イランで死刑になるかもしれない宗教
荷物になるからイヤだったけど、ケンゾーがずっとほしがっていたのでカメラの三脚をイランで購入するのを許してしまったイクエです。
330000リアル(約1000円)で買ったんだけど、あしたからどうやって持ち運ぶんだろう。
というか、そんなにこだわりもって撮影してないんだけど(イクエは)本当に使うのかな。
イクエとケンゾーにとって、イラン最初の街マークー。
トルコから国境越えしてそのままタブリーズに向かうのは時間的に厳しい。
だからここで一晩過ごそうと考えいていたので、とくにこの街に何かを期待していたわけではない。
だけどマークーの街は、着いたとたん「おお!ここ意外とすごいんじゃない!?」と思った。
街が崖に囲まれている。
映画の舞台に紛れ込んだような、別の惑星に来てしまったような。
「垂直に切り立っている」と言うより「反り上がっている」という表現が合う。
弓なりにカーブして崖の上の方が街側に迫ってきている。
『地球の歩き方』によると崖の中腹まで上ることができ、そこには19世紀にイランで生まれたバーブ教、そして後を継いだバハーイ教の寺院跡があるらしい。
バーブ教、バハーイ教はシャリーア(イスラム教徒が守るべき法)やコーランを否定しているため、政府からは弾圧されているのだそう。
「バハーイ教の寺院跡は現在はイスラーム寺院として使われている」
『歩き方』にはそう記してある。
崖をのぼっていたらイラン人に声をかけられた。
「こっち、こっち」というのでついて行くことに。
男性2人組で双眼鏡で何かを調べている。
言葉がわからないので正確には理解できないんだけど、どうも街の職員らしく、ここをライトアップして観光地化しようと試みているらしい。
そして、日本人のグループがこの崖でロッククライミングをした、というようなことを言っていた。
そういう可能性も含めてこの崖を街の活性化に活かそうとしているのかもしれない。
あてもなくこの男性2人組のあとをついて行くと、おもちゃのようなモスクがあった。
これが『歩き方』に載っていた「バハーイ教寺院跡に建てられたモスク」?。
かなりとってつけたようなモスクだ。
そうまでしてわざわざこんなハリボテ置く意味あるかね。
『歩き方』によれば、19世紀半ばに生まれたバーブ教は当時イランを支配していたガージャール朝政府から徹底的に弾圧されて、信徒たちを率いていたバーブは逮捕され、1847年にここマークーに監禁された。
その3年後にタブリーズで処刑されたそうだけど、きっとここがバーブ教、バハーイ教の人たちにとっては聖地になっていたのだと思う。
きっとそれが政府は嫌だったのだろう。
そして『歩き方』には「現在ではバーブ教徒、バハーイ教徒ともにムスリムからは異端と見なされていて、イランでは信徒はいないとされている」と書かれている。
崖の上からは街が見下ろせる。
崖と山の狭間に、住宅や商店が密集している。
双眼鏡をもった2人組につきあっていたら、下からのぼってきたおじさんに出くわした。
おじさんは英語が話せる人だった。
2人組が先に歩いていったので、一瞬おじさんとわたしたちだけになった。
おじさんが2人組の居場所を目で確認し、声をひそめて言った。
「バハーイ教って知ってますか?」
「はい。ここが聖地だったんですよね。」
おじさんの顔がぱっとにこやかになった。
そして、声をひそめたままこう言った。
「わたしはね。
その、バハーイ教の信者なんですよ。」
え!?
バハーイ教徒ってイランにはいないんじゃなかったの?
おじさんが先に歩き始めた。
ケンゾーと顔を見合わせた?
「聞き間違いだよね。
そんなわけないよね。
だってバハーイ教って死刑にされるってWikipediaに書いとったよ。」
「いや、でもバハーイ教って言ったよ。
だけん、ここに来とるんじゃない?」
おじさんとまた3人だけになったので聞いてみた。
もちろん、誰にも聞かれないようにひそひそと。
「あなたの宗教って、バハーイ教ですか?
政府が認めていないと聞いてたんですけど・・・。」
「そうです。
わたしも2年前まで投獄されてましたから。
家から遠く離れた場所に3年間もですよ。」
目の前にバハーイ教の人がいるということにも驚いたし、なによりも会ったばかりのわたしたちにそれを打ち明けてくれたことに驚いた。
おじさんは言った。
「わたしは〇〇(※マークーから数百キロ離れた街)に住んでいます。
ここには家族と車でやってきたんです。
家族はいま街のホテルに待機してます。
あしたの朝7時、ここに家族みんなで来てお祈りをするから良かったらまた来ませんか?
