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ケンゾー   イクエ


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エルサレム「エルサレム旧市街」☆☆☆ 3つの聖地

2014.03.31 06:23|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
夜行バスでの移動がツラくなってきたケンゾーです。
乗り物に乗るとすぐに眠くなる体質なんだけど、一晩を明かすのはさすがにキツくなってきた。
足が伸ばせるといいんだけど、座ったままの体勢だと熟睡できないね。

キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教の聖地エルサレム。
歴史、宗教、政治が複雑に絡み合い、古来よりいくつもの戦いの舞台となってきたエルサレム旧市街はもちろん世界遺産に登録されている。
ちなみに、つねに不安定な情勢下にあることから危機遺産リストにも加えられている。

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石造りの建物がびっしりと建ち並ぶ旧市街。
その間を狭い石畳の道が迷路のように入り組んでいる。

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なんとなく平地をイメージしていたエルサレム。
じっさいは小高い丘の上に位置している。
旧市街の中も意外と高低差があるんだよね。

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1㎢に満たない狭い旧市街はアラブ人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区とおおざっぱに4つの地区に分かれている。
比率的にはアラブ人地区が50%、キリスト教地区20%、ユダヤ人とアルメニア人が15%。
でも旧市街全体にアラブ人のスーク(市場)が点在してるので、印象としてはエルサレム=アラブ人の街。

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アラブ人の店でこんな土産物を発見。

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ピカチュウならぬ「ピカジュー」。
Jewはユダヤ人を表すJewishの略語。
でもJewだけだと差別語とみなされるそう。

それでは、順番に3つの宗教の聖地巡りへ出発!
まずはキリスト教の聖地、聖墳墓教会
その名の通りイエスの墓があるところだ。

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入口をくぐるとすぐに人だかりができている。
イエスが磔にされて息を引き取ったあと、ここで体に香油を塗られたそう。

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この平べったい大理石の上に寝かされたのかな。
訪れた人は石に口づけをしたり、身につけている物を上に置いたりしている。
なかにはパンを置いてる人も。

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キリスト教徒ではないしイエスのことはほとんど知らないイクエだけど、ありがたそうなので触っておくことに。

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人々が順番に並んでいるここは、イエスの十字架がたてられたとされている場所。
祭壇の下の小さな丸い穴のところにたてられたそう。

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そして中央のドームの下にあるのがイエスの墓。
もともとここは洞窟だったそうだけど、大きな箱のようなものが建てられている。

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中に納められているイエスの墓は、思ったよりもシンプルで飾り気の無いものだった。

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イエスが神なのか、それとも神の子なのかはよく分からないけれど、こうして実際に墓を訪れるとイエスと呼ばれていた人物がたしかに実在していたのだと感じる。
それでも、やっぱり日本人にはいまいちピンとこないと思うなあ。

つづきましてはイスラム教の聖地、岩のドームがある神殿の丘へ。
ここへは現在ユダヤ教の聖地となっている嘆きの壁のすぐ横の渡り廊下を通って行く。

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入口にはイスラエル兵。
イスラム教の聖地なのに、エルサレムはイスラエルが実行支配しているのでここもイスラエル兵が警備している。
イスラエル兵がボディチェックするとはいえ、それでもやっぱりユダヤ人は原則入ることができない。
ほんとに複雑な場所だ。

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神殿の丘の内部は外の喧噪が嘘のように穏やかでピースフルな雰囲気だった。
一人でコーランを読みふけっている人がいるかと思えば、木の下に集まって勉強会を開催している集団、さらにはピクニックをしている人たちなど、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
ところどころイスラエル兵はいるけれど、物々しい雰囲気ではまったくない。

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この神殿の丘はその名のとおり、かつてユダヤ教の神殿が建っていたところ。
西暦70年にローマ帝国によってこの神殿は徹底的に破壊されてしまった。
ユダヤ人たちは世界中に散り散りになり、691年にここに岩のドームが建てられたことによってイスラム教の聖地となった。
ローマ帝国に破壊されたけれど、一部分だけが残った。
それが神殿の西側の壁、つまり「嘆きの壁」だ。
だから今でもユダヤ人は「嘆きの壁」を「西の壁」と言う。
わずかに残ったこの西の壁に、ユダヤ人たちは嘆くように祈りを捧げている。

まあ、ユダヤ人からしたら「よりによってなんてとこにドームを建てたんだ!」「火事場泥棒!」「元々俺たちの場所だ!」って思う気持ちも分らなくはない。
けれど歴史ってそういうもんだと思うけどね。
実際この場所からユダヤ人は居なくなったんだし、「神から与えられた場所なんだ!」って聖書を持ちだされてもねえ。

ユダヤ人は神殿の丘には入れないと思っていたら、兵士に引率されて中に入っているユダヤ人を何組か見かけた。
特別な許可を申請すると護衛されて入れるみたい。

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そしてこれが岩のドーム。
メッカ、メディナに次ぐイスラム教第三の聖地。

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太陽の光を受けまばゆく光り輝く金色のドーム。
八角形の壁面を埋め尽くすタイルの装飾が美しい。

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ドーム内には「聖なる岩」が祀られている。
イスラム教の創始者ムハンマドがその岩から天馬に乗って昇天したと言われている。
この岩にムハンマドの足跡や大天使ガブリエルの手の跡が残っているそうだ。

ちなみにユダヤ教にとってこの岩は、アブラハムが息子のイサクを神に捧げようとしたときの台で、ダビデ王はこの岩の上に神との契約の箱を置いていたそう。
それぞれの宗教にそれぞれの言い分がある。
まあ、いずれにしても大事な岩なんだね。

日陰になっている壁際は、ここを訪れるイスラム教徒たちの絶好の憩いの場。
家族連れたちがひんやりした石に腰かけて、お弁当を広げている。

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でも、この壁の向こう側がどうなっているかというと・・・。

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そう、まさにこの壁がユダヤ教の聖地嘆きの壁
イスラム教徒がのんびりご飯を食べている壁の向こう側では、ユダヤ人たちが壁に額をつけて祈りを捧げている。

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涙を流しながら祈る人、目を閉じて手を空に向けて体を揺らしながら祈る人。
子どもも年老いた人も、一心に祈り続ける。

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ユダヤ教のかつての神殿は、いまは壁だけしか残っていない。
この石壁の隙間に願いを記したメモを押し込めている。


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さて、世界三大宗教の聖地、複雑な歴史を持つ「エルサレム旧市街」。
「星いくつ?」

「星、3つ!

ほぼ無宗教の日本人にとっては、正直聖地と言われても「ふ〜ん」と冷めた感じにしか見られない。
けれど今までも、そしてこれからも人類は宗教なしには語れないし、世界でも最重要地区であることに疑問の余地はない。

個人的には「たかが」宗教だとういう思いもあるけれど、どの聖地も世界中から訪れる巡礼者でつねに溢れかえっている様を見ると「しょせん」いきつくところは宗教なのかもしれない。

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人によって星の数は違うと思うけど、実際に訪れてエルサレムが、そして世界が抱える問題を考えてみるのもいいのでは。

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【旅 info.】
  エルサレムの聖地a_DSC_0096_20140331032251b89.jpg
聖墳墓教会  無料、日中は年中無休。
神殿の丘   無料、金・土・祝日以外の午前2〜3時間、午後は1時間のみ。
       並んでいても終了時間がきたら入場は不可。
嘆きの壁   無料、仕切りがあって男女別。
       男性は帽子か入口で貸し出しているキッパを着用。



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教会の窓の先に見えた意外なもの

2014.03.30 06:25|イスラエル☞EDIT
小学5年生のときに、学校で「座右の銘・好きな言葉」を書かされたとき「棚からぼたもち」と書いて担任の先生やクラスメイトに大笑いされたイクエです。

パレスチナ自治区を旅して、パレスチナにどっぷりつかっていたイクエとケンゾー。
ついに自治区を抜け出し、宗教や人種が入り乱れるエルサレムに行くことにした。

エルサレム

はじめはイスラエルに着いたその足でエルサレムに行き、ほとんどエルサレムだけの滞在でイスラエル旅行を終わらせる予定だった。

だけどそれでは物足りないような気がして、エルサレム行きをあとのばしにして、さらにパレスチナ自治区を周遊。
エルサレムに行くまで3週間もかけてしまった。
でも、この3週間は多くのことを知り、そしていろんな感情に心が揺れる意義深いものだった。
あのとき、空港から直接エルサレムに行く予定を変更してよかった。

JICAの援助でつくられたツーリストインフォメーションセンターでエルサレムまでの行き方を聞く。
目の前のバス停で黄色いセルビスに乗って、さらに途中の街でバスを乗り換えることを教えてくれた。

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黄色いワゴンのセルビスは通称「アラブバス」。
ナンバープレートはパレスチナ自治政府が発行したもの。
運転手はパレスチナ自治区に住むアラブ人。
だけど、そんな車では自由にイスラエルの領土に入ることができない。

なのでパレスチナ自治区からイスラエルに行くときは、イスラルナンバーのイスラエルに出入りできるバスに乗り換えないといけない。

道路の真ん中で降ろされ、「あれに乗り換えろ」と運転手にせかされて乗り換える。

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このバスに乗ったからと言って、そのままイスラエル側に入れるわけではない。
自治区とイスラエルとの境界にはチェックポイントがある。
お互いの境界なのに、管理してるのはイスラエル軍。
バスから降ろされて、パスポートやIDカードのチェックをされる。

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チェックするのは大きな銃をぶらさげた徴兵中の若い女の子。
荷物チェックを受けたり、質問されたりすることもあるようなのでちょっとドキドキ。
「パレスチナ自治区で何してたの?」って聞かれたらどうしよう。

でも、みんなのIDをチラッと面倒くさそうに確認しただけ。

ちなみにパレスチナ人は自由にイスラエル側に入れない。
特別に許可証を発行してもらわないといけず、海外に行くよりも難しいのだそう。
イスラエルは勝手にパレスチナ自治区に入って入植地をつくって住んでるのに、パレスチナ人はイスラエル側に入れないなんて不公平な話。

乗客全員が再びバスに乗り込んで、出発。
そして、とうとうエルサレムとご対面!

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感慨にふけっている場合じゃない。
問題はここから!
きょう泊まる宿が左の山を越えた場所にある。

バスに乗り換えれば近くまで行けるんだけど、節約派のイクエとケンゾー。
地図を見ながら「2キロくらいなら歩けるんじゃない?」ってことで歩くことにしたんだけど、まさかこんな山越えをするとは・・・。

この山は「オリーブ山」と呼ばれている。

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坂道に沿ってオリーブ畑が広がっていたり、教会が建ち並んでいたり。
でも、そんな風景を楽しむ余裕もないよね。

バックパックが肩に食い込む。
「まだかなあ。」
「とりあえず、あそこで休憩しよう。」

ずっしりと重いバックパックをドサッと降ろす。
そこから見えた景色は・・・。

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オリーブ山の反対側の丘に広がる旧市街。
城壁に囲まれたあそこが、イエス・キリストが処刑された場所でもあり、ユダヤ教徒の一番の聖地でもあり、イスラム教徒にとって大切な金色のドームのモスクもある。
3つの宗教が交錯し、そして決して交わらない場所でもある。

振り返ってはエルサレムの旧市街を見ながら、やっとオリーブ山の頂上に到着!

泊まる宿は「イブラヒム・ハウス」と言われるちょっと変わったお宿。
場所がわかりにくいことで評判。
でも、近くまで行くと子どもたちが寄ってきて「イブラヒム・ハウス?」と案内してくれた。

ようやくたどり着いたよ〜、エルサレム!
そして、イブラヒム・ハウス!

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このちょっと変わった宿についてはまたの機会にご紹介します。

風変わりな宿で休んだ次の日。
朝からオリーブ山をてくてくと下り、観光スポットを目指す ♪

パレスチナのほかの街もそうだったけど、エルサレムも小高い丘がいくつも重なりあっている。
平原のほうが住みやすそうなんだけど、なぜか丘があるところに街ができている。
緑も豊かだから、土壌が良くて作物が育ちやすいのかな。

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そして、きのう見たエルサレムの旧市街。

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左手前の金色と右奥の三角屋根は教会。
真ん中の黒っぽいドームはイスラム教の寺院。
そして、そのドームの奥にはユダヤ教徒が祈りを捧げる「嘆きの壁」がある。

なぜこんなにもここに3つの宗教の聖地がひしめきあっているのか。

これから簡単に説明するのは、世界の人からするとあたり前のことなんだけど「無宗教」に近い仏教徒の日本人からすると意外なことかもしれない。

それは、キリスト教もイスラム教ももとをたどればユダヤ教から生まれているから。

つまり、この3つの宗教で一番古いのはユダヤ教。
ユダヤ教が生まれたのは今から3000年以上も前。
ユダヤ教の生みの親とも言えるモーセがみんなを引き連れてエジプトからイスラエルへとやってきた。
紀元前1020年ごろに、ここにユダヤ人の王国をつくっている。
だからこの地にユダヤ教の聖地があるのもうなづける。

いっぽう、キリスト教徒が崇拝するイエス。
イエスも実はユダヤ人。
イスラエルの地で生まれ、ここで処刑されている。

「あれ?イエスってキリスト教徒が信じる神さまじゃないの?
 ほんとうに実在してたの?」
って思う人がいるかもしれない。
(わたしもむかしはそう思ってたし・・・。)

イエスはユダヤ教を批判して、キリスト教的な新しい考えを広めた。
(語弊があるけど、キリスト教も生まれた当時は「新興宗教」だったわけです。
つまりイエスは教祖みたいな存在。)
ちなみにキリスト教が聖典としている「旧約聖書」は、ユダヤ教がつくったものでユダヤ教の聖典でもある。

キリスト教が生まれたのはユダヤ教が生まれた1000年以上もあとのこと。
西暦はイエスが生まれた時期を境にしてるから(紀元前はイエスの生まれる前、紀元後がイエス誕生後)、これは紀元0年あたりの話。
イエスがユダヤ人だったし、ここで生まれ育ち、自分の思想を広め、ここで亡くなっているからイスラエルにキリスト教ゆかりの地があるのは当然のこと。

そして、イスラム教。
イスラム教のはじまりは610年ごろ。
イスラム教もイスラエルのあるアラビア半島で生まれた。
開祖はムハンマド。
天使ジブリールから神の啓示を受けて、教義を広めていった。
ちなみにこの天使ジブリールはガブリエルとも発音されて、ユダヤ教でもキリスト教でも慕われている天使。
旧約聖書にも出てくる。

だから、旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でも聖典。
そして三者が信じる聖人は共通している。
ユダヤ教の生みの親モーセは、キリスト教、イスラム教でも大事な預言者。
ちなみにイスラム教では、イエスも聖人の1人。

つまりキリスト教もイスラム教もユダヤ教から派生した宗教。
そして信じる神さまは同じ。
キリスト教の「ゴッド」もイスラム教の「アッラー」も同じ神さま。

「ゴッド ブレス ユー(神のお恵みを)」なんて言葉、キリスト教徒だけが使うと思うかもしれないけど、イスラム圏でも車や家に英語で「God Bless You」なんて書いてあるのをよく見かける。

パレスチナのイスラム教徒の家に飾ってあった刺繍。

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イスラエルに3つの宗教の聖地がひしめき合うのは当然のこと。

オリーブ山の周辺にはキリスト教ゆかりの場所がたくさんある。
こちらはイエスのお母さん、マリアのお墓のある教会。
洞窟のようなところを地下へと下っていく。

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天井にはたくさんのランプが下がっていて幻想的。

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白い石のマリアのお墓。
ガラスで覆われている。

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イスラエル観光は日本人にとってはそれほど人気じゃないけれど、キリスト教徒の欧米人にとっては「人生で一度は行きたい場所」のひとつだと思う。
ツアーバスがたくさん街を走っていて、ツアーのグループが教会を巡礼している。
韓国ではキリスト教徒が多数派だから、韓国人もたくさん見かけた。

イクエとケンゾーにとってはただの観光地も、この人たちにとっては「ずっと行きたかった神聖な場所」なんだろうな。

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オリーブ山の近くのシオンの丘。
ここには古代イスラエルの王ダビデが眠るお墓がある。
ユダヤ教の信者が祈りを捧げていた。

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そして、ここにはあのおなじみの場所もある。

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「最後の晩餐」の部屋。
処刑される前、イエスがここで弟子たちと食事をしたと言われている。

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵とはずいぶん違う感じがするけど・・・。
イスラム教のモスクとしても使われていたそうで、その面影もある。

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オリーブ山の中腹の玉ねぎのようなかわいい屋根はマグダラのマリア教会でロシア正教の教会。
ロシア正教の教会は、おもちゃみたいでとってもかわいい。

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エルサレムにたくさんある教会の中で、わたしが一番好きだったのが、各国からの寄付金で作られ万国民の教会。
福音書を著したマルコの家とも伝えられ、ここでイエスが最後の夜を苦悶しながら過ごしたとも言われている。

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教会の壁画が繊細で妖艶。
クリムトやミュシャ(ムシャ)の絵に似ている。

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ちょうどツアーできた巡礼者たちがミサを行っていた。

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天井画もステンドグラスも独特の雰囲気。
教会まるごとアール・ヌーヴォーの作品みたい。

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その近くにあるのが主の泣かれた教会。
エルサレムの旧市街を一望できる場所にある。
イエスがここからエルサレムを眺め、滅亡を予感して涙を流したと言われている。
教会のこのかたちは、涙の粒をイメージして造られたものなんだって。

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教会の祭壇には、大きな窓。
旧市街が見渡せる。
イエスもこの景色を見て、涙したのだろうか。
エルサレムの街は今でも存在しつづけている。
でも、この神聖な聖地をめぐった対立もある。
いまの現状を見たら、イエスは涙するのだろうか。

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みんなが祈りを捧げる祭壇の大きな窓。
でも、その正面に見えていたものは・・・。

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イスラム教徒の聖地、金色のドーム!

そしてこの教会の下の斜面にはユダヤ教徒たちの墓地がある。
終末の日に救世主メシアがオリーブ山に降り立ち、死者たちが復活すると伝えられている。
ここはユダヤ教徒たちの聖地巡礼の最終目的地でもある。

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それぞれにとって大切な場所。
譲れない場所。

あの城壁の中の旧市街はもっと宗教が入り乱れている場所であるはず。

あしたは、世界遺産にもなっているその城壁の中の様子をお伝えします。
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パレスチナでおすすめの「観光地」

2014.03.29 06:06|パレスチナ自治区☞EDIT
およそ2年振りに車を運転したケンゾーです。
長距離ドライブでけっこう疲れたけど、自由に好きなように道を選べるって楽しい ♪

パレスチナ自治区のエリコで久しぶりの「観光」を楽しんでいるケンゾーとイクエ。
きょうめざす観光スポットはワディ・ケルトと呼ばれる渓谷。
ここエリコからエルサレムへと延びているこの渓谷地帯には古い街道跡が残っている。

公共の交通機関はないので行くとしたらタクシーか歩き。
ケンゾーたちは、もちろん歩き ♫
ホテルのある難民キャンプの中を歩いていく。
このキャンプにもいたるところに「鍵」が描かれている。

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おもちゃの車と三輪車で遊ぶ子ども、そしてドンキーに乗る少年。
何歳くらいからドンキーに乗るようになるんだろうね。
ドンキーがんばれ。

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キャンプを抜けてどんどん山を登っていく。
振り返るとエリコの街が下の方に小さく見える。
かなり登ってきたなあ。

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エルサレムまでおよそ45km延びているワディ・ケルト。
ゴツゴツと荒々しい岩肌を縫うように渓谷がくねくねと延びている。

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そして目を凝らしてよく見ると、渓谷沿いの崖に人が造った何かが見える。
かつての街道跡だ。
修道院や古いシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)もあるんだって。

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ここまで歩いておよそ45分。
照りつける太陽がどんどん体力を奪う。
2月だからまだマシだけど、真夏に歩いていくのは危険だな。

ヒッチハイクできないかなあ。
でも手をあげるのは少し勇気がいる。
振り返ってこっちに向かう車を見つめる。
1台のトラックが止まってくれた!
水も少なくなってきてたから助かったよ。

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山道を登っていくトラック。
遠くまで連なる白い尾根、そして窓のすぐ横は深い谷。
ダイナミックな景色に疲れも吹き飛ぶ。

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トラックに乗せてもらって目的地、聖ゲオルギウス修道院に到着。
入口ではベドウィンたちが土産物を売っている。

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入口から修道院まではさらに歩いて20分くらい。
渓谷沿いの細い道を下っていく。

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歩いているとひっきりなしにドンキーに乗ったベドウィンに声をかけられる。
「ドウ ユー ウォント タクシー?」

えっ?タクシー?!
それは格好よく言いすぎやろ!

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それまで茶色一色だった景色が突然一変。
青々とした木々が生い茂って別世界が広がる。

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どこからともなくちょろちょろと水が流れる音がする。
ここがたしかに渓谷なんだと思い知る。
荒涼とした砂漠の中でここは天国、まさにオアシスだね。

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対岸の崖にへばりつくように建っているのが聖ゲオルギウス修道院。
5世紀に建てられたギリシャ正教会の修道院だ。

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入口で閉館15分前だってことが発覚。
13時に閉まるんだって。
危なかった!
トラックに乗せてもらえなかったら、入れなかったよ。
ここまで来て閉まってたらショックで立ち直れんよ。

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時間がないのでバタバタと中を見て回る。
ギリシャ正教らしく、内部にはたくさんのイコン(聖像画)。

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でも修道院には申し訳ないけど、ここの見どころはダイナミックなロケーション。
無機質でワイルドな山肌と生命力に溢れみずみずしい木々。
茶色と緑のコントラストが作り出す自然の驚異に目を奪われる。

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まさに隠れ家のようなところ。
こんなところだからこそ、下界と遮断され修道士たちも祈りに専念できるのかもしれない。

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内部を見終わって外に出るとドアが閉められた。
よかった〜、ケンゾーたちが最後の客だった。
でも今こっちに向かってきているカップルがいる。
あらら〜、タッチの差で閉まっちゃったよ。

すれ違いざまに閉まったことを教えてあげると「ええっ?!」ってビックリ。
そりゃショックだよね。

ドンキー使いのベドウィンもただ「タクシー?」って声掛けるんじゃなくて、「もうすぐ閉まるよ。歩いていくと間に合わないからドンキー乗ったほうがいいよ。」って営業すればいいのにね。
聖ゲオルギウス修道院は13時で閉まるので要注意ですよ!
あと水もお忘れなく。

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戻りはほとんど下りなので歩いて帰ることに。
仕事が終わったベドウィンたちも自分たちの村へと戻る。
ドンキーおつかれさま。

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イスラムの国パレスチナでは豚肉は食べられない。
牛肉や羊、やぎの肉はOKなんだけどメインはなんと言ってもチキン。
棒に突き刺してクルクル回しながら丸焼きにするのがメジャーだけど、網焼きにしているところがあった。
香ばしい匂いがたまらない!

