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訪れた国は78カ国
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2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
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ひとつの民族が消えた街

2014.09.16 06:27|コソボ☞EDIT
久しぶりに風邪をひいてしまったケンゾーです。
すこし熱があるので母直伝の秘策で療養中。
その秘策とは・・・とにかく厚着をして寝て汗をかく!
子どものころから熱が出た時は汗かき作戦だった。
40歳になる今でもこの技を使ってるんだけど、妻の反応は「ふ~ん・・・」。
冷ややかな妻を横目にありったけの服を着込んで必死に汗かき中!

セルビアからの独立をほぼ成し遂げ、一見すると平和な生活を取り戻したかに見えるコソボ。
けれど、いったん殺し合いにまで発展してしまった民族・宗教対立は、まだまだここに住む人々に深い影を落としている。

きょうは朽ち果てようとしている世界遺産のセルビア正教会があったプリズレンから、首都プリシュティナへ移動。
バスの車窓から広い敷地をもつKFOR(NATO主体の国際部隊)の駐屯地が見える。

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ここはドイツの部隊だろうか。
コソボ紛争終結から15年。
他国の部隊が撤退する日はいつやってくるのか。

プリズレンからプリシュティナまでは4ユーロ。
およそ1時間半でプリシュティナのバスターミナルに到着。

プリシュティナ

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新しい街に到着したとき、最初に乗り越えないといけないハードルがある。
それは、ホテルまでどうやって行きつくかということ。

駅もバスターミナルも繁華街も一か所に集まっていて、どこに行くのも徒歩圏内っていう小さな町だと心配無用。
大きな街でもメトロやトラム、外国人にも路線が分かりやすいバスがあれば大丈夫。
問題なのはその中間。
ターミナルや駅から公共の交通手段があるのか分かりにくい、そして歩くには街が大きすぎる場合。

プリシュティナはまさにそういう中途半端な街。
バスターミナルからホテルまでおよそ4km。
バックパックを背負って歩くにはちょっと遠い。
けれどバスターミナルの周囲にはタクシーの姿しか見えない。
幹線道路まで出ると客待ちしてる乗合いワゴンが見つかったんだけど、言葉が通じなくてどれが街のセンターに行くのかさっぱり分からない。

しばらく奮闘したんだけど諦めて、普段は使わないタクシーに乗ることに。
どうでもいいことなんだけど、タクシーを使っちゃうとなんだか「負けた」感じがするんだよね。
「あ~あ、まだまだダメだなあ」なんて思ってしまう。

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バスターミナルからホテルがあるセンターまで値切って3ユーロ。
あとでホテルのオーナーに聞くと「3ユーロで乗れたんならいいほうだよ」って言われたけど、やっぱりタクシーは贅沢な乗り物だ。

ネットで予約した宿は「HOSTEL PRISHTINA」
団地のような建物の一室で、看板も小さくてパッと見はここにゲストハウスがあるなんて分からない。

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部屋は6ベッドドミトリーで1ベッド8ユーロ。
Wi-Fi、キッチンありで、共有スペースも居心地がいい。

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コソボ紛争の際には激戦地となったプリシュティナ。
深刻なダメージを受けた街は、いまだに復興の道半ばにある。
そんなプリシュティナの街の一画にあるのが・・・

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ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領の銅像。
セルビアを空爆し、独立を後押ししてくれたクリントンとアメリカはコソボでは英雄扱い。

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ちなみに、この銅像が置かれている前の通りは「ビル・クリントン ストリート」。
ここまでアメリカ大好きな国もほんとに珍しい。
ほかにも、自由の女神が屋根の上にのっかってる、その名も「VICTORY」というホテルもある。

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宿の近くにあるマーケット。
いまはラマダン(イスラムの断食月)中なんだけどなかなか活気がある。

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人で賑わうマーケットを見ると景気がいいように見えるけれど、コソボはヨーロッパ最貧国のひとつ。
自分たちでは生活が成り立たず、25%の世帯が国外に住む親類縁者からのお金に頼っているんだそう。

