母の寝言で起こされ、夫の寝言で起こされているイクエです。
まあ、わたしも寝言を言ってるようですが・・・。
灼熱のシルクロードで7時間半の怒濤の移動をしたイクエとケンゾー。
やっとブハラの街に着いた。
あしたは母がやってくる。
程よいホテルを探したいけど、くたくたでバックパックを背負って探せるほどの体力がない。
一番最初に目についた宿に行ったらダブルで80ドル。
即却下。
次のホテルも60ドル。
はい、却下。
すると道端で夕涼みしている人の良さそうなおじさんに声をかけられた。
「このホテルいいよ」と言っている(ような気がする)。

ひとり10ドルで朝食付き。
ここにしようかと思ったら「ドミトリー」って言われて却下。
通りに戻ったら宿の女の子が追いかけてきて「ドミトリーじゃなくて個室で10ドルでいいから」って言ってくれた。
もう疲れてるからここでいいや。
とりあえず一泊して、明日おかあが来るけど、明日の宿は明日探そう。

建物は新しくないけど中庭があって悪くはない。
部屋にはクーラー
これ重要だね!
薄型テレビもあるけど、これはどうでもいい。

そして、なんと奥にもう一部屋。
計4台のベッド。
宿の女の子が言った。
「ここはファミリールームなの。
ふたりだから、この奥の部屋は使わないでね。」

これ、ちょうどいいやん!
「実はあした、もうひとり来るんだけど、そしたらこっちの部屋も使っていい?
3人でもひとり10ドルでいい?」
「もちろん!」
おかあが来たら、もっとちゃんとしたホテルに移らないといけないかなと思ってたけどここなら大丈夫そう。
なんてったって、お湯をためられる湯船があるバスルームつき。

3人で使うにはピッタリの部屋。
中庭でとる朝食も、見た目も味も悪くない。
これなら65歳のおかあも大丈夫かな。

そもそも、なんでイクエ母が来るのか。
わたしたちの世界一周の期間は未定だけど、保険は3年間かけてきている。
長期旅行をするにあたって一番ネックだったのは家族と離れることだった。
たぶんわたしがもっと若ければ自分のことしか考えずに好き放題に旅行してたのかもしれない。
だけど、この年になると65歳のおばあちゃんである母のことも気になるし、姪っ子甥っ子の成長ぶりも見たい。
だったら海外で年に1、2回会おうよ。
と言って、日本を出てきたのだ。
実はことしのお正月も台湾で合流している。
イクエ母・姉・姉夫・姉の娘・息子が台北に来てくれて、台北のホテルの衛星放送で紅白を見て、みんなでカウントダウンし、母と姉が用意してくれたおせち料理を食べた。
夏休みにまたみんなで合流しようとも考えたんだけどお金もかかるし姉家族も休みを取るのが難しいし、母だけ来てくれることになったのだ。
「8月はどの国にいるかな?」
「うーん、中央アジアかな」
「じゃあどこの国で会おうか」
「ウズベキスタンなら観光地も多いからどう?」
そんなふうにしてこの場所が決まった。
母は旅行が好きな人ではあるけれど、自分ひとりで飛行機を乗り継いでくるのは初めての体験。
九州から成田 成田からタシケント タシケントからブハラ。
ちゃんと今夜たどり着けるかな。
朝食をとっていたら、知らないおじさんがホテルにやってきて宿の人とお金を交換しあっている。

おじさんの横のテーブルには大量のお札。
出張両替商なんだって。
インフラが進むウズベキスタン。
高額紙幣は1000スムで、これは日本円でたったの40円くらいの価値しかない。
400円の物を買うのに紙幣が10枚も必要なんだよ。
みんなお財布なんてもっていない。だって、入らないから。
集金袋みたいなものに何十枚ものお札を入れて持ち歩いている。
スムの暴落はどんどん進んでいるようで、現地の人々は信用できるドルで貯蓄をする。
だから市民同士での両替が横行している。

公式レートは1ドル=2100スム、一般人による両替だと1ドル=2750スム。
ぜんぜん違う。
おかあも来ることだし何かとお金がいるのでとりあえず100ドル両替した。
50ドル2枚がこんなになる。
持ち歩くの大変!!