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1羽ぶんで25シェケル(約750円)。
肉も柔らかくて美味しかった。

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ここでパレスチナ編はいったんお休み。
エルサレムに移動します。

いままでニュースでしか知ることのなかった遠い国パレスチナ。
ドキドキしながら足を踏み入れたパレスチナでは、毎日悲しい過去と現実を目の当たりにした。
彼らはいつの日か追われた故郷に帰ることを夢見ている。

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パレスチナ人を追い払って奪った聖地エルサレムはどんなところなんだろう?
パレスチナへ行く時とはまた違った緊張感がある。
あしたからふたりが見たエルサレムをお伝えします。
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世界一〇〇な街 in パレスチナ

2014.03.28 05:45|パレスチナ自治区☞EDIT
いま一番食べたい和食を聞かれたら「魚の煮付け!」と答えるイクエです。
醤油や砂糖の甘辛さは「これぞ日本の味」だと思います。

できたてホヤホヤのラマラのゲストハウスに5泊したイクエとケンゾー。
もうそろそろパレスチナ自治区を出て、一大観光地エルサレムを目指すときかもしれない。
でも、パレスチナ自治区に別れを告げるにはまだ名残惜しい。

ということで、エルサレムの前に東のエリコ(ジェリコ)という街まで足を伸ばすことにした。

エリコ

ラマラからセルビス(ミニバス)に乗る。
乾燥した大地、茶色い景色。
いくつもの広大な丘を下りながらバスは進む。

人を寄せつけないような殺風景な世界。
街や集落はない。
ところどころに見える小屋のような建物。
砂漠の遊牧民、ベドウィンの住居。
(写真の左側)

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そんな景色が一変。
突然、バナナの木が豊かに茂るオアシス都市のような街が見えてきた。
ここがエリコの街。

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温かく、カラッとした空気が肌を包み込む。
まるで東南アジアや南国の島に来た感じ。
この開放的な雰囲気に身をさらすと、心が躍る。

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きょう泊まるホテルは繁華街から外れた、難民キャンプの中にある。

「難民キャンプに行きたい。」って青年に聞くと、「ほら、あそこのバスで行けるよ!」って笑顔で教えてくれた。

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ちょうど、子どもたちの下校の時間。
「ウェア ユー フローム?」
「ワッチュア ネーム?」

ここでも生徒たちに囲まれて質問攻撃にあいながら、バスを待つ。

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着いたホテルは「sami youth hostel」
「ユースホステル」と銘打っているけど、ユースホステルにはほど遠い。
外国人ツーリストに人気のゲストハウスというよりも、典型的な現地の安宿。
清潔感はないし、薄暗く、正直お勧めはできない。

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ひとり60シェケル(約1800円)。
南国のような街エリコはアラブ人たちのリゾート地でもあり、高くてきれいなホテルしかない。
だからバックパッカーにとっては、エリコで唯一のこの安宿は貴重な存在。

屋上からは集落が見渡せる。
崖のような山に囲まれたエリコの街。
少し離れれば砂漠のような乾いた大地が広がっているけど、街の中にはヤシが生い茂っている。
ここが、古代からオアシス都市だというのがわかる。

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この風景には似つかわしくない、背の高い建物がひとつだけ見える。
一流ホテルの「インターコンチネンタル」。

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どうして「インターコンチネンタル」がこんなところで営業してるのか不思議。
インターコンチネンタルは、同じくパレスチナ自治区のベツレヘムにもある。
海外の一流ホテルが見向きもしないパレスチナ自治区になぜインターコンチネンタルが展開しているのか。
なにか裏があるのかな〜なんて考えてしまう。

でもここエリコもベツレヘムも、イエスにゆかりのある土地でキリスト教徒の欧米人たちがツアーで訪れる。
インターコンチネンタルにも、お客さんを乗せた大型バスが出入りしていたらからそこそこ需要はあるのかもしれない。

ここに住むアラブ人はキリスト教徒もいて、モスクと教会が隣り合っている。
こうして見ると、建物が似てる。
青い屋根がモスク、赤い屋根が教会。

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ここエリコはパレスチナ自治区のなかでは珍しく外国人が訪れる観光地。
新約聖書には、この地でイエスが盲人の目を見えるようにした奇蹟などが綴られている。

さらにエリコには「世界一」なものが2つある。

ひとつは「世界一、低い場所にある街」
海抜マイナス260メートル。

こんな低い場所に立つのは人生で初めて。
海面よりも低いところで、普通に息をして歩いているのがなんか不思議に思えてくる。

標高が高いと空気が薄くなるけど、ここは空気が濃いので果物もたわわに実る、なんてことも言われている。
ここのバナナはおいしいと評判なんだって。

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観光地とあって、ロープウェイまである。
まさかパレスチナ自治区に観光用のロープウェイがあるなんて。

このロープウェイは世界一低い場所にあるロープウェイとしてギネスに登録されてるんだって。

海面よりもはるか下で空に浮かんでいる。

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さて、もうひとつの世界一は「世界最古の街」
紀元前7800年くらいからすでに人が住んでいたんだって。
街には1万年前の住居の跡や、4000年前の城壁の遺跡もあるんだけど、古すぎて土のかたまりにしか見えなかった。
でも、1万年前にここに人が街をつくっていたって思うだけでちょっとロマンを感じる。
弥生時代から今までが2000年くらい。
その5倍くらい古いってことになる。

そして今から3000年くらい前には、モーセに率いられてエジプトを出た人々が40年間砂漠をさまよい、最初に攻め込んだ場所がエリコと言われている。
それがイスラエルのはじまりでもある。

そんな2つの「世界一」をもつエリコのなかで、一番の見どころはここ。

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切り立った崖に横長の建物がへばりついている。
惑星にある宇宙人の基地みたい。
ここは修道院。

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『地球の歩き方』に載っているここの名前は「悪魔に試みられた誘惑の山」

ギネスに載っているロープウェイで近くまで行くことができるけど、街を見下ろしながらひたすら歩いて登っていく。

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この場所でイエスが40日間断食をして、悪魔に誘惑されたと言われている。
悪魔から「石がパンになるように命じてみよ」と言われて、イエスは「人はパンだけで生きているのではない。神の言葉で生きている。」と誘惑を退けたことなどが福音書には記されている。

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岩肌にボコボコ穴が空いている。
ここでイエスの苦行を追体験しようと、ここにたくさんの修道士たちが穴を掘って住んでいたのだそう。

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崖に建てられているのはギリシア正教会。
岩肌と一体化したような場所で、いまも修道士たちが生活している。
そして、熱心な信者たちが世界中から訪れている。

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今まで旅してきたパレスチナ自治区では、イスラエルの侵略や悲惨な話ばかりを見聞きしてきたけど、このエリコの街は観光地。
たくさんの外国人ツーリストにも出会う。
パレスチナにもこんな場所があるんだなってちょっとほっとする。

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この街のど真ん中にツーリストインフォメーションセンターがある。
無料の地図やパンフレット置いてあるし、スタッフが常駐していて丁寧に対応してくれる。
このインフォメーションセンターは、日本のJICAの援助を受けてつくられたもの。

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わたしたちが日本人だとわかると、興奮するスタッフ。
2週間前にちょうど日本に研修に行ったばかりで、日本で撮った写真を見せてくれた。

「ここは雪が降らないけど、日本ではすごく雪が積もっててビックリした!」

北海道の観光地にも行って、観光業で街を発展させる仕組みなどを教えてもらったみたい。

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世界ではパレスチナを国家として認めている国のほうが多い。
193か国のうち、132か国もパレスチナ国家を承認している。
それなのに、日本をはじめアメリカやヨーロッパなど影響力をもっている国がパレスチナ国家を認めていないから、パレスチナの立場は弱いまま。

だからパレスチナ人といるとき、自分が「パレスチナを認めていない日本」から来ているので申し訳ない気分になる。

罪滅ぼしにはならないけど、せめてJICAのように少しでもパレスチナの人たちの生活を向上する取り組みがなされれば。

日本も国際社会のなかでうまく立ち回るのは難しいと思うけど、それでもできることはたくさんあるんじゃないかって。
いろんな支援がもっと行き届いてほしいなって。
笑顔で「日本が好きだ」って言ってくれるスタッフを前に、そう強く願った。
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小さなビリン村の抵抗運動

2014.03.27 06:17|パレスチナ自治区☞EDIT
日本から持ってきていたくつ下がとうとうボロボロになってきたケンゾーです。
ということで3足で約210円のくつ下を急きょ調達。
生地がテロンテロンなんだけど、いつまで持つかなあ。

ここラマラから16km西に行ったところに「イスラエルに対する抵抗運動のシンボル」と呼ばれている村がある。
人口およそ1800人の小さな農村ビリン。

ビリン

イスラエルとのボーダーまで4kmほどしか離れていないビリン村。
ある日突然イスラエルに村の土地を奪われ、入植地が造られはじめた。
やがて「パレスチナの自爆テロからイスラエル人を守る」ための分離壁が建設され、村のオリーブ畑の半分が壁の向こう側へと奪われた。

そして2005年、ビリン村の非暴力の抗議運動がはじまった。

抗議運動は毎週金曜日の午後に行なわれている。
あまり近づかなければ危険ではないそう。
外国人ツーリストもよく参加しているそうだ。

イスラム圏では金曜が休日。
セルビス(乗合いタクシー)が見つからなかったのでタクシーで行くことに。

しばらく走っていると、真新しいマンション群が見えてきた。
イスラエルの入植地だ。

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およそ30分でビリン村に到着。
ほんとに小さくて静かな村だ。

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モスクの周りに村の人々が集まっている。
毎週金曜日、昼の礼拝を終えたあとに抗議運動を行なっている。

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集まった人々がぞろぞろと移動しはじめた。
1人の男性に「車でいっしょに行こう」と言われたので乗せてもらうことに。
この男性、カメラマンだった。
彼も毎週取材をしているそう。

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山肌に延びる1本の道。
遮音壁のようなものが道路に沿って設置されている。

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でもよく見ると片側にしか壁はない。
遮音のためじゃなくイスラエルとパレスチナを分離するための壁だ。

入植地が見えてきた。
ビリン村の土地を奪って建てられたマンションたち。
村の人たちが住んでる家とは比べ物にならないくらい近代的な建物。

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車を降りたカメラマンがベストのようなものを羽織った。
防弾チョッキだ。
ヘルメットとガスマスクも持っている。
一気に緊張感が高まる。

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ぞくぞくと抗議に参加する人たちが集まってくる。
みんなパレスチナの国旗を手にしている。
若者の姿も多い。

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パレスチナ人に混じって外国人ツーリストの姿も。
この抗議運動には、パレスチナを支援するイスラエル人が参加することもあるそう。

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まだあどけない表情をした少年がガスマスクを装着している。
目立つ黄色のベストを着ているんだけど、ひょっとしてこの子もプレスなのか?

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やっぱりそうだった。
ビデオカメラを片手にイスラエル兵が待ち受ける分離壁へと進んでいく少年。
ビリン村に住んでるんだろうか?
年齢を聞いたら14歳だった。
でも大人と変わらない使命感を持っている。

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分離壁へ向かってオリーブ畑を歩いていく。
やがてのどかな風景に似つかわしくない、無機質なコンクリートの壁が見えてきた。

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壁の奥には入植地のマンションが建ち並ぶ。
10年前まではオリーブ畑が広がっていた場所。
今でも本当はパレスチナ人の土地。
イスラエルが不法占拠している土地だ。

イスラエルが今現在も着々と建設を進めている分離壁。
総延長703km、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を完全に囲ってしまう計画だ。
いちばんの問題は、この壁が1949年に決められたボーダーではなく、パレスチナ側にどんどん入り込んできていること。

分離壁

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イスラエルはパレスチナの土地をどんどん奪い、入植地を建設し、パレスチナ領土に食い込む入植地を囲むように分離壁を建設していっている。
分離壁の建設は国連総会でも非難決議がなされているし、国際司法裁判所も国際法に反していると勧告している。
けれどイスラエルはこれらを無視、現在も入植地は拡大する一方だし、分離壁建設も止める気配はない。

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けれど過去に、イスラエルの最高裁がビリンの分離壁のルート変更を命じる判決を下し、ビリン村側へ食い込んでいた分離壁が一度壊されイスラエル側に戻されたことがある。
分離壁自体が無くなったわけでもないし、ほんの数百mの違いかもしれないけれど、それはとても画期的なことだった。
ビリンがパレスチナ抵抗運動のシンボルと呼ばれるようになったのはそれからのこと。

壁の向こうからこちらをうかがうイスラエル兵。
そして入植地に住む、黒い服と白いシャツを着た正統派ユダヤ人たちの姿も。
パレスチナ人の抗議運動を高みの見物するつもりなんだろう。

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壁が目前に迫ってきた。
ふと地面に視線を落とすと、なにか黒い物体が大量に落ちている。
なんだこれ?
まさか手榴弾・・・じゃないよね?

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壁の前で止まる集団。
一部分だけ壁の色が黒くなっている。

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黒く焦げたゲートだった。
いつ、なにがあったんだろう?

イスラエル軍の攻撃でけが人がでることもあり、救急車も待機している。
緊張がはしる。

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抗議運動がはじまった。
といっても、思っていたよりもとても穏やかな抗議。
国旗を振り上げ一斉にシュプレヒコールをあげたり、イスラエル兵に向かって語りかけたり。

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言葉は悪いけど、ちょっと拍子抜けだなあと思ったその時。
イスラエル兵が何かをこちら側に投げ込んだ。

ヒューー、と鳴りながら投げ込まれたそれはモクモクと白い煙を吹き上げる。
あっという間に異臭が周囲に漂い出した。
催涙弾だ!

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ケンゾーとイクエも慌てて風上に逃げる。
けれど次から次へと投げ込まれる催涙弾。

あっ、ヤバい!と思ったときにはもう遅かった。
猛烈な目と喉の痛みに襲われる。
ゴホゴホ咳き込んで涙が止まらない。
人生はじめての催涙弾、これはかなりきつい。

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この催涙弾攻撃のさなか、ガスマスクもせず顔に布切れを巻いただけの少年たちが反撃を試みる。
反撃と言っても彼らにできるのは投石と投げ込まれた催涙弾を拾って投げ返すこと。
あまりにも些細な反撃だ。

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そしてその様子を見物するユダヤ人たち。
催涙弾が打ち込まれるたびに口笛を鳴らし大声ではやし立てる。
「神に選ばれた民」にしてはモラルが低すぎる。

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それまで手で投げ込まれていた催涙弾。
とうとうドンッドンッドンッドンッと一斉に撃ち込んできた。

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辺り一帯催涙ガスで満たされる。
こうなってはもう壁に近寄ることもできない。
抗議運動はこれで終了。



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高くそびえる壁とその奥に見える近代的なマンションを眺めながらビリンの少年たちはなにを思っているんだろう。
この週に一度の抗議運動に対して、イスラエル兵が相手をするのは暇つぶしのようなものなのかもしれない。
イスラエルに対してパレスチナが持っている力はあまりにも小さすぎる。
過去には催涙弾が直撃したり、呼吸不全になって死亡してしまった村人もいる。

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でも、抵抗にさえなっていないかもしれないけど、ヤメるわけにはいかない。
ヤメたらイスラエルの思うつぼ、全面的に屈することになる。
ビリン村の人々はそのことを知っている。

目と喉の痛みに耐えながらビリン村へと歩いて戻る。
途中でかわいい子どもたちと遭遇。

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天真爛漫な笑顔に痛みも吹き飛ぶ。
この子たちの笑顔を守るために、パレスチナに平和を取り戻すために、ぼくらにできることはなんだろう?
もうこれ以上、世界がパレスチナを放っておくことは許されない。
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住みにくい故郷「入植地」をめぐって

2014.03.25 06:21|パレスチナ自治区☞EDIT
旅先でも毎日コーヒーは2杯以上飲んでいるイクエです。
もちろんインスタント。
宿の部屋で電熱コイルでお湯をわかして作っています。
フィルターコーヒーを飲めるのは2、3か月に1回くらいかな。
カフェは高いから。

パレスチナ・イスラエル問題で、無視することができないのが入植地のこと。

パレスチナの領土はどんどん狭くなっているとはいえ、一応イスラエルとパレスチナの間にはボーダー(境界線)がある。

そのボーダーにはチェックポイントがあって、まるで国境。
自由にお互いが行き来できないようになっている。
(とはいえ、チェックポイントでチェックするのはイスラエル軍でパレスチナは管轄できない。)

だけどこのボーダーを無視して、イスラエル人たちがパレスチナ自治区内にコミュニティーをつくっているのが「入植地」と言われるもの。
下の地図の緑がイスラエル、白がパレスチナ自治区。
白いパレスチナ自治区にある緑の斑点がイスラエルの入植地。(注:イメージです)

入植地

「わざわざパレスチナ自治区に住む人がいるの?」って思うけど、イスラエル政府が入植地に住む人には税金や手当などを補償するから、貯蓄のない若い夫婦などが引っ越してくる。
「敵の陣地に住むなんてあぶないことよくできるね?」って思うけど、イスラエル政府は「入植地の周りは塀やフェンスで囲っているし、イスラエル軍が常駐して徹底して住民の安全を守るから安全です」と言うので、小さな子どもをもつ家族たちも引っ越してくる。
パレスチナの領土のはずなのに、入植地にはパレスチナ人は入ることができなくなっている。

もちろんこれは国際的に見ても違法なことなんだけど、軍事力をもつイスラエル政府に対して何もできず、どんどんパレスチナの土地が侵食されていっている。

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ラマラにある入植地はパレスチナの繁華街のすぐそばにある。
泊まっているゲストハウスから入植地が見えた。
丘の上の赤い屋根のマンションが建ち並んでいるところが入植地。
手前がパレスチナの街。

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「あんなふうに丘の頂上をイスラエルは占領していくんだ。」
そうパレスチナ人に言われたことがある。

パレスチナ人たちを監視するかのように、パレスチナ自治区を制圧するかのように。
見上げるところにはいつも入植地がある。

パレスチナ人の住む街と入植地の境はどうなっているのか。
ゲストハウスから見えている入植地に行ってみることにした。

なだらかな丘を登っている途中、パレスチナ人たちに声をかけられる。
「どこに行くの?」
「入植地に行ってるの。」
「そうか・・・。気をつけるんだよ。」

この「気をつけるんだよ」というのは、入植地を警備するイスラエル軍に気をつけるんだよ、という意味。
武装したイスラエル軍が過度に警備している入植地は、パレスチナ人たちにとっては軍事基地のように見えるのかもしれない。

コンクリートのブロックが道を封鎖し、有刺鉄線で囲まれた先に入植地が見えた。

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フェンスにちょっとでも触れると警報機が鳴るようになっている。
パレスチナ人は入植地に入ることはできない。
外国人であるわたしたちも、この入口ではなくて車で10分以上かかるゲートに行ってパスポートのチェックを受けてからしか入れないらしい。

監視カメラがこちらににらみをきかせている。
フェンスの向こうに兵士がこちらを監視しているのが見えた。

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フェンスの向こうには真新しい赤い屋根のマンション。

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いっぽう、昔からここで生活しているパレスチナ人たちがいる。
左側の建物はパレスチナ人の住宅。

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こんな物々しい雰囲気の場所で暮らすのに堪えられなくなったパレスチナの家族もいるだろう。
フェンスのすぐそばの土地は荒れ、空き家となっている。

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フェンスのまわりをウロウロしたり、入植地の写真を撮っていたりしていたら、フェンスの向こうで一台の車がこちらをうかがいながらついてきているのに気づいた。
軍の車なのか、パトカーなのか。

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知らんぷりして歩くべきか、逃げるべきか。
とりあえず、歩みを止めて車の方を見つめた。

すると男性が車を止めて降りてきた。

あちらも、こちらも、相手がどう出るかうかがっている。

「ハロー」だったか「エクスキューズミー」だったか、どちらからともなく呼びかけた。

フェンスは二重になっていて、さらにその間には石垣がある。
男性と、わたしたちの距離は5メートルはあると思う。

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そして、フェンス越しの奇妙な会話が始まった。

「ここで何してるの?」
「わたしたち、日本人でちょっと見に来たの。」

「どうしてイスラエルに来てるの?仕事?
 なんで写真撮ってるの?」

「ただの旅行で来てて、写真はプロじゃないよ。
 ここだけじゃなくていろんな国を旅行してるんだよ。」


「そっか。
 わかるよ、僕もいろんな国を旅行したから。
 外国でたくさん写真を撮りながら、旅してたんだ。」

「わたしたちもいろんな旅先でたくさんのイスラエル人旅行者に会ったよ。」

実際、イスラエル人のバックパッカーは多い。
徴兵が終わった若者が、貯まったお金でストレス発散の旅に出る。

フェンス越しの会話は続く。
彼は無線をもっていて、わたしたちがツーリストで日本人であることを相手に伝えていた。

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「あなたは兵士?」
「違うよ。
 ここの住人。
 こうやって住人が自警団となってここを守っているんだ。
 もちろん軍隊も守ってくれてるから、その点では安心なんだけど・・・。」


「この入植地には何人くらい住んでるの?」
「300家族、1500人が住んでるよ。」

こちらからは入植地の中の様子が見えない。
中はどんなふうになってるんだろう。
子どもたちが校庭を走り回っているような賑やかな声が聞こえてくる。

「学校があるの?」
「うん、そこが学校なんだ。
 小さな商店も2、3軒はある。」


フェンスのすぐそばに大きな建物があって、わたしたちはそれが何か気になっていた。
軍事施設にしては粗末なつくり。
でも、何かの機械音が途切れることなく聞こえている。

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「あの建物は何?」
「あれは工場なんだ。
 滑り台とかブランコとか遊具をつくっていて、ここから出荷してるんだよ。
 ここに働きに来ている人も多いんだ。」


「あなたは仕事してるの?」
「いいや。大学で工学を勉強してる。
 大学は入植地の外にあって、ここから通ってるよ。
 ここは、すごく住みにくいよ。」


そして、彼はこう言った。
「まるでここは、牢獄だよ。
 こんな風にフェンスで囲まれて。」


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彼は2歳のとき、エルサレムの近くの街からここに家族とともに引っ越してきた。
ここに住んで24年。

わたしたちはこれまでどんどん入植地が拡張され、新しい住宅地が造成されているのを見てきたから、入植地にはそんなに歴史がないと思い込んでいた。
彼のように入植地でずっと人生を送っている人がいることが意外だった。

「昔はね、ここも良かったんだよ。
 家畜が放し飼いにされていて、のどかな場所だった。
 それに、こんな風にフェンスなんてなかったんだ。
 自由にパレスチナ側に行き来できた。
 パレスチナの市場で野菜や果物を買ってたんだ。
 パレスチナのほうが安いし、あのときはすごく住みやすかった。」


彼が言うには、ここにフェンスができたのが1993年のオスロ合意の後らしい。
オスロ合意はイスラエルとパレスチナが結んだ協定で、イスラエルが入植地から撤退することなどが約束された。
オスロ合意のあともイスラエルは入植地から撤退しないばかりか、いまだに新しい入植地をつくり続けている。

オスロ合意のあとになぜフェンスがつくられたのか。
入植地を明け渡さないイスラエル側に対しパレスチナ人が抗議して襲ってくることを防ぐためなのかもしれない。

「この前もね、1、2か月前だったかな。
 パレスチナの男がこのフェンスを切って中に侵入したんだ。
 そして学校にいた10歳の女の子の首をナイフで切ったんだよ。 
 女の子は病院に運ばれて、命は取り留めたけど、恐いよ。
 犯人は逃げたからまだ捕まってないんだ。」


彼が「牢獄」と表現するこの場所。
敵対するパレスチナに囲まれて陸の孤島のようなこの場所。
パレスチナ人が襲撃するかもしれないという恐怖がつきまとうこの場所。

「だったら、なんでこんなところに住んでるの?
 イスラエルの領地に引っ越せばいいじゃん。」
そう思ったけど、その言葉をぐっと飲み込んだ。

彼にとっては、ここが故郷なのだ。
2歳からここに住んでいる。
「故郷から出て行けば?」なんて言えない。

でも、ここで育ちここに住むということは彼らにとっても不幸なことだ。
もちろん、領地を奪われているパレスチナ人にとっても不幸なこと。
だけどイスラエル政府はいまも入植地を造成し、税金の優遇など甘い誘い文句で若い夫婦や家族を入植地に引っ越させている。

無線で誰かが彼を呼んでいる。
きっと「外国人と何を話してるんだ。なにをいつまでやってるんだ。」って言われてるのだろう。

「Have a nice trip!」
「Have a nice day!」

お互いフェンスから遠ざかり、別れた。

複雑な気持ちのままフェンスのすぐ下の道路を歩いていた。
パレスチナ人家族が乗った車が通り過ぎた。
車はすぐに止まり、窓が開いて明るい顔で声をかけられた。

「ウェルカム トゥ パレスタイン!」
「サンキュー!
 ウィー アー ジャパニーズ ツーリスト。」


そして男性が言った。
「ウェルカム トゥ コカ・コーラ!」

ケンゾーと顔を見合わせた。
どういう意味?
家族は簡単な英単語しか知らない。

コカ・コーラ=アメリカ。
わたしたちをアメリカ人と勘違いしてる?
いや、でも日本人って言ったしな・・・。

そしてひらめいた。
「もしかして、これ『コカ・コーラでも飲みませんか?』って誘いよるんやない?」

とりあえず「イエス」と言ってみると、車は10メートル先の家の前で止まった。
ちなみに左の赤い屋根や鉄塔がイスラエルの入植地、車の右側が男性の家。

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自宅におじゃまするとコカ・コーラが出てきた。
ライスの上にチキンがのったパレスチナの名物料理もごちそうになる。

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右から2番目の男性がこの家族のお父さん、マンソールさん。

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マンソールさんの奥さんは学校の先生をしていて、少しだけ英語が話せた。
中東戦争のとき、奥さん一家はアメリカに逃げて今も親類がアメリカに住んでいるのだそう。

おいしいコカ・コーラと食事をごちそうになったので、子どもたちに折り紙を折ることにした。

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みんな折り紙に意欲的。
簡単なのを教えてたんだけど、難しいのにチャレンジしたがるんだよね。

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そして、自慢げにこんな本を持ってきてくれた。

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折り紙の本!!
だからみんな折り紙を見せても「あ!知ってる~」って感じの表情をしたんだね。

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天気の話になって「この辺でも雪が積もることもあるんだよ」って教えてもらった。
そしてFacebookに載せている雪の日の写真を見せてもらった。
見ていたら、ほかの写真でマンソールさんの手がとまった。

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「この写真は何ですか?」
「これは私の足だよ。
 銃で撃たれたんだ。」


「どこでですか!?」
「この部屋で、夜中寝てたときに。」

この部屋で寝ていたとき、いきなり銃弾が飛んできて足にあたり、片方の足を貫通。
もう一方の足にも銃弾がめり込んだという。

大手術をして、足にはボルトが入れられた。

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足には今でも傷跡が残っていた。

マンソールさんの家。
表には庭があって、少し奥まったところに家が建っている。
マンソールさんは玄関を入ってすぐの部屋で寝ていた。

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家の門から道路を挟んだ建物は入植地の建物。

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イスラエルとパレスチナの銃撃戦でたまたま弾が飛んできて犠牲になったのか。
それとも入植地に対面する場所に住んでいるこの家にむけてわざとイスラエル側が嫌がらせでやったのか。

真実はわからない。

でも、マンソールさんがいったい何をしたというのだろう。

この家にはかわいい子どもたちも住んでいる。

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「車で送っていくよ。」
そう言われたけど、悪いので断った。
するとみんなが家の外に出て見送ってくれた。

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丘を下って宿まで帰る途中、振り返るとマンソールさんたちの家が見えた。
そしてその家を見下ろすように塀に囲まれた入植地がある。

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入植地の中に住む人は言った。
「ここは牢獄みたいで、住みにくい。」と。

入植地の外に住む人は言う。
「寝ていただけなのに、銃撃された。」と。

でも新しい入植地はいまも造られ続けている。
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パレスチナ難民キャンプのカリスマ美容師

2014.03.24 05:50|パレスチナ自治区☞EDIT
きのう久しぶりに酒を飲んでご機嫌なケンゾーです。
やっぱり酒はいいね。
1日の終わりに酒を飲むと充実感が倍増する。

パレスチナ自治区には「観光」するような名所やアトラクションはない。
できることといえば、スークや旧市街、マーケットをぶらぶらしてパレスチナ人と触れ合うか、難民キャンプを見て回るくらい。
難民キャンプは住宅が密集していて人口密度も高く、歩いていればすぐに声をかけられる。
ということで、ここラマラでもパレスチナ難民キャンプに行くことに。

キャンプの周辺はマンションの建設ラッシュ。
真新しい建物がいくつも建ち並んでいる。

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このゲートから向こう側がアマリ難民キャンプ。
およそ1㎢に1万人が生活している。

パレスチナ難民キャンプのシンボルは「鍵」

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1948年のイスラエル建国によって故郷を追われたパレスチナ難民。
その後もイスラエルが支配地域を広げていくたびに難民は増えつづけ、現在では自治区と周辺国で400万人以上が「避難生活」を送っている。

ある日突然それまで住んでいた我が家を追われたパレスチナ難民。
わずかな荷物だけで、家はそのままの状態で命からがら逃げてきた。
70年近く経った今でも、たくさんの人々が自宅の鍵を大事に持っている。
住み慣れた我が家はもうイスラエルによって壊されているかもしれないし、新しい住人が住んでいるかもしれない。
それでも大事に持っている。
いつの日かふたたび故郷に戻れる日を夢見て。
鍵はパレスチナの人々の悲劇の象徴でもあり、希望の象徴でもある。

キャンプに一歩足を踏み入れると、街並みはがらりと変わる。
入り組んだ細い路地、建物が密集してごちゃごちゃとしている。
ピカピカのマンションが建ち並ぶエリアは目と鼻の先。
同じパレスチナでも難民キャンプの置かれている環境を如実に物語っている。

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厳しい環境にあるにもかかわらず、キャンプの人々はフレンドリーでとても明るい。
パレスチナの人々は心が強い。
苦しく辛い時ほど、彼らのように笑顔を忘れないようにしないといけない。

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キャンプ内を歩いているとある床屋の中から「カモン カモン!」と手招きされた。
髪もちょうど伸びてきてたし、ここで切ってもらおうかな。

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ここはキャンプに住む若者の溜まり場になってるみたい。
右側の青年がここの美容師。
弱冠22歳だけれど、キャリアはなんと6年。
「彼はNo.1、ベストだよ!」とみんなから絶大な信頼を得ている。
難民キャンプの若きカリスマ美容師だ。

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この狭いキャンプ内に5軒の床屋があるそうなので、なかなかの競争率。
でもここにはひっきりなしに客がやってくる。
さすがカリスマ美容師。
ちょうどユニフォームを来た若い青年たちがやってきた。
このキャンプ出身のプロサッカー選手なんだって。
数時間後に試合を控えていた。
気合いを入れるため、かっこいい姿でテレビに映るため、試合前には必ず彼に髪をセットしてもらう。

順番を待ってるとパンやジュースの差し入れをもらった。
みんなわざわざ買ってきてくれる。
パレスチナの人たちはほんとに気前がいい。

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この中学生くらいの男の子もがんばって働いている。
15歳のこの男の子、なんとキャリアは5年なんだって。
貫禄十分だね。

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ケンゾーの順番がやってきた。
チュニジアにひきつづき、アラブ圏で2度目の散髪。
前もってネットで検索していた爽やかな青年モデルの写真を見せて「こんな感じにしたいんだけど」とカリスマ美容師にお願い。

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さすがキャリア6年のベテラン、鮮やかな手さばき。
躊躇なくバッサバッサと切っていく。
サイドはかなり思いきってるけど大丈夫かな?

