Now,we are HERE!
訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
プロフィール

ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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ネパールの秘境の日常生活

2012.09.03 22:59|ネパール☞EDIT
2009年に行ったネパール。
旅で観光地をめぐるのもいいけれど
名もない村を訪れて現地の人たちがどんな生活をしているのか知りたい。

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なんとかホームステイできないかな〜と思っていたら
インターネットで見つけた。
ネパールの現地旅行会社「ガーレ トレックス」。
社長は日本語ペラペラでとっても紳士。NGOのような活動もしている。
スタッフもほとんどネパール人だけど日本語が話せるし
ネパールに行くかたにはとてもおすすめです

イクエとケンゾーが行った村はガーレトレックスの社長のふるさと。
これまでそこにお客さんを連れて行ったことがなくて
新しいオプショナルツアーの開拓とガイドの研修もかねて
イクエとケンゾーにスタッフ3人が同行。

寝袋や荷物とともにバスの屋根にのって村を目指す。

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バスを降りたらひたすら歩く。
すぐに着くのかと思っていたのに
ずっとずっと歩き続ける。
まだかな、まだかな、と思いながら足を動かし数時間たった。

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もっと荷物を軽くしておけばよかった。

山道を歩いていたら細長い建物を発見
賑やかな声が聞こえてきた。

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田舎の小学校だった。

ネパールではマオイスト(=ネパール共産党毛沢東主義派)たちが
国王政府と対立し、武装闘争をしている。
テロ組織と見なされるときもある。
そんなマオイストであるが、こういう貧しい農村にも学校を作り
子どもたちに教育の機会を与えているので田舎では支持している人も多い。
実際、ネパール人のマオイストへの印象を聞くと反対派、賛成派とさまざまだった。

土壁の教室におじゃまします。

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ちょうど英語の授業をやっていた。
山の中で暮らす子どもたちにとっては、ケンゾーとイクエが初めて見る外国人。
「どこの国の人でしょう?」という先生の質問に、子どもたちは
「インド!」「アメリカ!」「パキスタン!」「バングラデシュ!」

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「外国人」であるケンゾーとイクエを前に、子どもたちは英語で自己紹介。
とっても緊張していた。

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すっごく歩き疲れていたのに、子どもに会って疲れもふっとんだ
人間て不思議。おどろくほど足が軽くなった。
休憩しても足が重いままだったのに、子どもと会えただけでこんなに元気になるとは
途中で出会ったヤギと写真を撮る余裕も出てきた♪

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ちょうど学校を終えて下校している子どもたちが私たちに追いついた。

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子どもたちはとっても元気。
いつも数時間かけて学校に通っている子もいる。
鍛えられた足で上り坂でもすたすた歩いていく。

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5時間くらい歩いてやっとホームステイする村が見えてきた。

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お世話になる家はこちら。
庭にはヤギや鶏、牛が共存している。

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村の子どもたちが大集合。
いっしょに折り紙で紙飛行機を作る。

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本物の飛行機はもちろん、テレビもないから飛行機の映像さえ
見たことがない子がほとんどだけど、みんな紙飛行機に大興奮!
村にはオモチャもないからとても喜んでくれる。

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そんな楽しげな子どもたちのわきでは、まもなく死を迎えようとしていた2羽がいた。

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頭をナタで切り落とし、血抜きをし、羽をむしる。
山の上に住むここの人たちは、ふもとの市場に買い出しにいくのも大変なので
ほとんど自給自足。肉は貴重で年に1、2度しか食べないのだという。
最大のおもてなしに感謝。

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とても新鮮な地鶏の炭火焼は最高だった!
家庭で作られた地酒もおいしくいただき、みんなで酔っていい気持ち。

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寝床は小さなスペース。
2人で寝袋を敷いて、ぎゅうぎゅうで眠った。

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朝起きて村の人たちの仕事は水汲み。
水道もないので離れた井戸まで歩いていき、重たい水かめを運ぶ。
ものすごーく重たい。重労働!!

