「きのう全然寝られんかった!」と寝つきが悪いことをアピールするくせに実際はどこででも寝られる夫をうらやましく思うイクエです。
ケンゾーは乗り物に乗った途端に眠ります。
それにケンゾーは「きのう全然寝られんかった。夢ばっかり見よった!」とも言いますが、夢を見てたということは寝てた証拠です。
ウェールズを楽しみ、シャーンと別れてからイクエとケンゾーが向かった先。
それは
リバプール。
この響きを聞くとワクワクする。

なぜワクワクするか。
リバプール、それは
ビートルズ生誕の地だから!
とくに観てまわるところはないけれど、世界に誇るビートルズが生まれ育った街がどんなところなのか、リバプールの雰囲気を肌で感じたかった。

リバプールの街を歩く。
今までのイギリスとは違う、突き抜けたような明るさを街から感じる。
サンフランシスコのような。
それはこの街が海に面した港町だからかもしれない。
かつてはアメリカや西インド諸島との貿易船がここに停留した。
19世紀後半には、イギリスでロンドンに次ぐ「第2の都市」とまで呼ばれていたんだって。
けれど第二次大戦ではドイツ軍から激しい爆撃の被害にあい、貿易や繊維産業も衰退。
戦後イギリスが不況に陥るとともにリバプールの街も活気を失っていった。
だけどビートルズが活動していたまさに60年から70年にかけて、大規模な街の再建計画が実行され、博物館や美術館が建ち並ぶ文化都市へと生まれ変わっていったのだそう。
いまでは「海商都市リバプール」として世界遺産に認定されている。
だけどかつての繁栄を物語る歴史的な建物が近代的なビルによって隠れてしまっている。
リバプールの都市開発が波止場地区の景観を損ねるとして、ユネスコは世界遺産登録の抹消もありえる「危機遺産」リストに加えている。


だけどイクエとケンゾーにとってここを訪れた理由は「海商都市リバプール」の世界遺産を観光することではない。
ビートルズに会いに行こう ♪
きょうはホームステイをすることにしているけど、家の人が夕方にしか帰ってこない。
バックパックを背負ったまま、ビートルズの足跡を探しに。
バックパックは重いけれど、ワクワクして足取りは軽い。
イギリスではたくさんストリートミュージシャンを見てきたけれど、この街で見るとちょっと特別な印象をもつ。

かつてのビートルズもこうだったのだろうか。
踊りたくなるようなロックが聞こえてきた。
遠くから音の鳴るほうを見ると、歌っているのはベレー帽にサスペンダー姿のおじさん!
だけどよく見ると・・・・。
ラケット!
テープでギターの音を響かせながら、エアギター。
このユニークさと意気込みに感動してお金を入れる人もいるかもしれない。
まわりの人を笑顔にさせて幸せな気分にさせるのは、実際にギターを弾くよりもこっちのほうが上回ってるかも!
これなら楽器ができないイクエとケンゾーにもできるね。
目的地まで歩いていく。
古い建物の上で、あの人たちが迎えてくれていた。


この建物を過ぎて角を曲がったところがあの場所。
イギリス音楽のメッカだった
マシュー・ストリート。

このマシュー・ストリートはビートルズ発祥の地として知られている。
世界的に有名になる前のビートルズがこの路地にあるクラブでライブをしたり、ここに建つパブに通ったりしていた。
ビートルズグッズを販売するお店もある。
いわばここはビートルズの聖地。

