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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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世界一周後の試練

2017.12.31 13:38|世界一周裏話☞EDIT
イランを旅していたとき、女子高生たちから「赤ちゃんみたいな顔でカワイイ〜!」と言われたイクエです。
目鼻立ちクッキリで美人の多いイランで、鼻が低く目が小さい日本人のイクエとケンゾーはまだ完成してない顔に見えるようです。

世界一周から帰国してすぐに妊活をし、不妊治療で赤ちゃんを授かりました。 
帰国して半年後のことです。

妊娠したらさぞ嬉しいだろうなぁと思っていたけど、わたしは36歳。
高齢出産と言われる部類に入ります。
私の年での流産率が高いこともわかっていたので、このまま妊娠が継続できるか不安で仕方ありませんでした。

そして二週間後、夜に急に違和感を感じトイレに駆け込むと大量出血。
「ああ、やっぱりダメなんだ」

出血だけでなく、ゴルフボールくらいのレバーそのもののような硬い塊が2つも出てきました。
血は止まらず、浴室に移動し流し続けました。
お腹に、鈍痛もありました。
クリニックはもう閉まってる時間だし、もうどうすることもできない。
処置が楽に済むように、流れるのなら流してしまったほうがいいと思いました。

お腹の痛みはあいかわらずでしたが、出血はだいぶ収まり、ケンゾーの体に頭を埋めて、出てきそうな涙を止めました。
「また、がんばろう」
ケンゾーは小さく言ってわたしの頭をなでました。

翌朝「たぶん流産しました」と電話でクリニックに予約をいれ、診察に行きました。

エコーでお腹の中を見てもらいました。
女の先生が高めの声で言いました。
「あら、赤ちゃんいますよ。
 ちゃんと心臓も動いてる。
 大丈夫ですよ」


20160813.jpg


信じられない気持ちでした。
なんて生命力が強い赤ちゃん。
勝手に流産と決めつけて、ごめんね。

出血の原因は不明でしたが、赤ちゃんにまったく異常はみられません。

大事にしよう。
大切にお腹で育てよう。
そう誓いました。

でも、不妊治療のこと、高齢出産のことをたくさん調べていたわたしは、これからのリスクが大きいことも知っていました。
妊娠の喜び、出産の楽しみよりも不安の方が上回っていました。
万一のことを想定し、期待してはいけない、と自分に言い聞かせていました。

『たまごクラブ』や『妊すぐ』など妊婦向け雑誌を買いたい気持ちもありましたが、まだ買ったらいけないと思うようにしていました。
マタニティウェアも買ったところで、あと1週間後、もしかしたら明日、いらなくなってしまうかもしれない。
そしたら、家にあるその不用品を見るのも辛くなる。

妊娠を家族以外の人に報告することもできませんでした。
もしダメになったら・・・と不安で仕方ありません。

わたしの思い描いていた妊娠生活とはまったく異なっていました。
わたしはとてもナーバスになっていました。

不妊治療のクリニックは、不妊治療が専門であり、妊娠したら卒業し、別の産科を紹介してもらわないといけません。

わたしはなんとしても赤ちゃんを無事に生み、出産後万が一何かあっても万全の態勢で赤ちゃんを守ってもらえるようにと、大学病院で生むことを希望しました。
それまで思い描いていたのは、ホテルみたいな病室やレストラン並みの豪華な入院食、幸せに溢れたきれいな産科病院での出産。
かなり違うものになってしまうだろうけど、もうそんなことはどうでもよくなっていました。
クリニックの先生からは「何も大学病院じゃなくても。大きめの総合病院でいいんじゃないですか?」と言われましたが、大学病院に紹介状を書いてもらいました。(この後、大学病院にしてよかったと心から思うことになりました)

大学病院で妊婦検診を定期的に受けるようになりました。
ある日、担当の女の先生が深刻な顔でエコーの画面をじっくりと見ながら、深く息をもらしました。
「あー、うーん・・・」

ため息まじりにつぶやきました。
「ちょっとこれはねー、調べないといけないね・・・」

不妊治療をする時、左の卵巣に嚢腫があることはわかっていました。
でも右の卵巣から排卵すれば妊娠はできるし、嚢腫も良性で小さいので妊娠しても支障がなく、そのままにしても問題ないと診断されていました。
その嚢腫が妊娠後、急激に大きくなっていたのです。

