炭酸が苦手でビールよりも断然ワインが好きなイクエです。
コーラも飲めなかったんだけど、旅行していると100パーセントジュースなどなくて炭酸飲料しか売ってない国が多い。
だから今ではすっかりコーラも飲めるようになりました。
パレスチナ自治区のベツレヘム。
イエス・キリストが生まれた場所として世界的に有名な場所だけど、最近ここを有名にしているもうひとつの理由がある。
それは、これ。

イスラエル政府がパレスチナ自治区との境界に一方的に建設した
壁。
イスラエルとパレスチナを分けるように建っているので「分離壁」とも呼ばれるし、パレスチナを閉じ込めるようにつくられているので「隔離壁」とも呼ばれる。
イスラエルはこの壁の建設を「テロリストからの攻撃を防ぐため」だと言い「セキュリティ・フェンス」と呼んでいる。
壁の上からはイスラエル兵がパレスチナ人たちを監視している。

この壁はパレスチナ自治区の領土に食い込むようにつくられていたり、パレスチナの街を分断するように一方的に建てられていて、パレスチナ人の生活に大きな支障をきたしている。
もちろんこの壁を管理しているのはイスラエル政府で、パレスチナ人が壁の外に出るには特別な許可証が必要、チェックポイントでイスラエル兵のチェックを受けなければならない。
分断する壁をつくりながらも、イスラエル政府は壁で区切ったパレスチナ側にも勝手にユダヤ人入植地をつくっているので、この壁はイスラエル政府にとって都合良くできている。
国連総会では壁の建設への非難決議がなされ、国際司法裁判所も建設は違法と判断しているけど、イスラエル政府は壁を撤去しない。

イスラエル政府からは「セキュリティ・フェンス」と呼ばれている壁だけど、南アフリカで行なわれていた非白人の人種差別を彷彿とさせるものとして「アパルトヘイトウォール」と呼ばれることもある。
ベツレヘムではこの壁が、街中にはり巡らされている。



パレスチナ人の生活や動線なんておかまいなく(というかわざと不便にするため)建設されている。
人通りが多かった道路の真ん中にドーンと建てられたために、突然そこに人も車も通らなくなり、商店はつぶれ住人たちも出て行かざるをえなくなった場所もある。

そして、こんなところもあった。
三方が壁に囲まれている建物。
以前からこの建物はお土産屋さんとゲストハウス、そして住居として使われていた。

ある日突然、工事が始まりみるみるうちに高さ8メートルの壁に囲まれてしまった。
窓から見えるのは、壁。
一日中日陰。
同じパレスチナ自治区に行こうにも壁を迂回していかないといけない。
居心地のいい場所が、突然刑務所になったようなもの。
キリスト教徒もイスラム教徒も関係なく、パレスチナ人たちが共存しているベツレヘム。
教会とモスクのミナレットのシルエットの前に、異質な監視塔が不気味にそびえる。

イクエとケンゾーがお世話になっているオンディネの家からもこの壁が見える。
ある日、家に帰っていたときのこと。
壁の前がなにやら騒々しかった。

パレスチナ人たちが壁に向かって歩き、壁の撤去を求めていたのだった。
パレスチナでは、イスラエルの休日にあたる金曜日には各地でデモが行なわれる。
この日も金曜日だった。
長期化するイスラエル・パレスチナ問題に、世界の多くのメディアは手を引いている。
それでも何かあったとき(イスラエルの攻撃や侵攻、虐殺)にそなえて、これを記録し世界に発信するために今では、パレスチナ人たちがみずからカメラを構えている。

