼中にない。

「なんなんだろうなあ。」
「よくわからん。」

ケンゾーと何度もつぶやきあう。

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案内してくれているユダヤ人の男性に、ユダヤ教徒のつどいにも誘ってもらった。
シャバットにはみんなでひとつの家庭に集まり、食事会を開き、安息日を祝福し感謝しながら時間を共有するらしい。

彼といっしょに嘆きの壁からユダヤ人街へと移動する。

嘆きの壁での祈りを終えたユダヤ人たちも一斉に自分たちへのコミュニティーへと帰っていく。
我が物顔でアラブ人街を闊歩しながら。

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食事会の会場に着いた。
ここからは写真を撮ってはダメと言われた。
会場は一般の人の家だけど、80人くらいのユダヤ人が集まっていた。

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みんなで笑いあったり、ハッピーバースデーの歌詞の「バースデー」の部分を「シャバット」にかえて歌ってとても楽しそう。

「シャバット シャローム」と言いながら客を迎える家人。
(「シャローム」は「平和」という意味があり、「こんにちは」などの意味でもつかわれる。)

家人の男性は「シャバット シャローム」とケンゾーにも握手を求めたので、わたしもと思ったら「女性とは握手できません」と断られた。

参加者のなかには、イスラエルに留学中のアメリカ人の若者グループもいた。
彼らはアメリカのユダヤ人学校で勉強しているのだそう。
見かけは明るい普通の大学生。

「土曜日は携帯電話にも出られないんでしょ。
アメリカでユダヤの教えに従った生活を貫くのは難しいんじゃない?」

「そうなんだ、ここよりはね。
でもアメリカでもユダヤ人のコミュニティーのなかで生活しているから、そんなに不便は感じないよ。
友だちもユダヤ人だし。」


それでも、彼らはここでとても生き生きとして楽しそうにしている。
この国では圧倒的にユダヤ教徒が多い。
同士と盛大にシャバットをお祝いし、この幸せなときを共感できる。

個人の家なので広くはなく、中に入れない人たちのために外にもテーブルと椅子が出された。
男女別に座らないといけないのでケンゾーとは別々の場所に座った。

参加している人たちはもちろんユダヤ教徒の人たちで、そのほとんどが海外で生まれ育った人らしかった。
海外でユダヤ教徒として暮らしていたけど、憧れの地イスラエルに移住してきた人たち。
みんな英語で会話している。
アメリカ人も多かったし、フィリピンの人たちもいた。

会はとても厳かに行なわれるのかなと思ったけど、とても明るかった。
だけど食事をしながら談笑というわけではない。
誰かが立ち上がっては、演説をする。
演説の内容は、ユダヤ教の教えに関するものや最近身の回りに起きた神を近くに感じたできたこと、シャバットをみんなで祝福できることへの感謝など。
ユダヤ教の歌も歌う。
とても明るくてノリがいい歌で机をバンバン叩きながらリズムをとる。
もちろんお酒は飲んでいないんだけど、みんな酔っぱらってるのかなと思うぐらい、顔を赤らめて声高らかに歌う。
会社や仕事関係の宴会に似たような感じも受けた。

ちなみに演説をするのも、歌うのも男性。
女性はただ静かに聞いておく。

ずっと誰かが演説をしたり男性陣が歌うので、勝手におしゃべりすることはできない。

食事のメニューは品数も多くてとても豪華だった。
サラダなどにはじまり、鶏肉がたっぷり入ったスープに鶏のオーブン焼き。
ユダヤ教徒では豚肉は食べていはいけないのでスープもメイン料理もチキンだった。
ブドウジュースや炭酸飲料など飲み物も何種類もあった。

とてもおいしかったのがゲフィルテ・フィッシュというもの。
魚のつみれのような、かまぼこを柔らかくしたような食べ物。
ゲフィルテ・フィッシュはシャバットに食べる特別料理らしい。
安息日であるシャバットでは、魚を食べるときに骨を取るという作業も労働にあたるので魚をそのまま食べることは好まれない。
なので、魚肉をすり身にしてニンジンやタマネギといっしょにゆでて冷蔵庫に冷やしておく。
ゲフィルテ・フィッシュは、作り置きできるので安息日に調理する必要はないし、食べるときに骨をどけなくていいので労働せずにすむことになる。
食後のデザート、チョコレートケーキまで出てきた。
でも、デザートを食べずにわたしたちは会場をあとにすることにした。
おなかがいっぱいだし、もう3時間以上いて時間も遅いし、それに・・・。

正直に言うと、あまりもうここにいたくはなかった。
みんなのノリについていけなかった。
心から楽しそうで、とても陽気で。
自分たちが神から選ばれた民で、一番だという揺るぎない自負に満たされていて。
自分たちの土地イスラエルで、こうやってみんなでシャバットを迎えられることに大きな幸福を感じていて。

