ときどき、海外の街角やスーパー、バスターミナルの光景がパッと浮かび、どこの国のどの街だったかなと思うイクエです。
観光地や美しい自然よりも、旅の日常の光景の方を、より思い出すのはなんでだろう。
不妊治療の体外受精で、念願のわが子を授かることができたイクエとケンゾー。
しかし、妊娠中に卵巣ガンが疑われて摘出手術をし無事手術が終わったと思ったら、次は子宮頚管が異常に短くなっていて、今度は子宮頚管縫縮手術を受けました。
子宮を縛る手術をした女医さんからは、こう言われました。
「普通の人の子宮がグミくらいの固さだとしたら、あなたのはお豆腐ぐらいの柔らかさだった。
あぶないところだった。
もう、下から赤ちゃんの袋が見えていた。
それを指で中に押し込んで子宮の入り口を縛ったよ」
手術に立ち会った他の医師からは「術後も頚管は短くなっている。妊娠が継続できるかどうかは、祈るしかありません」と言われました。
家ではできるだけ安静にし、子宮に重力がかからないようにしようと、横になっているときも足の下にクッションを敷いて足を高くしたり、お腹に張りを感じると深呼吸をしながら子宮の緊張をほぐすツボを押したりして、ただ何事もなく時が過ぎるのを待つ日々でした。
お腹はいつもとても固くて、歩くのもノロノロ。
お風呂に入るのもひと苦労で、入浴後の着替えもふぅふぅ言いながらそのままお風呂場の椅子に座って行いました。
数時間おきにお腹の張りを抑える薬を飲まなければならないため、深夜も毎日3時くらいに起きては薬を飲んでいました。
大きな不安のために熟睡できることはありませんでした。
こんなにも眠れず、こんなにもたくさん通院し採血をし、やる気の起きなかった日々は人生でありません。
お腹の赤ちゃんはとても元気で、胎動も激しく、検診のたびにすくすくと成長しているのを確認できました。
問題は母胎。
わたしの子宮が、どんどん大きく重くなっていく赤ちゃんに耐えられるかどうか。
我が子はこんなにがんばって生きている。
1日に何度もカレンダーを見ました。
時計を見ながら時間が経つのを待ちました。
たとえば、毎日飲んでいた漢方薬。
せめてこの一箱無くなるまでは、何事もなく過ぎるようにがんばろうと思いました。
使いかけの洗顔フォームや歯磨き粉。
これが無くなるのはあと、1か月くらいかな、2か月くらいかな。
とりあえず、これを使い終わるときを目標にしよう。
出産予定日は、ものすごく先のことに思えていました。
着実に減っていく消耗品。
日が経ったことを目に見えて教えてくれるので、そんなものを励みにしていました。

ただただ、出産予定日が近づくのを待つ。
それが、その時のわたしの生活でした。
21週までに赤ちゃんが生まれても、治療を受けられず「流産」扱いされます。
でも、22週以降だと「早産」として扱われて病院で延命治療を受けることができます。
22週を迎える夜もなかなか寝付けず、ベッドの中で時計が12時を過ぎたのを確認しました。
「これで、命をつなげる」とホッとしました。
22週を過ぎてからは、不安が少しずつ軽くなってきました。
ようやく「マタニティーライフ」を人並みとはいかないけれど、楽しむ余裕もでてきました。
30週を過ぎると、ベビー用品を買い始め、親しい人には妊娠のことを報告することができるようになりました。