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この村の人たちは慎ましく昔ながらの生活を続けている。
それでも満ち足りた生活をしている。

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ただ、病院がないという問題がある。
病気やケガをしたら5時間くらいかけて下山し
さらに街の病院までいかないといけない。
助かる命も助からないので寿命はとても短いようだ。

村には子どもたちがたくさんいるけれど
あと30年後には集落はどうなっているのだろう。


2日目は、日本から持ってきた材料で白玉団子作り。
近くに井戸がないので子どもたちは手を洗う機会が少ないのか、手がまっくろ。
ウェットティッシュで一人一人の手を丁寧に拭いてあげるところからスタート。
蓄積されている汚れはなかなか落ちなかったけど
子どもたちは上手に団子を丸めた
ネパールでは左手は不浄とされているので
気づいたら子どもたちは右手だけで丸めてた!!
イクエとケンゾーは気にせず両手でやってたので反省・・・。

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水も貴重だと思うと、料理に水を使うこともためらわれる。
たくさんの団子を同じお湯でゆでる。

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持参したきな粉とあんこをお好みでつけて「いただきまーす」

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ホームステイ先を去るとき、おでこに赤い印をつけてもらい
花の首飾りをもらった。
旅の安全を祈ってもらう。

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帰りはひたすら山を下る。

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喉がカラカラだけど、水を飲める場所がない。
わずかなペットボトルの水を口にふくんで
ひとくち分を時間をかけて少しずつごくりごくりと飲んで
気を紛らわすという、いいのか悪いのかわからない技をあみだしてしのぐ。

この日は山のふもとのスタッフの実家に泊まる。
山の上の集落よりは街に近いし、井戸がある。
前日は水がなくて水浴びもできなかったので体はベトベト。
さっそくシャワーを浴びる。

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すっぽんぽんで体を洗いたいけれど、服のまま洗う。
なぜなら、道路に面して丸見えだから

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ここも田舎ではあるけれど、前日の秘境の子たちに比べると
都会っぽい雰囲気がある。

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ここでも、お別れの時は額に印をつけてもらう儀式をした。

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とくに何もしない旅行。
ただ、現地の人の日常をみて、いっしょに生活してみるという旅。
そんな旅が思い出に強く残る。

気になる!? 旅の予算は・・・

2012.09.03 10:14|あれこれ準備☞EDIT
「長期の世界旅行をする」っていうと
みんな知りたいことが「いったいいくらかかるの?」ってことだと思う

でも、他人に懐事情を聞くのは失礼かな〜と思うのか直接的な質問を控えて
「お金、大丈夫なんだ〜」と軽く触れる人もいるし
「ぶっちゃけ旅の予算はいくら?」ってストレートに聞いてくる人もいる

なかには数年の世界一周なんて数千万かかるんじゃない?
って思ってる人もいるみたい。
たぶんそれはよく居酒屋のトイレとかに貼ってあるピー◯ボー◯世界一周の船旅の
ポスターを思い浮かべるからかもしれない
90日間で百何十万とか書いてある。
たしかに、そんなふうに3年間旅行してたら2人で数千万はいってしまう
そんなそんな、めっそうもございません。
そんなお金はかけられません

以前、イクエがインドを旅行したときに知り合った日本人の学生が
ピー◯ボー◯のクルーズの体験者だった。
「おもしろかったんだけど、船での移動時間が長すぎて
一か所での滞在期間がすごく短いし
こうやって自分で旅行をしてみたら、あー高かったなって思う。
もっと安い値段で好きな期間、好きなところに行ける個人旅行のほうが断然いい」
って言ってた。

ピー◯ボー◯は、安心して優雅な世界一周ができるということで
リタイアした高齢者にはいいと思うんだけど、よく学生なのに参加するなあって思う。
学生なのにそんなお金をたったの3か月で使うなんて・・・
よくそんなお金を捻出できるなあ。
ケンゾーとイクエはもっと年取って安心のスローな旅がしたくなって
宝くじがあたったら参加しようかな

で、今回の旅の予算。
実際にやってみないとわからないけど
日本で生活するよりも安く過ごすことを目標にしています
日本で生活していると、月々の家賃や光熱費、食費、交通費、交際費、住民税など
けっこうな額かかるけど、物価の安い国だと安宿1泊500円以下
一食200円くらいでお腹いっぱいになるので
1日1人1000円くらいで過ごせる。
急ぐ旅じゃないので、飛行機などもほとんど利用せずに
安いバスや電車、船でちんたらちんたら移動します。
物価の高いヨーロッパなどには長居しないと思う。

でもケチケチ旅行は疲れるし、「入場料が高いからここに行くのはあきらめる」とか
「お金かかるから、ここまで来たけどこれはやらない」とか
お金のせいであきらめるのは、なんのために旅行しているかわからなくなるので
お金をかけるところにはかけるつもり♪