先生は言いました。
「肥大化のスピードを考えれば・・・。
 悪性かもしれない。
 一刻も早くMRIで調べたほうがいい」


腹水もたまっていました。

卵巣ガンかもしれない。

それは想像もしなかったことでした。
しかし、出産できることを確信できず不安で、自分の妊娠・出産が半信半疑だったわたしは、「あぁ、そういうこともあるんだ。やっぱり一筋縄ではいかないんだ」と思い、取り乱すことはありませんでした。
それと、冷静にならないとやってられないとどこかで思っていて、あえて感情を抑えていたのもあります。

MRIでは『腫瘍が直径10センチほどあって、固い物質であるので悪性の疑いもある』という結果が出ただけで、詳細はわかりませんでした。

血液検査で、肝臓の数値も悪くなっていることがわかりました。
毎回血液検査をするたびに数値は悪くなるいっぽうで、今度は紹介してもらった消化器科でエコー検査を受けたら、肝臓にまで腹水が溜まっていることもわかりました。

原因はわかりません。
いい方に考えれば、腫瘍は陽性だけどあまりに大きいから体の中のスペースを奪ってしまって肝臓が窮屈になって異常が出ている。
悪い方に考えれば、癌が肝臓まで転移している。

肝臓の機能が悪くなったことで胸焼けや息苦しさも感じるようになりました。

先生が言いました。
「悪性であれば、転移を防ぐために腫瘍だけでなく、子宮も取ることになる。
 その場合はお腹の赤ちゃんは諦めないといけませんね」


それは、お腹の赤ちゃんを諦めるだけでなく、一生子どもを授かることができなくなることを意味します。

「母体か子どもか。
 どちらを優先するか考えておいてください。
 病院としては、母体を優先されることを願います。
 どうですか?」


「悪性だとしたらどのくらい進行しているのか、そういうのによります。
 今はなんとも・・・」

「そうね。
 とりあえず腫瘍の摘出手術をしないと。
 どんどん大きくなっていて、すでに子宮やほかの臓器も圧迫してるし、
 このまま放っておくわけにはいかないから」


良性か悪性かは、腫瘍を摘出し、病理検査をしないとわかりません。
とりあえず、お腹を開いて左の卵巣と腫瘍を摘出し、お腹を閉じます。
病理検査には二週間ほどかかるので、結果が悪ければもう一度お腹を開いて右の卵巣と子宮も取るとのこと。

悪性だったらということは考えないようにしましたが、悪い方に考えてしまうこともあります。
もしガンだったら、進行してたら、わたしがいなくなったらケンゾーは大丈夫かな・・・。

胎児が小さすぎても手術に耐えられずにダメ、逆に待ちすぎるとその分腫瘍も成長し胎児のスペースがなくなるうえ、手術も難しくなる。

妊娠4か月(15週)で手術を受けることになりました。
このとき、まだ赤ちゃんは150グラムほど。
子宮に赤ちゃんがいる状態でお腹を10〜15センチ切って卵巣を取るので、もちろん赤ちゃんへのリスクはあります。

20161018.jpg


手術前に執刀医から説明を受けました。
悪性の疑いもあること。
今回は卵巣と腫瘍だけ切除するけど、癌だったらまたすぐにお腹を開いて子宮も赤ちゃんも取らなければいけなくなること。
今回の手術により大量出血や流産してしまうかもしれないことなど、リスクを次々に説明され、たくさんの書類に承諾のサインをしなければなりませんでした。

ただ、うれしかったのは先生が説明するとき、わたしのことを「おかあさん」と読んでくれたことです。
このときまだわたしは周りに妊娠のことを隠していて「妊娠おめでとう」と言われたこともありませんでした。
ほかの人に「おかあさん」と言われて、母になれるかもしれないことを実感しました。

赤ちゃんもここまでがんばってるんだから、母としてがんばらなければと思いました。
また先生は、お腹の赤ちゃんがちょうど逆子のようになっていて、顔を正面に向けていてわたしと同じような姿勢でいると教えてくれました。
ふたりいっしょに手術台にのって、手術を受けるんだ、一人じゃない、と思えました。

医師の説明を受け、ベッドで休んでいるとわざわざ看護師長が挨拶に来ました。
「大丈夫でしたか?」
心配そうに看護師長が尋ねますがなんのことかわかりません。

「さっきの先生たちからの説明、ショッキングな内容ばかりだったと思います。
 先生が心配していました。
 ショッキングで酷なことだけど、伝えないわけにはいかなかったから、
 と先生が言ってました」