出産日が近づくと、お産の痛みを想像したり、怖さが募ったり、育児についての心配が出てきたりして、不安になる妊婦さんも多いと聞きます。
けれど、わたしはまったく逆でした。
出産日が近づけば近づくほど、心が穏やかになっていき、余裕が出てきて笑顔が増えました。
出産への恐怖や育児への不安は感じませんでした。
とりあえず、正産期(37週~41週)に生まれてきてくれれば、あとはなんとかなる、それまでもう少し、と自分を励ましていました。
子宮頸管無力症のために縛っていた子宮の入り口を36週で抜糸しました。
先生が「痛かったでしょう」と言いましたが、それまで2度の手術をしていたわたしにとってはなんてことはありませんでした。
母子手帳の妊婦健診の記載欄を見ながら、先生が感慨深げに言いました。
「よくがんばったねー。
長かったねー。
普通の妊婦さんなら、この辺で終わるんだけどね・・・」
健診日ごとに、血圧や尿検査の数値、胎児の大きさなどを記す欄が、下までびっしり埋まっています。
普通の妊婦さんの何倍も多く、検診のために病院に通いました。
大学病院なので待ち時間が長く、半日がかり。
待合室でお昼ご飯を食べることもありました。
本当に、わたしにとってこの7か月は人生で一番長く感じた日々でした。
「この日に産めたらいいな」という日がわたしとケンゾーにありました。
話し合いをするまでもなく、立ち会い出産をすると決めていたケンゾー。
ケンゾーが休みの日と、出産日が重なりますように。
ずっと外来や手術でお世話になっていた女医さんが「この日なら、わたしは当直で分娩の担当だから、わたしができるんだけど」と診察のときに呟きました。
大学病院なのでたくさんの医師がいます。
個人病院のように一貫して一人の医師が面倒をみることはできません。
しかも、その女医さんは大学で学生たちに教えているので、多忙。
わたしはその女医さんを信頼していて、励ましてもらったりもしていたので、ぜひ先生に赤ちゃんを取り上げてほしいと思いました。
その日は、ケンゾーもちょうど休みの日。
この日にしようと決めました。
決めたといっても、帝王切開ではありません。
人より子宮口が開きやすい状態なので、自然分娩のほうが楽なのだそうです。
「妊娠継続は、祈るしかない」。
医師からそう言われていたのに、お腹の赤ちゃんはここまでがんばってくれました。
綱渡りの妊娠生活。
ギリギリの状態でなんとかコントロールしてきたのだから、産む日もコントロールできるんじゃないか、そんな自信のようなものがありました。
親や仲のいい友だちに「この日に産むよ」と冗談半分、本気半分で言っていました。
長い安静生活のなか、ネット検索で早産や出産についての知識(信ぴょう性のない情報も含めて)だけはつけていました。
その日に向けて、これまで避けていた種類のハーブティーやアロマを解禁したり、体を動かしたり、ツボを押したり。
とうとうその日の前日になりました。
出産したらもう二人で外食する機会もないからと、行列のできるパスタ屋さんに並んでランチをしました。
そしてショッピングセンターを歩きました。
「お肉をたくさん食べたら出産する」というジンクスがあります。
わたしも母がステーキを食べた夜、生まれてきました。
だから夜は、ケンゾーとサムギョプサル(韓国焼肉)食べ放題のお店に行き、タクシーで帰ろうか迷いながらも、歩いて家に帰りました。
それでも、まったく生まれてくる気配はありません。
これまではいつ生まれてもおかしくないと思い、なんとか出産日を延ばそうと努力していたのに、いざ生んでもいい段階になると「本当に赤ちゃんは生まれてきてくれるのだろうか」と不安になります。
「赤ちゃん、このまま生まれないことはないよね?」
ケンゾーに言うと、「そんなことあるわけないやん」と笑いました。
お腹の様子もいつもと変わらないし、あした生まれたらいいと思っていたけれど、もうあしたはないな。
なかなか寝付けず、トイレも近く、深夜に薬も飲まなければならないし、不安もあり夜間何度もわたしは起きるので、ケンゾーとは別々の部屋で寝るようにしていました。
ケンゾーは寝室のダブルベッドに、わたしはリビングのソファーベッドに入りました。
朝、5時。
異様な音で目が覚めました。
バラバラバラバラ・・・。
外から、何か叩きつけるような音がします。
季節外れの「あられ」でした。
こんな時期にあられなんて、珍しい。
しばらくするとあられは、強い雨に変わりました。
そして、すぐ近くに雷が落ちました。
ドドーン!!!
それが陣痛のゴングでした。
突然、ぎゅーっとお腹が張って、締め付けられました。
横になったままお腹の張りを和らげるツボを押し、深呼吸をしているとお腹の痛みは引きました。
陣痛と思ったけど、いつものお腹の張りかな。
でも、10分あまりして、またお腹が締め付けられます。
ツボを押して、深呼吸・・・、そしてまた痛みが和らぎました。
そしてまた10分経つと、痛みが始まります。
とうとう陣痛が来たのかもしれない。
痛みが定期的にやって来て、その痛みの間隔がどんどん早く訪れるようになってくるのが陣痛です。
寝転んだまま、スマホのメモ欄に痛みが始まる時間、おさまる時間を記録し始めました。
そして、痛みが和らいだ隙に病院に行く準備をします。
冷蔵庫から栄養補給ドリンクを取り出したり、母子手帳をバッグに詰めたり。
長丁場になるだろうから、ケンゾーはギリギリまで寝かせておこう。
ただ、出産未経験であるので、これが陣痛なのか確証はもてません。
スマホでナンプレをしながら、気を紛らわせます。
外が明るくなってきました。
いつの間にか雨は止み、穏やかな天気になっています。
さっきのあられは何だったんだろう。
スマホのメモ欄を見ると、痛みがやってくる間隔はどんどん短くなっています。
ケンゾーがトイレのために起きてきました。
「陣痛かもしれん。
でも、まだ寝とっていいよ」
寝ぼけているケンゾーは素直に、トイレが終わると寝室に戻りました。
カミナリが鳴ってから、もう2時間あまりが経ちました。
ケンゾーも起きてきました。
5分おきくらいに痛みの波がやってきます。
もう限界かも。
「病院に電話しようかな」
「うん」
痛みが引いたタイミングを見計らって電話越しに助産師さんと話しました。
名前や今の状況を伝えている間にも、再び陣痛の波がやってきて話を続けることができなくなり、途中「夫に変わっていいですか」と言って、ケンゾーに話してもらいました。
「今から病院に来てください」とのこと。
病院に持って行くものは全部揃えているし、着替えずパジャマのままで行くつもりだったので、すぐに家を出るはずでした。
しかしー。
「よしっ!」と言ったケンゾーは、脱衣所へ。
グイーーン。
その音は一向に止みません。
この場に及んで、髭剃りかよ!
しかも、長い!!
何で、今ごろ!?
こっちは、ギリギリまで我慢して、満を持して病院に電話をかけたのに。
ケンゾーに怒りをぶつけたいものの、痛すぎて言葉にするのも面倒です。
痛みと夫のマイペースな髭剃りをぐっとこらえます。
(この半年後くらいに、このときの不満を夫に伝えたら「そりゃあ、一世一代の大事な日やし、長丁場になるやろうし、気合いを入れるために、髭剃りは大事やろ」と言いました。)
この日は日曜日。
病院の救急の入り口に車をつけたものの、痛すぎて降りることも大変で、車椅子を用意してもらい産科に移動しました。
ケンゾーが車椅子を押すのですが、まるで台車に荷物を載せて急いで配送しているかのようです。
焦る気持ちはわからなくもないけれど、おかげでこっちは前のめりになった体を起こすのが大変で、ほんのわずかな距離なのに、車酔いしたみたいに気持ち悪くなりました。
でも「そんなスピード出さんで」とか「押し方が荒い!」とか伝える余力もないので、これまた夫への不満をぐっと飲み込むしかありません。
診察を受けると、子宮口は開きつつあり、陣痛の波も定期的に来てたので、このまま病院で出産に備えることになりました。
二人の助産師さんがついてくれました。
「どっちの香りが好き?」と部屋にたくアロマオイルを鼻に近づけて嗅がせてくれましたが、正直どっちがいいとか考える余裕もなく、適当に返事をしました。
ベッドに横たわり、お腹にモニターをつけます。
陣痛は規則的に来ていて、モニターのグラフの線は山、谷、山、谷・・・を描いています。
二人の助産師さんはそれぞれモニターをチェックするたびに「すごいすごい!きれいに陣痛がきてるよ。すごいよ!」と言います。
何がすごいのかわかりませんが、「すごい!」と言って妊婦を褒め、励ますことがこの病院の方針なのかな、と思いました。
陣痛がやってくるたびに、助産師さんが「はい、深呼吸して〜」と言います。
その度に「スー、ハ〜」と深呼吸するのですが、気がかりなのは臭い。
きのうの晩、サムギョプサル食べ放題で夫婦ともどもニンニクをしこたま食べていたので、深呼吸した息はニンニク臭となって、この部屋に充満しているに違いありません。
助産師さんたちに申し訳ない気持ちです。
陣痛と陣痛の波の合間に、食べたり飲んだりできると聞いていたのに、陣痛はすぐに襲ってくるし、そんな優雅なことはやっていられません。
それでもこれからに備え、体力をつけるために、ウィダーインゼリーとカフェインレスの栄養ドリンクとバナナを何とか食べました。
バナナが大嫌いなケンゾーは、のちに「俺はイクエの息がバナナ臭かったけど、耐えて頑張った」と自分を讃えていました。
しかし、その夫、私の腰をさすりながら「スー、ハ〜」と言いますが、全然こっちのタイミングを考えずに「はい!スー、ハ〜」と声かけをします。
顔を近づけ、わたしの目を見ながら先導するように「はい!スー、ハ〜
もう一回!スー、ハ〜」。
「何でそっちのタイミングにこっちが合わせんといかんの!? ケンゾーのスーのタイミングとこっちのスーのタイミングは違うんだよ!もっとハ~を長くしたいんだよ!」と言いたかったけど、口にする気力も体力もありません。
ケンゾーの掛け声を無視することがささやかな抵抗です。
すると夫は、余計に「乱れている妻の呼吸を整えてあげなきゃ」と燃えるのか「スーだよ、スー、ハ〜」と熱血コーチのようにわたしを指導します。
最近は、陣痛のときに妊婦の痛みを和らげるためにテニスボールで腰のツボをグリグリ押すというのが主流です。