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プリシュティナの目抜き通り。
両サイドにブティックやレストランが並んだまだ真新しい通り。

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路上にはアクセサリーやおもちゃを売る露店が並んでいる。
どの国でも見かけるよくある光景。

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風車に風船、ほのぼのした微笑ましい光景。
でも国旗柄の風船は珍しい。
青いコソボと赤いアルバニア。
こんなところにまで見え隠れする民族意識。

キャーキャー叫びながら噴水で遊ぶ、紛争後に生まれた子どもたち。

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その子どもたちの背後には、紛争でなくなったアルバニア人の写真が掲げられている。

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電光掲示板で次々に映し出される犠牲者のプロフィール。

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忘れてはいけない悲劇だけど、紛争を知らない子どもたちに過度な民族意識を芽生えさせ、争いを煽ることがないように願うのみ。

紛争前はプリシュティナの人口の15%ほどいたセルビア人。
NATO軍がセルビアを空爆しはじめると、セルビア人がアルバニア人を虐殺。
紛争後セルビア軍が撤退すると、逆にこんどはアルバニア人がセルビア人を虐殺。
ほとんどのセルビア人は逃げ出し、現在プリシュティナにセルビア人はほぼいないんだそう。

セルビア人がいなくなったプリシュティナから離れることおよそ10km、数少ないセルビア人たちが暮らすグラツァニッツァという村に世界遺産になっているセルビア正教の修道院がある。
ホテルのオーナーに乗合いワゴンでの行き方を教えてもらったけれど、乗ったワゴンがぜんぜん違うところに行ってしまった。
他の客は降りてしまって、そのままワゴンのおじさんがグラツァニッツァまで送ってくれることになった。
ワゴンを5.5ユーロでチャーター。
20分くらい車を走らせると突然街中にセルビアの国旗が翻るようになった。
セルビア人の村、グラツァニッツァに入ったみたい。

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ゲートや境界線などはないけれど、コソボにあってコソボではないセルビア人が住む小さな村。
村にはキリル文字があふれ、通貨もセルビアディナールが使われているんだそう。

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そんな小さなセルビア人コミュニティの中にあるのが世界遺産のグラツァニッツァ修道院
趣きのある石造りの塀には鉄条網が張り巡らされている。

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1310年に建てられたグラツァニッツァ修道院。
ビザンチン建築の傑作と言われているんだそう。

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内部は上から下まで鮮やかなフレスコ画で埋め尽くされ、厳かな雰囲気に包まれている。

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観光客に混じってKFORの軍人たちの姿も。
教会と軍服、宗教と争い・・・歴史的には切っても切れない繋がりがあるけれど、どうしても違和感をぬぐいきれない。

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芝生が青々と茂る庭園で結婚写真を撮影しているセルビア人カップル。
きっといま、幸せの絶頂にいる笑顔のふたり。

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小さな村で肩身の狭い思いをして生きているコソボに住むセルビア人たち。
どうかこの笑顔が永遠に続きますように。
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「なくなればいいのに」と思われている世界遺産

2014.09.15 05:59|コソボ☞EDIT
いまでも1日1回はコーヒーを飲みたくなるイクエです。
日本にいるときは1日5杯くらい飲んでたかも。
朝に自宅で、そして職場で。
イライラしているとき、リフレッシュしたいとき、「おつかれ」と自分をいたわりたいとき。
子どものころはコーヒーは苦くて嫌いだったけど、浪人中の受験勉強のときに眠気覚ましでがんばって飲みはじめて好きになりました。

コソボ第2の都市で観光地とも言えるプリズレン。
太っ腹なゲストハウスもあるし、川沿いに発展した昔ながらの街並みも美しい。

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古い石橋にモスク。
丘の上の左側に見えるのは城塞。
「プリズレン」という地名は「要塞」という意味なんだって。

