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ケンゾー   イクエ


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絶望から復活した街

2014.02.28 06:14|ポーランド☞EDIT
今後のルートで悩んでいるケンゾーです。
リアルタイムではイスラエル。
このあとヨルダン→エジプト→スーダンとアフリカ旅をスタートさせる予定だったんだけど、ただ今エジプトは緊急事態発生中。
ダハブでダイビングしたかったのに、どうしよう。

きょうはクラクフから首都ワルシャワへ移動。
うっすらとまだ雪化粧が残る旧市街を歩いてバスステーションへ。

ワルシャワ

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クラクフのバスステーションはクラクフ本駅の裏手にある。
クラクフ ~ ワルシャワは53ズオティ(約1825円)。
今回もWi-Fiつきでラッキー!と思ったらだまされた。
トルコとおんなじでたまに外れがあるみたい。

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およそ5時間半でワルシャワに到着。
こっちも雪が積もってて寒い!
寒さに震えながら路線バスに乗って市街地へ。

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第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたワルシャワ。
戦後再建された街並みは、旧社会主義の雰囲気をどことなく感じさせる造り。

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ネットで事前予約してあるホテルにたどり着いてびっくり。
アンティークな建物でとてもおしゃれ ♫

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戦渦を免れたこの建物は築100年。
こんな歴史ある建物が安宿として使われるんだから贅沢だよね。

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室内にはクリムトの絵が飾ってあったりしてなかなか趣味がいい。
スタッフの感じもよくていい宿だった。

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「Mermaid Hostel」
ドミトリー1ベッド20ズオティ(約690円)
フリーWi-Fi キッチンあり 朝食なし

次の国へのフライトのために来たのでワルシャワには1泊だけ。
駆け足でワルシャワの街を見て回ることに。

まずはワルシャワ旧市街の中心、旧市街市場広場
雪と寒さでがらんとしているけれど、普段は露天の土産物屋やストリートパフォーマー、そして観光客で賑わっているそう。

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広場の中央にはなぜか人魚の像。
じつは人魚はワルシャワのシンボル。

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ワルシャワにはこんな伝説が伝えられている。

ある貧しい漁師の夫婦が街を流れるヴィスワ川で網にかかった人魚を生け捕りにした。
夫婦は人魚を連れて帰るも、助けてほしいと懇願され望みどおり川に帰してやった。
それからというもの、魚がよく売れるようになり漁師夫婦は裕福になったとさ。


この夫婦の名前がワルスとサワで、これがワルシャワの名前の由来なんだそう。

だからホテルの名前も「マーメイド」なんだ。
でもこの人魚はなんで剣を振り回してるのかな?
助けてもらったんじゃないの?

ワルシャワの旧市街と新市街(中世の人々にとっての「新」市街)は第二次大戦時に徹底的に破壊されてしまった。
もちろんこの旧市街市場広場もそう。
なんとか生き残った人々も絶望感に打ちひしがれたことだろう。

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でも戦後、瓦礫の山と化していたワルシャワは見事な復活を遂げる。
その復活劇の立役者はワルシャワ市民。
生き残った市民の記憶を頼りに可能な限り瓦礫を再利用し「壁の割れ目にいたるまで」、「レンガのひび1本にいたるまで」忠実に復元していったんだそう。

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17世紀から18世紀にかけての歴史的な街並みなんだけど、建物自体は新しい。
この時代にタイムスリップしたようでなんだか不思議な感じ。

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これはクラクフにもあった円形の砦バルバカン
もともとは15〜16世紀に造られたものだけど、これも破壊された。
1954年に復元された。

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こちらは旧王宮国立オペラ劇場
どちらも第二次大戦で破壊されるも、見事に復元されている。
ワルシャワの人々の街の復活にかける情熱と執念には頭が下がる。

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ワルシャワの街でひときわ異彩を放っているこのビルは文化科学宮殿
スターリンからの贈り物として1952年に建てられたんだって。
プレゼントに37階建ての高層ビルって、そんなのあり?