この病院でもテニスボールが用意されていて、ケンゾーが押してくれるのですが、そのタイミングもマチマチ。
ちゃんと陣痛や呼吸のタイミングに合わせて押してくれないと、なんの効果も現れないのです。
ケンゾーはがんばってますが、わたしは心で「だから、違うんだよ!違うの〜!」と叫んでいました。
しばらくして救世主が現れました。
助産師さんがケンゾーの隣に来て言いました。
「だんなさん!奥さんに合わせてあげてくださいね。
奥さんの呼吸を見ながら、吐くときは吐く、吸うときは吸う。
そしてツボを押すのも、それに合わせてあげて」
熱血コーチは、ようやくわたしのマネージャーになりました。
陣痛はどんどん酷くなります。
お腹が痛いというよりも、わたしはとにかく骨盤が痛い!
骨盤がぎゅーっと押されて砕けそう。
身長が150センチもないので、骨盤が小さく負担がかかっているのかもしれません。
助産師さんが「ちょっと歩きましょう!」と言いました。
お産を早めるためには体を動かしたほうがいいので、病棟の廊下を歩かされます。
これが本当に辛い!
寝てるだけでも辛いのに、歩くとなるとさらに辛い。
突然襲ってくる陣痛に足が止まり、壁に体をもたせかけます。
ようやく熱血コーチ夫がいなくなったと思ったら、ここにもいたか・・・。

「よし、トイレに行ってみましょう」
助産師兼熱血コーチは、尿意なんてまったくないわたしを何度もトイレに行かせます。
一歩、一歩、何とかトイレに向かい、便座に腰掛け、立ち上がり・・・。
ふらふらになりながら、やります。
襲ってくる陣痛は本当に辛くて、ケンゾーがいてくれてよかったと心から思いました。
もしケンゾーが仕事の日で、わたしが一人だったらどんなに心細かったことか。
一人でこの痛みに耐えられただろうか。
たまにニュースで、スーパーなどのトイレで女性が人知れず赤ちゃんを産み、そのまま放置して逃げるという事件が報道されます。
何でそんなことをするんだろう、赤ちゃんがかわいそうだと思っていましたが、いま自分が陣痛に襲われていると、そういう女性の境遇や辛さに思いを寄せます。
こんな痛みをたった一人で耐えるなんて、どんなにか苦しかっただろう。
誰にも頼ることができず、孤独で。
みんなに祝福され、幸せなものであるはずの出産なのに。
想像を絶する苦しさだろうなあ。
陣痛に襲われながら、そんなことばかり考えていました。
いま隣にケンゾーがいて、助産師さんもいて、それでもこの痛みに耐えることで精一杯。
たった一人、狭いトイレで声を殺して痛みに耐え、自分一人で赤ちゃんを取り上げるなんて想像もつきません。
陣痛の波も頻繁に訪れるようになって、子宮口も開き、いよいよ分娩室に移動です。
大学病院の分娩室なので、だだっ広くてまるで手術室のよう。
これまでは二人の助産師さんがついていてくれましたが、医師も二人やってきました。
一人はずっとお世話になっていた女医さんです。
分娩台に横になったわたしに先生が挨拶してくれました。
「ちょうどこの日になったねー」
「あー、先生!
お世話になります。
この日に産もうって決めてたから」
そう言ってる間にもやってくる陣痛。
もう陣痛が始まって、10時間ほど経ちました。
その間、ほとんど飲んだり食べたりできていません。
喉はカラッカラ。
水分は取りたいけど、頭を持ち上げて水を飲む気力がなく、ケンゾーが乾燥したわたしの唇を水で濡らしてくれます。
ケンゾーも熱血コーチやマネージャーになりながら、わたしを励ましているので、朝からほとんど何も食べていません。
立ち会い出産を希望していて、ケンゾーはこのときのためにGoPro(小型カメラ)を買っていました。
一眼レフで写真を撮り、GoProで動画を撮る作戦です。
テレビの芸人がバンジージャンプなどの体を張ったアトラクションをするとき自分のヘルメットにGoProをつけて撮影するように、ケンゾーは頭にGoProをつけて動画を撮り、両手は一眼レフのためにあけておく計画でした。
そのために、GoProを取り付ける専用のヘアバンドまで持ってきていました。
しかし、この場に及んでGoProを装着する余裕はありません。
それに、妻がうめき、医者やスタッフたちが真剣にお産に取り組んでいるなか、一人だけアホらしい格好になるのもためらわれます。
ケンゾーは、一眼レフとGoProを両手で慌ただしく使い分けながら、わたしを励まします。
設備の整った分娩室、医師2人に助産師2人、それに看護師が7人ほどいます。
何かあっても大丈夫、そう思えました。
体が冷えてきました。
自分の手を見ると土気色になっています。
手が震えています。
酸欠になってる、と思いました。
こんなことでは赤ちゃんに酸素がいかない。
深呼吸しなきゃ、とぼーっとする自分を奮い立たせます。
スー、ハ〜。
マネージャーも、わたしの震える手を握って、スー、ハ〜。