わざわざそんなふうに言われることがかえってショックでした。
わたしは自分の症状のことはインターネットで調べまくっていて、もうすでにある程度の覚悟もしていました。
先生も看護師長も「ショッキング」と言っているのだから、やっぱりそれなりのことなんだなと改めて思いました。

前夜は、不安と緊張でほとんど眠れませんでした。
どうか悪性じゃありませんように。  
赤ちゃんが無事でいてくれますように。

手術のときは、手術中に何かあったときのために家族が病院内で待機しなければならず、ケンゾーと母が来てくれました。
手術室の前まで二人はついてきてくれました。

「じゃあ、行ってくるね」
わたしが言い、手術室に入る前、もう一度後ろを振り返りました。
しかし、母は顔を横にそむけて目も合わせてくれませんでした。
母の気持ちがわかりました。
わたしは小学校二年生のとき、手のやけど痕に足の裏の皮を移植する手術を受けたことがあります。
そのとき母は手術室までではなく、エレベーターのところまでしか送ってくれませんでした。
あとで母は「涙が出そうだったから」と言っていました。

あれから30年近くも経ち、小学生のわたしはあの頃の母くらいの年になっています。
母は歳を重ね、わたしよりも背が低くなり、娘たちから心配される年齢になりました。
それでも、母はあのときと同じでした。
手術室に向かうわたしが心配で仕方なかったのでしょう。

無機質で殺風景な手術室は、余計にわたしを緊張させます。
それでも一人じゃない、お腹の子といっしょなんだ、二人でがんばるんだと心強く思いました。
腫瘍よりも小さな娘(手術前のエコーでお腹の子はどうやら女の子らしいとわかりました)は、わたしを勇気づけてくれています。

赤ちゃんに影響が出ないよう、全身麻酔は受けられません。
はっきり意識があるなかでの手術。
先生が「じゃあ始めますよ。お腹切りますよ」と話しかけます。

それまで患者をリラックスさせるようなオルゴールミュージックが流れていましたが、手術が始まると、先生の気分がのる好みの音楽に変わりました。
普通ならもう患者は麻酔で眠っているころです。
病院でも腕がいいと評判で、大学でも教えていて、数年前まで研究のためアメリカに留学していた先生。
英語のポップな曲でした。

手術中、お腹を切る痛みは感じませんでしたが、引っ張られたり臓器を持ち上げられたりする感覚はあります。
今どういうことを処置をしているのかはわかりました。
腫瘍は、卵巣だけでなく、腸や子宮にも癒着していました。
だから切り離すのが大変なようでした。

どうか子宮が傷つきませんように。
がんばれ、赤ちゃん。
耐えて、赤ちゃん。

先生は前日、「手術中に、腫瘍を簡易検査にかけようと思います。そして悪性の疑いがあれば、少しでも転移を防ぐために腫瘍と卵巣だけじゃなくそのまわりもその場で少し取り除いておきたい」と説明していました。

一時間ほどかけて腫瘍と卵巣が取り除かれました。  
銀色のトレーに載せて、すぐに別室の検査室に持っていかれました。
天井を見つめたまま、お腹を開いた状態で、検査結果を待ちます。
全身麻酔はしないけれど、わたしは手術中ボーッとなってウトウトするだろうと思っていましたが、検査結果と赤ちゃんが気になって、さえざえ。
天井のライトを見つめたまま、待ちます。
壁の時計を何度も見ます。 
長く感じます。
医師たちはお腹が開いたままの仰向けになった私を囲んで、「先生、今週の予定は?」なんていう日常会話をしています。