さらに市場に行ってみると「チェンジマネー? USドラー?」と声をかけてくる人たちがいる。
闇なので店舗は出していない。

お札の価値が低いので、ゴミ袋みたいなのに大量の紙幣を入れている。

1000スム(約40円)が一番の高額紙幣だったんだけど価値が低すぎてあまりにも不便だから、なんとことし5000スム(約200円)の紙幣が発行されたの!
でもまだほとんど出回ってなくて珍しい。
闇両替のお兄ちゃんがドヤ顔で見せてくれた。

おかあは午後9時にブハラ空港に着く予定。
初のひとり海外。
英語がしゃべれない。
おかあはわたしたちと合流できなかったらどうしようって不安がっていた。
「絶対空港まで迎えに行くから!」
そうメールでやりとりしていた。
おかあと確実に会うために、きのう灼熱のシルクロードを怒濤の移動をしてブハラに前日入りしたのだ。
こっちは大丈夫!
で、おかあは大丈夫なの!?
早めに空港へ。

わたしのほうが娘なのに、母親みたいな気持ちになって変な感じだ。
ちゃんと税関申告書、書けたかなあ。
入国のときに「観光で来ました」って英語で答えられたかなあ。
いちゃもんつけられて、賄賂請求されなかったかなあ。
タシケントから国内線に乗り換えられたかなあ。
出口に一番近いところで待ち構えとこう。
そう思ってたのに、ウズベキスタンの空港って、チケット持ってる人しか建物のなかに入れてもらえないの!!

おかあ、分かるかなあ。
ちゃんと建物の外まで出てきてくれるかなあ。
建物のなかでずっと待ってたりしないかなあ。

飛行機が到着して、どんどん人が出てきた。
おかあは「バックパックを担いで来る」って張り切ってた。
「担げるように練習しとかないと」ってメールに書いてた。
わたしが「コロコロのキャリーバッグでいいです」って返したら、「イクエたちに渡す荷物が多いから、じゃあバックパックとコロコロで来る」って言ってた。
暗くてよく見えないけど、バックパックとコロコロ姿のおかあは見逃さないはず。
空港から出てくる人の波が途絶えた。
もう誰も出てこないんじゃないの?
空港職員に探してもらうべきかな。
どんどん不安になる。
「わたし、あっちに行って待ってるからケンゾーはここで待ってて。
バックパックとコロコロね!」
日本人なんてひとりも出てこない。
日本人のツアー客でもいれば、おかあも日本語で聞けただろうに。
やっぱりタシケントで待ち合わせするべきだったかな。
どうしよう・・・。
ケンゾーの大きな声が聞こえた。
「おかん!! こっちこっち。」

ああーーー。よかった、よかった。
「会えて良かったー。
なんもなく、スムーズにいった?」
「それがたい、国際線と国内線の空港が別だったとよ。」
あちゃあ。
そこまで調べてなかった。
成田から到着して、タシケントでそのままブハラ行きの国内便に乗り換えられると思い込んでいた。
「ええ〜?
どうしたと?」
「空港から出たら、みんなから『タクシー、タクシー』って声かけられたったい。
だけん『ウォーク、ウォーク。バス、バス』って振り払ったけど、タクシーのおっちゃんが国内線のターミナルはここからえらい離れとるけん、車じゃないと行けんよって言わしたけん、タクシーに乗った。」
「いくらで?」
「10ドル払った。2ドルにしてって言ったけど10ドルって言われた。
まあ、でも10ドルくらいで無事にたどり着けたけん、良かったよ。
ぜんぜん悪い人じゃなかった。人をだまそうとかする人じゃなかったとよ。」
うんうん、いいよいいよ。
たぶん何倍かぼったくられてるけど、10ドルでちゃんと国内線ターミナルまで移動できたから。
「そしたらさ、タクシーのおっちゃんが『マダム、ちゃんとスムは持ってますか?自分がドルをスムに両替してあげますよ』って言わしたったい。」
母は来る前からお金のことを気にしていた。
わたしはドルでなんとかなるから、わざわざレートが悪い日本でウズベキスタンのお金に替える必要はないってメールしてたけど、母は「とりあえず成田で5万円分両替します」と言っていた。
だから「5万円も両替したら千枚以上の紙幣を渡されるからせめて1万円にして」って答えていた。
だけど、結局成田にはウズベキスタンのスムが置いてなくて、両替できずに来ていたのだそう。
「そしてたい、タクシーのおっちゃんが走りながらダッシュボードを開けて開けらしたらねえ、ぎっしり大量の紙幣が入っとったとよ。
あれは、圧倒されたよ。
それで50ドル分替えた。」
「えっ〜!? 50ドルも?」
「だって『100ドル替えるか200ドル替えるか』って迫られてね。
でも『20ドル』って言ったばってん『マダム、今の時代20ドルじゃなんも買えませんよ。それに公式レートは50ドルは100000スムだけど自分は110000で替えてあげる』って言わしたけんね。」
「いやいや、それでもお得じゃないし。
ちゃんとその場で数えた?」
「数えとらん。だって大量だもんね。
そんな人を騙すような感じのおじさんじゃなかったとよ。
なんか親切だったあ。
ウズベキスタンの人たちってみんな親切で、よか人よねえ」
ホテルに着いて母が両替したというお札を数えると、案の定110枚あるはずの紙幣は100枚しかなかった。
でも、いいのだ。
タクシー代と両替で損したお金はまあ1000円くらいだろう。
母が無事にここにたどり着けたことが、何よりのことなのだから。
母のコロコロのバッグの中身は、すべてわたしたちのための物だった。