これまでは陣痛がきて、いきみたくてもいきんではダメでした。
とにかくリラックスして深呼吸。
でも、赤ちゃんが下に降りてくると、今度は赤ちゃんの動きを助けるために、いきまなければなりません。
「はい、今いきんで〜」」
「フーーーン!」
さっきまで、痛すぎてリラックスなんてできなかったのに、ここにきて疲れがピークに達したのか、急激に眠くなりました。
痛いのに、意識が朦朧となって睡魔に襲われる、という状態です。
だけど、いきまなきゃいけない。
遠のく意識をなんとかつなぎとめます。
助産師さんが赤ちゃんの様子を見ながら、わたしの向きを変えさせます。
というのも、赤ちゃんは狭い産道に合わせて、体を回転させながら、なんとかして出てくるそうです。
赤ちゃんが回転しやすいように、わたしは横になったまま右側を下にしたり、左側を下にしたり。
助産師さんに乳輪をマッサージされます。
胸を刺激することで、子宮の収縮が進み、赤ちゃんを外に押し出しやすくするためです。
女性の体はよくできていて、出産のために伸びて大きくなった子宮は、出産後、赤ちゃんにお乳を吸われることで、縮んでもとの大きさに戻るようになっています。
陣痛が長く続くようになり、もう赤ちゃんは生まれようとしています。
骨盤がくだけるくらいに痛い!
早く、出てきて〜!!
「もうちょっとよ、がんばって」
「長ーく、息を吐いてー」
医師2人、助産師2人、看護師7人、そしてケンゾー。
みんなに見守られ、励まされます。
先生が言いました。
「もう、赤ちゃん見えてるよ!
髪の毛、ふさふさだよ。
はい、もういきまなくていいよー。
力抜いてー」
最後までフーーン!といきんで、赤ちゃんを出すと思っていたら、最後は医師や助産師さんが赤ちゃんを引っ張って、取り上げてくれるようです。
もうすでに、陣痛の痛みはあまり感じなくなっています。
子どものころから、テレビや友だちから、出産の痛さを「鼻の穴からスイカを出すくらい痛い」とか「上唇をひっぱって、おでこにひっつけるくらい痛いらしい」とか聞いていました。
だから、赤ちゃんが産まれる直前が一番痛いのだろうと思っていたのですが、出産の一番の痛みは、その前の陣痛でした。
もう、いきむ力もほとんど残っておらず、ボーッとしているわたしに先生がいいました。
「ほら、ここから出てくるんだよ。
ちょっと頭を起こして、赤ちゃんが出てくるのをしっかり見て!
ここから出てくるよ、しっかり見よう!」
きっと体を少し起こすことで、赤ちゃんが出やすくなるんだと思います。
「赤ちゃん、出てくるよー。
出てくるよ。
はい、生まれたよー!」
陣痛から12時間。


産声が聞こえてきました。
ああ、なんてかわいい産声なんだろう。
女の子のかわいい声。
先生が横たわったままのわたしの胸元に、赤ちゃんを連れてきてくれました。

「ママですよー」
赤ちゃんは、目を開けてくれていました。
「がんばったねー。
がんばったねー」
我が子に何度も言いました。
お腹に宿ってから、何度も危機がありました。
それでも、一生懸命子宮にしがみついてくれて、この日までがんばってくれました。
二回の手術を一緒に受けました。
そして、満を持してこの世界に出てきてくれた我が子!
ようこそ、わたしたちの世界へ!!
体重は2777g。

ずっとお世話になっていた女医さんが言いました。
「よかったね。
おめでとう。
こんな風に無事に赤ちゃんが生まれたのは、あなただったから。
あなただったからできたと思う。
本当にね、そう思うフシがいくつかあるんですよ」
お世辞とはわかっていても、その言葉は本当にうれしく、涙が溢れそうになりました。
「自分の命か、赤ちゃんの命か、どちらを優先するか考えておいてください」、「妊娠が継続するかどうか、あとは祈るしかありません」そう医師から言われてきたこれまでのことを思いだします。
辛い思いをしながらここまでがんばってきて、別に誰かに褒められることをしたわけではないけれど、先生のその言葉は今までのことを労ってくれるのにじゅうぶんでした。

わたしは残りの処置を受けるので、分娩台に横になったままです。
そばではケンゾーが「かわいい」「かわいい」と連発しながら、体の測定をされている我が子を見守っています。
看護師さんが言いました。
「旦那さんに先に抱っこさせてもいいですか?」
いいに決まっている。
わざわざ、そんな許可を仰ぐなんて。
でも、世の中にはダンナに先に抱っこされてたまるか!と思う妻もいるのだろうか。
そんなことを考えると、少しおかしくなりました。
あとで聞いたところ、ケンゾーは我が子が生まれ、「ああ、俺はこのために今まで生きてきたんだー」と思ったそうです。

我が子の出生に感動したのは、わたしよりケンゾーだったと思います。
わたしはとにかく、感動というより無事に産めたことにホッとしていました。
ケンゾーのほうが泣いていました。
でも、入院中、母子同室になって、娘と隣で夜を明かしたときのことです。
抱っこしないと、ほんとうに泣き止んでくれない。
ずーっと泣いていて、抱っこしてしばらくして泣き止んで眠ったと思い、布団に戻すとまた泣き出す。
出産後で疲労困憊。
睡眠不足なのに眠らせてくれない娘。
育児の大変さの洗礼を受けました。
涙がポロポロこぼれます。
泣くことをやめることができませんでした。
でもそれは、悲しい涙ではありませんでした。
この子は、この新しい世界に不安で泣いている。
子宮から産道を通り、出てくるまでもきっと大変で、この子にとっては命がけの大冒険だった。
それでも、生まれてくることを選んでくれた。
この未知の世界に不安で泣いているけど、それでもこの世界で生きたいと思ってくれた。
絶対にこの子を幸せにしなきゃ。
泣いている娘を抱っこしながら、娘の生命力に感動して涙があふれっぱなしでした。
娘を抱えて窓際に立ちます。
深夜。
窓の外には街頭が灯り、向かいの建物の窓からオレンジ色の淡い光が漏れています。
「きれいだねー。
この世界はきれいでしょう」
娘に語りかけます。
娘はまだ、羊水の中にいると思っているのか、目を開き、水をかくように両腕をふりながら、口をパクパクさせています。
暗い室内で、外からの薄明かりに照らされながら、わたしの腕の中で見せてくれる神秘的なダンス!
ようこそ、わたしたちの住む世界へ。

