小学校のとき夏休みのお昼に見ていたテレビ番組は、みのもんたの『あなたの知らない世界』だったイクエです。
姉と2人で見てたんだけど、怖かったなあ。
セルビアの首都、ベオグラードから次に目指すはウジツェという街。
とくにこの街に何があるっていうわけではないんだけど、セルビアの次はボスニアに行く予定なので、まずは国境近くまで行く作戦。
それも、ヒッチハイクで!

ヒッチハイカーのバイブルとでも言えるインターネットサイト「
Hitchwiki」によると、セルビアはヒッチハイクがとてもしやすい国らしい。
ベオグラードから車で4時間ほどかかる距離だけどできるかな。
これまでハンガリーでストレスフリーな生活をしていたイクエとケンゾー。
刺激的なことからしばらく離れていたので、ヒッチハイクに向けてなかなか重い腰が上がらない。
バスや列車で行く方が楽だし、速いしなあ。
でも、ヒッチハイクをすれば旅にメリハリが出るしいい出会いの機会にもなるし、達成感も味わえる。
わかっているけど、大変そうだし面倒。
ふたりでウジウジしていたけど、とりあえずマジックで紙に行き先を書いたプラカードを作成し景気づけする。
ヒッチハイクポイントはHitchwikiに書いてある。
街の繁華街から抜けた、ウジツェに通じるハイウェイの手前。
とりあえずそこまで路線バスで移動。

ヒッチハイクする踏ん切りがつかなくて、宿でダラダラしていたつけがまわってきた。
宿を出たときは晴れていたのに、曇り空になり、バスに乗る直前にぽつぽつと雨粒が・・・。
雨のなか、路上でヒッチハイクは難しい。
いや、でも少しくらいの雨なら同情して乗せてくれる人はいるかな。
でも、傘もなく路上に立つことが難しいほど雨脚が強くなってきた。
目的地に着いたころには、ざあざあ降り!

ちょっとでも弱まったらできるかなあ。
待っても雨はいっこうに弱まらないばかりか、ますます強くなっていく。
ここからバックパックを担いで路上に移動し、そこでプラカードを持って車を待つのは無理。

ふたたび路線バスに乗って、いま来た道を戻る。
余計にお金も時間も労力もかかる結果に。
つねにうまくいくとは限らないのがヒッチハイク。
長距離バスターミナルに行って、ウジツェ行きのバスに乗る。
ひとり1180ディナール(約1450円)。
荷物代として余計に50ディナール取られた。
列車だともっと安いんだけど、失望と疲れでそこまで頭がまわらなかった。
おとなしく最初から公共交通機関で行ってたら、いまごろウジツェに着いてたかも。

ヒッチハイクのようにどこで降ろされるかなというドキドキもなく、わたしたちを乗せたバスは何事もなくウジツェの街に着いた。
セルビアの首都ベオグラード、モンテネグロの首都ポトゴリツァ、ボスニアの首都サラエボの中間に位置するウジツェの街。
交通の要所なので騒々しい都会なのかなと思っていたら、デェティナ川がゆるやかに流れ、山肌にへばりつくように赤い三角屋根の家が建ち並ぶ、高原の街といった雰囲気。

旧ユーゴスラビアは、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェコビナ、スロベニア、マケドニア、コソボによる連邦制の国だった。
ところが、90年代になりスロベニアやクロアチア、ボスニア、マケドニア、コソボと次々にユーゴスラビアからの離脱を表明、それを引き止めるセルビアと大規模な内戦に発展してしまった。
実際には、「セルビア」vs「残りの国々」という単純な構図ではなく、クロアチア人とイスラム教徒が戦うこともあったし、戦う相手はごちゃごちゃだった。
というのも、旧ユーゴスラビアは多民族国家で、セルビア正教の人も、カトリック教徒もイスラム教徒も同じ街で暮らしていたので、それぞれの宗教や文化をめぐって泥沼の争いになってしまったのだった。
しかし国際世論は「クロアチアやボスニアなどが独立を求めているのに、セルビアがそれを阻止している。さらにセルビア人が民族浄化と称してほかの民族を大量虐殺している」という見解に傾いた。
セルビア人が他民族を大量虐殺したのは事実だけれど、クロアチア人もセルビア人を大量虐殺していた。
けれど、武器輸出をしたいアメリカや利権を優先させたい強国がたくみな情報戦線をつかい、世界的に「セルビア人=悪者」というイメージがすっかり定着してしまった。
内戦が終わってからは、ユーゴスラビアの他の国々は発展し明るくなっていき、海外から訪れる旅行者も増えているのに、セルビアだけがどこかに暗さを秘め、時代から取り残されたような雰囲気。
内戦後の社会の立て直しのための海外からの支援も、セルビアは少ないように思う。
そのため、国が観光業に力を入れる余裕はまだないのかもしれない。
「セルビア=悪者」というイメージも手伝って、旧ユーゴスラビアの国々のなかでセルビアは観光地としては不人気で訪れるバックパッカーも少ない。
わたしが10年前に訪れたときは、ドミトリーがあるようなゲストハウスがクロアチアにはあったけど、セルビアにはなかった。
けれどここ数年で、セルビアにもバックパッカー向けのゲストハウスが少しずつできはじめている。
明るい兆しなんじゃないかな。
ここウジツェにも、できたばかりのゲストハウスがある。
まだ需要はそれほどないだろうけど、ゲストハウスがなければ旅人はその街に来ないので、こうやって先駆けてゲストハウスをオープンさせることにはとても大きな意味がある。

