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訪れた国は78カ国
旅した期間は1257日
2016年2月14日に帰国!
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ケンゾー   イクエ


2007年10月 結婚
2012年09月 世界旅行に出発

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世界一周後の試練

2017.12.31 13:38|世界一周裏話☞EDIT
イランを旅していたとき、女子高生たちから「赤ちゃんみたいな顔でカワイイ〜!」と言われたイクエです。
目鼻立ちクッキリで美人の多いイランで、鼻が低く目が小さい日本人のイクエとケンゾーはまだ完成してない顔に見えるようです。

世界一周から帰国してすぐに妊活をし、不妊治療で赤ちゃんを授かりました。 
帰国して半年後のことです。

妊娠したらさぞ嬉しいだろうなぁと思っていたけど、わたしは36歳。
高齢出産と言われる部類に入ります。
私の年での流産率が高いこともわかっていたので、このまま妊娠が継続できるか不安で仕方ありませんでした。

そして二週間後、夜に急に違和感を感じトイレに駆け込むと大量出血。
「ああ、やっぱりダメなんだ」

出血だけでなく、ゴルフボールくらいのレバーそのもののような硬い塊が2つも出てきました。
血は止まらず、浴室に移動し流し続けました。
お腹に、鈍痛もありました。
クリニックはもう閉まってる時間だし、もうどうすることもできない。
処置が楽に済むように、流れるのなら流してしまったほうがいいと思いました。

お腹の痛みはあいかわらずでしたが、出血はだいぶ収まり、ケンゾーの体に頭を埋めて、出てきそうな涙を止めました。
「また、がんばろう」
ケンゾーは小さく言ってわたしの頭をなでました。

翌朝「たぶん流産しました」と電話でクリニックに予約をいれ、診察に行きました。

エコーでお腹の中を見てもらいました。
女の先生が高めの声で言いました。
「あら、赤ちゃんいますよ。
 ちゃんと心臓も動いてる。
 大丈夫ですよ」


20160813.jpg


信じられない気持ちでした。
なんて生命力が強い赤ちゃん。
勝手に流産と決めつけて、ごめんね。

出血の原因は不明でしたが、赤ちゃんにまったく異常はみられません。

大事にしよう。
大切にお腹で育てよう。
そう誓いました。

でも、不妊治療のこと、高齢出産のことをたくさん調べていたわたしは、これからのリスクが大きいことも知っていました。
妊娠の喜び、出産の楽しみよりも不安の方が上回っていました。
万一のことを想定し、期待してはいけない、と自分に言い聞かせていました。

『たまごクラブ』や『妊すぐ』など妊婦向け雑誌を買いたい気持ちもありましたが、まだ買ったらいけないと思うようにしていました。
マタニティウェアも買ったところで、あと1週間後、もしかしたら明日、いらなくなってしまうかもしれない。
そしたら、家にあるその不用品を見るのも辛くなる。

妊娠を家族以外の人に報告することもできませんでした。
もしダメになったら・・・と不安で仕方ありません。

わたしの思い描いていた妊娠生活とはまったく異なっていました。
わたしはとてもナーバスになっていました。

不妊治療のクリニックは、不妊治療が専門であり、妊娠したら卒業し、別の産科を紹介してもらわないといけません。

わたしはなんとしても赤ちゃんを無事に生み、出産後万が一何かあっても万全の態勢で赤ちゃんを守ってもらえるようにと、大学病院で生むことを希望しました。
それまで思い描いていたのは、ホテルみたいな病室やレストラン並みの豪華な入院食、幸せに溢れたきれいな産科病院での出産。
かなり違うものになってしまうだろうけど、もうそんなことはどうでもよくなっていました。
クリニックの先生からは「何も大学病院じゃなくても。大きめの総合病院でいいんじゃないですか?」と言われましたが、大学病院に紹介状を書いてもらいました。(この後、大学病院にしてよかったと心から思うことになりました)

大学病院で妊婦検診を定期的に受けるようになりました。
ある日、担当の女の先生が深刻な顔でエコーの画面をじっくりと見ながら、深く息をもらしました。
「あー、うーん・・・」

ため息まじりにつぶやきました。
「ちょっとこれはねー、調べないといけないね・・・」

不妊治療をする時、左の卵巣に嚢腫があることはわかっていました。
でも右の卵巣から排卵すれば妊娠はできるし、嚢腫も良性で小さいので妊娠しても支障がなく、そのままにしても問題ないと診断されていました。
その嚢腫が妊娠後、急激に大きくなっていたのです。

先生は言いました。
「肥大化のスピードを考えれば・・・。
 悪性かもしれない。
 一刻も早くMRIで調べたほうがいい」


腹水もたまっていました。

卵巣ガンかもしれない。

それは想像もしなかったことでした。
しかし、出産できることを確信できず不安で、自分の妊娠・出産が半信半疑だったわたしは、「あぁ、そういうこともあるんだ。やっぱり一筋縄ではいかないんだ」と思い、取り乱すことはありませんでした。
それと、冷静にならないとやってられないとどこかで思っていて、あえて感情を抑えていたのもあります。