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髪を切り終わったら顔そり。
ここで15歳のベテラン君登場。
自分はまだヒゲも生えずツルツルの顔なのに、他人のヒゲを剃るのかな。

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なるほど、この彼は顔そりのスペシャリストなんだねって思ってたら、石けんを顔につけるだけで終わっちゃった。
あれ?それだけ?

ああ、かわいいお客さんが来たんだ。
ベテラン君は子ども担当なのかな?
子どもが子どもの髪を切ってる、微笑ましいね。

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ちゃんと洗髪もしてくれて、いよいよスタイリング。
このスタイリングがカリスマ美容師の腕の見せ所。
パレスチナ人の憧れの的であるプロサッカー選手と同じヘアスタイルにしてくれる。
ワックスをたっぷり使って髪を固めていく。

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切りはじめて45分、カリスマ美容師の手によるパレスチナスタイルが完成!
どう?
若作りしすぎ?

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似合ってる似合ってないはとりあえず置いといて、パレスチナの人たちにはこの髪型が大好評。
歩いていると「おっ、ばっちり決まってるね!」って感じで声をかけられるんだよね。
ちょっと照れくさいよ。


道ばたにある小さなコーヒーショップ。
店の主人がコーヒーをごちそうしてくれた。
コーヒーの香りとパレスチナの人々の優しさが胸に染みわたる。

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英語を喋ることができる1人の男性がキャンプを案内してくれた。

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建築関係の仕事をしているこの男性。
「今いちばんの問題点はなにか?」と尋ねると、「家が狭いこと」だと即答。
狭いキャンプ内に新たに家を建てるスペースはもうない。
となると上に建て増しするしかないけれど、もうそれも限界にきている。
新たに土地を買って新しい家をつくるにはもちろん莫大なお金が必要で、そんな余裕はない。

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男性の家に招待してもらったのでお邪魔することに。
家の中をひっきりなしにいろんな人たちが出入りをしている。
何世帯も同居していてかなり手狭な様子。
どこまでがこの男性の子供なのかよく分かんないや。

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この男性、なんとボーイスカウトのスタッフもしているんだって。
パレスチナにボーイスカウトがあるなんて思ってもなかったからかなりビックリ。
しかもこの難民キャンプのボーイスカウトには500人以上の子どもたちが所属していると聞いて驚いた。

けれどイスラエルによって活動が制限されて大変なんだそう。
少年や若い男性たちが集まるだけで「テロ集団じゃないか」とか「何かを企てようとしているんじゃないか」なんて疑われる。
ボーイスカウトと言えば、みんなでキャンプをしたりハイキングをしたりレクレーションを楽しむことが活動の中心。
だけど難民キャンプの外で活動しようとすると、イスラエルが妨害するそうだ。
以前外国のボーイスカウトが交流のために来た時も、けっきょく何もできず難民キャンプの中で交流会をしただけで終わったそう。
嫌がらせするにもほどがあるよ。


男性に別れを告げ家の外に出る。
狭いキャンプ内にこだまする子どもたちの笑い声。
この子たちが何をしたって言うんだろう。
無邪気な笑顔を見ていると切なくなってくる。

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どうしたらみんなが幸せに暮らせるんだろう?

いくら考えても溜め息しか出ないのがとても悲しい。
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ゲストハウスの新しい価値

2014.03.22 05:59|パレスチナ自治区☞EDIT
イギリス旅の予定をたてていたとき、バーミンガムという地名を見て「バーミンガムかあ。バーミンガム宮殿があるからバーミンガムには行かないとね。」と真剣に夫と話していましたが、一週間後にガイドブックを見てそれは「バーミンガム宮殿」ではなくて「バッキンガム宮殿」だったと気づいたオバカ夫婦の妻イクエです。
ちなみにバッキンガム宮殿はロンドンにあります。

パレスチナ自治区の旅を続けているイクエとケンゾー。
ここに来る前はパレスチナ自治区を個人でこんな自由に旅できるとは思わなかった。

最初に訪れたジェニンの街では、毎晩やってくるイスラエル軍の銃声を聞いた。
そしてここナブルスでも銃声のようなパンパンパンという音を聞いて、おもわずびくっとなった。
ジェニンに行ってから「パンパンパン」という音に過敏に反応するようになってしまったけど、今回は花火の音。
花火が打ち上がり、若者たちが数台の車に乗ってパレスチナ国旗を振り回しながら大騒ぎして街を旋回している。
聞けば、イスラエル政府に逮捕されていたパレスチナ人の若者がきょう釈放されたので、それを祝っているのだそう。

パレスチナ自治区に滞在して1週間。
こうなったらほかの街にも足を伸ばしてみよう!

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パレスチナ自治区内はバスやセルビスと呼ばれる黄色いワゴンタイプのミニバスがそれぞれの街をつないでいて、自治区内に入ってしまえば簡単にいろんな場所に移動できる。

きょう目指すのは、パレスチナ自治区の中でも要の都市ラマラ。

ラマラ

バスで向かう途中、いくつもの入植地が車窓から見えた。
入植地はイスラエルがつくる住宅地。
パレスチナ自治区にもかかわらず、イスラルが街をつくりイスラエル人を住まわせ事実上イスラエルの支配地域を増殖している。
同じような建物が並ぶ、新興住宅地のようなところなのですぐに入植地だとわかる。

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イスラエル政府は入植地の住民には、土地代や家賃、税金などさまざまな優遇措置をとっているのでここに引っ越してくるイスラエル人は多い。

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パレスチナの土地でイスラエルが勝手に開拓しているけど、圧倒的な軍事力をもつイスラエルに対してパレスチナはどうすることもできない。
入植地のまわりにはイスラエルが壁をつくり、軍を駐屯させているのでパレスチナ人は立ち入ることができない。
こうやってどんどんパレスチナが小さくなっていく。

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あと10年後、パレスチナは存在しているのだろうか。
そしてパレスチナ人はどうなっているのだろうか。

バスはラマラの街に到着した。
今回の宿も予約済み。
バスターミナルのすぐそば。
右奥のビル、半円の窓が並んでいる最上階。

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「Area D hostel」
このゲストハウス、実はまだ開業前。
カウチサーフィンでどこかに泊めてもらおうとホストを探していたとき、マイクという男性から返事がきた。

「昔は旅人を家に泊めていたんだけど、いまゲストハウスの開業準備中で家に泊めてあげることはできないんだ。
でもちょうどもうすぐオープンするから、最初のお客さんとして格安で泊めてあげるよ。」

そのマイクがこちらの男性。

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マイクはスイス人。
赤十字のメンバーとしてパレスチナ自治区で活動していた過去をもつ。
そのかたわら、カウチサーフィンで海外からパレスチナにやってくる旅人を家に泊めて、パレスチナの現状について教えてあげたり、難民キャンプなどを案内していた。

「もっと外国人にパレスチナに来てもらって、パレスチナのことを知ってもらいたい。
そのために居心地のいいゲストハウスをつくりたい!」

そんな夢をもつようになり、ついに実現した。
イスラエルに囲まれて存在しているパレスチナ自治区。
パレスチナ自治区で就労するのは問題はないけど、イスラエルのツーリストビザの期間は3か月。
マイクは3か月ごとに隣国のヨルダンやエジプトにいったん出て、再びイスラエルに入国するという方法でパレスチナに住み続けることにしている。

ゲストハウスはまだ開業前で、壁の塗り替えや家具のセッティングはまだ終わっていない。

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それでもわたしたちが泊まれるように、ダブルルーム一室は先に作業を終わらせてくれていた。

まだできあがっていないゲストハウスだけど、将来的にはかなり居心地のいいホテルになりそう。
なんていったって、この眺めがいい!

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キッチンや共用スペースは広くて、どの部屋にも大きな窓がついている。
パレスチナの街を見ながら朝からコーヒーを飲んで一日のスタート。

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ラマラの街の中心地に建つモスクから、祈りの時間を知らせるアザーンが鳴り響く。

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このビルを取り囲むように、市場が立つ。
野菜や果物、衣料品・・・。
威勢のいい呼び込みの声。
にぎやかな街を見下ろすと、ここはイスラエルではなく完全にアラブの国だと実感する。

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パレスチナ自治政府は首都をエルサレムだと主張しているけど、実質的にはエルサレムはイスラエルが支配している。
そのためここラマラにパレスチナの政府機関がある。

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初代大統領だったアラファト議長の墓もこのラマラにある。
アラファト議長はイスラエルとの和平協定を結んでノーベル賞を受賞したこともあるけど、和平は失敗に終わっている。
2004年に病院で亡くなったけど、いまでも病死か毒殺か定かではない。

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アラファト議長ってパレスチナ人からしたらカリスマ的存在で、祭り上げられていてお墓も大掛かりで信者が絶えず・・・なんてイメージをしていたんだけど、とってもシンプルなお墓だった。

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大きな窓ガラスがはめ込まれ、明るくて開放感はあるけれど中のスペースは狭い。
墓石があるだけ。
そして警備の人はひとり。
訪れる人も少ない。

となりには、議長府が置かれている。
塀に囲まれて中の様子は見えないけど、数人の兵士がいるくらいで厳戒態勢は敷かれていない。
ここがパレスチナの政治の中枢って感じはしない。
以前はここもイスラエル軍に包囲されていたんだって。
アラファト議長は亡くなる直前までイスラエルに軟禁されていた。

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パレスチナ自治区ではやるせない気持ちになることが多いけど、ふと心がなごむ時がある。

「ああ、日本と同じだな。」って春の訪れを感じる瞬間。

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最初見た時は「パレスチナにも桜?」って驚いた。
でもこれは桜じゃなくてアーモンドの花らしい。

パレスチナではいまこのアーモンドの花が街や住宅地や郊外の畑で咲き誇っている。

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この花を見てるときは、日本とは距離も、置かれている立場もまったくかけ離れたパレスチナにいることを忘れてなんだかほっとする。
ケンゾーはこの花を見かけるたびに写真を撮っている。

「また?
 何回撮ったら気がすむと?
 どうせおんなじ写真になるよ。」
笑いながらケンゾーに言うけど、ケンゾーの気持ちもわかる。

ラマラはパレスチナ自治区のヨルダン川西岸の中心地に位置し、自治区内の中枢都市。
街いちばんの繁華街の交差点には、パレスチナでおしゃれなカフェが競って店を構えている。

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その中でもっとも人気があってイケてるカフェがこれ。

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見たことあるような・・・。
でも何か違和感が・・・。
文字数が多い。

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スターバックス!?
じゃなくてスターズ&バックス カフェ!!

ちなみに本物のスタバは今のところパレスチナにはない。

室内は赤を基調としたおしゃれなつくり。
メニューは本物のスタバとは違っていて、飲み物よりもケバブやハンバーガーなんかの食事が充実している。
パレスチナのカフェには欠かせない水タバコも置いてあって、イクエの隣にずらりと並んでいる。

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だけど「スターバックスと全然違う!」っとも言えないところもある。
スタバのようにオリジナルのマグカップやコーヒー豆を売っているコーナーもある。

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イクエとケンゾーが頼んだのがこちら。
アイスカフェラテとコーヒーフローズン。

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パレスチナ人はコーヒーや紅茶をつくるとき、火にかけている最中からたっぷりの砂糖を投入して、グツグツ煮て溶かす。
紅茶やコーヒーをストレートで飲むなんて考えられないみたい。
だからこれももんのすご〜く甘かった。

パレスチナで一番イケてるカフェとあってお値段は高い。
サービス料もとられて、35シェケル(約1000円)。
値段はスタバ以上。

この「スターズ&バックス」はチェーン店。
ここだけではない。
パレスチナ自治区のベツレヘムにもあったんだけど、その近くに本物のスタバを発見!?

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ね!
「スターズ&バックス」の「ズ&」がなくて、ちゃんと「スターバックス」。
でもね、どうもちがうんだよね。
飲み物のメニューが5つくらいしかなくて、レジの横ではパレスチナのおかあさんが手作りしたようないびつなかたちの蒸しケーキみたいなのが売ってある。

ここでもオリジナルのマグカップが売られてたんだけど、本物のスタバと違う・・。
マークに星が5つ入ってたっけ?

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やっぱりここもスタバのコピー店だということが判明。
スターズ&バックスは誰でも偽物ってわかるしパロディーみたいだから許せるとして、この店にはちょっと悪質性を感じる。
しかも「スターズ&バックス」の近くに対抗して店を構えている。

「これって本物のスタバじゃないよね。
 近くに『スターズ&バックス』もあるよね。」

って店の人に聞いたら
「うん。
 でも『スターズ&バックス』よりもこっちのほうがベターだ。」
って言われた。
なにがベターなのか・・・。

まあ、ナブルスにはパレスチナのサンドイッチ、ファラフェルを出しているKFEもあったしね。

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といってもにぎやかで雑多なパレスチナの雰囲気に、おしゃれカフェは似合わない。

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市場を歩けば「ウェルカム トゥ パレスタイン!」と笑顔で迎えてくれる。
無料で野菜をくれることも多い。

泊まっているゲストハウスにはキッチンがある。
きょうも市場でもらった野菜をつかって晩ご飯をつくろう!

イスラム教徒が多いパレスチナでは、お酒が手に入りにくい。
それでもきのうの夜、ゲストハウスに泊まりながら開業の準備を手伝っているオーストラリアの女の子がビールをくれた。
だから、お酒を売ってる店はどこかにあるはず。

もしかして、あの地区にいけばあるのかも。

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パレスチナ人にはキリスト教徒もいる。
ここラマラにもキリスト教地区があって、いくつか教会も建っている。

ほら、やっぱりね!
酒屋さんがたくさんある。

パレスチナワインを購入。
パレスチナでは修道院やキリスト教徒たちが昔からワインやビールを作っている。

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甘みのあるワイン。
路上でおばあちゃんから買った塩っからい自家製オリーブといっしょに。

このゲストハウスには5泊した。
本格開業を控え、日に日にゲストハウスが形作られていく。

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想像していたよりも苦労せずに旅ができるパレスチナ自治区。
バスが充実していて街から街への移動も楽だし、宿泊先にも困らない。
けれども、パレスチナを旅する人は少ない。
イスラエル側のホテルに泊まって、そこから日帰りでパレスチナを観光する人は多い。
でも、せっかくならパレスチナに泊まってほしいな。
この地に泊まって、ゆっくりとしたスピードで街を歩いたり、そこで夜や朝を迎えることでもっとパレスチナに親しみを感じるようになる。
現地の人と出会ったり話したりする機会も増えるし、長くいることでパレスチナの抱える問題も見えてくる。

パレスチナに行ってみたいけどちょっと不安って人も多いと思う。
でも、もしそこに居心地のいいゲストハウスがあったらー。
明るくて快適で、英語のわかるスタッフが親身に旅のアドバイスをしてくれてー。
外国人のバックパッカーがそこに集い、お互い情報交換しあったり合流していっしょに旅行することもできたりー。

スイス人のマイクがここにゲストハウスを作ることで、今よりももっと多くの外国人がラマラに訪れることになると思う。
そしてパレスチナを訪れた外国人が、パレスチナの現状を多くの人に広めたり、そしてそれが何かのムーブメントにつながる可能性だってある。

マイクは現地のパレスチナ人の青年といっしょに開業している。
マイク以外のスタッフはもちろんパレスチナ人。
わずかだけど雇用も生まれている。

パレスチナを救うために、NGOで活動したりボランティアをするという方法もあるけど、こんなふうにゲストハウスをつくるというのもひとつの手段なんじゃないかなって思った。

パレスチナの人たちにとって悲しいことは、自分たちの存在を忘れられること。
だから外国人が来たら「ウェルカム トゥ パレスタイン!」って喜んで迎えてくれる。

イスラエル政府が恐れていることは、外国人がパレスチナの実状を知ってしまうこと。
だから外国人がパレスチナを訪れることを嫌がっている。

テロでもなく、武器を持つでもなく、石を投げるでもない。
ただ、居心地のいいゲストハウスをつくるということ。

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パレスチナの現状を打破するには、すごく遠回りかもしれない。
だけど、たしかにそこにはゲストハウスのもつ新しい可能性がある。


【旅 info.】
  Area D hostela_DSC_0505_20140321195112fd8.jpg
ラマラのバスターミナルからすぐ、野菜市場の上に建つビルの最上階。
ビルの下の階には衣料品店や雑貨店が入っている。
部屋はドミトリーやダブルルーム、広いアパートメントタイプなどあり。
長期滞在割引制度あり。
キッチン、Wi-Fiつき。
難民キャンプをまわるツアーなども企画している。
http://ramallahhostel.com

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心から笑える日は来るのだろうか

2014.03.19 06:30|パレスチナ自治区☞EDIT
顔も手もしわくちゃで「おじいちゃん化」が著しいケンゾーです。
体全体に潤いが足りない。
あ~、温泉に浸かりたい!

ナブルスの旧市街にひきつづき、報道カメラマンでもあるエハブにイスラエルの入植地を案内してもらう。
入植地とはパレスチナ自治区内に勝手にイスラエルが住宅地をつくり、イスラエル人たちを住まわせて事実上イスラエルの支配下になってしまったところ。
だからパレスチナ人のエハブは入植地に近づくことさえできないので距離を置いて眺めるだけ。

「パスポートは持ってる?」
エハブに聞かれた。

「持ってるけど、チェックポイントがあるの?」
「たまにイスラエル軍がチェックしてるんだ。
 みんな(外国人)はノープロブレムだけど、僕にはプロブレムだ。」


そう笑いながら言うエハブ。
自分たちの街なのに、イスラエルから不当な扱いを受ける日常。
彼らはいったいいつまでこんな理不尽な状況に甘んじていないといけないんだろう。

タクシーで山の上をめざす。
きょうはイスラエル軍はいないようだ。
無意識にフーッと息が漏れる。

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見晴らしのいい山の上に出た。
500mほど離れた向かいの山の上に真新しい建物が見える。
これがイスラエルのバラケ入植地だ。

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マンションのような4階建ての建物。
1棟に30~40世帯は住めるだろうか。

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この建物はユニット式になっていて工場で作ったものをここに運び、現地で組み上げるだけなので、みるみるうちにでき上がるんだそう。
この10日間のうちに10棟建ったそうだ。

入植地はどんどん増殖していっている。
茶色く段々畑のように整地されているところは建設予定地。

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じわじわと、しかし着実にパレスチナ人の土地を侵食しているイスラエル。
やがて土地だけでなく、パレスチナ人が住んでいる家さえも飲み込んでいく。

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右側の奥にぽつぽつと見えているのはパレスチナ人の住居。
もちろん今現在もパレスチナ人が生活を営んでいる。

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入植予定地は彼らの家のもう目前まで迫っている。
日に日にイスラエルの住居が増えていき、どんどん自分たちの家に近づいてくる。
そして、目の前まで迫ってきたあとは・・・

「ある日突然壊されるんだ。」

こんな酷いことがまかり通っていいの?
軍事力で勝ってたら何をしてもいいってこと?
そもそもパレスチナ自治区内にイスラエルが入植すること自体違法行為なんだよ。
いくら真っ当に聞こえる理由をつけたって、ぜったいにおかしいよ!
ここに住む人たちの心境を思うと胸が苦しくなる。

この入植地に近い山の上には少数派のサマリア教徒のコミュニティがある。
サマリア教はユダヤ教と似通った宗教だそうだけど、古来よりユダヤ人からは異端視され嫌われていたそうだ。

今もサマリア教徒はイスラエルの徴兵制に反対していて、イスラエルからは嫌われている。
むしろサマリア教徒はアラブ語を喋るし学校も同じだし、パレスチナのイスラム教徒たちとうまく共存している。
現在サマリア教徒は800人ほどいるそうで、ここには500人くらいが住んでいる。

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ユダヤ教の聖地はエルサレムだけど、サマリア教の聖地はここナブルスのゲリジム山。
聖地の山は彼らのコミュニティとは目と鼻の先だけれど、イスラエルの管理下に置かれ自由に出入りすることはできない。

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サマリア人の人口は年々減っていて深刻な状況になっているそうだ。

帰りは歩いて市街地へと戻ることに。
ナブルスの街がよく見える。

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パレスチナ自治区では道を歩いていると必ず声をかけられる。
「ハロー!!」
「ウェルカム!!」
「ワッチュアネーム!!」

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暗くなった気持ちがぱっと明るくなる。
パレスチナの人々が、なにより子どもたちが明るいことに救われる。

限られた平地にびっしりと建ち並ぶ家々。
そして山の斜面にどんどん新しいビルが増えている。

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人口も増え続け、発展していっているナブルス。
けれどこの山の向こう側にはイスラエル軍の基地があり、ロケットミサイルがずらりと並んでいるんだそう。

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イラク戦争の際にイスラエル・アメリカ・イギリスがここに駐留し、そのままなし崩し的にイスラエルの基地となり居座っているんだそう。

このあとエハブに難民キャンプも案内してもらうことに。
市街地から5km離れたところにあるアスカル難民キャンプ。

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さっそくかわいい子どもたちが出迎えてくれる。
ほんとにみんな明るいんだよね。

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そんな笑顔があふれるこのキャンプも常に死と隣り合わせの生活を強いられている。
見るたびに胸が締めつけられる亡くなった若者の写真。
いったいいつまでこの悲劇は続くんだろう。

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キャンプで暮らす青年がエハブとともに案内してくれる。
一軒の商店に入った。
「この男性の話を聞いてあげて。」

商店を経営する目の見えない高齢の男性。
うながされて男性の前の椅子に座った。

男性がたんたんと語ったのは、自分の息子が殺された話。
ある夜、イスラエル兵は息子さんを屋上で殺し、その後ほかの人を建物に近づかせないようにした。
息子さんがどういう状態にあるのか分からず、救急隊も建物のなかに入ることができず、息子さんのもとに駆けつけることができたのは次の日の昼。
命を救うにはあまりにも遅すぎだった。

外周わずか1.2kmという狭いスペースに1万4千人が暮らしている。
キャンプの中は迷路のよう。
細い路地が縦横無尽に入り組んでいる。

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この幅30cmくらいの隙間を指差してエハブが言った。
「これは隙間じゃなくて道なんだよ。
 この先に家の入口があるんだ。」


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一瞬冗談かと思った。
火事のときは助け出すことも難しく、深刻な事態になるそうだ。

増え続ける人口、建て増しに建て増しを続けてきたキャンプはもう限界にきている。

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陽の当たらない狭い路地で遊ぶ子どもたち。
ここで生まれ育ったこの子たちにとって、この環境はあたり前のことで異常ではないのかもしれない。

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でも声を大にして言いたい。
パレスチナの日常は異常だ。
いつまで世界はほったらかしにするんだ。

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この子たちから笑顔を奪う権利はイスラエルにはない。
祈ることしかできないことがもどかしい。

今回いっしょにナブルスの街や難民キャンプを見てまわったのは同じ宿に泊まっていた旅行者のカップル。
彼らはスペイン人のカップル。
いや、厳密に言えば彼らはスペイン人ではない。
「どこの国から来たの?」と質問されるたびに彼らは「バスク・カントリー」と答え、みんなに不思議な顔をされていた。

バスク地方はスペインの北東、フランスとの国境にまたがっていて独自の言葉や文化をもち、スペインからの独立を求めている。
バスクの独立を求めて過激派がテロを起こすこともあり、スペイン人から疎まれることも多い。
そんな彼らはパレスチナ人の現状に共感する部分も多いようだった。
カップルの男性のほうは、バスクの新聞記者で帰国したらパレスチナのことを執筆すると話していた。

2人はパレスチナでたくさんの写真を撮っていた。
だけど・・・・・。

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事務所に戻ってパソコンを前に渋い顔。
あさってテルアビブの空港からスペインへと帰る彼女たち。
イスラエルは入国も面倒くさいけれど、それ以上に出国が大変なのだ。

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イスラエルが恐れていること。
それはパレスチナの実情が世界に、そしてイスラエル国民に知れること。
空港からの出国の際、パレスチナを撮影した写真や映像などを持ち出そうとしていないか厳しくチェックされる。
もしも見つかったら写真は消去、場合によってはパソコンを壊されることもある。
パレスチナの写真などはインターネット上のサーバーに避難させるなどの工作が必要。

そもそもこんな検閲行為をすること自体、自分たちに罪の意識があって後ろめたいってことだよね。

2日間ナブルスの街を案内してくれたエハブ。
打ち解けてオフィスで楽しく話していたときのこと。

「エハブは兄弟何人いるの?」
「お兄ちゃんが3人。」
「へえ~、3人もいるんだー。」
「でも、ずっと会ってないんだけどね。」
ごまかすように笑いながら言った。

「なんで?」
「だって、全員イスラエル軍に逮捕されたから。
 今もイスラエルの刑務所で監禁されたままなんだ。」


え?!3人とも刑務所の中?!
とっさにどう返していいか分らなかった。

エハブにしても代表のワディジにしても、優しい笑顔の裏には悲しい過去・現実を抱えている。
いや、彼らだけじゃない。
きっとパレスチナに住むパレスチナ人たちはみな同じような悲しい過去と現実を背負って生きている。