ふたりでふらり、ゆるりとぐるり。
これからはふたりではありません。
ゆるりとすることもできません。
パパとママ、がんばるからね。
観光地や美しい自然よりも、旅の日常の光景の方を、より思い出すのはなんでだろう。
不妊治療の体外受精で、念願のわが子を授かることができたイクエとケンゾー。
しかし、妊娠中に卵巣ガンが疑われて摘出手術をし無事手術が終わったと思ったら、次は子宮頚管が異常に短くなっていて、今度は子宮頚管縫縮手術を受けました。
子宮を縛る手術をした女医さんからは、こう言われました。
「普通の人の子宮がグミくらいの固さだとしたら、あなたのはお豆腐ぐらいの柔らかさだった。
あぶないところだった。
もう、下から赤ちゃんの袋が見えていた。
それを指で中に押し込んで子宮の入り口を縛ったよ」
手術に立ち会った他の医師からは「術後も頚管は短くなっている。妊娠が継続できるかどうかは、祈るしかありません」と言われました。
家ではできるだけ安静にし、子宮に重力がかからないようにしようと、横になっているときも足の下にクッションを敷いて足を高くしたり、お腹に張りを感じると深呼吸をしながら子宮の緊張をほぐすツボを押したりして、ただ何事もなく時が過ぎるのを待つ日々でした。
お腹はいつもとても固くて、歩くのもノロノロ。
お風呂に入るのもひと苦労で、入浴後の着替えもふぅふぅ言いながらそのままお風呂場の椅子に座って行いました。
数時間おきにお腹の張りを抑える薬を飲まなければならないため、深夜も毎日3時くらいに起きては薬を飲んでいました。
大きな不安のために熟睡できることはありませんでした。
こんなにも眠れず、こんなにもたくさん通院し採血をし、やる気の起きなかった日々は人生でありません。
お腹の赤ちゃんはとても元気で、胎動も激しく、検診のたびにすくすくと成長しているのを確認できました。
問題は母胎。
わたしの子宮が、どんどん大きく重くなっていく赤ちゃんに耐えられるかどうか。
我が子はこんなにがんばって生きている。
1日に何度もカレンダーを見ました。
時計を見ながら時間が経つのを待ちました。
たとえば、毎日飲んでいた漢方薬。
せめてこの一箱無くなるまでは、何事もなく過ぎるようにがんばろうと思いました。
使いかけの洗顔フォームや歯磨き粉。
これが無くなるのはあと、1か月くらいかな、2か月くらいかな。
とりあえず、これを使い終わるときを目標にしよう。
出産予定日は、ものすごく先のことに思えていました。
着実に減っていく消耗品。
日が経ったことを目に見えて教えてくれるので、そんなものを励みにしていました。

ただただ、出産予定日が近づくのを待つ。
それが、その時のわたしの生活でした。
21週までに赤ちゃんが生まれても、治療を受けられず「流産」扱いされます。
でも、22週以降だと「早産」として扱われて病院で延命治療を受けることができます。
22週を迎える夜もなかなか寝付けず、ベッドの中で時計が12時を過ぎたのを確認しました。
「これで、命をつなげる」とホッとしました。
22週を過ぎてからは、不安が少しずつ軽くなってきました。
ようやく「マタニティーライフ」を人並みとはいかないけれど、楽しむ余裕もでてきました。
30週を過ぎると、ベビー用品を買い始め、親しい人には妊娠のことを報告することができるようになりました。