現在のところ、ウジツェで唯一のバックパッカー向けゲストハウス
「eco hostel」。
この建物の一部がゲストハウスになっている。
木材を多用した、やわらかくて明るい雰囲気のゲストハウス。
Wi-Fiもあるし、共用スペースや小さなキッチンもあってゲストハウスとしては申し分ない。


チェックインするなり、ウェルカムドリンクとして「ラキア」というユーゴスラビアのご当地蒸留酒がふるまわれた。
アルコール度数が高くて、口に流し込むと喉から胃へと熱いものが伝わっていくのがわかる。
カーッとくる。
ヒッチハイクが失敗に終わり、疲れていて空きっ腹のわたしたちには、このアルコール度数は強すぎる。
でも、疲れをふきとばし心地よくさせてもくれる。
ドミトリーと個室があって、ホテル予約サイトでダブルルームを予約しておいた。
割引が適用されて、ふたりで1651ディナール(約2000円)だった。
屋根裏部屋っぽいところで、148センチのイクエにはジャストサイズ。

気になるのは、ドアに貼ってある注意書き。
「夜間は静かにしてください」とか「きれいに使ってください」とか「部屋に洗濯物は干さないで」なんて書いてるのは、そこまで珍しいことではない。

でも、真ん中の1文に釘付けになってしまった。
「ドミトリーではセ◯クスをしないでください。」
「完璧に音をたてずにやることは無理だし、音は聞こえます。ひとりエッチもダメです。」なんてことが書いてある。
日本人にとっては「ほかの人も寝ているドミトリーでそんなことするわけないじゃん!」って感じなんだけど、けっこう海外のドミトリーでは他の客がやってるのを寝た振りをしながら不快な思いで耐え忍んだという話を聞く。
そんな、おもしろい、いや、真剣な注意書きを書いたスタッフはとても気さくで優しい人たち。
ベオグラードの宿のスタッフもフレンドリーで気遣い上手な人だった。
旧ユーゴスラビアの国の中でもセルビアは人の良さや、他人への気配りはトップクラスだと思う。
学生のときセルビアに来たときも「セルビア人=悪者」というイメージを覆されたのを覚えている。
このゲストハウスでいちばん居心地のいいスペースは、テラス。
近くのパン屋さんで焼きたてのパンを買ってきて、キッチンでコーヒーをいれてさわやかな朝。

テラスからも、赤い三角屋根の家々が山肌に並ぶ、ウジツェらしい景色が見られる。
有名な観光地がなくても、居心地のいい街にくつろげる宿があれば、自然に旅人は集まってくる。

テラスから黒い四重の塔のようなものが見える。
周囲から浮いている異質な建物だけど、街のランドマークとしては田舎臭くてあまりにも素朴。

散歩がてら行ってみると、それは教会だった!
今まで見てきた教会の中で、もっとも素朴でかわいくて味わいがある。

ヨーロッパで見る石造りの教会は、太い柱や高い天井で壁には華やかな彫刻が施されステンドグラスが鮮やかだけど、このセルビア正教会は低い木造の屋根で山小屋のようなぬくもりがある。

親しみがもてる教会をあとにし、今度はウジツェの街が見下ろせる城塞を目指す。
途中でワカメちゃんのようなイラストの看板を発見!

街の床屋さんの看板だった。
裏にまわったら、ワカメちゃんでもカツオでもなかった。
残念。

ウジツェの街は、坂は多いものの低地にある繁華街の規模は小さくて歩いてまわれる。
濃い緑の山に囲まれ、赤い屋根の家がひしめき、デェティナ川が蛇行しながら流れている街は、ただ歩いているだけで心が洗われる。
何もなくても旅人がちょっと長居したくなるような街。

街の西側にある、中世の城塞スターリ・グラッド。
まわりをデェティナ川に囲まれた軍事要塞で、オスマン朝の軍隊がこの地にいた1863年までは使われていたんだそう。



風に吹かれながら、街を見下ろす。
内戦のときは残酷なことが繰り返されたけど、いまは平和な日常がある国。
それでもわたしたちに見えないだけで、内戦の傷跡はいたるところにあるのかもしれない。

1泊だけしてきょう移動するつもりだったけど、この街もゲストハウスも居心地がいいので延泊することにした。
そうと決まれば、まだこの街を観光する時間はたっぷりある。
ゲストハウスの人におすすめスポットを聞いてみる。
むかし線路だった場所が廃線になってウォーキングコースになっているところがあるらしい。

以前は列車でしか通れなかったところをてくてくと歩いていく。
いくつものトンネルを抜けて、鉄橋を歩く。

地元の人たちがランニングしたり、親子で散歩をしていたり。
田舎の街では列車が運行をやめ、廃線になり、ますます街が廃れていくところも多いけど、こんなふうに線路だったところが市民の憩いの場になるっていいな。

元線路の遊歩道はずっと続いているけど、きりがないのでこの滝をわたしたちの折り返し地点としよう。
ダムのようになっていて自然の滝とは言いがたいけど、地元の人にとっては「ベリービューティフル」な場所らしい。

早足でまわることを決めた旧ユーゴスラビアの国々。
あしたにはセルビアを出て、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国する。
観光地だけを見て楽しくささっとまわる予定にしていたけど、気になる場所がある。
そこはけっして楽しい場所ではないけれど、立ち寄らないといけないような気もしている。
さらにこのままセルビア人とあまり接触することなく、セルビアを出国することにもためらいがある。
せめてヒッチハイクでもして、少しでもセルビア人とかかわり合いがもてたら。

あしたは、ヒッチハイクでその場所を目指してみようかな。
ヒッチハイクではじめての国境越え。
うまくいくだろうか。
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