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でもなんだかアンバランスで格好は良くない。
案の定、評判はあまり良くなくて「ソビエトが建てたワルシャワの墓石」なんて呼ばれてるそうだ。

旧王宮がある王宮広場から延びている新世界通り。
美しくライトアップされるこの建物たちも戦後に再建されたもの。

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この派手なイルミネーションで照らされているのはポーランド科学アカデミー。
建物の前にはコペルニクスの像がある。

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天文学史上最も重要な発見といわれている「地動説」を唱えたコペルニクス。
当時は天動説が主流で、自分の考えを生前に公にすることは頑に拒んでいたそう。
きっと公にしていたら宗教裁判にかけられて火あぶりの刑になってただろうね。

2つの尖塔が特徴のこちらは聖十字架教会
これも戦時中、ダイナマイトで爆破されおよそ1/3が破壊されたそう。

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この教会にはポーランドが生んだ偉大なピアニスト、フレデリック・ショパンの心臓が納められている。
1810年にワルシャワ郊外で生まれたショパンは、パリで39年という短い人生を終えた。
望郷の念にかられながらも叶わなかった祖国への帰還。
本人の願いで死後、心臓がこの教会へと運ばれた。

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じつはここワルシャワの歴史地区は世界遺産に登録されている。
ただ「歴史地区」とはいっても、オリジナルの歴史的な街並みは戦争によって一度失われている。
今現在ある街並みは戦後に復元されたものだ。

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世界遺産に登録されるときに「復元されたもの」が登録に値するか疑問視する意見もあったそう。
けれど「復元されたからこそ登録に値する」ということで世界遺産に登録。
市民の気の遠くなるような努力と情熱で復活したワルシャワの街は、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。

血を流し、街を破壊し、人々を絶望に追い込む。
これまで幾度となく繰り返されてきた悲しい歴史。
人間は残虐な生き物だ。

でも絶望に打ち勝つことができる強い生き物でもある。
古くて新しいワルシャワの街は、人間の無限の可能性を教えてくれている。
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ビルケナウ収容所 「こころを鍛える」

2014.02.27 06:06|ポーランド☞EDIT
ユダヤ教徒のイスラエル人から迫害を受けているパレスチナ人の家でホームステイ中のイクエです。
そして3人のドイツ人旅行者と同じテーブルでこのブログを書いています。
パレスチナで一番見かける外国人はドイツ人だし、パレスチナを支援している団体もドイツが一番多い気がします。

そして、きょうのブログも前回に引き続きナチスドイツのユダヤ人迫害のことを紹介します。

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ナチスドイツ時代、130万人ものユダヤ人やロマ(ジプシー)、同性愛者や障がい者などを収容したアウシュビッツ強制収容所。
そのうち110万もの人たちがガス室で殺され、焼かれた。

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110万人もの人たちが殺された場所に足を踏み入れると、陰湿な雰囲気、負のオーラのようなものを体全体で感じ、ゾクゾクと寒気を感じるはずだろう。
肩が重く感じるかもしれない。

ここに来る前、そんなことを思っていた。

だけど実際こうやって歩いていると、不思議とそんな重苦しい空気を感じない。
残酷な場所のはずなのに、どうしてだろう。
たしかに展示物を見たり中谷さんの話を聞いてこころは落ち込んでいる。
だけど、この場所に身を置いたからといって本能的に感じる拒絶反応のようなものがまったくないのだ。

いま歩いているこの場所と、残虐な舞台となった場所が一致しない。

そんな自分がもどかしくもあったし、想像力が足りないのかもしれない。

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ガイドの中谷さんが言った。
「もともとここはポーランドの兵舎として使われていました。
ここを歩いていると、まるで大学のキャンパスでも歩いているような気分になりませんか。
両脇にれんが造りの立派な建物が整然と並んでいて、こんなふうに歩くスペースがあって、並木があって。」


「大学のキャンパス」。
ああ、そっか。

その言葉がすっとこころに入った。
友だちとおしゃべりしながら歩いたり、その辺に腰かけて缶コーヒーを片手に読書したり。

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中谷さんは続けた。
「とてもあんな恐ろしいことが行なわれた場所なんて思えないくらいですよね。
でも、これも計算されたものなのでしょう。
この木を見てください。
70年でこの大きさに成長しました。
当時、囚人たちに植えさせたものなんです。」