ここの朝はとても気持ちよくて美しいですよ。」
おじさん家族は、わざわざこの聖地に2日くらいかけてやってきていたのだった。
きょうは下見に来たのだろう。
見つからずにお祈りできる場所なのかどうか。
監視しているような人はいないか。
「あした7時ですよ。
家族も紹介したいから。
また会えたらいいね。」
おじさんはそう言い残して、家族が待つホテルへと向かっていった。
「どうする?」
「もう一度会ってみたい気もするね」
「でも、朝7時かあ。
早いなあ。」
イスラム教シーア派の国イランで、まさか最初の日に出会った人が、発覚したら死刑になるかもしれないバハーイ教徒だなんて。
おじさんはとても穏やかな表情で優しい口振りで紳士的な人だった。
もう一度おじさんに会って、もっとバハーイ教のことを聞きたいし、どんなふうに家族で祈りを捧げるのか見てみたい気がした。
つぎの日。
目覚ましはセットしていなかったけど6時半に目覚めた。
「ケンゾー、ちょっと行ってみらん?」
顔だけ洗って急いで宿を出て、あの崖を目指す。
間に合うかな。
途中、おじさんたちが乗った車がイクエとケンゾーを追い抜いた。
窓越しにおじさんがこっちを向いて微笑んだ。
崖の麓の駐車場で、みんなにあいさつをする。
車は2台で、おじさんの奥さんや子ども、娘の夫など10人近く。
素性がわからない外国人のイクエとケンゾーを不審がりもせず、この聖地にいることを受け入れてくれる。
おじさんが言うには、バハーイ教は争いを好まず、どの宗教も尊重し、平和を愛し、男女平等の教えがあるのだという。
だから「男女平等」を訴えるバハーイ教はイスラムからしたら受け入れがたいのかもしれない。
みんなで崖をのぼっていく。
朝の7時。
街はまだ眠りについているかのように静か。
この崖にわたしたち以外誰もいない。
「きれいですね。」
「ええ、きれいでしょう。
朝はきれいですね。」
「こういうところにみんなで来て、祈りを捧げているのがばれても問題はないんですか。
捕まることだってあるんですか。」
おじさんは少し笑いながら答えた。
「発覚したら大問題ですよ。
捕まるでしょう。
だから、この時間帯に訪れているんです。
7時だったらほかの人は寝てるかまだ家にいるでしょう。」
小さな本を手に、それぞれがぞれぞれの場所を見つけて何かを唱えはじめた。
それはまるで歌だった。
ひっそりとした朝。
そこにのびやかなメロディーが静かに響く。
それぞれがそれぞれのペースで。
それぞれがそれぞれのページを。
だけどどの声もお互いをじゃましあうわけではない。
不協和音にはならない。
共存していて、なぜか耳に心地いい。
バハーイ教徒は全世界に600万人いて、イランには30万人いると言われている。
だけど『歩き方』に「イランでは信徒はいないとされている」と載っていたように、イラン政府の見解は異なるのかもしれない。
ケンゾーが言っていたようにWikipediaの『イランにおける信教の自由』というページには「バハーイ教の信仰が発覚した場合、逮捕・投獄されることや場合によっては死刑に処される・・」とある。
このあと別の場所で仲良くなったイラン人の女の子にバハーイ教徒のことを質問したときはこう言われた。
「バハーイ教徒であることを公表しても逮捕はされない。わたしの大学の友だちに信者がいて周りにも公表していた。だけど、常に監視されるし圧力を受ける。結局友だちはその監視に耐えられなくて、アメリカに逃げて今もアメリカで生活してるよ。さらにバハーイの人が何かを犯して捕まった場合は刑がふつうの場合よりも倍になる。」
『ロンリープラネット』には「公共の場で信仰することは違法で、バハーイ教徒は仕事や教育の場では差別される」と書かれている。
イラン政府が水面下でバハーイ教徒に何をやっているのかはわからない。
どの程度バハーイ教徒を弾圧しているのかわからない。
だけどこの目の前にいるおじさんが逮捕されたというのは真実だと思う。
おじさんによれば、ある夜、秘密警察が突然家のドアをノックし部屋に上がり込んで、そのままおじさんを逮捕し、2年間も牢屋に入れたのだという。
暴行を受けたのか聞いたら、暴行は受けずに牢屋に入れられただけだとおじさんは答えた。
バーブーが監禁されたと言われる場所におじさんはひとり立っていた。
自分自身も差別を受け、監視され、逮捕されたのに、それでもこうやってリスクをおかしてまで聖地に来て祈りを捧げている。
「バハーイ教ってわかれば死刑にもなるって聞いたのですが・・・。」
「そうです。
1週間前にもバハーイ教の男性が射殺されましたよ。」
おじさんは穏やかにわたしたちの質問に答える。
そして、読んでいる聖典を見せてくれた。
「こういう聖典を持っているのが見つかったら捕まりますか。」
「ええ。だめですね。」
「イランではこの本はどうやって出回り、みなさん手に入れるんですか。」