ケンゾーが言った。
「全然楽しくなかった。
 やっぱり、ユダヤ人は苦手だ。
 好きになれない。」


ユダヤ人を好きになれない、なんて思うのはユダヤ人差別につながってしまう。
それにユダヤ人だっていろんな考え方の人たちがいるのに、ひとくくりにして「苦手」なんていうのはよくない。
ユダヤ人たちは、ずっと前から各国で不当な差別を受け、ナチスには虐殺もされてきた。
この前行ったポーランドのアウシュビッツでさんざんそのひどさを見てきたし、こんなことは二度とあってはならないと思ったのに。

「そんなこと言うべきじゃないよ、そう思ったらダメだよ。」と思ったけど口にはしなかった。
わたしもどこかでケンゾーと同じことを思っているから。

いままでわたしたちはたくさんの優しいパレスチナ人たちに会ってきた。
彼らはとても明るくて、自分たち以外の人たちのこと日本人のことや日本の文化にも興味津々で、自分たちの置かれている立場を冷静に考えている人たちだった。
「どうして自分たちがこんな目にあうのかな。」「どうしたら自分たちの故郷パレスチナを守れるのかな。」「今後イスラエルとの関係はどうなっていくのかな。」とみんないつも考えていた。

だけどこの会場のユダヤ教徒の人たちに「パレスチナとのことをどう思いますか」なんて聞くのはとても的外れな感じに思えた。
「ハハハ、なに言ってるの」と一蹴されることが目に見えていた。
この温度差はなんなんだろう。

パレスチナに行く前、イスラエルを旅行していたときは、自由な雰囲気で解放的なテルアビブに滞在し「ここに住みたいな」とも思ったし、愛想が良くてにこやかで優しいイスラエル人たちに好感がもてた。
だけどパレスチナを見てからというもの、どうしてもイスラエルやユダヤ人を批判的に見てしまう。
そんなふうに見てはいけない、と心ではわかってるんだけど・・・。

あの光景を思い出す。

とても平和でみんなが人生を満喫しているように見えたテルアビブ。
その雰囲気がとても肌に馴染み、ここなら住めるなって思った。

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そしてパレスチナ側から見たテルアビブの方角。
まるで違って見えた。いまいましかった。
パレスチナの土地を侵食するかたちでどんどんイスラエルの街が拡大していた。
イスラエルが勝手につくった分離壁の撤去を求めてパレスチナの人たちが訴えては、イスラエル軍に催涙ガスで追い払われていた。

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パレスチナのオリーブ畑をつぶすようにできていくイスラエルの街。
デモに参加してイスラエル軍の襲撃にあって訴えをやめた少年。
少年の焦燥感や、どうしようもない無力感、この気持ちをわかってくれるユダヤ人はいったいどのくらいいるだろう。

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素敵なユダヤ人もいる。
パレスチナのことを真剣に考えてくれるユダヤ人もいる。
それは、わかっている。
だけどどうしてもパレスチナ人のことを思うと、色眼鏡でユダヤ人を見てしまう。

どうすればいいのだろう。
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旅史上一番の「がっかり」遺産かも

2014.04.02 05:57|イスラエル☞EDIT
ヨルダンのほうが安いと思って買った日焼け止め入りニベアの美容クリームが、イギリスで半額で売られていてショックだったイクエです。

前回ケンゾーが紹介したエルサレム旧市街の聖地。
ケンゾーはもっとも評価の高い、星3つをつけた。

ユダヤ人たちが一心に祈りを捧げる「嘆きの壁」。
これまでここにやってきた旅人たちも「人の祈る姿はとても美しかった」とか「崇高で特別な場所だった」などとブログに書いていた。

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(まず、最初におことわり。
きょうのブログは、わたしの率直な感想を綴っていきます。
宗教のことなんてほとんどわからないわたしが、人の宗教に口出ししたり宗教を軽視するのはとても失礼なことと重々承知はしつつ、本音を書かせていただきます。)

その嘆きの壁をはじめてこの目で見て、ケンゾーに言った言葉。

「これ・・・、がっかり遺産かも。」

有名な観光地や世界遺産が、実際に見てたいしたものじゃないとき一般的には「がっかり世界遺産」なんて言われる。
ユダヤ教で一番の聖地と言われ、ひたすら祈る人たちを前にして「がっかり」なんて言うのはとても失礼なことだとは思うけど、それでもわたしのなかでは「がっかり」という言葉がぴったりとくる。

まず、壁の大きさ。
想像していたのは、小さな人間の前に高くそびえる巨大な壁。
だけど、生で見る壁は思っていたよりもだいぶ小さくて、そして横幅もそれほど広くなかった。