出産日が近づくと、お産の痛みを想像したり、怖さが募ったり、育児についての心配が出てきたりして、不安になる妊婦さんも多いと聞きます。
けれど、わたしはまったく逆でした。
出産日が近づけば近づくほど、心が穏やかになっていき、余裕が出てきて笑顔が増えました。
出産への恐怖や育児への不安は感じませんでした。
とりあえず、正産期(37週~41週)に生まれてきてくれれば、あとはなんとかなる、それまでもう少し、と自分を励ましていました。
子宮頸管無力症のために縛っていた子宮の入り口を36週で抜糸しました。
先生が「痛かったでしょう」と言いましたが、それまで2度の手術をしていたわたしにとってはなんてことはありませんでした。
母子手帳の妊婦健診の記載欄を見ながら、先生が感慨深げに言いました。
「よくがんばったねー。
長かったねー。
普通の妊婦さんなら、この辺で終わるんだけどね・・・」
健診日ごとに、血圧や尿検査の数値、胎児の大きさなどを記す欄が、下までびっしり埋まっています。
普通の妊婦さんの何倍も多く、検診のために病院に通いました。
大学病院なので待ち時間が長く、半日がかり。
待合室でお昼ご飯を食べることもありました。
本当に、わたしにとってこの7か月は人生で一番長く感じた日々でした。
「この日に産めたらいいな」という日がわたしとケンゾーにありました。
話し合いをするまでもなく、立ち会い出産をすると決めていたケンゾー。
ケンゾーが休みの日と、出産日が重なりますように。
ずっと外来や手術でお世話になっていた女医さんが「この日なら、わたしは当直で分娩の担当だから、わたしができるんだけど」と診察のときに呟きました。
大学病院なのでたくさんの医師がいます。
個人病院のように一貫して一人の医師が面倒をみることはできません。
しかも、その女医さんは大学で学生たちに教えているので、多忙。
わたしはその女医さんを信頼していて、励ましてもらったりもしていたので、ぜひ先生に赤ちゃんを取り上げてほしいと思いました。
その日は、ケンゾーもちょうど休みの日。
この日にしようと決めました。
決めたといっても、帝王切開ではありません。
人より子宮口が開きやすい状態なので、自然分娩のほうが楽なのだそうです。
「妊娠継続は、祈るしかない」。
医師からそう言われていたのに、お腹の赤ちゃんはここまでがんばってくれました。
綱渡りの妊娠生活。
ギリギリの状態でなんとかコントロールしてきたのだから、産む日もコントロールできるんじゃないか、そんな自信のようなものがありました。
親や仲のいい友だちに「この日に産むよ」と冗談半分、本気半分で言っていました。
長い安静生活のなか、ネット検索で早産や出産についての知識(信ぴょう性のない情報も含めて)だけはつけていました。
その日に向けて、これまで避けていた種類のハーブティーやアロマを解禁したり、体を動かしたり、ツボを押したり。
とうとうその日の前日になりました。
出産したらもう二人で外食する機会もないからと、行列のできるパスタ屋さんに並んでランチをしました。
そしてショッピングセンターを歩きました。
「お肉をたくさん食べたら出産する」というジンクスがあります。
わたしも母がステーキを食べた夜、生まれてきました。
だから夜は、ケンゾーとサムギョプサル(韓国焼肉)食べ放題のお店に行き、タクシーで帰ろうか迷いながらも、歩いて家に帰りました。
それでも、まったく生まれてくる気配はありません。
これまではいつ生まれてもおかしくないと思い、なんとか出産日を延ばそうと努力していたのに、いざ生んでもいい段階になると「本当に赤ちゃんは生まれてきてくれるのだろうか」と不安になります。
「赤ちゃん、このまま生まれないことはないよね?」
ケンゾーに言うと、「そんなことあるわけないやん」と笑いました。
お腹の様子もいつもと変わらないし、あした生まれたらいいと思っていたけれど、もうあしたはないな。
なかなか寝付けず、トイレも近く、深夜に薬も飲まなければならないし、不安もあり夜間何度もわたしは起きるので、ケンゾーとは別々の部屋で寝るようにしていました。
ケンゾーは寝室のダブルベッドに、わたしはリビングのソファーベッドに入りました。
朝、5時。
異様な音で目が覚めました。
バラバラバラバラ・・・。
外から、何か叩きつけるような音がします。
季節外れの「あられ」でした。
こんな時期にあられなんて、珍しい。
しばらくするとあられは、強い雨に変わりました。
そして、すぐ近くに雷が落ちました。
ドドーン!!!
それが陣痛のゴングでした。
突然、ぎゅーっとお腹が張って、締め付けられました。
横になったままお腹の張りを和らげるツボを押し、深呼吸をしているとお腹の痛みは引きました。
陣痛と思ったけど、いつものお腹の張りかな。
でも、10分あまりして、またお腹が締め付けられます。
ツボを押して、深呼吸・・・、そしてまた痛みが和らぎました。
そしてまた10分経つと、痛みが始まります。
とうとう陣痛が来たのかもしれない。
痛みが定期的にやって来て、その痛みの間隔がどんどん早く訪れるようになってくるのが陣痛です。
寝転んだまま、スマホのメモ欄に痛みが始まる時間、おさまる時間を記録し始めました。
そして、痛みが和らいだ隙に病院に行く準備をします。
冷蔵庫から栄養補給ドリンクを取り出したり、母子手帳をバッグに詰めたり。
長丁場になるだろうから、ケンゾーはギリギリまで寝かせておこう。
ただ、出産未経験であるので、これが陣痛なのか確証はもてません。
スマホでナンプレをしながら、気を紛らわせます。
外が明るくなってきました。
いつの間にか雨は止み、穏やかな天気になっています。
さっきのあられは何だったんだろう。
スマホのメモ欄を見ると、痛みがやってくる間隔はどんどん短くなっています。
ケンゾーがトイレのために起きてきました。
「陣痛かもしれん。
でも、まだ寝とっていいよ」
寝ぼけているケンゾーは素直に、トイレが終わると寝室に戻りました。
カミナリが鳴ってから、もう2時間あまりが経ちました。
ケンゾーも起きてきました。
5分おきくらいに痛みの波がやってきます。
もう限界かも。
「病院に電話しようかな」
「うん」
痛みが引いたタイミングを見計らって電話越しに助産師さんと話しました。
名前や今の状況を伝えている間にも、再び陣痛の波がやってきて話を続けることができなくなり、途中「夫に変わっていいですか」と言って、ケンゾーに話してもらいました。
「今から病院に来てください」とのこと。
病院に持って行くものは全部揃えているし、着替えずパジャマのままで行くつもりだったので、すぐに家を出るはずでした。
しかしー。
「よしっ!」と言ったケンゾーは、脱衣所へ。
グイーーン。
その音は一向に止みません。
この場に及んで、髭剃りかよ!
しかも、長い!!
何で、今ごろ!?
こっちは、ギリギリまで我慢して、満を持して病院に電話をかけたのに。
ケンゾーに怒りをぶつけたいものの、痛すぎて言葉にするのも面倒です。
痛みと夫のマイペースな髭剃りをぐっとこらえます。
(この半年後くらいに、このときの不満を夫に伝えたら「そりゃあ、一世一代の大事な日やし、長丁場になるやろうし、気合いを入れるために、髭剃りは大事やろ」と言いました。)
この日は日曜日。
病院の救急の入り口に車をつけたものの、痛すぎて降りることも大変で、車椅子を用意してもらい産科に移動しました。
ケンゾーが車椅子を押すのですが、まるで台車に荷物を載せて急いで配送しているかのようです。
焦る気持ちはわからなくもないけれど、おかげでこっちは前のめりになった体を起こすのが大変で、ほんのわずかな距離なのに、車酔いしたみたいに気持ち悪くなりました。
でも「そんなスピード出さんで」とか「押し方が荒い!」とか伝える余力もないので、これまた夫への不満をぐっと飲み込むしかありません。
診察を受けると、子宮口は開きつつあり、陣痛の波も定期的に来てたので、このまま病院で出産に備えることになりました。
二人の助産師さんがついてくれました。
「どっちの香りが好き?」と部屋にたくアロマオイルを鼻に近づけて嗅がせてくれましたが、正直どっちがいいとか考える余裕もなく、適当に返事をしました。
ベッドに横たわり、お腹にモニターをつけます。
陣痛は規則的に来ていて、モニターのグラフの線は山、谷、山、谷・・・を描いています。
二人の助産師さんはそれぞれモニターをチェックするたびに「すごいすごい!きれいに陣痛がきてるよ。すごいよ!」と言います。
何がすごいのかわかりませんが、「すごい!」と言って妊婦を褒め、励ますことがこの病院の方針なのかな、と思いました。
陣痛がやってくるたびに、助産師さんが「はい、深呼吸して〜」と言います。
その度に「スー、ハ〜」と深呼吸するのですが、気がかりなのは臭い。
きのうの晩、サムギョプサル食べ放題で夫婦ともどもニンニクをしこたま食べていたので、深呼吸した息はニンニク臭となって、この部屋に充満しているに違いありません。
助産師さんたちに申し訳ない気持ちです。
陣痛と陣痛の波の合間に、食べたり飲んだりできると聞いていたのに、陣痛はすぐに襲ってくるし、そんな優雅なことはやっていられません。
それでもこれからに備え、体力をつけるために、ウィダーインゼリーとカフェインレスの栄養ドリンクとバナナを何とか食べました。
バナナが大嫌いなケンゾーは、のちに「俺はイクエの息がバナナ臭かったけど、耐えて頑張った」と自分を讃えていました。
しかし、その夫、私の腰をさすりながら「スー、ハ〜」と言いますが、全然こっちのタイミングを考えずに「はい!スー、ハ〜」と声かけをします。
顔を近づけ、わたしの目を見ながら先導するように「はい!スー、ハ〜
もう一回!スー、ハ〜」。
「何でそっちのタイミングにこっちが合わせんといかんの!? ケンゾーのスーのタイミングとこっちのスーのタイミングは違うんだよ!もっとハ~を長くしたいんだよ!」と言いたかったけど、口にする気力も体力もありません。
ケンゾーの掛け声を無視することがささやかな抵抗です。
すると夫は、余計に「乱れている妻の呼吸を整えてあげなきゃ」と燃えるのか「スーだよ、スー、ハ〜」と熱血コーチのようにわたしを指導します。
最近は、陣痛のときに妊婦の痛みを和らげるためにテニスボールで腰のツボをグリグリ押すというのが主流です。