「これは海外で出版されてるんです。
そして、こっそりイランに持ち込まれ、配られるんです。」
それぞれの場所で祈りを捧げている家族。
祈りながらみんな泣いていた。
お互い距離を保っていた家族たちが、だれかれともなくひとつの場所に集まった。
おじさんの妻が、柔らかい声で祈りの歌を響かせる。
それにあわせるようにほかの人も同じフレーズを口ずさむ。
厳かな合唱のようだ。
涙を拭いながら歌う人たち。
なんて、もの悲しいメロディーなんだろう。
祈りの歌は悲しみに満ちていて、とても切なく聞こえる。
朝の静かな時間は終わりに近づいている。
まもなく、街が活気づくころだ。
人知れず行なわれるこの祈りの儀式も、終わらせないといけない。
おじさんは、「わたしの住む場所に来たときはぜひ連絡して」と電話番号を教えてくれた。
おじさんも、ご家族もみんな温和で上品な感じの人たちだった。
イスラム・シーア派の国。イラン。
そのなかでほかの宗教を信仰しているマイノリティーの人たち。
虐げられても、命の危険があっても、それでもなお信仰をやめない人たち。
仏教徒ではあるけれど、仏教の世界観について説明できるほど知識もなく強い信仰心なんてない無宗教のようなわたしに、この人たちの信念を理解することはできないに等しい。
それでも、誰もが自分の信じるものを自由に信仰できる世界であってほしい。
それと同時に、信仰による争いや差別なんてない世界であってほしい。
イランで最初に迎えた朝、そう思った。
330000リアル(約1000円)で買ったんだけど、あしたからどうやって持ち運ぶんだろう。
というか、そんなにこだわりもって撮影してないんだけど(イクエは)本当に使うのかな。
イクエとケンゾーにとって、イラン最初の街マークー。
トルコから国境越えしてそのままタブリーズに向かうのは時間的に厳しい。
だからここで一晩過ごそうと考えいていたので、とくにこの街に何かを期待していたわけではない。
だけどマークーの街は、着いたとたん「おお!ここ意外とすごいんじゃない!?」と思った。
街が崖に囲まれている。
映画の舞台に紛れ込んだような、別の惑星に来てしまったような。
「垂直に切り立っている」と言うより「反り上がっている」という表現が合う。
弓なりにカーブして崖の上の方が街側に迫ってきている。
『地球の歩き方』によると崖の中腹まで上ることができ、そこには19世紀にイランで生まれたバーブ教、そして後を継いだバハーイ教の寺院跡があるらしい。
バーブ教、バハーイ教はシャリーア(イスラム教徒が守るべき法)やコーランを否定しているため、政府からは弾圧されているのだそう。
「バハーイ教の寺院跡は現在はイスラーム寺院として使われている」
『歩き方』にはそう記してある。
崖をのぼっていたらイラン人に声をかけられた。
「こっち、こっち」というのでついて行くことに。
男性2人組で双眼鏡で何かを調べている。
言葉がわからないので正確には理解できないんだけど、どうも街の職員らしく、ここをライトアップして観光地化しようと試みているらしい。
そして、日本人のグループがこの崖でロッククライミングをした、というようなことを言っていた。
そういう可能性も含めてこの崖を街の活性化に活かそうとしているのかもしれない。
あてもなくこの男性2人組のあとをついて行くと、おもちゃのようなモスクがあった。
これが『歩き方』に載っていた「バハーイ教寺院跡に建てられたモスク」?。
かなりとってつけたようなモスクだ。
そうまでしてわざわざこんなハリボテ置く意味あるかね。
『歩き方』によれば、19世紀半ばに生まれたバーブ教は当時イランを支配していたガージャール朝政府から徹底的に弾圧されて、信徒たちを率いていたバーブは逮捕され、1847年にここマークーに監禁された。
その3年後にタブリーズで処刑されたそうだけど、きっとここがバーブ教、バハーイ教の人たちにとっては聖地になっていたのだと思う。
きっとそれが政府は嫌だったのだろう。
そして『歩き方』には「現在ではバーブ教徒、バハーイ教徒ともにムスリムからは異端と見なされていて、イランでは信徒はいないとされている」と書かれている。
崖の上からは街が見下ろせる。
崖と山の狭間に、住宅や商店が密集している。
双眼鏡をもった2人組につきあっていたら、下からのぼってきたおじさんに出くわした。
おじさんは英語が話せる人だった。
2人組が先に歩いていったので、一瞬おじさんとわたしたちだけになった。
おじさんが2人組の居場所を目で確認し、声をひそめて言った。
「バハーイ教って知ってますか?」
「はい。ここが聖地だったんですよね。」
おじさんの顔がぱっとにこやかになった。
そして、声をひそめたままこう言った。
「わたしはね。
その、バハーイ教の信者なんですよ。」
え!?