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この要塞に上ってみることにした。

コソボ紛争では大きな被害は免れたと言われているプリズレン。
それでも紛争によって破壊されたと見られる家々がところどころに放置されている。

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紛争前はプリズレンの住人の8割近くはアルバニア系住人だったけれど、紛争中は恐怖心を感じたり出て行かされたりして多くのアルバニア人がここから離れたのだそう。
逆に紛争が終わると、今度はセルビア系住民とロマなどの少数民族が危険を感じてほとんどがこの地から去っていった。

路地では紛争を体験していない子どもたちが無邪気に遊んでいる。

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まだ水面下で問題を抱えているコソボだけど、この子たちがこれからも戦争なんて体験せずに成長しますように。

丘からは、通りを走る軍の車が見える。
NATO主体の、コソボを安定させるための国際部隊KFORの車。

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紛争が終わって10年以上経つのに、こんなふうに軍の姿がまだいたるところで見られる。
丘の上からはKFORの広い敷地も見えた。
白い建物が並ぶところがKFORの駐屯地。
いつまでここに存在しつづけるのかな。

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要塞からの眺めは想像以上に圧巻だった。
赤い屋根ばかり、びっしり。

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最近イクエとケンゾーの間でブームの、ミニチュア加工にした写真をどうぞ。

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目立つのは、モスクの高いミナレット(塔)。
赤い屋根の家々の間から、にょきっと立っている。
いったいこの街にいくつのモスクがあるのだろう。

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でも、この街にあるのはモスクだけではない。
教会だってある。

左手のミナレットのあるモスクのすぐ後ろに見える、モスクとよく似た色合いの建物はセルビア正教会のセントジョージ(聖ゲオルギイ)教会。

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紛争中は、セルビア軍はイスラム教徒のアルバニア人への嫌がらせとしてモスクを破壊した。
そのいっぽう、アルバニア系勢力が巻き返した2004年には反セルビア人暴動が起こり、今度はセルビア正教会の施設や教会関係者の住居がアルバニア系群衆の復讐によって破壊されてしまったのだそう。

要塞からの帰り道、セルビア正教会の聖サヴァ教会があった。
屋根がなく、室内の柱が上から見えている。

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とても歴史ある建物だったはずなのに、無惨な姿になってしまっていた。
いまならまだ手を加えれば、美しく修復できるはずなのに。

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残された壁には、イコン(宗教画)が描かれていたのがわかる。
イエス・キリストの絵。
きっとセルビア人からしたら、信仰の対象がこんな状態で放置されているのは、とても屈辱的なこと。

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紛争によって、お互いの宗教施設を壊しあった。
紛争後、壊された宗教施設を修復するのは勝者だけの特権なのか。

歴史や文化が刻まれた建物は、宗教うんぬんではなく人類の大切な遺産として守っていかなければならないと思うのに。

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たくさんの壁画が描かれていたであろう教会のドームの天井は、黒く汚れ、もはや美しいものではなくなっていた。

ふたたび街へと下りてきて、さっき城塞から見えていた大きなモスクの中に入る。
華やかに装飾されたドームの天井。

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さっきの教会と、歴然とした差がある。

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これまでいろんな国でモスクを見てきたけれど、アラブや中央アジアのモスクとはまったく違う雰囲気。
「ヨーロッパ」の雰囲気が漂っている。
ピンクを使い、あでやかなバラをあしらった装飾はまるで宮殿のよう。

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このモスクは城塞から見たとき、セルビア正教の建物と並んで見えていたもの。
モスクの奥にあった、そのセルビア正教のセントジョージ教会にも行ってみることにした。

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モスクには自由に入れたけど、この教会はUNMIK(国連の暫定統治機構)とKFORが管理していてパスポートをチェックされた。
入口には「教会への破壊行為や略奪は犯罪であり、必要であればその犯罪をやめさせるためKFORが武力行為にでます」と注意書きがされていた。

どんな教会なのか楽しみにして入ったのに、装飾はなくガランとしていて殺風景で驚いた。

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箱をつくったのはいいけれど、まだ装飾までは追いついていないといった感じ。
1856年に建てられたもとの教会は、2004年に完全に破壊されてしまったのだそう。