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彼らが心の底から笑える時はいつか来るのだろうか。
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胸が詰まる 楽しくない街歩き

2014.03.18 05:32|パレスチナ自治区☞EDIT
暑さよりも寒さに強いイクエです。
ケンゾーは寒いとテンションが下がってやる気がなくなるんだけど、イクエは暑いとイライラして眠れなくなる。

泊まっているゲストハウス。
猫のせいで鼻水やくしゃみが止まらなくなるし、ソファの上にも糞が落ちてるし、おまけに管理人はそうじができない人で管理人のかわりに片付けなきゃいけない。
それでもここに泊まる理由がある。

それは、宿泊者特典ナブルスツアーに参加できるということ。

この宿はNGOのHSAがやっていて、パレスチナの現状を多くの外国人に知ってもらいたいということでスタッフが無料で街案内をしてくれる。

案内してくれるのはエハブ。
エハブはここで働きはじめてまだ数か月。
でもその前も別のNGOで働いていて、ピエロになって病院を訪問し子どもの入院患者たちを楽しませる活動をしてたんだって。

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エハブは報道カメラマンでもある。
エハブのように本職ではないけれど、イスラエル軍が侵攻してきたときにはカメラマンとなるパレスチナ人たちがいる。
そして撮影したものを海外のメディアに売る。
突然イスラエル軍が襲ってきたときに海外のジャーナリストが現地に行くのは間に合わない。
カメラマンとしての腕は劣るかもしれないけど、それでもここで生活し街の様子を知っているパレスチナ人のほうが、いい写真を撮ることも多い。
エハブが言うには「自分たちのほうが恐れない。だから危ない状況でもどんどん前にいって撮影することができる」と言っていた。

(エハブの撮った写真)
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きょうエハブに案内してもらうのはナブルスの旧市街。
旧市街の入口にはモスクの塔、そしてその横には教会。

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エハブが言った。
「パレスチナではイスラム教徒もキリスト教徒も昔からいっしょに暮らしてるんだ。」

かわいい子どもたちが寄って来た。
学校が終わって、旧市街の家へと帰る途中。

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旧市街の建物は古いものばかりで雰囲気がある。
淡い色の石造りの建物が連なっていて、細い路地が入り組んでいる。

2002年、イスラエル軍はパレスチナ自治区へ大規模な侵攻をおこなった。
戦車やブルドーザーを連ねて街を壊しながら攻め入り、一般の人々を殺害している。
この旧市街も例外ではなかった。

エハブがまわりの建物よりも大きな家の前で足を止めた。

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「これはね、昔の地主のお屋敷だったところ。
イスラエル軍はここを占拠し、屋上から監視し住民たちを攻撃していった。」


壁に10代の青年の写真が飾られているところがあった。

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「この子のお父さんがこの路地でイスラエル軍に銃撃された。
倒れたお父さんのもとにこの子が駆け寄っていったんだ。
助けたいと思って。
そしてこの子もここで撃ち殺された。」


ただ血を流す父親のもとに駆け寄っていった普通の男の子。
なぜ殺されなければならないのか。

「どうして銃撃したのか?」とイスラエル軍に聞いたらなんて答えただろう。
「もしかしたら彼が武器を持ってたかもしれなかったから。」「若い男性だったからもしかしたらテロリストかもしれなかったから。」そんなふうに答えるのだろうか。

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「この場所でもね、次々に男性たちが殺されたんだ。
1人が撃たれ、それを助けようと駆け寄った男性が撃たれ、そしてまた彼らを助けようとした男性が撃たれ・・・。」


子どものころから親しい隣人が、大切な友人が、家族が、血を流して倒れたらー。
とっさに駆け寄る、それは人として自然な行動だ。

男性たちが銃殺された場所で、男の子たちが無邪気な笑顔を見せていた。
ここは子どもたちの遊び場でもある。

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「この広場では子どもたちがたくさん遊んでたんだ。」

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「でも爆弾が投げられて、11人の子どもや母親が亡くなった。」

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イスラエル軍は中に人がいる建物もおかまいなく破壊していった。
武器を持ったイスラエル軍は街を占拠し、生き埋めになった人たちを助けることさえできなかった。

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救急車で駆けつけた救急隊員も狙い撃ちされて殺された。

旧市街は昔から店が建ち並び、人々が暮らし、活気ある場所。
歴史と文化が受け継がれている場所。

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「この辺りには250年前の古い建物が集まっている。
いまのイスラエルが建国されるずっと前から。」


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「だけどイスラエルはそんな建物を狙って破壊したんだ。
歴史的に価値のある古いモスクも壊された。
イスラエルはパレスチナの歴史を壊したがっているんだと思う。」


ユダヤ人にとっては、イスラエルのこの地はユダヤ人が住むべきところ。
でもそこにはユダヤ人が建てたものではない、数百年前に建てられた建造物がある。
ここでパレスチナ人が昔から生活し、文化を築いてきたことを証明するかのような古い建物たち。
そんな建物を破壊して、パレスチナ人の歴史を無かったことにする。


「2002年、イスラエルがこの旧市街を占領したとき、ここに住む人たちは家から出られずに閉じ込められた。
そしてイスラエル軍はそれぞれの建物の上にある貯水タンクを銃撃したんだ。
人々は身動きがとれないなか、水も食料も尽きたんだ。」


(このあとオフィスでこのときのDVDを見せてもらった。
海外のNGOのメンバーが、イスラル軍が闊歩するなか一軒一軒民家をまわり水や食料を配っていた。
今回お世話になっているHSAのワディジも活動に参加していた。
けれど民家に居座っているイスラエル兵に住人との接触を拒まれることも多く、水や食料を渡せないこともあった。)

旧市街のなかにある、石造りの施設。
「このなかには給水システムがあるんだ。
この貯水槽から旧市街の各家庭やお店に水が運ばれる。」


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「イスラエル軍はね、この施設の水に毒を入れたんだ。
それをみんな知らずに飲んで病気になった。
これは戦争犯罪だよ。
もっと問題にされるべきなのに。」


パレスチナの大地にはオリーブの木が茂っている。
オリーブオイルやオリーブ石けんはパレスチナの名産品。
旧市街にあるオリーブ石けんの工場を2つ案内してもらった。

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建物が密集する旧市街のなかに、ぽっかりとスペースのあいた場所があった。
駐車場となっている。

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「ここには大きなオリーブ石けんの工場があったんだ。
でも2002年にイスラエル軍が破壊した。
イスラエル軍の言い分は『この工場には爆弾があるかもしれない、化学物質があるかもしれない』。
ただの石けんの材料しか置いてなかったのに。」


旧市街のオリーブ石けんの工場は以前は36もあったけど、イスラエル軍に破壊されて現在は5工場だけ。

オリーブオイルの会社も、現在は輸出することが難しくなって経営破綻したところもあるのだそう。
なぜならパレスチナ自治区から海外へ運ぶ場合、イスラエル軍のチェックポイントを通らなければならないから。
真夏にオリーブオイルをトラックに詰め込んで、いざチェックポイントを通過しようとするとイスラエル軍に止められる。
「ここからは出られない。別のチェックポイントに行け。」
そう言われてチェックポイントを渡り歩くはめになる。
いざチェックポイントを通過しようとすると何時間も何日も待たされる。
するとオリーブオイルが運ばれるまでに数か月もかかり、品質が劣化したり賞味期限が切れたりして売り物にならなくなる。

そんな被害も含めると、現在もイスラエルの占領は広い範囲で続いている。
パレスチナ人を直接殺すことはしなくても、パレスチナ人が生きることを難しくさせている。

エハブと話しながらオフィスに戻っていると、ふとワディジの話になった。
いつも明るくて笑顔でMr.ビーンみたいなワディジ。

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エハブが言った。
「ワディジも撃たれてるからね。
2002年にイスラエル軍がやってきたとき、足を撃たれたんだ。」


「えっ!
どうして!?」


「イスラエル軍が占領して、住民たちが家から一歩も出られなくなったとき、そんな人たちのためにワディジはみんなにパンを配ってたんだ。
そのとき足を撃たれたんだ。

だからこの当時を撮影したDVDを見るのをワディジは嫌がるんだよ。
この話になると、今でも泣いちゃうんだ。」


そんなことをわたしたちには微塵も見せずに、いつも冗談を言うワディジ。
胸が詰まりそうになる。
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この旅でいちばん散らかっていたゲストハウス

2014.03.17 06:14|パレスチナ自治区☞EDIT
3日間天気が大荒れで宿にこもっていたケンゾーです。
4日振りの青空は気持ちいい!
でも見事に体がなまっちゃったよ。

ケンゾーとイクエがはじめてパレスチナに触れたジェニンの街。
陽気で人懐こい人々の笑顔あふれる日常と、夜ごとやってくるイスラエル軍の襲撃に怯える日常。
はやくもパレスチナの理不尽な現実を目の当たりにすることになった。

パレスチナの問題を深く知りたいと思って、現地で活動するNGOのボランティアに参加しようといくつかの団体に問い合わせていたんだけどタイミングがあわなかったり返事がなかったり。
そして考えたのがカウチサーフィン。
ホストに登録している人のプロフィールを見てNGOで働いている人を探した。
ホームステイさせてもらえれば話が聞けるし、運が良ければ活動に参加できるんじゃないか。

そしてつぎに訪れるナブルスという街に、ひとりの男性が見つかったのだ。
その男性は「Human Supporters Association(HSA)」というNGOの代表。
調べてみると、このHSAはイスラエルによるパレスチナ侵攻によって様々なトラウマを抱えてしまった若者をサポートしている団体だった。

本人は忙しくて家に泊めてもらうことは無理だけど、HSAが運営しているゲストハウスに割引価格で泊めてもらえることに。
HSAの活動も見ることができたらいいんだけど。

お世話になった「シネマ ジェニン」のマネージャーのアイマンともお別れ。
まさかパレスチナ自治区にこんな居心地のいいゲストハウスがあるなんて思ってもいなかった。

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宿の目の前がバスターミナル。
乗合いワゴンのセルビスもここから発着している。
ジェニンからナブルスまで約30km、15シェケル(約450円)。

ナブルス

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パレスチナ人はとても良心的。
セルビスのドライバーがぼったくることはない。
現地人と同じ料金だし、お釣りもちゃんと返してくれる。

雑然とした街を離れると景色は一転、のどかな風景が広がっている。
こうして見る限りでは穏やかで平和な世界。
けれどパレスチナ全域に渡ってイスラエルの入植地がどんどん拡がっていっている。

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今現在でもイスラエルの入植によって家を壊され土地を追われ難民となるパレスチナ人は増えつづけている。
「パレスチナ難民」はなにも過去の話なんかじゃない。
現在進行形の悲劇だ。

ナブルスの街が見えてきた。
山の斜面に建ち並ぶビルやマンション。
ナブルスは人口およそ10万人、ジェニンと比べると大都会だ。

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この街にもいたるところに死亡した若者の写真が張られている。
この青年が亡くなったのは2014年1月20日。
この日は2月8日なのでまだ1か月と経っていない。
どんな亡くなりかたをしたんだろう。
胸がぎゅっと締めつけられる。

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「街についたら電話して」ってカウチサーフィンのメンバーでもありHSA代表のワディジに言われていた。
だけどイスラエル・パレスチナではSIMカードを買っていない。
困っていたら、ボディランゲージであいさつしてくれる陽気な男性がいた。
身振り手振りで「何してるの?」と聞かれたので「友だち待ってるの」と答える。
「きょう泊まることは決めてる?ホテル?」と聞かれたので「友だちのところ」と答える。
もちろん全部、ジェスチャーでの会話。
するとこの男性、自分の耳と口を指して「自分は耳が聞こえなくて話せないんだ」って教えてくれた。
そして「友だちこないね?電話する?」と携帯電話を見せてきた。
(しゃべれないから電話で通話はできないけど、メールができるから携帯をもっていたんだと思う。)

このやりとり、1分くらい。
まさか、こんなにスムーズに会話が成立して自分たちをまっさきに助けてくれたのが、ろうあの人なんて。
これまでの旅でもまったく言葉が通じないところで会話が成立してきたことが何度もあった。
ボディランゲージを駆使して相手の雰囲気や心情を察していけば、コミニュケーションってなんとかなるものだ。

電話を借りてワディジに無事電話することができた。
男性に「ありがとう。さようなら」ってボディランゲージで伝えて男性は立ち去った。

でも10分待っても20分待ってもワディジはやってこない。
するとさっき電話を貸してくれた男性があわてて戻ってきた。
ケンゾーたちを見つけられないワディジが、この男性の電話になんども電話をかけてきたらしい。
だけど男性はしゃべれないから電話にでられない。
あわてて舞い戻って来てくれたのだ。
もう一度男性の電話を借りて、無事にワディジと会うことができた。

ワディジに連れられてやって来たゲストハウス。
忙しいワディジは「夜になったらここを管理しているスタッフがやって来るから」とすぐに帰っていった。

パッと見はよくあるゲストハウスの共有スペース。
だけど何かが違う。
活気がないし、空気が淀んでいる。
そしてなんだか臭うんだよねえ、なんとも言えない臭いが。

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ドミトリーに入って呆然とするケンゾーとイクエ。
なんなん、この散らかりようは!
なんでここにデッキブラシが?!

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ベッドは8つあるんだけど、1つのベッドの周りだけゴミ箱をひっくり返したような散らかりよう。
ロッカーもすべて1人に占領されている。
なんだこれ?空き巣が入ったあと?

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しかも部屋の中はなんかおじさんの香水のような臭いが充満してるし、空いてるベッドもベッドメイキングされてない。

もうひとつドミトリーがあるみたいなので行ってみようと共有スペースの奥のドアを開けると・・・強烈な刺激臭が襲ってきた!
これ、猫のウンコの臭いだ!!
どうなってんのこのゲストハウス!

鼻をつまみながら恐る恐る足を進めていく。
すると臭いの元をいくつも発見。
ソファーやクッションの上にウンコが散乱!

奥にあるドミトリーはさっきの部屋みたいにそこまで散らかってはないんだけど、この鼻がひん曲がりそうなウンコ臭のなか寝るなんてとてもじゃないけど無理だ。

オッサン臭かウンコ臭か?
選択する余地はないけどね。
オッサン臭を我慢するしかないよ。

でも悲劇はこれだけじゃなかったんだよね。
キッチンに入るとふたりで言葉を失ってその場で固まってしまった。
はあ?
なんこれ?
意味が分からん!!

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なにこの汚さ。
そしてなんで猫が鍋に顔を突っ込んでるんだよ!

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お前か!ウンコの主は!
ミャーミャー叫びながら鍋にこびり付いた料理のかすを必死に食べようとしている猫。
怖すぎるよ〜。

それにしてもどうやったらこんなに汚くすることができるんだ?
これ絶対1日や2日分じゃないよ。
どうなってんの?
「終わったあとは片付けます」の張り紙がむなしすぎる。

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「どうする?」
「どうする?って、洗わんとわたしたちが料理できんやろ」
「はあ、なんで俺たちが洗わんといけんのやろ」
「でも洗わんかったらこれを見るたびにずっとストレスを感じる。
 洗ってる間だけがまんすれば。」


仕方なく自分たちが料理できるように食器を洗いはじめるケンゾーとイクエ。
39年間生きてきたなかでこんなに汚いキッチンを見たのははじめてだよ。
まだ猫はミャーミャー鳴きながら鍋をあさってるし、どうなってんだ?
こいつ何日間エサもらってないんだろ?

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こびりついて悪臭を放つ鍋。
コップの底には何かが沈殿して固まっている。
瓶のなかには正体不明の酸っぱい臭いの液体。

「うわぁ!」「なんこれ!!」と連発しながら片付けること50分。
やっとすべての食器を洗い終えた。
スッキリしたキッチン、これで料理が作れる。
割引っていうか、こっちがお金をもらいたいよ。

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このあと宿の管理を任されているNGOの若い男性スタッフが帰ってきたので「どうなってんの?!」と文句を言う。
「きのうスペイン人のゲストがパーティーをして散らかして帰ったんだよ」
って言い訳するスタッフ。
でもそう言ってる彼があの散らかったベッドを使っていることが判明。
スペイン人のせいにしてるけど、たぶんこのスタッフがだらしないんだろう。

猫もやっとエサをもらって落ちついたみたい。
この猫、生まれつき耳が聞こえないんだって。
だから鳴き声が大きかったんだ。

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猫の飼い主は、片付けられない管理人。
ペットショップで猫を見てたら「この猫、耳が聞こえないからタダであげる」って言われて飼うことにしたんだって。
管理人の男性は食器は洗わないくせに、猫はお風呂に入れて丁寧に体を洗ってあげている。

このあと、しばらくするとなんだか目が痒くなってきたんだよね。
そのうち目だけじゃなくて全身が痒くなってきた。
イクエはクシュンクシュンとくしゃみが止まらない。

ケンゾーとイクエだけじゃなくて飼い主まで目を真っ赤にさせてヘーックション!
まさかと思って聞いてみると、猫を指差しながら「うん、アレルギー」だって!
そんなん、猫飼うのしんどいやろう。
ていうか、ケンゾーもイクエも猫アレルギーじゃないのに、この子猫どんだけ強いアレルギー物質を持ってんだよ。
しまいには猫の飼い主に「今日は仕事で帰れないから、猫にエサをあげといて」って言われたからね。
なんでお金払って泊まってるのに猫の世話をせんといかんのかね!

泊まるのも、ここにちょっといることさえも憂鬱になるゲストハウス。
だけど唯一のメリットは、ここに泊まればNGOの活動を見せてもらえたり、街を案内してもらえること。
普通ならすぐにほかの宿に移動するけど、がまんして泊まり続けることにした。

HSAのワディジがオフィスでの朝食に誘ってくれた。
いただいたのは伝統的なパレスチナ(アラブ)メニュー。
HSAのメンバーといっしょに。

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ひよこ豆のコロッケ、ファラフェル。

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これまたひよこ豆のペースト、フームス。
パンにつけて食べる。

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そしてピクルス。

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このピンク色の大根のピクルスは、まんま日本の漬け物だった。

ちなみにHSA代表のワディジは右側の男。
奥さんはフランス人で、奥さんも今はヨルダンのNGOで働いていて別居中。
ちょうどこの次の日、ヨルダンに会いに行くといってウキウキしていた。
ちょっとMr.ビーンに似てない?
左はスタッフのエハブ。

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HSAの活動の一環として、ツーリストやボランティアで滞在している外国人と地元の大学生との交流を目的とした語学教室を毎週金曜日に開催している。
行なわれているのは英語やスペイン語、ドイツ語など。
日本語は教える人がいないんだって。
今回特別にアラビア語教室が開催されたのでアラビア語に挑戦。

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まずはアラビア語のアルファベットの発音から。
いちばん最初のとっかかりなんだけど、これが難しい。
カタカナで書くと同じなんだけど発音が違うのが複数ある。
この発音がどれも微妙に違うらしい。
日本語にはない発音がたくさんあってハードルが高過ぎ。
巻き舌ができないケンゾーは笑われてばっかだった。

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集まっていた地元の大学生はみな流暢な英語を喋る。
大学生だけじゃなくて、パレスチナの人たちは予想以上に英語が喋れるんだよね。
自分もだけど、なんで日本人は英語が喋れないんだろうね。
ほとんどの人は6年間は勉強してるはずなのにね。
もちろん本人の努力は必要だけど、教え方も考えないといけないんじゃないかなあ。
ぜんぜん実践的じゃないもんね。

あしたはスタッフのエハブに案内してもらったナブルスの街をお伝えします。
ここナブルスも悲しい過去と厳しい現実抜きには語れない街です。
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ジェニン難民キャンプ 異常な日常

2014.03.16 05:35|パレスチナ自治区☞EDIT
寒すぎてスーパーに行く以外は外出せず3日間宿でぐうたらしていて、下着以外服を替えてないイクエです。
現在地ヨルダン「ひょう」が降っています。

ジェニンの夜が明けた。
夜ずっと銃声と爆発音のようなものが響いていた。
あれはなんだったのだろう。

宿の屋上から街を見ると、何事もなかったかのように日常が流れていた。
銃声のようなものはあちらの難民キェンプの方角から聞こえていた。

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宿のマネージャーのアイマンに聞いた。

「きのう夜にバババババンって銃声のようなものが聞こえたんだけど。」

アイマンは顔を曇らせてうつむいた。

「うん、毎晩だよ。」

「毎晩って?」

「夜になるとイスラエル兵が難民キャンプにやってくるんだ。
 そして銃撃してパレスチナ人を捕まえて夜が明ける前に帰っていく。」


「え!? どうして?
 そもそもここはパレスチナ自治区。
 勝手にイスラエル兵がやってくるのは違法なはずだよね。」


「彼らにはそんなの関係ないから。」

「それに対してパレスチナ軍は何もしないの?」

「うん、できないよ。」

イスラエル軍は夜になるとジープ5台くらいでキャンプに乗り込み、家を銃撃する。
そして「テロリスト」や「イスラエルに反撃した」などと適当な理由をつけて難民キャンプの男性たちを逮捕していくのだという。

こんなことがまだ行なわれているというのに、どうして国際社会はイスラエルを非難しないのだろう。

イスラエルが毎晩やっている行為は、いじめとしか思えない。

兵士たちがうっぷんばらしにやっているのか。
パレスチナ人の安眠を妨げ、プレッシャーをかけてここから出て行かせたいのか。
パレスチナ人が反撃するのを期待してパレスチナ人を挑発し、反撃されたらそれを口実に徹底的にパレスチナを攻撃しパレスチナを負けさせて領土をとりたいのか。

毎晩イスラエル軍の攻撃に怯えなければならない難民キャンプ。
どんなところなのだろう。

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パレスチナ人の顔写真のついたポスターが、キャンプ内の壁に貼られている。
これはイスラエル軍に殺された人たちのポスター。
まるでヒーローのよう。
若い青年の写真も目立つ。

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ジェニンの難民キャンプは1km四方。
ここで1万5千人を超す人たちが生活している。

結婚して、子どもを生んで。
キャンプの人口はどんどん増えていき、狭い場所に新たな家を建てたり増築したり。

だから家が密集している。
細い路地が建物の間を縫うように通っていて迷路のようになっている。

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難民キャンプは子どもたちであふれていた。
人懐っこくて、外国人のわたしたちを見つけると寄ってくる。

「What's your name?」
「Welcome to Palestine!」


得意げに話しかける子もいれば、恥ずかしげに友だちの後ろから話しかける子もいる。

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「外国人が歩いている」とうわさを聞きつけたり、家の窓からイクエとケンゾーの姿を見つけて駆け寄ってくる子どもたち。
「写真撮って!」と言ってくる。

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あれ? 後ろから同じような子が。

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かわいいねえ。

子どもだけではない。
難民キャンプで生活し、キャンプ内に店を構える人たちが店の中や外からこちらを見てにっこりほほえむ。

雑貨屋さんも野菜屋さんも床屋さんも服屋さんも・・・。

手招きして「お茶でもいれようか」と言ってくれる。

このお店でも手招きされた。

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パレスチナのサンドイッチ、ファラフェルのお店。
豆をつぶして揚げたコロッケみたいなものと野菜が入っている。

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ごちそうしてくれた。
おいしい~!

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てくてく歩いていくと男の子たちが集まっている場所があった。
「come come!!」

インターネットのゲームセンター。

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どんどん男の子たちが集まってくる。

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ゲームに興じている男の子たち。
でもそのゲームがやけにリアルだった。

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入り組んだ路地の建物に潜む。
向かってくる敵を銃撃していく。

日本の子どもたちにとっては単なる空想の世界のゲームだけど、この子たちにとってはこんな現実をこの目で見てきている。

家族や友だちをイスラル軍から撃ち殺された経験をもっている子もいるだろうし、将来は銃でイスラエル軍をやっつけたいと思っている子もいるだろう。

日本の子どもたちにとってはただのゲームの世界が、この子たちにはリアルな世界なのだ。

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難民キャンプを歩くと、いたるところに銃弾の跡がある。

かわいくて元気な子どもたちに囲まれて、優しい笑顔の大人たちに「ウェルカム」と言われて、こころはあたたかくなる。
だけどそのいっぽう、目の前の人たちがイスラエル軍に日常を壊されていることを想うと、その理不尽な現状に納得できず胸がざわつく。

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家の屋上にいた2人の青年が、通りを歩いているわたしたちを発見し大声で呼び止めた。

家に入ってきてって言ってるようだった。
にぎやかな兄弟。

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どろっとしていて濃い味が特徴のアラビアンコーヒーをいただく。
姉妹もいるそうだけど、いま家にいるのは男兄弟ばかり。
そんなにぎやかな子どもたちのお母さんは、笑い上戸の陽気な女性。

子どもたちやわたしたちが何か話すたびに手を叩いて大笑い。
それにつられてみんなも笑う。
お母さんは何がそんなにおかしいのかわからないけど、手を叩いて笑う。
部屋には笑い声が絶えない。
お母さんがこの家を明るくしている。

「ほんとに明るいお母さんだね。」
「お母さん、おもしろいね。」

ケンゾーと笑いながら言いあった。

家の中を見せてもらった。

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1階は居間と台所、2階は子ども部屋と寝室、そして屋上。
屋上には鳩小屋があった。

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この鳩、育てて食べるんだって。

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屋上の壁には気になる跡があった。

「あれも銃痕かな。」
「え、違うやろ。」

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「うん、銃弾の跡だよ。」

兄弟たちが普通の顔をして答えた。

「そこの向かいの建物にイスラエル軍が上ってきて、あの窓からこっちを狙って撃つんだ。
だからこっちだって撃ち返す。」


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ここに住むパレスチナ人も何人かは自衛のための銃をもっているようだった。

「だからイスラエル軍はお兄ちゃんを逮捕したいんだよ。」
下の子がちょっと自慢げに言った。

それにしてもこんな至近距離で銃撃戦をやるなんて。

相手は防弾チョッキを着て最新の武器をもち、完全武装している。
こっちは訓練も何もしてない一般人。
たとえ銃をもっていたって、話にならない。
リスクがありすぎる。
そんな危ないことしてほしくない。

上のお兄ちゃんは21歳とは思えないほど、落ちついていて何か達観しているような感じだ。
いざというとき、命を失う覚悟もできているのかもしれない。

イスラエル軍と銃撃戦をするというお兄ちゃんに聞いた。

「あなたが兄弟で一番上? 長男だっけ?」

「ちがうよ。」

「じゃあ、一番上のお兄ちゃんは?」

「死んだよ。
 イスラエル軍に殺されて。」


とても衝撃的なことを兄弟たちはさらりと言った。

「だったら反撃なんて死ぬかもしれないこと、やらないで」心ではそう思った。

でも兄弟たちがイスラエルを相手に自分の命を顧みずに反撃することを、簡単にはやめさせられない。
だって大切な家族が殺されているから。

そして毎晩のようにイスラエル軍が難民キャンプに乗り込み、一方的に襲撃する。
その悔しさをどこにぶつけたらいい?