おねがい、良い結果でありますように。

「大丈夫だよね。大丈夫だからね」とお腹の赤ちゃんに心の中で語りかけます。

40分ほどして、手術室の電話がなりました。

「・・・はい、わかりました、 はい。
 ・・・はい」


電話の応対からは結果がどうなのかわかりません。
胸がドキドキしますが、冷静を保ちます。

執刀医が私に顔を近づけて言いました。
「良性、良性でしたよ」
「・・・リョーセイ?」

良性か悪性かのどちらかの答えがくるのは当たり前なのに、緊張してたからか一瞬、「リョーセイって?悪いの、いいのどっち?」と戸惑いました。

医師がもう一度言いました。
「良性ですよ。
 良かったね」


あー。
よかったあ。

泣きそうになりましたが、これからお腹を閉じる処置があるし、手術はまだ終わってないんだから泣いてはいけないと、ぐっとこらえました。

お腹の子と、一つの試練を乗り切った気分でした。

手術の最後に、胎児に異常がないかモニターで調べます。

医師が言いました。
「うん、赤ちゃん元気だね。
 わかる?
 ほら、ここ、心臓動いてるでしょ。
 よかったね!」


「ありがとうございます」

がんばったね。
がんばったね。
お腹の小さな命に呼びかけました。

ベッドに仰向けにのせられたまま、手術室を出たとたん、涙が溢れ出しました。
天井を見つめる目からは涙はサラサラ流れ続け、耳を濡らします。

付き添っていた看護師が、ティッシュで涙を拭ってくれ、手に持たせてくれました。
「ホッとしましたね」
その言葉に余計涙が出てきます。
声にならず、天井を見つめたままわたしは小さくうなずきました。

手術は予定の倍の時間がかかり、ケンゾーと母は、何かあったんじゃないか、悪い結果になっているんじゃないか、大量出血してるんじゃないか、などものすごく不安になっていたようです。
しばらくは「手術の途中経過を、待合室の家族に教えてくれればよかったのに。時間がかかってるけど大丈夫ですって一言伝えてくれるだけでいいのに」と何度も言っていました。
よっぽど心配したのでしょう。

試練を乗り越えました。
お腹の赤ちゃんは、強い。
必死に子宮にしがみついてくれている。
絶対にこの子を無事に産もう。

でも、さらなる試練が待っていました。
たった1週間後に同じ病室に戻り、また違う手術を受けることになったのです。
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世界一周よりも叶えたかった夢

2017.11.16 13:03|世界一周裏話☞EDIT
旅行中、外国の病院に行ったのは、ケンゾーよりも多いイクエです。
韓国やインドでは予防接種を受けるために、ラオスでは謎のじんましんにかかって、イランでは自転車旅でケガをして、スロベニアではまさかの膀胱炎で、ボリビアでは腹痛と発熱でお世話になったなあ。

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世界一周に行く前、日本で会社勤めをし日常を送っていたころのことです。 
うちに遊びに来ていた高校時代の同級生から、こんな質問をされました。
「イクエちゃんの夢ってなに?」

答えにつまりました。
社会人になって同じ会社で当たり前のように仕事をし、結婚もして、三十にもなっているのに、いまさら夢なんて聞かれるとは思ってもいませんでした。

少し考え、私が出した答えは
「子どもを生むこと」でした。

そのときわたしは改めて、自分が最も叶えたい夢は、世界一周でもなく、母親になることなんだと再確認しました。

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ケンゾーと結婚したのは2007年。
それからもうずいぶん経っているのに、わたしたちは子どもに恵まれていませんでした。

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30になる前くらいから、月に一度来るはずのものがまったく来なくなり、薬を飲まなければならなくなっていました。
いくつかの婦人科に行きましたが、先生たちに言われたのは「たぶんストレスだと思うよ。子どもがほしければ今の仕事を辞めたほうがいいんじゃないの?」ということでした。

そのときのわたしは、休日も仕事のことを考え、休みの日や夜も会社から呼び出されることが多々ありました。
お風呂のときもケータイは脱衣所に置いてすぐに出られるようにしていました。
月に何度かは夜勤もあったし、連続30時間以上労働も珍しくありませんでした。

子どもを作ることは私の夢でもありケンゾーの夢でもあり、世界一周よりも叶えたい夢でした。
仕事を辞めて日本を出て、好きなように時間を使い、ストレスフリーな日々を過ごせば、また生理がきちんと来てくれるんじゃないかという期待もありました。
世界一周中に妊娠したらいいな、妊娠がわかったらすぐに日本に戻ってこようと思っていました。

だけど結局3年5か月の世界一周中、生理が自然に来ることはありませんでした。
日本では病院で診察を受けないと処方されない薬も、国によっては薬局で簡単に手に入るところがあります。
だから、処方箋がなくても買えるところで、わたしはホルモン剤を買っていました。
病院で処方してもらったこともあります。

帰国してからは不妊治療に全力を注ごうと、日本に帰る前から決めていました。
だから、仕事をするのもお預け。

帰国してすぐに熊本の不妊治療専門のクリニックに電話したら、なんと5か月待ち。
世間では不妊治療を密かにやっている人がほとんどですが、わたしたちは別に隠すこともなく周りの人に話しました。
すると「実はわたしも、、、」「うちも昔やってて、、、」という人たちがいて、不妊で悩んでいる人がたくさんいる現実を実感しました。