持ってきてって頼んでいたのは日焼け止めや追加の衣類、耳かき、延長コード、ハードディスク・・・などなど。
さらに、おばちゃんや小さいころからイクエがお世話になっている人、母の友だちから下着や化粧水など差し入れもいただいた。
この場を借りて「ありがとうございます♡」。
そして、母から「ケンちゃん」に大量のプレゼントが。
義母に愛されていて良かったね、ケンゾー!!

母が旅行に備えて買ったというタブレット。
母はたくさんの動画を撮っていた。
ケンゾーが10年間飼っていたチワワの「ほたて」の最新映像。
そして、半年前よりも大きくなった姪っ子、甥っ子の様子。

いやあ、この写真のイクエの顔といったら・・・。
自分で見てビックリだよ。
姪っ子甥っ子には「おばちゃん」ではなく「イクちゃん」と呼ばせてるんだけど、この目尻のシワは完全に「おばちゃん」ですよ。

イクエとケンゾーの「ふたり、ふらり旅」。
これに、母が参戦。
65歳、初バックパッカーの母はふたりについていけるのか?
ケンゾーは義母とけんかせずうまくやれるのか?
さあ、これから2週間の「さんにん、ふらり旅」。
はじまり、はじまり〜。
まあ、わたしも寝言を言ってるようですが・・・。
灼熱のシルクロードで7時間半の怒濤の移動をしたイクエとケンゾー。
やっとブハラの街に着いた。
あしたは母がやってくる。
程よいホテルを探したいけど、くたくたでバックパックを背負って探せるほどの体力がない。
一番最初に目についた宿に行ったらダブルで80ドル。
即却下。
次のホテルも60ドル。
はい、却下。
すると道端で夕涼みしている人の良さそうなおじさんに声をかけられた。
「このホテルいいよ」と言っている(ような気がする)。

ひとり10ドルで朝食付き。
ここにしようかと思ったら「ドミトリー」って言われて却下。
通りに戻ったら宿の女の子が追いかけてきて「ドミトリーじゃなくて個室で10ドルでいいから」って言ってくれた。
もう疲れてるからここでいいや。
とりあえず一泊して、明日おかあが来るけど、明日の宿は明日探そう。

建物は新しくないけど中庭があって悪くはない。
部屋にはクーラー

これ重要だね!
薄型テレビもあるけど、これはどうでもいい。

そして、なんと奥にもう一部屋。
計4台のベッド。
宿の女の子が言った。
「ここはファミリールームなの。
ふたりだから、この奥の部屋は使わないでね。」

これ、ちょうどいいやん!
「実はあした、もうひとり来るんだけど、そしたらこっちの部屋も使っていい?
3人でもひとり10ドルでいい?」
「もちろん!」
おかあが来たら、もっとちゃんとしたホテルに移らないといけないかなと思ってたけどここなら大丈夫そう。
なんてったって、お湯をためられる湯船があるバスルームつき。