バハーイ教徒ってイランにはいないんじゃなかったの?
おじさんが先に歩き始めた。
ケンゾーと顔を見合わせた?
「聞き間違いだよね。
そんなわけないよね。
だってバハーイ教って死刑にされるってWikipediaに書いとったよ。」
「いや、でもバハーイ教って言ったよ。
だけん、ここに来とるんじゃない?」
おじさんとまた3人だけになったので聞いてみた。
もちろん、誰にも聞かれないようにひそひそと。
「あなたの宗教って、バハーイ教ですか?
政府が認めていないと聞いてたんですけど・・・。」
「そうです。
わたしも2年前まで投獄されてましたから。
家から遠く離れた場所に3年間もですよ。」
目の前にバハーイ教の人がいるということにも驚いたし、なによりも会ったばかりのわたしたちにそれを打ち明けてくれたことに驚いた。
おじさんは言った。
「わたしは〇〇(※マークーから数百キロ離れた街)に住んでいます。
ここには家族と車でやってきたんです。
家族はいま街のホテルに待機してます。
あしたの朝7時、ここに家族みんなで来てお祈りをするから良かったらまた来ませんか?
ここの朝はとても気持ちよくて美しいですよ。」
おじさん家族は、わざわざこの聖地に2日くらいかけてやってきていたのだった。
きょうは下見に来たのだろう。
見つからずにお祈りできる場所なのかどうか。
監視しているような人はいないか。
「あした7時ですよ。
家族も紹介したいから。
また会えたらいいね。」
おじさんはそう言い残して、家族が待つホテルへと向かっていった。
「どうする?」
「もう一度会ってみたい気もするね」
「でも、朝7時かあ。
早いなあ。」
イスラム教シーア派の国イランで、まさか最初の日に出会った人が、発覚したら死刑になるかもしれないバハーイ教徒だなんて。
おじさんはとても穏やかな表情で優しい口振りで紳士的な人だった。
もう一度おじさんに会って、もっとバハーイ教のことを聞きたいし、どんなふうに家族で祈りを捧げるのか見てみたい気がした。
つぎの日。
目覚ましはセットしていなかったけど6時半に目覚めた。
「ケンゾー、ちょっと行ってみらん?」
顔だけ洗って急いで宿を出て、あの崖を目指す。
間に合うかな。
途中、おじさんたちが乗った車がイクエとケンゾーを追い抜いた。
窓越しにおじさんがこっちを向いて微笑んだ。
崖の麓の駐車場で、みんなにあいさつをする。
車は2台で、おじさんの奥さんや子ども、娘の夫など10人近く。
素性がわからない外国人のイクエとケンゾーを不審がりもせず、この聖地にいることを受け入れてくれる。
おじさんが言うには、バハーイ教は争いを好まず、どの宗教も尊重し、平和を愛し、男女平等の教えがあるのだという。
だから「男女平等」を訴えるバハーイ教はイスラムからしたら受け入れがたいのかもしれない。
みんなで崖をのぼっていく。
朝の7時。
街はまだ眠りについているかのように静か。
この崖にわたしたち以外誰もいない。
「きれいですね。」
「ええ、きれいでしょう。
朝はきれいですね。」
「こういうところにみんなで来て、祈りを捧げているのがばれても問題はないんですか。
捕まることだってあるんですか。」
おじさんは少し笑いながら答えた。
「発覚したら大問題ですよ。
捕まるでしょう。
だから、この時間帯に訪れているんです。
7時だったらほかの人は寝てるかまだ家にいるでしょう。」
小さな本を手に、それぞれがぞれぞれの場所を見つけて何かを唱えはじめた。
それはまるで歌だった。
ひっそりとした朝。
そこにのびやかなメロディーが静かに響く。
それぞれがそれぞれのペースで。
それぞれがそれぞれのページを。
だけどどの声もお互いをじゃましあうわけではない。
不協和音にはならない。