切なくて、寂しい気持ちになった。

ここプリズレンの街は戦争の被害もほとんどなくコソボいちの観光地と思っていたけど、やっぱりここにも戦争の陰はあって、この街にある歴史的な建造物は対立によってないがしろにされている。

この街には世界遺産がある。
セルビア正教のリェヴィシャの生神女教会。
1306年から1307年に造られたものでビザンチン建築の美しい教会。
芸術的にも価値のあるフレスコ画があって、東側のビザンチンと西側のロマネスクを融合させたものらしい。

気を取り直してそこに行くことにした。

プリズレンの街には、真新しい銅像をいたるところでみかける。
武器を持った兵士のような男たち。

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UCK(コソボ解放軍)のメンバーたち。
セルビアからの独立を求めて戦った戦士たちは、感謝や尊敬の対象に。

けれど、このUCKは紛争中に警察官やセルビア人の一般市民を虐殺したり、セルビア人女性を強姦するなど残忍なことをおこなっている。
セルビア人、クロアチア人、ロマなどを対象としたUCKによる殺害や強制移送は「民族浄化」とも言える。
UCKの挑発に乗るかたちで、セルビア軍はコソボの攻撃を強化したとも言われている。

コソボ紛争は、独立を求めるコソボに対しセルビア側が武力でそれを食い止め、セルビアがアルバニア人をはじめ他の民族たちを民族浄化したことがクローズアップされる。
そしてそんなセルビアの暴挙を食い止めるために、アメリカがセルビアに爆弾を落とした。

けれど、実際には紛争はそんな単純な正と悪の構図ではない。

UCKは資金集めのためにアフガニスタン産のヘロインを販売していたことも明るみになっている。

セルビアが撤退し、UNMIK(国連の暫定統治機構)の管理下に入ったあとも彼らによる他民族への殺害や人身売買、セルビア正教会の破壊などがあとをたたず、セルビア人や少数民族の人権は無視され迫害を恐れて彼らがコソボから逃れていることが問題となっている。

けれど、アルバニア人が大多数になった今、コソボはもはやアルバニア人の国のようになってしまって、ほかの民族のことは無視され、UCKは尊敬の対象。

ほかの民族にとってはとても生きづらい国なのだと思う。

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赤い地に黒い双頭の鷲のマークは、お隣の国アルバニアの国旗。
コソボの国旗ではないのに、このアルバニアの国旗をまるでコソボの国旗のようにいたるところに掲げてある。

ほんとうのコソボの国旗は、青地にコソボの国が描かれその上に6つの星がついている。

コソボ


6つの白い星は何を意味するのか。
ここに生きるアルバニア人、セルビア人、トルコ人、ロマなど6民族との調和や団結を表している。

アルバニア民族主義を掲げる人たちにとっては、そんな国旗は使いたくないのかもしれない。

たどり着いた世界遺産の教会。
フェンスに囲まれ鉄条網が張り巡らされ、閉鎖されて中に入ることなんてできなかった。

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管理されておらず、庭には雑草が伸び放題。
敷地内は物置のようになっていた。

ここに住む大多数の人たちにとって、セルビア人の教会なんて邪魔なものでしかないのかもしれない。
このままだときっとこの世界遺産は朽ち果ててしまう。

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平和になったコソボに、世界からたくさんの人たちが訪れてほしい。
わたしたちのすばらしい国を知ってほしい。

そんなふうに思っているコソボの人たちは多い。

だったら、この世界遺産を殺すことなく手入れし観光地のひとつとすることで、もっと多くの人たちがここを訪れるのに・・・。

世界遺産があるかないかで、観光客の数はずいぶん変わると思う。

いまどうにかしない限り、人類の宝である遺産がひとつ、地球上から姿を消してしまう。

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閉ざされた柵の向こうには、歴史的にも芸術的にも価値があるとされるフレスコ画が見えた。
檻に閉じ込められたようなマリア像。

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こちらを見つめるそのマリア像は、泣いているように見えた。
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