ここに着いたとき「おお〜!! これかあ。ついにここに来たあ!」って感じるかなって思ってた。
だけど、実際ここにたどり着いたときは「え!あっ、これ!?」って感じだった。

上の写真もそうだけどこれまで見てきた映像や写真は、嘆きの壁だけがドーンとそびえて、そこには信者たちの祈りの声しか聞こえなくて他を寄せつけないような神聖な雰囲気が漂っていた。
でも、これは撮りかたの問題で、実際はこんな光景だった。

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旧市街の賑やかな場所にあって、壁の手前をたくさんの人が通行している。  
祈る場所と通行する場所はフェンスで区切られているとはいえ、騒々しい。
そして、そんな周囲の騒々しさを気にするでもなくただ奥で背中を向けて祈るユダヤ人たち。

なんて言えばいいのかな。
これまで、キャンドルの明かりがゆらめく厳かな教会の中で祈る人たちや、厳しい自然のなかで五体投地するチベット仏教の信者たちの姿を見たときは、神聖さを感じて思わず背筋を伸ばした。
だけど、日本の神社で賑やかな中、それぞれがそれぞれの願をかけて拝んでいるのを見てもあまり神聖さを感じない。
それと同じような印象。
周囲のことは関係なく、ただおのおのが好き勝手にお願いをしている。

ユダヤ教では礼拝のとき男性は頭にキッパという小さな丸いものか、黒い帽子を被ることが決められている。
神に対して頭を隠すことで神に謙遜の意志を示したり、頭に物を載せることでつねに神の存在を感じられたりと意味があるらしい。
嘆きの壁に近づくには異教徒でも、頭に何か被らないといけない。
キッパは入口で貸してもらえる。

そしてこんなものもある。

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白いマントを被って、黒く細長い革で体を締めつける。
聖書の一節を書いたものを入れた小さな箱を革で額と腕に縛り付けている。
テフィリンと呼ばれている。

ユダヤ教はイスラム教のように男女の扱いが違う。
なのでイスラム教のモスクのように祈る場所も男と女で異なる。

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まんなかに柵があって、女性の敷地のほうが狭い。
女性の場合は、祈る場所でも椅子に座っておしゃべりしているグループもいる。
イスラム教もそうだけど、熱心に祈るのは男性の仕事。
そんな義務(権利)をもつ男性に女はだまってついていけばよい。
だから、言い方は悪いけど男尊女卑的な部分もある。

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男性側のほうにはさらに左奥に壁づたいにトンネルのような部屋がある。
もちろんイクエは行けず、ケンゾーが見てきた。

それぞれの祈りの言葉が室内にこだまする。
外と比べるとアウェー感がぐっと増すけれど、ケンゾーの姿なんて必死に祈るユダヤ人の目にはまったく映っていないかのよう。
体を前後左右に揺り動かしながら自分と神との世界に浸るユダヤ人。
なにか見てはいけないものを見ているかのような、あまりにも不思議な世界。
祈りに集中すると自然と体が動くのだそう。

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何をそんなに祈ってるんだろうなって、思う。
何を必死に祈ってるんだろうって。
まるでまわりのことが見えてないかのように、独りの世界に入っている。

この人たちはパレスチナで起きている問題をどう思っているのだろう。
きっと何も思っていないだろう。
ただ自分たちが疑いもなく信じている宗教のなかでは、ここはユダヤ教徒たちが住むべき「約束の地」(先祖であるアブラハムが神から「ここをイスラエルの民に与える」と約束された場所)なのだから。
彼らの中では「自分たちがここに住むのはあたり前。なんで神から約束されていない他の宗教の人たちが勝手に住んでるんだ。」って思ってるだろう。

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わたしのなかで「がっかり」した一番の理由は、きっとパレスチナがイスラエルから虐げられてきているのをこれまで見てきてしまったから。
ただ一対一で神と向き合い、周りのことなんて眼中にない彼らを見ていると冷淡な自分が出てくる。
「何をそんなに自分のために祈ってるの? もっと目を向けることがあるでしょう。」と。

徴兵制度のあるイスラエル。
嘆きの壁では入隊式典が行なわれる。
「自分たちが住むことを神から約束されている、このイスラエルを守ろう。
不当にここに住むほかの民族に抗おう。」とこの場所で心をあらたにさせようとしているのかもしれない。

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神の約束通り、イスラエルにはイスラエル人が住むべきだという「正当な」理由。
そして、徴兵される若い彼らはその正当な理由に従い、昔からそこに住んでいたアラブ人たちを今後殺すこともあるかもしれない。