とくにホームステイとかボランティア活動の参加とかアクティビティーとか
体験型のものにはお金をかけたいと思う。
わたちしたちの旅の醍醐味ですから

少なくとも、金持ちの道楽のような旅にはしません。
日本で生活するよりもお金はかからない。
問題なのはその間無職なので収入がないということ。
収入はなくて消費だけの期間が3年続く・・・。

でもケンゾーとイクエは結婚して一度も車を買っていない
車を買っていたら、維持費や駐車場代やガソリン代あわせて
数百万円は使っていたはず。
同僚や友だちはマンションを買ったり家を建てたりしているけど
わたしたちは今まで全部賃貸
その分、「旅行」というものにお金を使ってもいいんじゃない?
ってことで今回の旅に踏み切りました

人ぞれぞれ価値観は違うから
「後に何も残らない旅行にお金をかけるなんてもったいない!」
って思う人もいるかもしれない。

確かに何も残らない。
けれど、旅行が終わっても
「2人であそこ行ったねー。あれしたねー。楽しかったねー。」って思い出せる。

年取っても思い出話で楽しめて、自分たちの人生に満足なら
そう高くない買い物かもしれない

旅の道連れはアイデア商品

2012.09.02 21:48|旅のおとも☞EDIT
旅は身軽がいいけれど、いろんな物をもっていると安心する。

どれを持っていき、どれを置いていくか。

必要なものできれば持っていきたいものあったら便利かもしれないもの

「必要なもの」だけでもけっこうな荷物になってしまうけど
便利かもしれないからという理由でもっていくことにしたものもある

さて、これは何でしょう

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答えは「ポータブル洗濯板」
シリコン製で表と裏に幅の違う溝がついている。
LOFTで入手。
旅行中は基本は手洗いになるので役に立ってくれるかな。


同じくシリコン製のこちらも持っていくことにした。

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折りたためるフタ付き容器&コップ。
シリコンなので熱いもの冷たいものを入れても大丈夫
もちろんレンジも。
実際はそんなに使わないかもしれないけれど軽いので旅の道連れに決定。
どちらも100円ショップで入手。すごいぞ! 100円ショップ


こちらも100円ショップの商品。

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移動中の乗り物や明るいところで仮眠に使うアイマスク。
ふつうのアイマスクに見えるけど、メッシュ製でつけたまんまでも
目を開けるとまわりの様子をうかがえる。

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知らない場所や他の人もいる場所で完全にまわりが見えなくなると不安だけど
これだと物音がしたらアイマスクを外さなくてもまわりや自分の荷物を確認できる。


軽くてすぐに乾く手ぬぐいをタオル代わりに持っていくつもりだけど
この手ぬぐいはおとといイクエの職場の先輩からプレゼントされた。

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それぞれ肌触りが違って、ピンクのほうはガーゼぽくって
ケガをしたときにも巻いて使えるんだって。
そして、なぜ先輩がこの手ぬぐいを選んだかというと・・・。
「にじゆら」が
このブログのタイトル「ゆるりとぐるり」になんか似ているから。

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必ず使う物よりも、「あったら便利かも」と思って持っていく物のほうが
実際に使った時「やっぱり、持ってきて良かった」と
うれしさは大きいものだ

水木先生も出兵 戦地だったラバウル

2012.09.02 15:42|パプアニューギニア☞EDIT
南太平洋に浮かぶパプアニューギニア。

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「パプア」は縮れ毛という意味。
そしてここに住む人たちがアフリカの「ギニア」に住む人たちに
似ていたことから探検家によってパプアニューギニアと名付けられたそう。

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みんなとても人懐っこい。
人種の違うケンゾーとイクエを見つけるとどこからでも手を振ってくれる。

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車に乗っていると、道行く人のあいさつにこたえて
こちらもずっと手を振るので「皇室の人」になった気分になる。

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パプアニューギニアで有名なのが
5000年前から作られている貝の貨幣、「シェルマネー」。
日本でも「貨」「財」「貯」「買」「費」などお金に関する漢字には
「貝」がついているけれど、私たちにはお金=貝というイメージはわかない。
でも、パプアニューギニアでは通常の貨幣とは別に今でもシェルマネーが作られ
そして使われている。
小さな貝がらを木のツルに通してネックレスのようにする。

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結婚式の結納金として渡したり、学費を納められない貧しい家庭は
お金の代わりにシェルマネーを学校に贈るので
今でも学校に行けばシェルマネーが飾ってある校舎もあるんだそう。