それをそのまま何もせずに我慢しておけとは言えない。

そして思った。
すぐに大笑いする明るいお母さんのことを。
とても切なくなった。

自分の息子が殺されて、そしてほかの息子たちもいつ殺されるかもわからない不安と恐怖。
だけど母としてお兄ちゃんを殺された息子たちの悲しみと悔しさも痛いほどわかる。
だから子どもたちに「危ないことをしないで」とも言えない。

ただ母としてできることは、そんな不安な気持ちを表に出さずにできるだけ陽気にふるまい楽しく明るい家庭にすること。

「ジェニンに泊まってるんだったら、ホテルじゃなくてきょうここに泊まっていったら?」と家族に誘われた。

ありがたいお誘いだったけど、いったんお断りして「またあしたも来るので!」と言って家を出た。

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難民キャンプは、ここに住む人たちの日常生活の場。
だけど、やっぱりここは異常な場所なのだ。

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果物屋さんの上に、命を落とした青年たちの顔写真が並ぶ。

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「あした、あの家にホームステイさせてもらう?」
「うーん、どうしようか・・・。」

こんなとき、いままでわたしたちは迷わずお宅におじゃますることを選んでいた。
だけど今回はそうはいかない。
昨夜聞いた銃声と爆発音がよみがえる。

「今夜もイスラエル軍がやってくるかな。
 たぶん、あそこに泊まらせてもらったら怖くて寝られんと思う。」

「うん、たぶんイクエは眠れんやろうね。」
「もし夜中にイスラエル軍があの家に入ってきたらなんて言う?
 『ジャパニーズ!』って叫んだら殺さずにいてくれると思う?」


そんな保証はなかった。
そもそもイスラエルは外国人がパレスチナ自治区に入ることさえ嫌っている。
入国のときに「パレスチナに行きます」なんて言ったら、簡単には入国を認めてくれないし、イスラエルを出国するときもパレスチナで撮った写真が見つかれば消され、長時間拘束される。
外国にパレスチナの実状が知れ渡るのをイスラエルは恐れている。
だからジェニンの難民キャンプにホームステイなんてしてるわたしたちはイスラエルにとってはじゃまでしかないはずだ。

「泊まらせてもらうのはやめよう。
 ゲストハウスに戻ろう。」


ゲストハウスに戻ると、ボランティアに来ているオーストリアの女の子が溜め息をついていた。

「どうしたの?」
「オーストリアの大使館から連絡が入った。
イスラエルがパレスチナに通じる道路を爆破したので、危ないからすぐにパレスチナ自治区を出るようにって。
あした大使館から車をそっちに派遣するからそれに乗ってパレスチナ自治区を脱出するようにって。」

イスラエルが爆破したという道路はここからは遠い自治区の南のほうで、エルサレムに近い場所だった。

「でもここからかなり距離があるし、夜に難民キャンプが襲撃されること以外は安全な場所だよ。
で、どうするの?」

「もちろん、ここからまだ離れるつもりはないって断った。
きっとイスラエル政府がオーストリア大使館に指示を出したんだよ。
外国人にパレスチナでボランティアしてほしくないから。」


「でも、イスラエルはどうしてあなたがパレスチナにいるって把握してるの?」
「イスラエルは強力なコンピュータシステムをもってるんだよ。
ハッキングにも対応できるし、逆にハッキングもしている。
わたしがここにいるのはすぐにバレるよ。」


彼女は1年前にもパレスチナにボランティアで訪れていて、そのときから目をつけられているらしい。
彼女はオーストリアに住んでいるけど、母親はトルコ人でトルコ国籍ももっている。
同じようにトルコ大使館からも連絡がきていた。

宿にはドイツ人の2人組の女の子も滞在していた。
その子たちにもドイツ大使館から同じように連絡がきたらしい。

(ほかの国の大使館は、フォローがしっかりしていると思った。
日本だと海外渡航情報で「渡航の延期をお勧めします」とか「渡航の是非を検討してください」などと警告はするけど、その後のケアはあまりない。
しかも万が一何か起こったら「警告を無視して危ないところに行くのが悪い」「政府に迷惑をかけて」とバッシングを受けることもある。
いっぽうほかの国の政府は外国に行きたいという国民の意志を尊重し、なおかつ何か起きたらしっかりフォローをする。
そして万が一危ない国で被害にあった人がいたら世論はその人に同情するけどバッシングなんてしない。
この価値観は日本とはだいぶ違うと思った。)

結局みんな大使館からの要請を断り、出て行くことはしなかった。

その夜、イスラエルの襲撃はいつにも増して激しかった。
イスラエルはこのことが外国人に知られたくなかったのかもしれない。

パン パン パン!
バババババン
ドォーン


立て続けに銃声や爆発音がする。

きょう難民キャンプで出会った人たちは無事なんだろうか。
気になってしょうがない。

ドミトリーは男女別でケンゾーは隣の部屋で寝ていた。
同室の他の女の子を起こさないように、ベッドを抜け出し1人で屋上へと上がった。

ここから難民キャンプまでは1キロも離れていない。
屋上からはキャンプが見える。

屋上には先客がいた。

ケンゾーだった。

音だけが聞こえて、キャンプから火の手が上がっている様子はない。
銃声や爆発音から、パレスチナ側は反撃しておらず、一方的にイスラエル側が襲撃しているのがわかった。



銃声に混じって、気が狂ったような男たちの雄叫びや笑い声が聞こえる。

まるでゲームでも楽しむかのように、意気揚々と襲撃する若いイスラエル兵たちの姿が目に浮かんだ。
そして、そんなイスラエル軍が去るのをただ布団にくるまって耐え続けるパレスチナ人たちの姿も想像できた。

「きょう、あの家に泊まってたらどうなってただろうね。」
「・・・うん。」

別の方角から車が近づいてくるのがわかった。
数台の車が猛スピードで下の道を走り抜けた。

a_DSC_0130_20140315182046aa3.jpg

パレスチナ軍の車だった。
キャンプのほうに向かっている。

a_DSC_0134_20140315182047fb8.jpg

でもパレスチナ軍は反撃をしない。
とういうか、できない。
反撃をしたら、完全武装のイスラエル軍はこれがチャンスとばかりにもっと激しい攻撃をするだろう。
イスラエル軍の挑発にのってはいけない。
きっとパレスチナ軍は難民キャンプをバンでまわり、イスラエル軍をけん制することしかできない。

銃声は続く。
でもこのパレスチナの街は沈黙を守りつづけている。
銃声と雄叫びに、眠りを邪魔された鶏だけが鳴いている。

どうして?

空には星が出ていた。
そこだけはきれいだった。

でも生まれて初めて、星が恨めしいと思った。
こんなときに、なんで星だけがいつもとかわりなくのんきに輝いてるんだろうとイライラする。
静かに、まるで何事もないかのように瞬いている星に違和感を感じた。

外はものすごく寒くて、毛布にくるまりながらキャンプの方角を見つめていた。
体が震える。
寒さで震えているのか、それとも目の前の現実に震えているのか自分でもわからなかった。

辺りが静かになった。
それぞれベッドに戻った。

朝が来て、街はいつも通りだった。
難民キャンプに行って、きのうおじゃました家に行くときのうと同じようにみんなが笑顔で迎えてくれた。
ほっとした。

「きのうの夜、襲撃ひどかったでしょ。」
「うん、うん。」

特別なことではないかのような反応。

どうか、死なないでほしい。
こころからそう思って、みんなに笑顔で別れを告げた。

a_DSC_0148_20140315025657a9e.jpg

「普通なら、あんなに襲撃されるのに『うちに泊まりにおいで』なんて誘えんよね。
でも、あの人たちにとってはそれが日常だからなんのためらいもなく『おいで』って言えるんだろうね。」


ケンゾーが言った。

でもそんな襲撃が日常になってはいけない。

どうして世界はなんにもしてあげないのだろう。

パレスチナにいると歯がゆい気持ちでいっぱいになる。
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イスラエル軍のジェニン侵攻は続いている

2014.03.15 06:21|パレスチナ自治区☞EDIT
きょうキッコーマンの醤油を買ったイクエです。
外国ではキッコーマン以外の外国メーカーの醤油が安いんだけど、いざそういう醤油を使ってみると「え!?これ本当に醤油?何からできてるの?」って味に幻滅することもしばしば。
やっぱりキッコーマンが間違いないんだよね。

イクエとケンゾーにとってはじめてのパレスチナ自治区の街、ジェニン。

国際的には「パレスチナ」は正式な国家として承認されていない。
だからパレスチナを旅行するとき、わたしたちのパスポートにパレスチナの入国スタンプが押されることはない。
そのかわり「パレスチナ」を旅行するなら、イスラエルに入国する必要がある。
なぜならパレスチナはイスラエルのなかに存在しているから。

パレスチナ1

だけど、この街に来て思った。

ここはイスラエルとはまったく異なる、独立した「国」なのだと。

イスラエルとは言語も宗教も文化も、人々の顔つきも違う。
街の雰囲気もがらりと異なる。
ヨーロッパのどこかの国からアラブの国にやって来たのと同じくらいの変わりよう。

それなのになぜパレスチナは「国」ではなく「自治区」なのか。
ごくごく簡単に説明すると・・・。
(複雑な歴史や各国の思惑が絡んでいるので、単純化して説明するのは無理があるのを承知で書きます。)

今から70年前まではいまのイスラエルとパレスチナ自治区の広範囲にパレスチナ人が住み、自分たちの生活をしていた。

しかし1948年、ユダヤ人たちがこの場所にイスラエルを建国した。

なぜパレスチナ人たちが暮らしていた場所に、わざわざイスラエルを建国したのか。

ユダヤ人とはその名の通りユダヤ教を信仰する人たち。
もともとユダヤ教は今のイスラエルの場所で発祥し、紀元前1000年ごろにはここにユダヤ人たちが暮らしイスラエル王国がつくられていた。
けれどまわりの国が攻め入り、西暦130年ごろにはユダヤ人の国は滅亡。
彼らはほかの国へとばらばらに避難し、それから自分たちの国をもつことがなかった。

ヨーロッパなどの各地で暮らしていたユダヤ人。
少数派として暮らしている国で差別を受けたり、ナチスドイツからは虐殺もされた。

そんななかユダヤ人たちから「シオニズム運動」と呼ばれる動きが起こった。
「自分たちの国家を建設しよう!
 自分たちのもともとのふるさとはパレスチナにあるイスラエルの地だ!」

そして1948年にイスラエルが建国された。

ヨーロッパやロシア、アメリカなどで暮らしていたユダヤ人たちがイスラエルに集結しイスラエル国民となった。

だけどここにはイスラエル王国が滅亡してから2000年間生活を営んできたパレスチナ人たちがいる。

そこでイスラエルが建国されるとき、国連では56.5パーセントの土地をユダヤ国家(イスラエル)、43.5パーセントをアラブ人の国家(パレスチナ自治区)と決めた。
人口ではこのときパレスチナ人のほうが3倍も多かったのに、ユダヤ人の国土のほうが広くなった。

けれどそれに飽き足らずイスラエルはどんどんパレスチナの土地に侵入し、国土を広げていっている。

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(緑の部分がイスラエルの支配が及ばないパレスチナ地域)

現実味のない話だけど、日本に当てはめてみるとしたらー。

「弥生時代のころ日本にはXX王国があった。
XX王国は2000年前に滅びたけれど、いま世界中にXX人が散らばって生活している。
だからこれからXX人が日本に引っ越してXX王国をふたたび日本につくります。」

そう言われて日本の国土の半分以上を奪われ、そこに住んでいた日本人が追い出されるようなもの。
日本人にしてみれば到底納得できないけれど、力をもったアメリカやイギリス、それに国連までXX王国の建国を認めたらなす術がない。

泊まっているゲストハウスのアイマンがジェニンの街を見下ろす高台に案内してくれた。

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「あそこに丸い屋根のモスクが見えるよね。
そこを境にして向こう側にビルのようなものが建ち並んでいる。
そして手前側に低い建物が密集している。
その低い建物が密集しているところが難民キャンプなんだ。」

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「難民キャンプ」と聞いて、思い浮かべるもの。

何もない空き地のような場所にたくさんのテントが建ち並んでいるところ。
人々が命からがら逃げてきて、とりあえず身を休めることができる簡易の宿泊施設。

パレスチナの難民キャンプはそうじゃなかった。
コンクリートの家が建ち並び、難民キャンプ内にお店や食堂もたくさんあって街のようになっている。

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「なあんだ、パレスチナの難民キャンプって劣悪な環境じゃないんだ。
難民っていっても、みんな家をもってふつうに生活してるじゃん。」

そんなふうに思うかもしれない。

だけどこれこそが悲劇なのだと思う。

この難民キャンプに住む人たちは、イスラエルが建国された1948年以降イスラエル側に自分たちの家や土地を奪われ難民となり、ここに逃げてきた人たち。

最初は、ここはわずかな間だけ身を寄せる場所のはずだった。
「すぐに、帰れるだろう」そう思って、ここで避難生活をしていた。
だけど10年経っても20年経っても帰れない。

仮の住まいがコンクリートの家へと変わっていった。
「きっとそのうち帰れるはず」。
30年が経ち、ついには60年も経ってしまった。

難民キャンプは、いまや住宅密集地のようになってしまった。
故郷に帰る夢が叶わずここで亡くなった人たちも多い。
この難民キャンプで生まれ祖父母や両親の故郷を知らずにここで育っている子どもたちもいる。

そしてこの場所が一般的な「難民キャンプ」とは違う点がもうひとつある。

故郷を追われ、命からがらやってきた人たちがたどり着く難民キャンプは、敵からの攻撃の心配がない安全な場所にあるべきはずだ。
けれどこの難民キャンプにもイスラエル兵が侵攻し、キャンプを破壊し、そしてパレスチナ人を殺している。

アイマンが言った。
「2002年にはイスラエル軍のタンクやブルドーザーがやってきて次々に家を破壊していった。
そしてここに住む一般の人たちが殺されていった。」


ジェニンの虐殺。

2002年の4月、イスラエル軍はパレスチナ各地に侵攻し街を破壊し市民を殺害した。
そのなかでもジェニンはとくにすさまじかったことは、その当時日本で聞いていた。

イスラエル側とパレスチナ側で主張する犠牲者の数は異なるけれど、ジェニンでは少なくともこのときだけで50人から60人が軍用ブルドーザーで下敷きにされたり銃撃されたりして亡くなった。

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そのときからきょうまでにジェニンの街と周辺の村でイスラエル軍に殺害された人たちは、600人とも言われている。

そして今も夜中になるとイスラエル兵たちがやってきて、キャンプを銃撃している。

2002年当初はジェニンの惨状を日本で知るにつけ、心が重くなっていた。
だけどそれから10年以上が経ち、ジェニンのことを耳にすることもなくなったし、ジェニンのことを忘れてさえもいた。

だけどイスラエル軍の攻撃は今でも続いている。
そして今でもパレスチナ人が殺されている。

完全武装でやってくるイスラエル軍に対し、キャンプに住む若い青年たちが反撃することもある。
でもパレスチナ人は銃をもっているだけで、「テロリスト」と見なされその場で撃ち殺される。

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キャンプに面した場所にある墓地。
隙間がないほどお墓が並んでいる。
穴が掘られたままの場所を見ると、新たな死者を待ち受けているようで胸が騒ぐ。

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パレスチナにきて意外だったことがある。
それはパレスチナ軍やパレスチナ兵をほとんど見かけないということ。

イスラエルでは大きな銃を肩にぶら下げたイスラエル兵が街の中をうろうろしていた。
一日に数十人は見る。

臨戦態勢だったイスラエル。
だから当然パレスチナも、と思っていた。

だけどパレスチナの街では交通整理をしている警察官を見るくらい。

街を歩いていて、やっと兵士を見つけた。

a_DSC_0193_2014031419245565d.jpg

ほかのパレスチナ人と同じように「ウェルカム トゥー パレスタイン!」。
5人組の兵士たちは道端で紅茶を飲んでくつろいだあと、車に乗り込んだ。

車は軍用とは言えないふつうのバンのようなものだった。

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戦場になっているのはイスラエルではなくパレスチナ。
だけど軍の武装や監視体制はイスラエルのほうがものものしく、パレスチナのほうが平和な日常の時間が流れている。

「パレスチナ」といって思い浮かべるもの。

荒涼とした大地に、木造のほったて小屋のような家がぽつんぽつんとあって人々が昔ながらの素朴な生活をしている。
そして、そんななか武装したテロリストたちが隠れ家に集まっては軍事作戦を立てている。

そんな貧相なイメージと実際のパレスチナはかけ離れている。

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活気があって建物が建ち並び、乗用車やタクシーやバスが道を走り、巨大な広告看板が立つ。

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イスラエルが攻撃しているのは、荒涼とした大地ではない。
建物が密集し、人々が行き交い、賑やかで、街をうろついている軍隊もいなければ、危険なテロリストに遭遇することもない、日本の街と変わらないような街を攻撃しているのだ。

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アイマンに聞いた。
「イスラエルが毎日のようにやってきて銃撃するのに、パレスチナ軍は反撃しないの?」
「できないよ。
それはできないんだ。
イスラエルがそれを許さない。」

「イスラエルが襲ってきてもパレスチナ軍は何もしないの?」
「何もできないよ。」

アメリカからの援助もあり最新兵器で完全武装しているイスラエル。
イスラエルとパレスチナでは圧倒的な軍事力の差がある。
パレスチナがイスラエルに対抗すれば、すさまじい反撃を受けることになる。

現在停戦合意しているはずなのに、力にものを言わせて攻撃しているイスラエル。
こんな不条理があるだろうか。

ジェニンの街に、ブリキでできたような馬のオブジェがある。

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ジェニンの惨状を記憶し、平和への望みをこめてつくられたもの。
オブジェは鉄板を継ぎはぎしてつくられている。
そのなかにAMBULANCE(救急車)の文字。

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アイマンが言った。
「助けに出ていた救急車までもイスラエルは攻撃した。
 これは破壊された救急車の破片でつくったもの。」


友だちや家族が殺され、そしてまた今もイスラエル軍の攻撃を受けているジェニン。
それでも、驚くほど街の人たちは温かく、明るくふるまっている。
強さを感じる。

街を案内してくれるアイマンはゲストハウスのマネージャーでもあり、NGOのスタッフでもある。
泊まっているゲストハウスの名前は「シネマ ジェニン ゲストハウス」。
なぜ、シネマなのか。

「映画館のなくなったジェニンの街に映画館を復活させよう。
 映画館があれば、ここで暮らす人たちの楽しみも増える。
 街がもっと明るく、賑やかになるんじゃないか。」

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このNGOはそんな思いからつくられた。

海外からの寄付金やボランティアのサポートを受け、街に映画館が復活した。

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映画館では、映画を上映する以外にもジェニンの子どもたちを集めて演劇や歌、ダンスの教室を開いている。

子どもたちが楽しめる場所、自分の才能を見いだす場所、生き甲斐を感じる場所。
こんな場所があるからこそ、子どもたちはこんな虐げられた環境のなかでもどうにかまっすぐに生きていける。

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シネマジェニンでは、教室の先生をしてくれるボランティアを募集している。
ボランティアは無料でゲストハウスに宿泊できるというシステム。
わたしたちみたいに泊まるだけの人は宿泊費を払い、その一部が団体の運営費にあてられる。

ちょうどわたしたちがいたときは、オーストリアから来ていた20代の女の子がボランティアに来ていた。

この日練習していたのは、パレスチナのダンス。
公演に向けて真剣な表情で練習していた。

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映画館だけではない。
ジェニンにはもうひとつ別の団体が運営する「フリーダムシアター」という劇場がある。
ここでも演劇や映画作りを地元の子どもたちが無料で学び、披露している。

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ここでは、フリーダムシアターの活動を紹介するDVDを見せてもらい、スタッフからジェニンの被害や現状について話を聞かせてもらった。

イスラエルでは穏やかな日々を過ごしていたけど、パレスチナに来てたくさんのあたたかい人たちに出会い話を聞き、現実を目の当たりにして、いろんな思いが胸に迫ってきて落ちつかない。

ゲストハウスに戻り、ベッドに横になる。
寝付けない夜。
ようやくウトウトしてきたそのときー。

バンバババババババン

銃声!?
まさか。

ドオ~ン

何かが爆発するような音。

1、2分ほどしてその異様な音は止んだ。

だけどまた2時間ほどしてまた始まった。

バババン
ドン ドン
バババババババ


もしかしてイスラエル兵が侵攻してきてるのだろうか。

その音は数時間おきに聞こえてくる。

そんなはずない。
でも、やっぱりこれは銃声と爆弾の音なんじゃないか。

安眠なんてかなわないジェニンの夜だった。

【旅 info.】
  ジェニンa_DSC_0833_20140314194845eca.jpg
「シネマジェニン」
ドミトリー1泊75シェケル。
アイマン氏が無料で街を見下ろす丘まで案内してくれることも。
http://www.cinemajenin.org/new/

「フリーダムシアター」
パレスチナ人による演劇公演を定期的にやっている。
難民キャンプでのホームステイも有料であっせんしている。
http://www.thefreedomtheatre.org
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パレスチナには笑顔があふれていた

2014.03.14 06:13|パレスチナ自治区☞EDIT
「なんか、どんどん目が小さくなっていきよるよね?」と妻に言われたケンゾーです。
歳をとるとともに目が小さくなる?!そんなことある?!
いちおうチャームポイントのつもりやったんやけどなあ。

パレスチナ自治区のなかでもベツレヘムやヘブロンの情報はたくさんあるけれど、その他の街の情報はほとんど手に入らない。
自治区の北部にある街、ジェニンもそう。

ジェニン

ネットで見つけた「Jenin Guest House」に連絡をとり、ナザレからジェニンへの行き方を教えてもらった。
ミニバスをイスラエルとパレスチナ自治区のボーダーで乗り換えないといけないそうだけど、なにも特別なことではなく、外国人でもふつうに訪れることができるそう。

ナザレで泊まっている宿のスタッフに「ジェニンに行きたいからシェルート(乗合いワゴン)乗り場を教えてほしい」と聞くと、「ジェニン?パレスチナ自治区?」と訝られることも驚かれることも一切なく、観光地に行くかのように「OK、ここよ」とごくふつうに教えてくれた。

みなさんは「パレスチナ」と聞くと、どういうイメージを抱くだろうか?
テロリスト、自爆テロ、パレスチナ難民・・・。
きっと程度の差こそあれ、ネガティブなイメージしか思い浮かばないんじゃないかな。

イスラエルとパレスチナ、どちらが良いのか悪いのか、どちらが加害者でどちらが被害者なのかという問題は横に置いとくとして、パレスチナ人がイスラエル兵によって殺され、それに対しパレスチナ人が自爆で報復する・・・。
そんな負の連鎖がいま現在でも起きていることは揺るぎのない事実。

いよいよパレスチナ自治区、それもほとんど情報のないエリアに入るということで緊張していたんだけど、あまりにもふつうな感じでちょっと肩透かしを食らった気分。
いったいパレスチナ自治区とはどんなところなんだろう?
そして、パレスチナ人はどんな人たちなのか?
しっかりとこの目で見て、耳で聞いて、体全体で感じないと。


スーク(旧市街の市場)を通ってシェルート乗り場へ。

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イスラエルのシェルートはパレスチナ自治区内に入ることはできない。
ボーダーの手前で降ろされるので、ボーダーを徒歩で超えてからパレスチナのセルビス(乗合いワゴン)に乗り換える必要がある。

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ちなみに、イスラエルのタクシーなどの営業車は黄色、パレスチナ自治区は緑のナンバープレート。

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ナザレからジェニン手前のボーダーまでおよそ30分、20シェケル(約600円)。
車窓の外に広がるのはのどかな田園地帯や、桜そっくりに咲き誇るアーモンドの木々。
毎日のように血が流れているエリアに近づいていっている気がまったくしない。

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ボーダーが見えてきた。
「どこに行くのか?」「何のために行くのか?」など執拗に聞かれるのかな。
荷物チェックも厳しいのかなあ。
あ〜緊張する。

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すべての荷物を持ってボーダーへ。

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横にある車両用のゲートをチラ見すると銃を持ったイスラエル兵が。

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完全に隔離された通路。
頭上には監視カメラ。
まったく違う国に入るって考えると、まあふつうの国境越え。

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でも、張り巡らされたフェンスや監視塔を見ていると、なんだか胸がざらつくような感覚になる。
「イスラエルはそんなにパレスチナを恐れているのか?」という気もするし、「あえてこうすることで『パレスチナは危険なんだ』とアピールしているのか?」と思ったりもする。

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緊張しながら回転ゲートをくぐる。
その先には、もう何もなかった。
あれ?!終わり?!