MRIでは『腫瘍が直径10センチほどあって、固い物質であるので悪性の疑いもある』という結果が出ただけで、詳細はわかりませんでした。

血液検査で、肝臓の数値も悪くなっていることがわかりました。
毎回血液検査をするたびに数値は悪くなるいっぽうで、今度は紹介してもらった消化器科でエコー検査を受けたら、肝臓にまで腹水が溜まっていることもわかりました。

原因はわかりません。
いい方に考えれば、腫瘍は陽性だけどあまりに大きいから体の中のスペースを奪ってしまって肝臓が窮屈になって異常が出ている。
悪い方に考えれば、癌が肝臓まで転移している。

肝臓の機能が悪くなったことで胸焼けや息苦しさも感じるようになりました。

先生が言いました。
「悪性であれば、転移を防ぐために腫瘍だけでなく、子宮も取ることになる。
 その場合はお腹の赤ちゃんは諦めないといけませんね」


それは、お腹の赤ちゃんを諦めるだけでなく、一生子どもを授かることができなくなることを意味します。

「母体か子どもか。
 どちらを優先するか考えておいてください。
 病院としては、母体を優先されることを願います。
 どうですか?」


「悪性だとしたらどのくらい進行しているのか、そういうのによります。
 今はなんとも・・・」

「そうね。
 とりあえず腫瘍の摘出手術をしないと。
 どんどん大きくなっていて、すでに子宮やほかの臓器も圧迫してるし、
 このまま放っておくわけにはいかないから」


良性か悪性かは、腫瘍を摘出し、病理検査をしないとわかりません。
とりあえず、お腹を開いて左の卵巣と腫瘍を摘出し、お腹を閉じます。
病理検査には二週間ほどかかるので、結果が悪ければもう一度お腹を開いて右の卵巣と子宮も取るとのこと。

悪性だったらということは考えないようにしましたが、悪い方に考えてしまうこともあります。
もしガンだったら、進行してたら、わたしがいなくなったらケンゾーは大丈夫かな・・・。

胎児が小さすぎても手術に耐えられずにダメ、逆に待ちすぎるとその分腫瘍も成長し胎児のスペースがなくなるうえ、手術も難しくなる。

妊娠4か月(15週)で手術を受けることになりました。
このとき、まだ赤ちゃんは150グラムほど。
子宮に赤ちゃんがいる状態でお腹を10〜15センチ切って卵巣を取るので、もちろん赤ちゃんへのリスクはあります。

20161018.jpg


手術前に執刀医から説明を受けました。
悪性の疑いもあること。
今回は卵巣と腫瘍だけ切除するけど、癌だったらまたすぐにお腹を開いて子宮も赤ちゃんも取らなければいけなくなること。
今回の手術により大量出血や流産してしまうかもしれないことなど、リスクを次々に説明され、たくさんの書類に承諾のサインをしなければなりませんでした。

ただ、うれしかったのは先生が説明するとき、わたしのことを「おかあさん」と読んでくれたことです。
このときまだわたしは周りに妊娠のことを隠していて「妊娠おめでとう」と言われたこともありませんでした。
ほかの人に「おかあさん」と言われて、母になれるかもしれないことを実感しました。

赤ちゃんもここまでがんばってるんだから、母としてがんばらなければと思いました。
また先生は、お腹の赤ちゃんがちょうど逆子のようになっていて、顔を正面に向けていてわたしと同じような姿勢でいると教えてくれました。
ふたりいっしょに手術台にのって、手術を受けるんだ、一人じゃない、と思えました。

医師の説明を受け、ベッドで休んでいるとわざわざ看護師長が挨拶に来ました。
「大丈夫でしたか?」
心配そうに看護師長が尋ねますがなんのことかわかりません。

「さっきの先生たちからの説明、ショッキングな内容ばかりだったと思います。
 先生が心配していました。
 ショッキングで酷なことだけど、伝えないわけにはいかなかったから、
 と先生が言ってました」


わざわざそんなふうに言われることがかえってショックでした。
わたしは自分の症状のことはインターネットで調べまくっていて、もうすでにある程度の覚悟もしていました。
先生も看護師長も「ショッキング」と言っているのだから、やっぱりそれなりのことなんだなと改めて思いました。

前夜は、不安と緊張でほとんど眠れませんでした。
どうか悪性じゃありませんように。  
赤ちゃんが無事でいてくれますように。

手術のときは、手術中に何かあったときのために家族が病院内で待機しなければならず、ケンゾーと母が来てくれました。
手術室の前まで二人はついてきてくれました。

「じゃあ、行ってくるね」
わたしが言い、手術室に入る前、もう一度後ろを振り返りました。
しかし、母は顔を横にそむけて目も合わせてくれませんでした。
母の気持ちがわかりました。
わたしは小学校二年生のとき、手のやけど痕に足の裏の皮を移植する手術を受けたことがあります。
そのとき母は手術室までではなく、エレベーターのところまでしか送ってくれませんでした。
あとで母は「涙が出そうだったから」と言っていました。