催涙弾を発射させるイスラエル兵。
あたりは煙に包まれ、目からは涙が噴き出し、喉はしびれる。
高齢の女性や子どもたちにも煙は襲ってくる。


イスラエルの攻撃は催涙弾でおさまらないときもある。
通りに面したお店の窓ガラスには放射状にヒビが入っている。

攻撃されるのに、黙ってはいられないパレスチナの青年たち。
完全武装のイスラエル兵に対し、彼らは何ももっていない。

ただ、あるのは石だ。

「石なんて投げて何になるの?
銃を持つイスラエル兵に石が当たったら反撃される。」
彼らをみてそんなふうに思う。
彼らの行動は馬鹿げていると思う。
でも、彼らには石を投げることしかできない。
そんな彼らの状況や悔しさもわかる。
壁のそばにはたくさんの石が落ちていた。
たくさんの石が落ちていたけど、こんな石で壁は倒れるはずはない。
投げた彼らもそんなことはわかっている。

武装したイスラエル兵が、非武装のパレスチナ人を前に「あいつらはあぶない」と言うことこそ、ナンセンスだ。
そんな現実を揶揄した風刺画が、泊まっているところからすぐの場所にあった。

ここではボディーチェックをするのはイスラエル兵だけど、ボディーチェックされるべきなのはイスラエル兵なのかもしれない。
この絵はただの落書きではない。
世界的に有名なイギリスのアーティスト、バンクシーの作品。
世界中でゲリラ的に風刺画を描いている、覆面アーティスト。
これもバンクシーの作品。
防弾チョッキを着た狙われる鳩。

バンクシーは、これ以外にも分離壁にいくつかの作品を描いている。

バンクシーに限らず、壁にはたくさんの人たちがメッセージ性の強い絵を描いている。
まるでベルリンの壁みたい。

イスラエル兵の侵攻や虐殺を描いた作品。


ベツレヘムはイエスが生まれた場所。
そんな場所が今では壁で囲まれている。
そしてクリスマスツリーも。

こここそが、本当の「ウォール街」?

入れるのは涙じゃなくて、バスケットボールだけにしたい。

「壁を壊したい!」「壁を越えたい!」という思いにあふれている作品も多い。



それぞれの思いが込められたアート。
このアートは、壊される日がくることを待ちわびている。
高い、高い塀にカラフルで力強く、楽しく、希望に満ちた絵がいくつも描かれている。
こんなにたくさんの人たちがこの壁が壊されることを望んでいるのなら、壊される日も近いかもしれない。
そんなアートで覆われた壁の向こう側に行ってみることにした。
つまり、イスラエル側に。

パレスチナ人にとっては、壁の向こうに行くのは外国に行くのよりも難しい。
チェックポイントは2重、3重になっていた。
わたしたちはパスポートを見せるだけで簡単に入れたけれど、前に並んでいる人は指紋を機械に当てさせられ、当てると同時にパソコンの画面に彼の写真が出てきた。
塀の中に入ることを許可された人は、事前にしっかりと登録されているようだった。

壁の向こう側。
それは、街などがない、あるのはオリーブ畑と整備された道路ののどかな田舎の風景だった。

パレスチナ側には壁のすぐ横まで商店や家々があったのに、まるで違う。
あんなに入り組んだり、建物を取り囲んだりしながら、ぐにゃぐにゃに曲がっていた分離壁。
つまり、イスラエル側はパレスチナの街の、侵攻できるぎりぎりのところまで入り、壁を建てたのだ。
壁のわきにはオリーブ畑が広がっていて、家畜が放し飼いにされていた。
飼い主はたぶんパレスチナ人なんだろうな。
きっと壁のできる前からここでオリーブを育て、家畜を放牧し、暮らしていた。

壁がつくられてからは、彼らの住居はイスラエル側に組み込まれ、本来の故郷のパレスチナ側へ自由に行き来することがとても難しくなっているようだった。

そして、壁を見てわたしたちのあの願いは絶望的なのではないかと気づいた。
いつの日か壁が崩されるという願いが。
イスラエル側の壁には、まったく絵が描かれていない。

願いは一方的なものなのかもしれない。
イスラエルの人たちにとっては、この壁はじゃまなものではなく、必要な「セキュリティ・フェンス」に過ぎない。
壁の絵が片方にしか描かれないうちは、この壁が壊される日はこないのではないか。
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