リバプールで生まれ育ったビートルズのメンバー。
彼らは世界に旅立っていく前に、ここで下積みをしていた。
だから、ここに飾ってある写真は若いころのビートルズのものが多い。
ジョン・レノンの像も若い!
バックパックを背負ったまま写真を撮っていたら、ノリのいいおじさんたちが参入!
ジョンの存在が薄くなってしまった。
「あ、ここだ!」「キャバーン・クラブ。」
ビートルズがはじめてライブをした伝説のパブ。
中からはすでにおなじみのサウンドが漏れ聞こえてくる。
ちょうどライブをやってるみたい。
この有名なパブ、とても良心的で入場料はたったの2ポンド。
(時間帯によってはタダになったり、もう少し高いときもあるみたい。)
入場料さえ払えばワンドリンク制でもないので、飲み物を何も注文せずにライブだけを楽しむこともできる。
入口から地下へ通じる階段を下りていく。
下りるにしたがって演奏中のビートルズの曲が大きくなっていく。
サウンドが足や胸にドンドンと伝わってくる。
それに比例するように心が躍る。
ワインセラーだった地下倉庫を利用してつくられたキャバーン・クラブ。
地下はトンネルのような狭い空間。
その空間を埋める音楽と人々と熱気。
そしてステージにはビートルズ!
♫ Get back get back
Get back to where you once belonged・・・♫ 流れている曲のように、この空間全体があの時代に舞い戻っているのかもしれない。

次から次へと演奏されるビートルズの名曲。
このパブでは地元のミュージシャンたちが交代でビートルズの曲を演奏し続けている。
曲は途絶えない。
『ヘルプ』
『ドント・レット・ミー・ダウン』
『シー・ラブズ・ユー』
『ペニー・レイン』
・・・・
全部ビートルズの曲ばかりなのに、ネタにつきない。
そのすべてがヒットした名曲。
やっぱりビートルズってすごい。

ビートルズがここでライブを行ったのは、292回。
じつはこのキャバーン・クラブ、73年に閉店してしまった。
だけど、ビートルズを生んだこの伝説のパブが無くなってしまったことを惜しむ人たちが多く、元あった場所からすぐのいま場所に84年に再建された。
なんと、壁に使われているレンガは当時のキャバーン・クラブから運んできたもの。
いまのパブはレプリカだけど、あの当時のままの姿を再現してある。

ビールは一杯3.5ポンド。
飲み物の料金も良心的な値段。
でも、ビールの味は水で割ってあるんじゃない?と思うほどコクがなくて薄い。
でもそれがチープなライブハウスっぽくて、逆にいい。
いっしょに曲を口ずさみ、体を揺らし、水のような安いビールでのどを潤す。

こんな小さなステージで若きビートルズのメンバーたちは演奏し、そしてあの時代の人たちは熱狂していた。
お客さんには白髪の人も多い。
きっとこのおじさんたちは若いときのあの時代にタイムスリップしている。
いっしょに口ずさむ「ヘイ・ジュード」。

そしてそのおじさんたちと40歳も離れているような人たちもいっしょに盛り上がり、踊っている。
世代も時代も超えて愛されるビートルズ。
やっぱりすごい!

ずっとここにいても飽きない。
だけど、そろそろホームステイ先に行かなくちゃ。
入口に預けていた大きなバックパック。
クロークの張り紙には「1ポンド」と書いてあったので、荷物を引き取るときに渡した。
すると「いらないよ」っておじさんが返してくれた。
バックパックでここに来たことに心意気を感じてくれたのかもしれない。
ロックなおじさんだ。
ビートルズサウンドに浸り、地上に出るとやっぱりそこにもリバプールらしい光景が待っていた。

偉大なミュージシャンを生み出した街。
音楽好きの人たちに愛される街。
ビートルズが解散して40年以上。
リバプールの独特の雰囲気はいまも当時も変わらないのかもしれない。
バスに乗ってホームステイ先へ。
きょうお世話になるのは若いカップル、マットとアリソンの家。
どちらもイギリス生まれだけど最近リバプールのこのマンションに引っ越してきたのだそう。

2人には最近赤ちゃんが生まれた。
育児で忙しいはずなのに、旅人を迎え入れてくれる。
わたしたちと入れ違いにインドの男性もきのうまでここに泊まっていた。
「いろんな国の人がここに来て、この子と遊んでくれる。
この子にとってもいい刺激になってると思うの。」

2人は子どもを育てているけど、どちらも仕事をしていない。
アリソンは出産するまで大学で事務の仕事をしていたけど、現在は育児休暇中。
マットは以前は働いていたけど、知り合いが事故にあって命をなくしたことをきっかけに救急救命士になるという夢を新たにもち、仕事を辞めていまは学校に通っている。
子育てと生活と夢を実現させようとしている彼らはどこか輝いているし、心にも表情にも余裕がある。