3人で使うにはピッタリの部屋。
中庭でとる朝食も、見た目も味も悪くない。
これなら65歳のおかあも大丈夫かな。

そもそも、なんでイクエ母が来るのか。
わたしたちの世界一周の期間は未定だけど、保険は3年間かけてきている。
長期旅行をするにあたって一番ネックだったのは家族と離れることだった。
たぶんわたしがもっと若ければ自分のことしか考えずに好き放題に旅行してたのかもしれない。
だけど、この年になると65歳のおばあちゃんである母のことも気になるし、姪っ子甥っ子の成長ぶりも見たい。
だったら海外で年に1、2回会おうよ。
と言って、日本を出てきたのだ。
実はことしのお正月も台湾で合流している。
イクエ母・姉・姉夫・姉の娘・息子が台北に来てくれて、台北のホテルの衛星放送で紅白を見て、みんなでカウントダウンし、母と姉が用意してくれたおせち料理を食べた。
夏休みにまたみんなで合流しようとも考えたんだけどお金もかかるし姉家族も休みを取るのが難しいし、母だけ来てくれることになったのだ。
「8月はどの国にいるかな?」
「うーん、中央アジアかな」
「じゃあどこの国で会おうか」
「ウズベキスタンなら観光地も多いからどう?」
そんなふうにしてこの場所が決まった。
母は旅行が好きな人ではあるけれど、自分ひとりで飛行機を乗り継いでくるのは初めての体験。
九州から成田 成田からタシケント タシケントからブハラ。
ちゃんと今夜たどり着けるかな。
朝食をとっていたら、知らないおじさんがホテルにやってきて宿の人とお金を交換しあっている。

おじさんの横のテーブルには大量のお札。
出張両替商なんだって。
インフラが進むウズベキスタン。
高額紙幣は1000スムで、これは日本円でたったの40円くらいの価値しかない。
400円の物を買うのに紙幣が10枚も必要なんだよ。
みんなお財布なんてもっていない。だって、入らないから。
集金袋みたいなものに何十枚ものお札を入れて持ち歩いている。
スムの暴落はどんどん進んでいるようで、現地の人々は信用できるドルで貯蓄をする。
だから市民同士での両替が横行している。

公式レートは1ドル=2100スム、一般人による両替だと1ドル=2750スム。
ぜんぜん違う。
おかあも来ることだし何かとお金がいるのでとりあえず100ドル両替した。
50ドル2枚がこんなになる。
持ち歩くの大変!!

さらに市場に行ってみると「チェンジマネー? USドラー?」と声をかけてくる人たちがいる。
闇なので店舗は出していない。

お札の価値が低いので、ゴミ袋みたいなのに大量の紙幣を入れている。

1000スム(約40円)が一番の高額紙幣だったんだけど価値が低すぎてあまりにも不便だから、なんとことし5000スム(約200円)の紙幣が発行されたの!
でもまだほとんど出回ってなくて珍しい。
闇両替のお兄ちゃんがドヤ顔で見せてくれた。

おかあは午後9時にブハラ空港に着く予定。
初のひとり海外。
英語がしゃべれない。
おかあはわたしたちと合流できなかったらどうしようって不安がっていた。
「絶対空港まで迎えに行くから!」
そうメールでやりとりしていた。
おかあと確実に会うために、きのう灼熱のシルクロードを怒濤の移動をしてブハラに前日入りしたのだ。
こっちは大丈夫!
で、おかあは大丈夫なの!?
早めに空港へ。

わたしのほうが娘なのに、母親みたいな気持ちになって変な感じだ。
ちゃんと税関申告書、書けたかなあ。
入国のときに「観光で来ました」って英語で答えられたかなあ。
いちゃもんつけられて、賄賂請求されなかったかなあ。
タシケントから国内線に乗り換えられたかなあ。
出口に一番近いところで待ち構えとこう。
そう思ってたのに、ウズベキスタンの空港って、チケット持ってる人しか建物のなかに入れてもらえないの!!

おかあ、分かるかなあ。
ちゃんと建物の外まで出てきてくれるかなあ。
建物のなかでずっと待ってたりしないかなあ。

飛行機が到着して、どんどん人が出てきた。
おかあは「バックパックを担いで来る」って張り切ってた。
「担げるように練習しとかないと」ってメールに書いてた。
わたしが「コロコロのキャリーバッグでいいです」って返したら、「イクエたちに渡す荷物が多いから、じゃあバックパックとコロコロで来る」って言ってた。
暗くてよく見えないけど、バックパックとコロコロ姿のおかあは見逃さないはず。
空港から出てくる人の波が途絶えた。
もう誰も出てこないんじゃないの?
空港職員に探してもらうべきかな。
どんどん不安になる。
「わたし、あっちに行って待ってるからケンゾーはここで待ってて。
バックパックとコロコロね!」
日本人なんてひとりも出てこない。
日本人のツアー客でもいれば、おかあも日本語で聞けただろうに。
やっぱりタシケントで待ち合わせするべきだったかな。
どうしよう・・・。
ケンゾーの大きな声が聞こえた。
「おかん!! こっちこっち。」