共存していて、なぜか耳に心地いい。
バハーイ教徒は全世界に600万人いて、イランには30万人いると言われている。
だけど『歩き方』に「イランでは信徒はいないとされている」と載っていたように、イラン政府の見解は異なるのかもしれない。
ケンゾーが言っていたようにWikipediaの『イランにおける信教の自由』というページには「バハーイ教の信仰が発覚した場合、逮捕・投獄されることや場合によっては死刑に処される・・」とある。
このあと別の場所で仲良くなったイラン人の女の子にバハーイ教徒のことを質問したときはこう言われた。
「バハーイ教徒であることを公表しても逮捕はされない。わたしの大学の友だちに信者がいて周りにも公表していた。だけど、常に監視されるし圧力を受ける。結局友だちはその監視に耐えられなくて、アメリカに逃げて今もアメリカで生活してるよ。さらにバハーイの人が何かを犯して捕まった場合は刑がふつうの場合よりも倍になる。」
『ロンリープラネット』には「公共の場で信仰することは違法で、バハーイ教徒は仕事や教育の場では差別される」と書かれている。
イラン政府が水面下でバハーイ教徒に何をやっているのかはわからない。
どの程度バハーイ教徒を弾圧しているのかわからない。
だけどこの目の前にいるおじさんが逮捕されたというのは真実だと思う。
おじさんによれば、ある夜、秘密警察が突然家のドアをノックし部屋に上がり込んで、そのままおじさんを逮捕し、2年間も牢屋に入れたのだという。
暴行を受けたのか聞いたら、暴行は受けずに牢屋に入れられただけだとおじさんは答えた。
バーブーが監禁されたと言われる場所におじさんはひとり立っていた。
自分自身も差別を受け、監視され、逮捕されたのに、それでもこうやってリスクをおかしてまで聖地に来て祈りを捧げている。
「バハーイ教ってわかれば死刑にもなるって聞いたのですが・・・。」
「そうです。
1週間前にもバハーイ教の男性が射殺されましたよ。」
おじさんは穏やかにわたしたちの質問に答える。
そして、読んでいる聖典を見せてくれた。
「こういう聖典を持っているのが見つかったら捕まりますか。」
「ええ。だめですね。」
「イランではこの本はどうやって出回り、みなさん手に入れるんですか。」
「これは海外で出版されてるんです。
そして、こっそりイランに持ち込まれ、配られるんです。」
それぞれの場所で祈りを捧げている家族。
祈りながらみんな泣いていた。
お互い距離を保っていた家族たちが、だれかれともなくひとつの場所に集まった。
おじさんの妻が、柔らかい声で祈りの歌を響かせる。
それにあわせるようにほかの人も同じフレーズを口ずさむ。
厳かな合唱のようだ。
涙を拭いながら歌う人たち。
なんて、もの悲しいメロディーなんだろう。
祈りの歌は悲しみに満ちていて、とても切なく聞こえる。
朝の静かな時間は終わりに近づいている。
まもなく、街が活気づくころだ。
人知れず行なわれるこの祈りの儀式も、終わらせないといけない。
おじさんは、「わたしの住む場所に来たときはぜひ連絡して」と電話番号を教えてくれた。
おじさんも、ご家族もみんな温和で上品な感じの人たちだった。
イスラム・シーア派の国。イラン。
そのなかでほかの宗教を信仰しているマイノリティーの人たち。
虐げられても、命の危険があっても、それでもなお信仰をやめない人たち。
仏教徒ではあるけれど、仏教の世界観について説明できるほど知識もなく強い信仰心なんてない無宗教のようなわたしに、この人たちの信念を理解することはできないに等しい。
それでも、誰もが自分の信じるものを自由に信仰できる世界であってほしい。
それと同時に、信仰による争いや差別なんてない世界であってほしい。
イランで最初に迎えた朝、そう思った。