福岡で暮らすことに決めてから、福岡の有名な蔵本ウイメンズクリニックに通うことにしました。
ここには県外から泊りがけで通院する人も多く、外国人を見かけることもありました。
服装や言葉から、インド人やトルコ人と思われる人もいて、英語で応対できる看護師さんもいました。
不妊の悩みは世界共通。

思い返せば、世界一周しているとき、わたしたちは何度となく「子どもはいないの?」と現地の人に尋ねられました。
とくにイスラム圏を旅しているときは毎日のように聞かれました。
会ってすぐ、二言目には「子どもは?」「どうしていないの?」。
初めのころは「さ~、わからない」とか「日本に帰ってから作る」などと答えていました。
でもとくにイスラム教徒からは「どうして?」「早く作りなさい」「あ~、かわいそうに」と困惑した顔や同情した顔で言われました。

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(イランでホームステイさせてもらったお家のおばあちゃん。
子どもがいないわたしを憐れみ、子どもができるようにずっとお祈りしてくれた。
見送るときも、アッラーにお願いしていた。)

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「どうして子どもがいないの?」という何百回もの質問。
ある時からケンゾーが、両手を天に向けて、ややとぼけた顔で「インシャアッラー(神の思し召し)」と言ったらこれがウケて、しかもこれを言えばみんな妙に納得してくれて、和やかな雰囲気に変わるのでそうすることにしていました。

エジプトでは、電車でたまたま一緒だった男性が「早く子どもを作るべきだ!カイロに有名な医師がいる。診てもらえば子どもができるかもしれない。紹介しよう」としつこく言われたこともあります。

女は家庭に入り、子を作る。
これが女の使命でもあるイスラム圏に生まれなくてよかったといつも思っていました。

さて、帰国早々、本格的な妊活を始めたのですが、クリニックで血液検査をしたら、甲状腺機能低下症だと判明しました。
甲状腺ホルモンと女性ホルモンは密接に関わってるらしく、不妊治療を中断し、紹介してもらった甲状腺の専門病院に通院することになりました。
甲状腺の自覚症状がなく、楽しく世界一周できたことはよかったとつくづく思います。

わたしは、無月経、甲状腺機能低下症以外に、左卵巣に腫瘍があって左から排卵していないことも判明。
3つの障害を抱えていて、不妊治療のクリニックの先生からは「難しいし長く治療がかかるだろうけど、いっしょにがんばりましょう!」と励まされました。

できることは何でもしよう。
大好きなコーヒーもお酒もやめました。
自分で調べて不妊に効くというサプリやハーブティーをいくつも試し、食生活も見直し、暑い日も冷たいものは飲まず、家でも靴下を履き腹巻きをし、毎晩湯船にゆっくり浸かり、体を温めました。 
NHKのテレビ体操をし、クリニックでやっている気功に参加し、子宝に恵まれるという本に載っているストレッチをし、鍼灸院に毎週通って鍼をうってもらい、お腹や腰にレーザーを当て、家では不妊に効くというツボにお灸をし・・・。

すがるようにできることはしました。
今まで自分の体を顧みず無理をしてきたから、自分の体にいいことをするチャンスだと思うようにしました。

不妊治療には、排卵の周期に合わせて妊娠を試みるタイミング法、それがだめなら人工授精、さらに上の体外受精があります。
ステップアップしながら治療を進めるのが一般的ですが、先に治療をしていた友人たちが口々に「いきなり体外受精からしたほうがいい」と言うので、9年も子宝に恵まれていないのだし、年齢も年齢だし、無月経、左卵巣の機能障害、甲状腺ホルモンという3重の問題を抱えているので、最初から体外受精をすることにしました。
体外受精は1回50万〜60万円(実際わたしはもっとかかったのですが)と言われています。
それほどお金をかけても体外受精で妊娠、出産までいけるのは20%くらいとも言われています。

努力は報われる、と言います。
大きな成果は出なくても、努力すれば小さなものが何かしら手に入り、少しは報われます。
でもそれが通用しないのが不妊治療。
どんなに努力してもゼロかもしれない。
人生においてそんなことはほとんどありません。
精神的、肉体的、そして保険がきかず金銭的負担が重くのしかかる不妊治療。
出口の見えないトンネルをひたすら歩くような、まったく楽しくないギャンブルをやり続けるような感じです。
なかなか公にはなりませんが、不妊に苦しむ夫婦はほんとうにたくさんいます。
政府は少子化対策と言うのなら、入り口である不妊治療のことにもっと力を注いでくれたらなあと思います。