ああーーー。よかった、よかった。
「会えて良かったー。
なんもなく、スムーズにいった?」
「それがたい、国際線と国内線の空港が別だったとよ。」
あちゃあ。
そこまで調べてなかった。
成田から到着して、タシケントでそのままブハラ行きの国内便に乗り換えられると思い込んでいた。
「ええ〜?
どうしたと?」
「空港から出たら、みんなから『タクシー、タクシー』って声かけられたったい。
だけん『ウォーク、ウォーク。バス、バス』って振り払ったけど、タクシーのおっちゃんが国内線のターミナルはここからえらい離れとるけん、車じゃないと行けんよって言わしたけん、タクシーに乗った。」
「いくらで?」
「10ドル払った。2ドルにしてって言ったけど10ドルって言われた。
まあ、でも10ドルくらいで無事にたどり着けたけん、良かったよ。
ぜんぜん悪い人じゃなかった。人をだまそうとかする人じゃなかったとよ。」
うんうん、いいよいいよ。
たぶん何倍かぼったくられてるけど、10ドルでちゃんと国内線ターミナルまで移動できたから。
「そしたらさ、タクシーのおっちゃんが『マダム、ちゃんとスムは持ってますか?自分がドルをスムに両替してあげますよ』って言わしたったい。」
母は来る前からお金のことを気にしていた。
わたしはドルでなんとかなるから、わざわざレートが悪い日本でウズベキスタンのお金に替える必要はないってメールしてたけど、母は「とりあえず成田で5万円分両替します」と言っていた。
だから「5万円も両替したら千枚以上の紙幣を渡されるからせめて1万円にして」って答えていた。
だけど、結局成田にはウズベキスタンのスムが置いてなくて、両替できずに来ていたのだそう。
「そしてたい、タクシーのおっちゃんが走りながらダッシュボードを開けて開けらしたらねえ、ぎっしり大量の紙幣が入っとったとよ。
あれは、圧倒されたよ。
それで50ドル分替えた。」
「えっ〜!? 50ドルも?」
「だって『100ドル替えるか200ドル替えるか』って迫られてね。
でも『20ドル』って言ったばってん『マダム、今の時代20ドルじゃなんも買えませんよ。それに公式レートは50ドルは100000スムだけど自分は110000で替えてあげる』って言わしたけんね。」
「いやいや、それでもお得じゃないし。
ちゃんとその場で数えた?」
「数えとらん。だって大量だもんね。
そんな人を騙すような感じのおじさんじゃなかったとよ。
なんか親切だったあ。
ウズベキスタンの人たちってみんな親切で、よか人よねえ」
ホテルに着いて母が両替したというお札を数えると、案の定110枚あるはずの紙幣は100枚しかなかった。
でも、いいのだ。
タクシー代と両替で損したお金はまあ1000円くらいだろう。
母が無事にここにたどり着けたことが、何よりのことなのだから。
母のコロコロのバッグの中身は、すべてわたしたちのための物だった。

持ってきてって頼んでいたのは日焼け止めや追加の衣類、耳かき、延長コード、ハードディスク・・・などなど。
さらに、おばちゃんや小さいころからイクエがお世話になっている人、母の友だちから下着や化粧水など差し入れもいただいた。
この場を借りて「ありがとうございます♡」。
そして、母から「ケンちゃん」に大量のプレゼントが。
義母に愛されていて良かったね、ケンゾー!!

母が旅行に備えて買ったというタブレット。
母はたくさんの動画を撮っていた。
ケンゾーが10年間飼っていたチワワの「ほたて」の最新映像。
そして、半年前よりも大きくなった姪っ子、甥っ子の様子。

いやあ、この写真のイクエの顔といったら・・・。
自分で見てビックリだよ。
姪っ子甥っ子には「おばちゃん」ではなく「イクちゃん」と呼ばせてるんだけど、この目尻のシワは完全に「おばちゃん」ですよ。

イクエとケンゾーの「ふたり、ふらり旅」。
これに、母が参戦。
65歳、初バックパッカーの母はふたりについていけるのか?
ケンゾーは義母とけんかせずうまくやれるのか?
さあ、これから2週間の「さんにん、ふらり旅」。
はじまり、はじまり〜。
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