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あっけなくパレスチナ自治区に入っちゃったよ。
荷物チェックもパスポート提示もなし。
だって無人だもん。

パレスチナ自治区は入るのは簡単で出るのが大変なのかな。
ちょっと拍子抜けしてしまった。

ふつうの国境は越える前と越えた後、それぞれの軍や警察、入管の係官などがいるものだけど、パレスチナ自治区側には誰もいない。

今度はアラブのセルビスに乗ってジェニンを目指す。
ボーダーを越えた先にタクシーしかいなくても、しばらく待ってるとセルビスがやって来る。
運賃は2.5シェケル(約75円)。
同じゲストハウスを目指していたドイツ人たちといっしょに行くことに。

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壁のこちら側ものどかな景色が広がっている。
でもイスラエルに比べて道路の幅が狭くクネクネになった。

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およそ4万人のパレスチナ人が住むジェニンの街が見えてきた。
クラクションが鳴り響き、雑多な街並みが目に飛び込んでくる。
ああ〜、なんかホッとする。
いままで慣れ親しんできたムスリムの街だ。

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イクエは「なんかテンションが上がる!ワクワクするね!」と言った。
パレスチナ自治区、それもイスラエルによる虐殺があった場所なので、もっと暗いイメージをもっていた。
こんなにも活気があって生き生きしている街なんて思ってもなかった。

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セルビスを降りた瞬間「Welcome to Palestine!!」
すれ違いざま、店の中から、車の中から・・・。
「Welcome!」「Hello!」「What 's your name!」
5mおきに声がかかる。

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みんな満面の笑顔。
緊張感はあっという間になくなった。
「ハロー!」「アイム、ケンゾー!」「イクエ!」
ケンゾーとイクエも笑顔で叫ぶ。

ゲストハウスにたどり着くまでのわずか10分間。
顔は満面の笑顔なんだけど、なんだか泣きそうになる10分だった。
なんでだろ?
このたった10分間でパレスチナが大好きになった。


ジェニンで泊まるのは、メールで問い合わせをした「Jenin Guest House」
ツーリストが使うようなゲストハウスはここだけなんじゃないかな。

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中に入るとさっそくマネージャーのアイマンがアラブコーヒーを煎れてくれた。

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このゲストハウスもすぐに気に入った。
飾り気はないんだけど、部屋に満ちている雰囲気がいい。

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部屋は男女別のドミトリー。
1ベッド75シェケル(約2250円)。

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Wi-Fiもあるし、いつでもホットシャワーを浴びられる。
食事は付いてないけどキッチンは自由に使える。
ほかの国の居心地のいいゲストハウスに負けず劣らずの雰囲気。
パレスチナ自治区にこんないいゲストハウスがあるなんて意外だったな。

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夕食の食材調達を兼ねて街へと繰り出す。
ゲストハウスがあるのは街のど真ん中。
外に出るとすぐに活気のあるマーケットが広がっている。
またしても老若男女問わず(といっても、外を歩いている女性は少ないんだけど)、満面の笑顔で声を掛けてくれる。

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新鮮な野菜がてんこ盛りのベジタブルマーケット。
ここでも「Welcome!」の嵐。

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「俺の写真撮って!」とみんなが声をかけてくるので、なかなか先に進めない。

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さらに「これもってけ!」「これあげる!」とニンジンやキュウリをタダでくれるんだよね。
めちゃくちゃ人懐こくて、めちゃくちゃ気前がいい。

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イランやバングラデシュでも同じように大歓迎を受けたけど、少し印象が違うかな。
もの珍しさでって感じじゃない。
うまく言えないんだけど、「よく来てくれた!」って文字通り「歓迎」してくれてる気がする。
みんな爽やかなんだよね。

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「来てくれてありがとう!」って気持ちが素直に伝わってくる「Welcome」。
この最高の笑顔を見せてくれる人たちがほんとに自爆テロなんかをしてるのか?
ケンゾーの中ではこのふたつがぜんぜん繋がらない。

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日本からは遠すぎて現実感が乏しいパレスチナ。
テレビのニュース画面や新聞の活字を通してしか見たことのなかったパレスチナ。
自分にはまったく関係のない宗教が絡んだ問題だと、なかば人ごとのように思っていたパレスチナ。
いま実際にその地に立ち、パレスチナ人と触れ合っている。

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彼らは笑顔が素敵なふつうの人間だった。
あたり前のことだけど、とても嬉しかった。
みんな同じ人間なんだよね。

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日本人にはなかなか理解することが難しいイスラエルとパレスチナの問題。
ケンゾーとイクエはパレスチナ自治区に3週間滞在しました。
たった3週間だけでは限りがあるけれど、わたしたちが見て、聞いて、感じて、考えたことを伝えていきたいと思います。
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イエスを身近に感じる街

2014.03.13 06:28|イスラエル☞EDIT
体を動かしたその日のうちに、久しぶりにちゃんと筋肉痛がやってきたイクエです。
次の日にはすっかり回復しましたよ!

イスラエルを旅しているイクエとケンゾー。
イスラエル旅行は日本人にはなじみがないけど、欧米人や韓国人には人気の旅行先。

なぜなら彼らの宗教、キリスト教にちなんだ場所が多いから。

今回訪れるナザレもそんな街だ。

ナザレ

聖母マリアが妊娠してイエスを授かった場所でもあるし、イエスが30年間両親とともに暮らしたイエスのふるさとでもある。

そんなナザレの街にやってきて、すぐに感じたこと。

「今までのイスラエルの街の雰囲気とは違う!」

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よく整備されたきれいな国、イスラエル。
だけどこの街は、建物や店構えが雑多な感じだし、道路は狭くて傷んでいる。
このごちゃごちゃしたバザールからはアラブの匂いを感じる。

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そして気づいた。

「ここはイスラエル人の街というよりパレスチナ人の街だ!」

通りの看板やポスターもほら。

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イスラエル人の使うヘブライ語ではなくてアラビア語。

この街はパレスチナ自治区ではない。
イスラエルの領土にある。

でもユダヤ人がイスラエルを建国する前からここにアラブ人たちが街をつくっていて、生活していたのだと思う。
といっても彼らはイスラエル領土で生活している以上、「パレスチナ人」ではなく「イスラエル人」と言うことになる。

だけど、彼らの文化を考えればこの街はパレスチナ自治区に入っていたほうが自然だったんじゃないかと思う。
イスラエルが建国されてからというもの、イスラエルはパレスチナ人の街を侵食するかたちでどんどん国土を広げ、いっぽうのパレスチナ自治区は狭まっている。

パレスチナ1

アラブ人、パレスチナ人はほとんどがイスラム教徒だけど、でもこの街の住人のようにキリスト教徒の人たちもいる。

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たとえばこの街にある教会。
今まで見てきた教会とそんなに変わらないんだけど、祭壇に違和感を感じる。

祭壇の正面に飾ってあるアラビア文字だけ見ると、まるでモスクにでもいるかのような錯覚を覚える。

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イエスゆかりの場所だからといって、キリスト教徒だけがここに住んでいるわけではない。
住民の半数くらいはイスラム教徒で、うまく共存している。

この街のシンボル、受胎告知教会

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入口の前のふたつの石の上に白と黒の布みたいなものが重ねて置いてある。
これは物売りのおじさんの商品。

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おじさんはムスリム。
教会の前で、教会を訪れる人たちに、イスラム教徒の男性が頭に巻くターバンをお土産用に売っている。

この受胎告知教会。
ここで聖母マリアがイエスを授かることを大天使ガブリエルから知らされたのだそう。
受胎告知を受けたのはこの教会の下にある洞窟。
いまもその洞窟の一部が残されている。

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キリスト教徒でないわたし。
聖書もイエスの話もほとんど知らない。
イエスと言って思い浮かべるのはクリスマス。
子どものころからワクワクしたクリスマス。
さらにそこから連想するのはサンタクロース。
だからイエス・キリストと言えば、架空の人物のような物語の主人公のような気がしていた。

だけど、こういうのを目の前にすると、たしかにイエスはこの世に実在したんだなあと不思議な気持ちになる。

この教会にはもうひとつ目玉がある。
それは、世界各国から贈られた幼いイエスを抱いたマリアの絵。

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お国柄が出ていておもしろい。

たとえば中国

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天女みたい。
そして韓国はやっぱりチマチョゴリ。
これだけ見ても、マリアとイエスってわからないよね。

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タイにいたっては、イエスというよりも仏陀に見える・・・。

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中庭の回廊に並ぶ各国のご当地マリア像。
日本はどんなのかなあってわくわくしていたけれど見つからない。

なので教会のメインホールへ移動。

1969年につくられたこの教会。
内部はコンクリートでモダンなつくり。

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そして、ここで発見!!

日本から贈られたマリア像。
教会の内部に飾られているうえに、外にあったものよりもかなり大きい。
特別扱いをされているような感じ。
日本、やるなあ。

にしても、これ、マリア?

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「日本でマリアと言えば、こんな人。日本の教会にはこんなマリア像が飾られているんだ。」って誤解する人も多いだろうね。

マリアにちなんだ教会がここなら、イエスの父ヨセフにちなんだ教会もある。
その名もズバリ聖ヨセフ教会

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イエスはマリアが処女のときに生まれたので正確に言えばヨセフは「父親」ではない。
でもマリアと婚約していたヨセフはその後マリアと結婚し、イエスの養父となった。

そんなヨセフの仕事は大工。
イエスの父が大工さんなんて知らなかった。
庶民的で親しみがわく。

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この教会はヨセフの大工の仕事場だったところに建てられたもの。
妻マリアに押されて存在感の薄い父ヨセフ。
でも、ヨセフをあがめる教会があってよかったなあ。

世の中の父の愛は、母の愛に負けず劣らず深いのよ。

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次に向かったのは聖ガブリエル教会
この教会の地下には井戸がある。
ここに大天使ガブリエルが水汲みに来たマリアの前に現れて、受胎告知をしたらしい。

あれ?
さっきの別の教会でも、その下にある洞窟で受胎告知をしたって言ってたけど・・・。
宗派によって解釈も違うみたい。
この教会はギリシア正教会がつくったもの。

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キリスト教についてはほとんど知識がなかったけど、巡礼の旅をしているほかのツーリストに混じってイエスゆかりの場所を訪れ、イエスの生涯を垣間見ることができた。

このナザレの街で泊まっているのは、インターネットですこぶる評判の良かったFauzi Azar Inn
スーク(商店が並ぶ旧市街)の中にある築200年のアラブ様式の建物をゲストハウスに改装したもの。

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中庭やテラス、レセプション。
くつろげる共用スペースが点在している。

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ドミトリーを見上げると、花をあしらった天井画。

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キッチンも自由に使える。
ドミトリーで1人90シェケル(約2700円)とちょっと高め。
でもビュッフェの朝食もついている。
パンケーキやコーヒー、紅茶はいつでも食べ放題飲み放題。

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さて、次の目的地をどうしようか。
エルサレムに行くべきかどうか。

はじめはイスラエルに入国してからそのままエルサレムを目指すはずだった。
だけどそうしてしまっては、このイスラエルの旅がすぐにフィナーレを迎えそうな気がして、それが嫌でテルアビブに泊まることにした。
そしてテルアビブからエルサレムを目指そうとする日、急きょ目的地をハイファに変えた。
その後、ティべリヤからここナザレに。

エルサレム行きを後回しにしてきたけど、そろそろエルサレムに行くときなのかもしれない。

だけどそれでいいのかな。

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本当に行きたいところがある。
それはパレスチナ自治区

パレスチナ自治区はすぐそこだ。

だけどここナザレはイスラエル領土だからここからエルサレムに行く場合、バスはパレスチナ自治区を通らず西側を迂回する。

パレスチナ2

ここからそのままパレスチナ自治区に入ることはできないのかな。
もし入れるとしたら・・・。

最初の街はジェニン

その街の名前は何度も聞いていた。

「ジェニンの悲劇」「ジェニン難民キャンプ」「ジェニンの虐殺」・・・。

2002年、イスラエルが多くの人たちの命を奪ったところ。

この街は今、どうなっているんだろう。
でも、ここから行けるのかな。
宿泊施設はあるのかな。

インターネットで検索しても旅の情報がなかなか出てこない。

キーワードを英語に変えて「Jenin hotel」と検索するとNGOが運営する宿泊施設があることがわかった。

さっそくメールで問い合わせてみる。

「ここからどうやって行くことができますか?」

もし、ここからジェニンに入りパレスチナ自治区を南下しながらエルサレムに行くことができれば。

そしたら、このもやもや感が解消されるような気がした。

だってイスラエルに来たのは、エルサレムを拠点に観光するのではなく、パレスチナの人たちに会い、彼らの日常生活に触れ、彼らが抱える問題を知ることが目的だったから。

その目的はかなうのかな。
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3.11 被災地を想う

2014.03.11 06:24|世界からのメッセージ☞EDIT
今年も忘れられない日がきました。
全国で1万5千人以上が亡くなった悪夢の日から3年。

あのとき、まだわたしたちは日本にいました。
ケンゾーは震災1か月後に福島へ、その後岩手で約1年間ボランティアをしました。
いっぽう報道記者だったイクエは、宮城の被災地でニュース取材をしたり、被災した方たちのドキュメンタリーをつくったりしていました。
1年間わたしたちふたりは離れて生活することになりましたが、ふたりのこころはいつも被災地に向いていました。

日本を離れ世界各地を旅している今も、被災地のことを想わない日はありません。

けれど、日本を旅立って1年と6ヶ月・・・。
いくら被災地のことを想っていてもなんの役にも立てていないのが現実。
旅を楽しみながらも、もどかしい思いがつのっていっています。

今被災地はどうなっているんだろう?
あの人は元気にしているだろうか?
笑顔になれる時間は増えただろうか?

日本にいない自分たちにできることは、現地で活動していたときに知り合うことができた地元の方、いまでも活動をつづけている仲間の人に現状を聞くこと。
そして教えてもらったことを、このブログを通してひとりでも多くの人に伝えること。

ケンゾーがボランティア活動をしていたのは岩手県陸前高田市。
街の中心地のほぼ全体が波に飲まれ壊滅的な被害を受けました。
1556人が死亡、いまだに215人が行方不明のまま。

陸前高田

宮城県との県境に近い陸前高田市。
押し寄せた津波によって全世帯の7割が被害を受け、市の中心街は一瞬にして消滅しました。

ケンゾーが陸前高田市に入ったのが震災からおよそ3か月後の6月後半。
車窓の先に広がる光景に言葉を失ったことを今でも鮮明に思い出すことができます。

そこだけすっぽりと巨大な空間が空いて異様だった。
大きなものはずいぶん無くなっているけれど、まだそこかしこに散乱している瓦礫。

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たくさんの家族の思い出が詰まった家はただの木片へと姿を変えてしまった。
ほんの数か月前まで人々が確かにここで生活していたはずなのに、それを想像することさえかなわないほど何もかもが根こそぎ破壊されていました。

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壁が無くなった建物の中でひっくり返った車。
飴細工のように鉄骨がぐにゃりと折れ曲がった高校の体育館。

車のドライバーは、体育館にいた生徒は無事だったんだろうか。
心臓がドクドクと高鳴ったことを憶えています。

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あれから3年。
今、陸前高田はどうなっているんだろう。
地元の社会福祉協議会の職員としてボランティアセンターの運営に携わり、現在は復興支援活動のために設立された特定非営利活動法人P@CTで理事をされている萩原史さんに現状を聞いてみました。

荻原
「陸前高田市では、景色がずいぶん変わりました。
山の木が切られ、土が削られ、高台移転に向けた土地の造成が進んでいます。
ガレキの山は消え、かさ上げの為の盛土が目立ってきました。
ものすごい数の工事車両が行き来し、津波の被害があった地域だけでなくいたるところで重機が動いています。
震災前は考えられなかった朝の渋滞もいまだに続いています。
目に見える形では、復旧から復興へ…スピードアップが感じられますが、住民の生活はあまり変わっていないのではないかと思います。
震災から3年になりますが、市内に52か所ある仮設住宅はまだ一つもなくなっていません。
自力での住宅再建等が難しい方々にとっては、通常の生活を送るという意味で、先の見えない状況というのはまだ続いていると思います。」


(去年11月の陸前高田市)
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ケンゾーが参加したのは特定非営利活動法人NICEの被災地支援プログラム。
10数人のボランティアのメンバーと合宿生活をしながら、瓦礫撤去や家屋の掃除、ボランティアセンターのサポートなどをしていました。

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自分も含めほとんどのボランティアはごく普通の一般人。
技術も特別な機材もありません。
ひとつひとつ自分たちの手で瓦礫を撤去していく日々。
「これを取り除くのに一体どれだけ時間がかかるんだろう」と膨大な瓦礫の山に打ちのめされることも何度もありました。

それでも毎日手を動かしつづけ、次の日、次の週、次の月へと全国からやって来るボランティアが次のボランティアへとバトンを繋いでいく。

「自然の前ではちっぽけな人間も、力を合わせると捨てたもんじゃない」
そんなことを実感した日々でもありました。

季節が夏から秋、そして寒い冬へと移っていくとボランティアの人数が減っていき、寂しい思いをしたのも事実です。
震災から2度の冬が過ぎました。
今でもボランティア活動は続けられているんでしょうか?

荻原
「今でもボランティア活動は継続しています。
活動内容は、漁業支援や古川沼での細かい瓦礫の分別、遺留品捜索等がメインとなっています。」


(今年1月の活動の様子)
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陸前高田市の広田湾で獲れる牡蠣は全国的にも有名。
しかし津波によって牡蠣の養殖用のいかだは全滅。
養殖用のいかだ作りもボランティア活動のひとつでした。

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いかだ作りをお手伝いした牡蠣養殖業の藤田敦さんにも聞いてみました。

藤田
「今年から本格的に出荷が始まり思い出しながら少しずつですが毎日奮闘してます。
ボランティアさんはまだ必要と考えてます。
『3年も経ってるのに?』と言われるかもしれませんが、今年の4月から国からの給料制で水揚げ金は全て国に返さなければなりません。
月25万貰ってもアルバイトに15万払えば生活費もままなりません。」


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自分は全国、そしてときには海外から集まったボランティア仲間とともに汗を流し、地元の方と触れ合いながらとても楽しく、充実した日々を過ごしました。

いま陸前高田市でボランティアをするにはどうしたらいいんですか?

萩原
「(災害ボランティアセンターから業務を引き継いだ)陸前高田市復興サポートステーションで一般のボランティアの受け入れを行っています。
P@CTのHPから活動の予約が出来ますし、お問い合わせについてはお電話でもかまいません。
そして、ボランティア活動をお考えの皆さんは、現地の状況をしっかり把握したうえで参加してください。
これまでもそうでしたが、せっかくの活動が地元の方の負担になっては、元も子もありません。
また、復旧から復興へフェーズが変わっていく中で、求められるものも変わってきています。必ずしも、ボランティアの皆さんがイメージする内容の活動ではないかもしれませんが、現地の状況やニーズを正しくご理解いただき、無理のない範囲でご協力いただければ幸いです。」


(ボランティアを見送るサポートステーションのスタッフ)
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市の中心地が壊滅的な打撃を受けた陸前高田市。
市内にボランティアが宿泊できる施設がほとんどありませんでした。
けれど今ではボランティアの方が利用することのできる宿泊施設もあります。

萩原
「『二又復興交流センター』は、統廃合により使用されなくなった小学校の校舎をリフォームし、昨年7月にオープンした簡易宿泊所です。
ボランティアだけでなく、観光や帰省等で陸前高田市を訪れる方々の宿泊・拠点としてご利用いただいています。
また、地域の方々と近くの仮設住宅にお住いの方々との交流会や、子ども会等のイベントの会場としてもご利用いただいています。」


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日本を離れていると震災関連のニュースを目にすることはほとんどありません。
Yahoo!ニュースのトピックスで扱われることはまれになってしまいました。
それでも海外を旅していると「地震と津波は大丈夫だった?」と外国人が気に掛けてくれることがあります。
たったそれだけのことなのに、なんだかちょっと泣けてきます。

一日一日と着実に時は過ぎ去っていく。
あれから3年。
被災地と世の中との「温度差」を感じることはありますか?

萩原
「温度差は、それぞれの置かれている状況によって様々だと思います。
今被災地にいなくても、何らかのかかわりがある方(あった方)は当事者意識をお持ちの方がたくさんいらっしゃるでしょうし、そうでない方にとっては報道も少なくなり、過去のものになっているのではないかと思います。
私はたくさんの方々とお会いできる場所にいますし、つながりを感じられる方々がたくさんいてくださるので、あまり寂しさは感じません。
しかし、お電話での問い合わせが減ったり、報道が少なくなっていることは、それだけ世間では忘れられているんだろうな…と感じます。」


震災当時は在阪の大学生、東北各地でボランティアをしたのち卒業後NGOで被災地の子ども支援に携わり、現在は岩手県釜石市社会福祉協議会で働いている上柳美生さんにも聞きました。

上柳
「帰省すると、私に気を遣って『東北はどう?』って聞いてくれる人はたくさんいる。しかし、テレビなどで報道される機会はほぼ無い。風化が進んでいるんだなぁと実感します。」


ケンゾーは3年間報道カメラマンをしていました。
イクエはニュース原稿を書くことが仕事でした。
ニュースがすべてを伝えていないことも、伝えることに限界があることも感じていました。

報道されていることと被災地の実状とのギャップを感じることはありますか?

荻原
「報道される内容は『震災の検証をして次の災害にどう備えるか』とか『仮設住宅でこんなイベントがありました』みたいなものが多いです。それはもちろん大切なことだと思いますが、今被災地での日常はどんな感じなのか?ということがあまり伝わっていない気がします。
3年たってもまだ校庭が使えない学校、親を失った子どもや子どもを失った高齢者の状況等、知らない事がたくさんあると思います。
知らなくてもいい事かもしれないですが、知ったことで自分のこれからを考えるきっかけになるかもしれないですよね。被災地のためにとか誰かのためにではなくても、自分が悲しい思いをしないための心構えができるかもしれない。報道は良い事・悪い事を伝えるのではなく、日常を伝えてほしいと個人的には思います。」



自分が生き残ったことを悔いている人たちがすくなからずいる。
津波が襲ってきた時のことを誰かに聞いてほしいんだけど、同じ被災者には話せない。外部の人間だからこそ受け皿になれることもある。
被災地に行って、地元の人たちと触れ合ってはじめて分ったことがたくさんあります。

3年経った今、全国の人に知ってほしいことはありますか?

国際NGOのスタッフとしてボランティアセンターの運営や地元団体の運営支援に携わりながら、3年間被災地を見つめてきた舩橋和花さんに聞きました。

舩橋
「『普通の暮らし』を送っていた人が被災をした、という自明の事実を考えてほしい。
『被災地だから、被災者だから』という考え方や、『どこまでが被災者か』という外部者が決める線引きによって、中にひずみが生まれている部分もなきにしもあらず。
ここだけが被災地ではなく、あなたの立っているその場所も、何かしらの形で被災地になりうる。」


上柳
「まだまだ復興には時間がかかるということ。
現在、被災地は更地の状態。まだ取り壊されていない建物もある。そんな状態の中、これから始まる大規模な嵩上げや、土地の分配、防潮堤建設など時間のかかる問題は山積みで『いつ仮設から出られるのか。』不安を抱えている住民は多くいる。
又、3年目を迎えるにあたって、心的障害を訴える人が増えている。」


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萩原
「先日、高田高校を卒業した女の子のお話です。

3年前、一生懸命勉強をして、受験をして、合格発表の前に震災がありました。
資料もデータも流失してしまった高校は、受験者全員を合格にするといった措置をとりました。受験生だったその子は『いったい何のために、あんなに勉強したのか?』と思ったそうです。

そして、隣の大船渡市で使用されなくなった高校の校舎での3年間の生活でした。
高田高校なのに大船渡まで通わなくてはいけない日々でした。
卒業の日の彼女は『今日までの3年間は震災の影響もあって、中学の時に思い描いていた高校生活とは全然違ったけど、だからこそ普通ではできない貴重な経験がたくさんありました。常に周りの支えを感じて過ごしてきて、どこの高校よりも感謝の気持ちを大切にする学校に通えたんじゃないかなと、誇りに思っています』と言っていました。

子どもにとっての3年は大人が考える3年よりもはるかに変化が大きいです。
『年頃』と呼ばれる彼女たちが、その年代特有の悩みだけでなく震災によって引き起こされた環境の変化に戸惑いながらも、自分たちがおかれた状況の中で一生懸命3年間を過ごしてきたことでしょう。
成長過程で様々な経験をした彼女たちだからこそ、人に優しく、目的を持って一歩ずつ前へ進んでいくことでしょう。

そして今、大人たちが復旧から復興に向けて必死に取り組んでいることを、たくましく育った次の世代が引き継いでいってくれる。そう考えると未来への希望を持てそうな気がしますし、私たちもまだまだ頑張らなくてはいけないと思います。
ぜひそんな子どもたちを全国の皆様も私たちと一緒に見守っていてほしいと思います。」



旅をはじめて1年半、心のどこかに申し訳なさや、うしろめたい気持ちを持ちつづけている自分たちがいます。
ボランティア仲間が被災地に「里帰り」した報告を聞くと、嬉しい反面ちょっと取り残されていく感覚を抱いてしまうことも。

あの日から3年、今の率直な気持ちを教えてください。

上柳
「復興にはこんなにも時間と忍耐がいるものか、としみじみ思います。」

藤田
「3年経っても海岸に限らずまたまだ形が見えてこないのが現状です。」

萩原
「一言で言うとシンドかった。でも幸せな日々でした。
私は、自家用車を流失しただけで、家も家族も無事だったので書類上は被災者ではありません。それでも、やっぱり今までたくさん泣きました。
人それぞれ個人差はあると思いますが、私は震災当時の事を話すことはとても苦手です。

でも災害ボランティアセンターに関わることが出来て、3年前は顔も名前も知らなかった人たちと出会い、仲間と呼べる人たちに支えられ、本当に幸せな日々でした。
どんな場所でも良い事も悪い事も、人と人との関係からうまれるものです。
誰かに私たちの気持ちを分かってほしくて、でも分かってもらえなくて、泣いて。
でもそれを支えてくれたのもまた、周りにいてくれた人たちでした。
だから、シンドかったけど、幸せです。
そして『行ってらっしゃい』と『お帰りなさい』がこれからも続くことを願っています。」

(*陸前高田市ボランティアセンターでは活動を終えてそれぞれの地元に帰っていくボランティアさんに「さようなら」ではなく「行ってらっしゃい」と送り出し、また来てくれた人には「お帰りなさい」と言って再会を喜んでいました。現在の復興サポートステーションでも思いは引き継がれています。)


「ボランティアなんかしなくてもいいんだ。ほんとはここに来てくれるだけで充分。」
そう話してくれたおじいちゃんの言葉が今でも脳裏に焼きついています。

ボランティアだけが被災地に対してできることのすべてではないと思います。
まずは実際に被災地に行ってみましょう。
被災地はあなたが来ることを待っています。

上柳
「できれば、実際に被災地を訪問して現状や思ったことを発信してほしいです。繋がっているという感覚はほんまに支えになります。
被災地の人達は二度とあの悪夢を繰り返したくないと思っています。ぜひ体験者の話を聞いてほしいです。
東北の海鮮類はほんまに絶品です。ぜひ一度口にしてみてください。」


舩橋
「1年間、24節気72候を意識して暮らしてみたら、本当に暦どおりに
自然が移ろっていました。
胸のすくようなさわやかな風とか、手ですくったら零れ落ちそうな星々とか、
うっとりするくらい艶やかな夕暮れとか、いままで知らなかった。
自分たちの食べるものを自分たちで作る・獲る。
自然を感じながら、呼吸を合わせて、生きる。
そんな中、とてつもなく美しいものに出会うことも。はっ!とします。」


藤田
「高田は海産物が売りです!!
カキ、ホタテ、ワカメ、コンブ、ホヤなど通年通して味わえます。
あと米崎リンゴでしょ!!
オマケにかき小屋広田湾に是非!」


萩原
「陸前高田市にぜひ来てください!
来て見て、感じて、それを持ち帰って、皆さんの周りにいる方々へ伝えてください。
今まで『気にはなるけど、どうしたらいいか分からない』と、何となく時間だけが過ぎてしまった方もいらっしゃるでしょう。
誰かの一言がきっかけで、陸前高田市に興味を持ってくれる方がいるかもしれません。
誰かの一言がきっかけで、また新しいつながりが出来るかもしれません。
仲間が増えることが、一番の心の支えになります。
陸前高田は山と海と川があり、自然豊かなところが良いところ…と、在り来たりな表現ですが、本当にそうだと思います。
そして今は、災前にあったお店が仮設店舗で復活したり、震災前はなかったオシャレなお店ができたり、変化があって面白いです。
被災地だけど自然があり、一生懸命頑張っている人の姿を見ることができる、良い所ですので、ぜひぜひ皆さんいらしてください。」



全国のみなさん、海外にいるわたしたちが言っても説得力がないことは重々承知で言います。
東北へ被災地へ行きましょう!