甲状腺ホルモンの薬を飲みながら、体外受精に向けた治療が始まりました。

お腹には貼り薬。
2日に一度、自宅で自分で2本の注射をお腹に打たなければなりませんでした。

そして排卵日に合わせて、手術室で採卵。
採れた卵はすべてが受精するわけではなく、うまく受精してもその後、卵がきちんと分裂まで進むわけではありません。
わたしは10個以上採れて、そのうち半分受精し、最終的には3つくらいうまく分裂して妊娠につながるかなあと思っていました。

採卵後、診察室でケンゾーと説明を受けました。
医師が言いました。
「採れましたよ。
 一つ」


たったの一つ。
サーっと気分が落ち込んでいくのをなんとか止めようと、冷静になろうと、何も考えないようにしました。

帰り道、すたすたと駐車場まで歩くケンゾーにイライラをぶつけたくなりました。
たくさん薬を飲んで、自己注射して、それなのにたったの一個。
今回はもうダメだろう。
採卵は体に負担がかかったのに、ケンゾーはそんなわたしを気にすることなく、振り向かずに5メートルも先を歩いている。

あとで聞いたら、ケンゾーは一般的にはどのくらい卵が採れて受精するのか知らなかったので、「卵が採れたからよかった。それなのになんでイクエはがっかりしてるんだろう」と思ったそうです。

不妊治療をする夫婦は、子どもがほしいという思いの差や、不妊治療での精神的、肉体的、金銭的な負担などから夫婦仲が悪くなり、離婚にまで進むこともあると言います。
ほかの人からしたら、「そんなに思い詰めなくても・・・」「そこまでして子どもを作らなくても・・・」と思うかもしれませんが、この辛さや悩みは当事者じゃないとなかなかわからないと思います。
不妊の問題はなかなかオープンにされていませんが、今や夫婦6組に1組が不妊に悩んでいます。
もっと支援策があればいいのにと思います。

実は、帰国してから「ブログやってるイクエさんですか?」と声をかけられたのはこれまで2回。
そのうちの1回が不妊治療のクリニックの待合室でした。
きっとこのブログを読んでくださっている同世代の人たちには、不妊の悩みをもっている方も少なからずいらっしゃると思います。
無力ですが、もし聞きたいことなどがあればお気軽にメールください。

採れた卵はたったの1個。
今回はダメだろうなと諦め、数日後にクリニックに行きました。
そしたらなんとたった1個の卵が受精し、適切に分割していました。

その1個に願いをかけ、体内に戻しました。

今度はその卵がしっかり子宮に着床してくれて、妊娠まで至ることができるかどうか。

悶々とした日々が2週間ほど続きます。
熊本地震で被災した南阿蘇の小学校の子どもたちが、韓国や中国をまわるピースボートのクルーズに招待されていて、引率でついて行くことが決まっていました。
船の揺れが大丈夫かどうか不安もありましたが、外に出た方が精神的に健康だし、いい方に行くかもしれないと思いました。
船で薬を投与しながら8日間のクルーズを終え、帰国当日、妊娠判定のためにクリニックに行きました。

失望が大きくなるから期待しないようにしよう。
そう自分に言い聞かせ、医師の言葉を待ちました。

結果は、妊娠。

夫婦二人で冷静を装って話を聞き、診察室から出るとケンゾーの顔が緩みました。
わたしも「よかったぁ・・・」と呟きましたが、まだ満面の笑顔で喜ぶことはできません。

自然の摂理で当たり前のように行われる妊娠、出産ですが、不妊治療をすると、このことがいかに高度で奇跡的な営みであるかを実感します。
まずは排卵されるか、質のいい卵が採れるか、それが受精するか、さらにしっかり分割するか、そして子宮内膜が卵を受け入れるのに適切な厚さになるか、着床し妊娠に至るか・・・。
関門がいくつも立ちはだかります。
妊娠してもわたしの年齢だと流産や早産の可能性も高くなります。
出産まで結びつくかどうか。

だから妊娠しても、わたしは半信半疑でした。
ぬか喜びにならないように、自分の心にブレーキをかけていました。
妊娠のことは親しい友人にも言わず、家族だけに報告しました。

そして実際に、ここからが波乱の幕開けでした。

「世界一周」のブログランキングの参加は、今回で最後にしようと思います。
 今まで応援してくださって、本当にありがとうございました。
 おかげでそれがモチベーションとなり、ブログを続けることができました。
 次回から「世界一周」のカテゴリーから抜けますが、これまでと変わらずお付き合いいただければ幸いです。
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