そんな伝統的な文化が残るパプアニューギニア。
日本にいると「パプアニューギニア」という国名を聞く機会も少ない。
「どこにあるんだっけ?」とも思う。
けれど、パプアニューギニアのニューブリテン島、ラバウルに行くと
日本の歴史を知ることになる。
このラバウルは第二次世界大戦のとき、日本が上陸した場所。
日本人は忘れているかもしれないけれど
パプアニューギニアには日本の戦跡がたくさんあって
現地の人たちはその歴史を忘れることはない。

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海沿いの道路の近くにはたくさんのトンネル。
日本軍の戦車や船の格納庫として使われたり
陸揚げした物資の貯蔵庫となっていたようだ。
今でもそんな戦跡を見ながら、現地の人たちは生活している。

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日本軍の大型発動機艇(大発)。海からレールでトンネル内に運び入れていたらしい。

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こちらは山本五十六がいたという「山本バンカー」と呼ばれる地下壕の海軍司令基地。

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ヤシの林にはポツンと残された戦闘機。

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陸だけではなく、海の中にも日本軍の落とし物がある。
そう聞いて足下の悪い場所から海に入り、ダイビング。

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日本軍が使っていたクレーン船。
戦争のときこれで荷物を陸揚げしていたらしい。

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錆び付いていて、いまでは魚礁になっているとはいえ70年近くたっても残っている。
日本ではこのクレーン船の存在なんて忘れさられているけれど
撤去する人もなく、あと何十年、何百年たっても残るのかもしれない。


ラバウルには、日本兵たちが「温泉」と称して
戦闘の合間に、癒しを求めていた場所がある。
そこは、日本軍の飛行機が離着陸をしていたかつてのラバウル飛行場の近くにある。
火山のすぐそばのカルデラを目指す。
火山灰で覆われたグレーの世界のなかを車で向かう。

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砂浜からは湯気がでている。

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沖にいくほど温泉と海水が混ざって温度が下がるので
自分にぴったりの湯加減の場所を探す。
火山灰が沈んでいるのでベタつくかなと思ったけど
さらっとしていてけっこういいお湯。
今も噴火を続けるダブルブル火山が銭湯の富士山の絵みたい。

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このお湯につかりながら、日本兵たちは帰れないかもしれないふるさとに
思いを馳せていたのかな。
日本兵たちはここを「花咲温泉」と呼んでいたのだそう。

ホテルから水着を着ていたケンゾーとイクエ。
パプアニューギニアで、本物の露天風呂につかる。

せっかくなので、現地のガイドさんに2ショットの撮影をお願いした。

さて、どんな写真が撮れたかな・・・。



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ちっちゃい!!
野良犬も写り込んでいて、なかなかシュールな画になって笑える。
狙って撮れるような画じゃない。傑作だ

実はこのラバウル、『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した水木しげるが出征していた場所だ。
ケンゾーとイクエは旅行の前に、水木しげるが書いた『ラバウル戦記』を読んだ。
絵と文章で構成された絵日記のような本。
水木センセイは、戦争中に腕を失っているし
仲間が死んでいくのも目の当たりにし、地獄のような体験をしたはずなんだけど
なぜか読んでて笑える。
地獄の体験や、軍隊内部でしごかれたことなどをあっけらかんと書いている。
これはとてもおすすめなので読んでみてください
戦争ものですが、半分は絵なので楽に読める。

水木センセイは、現地の「土人」(←水木センセイはこう呼んでいる)に
気に入られ、戦争中に土人の家にホームステイしたり、果物を差し入れしてもらったりと
かなりの交流をしていたようだ。
戦争が終わってからは、もう日本に帰らずにパプアニューギニアで
現地人といっしょに生活しようと思っていたのだけど
上官に帰国することを説得されたのだという。
ほんとうにおもしろい人だ。

パプアニューギニアには何百もの部族がいて、それぞれ伝統的な衣装や祭りがある。
水木センセイも部隊を抜け出しては「土人」のところにいって
いろんな踊りを見せてもらっていたらしい。
空港の壁には部族の祭りの様子が描かれている。

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なんとなく水木ワールドに通じるものがある。

友だち何人できるかな ♪

2012.09.02 00:23|旅のおとも☞EDIT
旅で楽しみなことはいっぱいある。
そのひとつは人との出会いだ。

出会った人には自分たちのことをいつまでも覚えておいてほしいし
別れた後も連絡を取り合いたいのでふたりの名刺を作りました
今までも旅先で出会った人と連絡先をメモに走り書きして交換してたけど
紙切れだったらすぐどこかに紛れてしまうし
「あれ、この名前の人、あの人だっけ?それとも違うあの人だっけ?」と
分からなくなっていた。
なので、ちゃんと作ったよ。
肩書きのない名刺を持つのは初めて