ボランティアもまだまだ必要とされています。
遺骨が手元に帰ってくることを待ちわびている家族がまだたくさんおられます。
陸前高田市でも毎日人海戦術で遺骨の捜索活動が続けられています。

中日新聞 「遺族に届けたい」陸前高田の遺骨捜索
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140307/CK2014030702000091.html

東北は素晴らしい景色、美味しいグルメ、そしておもてなしの精神にあふれた温かい人たちの宝庫です。

あの日からまだ3年。
被災は現在進行形です。
すべての人たちが笑顔を取り戻すまで、まだまだ気の遠くなるような道のりが残っています。

いままで以上に被災地を応援していきましょう!

写真提供
陸前高田市 まちづくりプラットフォーム
http://rikuzentakata-mpf.org
毎月月命日に陸前高田市の様子をアップしています。
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聖なる魚?!のお味は?

2014.03.10 05:35|イスラエル☞EDIT
砂漠で寝泊まりしてるので、耳の穴から鼻の中まで前身砂まみれのケンゾーです。

イスラエルに入国して1週間が過ぎようとしている。
予想以上にイスラエルの旅は快適で、拍子抜けするほど平穏で安全だ。
だけどそれがイスラエルのすべてではない。

1週間や2週間の滞在ではイスラエルの本質は見えてこないんじゃないか。
イスラエルのいい面も、そして悪い面ももっと知りたい。
ということで、じっくり腰を据えてイスラエル・パレスチナを見て回ることにしよう。

きょうはガリラヤ湖畔の街ティベリヤに行くことに。
読者の方からコメントをいただき、勧められた場所でもある。

イスラエルはユダヤ教徒の国だけど、キリスト教が生まれた場所でもある。
イエス・キリストもユダヤ人だった。
イエスは現在のイスラエルで生まれ、イスラエルで育ち、そしてイスラエルの地で処刑された。
だから、イエスが一生を過ごしたイスラエルにはキリスト教ゆかりの地がたくさんある。

ティベリヤもそのなかのひとつ。
洗礼を受けたイエスが伝道を始めた場所。
キリスト教徒にとって重要な街。

ティベリヤ

ハイファからティベリヤはバスで約1時間、25シェケル(約750円)。
ガリラヤ湖と湖畔に建つホテル群が見えてきた。
イエスゆかりの街は今ではリゾート地として人気。

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バスステーションから歩いてホテルのあるハ・ガリル通りへ。
この通り、アーケードが架かっててまんま日本の地方都市って感じじゃない?
なんかノスタルジックな街並み。

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「HAGALIL HOSTEL」
ドミトリー、ベッド1台で61シェケル(約1830円)
フリーWi-Fi、エアコン、キッチンあり

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6ベッドのドミトリーだったんだけど2日間とも他の客が入ってこなかった。
部屋の中にバスルームもあるし、プライベートルームとして独占できてラッキーだった。

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それじゃあ、キリスト教徒ではないけれどイエスの伝道の舞台をめぐってみよう。
バスステーションからタブハ村行きのバスに乗る。11.8シェケル(約350円)。

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ドライバーに「教会に行きたい」と伝えておくと最寄りの交差点で降ろしてくれる。
バスを降りてガリラヤ湖をめざして坂を下っていく。

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道路脇には菜の花。
2月の後半から3月にかけてガリラヤ湖畔は野生の花の絨毯で覆いつくされて素晴らしい景色なんだって。
この日は2月2日、まだちょっと早かったかな。

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ヤシの木が茂り、南国の雰囲気満載のパンの奇蹟の教会
説教を聞きにきた5000人の人たちのために、イエスが2匹の魚と5つのパンを増やして食べさせたという奇蹟にちなんで建てられたもの。

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そんな奇蹟にちなんで、屋根の上にある魚のオブジェがかわいらしい。
串焼きにして焼いてるみたい。

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内部はとてもモダンな造り。
白い柱や壁に木造の屋根がとてもマッチしている。

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イクエが窓を一生懸命撮影している。
「なんでそんな汚れた窓、撮りよると?」って笑って聞いたら「はああああ!?」って言われた。

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窓にはめられているのはガラスではなく、石を薄く切ったものだった。
天然のステンドグラスだね。

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教会内部にはおよそ1500年前に床に描かれたモザイクが色鮮やかに残っている。
草花や鳥などが愛らしく描かれている。

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もちろんイエスが奇蹟で増やしたという魚のモザイクもちゃんとあった。

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ガリラヤ湖の波打ち際に建っているのはペテロ首位権の教会
ここでイエスと漁師だったペテロが出会い一番弟子となった、といわれている場所だ。

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この教会の内部もおしゃれな造り。

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ステンドグラスがとてもアーティスティック。

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と思いきや、けっこうコミカルでかわいらしいものも。

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この教会の目玉は祭壇にある大きな岩。
処刑されて3日後に復活したイエスが、この岩の上で弟子たちと食事をしたんだそう。
あんまり平らじゃなくて食べ物を載せにくそうだけど・・・まいっか。

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ガリラヤ湖畔を離れ、なだらかな丘を登っていく。
この丘は山上の垂訓の丘、と呼ばれている。

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イエスが「山上の垂訓」と言われる大事な説教を行なった場所。
丘の上には八角形のかわいらしい山上の垂訓教会が建っている。
残念ながら昼休みの時間で中に入れなかった。

丘の周りにはのどかな風景が広がっている。
花が咲き乱れる春はきれいだろうねえ。
丘の裏手に広がる景色もピースフル。

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最後にガリラヤ湖へ。
ガリラヤ湖は死海に注いで2番目に海抜が低い。
一番低い部分でマイナス213m。

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新約聖書によるとイエスはこの湖の上を歩いたり、嵐を鎮めるなどの奇蹟を行なったそうだ。

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ガリラヤ湖で有名なグルメが「セントピーターズフィッシュ」。
聖書によると、役人と税金で揉めていた弟子のペテロがイエスに促されて魚を釣ったところ、銀貨を1枚くわえた魚が釣れた。
ペテロはその銀貨で税金を払った。
そこからこの魚がセントピーターズフィッシュ(聖ペテロの魚)と呼ばれるようになったんだって。

ガリラヤ湖周辺にはこのありがたい魚を出すレストランがたくさんある。
でも、けっこういいお値段なんだよね。
揚げてるだけで2000円くらい!

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当然ケンゾーとイクエには手が出ない。
ということで魚屋へGO!
20シェケル(約600円)で3匹ゲット。
レストランどんだけ値段のっけてんだろうね。

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この魚を調理するといっても、宿のキッチンにはお湯を沸かすのにも一苦労するほどの火力のよわーい電熱コンロひとつだけ。
塩をかけて電子レンジでチンしてみたら、塩焼きに大成功。
残りの2匹はフライパンに味噌と砂糖を入れて味噌煮込み。

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魚は生臭くなくて身も肉厚でなかなかいける。
味噌で白ご飯がすすむすすむ ♫

イエスが宣教をはじめた場所は自然が豊かでとても穏やかな場所だった。
ティベリヤも平和な街だったなあ。
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イスラエル「バハーイ庭園とバーブ廟」☆ 異教徒にも愛される宗教施設

2014.03.09 06:10|世界遺産 星いくつ?☞EDIT
きょう美容クリームを買ったイクエです。
年齢を考えてちょっと奮発して高いのにしました。
といっても日本円で2000円くらいだけど、同じ棚に300円くらいのもあったから高級なほうです。

きょうはイスラエルの世界遺産についてご紹介します ♪

イスラエルと言えば旧約聖書にも出てくる場所で、いまから4000年も前にアブラハムやその子孫がこの地に定住していたと伝えられている。
もっとも古くから街ができていた地域でもあるし、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の聖地でもある。

だからイスラエルの世界遺産と言えば、古代の遺跡や3つの宗教にちなんだものなんかを想像するかもしれない。

だけど、ここハイファにある世界遺産はちょっと変わっている。

それは、こちら。

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街を臨む高台にある広大な庭園。
芝生や木々が秩序正しく茂り、ごちゃごちゃした下界の街とは別世界。
まっすぐに下へと延びるその先に金色に輝くドーム。

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バハーイ庭園、そして金色のドームがバーブ廟

「バハーイ」というのはイランで生まれた宗教。
19世紀にバーブ教というのができ、その後バハーイ教になった。

ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でもない。
そんな宗教の聖地が、ここイスラエルにあるのだ。

バハーイ教徒は世界に300万人いると言われている。

「バハーイ教」なんて聞いたこともない新興宗教のように思えるかもしれないけれど、世界各国に信者がいる。
バハーイ教にとって大切な聖地であり、一年中美しい花が咲き乱れ、街のシンボルともなっているこの庭園は2008年に世界遺産に認定された。

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世界遺産に認定されているとあって、バハーイ教なんて知らなかった人たちも各国からここを訪れるようになった。
ユダヤ人が建国したイスラエルでは、バハーイ教は弱小宗教だけどそれでもこの聖地が世界遺産になったことでツーリストが集まり、観光業に一役かっている。

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このバハーイ教、実はイクエとケンゾーは知っていた。
正確に言えば、4か月前に訪れたイランではじめて知った。

トルコからイランに陸路で入って、最初に訪れた街マークー。
崖に囲まれたマークーに観光地らしい観光地はないけれど、『地球の歩き方』にバハーイ教の寺院跡があると書かれていたので行ってみたのだった。

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コーランを否定するバーブ教、バハーイ教はイラン政府から弾圧されて、開祖のバーブは逮捕されここに監禁されていた。

『地球の歩き方』には「現在ではバーブ教徒、バハーイ教徒ともにムスリムからは異端と見なされていて、イランでは信徒はいないとされている」と書いてある。

だけどここで「バハーイ教徒」だと名乗る人たちと遭遇した。
そのバハーイ教徒のおじさんはとても紳士的で、イランにもバハーイ教徒がたくさんいること、そしてときに警察に殺されたり逮捕されたりしていること、そしてみずからも3年間刑務所に入っていたことなどを明かしてくれた。

そして、次の日の早朝に家族でここで祈るからよかったらおいでと誘われ、次の日もお会いしたのだった。

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彼らが迫害を受けているイランで聞いた、静かに歌うような祈り。
彼らのことを思うとその祈りはとても物悲しく、切なく聞こえた。

バハーイ教は男女平等をうたっていて、イスラム教とは根本的に違う。
イランで生まれた宗教だけど、イランでは宗教活動ができない。
教典は外国で印刷されこっそり持ち込まれている。

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「バハーイ教の聖地はとても美しいんですよ」。

おじさんはそのときにそう教えてくれた。

イランとの国交を断絶しているイスラエル。
イランを旅しただけのわたしたちでさえイスラエル入国に手間取った。
ましてイラン人がイスラエルに行くことなんてできない。

おじさんはきっと写真で何度も見ていたのだろう。

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目の前に広がるのはマークーの険しい岩山とは正反対のまばゆい景色。

「おじさん、来ましたよ。」

そう思わずにはいられなかった。

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金色のドームが開祖バーブのお墓で内部は写真撮影が禁止されているけど、異教徒でも中に入ることができる。

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床には細かな模様の美しい絨毯。
天井にはシャンデリア。
大理石のお墓の上にはキャンドルが飾られ、薔薇の花びらがちりばめられていた。
かといって派手さはなくて上品でしっとりしている。
室内は花の芳香で満たされていた。

「お墓や庭はこうしなければならない」なんていう決まり事はないらしい。

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とにかく「美しい」と思うものを大事にしているようで、もらったパンフレットに「庭の調度品や彫刻に意味はない」と書かれていた。

飾られている彫刻は、中国っぽいものやヨーロッパっぽいもの、よくわからない動物がモチーフになっているものなどがあって、不思議な感じ。

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一年中、豊かな緑とあざやかな花で満たされるように、その時期やこの土地にあった草木が植えられている。

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サボテンもたくさん。
まん丸や尖ったもの、いろんな種類のサボテンが共存している。

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バハーイ教は男女平等、偏見や貧富の差を取り除くこと、教育を普及させること、暴力を否定することなどを目指しているんだって。

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庭園は斜面に沿ってできている。
金色のドームよりも下に広がる庭園は1960年代に造られたもの。
お墓よりも上に位置する庭園は1987年から2001年にかけておよそ250億円かけて造られたもので、普段は立ち入り禁止。
だけど毎日数回無料で行なわれているツアーに参加すれば敷地に入ることができる。

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階段が続いていて、庭園は段々になって下へと続いている。
階段の両脇に沿って水が流れていて、心地よい水の音が響く。

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金色に輝くドームは、真っ青な海をバックに太陽の光を反射して余計に輝きが増す。

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この庭園の美しさを保つために100人の庭師が働いているらしい。

これだけお金や人手をかけている庭園だけど入場料などはいっさい払わなくていい。
しかもバハーイ教はほかの宗教を否定することもしないし、信者たちにほかの人への改宗活動を勧めていないので、ツアーに参加したところで宣教めいた話を聞かされることはない。

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庭園のなかには、バハーイ教の指導者たちが会議をする場所や資料庫などの立派な建物もあったけど、こちらは立ち入り禁止。

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宗教施設が街の真ん中にでーんとあるのは、ほかの宗教の人たちからするといい気持ちがしないかもしれない。
だけど、ここは例外。
美しい庭園が街の景観を良くしているし、でーんとあるからといって威圧感はまったくない。
むしろ、癒しスポットにもなっている。

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そんな「街の顔」とも言えるバハーイ庭園。
夜になるとライトアップされ、街のメインストリートがそのまま庭園の階段へと続いているかのように見える。

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メインストリートにはオープンテラスのレストランが建ち並んでいる。
そこに座って、この輝く庭園を見ながら地元の人や観光客が食事を楽しんでいる。

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さて、美しい広大な庭園の宗教施設「バハーイ庭園とバーブ廟」。
「星いくつ?」

「星、1つ!

とくに歴史があるわけでも、傑出した技術を使って造られているわけでもないので「へえ~!こんな庭園が世界遺産に選ばれているんだ」という意外性がある。

しかも、ユダヤ教徒の国イスラエルでバハーイ教というマイノリティーの宗教施設が街の顔になっているのにも驚きがある。

眼下に広がる街並み、頭上には澄み渡る空、遠くには真っ青な海。
そんな景色を楽しみながら、緑と花々で彩られた庭園を歩くのは気持ちがいいし穏やかな気分になれる。
いろんな宗教のいろんな施設があるけれど、もしかしたらここがもっとも万人に受け入れられるピースフルな宗教施設かも。


【旅 info.】
  バハーイ庭園とバーブ廟a_DSC_0221_2014030822185188d.jpg
すべて無料、持ち物検査あり。
手足を露出した服装は立ち入り拒否されることもあるので注意。
バーブ廟は正午には閉まるので午前中に見学を。廟内は撮影不可。
バーブ廟周囲の庭園は午後も入ることができる。
上部の庭園を見るにはツアーに参加する必要がある。
ツアーは1日数回、ヘブライ語と英語ガイドがある。
ツアーは庭園の一番上の入口が集合場所。
頼めば日本語パンフレットが無料でもらえる。
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イスラエルにある「自由と平等の街」

2014.03.06 06:12|イスラエル☞EDIT
アパートの屋上にあるほったて小屋で寝泊まりしているケンゾーです。
壁も屋根も隙間だらけで蚊が入り放題だし、雨が降ったら水浸し。
カウチサーフィンなんだけど、さすがにホテルに移動しようかな。
(この後トラブルがあってホテルに移りました。その話はのちほど。)

テルアビブからエルサレムに行く予定を変更し、次に向かうはハイファ。
イスラエルの北部にあるこの街は、違う宗教の人たちが共存していて「自由と平等の街」と言われているそうだ。
いったいどんな街なのだろう。

ハイファ

人々が思い思いに穏やかな時間を過ごしている海岸を後にし、テルアビブのセントラルバスステーションへ。

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バスステーションの入口では荷物チェックをさせられる。
しかも中身を全部出すように言われた。
つねにテロの脅威にさらされているイスラエル。
でも中国の北京よりは神経質じゃないかな。
とりあえず荷物をイクエに預けてケンゾーだけ手ぶらでバスの値段と時間を見に行くことに。

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バスはあと1時間以上待たないといけない。
値段はちょっとだけ高いけどバスステーションの外から出ている、シェルートというミニバスで行くことにした。
これなら面倒くさい荷物検査を受けずにすむ。
テルアビブからハイファまで30シェケル(約900円)。

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車に揺られること1時間半、ハイファの中心にあるハダール地区に到着。
なんだか日本によくあるような街並みを歩いてホテルを目指す。
道路も日本みたいに狭いし、ヨーロッパの街のように歴史ある建物はない。
アジアの街のようにクラクションが鳴り響いたり、騒々しさもない。
日本の地方の街に迷い込んだみたいだ。
外国、ましてやイスラエルにいるような感じがまったくしない。

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ホテルはネットの予約サイトで探した。
「Loui M Apartments」
ダブルルーム1部屋214シェケル(約6420円)
フリーWi-Fi、バスルーム、エアコン・冷蔵庫・キッチン付き、朝食なし

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キッチンは共用じゃなくて部屋ごとについていて、鍋や食器類、電子レンジもついてるし言うことなし。
まあ、それなりの値段するからね。
といっても、ハイファの中では安いほうだよ。

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オーナーの年配の男性は、壁に飾ってある白黒の夫婦の写真を指して自慢げに教えてくれた。
「これは私の祖父母。
 祖父母がこのホテルを開業したんだ。」
きっとおじいさんとおばあさんはまだここにイスラエル人がそれほど多く住んでいない時代に移り住み、街を開拓することに貢献していたんだろう。

スタッフは愛想がよくてとても感じがいい。
イスラエル人は好印象だ。

イスラエル第3の都市ハイファは港町。
コンテナ用のクレーンが並んでる海沿いの景色は見慣れた日本のよう。

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沖には気持ち良さげに風に乗るヨットやウインドサーフィンの姿が。
ここも平和そのものだ。

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山の手には閑静な住宅街が広がっている。

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そんな住宅街にあって、美しい庭園と金色に輝くドーム屋根がひと際目を引くこちらはバハーイ教の聖地バーブ廟。
ユダヤ教の国のイスラエルにあって、異教徒の聖地が街の顔となっていることからも、ここハイファが「自由と平等の街」であることがよく分る。
この聖地についてはあしたお伝えします。

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バーブ廟から海へと延びる通りにはおしゃれなカフェや上品なレストランが軒を連ねている。
この周辺は国内外からの観光客で昼も夜も大賑わい。

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ここまで見る限り、ユダヤ教の国、パレスチナ問題を抱え毎日のように血が流されている国だとはこれっぽっちも思えない。
ユダヤ教徒だけでなくイスラム教徒もキリスト教徒も暮らしているはずなのに、街中はいたって平穏だ。
テルアビブもそうだったけど、「やれてるやん。異教徒同士が争うことなく平和に暮らしていけてるやん。同じことをイスラエル全土ですることはできないの?」と思わずにはいられない。
でもそれはパレスチナ問題の本質が分ってないってことなのかな。

「自由と平等の街」ハイファにはバハーイ教をはじめとして、マイノリティの宗教が集まっている。
そのなかのひとつ、カルメル派修道会の総本山ステラ・マリス・カルメリット修道院。

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修道院は聖書に出てくる預言者エリヤが隠れていたという洞窟の上に建てられている。
修道士たちがエリヤを真似て洞窟で生活しはじめたことから、この修道会がはじまったんだそう。

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日本ではなじみはないけど、イスラム教やキリスト教はユダヤ教から派生した宗教。
もともと信じる神はおなじ。
だからこのエリヤの洞窟もユダヤ教、イスラム教、キリスト教、そしてイスラムの少数派ドズール派の聖地となっている。
この日はイスラエルの小学生くらいの生徒がたくさん訪れていた。

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敬虔なユダヤ教徒の男性は子どもの頃からキッパという帽子を被っている。
すぐにずれ落ちそうなんだけど、意外と落ちないみたい。
人によってはヘアピンで止めてたりもする。
イクエは「洗剤を使わなくていい、アクリルタワシに見える」って言うんだけど、そんなこと言ったら怒られるよ。

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4つの宗教の聖地とは言っても、ユダヤ教以外の宗教色はまったくない。
ここはユダヤ教に占領されてしまったのかな。

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声に出しときに前後に体を揺らしながらタナハ(旧約聖書)を読む子どもたち。
もうこのくらいの年頃から習慣として身についてるんだ。

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ユダヤ教徒はあまり外向的ではなく、子どもでも写真撮影を嫌うもんだと思っていたけど、この子たちはとても明るく積極的だった。
「ガンナムスタイル!」なんて叫んだりして、まあごく普通の子どもって感じ。

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旧約聖書にたびたびぶどう酒が登場するように、ワインの歴史が古いイスラエル。
ここハイファのカルメル地区で造られたワインをスーパーで発見したので奮発した。
赤ワイン1本19シェケル(約570円)、サバ缶で作ったパスタとともに。

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ワインはちょっと甘めだけど、ちゃんとワインのどっしりとした重みがあってなかなか美味しい。
イスラエルの他の場所でもワインは買えるけど、ハイファがいちばん安かった。
イスラエルでワインを飲みたい人はハイファがおすすめですよ。

訪れる前の予想とは裏腹に、ピリピリと緊張することもなく、昼間は観光を楽しみ夜にはワインをたしなむという穏やかな日々をイスラエルで過ごしているケンゾーとイクエだった。
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ここに住みたいと思う自分が理解できない

2014.03.05 05:39|イスラエル☞EDIT
久しぶりに蚊と格闘中のイクエです。
小さいころからほかの人より刺されるんですよ。
「体臭の強い人が刺される」っていう実験を前テレビで見たことあるんだけど、ケンゾーより臭くないと思うんですけどね。
O型RHマイナスってのも関係しているのかもしれません。

前から気になっていた国、イスラエル。
わたしのなかで、イスラエルと言ってまっさきに思い浮かぶのはパレスチナとの紛争。
紛争って言うよりも侵略って言うのがしっくりくるのかもしれない。

大学のころのゼミの教授の専門がパレスチナ問題だった。
しかもわたしが学生だった2000年~2003年ごろは、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺が相次いでいて、パレスチナ人による自爆テロも多発していた。
学生のころのわたしは本気で戦場ジャーナリストになりたいとも思っていて、パレスチナを取材しているジャーナリストたちの講演もしょっちゅう聞きに行っていた。
サークル仲間でジャーナリストを招いて講演会を企画したり、戦場ジャーナリストの事務所や自宅に話をうかがいにいったりもしていた。
イスラエルの非道ぶりが許せなくて、恨めしいとも思っていた。

旅をしているとイスラエル人の旅人に出会うことがよくある。
徴兵が終わったあと、兵役中に貯めたお金で旅行に出かけ、ためたストレスを発散させるイスラエル人が多いのだ。

「Where are you from?」と聞いて「Israel」と返されたら、心の中で「・・・ああ。イスラエルか・・・。」とパレスチナのことと結びつけていたし、そのたびにわだかまりを感じていた。

たまに自分から「いろいろと問題の多いイスラエル出身だよ」なんて言う人もいた。
そんなときはうまく切り返せなくて「ああ・・そうだよね」なんてお茶を濁していた。

わたしのなかのイスラエルに対する印象は最悪だった。
でも、だからこそ、絶対にイスラエルに行かなければと思っていた。

世界一周をしている人にとって、「ここだけは外せない」って場所があると思う。
きっとそれは絶景の「ウユニ塩湖」だったり、カオスが広がる「インドのバラナシ」だったり。
わたしの場合は、「イスラエル・パレスチナ」だった。

だからイスラエルに向かうとき「いよいよイスラエルかあ」と待ちに待ったような気分になるいっぽう、「もうイスラエルにむかっちゃうんだー」となんだかそのときを迎えるにはまだ早いような気もした。

この目で見るイスラエルってどんな国なんだろう。

自爆テロも多いから街の中の警備もすごいだろうし、いつも緊迫していて、きな臭くて、居心地が悪くて。

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イスラエルの大都市テルアビブで、そのイメージはくつがえされた。

海風に吹かれながら、みんながのんきにランニングしている。
海岸沿いはランニングコースに最適で、オープンカフェが並ぶ。

といっても、ありがちな海辺のリゾートとは違う。
お土産屋さんやホテルが建ち並んでいるわけではないし、ただそこで暮らしている人たちがマイペースに生活を謳歌している感じなのだ。

こんなにも平和に見える街を、かつて見たことがあるだろうか。

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高層ビルが立ち並び整備されていて、清潔感のある街。
そのいっぽう、バザールは地元の人でごった返し、どこか楽しい雰囲気もある街。

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旅に出て1年5か月。
29か国目。
この旅始まって以来、もっとも強くこう思った。