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屋外での任務にあたる兵士たち全員に銃が支給されているようで、街を歩いているときもバスに乗るときもベンチに座ってアイスを食べているときも銃をぶらさげている。
まるでショルダーバッグのように。

最初のときは見るたびにドキッとしていたけど、毎日銃をぶら下げた人たちと何十回とすれ違うとその光景になれてきて何も思わなくなる。
異常な光景が日常になるという異常。
人生で一番楽しくていろんな経験をして充実した日々を過ごすはずの青春を兵役に捧げる。

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だけど、兵役を免除されている人たちがいる。
それが、この人たち。

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「超正統派」と呼ばれるユダヤ人たち。
超正統派ユダヤ人とは、厳格なユダヤ教徒で子どものころから神学校で学び、黒いスーツに黒い帽子、もみ上げを伸ばしている、言わば筋金入りのユダヤ教徒。

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毎日ユダヤ教を学び、祈りに身を捧げるため、仕事もしていない。
国からの手当をもらい、家族を養っている。

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ユダヤ教をもっとも愛するこの人たちが一番兵役に就くべき感じがするので矛盾を感じる。
だけど、この人たちはイスラエルの建国も人為的に行なうものではなく、メシア(救世主)が現れてつくるものと考えている。

ユダヤ教を学ぶことと祈りに専念するため、兵役を拒否し政府もそれを認めていたけどつい先日、超正統派の人も兵役対象になる法案が国会で可決された。
2017年から超正統派の人たちも兵役の義務を負うことが決まった。
ちょうどわたしたちがイスラエルにいたときに法案の可決に反対する超正統派のデモが行なわれていたみたいだった。

この人たちはあまりにも俗世間から離れていて、パレスチナのことなんて相手にしていないような感じさえする。

だから嘆きの壁の前でこの人たちが嘆いているのを見ても、「祈る姿が美しい」なんて思えずにどこか自己中心的に見えてしまう。

でもこんな人たちがイスラエルの人口の10パーセントいるとも言われている。

ここに来る前にわたしが思っていたこと。
それは、みんなが同じ思いで静かにひたむきに祈る姿。
この場所は信仰心や共同体としての決意、イスラエルという国への忠誠心であふれていると思っていた。

だけど実際に目にするのは、それぞれがばらばらで温度差があって、相手のことなど気にする様子もなくみんなが自分のことをしている、雑多な場所だった。

わたしがイメージしていた聖地とは違う。
イスラム教のパレスチナと血を流す争いをしてまでも、絶対に守らなければならない場所なのか。

いっぽう、嘆きの壁の裏側に位置するイスラム教徒たちの聖地、岩のドーム。
嘆きの壁をまたぐようにコンコースのようなものがあって、そこを渡って裏側へと回れるようになっている。

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コンコースから見下ろす。
壁に向いて祈っている人たちが小さく見える。
人間は何をそんなに、そしてなんのために祈るのだろう。

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そしてわたしはここでも「がっかり」した。
岩のドームはこれまでイスラム教の国々で見てきたモスクと比べるとそんなに大きくもないし、ずば抜けて美しいわけでもなかった。
イスラム教の国にはどの街にも立派なモスクがあるけれど、岩のドームも普通の街にあるような規模のモスクだった。

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そして、熱心に祈りにきた人たちの姿よりも、おしゃべりしたり家族でピクニックをしたりひなたぼっこして公園で過ごしているかのような人たちの姿が目立った。

ほとんど無宗教に近いわたしが、信仰心のあつい人たちのことをとやかく言えない。
人の信仰心を勝手に批評したり、軽視したりすべきではないと思っている。

でも、長年のイスラエルとパレスチナの争いを考えてこの2つの聖地を見ると、そうまでして守らなければならないものなのかとどうしても思ってしまう。

「いっそのこと、火事か何かで2つとも無くなってしまって、この場所がまっさらになったらいいんじゃない。」
とても無責任な発言とは感じながらも、ケンゾーとそんなことまで言いあった。

この2つの聖地を目の当たりにしてきっとこう感じると思っていた。
「お互いに譲れないものがある」「対立するのも無理はない」。
だけど、そんなこと感じられない。

イスラエルとパレスチナは何のために相手の命を奪ってまでも争っているのか。
ほんとうにユダヤ教とイスラム教との譲れない対立が原因なのか。

そして、まったく周りの様子を気にするでもなく、ただ一人で壁に向き合って自分のペースで祈っているこのユダヤ教徒の人たちに「パレスチナの人たちのことにもちょっと思いをはせてみませんか」とか「共存の道を探しませんか」なんてことを呼びかけても、何の反応もしてくれないだろうなというのがわかる。
無関心という言葉がぴったりだった。

イスラエルとパレスチナの根深い対立、そしてその解決の糸口。
そのどちらもがますますわからなくなった。
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