この病院でもテニスボールが用意されていて、ケンゾーが押してくれるのですが、そのタイミングもマチマチ。
ちゃんと陣痛や呼吸のタイミングに合わせて押してくれないと、なんの効果も現れないのです。
ケンゾーはがんばってますが、わたしは心で「だから、違うんだよ!違うの〜!」と叫んでいました。
しばらくして救世主が現れました。
助産師さんがケンゾーの隣に来て言いました。
「だんなさん!奥さんに合わせてあげてくださいね。
奥さんの呼吸を見ながら、吐くときは吐く、吸うときは吸う。
そしてツボを押すのも、それに合わせてあげて」
熱血コーチは、ようやくわたしのマネージャーになりました。
陣痛はどんどん酷くなります。
お腹が痛いというよりも、わたしはとにかく骨盤が痛い!
骨盤がぎゅーっと押されて砕けそう。
身長が150センチもないので、骨盤が小さく負担がかかっているのかもしれません。
助産師さんが「ちょっと歩きましょう!」と言いました。
お産を早めるためには体を動かしたほうがいいので、病棟の廊下を歩かされます。
これが本当に辛い!
寝てるだけでも辛いのに、歩くとなるとさらに辛い。
突然襲ってくる陣痛に足が止まり、壁に体をもたせかけます。
ようやく熱血コーチ夫がいなくなったと思ったら、ここにもいたか・・・。

「よし、トイレに行ってみましょう」
助産師兼熱血コーチは、尿意なんてまったくないわたしを何度もトイレに行かせます。
一歩、一歩、何とかトイレに向かい、便座に腰掛け、立ち上がり・・・。
ふらふらになりながら、やります。
襲ってくる陣痛は本当に辛くて、ケンゾーがいてくれてよかったと心から思いました。
もしケンゾーが仕事の日で、わたしが一人だったらどんなに心細かったことか。
一人でこの痛みに耐えられただろうか。
たまにニュースで、スーパーなどのトイレで女性が人知れず赤ちゃんを産み、そのまま放置して逃げるという事件が報道されます。
何でそんなことをするんだろう、赤ちゃんがかわいそうだと思っていましたが、いま自分が陣痛に襲われていると、そういう女性の境遇や辛さに思いを寄せます。
こんな痛みをたった一人で耐えるなんて、どんなにか苦しかっただろう。
誰にも頼ることができず、孤独で。
みんなに祝福され、幸せなものであるはずの出産なのに。
想像を絶する苦しさだろうなあ。
陣痛に襲われながら、そんなことばかり考えていました。
いま隣にケンゾーがいて、助産師さんもいて、それでもこの痛みに耐えることで精一杯。
たった一人、狭いトイレで声を殺して痛みに耐え、自分一人で赤ちゃんを取り上げるなんて想像もつきません。
陣痛の波も頻繁に訪れるようになって、子宮口も開き、いよいよ分娩室に移動です。
大学病院の分娩室なので、だだっ広くてまるで手術室のよう。
これまでは二人の助産師さんがついていてくれましたが、医師も二人やってきました。
一人はずっとお世話になっていた女医さんです。
分娩台に横になったわたしに先生が挨拶してくれました。
「ちょうどこの日になったねー」
「あー、先生!
お世話になります。
この日に産もうって決めてたから」
そう言ってる間にもやってくる陣痛。
もう陣痛が始まって、10時間ほど経ちました。
その間、ほとんど飲んだり食べたりできていません。
喉はカラッカラ。
水分は取りたいけど、頭を持ち上げて水を飲む気力がなく、ケンゾーが乾燥したわたしの唇を水で濡らしてくれます。
ケンゾーも熱血コーチやマネージャーになりながら、わたしを励ましているので、朝からほとんど何も食べていません。
立ち会い出産を希望していて、ケンゾーはこのときのためにGoPro(小型カメラ)を買っていました。
一眼レフで写真を撮り、GoProで動画を撮る作戦です。
テレビの芸人がバンジージャンプなどの体を張ったアトラクションをするとき自分のヘルメットにGoProをつけて撮影するように、ケンゾーは頭にGoProをつけて動画を撮り、両手は一眼レフのためにあけておく計画でした。
そのために、GoProを取り付ける専用のヘアバンドまで持ってきていました。
しかし、この場に及んでGoProを装着する余裕はありません。
それに、妻がうめき、医者やスタッフたちが真剣にお産に取り組んでいるなか、一人だけアホらしい格好になるのもためらわれます。
ケンゾーは、一眼レフとGoProを両手で慌ただしく使い分けながら、わたしを励まします。
設備の整った分娩室、医師2人に助産師2人、それに看護師が7人ほどいます。
何かあっても大丈夫、そう思えました。
体が冷えてきました。
自分の手を見ると土気色になっています。
手が震えています。
酸欠になってる、と思いました。
こんなことでは赤ちゃんに酸素がいかない。
深呼吸しなきゃ、とぼーっとする自分を奮い立たせます。
スー、ハ〜。
マネージャーも、わたしの震える手を握って、スー、ハ〜。