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インパクト重視で似てないけど似顔絵をのっけて。
肌の色を強調しすぎて、ケンゾーが黒人、イクエが白人みたいに
なってしまった・・・。

旅行中に髪型がかわったり、肌の色がかわったりするだろうけど
なんとな〜く「あ〜あの2人か」ってわかってくれるかな。

外国人受けがいいように四字熟語も使って。
渡すときに「一期一会っていうのは・・・」って会話も弾みそうだし
外国人好みのジャパニーズっぽいし。

とりあえず300枚くらい。
無くなったら、その国でコピーしようかな。

ケンゾーとイクエは筆まめではない。
これまでの旅行でも連絡先を交換して、そのときは
「手紙書こう」「写真送ろう」って思うんだけど
日本に帰って日常の生活に戻ると忙しさにかまけて
ついつい連絡をとるのを先延ばしにして結局は疎遠になってしまう

これからの旅行では、すぐにメールを送って
せっかく偶然にも異国で出会った人たちと
つながっていられるように努力しよう

旅立ちを前にケーキ入刀☆ 

2012.09.01 23:14|あれこれ準備☞EDIT
今週からふたりで暮らしていた賃貸マンションを引っ越して
今はイクエの実家に居候している。

きょうは実家で3歳になる甥っ子の誕生日会
甥っ子の誕生日まで、まだ10日近くあるけれど
ケンゾーとイクエが日本にいる間に一足先にやろうということで
みんなで手巻き寿司パーティーを開催。
甥っ子にみんなからプラレールのオモチャや
機関車トーマスグッズをプレゼント

ことばを覚え、自我も芽生え始めた甥っ子。
いっしょにいると日々成長していることを感じる。
そんな甥っ子を見ていると「こどもってすごいなあ」
「もうそんなこともできるんだ〜」「うわあ〜おもしろーい」と
発見があったり感動したりの連続。

けれど、これから旅行に行けば長期間家族と離れることになる。
もう二度とやってこない3歳、4歳の甥っ子の姿を見られないのがとても残念
子どもの3、4歳ってとってもかわいい。
いま6歳の姪っ子が3歳、4歳だったころのことを思い出して
「かわいかったなあ」と思い返すこともあるけど
甥っ子に対してはそれができなくなる。

もう小学生の姪っ子は大丈夫だろうけど
幼い甥っ子の場合は2〜3年旅行に行ってたら
わたしたちのことを忘れてしまうかもなあ

そんな思いで迎えたきょうの誕生日会
甥っ子のバースデーケーキが用意されていた
ハッピーバースデーの歌を大合唱。

でも、チョコレートのプレートの文字を見ると・・・。

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姉が「イクエとケンゾーによるケーキ入刀〜!!」と言って
ふたりで披露宴以来のケーキ入刀をした

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甥っ子の3歳の誕生日と、ふたりの旅立ちを祝って乾杯


イクエは人からよく「家族に旅行のこと反対されなかった?」と聞かれる。
もちろん、ほとんどノープランの旅で帰国後の生活設計もたってないことを
すんなり受け入れて賛成してくれる家族なんてそうそういない。
最初は「仕事続けたほうがいいんじゃない?」
「はあぁぁあ〜。なんでそんな旅行するの?」と家族から言われた。

でも世界旅行を決めて2年あまり。
ケンゾーとイクエの意志がかわらないし
「もうしょうがないか」と半分あきらめて送り出してくれているようだ。
いまでも「行きっぱなしじゃなくて半年に一度くらい帰ってくればいいじゃん」って
言われる。
そのたびに今は「逆にみんながイクエたちのところに来て
外国で合流して1週間くらい一緒に旅行しよう。
空港まで迎えに来るから」って誘っている。

家族とまるっきり3年くらい会わないのはとても寂しい。
甥っ子に忘れられないためにも、そんなことが実現したらいいなあ

まあ、でも一番は、ケンゾーとイクエが家族のアドバイスも聞かずに
自分たちのわがままを通して旅立つにも関わらず
家族は2人の思いを尊重して送り出してくれているのだから
とにかく無茶をせず、無事で帰国するってことを絶対に守ろう!って
きょうのケーキ入刀で改めて思いました