このきれいに整った雰囲気が残虐性を薄めているのかもしれない。

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ここに来るまでは、ナチスをひっぱっていった人たちはなんてサディストなんだろうと思っていた。
人間が人間を残虐に殺すことに良心の呵責も感じず、大量殺人を楽しんでいるかのようにも思えていた。

だけど彼らはサディストなんかではない。
彼らなりの道理に沿ってそれがよかれと思って行動していたのではないか。

「優秀な自分たちが劣等な人たちを矯正する。矯正も難しいなら処理してあげよう。」

そんな思いがあったのかもしれない。

中谷さんが言う。
「当時のドイツ人たちは、なにも悪いことをしようなんて思ってたわけじゃないと思うんです。
ただ、間違った価値観を選んでしまった結果がこれだったのです。」


当時、このポーランドはドイツに比べると田舎で発展していなかった。
そんな遅れた地域に、先進国のドイツが入り、洗練された場所をつくる。
インフラを整え、先進国であることをアピールする。

「未開の地に開拓民を送ってインフラ整備をする。
いまでも途上国で行なわれていることは、もしかしたら似ているところがあるかもしれませんね。」


この収容所で人道に反したことが行なわれてはいないか、当時収容所に国際団体の調査員が来ることもあったが立派な施設と囚人名簿を照合して「問題なし」と判断したという。

「当時のトイレです。
きれいでしょう。
水洗なんてめずらしかったんですよ。
ドイツの先進ぶりをアピールしたかったのでしょう。」


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「ああいうふうに壁に絵も描いてるんですよ。
まるで保育園なんかで衛生の指導をしているみたいに。
『ドイツ人はきれいにさせる』
そんなふうに見せていますね。
これで調査団も欺かされました。」


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着々と進められた組織的な殺人。
捕らえられる人の数はどんどん増えていき、ついにはアウシュビッツだけでは収容できなくなった。

そこでアウシュビッツから3キロほど離れた場所に第2収容所が建設された。
それがビルケナウ収容所。
アウシュビッツを見た後、シャトルバスでそちらに移動した。
アウシュビッツとは雰囲気が違う。

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電圧を流した有刺鉄線で囲まれた敷地は広大で、東京ドーム37個分の広さ。
300もの建物があり、多いときで9万人が収容されていた。

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収容所には鉄道も引き込まれた。
「効率的に」囚人を運び入れるために。

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窓もない貨物列車に70人も詰め込んだ。
まるで動物を運ぶかのように。
座ることもできなければ、もちろんトイレなんてない。

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ビルケナウ収容所は、壊された建物が多く保存状態は悪い。
だけど、アウシュビッツよりもこちらのほうが生々しく映る。
寒々しさや陰湿さをより感じる。

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収容棟は粗末な木造のほったて小屋。
戦局が悪くなり、収容所の建設に多くの予算をあてられなくなった。

それでもどんどんと増える囚人。
躍起になって簡易な施設をつくり続けなければならなかった。

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こうやって収容所を目にすればするほど、疑問がわいてくる。

「いったいなんのために。」

なんのためにユダヤ人を捕まえ、収容させ、殺さなければならなかったのか。
第二次大戦中、外国と戦うことで手一杯のさなか、なんでナチスドイツはこんな無意味なことを真剣にやっていたのか。

言葉を選ばずあえて書くと、戦争で忙しいさなか、なぜわざわざ収容所をつくり、一生懸命ユダヤ人狩りをし、遠くから貨物で移送し、収容所に職員を配置して運営し、毎日数千人を殺すという作業をおこなっていたのか。

たしかに健康な囚人を労働力としてつかってはいたけれど、ほとんどの人たちは連れてきてすぐに殺したり、狭い場所に閉じ込めていたのだ。

こんな収容や虐殺をしてもドイツのためにはならない。
第二次大戦中、戦争に勝って国を存続させることに財力も人もあてることが先決だったはずなのに、なぜ関係のないこんなことにこれほど固執し力を注いだのか。