これまでは陣痛がきて、いきみたくてもいきんではダメでした。
とにかくリラックスして深呼吸。
でも、赤ちゃんが下に降りてくると、今度は赤ちゃんの動きを助けるために、いきまなければなりません。
「はい、今いきんで〜」」
「フーーーン!」
さっきまで、痛すぎてリラックスなんてできなかったのに、ここにきて疲れがピークに達したのか、急激に眠くなりました。
痛いのに、意識が朦朧となって睡魔に襲われる、という状態です。
だけど、いきまなきゃいけない。
遠のく意識をなんとかつなぎとめます。
助産師さんが赤ちゃんの様子を見ながら、わたしの向きを変えさせます。
というのも、赤ちゃんは狭い産道に合わせて、体を回転させながら、なんとかして出てくるそうです。
赤ちゃんが回転しやすいように、わたしは横になったまま右側を下にしたり、左側を下にしたり。
助産師さんに乳輪をマッサージされます。
胸を刺激することで、子宮の収縮が進み、赤ちゃんを外に押し出しやすくするためです。
女性の体はよくできていて、出産のために伸びて大きくなった子宮は、出産後、赤ちゃんにお乳を吸われることで、縮んでもとの大きさに戻るようになっています。
陣痛が長く続くようになり、もう赤ちゃんは生まれようとしています。
骨盤がくだけるくらいに痛い!
早く、出てきて〜!!
「もうちょっとよ、がんばって」
「長ーく、息を吐いてー」
医師2人、助産師2人、看護師7人、そしてケンゾー。
みんなに見守られ、励まされます。
先生が言いました。
「もう、赤ちゃん見えてるよ!
髪の毛、ふさふさだよ。
はい、もういきまなくていいよー。
力抜いてー」
最後までフーーン!といきんで、赤ちゃんを出すと思っていたら、最後は医師や助産師さんが赤ちゃんを引っ張って、取り上げてくれるようです。
もうすでに、陣痛の痛みはあまり感じなくなっています。
子どものころから、テレビや友だちから、出産の痛さを「鼻の穴からスイカを出すくらい痛い」とか「上唇をひっぱって、おでこにひっつけるくらい痛いらしい」とか聞いていました。
だから、赤ちゃんが産まれる直前が一番痛いのだろうと思っていたのですが、出産の一番の痛みは、その前の陣痛でした。
もう、いきむ力もほとんど残っておらず、ボーッとしているわたしに先生がいいました。
「ほら、ここから出てくるんだよ。
ちょっと頭を起こして、赤ちゃんが出てくるのをしっかり見て!
ここから出てくるよ、しっかり見よう!」
きっと体を少し起こすことで、赤ちゃんが出やすくなるんだと思います。
「赤ちゃん、出てくるよー。
出てくるよ。
はい、生まれたよー!」
陣痛から12時間。


産声が聞こえてきました。
ああ、なんてかわいい産声なんだろう。
女の子のかわいい声。
先生が横たわったままのわたしの胸元に、赤ちゃんを連れてきてくれました。

「ママですよー」
赤ちゃんは、目を開けてくれていました。
「がんばったねー。
がんばったねー」
我が子に何度も言いました。
お腹に宿ってから、何度も危機がありました。
それでも、一生懸命子宮にしがみついてくれて、この日までがんばってくれました。
二回の手術を一緒に受けました。
そして、満を持してこの世界に出てきてくれた我が子!
ようこそ、わたしたちの世界へ!!
体重は2777g。

ずっとお世話になっていた女医さんが言いました。
「よかったね。
おめでとう。
こんな風に無事に赤ちゃんが生まれたのは、あなただったから。
あなただったからできたと思う。
本当にね、そう思うフシがいくつかあるんですよ」
お世辞とはわかっていても、その言葉は本当にうれしく、涙が溢れそうになりました。
「自分の命か、赤ちゃんの命か、どちらを優先するか考えておいてください」、「妊娠が継続するかどうか、あとは祈るしかありません」そう医師から言われてきたこれまでのことを思いだします。
辛い思いをしながらここまでがんばってきて、別に誰かに褒められることをしたわけではないけれど、先生のその言葉は今までのことを労ってくれるのにじゅうぶんでした。

わたしは残りの処置を受けるので、分娩台に横になったままです。
そばではケンゾーが「かわいい」「かわいい」と連発しながら、体の測定をされている我が子を見守っています。
看護師さんが言いました。
「旦那さんに先に抱っこさせてもいいですか?」
いいに決まっている。
わざわざ、そんな許可を仰ぐなんて。
でも、世の中にはダンナに先に抱っこされてたまるか!と思う妻もいるのだろうか。
そんなことを考えると、少しおかしくなりました。
あとで聞いたところ、ケンゾーは我が子が生まれ、「ああ、俺はこのために今まで生きてきたんだー」と思ったそうです。

我が子の出生に感動したのは、わたしよりケンゾーだったと思います。
わたしはとにかく、感動というより無事に産めたことにホッとしていました。
ケンゾーのほうが泣いていました。
でも、入院中、母子同室になって、娘と隣で夜を明かしたときのことです。
抱っこしないと、ほんとうに泣き止んでくれない。
ずーっと泣いていて、抱っこしてしばらくして泣き止んで眠ったと思い、布団に戻すとまた泣き出す。
出産後で疲労困憊。
睡眠不足なのに眠らせてくれない娘。
育児の大変さの洗礼を受けました。
涙がポロポロこぼれます。
泣くことをやめることができませんでした。
でもそれは、悲しい涙ではありませんでした。
この子は、この新しい世界に不安で泣いている。
子宮から産道を通り、出てくるまでもきっと大変で、この子にとっては命がけの大冒険だった。
それでも、生まれてくることを選んでくれた。
この未知の世界に不安で泣いているけど、それでもこの世界で生きたいと思ってくれた。
絶対にこの子を幸せにしなきゃ。
泣いている娘を抱っこしながら、娘の生命力に感動して涙があふれっぱなしでした。
娘を抱えて窓際に立ちます。
深夜。
窓の外には街頭が灯り、向かいの建物の窓からオレンジ色の淡い光が漏れています。
「きれいだねー。
この世界はきれいでしょう」
娘に語りかけます。
娘はまだ、羊水の中にいると思っているのか、目を開き、水をかくように両腕をふりながら、口をパクパクさせています。
暗い室内で、外からの薄明かりに照らされながら、わたしの腕の中で見せてくれる神秘的なダンス!
ようこそ、わたしたちの住む世界へ。

ふたりでふらり、ゆるりとぐるり。
これからはふたりではありません。
ゆるりとすることもできません。
パパとママ、がんばるからね。

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