台所には海苔に醤油にお米にお酢。
冷蔵庫にはカットしてあるシーフード。
「スシが食べたい」という無言のリクエストにおこたえして、作ってはみたものの・・・。
ご飯はパサパサ。
うまく握れなくて「スシ」とは呼べない代物になってしまった。
それでもおいしいって食べてくれる優しい2人。
申し訳ない・・・。
もう外国のパサパサのお米でスシを作ることなんて二度としないでおこうとケンゾーと誓った。

リバプールで行ってみたいと思っていた場所がある。
でもきっと1泊しかしないし、街の中にあるわけじゃないから時間がなくて行かないだろうなあって思ってた。
だけどその場所が、この家から歩いて行けるところにあることが判明!
ってことで次の日、その場所まで散歩することにした。
住宅街や公園を抜けていく。
ポール・マッカートニーやジョン・レノンはこの辺りに住んでいたらしい。
この公園で遊んだりしていたのかなあ。
こんな建物の家に住んでいたりしていたのかなあ。
「ここ?」「ほんとだ。ここかあ。」たどり着いたこの場所。

ビートルズの歌のタイトルにもなった
「ペニー・レイン」。
ペニー・レインの歌詞はこの通りが舞台となっている。
歌詞には、ここでみんなの髪を切る床屋さんに、消防士、気難しい銀行員、看護婦…いろんな人が登場する。
歌詞からは人が行き交い、いろんな店が建ち並ぶ賑やかな大通りがイメージできる。
でも、本当のペニー・レインは全然ちがった!
「え!」「ここ、ほんとうにペニー・レイン?」歌詞に出てくる床屋さんはどこ?
消防署は?
歩いている人なんてほとんどいない。
こんな何の特徴もない道をただただ歩く。
10分以上歩いて、ようやく建物が見えてきた。

でも、普通の住宅街。
どこかにビートルズにちなむものがないかと一生懸命探す。
『G.LEONG』
「ジョン・レノン?
いや、違うよね。」
何の変哲もない通り。
どこにでもありそうな通り。
おしゃれな通りではない。


もう1キロはこの通りを歩いたかな。
歌詞に出てくるペニー・レインの雰囲気を味わうことなく、もうすぐペニー・レインが終わってしまいそう。
向こうにはペニー・レインが途絶える交差点が見える。
交差点の近くにはお店がちらほら。

小さな床屋さんもある。
ビートルズを意識したようなつくり。

写真を撮っていたら、歩いていたおばあちゃんに話しかけられた。
「歌の舞台になったのは、この床屋さんじゃないのよ。
あの交差点を過ぎて、1ブロック行ったところよ。」
モデルになった床屋さんは、ペニー・レインとは違う通りにあった。
ペニー・レインはほかの大通りとぶつかっていて、むしろその交差点やほかの大通りのほうが活気がある。
歌詞に出てくるような銀行や消防署があるのは、「ペニー・レイン通り」ではなく「ペニー・レイン」の近くの大通り。
「ペニー・レイン」という名前の響きが好きで、ポール・マッカートニーがタイトルを「ペニー・レイン」にしたのだとか。

実際のペニー・レインは期待していたペニー・レインではなかったけれど、でもこんなどこにでもあるような場所が歌になり、世界中の人たちが知る大ヒット曲になった。
なんだかビートルズを身近に感じられる。
リバプールから少し北に行けばウェールズだし、海を渡ればアイルランド。
さらに港町として発展したリバプールは、昔からいろんな文化が交錯する場所だったのだろう。
こんな場所だからこそ、ビートルズは生まれ、彼らの歌が世界中の人たちに愛されるようになったのかもしれない。

最後まで楽しく、文化や自然を堪能できたイギリスの旅。
でも、イクエとケンゾーは最後の最後で大失態をやらかしてしまった!!
旅をはじめて1年半以上経つのに、まさかあんなことをやらかすとは!
その話はのちほど。
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