その疑問をガイドの中谷さんに正直にぶつけた。

「こんなことをして、ドイツになんのメリットがあったんでしょうか。」

多くの人が命を奪われているのに、「メリット」なんて軽々しく聞こえる言葉を使うべきではないと思ったけれどそれしか思いつかなかった。

こんな基本的なことを聞くのは馬鹿げていて恥ずかしいなとも思ったけど、聞かずにはいられなかった。

中谷さんは少し間をおいて答えた。
「どうしてこんなことをやったのか。
その疑問にきちんと答えている文献はひとつもないと思いますよ。
わからないんです。
たとえば、囚人たちの体を見て労働力になるから生かしておくのか、そのままガス室に送って殺してしまうのかを判断していたのはエリートの医師でした。
その当時のドイツの医師というのは世界でもトップクラスの頭脳の持ち主だったんです。
どうしてそんなに頭がいい人たちがこんなことに加担したんでしょうか。」


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「1929年にアメリカを発端とした世界恐慌が起こり、ヨーロッパにも不況の嵐が押し寄せました。
ドイツも例外ではなかった。
そんな行き詰まった状態から脱出しようとした結果がこうなったんじゃないでしょうか。
ここポーランドに来たのも彼らからしたら「占領」ではなく「経済拡大」だった。
さらに不況のストレスの矛先がユダヤ人に向けられた。
ドイツ人にしてみたら『ユダヤ人を苦しめてやろう』と虐殺をしたのではなくて『ユダヤ人から自分たちが苦しめられているから』だったんでしょうね。」


もともと馬小屋として設計されたものが、収容施設として使われた。
本来、馬50頭を収容する建物に400人の人間が入れられた。

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どうしてナチスは、そんな意味のない残虐なことをやるようになったのだろうか。

「たとえば学校のいじめ。
家庭がちょっと裕福で成績もそれなりによくて不自由してなくて自分に自信があるような子が、ふと何かで負けて劣等感を感じたりした場合にいじめっ子になったりするでしょ。
当時のドイツもそうだったんです。
勢いがあって強かったドイツにかげりが見え始めた、そんな時代に起きたのです。」


中谷さんに案内してもらって3時間近くが経つ。
氷のような雪が時折吹きつける。
マイナス10度くらいだ。
夜にはマイナス20度以下になるだろう。

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手袋を2枚重ねにしているのに、冷たくて麻痺してくる。
大げさに思うかもしれないけど本気で凍傷になるんじゃないかと不安になり、指をこすったり息を吹きかけたりしてみる。

「みなさん、寒さは大丈夫ですか。
我慢し過ぎて体の中から冷えてしまうと、戻すのに苦労しますから。」

中谷さんは寒そうにしているわたしたちを心配してくれる。

この時期のアウシュビッツは寒いだろうね。
ポーランド行きを決める前からケンゾーと心配していた。
吹きっさらしの中、長時間さまようのはつらい。
でも、この時期に行くほうがかえって寒さを実感でき、囚人たちの苦しみが少しでもわかるんじゃないか。
そうも思っていた。

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でも、当時の人たちの寒さはこれとは比べものにならないほどひどかっただろう。

「この写真を見てください。
まわりは今のように雪が積もっています。
こんな薄い囚人服だけで、収容所の建設作業をさせられているんです。」


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つらいのは冬だけではなく、夏は30度を超える暑さで不衛生な環境のなか伝染病も起きていた。

建ち並ぶ木造の小屋。
その一つに中谷さんが入っていった。
さっきのように粗末なベッドが並んでいるのかと思ったら、そこにあったのはくり抜かれたたくさんの穴だった。

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1つのレーンに穴が2列ずつあいていて、それが3レーンある。

それはトイレだった。

みんなで一斉にここに連れてこられて一斉におこなう。
一日2回だけ。
しかも用を足す時間も1回20秒と決められていた。

「こんな恐ろしいことが行なわれていた収容所。
でも忘れてはならないのは民主主義の社会で選ばれた政治家たちが収容所をつくったということです。
だからヒトラーだけを土俵にのせて、悪いことをしたと考えるだけでは不十分です。
その時代に生きていた人たちは『悪いことをしよう』なんて思ってなかった。
人間の求めるものを間違った方法で求めた結果、こうなってしまったんです。」