「この街でなら、生きていける。
ここで暮らしていくのも、いいかも。」


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まさかイスラエルでこんな感情を抱くなんて思ってもいなかった。

まさかパレスチナ人を迫害している国で。
まさかテロの危険と隣り合わせの国で。

暮らしていた福岡の街に似てるところがあるからかもしれない。
すぐそばには海があって、街の雰囲気はどこか開放的。
それなりに都会だけど、東京や大阪よりもごちゃごちゃしていないし、洗練された街のなかにも庶民の生活が垣間見える。

街には楽しいアートも。

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アーティストに愛される街で、コンテンポラリーダンスの有名なグループもいくつかある。
同性愛者にも寛容で、ここに引っ越してくるゲイのカップルも多いのだそう。

風通しのいい街。

ちょっと顔が怖くて陽気なマネキン。
こんなポップなマネキンがよく似合う街。

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普通の洋服屋さんの前で、こんなマネキンを発見。
イスラエルの国旗と星条旗を身につけている。
イスラエルとアメリカの親密さをあらわしているのか、深い意味はないのか。

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イスラエルは1949年にできた新しい国。
それまでユダヤ教徒たちは自分たちの国をもたず、世界に離散していた。
それぞれの国で少数派だったユダヤ教徒たちはときには迫害を受け、第二次大戦中はナチスドイツから虐殺された。

そしてようやくできたユダヤ教徒の国。
イスラエルの初代首相はダヴィッド・ベン・グリオン。
彼の住んでいた家が公開されている。

家の2階はまるで図書室。
次の部屋も、次の部屋も、本、本、本。
本でできたアーチみたい。

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新しい国のリーダーはとても知的な人だったんだろう。

各国の大統領の手紙や有名人との写真なんかが飾られているんだけど、書斎の目立つところに日本人形が。
日本にとってイスラエルは遠い国だけど、初代首相は日本が好きで親しみを感じていたのかもしれない。

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実はテルアビブ、世界遺産になっている。
「白い街」とも呼ばれ、おもしろいかたちの白い現代建築群が遺産として認定されている。
といっても、「白い街」と言うほど白い建物がずば抜けて多いわけではない。
テルアビブにかぎらず、だいたいどの街も白い建物って多いよね。
世界遺産になっている現代建築群も今となっては真新しいものではなく「え?これが世界遺産?」と拍子抜けする。
きっと、できた当時は斬新な建物だったのだろう。

20世紀から人工的に造られた街テルアビブ。
新しい建築様式を駆使した建物が並び、現代建築の最先端の街としてこの都市が形成されていった。

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34階建ての高層ビル、シャロームタワーに登ってみた。
建てられた1960年代には中東でもっとも高いビルだったらしい。

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イスラエルは、それまでそこに住んでいたパレスチナ人(アラブ人)たちを押しやるかたちでどんどん国を拡張させていっている。
今でも高層ビルが建設されつづけている。

第二次大戦後にイスラエルが建国されたとはいえ、それ以前から少数のユダヤ教徒たちがここに住み着き、開拓していた。
ここテルアビブにユダヤ教徒が住みはじめたのは1909年。
ヨーロッパから移住した60家族がアラブ人の土地を買い、住宅地をつくっていった。

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眺めが良さそうだからと入ってみたこのビルは、そんなテルアビブの歴史の資料館となっていた。

もともとは荒涼とした砂丘だったところを苦労して開拓し、こんな住宅地をつくったらしい。

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何もない場所に、ヨーロッパから移民してきて街をつくりはじめたフロンティア精神あふれる人たち。
この人たちのおかげで、いまのテルアビブがあるらしい。

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砂漠のような場所がみるみるうちに栄えていき、大きくなっていった。
現在では40万人の人たちが住んでいる。

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展示では、人が住み着かないような荒れ果てた砂漠地帯を苦労して開拓し、住みやすい街にしていった様子が説明されている。

でも、ほんとうにここは未開の地だったのだろうか。
確かに夏は暑い場所とはいえ、海があって魚が捕れて今の時期は涼しくて過ごしやすい。

実際にこの地にはずいぶん古くから人が住んでいた。

ここから歩いていけるところにヤッフォという港町がある。

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紀元前18世紀から栄えていた街で聖書にも登場する。
時代とともに支配がアラブや十字軍の手に移り、街は発展していった。
オスマン朝の時代にモスクが建てられ、アラブ色が強い街並みになった。
今では、イスラエルが管理する観光地となっている。

港の「旧市街」と聞いて、活気があってノスタルジックな感じの街並みを期待して行ったら、きれいに整備された場所で、アートギャラリーやカフェ、お土産屋さんが並ぶおしゃれな街並みだったのでケンゾーとともにがっかりした。

半径300メートルくらいのこじんまりしたヤッフォの旧市街にはユダヤ教にちなんだ建物もあれば、カトリックの教会もあるし、イスラム教のモスクもある。

宗教が入り乱れるこの国の縮図みたい。

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だけどイスラエルは、キリスト教やイスラム教の存在なんて重視しないかのように、まるでここはユダヤ教徒が開拓したユダヤ教徒のための場所であるかのようにふるまっている。

それでもわたしは、ここに居心地の良さを感じている。
この穏やかでさわやかな街にいると、領土や宗教で殺し合いの対立が起きていることが実感できない。

息苦しく、住みにくい国かと思っていた場所で「ここに住んでいいかも」なんて感じている。

このテルアビブは「なんてすがすがしい街なんだろう」って思う。

出会うイスラエル人はみんな愛想がいいし、おおらかなで気持ちがいい。
少しも陰気くさい感じはしない。

嫌いになるはずだと思っていたイスラエルが、好きになりつつある。

空港からエルサレムに直接行くつもりだったけど、すぐにメインをもってきてしまったらイスラエルとパレスチナの旅がすぐに終わりそうな気がして嫌だった。
ちょっとあと延ばしにしたいなと思って、エルサレムに行く前にテルアビブに立ち寄ることに決めた。
おまけのつもりで来たこの場所で、イスラエルの魅力を感じることになるなんて。

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イスラエルはこんなにも平和で住みやすい国なのだろうか。
ますますイスラエルという国がわからなくなった。

立ち寄らないつもりが、1泊することにし、結局「ここ、いいね」と2泊してしまった。

ケンゾーがつぶやいた。
「きょうはいよいよエルサレムかあ。
 何時に出発しようかね。」


わたしのなかでまだエルサレムに行くのは早い気がした。
それに、イスラエルのほかの街の様子も知りたくもあった。

「ねえ、きょうエルサレムに行くのやめない?
 テルアビブの北の街のハイファってとこ、気になる。」


さっそく、インターネットをつないでハイファのホテルを探しはじめた。
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イスラエルの空港で別室送り

2014.03.03 06:20|イスラエル☞EDIT
ここ最近、床の上に寝袋で寝ているケンゾーです。
ちょっと腰が痛いけれど、カウチサーフィンで泊まらせてもらっているので贅沢は言ってられない。

2か月あまり旅したヨーロッパともいったんお別れ。
次なる国へとひとっ飛び。
ケンゾーとイクエが次に目指すのは・・・イスラエル

テルアビブ

もともとイスラエルに行くことは決めていた。
ヨーロッパのどこの国からイスラエルに飛ぶのが安いのか調べていたらポーランドだった。
だからポーランドをこの時期に旅したのだった。

ちなみにWizz Airで荷物代を入れて1人114ドルくらい。
これがとなりのヨルダンだとグンと2倍くらいに値上がりするんだよね。

アウシュビッツ収容所などポーランドで大虐殺されたユダヤ人たち。
イスラエルはそんなユダヤ人たちが建国した国。
長きに渡って世界中で迫害されてきたユダヤ人が、いまではパレスチナ人(アラブ人)を迫害している。

飛行機の値段の都合でたまたまこういうルートになったんだけど、なんだか複雑な心境。

ワルシャワの市街地からバスに乗って空港へ。
今夜はテルアビブで空港泊するつもりなので食料も買い込んだ。

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途中バスが故障、乗り換えないといけないというハプニングが発生。
余裕をもってホテルを出たんだけど、空港に着いたのはフライト1時間前。

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Wizz Airは事前にネットでのチェックインをしていたのでチェックインはしなくていい。
(当日カウンターでチェックインすると、料金が上乗せされる)
40分前までに荷物を預ければいいのでぎりぎりセーフ。
ほかの航空会社だったらアウトだったかも。
(ただしEチケットを印刷して持参しないといけない)

LCCのWizz Airは運賃は安いけれど、オプションでいろんな追加料金が発生する。
預け荷物はもちろん有料だし、機内に持ち込む荷物も預け荷物よりも安いとはいえ大きいものは有料。
追加料金を最小限に抑えるため、預ける荷物はケンゾーのバックパックだけにし、イクエの分は有料の持込み荷物にすることにした。
ふたりの荷物をやりくりして重量リミットぎりぎりまでケンゾーのバックパックに詰め込んでいく。
かさばる2つの寝袋もバックパックにくくり付ける。

時間が迫ってるので焦るふたり。
ふとイクエを見ると、なんだかへんてこりんなことになってた!

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ケンゾーとイクエはユニクロのウルトラ ライトダウンを2着ずつ持ってる。(1着ずつ持ってたんだけど、ヨレヨレになってきたので新しいのをフランスまで家族に持ってきてもらった)
寒いときには重ね着してるんだけど、イクエ痛恨のミス!
互い違いでチャックしちゃってる。
これじゃあ、キカイダーだよ。

「あれ~、なんかヘンなことになっとる」ってのん気なこと言いよるけど、これかなり恥ずかしいよ。
人には言えないユニクロダウンの重ね着がバレバレやん。

LCCのWizz Airは機内に持ち込む手荷物は1人1個まで。
ケンゾーとイクエは「大目に見てくれないかな?」というセコい考えで3つ持ち込んでみることに。
同じLCCでもPegasusとかeasyJetとかはけっこうルーズなんだけど、Wizz Airは見逃してはくれなかった。
搭乗口で「機内持込みは1人1個まで!」と言われてしまい、「ヤバい、どうしよう」と慌てるふたり。
そしたら係員に「とにかく1つにしたらいいから」って言われた。

食料なんかを入れているイクエの手提げカバンの上にケンゾーのサブバッグを載っけてドッキング。
どこからどう見ても2つのカバンなんだけど、これでいいみたい。
ルールが厳しいのか緩いのかよく分んないや。

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いろいろとバタバタしたんだけど、けっきょく1時間遅れでテイクオフ。
寒さで機体が凍ってるのか、翼にお湯を吹きかけて溶かしてる。
この雪景色ともおさらばだ。
やっと寒さから脱出することができるよ!

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ワルシャワからテルアビブまで3時間半のフライト、夜の9時過ぎに到着。
もういい時間なんだけど、これから面倒くさいことが待ち受けてるんだよねえ。
それは入国審査

テルアビブ空港の入国審査は厳しいというか陰湿というか、とにかく面倒くさいことで有名。
団体旅行者はそうでもないけど、個人旅行者に対してはかなり厳しい。
なかでもいちばんの標的は、各国を渡り歩いているバックパッカー。
別室で長時間の質問攻め&放置プレイの憂き目にあった旅人は数知れず。
さすがに入国を拒否されることは滅多にないけど、入国するのに5、6時間待たされることはざら。
ケンゾーとイクエはイスラエルと敵対しているイランのスタンプがあるから別室送りは確実だろうなあ。
しかもイランのビザを延長して2か月滞在してるからね、アウトだね。
ドキドキしながらパスポートコントロールへ歩いていく。

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入国審査の列に並ぶ。
ケンゾーとイクエの列はじわじわと進んでいくけれど、となりの列はさっきからぜんぜん進まない。
先頭を見るとバックパッカー風の欧米人がターゲットにされている。
しばらくすると警備員がやって来て、別室へと連れて行かれてしまった。
・・・。
あ~、これが噂の別室送りかあ。
俺たちもこのパターンなんだろうなあ。

ケンゾーとイクエの番がやってきた。
「どこから来たのか?」
「イスラエルにどのくらい滞在予定か?」
「どこに泊まるのか?」

などよくある質問。

パラパラとパスポートをめくっていた係員の手が止まる。
「イランに行ったことあるんだ」
やっぱりそこ、見逃さないよねえ。

そこから怒濤の質問攻め。
「なんでイランに行ったのか?」
「イランに友だちはいるのか?」
「なんで2か月もイランに滞在したのか?」

などなど。

さらには職業、所持金、クレジットカードの有無(係官にカードの番号も控えられた)、預金高、なんの関係があるのかさっぱり分らない父親の名前まで質問の嵐。
並んでたほかの人たちはみんな入国しちゃって、気づいたら残ってるのはケンゾーとイクエだけ。
さんざん質問攻めにしたあげく「はい、あんたたちもあっちね」と、めでたく別室送りが宣告された。
どうせ別室送りにするなら無駄な質問なんかせずに、とっとと別室に連れていけばいいのに、ほんと時間のムダ。

案内された壁で区切られたスペースには8人の被害者。
「お、また戦友がやって来た」とお互い苦笑い。
これだけ仲間がいると心強い。

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ここで待ち受けていたのは放置プレイ。
ケンゾーとイクエはこうなることを予想していたので今夜は空港泊するつもりだった。
でもホテルを予約していたり、離れたところまで行かないといけない人は気が気じゃないだろうね。
迎えに来ている人もたまんないよ。

1時間くらいしてイクエだけパスポートを返してくれて釈放。
夫婦で同じ行動をしているから、1人だけ調べればじゅうぶんってことなんだろうな。

イクエは入国スタンプの代わりにカードを渡された。
イスラエルに空路で入国するときは、必死に「ノースタンプ!!」とアピールする必要はない。
(イスラエルの入国スタンプをパスポートに押されたら、イスラエルと敵対する国に行ったときに入国を拒否される場合がある。)
これで3か月滞在することができる。

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イクエは無罪放免されたけど、問題はケンゾー。
イクエから引き離されて個人面談が待っていた。
連れられた小部屋には若い女性兵士とパソコンを操作する男性兵士。
これか!噂に聞くドS女兵士は!

ここからマンツーマンでの取り調べがはじまる。
日本で何をしていたか、どうしてこんな長期間旅をしているのか、お金はいくら持ってるか、なんでイランに行ったのか、イランに友人はいるか、イスラエルに来た目的は、どこに泊まるか、イスラエルに友人はいるか、ウエストバンク(パレスチナ)には行くか・・・などなど。

携帯を持っているか聞かれたけれど、アドレス帳を見られたらイランに知り合いがいることがバレるので持ってないとウソをついた。
そしたら「こんな長期間旅してるのに携帯を持ってないなんてありえないでしょ!」ってかなり疑われたけどね。

最後に日本で使ってた携帯の番号とケンゾーとイクエのメールアドレス、それになぜか父と死んだじいちゃんの名前を紙に書いてとりあえず解放。
いやあ疲れた!
狭い個室で2対1、完全にアウェーの中でプライバシーを侵す質問攻め。
これはちょっとした人権侵害だよ。

尋問から解放されたあとは、またしても放置プレイ。
きっとハッキングしてメールとかFacebookとかチェックしてるんだろうな。
Facebook見られたらイラン人の友だちいるの一発でバレるな。
(実際パレスチナで出会ったスペイン人は、彼の目の前でFacebookをチェックされたんだそう。ちなみにこの彼、入国するまで8時間かかったそう。)

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入国審査の列に並んでから2時間。
やっとケンゾーも入国のお許しが出た。
パスポートを返しながら「Have a nice trip!」だって。
「時間とって悪かったね」の一言ぐらい言ってもいいやろうもん!
でも、まあ最悪4、5時間は覚悟してたので予想よりも早くてよかった。

あとから到着した便の荷物に紛れてターンテーブルでずっと回りつづけてた荷物を受取り、寝る場所を探していたらもう1時過ぎ。
さすがに疲れた、眠い。
でもテルアビブ空港は寝にくいことこの上ない!
イスには全部肘掛けが付いてるし、床に寝るのはちょっと場違いな雰囲気。

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気合いで寝ようとしたものの、時間が経つにつれて人が増えて騒々しくなったので場所変え。
別の階に薄暗い通路を発見したので寝袋を広げる。
よく見たら奥に4人くらい先客がいた。
考えることはみな同じだね。

翌朝、体中バッキバキで目が覚める。
寝袋があるとはいえ、さすがに39歳の体に床に直寝は堪えるよ。

ほとんどの旅人は空港からエルサレムへと直行する。
ケンゾーとイクエもはじめはそうしようかなあと思っていた。
だけどイクエが数日前に「せっかくなのでテルアビブにも泊まってみよう」と言い出した。
パレスチナとの対立を抱えるイスラエルでは、ただ観光するだけでは物足りないと思っていたイクエ。
できるだけ多くのパレスチナ人と話がしたい。
パレスチナを支援するNGOで少し活動できたらとインターネットで探したり受け入れをお願いしたりしたんだけど、いい返事がもらえなかった。
かといってこのまま一大観光地のエルサレムに行ってしまっては、そこでイスラエルの旅行が終わってしまう気がした。
どんなふうにこのイスラエルを旅すべきか。
テルアビブに立ち寄ったところで、結論の先送りにしかならず、何か変わるわけではないかもしれないけど・・・。
(でも、この選択がのちのち良かったって思えることに。)

まずは空港から列車に乗ってハガナー駅へ。
お値段なんと16シェケル(約480円)!
いきなりイスラエルの物価の洗礼を受けることに。
とてもきれいだしWi-Fiも付いてて言うことないんだけど、15分くらいで480円は高すぎるよ。

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ハガナー駅で降りたあとは西行きの16番のバスに乗る。
バスは1人6.9シェケル(約200円)。
「イスラエル人は愛想が悪くて感じ悪い」なんて話も聞いてたけど、空港のスタッフもバスの運転手も笑顔で対応してくれてとても好印象。
まあ、まだ半日しか経ってないからね。

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バスを降りるタイミングをうかがっていたら、黒いスーツにシルクハットの正統派のユダヤ人のおじさんが「どこで降りるの?」って優しく声をかけてくれて、「次だよ」って教えてくれた。
意外だった。

海岸に突き当たるところでバスを降りる。
雲ひとつない空、潮風になびくヤシの木、そして青い海!
昨日まで雪景色だったのにこのギャップ!
やっぱり暖かいところがいいねえ。

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この海は地中海なんだよね。
地中海はイタリアやチュニジアでも見てきたけど、「そっかあ、イスラエルも地中海に面してるんだあ」って自分の中でちょっとサプライズだった。
同じ海を共有してるのに、ヨーロッパと中東はあまりにも違ってるよなあ。

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ネットで事前予約したこのホテル、海沿いの部屋にはオープンテラスがあったりしてなかなかいい感じ。

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と思いきや、豪華ホテルや高層マンションが建ち並ぶ海岸沿いで、2階建てのこのホテルだけがかなり浮いている。
なんだか再開発に乗り遅れて取り残されてるみたい。

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「Beach Front Hotel」
Mixドミトリー1ベッド61.25シェケル(約1830円)
(予約サイトで申し込んでたんだけど「予約サイトの料金が間違ってた」と言われてサイトの料金の2倍くらいの料金を請求された。両者が歩み寄った結果、予約サイトの料金よりも高いけど正規料金よりも安い、この値段に落ちついた。)
フリーWi-Fi、朝食なし、キッチンあり(泊まったとき新設中だった)

名前のとおり、海が目の前に広がる好ロケーション。
屋上からの眺めは最高。

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ここから海を眺めていると平和そのもの。
華麗に波に乗るサーファー。

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ビーチではカップルやベビーカーを押したお母さんがのんびり散歩。

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マッチョな男たちが大胸筋をピクピクさせながら砂浜を行ったり来たり。

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そしてこのリゾート地を黒尽くめの服装で歩く正統派ユダヤ人。

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ここにいると毎日のように血が流れている国とは思えない。
いったいイスラエルってどんな国なんだろう。
そして、パレスチナは今どうなってるんだろう。

たくさんの問題を抱えたイスラエルとパレスチナ。
なかなか理解することは難しいけれど、このブログを見ながらいっしょに考えてもらえると嬉しいです。
1か月に渡るイスラエル・パレスチナのふたり旅スタートです。
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旅したポーランド こんな国

2014.03.01 05:39|ヨーロッパ☞EDIT
ポーランドには1/24~1/28まで4泊5日滞在しました。
目的はただひとつ、アウシュビッツ強制収容所に行くため。
たくさんのことを考えされられた場所でした。
そんなポーランドの旅を振り返ります。

◇旅の費用はいくら?

ポーランドでいくら使ったのか発表します。
 
交通費           217.60ズオティ
外食費            87.50ズオティ
その他のフード・ドリンク   96.11ズオティ
宿泊費           184.50ズオティ
観光費           138.00ズオティ
雑費             35.66ズオティ

合計  759.37ズオティ(1ズオティ=34.5円)
約5,231円/1日2人で

う〜ん、短い滞在だったのでなんとも言えないんだけど、物価はチェコやオーストリアと比べると安いかな。
食料品などの物の値段は安いけど、レストランなど外食の値段はそんなに変わらない。


◇移動手段はこうでした

クラクフもワルシャワもそんなに大きな街ではないので歩いて観光することが可能。
歩き疲れたら街中を網の目のように走っているトラムやバスを利用。
ただ、バスは路線がかなり複雑で乗りこなすのはかなり難しい。
目的地にたどり着くのはけっこう運頼み。
切符一枚で時間内ならバスやトラムは無料で乗り換えられる。
切符は自分で車内に設置されている機械に入れて改札するシステム。
たまにちゃんと改札したか調べにくる人がいて、してないのが見つかったら多額の罰金を取られる。

街から街への移動はバスやミニバスがたくさんあって苦労することはない。
クラクフからワルシャワへの長距離バスでは途中トイレ休憩があった。

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◇こんなお宿に泊まりました

すべてホステルブッカーズやホテルズコンバインドなどのインターネットの予約サイトから見つけた。
クラクフの人気のゲストハウスはすぐにいっぱいになるようなので、事前にネットから予約したほうがよさそう。
宿代はヨーロッパのほかの国と比べると安い。
キッチンやWi-Fiつきの宿は多い。
3つの宿に泊まったけれど、そのなかで一番よかったのがクラクフの旧市街にある「hostelfaust」
ツインで一室1680円。
共同シャワーやキッチンがフロアごとにあって、ひとつのフロアには2部屋しかなかったのでほぼ独占状態。
キッチン用品がそろっていなかったのが残念だけどきれいでおすすめ。

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◇これが一番うまかった!

ケンゾー 「キッシュ」
クラクフの旧ゲットー(ユダヤ人の隔離居住区)にあったおしゃれなカフェで食べた。
野菜がごろごろ入ってて見た目以上に食べごたえがある。
チーズがたっぷりかかっていてビールとの相性バッチリ。
この旧ゲットー地区にはスタイリッシュなカフェやショップが多い。

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イクエ 「魚のトマトソースマリネ」
スーパーのお惣菜コーナーで買ったもの。
魚はたぶんニシン。ポーランドではニシン料理がよく食べられるのだそう。
薄く切った魚を巻いて、酢とトマトソースに漬け込んである。
玉ねぎなどのほかの野菜も混じっていた。
酸っぱくてちょっと辛くて、日本酒にも合いそうな味だった。

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◇おすすめ!!一番良かった場所

ケンゾー 「アウシュビッツ収容所」
「良かった」というのはかなり語弊があるけれど、いまだに強烈な印象が残っている。
行きかったというよりは、行かないといけないと思っていた場所。
人間が同じ人間をなぜこんなにも残虐に殺せるのか理解できずに不思議でしょうがなかった。
実際にこの目で見て、中谷さんの話を聞いても、やっぱり釈然としない。
「なぜ愛する家族もいるふつうの人間がいとも簡単に殺人に加担するようになったのか」「なぜ虐殺がとどまることなく、逆にエスカレートしていったのか」「そもそもなぜこんな一民族をターゲットにした虐殺が起きてしまったのか」答えはなかなか出ないし、ひょっとすると答えは無いのかもしれない。
でも考え続けること、答えを出そうと努力することが大切なんだと教えられた。

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イクエ 「ビルケナウ収容所」
アウシュビッツ収容所から3キロ離れた場所にあるビルケナウ収容所。
建物もそのまま残っていて、展示品も多く、ガス室もあるアウシュビッツに比べて、ビルケナウはほとんどの建物が原型を保っていない。
けれど有刺鉄線で囲まれた広大な敷地にいくつもの収容棟の跡があり、ユダヤ人を貨物に乗せて移送させた引き込み線を見ると、アウシュビッツよりも寒々として逆におそろしく感じた。

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線路が途切れるそのすぐ近くにはガス室があり、ここまで運んだらそのまま殺す仕組みになっている。
ナチスが撤退するときに証拠隠滅のために破壊したガス室は70年経ってもそのままの状態で保存されている。

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広大な敷地にある負の歴史をこんなふうに保存し無料で一般公開するという姿勢には感心した。
これからも「世界遺産」として、人類の教科書として大事に残していってほしい。

アウシュビッツとビルケナウを合わせて3時間ほど見たけれど、時間が足りなかった。
入場は無料だし、2日に分けて見ても良かったかなあ。


◇ふらり ゆるり ポーランドの感想は?

ケンゾー
ポーランドの目的はアウシュビッツ収容所を見ること。
寒いし、ときおり吹雪くほどの天気もあいまって「ポーランドを楽しむぞ!」っていうノリにはならなかった。
それでもクラクフの美しい街並みを歩いたり、雪遊びを楽しんでいる家族を見かけるとフッと緊張が緩んでリラックスすることができた。
人々の穏やかな暮らしぶりを見ると、ほんとうにこの国で凄惨な大虐殺が行なわれたのかと疑わしくさえ思えてくる。
破壊から再生したワルシャワもそうだけど、いろいろと考えさせられる国。

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イクエ
ポーランドは街もこじんまりとしていて歩いてまわれるし、街を一歩出れば田舎でのどかな風景が広がっていてくつろげる。
物価も安いし、人も優しい。
たしかにアウシュビッツやクラクフ以外はこれといった観光地はないけれど、ここにのんびりと滞在し本を読んだりカフェに行ったり散歩したりして穏やかに過ごすのも悪くないと思った。
今回は極寒の冬に行ったけど、緑が美しい季節に行ったらまた違った雰囲気が味わえるだろうな。
アウシュビッツのことも含め、ポーランドは物思いにふけるのにふさわしい場所だと思います。

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