あれから30年近くも経ち、小学生のわたしはあの頃の母くらいの年になっています。
母は歳を重ね、わたしよりも背が低くなり、娘たちから心配される年齢になりました。
それでも、母はあのときと同じでした。
手術室に向かうわたしが心配で仕方なかったのでしょう。

無機質で殺風景な手術室は、余計にわたしを緊張させます。
それでも一人じゃない、お腹の子といっしょなんだ、二人でがんばるんだと心強く思いました。
腫瘍よりも小さな娘(手術前のエコーでお腹の子はどうやら女の子らしいとわかりました)は、わたしを勇気づけてくれています。

赤ちゃんに影響が出ないよう、全身麻酔は受けられません。
はっきり意識があるなかでの手術。
先生が「じゃあ始めますよ。お腹切りますよ」と話しかけます。

それまで患者をリラックスさせるようなオルゴールミュージックが流れていましたが、手術が始まると、先生の気分がのる好みの音楽に変わりました。
普通ならもう患者は麻酔で眠っているころです。
病院でも腕がいいと評判で、大学でも教えていて、数年前まで研究のためアメリカに留学していた先生。
英語のポップな曲でした。

手術中、お腹を切る痛みは感じませんでしたが、引っ張られたり臓器を持ち上げられたりする感覚はあります。
今どういうことを処置をしているのかはわかりました。
腫瘍は、卵巣だけでなく、腸や子宮にも癒着していました。
だから切り離すのが大変なようでした。

どうか子宮が傷つきませんように。
がんばれ、赤ちゃん。
耐えて、赤ちゃん。

先生は前日、「手術中に、腫瘍を簡易検査にかけようと思います。そして悪性の疑いがあれば、少しでも転移を防ぐために腫瘍と卵巣だけじゃなくそのまわりもその場で少し取り除いておきたい」と説明していました。

一時間ほどかけて腫瘍と卵巣が取り除かれました。  
銀色のトレーに載せて、すぐに別室の検査室に持っていかれました。
天井を見つめたまま、お腹を開いた状態で、検査結果を待ちます。
全身麻酔はしないけれど、わたしは手術中ボーッとなってウトウトするだろうと思っていましたが、検査結果と赤ちゃんが気になって、さえざえ。
天井のライトを見つめたまま、待ちます。
壁の時計を何度も見ます。 
長く感じます。
医師たちはお腹が開いたままの仰向けになった私を囲んで、「先生、今週の予定は?」なんていう日常会話をしています。

おねがい、良い結果でありますように。

「大丈夫だよね。大丈夫だからね」とお腹の赤ちゃんに心の中で語りかけます。

40分ほどして、手術室の電話がなりました。

「・・・はい、わかりました、 はい。
 ・・・はい」


電話の応対からは結果がどうなのかわかりません。
胸がドキドキしますが、冷静を保ちます。

執刀医が私に顔を近づけて言いました。
「良性、良性でしたよ」
「・・・リョーセイ?」

良性か悪性かのどちらかの答えがくるのは当たり前なのに、緊張してたからか一瞬、「リョーセイって?悪いの、いいのどっち?」と戸惑いました。

医師がもう一度言いました。
「良性ですよ。
 良かったね」


あー。
よかったあ。

泣きそうになりましたが、これからお腹を閉じる処置があるし、手術はまだ終わってないんだから泣いてはいけないと、ぐっとこらえました。

お腹の子と、一つの試練を乗り切った気分でした。

手術の最後に、胎児に異常がないかモニターで調べます。

医師が言いました。
「うん、赤ちゃん元気だね。
 わかる?
 ほら、ここ、心臓動いてるでしょ。
 よかったね!」


「ありがとうございます」

がんばったね。
がんばったね。
お腹の小さな命に呼びかけました。

ベッドに仰向けにのせられたまま、手術室を出たとたん、涙が溢れ出しました。
天井を見つめる目からは涙はサラサラ流れ続け、耳を濡らします。

付き添っていた看護師が、ティッシュで涙を拭ってくれ、手に持たせてくれました。
「ホッとしましたね」
その言葉に余計涙が出てきます。
声にならず、天井を見つめたままわたしは小さくうなずきました。

手術は予定の倍の時間がかかり、ケンゾーと母は、何かあったんじゃないか、悪い結果になっているんじゃないか、大量出血してるんじゃないか、などものすごく不安になっていたようです。
しばらくは「手術の途中経過を、待合室の家族に教えてくれればよかったのに。時間がかかってるけど大丈夫ですって一言伝えてくれるだけでいいのに」と何度も言っていました。
よっぽど心配したのでしょう。

試練を乗り越えました。
お腹の赤ちゃんは、強い。
必死に子宮にしがみついてくれている。
絶対にこの子を無事に産もう。

でも、さらなる試練が待っていました。
たった1週間後に同じ病室に戻り、また違う手術を受けることになったのです。
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