生きづらい時代だった当時、ヒトラーの出現に国民は歓喜し熱狂的になった。
隣国を攻撃し、占領していった。

「遠い国の過去の話ではありません。
たとえばいまの日本も経済状況が悪くなったそんなとき、もし日本の首相が外国人に暗殺されたら、国民が感情的になって戦争が始まることだってあり得るかもしれませんよ。」


まわりの国に勢力を拡大していったナチスに国民は信頼をおいていった。
そしてナチスはユダヤ人を排除していく政策をますます押し進めていった。

何の罪もない普通の人たちが捕らえられ、収容所へと送られ、虐待され、そして殺されていった。
このとんでもない異常なことが疑問視されることもなく、当然のようにきのうもきょうもあしたも行なわれていった。

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「当時、ナチスの政策に賛成も反対もしなかった傍観者が大勢いました。
そしてその傍観者こそ、最大の後ろ盾になったのです。」


わたしたち人間というのはこんな恐ろしいことに加担してしまう生き物なのだ。

でも正しくないことを正しくないという、本当の意味での「人間らしさ」をどんなときも持っていたい。
それを実現するための方法は簡単には見つからない。
それでもー。

中谷さんは繰り返した。
「だからわたしたちは、メンタルを鍛えていかなければなりません。」

どんなときもぶれないように
どんなときも正しい道を選べるように
大勢に流されないように
傍観者にならないように
声をあげて「違う」と言えるように

こころを鍛えるということ。

過去から学び、見聞を広め、正しい道を選ぶ力を身につけていく。
こころを鍛えることは意識的におこない続けないといけない。

過去を見つめ、人間のおかした過ちに向き合うことはときに苦痛を伴う。
それは簡単なことではない。
そしてがんばったところでそれが本当に意味があるのか不安になる。

そんなこと「自分に関係ない」と割り切り、考えないほうが楽に生きられる。

それでも自分が「人間らしく」生きていきたいから
ほかのどんな人からも「人間」である権利を奪いたくないから

だから、努力してこころを鍛えていく。

このアウシュビッツとビルケナウはこころを鍛える場所なのだ。

中谷さんが言った。
「ここではいろんな国の言葉が飛び交っているんですよ。
世界中からここを訪れる人たちが年々増えているんです。
そのなかにはもちろんユダヤ人たちもいます。
彼らにとってはここに来ることはとてもつらく、みじめな思いをするでしょう。
長い間ここを訪れることができなかった。
それでもようやくここを訪れはじめている。」


彼らは祖先の髪の毛や靴の山を目にし、わたしたちが感じる以上の戦慄を感じるだろう。
ここに来ることはとても恐ろしいことなのだ。

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中谷さんが続ける。
「そしてユダヤ人たちのグループのその隣にはドイツ人の姿が見られることもあります。
ドイツ人にとっては過去の過ちを突きつけられる場所です。
肩身の狭い思いもあるでしょう。
それでも勇気をもってここに来ている。 
ユダヤ人とドイツ人が肩を並べて過去を見つめようとしている。
そういう意味で、ここは和解の場にもなっているんです。」


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こころを鍛える。
それは面倒くさいし、ときに意味のないように思える。
鍛えなくても生きていけるし、そのほうが楽でもある。

それでも、わたしたちはこころを鍛えていかなくてはいけない。
誰もが人間らしく生きていくべきだから。

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【旅 info.】
  アウシュビッツ・ビルケナウ収容所a_DSC_0451_201402262023529dc.jpg
クラクフ駅裏のバスターミナルからバスやミニバスで。
1時間20分から1時間50分。
往復で28ズウォティ。(ミニバスだともっと安いかも)
入場料は無料。
中谷さんにガイドをお願いしたい場合は事前にメールで連絡。
アドレスは「nakataniアットマークwp.pl」
ガイド料金は参加者の人数によって異なる。
中谷さんのガイドツアーは3時間ほど。
敷地は広いので、足早に見て回り時間が足りなかった。
ゆっくり見たり写真を撮ったりしたい人はツアーの前後に個人で見ると良い。
アウシュビッツからビルケナウまで無料のシャトルバスがあるが本数は少ない。
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